入隊して間も無く新兵は既習者と未習者に分けられる。既習者とは入隊前に通信業務に関わっていたものでモールス通信の出来る者、未習者は何も出来ない者、小生は、モールスは学生時代から趣味で覚えていたが、何食わぬ顔をして未習者の仲に入った。これで随分助かり楽をした。
モールス信号の暗記
既習者は数人で、殆どが未習者、先ず基本であるモールス信号の暗記から始まる。普通の通信隊では、イは伊藤 ・― 、ロは路上歩行 ・―・― と言う様に北条式合調音といわれる暗記方法をとるのが一般であるが、航空通信は早さが求められるので、イはトツー、ロはトツートツーと頭の中に直接叩き込み暗記する。トンツーはいけない「ン」が余計で時間がかかる。と言う事で暗記が始まる。
イロハ48文字、長音、区切り点等と一から十までの数字10文字、これを最初に暗記するのだが大変、寝ても醒めてもトツー イ、トツートツー ロ、寝言にまで出てくる。就寝後毛布をかぶりやっていると「煩い」と古兵から怒鳴られる。夜厠(便所)に行くと大便所は満員、中でトツートツー ロ、おーい、用事を足すだけだから交代してくれ、と頼み用を足す。
食事時でも古兵が ツートトト 何だと聞く、又内務班の中断ベッドの縁には板に略号が書いて貼り付けられている。常に見て暗記するようになっているのだ、略号は民間とほぼ変わらず、ウナ 至急、サラ 再送、ホネ 本文、などの略号である。皆略号までは手がつかない、小生は略号を暗記し始めたが少し油断していたので中々完璧とは行かなかった。
通信講堂で通信訓練
入隊して10日余り過ぎた頃からいよいよ電鍵でモールス信号を打ち、レシーバーで信号を受ける訓練が通信講堂で始まった。朝中隊で受話器(レシーバー)が配られ、各自雑嚢に入れて肩にかけ玄関前に整列、班長の引率で通信講堂に向かう、どんな設備か興味深深で講堂に入る。既習者は更に先の無線講堂に行った。
第1教室の中に入ると見事なもんだ!机は1人用で電鍵は切り替えスイッチがつけられ机に固定されており、70人ぐらいが勉強出来るようになっている。教官の席は1段高い中央の机で生徒の机とはスイッチで色々な接続となっている。
教官は隣の班の班長殿、まずスイッチを指定の位置にセットして受話器をジャックに差込み耳に掛ける、両側の耳には掛けず片方だけ、片方は教官の話が聞こえる様に外して掛ける。電鍵をたたくと自分のたたいた信号が受話器に聞こえる、音量、音質も変えられるようになっている。
送信訓練
あらかじめ作られた電信用紙が配られ、仲の電文を打つのだが、トは瞬間にツーは、トの3倍の長さ、これが慣れないうちは難しい。電鍵操作がぎこちない。途中間を置きすぎると1字が2字になってしまう。手首の反動をうまく利用しないと正しい符号が打てない、皆慣れるまで可也の日にちが掛かった。最初は1分間に30字ぐらいのスピード、
小生は入隊前に電鍵を購入して自宅で練習していたのでさほど苦労はしない、むしろ出来るのを隠しているので、わざとゆっくりと送信を楽しんでいた。しかしわざと遅く打つのも難しい。
ある時教官殿が小生の打ち出す信号をスピカーから出してじっと聞いているのに気がつき止めると、案の定小生の顔を見て「なぜ止める!」といったがその場はすんだが、中隊に帰り班長室に呼び出された。「お前は既習者か?」と言われた。「既習者ではありませんが、学生時代趣味で少しやったことがあります」と答えると、非常に満足そうに頷いていた。履歴も調べたらしいが前歴が無かったので不思議に思ったらしい。それから教官殿は非常に厚意的に教えて下さるようになった。
受信訓練
教官の打つ電文を受け、電信用紙に鉛筆で書いて行く、トトトツート(終わり)の信号を聞いたら出来たものは挙手をする。小生は、家で受信訓練はレコードで習ったので、1分40字ぐらいまでのスピードしか自信はなかったが、ここの訓練は30字そこそこだったので楽に受信が出来た。しかし、終わって周りを見ると半分位の人しか出来ていない。
実際の電文は暗号で送受信するので、算用数字だけで電文が作られる。これを略数字電文と言う。算用数字だけなら覚えも早い。たった10字だけだから。毎日略数字電文の送受信の訓練が続く。
電文の作成や解読は暗号兵の仕事だから、お前たち通信兵は、送受信を速く正確に出来ればよい。と。では暗号兵は何処の隊で訓練されているのだろうか?
とうとう聞くことが出来なかった。又暗号の解読方法はチョッとだけ話は聞いていた。
電信用紙には2行ずつ受信して1行あける。各行10コマになっており、各コマに4桁の数字が入る。この2行の数字は、上が電文、下が乱数で、コマ毎に加算、又は減算して其の答えを暗号簿で調べる。計算するとき加算は繰り上げた数字、減算は借した上位の数字は無視する。
電文±乱数の答えの4桁の数字が暗号で、固有名詞や用語になっている。これを暗号解読の非算術加法、非算術減法というのだそうだ。特定の航空部隊では3桁の数字を使っていた部隊もあったが、其れは其の部隊内だけの通信に使われ、他の部隊との交信には4桁数字の暗号電文が使われていた。
5月の末頃、訓練中に突然中隊長殿が通信講堂に見えた。教官席に着くと「これから中隊長が打つので皆は受信しなさい!」と、数字の電報を打ち始めた。早い!1分間70〜80字ぐらいか、こんなに早い電文は始めて、しかし受けられる。夢中で受信。終わり。やった!ぱっと挙手をして周りを見ると誰も手を挙げていない、たった一人、しまった!と思った。中隊長殿は意外な顔で見渡していたが、「お前の名前は?」と尋ねられた。
姓名を名乗ると中隊長殿は、教室の前に貼られている今までのテストの一覧表を見て、「いつも良い成績なんだ、これからも頑張りなさい!」とお褒めの言葉を頂く、これを契機に、名前も覚えられ、教官殿や班長殿の受けも良くなった。軍隊は運隊とも言われるがまさに其の通りと思った。
しかし中隊長から声を掛けられたり、褒められたりすることは異例なことらしく中隊中に評判になり、廊下で会う他の班の古兵から、お前は中隊長の当番兵になったのか、などと聞かれる。余計なことは言えない!聞けない!話せない!という話題の少ない中隊内では、そうだろう位で話が広まってしまうらしい。中隊長の当番兵になったら、中隊長室の中で清掃、雑用などは勿論であるが、外部からの無線連絡通信を担当しなければならない。未だ基礎訓練も未完成な新兵に出来るわけが無い。
毎日の通信訓練も2ヶ月を過ぎると大分上達してきた。送信する信号も綺麗に早くなる。中隊長からは、通信兵は右手が大切だから、大事に柔らかくして置く様に指示され、重いものは持たせないようにしていた。したがって軍事訓練は99式短銃で軽い銃である。
炊事当番の際も重い食管は必ず2人で持つように指示されていた。たまに共同責任で体罰があるときも、絶対に右手には触れなかった。
余り他の中隊の訓練を見たことが無いが、通信講堂に行くときは8中隊の前を通るので様子がわかる。大きな電線ドラムを4人で担ぎ電話線の架設、撤収の訓練に出かけるのだ、気合を掛けながら駆け足で出かける、有線中隊は大変だな!
又、たまたま錬兵場で2中隊の見習士官60人ぐらいが軍事訓練で隊を組んで行進していた。将校服で軍刀を下げた一集団の行進は威風を感じた。
満州の施設部隊に転属
5月にはいると、毎週土曜日に送受信のテストが行われる、採点の結果が通信講堂の教室の壁に張り出されている。やがて成績のラストから何人かに転属命令が出る。通信兵の素質が無いと判定されたのか、満州の施設部隊に転属させられたのである。
横穴式防空壕の通信講堂
6月にはいると、太平洋上の米軍機動部隊の艦載機による攻撃が激しくなり、通信講堂での訓練が危険になった。皆が集まり訓練中のところにロケット弾でも落とされたら全滅の危険性がある。そこで聯隊から3〜4km離れた山の裾に横穴式の防空壕が掘られて、中に通信練習器材が整備された教室で訓練が始められた。
こんな防空壕、何時、誰が作ったのだろうか、10mぐらい奥に5m×10m位の部屋が3室位、大テーブルに電鍵などの器材がつき長椅子が置いてあった。頭上には裸電球がつけられ、狭苦しい感じであった。
雑嚢にレシーバーと鉛筆入れをいれ、教官に引率されて、この教室に通ったのは数回だった。途中で艦載機の襲撃を受け危険になりこの教室にも行かなくなった。おそらくこれで横穴教室は廃墟になったものと思われる。
この防空壕が何処にあったかは、地理不案内な新兵には解からない、唯、部落の中の大きな橋を渡り行った事だけが記憶に残っている。
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