◆富士重工製バス概要

●富士重工業とバス
 富士重工業株式会社は、戦前、日本の戦闘機メーカーであった中島飛行機(戦後、富士産業に改名)が1950年に財閥解体令によって12社に分裂、そのうちの5社が1953年に出資して設立された企業(出資した5社は1955年に富士重工業に吸収)です。自動車を中心に鉄道車両や航空・宇宙・防衛関連など各種輸送機器の製造を行なっていることで知られ、特に乗用車の「スバル」は有名です。その同社の事業の一つに、「バス車体の製作」がありました。

 バスの車体製造は、軍需から民需への転換の中で生まれたもので、戦後間もない1946年に第一号車を送り出しました(※)。
当時の富士のバスの特徴は、航空機の製造技術を利用したモノコックボディー方式で、特に1949年には日本初のフレームレスモノコックボディーのバスを作りあげました(エンジンは民生産業)。
以降、国内各メーカーのシャーシに各種車体を架装し、1980年には年間2393台を製造するなど、国内最大のコーチビルダーとして全国にバスを納入していました。

 しかし1990年代に入ると、バス業界を取り巻く状況が悪化します。製造台数は減少の一途を辿り、一方でシャーシメーカーとコーチビルダーの結びつきが密接になったことで、独立系の富士の立場は苦しくなります。
 その中で、日野と三菱への架装が1998年に終了、そして2001年には、富士架装車の大半のシャーシを生産している日産ディーゼルがコーチビルダーを西日本車体に一本化することを発表しました。いすゞへの架装も行っていますが、こちらも1996年にIBUSが発足以降、架装台数は減少の一途を辿っていたため、バス車体製造事業の継続は困難と判断。2003年3月、81292台を世に送り出したバス車体製造事業は終了しました。

  ※当時製作したのは、「小泉ボデー製作所」で、中島の有志社員が立ち上げたもの。
   翌1947年7月に業務を富士産業伊勢崎製作所に移管して解散。


●富士重工が製造したバス
 ・黎明期〜R11型の時代 (一部省略)
 1946年 小泉ボデーで初号車完成
 1947年 トラックシャーシへのバスボディー架装(キャブオーバーバス)開始・・T4型
 1948年 ボンネットバスの製造開始・・・のちにC5型、キャブオーバーにもT5型登場
 1949年 フレームレス・リアエンジンのモノコックバス(ふじ号)が完成・・・R5型
 1952年 7型製造開始、ボンネットはC7型、フレームレスリアエンジンがR7型。
 1954年 キャブオーバー車も7型(T7型)に移行。
      R7型の前面変形バージョンとしてR9型登場
 1956年 R9型の量産バージョンとしてR11型が登場。
 1959年 C7型、T7型が、それぞれC9型とT7型に移行。
      R11型のセミデッカー車が登場。

 ・13型の時代
 1962年 フレームレスリアエンジン車のR13型登場(通常はRを省略し13型若しくは3型と呼ばれる)
      基本型のほかに、前面形状の違いで以下の仕様が存在する
        13型A (3A、ひさしがないもの)
        13型B (3B、フロントガラスを方向幕部まで拡大したもの)
        13型D (3D、フロントガラスを下方に拡大したもの)
 1964年 名神高速バス試作車製作
 1969年 車体組みたて方式が変わり、いわゆる「後期型」に移行する。
 1972年 前面を垂直構造にした路線専用モデルの 13型E (3E)が登場。
 1973年 貸切用セミデッカーで前ドア直後で車高アップする 13型S (Sデッカー)が登場。
 1975年 貸切用セミデッカーで前ドア後1枚目のメトロ窓の直後で車高アップする 13型G (Gデッカー)が登場。
      中型用(狭幅用)の(R)14型および14型B (4B)が登場。
 1976年 貸切用セミデッカーで13型Gの車高アップ部の屋上窓(デッカー窓)を大型化した 13型P (パノラマデッカー)が登場。
      側面の窓ガラスが屋根まで回り込む、いわゆる「カーブガラス」車が登場。
 1977年 貸切用ハイデッカーで、フロント上方に展望窓を重ねた 13型R1 (R1フルデッカー)が登場。
      14型に路線用の14型E (4E)が登場。
 1978年 13型Bをハイデッカー化した 13型R2 (R2フルデッカー) が登場

 ・15型・16型の時代      ▼R15・16型架装例へ
 1980年 (R)15型シリーズ登場。この年に登場したのはいずれも貸切用ハイデッカー
       15型R1
       15型R2(R2 フロントウィンドーが左右分割の2枚)
       15型R3(R3 フロントウィンドーが1枚)
      の3種類が登場した。
 1981年 15型R3をベースに車高が20cm高いモデル(スーパーハイデッカー)が登場。シャーシは3軸の日デK-DA50T
 1982年 路線専用モデルの 15型E (5E)、および標準床貸切用の 15型B (5B) が登場。
      15型E、15型Bの中型用(狭幅用)として (R)16型E (6E)、16型B (6B)が登場。
 1983年 2階建てバス(日デGA66T)が登場。15型R3ベースながら骨格構造を採用
      つくば科学万博向けに連節バス(ボルボB10M)を製作。車体は5B。
      15型・16型、リベットレスボディーへ移行。
 1984年 15型R3に樹脂パネルを用いて立方体調にしたタイプ(R3P)を追加。
 1985年 貸切用の15型HD-I(HD-I ハイデッカー)と15型HD-II(HD-IIスーパーハイデッカー)が登場
 1987年 スウェーデンのボルボ社のシャーシ(B10M)に架装した貸切車「アステローペ」を発売。
      車体は15型HD-III(HD-III)と呼ばれ、後部が2階建て構造になっている点が特徴
 1988年 15型HD-Iの中型用の16型HIが登場
 1990年 いすゞ貸切用のUFC(アンダーフロアコクピット)車登場。車体呼称は15型HU。

 ・17型・18型と21型の時代      ▼R17・18型、R21型架装例へ
 1988年 (R)17型シリーズ登場。この年に登場したのは路線用の17型E(7E)と、標準床貸切用17型B(7B)。
 1989年 貸切用ハイデッカーの17型M(7Mまたは7HD)「マキシオン」発表。発売は翌年から
 1990年 17型E、17型Bの中型車用 (R)18型E(8E)、18型B(8B)が登場。
 1991年 アステローペをフルモデルチェンジ。車体は17型S3(7S)。
 1992年 貸切用スーパーハイデッカーの17型S2(7S)登場。車体はアステローペと同調。
 1994年 日デの小型貸切車U-EN210DAN用に、17型Mの中型車版18型Mが登場
 1997年 一般路線用ノンステップバス登場(日デUA460KAM)。車体は7E
 1998年 一般路線用連節バスを製造(ボルボKC-B10M)。車体は7E
 2000年 貸切用としてハイデッカーの21型M(1M)とスーパーハイデッカーの21型S(1S)が登場
      17型E、17型Bを、車体軽量化等を中心にマイナーチェンジ(新7E新7B)
 2003年 バス車体製造事業終了

    ※以上は
     「BUSRAMA SPECIAL8 富士重工業のバス事業」ぽると出版 2003.9
     「富士重工業のバス達」ぽると出版 2003.9 を、もとに書きました。


●富士重工製路線バスについての考察 〜1975年以降の路線車両を中心に
1.シャーシとの関係
 国内ディーゼルメーカーとボルボ社のシャーシに車体が架装されましたが、その数には大きな開きが有ります。
 やはり架装指定メーカー化されていた日デが多く、続いていすゞ、そして少数派の日野・三菱です(昭和40年代まで製造されていた日産、トヨタについては省略)。特に5E以降は顕著で、三菱+富士は限られた事業者でのみ採用されています。しかも、採用事業者は千葉県や広島県など地域的に偏っている感があります。
 また、日野+富士でも大型車はそこそこの数が全国に散らばっていますが、中型となると極一部が導入したのみです(詳しくは「5E・6E型式別解説」のK-RJ_AA系P-RJ_BA系を参照して下さい)。
 さらに、メジャーな日デといすゞでも傾向があり、日デは全国に存在するのに対し、いすゞは東日本に集中する傾向にあります。

※なお、各メーカーのシャーシ系列と富士重工製車体の関係を知りたい方はシャーシ型式の変遷と富士重工製車体の相関図を参照願います。

2.(自社発注での)導入事業者の分布
 東海〜東北にかけて多く存在し、逆に関西〜九州にかけては少ないか導入しても少数というのが大まかな傾向です。
特に南関東の多くの事業者で大量の導入が見られる一方、関西では限られた事業者でしか導入されませんでした。

これは、巷間言われるような「(日デへの架装は)富士重工は東日本で、西工は西日本」という単純な(それも誤った)図式ではありません。
以下整理してみます。

・日デは4メーカー中のシェアが最下位で、そもそも全国的に導入した事業者の数が少ない。
 特に京阪神都市圏は顕著で、比較的規模のある事業者で1975〜2000年に継続的にまとまった数を導入した事例は
 大阪市と京都市の2公営、京都バス、京阪宇治交通、平成6年規制以降の阪急程度しかない。
 このうち、京都市と阪急が西工主体で導入し、大阪はその時々による。

・一方、中国地方以西の事業者で日デを導入したところは、多かれ少なかれ、富士と西工の双方が存在したところが殆どである。
 西工は、1988年発売のP-RB80系まで中型車への架装を行っていなかったことも影響していると思われる。

・いすゞは東海・関東・東北でシェアが高め。
 ここでは、川重→IK系と富士の勢力が拮抗している。双方を導入した事業者も多いが、富士だけという事業者も南関東には多かった。
 一方、京都より西では、川重→IK系と西工の勢力が拮抗するが、富士の導入事例は極端に少なくなる。


従って、東海以東で多いことの実態は、いすゞの導入事業者の多さゆえ、ということにであり、
京阪神でとりわけ少なかったり、西日本に空白県が存在するのは、日デの導入事業者の少なさゆえ、ということになりましょう。


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