芥川、清張、白石一郎、吉村昭作品に魅せられ、「自分も書いてみたい」そう思い、書き始めたのが40年以上まえ。 最近はほとんど書いていませんが、まだまだ未完成の箇所も多く、徐々に書き変えたい と思っています。 |
・よかったわ コロナコロナで 会議無し
(2022/10/4)
・親不孝 孫たち楯に 里帰り
・首降りの 束の間の風に 汗も増し
・静けさや ときをいただく 森の風
(時間ってホント、大切だと思います。パチンコ止めたのもトキのため)
・母の乳首 牛乳瓶の 口に似て (2019/12)
(インスタント食品が溢れている時代、紙パックも悪くはありませんが…)
・ 夏野菜
(2021/4/24) ビニールパックが多いですね
・ 黒髪の 影を落とせし 広瀬川
・ 広瀬川 影を落とせし 君の髪
(吉岡マサ子さんの「数珠玉の 影を落とせし
に胸打たれ、私なりに高校時代(鹿児島出水市を流れる(広瀬川)
に佇む
■ 随 筆 随筆 (最近) ■ 思 い 出 五十数年まえにはくるまはおろか、テレビもなかった。 ■ おらが村に塾が降る ■ 白い花・谷間にゆれて ■ 初 恋 ■ 山 鬼 ■ 嫉妬虫と小鬼 ■ 夢 幻 |
■お年玉の由来 (wikipediaより)
お年玉の語源は、正月に歳神(年神)を迎えるために供えられた、丸い鏡餅(=歳神(年神)の霊魂が宿った依り代、
歳神(年神)の象徴)が、家長によって子供に分け与えられ、その餅が「御歳魂(おとしだま)」と呼ばれたことから、
とする説がある。つまり、その年を、1年間を、生きるために必要な、歳神(年神)の霊魂=生命を、子供に分け与えることで、
(強い生命力には、魔=災厄を退ける力がある)、子供の無事な成長を願う、宗教的な意味がある。
また、これを年のありがたい賜物(たまもの)であるとして「年賜(としだま)」と呼ばれたことから、
とする説もある。なお、「トシ」は「稲や稲の実り」を意味する語でもあり、歳神(年神)は豊穣神でもある。
お年玉の習慣は中世にまでさかのぼり、主として武士は太刀を、町人は扇を、医者は丸薬を贈った。
現代のように現金を渡すのが一般的になったのは、昭和30年代(1955年 - )以降だとされている。
これは、経済成長とともに農村社会が解体され都市生活者となり、稲(米)や餅を作らなくなった代わりだともされている.
また、昔は正月に子供に玩具を与えており、お金は玩具の代わり=玩具代だとする説もある。
または、この場合、お金が鏡餅と同じ意味・機能を果たしているとも考えられる。
例えるなら、稲(餅米)が昨年の収入、鏡餅が家産の集合体、お年玉(=砕いた鏡餅の断片)が家産からの財産分与、
ということになる。 wikipediaより