その昔、下総の国に一匹のむじなが住んでいました。 このむじなは、日頃、生き物を殺して生きていかなくてはならない自らの身の上を恥じ、後生を頼むために善光寺にお参りをして灯籠を寄進したいと願っていました。
ある時、むじなは人の姿に化け、善光寺参りの講中にまじって善光寺へとやってきました。 ようやく境内にたどり着き、白蓮坊に宿を定めたところまではよかったのですが、無事到着した安堵からか、お風呂でむじなの姿のまま湯を浴びていたところをみつかって、あわててどこかへ逃げ去りました。
姿を消したむじなを不憫に思った住職は、その心を知り、かわりに一基の灯籠をたててあげました。 それが今も経蔵北に今も残る「むじな灯籠」だといわれています。
白蓮坊の「むじな地蔵」は、この「むじな灯籠」の伝説にこめられた、善光寺如来の無縁の慈悲の世界を、東京芸術大学大学院教授の籔内佐斗司 (やぶうちさとし) 先生が、天真爛漫な童子形のお地蔵さまと健気なむじなの姿で表してくださったものです。 白蓮坊内には木造彩色の像、参道脇にはブロンズ像をお祀りしてあります。 ブロンズ像の台に刻まれましたのは、相馬御風 (そうまぎょふう) 先生の作になる「むじな灯籠」のうたです。
金の蓮台にちょこんと座るむじなの姿を見ておりますと、大きなおなかをたずさえた愛嬌のある姿とは対照的な、切ないほどの一途な眼差しに驚かされます。 そこに私たちは、この小さな生き物の心に生じた「罪悪深重」の自覚を見、「道心」そのものを見ることができます。 そして、実は私たち人間こそが、この地球上で最も多くのもののいのちを奪い、そればかりかお互いに殺戮さえ繰り返す、この上なく罪深く愚かな存在であることに気づかされるのです。