ヤッチク
おどりの種目へ
万8千石の城下町として栄えた郡上八幡の町には幕末から明治にかけて、色々の旅芸人が入りました。中でも両の手に八枚の竹を打ちならし唄ったかどづけが「八百屋お七」「鈴木主人」のようなくどき唄を哀調をこめて唄い廻ったのが、民衆の共感を呼んで踊り化したといわれ、吉田川の瀬音が四囲の山にひびく夜が更けてしずんでから踊られます。
アラ ヤッチク サッサィ
わたしがちょいと出て べんこそなけれど アラ ヤッチク サッサィ
わたしゃ郡上の 山中家に住めば アラ ヤッチク サッサィ
おみかけどうりの 若輩なれば アラ ヤッチク サッサィ
声も立たぬがよ 文句やも下手よ アラ ヤッチク サッサィ
下手ながらも 一ツは口説く アラ ヤッチク サッサィ
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