おどりの種目

  BACK    かわさき     三百 げんげんばらばら   さわぎ    春駒  
 ヤッチク   郡上甚句  古調かわさき    猫の子  まつさか     

かわさき                              このページのTOP へ

  • 享保年間勢洲(伊勢)古市の里で唄われた川崎音頭が参宮道者によって郡上の地に伝承され、山紫水明の環境の中に様々の変遷をたどり、この地で350年もの成長をとげたといわれ郡上おどりの代表歌とされています。

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    郡上のナ 八幡 出て行くときは ア ソンレンセ

      雨も降らぬに 袖しぼる

       袖しぼるノー 袖しぼる ア ソンレンセ

      (唄ばやし・返し言葉以下、同じ)

    天のナ お月様 ツン丸コテ丸て ア ソンレンセ 丸て角のて そいよかろ

    郡上のナ 殿様 自慢なものは ア ソンレンセ 金のど標に 七家老

    心中ナ したげな 惣門橋で ア ソンレンセ 小駄良才平と 酒樽と

    金がナ 出る出る 畑佐の山で 
    ア ソンレンセ 銀と鉛と 赤がねと

    向いナ 小駄良の 牛の子見やれ ア ソンレンセ 親が黒けりぁ 子も黒い

    日照りナ したとて 乙姫様の ア ソンレンセ 滝の白糸 切れはせぬ

    郡上はナ 馬どこ あのするすみの ア ソンレンセ 名馬出したも 気良の里

    泣いてナ 別れて 松原行けば 
    ア ソンレンセ 松の露やら 涙やら

    忘れナ まいぞえ 愛宕の桜 ア ソンレンセ 緑を結んだ 花じゃもの

    駒はナ 売られて いななき交わす ア ソンレンセ 土用七日の 毛付け市

    雪のナ 降る夜は 来ないでおくれ ア ソンレンセ かくしきれない 下駄の跡

    咲いたナ 桜に なぜ駒つなぐ ア ソンレンセ 駒が勇めば 花が散る

    郡上のナ 八幡 出て行くときは ア ソンレンセ 三度みかやす ますがたを

    天のナ お月様 かか盗まれて ア ソンレンセ 雲のあいから かかァかかァと

    私しゃナ 郡上の 山奥育ち ア ソンレンセ 主と馬ひく 糸もひく

    嫁をナ おくれよ かいぶつ薬師 ア ソンレンセ 小駄良三里 無い嫁を

    思いナ 出しては くれるか様も ア ソンレンセ わしも忘れる ひまがない

    お国ナ 自慢にゃ 肩身が広い ア ソンレンセ 郡上おどりに 鮎の魚

    泣いてナ 別れて いつ逢いましょか ア ソンレンセ いとしあなたは 旅のかた

    もはやナ 川崎ゃ やめてもよかろ ア ソンレンセ 天の川原は 西東

三 百                              このページのTOP へ

  • 宝暦8年、丹後の宮津から国替えになった青山大和守幸道が、長途の労をねぎらい、共の者上下の差別なく300文の金子を賜った感激がはやしとなって、230余年の歴史を持ち「かわさき」と共に代表歌であります。
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        ハア そろえてござれ ホイ 小豆かすよに ゴショゴショと

        ゴショゴショと ノオゴショゴショと

        小豆かすよに ゴショゴショと

        ハヨーーーーイヨーイコリャー

        今年始めてさんびゃーくおどり おーかしかーらずよ

        たーしょのーしゅうが

        たーしょーのーしゅうがノーたしょのしゅうが

        おーかしかーらずよ たしょのーーしゅうが

        (返し言葉以下、同じ)

        誰もどなたもそろえてござれ 小豆かすよに ゴショゴショと

        おらが若いときゃチョッチョラメイてチョメて ヤカン掛けるとてびくかけた

        越前ぼっかの荷なら そこおろすな鯖くさい

        買おておくれよ朝鮮ベッコウのかんざしを 村でささぬはわしゃ一人 

        どじょうすいて来たに おかかなすびのほぞ取りゃれ

        どっこいしょと堀越を越えて 行けば宮代一夜とる

げんげんばらばら                              このページのTOP へ

  • げんげんばらばらは、徳川中期以後に童女の手鞠唄として伝承され踊り化されたものであり、踊りは「内掛」の裾を足にさばき、長い垂れ袖を手にうけて交互にかざすみやびやかな動作は、盆踊りというよりは、哀調優雅で殿中舞といった風の踊りです。

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        ハアーげんげんばらばら何事じゃ 親も無いが子も無いが アドッコイショ
        一人もろうた男の子 鷹に取られて今日七日 アドッコイショ
        七日と思えば四十九日 四十九日の墓参り おばんどころへちょいとよりて アドッコイショ
        羽織と袴を貸しとくれ 有るもの無いとて貸せなんだ アドッコイショ
        おっぱら立ちや腹立ちや 腹立ちィ川へ水汲みに アドッコイショ
        上ではとんびがつつくやら 下ではからすがつつくやら 助けておくれよ長兵えさん アドッコイショ
        助けてあげるが何くれる 千でも万でも上げまする アイヤマカ サッサイ ヤットコセ

さわぎ                              このページのTOP へ

  • 元禄時代に流行した騒歌は、遊里で三味線や太鼓を用いて賑やかに唄ったものであり、また地方での騒ぎは、酒宴などで賑わしく唄い踊ったことをいったものです。郡上ではこの踊りに三味も太鼓も入れないが、派手な手拍子と、ことさらに踏み鳴らす履き物の音が勢いよく響いて見物衆を興奮させる。歌詞には男女間の情緒を唄ったものが多いようです。

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ハアーーー飲めよ 騒げーーよ
一寸さーきゃーやーーみーよ コラッサット
今朝も はーだかのーげこが きーたーーー
(はやし言葉以下、同じ)
ハア 花が蝶々か蝶々が花か 来てはちらちら迷わせる
ハア 竹に雀はあちらの藪からこちらの藪まで チュンチュンばたばた
羽交をそろえて 品よくとまる 止めて止まらぬ 色の道

春 駒                              このページのTOP へ

  • 末から明治にかけて、春先になると越前の油坂峠を越えてやって来た鯖売りの呼声が、はやしとなり踊化されたという一説もありますが、日本的マンボの旋律を有する威勢の良い踊りは、逸馬(はやり馬)を制する反り身の姿勢から両手綱をさばきながら横飛びに廻転し、磨墨の名馬以来、馬にゆかりの深い郡上にもっともふさわしい踊りです。
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七両三分の春駒 春駒
ホイ 郡上はーうまーどこ ホイ あのすーるすーみのーーめいばーー ホイ
   だしたーもーー ササ けらーのーーさーとー
七両三分の春駒 春駒 (かけ声・返し言葉以下、同じ)
私しゃ郡上の 山奥育ち 主と馬ひく ササ 糸もひく
金のど標は 馬術の誉れ 江戸じゃあかざや ササ 郡上藩
駒は売られて 嘶きかわす 土用七日の ササ 毛付け市
なんと若い衆よ たのみがござる 今宵一夜は ササ 夜明けまで

ヤッチク                              このページのTOP へ

  • 万8千石の城下町として栄えた郡上八幡の町には幕末から明治にかけて、色々の旅芸人が入りました。中でも両の手に八枚の竹を打ちならし唄ったかどづけが「八百屋お七」「鈴木主人」のようなくどき唄を哀調をこめて唄い廻ったのが、民衆の共感を呼んで踊り化したといわれ、吉田川の瀬音が四囲の山にひびく夜が更けてしずんでから踊られます。
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 アラ ヤッチク サッサィ 
わたしがちょいと出て べんこそなけれど アラ ヤッチク サッサィ
わたしゃ郡上の 山中家に住めば アラ ヤッチク サッサィ
おみかけどうりの 若輩なれば アラ ヤッチク サッサィ
声も立たぬがよ 文句やも下手よ アラ ヤッチク サッサィ
下手ながらも 一ツは口説く  アラ ヤッチク サッサィ

郡上甚句                              このページのTOP へ

  • 甚句という盆踊歌は、他の句が訛ったものといわれ、各地の歌詞にもその地方で唄いつがれたものが多い。また一説には、越後国の甚句という人が始めたものだともいわれています。詩形はほとんど7・7・7・5調からなるもので、囃子詞や根回しはそれぞれに異なっており、郡内でもまちまちです。
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やぐーーらーよーー 太鼓ーにーーふとーー
   目をさーまーしーーー トコドッコイ ドッコイ
 明日はヨーーどの手ーでー こいつぁ
 なーげーてやーるーーー トコドッコイ ドッコイ
(はやし言葉以下、同じ)
角力にゃエー 負けてもけがさえなけりゃ たまにゃヨー 私も こいつぁ負けてやる
思うヨー 様なら竹とよかけて 水でヨー 便りが こいつぁして見たい

古調かわさき                              このページのTOP へ


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郡上のナーーー八幡 コラ 出てゆくとーきーは ア ソンレンセ

三度ーー見かーやーすーーーますーがたーーをー
ますーーがたーーを
コラノー ますがーたーを ア ソンレンセ
三度ーー見かーやーすーーーますーがたーーをー
天のナ お月様 コラ かか盗まれて ア ソンレンセ 雲のあいから かかァかかァと
どんなナ ことにも コラ よう別れんと ア ソンレンセ 様も一口ゃ ゆうておくれ
踊りナ つかれて コラ はや夜が明けた  ア ソンレンセ なんの話も できなんだ
わしのナ 殿まは コラ この川上の  ア ソンレンセ 水の流れを 見て暮らす

猫の子                              このページのTOP へ

  • 郡上の民謡は、特定の作者が作詞したものでなく、文字を知らない民衆が生活のまにまに踊りの和楽の中に口をついて出る即興のもので、それが民間に伝承され作業唄となり、盆踊り唄となり、お座敷唄となって時代の変遷に沿いながら成長を遂げたものであって文字の詩ではなく、音の詩であり農民の声調にのって始めて詩になったものです。
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ヨオーホーーーイヨーオイヨーオイ
猫の子がよーかろーー 猫の子がよーかろーー
猫でしーあーわーせコラ ねずみょー取ーるーー
ねぇーずーーーウみょうとるノーォ
ねずみょーとる
猫でしーあーわーせコラ ねずみょー取ーるーー
(唄・はやし以下、同じ)
猫がねずみ取りゃ いたちが笑う いたち笑うな コラ われも取る
てっかりてっかりと 金のようらく コラ さげた様な
親の意見と なすびの花は 千に一つの コラ 無駄がない

まつさか                              このページのTOP へ

  • 江戸時代に盛んに行われた伊勢神宮のお陰参りは、慶安年間頃から始まったといわれ、諸国から集まってくるその参詣者達が伊勢の古市あたりで習いおぼえた「木遣音頭」を郷里へ帰ってから、各地の盆踊り口説きに同化し広めたものといわれています。
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ヨーホイ モひとつショ
   オーサ テ合点ショ
合点と声が掛るなら コライ コライ
  是から文句に掛りましょう ア ヨイヤナ ヤートセ
すべてお寺は檀家から コライ コライ
  やせ畑づくりも肥やしから ア ヨイヤナ ヤートセ
下手な音頭も囃子から コライ コライ
  おはやし頼む総わ様  ア ヨイヤナ ヤートセ



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