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留守対策と家の包囲
  
 







 現在は、私が永年の努力によって開発した 自動給餌器(25W型モーターとベルト使用)で、餌の補充なしで1ヶ月以上の旅行が出来る様になりました。停止時(待機時)には下記のナメクジは勿論、ダニ1匹すら入れない様にしました('20年9月)。
   前頁の旅行の様な短期間の旅行ではなく、もっと長期の旅行で、しかも冬ではなかったので池の鯉の自動給餌器の餌の補充を、近所の知人にお願いした事が有ります【】。
 私は日頃 床下に空気を送り込むファンを付けていたのですが、留守中モーターが焼き付いて火事になってはいけないと思い、タイマーで短時間ずつ、ON・OFFする様にしました。
 出発間際に、序に部屋の電気スタンドもON・OFFする様にして出かけたところ、留守をお願いした方が、警察に「人の気配がする」と通報してしまいました。そしたらパトカー3台、警察官10人位が蟻一匹逃げ出せない様な体制で私の家を取り囲んでしまいました。
 電気スタンドは泥棒が来そうな時間帯に9分周期の繰り返しに設定されていたので、警察官は「これだけ包囲されて電気を点けたり消したりする泥棒はいない。タイマーでしょう」という事になりました。
 しかし、警察官は「これだけ動員したからには実際に中を確かめない訳にはいかない」と言って、家の中の何処にも人が居ない事を確認して引き上げたそうです。
 帰国後、留守をお願いした人は「二重カーテンの閉め具合が如何にも中の人が外の様子を窺っている様に見えて“演出”が凄い」と言っていました。出発間際の、泥棒に対しての“演出”を反省しています。

 月単位で家を留守にして旅行する場合には、ペットは魚がお勧めです。ただし、水の蒸発分を自動的に補充して、複数の水槽の水位を一定に保つ「システム」を構築しなければなりません。
 【の写真(イメージ)】の様な海水魚の場合には水位を一定に保つ事により、方法次第で塩分濃度も一定になります。
 【この写真()】は全LED照明《バックは外の夕暮れ時の自然光》の水槽の一部をストロボ無しで撮影したものですが、この写真に関しては多少の加工を施しています。いくら大事に育てたからと言って、魚が全部物陰から出て来て、しかもこんなに都合良く、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵の様に三角形の構図に収まってくれる筈がありませんから。
 留守の間に鯉などがひもじい思いをしない様にする為には、ナメクジ対策をした自動給餌器が必要です。
 ナメクジにとって鯉の餌という栄養価の高い物は物凄い御馳走であるらしく、粗塩を両面テープの上に敷き詰めた入り口やナメクジが感電しないと鯉の餌まで辿り着けない様な仕掛けを作っても、雨の日にはナメクジに餌箱に這入られてしまいます《電圧が電源を流用した1.5ボルトだったので、低すぎた様です》。
 長年の工夫の結果、自動給餌器を取り付けた棒を、水の中に立て、その棒を家の窓枠の上部など、高い位置の3点から針金と電源コードで吊る様にして固定すればOKです。
 ナメクジは雨の中を歩き回るのに、たとえ極く僅かな距離(2cm位)でも水の中は泳がない様です。
  海水魚の写真と等質感    
   【の写真】はディジカメで、ISO=1600、1/50sec、f/3.6で、15枚/secの連写で撮ったもののうち、ぶれていないものから選びました。
 メインの照明は、赤、黄、緑、青緑、青の各単色LED素子を合計477個(白色LEDも少数含む)使った、小さなファンと透明ダクトを備えた手作り・空冷式です。上の方の魚の周りに光芒が放たれている様に見えるのは、「ルーブル美術館」の頁で述べたソフト・フォーカス効果などに因るものではなく、単なるアクリル水槽の傷。
 ストロボを使うと【の上の小さい方の写真】の様に、色補正をしても良い色になりません《これは海の「クリニック」の一つ、ホワイトソックスという赤い海老に、ハナダイの仲間が鰓蓋を開けて診て貰っているところ》。
 【その下の写真()】の場合、少しでも補正をしようものなら黄色や赤の魚の色が汚くなってしまいます。私が持っている画像編集ソフトの、演算のビット数はかなり大きいのですが、自然の美しさの、冒し難いものを感じます。
 の写真】は水槽を埋め込んでいる壁をトリミングした以外、画像編集をしていません。【下(↙,↓)の写真】もストロボ無し。
   
   【】と【の写真】はサンゴ・イソギンチャクに、カクレ・クマノミが共生している様子。【↓,↘の写真】の照明は100V,1Wの赤、黄、青、白の市販LEDランプ各1個の、「ムードランプ・モード」の照明。
 イソギンチャクは「もののけ姫」に出て来た様な気がする、何でも飲み込む妖怪の様に見えるものですが、クマノミが入ったとたん美しい生き物に見えてきます。
 その写真のクマノミの色は赤と青のLEDの光が当たったときにだけ、体の中を通って来た様な透明感の有る綺麗な赤になりますが、赤と青の光をどちらか単独に当ててもそうなりません《→
 また、赤と青のLEDのスペクトル《波長(色)の分布》はほぼ完全に分かれているのですが、その2色のLEDを使わず中間の黄色や緑のLEDで代用しても綺麗な赤にはなりません。更に鏡を使って直射日光を当てても同じで、上記ストロボ撮影の様に白っぽい茶色になってしまいます。
 「留守対策と家の包囲」のところの写真の海水魚の 一番上の魚(シテンヤッコ)は尻鰭以外全身黄色ですが、その写真では腹部は赤っぽく発色しています。これも赤LEDと青LEDのコラボによって作り出された綺麗な赤が魚体の中を通って下まで来て、表面の黄色を上回ったものと思われます。
   植物の光合成には赤と青の光が必要だそうです。
 室内で食用の野菜を大量に育てるのにも、青と赤のLEDが使われていますが、その事と左記の綺麗な「赤」の発色の為に赤・青の2色のLEDが必要である事とは何か関係が有るのかもしれません。
 

 上記カクレクマノミの名前は、「クラウン・アネモネフィッシュ」かもしれません。
 いずれにしても、映画「ファインディング・ニモ」(アニメ)によって人気が高まり、乱獲が問題視されています。しかし、私が最近(1年半前)、海水魚屋から買って来たこの魚は養殖によるものです。
 このHPの写真で、特にムードランプ・モードの写真は、パソコン上では綺麗な色なのに、一般のインターネット・プロバイダのHPにアップすると汚い画像になってしまうという事が起きます。数あるプロバイダの中で、1画素当たりのバイト数の大きいプロバイダ「plala」を選びました《HP作成ソフトはIBMの「ホームページ・ビルダー19」。ただし、このソフトはヴァージョン19になってからスライドショーが正常に動作しなくなったので、HTMLソースに2行 書き加えなければなりません 》。
 【の写真】のスライド・ショウには、ムードランプ照明のクマノミの他に、このHPのスペースに合わせてトリミングしてしまった写真などを入れて有ります。
 
 
 ステンド・グラス用のガラスを手に入れるには日曜大工店よりは、ステンド・グラスの工房に買いに行った方が希望の大きさのものを安く買えます。
 直線でカットするのも、普通のガラスより遥かに難しいので、寸法を測って行ってその場でカットして貰うのが良いです。





 【のスライドショウ】の7番目の橙っぽい写真の中のマッチの炎は、実際の蝋燭の様に芯が燃えている中心部が明るい黄色になっています。私は画像編集の過程で実際の炎に似せて「画いてしまった」と自らを疑ってしまいました。
 しかし原画を見てみると炎はこの写真と全く同じでした《撮影するときカメラの位置を微妙に調整したものです》。
   【の写真】は山梨県(清里)・北澤美術館のチケット《ただし、人体の部分でのガラスの繋ぎ目の様なものは画像修正してあります。実際のチケットはこれよりずっと綺麗で、艶かしいです。いくらディジタル色補正をしても印刷には適いません》。
 この美術館は、チケットに書いてある様に「アール・ヌーヴォー・ガラス・コレクション」です。
 チケットの写真は、ジョルジュ・デプレ作「波」《全体像(44.5×112cm)の部分》の、主に透過光による撮影。美術館の展示では透過光モードと前面からの照明とが1分位で切り替わっています。

 【のスライドショー】の上部(二重ガラス戸)の奥側のガラス戸は、隣の家が建ったとき目隠しの為、普通のガラスの内側に、ステンド・グラス用の“凸凹の緩やかな”透明ガラス《←を木ネジで取り付けたものです。カーテンと違い閉鎖的な感じにならず、外に40年位前に取り付けた造花も夕陽が当たると綺麗な本物の花に見えます。
 この水槽は、窓の外に海の魚が泳いで居る様な感じを狙ったものですが、季節の長雨と水面からの暖かい水蒸気が朝の冷え込みで露結して LEDというデリケートな電子部品が必ず壊れてしまいます。これを防ぐのは原理的には無理ですが、美しいものの為には人生の貴重な残り時間を月単位で使ってしまうのを覚悟して実現しました。

 【のスライドショー】は我が家のステンド・グラス (45×150cm)。
 このHPの「サンクト・ペテルブルグの寒さ」のところではワザと寒々しい色に撮りましたが、こちらが本当の色。「神さまのみもと」に近づいた頃の少女です。このHP・TOPの冒頭のステンド・グラス(KK 大竹ステンドグラス  http://www.ohtake-stained.com/company/index.html の社長夫人のデザイン・製作)と同じガラスを使用しています。

 高校(普通高校)のとき「美学」で、大理石を例にとり、“美しさ”の一つとして「表面からその奥まで同じ材質であることを感じさせる美しさ」を“等質感”と教わりました。
 パリに行った藤田嗣治の画いた白い肌の美しさの秘密をピカソが知りたがったそうですが、絵の具で画布の表面に画いた肌は、複雑な多層塗りの様な事をしても所詮本物の肌の中からの光には適いません。
 上述の、クマノミやシテンヤッコの体の中からの綺麗な赤も、それから上記アール・ヌーヴォーのガラス作品の殆ども、皆この等質感に因る美しさだと思います。
 上記の我が家のステンド・グラスは古典的な色煌びやかなステンド・グラスのガラスと違い、ガラスとその奥の背景までが溶け合ったかの様な、ちょっぴりアール・ヌーヴォーな「等質感」を味わせてくれます。
 当然「透過光モード」オンリーですが、美術館の中の作品と違い、その日の光線や植物などが時の移ろいを演出してくれます。
 下から見上げる様にして撮ったものですが、実寸の縦:横比に修正しています。原案とガラスの最終選択は私で、デザインは私の弟《私の様な素人がデザインすると収拾が付かなくなってしまいます》。
 
'15.7.

     (後述 普門寺の五百羅漢)
    

 【】の蠟燭の炎の中心部だけが輝いているのは、隣の家の窓の金具に反射した太陽光線が丁度その部分を貫いたもので、年に数日しか現れない天体現象。
 【の写真】はフィレンツェのドゥオモの堂内にあったステンドグラス。この様に透けて見えるステンドグラスは珍しくて美しいと思ったので撮っておきましたが、これがドゥオモ創建と同じ時期の物かどうかは分かりません。
 【の写真】はローマのテルミニ駅前に在る教会の、一般的なステンドグラス。
 【の写真】をトリミングした以外には、この 4つの写真は画像編集していません。

 

  スロー・フード、スロー・ライフを求めて
              フィレンツェ
(4泊)と格安航空券
 
 今回のフィレンツェは「ホテル・メディチ」という、由緒有りそうで、ドゥオーモの直ぐ近くという最高の位置に在りながら、1泊平均22.5ユーロ(約2600円)という安宿に泊まりました。今回、殆どのホテルはBooking.comというホテル予約サイトに拠るものでしたが、このホテルの場合は、直接ホテルにアクセスして予約した方ずっと安い事が分かったので、そうしました。
 しかし安いホテルにし過ぎました。部屋の広さは十分なのですがその朝食はパンとコーヒーだけ・・・その他です。
 ヴェネツイアの場合はホテル「Antico Panada」で、3月7日からの時期では、1泊76ユーロでした。
   前頁「ヴァチカン美術館など」のフィレンツェ:サンタマリア・デイ・リッチ教会のオルガン・コンサート《前頁》をまた聴きたくなったこともあり、美味しいスロー・フードを食べ歩く事を主な目的に、その発祥の地であるイタリア北部のピエモンテ州を中心に旅に出かけました('11年3月)。

 1年前には、オルガン・コンサートは始まる時間が7時だったのが9時15分に変更になっていました。
 演奏時間も1年前の様に長時間ではなく、割りと短時間で終わったので、私は「あんなに沢山の演奏をしていたらオルガンの可動部の損耗費が掛かり過ぎて続けられなくなってしまったのに違いない」と思いました。
 他にオルガンは、その後の旅行地ラヴェンナのサン・フらンチェスコ教会でも、牧師らしき人が歌いながらの演奏を聴く事が出来ました。そのオルガンは重厚な響きなのに、その人の歌はどこか甘いカンツォーネ風で、「イタリアに来ているんだ」という事を実感しました。
 また、ペルゴラ劇場(フィレンツェ)【右の2枚の写真】でもピアノ・ソロのコンサートを聴きましたが、素晴らしいと思ったのは、やはり上記サンタマリア・・・教会のオルガンです。
 
 今回の旅行は旅行会社が企画したものではなく、本当の意味で個人旅行です。その旅行好きな方が挑戦してみたいと思っているのが、昔から有る「格安航空」です。
 今回は、JTB系の「トルノス」という格安航空券を売るサイトで、パスポート情報とクレジット・カードの番号をキー・インしてお金を払い、「eチケット控え(航空券予約確認書)」を自分のプリンターで印刷し、それを往きと帰りのそれぞれの空港(成田とフィレンツェ)の航空機会社のカウンターに提示して航空券を受け取るというシステムでした( '18年の時点でも同じ)
 格安航空券を使ったのは今回('11年)が3度目ですが、最初の時('04年)は大手旅行業者の見積もりでは空港から目的の市街地までの送迎付きで40万円のところを、11万円位で済ませた位、格安のものです《ただし、その時には、タヒチの空港から首都パペーテまで、南国の空の下を半日かけて歩き、途中藪に隠れて用を足しました》。
 その航空券を売った業者は名も無い小さな業者で、「帰りの航空券を使わないというのはいけない事なんですが」と言いながら、大手の旅行業者に断られた往きだけの券を売ってくれました(電話対応、航空券は郵送?)。
 その旅行の帰り(リオデジャネイロから)の格安航空券は「ヴァリグ・ブラジル」という旅行業者《航空会社系列》から買いましたが、折りしもリオのカーニヴァルの前日で、その業者はテンテコ舞いの忙しさだったので「英語のガイド」付きの契約をしました。しかし、実際には車の運転手の他に、有り難いことに日本人の若い女性ガイドを付けて空港を案内してくれたり、私が乗り換え時の時間つぶしの為の本を持っていない事を知ると、自分の本を私に下さったりしました。《↙
 そのとき('04年)も13万円位でした。

 今回('11年)の主要目的はスロー・フードの食べ歩きとしたのですが、これは美術館の「観て歩き」と同じものです。美味しいものを食べるのは、美術館の美しい絵などを観る事と変わりません。違うのは大げさな権威付けが行なわれていない事だけです。
 その目的の為に、スロー・フード協会が推薦するスロー・フード店を紹介した「Trattoria & Osteria di Itary」《→という、英語版の本《日本語版無し》を手に入れようとしましたが、その取り寄せが、出発にぎりぎり間に合わない可能性が有った為、出発前にネットで調べた、それらしき店を廻る事にしました。
 スロー・フードの理念は、スロー・フード協会に拠れば、1.地元の食材を活かして美味しい事、2.環境に優しく綺麗である事、3.生産者が評価される持続可能な正しさが有る事、です。
 例えば、ネットでのフィレンツェの店の紹介の中に「季節の郷土料理を良心的な値段で食べることが出来る」とある様な、スロー・フードらしき店などを廻りました。
 
     舞台の背景の遺跡の様なものは、反響板に画かれた絵。
 この演奏会場は舞台にピアノが1台入ると丁度良い位の大きくないホールですが、イタリアでは「劇場(Teatro)」と名の付く演奏会場の多くは【の写真】の様な座席が下の座席を取り囲んでいます。


 お得な旅行をしようと思ったら、春の暖かい陽気になる前の冬がお勧めです。冬に限定すると服装は同じものを着て歩けば良いので荷物が増えません《ただし、機内持ち込み用のバッグだけにしても、重量が重いと機内持ち込みではなくなります》。
 また、何年分も纏めて旅行する積りで、行きと帰りがなるべく長い期間の航空券を探して買うとエコノミーです。つまり、「格安航空券」を先に買って、滞在地とホテルをそれに合わせて選べば良いのです。
 
   
 【の写真】は、オルガン・コンサートの教会の入り口に有ったパネル。祭壇に向かって右側の席で聴くと、左側の大きなガラスのビリつきが聞こえないので安心して聴けます。しかし、現在《 '18年》ではこのパネルも無くなり、堂内には静かなクラッシク音楽がスピーカーから流れているだけになっています。
 その帰りのフライトは、丁度カーニヴァルの、パレードのコンクールの時間でした。街の夜景が素晴らしく、特にカーニバル会場からはサーチライトの様な照明が機内まで届き、この世のものとは思えない位美しいものでした。
 飛行機も「ほら、キレエでしょう」と言わんばかりに機体を傾けて飛んでくれました。
     *トらッりア(Trattiria)というのは、イタリアのりトらンテ(Ristorante:レストラン)よりもう少し庶民的で、オテりア(Osteria)というのは更に大衆的な食堂。
 今では、はっきりとした区別がない様ですが、高級そうなり
トらンテではワインの注文はボトル(大・小有り)か、それともグラス・ワインしか無いことは徹底しています。そういう店を除けば、ハウスワインといって、その店の標準的なワインを、「クォーター」、「ハーフ」(それぞれ4分の1リットル、2分の1リットル)のデカンタを注文出来ます。
 高級り
トらンテでは「写真付きのメニュー」が無いのも共通していて、旅行者には困ってしまいます。 
   その一例:イ・グりッロ(IL GRILLO)には偶々日本人のスタッフがいて、紹介されていたメニュー2つを注文したところ、「その2つは多分食べ切れませんよ」と忠告してくれました。
 そこで、「玉ねぎが丸ごと乗った牛ヒレ肉のワイン・ソース煮」を頼んで、もう一つはそのスタッフが勧めてくれた「ほうれん草(伊語で「スピナッチ」のバター炒め)」にしました。【の写真】はそれらを半分近く食べた状態のものです。
         

 
 
     電子辞書には新たにイタリア語の辞書もインストールして臨みました《→が、やはり日本人に対応して貰うと、本当に有り難いです。【の写真】は他の店でそういう忠告が得られなかった為、量が多すぎた例。しかし、美味しかったので全部平らげました。
 【の写真】はミケランジェロの「ピエタ・バンディーニ」(ドゥオモ美術館の図録より)。キリストの足は信者が摩ったらしく、すべすべと光っていました。
   イタリア語は語尾が変化するので、最低限の文法を知っていた方がいい様です《私は片言の英語だけで済ませていますが》


  
   
ラヴェンナ
(1泊)と乗り換え
 
     世界遺産のモザイク画を観る為にラヴェンナに1泊しました。
 【の写真】は、民衆の決起から皇帝を救った皇帝の后「テオドラ」(サン・ヴィターレ聖堂)(絵葉書より)。【の写真】はその全体図《土産物屋で売っていた本「ラヴェンナ 芸術と歴史」(日本語版)より》。
 【その上の写真】は、同聖堂の内陣のモザイク装飾(部分:絵葉書より)。
 正直言って、照明など最高のコンディションで撮影されたハイヴィジョン画像の方が綺麗なのですが、やはり現場に行くと「そういう男勝りの女性が現実に居たのだ」という歴史の重みがずっしりと圧し掛かってきました
 
     
 このホテルの亭主から「帰ったら予約サイトに“良かった”と書き込んでほしい」と頼まれて承諾したのですが、帰国した後で書き込もうとしても期間切れで書き込めませんでした。
 つまり旅行業界は、短期間旅行者以外は“対象にしていない”《眼中にない》様です。


  点在するスポットを観て廻るのに、特に夜、太陽が沈んで方角が分からなくなった時には方位磁石が有用です。「今おおよそこの辺にいるのだから、北の方角に帰れば東西に走っている大通りにぶっつかる筈だ」・・・などです。
   このホテル(Hotel Ravenna)は駅の直ぐ近くに在るのですが、泊り客が少ない様です《←
 「泊り客が少ない」というのは、団体旅行ではモザイク画の為に宿泊地として組み入れられないこと《私も観たい聖堂などは到着したその日に殆ど観終わりました》の他に、個人旅行では列車の乗り換えにちょっと不安感が有る為だと思います。私も、海外旅行では今回始めて乗り換えに挑戦しました《↗

 切符を買うときその駅を出発する時間と、複数の乗り換え方法が有る場合には乗換え駅などを聞かれますが、「 I don't know.:知りません」と答えると、「この駅とこの駅とどっちが良いか?」と聞かれます。私の場合ラヴェンナに来るときボローニアでトイレ(有料、コインのみ)を使ったりして様子を知っていましたので、ボローニア経由にしました《列車の中にトイレが在ると分かったのは後のことで、それ以降は安心して車内販売のビールを頂きました》。《→
   ラヴェンナからボローニャ経由でヴェネツィアに行く場合、【下の写真のA】はラヴェンナから乗換駅のボローニャ(ボローニャ中央駅)までの切符、【B】はそれぞれの駅の出発時間と到着時間《ただし、この【B】の券は発行されない場合の方が多い様です》、【C】はボローニャからヴェネツィアまでの切符《「ES」はユーロスターという急行列車だと記憶しています》。席の等級(Classe ラッセ)を聞かれる事が有りますが、普通等級は2(イタリア語で dueドゥーウェ)です。
 【その下の写真】はラヴェンナの駅の構内の掲示板で出発時間「Partenze」《写真ではカットしてしまいましたが、「Ravenna」の上に大きな字で書いて有りました》などを示したものです。この掲示板とそっくりな掲示板が並んでいる駅がありますが、それはその駅への到着時間「Arrivo」を示しているものです。

 後に或る地方路線で、頑丈な密室のトイレから、短時間ですが出られなくなった事が有ります。パスポートなどの入った鞄を客席に置いて有ったので、冷やりとしました。内側からの鍵が操作によって「プシュッ」と空気圧の音がする様なもので、試行錯誤して、やっと開ける事が出来ました。今考えれば空気の圧力が十分に高くなる迄ちょっと待てば良かっただけなのかもしれません。
 また、パスポートなどを身に付けていれば気が動転する様な事はなかったと思います。
 また、大きな駅の有料トイレは 80㌣で、1ユーロを入れても受け付けません。5ユーロを入れたけれども、お釣りが出てこなかった様な気がします。80㌣は何時もポケットの中に入れておいた方が良いです。
 小さな駅、例えば後のアルバ駅ではトイレに鍵が掛かっていて、駅員さんに言うと鍵を貸してくれます《無料》。

 【の写真】は駅前の広場に立っている塔。こんなもの《?》までモザイクで飾られています。









           (後述 普門寺の五百羅漢)
 

  ヴェネツィア(5泊)    
 現地に行ってみて初めて分かったのですが、私のここでの滞在の最初の2日が、偶然「フェスティバル」の最後の2日に重なっていたので、「解約出来ません」という予約にせざるを得ませんでした《サン・マルコ広場の直ぐ近くのホテル》。《→    そういうホテルの場合には、ネットで予約した時点でカードの口座からホテル代が引き落とされます
  
 
 【この写真】は私の泊まった部屋に掛けてあった絵(横幅80cm位)(部分)。他にも絵が沢山飾られていて「街が芸術家を育てている」事を感じました。
 
   その祭りの日、サン・マルコ広場には仮面を付け、豪華な衣装の女性が観光客の為にポーズを取ったり、観光客と一緒に写真を撮ったりしていました【例:左上の写真】。
 中には絶世の美女《目の周りしか隠さない小さな「マスケーラ」だったのでそれと分かります》が、スカートが汚れるのも気にせずに、見ず知らずの男性の為に背を低くして、見上げる様に男性の目を見つめて上げるという、大サーヴィスをしている女性もいました。
   その魚が丸ごと乗っている料理が運ばれて来たとき、ウェイターが「自分でさばいて食べるか?」という意味らしいことを聞いたので「自分で」と答えました。
 しかし、帰国後 TVのヴェネツィアの旅番組で、ウェイターが魚の身をほぐして実に美味そうな味にしているのを見て、ウェイターに頼まなかった事を悔いています。次回、そう聞かれたら絶対に頼む積りです。
 しかし'18年の旅行でスズキ(branzino)を頼んだとき、骨を取ってさばいてくれたレストランが何軒か有りましたが、味付けまではしてくれませんでした。
  【の写真】の青のコップはムラーノ島製。ワイングラスは旅行のとき使っている肉厚0.6mm弱《上端から1mm下がった位置》のオーストリア製《後に割れてしまったとき、その破片を測ったら最も薄い部分は0.4mmでした》。ワイングラスの美しさは、ひとえにその薄さに在ると思いますが、軽さの感覚も美しさに似たものを持っています《因みに息を吹き込むと「ポッペン」という音が出るガラスの玩具の音を出す面の厚さを実測したところ0.1mmでした》。
 その買ったときの美しさを保つには、洗った後 そのグラスのメーカー「りーデ
」やNHKが推奨している「自然乾燥」をしてはいけません。工業用の「純水」を使えば別ですが、水道水の水滴が蒸発して濃縮する過程で水滴の中に解けている炭酸カルシュームなどがガラスの表面に固着し、それを繰り返すとガラスの表面が白くなってしまいます。これは塩酸を使っても溶けません。
 洗剤と水道水で洗ったら、その水滴をキッチン・タオル(紙)で拭き取ってしまうのが一番です。お酒を飲んだ後 寝てしまいたい場合には、洗わないで次に飲む日迄その侭にしても大丈夫です。お酒類の中には炭酸カルシューム等は含まれていない様です。


 日本のコンサートで オーケストラの演奏が終わった直後の、ホールの残響を掻き消す様な「オー!」という狂気じみた声とは違います。
 右記の「お~!」という声は、日本人の私の声と周りのイタリア人が出した声とが、声量から抑揚に至るまでピタッと同じでした。自然に出る声は、どこの国でも同じになると思いました。


 右記の集団のコンサートは翌日も同じ教会(Chiesa di San Vidal)で、曲目を変えて開かれていました《しかし、昨今の事情については、聴き歩き旅行の中のヴェネツィア参照》。
 その晩は少し後ろの席で聞きましたが、教会だから響きが良いとはいえ、やはり出来るだけ前で聞いた方が気迫が伝わって来て素晴らしさが違います。開場は開演の30分前でしたが、それより少し早く来て極力入り口の前で待っていると前の席に座れます
   「こういう優しい心の持ち主だから美人になれたのだ」と思いました《心理学で「人相は表情が固定化したもの」と教わりました》。
 なんと、この私も3~4人の、高校生位の若者に笑顔で「フォト」と言いながら駆け寄られ、私が中心になって写真に納まりました。1年前フィレンツェで、カフェや美術館の人に 私のモジャモジャの頭を見ながら「“ナントカ《?》”という人に似ている」と言われた事が2度有ったので、その為だと思います。私にそう言った人は二人とも眼が笑っていたので、その“ナントカ”という人は多分お笑い系タレントだと思います。
 それ以降は整髪剤を多めに塗って出かけました。
 宿の直ぐ近くのりトらンテ:KORI GRILLで、魚を食べたいと言ったら、生の現物が置いて有るショウ・ケースの所へ連れて行かれました。直径30㎝位のヒラメが40ユーロでしたが、「折角飛行機代(往復12万円、燃料サーチャージ、諸税など込み)を掛けて来ているのだから」と思い、注文しました《、他にワイン・ボトル18ユーロ》。

 最初の2日はインフォメーション・センターが休みだったり、ストライキだったりしてコンサート情報が分かりませんでしたが、3日目から毎晩  教会でコンサートを楽しみました。
 いずれも弦楽合奏でしたが、最初の晩はソリストたちの集団「Stagione Concertistica」でした。凄いと思ったのはサラサーテの「Introduzione e Tarantella」という、ヴァイオリン協奏曲の様な曲で私は始めて聞いたものでしたが、曲が終わった瞬間、私ばかりでなく周りの人達も「お~!」という感嘆の声を上げていました。
 その合奏団は、チェンバロやコントラバスを除いてほぼ全員が入れ替わり立ち代り、前の真中に進み出て、ソリストを勤めていました。【の写真】はチェロの場合。'18年に行ったとき、カメラを持っていたら「撮影はダメ」と言われました

 演奏者達の後ろに一対の大理石像が有り、その内の左側のマリア像と思われる顔には薄いヴェールがかかっていて、顔が透けて見えている様でした。しかし、演奏が終わって近づいて見るとやはり不透明な大理石で出来ていました【の写真】。凄い技術だと思いました。
 

サン・マルコ寺院の天井のモザイク(絵葉書より)
 
 
  
   【の写真】はサン・マルコ寺院のパラ・ドーロ(絵葉書より)。私は宝石等を展示した宝物ギャラリー(別料金)には余り興味が有りませんでしたが、こればかりは見逃す訳にはいかないと思っていました。
  
 
 福島原発の事故を、イタリアのテレビでは殆ど事故当初(3月中旬)からそのニュースの度ごと、見出しとして「メルトダウン」の字を出していました。「メルトダウン」と言えば原発当事者が一番公表したくない最悪の事態。私はそれを見て日本はチェルノブイリと違い、事故の詳細を公表するからその点では安心だと思っていました。
 ところが帰国しても国内では「メルトダウン」は公表されておらず、各地の放射能のデータを最初に公表したのは外国だった事が分かりました《「しんぶん 赤旗」にメールで問い合わせた結果判明》《その外国報道の内の一つ:ドイツのシュピーゲル紙が '11年3月14日付で報道した ZAMG(気象・地球深部ダイナミクス中央研究所)の放射能雲のシミュレーション「日本の大惨事2011」報道6年後には放射能雲のシミュレーション画像ではなくなりました》。
 一方、東電が「メルトダウンを起こしていた可能性」を正式に報じたのは、2ヶ月以上たった5月(15日~)24日でした。
 また、日本に居た外国人は4号機の燃料プールの危険性を知らされて直ぐに帰国しました(民間TVの外国人発言)。あの原発の中で最大の発熱量を持つこの燃料プールについて、東電は6月19日、「地震か爆発の振動が引き起こした水の流入という偶然が無ければ、更に大規模な事故になっていた可能性」を認めました。外国人がその大惨事を恐れて逃げたのは「風評」によるものではなく、「可能性」を含むちゃんとした情報に基づいていたのです。
 日本政府が「何らかの爆発が有った」事を認めたのは水素爆発から2時間も経ってからで、首相が記者会見して避難の要請をしたのは5時間も過ぎた頃でした。つまり、いちばん情報を知らされなかったのは当の日本国民でした。上記放射能シミュレーションも日本の同様のシステム:SPEEDI で3月16日《資料の日付は13日》には計算されていたのに、そのデータ「モニタリング結果 及び SPEEDI 結果」は肝心の放射能大量放出期間中は公表されませんでした。
 その為、事故原発の北側の住民で、かえって放射能の多い北西の方向へ避難してしまった母子など、多くの人が被爆してしまいました《「原発危機(第一回)事故はなぜ深刻化したのか」》。  *1
  *1
 事故原発の北西の浪江町も刑事告発を検討している事が報じられ、その町のホームページのFaceBookに、私以外の方も賛意の投稿を寄せていました。
 水素爆発などについて「官邸で先ず(情報を)整理してそれから指示を出す」ので、その前の発表を禁じて実質的な緘(かん)口令を敷いた人や、左記 SPEEDI データを隠蔽した人は傷害罪に相当するのではないでしょうか。
 私がこの様に「傷害罪」を明記するからには、TVの録画など(複数)を繰り返し厳密に検証した上でのことです。その過程で各部署の上層部ほど「専門的な知識を知っていない」事実に気が付きました。「安全神話」が
罷り通る様にしておけば、科学的な知識や思考能力が無くても、その上層部の地位は安泰で、120億円以上掛けた SPEEDI もまるで猫に小判でした。
 
私は現役を引退したエンジニアですが、その私が“上層部の無能さ”を言うのは、不毛な感情論に聞こえるかもしれません。しかし、冷静な学者:児玉龍彦氏も ETV特集の「果てしなき除染」(10月30日PM10:00~放送)の中で、SPEEDI データの公表によって「子供や妊婦を守れなかった」のは「悪意とは言わないけれど
能力が無かった」のだとしています。
 更にその番組の最後、同氏の「お母さん達の悲鳴をもっと真面目に考えて欲しい」という声は怒りに震えていました。
 チェルノブイリ事故も、権力を握っている上層部に近いほど科学的な思考能力が無いという、言わば「負の階層構造」に因るものでした。その発電所の上司は部下の反対を脅迫と恫喝で押し切り、運転規則で禁じられているテストを強行しました《ドキュメンタリー・ドラマ「チェルノブイリの真相」(NHK-BS)》。 *2
  *2
 更に、爆発を起こした後も上層部の犯罪人達は、自分の出世の妨げになることを恐れて「放射能よりもパニックの方が問題だ」と言って、部下に対し事故の公表を禁じました。
 これ等の原発事故を「科学技術のほころび」と言う高名な評論家がいます。しかし、それは違います。「今の原子力技術が完璧だ」とは言えませんが、むしろ社会構造・社会科学のほころびです。
 今回の福島の事故のときも、SPEEDI データを公表しなかった理由について、そのことに責任有る立場の政府高官《細野 豪志:現在は民主党を離党》は「パニックを恐れてのことだと思います」と、他人(ひと)事の様に言っていました。その様に「パニック」を理由にするということは、国民を、「放射能から我が子を守ろうとする人達」ではなく、烏合の衆以下の暴徒と見做しているからだと思います。
 そういう高官を擁する民社 民主党と、それから、安全対策の為にお金を掛けなくても儲ける事が出来る原発システムを許してきた自民党は、2党合わせて 2010年だけでも、なんと6億円もの「原発マネー」《営利を目的とする企業からの献金ですから実質賄賂》を受け取っていました《原子力関連業界・団体からの、総務省公表の「政治献金」などを合算》。
 事故後 余震が頻発しているとき、活断層の真上に在るとも言われている浜岡原発を止めさせた総理大臣は上記2党によって総理の座から引き摺り下ろされ、その後釜の総理は国民の多くが反対している大飯原発の再稼動に奔走しました。この二人の総理の対比を見ても、上記、原発で儲ける為の「政治献金」の効果は顕著であると言えます。2015年の自民党の「原発マネー」は 7億6千万円でした。
 しかし、そういう癒着関係が公表されている両党に対して我々が投票して活動の場を与えたのですから、今回の事故の責任の一端は我々有権者にも有ると思います
 
ベルガモ
(2泊)
 

                  (後述 普門寺の五百羅漢)
   郷土料理の中に猪料理が有った様な気がしたので、「猪(イタリア語でチンギァーレ)を食べたい」と言ったところ、メニューを示して「これだ」と言われました。
 実際の料理はトウモロコシの味がする白いペーストの上に 生のひき肉が乗っていて、確かに普通の肉と違う味がしました(20ユーロ弱)。しかし、後にトリノで食べた味の濃いタリアテッレ《平べったいパスタ》の中の猪肉は、豚と変わりませんでした。
 どの街に行っても料理の調味料として バルサミコ酢とオリーブ・オイルが出て来る場合が殆どだったのですが、後者については、最初の中は「何でこんな脂っこいものを出すんだ」と思っていました。しかし、その頃になると、それが出てこない時には、皿を示して「《こっちには》バルサミコ、《こっちには》オリーブ・オイル」と催促する様になりました。

 観光案内書によると「コッレオーニ礼拝堂は息を呑む程に美しい」とありますが、大理石の数段の階段は磨耗しやすく斜めに擦り減っている部分が有り、雨の日は滑り易くなっています。私は降りる時、階段半ばの所から下まで、広場の全ての人が心配そうに私を見た程、大きな音を立てながら滑り落ちてしまいました。
 私は直ぐさま立ち上がり、笑顔で「大丈夫です」という顔をしました。しかし、何処も痛くなかった位 運の強い人は少ないと思うので、普通の人は雨の日の擦り減った階段(階段状滑り台)には要注意です。
 
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 ミラノの地下鉄は、2日券(5.5ユーロ)も有りますが、宿が市の中心部に在る場合は、何処の駅の入り口にも売っている1回券がお勧め。その自動販売機の画面の表示が英語になっていなければそれを選んで、「OK」ボタンを押して、「ORDINARY」を選んで1ユーロを入れればOKです。2ユーロ硬貨を入れればお釣りも出て来ます。




  






貧乏性の私はそのときまで日本でマツタケを食べた事が一度も有りませんが、ポルチーニはそれに相当するもの。
 帰国してからイタリアン・レストランで、「ポルチーニのソテー」(2,800円位)を食べましたが、硬い部分も有り、干しシイタケを水で戻して炒めただけという感じでした。
 
ミラノ(5泊)
 
 イタリア料理は、フランス料理の様にたれを重視せず、素材の味を生かす為、何処の店に行っても魚料理には4つに切ったレモンが幾つか付いて来るだけです。

 ミラノは道が斜めに交差している所が多く、少し位遠くなっても自分の知っている所を通って新しい所に行く様にしないと迷子になります。また、道に迷った時、方位磁石を持っていても自分の知っている所《例えばドゥオモ広場》に戻れなくなってしまう事が有ります。そういうときには余り歩き廻らず、この辺りではないかと思う所で「ドゥオモはどっちですか」と人に聞いた方が良いです。

 スカラ座の一番安い席:言わば天井桟敷は12ユーロです。私はジーパンだったのでその席を苦労して買った《順番待ちの番号をイタリア語で読み上げられるなど》のですが、1階席でも、ほころびの無い黒っぽい服装なら、特に問題無さそうです《その順番待ちのとき 呼び出される番号が分からなかったので数字のイタリア語を必死になって辞書で引いていたところ、若い女性が「今○○番です」と英語で教えてくれました》。
 しかし演目が「ヴェニスに死す」という、私には煮え切らない筋書きだったので、12ユーロで済ませて良かったと思います。
 スカラ座のオペラの帰り、レストランを探したのですが どれも閉まっていて、辛うじてドゥオモ近くのレストラン《ガレッリアと呼ばれるアーケード街》に入る事が出来ました。しかし、そこも その時間にはハンバーグの様なファースト・フード的なものしか無く、ワインもハーフ・ボトルが 25ユーロもしました。
 その翌々日の、自分で探した、主に現代音楽(オーケストラ)のコンサートの時には屋台での軽食を済ませてから劇場に入り、休肝日としました。
 その劇場:Teatro Dal Verme で最前列の、ほぼ中央の席がなんと 13.5ユーロという安さでした。
 

   今回の旅行は期間が長く、贅沢だと感ずる方も居られるかも知れませんが、逆です。
 「どうせ飛行機代は往復1回分なのだから、一遍に沢山旅行しないと損だ」という貧乏人の計算です。

 ミラノ駅に着いてツーリスト・インフォメーション・センターを探したけれど見当たらず、ドゥオーモ広場のインフォメーション・センターは「i 」マークが付いていてもスカラ座やドゥオーモ専用の案内所だったり、利用者が自分でネット検索(イタリア語)する様なインフォメーション・センターだったりして、コンサート情報を教えてくれる様なインフォメーション・センターは有りませんでした。

 最初の夜、近くの りストらンテに行って、小さなシー・フードの写真が付いているメニューを指して「これ」と言ったら、魚や海老がたっぷり乗った、一辺が30cm位有りそうな大きい四角い皿が出てきました(18ユーロ位)。
 この大きさはイタリア人の性格を示すものだと思って写真【】に撮っておきました。

 
 また、ミラノにも魚を丸ごと焼くなどして出す「AL MERCANTE」という、りストらンテが有りました。兎角シーフード料理を頼むとその皿の中のどれかが、瞬間ですが生臭い臭いがしたりします。
 イタリア人はそんな事を気にしないのだろうと思っていましたが、そのりストらンテは、魚を頼んでも、海老やイカを頼んでもそんなことはなく、海老なら殻の焼けた香ばしさや蟹味噌に相当する味が店を出てからも口の中に残っていました。
 価格も良心的で、ワイン、フルボトル(750ml)18ユーロからで、余ったワインの持ち帰り用の綿の袋も付けてくれました【の写真】《余ったボトルの持ち帰りは何処の店でもOKです》。日本のレストランはワインが不当に高いと思います。
 その店には3度行きましたが、最後に、ポルチーニ《》を食べたいと言ったら、「パスタに付けて食べたいのか?」と言う意味らしい事を聞いていたので、「いや、それオンリー」と言ったら、薄くスライスされてオリーブ・オイルで炒めた物が少量 出て来ました。物凄く美味かったので、単独《特注メニュー》で食べて良かったと思います。

 アンブロージアーナ美術館では「音楽家」というレオナルド・ダ・ヴィンチの絵を観る事が出来ました。スフォルツェスコ城博物館でも彼の作品と思われる作品【の写真】を観ました。
  
    トりノ(6泊)    【の写真】はミラノのスカラ座のシャンデリアですが、当然ながら向こう側の席とこっち側の席の中心に在るので、この写真から計算すると電球部分の高さは席の1.7階分の高さです。そんなに巨大な物が2~3分周期で左右に10°位、ゆっくりと回転していました。  
 美術館で、団体の入場者が荷物をクロークに預けていたので、私が持っていた鞄《カメラ、双眼鏡、観光案内書、電子辞書の4点セット》も預けなくてはいけないのかと思い、職員に「This(これを),take(持って) in(入って),OK?(いいですか?)」と聞きました。
 職員は「OK、ノー・プロブレム」と答えました。私が喋った単語は英語ですが、文法は日本語のもの。それでちゃんと通じます。「正しい」英語を考えてモタモタしているよりは、とっさに単語を適当に並べた方が良い様です。
 駅のインフォメーション・センターで教えて貰った場所に行ってコンサート会場を必死に探したのですが、その時間帯(昼休み)には会場を確認する事は出来ませんでした。地図に「Teatro ・・・・・・」などとはっきり印刷されていない様な演奏会場は、インフォメーション・センターが薦めても最初から探すべきではない様です。
 地図に書いて有る「オーディトりウム・RAI」というホールをやっと探し当て、そこでマーラーの交響曲のチケットを買う事が出来ました。
 演奏会場を探す過程で「トりノ・ピエモンテ・カード」《5日券は33ユーロ、市内交通機関は地下鉄を除いて乗り放題》を使って、バスを乗りこなせる様になりました《バスは地下鉄よりも難しい》。このカードは美術館も全て無料となります。
 上記マーラーのチケット(前から4番目の席で20ユーロ)を買い終わったときCD2枚入りのケースを渡されたので、「これは?」と聞くと、「プレゼントです」と言われました。そこまでしてコンサート会場を探し廻った御褒美だと思います。

 或るリストランテ「Prima e Poi」《Google では「First and Then」と出ます》で、その店の魚料理では最高額28ユーロのものを1品だけ注文した《他にワインのハーフ・ボトル8ユーロ》ところ、そこで働く女性はその料理に誇りを持っている様で、料理を出すとき「凄いでしょう」と言わんばかりに「ジャーンジャ・ジャーン♪」と言いながら持って来ました。そのお皿は何処も生臭さなど全く無く、美味しく頂きました。
 逆に千や百万の単位を示す日本の「,」は、イタリアではピリオド「.」で表します。不動産屋さん店頭の物件価格で確認済み。【下の写真】の中の漢字は私が書き入れたもの。写真の中の「(営業)時間の」、例えば
  11.30-15.00  は
  11:30~15:00  のこと。
 また、土曜日と日曜日は、夕方からの営業のみということです。
 
   観光案内書に、高級なレストランに入ったら「プリモ(最初の一皿)とセコンド(メイン・ディッシュ)など複数の料理を注文するのがマナー」と書いて有りますが、よっぽど高級なりストらンテ《ここでは一皿一皿の量が少ない》以外はそんな事はありません。

 トリノで、もっと庶民的な店、つまりイタリア人が日常的に利用している店にも行ってみたいと思い、店内が地元の人で混雑している、小さな店を選んで入りました。そこは目の前でピッツァを、平べったいアルミ製のシャベルで炉の中に出し入れし、焼けたのを丸めて出していました。メニューに付いている小さな写真から判断して小さな物だと思ったので、「これとこれ」と言って2つ頼んだところ、それは食べ切れない大きさでした。
 しかし、地元の人が食べるだけあって実に美味かったです。【の写真】はそのメニューの一部で、私が食べたのは一品がそういう大きさなのに、なんと 3.5ユーロという安さでした。
 イタリアなど、ヨーロッパ《ロシアも》では数字の中のカンマ「,」は日本の小数点「.」の意味です。←*
 特にトリノでは昼休みが徹底していて、1時位から2時半位に行くと、店が閉まっているか、ハンバーグの様なファースト・フード的なものしか食べられません。

 マダーマ宮の美術館も大きく、その1室にラファエロなどを模写した沢山の絵も有りました【の写真:職員が見ていない時に撮ったもの】。
   マナーについては、ナイフなど食器の使い方も自己流で食べた方がいいと思います。例えば私は切ることが主な料理の場合には右にナイフを持ちますが、抄くって食べるのが主な料理では、右手にフォークを 凹んだ面を上にしてスプーン代わりに使いナイフは左手に持ってスプーン代わりの補助として使っています。
 ミラノの、天井が高くてシャンデリアの「ブーチ」という高級りストらンテでは、牛のスネ肉を柔らかく煮込んだ「オッソブーコ」(ドーナツ状の骨付き)を頼みましたが、私はその骨髄を食べてみたかったので、その部分を指差しながら「クラブ(蟹)フォークが欲しい」と言ったら、初めて見た幅7mm位の細長いスプーンが出されました。高級レストランだからといって遠慮すべきではないと思います。
 また、「赤ワインは室温で」というのが「常識」の様ですが、割と庶民的なりストらンテで室温の「赤」が不味いと感じたので、ボトルを冷やして貰った事が有ります。
 その様に食べる人の希望を適えてくれたレストランにはまた食べに行く、そうして食文化は食べる人も参加して築かれるものだと思います
  
 
トりノ・エジプト美術館
 日本のファミリー・レストランで、フルボディのことをフルボトルと勘違いされて困った事が有りますが、イタリアでは何処に行ってもそんな事は有りません。

 モンテプルチアーノ:8ユーロ、キャンティ・クラシコ:4ユーロ。先日('13.12月)、日本のスーパーでこの同じ「キャンティ・クラシコ」を1,400円位で売っていました。「キャンティ」1,000円を買ってみましたが、味はイタリアでの 4ユーロのものと同じでした。

以前 '08年、パック旅行で行ったパリで、「トリュフ」という店名のレストランで食事しました。それは2月でしたが、右の本文のウェーターが言う通り確かに香りも無く全く美味しくありませんでした。美味しくない時期にトリュフを客に食べさせて1年中営業しているなんて「店も店」ですが、それを紹介して予約してくれた旅行業者も、事(こと)“食”に関しては信用出来ません。パック旅行の食事が「美味しかった」という記憶が全く無いのも、そういう配慮が無いからだと思います。

 この街の中にホールが在って、「Big Jazz Band」の文字が目に入ったので、券を買って入ったところ、ジャズバンドは普通の小さな規模で、ソロ・ヴォーカルの伴奏でした。クラッシックの音楽を聴く人には、ポップスのコンサートは苦痛です。スピーカーの大きな音で難聴になる様な気がしてスピーカー側の耳を押さえながら「早く終わらないか」と思っていました。


 個人旅行というのは兎角、人がやらない事をやる傾向が有るので、楽しくない事が発生する事は有りがちです。
 しかし、そういう事を敢えて書いて置けば、これを読んで下さった方は同じ事をしなくて済むと思います。或る宿のお上さんには、私が「一つの事を済ませてから次の話をしましょう」と言って警戒していたのにも拘らず、ちょっとチョロまかされてしまった事が有ります《翌朝 「私が払ったお金と領収書の金額が違う」と言ったら、お釣りとして返してくれましたが》。
 
アルバ
(6泊)
   左の注の下の文中のホールの直ぐ近くの トらットリア(食堂)に入ってメニューを選んでいたとき、隣の席の男女6~7人のグループの中の男性が私に笑顔で声を掛け、何の為にこんなところ《?》に来ているのかなどと話し掛けて来たので、「グルメ・トラベルだ」と答えました。しかし、意味が通じなかったので「美味しい《ここだけイタリア語で“buono(ボノ)”》料理を食べる為に」と言ったところ、喜んでくれたらしく自分達の席に招かれました。
 また、その男性はその日のメニューが書いて有る黒板の前で、「これがこの店の“スタンダード(定番)”だ」などと教えてくれました。
 左記のジャズ・コンサートの為に翌日もその食堂に入ったのですが、デザートのプリン程度の小さな料理しか出て来なかったので、私は「これで終わりなのか?」と聞いたところ、ウェイターは「終わり(finish)」をワザと「fish」に聞き間違えたフリをして魚の真似をしたあげく、「貴方はフランス語を話すか?」、「ドイツ語…? スペイン語…? …」と聞いてきました。私は「ノ-、アイ・スピーク・ジャパニーズ」と開き直ったところ、ウェイターは、小さな街だったので恐らく全員顔見知りの客に向かって「おーい、誰か日本語が分かる人がいるかい?」という意味らしいこと言っていました。
 店内は私以外の爆笑に包まれましたが、その中に偶々私が泊まっている宿の亭主が居合わせていたらしく、翌日 その亭主は、宿では初めて見た私の顔のど真ん中を指差しながら「おー、おー・・・」と、笑った驚き顔で叫んでいました.
 

 

                       ブラ市の或る教会
   ミラノやトりノの様に日本人がビジネスで行く所と違い、アルバは滅多に日本人が行かない所です。
 街の大きな酒屋さんの奥さんに「フルボディ《←で安い赤ワイン」と指定したら、4ユーロのワインを示されたので私が心配そうな顔をしたら、「大丈夫、私たちも飲んでいる」と言いました。私はイタリア人が日頃飲んでいるものと同じワインを飲んでみたかったので「これはいい情報だ」と思って買って飲んでみたら、香りこそ少ないものの、私にはトりノで買った、ピエモンテ州で最高級と言われる「バろーロ」《その安い方の 28ユーロ》と全く変わりが有りませんでした。
 スーパー(マーケット:Mercato)では、一番安いものは 0.64ユーロという、恐ろしく安い物も有りましたが、上記体験から 4ユーロ以上を基準にして2本買いました←*
 お摘みも買おうとしたのですが、以前サンクト・ペテルブルグで買って食べた様な美味しそうなもの《例えばハムはビニール袋の中が肉汁でビタビタしていた》は無かったので、酒屋さんでお摘みを探してみました。
 赤ちゃんの拳骨くらいの小さな瓶に入った、黒の細い縁取りの有るスライスされた物を買ってみたところ、「何でこんなに美味いんだ」と思ったのでビンの蓋の文字を辞書で引いてみたら、「TARTUFO(タトゥーフォ)」、つまり「(黒)トリュフ」でした(オリーヴ・オイル漬け、14ユーロ)。世の中にこんな美味いものが在ることを知ったのは、今回の旅行の最大の成果です《日本で探したのですが、デパートでも売っていない様です。ネットで「イギリスを代表とする、新鮮なトリュフを取り扱う会社:トリュフハンター」の、7,382円もする瓶詰を買ってみましたが、トリュフの香りが少しするだけで全く美味しくありませんでした。に書いたパリの店の様に“食”に関してはフランスもイギリスも信用出来ず、出来るのはイタリアだけです》。

 アルバは白トリュフで有名なので、上記黒トリュフの味が忘れられず、私が朝食を食べていた、或るカフェのウェーターに「白トリュフを食べられるか?」と聞いたところ、私に「9月から12月までは美味いけれど、それ以外は美味くない」と教えてくれました《←
 そんな事を教えてくれる人はよっぽど信用できる人だと思い、「じゃあ、今最も美味しいものを食べたい」と言ったところ、他のレストランに電話して、そのレストランを教えてくれました。
 ところがそのりストらンテ「Vigin ・・・・・・」に行ってみましたが、話が通じていなかったらしく、私が「貴女が推薦するものを」と言っているのに一々注文を聞かれて、結局は平凡な物になってしまいました。 
 アルバとかブラは多分田舎町なのだろうから、クレジット・カードは使えない店が多いと思ったので、その日程分の現金を用意しました。しかし、そんな事はなく どの店でもカードが使えました。列車の切符もカードOKです。
 しかし、アルバのホテルでは、「ご予約確認書」にはカードが使える事になっているのに、「カードのマシーンが無いので、カードは使えない」と言われました。そういう所では、細心の注意を払わなければなりません《↖
 
         
    ブラ(5泊)    
 アルバもブラも観光案内書に載ってない街です。出発前にプリントしておいた、ホテルの所在を示す小さな地図に、現地のネットで調べて通りの名前などを書き込むのに、0.3mmの芯のシャーペンが役に立ちます。
 また、「アルバ」駅などの前後には「アルバ・何とか」という駅が在るので、注意が必要です。高校生の人達に「ここはアルバですか?」と確認して降りたのですが、違ったらしく、最後尾の車掌さんが遠くからボディ・ランゲージで「違う、乗りなさい」と言ってくれたので助かりました。


 教会に入ってみるとバッタリと牧師さんらしい人と顔を合わせてしまう事があります。そのとき,「ボンジュール」しか思い浮かばず、「フランス人でもないのにそれは可笑しい」と思って挨拶出来ませんでした。イタリア語で「こんにちは」は「ボンジョ
ノ」《午後は「ボナシーら」と言う地方が多いそうですが、「ボンジョノ」で分ります》。
   スロー・フード協会の本部が在る街です。
 ホテルのすぐ傍のCOOPの大きな店舗で、ポルチーニの瓶詰めを買いましたが、やはりレストランのプロが調理したものの方がずっと美味かったです。

 今回の旅行は季節が跨ってしまい、最後の頃には厚手のコートなど、余分な荷物が増えてしまいましたが、それでも機内持ち込み用の鞄に入り、更に14"の画面のパソコンもその鞄の中に入りました《カメラなど4点セットが入った小さい鞄は別》。それが出来る様にする為には、着替えは靴下だけにし、シャツなど汗をかいたらその日の中に洗ってしまうのがいいです。
 パソコンを持ち歩いたのは今回が初めてですが、無料でネットに繋げられるホテルが多くなっています。

 ホテルは「Best Western Hotel Cavalieri」という立派なもの《今回、唯一の四つ星ホテル》でしたが、驚いた事にホテルには、車用の地図を白黒コピーした 粗末な地図しか無く、詳しい地図は「本屋さんに有る」と言われたので 3軒を廻りましたが、実際にはブラ市の地図は売っていませんでした《↖。 
 結局、ぶらぶらと歩いて名前の分からない教会【例:右上の写真】を覗いてみたりしました《←
 このブラではどの店も日曜は休みで、何も買う事は出来ない様です。

 お目当てのスローフード協会のオステリア「ボッコンディヴィーノ(Boccondivino)」では、牛肉(生)のソーセージ(サルシッチャ)だけを指定し、「あとの料理とのコンビネーションは貴女の推薦する物にしたい」と言ったところ、前述の「Vijin・・・・・・」の様に問い詰められる事もなく、速やかに注文が決まりました《→。しかし、日曜日の夜と月曜日は休みという事も有って、1回だけしか楽しめませんでした(予約制)。
 また、帰って伝票を見たらワイン(フルボトル)が13ユーロという安さでした
  
 
    カドゥーティ・ペル・ラ・リベルテ広場(ブラ市庁舎前)に有る彫像


 サルシッチャは割と軽い料理なので、「前菜として食べたいのか、それともメイン・ディッシュとして食べたいのか?」という意味らしいことは聞かれました。私は英語のヒアリングは自信が無いのですが、「こういう状況ではこんな事を聞いているのだろう」と推測すると、聞き取れた数少ない単語から意味が分かります。
 ヨーロッパの人はアメリカ独特の発音(「アメリカ」という地方の方言)を使わず、ちゃんとした発音をするので助かります。例えば、母音に挟まれた[ t ]《無声音》を、アメリカ人は[ t ]を発音する為に声帯の振動を一旦止めるのが面倒らしく、[ l ]《日本語のラリルレロの有声音の子音》の発音にします《最も知られているのが Shut up(シャラッ:黙れ》。しかし、ヨーロッパではそんな方言を聞いたことが有りません。
 詳しい地図は Google で「Boccondivino Bra」と入力して「地図」検索すると出てきます
    フィレンツェ(2泊)と個人旅行の費用    
 ブラ駅からの帰りは、その最初の乗り換え駅まで、なんとバスでした。その乗換える人は、皆 道路や下り階段と登り階段を走っていたので、私も乗り遅れない様に荷物を引っ張りながら走りました。


 2週間ほど前に入った「Prima e Poi」。「ハロー」と言われました。

 フィレンツェの同じホテルの料金は
 宿泊時期    1泊当たり
 3月2日~    20ユーロ、
 3月4日~    25ユーロ、
 4月5日~    55ユーロ
でした。この数字からすると、3月の1拍当たりの宿泊費は 4月の半分になります。3~4月の宿泊総額は 273,800円《半分が4月に行われたと見做します》であるので、仮に、この旅行が2~3月に行われた場合の総宿泊費は
  273,800円×(0.50.5/2)=205,300
となります。           続き 
   ブラというローカル線の小さな駅から、複数回の乗換えをして帰りの空港のフィレンツェに行くのに、何かコトが起きても帰りの飛行機に間に合う様、フィレンツェには予備の2泊を予約していました。
 トりノ駅は慣れているので、切符はそこまで買い、そこで昼食《←を取る事にしました。幸いトリノの駅員さんが「フィレンツェへの直通列車(ローマ行き)が有る」と教えて下さったので、それにしました。
 今回の現地36泊のホテル代はトータルで、273,700円で、1泊当たり平均 7,600円です。
 1年前の、大手旅行業者企画の「個人旅行」を銘打った、ローマ4泊、フィレンツェ4泊(計 現地8泊)のパック料金が「お一人部屋追加代金」込みで、247,000円でした。
 今回の旅行が、仮に上記平均7,600円×8泊分の宿泊と、前回と同じ鉄道料金(ローマ~フィレンツェ間:31ユーロ)と、今回の飛行機代《前述の12万円》の合計だとすれば、その額は185,000円になり、一人で旅行する場合には、たとえ8泊しかしなかったとしても、個人企画の方がずっとお安くなります《ただし、今回の旅行が前年2月の業者企画と同じ時期に行われていたならば、その差は更に大きく(両企画の比は 36泊の場合49.8)なります》。      
   
ジオットの鐘楼
     36泊 個人企画  8泊 業者企画  36泊 個人企画/業者企画 の比率
 旅行時期   3~4月  3月  3月以前(業者企画36泊のホテル代は比例計算
 飛行機代
 電車賃
 現地ホテル代
 120,000
  18,900
 273,800
 120,000
   4,200
 122,800
 120,000/120,000
  18,900/ 18,900
 205,300552,600122,800*36/8
 合計  412,600  247,000  344,200/691,500  =49.8
 
 つまり、もっと寒い時期に旅行すれば、ずっと安く上がった筈ですが、今回の個人企画の旅行は準備期間が1ヵ月半しか有りませんでした。
 思い付きで計画を立てるのではなく、十分に長い期間を掛けて準備する事をお勧めします。ブラの宿泊も、もっと早くからホテル探しをすれば、駅の直ぐ近くで周りに飲食店が沢山在るホテルが予約出来た様です。
 今回ブラの駅からかなり歩いてホテルに辿り着いた時、フロントの女性に「5泊」という事を3度も確認されてしまいました。その確認の意味は、「こんな所本当に“5泊も”するのか」という意味だったのだと思います。
 上の【表】の中の「36泊」したときの「電車賃」は、ローマ~フィレンツェ間電車賃の泊数比例:
  4,200円×36泊/8泊 =18,900円。
 また、「8泊 業者企画」の「現地ホテル代」は、「合計」から「飛行機代」と「電車賃」を差し引いた額(122,800円)。旅行業者の取り分はこの中に入れました。
 36泊 業者企画《そんなに長いパック旅行は存在しませんが》の「現地ホテル代」は次の比例計算:
   122,800円×36泊/8泊 =552,600円。
 

 
   勿論、業者企画では日本語の通じる連絡先が有るなど、安心出来る面が有り、今回鉄道の旅をする気になったのも1年前にローマ~フィレンツェ間の切符を渡されて、乗り方を教えて貰ったからで、業者企画はそれなりに良いものだと思っています。

 私には今回の旅行前、便秘と四十肩、それから時々夜 足が攣る(つる)という症状が有りました。しかし、旅行し始めて間もなく、それ等は無くなってしまいました。
 旅行後も旅行前と同様、3日に1回、ワインボトルを1晩で空けてしまう様な生活をしているのに、旅行後11年以上経った現時点でもそれ等の症状は「時々夜 足が攣る(つる)」以外の2つの症状はほゞ再発していません。
 その内の1つの症状が1年間偶然無くなるというのが 例えば10分の1位の確率で起こり得る事だとすれば、2つの症状全てが11年間無くなるというのは、10 の22《=11(年数)×2(症状の数)》乗分の1の確率でしか起きません。
 その、症状が無くなった原因として、バス移動が中心の団体旅行と違い、個人旅行では食べるとき以外 歩くなど殆ど立ちっぱなしなので、旅行後も歩き癖がついた事が影響しているのではないかと思います。
 また、日本ではホウレン草のお浸しといえば小皿に一塊が乗っているだけですが、「フィレンツェ(4泊)・・・」の「その一例」の中皿のホウレン草「スピナッチ」(バター炒め)の写真の様に、旅行後も野菜を食べる量が増えた事も、原因になっていると思います


 
   夕方に近い時間 最後の宿に向かっていたとき、思わず息を吞んでしまいました《色補正など、画像編集はしていません》。夢中でカメラを取り出したとき、大事な観光案内書を失くしてしまった程です
 
(後述 普門寺の五百羅漢 
 
 
  '18年の聴き歩き旅行    
 現地の「附近のレストラン」のメニューを Google の地図検索で見た範囲では、料理の画像を見る事が出来ますが、その料理の名前が分かりません。そこで、そのレストランのホーム・ページに直接アクセスすると、今度はメニューは出て来るけれども写真は出て来ません。高級なレストラン程 自身のホーム・ページ上は勿論、レストラン内の紙のメニューにも写真を絶対に載せません。これは写真など無かった頃からの格式を重んじている為だと思われます。
 帰りのフィレンツェで、ホテルの目の前だった為 顔馴染みになってしまったレストランで、メイン・ディッシュの一つに「Gatto ・・・・・・」というのが有りました。辞書には「猫」としか載っていなかったので私は「これは猫(Cat)か?」と聞いたところ、ウェイトレスは私の肩に手を置いて笑いながら、「Gatto」の語頭と語尾を指差して何か言っていました。多分イタリア語の文法について解説していたのだと思いますが、どんな物かさっぱり分からないままに「Gatto」を注文してみました。
 そんな状況なので、主に写真付きのメニューを置いている食堂に行きましたが、写真付きのメニューを置いていないレストラン(ヴェネツィアの一例「Ristorante Alla Palazzina」)に食べに行くときには 上記地図検索の料理の写真をパソコンに「保存」してそのパソコン《4kパソコンなので大きい》をレストランに持ち込み、「これ!」と言って注文しました。
 ローマのホテルでは WiFi 料1日5ユーロでスマホを貸していたのでそれを使いました。

 イタリアから帰る朝(3月28日)、ホテルのシャトル・バスの運転手から電話を貰って私の時計《国際電波時計》が1時間遅れていたのに気が付きました。西側の海辺だった為、時計がスペインの電波に反応してしまったのかと思いましたが、3月25日からサマー・タイムだった様です《イタリアとスペインでは同じ時間》。
 帰りの便《JALと提携しているカタール航空》の乗り換えはドーハ空港でしたが、乗り換えの待ち時間が長く 11時間20分でした。
 その空港には安楽椅子が数十台並んだ 眠ることが出来る静かな部屋が有り、レストランも24時間営業でした。
   '18年2~3月に、食べ歩き《》の他に、演奏会の聴き歩きを主な目的にしたイタリア旅行をしました。
 滞在地と日程を決めるのに、ネットで例えば「イタリアのオーケストラ」や「弦楽四重奏団」を検索してそのホームページから演奏会場と日程を調べ、その演奏会に合わせて滞在地を決めるというものです。
 しかし、その方法よりもネットで、例えばフィレンツェなど大きな街の「コンサート会場」や「ホール」を検索し、その会場のコンサートの日程を調べる方が効率的でした《↓
 いずれにしても異国のクラッシック演奏会を突き止めるのは大変なので、イタリア到着と帰りのローマ、及び音楽の街であるパルマでの演奏会に合わせた日程を決めただけで、あとは現地に行ってから次の滞在地と日程を決めることにしました。
 また、フィレンツェでは駅から降りて直ぐの所にインフォメーション・センターが有ったので、そこでコンサートの情報を聞きましたが、一般的にインフォメーション・センターは少なくなっています。前回の旅行('11年のスロー・フード食べ歩き旅行)のミラノの場合と同様、ローマでも地図の中の i マークを頼りにインフォメーション・センターを現地に行って捜したけれども、実際には在りませんでした。
 その為、観光案内書の地図の i マークは信用せずに、例えばローマの場合ツーリストインフォメーション・ポイントに載っているポイントの一つ:「PIT TERMINI, STAZIONE TERMINI」《リンク切れ》で地図検索し、確認してから行くと無駄足を踏まなくて済みます。
 上記の滞在地の決め方にした結果、次の様になりました《計 現地37泊》。
  ローマ(往き)        3泊、
  サン・ミニアート       1泊、
  パルマ            5泊、
  フィレンツェ(往き)     5泊、
  ヴェネツィア        10泊、
  フィレンツェ(帰り)     8泊、
  ローマ(帰り)        5泊、
  ローマの空港近くのホテル1泊。

 
   
 ローマ(帰り) フィウミチーノ空港近くのホテル(Seccy Hotel Boutique)のロビー《小さいホテルだけれどもエレヴェーター付き》。
 この街(フィウミチーノ)のレストラン「Pascucci al Porticciolo Restaurant 」の Google 地図検索のメニューにトリュフ付きパスタの画像が有りました。その画像を保存したパソコンを抱えて そのレストランに行ったのですが、予約してないと駄目だと言われました。
 「じゃあ、今ここで予約する」と言ってみましたが、偶々居合わせた予約客(第三者)に、「イン・ポッシブル」と言われたので諦めました。

 【↑の写真はローマ時代の遺跡群「フォロ・ロマーノ」に生えている先の曲がったレバノン杉糸杉
 この写真を撮ろうとしたとき、十数人の団体が来てこの木の前で、この木には何の関心も示さずガイドさんらしき人が20分間も喋り続けました。この写真は忍耐強く待った成果です。
 指揮者の石丸寛は、父親に「野原に立っている樹を指して『この樹に感動するかどうかはその人の能力によるのだ』と言われた」と云っていました。

 このフォロ・ロマーノに入るのにセイフティ・チェックが有りますが、そのベルト・コンベアの上にスマホをそのまま置くと、透視装置から出てきたところは大きな隙間の金属ローラーなので地面に落ちて割れてしまう可能性大です。スマホはカバンの中に入れてベルト・コンベアに乗せれば大丈夫です。
 
◎ローマ(往きと帰り)  
    帰りの空港の街:(ローマ)フィウミチーノの地図
 ヴェネツィアで「アカデミア橋はどっちですか?」と、何回 人に聞いてもアカデミア橋を見つける事が出来ませんでした。そういう場合には「ヴェネツィア」の所の注で後述する様に、そのときのアカデミア橋は「工事中で橋の形をしていなかった」など、ちゃんとした何らかの理由が有るので、人に聞くのは止め、教会の名前や広場の名前から現在地を確定する等、他の方法に切り替える事が必要です。
 このフィウミチーノの街では、地図に書かれた建物の位置関係と磁石が示す方向とが違っていたので、私の頭が可笑しくなってしまったのかと思いました。
 しかし、そういう場合には自分の頭よりも「地図を疑う」ことが必要です。ホテルから貰った【】の地図は方向が北《従って右が西》でした。
 「自分の頭が可笑しくなったのかもしれない」などと、自分を責める方向に行ってしまうとパニックになると思います。



 チケットを買いに行ったとき、堂内からオルガンの音が聞こえてきたので許しを得て聴かせて貰いました。実に綺麗で素敵な音でした。
 後日、マタイ受難曲を聴いたとき、オルガニストがオルガンのコンソール(演奏台)でチェンバロの音も出していたので、「パイプ・オルガンのパイプは飾りで その奥に隠してあるスピーカーから音を出しているのか」と思い、コンサートが終わってからパイブ群の中を覗き込んでみました。
 そしたらスピーカーが無いどころか、太くて長い《最長5m以上》パイプの奥に小さなパイプがいっぱい有り、本物だと分かりました。
 更に、コンソールには何段もの鍵盤が有り、ストップも足で操作する事も出来る様になっていたので、助手が居なくてもストップを操作出来る様です。
   聖パオロ ENTRO LE MURA 教会(別名 St. Paul's Within the Walls 教会《↘に行って、バッハとヴィヴァルディの券と「ラ・トラヴィアータ」というオペラとバレーが一緒になったコンサート《↓の券を買いました。
 そのとき、「ローマ・パス(29ユーロ?)を買えばB席の金額でA席に座れる」という事でしたが、案内する人の不徹底で最初の日は一番後ろの席になってしまいました。券と一緒にローマ・パスも提示した方が良い様です。
 同じ教会でバッハのマタイ受難曲を聴きました。曲名が「PASSIONE SECONDO MATTEO」となっていたので、“マタイ受難曲に第二の受難曲が有ったのか?”と思ったのですが、辞書によれば「SECONDO」には同音・同アクセントで「…による」という意味の単語も有りました。
 エヴァンゲリストとイエスの、少なくとも2人はプロだった様ですが、ソロを含むコーラス「セントポール合唱団」はオーディションで公募されたメンバーらしいです。
 このときは40ユーロをネットで支払い、会場で券を受け取りました《前から二番目の席》。

 今回の旅行で最も感動したのは、オペラ座(Teatro dell'Opera di Roma)での専属オーケストラによるムソルグスキーの「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)です。
 オーケストラ用の細長い鐘は、普通「カーン、コーン」と聞こえるのですが、このときは まるで映画の「ノートルダムの背むし男」が飛び乗って鳴らす大きな鐘の様に「ガラーン、ゴローン」という音でホール全体に鳴り響きました。
 帰国後、CD3枚とLPレコードとで他の演奏を聴いみましたが、どれも「ガラーン、ゴローン」とは聞こえませんでした《このオペラ座の「展覧会の絵」のCDは多分会場で売っていたと思いますが、それを買って来なかった事を深く後悔しています》。前頁のオルガン・コンサート(フィレンツェ)で、バッハのパッサカリア・ハ短調のクライマックスで「同時に教会の鐘が激しく鳴り響くのが聞こえた」と書きましたが、これ等の聞こえる筈もない大きな鐘の音が“確かに”聞こえたというのはこの上ない幸せな事であり、この耳を誇りに思っています
 そのオペラ座のコンサートの券は当日(3月23日)の昼間にオペラ座に行って買ったのですが、3日後の「カヴァレリア・ルスティカーナ」は売り切れて(sold out)いました。

 このときは後ろの席だったので、バレリーナが振り上げた脚も半分位しか見えませんでした《客席と同じ高さの平場舞台》。そのせいか、手の動きが風になびく様で 極めて印象的でした
 
 
  ◎サン・ミニアート    
右下からの続きサン・ミニアートを紹介したTVの旅番組の図ではフィレンツェから一駅(ひと駅)でサン・ミニアート・フェチェッキオ駅に着く様に画いてありました。
 実際にはそうではなかったので心配になり3人組の女子大生に聞いたところ、女子大生はスマホで調べて「あと2駅だ」と教えてくれました。右の本文の 大雑把な路線図ではなく、全停車駅が書いてある様な路線図がスマホで分かる様です。ことによったらイタリア語で検索するとその路線図を見ることが出来るのかもしれません。
 サン・ミニアートの様な小さな町を旅しようとなさる方は、そのサイトを探し出しておくと安心です《ただし、英語で検索してそのサイトが出で来るかどうか分かりません》。
 多分、JRの「時刻表」(小さな本)に相当するものが、イタリアのネット上に在る筈です。
 しかし、もしもサン・ミニアートからフィレンツェ経由でパルマに行くとすれば、フィレンツェとボローニャで乗り換えなければならないのですが、機械任せで切符を買った事により、期せずしてピサ経由で乗り換え無しのパロマ直通切符を買えたのは結果的に幸運でした。
 
   サン・ミニアートは山間の小さな街なので最初から演奏会は諦め、トリュフ食べたさで1日さきました。駅(サン・ミニアート・フェチェッキオ駅)に降りてもバス停のポールも無いし、タクシー乗り場も有りませんでした。
 しかたがなく、その前の日に私がネットから描き写した地図と磁石を頼りに4㎞位の道のりを歩き始めたところ、バスが来たので、その運転手に「ホテル・サン・ミニアートまで行くか?」と聞いたところ、「行く」と言ってくれたので助かりました。
 しかし苦労した甲斐が有って、トリュフの季節はもう外れかかっているのに、レストラン《pepenero》で注文したパスタの芳醇な香りが強く、その香りは2~3日忘れない位でした《パスタは Tortelli ripieni di p… €19で、メイン・ディッシュの牛肉(€12)より高かった》。
 そして、その田舎駅からパルマへ行くのも大変でした。駅員が居ないので切符は自動販売機でしか買えず、何故か刻印ナンバーが一つ違いの同じ切符(€18.75)を2枚持っています《の写真》。同じ切符を2枚持っていても本当にパルマ迄乗り換え無しで行けるのかどうか不安で堪りませんでした。
 列車はフィレンツェとは逆方向の、ピサの辺りを経由したものでしたが、帰国後 鉄道路線図を拡大(ボタン)すればパルマは辛うじて出て来ますが、サン・ミニアート・フェチェッキオ駅は全く出て来ない位なので、パルマに行けたのが不思議な位です。
 この町を訪れようとする方は、フィレンツェに滞在した状態でフィレンツェと この町とを往復するのが簡単です。もしも、往復切符が有るとすれば、それをフィレンツェの切符売り場で(駅員から)買うのが安心です。  
 
 
         この切符は現金で買った模様
  ◎パルマ      フィレンツェのバルジェッロ国立博物館
  「ダヴィデ」(Donatello) (絵葉書より)
 ヨーロッパだからと言って誰でもが英語で対応してくれる訳ではありません。フィレンツェのインフォメーション・センターでさえ、私が英語で話し始めると、暫らく待たされて別の人が英語で対応してくれました。Teatro Regioのチケット売り場でも同様でした。
 
 
   パルマは私の好きな指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの出身地であり、トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地がある街です。
 私がそのコンサートのチケットを買おうとして、その拠点ホール「パガニーニ・オーディトリウム」の外でウロウロしていたら或る男性が「お助けしましょうか?」と言って、チケット売り場に入れてくれ、売り場の女性に私の下手な英語をイタリア語に通訳《←して下さいました。
 その晩のチケットと翌々日の小ホールのチケットを買い終わったとき、その男性は「今夜お会いしましょう」と言いました。
 その晩、その男性はステージでチェロを弾いていました。
 この町には他にもコンサート・ホールが在り、そのうちの一つ Teatro Regio でバレーを観ることができました。しかし、オーケストラ・ボックスには蓋がしてあり、音楽はスピーカーから出ていたので退屈しました。
 同じホールでピアノ・リサイタルを聴きましたが、ピアノはその蓋の上で演奏されました。
 この街では5泊して4つの演奏会を聴けました。
 
  ◎フィレンツェ(往きと帰り)  
        バルジェッロ国立博物館 「レダと白鳥」( BARTOLOMEO AMMANNATI ) (絵葉書より)




 私はヴェネツィアで買った AC100-240V 4.6W のLEDクリップ・ライト】とLEDスポット・ライトを持ち歩きました。
 旅行中、眼を悪くしなくて済みます。
 
 このアパート《実質的にはホテルだけれどもフロントが無い》は、そのアパートが在る一画だけは確認出来るのですが、看板は勿論、ドアの鍵穴の場所に有る縦幅1cm位の小さな表札すら有りません。
 途方に暮れていたら、近くの革製品屋さんが自分の店に招き入れ、私のパソコンをネットに繋げて下さり、そのホテルの電話番号に電話を掛けてホテルのオーナーらしき若い女性を呼び出してくれました。
 部屋に入ってチェック・インしたとき その女性に「何故ホテルの名前を表に出していないのか?」と聞いたら、私には分からない何かを言っていました。滞在中、部屋のインターホンが鳴った事が有りますが、何か事情が有る様です。
 後日その革製品屋さんにお礼のワインを持って行ったら、「私は困っている人が居たら助けて上げている。しかし、道やホテルを教えて上げてお礼に来たのは貴方が初めての人だ」と言い、店に来た友人らしき人に私を「これは私の友達だ」と言って紹介していました。

 チェック・アウト近くの日に、そのオーナーらしき女性が部屋に入って来たので、私が「チェック・アウトはどうするのか?」と聞いたら、「鍵をテーブルの上に置いておけば良い」と言っていました。
 このアパートの予約は Booking.com でしたが、今 台頭してきた「Airbnb(エアB&B)」をこの予約サイトも取り入れている様です。
   フィレンツェの夜は7年前とは一変してしまいました。
 毎晩 感動的なオルガン《前頁のオルガン・コンサート》を聞かせていたサンタマリア・デイ・リッチ教会は、現在《’18年3月》は7年前の短時間の演奏すらなく、堂内にはクラッシックの静かな音がスピーカ-から出ているだけになっています。
 それどころかその教会近くの「共和国広場」には、毎晩ではありませんが、一定テンポのロックが鳴り響き、或る晩には深夜の1時半にやっと鳴り止んだ事も有ります。
 その音を出している所へ行ってスタッフに「煩い」と言っても、私の声が殆ど伝わらない位の騒音でした。広場に居た機関銃を持った警官に言っても、英語が通じないらしく逆に私に「あんたは何処へ行こうとしているのか?(Where are going?)」と聞くのを繰り返えすだけで、その騒音は問題にしていませんでした。
 ホテルの主人に、「これは私の睡眠の問題ではない。カルチャーの問題だ。7年前まではコルソ通りの“りッチ教会”には美しいオルガンの音で満ちていた。しかし、あの騒音はロー・レベル・カルチャーだ。私はもう決してフィレンツェには来ない」と言いました。
 そしたら黄色い耳栓を持ってきましたが、私はそれを拒絶しました。「世界遺産」を取り消すべきだと思います。
 帰りのときのフィレンツェ滞在(8泊)ではその広場から離れたサンタ・クローチェ広場近くの、中二階と台所付きのアパート(サンタ・クローチェ・エクスクルーシヴ)(8泊:€491、1泊 8,200円位なのに広く、バスタブ付きで、部屋としては今回の旅行で最高)《←の写真】に泊まりましたが、その地域は静かなのに上階の住民のスピーカーの音が、毎晩ではなかったけれど物凄く煩かったです。
 7年前とか8年前には、ドゥオーモ周辺のレストランやワイン・ショップ等で日本人スタッフを、数人見かけました。しかし今回は1人見ただけです。
 皆失望して離れて行ってしまった様です。
 

     サン・マルコ美術館
「十字架像に祈る聖ドメニコ」
    (フラ・アンジェリコ)


 マタイ受難曲の様な大曲の演奏会では普通アンコールは有りませんが、この二つのコンサートでは、演奏者は「客席と一体になった感覚をそのままにしたい」と思ったのだと思います。
   しかし、フィレンツェは音楽がたくさん聴ける街です。「共和国広場」からタクシーで €10強の所《歩いて20分程度》ですが、Teatro del Maggio Mugicale Fiorentino (略してMMF劇場)というホールが有り、そこを本拠地にしてMMFのオーケストラとコーラスがコンサートを開いているし、他にヴェルディ劇場ペルゴラ劇場が有ります。
 往きと帰りの計11泊で、計6つの演奏会を聴く事が出来ました。
 その中で、ペルゴラ劇場で聴いたバッハの「音楽の捧げもの」は ヴァイオリン、ヴィオラ、フルートとピアノ・フォルテ(それぞれソロ)の編成で、ジャズ風の節回しの瞬間も有り、最後はヴィオラだけで階名の「ラー ソーー……」で “か細く”終りました。
 しかし、それは「高雅」と言えるもので、私の人生はこの方向で良かったのだと思いました。
 演奏が終わったとき「この演奏にはアンコールは要らない」と思いましたが、その通りになりました。
 ローマのオペラ座で聴いた「展覧会の絵」も同様に「アンコールは要らない」と思って その通りになったので、感動的な演奏の後は演奏者と聴く人とが共通の想いになるのだと思いました《↙

 新約聖書(ヨハネによる福音書 19章5節)に由来した「この人を見よ」という言葉が有ります。観光案内書「地球の歩き方 フィレンツェ と・・・」に、フラ・アンジェリコの「受胎告知」で有名なサン・マルコ美術館内に「この人を見よ」という絵の所在が書いてありました。
 この私も十人位の人達に半円形に取り囲まれて「この人を見ろ」と言われた「この人」になった事があるので、どんな絵なのだろうと前々から興味が有りました。
 しかし、聖書では総督ピラトがイエスをユダヤ人に引き渡すときにイエスを指して言った言葉ですが、上記観光案内書が示す場所のフレスコ画【→の写真の中の指差された人は横たわる人だったので、この絵は、聖書のあの場面ではない様です。
  
 


 
サン・ロレンツォ教会。 ステンド・グラスから差し込んだ一瞬の夕陽(↖↑)が綺麗でした。
 
    
 ヴェネツィアで買ってきた置時計。これを買ったとき、私が秒針など針を心配したら、店の人が私の目の前で梱包し直しました。しかし、フィレンツェで梱包を解いてみたらプラスチック製の針は時針、分針、秒針 全てが曲がっていました。この写真【】は熱を掛ける等してほゞ完全に治したもの。
 店《土産物店》の梱包は信用せずに、ホテルまで裸の状態で持ち帰り、3本の針を「7時35分」位の位置にして自分で梱包した方が良いです。当然ながら電池を外しておかないと時計内のメカでギア・ダウンされた大きな力で針が折れてしまいます。
 
 ホテルの在処を探すには、同業者(他のホテル)に聞くのが良いです。
 この写真の壁に外の景色が写っていますが、これはプラスチックを貼った壁ではなく、漆喰の鏡面仕上げです。
 これと同じ技術が、日本の黒の漆喰でも僅かに残っています。


San Vidal 教会はアカデミア橋を西側から渡ると大運河の東側に在るのですが、その橋は今回 私が行ったとき《 '18年3月5日》には細長い木の箱で作られていたのでそれが橋だと分からず、あの大運河も見えなかったので、まだ運河を渡っていないと勘違いして、雨の中を人に何回も聞いてアカデミア橋(「ポンテ・アカデミア」)を探しまくりました。
 必死で橋を探しても分からなかったので、現在位置を確認しようとしたとき、7年前に2度 入ったその教会が目に留まったので 「橋を渡ったのだ」と気づきました。
 帰国後、ネットでアカデミア橋の画像を検索すると全て屋根など無い“オープンな”木の橋なので、“屋根付きの細長い箱の橋”は、改修工事中の 仮の橋だった様です。この橋についての「クチコミ投稿:2018-04-07」にも、「改修工事中だった」ことが書かれています。
 
ヴェネツィア     
             ヴェネツィアのガラス美術館のグラス

:
 TV番組を録画した 最大振幅時の2コマを、三脚を使ってディジカメで撮り合成したもの。揺れの周期は凡そ秒。振幅「6.0cm」はヴェネツィア美術館が公表している「高さ22cm」からの比例計算。
 画面と直角方向にも同じ位 揺れていたのでいましたが、上から見た振幅はルート2倍の8.4cm 飽くまで6.0cm。:画面に対して平行方向の揺れと直角方向の揺れとが同時進行ならば、振幅はルート2倍(8.4cm)の直線的な動きになります。しかし、仮に上から見れば円運動と見做される動きだったので《:専門用語を使うと 2方向の揺れの位相が 90°ずれていたので》、半径3.0cmの円運動の振れ幅(ピーク・トゥー・ピーク)はどの方向にも6.0cmとなります。
 
 
   ホテルはヴェネツィアに行く 5日ほど前に予約したのですが、最悪のホテルとなってしまいました。
 10泊で €437と安く、床も天然大理石のモザイク模様ですが狭くの写真、トイレやシャワーも綺麗だけれども1フロア下の共用です。
 それに、その予約時のサイトに「わずか30m先の Hotel Antica Casa Caretton のフロントでチェックイン、チェックアウトが行われます」と書いてあるのを見落としたのがいけなかったのですが、予約したホテル名の「Atlantide Hotel」を探して30~40分 歩き廻りました。
 ヴェネツィアは観光地なので、ホテルの予約は特に早くする必要が有ります。
 お目当ての演奏会が行われる San Vidal 教会《↙では、ネットで曲目を調べた結果、ヴィヴァルディの「四季」が演奏されない晩の演奏を聴くことにしました。「四季」はローマで聴いたし、その他の曲もその晩に聞いた曲と同じ様な曲しか演奏されていない事が分かったので、結局クラッシックの演奏会はその一晩しか聴きませんでした。
 他の演奏会場を含めてヴェネツィアは、7年前とは違い やたらと「四季」が多く、音楽までもが観光産業化してしまったと感じました。
 それよりも夕食時に偶然入ったレストラン「alla Palazzina」で、ラテン・ヴォーカル(ピアノ伴奏)が聞けたのが良かったです。
 指揮者の石丸寛は「音楽にはポピュラーもクラッシックもない。プロもアマチュアもない」と言っていましたが、それを実感しながらジックリと聞き入っていました。ワインのボトルを、余ったら残りを持ち帰ろうと思っていたのに結局全部飲んでしまった程です。
 その店を出るとき、ヴォーカルとピアノの女性は奥の方の席で食事していたので レジの所から音のしない拍手を送りました。2人は微笑みながら小さな声で「グらーチェ」と言いました。

 「風が吹いても揺れる」というワイン・グラスを見たくてムラーノ島のガラス美術館を訪れました。【↗の写真はその螺旋のグラス。
 これは天才職人ジュゼッペ・バロヴィエールの120年前の作品ですが、ガラス・ケースの中に入っていて、近くを車が走っている筈もないのに時々揺れていました。
 作者の遺族も「家や美術館でも揺れていた」と証言しているし、箱根のガラスの森美術館の館長も微妙な言いまわしではあるけれども、「微妙な動きで微かに振動で揺れている感じが伝わって来た」と言っているので、私の気のせいではなかった様です。私は「揺れ幅は1㎜弱 だな」と見ました。
 NHKの番組で、「風に揺れるのを確かめさせてくれ」という要請に対して、館長は「ダメです。二度と作れない作品ですから」と言っていました。私が館の職員に「風で揺れるグラスは何処か?」と聞いたときも、「揺れる」などという意識は全く無かったらしく、キョトンとしていました。そこで、人差し指を上に向けてグルグルしながら下げていくボディ・ランゲージを使ったところ、直ぐに「〇〇号の部屋です」と教えてくれました。
 その「揺らす」なんてとんでもないグラスを日本のガラス作家:小牟禮尊人が作ってしまい、【→の写真の様に実際に自分の息で 振れ幅8.4 6.0㎝ (±4.2 ±3.0cm)で、大きく揺らして見せました《NHK:超絶 凄ワザ!「奇跡のヴェネツィアン・グラスに挑め!」》。
 しかし、小牟禮 氏は謙虚に「彼《職人ジュゼッペ》がいて ようやく二人でこの作品が蘇ったんだ」と言っていました。
 ガラス美術館の【の上の写真】は私の撮影で、透明度を強調していますが、現物は“くすんで”います。恐らく100年以上洗っていないからでしょう。
 しかし、小牟禮氏のグラス【→】は光り輝いていました。
 
 
  東北への旅行
 真っ暗な道路で津波で舗装を剥がされた所の陥没穴は要注意です。
 この旅行の松島に宿泊した際、坂道に入るT字路で停車をしたとき突風のせいも有って転倒してしまいました。そのとき一人では起こせなかったので帰ってからバイク店に話したら、「坂道の下り方向に転倒したら250ccは私にも起こせない」と言われました。
 そこで半年掛けて“倒れないバイク”を考案、改造し、新たなホームページ「立ち転けと引き起こしの力学・・・転ばない2輪車」を作成してアップしました。
 
 '12年5月連休の後、東北の仮設商店会を食べ歩きしようと思い、出かけました。
 宿を選ぶ過程で、津波被害が大きかった南三陸町の仮設商店街の情報を紹介しているサイトを見つけ、且つ、その町の旅館が「営業中」なのか「休業中」なのかを明示している町のホームページが紹介されていたので、主な旅先はその町にしました。
 上記サイトで仮設商店街の問い合わせをしている過程で私が「“仮設旅館”というのが有ったら泊まってみたい」と書いたところ、「それは聞いたことが無い」ということでしたが、「今年」2月に建て直した「下道荘」という民宿を紹介されました。
 バイクに取り付けたカーナビに従って宿の2~3km近くまで来たところ、塩水で数cm冠水した道路になり、挙句の果てロープで「通行止め」になってしまいました。仕方がなくバイクを乗り捨て、ナビを歩行モードにしてしばらく歩いてみたところ、山沿いの道は車が通っているのが見えたので、道路の陥没穴に気を付けながら引き返し、夜7時半ころ無事宿に着きました。
 その民宿を電話で2泊の予約するとき、「相部屋になっても良いか」と聞かれて「構わない」と答えました。相部屋というのは生まれて初めてでしたが、相部屋の人はボランティアや建設など復興関係の人で、旅行好きでもあり、「東北に小銭を落としに来る事に意義がある」など意気投合して夜遅くまで話しました。
 その民宿は料理が美味しく、人気があって相部屋になった人から「よく予約が取れましたね」と言われる位、何時も満員らしいです。しかし、連泊したのは私だけでした。
 他に同町の観光スポットの「神割崎」にも2泊し、松島と福島県のあぶくま洞(鍾乳洞)にも宿泊と観光をしました。松島の瑞巌寺では、普段は美術館の「音声ガイダンス(500円?)」も借りないのに、「小銭を落とす」ため、私1人の為にガイドさんを頼みました(サービス料金1,000円だったと思います)。
 また今回の松島湾は風が強かったので小型船は無理でしたが、今後もう一度、松島を訪れる事が有ったら、遊覧船は小型船を1隻チャーター(15,000円)下の写真の右の文参照》してみたいと思います。宿の「プチホテルびすとろアバロン」に置いてあった岩瀬秀一氏の写真集を見たら、大型遊覧船で島を遠巻きに廻ったのでは「松島の本当の良さを見なかったのだ」と気が付いたからです。
 今、東北には旅行業者のパックツアーが売り出されていますが、ホテルではなく民宿に限定したり、好きな所を変わったやり方で観光する事が出来るのは、やはり個人旅行の強みです。
 また、今回の旅行で一番大きな街並みの松島市に音楽ホールが無く、音楽が聴けなかったのは一寸寂しい感じがしました。
    
 南三陸町 志津川の道路と建物。遠くの方の建物は4階まで鉄骨だけ。
 相部屋になった人は「自然の脅威を示すもの」として世界遺産にすべきではないかと言っていました。私は福島第一原発の残骸は「人間の愚かさを記録するもの」として世界遺産にすべきだと思います。
 
今回の福島事故の調査で、「格納容器の圧力が上がってしまうと、圧力容器の蒸気を抜く弁(SR弁)が開かず、注水できない」という、中学生でも解りそうな原理的な欠陥が発見されました。更に、格納容器の圧力を抜くベントの為の配管が最低の耐震基準だった事も指摘されました《この「発見」と「指摘」はNHKスペシャル「メルトダウン 連鎖の真相」》。
 この様に福島第一原発は、安全神話のもと原理的な構造チェックすら怠ったまま40年間も運転し続けてきた愚行の象徴です。正に世界遺産の価値が有ります。

 大飯原発の再稼動に当たって野田首相は「全ての電源が失われたとしても炉心損傷に至らない」と言っています。しかし一方で「安全基準に『これで絶対』というものは無い」とも認めている様に、炉心損傷はたとえ少ない確率であっても起こり得る事です。
 この原発と同じ「加圧水型」のスリーマイル事故では、この型の特有の問題として炉内の水位を正確に測れない為、電源喪失をしていないのにメルトダウン(炉心損傷)を起こしてしまいました。つまり、この型の原子炉は事故(シヴィア・アクシデント)が起こり得るどころか、原理的に起こし易いのです。
 また、関電の全ての原発では最後の命綱であるベントが無く、更に「加圧水型」では福島(沸騰水型)の様な“建て屋”の水素爆発ではなく、“格納容器自身”の水素爆発によって、放射性物質のほぼ100%が飛び散り、今回の福島どころではない、桁違いの大惨事になります《以上小林圭二さんの指摘》。
 安全神話が崩れ去った今、シヴィア・アクシデント無しの前提を反省して、全ての構造をチェックし直さなければならないのに、事故後最初の再稼動に 危険度が桁違いに大きい「加圧水型」を選ぶとは、正しく人間の愚かさの上塗りです。
 

 【左の写真】は'13年10月に10泊ほどの東北旅行の松島湾で、「小型船で夕焼けを撮りたい」と言って船上から撮った写真です。
 「小型船は暗くなってからの運航が認められていない」という事なので夕焼けに“近い”時間の出発でしたが、比較的近くでこの一本松を見上げたとき格好良さを感じました。
 小型船と言うのでボートかと思ったら【下の写真】の様に「定員13人」で、1~3名のとき40分6,000円でした《偶々かどうか知りませんが、スタッフが2人乗船していました》。写真を撮りたい方には大型船よりもこちらがお勧めです《カメラの手ぶれ防止設定が必要》。今回は1回だけでしたが波しぶきがかかってくる事があるので、レンズの穴の開いた薄いビニール袋が有った方がベターです

 
 

 バイク用品店で60/55Wのハロゲン・ヘッドライト・ランプを「明るさ大幅アップ」,「110/100W相当」として売っていますが、あれはインチキです。私も自分のバイクのランプ(純正の、60/55Wのハロゲン・ランプ)を2倍の明るさにしたいと思っていたので、それを買って取り付け、撮影用の露出計で明るさを測ってみたところ、測定誤差の範囲内で全く変わりませんでした。多分、そのランプ・メーカーは「ハロゲンでない普通の電球と比較しています」と言い訳をすると思います。
 LEDランプ:ZRAY M&H(ZM1631-65)をお勧めします。私が購入した時点では、ホンダのホーネット(バイク名)には使えることになっていましたが、実際にはヘッド・ランプ・ハウスに大きな穴を開けなければなりませんでした。
 しかし明るさは抜群で、約2m離れた位置の、最も明るい部分の明るさはハロゲン・ランプに較べて13倍(カメラの絞りでは3.7絞り相当=2^3.713.0)の測定結果が出ました《上下方向の照射角は 多少狭くなっている様な気がしますが》。安心して夜の道を走行できる様になりました

 下の写真も上記旅行のときの写真。
   【左の写真】と【下の写真】は '15.10月に北海道と東北を廻ったときのもので、岩手県の観光名所:北山崎です。撮影場所は上の、バイクを停めてある場所から遥かに下った海面に近い所で、3時くらいから下り始めて戻ったときにはとっぷりと暮れていました。
   ゆったりとした旅行には「連泊」が必要です。
 特にバイクで旅行する場合には週間天気予報を見ながら雨や台風を避けて日程を決めなければなりません。例えばフェリーが苫小牧に昼間に着いたとしても、札幌が雨ならば苫小牧に1泊します。
 また、気ままな旅とは言え初めて旅行する交通機関などにはチェックが必要です。私は青函トンネルというのは当然電車と車が通れるものとばかり思っていました。だから、函館で途中経由としての1泊と台風回避の為の1泊の後、カーナビの指示に従ってトンネルを潜って一気に八戸(ハチノヘ)まで行く積りでした。
 しかし、函館2泊目の宿付近の飲み屋さんに、「青函トンネル《電車のみ》をバイクで通ったらテレビに出てしまう」と聞き急遽フェリーを予約しました。次の宿泊先の八戸のホテルは「強風(台風)の為」宿泊を一泊ずらしていた為、更に伸ばす訳にはいかず、ホテル近くの田舎道は真っ暗になってしまい非常に危険でした《←
 間違ってトンネルに入ってしまう様な事はないとしても、事前確認が必要です。

 札幌では「ノボテル札幌」でダブル・ツィン・デラックスという広い部屋を2泊で14,000円(朝食料金別)で泊まる事が出来、2日目の昼にはヴァイオリンとチェロのコンサート、夜にはチェコフィルハーモニー・コレギウム(弦楽八重奏団)を聞くことが出来、幸せな一日でした。
 この様なクラッシックのコンサートは滅多に聞けるものではありません。しかも、今回雨を避けて札幌に泊まってコンサートを2つも聞けたのは正に“奇跡”です。帰りの途中の仙台など大都市でのコンサートに合わせて日程を組もうとしたのですが、帰りの足を西に延ばして浜松でやっとオルガン・コンサートを聴く事が出来ただけです。
 旅行を計画するとき先ずコンサートに合わせて街と日程を特定し、その日に合わせて旅行全体の計画を練る様にしないと「コンサートを聴く」というのは実現しない様です《イタリアの大きな街、例えばヴェネチアでは殆ど毎日 何らかのコンサートが聞けます。ただし、上述の '18旅行のヴェネツィア参照》。
 


 気仙沼ではホテルではなく旅館で3泊し、そこから300m弱の所に復興商店街が2つも《南町紫市場気仙沼横丁》在ったので、「小銭を落とす旅」としては絶好のロケーションでした。

  陸前高田と遠野の
       五百羅漢








 これら【3枚の写真】は陸前高田 普門寺の五百羅漢。苔むした様な古い良さは有りませんが、彫った人の気持ちが伝わって来ました。光の射し方の違いを期待してもう一度訪れたいと思っています。
 
 
    下の4枚の写真は'16年4月に岩手県遠野で撮った五百羅漢《この苔の細やかさを出す為に、縦・横それぞれ2倍分(下の写真の場合、縦は1,480 dot)の画像を約半分に縮めて表示しています。ただし、4Kディスプレーのパソコン以外では差が出るかどうか分かりません》 
   
     
 
                    【下の写真】は松島の瑞巌寺
   
   【下の2枚の組写真】は昔 或るスキー場近くで撮った「雪国の地蔵」。これを或る小さな写真展に出展したところ、一人の女性が「欲しい」と言って、後日私の承諾を確認して(2枚)貰っていきました。特に右側の写真は白から黒までの「階調が出ていない」という事で、写真の先輩には不評だったのですが、私はこの方が良いと思っています。
 撮影したときその地蔵の左脇の雪に開いた小さな穴は、私が「もっと大きい穴の方が良い」と思って広げてみたところ穴は実に不自然なものになってしまいました。しかし、幸い吹雪の強い風と雪の為 フィルムを詰めている間に同じ位置、同じ大きさの穴に戻ってくれました。私は自分のこの愚かな行為を未だに恥ずかしく思っています。
   人間の巧妙さが、自然が創造するものよりも美しくシンプルな、あるいは正確な発明をすることは決して出来ない。
 何故なら自然の女神の創造物には何一つ欠けるところがなく、何一つ過分なものがないからである。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
 
    前述の様に月単位の海外旅行をしたり、上述の東北旅行の様に年金受給者の私が、現役の人が働いている「連休明けに」旅行したりしているのは“身分不相応だ”と思う方がいると思います。
 しかし、これはNHKの「日本の年金制度は積み立て方式ではなく賦課方式なので、将来2人の現役が3人の高齢者を支えなければならない」という、年金支給額を減らす為の大宣伝《3人の高齢者が立っている台を 2人の若者が手で持ち上げている イラスト付き》の影響を受けているからだと思います。
 この宣伝の「積み立て方式ではない」と言っているのは事実に反します。政府のサイトですら「年金“積立金”」という言葉を使っています。現在年金を受け取っている人達は現役のとき、まだ誰も年金を受け取っている人が居ない頃から、サラリーマンの場合「厚生年金保険」という、政府が保険者になっている保険料を払い続けてきました《私は38年間 払い続けてきましたが、その丁度中間の19年目の、一時金(ボーナス)込みの年間給与総額に対する保険料総額の割合を計算してみたら 3.7%でした。会社も同額を支払っていて、それも元々は我々が働いて稼ぎ出したお金なのですから、それも含めると 7.4も払ってきたのです。その他に税金も払ってきたし、現在も払い続けているのですから、我々受給者が無年金の人が多い若い人達に「支えられている」等と言われるのは事実に反します》。
 もちろん各個人別の積み立て口座が有る訳ではありませんが、その積み立て総額は一時 170兆円と言われたこともあります《現在少なくなっていますが》。
 また、我々年金受給者は現役の頃、社会的な変革にも努力をしてきました。私などは一回だけですが田舎の大学から国会のデモに参加した事もあったり、労働組合が健全だった頃、賃上げや全国的な規模で政治課題のストライキをしたりしました。
 一般に自分達の周りに失業者や低賃金の人がいっぱい居ると、結局自分達の賃金も低く値切られていきますが、そうした広い視野に立った戦いによって、現在の非正規雇用に代表される低賃金・無保険の状態は例外的なものに制限してきました。
 そういう戦いと、働く人間としての誇りと経済的基盤が有ったからこそ我々の世代は世界のトップクラスの製品を開発する事が出来ました。
 この様に、現在我々が受け取っている年金は、その後の制度改悪の飛ばっちりを受けているとは言え、我々が若者だった頃契約し、我々自身が守ってきた保険契約なのです。

 【左の写真】は 「石に祷る」などという気障な名前を付けていましたが、中身にはその頃の私達の生き様が自然に出ていると思います。

  あとがき
 【一番下】に、美術館についてのホームページに相応しく、北沢映月の「江戸と上方」で最後を飾ります(142×160cm)(個人蔵)。
 この映月画伯(女流、院展同人)は次の様に言っています。
 「何か心をゆさぶるものがある、初めははっきりしないが段々とみえてくる。これと心がぴったりした時、一つの仕事に向かって行く。」

 冒頭の「・・・家の包囲」で家の中に入った時の事を、留守をお願いした方が、頭の上を10本の指で十文字に引っ掻く様にしながら言うのに「配線が“こう”走っているものだから、警察官は『この人《私》は何をしている人ですか』と聞いた」そうです。もしも私がそれを聞かれて正直に答えなければならないとすれば、他に何もしていないので「私は芸術を鑑賞しています」と答えざるを得ません。
 しかし、最近、何の素晴らしさも無いのに奇抜な事をして「芸術家」を自称したり、過去、人生転落の経験を綴っただけなのに今なお「文豪」とされていたりする風潮が有るので、上記の答えは不真面目なものになっています。
 そういう俗物と離れて、TOP頁で触れた仲代達矢の様に「幸せな生き方」や、映月画伯の様に人の「心を揺さぶるもの」を真面目に追求している人が必ず居ます。
 もっと素敵な生き方のヒントを探して、これからも美術館や劇場、演奏会などに出かけたり、旅に出て色々な人の生き様に触れたりするとか、自分でも何か始めてみたりしてみようと思っています。

 このホームページの正常動作確認はブラウザは Widows Internet Explorer 7 と11,Google Chrome 、OS は Windows XP,Windows 10 で行なっています。今回('14.12月)の編集モードの変更により、OS:Windows 98 等の狭い画面では非常に見ずらくなりました。
 
 
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