HGメンネルコール

全日本合唱コンクール出場記録

(年)(課題曲)(自由曲)(成績・・・関東)(成績・・・全国)
昭和25年秋の日ぐれ水夫のセレナーデ2位
昭和26年山の朝剣の舞優勝優勝
昭和27年野はうるわし巴里の若者の唄優勝優勝
昭和28年黎明序曲優勝優勝
昭和29年=招待演奏=幻を追いて--
昭和32年旅路海路望郷優勝2位
昭和33年月夜蛇祭行進曲2位
昭和34年高原幻を追いて優勝5位
昭和35年雨の来る前剣と竪琴2位
昭和36年鍛冶屋の歌2位
昭和37年河童昇天水夫の歌2位
昭和38年変な奴楽しい五月
昭和39年冬の夜道トルコの酒唄

コンクール男 秋山日出夫

1951年〜53年(昭26〜28)の連続総合優勝という輝かしい成績は、指揮者秋山日出夫先生の指導の賜物であり、むしろ先生自身の勲章である。戦前戦後(1934年〜47年)にかけての、東京リーダーターフェルフェライン(東京リーダーターフェル1925の前身)連続優勝も、秋山日出夫指揮によるものであったし、1948年〜50年(昭23〜25)は、職場部門での国鉄合唱団の連続優勝、1951年〜53年(昭26〜28)はHGと国鉄合唱団そろっての連続優勝、さらに1954年〜55年は農林省合唱団の連続優勝と、戦前から足かけ21年間日本の合唱コンクールに 君臨した。当時“コンクール男”と評され、審査員長堀内敬三が“合唱の魔術師”と舌を巻いた。
全日本合唱連盟はこの秋山日出夫の優勝を阻むために、規約を改正して3年連続優勝団体は、翌年の全国大会に招待演奏をさせることとした。というのが当時の真相に近い噂であった。全日本合唱コンクール優勝併せて11回は、わが国の合唱史に輝く金字塔である。数え切れないほど多くの人たちに合唱の楽しさと喜びを与えてきた先生の功績は誠に大きいものがあり、没後勲四等瑞宝章が贈られた。