随 筆           戻る



         娘 祥子の日記から(小三のころ)  

    とうさんから祥子へ

 小学三年の娘が小学2年のとき、宿題で書いていた日記に目を通していたら、
娘のすなおであるがままの作品に惹かれました。
 とうさんが仕事や付き合いで帰宅時間が遅くなったとき、風呂場にはかかり湯や
歯磨きのうがい水、歯ブラシにはクリームもつ け家庭に迎えてくれますね。
 夜遅く帰宅すると、おまえはすでに、大の字になって寝ていますが、お風呂場を、
一日のできごとなどおはなしできなかったおまえと父さんの話し合いの場にしたい
んだろうね。
 先日、おまえと「麻原彰昇」の名前が似ているので、クラスの男の子から、からか
われたそうだね。
 追いかけていって叩いたそうですね。かあさんが話していました。
「それでいいんだよ」            (平成7年6月28日)

  えん足 

 二日まえ、えん足でびしゃもん山へ行きました。
 おべんとうを食べるときは、たくさんの友だちと食べました。
 私のも、同じはんの人のおべんとうも、みんなおにぎりがはいっていました。
 おべんとうを食べおわったら先生にクッキーをあげました。
 そして、くっつき虫を先生につけました。先生がげんこつをふりあげました。
 でも、かおはわらっていました。
 山からのながめは、とてもいいなあ、と思いました。
                        (平成6年10月28日)
    ひこうき雲

 きょう、お買いものに、たけひさしょう店へ行きました。
 たけひさしょう店の前の道ろで空を見上げると、ひこうき雲がありました。
 おかあさんに、 「おかあさん、ひこうき雲」と言いました。
 そしたら、
 「ほんとだ。きれいね」とおかあさんがこたえました。
       (平成6年11月17日)

                     
   
 


 私たちが結婚した日は偶然、成田開港日にあたった。早いもので十二年の歳月が流れた。
 結婚した当初、妻は六時まえに起床して出勤し、夕方遅くまで働いた。過労がたたったのか。
数年後、妻は病に倒れ、それから五、六年、私たちは子宝にめぐまれなかった。
 それだけに待望の長女が生まれたときの喜びようは大変なものだった。
 妻と二人だけの生活、長女の誕生、その成長を思いのままに綴ってみました。


         菓 子  

 食卓の上に和菓子がふたつ。
「あしたはふたりとも休みだから、いっしょに食べようね」
 そういって帰宅途中、妻が買ってきた菓子だ。
 夕食をすますと、妻はストーブの上にヤカンをのせたまま、寝入ってしまった。
一週間の疲れが一度に出たのだろう。
 茶をいれるためにヤカンに入れた湯が、いまは夜の静寂の中でチンチンと音をたてている。
 食卓の上の菓子を見つめていると、それがまるで主人を失った無機物のようで、
悲しくなってしまう。          (58年12月)    菓子 選評                     


  私の余禄 (毎日新聞 56/5/16掲載 32歳 筑紫郡  一部校正)

  七年前の夏。出張で千葉県の銚子報話局へ行ったときのこと。
  二日目のこと、通信機械が故障したというので、犬吠埼の近くにある無線局へ行った。
  無線局は、はるか眼下に海を見下ろす高台にあった。太平洋の荒波が岩に砕け、水しぶきを
 あげる。海風に乗った懐かしい塩の香りを体いっぱいで取り込みながら野菜畑を突っ切ると、
 窓からこぼれるモールス信号の音が、耳にやさしく響いてくる。
 「どこと通信しているんだろう。海外だろうか。海外だったら、何処の国だろう」などと、想いを
 はせているうちに、無線局に着いた。
  建物のなかに入ると、所狭しと置かれた通信機械が、せわしく動いている。その中のひとつを覗くと、
 それは遠くマーシャル諸島沖を航行する船舶からの送信文であった。電文は次に地元漁協か船員の家族の
 もとに届けられるであろう。
  私が毎日修理している機械が、こうした目的で使われているのを実際、目のあたりにしたとき、子どものように
 夢がふくらんだ。
  そしていま、技術のめざましい発展により、私の職場も急速に変わりつつある。トランジスタを使った機械は
 集積回路が管理する機械に変じ、少なくとも私の意識の中で、それはエンジニアからチェンジニアに変わった。
  技術の進歩はムダをなくし、スピーディーに時代を塗りかえていく半面、それらは私たちから離れ、独り歩きを
 始めたのではないか。そうでなければよいが。
  人は不完全ゆえに、それを認識して行動するだろう。機械はそうはいかない。原子力発電、核兵器、その多くは
 二十四時間、コンピュータで管理されている。  銚子無線電報サービスセンタのその後


 
花と人生 (朝日新聞 60/06/29 掲載 36歳 一部校正)

  雨上がりの夕刻、太宰府天満宮へ花しょうぶを見に行った。四十種、約三万本が咲き競う菖蒲池のまわりは、
 土曜日とあってか、足の踏み場もないほど込み合う人々でごった返していた。酒宴の笑い声、子供らの笑い声が、
 池とは対照的に、闇の底にひっそり沈む森の中へ吸い込まれていく。
  ライトに浮かびあがった花しょうぶは紫あり、白あり、紅紫と、その美しさと清廉な魅力で、私たちの目を引く。
  いっぽう、同じ日、わが家の狭いベランダに咲いたサボテンも薄紅色の可憐な花を一輪、遠慮がちに咲かせつつあった。
 天満宮から戻ると、妻が「夜露にあたっては」と、室内に入れ、その後、ほおづえをつきながら娘といっしょに、いつまでも
 それを眺めていた。
 「花しょうぶもいいけど、サボテンの花もいいね」
  しかし翌朝、ホルンのように開いた花は急速に萎み、なえていった。
 「花の命は短くて 苦しきことのみ 多かりき」ではないが、目立たなくても、貧しくても、毎日一生懸命に生きている
 人々の人生を垣間見る思いがした。


 共稼ぎ

 土曜日、週休二日制の私は、一日中、本を読んでいた。
「ただいまー」
 外で妻の声がする。
 玄関の戸を開くと、買い物袋を手にした妻が上半身をやや前かがみになって玄関口に立って
いる。
 同時に頬を刺す外気が室内へ入った。本に夢中になっているうちに、すでに外は闇に包まれ
ていたのだ。
「仕事、いつ、やめてもいいよ」
 夕食時、妻にいった。
「子供ができるまでがんばらなくっちゃ」
 笑いながら答えた。
 結婚して二年目。心なしか、妻の頬がこけてきた感がした。


  ピアノ

「ピアノを習いたい」妻がいった。
 ピアノに興味を持ったことを内心うれしく思った。しかし、月謝も馬鹿にならない。
「ぼくがなんとか教えるよ」
 簡単な運指法と譜面の読み方を教え、練習用に書かれた「びっく り交響曲」を弾く
ようすすめた。
 二週間後、隣の部屋で妻の迷演奏ぶりに耳を傾けていた。
 三十分も経っただろうか。私の部屋に入るなり、
「やっぱり二代目、中村紘子はあきらめたわ」屈託のない顔をこちらに向けている。
  あきれた顔をしている私に照れ くさいのか、妻はあわてて食卓の上の菓子をつま
んだ。

追記)
  ピアノが大好きなだけに、ピアノに対し気の毒だと思うときがよくある。弾く人に
 よって、それは無限の可能性を秘めているからだ。クラシックでもJAZZでもなんでも
 よい。
  表現豊かな持ち主の家に嫁いでいたら……。ピアノさん、ごめんなさい。

 
 人 形

 三週間の研修を終えて家へ戻った。その間、妻は実家へ帰っていたのだが、
「クイズで当ったのよ」と、大はしゃぎで私を 迎えた。
 机上に手を大きく開いたキューピーが立っている。
 来月赤ちゃんが生まれるというのに、いくつになって も子供だなあと思いながら、
無愛想に人形に目をやった。
 夕食後、妻が話した。実家に同じ人形がクイズで当っていて、義父 がそれをテレビの
上に置いて毎日ながめているという。
 朝は「気をつけーっ」をし、昼間はばんざーい、夜は横に なって寝ているそうだ。
 義父には人形が、やがて生れてくる孫に重なってみえるのだろうか。義父や妻の心
の中で、 この人形はしっかり生きているのだろう。

       

 春の小川

 ♪春の小川はさらさらいくよ 岸のスミレやレンゲの花に……。

 この曲を口ずさむと小学校に入学したころを思いだす。決して豊かな生活ではなかった。
 すきま風が吹きぬける校舎は、 歩くとミシ、ミシッと音をたてた。
 先生がオルガンのペダルを、ふいごのように上下させる。テレビはおろか、ラジオもな か
った時分で、音楽に触れるのは、こうした時間だけだったかと思う。
 しかし先生の目は、母親の子供を見る目に似 て、大きな翼で皆を包んでくれた。
 また、暖かい日は授業を中断し、たびたび小川へ連れていってくれた。春の光に映えた 水
面は珠玉のように輝き、レンゲの甘い香りをのせた風に私たちは全身浸った。
 早いもので、二十七年の歳月がたつ 。
 コンクリートで固められた土手の近くには、土筆が二、三本遠慮がちにはえ、木々に覆わ
れた山はなくなり、住宅 が境界線を主張するように所狭しと建っている。空間がない。あの
自然の空間は利便性と経済の中に消え去ってしまったのか 。
 いまの子供は、つくづく可哀想と思う。が、どうしようもない。加速度のついた自然破壊
をどうして止めたらいい のか。
「貧乏だった昔がよかった。昔に戻りたい」という人もいる。私もたびたびそう思う。
 電子オルガンで「春の小川」を弾いてみる。でも、なぜかしら、あのころの足踏みオルガ
ンのあの暖かさが伝わってこない。
(朝日新聞掲載)

  娘 よ

 娘よ。乳を飲めば寝、起きては 、また飲む。その安らかで単純な繰り返しの中で、おまえ
は、日一日と大きくなっていく。かあさんも大変だぞ。
 お まえが寝ているとき、ほほえむことがある。夢を見ているんだろうね。この世界をまだ
見たことのないおまえが見る夢ってど んな夢だろうなあ、とうさんに教えてくれないか。お
乳の夢だったら、おまえは食いしん坊のかあさん似だ。
 お酒の 夢だったら……。まさか。それはないね。
 とうさんは少し神経質で、体もどこかここか調子が悪い。かあさんのように健康 で明るい
人間になってください。
       

  わが家の天才

  わが家には、本好きの天才がいる。
 本は読むだけではダメだそうで、本の内容を吸収し、それが血となり肉にならない とダメ
だそうだ。ところがわが家の天才は、それを見事にやってのけるから心強い。
 つい先日、いつものように天才 は本を眺めていた。が、そのうち、おもむろにそれを破っ
て食べてしまった。目を離したすきであった。どうやら、この天才 、意味を取違えているら
しい。
 天才も二月で生後七ヶ月になる。茶目っ気も日がたつにつれ、さらに拍車がかかる。

  不 安

「バイクの音がしたら、この子、 玄関の方をじっと見つめるんですよ」妻がいった。
 玄関へはいると、生後八ヶ月の娘は手足をバタバタさせながら、私を迎 える。満月のよう
な丸い顔には、屈託ない笑みがこぼれんばかりにあふれている。
 私に向かって手をのばす。抱きか かえると、胸に顔をうずめる。ミルクの匂いが鼻をなで、
私は幸せを力いっぱい抱き込む。
 不沈空母、運命共同体、 海峡封鎖、暴力学生……と、このところ、物騒な言葉が列島をお
おっている。娘が成人したころ、世の中は平和だろうか。小 脇に武器を抱きかかえてなけれ
ばよいが……。

  父とシルクロード

 昨年の夏、心臓発作 で父が他界した。初めての内孫の誕生から、わずか四十一日めであった。
 父は病院で一回、妻の実家で一度だけ孫に会って いる。元気な内孫の誕生に、父はしわの
増えた顔をゆるませ、目を細めた。
 葬式の日、私は喜多郎作曲の「シルクロ ード」のテーマ曲をバックグランドに使いたいと
葬儀屋に頼んだ。葬儀の場でだれも使ったことのないだろうこの曲をあえて 選んだのには、
それなの理由があってのことだ。
 私の申し出に葬儀屋は怪訝な顔をして、
「葬儀が始まるまでな らかまわんでしょう」、と答えた。
 ところが、どうしたことだろう。葬儀が始ってからも読経が始まる直前まで流れたまま で
あった。その場の雰囲気に溶け合って、異和感がない。蒸せかえる暑さの中で、むしろ心が
安まる思いであった。
 葬儀が終わった。火葬場から戻ると曲の入ったカ・u档Zットテープを捜した。しかし、辺りを
探しても見当たらない。大切なテープだ。
 妹がそれに気付いて、テープなら葬儀屋さんが借りていったよ」といった。
「どうして?」
「葬 儀屋さんも気にいったみたいね」
 いちばん下の妹はそう言って、泣きはらした顔に笑みを浮かべた。
 この曲には、 時間と空間に無限な広がを感じさせるなにかがあるようだ。心が解き放たれ
るような安らぎとでもいおうか。
 私は二 、三日まえまで元気だった父の死を、永遠に会えないものと信じたくなかった。シ
ルクロードが長安から河西回廊を経て西域 、さらにはやインドに至る長く長くのびた一本の
道であるならば、現世に住む私たちと、はるか手の届かない黄泉のクニへ旅 立った父とを結
ぶ一本の道があってほしい。
 私の場合、喜多郎作曲の「シルクロード」がそれである。

         娘 よ

 おまえの髪は最近の日本経済に 似て伸び悩んでいる。が、その腕白ぶりは伸び悩むどころ
か、とどまるところを知らない。ダックスフンドに似た短い足で他 人の腹をけとばしたり、
やっと生え始めた歯で人の指を力いっぱい噛みついては、「アイタタ……」といって笑う。
狭 いわが家は占領され、その茶目っけぶりにぼくは心の安らぐ暇もない。
 だが、娘よ、生後九ヶ月で、「キャ、キャ」と笑う おまえの顔にゆがみはなく、天使の笑
みにも似ている。
 昨年の夏、父を亡くし、ともすれば胸がしめつけられるよう な夜、僕はおまえに添い寝し
て、その安らかな寝顔をそっとのぞきこむ。

         とうさんへ

 昨年の夏、亡くなった父が 六十年前に遊んだという串本の浜辺に、私は腰をかがめてビニ
ール袋に砂をつめている。
 十五で故郷の串本を離れ、 岐阜の旧制中学に学んだ父は、のちに専門学校を卒業し、戦時
中は船に乗った。私が生まれて父は船を降り、つい十年まえま で警察の無線通信技術士とし
て働いていた。
 生来、無口で、働くことしか考えない父は、定年後も、ひたすら広告代 理店や新聞販売店
で黙々と働いていた。
 しかし疲れが高じてか。亡くなる数年程まえから、いっそう無口になってい ったようだ。
 長男で、本来なら祖父母の眠る、民謡でも知られる串本に葬られるはずの父へ、とうさん、
せめて、あ なたが眠る九州へ故郷の砂を持って帰ります。

         大きくなーれ

 深夜、それはいつ襲うか 見当がつかない。 それは最初、カエルに似た小さな鳴き声で始
まる。そのうち、そばで寝ているもう一匹のカエルが目を覚 まし、合唱はやがて、家全体に響き渡る。
 すわ、出動。私は布団からはね起き、合唱の始まった六畳間へ向かう。布団の中 で保って
いたぬくもりが、一気に外気に持っていかれる。
 妻はすでに、最初に鳴いた娃に乳を与えている。もう−匹 は母親に抱かれようと懸命だ。
代わりに私が抱く。
 毎晩のことである。「疲れた」などと弱音は禁物。「今の若いも んは」とやられるのがオ
チだ。ここは、かわいい子供らのため、ただ黙って耐えなければならない。

         娘 に

 帰宅すると、待ってましたとば かりに、肩を揺らしながら駆け寄ってくる。夕食もそこそ
こに済ませ、新聞を読んでいると、次はその上を右へ左へはいずり まわる。抱きあげておか
あさんのひざへやると、今度は、本を読んでくれ、と絵本を持ってきて新聞の上にそれを開
く 。読んでやらないものなら、すぐに泣き落としの戦術を行使する。
 静かだな、と安心していると、何かいたずらをしている 。被った害だけでも本、カセット
テープ、茶わんと数えたらきりがない。
 電気釜の差し込み口をマイクになぞらえ、 歌手を気取っている。知恵がついたのは、うれ
しいが、少しは安らぎの時間を与えて欲しい。

         おせっかい

 その日、私はコンボオルガ ンでバッハの簡単な曲を練習していた。正直いって、簡単な曲
しか弾けないのだ。しかし、緊迫したあとの解放感、音階の美 しさはさすがバッハならでは。
下手でもつい、自分の演奏に酔ってしまう。
 そのときである。現れてほしくない娘の 足音。続いて窓ガラスを打ち破るような電気音が
鼓膜を突き刺した。娘がオルガンとアンプを結ぶコードに足をひっかけたの だ。
「いい加減にしろ」とうとう、怒鳴ってしまった。
 が、次の瞬間、娘は満月に似た顔に笑みを浮かべ、タオルを 差し出した。気がきいている
のか、黙っていたらなんでも持ってくる。私は静かにそれを受け取ると隣室へ行き、壁めがけ
て力一杯投げつけた。でも、おまえがいちばんかわいい。

         

 本欄に掲載された「おせっかい」を 見た一読者から、「一歳八ヶ月の娘さんを怒鳴るとは
どうしたことか」という心配のお便りをいただいた。心の中で、怒鳴っ たまでで、オーバー
に書いたのがまずかった。
 さて、最近娘は、私が顔を洗っていると、
「あい」と、パンダに 似た目でタオルを差し出す。
 出勤する際には、「バイバイ」。帰宅すると、「ちゃあちゃ」。ぼくの帰りを待ってい
たのだろう。駈け寄ってってくる。
 晩酌をしていると、妻の代わりにお酌もしてくれる。しかし、つぐ酒の量に限度がなく 、
そこかしこに貴重な酒をこぼしてしまう。気の休まる暇がないが、病気もせず、性格もいた
って明るい。思いやりも ある。がさつだが、妻に似てよかった。
                    

         人 形

 娘が無心に人形をさわっている 。オルゴールつきの高価なものだ。近くに住む五歳と三
歳の女の子が娘に持ってきたという。
 その夜、彼女らの家は 遅くまで車が出たり入ったりしていた。
「何かあったの?」
 妻に尋ねると、「うわさによると、離婚なさるみたいよ 」つらそうに応えた。
 翌日、人形のお礼にと妻が彼女らの家を訪ねた。が、すでに住人はいなかった。
 娘はいまも 人形と楽しそうに遊んでいる。たぶん彼女らの両親が買い与えたのだろう。父
親との思い出を絶つために人形をあきらめた子 供たちがかわいそうでならない。人形から流
れるブラームスの子守歌が悲しい。

         義 父

 七十六歳になる義父は足が不自 由で、新聞社に勤めていたころ合理化にあった。義父もそ
の対象になったという。
「XXさんは三十数年間、一度たり とも休んだり、遅刻したことがない。それに、毎朝人よ
り遅くまで社に残って掃除をすませていく。どうか、辞めさせないで ほしい」直属の上司が
経営者に嘆願したという。
 足が悪いため戦争には行っていない。非国民、と隣人からののしら れたかもしれない。
 二歳になった娘を、寝たきりになってしまった義父のそばに置いた。
「子供がいちばんいいなあ 」
 病気のまえに、どうにもならないつらさを呑み込むようにいった。

         子供たちへ

 三十五歳マラソンに例える と、平和台を出発し、雁ノ巣の折り返し地点に達しようとしてい
るところか。
 和白で妻と出会い、海の中道付近で二 人の子供にめぐり会うことができた。子供らはいま、
平和台の競技場を出発しようとしているところだ。これから外に出、社 会の風にもまれること
だろう。沿道の市民や隣人の拍手、勇気づけられることもあるだろう。長い坂道あり、障害物
あ りで倒れそうになることもあるだろう。
 しかし、最後まで脱落せず、自分のペースで人生を走り抜いてほしい。折り返し点 を戻るボ
クと折り返し点に向かうおまえたちと途中で出会うときがある。そのときは、互いに将来を語
り合いたいもの だ。


         
釣 り

 日曜日、家族四人で神湊へ釣りに出かけた。車の中で、強風波浪注意報がでていることを知り 、
しまったと思ったが、すでに神湊近くまで来ていた。波が岩にぶつかり、しぶきが垂直にあがっ
ている。
 防波 堤の内側に釣り糸を垂れたが、それでも浮きが波に揺れて、魚がエサを食っているのかど
うか、素人の私らにはさっぱり見当 がつかない。結局、ハゼ一匹という結果に終った。
 帰り際、娘に、海に戻してやるようにとハゼを手渡すと、
「ジイ ジイ、バイバイ、またね」
 手を振りながら、ハゼが消えていった海中を、しばらくのぞき込んでいた。
 最近、娘も ようやく二つの単語を並べることができるようになった。

         アーア

 二歳と一歳の二人の子供の守りか ら逃れるようにトイレに駆け込んだ。日中、ゆっくり本を読
めるのはトイレぐらいだ。 しかし、本を開くと同時に、「ちゃ あちゃ、ちゃあちゃ」
 ドアの向こうで娘がぼくを呼ぶ。 知らん顔をしていると、娘の声が次第に大きくなって、とうとう
泣きだしてしまった。これではデルものまでデナくなってしまう。仕方なくドアを開いて娘を中へ入れた。
 すると、 今度は、「おしっこ、おしっこ」と叫びながらまとわりついてくる。あわてて用をす
ませ、娘の下着を脱がせていると、
「おとうさん、まーあだ」 ドアが開き、今度は妻と息子の笑顔がのぞいた。

 運動不足

 倒れて泣こうが、ダダをこねよ うが子供には知らん顔をしている。そのうちあきらめる。
 ところが一週間ほどまえから、娘は急に食欲がなくなり、半病人 のようになってしまった。
かってないことだ。
 きょうは休みで休診だしあすになったら病院へ連れていこう、そう思 っていると、夕方、見
違えるように元気になった。
 妻に、「何か変ったことでもあったんか」と尋ねると、「暖かか ったので、昼ごはんののち、
公園に連れていった」という。運動不足だったのだろう。風邪をおそれ、北風をおそれていた親
のせいだったのだ。「かわいい子には思い切り遊ばせよ」か……。

 水泳教室

 水泳を始めて十ヶ月、バンドを 三、四センチ短かく切った。体もいたって軽い。
「私も何か運動しなくちゃ」
 今度は泳げない妻が水泳教室に通いは じめた。週に二回、職場から戻ると二歳の娘と十ヶ月の
息子を車に乗せ、妻をプールに送る。その間、家に戻ったぼくは子供たちに食事を与え、風呂に入
れる。
「ママ、ママーっ」
 母親と別れるときの娘の泣き声。抱いてくれ、と息子のキ リで刺すような泣き声に、なにから手を
つけていいのか。ただオロオロするばかりで、とうとう、自分の耳にたばこのフィル タを押し込んで
しまった。

 気くばり

「わが家の訪問者はゴキブリばっかりや」
 思わず、そういいたくなるほど、アパート一階のわが家にはゴキブリが多い。そこで粘着式ゴ
キブリマット をそえつけることにした。
 翌朝、マットを探すが見つからない。気配りがハデな二歳の娘に、
「ゴキブリマットは?」
 尋ねていると 、台所で妻が悲鳴をあげた。
 冷蔵庫の中をのぞくと、マットにひっかかってもがいているゴキブリが七、八匹。
「ど うしてこんなモンを冷蔵庫に……」
「だって、ゴキブリが腐るでしょ」
 娘は私たちのあわてぶりとは対照的に、ケロっとして応えた。

 しゃぼん玉

 子は親の鏡というが、三歳になったばかりの娘の趣味も私に似て変っている。彼女、目を覚ま
したら、ゴキブリ ホイホイにかかったゴキブリの数を調べるのが楽しみなようだ。
 職場訓練のため近畿へ来て、ほぼひと月。プログラム作成 にはまって、ほとんど家に電話もし
てなかった。十日ぶりだ。
 電話をかけると、妻の向こうで娘が火がついたように 泣いている。
「なにかあったの?」
 尋ねると、娘が風呂の中にシャンプーを入れたという。
「どうして、シャン プーなんかを?」
 妻の説明でようやく理解できた。最近、彼女、シャボン玉に凝っているらしい。それで、風呂
の中 を石鹸の泡でいっぱいにしたかったという。外国では普通でも、まだまだ泡だらけの風呂に
はなじまない。
 遊び場の 少ない都会だけに、しゃぼん玉ぐらいはどでかいものをつくりたかったのだろう。

 三輪車

 三輪車にまたがっている三歳の娘 を見ながら、「この子もずいぶん大きくなったなあ」と、喜
んだり感心したりしている。
 つい先日のこと。突然、娘 が庭先で泣きだした。どうやら近くの子に泣かされたらしい。手マ
で遊んでいる子供たちの中に二輪車で割って入ったため、 年上の子にしかられたようだ。
 遊びから戻った娘に、
「どうしたの。だれから泣かされたの?」妻が尋ねた。
「 いや、だれも泣かしてないモン」
 人から泣かされた、弱虫ではないよといいたい彼女の意地からかも知れない。だが、娘は 決し
て人の悪口や人を責めない。ぼくは娘を、力いっぱい抱きしめた。

 トイレ騒動

 おねしょをしないよう夜中に 二回、娘をトイレに連れていく。だから今日も少々睡眠不足だ。
 午前中、妻が病院へ行ったため、朝食の用意、長男のオム ツかえ、掃除、洗濯と一通りの家事を終え、
子供らからのがれるようにトイレに入った。ホッとため息をつき、備えつけの雑誌を開いた。
 ところが、突然娘が、「うんち、うんち、ナンバーワン」
 テレビアニメ・アタ ックナンバーワンの節で歌いながら部屋の中を飛びまわりだした。
 あわてて用をすませ、娘のズボンを脱がせる。
「 うんち、うんち、ナンバーワン」の節はうんちをするぞと、親に訴えているのだ。
 便器にまたがっている彼女の顔はそう快であった。
 そのとき、インターフォンがけたたましく鳴った。来客らしい。
部屋の中は玩具で足の踏み場もない。


 サンタ

 宗教とはあまり縁のない私だが、それでも子供のころ、クリスマスイブには、毎年教会へ行った。
 天井に達するほど高いクリスマスツリー、荘厳な賛美歌が流れる中、いつもとは異なる喜びにひたった。
 あれから三十年、二児の父親になり、今度は子供たちのため、なにかをしてやろう。
 銀世界をソリにのったサンタが走る。音もなく降り積もる雪。子供のころの夢を子供たちにも分かってもらおうと、
「クリスマスにはサンタさんが遠いところからプレゼントを持って来てくれるんだよ」
 話して聞かせた。ところが、三歳の娘、
「おとうさんがスーパーから買ってきてくれるんじゃないの?」
 と単刀直入にこたえた。  そういえば最近、どのお家にも煙突がないし、道はコンクリートで塗り固められている。
プレゼントとサンタが子供の頭の中で結びつかないのも無理はない。
 営業やPRに懸命なサンタさん。時代とともに、夢も無くなってしまったものだ。
 恋人たちのクリスマス、と頭を切り替えたほうがいいのかも知れない。


 凧あげ

 北風を背に子供たちが凧揚げに熱中している。新興住宅街の一角、横殴りの風に凧は二、三回回転して。
電線
に引っかかって しまった。
 住宅街のそばを電車が走る。道にはくるまが数珠つなぎ、クラクションの音がたえない。
 小学生のころ、だれにも遠慮せず藁がかさねてある休耕田を駆け、夕暮れ時まで凧揚げに興じた。
 いまのように豊富に玩具はなかったが、工夫して凧や竹とんぼ、竹馬を作って遊び、全身で土の温もりを。
感じたものだ。
 経済優先の世の中が進んだら、将来、自然やそこで住む人間はどうなるのだろうか。一度失った自然は。
元に戻らない。

   切れ凧の 広野の中に 落ちにけり(子規)



 悩み

 妻と息子、娘と私が1つ布団のにいっしょに寝る。娘の寝癖が悪いのは大変なもので、私が寝ているのを
確かめるために、 無意識のうちに、私の腹の上に足を乗せる。
 払いのけても、再び”触覚”をのばす。
 悩みはそれだけではない。寝るまえに、布団のまわりに人形を並び始める。キューピー、犬やワニ、ゴジ
ラの縫いぐるみ。 中古のいただきものなのだが、人さま以上に扱うから窮屈だ。
 娘が寝入ったのを確かめたのち、人形を大切に布団から出し、寝つけの酒を飲むため起きあがった。
 縫いぐるみと息子に挟まれた妻は、幸せそうに寝息をたてている。



 滑り台

 遊園地へ行くとき、乗り物は五回までと、子供たちと約束する。自分の好きなものを兄弟で一所懸命探している。
 約束の五回がきた。 「もう一回、いい?」
 案の定、きた。
「約束だろ」
 心を鬼にして諭し、滑り台に連れて行く。ベンチ同様、遊園地唯一の無料施設だ。
 二人が滑り台に夢中になったころ一人、二人とお友だちがふえ、滑り台のまわりは子供たちでいっぱいになった。
 彼らの笑い声は森閑としたあたりの樹木に吸い込まれていく。
 滑り台で友だちができた娘に、
「きょう、なにがいちばん楽しかった?」
 尋ねると、 「すべり台!!」
 元気な声が返ってきた。


 おとうさん

 母と妹が私らのアパートに遊びに来たときのこと。
 母と妹は二歳と三歳になる息子と娘を連れ、近くの半島・西の浦までドライブした。
 これはあとで妻から聞いたはなしだが、
「パチンコばかりして、ほんとにあの子も困ったもんやね。この子らがかわいそうでならない」
 息子と娘が寝込んだと思い、私のことを母がぼやいていると、突然娘が、
「おばあちゃん、おとうさんはねっ、パチンコはするけど、毎日いっぱい、いっぱいお仕事してるンよ」
 強い口調で応えたそうな。
「世界でいちばん好きなおとうさん」
 そう話していた娘の信頼を大切にしなければならない。


 出 産

 朝三時、妻に陣痛がおこった。あとから分かったことだが、妻はできるだけ私を寝かせておき
たいと空が白むまで我慢して いたのだろう。
 五時にようやく目を覚ました私は、あわてて妻と子供二人を車に乗せ、病院へ向かった。
 七時間半 後出産、三千二百グラムの平均的女児であった。
  翌朝、子供を保育所に預けるため、熟唾している子ども二人を車に乗せ ようとして、玄関の鉄
扉で足の親指の生爪をはいでしまった。数回飛び跳ねながら痛さを堪えた。痛さにかまっている
暇などない。遅れてはならない。
 スリッパをもって裸足で車に乗った。保育所から会社へ向かう。社会は電々の民営化に向 かっ
て、着々と準備が進んでいる。いままでの親方日の丸会社はもう終わったのだ。職場にも急いで
済まさないとなら ない大切な仕事が待っている。


 親 心

 洋服ダンスの中から預金通帳が三冊出てきた。息子と娘二人の名義で五千円、一万円とほぼ半
年おきに入金してある。二人の預金額を合わせても二十万に満たない。
 通帳に混じって一枚のメモと明細がでてきた。父母や義父母の名前のあとにお年玉、節句と書き
込まれてある。子供らのために少しでも蓄えてやりたい。ひたすら子を思う妻の親心であろう。
 親を思う子はまれだが、子を思わぬ親はなし
 娘に乳をあたえ、疲れて寝入っている妻の顔を、そっとのぞいた。

 町ネズミ

 イソップ童話に「町のネズミと 田舎のネズミ」というのがある。町のネズミの招待で、いなか
ネズミは町へ出掛けていく。
 ところが雑踏の中で何度 も踏みつけられそうになり、ようやくごちそうにありつけたと思った
ら、今度は人間さまに見つかりたたきだされてしまう。 ぬすんで食べるより気楽に食べるほう
がいい。
 布団の中で妻が子供に読んで聞かせている。
「どちらの、ネズミ がいい?」子供に尋ねると、
「町のネズミっ」迷わず答えた。
「どうして?」
「だって、町にはおいしいものがい っぱいあるから」
 コンクリートの上でしか生活できない、しかもマンション大好きな妻の性格に似たのかも知れない。

 ダイコン役者

 わが輩は一歳と十一ヵ月の西津家の娘である。最近ヘルニアの手術を受けて、両親の注目を集
めるコツを知った。
 ある日、急に下腹が痛みだし 、あまりの出来事にわが輩は転げまわって泣いた。初めての激痛に、
もう、なにがなんだか分からずに、これはもしかして、 いまはやりの保険金目当ての殺人事件では……と、
一度は父上を疑った次第である。しかし、よーく考えてみると、わが輩に 多大な
保険金をかけ、
食べ物に毒を盛るような父上ではない。というより、多大な保険金をかける元手がない。
  わが輩が転げまわって泣いていると、
「ど、どうしたんねっ!」
 母上が台所から走ってきて、血相を変えながら叫ん だ。日頃、ほとんどかまってくれない父上
でさえ、キリで刺すようなわが輩の悲鳴に驚いて、隣室から走り寄ってきた。こう なるとわが輩も、
痛さなんかどうでもいい。いっぱしの注目のスターである。
 その夜、病院で診察を受けると、なんでもヘ ルニアで手術が必要とのこと。
 手術は二週間後。終日、母上が付ききりで看病してくれた。しかし、ベッドの上に 静かに寝転って
いるなど、とても性に合わぬから、翌朝からベッドをトランポリン代わりに飛び跳ねまわった。
  四日間の入院生活ののち、父上が待つ家に戻った。だが、父上は依然としてかまってはくれない。
いっぽう、母上は弟の世話 にかかりきりである。母上は仕方ないとして、問題は父上である。
 隣りの部屋で、なにごとかつまらないことをグダグダと 書いているようだ。作家にでもなるつもりだろうか。
パンフレットのような小雑誌に、サラリーマン作家などとおだてられて悦に入り 、同人誌仲間のあいだでも
一目おかれているようだ。
 本当に作品としてそれだけの価値があるのだろうか。最近、父 上の書いた作文を何気なく読んでいて、
唖然となった。
 何を書きたいのかテーマがぼけている。おのれの作品に 酔っているのか。それに、誤字や脱字が多く、
白地の布についたシミのように目についてならない。その程度の作品なのに、 狭いわが家の二部屋しか
ない部屋をひとりで独占しているから、まったく我儘である。
 自分のことしか考えない父上 に腹が立ったので、大声で泣いた。
「ど、どうしたんね?」母上が走り寄ってくる。隣室から父上もやってきた。
「し めたっ!」
 ふたりとも、わが輩の策略にマンマとのせられた。涙と鼻水でグシャグシャになった顔を両手でこすりな がら、
指のあいだから父上をうかがった。
 これでいい。少しはビックリさせないと……。生むだけ生んでおいて、大切な わが子をほったらかすなど言語
道断だ。火傷でもしたらどう責任をとるというのか。
 ところがである。そうした芝居 も長続きはしない。
 ある日、いつものように芝居をうっていると、
「どっ、どうしたん?」
 母上が、わが輩の 肩を揺すりながら尋ねた。しかし、その声にはいつもの緊迫感がない。笑っているようでもある。
「どうしたんだろう?」
 母上の顔をのぞくと、なんと必死になって、笑いをかみ殺してい るではないか。次の瞬間、
「このーっ、大根役者がっ」
 いきなり、母上がわが輩の額を指でつついて微笑した。

 最近、父上は、
「ど、どうしたんかっ?」そう叫んで、わが輩を馬鹿者扱いにする始未。これでは立つ瀬が ない。
今度はどんな戦略を用いるか、ただいま検討中である。

 思いやり

 娘と息子が小学校に入学して、 早や五,六年たった。彼らが通う学校には知恵遅れの子や手足の不自由な子供も
いっしょに通っていて、小六の娘などはその子たちの話しをするときは、
「なんとかちゃん、きょうこんなことあったよ」などと、目を輝かせる。
 知恵遅れの子のお世話はクラスの生徒が三人ずつ、数日交代でクラス全員が受け持っているという。
 先生のそうした子に対する注視にも限界がある。
 クラスから突然いなくなる。
「すわ、一大事か」、とクラス全員のそのときの様子が目に浮かぶ。
 クラスの二人がその子を探す。残りの一人は担任の先生に知らせる。連携プレーだ。
「このまえなんかね、XX さんがいなくなったから、一所懸命さがした。そうしたらね、一年生といっしょに縄跳びしているの」
そういって、娘は うれしそうに笑った。近くの店にふらりと遊びに行っていることもあるそうだ。
 こうしたことは単にその子に対するお世話だけではないように思う。
その子といっしょに勉強することで、机上では学べないなにかを得ているともいえよう。
 また、小二の次女のクラスに足の不自由な子がいる。
運動会のダンスのとき車椅子で、担任の先生といっしょに踊ったり、走ったりしている光景には、頭が下がるおもいだ。
 リレーや騎馬戦で足の速い子や力の強い子たちの競技を観戦するのも楽しみのひとつだが、それだけが運動会ではない。
最近ではイヤミに思えることさえある。子供たちの競技の勝った負けたが親の自慢ばなしに発展することもただある。

 ところで先日、こんなことがあった。車椅子に乗った足の不自由な子が「登り棒」に登ろうとして地面に落ちそうになった。
彼も皆と同じように、「登り棒」にチャレンジしたかったのだろう。
 ところが、その瞬間、いっしょに遊んでいた同じクラスの子が滑り込むように飛び込んで、背中でその子を受けとめたそうだ。
 長女が入学と同時に開校したできたてホヤホヤの小学校。その初代校長は一昨年、定年で学校を去られた。
校長先生の背広姿をほとんど見かけたことがない。作業着に麦わら帽子で校庭の草取りや植木の手入れをされていることが多かった。
妻が初め て校長先生に会ったとき、用務員さんと間違えたという。
 校長先生は子供たちを全員、同じ可能性をもつ子供として公平に育てていかれた。それは初代校長の揺るぎない教育方針だったようだ。
 定年で学校を去られるとき、子供会の要望で校長先生に講演会を依頼した。
「子供をケナしてはいけません。ほめて、ほめて、ほめてやってください」
 校長先生の最後のひとことも印象的だった。


父と子



 
「さあ、ピアノの練習だ」娘のにいうと、
「宿題はすんだの」夕食の用意をしていた妻が同じように声をかける。
きょうも娘は、反抗的な顔でピアノに向かう。
 音楽って音を楽しむと書く。ふだんから、楽しくない音楽なんて音楽でない、と思っている。
ピアノを弾きたいと思ってもピアノはなく、音楽教室のそれを手が届かないものとして、遠くながめたものだ。
それだけに初めてピアノに触れたときの感動もことさらだった。
 娘も自分と同じように音楽を楽しみたいおもいで、ピアノを習いたいといったにちがいない。
ピアノの練習を強要することで、反対に彼女のそうした目を摘みとろうとしているのじゃないだろうか。これではいけない
ーー自戒の念にかられる。
 しかし、しかし、だ。発表会があとひと月後に迫っているというのになんてことはない。
 後半のサビの部分は難しいので練習したがらない。発表用の課題曲が決まって二カ月たったというのに、
あいもかわらず前半のやさしいフレーズだけ譜面を追っている。
「弾いてごらん」そういって後半の難しいところを指でさす。
 娘はイヤイヤ二、三小節弾いてから、ムスっとした顔をこちらに向ける。
ふつうなら、できなかった、と恥かしそうな顔を向けてもいいではないか。
「そんなにピアノがイヤならやめてもいいぞ」
「あ、そう」
 あっさり応えた。ピアノを習いたいと最初にいいだしたのは娘ではないか。
「なにいうの、冗談じゃない。私やめない」とそれこそムスっとした顔をこちらに向けてもいいはずである。
 勉強だってそうである。成績もあまりよくない。が、やればできる子である。
彼女ひとりだけがとり残されるのは親としてもつらい。それにまわりの子たちは皆、塾に通っているのだ。
「イヤイヤ練習してるし、もっと続けるような意志もないようだから、ピアノ教室はやめさせよう」
 食事のあと娘のピアノのことを妻にいうと、妻もやめさせたい様子であったが、
「いままで娘のピアノには相当お金をつぎこんでいるから、もったいない。
もう少し、様子をみましょう。やめさせるのはいつでもできるから」
しばらく考えたのち、情けなさそうに応えた。


 鼻(芥川)を読んで (大宰府市読書感想文 最優秀賞)


         ー 完 ー           戻る





  
                  
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