長野福音教会 ON SITE 祈りの友

日本同盟キリスト教団

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「イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。」 (ルカの福音書8:22)

  • 長野福音教会では、年に数回、教会員向けに「祈りの友」を製作配布しています
  • 下記に、その抜粋を掲載します
  • タイトルをクリックしていただくと、文章などが表れます

2012年1月号

■巻頭言 向こう岸に渡ろう  高橋宣弘

 今年、長野福音教会に与えられた主題聖句は、ルカの福音書8章22節です。
     イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。
 イエス様は、私たちにも「向こう岸に渡ろう」と、新たな信仰のチャレンジ(挑戦)を与えてくださいます。私たち一人ひとりに、家族に、教会に、主が示してくださる「向こう岸」を目指して、新たな一歩を踏み出して行きましょう。
 まだ見たことも経験したこともない「向こう岸」。そこへと踏み出そうとする時、私たちの心には、「自分にできるだろうか・・・」という不安や恐れが生じます。そして、ガリラヤ湖へ舟出した弟子たちのように、私たちの歩みにも激しい暴風 ― 思いがけない災い・試練・苦しみ ― が、襲いかかって来るかもしれません。
 しかし、その舟の中にイエス様が共にいてくださるのです。「黙れ、静まれ」(マルコ4:39)と一言で嵐を静めてくださる全能のお方が、私たちを助け、導いてくださっています。私たちは、このお方を信じ続けて行きましょう。
 弟子たちの中には、ガリラヤ湖で漁をしていた者たちもいました。「大丈夫、慣れたものだよ」という油断が、弟子たちの心にあったかもしれません。けれども、高波にのまれ、大量の水が舟に入り込んでくると、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」と弟子たちは、右往左往してしまいます。全き平安のうちに、舟上で眠っておられたイエス様とは、正反対でした。
 暴風を静められたイエス様は、「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と弟子たちを叱ってくださいます。私たちも、自らの罪と不信仰をイエス様に叱っていただき、歩みを正されて ー そうしていただけることを感謝し、喜びながら ー 向こう岸を目指して進んで行きたいと思います。
 主の大いなる御業を体験した弟子たちは、「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう」と驚き恐れて、互いに語り合いました。私たちもこの世の現実を見て恐れるのではなく、それら全てを支配しておられるお方を恐れ、信頼しましょう。御心のままに、私たちのために最善をなしてくださる主の御業に感動し、主をほめたたえる2012年とさせていただきましょう。

■信州クリスチャン修養会の恵み J.S.

 今年で27回を数える信州クリスチャン修養会のテーマは、『「うめき」から生まれる「望み」』というものでした。高橋秀典先生を通して語られたメッセージは、長い標題がつけられていて何だか少し難しそうな印象だったのですが、いざ聞き終わってみると、とても励まされる内容だったと感じました。
 「神様は私たちの祈りを聞いて下さいます」といつも学んでいても、私たちが痛みや苦しみを感じて神様にすがるように祈った際に、神様が沈黙して何も答えて下さらないと感じ、救いようのない無力感にさらに落ち込んでしまったり、「なぜ?」「どうして?」と叫んでしまったりするようなことがあります。今年3月に発生した東日本大震災のような大きな災害に対しても、同じような思いを抱いてしまうこともあります。しかし、それはわがままで弱い人間の勝手な思い込みであって、実はそのとき神様は私たちと共にじっと苦しんでいて下さり、後で振り返ってみた時にようやくそのことがわかり、苦しみが望みに変えられるというようなお話を聞き、心のなかに光がともされたような明るい気持になりました。取り上げられた聖書箇所から、ダビデやパウロも同じであったことを学ぶことができて感謝です。神様がいつも、私たちを見ていて下さり、祈りを聞いていて下さり、守っていて下さるということを改めて確信することができました。
 神様はクリスチャンである私たちに試練を与えられますが、それでもなお神様を信じ、うめきながら救いを求めて祈ることによって、その先の大きな望みや勝利をそなえていて下さるお方です。今年のテーマに込められた意味の深さが理解できたように思われ、豊かな恵みのひと時となりました。
 賛美をして下さった米田ひろし先生も、ご自身の体験をあかししながら歌って下さいました。そのやさしい歌声も今回の修養会の恵みの一つでした。

■秋の講演会 「道ありき」を聞いて S.K.

 「道ありき」とは道があったという事。まじめに軍国主義を愛し大切にしていた子供達に行っていた事が全てまちがっていたのだと知った時、生きることも嫌になり、二人の男性と婚約をし、最初に結納を持ってきた人と結婚すればいいと考えていた。しかし、結納の日にめまいで倒れ肺病となる。病状が安定した時、結納金を返しに行くが彼は「結婚するために十万ためた。結婚できないならその10万も結納金もいらないから持って帰ってくれ。」と言う。その夜は彼の家に泊まり、夜の10時にこっそり抜け出し、海に入り死のうとしたが、気づいた彼に戻される。「海が見たかった。」と言ううそに「海ならここからでも見える。」と綾子を背負い、海からあがり砂の丘の上で一緒に腰をおろし、そばについていてくれた。背負われていた時に綾子は自分から死神が出て行ったと感じた。
 「私はあなたが一番つらい時、死にたいと思った時、一緒に海に入りあなたを背負って歩いた者だよ。」イエス様の声がわかった。           
 彼、西中一郎は、クリスチャンではなかった。
 旭川で待っていた前川正は、綾子が自殺未遂をしたと聞き、「まじめに生きてください。」と頼むが、「まじめに生きることはどういう事、まじめに教えて傷ついただけだ。」と言われる。前川正は石を持ち自分の足を打ちはじめ、「信仰の薄い自分には綾子さんを助けられないから自分を罰するのだ。」と言う。綾子はこの人は私を女としてではない、人として愛してくれる。この人の愛の中にはキリストがあるのではないか。もう何かを信じて傷つくのはイヤだ。でもこの前川正は信じてみようと思い、前川からもらった聖書を読みだす。綾子が一番気に入ったのは伝道者の書だった。何もかもむなしい。しかし、最後に書かれている御言葉は、だから「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」なのだ。
 綾子は教会にも通うがまじめな信徒ではなかった。綾子が病床洗礼を受けた12月と翌年1月に、前川正は札幌で肋骨を4本ずつ計8本取る手術を受ける。術後は順調そうだったのに亡くなってしまう。前川正が亡くなった時、綾子はギプスベッドの中だった。頭も固定され、涙は耳の中に入っていったという。誰にも会いたくなくなった。心も体もボロボロだった。悪魔はあざける「親は療養代で借金まみれ、恋人も死んだ。師である西村牧師も死んだ。早く死ね。」と。この頃の綾子を見舞った五十嵐老人(初代白羊舎社長)は「この人はもう長くないだろう。」と思ったという。
 しかし、この年のクリスマス、綾子は一番満たされたクリスマスだったという。いつも前川が座っていたイス、誰もいないが、イエス様がそのイスに座っておられた。健康も経済も乏しい。しかし、「貧しい人は幸いです。」だった。
 三浦光世は、綾子とは同人誌仲間であった。結核療養者と死刑囚の俳句の同人誌で、綾子は名前から光世さんの親はクリスチャンだろう。なのに、どうして死刑囚になるようなひどい事をしたのかしらと思っていた。光世は名前から女性と間違われ、綾子を見舞うよう頼まれた。綾子は、光世を見ると「前川さん。」と間違うほど光世は前川さんに似ていた。何度か見舞ううち、光世はある日綾子の死ぬ夢を見た。一時間ほどいやしを祈った時、声が聞こえた。『愛するか。』「どういう意味ですか?結婚するかという意味なら、私にはないから、その愛をください。」
 光世は綾子にプロポーズするが、「綾子は病気だからできない。」と言う。「病気が治ったら結婚しましょう。」「私は前川正を忘れられない。」「あなたは正さんに導かれてクリスチャンになったのだから忘れてはいけない。私達は前川さんに喜んでもらえるような二人になりましょう。」
結婚とはすでに働かれている神様のみわざがなるように助ける事、認める事、働く事。

■クリスマスの豊かな恵み  M.K.

 昨年のクリスマスに、神様は私の想像をはるかに超える祝福を与えてくださいました。2011年の教会の主題聖句は、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒18章9-10節)でした。このみことば通り、この町にいる「神様の民」をたくさん教会に送ってくださいました。
 ゴスペルライブコンサートやクリスマスの諸集会に参加された地域の方々の中には、教会の礼拝につながっている方々もおられます。本当にうれしいです。お話しをお聞きする中で、ずっと神様を求めておられた方、教会を探しておられた方、ポストに入った教会のチラシを見て教会の扉を叩いてくださった方がおられたことを知り、神様に感謝しました。
 2011年のクリスマス、何よりも思い出に残ったことは、12月11日に行われたゴスペルライブコンサートです。歌ったメンバーも含めて160人を超える方々が教会に足を運んでくださいました。会堂の椅子は満席で、立ち見の方もいました。その内90~100人がノンクリスチャンであったというのは、本当に驚きでした。私は、ゴスペルクワイアとして半年間、皆さんと楽しく練習をして来ましたが、いざコンサート開始が近づくと、緊張で体中から変な汗が出て来ました・・・。でも、歌っていくにつれ、喜びをもって賛美をささげることができました。
他にも、私が参加したクリスマス諸集会としては、
・12月4日 NaECクリスマスパーティ&コンサート  「ホテルにて、素敵な賛美と豪華な食事を楽しみました!」
・12月7日 豊野りんごの里クリスマス会   「K.H.姉が入居されているホームを訪問し、おじいちゃん・おばあちゃんたちと温かな交わりをもてました」
・12月11日 S.S.さんの洗礼式  「本当にうれしかったです!!」
・12月11日 ゴスペルライブコンサート  「鍛えられたソプラノの美声(!?)で賛美できました♪」
・12月14日 クリスマスコンサート  「奈良献児先生の力強い賛美と、婦人の皆さんの美味しいたくさんの手料理を頂きました☆」
・12月17日 こどもクリスマス会
・12月24日 イブ礼拝   「雪が舞う中、キャンドルの灯りに照らされて、主イエス様を礼拝しました。優雅なケーキバイキングもありました!!」
・12月25日 クリスマス礼拝
 思いだすだけでも恵みいっぱいのクリスマスでした。クリスマス中、体力のない私は、忙しさに耐えられず休んでばかりでした。でも、心もお腹も一杯になりました。教会の皆さんのたくさんのご奉仕、神様の御業、イエス様の御救い、本当に感謝です。クリスマスの恵みに感謝しながら、新しい年も歩みたいと思います。

■子どもクリスマス会を終えて  R.T.

 12月17日(土)にウイングスとサタデークラブの共同企画で子どもクリスマス会が催されました。当日は雪が降り、とても寒い日でしたが、ポツリポツリと子どもたちがやって来ました。37名もの子どもたちが集まってくれて、とても賑やかになりました。
 今年は第一部に礼拝堂でクリスマス礼拝を行いました。リズ先生に英語でクリスマスのショートメッセージをして頂きました。パワーポイントで絵を出してもらったり、T姉に通訳をしてもらいながらのメッセージだったのでとてもわかりやすく、子どもたちもよく聞いていたと思います。みんなでおなじみの「HAPPY BIRTHDAY」や「きよしこの夜」を歌ったりもしました。
 それから第2部に移り、1階でアドベントカレンダー作りをしました。もみの木の台紙に星やハートなどを抜いたものやキラキラのシール、リボンなどを自由に貼りつけて、仕上げは御言葉の上に美味しいお菓子を貼りつけます。一応、一日一つ御言葉を読んでからお菓子を食べてね!と声をかけましたが、どうなったことやら・・・(笑)
 楽しい工作の後は、みんなが楽しみにしていたおもちゃが当たるくじ引き大会がありました。今年もKパパサンタとチャールズサンタが教会にやってきてくれて大盛り上がりでした。ウイングスのお友だちにも地域の子どもたちにも等しくプレゼントが当たりました。神様はさすがです!粋ですね♪
 帰りに一人ずつにお土産のプレゼントを渡して、元気に帰っていく姿を見守りました。教会での楽しい思い出をいつか思い出し、教会へもう一度足を運ぶきっかけになればと思いました。子どもたちのクリスマス会が祝福されて良かったです。感謝でした。

■エッセイ クリスマスの祝食  正村八重子

 今年のクリスマスも、イブ礼拝後のケーキとクリスマス礼拝後の赤飯で祝うことができた。食べることの大好きな私は、大満足している。それにしても今年のケーキも素晴らしかった。見目美しく、食べて美味しく、香り良く、まさに芸術品に思えた。しかもあんなに大量に。みんなが満腹した。このケーキの魅力につられてイブ礼拝に来た人がいたとかいなかったとか。心を込めて三日間かけて作ってくださったY姉に感謝します。
 その昔教会がまだ貧しかった頃、クリスマスのお祝いに何を作るかというとき、当時のケーキは防腐剤の入ったバタークリームの飾りケーキだった。それでも買えそうもないと話し合っていたとき、信仰厚いH姉が言った。ここは日本だから和風ケーキの赤飯で祝いましょう。日本ではめでたいときは、いつも赤飯を炊いて祝うものだからと。この名案に一同大喜び。早速彼女はクリスマスの赤飯を作って、風呂敷に包んで、背負ってバスに乗って持って来てくださった。その美味しかったこと忘れられない。
 その後だんだん量が増して最高に多くなり、一斗四升(斗という単位お分かりでしょうか 一斗=約20kg)になった。寒い朝4時頃から大きなかまどで蒸して、教会に朝9時に届けていただいた。 
 50年という長い間、親の代から子の代まで和風クリスマスケーキを届けてくださったY家に感謝しています。ここ数年はお米だけ頂戴して、教会で炊くようにしています。お米はクリスマスに使い切れなかったので、また墓前礼拝のお弁当にできたらと考えています。
 ケーキと赤飯で祝うクリスマスは、広い日本でもこの教会だけかもしれない。神様に感謝。Y姉に感謝。天国のH姉に感謝。
 創世記から黙示録まで、赦しのあるところでは食事を共にしている。「彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(黙示録3:20)」

役員会各部の働き その2 会計部  K.S.

 会計部の働きを一言で言えば、献金の出納を管理することと、予算・決算をまとめることとなります。
 毎週の礼拝献金の確認作業は、表面的には地味な単純作業の繰り返しですが、教会員の一人ひとりから神様に献げられた尊い献金ですので、ミスの許されない緊張する作業でもあります。集計や記録については、二人の会計執事さんが行ってくださる体制が整っており、いつも正確に処理してくださっているので心配はありません。かつてK長老が作成してくださったパソコンソフトが、姿なき会計執事として働いてくれています。
 毎年の総会前に予算を組む作業は、少し重荷を感じながらの取り組みとなります。教会の収入というのは、根拠となる数字を積み上げて算出されるものではありません。前年度の予算や決算から推測しながら組んでいくのが現実的な方法ですが、近年は縮小傾向にありますので、教会自体が試されていると感じる重い瞬間でもあります。少子高齢化や不景気が影を落としているのは間違いありませんが、数字と信仰が天秤に乗っているような思いです。支出は、特別なことがない限り、毎年そう大きく変わることはありませんから、収支のバランスがとれるように祈っています。
 それでも毎年結果的に会計が守られているのは、神様の御業としか思えない奇跡的な現実です。担当者としてはホッとするところですが、私たちはそうした結果に安堵して良いというわけではありません。詰まるところ、教会の会計は、教会の成長にかかっているように思います。一人ひとりの祈りが深められ、神様を信じる群が一人でも増やされることが、教会の会計を支えていくもっとも重要な礎なのだと思います。教会の会計は、単に教会を維持するための費用ではないはずです。“神様の御用”とは、目先の必要額のことではなく、教会のビジョンそのものだということができるのだろうと思います。この先どんな歩みをしていくのか。私たちは常に試練の中に置かれていると感じます。最終的には、やはり祈りが大切なのだと思います。

2011年10月号

■巻頭言 祈られ、育てられ  高橋宣弘

 子どもの頃、私の家は小さな開拓教会でした。和室二つを開いて作った礼拝堂の前方には、必ず白髪のおじさんの姿がありました。その方は毎週日曜日、静岡市から電車に乗って、開拓教会を応援するために藤枝の教会に来てくださいました。物静かな方で、礼拝後はいつも断食をされ、午後2時からの伝道会開始までずっと祈っておられました。後々、母から聞かされて知ったのですが、その方は私の信仰決心と献身のためにずっと祈り続けてくださっていました。「この子が将来、牧師として召されるように」と、祈っておられました。その後、私は主の道から逸れそうになったり紆余曲折ありましたが、それでも祈られた通り、今牧師として立たせていただいています。
 みなさんの人生にも、そのような方との出会いがあるのではないでしょうか。背後でずっと祈ってくれていた友の存在。何があっても支え、育ててくれた方がおられたはずです。信仰の決心へと導かれるために、また信仰者として成長していくために、大きな影響を与えてくれた方との出会いがありませんでしたか。神様が、私たち一人ひとりのために、そのような人を備えてくださるのだと思います。
 最後の晩餐の席上、イエス様はペテロに「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)と語りかけてくださいます。この後、イエス様が捕らえられ裁判にかけられることになると、ペテロは恐くなり、「そんな人は知らない」とイエス様を見捨てて逃げ出してしまいます。そんなペテロのために、イエス様は祈り続けてくださったのです。
 私たち一人ひとりのためにも、イエス様は今も、とりなしの祈りをささげてくださっています(ヘブル7:25)。そして私たち自身も、家族や友のために、特に若者たちのために祈り続けていきたいと思います。未来を担う青年・大学生・中高生・小学生・幼子たちのために、一人ひとりの名前を挙げて、彼らの信仰と成長とその歩みのために、祈り続けていきましょう。

■福祉の集いに参加して  S.K.

 教会でデイサービスができたら、、、グループホームができた、、、お茶飲みのサロンができたら、、、と希望を持っていましたが、自分なりに介護保険について学び、むずかしいものだと思っていました。一人暮らしの高齢者の家への訪問や交通がなくて教会にへ通うのが困難な方の送迎など介護保険に関係なくできることもいっぱいあります。教会内だけでなく、教会の近隣の方のための働きをしたいです。
 井上先生のお話を聞いて、バイステックの7原則が聖書に基づいている事をはじめて知りました。 
  1.個別化(ユニークな個人として捉える詩編139:13-16)
  2.意図的な感情表出(感情表現を大切にするヨハネ11:35、ローマ12:15) 
  3.統制された情緒的関与(自分の感情をコントロールする(ガラ5:23、テト1:8)
  4.受容(ありのままを受け止めるイザヤ43:4、ルカ15:20)
  5.非審判的態度一方的に非難しない 
  6.自己決定
  7.秘密保持
 やりたいことはいっぱいあるけれど、まずは目の前の人に対して、この7原則に基づいてよりそいたいです。そしてこの目の前の人が一人でも多くなればと思います。
 サタデークラブやヤングライフのように、月に一度でも定期的に訪問したり、いっしょにお茶を飲んで話を聞く時間を持つことができれば、、、それを発展させることができれば、と思います。在宅介護の大変さは身をもってわかっているつもりです。要介護者のための働きもしたいけど介護者の話し(グチ)を黙って聞く時間も持てたら、、、今回の集会で、初めて教会に来られた方も来やすいのではと思いました。

■2011サマーキャンプの証し、感想

(会場:国立妙高少年自然の家 講師:三川献児師  長野福音教会、中野キリスト教会合同)

かわあそび、キャンプファイヤーがたのしかった←小学1年 S.H.

イエスさまをしんじなきゃいけないなと思いました←小学1年 M.K.

いろいろなゲームであそべてよかったです←小学2年 T.K.

ゲームとかキャンプファイヤーをやったのがたのしかった←小学3年 H.K.

キャンプでイエスさまがとってもだいじな天国へいくみちだと、イエスさまのきらいなものがよくわかりました。←小学3年 A.I.

川へ行って遊んだことが楽しかった←小学3年 Y.H.

よくわからないところもあったけど楽しかった←小学4年 S.F.

みんなで楽しくできたり、仲よくできてよかったです。イエス様のことはあまりわかっていないけどこれからもがんばってイエス様のことをもっと知り、これからも教会にかよいたいです←小学5年 T.I.

キャンプファイヤーのとき、雨がふりそうでドキドキしました。でも雨がふらずに無事にできてよかったです。集会では三川先生の話がとてもわかりやすくておもしろかったです!時々話がそれていくのもおもしろかったです。集会1の「いのちのパン」のお話がわかりやすかった。昔の人がパン五分の一しか食べれてなかったというところがすごく心に残りました。また、来年もキャンプがあったら来たいです←小学5年 M.H.

今年で4回目のキャンプでした。前よりももっと色々なことがわかったし、ずっと神様を信じていこうと改めて思いました。これからもできるだけ礼拝に出て、もっともっと神様のことを知っていきたいと思いました。またこういう機会があったら出たいです。とにかく、この3日間すごく楽しかったです。友達ともさらに仲良くなりました←小学6年 M.Y.

三川先生にイエス様のことを教えてもらいましたが、あまり知らないところもありました。ぼくは聖書を持っていないのですが、聖書を買って毎日聖書を読みたいと思います。キャンプフィヤーでは、みんなでおどったり楽しくゲームができました。マシュマロおいしかったです。とてもいい思い出ができました←小学6年 S.S.

このキャンプで学んだことはたくさんありました。三川先生のお話でとくに心に残ったのは、ヨハネの福音書14章6節です。私たちがほんとはこの苦しくて痛い十字架にかからなくてはいけないのに、神様が私たちのみがわりに十字架にかかってくださった。本当に感謝してるし、そのために神様を礼拝し、お祈りし、神さまにたよっていきたい。中学生になってたいへんなこともあるからそれものりこえてイエス様についていきたい←小学6年 M.E.

たくさんの友達と仲良くなって、一緒にアスレチックや川で遊んで楽しかったです。同じ部屋の男子たちと元気に過ごすことができてよかったです。また、キャンプに来たいです←K.I.

三川先生のお話は本当にどの回も楽しくて、笑いながら聞くことができました。罪のこと、イエス様の救いのこと、そしてどんな時も私達を愛してくださるイエス様の愛のことがわかり、たくさんの恵みをいただくことができ感謝です。かげで支えてくださった方、祈ってくださった方、ありがとうございました←S.K.

三川先生が講師として来て下さるということで、すごく楽しみにしていました。お話はどれもとてもわかりやすく、楽しく聞くことができ感謝でした。私を何度でも赦して愛して下さるイエス様の深くて広~い愛を改めて感じました。子どもたちがかわいくて、もっともっと一緒にいたいと思える本当に楽しいキャンプでした。キャンプに参加して下さった全ての方、祈って下さっていた方、ありがとうございました←R.T.

楽しくあっという間の3日間でした、三川先生の罪についてのお話が心に残りました←E.T.

帰省した時に会う子どもたち、1年ぶりに会う子どもたち、初めて会う子どもたち、みんなと楽しく3日間過ごすことができて嬉しかったです。教会でキャンプを行うことの恵みを改めて感じました。神様に感謝です←Y.K.

神様が造られた自然の中で、楽しい聖書のお話を聞けたり、遊んだり、おいしい食事を食べれたり・・神さま、あなたが下さったたくさんのプレゼントをありがとうございます。涼しい~のもとっても気持ちよかったな♪←K.T.

久しぶりに三川先生にお会いできお話が聞けて、本当に感謝でした。子どもたちの素直に罪をみとめくいあらためる姿を見て、私自身ももう一度信仰について考えることができました。全てが守られ良かったです←M.K.

C.S.主催となる最後のキャンプに参加させていただいて感謝でした。久しぶりに三川献児先生の賛美とオヤジギャグを聞かせてもらい、楽しいキャンプとなりました。キャンプのもち方スタイルなどについても、神様からの知恵を与えられて、信仰継承の観点からも継続していくことの大切さを感じました←K.E.

蝉の声が聞こえ、涼しい高原ですべてのことが楽しく過ごせました。三川先生の4回のメッセージでは、恥ずかしいと思われるご自分の経験を語られ、その上大切なことをたくさん教えていただきました←K.M.

集会3のメッセージで、子供達の姿を見ながら、改めて素直な気持ちで神様にお従いしたいと思いました。そのためにはまだまだ告白されていない私の罪や弱さを日々祈り悔い改めていけたら本当に幸いであると思いました。今年のキャンプファイヤーも雨が止んで神様はおられる!と再確認←R.K.

隣り合う教会の協力に感謝。主にある家族が、主の為に多くの奉仕を心から献げている姿にはげまされました。続けて参加している子供たちが、霊的にぐんぐんと成長しているのは毎年同じスタッフに愛され、主へと導かれているからだと思い、小さな集まりだからこそ良いキャンプになったと思いました←T.H.

今年は涼しくさわやかな風の中、妙高で良いキャンプを行うことができました。子どもも大人も皆、三川先生のお話に引き込まれ、罪の悔い改めと信仰の再確認に導かれました。アスレチックや川遊びなどで子どもたちと同じようにまだ遊ぶことができるのだ!!と発見できたことがうれしかったです←高橋宣広

初めて会ったお友だちとすぐに仲良くなれて、家族のような雰囲気でキャンプを過ごすことができました。プログラムに余裕があって、のんびりできたのは良かったです。イエスさまのことについても、沢山お話できました←三川献児

■証し  K.F.

 私は、妻が通うこの教会に時々同行して来ておりましたが、神を信ずるまでには至っていませんでした。しかし、教会の人々が、その都度声をかけてくださることを、嬉しく感じていました。
昨年、妻が病気をし、看病する中で、体も心も疲弊した時に、自分ではどうにもできないことに思い至りました。その時、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)の聖書の言葉に出会い、この言葉が、体と心の中に浸み込むように入ってきました。
 今までは、自分自身で、すべて背負って解決しなければと必死におこなって来ましたが、自分の力の非力さを思い知り、イエス・キリストの十字架の死と復活の意味を知り、神を信じるに至りました。
 「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。」(ローマ5:3‐5)
 今後は神の家族の一員として、妻と心を一つにして祈り、神から安心と力を頂いて、楽しく人々の中に入っていきたいと思います。神に感謝して。アーメン。  

■役員会各部の働き その1 総務部  K.M.

 近いところでは、9月の奉仕の日の諸活動と草の持ち帰り。10月の避難訓練。ご協力ありがとうございました。そして、日々の各持ち場でのご奉仕に感謝いたします。
 総務部は、会堂・墓地・駐車場等の管理営繕、聖礼典・礼拝での奉仕、その他の奉仕、教会総会の資料作成・文書管理など、実に広範な働きを担当しています。役員としては、当番表等を作成して円滑に奉仕活動が進められるように配慮することが主で、他に、夏の昼食提供休止期間中の代替食の手配や、愛の基金の見直し、緊急連絡網の整備などを手がけています。当番表を組み、計画を立てはしますが、実際にその働きを担っていてくださるのは、いうまでもなく教会員の皆様です。この奉仕は、「教会」という神様の御体の、自律神経系の働きにも似て、意志による指令を待たずとも休みなく営まれ、教会の命を支えています。心臓が鼓動し、血が行きめぐり、呼吸が繰り返される様に、皆様の奉仕が行き届いている。どれほど多くの皆さんが、教会のために、黙々と人知れずご奉仕くださっていることでしょうか。けっして当たり前でないことが静かに続けられていることを、あらためて驚きと感謝の思いで振り返っています。祈りを捧げ、時間を捧げ、賜物を捧げ、いつも主に心を向けている、そのことが、教会を健康に維持していける基盤になっていると思います。皆様の奉仕が、主に受け入れられ、何よりも、主にお仕えできることの喜びを味わいつつ捧げられるものでありますよう、心からお祈りいたします。この世的な賞賛や見返りが得られなくとも、主が、その信仰の純粋さを喜んでいてくださいますように。あと、もう一回、草取りを中心とする奉仕の日を組む予定です。大掃除・クリスマス諸集会・年をあらためて教会総会と続きますが、励まし合って臨みましょう。

■パピルスのかごの働きについて K.I.

 私が子どもだった昭和30年頃は、大都会以外の町には水道、ガスが普及しておらず、井戸から水を汲み、薪で煮炊きをしていました。子供の仕事は井戸から水を汲んで炊事用の瓶に貯める、米を磨いでご飯を炊く、風呂の水を運んで風呂を沸かす、家で作った野菜を畑に行って収穫する、ニワトリに餌をやる、子守をする。子どもの仕事は山ほどあり、それをしなければ家族の生活が成り立ちませんでした。家庭にとって子どもは大事な労働力でした。
 「パピルスのかご」が支援している3人のお子さんの生活は水を汲み、薪で煮炊きをする生活です。大事な労働力である子どもを学校に通わせると言う理解を得るには大変な努力が必要です。支援金は先ず里子の学用品、学費に当てられ、村の衛生の普及、食糧生産の指導普及、貯蓄の重要性とそのお金を使って儲け、村に必要な物資を買って全体的に豊かになる。そのためにはFH(飢餓機構)のスタッフが村人の理解を得る活動を行っています。私たちの支援金1人4000円/月はそれらの費用に使われます。

・チャールズ・ムジシ・カウジ(16才)  ウガンダ共和国・ミソンバ村
 野生動物の多いケニア、タンザニアに接している国。首都カンパラの北東32km。ミソンバ地区の人口は1300人、18才以下は680人。小学校は1校のみで、中、高校はありません。保健衛生水準が低く、病院、薬局もありません。他にも、早期結婚や、父母の子供の養育放棄などの問題があります。FHのスタッフは、スイー、朝夷、ジョセフの3人と補助スタッフのベンです。彼らの生活は8割を村に住み、村の変革の核となる子供たちとその家族、村の指導者と共に過ごします。継続して行っている家庭訪問やその他の活動の積み重ねを経て村の指導者、家族、教会の方々の意識が変えられて行く姿を見させて頂いています。各家では屋根に降った雨水をタンクに貯めて飲料水として使っています。チャールズは両親と3人の兄弟、2人の姉妹と暮らしており家での役割は、炊事用の木材運び、好きな遊びはサッカーです。

・チャンソレア・カオ(17才)  カンボジア王国・エカピアップ&サンタピアップ村
 首都プノンペンから北320km、タイ国境の高地の村。18才までの子供は450人。小学校へは80%通っていますが、中学校へ通うのはたった11人です。子供たちはテング熱やマラリヤに罹る事も多く、家庭も衛生知識が低く、トイレを自宅に持っているのは全体の15%以下です。
チャンソレアさんは両親と生活して、定期的に学校に通っています。50m離れた井戸から水を汲み使っています。家にトイレがありません。家庭にとって子どもは大事な労働力です。水汲み、食事作り、ニワトリ、家畜の飼育、作物作りが重要で学校へ行くのはそれが終わってからです。
 FHスタッフは家族にFHの支援が受けられることを説明し、通学につなげます。貯蓄する習慣がないため、村のリーダー達に貯蓄グループを作り、貯金を勧めました。資金を使って商売をするようになりました。他団体の支援は、物質的な支援を行っただけで去っていきました。「外からやって来る援助団体は、村の問題を解決するために物質的な援助をしてくれる」という思い込みは、村の人々が主体的に問題解決を図っていくことを阻んでいました。FHはミッション・ムービングマウンテンという団体に「能力開発プログラム」という連続の勉強会を行ってもらいました。当初、今までの援助団体とは異なるFHのアプローチを聞いて、ほとんどの村人から同意を得られませんでした。しかし、FHの考えを熱心に学ぼうとする一部の人々と定期的に関わるうちに、村の指導者達も「村の開発計画」を受け入れるようになりました。チャンソレアは両親と2人の兄弟と暮らしており家での役割は、水運び、好きな遊びは縄跳びです。

・ニィノ・タガス(10才)  フィリピン共和国・バリバラ地区
 首都マニラの郊外にあり、仕事を求めて農村から集まった貧しい人々が住んでいる。世界里親会(CDP)としてFHスタッフ、里子の親、学校、幼稚園、地域教会、地域指導者が地区として自立できるように各種活動をしている。
 1.CDPスタッフ、地域指導者、教会牧師が協力して将来構想を立案
 2.給食プログラム・・CDPは協力教会を通して栄養状態の改善を年上の里子がリーダーになる活動をしています。
 3.CDPは里子家族に野菜栽培などの指導。病気や緊急支出の為、低収入でも毎日少しずつ貯金を奨励。家計の安定をアドバイス。
 4.5才以下の子供を対象に地域教会と協力し、子供たちの栄養状態の改善、保護者には栄養バランスの大切さを理解してもらう。
 ニィノは両親と1人の姉妹と暮らしており家での役割は、掃き掃除、好きな遊びはサッカーです。FHは経済的困難から学校へ行けない子供を里子に認定して学校へ行けるようにします。字が読めなくては福音が理解できないからです。FHスタッフは地域の問題解決の為に多くの活動をしています。私たち支援者は、お金の支援をしていますが、里子から日本が無くしてきた物を教えられます。子供が家庭の仕事を担うのは家族間の人間関係が蜜になります。子供は家族に自分の働きを通して自分が認められ、自分に自信を持つことができます。家の仕事をして来なかった子供が自分に自信を持つことが出来るようになるには、就職して仕事を通して会社から認められる必要があります。
 教会は子供たちにも出来る奉仕を与え、子供たちを褒め、励ます必要があります。また、就職できない若者に対して、教会が自信を与える活動が日本には必要とされているように思います。

2011年7月号

■巻頭言 それぞれの力に応じて  高橋宣弘

 3月11日の東日本大震災発生以来、私たちは激しい悲しみと痛み、不安を経験し、激動の日々を過ごしています。皆さんの中にも、お仕事やボランティアで実際に東北の被災地や栄村へ行かれた方もいらっしゃいます。今回、私はわずか2日間ですが、福島市の布山先生がおられる所を訪問することができました。そこには被災地のつらい現実がありました。
 約二千年前、ユダヤのエルサレム教会も迫害と貧しさ、さらに大飢饉の苦しみに直面していました。500キロほど離れた所にあったシリヤのアンテオケ教会は、仲間の惨状を聞くと、すぐに救援物資や義援金を集め、バルナバとサウロに託して運んでもらいます(使徒の働き11:27―30)。
 その時の飢饉は、世界中に被害をもたらしていました。アンテオケ教会自身も、苦しい状況に置かれていたはずです。それなのに、アンテオケ教会は乏しい中から精一杯ささげました。「そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた」(使徒11:29)のです。
 アンテオケの教会員は、歴史上初めて「キリスト者=クリスチャン」と呼ばれるようになった人たちでした。いつもイエス・キリストを見上げ、イエス様に従おうと歩んでいた信仰者だったと思います。 ― 惜しみなく与えてくださるイエス様の愛。弟子たちの汚れた足を自ら洗われる愛。十字架でご自分の命をお捨てになるまでして私たちを救い出してくださる愛 ― このようなイエス様の愛に心触れられ、イエス様の愛に倣いたいと願っていた教会だったと思います。
 3月11日以降、私は長野福音教会の皆さんの深い愛と行動力を、力強く感じています。被災地の方々のために、皆で心合わせて、多くものをおささげすることができました。祈り、励ましの寄せ書き、義援金、救援物資、教会バザーの売上げ、レディスランチョンを通しての義援金などなどです。それぞれの力に応じてささげられています。大震災からの復興への道のりは、長い長い戦いになりそうです。私たち長野福音教会は、二千年前のアンテオケ教会のように、被災地のことをいつも覚えて祈り、その悲しみに寄り添いながら励まし、それぞれの力に応じて、できる限りのことをし続ける群れとなっていきたいと思います。
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」ローマ12:15

■“NICE RAIN!”~バザーの恵み~  K.Y.

 3月11日の、東日本大震災の影響で、全国的に娯楽や行事が自粛・延期となる中、恒例の『教会バザー』は『チャリティーバザー』と銘打って、売上収益の大半を復興支援に献げることを目的とし、予定通り開催された。
 春にバザーが行われるようになって、今年で3度目。今年はアメリカテキサス州のアンテオケ・コミュニティー・チャーチのメンバーを迎えての『テキサスバーベキュー』と合同開催ということで、一味違ったバザーを演出できるのでは・・・と期待された。
 当日の朝は、今にも雨を落としそうなそうな重たい雲が空を埋め尽くしていた。案の定、礼拝が始まるころには土砂降りの雨。強風のおまけ付き。「こんな雨じゃ、客足が遠のいちゃうなあ・・・」なんとなく・・・こちらのテンションも・・・(*_*;  
 その時、テキサスチームの4人を乗せた車が到着した。一人の方が車から降りるなり、にこやかに言った。「NICE RAIN!!」
 私は正直びっくりした。なんて前向きなんだろう!見習わなくては、、、と反省させられた。
 例年、バザーは外だけのイベントで、室内にもいろいろあることを知らないお客さんがいたようだが、この雨のおかげで、今年はみなさんゆっくり室内で楽しんでいただけたことだろう。
 中は多少の混雑はあったが、皆で歌やタンバリンによる賛美を楽しみ、栄村の様子をうかがうこともできた。いつもとは違う雨ならではのバザーの過ごし方ができたと思う。
 やはり、すべては神の御手の中なのだ。雨だろうと何だろうと、祈って準備してきたことは、ちゃんと祝福に変えられた。“NICE RAIN”の中に神の祝福を感じることのできた今年のバザーだった。

■バザーについて(アダムの会)  K.K.

 今年も、例年のように5月22日にバザーが開催されました。今年の目玉は、アメリカのテキサスから来たクリスチャンも加わって、いっしょに開催したことだと思います。
 アダムの会では、ここ数年、焼きそばと焼き鳥をしてきましたが、人手が少なくなってきていることなどから、焼き鳥はやめて、焼きそばだけにしました。前日の土曜日には、アダムの会会長が材料の買い出しから、下ごしらえを一人でしました。当日は、アダムの会のメンバー数人に、最近教会に来られている方の応援をいただき、なんとか目標の80食を作りました。最後に17個も売れ残りがでて困っていると、青年会の姉妹が短時間に売ってくださり感謝でした。交代要員がいないため、作り終わってから、部屋の中の売り場に入ると、食べるものはもうほとんどなく、片付けはじめていたのでちょっと残念でした。
 印象に残ったことは、午前中のテント張りや、火おこしの時に、ものすごい風と雨で苦労したことです。一時は、外でするのは無理ではないかと思えたほどでしたが、午後になると少し小雨になり、終わる頃には雨があがっていました。今まで何年もバザーをしてきましたが、最悪の天候だったと思います。
 年々、アダムの会のメンバーの参加者が少なくなってきており、今回は、目標の数をつくるのに精いっぱいでした。できれば若い会員が増えて、若い方たちにバトンタッチできればと思います。普段は教会に来ていない方も、バザーには来られるので、お話などができれば良いと思います。もう少し余裕をもって、自分も楽しむことができるバザーにしたいと思いました。

■バザーのめぐみ  M.K.

 今年も無事に教会バザーが開催されました。朝からの大雨に不安な面や心配な面がありましたが、そんな思いも吹き飛ぶほど大勢の方々が教会に足を運んでくださいました。
 そんな中一麦会では毎年恒例となりましたクレープ&飲み物の販売をしました。例年でしたら女性陣がクレープ作りを担当していましたが、今年はピチピチのイケメン2人がクレープ作りを担当してくれました。すると、なんということでしょう!!あれよあれよとクレープが飛ぶように売れ、あっという間に完売となりました!!若さって素晴らしい!!その様子を見て、来年はクレープの量をどんっと増やし、売り上げ倍増を狙っていこう、と密かに企む姉さんたちでした
 とにかく今年も最後まで守られ、本当に感謝なバザーとなりました。

■レディスランチョンの感想  E.

 素敵なコンサートに感動を覚えつつ、感謝の分かち合いのためこの感想文を書きます。今でも覚えていることはフルートの美しい旋律と音です。そのフルートの清らかな音と美しい曲を通して安らぎを感じられた時間を神様から与えられました。それは神様と共にいる自分を発見したことです。今後も日常の生活の中で神を賛美し、神の隣在を覚えられる恵みが与えられるように祈りたいと思います。また、コンサート後に参加した食事会では日本文化の調和と素朴な美しさを味わいました。このような恵まれた時間と経験を与えた神に感謝し、次回またこのようなコンサートがあれば是非足を運びたいなと思っています。

■小布施ラン&自転車ツーリング  S.U.

 ここで若槻大通りに出る、左折し少し走ると左側に高山亭が見えてくる。行きの登りはここまでで後はしばらく下りが続く。まだまだ走り出したばかりで体も温まっていないが、まずまず順調のようだ、伴走のK兄も快調の様子。
 昨年からの念願であった小布施ラン&自転車ツーリングがスタートした。今回は自転車チームが2名、ランニングチームが3名、サポートチームが2名、計7名が参加したイベントになった。このイベントの為にT兄の紹介で初対面のSさんも参加されました。
 2キロ程走ると旧道の北国街道を走るはずの自転車チームが、ランチームが走るコース上で止まっているではないか。事前に地図も作りしっかりと説明もし、あれほど念を押したにもかかわらずあっさりコースをスル―?ランチームが走りながら近づいていくと、「こっちの道で良かったっけ?」自転車チームの参加の高橋先生の声がする。しかし、それ以前に間違っているけど・・・結局は自転車チームもランチームと同じルートを走ることになる。
 順調に追い風を受けながらの走行、帰りの迎え風が大変だねとK兄と話しながら往路の終わりの小布施橋を渡りはじめる。小布施橋は意外と長いねと話しながら、橋の3分の2程にさしかかった時、橋の向こう側に目をやると先に行った自転車チームとサポートチームが、カメラを手にしてランチームを待っていてくれました。「ここは笑顔で行こうね」と、K兄と小布施入り。小布施橋を渡り終えて折り返し地点の小布施役場までは全員で走り到着。ここまで約11キロ程の道のりだ、帰りも同じ距離が待っていることになる。
 ここで今回のメンバーを紹介します。自転車チームは高橋師と佐々木さん。サポートチームは富岡兄と武井兄。ランニングチームは今回初参加の反町さんと木暮兄と俺。しばらく休憩と水分補給してから「さっー帰るかー!」の合図で復路出発。
 やはり帰りはかなりの向かい風、疲れも出てきたせいもあり一緒に走っているK兄とも次第に会話が少なくなる。そして行きに通った豊野から三才方向につづく一本道は案の定走れど走れど前に進んだ気がしない。ようやく行きに見た高山亭が見えてきた、最後の登り坂で高山亭を右に見て走れば今度は教会までは下りだ。若槻大通りから浅川団地方面へ右折し住宅街の中に入り終点ゴールの教会へと最終ランナーの2名がゴールする。先にゴールしたみんながここでも待ち構えて歓迎してくれました。
 そして誰からともなく「次もやりましょうね」との声、さて次は何処へ行きますかね?

■福島聖十字架福音教会訪問記  A.K.

 去る6月25~26日、私は高橋牧師のお供で福島県福島市の聖十字架福音教会に行ってきました。25日の14時ごろ長野を出発し、高速道路を使い新潟経由で5時間ほどかけて福島市に到着しました。移動中は神様に守られ、高橋先生と談笑をしながら特に問題がなくつくことができました。
 福島に到着してから布山先生と合流し、定食屋で一緒に夕ご飯を食べました。久しぶりに会った先生はとても元気なお顔をしておられ、歓迎の言葉を頂いて旅の疲れが吹き飛びました。食事をしている最中にも地震が発生しましたが一緒に食堂にいた方々は、とくにあせる様子もなく、すごいなと思いました。
 食事後、宿泊場所である福島イングリッシュセンターに向かいました。宿泊場所に着いたところで教会の皆様からお預かりした布山先生へのお土産などをお渡ししました。先生はとても喜んでくださいました。その後、先生は自宅へ帰り、私たちはそれぞれの部屋へと行き、休みました。普通のビジネスホテルのような感じでしたが、最初に予定していた車中泊と比べるとはるかにいい施設で、ぐっすり寝ることができました。
 次の日、26日は朝8時ごろに起き宿舎にて朝食を頂き、聖十字架福音教会がある軽費老人ホーム「エデンの園」へ向かいました。向かっている最中に同じ経営グループの幼稚園に少し寄りました。そこの庭には子供たちが外で遊べるように土を掘るための重機がおいてありました。そうまでしないと福島の子供たちは外で遊べないのだなと、改めて自分が大変な場所に来ていることを実感しました。「エデンの園」に到着すると布山先生とトイプードルのハッピーが出迎えてくれました。
 そして10時から礼拝が始まりました。老人ホームの一角を借りての礼拝でしたので、ほとんどの方がおじいちゃんおばあちゃんでしたが、皆さん笑顔で楽しそうに高橋先生の放蕩息子のメッセージを聞いたり聖歌を歌ったりしていました。布山先生はオルガンを弾いていました。「エデンの園」の経営者のSさんはとても熱心な方でした。
 また、礼拝後に長野から託された野菜などの支援物資を「エデンの園」の食堂に渡しました。みなさん長野の野菜をとても喜んでくださいました。
 その後、昼食に出かけたのですが、お勧めのお店が混んでいて別のお店に行きました。布山先生は2時から子供会があるとのことで、結局一緒にご飯は食べられずにお別れとなってしまいました。 
 食後には、実際に津波の被害があった相馬市にいってみようという話になり、行ってみました。そこで見た,光景はいまでも忘れることができません。道路を挟んで左右でまったく違う風景が広がっていました。片方は豊かな緑広がる田園、もう片方は何もない荒野。津波の被害があった場所となかった場所との差を見て、津波の恐ろしさに言葉も出ず立ち尽くしてしまいました。何もできない自分の無力さを強く感じました。ただ祈ることしかできませんでした。
 その後、来た道と同じ道で長野に帰りました。
 今回の訪問で、神様が任務を与えてくださり、少しでも何かできたことに感謝したいです。また、福島および東北の方々のためにお祈りしていきたいと強く思いました。

■その後、聖十字架福音教会の布山先生からお便りをいただきました。

 長野福音教会の皆様
 主の御名を賛美いたします。先日は高橋先生、K兄を福島に送ってくださり本当にありがとうございました。また、尊い義援金をありがとうございました。そして、車いっぱいのお野菜、水そしておいしいお菓子、おやきやパンなどなど、たくさんの愛の物資を感謝いたします。何より皆様からの寄書が嬉しかったです。心配して祈ってくださっている方がいるんだと知るだけで、大きな大きな励ましです。本当にありがとうございました。
 岩手、宮城も長い戦いになりそうですが、福島も長い長い戦いになりそうです。不安もありますが、しかし同時に、すべてのもの、病もいのちもすべてのものをご支配される神様が共にいてくださることへの平安もあります。福島に遣わされているものとして、成すべきことが成せるようにお祈りください。
 たくさんの愛に感謝して

■6月26日、アダムの会有志が、開拓伝道中の塩尻教会を訪問し奉仕をしてきましたが、廣田先生からお手紙をいただきました。

 長野福音教会そして壮年会の皆さまへ
 主のみ名を崇めます。
 このたびは、塩尻聖書教会訪問を計画くださり、花壇作りのご奉仕をしてくださり、ありがとうございました。
 しばらく前から、教会入口の整備について思い巡らしていたのですが、主がこのような導きをくださり、主のみ名を崇めています。同時に、塩尻開拓は、主にある多くの教会、多くの方々のお祈りとご支援によってなされる、主のみ業であることを思わされ続けています。このたびの訪問、材料を含め何もかもご負担くださってのご奉仕でした。本当にありがとうございました。
 長野福音教会の高橋先生、壮年会の皆さま、そして教会の皆さま、心から感謝します。
 それでは御教会の上に、壮年会の上に豊かに主の祝福がありますように祈ります。 在主

2011年3月号

■巻頭言 くつを脱ぐ  H.E. 

 モーセはナイル川という死の淵から救われ、王宮で育ちました。しかし40歳にして逃亡の身となり、ミデヤンの地に身を隠し、妻の父イテロの羊を飼っていました。王宮で育ちながら逃亡の身となり義父のもとで羊飼いに甘んじて40年。名誉も財産もなく、80歳にして何もない、自分には本当に何もない・・モーセが神様からの召命を受けたのは実はこのような時でした。
 神様は燃え尽きない柴の中からモーセを呼ばれました。モーセには、それがどなたかわかりませんでしたが、そのお方はモーセを知っておられました。一方的な選びでした。
 ひざまづいたモーセに神様が言われた言葉は何だったでしょうか。それは十戒でもエジプト脱出計画でもありません。「・・あなたの足のくつを脱げ」でした。くつを脱ぐということは、僕(しもべ)になるということです。そしてモーセはそれをしたのです。その後のモーセの生涯もそこにあらわされた神様の業も、全てはこの「くつを脱ぐ」ところから始まっているのです。
 D.L.ムーディーという大伝道者は、モーセの生涯をこう表したそうです。「最初の40年間、彼は、自分は何者かであると思っていた。次の40年間、彼は自分が何者でもないことを学んだ。そして次の40年間、彼は神が何者でもないものを用いて下さることを見出していった。」まさに福音です。
 私たちの教会の先達は、教会名に「福音」を標榜しました。故正村師は教会の建設予定地を裸足で歩きながら祈り求めたと聞きました。私たちには、くつを脱ぎ福音に生きた数千年来の先輩がいるのです。それらの方々は決してヒーローではありませんでした。罪と弱さをもちつつ福音に生きた生身の人間でした。私たちはそれらの先達の福音信仰にならって歩みましょう。
 先日の教会総会で高橋師を通していただいた「『ふるさと』の教会」ビジョンの「ふ」は、「福音」の「ふ」です。全てのビジョンの冒頭にこの「福音」が多くの行を割いて据えられています。これが今後の長野福音教会の将来を示すブレない指針であることは確かです。学びの機会に、そこに掲げられた引用聖句をお分かちになることをお勧めします。

■役員就任にあたって  K.M.

 もしもお許しいただけるなら逃げ出してしまいたいというのが、今の正直な気持ちです。日がたつにつれ畏れが増し、責任の重さが実感され、押しつぶされてしまいそうです。私には無理です、と思った後で、もしやザカリヤのように、声を失ってしまったのでは・・・・と、そっと確認してみた程です。
 でも、怯えつつ、戸惑いつつも気付かされたことは、牧師先生の負っておられる責任の大きさです。キリストの御身体である教会を正しく導き、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、地域に福音を宣べ伝え・・・全ての教会活動の責任者として、配布される小さなトラクト1枚に至るまで名を記されることの重さ。その肩に大きな荷を背負いながら、逃げ出さず、くず折れず、ここに居て下さる先生を、お支えしていく教会員としての責任を改めて気づかされました。
足りない者がお役をいただいたことで、皆様には、さらなる忍耐と許しを強いることになりますが、練られた品性を生み出すための訓練の時と受けとめて、ご容赦下さい。
 長野福音教会が、主の愛に満ちあふれた教会であるように、祈りつつ、御ことばに聞きつつ、ともに励まし合って成長させていただけたらと思っております

■新年度役員就任にあたって  S.K.

 長野福音教会が昨年度創立50周年を迎え、今年度は新たなビジョンに向かって第一歩を踏み出しました。そんな年に役員に任命されたことは、身が引き締まる思いです。
 役員選挙の時に読まれた聖書の個所、第1テモテ3章の1節から聖書を読んでいくと、「自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、・・・」と進んでいきますが、私とは全く正反対のことが書いてあります。こんな私が執事?大丈夫?何ができるのだろう?と思います。しかし、たとえ、どんなに愚かな者でも、どんなに小さい者でも、神様の前にへりくだる時に、神様は土の器を造るように、造り変えてくださいます。神様の前にへりくだって、用いていただけるように是非お祈りください。
 世の中は高齢少子化が進み、若者の就職も大変な時代になっています。教会でも少子化が進みウイングスの子どもたちも減ってきています。毎日暗いニュースが飛び込んできて、気持ちも暗くなりがちです。しかし、私たちは、全知全能の神様を知っています。神様は今、長野福音教会を通して神様の御業をあらわしたいと願っておられます。それが何なのか祈りつつ、希望を持って前に進んでいけたらと思います。
 「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 ピリピ3:13~14

■これからの泉会に思う事  H.T.

 私がこの教会に来たのは、名古屋の教会で受洗して一年目、40代の時でした。次の年に泉会会長に選出され、あれから30年、今年で5度目の泉会会長です。初めての時には、先輩のM.T.姉、C.O.姉、T.Y.姉が何もわからず土地感もない私のために事ある毎にアドバイスして下さいました。正村富男先生は泉会の問題を先生の方からたずねて下さり「祈りましょう」とよく祈ってくださいました。先生に祈っていただくと、その時点で問題が解決したように思い、平安が与えられました。
 あれから30年経ち周囲も高齢化してきました。又仕事を持っている方も多くなり泉会会員の状況も変化して来ました。会長の役目を受ける人がいなく、副会長や会計が早く決まっても、なかなか決まらないのです。なぜでしょうか?それはやる事の多さと責任ある行動を取らなければならないことによるプレッシャーだと思います。今年も特に4月は数々の行事が予定されています。泉会も次世代の方々、仕事を持っている40代、50代の方々へと継承して行かなければなりません。そのことを思うと出来るだけスリムに改革して行くべきだと思います。泉会会長もひりひりせず、ゆとりを持って引き受けられる様でありたいとおもいます。
 とは言え、対外的な行事には、教会としての責任も担っていかなければなりませんが、教会内のことは出来るだけ軽減して行く方向で考えていけたらと思います。たしかに大変な役目がありますが神様からの祝福も受ける場所です。困難な時、神様は必ず側に居て助け導いて下さいます。今年度の役員の上に又泉会員一人ひとりの上に神様からの明るい希望と平安がありますように、主に期待しています。

■成人式を迎えて  Y.M.

 長野福音教会の皆さま、お久しぶりです。いつもお祈りありがとうございます。福音教会に行くたび、「あれ?Yちゃん、また背が伸びたね」と声をかけていただきます。ここ数年身長に変化はないのですが、小さいころから見守っていただいた方々には、どうも大きくなったように見えるみたいです。福音教会で育てていただいた、あのママ大好きっ子泣き虫Yちゃんがついに20歳になりました。成人式を迎えました。大人に仲間入りです。そんなわけで、抱負を述べさせていただきます。
 まず何よりも、自分の行動に責任がついて回っていることをしっかりと自覚したいと思います。まだ学生生活は続くので、これといって大きな変化はまだないのかもしれませんが、だからこそ自覚が大切だと思います。何にでも猪突猛進ではなく一つ始める前には、これは自分にできることなのか、誰かの助けが必要なのか、自力でやり遂げるべきか、ただやってみたいだけなのか等、たくさん考え視野を広げたいと思います。消極的にはなりたくないけれど、一呼吸入れることを忘れないでいたいです。
 もう一つ、切り替え上手になろうと思います。頑張らなきゃな時に全力を出すために休憩をとることの大切さをつい最近痛感しました。気持ちの切り替え、ONとOFFの切り替え、仕事・勉強と遊びの切り替え、切り替えができないと困ることはこれからどんどん増えていくと思います。自分で自分をコントロールすることはとても難しいけれど、それができてこそ大人と言える気がします。だから少しずつでも、頑張っていきます。
 他にもやるべきことや、持つべき心構えはたくさんあると思いますが、私の許容範囲を超えそうなのでこれからだんだんに増やしていこうと思います。先輩方、新成人に是非アドバイスをよろしくお願いします。

■K.Y兄のこと  正村八重子

 玄関のベルを押してから、「Yさーん」と大声で叫びながら、ずかずかと家の中に入っていく。大体ベッドで休んでいるか、食後でテレビを見ているかであった。気分のいい日もあれば、そうでない日もあったようでした。
 私たちは、生かされている限り神様に連なっていて欲しいと、教会に来られない方との交わりの時を大切にしている。
 Y兄は多趣味多才の人。とても雄弁な方で、ご実家のことから仕事のこと、何よりもよく話されたのは軍隊生活のことでした。こちらもせっかくの機会だから、みことばを少しでも話せたらと思うのだが、なかなかそのチャンスがやってこない。話を中断させてはいけないと思いつつ、「主の祈りをしましょうか。」と話を変えると、大きな声で最も得意とする主の祈りをする。使徒信条を告白する。愛唱讃美歌を歌う。その後でまた正村富男牧師の話をする。「アーメンということばの意味をよく教えてもらった。富男先生はどうして私の葬式をしないで先に天国に帰ってしまったのだ。」と。また故M.T.姉による信徒講座で「聖書とは如何なるものか」を学んだからと、モーセの話、パウロのことなどよく覚えていて、逆に説教もされた頭のいい方でした。いつも同行してくださるM姉がそれを黙って聞いていて、話の切れ目で助け船を出してくれる。M姉は、Y兄の趣味や音楽の話を忍耐強く聞いてくれた。
 Y兄は、昨年12月に入ってからめっきり衰えを見せ、以前のような元気もありませんでした。しかし、その霊においては、最後まで元気でした。
 Y兄ご一家とは、私が1961年に三輪の教会に住んでいた頃ご近所で、それ以来の長い付き合いでした。
 正村富男牧師が召されたときは、「自分の葬式をしてくれる人が先に天に帰っていなくなった」、H兄が天に召されたときは、自分の葬儀委員長が亡くなった」と嘆いておられた。しかし、葬式は誰がしてもしなくても問題ではない。「自分の魂が天に帰るために、最後まで神に従うことが大切なことである。」それが最後まで神に従い続けた兄の姿を見て改めて教えられたことです。
(編注:K.Y.兄は、去る1月3日に98才で天に召されました)

■長野福音教会 創立50周年記念教会ビジョン  「ふるさと」の教会

 いつでも安心して戻って来られる教会
 誰もがほっとできて、生きる力と希望を与えられる教会
 父なる神のみもと、天の故郷をともに待ち望む教会
 私たちはそんな教会でありたい
 ・ルカ15章20節
  「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」
 ・へブル11章16節
  「さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。」

 福音を信じ、福音に生き、福音を宣べ伝える教会
   「正しい福音理解」 マルコ1:15、Ⅰコリント15:1-11、エペソ2:1-10
   「神の恵みに応答して生きる」 ヨハネ15:1-9、コロサイ1:21-23
   「豊かな礼拝をささげる」 詩篇103、ヨハネ4:23,24
   「証し人として生きる」 マタイ5:13-16
   「多様な伝道の働き」 Ⅰコリント9:19-23
 Look at the World- 長野から世界へ、世界から長野へ―
   「世界宣教のために祈り、仕えていく教会」 マタイ28:18-20、マルコ16:15
   「世に遣わされていく教会」 使徒1:8、使徒13:1-3
   「赤ちゃんからお年寄りまであらゆる年齢層の人々が憩い、多様な人々を迎え入れていく教会 ローマ1:16、黙示録7:9,10
 さあ、主に立ち返ろう エレミヤ50:4,5、ホセア6:1-3、マタイ22:37,38
   「聖書信仰」 詩篇119:105、Ⅱテモテ3:14-17、Ⅰペテロ1:23-25
   「みことばに基づく教会形成」 マタイ16:15-19、Ⅰコリント12:27、エペソ1:22,23
   「よく学び、よく祈り、よく賛美し、互いに愛し合う教会」 使徒2:41-47、使徒17:11、Ⅰテサロニケ5:16-18、コロサイ3:12-17、Ⅰヨハネ3:16-24
 となり人に仕える教会 マタイ22:39,40
   「この地域に輝く教会」 ピリピ2:16
   「教会として福祉の業を」 ルカ10:37、ヤコブ1:27

2010年12月号

■巻頭言 50周年が過ぎていく K.S.

 2010年もいよいよクリスマス・年末が近づいて、今年は教会の50周年だったんだなァ~んて改めて思っています。
 思い起こせば、高橋先生から年頭のメッセージをお聞きし、記念礼拝の準備状況の報告を何度も聞きながら、福澤満雄先生をお招きしての記念礼拝の日を迎えました。すべてが当初の計画通りとはいかなかった部分もありましたが、大勢の懐かしい兄弟姉妹方も集まり、主の御前に50年分の感謝をささげることができて本当に良かったと思います。記念品や記念誌も立派なものができました。タイミングは少し遅れましたが、礼拝堂の長椅子もすべて入れ替えられて、教会全体がリフレッシュしたような気さえします。
 私たちは、それぞれのお祈りの中で、いつも「感謝」と「お願い」をしていると思います。一般的に言って、過去のことを「感謝」し、未来のことを「お願い」するということなのだろうと思いますが、これまでの50年間の「感謝」にあわせて、次の50年間に向けてどんな「お願い」をしたでしょうか。
 小さな「お願い」は集まって、教会全体としての大きな「お願い」になっていくのだと思います。次の50年とまで言わず、もう少し身近な範囲でよいと思いますが、その「お願い」は主のために実現されなくてはならないと思います。敷地を拡張したい、小チャペルがあるとよい、子ども施設や高齢者施設も開設したい等々は、「お願い」の中のいくつかの例です。主の教えを伝えることが私たちに与えられた使命ですから、次の伝道のための具体的な働きについて教会全体で「作戦を立てて」いかなければならないと思います。
 教会の働きが成長したり拡大していくことは、主にとっても私たちにとっても大きな喜びです。信仰を守るから信仰を広めていくへ、、、そんな新しい年になればいいなァと願いつつ50周年の年を送りたいと思います。

■聖山パノラマへ M.K.

 10月20日(水)、泉会で聖山パノラマへ出かけました。高橋牧師ご夫妻、正村師を含めて8名参加。前日、教師会がありお疲れの先生に運転をお願いしての出発でした。
 あいにくの曇り空。紅葉の時期も少し早い感じでしたが、聖山パノラマに着きますと、うす陽が射す時もあり、所々美しく紅葉した木々と、風に揺れるすすきの銀色の穂波がとてもきれいで、秋の風情を満喫しました。
 昼食前にマレットゴルフをやろうということで、3人ずつふた手に分かれてスタートしました。少し汗ばみ、程よい運動となり、楽しい一時でした。スタート直前に、東京からY.姉が亡くなられたとの電話が入り、早めに教会に戻ることとなりました。聖山パノラマを下る途中、真白な野菊の群生が目に入りました。高速にのって4時過ぎ、無事教会に戻ることができました。
 教会員として日の浅い私ですが、いろいろな集いに参加させていただきながら、学びと交わりの時間が持てることに感謝しています。

■転会式をして K.F

 10月10日の日曜日、私は長野福音教会で転会式をさせていただきました。
 長野福音教会との出会いは昨年のバザーの時でした。家の近くの教会でバザーがあることを知り、ちょっと覗いてみようという軽い気持ちで来たのがきっかけです。ちょうど私は昨年3月から長野に移り住み、子供と通い続けることのできる教会を探していました。年齢層も幅広く、地域に開かれた教会だと感じ、それからこの教会に足を運ぶようになりました。
 神様とは無縁の子供時代を過ごしてきた私が、18歳のときに神様に出会い、19歳で洗礼を受け、長野福音教会で転会式をさせていただけたことに本当に感動しています。神様の導きに感謝します。無縁と思っていたのは私だけで、神様はずっと私を見ていてくださったのだと、今実感しています。
 私はいつも、自分の神様との出会いを思い返すたびに、神様の偉大さ、寛容さを感じています。神様と出会う前のことも、全部神様に会うまでの準備だったのだと思います。
 中学生の頃の私は、両親や他人を傷つけてでも自分の欲求を埋めることに一生懸命になり、人にやさしく接した記憶がありません。罪だらけの悲しい中学校生活でした。学校にも行かず夜は家に帰らなくなり、母にはお金を要求し、父とたまに顔を合わせてもほとんどしゃべることなく、家庭はどんどん崩れて行きました。人を傷つける言葉を口にしていると、どんどん自分の心も暗くなり、顔は笑っていてもいつも悲しみの中にいました。なぜそうなったのかわかりませんが、今思うと、あの時は自分が暗闇の中にいるということにも気付かず、反抗期という言葉では片づけられないような、心を失くしたような自分だったと思います。
 いつも投げやりな気持ちでいた私は、出産を経験したことで、前向きに生きたい、、、と思うようになりました。自分の将来について考えたとき、自分のしてきた数々の罪が頭から離れなくなってしまいました。両親を傷つけ、平気な顔をして生きてきた自分が、すごく憎く思えてなりませんでした。普通に家族と暮らしていて、普通に学校にも通ってきた同じ年ごろの人が羨ましく思えて、自分を愛せなくなっていました。私の家族も同じように、この先どうして行ったらいいのか苦しんでいたと思います。
 そんな中、父の友人のエドナさんという女性と出会うことができました。神様は、彼女を用いて神様を知るきっかけをくださいました。あの頃の私をここまで救い出してくださり、今も傍にいてくださるのは神様しかいません。そして神様は、いつも私のために環境を与えてくださっています。
 今、息子には学習障害があり、それが分かってからこれまで、私たち親子の生活、二人の関係は本当に変化の連続でした。それも神様からのプレゼントなのだと、感謝しています。神様を知る前の私は、先の見えない将来が不安でしたが、知ることのできた今は、これからの変化がとても楽しみです。今も私は日々の生活で、後ろ向きな感情を持つことがしょっちゅうあるし、これからもあると思います。小さく愚かな私だけど、落ち込んでも、神様のことを思える幸せに感謝しています。神様が私にこんなにも寛大であるように、私も他人にそうできたらなあと思っています。

■Y姉の思い出 M.K.

 Y姉が去る10月20日に天に召されました。そのことを知らされた時、胸にぽっかり穴があいたような思いになりました。信仰の方、祈りの方、聖書をよく読まれた方、礼拝や集会を欠かさず守られた方でした。教会の中でも、泉会の中でも扇の要のような方でした。柔和さと共に、白は白、黒は黒とはっきりした厳しさも持たれていました。
 Y姉と最初にお会いしたのは、主人と私の婚約式の時です。主人と私の出会いのきっかけとなって下さったのがY姉でした。私が、「本当に御世話になってありがとうございました。」とお礼を申し上げると、「摂理ですよ。これは神の摂理です。」と、にこやかにおっしゃられたのを今でも思い出されます。
 結婚後、高山村のY姉のお家で開かれていた地区集会で共に御奉仕させていただき、正村富男先生が三水村のY家の集会を終えた後、高山村まで来てくださってメッセージを語って下さいました。特伝や、クリスマスや、「塩狩峠」の映画会etc.…そのために準備祈祷会をして、Y姉と主人と私の三人で祈りました。一緒に連れて行った我が家の幼子たちを、本当に可愛がってくださいました。自宅を開放して月二回の集会を何年も続けるということは、使命感がなければとてもできないことと思います。
 三輪に教会があった頃、早天祈祷会が毎週開かれていました。そこに出席するためには須坂駅で始発に乗らないと間に合いません。早朝のため、高山村から須坂駅までのバスはなく、Y姉は徒歩で須坂駅まで歩かれて出席されました。夏は薄明るくなっていますが、秋から冬は真っ暗な中を、懐中電灯を点けて歩かれました。当時、Y姉は六十代後半だったと思います。今更ながら、すごいことだと思います。「真っ暗い中を歩いていたら、後ろから来たタクシーが声をかけてくれて、須坂駅まで乗せてくれたの。」と、笑いながらおっしゃったこともありました。
 八十歳になられる頃から体調を崩されることが多くなりましたが、晩年は東京の娘さんのお家で、ご主人のH牧師とM姉に囲まれて、本当にお幸せだったと思います。
 私たち夫婦は本当にお世話になりました。よくお祈りしていただきました。天国で、また再会できることを楽しみにしています。

■故Y姉の救いの証し(「祈りの友」1990年5月号から転載)

 私が受洗したのは、1968年12月23日でした。その昔求道していた頃偶然にラジオで世の光放送を聞き、通信講座へと導かれ、間で中断し、再受講していた時、罪をみことば(ヤコブ4:12)によって示され、恐れ戦いて悔い改めました。そしてヨハネ3:16のみことばにより、信じる決心をしたのが9月3日でした。
 復活は信じられても、十字架が観念的にしか信じられず、苦しみ悩み、涙ながらの真剣な祈りへと導かれ、翌日の礼拝の正村師の説教の最中に、十字架が私の罪のためであることがわかり、心の底から信じることができたのです。ハレルヤ!また、11月9日の夕方突如として心の中に歓喜が沸き起こり、罪赦された喜びを抑えることができず、誰かに語らずにはいられない思いになり、聖霊がわがうちに与えられたことを悟り、感謝感激の涙を禁ずることができませんでした。

■感謝のうちに実施されました T.K.

 皆様のお祈りとご協力により、今年も「サテライトクリスマスコンサートIN二葉堂」を12月4日(土)に実施することができました。22席のお店の定数に29名の参加者がありました。半数近くが教会員以外の参加者でした。歌あり、ピアノ演奏・ギター演奏ありと楽しいひと時を過ごすことができました。牧師先生からのクイズはクリスマスの意味合いを深めることができました。お楽しみ抽選会ではチャールズが、一般の参加者・出演者・教会員をバランスよく引き当ててくれ大活躍でした。参加された皆さん・出演者のみなさん・ご奉仕いただいた皆さん、本当にありがとうございました。ここまで導いてくださった神様に感謝いたします。

■最近読んだ本 T.S.

 「永遠の0」。この題名から、どんな話なのか想像するのは難しいのではないかと思います。少し前に話題になった本です。0とは日本の戦闘機、零戦のことです。
 祖父が零戦パイロットだった事を知った若者。祖父がどんな人だったのかを調べていくと、妻子のために絶対に死なないと誓い、生きて帰ることを第一にしていた人だったことがわかってきました。しかし、それほどまでに生きて帰ることにこだわっていたのに、自ら特攻隊として死を選んだのはなぜなのか。最後に明らかになります。深い感動に包まれる話です。
 この本を読んで、自分は太平洋戦争の事を何も知らなかったと痛感しました。そこで続けて、撃墜王と言われた零戦パイロットの自伝や、真珠湾奇襲攻撃の総指揮官だった淵田美津雄の自伝も読みました。淵田は、戦後クリスチャンとなり、アメリカ伝道に8回も出かけました。宣教師だった両親を日本兵に殺されたにもかかわらず、負傷した日本兵の世話をしていたアメリカ女性から、両親の最後の祈りに動かされたことを聞きました。そして後に聖書を手にし読み進めたとき、「かくてイエス言いたまふ、父よ、彼らを赦し給へ、その為すことを知らざればなり」(ルカ23:34)のみことばがが、この宣教師の最後の祈りであったと知りました。「彼らをお赦しください」の彼らの中に自分も含まれているという啓示がひらめき、「彼らは何をしているのか分らずにいるのです」という言葉に胸を突き刺され、淵田はクリスチャンとして生まれ変わりました。
 平和であることの有難さ、神の御業のすばらしさがひしひしと感じられました。戦争を体験した人が少なくなった現代、語り継ごうと活動する若者たちがいることを頼もしく思います。これらの本が多くの方に読まれることを願っています。

2010年9月号

■巻頭言 祝福された教会 正村八重子

 M兄の危篤の知らせを受けて、慌てふためいて財布も持たずにタクシーに飛び乗った。息のあるうちに何としても会いたいと。50年近く苦楽を共にして来た同胞なのだから。
 思えば、大風呂敷を広げる気ままな牧師に謙虚に仕えてくれた。牧師の欠点字弱点を知った上でも批判するのではなく、神の器だからと信じて従ってくださった。今日、長野福音教会があるのはこのような長老がおられたからだとしみじみ思う。教会に役員会の組織がまだない頃からの役員であり、晩年になってからのお休み以外は生涯役員であった。会計、総務、CS、伝道等々何でもしておられた。
 週報、「祈りの友」も他の方の助けがあったものの、長い間M兄の奉仕だった。土曜日の深夜、当初はガリ版で、後にはワープロで作った週報を牧師宅に届けられ、それからあまり調子のよくない印刷機で刷ったものだった。印刷機が思うように動かない時はコンビニエンスストアのコピー機にお世話になったことも。どんなことがあっても日曜日の朝までに週報が間に合わなかったことはなかった。
 役員会のなかった頃は牧師と深夜まで相談し祈っていた。会計のこと、迷いだそうとする信徒のことなどなど。M兄は牧師と信徒というよりはまさに同労者であった。兄だったから牧師を助け支えてくださったと思う。それはサウル王に最後まで従ったダビデのように思えてならない。
 神様は時にかなった助け手を牧師に与えてくださったので、今日の長野福音教会がある。ダビデはサウル王を倒すチャンスはいくらでもあったが、神様を信じているダビデはそれをしなかった。「主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ」(Ⅰサムエル26:11)。どんな事情があっても主に油を注がれた方を大切にすることは教会の祝福の源であり、その反対は教会も個人も祝福を失うのだから。

■レディスランチョンに参加して S.K.

 (開催日:2010年6月23日  会場:ホテル国際21  ゲスト:横田早紀江姉)
 6月23日のレディスランチョンで、横田早紀江さんのお話を聞くことができました。めぐみさんがいなくなってしまってから、新潟県警はかってないほどの大捜査をしたこと、身元不明の遺体がみつかると連絡が入り歯型をとりよせたことなど、拉致されたとわかる以前にも大きな悲しみや苦しみの中を通らされていたことをあらためて知りました。
 そんな早紀江さんがヨブ記を読み、強められていったのです。早紀江さんにヨブ記をすすめてくださった友達や、いっしょに聖書を読む友達を神様は備えて下さっていました。精霊が働いて下さったことを実感された早紀江さんは、大変な中にあるのに、神様に感謝されているのでした。信仰の強さをあらためて感じました。
 多忙でつかれてしまって早紀江さんが当日こられないかもしれないとまで言われ、早紀江さんの健康を祈ってむかえたレディスランチョンでしたが、神様に祝福されて、多勢の方が参加できました。毎年レディスランチョンには教会に通っていない方が多勢参加されます。その方たちが教会に、神様につながれるよう祈って下さい。また毎月1日の正午から13時までの間わずかな時間でも、どこででもかまいませんから拉致された人々のため祈って下さい。全国でその時間に、いろいろな人が祈っています。
 PS 今年の食事で私がおいしいと思ったのは丸パンでした。生ハム?やブラックバス?もあったけど実においしいパンでした。

■2010サマーキャンプの証し、感想

 (会場:国立妙高少年自然の家  講師:ウイングス=廣田信之師(中野キリスト教会) ヤングチャペル=洪豊和師(土浦めぐみ教会))

●長野キリスト教会の皆さん

ぜんぶたのしかった。←小学3年 S.F.

一番楽しかったのは、キャンプファイヤーです。歌を歌ったりおどったりゲームをしてとっても楽しかった。心に残ったことは、ぼくは教会行ってイエス様のこと教えてもらってるけど、のぶのぶに教えてもらって、もっとイエス様のことしれて本当によかった。←小学5年 S.S.

今までの2泊3日のキャンプで一番心に残ったことは廣田先生(のぶのぶ)のお話と川がとっても楽しかったです。お友達もたくさんできてうれしかったです。おかしこうかんも楽しかった。←小学5年 M.E.

夜と海へ行ったのが楽しかった。もう1泊したかった。←中学1年 M.S.

ヤングチャペルになって初めてのキャンプでしたが、めっちゃくちゃ楽しかったです。川や海へと行ったり、友達とトランプなどもやったりお話を聞いたりDVDを見ていろんなことを学べたし、とても充実したキャンプになりました。キャンプ最高!!←中学1年 H.A.

「フェイシング・ザ・ジャイアント」という映画を見て神様を愛せばつらいことがあっても必ずいいことは起こるということと、神様に不可能はないということを実感しました。←中学2年 M.S.

「フェイシング・ザ・ジャイアント」という映画で学びました。神様の力を信じ、頼ること、また自分でも限界まで力を出し切っていくことを大切にしていきたいと思いました。←中学2年 Y.E.

初日だけの参加でしたが、得られたものがたくさんあったキャンプになりました。アイスがおいしかった。←中学3年 T.S.

集会のときにやった以心伝心ゲームが楽しかったです。伝言ゲームもおもしろかったです。洪先生のメッセージは映画を通してのメッセージでしたがその後小グループでわかち合う時は、洪先生と気軽に話せて良かったです。←高校1年 H.A. 

今年はビデオを通して神様と自分の関係について深く考えさせられました。いろいろと忙しく日曜日、日帰りだったメンバーも含めて、多くの参加者が与えられたことも感謝です。2日目は海に行きました。曇り空で日焼けもなくみんなで海を楽しみました。このキャンプにご臨在くださりすべてをお守りくださった神様に感謝!!←N.E.

DVDが、大事な3回の集会で3回とも機器の不具合があり、洪先生にはご迷惑をおかけしてしまいました。特に最終回は、このまま尻切れのままおわるかという万策尽きた状況の中で、映像が再び流れるという経験をしました。映画の内容そのものがここで起きていることとして、この映画をつくられた神様がここで巨人とたたかうダビデを探しておられるのを感じました。←H.E.

暑~い暑い日のキャンプでしたが川遊びに海にあつくなって遊べ、集会を通してみた映画や洪先生のメッセージで熱くなり、あつい主の愛に包まれた3日間でした。←K.T.

たくさんの小学生がたくさん参加しとてもにぎやかで楽しいキャンプでした。ひとつひとつを神様が導いていてくださることが感じられるキャンプでした。神様に感謝します。←S.K..

久しぶりに3日間フルでキャンプに参加できて、体はとても疲れましたが(笑)、心はとても満たされました。ダビデの姿を通し、神様にしっかりと仕えていくこと、失敗したら神様に素直に謝ることなどシンプルだけど大人になっても忘れがちなことにもう一度気づかされました。元気いっぱいかわいい子どもたちと過ごした3日間、楽しかったです。←R.T.

中野キリスト教会のたくさんのお友だちと仲良しになれて良かったです。ダビデのように愛の神様を心から信頼して神さまの前に正直に生きていこうと思いました←高橋宣広

●中野キリスト教会の皆さん

川遊びとみんなで仲良く遊んだこと、おふろの後のジュース、キャンプファイヤーが楽しかったです。かみさまを信じたいです。ヒコーキをふまれてかなしかったです。←年長 S.H.

川あそびにいっておたまじゃくしをつかまえてたのしかった。かみさまのことがよくしれてよかった。やさしい人でしんじている人をまもってくれる人です。←小学5年 H.K.

キャンプで川あそびがたのしかったです。←小学2年 Y.H.

知りあいじゃない人もいたけど、みんなやさしかったから楽しい時間をすごせた。水あそびをしておひるねをして、、、。でも一つめんどうなことがあった。それはおいのり。←小学2年 R.M.

みんなといっしょにねたりあそんだりしてたのしかったです。先生がよるうまかぼうをこっそりたべていてひどいと思った。たかはしせんせいのごりあてのたおれるところがおもしろかったです。しょくじのときにおいしくてよかったです。←小学3年 T.O.

先生のゴリヤテがおもしろかった。川遊びがおもしろかった。みんなといっしょになかよしになってよかったです。ごはんがおいしかったです。←小学3年 A.O.

川遊びで石をおとす遊びがたのしかった。←小学4年 S.

はじめての川遊びがたのしかったです。キャンプファイヤーでマシュマロをやいてたべたのがおいしくて楽しかったです。友だちができてよかったです。←小学4年H.K.

キャンプファイヤーでマシュマロをいいかんじにやけてうれしかった。川遊びで水が冷たくてきもちよかった。ダビデがひとごろししたことを始めてしりました。←小学4年 M.H.

きもだめしでみんなおどろいてたのがおもしろかった。川遊びがたのしかった。←小学4年 T.I. 

2泊3日のキャンプの中で、川が一番楽しかったです。3日間で、いろいろな神様の話やみことばを聞けたし、いろいろな子と友達になれてたくさんあそべてよかったです。←小学5年 M.Y.

予想以上の多くの参加者が集められ、感謝と期待をもって奉仕させていただきました。初めての子どもたちが安心して楽しめるように多くの配慮をしてくださった福音教会の奉仕者に感謝します。教会独自のキャンプができることのすばらしさを思いました。宣教協力がこのようなかたちでなされたこと、主に感謝します。←廣田 信之

●土浦めぐみ教会の皆さん

水あそびが楽しかった。キャンプファイヤーが楽しかった。←ほん ゆみん

思いでは、川あそびです。いちばん上でくつがながれてしまいました。おたまじゃくしをつかまえてあそびました。ながれがはやくてながれそうだったです。先生が言ってたようにつめたかったです。←ほん はんいる

■父を天に送って K.H.

 2010年3月30日、私は父を天に送りました。
 これまでの長野福音教会での主にある交わりをしてくださった、お一人お一人に感謝いたします。父と母が長野福音教会の礼拝に集うようになり、キリストの洗礼を受けそれから約20年間老夫婦2人での生活が守られたことも主の備えられた多くの助けと交わりのおかげと改めて思わされております。
 父の葬儀にあたって、多くの方から慰めの言葉と共に、生前父がしてきたことに対する感謝の言葉を受け、私の知らない父の姿を知らされました。父自身は私にあまり昔のことは話しませんでしたので、私が聞いた昔の話といえば、酒に酔って語る軍隊時代のことぐらいでした。17歳で志願して海軍にはいり、そこで様々な訓練を受けていました。軍隊では、理不尽な理由でしょっちゅう殴られ(顔が変わるほど殴られ、親が面会に来ても会わせてもらえなかったこともあったそうです)、開かないパラシュートを持たされての飛行機の操縦訓練など、常に命の危険と隣り合わせの毎日だったようです。父は、子供たちが怪我をしたり、危険が及ばないように、安全には人一倍気を使いました。また教会の子供たちのことを、大変かわいがって怪我や事故なく元気に育って欲しいと願っておりました。その背景には、人命を軽視した教育や社会を、また怪我や事故の痛さや悲惨を良くしっていたからだと思わされます。
 終戦後はしばらくサラリーマン生活を送っており、その職場で知り合った母と結婚しましたが、父は政治活動に熱心だったため職場を去らなくてはならなくなったようです。そのときのこともあまり詳しくは語ったことはありませんが、日本がひどい戦争に進んだことの最大の理由は神格化された天皇の存在とそれを利用しようとする人々がいたことだと確信し、それを放置しておいてはいけないと考えたようでした。
 このように、国家神道、無宗教と歩んだ人がキリスト教に改心するのは、不思議でもあります。しかし、今のようにインターネットはおろかテレビもないような時代に、新聞やラジオをたよりに何が間違っていたのか、自分はどうすべきかを考えたのだと思います。そしてそれを実行していったのです。間違いや失敗もたくさんあったはずですが、それに負けない軍隊で鍛えられた精神力と、天性の楽天的性格もあったのでしょう。農家のHさんと教会では思われていますが、父は30歳ぐらいまでは農業をしたことがなく、勤めていた職場を去ってから農業を始めました。しかし最初は作物もうまく出来ず失敗の連続だったそうです。そのような生活の中でも、親戚や尊敬する人にキリスト教を信仰する者が多く、そのようなひとりひとりの証が、父の目をイエス・キリストに向けることになったのだと思います。正村富男牧師もその一人でした。
 年をとっても、母と生活していくことが出来るように20年前に立て替えた家は、車椅子でも通れるように設計されておりますが、昔の家にあった仏壇や神棚を作りませんでした。それは主イエス・キリストにしたがって歩むと言う決断によるものでした。その家で車椅子で介護を受けるということはかなわず、昨年の11月から老人介護施設での生活になりましたが、それまでは本当に一生懸命自分で車を運転し、病気と闘いこの地上の歩みをすごして来ることが出来ました。最後まで体力が衰えないように運動し、まだまだ生きるぞという意気込みがありました。その精神力の強さには驚かされました。入院しての治療が必要となっても、面会に行くといつも家族のことを思い、別れる時のお祈りのも、最後までしっかりとイエス・キリストへの信頼と感謝を表していました。
 今は、母も父が病気や心配のない所に行ったことを確信し、落ち着いた生活と平安を得て毎日を暮らしております。
 人にはそれぞれ違った歩みがありますが、それまでキリスト教とはまったく違う歩みをしてきたものが、人生のあるとき主に会って新たな歩みをする、そんな姿を父にも見ました。そして、天国の希望というすばらしい恵みを共に持つことが出来、見送ることが出来たことを今、主に感謝しております。
 “あなたは年を重ね老人になったが まだ占領すべき地がたくさん残っている。”ヨシュア記13:1

■私の好きな言葉 「ありがとう」(祈りの友2005年5月号から抜粋) H.H.

数多くある言葉の中で私は「ありがとう」の一言が大好きです。この言葉にこだわる理由があります。母が厳しい人でしたが特に挨拶についてはその感を強くしております。必ずお相手さんより先に頭をさげなさい。年下の人に対しても。特に「ありがとう」とお礼を言う時、心が込められていなければ相手に通じないものだ。短い一言だけれど、感謝の気持ちを込めて使いなさいと、今でも身にしみて親を思い出します。
 時々家内と話します。「教会以外ではありがとうの言葉は聞くことが少なくなったねぇ」と。思えばスーパーが増えてから特にその感を強くしております。昔のように町のお店で買い物をしていた頃は、お互いに言葉をかわし、ありがとうとねぎらいながら別れたものでした。なつかしく思い出されます。だけれども、いまでも私たちはスーパーのレジ係の人たちにありがとうと言葉をかけております。そのことで、自分の心も明るくなるのです。
 (注)家内は私の「ありがとう」は声が大き過ぎると申します。少ない買い物、大きな声では嫌味にとられると、、、。反省。

■M兄の思い出 K.K.

 M兄と最初にお会いしたのは、1971年頃だったと思います。当時、学生だった私は、学校の近くにあった長野福音書房に行くと、にこやかに迎えてくださいました。そのことが、今でもとても印象に残っています。
 M兄は、教会の最初の頃から、中心的に労してこられました。当時の教会総会資料を見ると、役員は執事2名と準執事3名でしたが、1976年から長老体制を取り入れ、長老2名、執事4名が選出されました。その初代の長老にM兄と、T兄が選出されました。その後、11年間、続けて長老職に就かれ、少し休みの期間をはさんで、2001年までに、通算20年もの長きに亘り、長野福音教会のために長老としてご奉仕をしてくださいました。
 いつも、温厚な感じでしたが、芯はしっかりしている方でした。教会のことをいつも思い、間違った方向に行きそうな時は、はっきりと間違いを正し、軌道修正をしてくださったように思います。
 教会創立40年誌には、まだ、元気な頃のM兄と役員が、教会の案内看板を作っている写真があり、なつかしく思い出されます。
 その後、病に倒れ、闘病生活で病院にいたころ訪問させていただきましたが、にこやかに迎えてくださり、私の方が励まされたように感じました。
 今度は、神様とイエス様と共に天国でお会いできるものと確信しております。兄弟の残された信仰の道を私もたどっていきたいと思います。長い間ありがとうございました。

■東陽町だより T.T.

【自己紹介】
 皆さんこんにちは。私は社会人二年目、職場はすぐ近くです。住まいは東陽町でこれも近い距離にあります。
 私は仕事が大好きです。・・・休みが続くと早く職場に行きたくなるくらいです(笑い?)。今仕事を探している人がいたら、目標を持って真剣に祈ってください。祈り求めれば神様は必ずベストなものを与えてくれます。
 私の家族ですが、母は韓国人、父は日本人で長野市に住んでいます。両親ともにクリスチャンです。また98歳になる私の祖母も、去年、病床洗礼を受けました。
【幼い頃から】
 教会へは行っていました。「神様は冷たくもなく、熱くもない人を吐き出す」とは黙示録の言葉です。「冷たいか熱いかであってほしい」今ならその意味がわかるのですが、私の信仰は生ぬるいままでした。
【Jesus life houseに来てから】
 信仰が試されて、本当の意味で、自分が変わったと感じられるのはJLHに来てからの一年間です。チャーチに移ったのは去年の4月のことで、最初の一月は興奮のうちに過ぎました。友達もでき、落ち着いてくると同時に、そのころから色々な疑問も湧いてきました。
「この教会で果たして自分はやって行けるのか」ということです。それは、これまで礼拝してきた教会のスタイルと全く違うということ、そして責任が増えるという理由からでした。それまで奉仕や責任を負うことを避けてきた私にとって、これは大きな試練でした。
 仕事も忙しくて、辛い時期もありましたが、モヤモヤとした気持ちを抱えながらも、LGリーダーに相談して、言われたとおり“それでも来続ける”という選択をしました。
 そのうちに、「チャーチに根付く」ということを少しずつ意識するようになりました。私達の信仰を一つの種にたとえてると。――土に埋められたときは硬い殻に覆われている。でもきちんと水をやりながらしばらく待つと、やがて殻が割れて芽が出てくる――
 このように、「あまり深入りしないでいい …」と思っていた自分の考えを改めて、このチャーチにかけてみよう、そしてできるだけのことを吸収しようと、心に決めました。そうすることで、よりポジティブになれたと思います。
【全世界に出て行ってすべての国の人々を弟子としなさい!】
 これはチャーチのテーマであると同時に、私達一人ひとりのクリスチャンの使命だと思っています。JLHに来るまでの私は「お客さま」のような態度で、信仰も非常に個人的で幼いものでした。でも今は、ただ教会に来てニコニコしていれば良い、とは思いませんよ。神様の愛と福音を知らせるのが私達の使命ですから。
 以前は考えられなかったアウトリーチにも今はチームで成功しています。一人ではできなかったこと、それまでの自分にはできなかったことが、このJLHの素晴らしい仲間達と行動をともにすることで可能になっています。チャーチのDNAを取り入れること、つまり自分のパースペクティブを神様のそれに近づけることで、神様が私達に望むすごいことができるのだ、という予感がしています。将来どこへ行っても、みんなと同じようにパッションに燃えて、力強く神様のことを証できるように、JLHでさらに神様への信仰をレベルアップさせていきたいと願っています。(神様ありがとう!! そしてみんなに!)
※以上はT姉の通うジーザスライフハウス5月29日の礼拝の中で姉がお証されたものの要旨です。このチャーチについては、クリスチャン新聞 6月13日号に紹介されました。

2010年6月号

■巻頭言 教会墓地の改修 K.K.

 長野市の浅川霊園内に教会の墓地が作られてから32年が過ぎました。今まで、コンクリート製地下納骨室内部は、木製で作ってあったことや結露のため、ひどいカビが出ていました。以前から、何とかしたいとは思っていましたが、なかなかいい方法がみつからず、思案していましたが、このたび、役員会の了解のもとに、改修しました。
 5月のゴールデンウィークを利用して、高橋先生も加わってくださり、4人の長老で作業を行い、見違えるほどきれいになりました。階段は元のままですが、天井と壁には、発砲スチロールの断熱材を張り、床には、ベージュ色のカーペットを敷き、ボックスにはそれぞれのお名前が印字されたものが、貼られています。新しいボックスは美しい茶色で、今回60個設置しました。すでに30個ほど使用されていますが、今までのものより少し大きめの既製品のボックスですので、大きいサイズのものも納めることができるようになりました。(縦30cm横27cm奥行30cm)
 作業中は、ほこりとカビで大変でしたが、きれいになった内部を見るとほっとし、長年の懸案事項が解決されたことをとてもうれしく思います。
 いずれ何十年もすれば修理などが必要になってくるかもしれません。でも、「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれをくださった神に帰る」(伝道の書12:7)とあるように、私たちの行く天国は、修理の必要があるところではありません。故郷であり、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもありません。カビどころか、水晶のように光る命の水の流れているところです。(黙示録21章)
 修理が終わった夕方、遅咲きの桜を背景にした白い十字架を見て、天国への思いを新たにしました。

■高校生になって H.A.

 僕は今年の4月に家族の支えや皆さんのお祈りのおかげで、無事志望校に合格することができました。高校生活には最近やっと慣れてきたところで、勉強は難しく、部活動を終えて帰ると、8時過ぎだったりして、毎日忙しいです。
 しかし、そんな忙しい毎日でも、神様と向き合いお祈りすることを忘れずにいたいです。
 これからの高校生活は期待と不安でいっぱいですが、神様がいつも見守っていてくださるということも忘れずにいたいなと思います。

■「中学生になって」 H.A. 

 今年僕は、小学校を卒業して、中学生になりました。それと同時に、ウイングスからヤングチャペルになりました。
 中学生になると、勉強が難しくなるし、部活があって心配なことばかりでした。でも、大変なことを乗り越えていくうちに、だんだん中学校生活になれてくると思いました。まだ一カ月しかたってないけれど、中学校生活を楽しめるようにがんばりたいです。
 ヤングチャペルでも、ウイングスとちがって少し難しくなったけど、しっかりお話を聞いて、神様のことをわかるようになりたいと思いました。

■「中学生になって」 M.S.

 中学生になって教会では、ヤングチャペルに入りました。ヤングチャペルでは、知らない歌などがあります。それにウイングスよりも歌の種類もふえてまだ歌えない歌の方が圧倒的に多いけどがんばって覚えていきたいです。それと一番ウイングスと違うのはメッセージです。ウイングスでは結構簡単なお話と絵がありました。ヤングチャペルでは話しが分からない時もあるけど、わかりやすく話してくれるのでだんだんわかってきます。いろいろとウイングスと変わったけどヤングチャペルでがんばりたいです。

■近況報告 K.S.

 4月から茅野市の病院で、言語聴覚士という仕事を始めました。今春の茅野市(諏訪地方)は御柱祭の話題ばっかりでした。地元のケーブルテレビは毎日祭りの放送をしていました。丸太に乗ってこそ一人前の男だで、という考えが根付いている地域と、長野市が同じ長野県とは未だに思えません。慣れない土地で、慣れない仕事にあたふたして一日が過ぎています。
 言語聴覚士という仕事は、話すことや食べることのリハビリテーションを行います。新人ということもあり、担当している患者さんの数は少ないですが、なぜか帰宅時間が遅くなってしまいます。気がつけば一日が終わり、一週間が終わってしまいます。原則は土・日休みなので、茅野キリスト教会(ウェスレアン・ホーリネス教団)の主日礼拝に出席しています。出席者は平均20~30人ほどです。寒さの厳しい地域のためか、礼拝堂に薪ストーブがあります。ストーブの近くに座ってほっこりしながら、礼拝しています。
 実家は長野市にありますので、週末に帰省した時は長野福音教会に出席してから、茅野に戻ろうと思っています。僕の顔を見かけた時は、お気軽に声をかけていただけるとうれしいです。

■新役員さんから-「燃え続ける」 S.S.

 著名な神学者ジョナサン・エドワーズは「宗教感情論」という本の中で、次のように言っています。「真のキリスト教信仰は、その大部分が感情に依存する。人間とは本来、愛や恐れ、希望や憎しみといった感情に影響されない限り、非常に不活発な存在であり、感情こそが人間の諸活動の原動力となっている。」 なるほど…。 
 以下は聞いた話なのですが、アメリカに住むはちこさんという人のお宅で持たれた聖研でのエピソード。
 最初に到着したご夫婦を居間に通し、キッチンでちょっと用事を済ませてから再び居間へ顔を出したところ、そこではそのご夫婦が抱き合ってキスをしていたのでびっくりしてしまったとのこと。20代の新婚さんならともかく、このご夫婦は結婚25周年を迎えたお二人なのだとか。いやはや、大変結構です。やっぱりいつまでも感情の伴った愛を夫婦の間でも、神さまに対しても、保ち続けたいものだ…、とちこさんは思ったそうな。
 確かに、信仰でも愛(結婚)でも、その始まりは強い感情や情熱を伴います。ただ人間の感情はとても移ろいやすいので、感情だけに自分の信仰や愛の基盤を置くなら、それは長続きしないだろうと心配になります。だからこそ、「意思の力が大切なのであって、感情的なのは悪いことだ」という印象が生まれる。しかし、本当に大切なのは、最初に燃え上がった情熱を意志の力にすり替えて感情を置き忘れてくることではなく、先に紹介したご夫婦のように、むしろそれをいつまでも燃やし続けていくことではないか?とある牧師は分析しておられました。
 淡々として感情の盛り上がりのない信仰がダメだというわけではないでしょう。しかし、福音は「老後の年金」ではありません。一度ゲットしたら、あとはお迎えが来るまで細々と安泰。そういうものではありますまい。

■新役員さんから-お委ねして T.S.

 昨年12月に、母が亡くなりました。長い間うつ病を患っていた末のことでした。ずっと祈ってはきましたが、安らかな顔を見て、仕方がなかったかなと思いました。幸いにも父がしっかりしていて、イブ礼拝にも集えたことは感謝でした。
 私は、今年2月から新しい職場に移りました。家の近くに求人があり、みこころならばと祈っておりましたが、道がひらけました。新しい環境に慣れるまでは、年齢的にも少々きついものがありますが、なんとかがんばっています。家族の中で一番早く家を出ていたこれまでの生活から、最後に家を出る生活にかわり、主婦の立場としては大変ありがたいことです。
 我が家はいやがらせを受けています。もう3年近くになります。近所や銀行などの名をかたっての電話、、、。頼んでいない通販商品が次々と届く、、、。頼んでないんですと何回言ったことか、、、。私も子供たちも精神的にかなりダメージを受けました。
 こんな状況のなかでも家族みんなの健康がまもられていることは感謝です。
 教会総会で執事に選ばれました。大変不信仰で申し訳ありませんが、マジ?今年はダブル受験だし、、、いろいろあったし、あるのに、、、というのが正直な気持ちでした。ところが今の新しい職場は銀行のそばにあり、お昼休みに行くことができます。今まではそんなこと絶対無理でしたから、これも主のご計画でしょうか。とりあえず、無理はしないをモットーとして抜けるところは手を抜いてやっていこうと思います。
 このようにいろいろ抱えた弱い者ですが、どうぞみなさまのお祈りによってお支えいただき、なんとか執事の仕事をさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

■いつまでも残るものは K.M.

 礼拝を終えて一階に降りてゆくと、早くもバザー開始を待つ近隣の方々のお姿が・・・・。50周年記念バザーの成功を予感させるうれしい光景でした。
 50年の歴史を刻むこの教会と、地域を結びつける大きな役割を担ってきたバザー。18年前に私がこの教会に加えられた頃から、バザーといえばM兄の聖書書店、地元浅川在住のH兄の出番でした。書店の出張販売は、キリスト教と接点の少ない方々への良き伝道の機会となりました。H兄は、丹精込めたリンゴや野菜で会場をにぎわせてくれましたし、何より、地区のテントを借用するために奔走し、福音教会が地域に受け入れられる基盤を築いてくださいました。奇しくもおふたりは、この教会創立50周年の春に、天に帰っていかれました。
 5月16日の当日は、事前に用意された看板やチラシが用いられて、多くの方々が足を運んで下さいました。日頃、先生方が地区の方々と良い関係をもってくださっている証しでもあります。会場には例年以上の品々が並び、お汁粉も新たに加えられてメニューも充実。働き手の確保に苦慮していたアダムの会にも良き助け手が与えられた様子。ウイングスのお友達も売り子として大活躍。楽しいひとときでした。
 先に天に帰られた兄姉の不在は、本当に淋しいことですが、その記憶はいつまでも私たちの心に留まり、その信仰は次世代の信仰者へと受け継がれていきます。そして今年の皆さんの作品も、買ってくださった方々の舌を喜ばせ、生活を彩り、心を満たしたばかりでなく、私たちに伝道のチャンスを与えてくれるはす。我が家の殺風景なリビングルームの壁を暖かく飾ってくれているK姉のタペストリーは、今、静かに、訪問客への伝道の時を待っています。

■主の愛にたまげた人 正村八重子

 「たまげた、たまげた」が口癖だったHさん。神様の絶大なご愛に感動し、主にある兄姉の交わりに喜びご自分で作られた米、リンゴ、野菜の成長を見て自然界を掌られている神様の大能に驚き、教会の週2回の食事がおいしいとたまげる。すべてのことに感動された方でした。狭い日本で生まれ育った人と違って考えられることが広く、大陸的でした。イエス様を信じた時も、その変わり様が大きかった。今までお世話になったお寺に挨拶に行き、改宗した旨を伝え(そのお坊様もとても立派な方でした)感謝して帰ってこられました。また、親戚にも来ていただいてクリスチャンになったことを伝え、何代も続いた古い仏壇を整理して、はっきりした立場でクリスチャンとしての出発をされました。
また、正義感の強い方でしたので、弱い立場の人々のためにと政治的活動もされていましたが、それも、キリストの救いに勝るものではないと信じるに至りました。主日の礼拝と水曜日の祈祷会を何よりも大切にし、楽しみにして、週のうち、この2日間のため身体と時間の調節をしておられました。礼拝説教も水曜日の聖書の学びのみことばも素直に受け入れておられる謙遜な人であっただけに、信仰生活は長くはなかったにもかかわらず、霊的成長が早かったと思われます。
 今は竹の子の季節、婦人の誰言うとなく、「Hさんちの竹の子どうなっているのかしら。お許しがあれば取りにいきたいね。」毎年、たくさんの竹の子を抱えてきてくださった姿を思い出します。抱えて来られる物は季節ごとに違っていた。きゅうりであったり菜っ葉であったり、大根、なす、ししとうなどなど。今年は竹の子もきゅうりもないけれど、働き者だったH兄、今頃は主イエス様の膝元で感動して、たまげたを連発しているのかもしれない。それにしてもH兄のつくられたおやき(中華風)をもう一度食べてみたい。

■頑張れたこと T.S.

 先日行われた、北信陸上大会で出場した200mと4000mリレーで県大会に進むことができました。ここまで来れたのも一年生から地道に頑張れたからだと思います。 最初、入部した時は本当に遅くて後ろからついていってばかりでした。入部そうそう先輩達とリレーを組んだりする人もいましたが、そんな人たちとは比べものになりませんでした。毎日の厳しい練習に耐えられずにやめていく人もいましたが、とにかく部活には毎日出るようにしました。
 そんな1年生が終わり、2年生のはじめに大会に出させていただけることになりました。その大会ではいい結果を残すことができました。今でも、その大会が転機だったと思っています。その大会から現在まで、大会では必ず自己ベストが出ています。今思えば、1年生の頃、続けて頑張っていて本当に良かったと思います。こうして頑張れたのも、神様の支えがあったからこそだと思います。
 県大会からさらに上の大会にすすめるように、3年生になった今も練習に取り組んでいます。

2010年3月号

■巻頭言 「日々新たに」 Y.Y.

 私は24歳の時にイエス様と出合い、洗礼を受けました。その前に一年位の求道期間はありましたが、受洗の決心はかなり曖昧であり、何か以前からこうなることが決まっていたかのように、特別な感情や経験もなく、一つの通過点として進んできました。しかし、周りの兄弟姉妹たちをみると、今までの生活と全く違った世界に見え、何もかもが新しいことの連続でわくわくしていました。そして私を導いてくださった兄弟は様々な集会に誘ってくださり、その中で永遠を知り、信仰は命の問題であることを学びました。「世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び・・・」とみことばにあるように、小学生の頃から度々教会に思いを向けやっとの中で、みことばに心を留めることができ新しい出発ができたことは、ただただ主の憐れみとしかいいようがありません。
 これまで導かれるままに教会生活を歩み、沢山の奉仕をさせていただく中で、とても充実した生活を体験しました。社会生活では戦いの連続でしたが、私たちには主にあっていつも勝利でした。実はいまも戦いの中にあります。40年余の信仰生活を振り返ってみるときに、いい加減な出発で始まった者を主は愛してくださり、みことばを知る喜び、主が共にいました奉仕の喜び、伝える喜び、交わる喜びを与えてくださいました。
 しかし、最近の自分をみるにつけ、奉仕と生活の中でマンネリとした現状に甘んじていることに気がつきました。信仰を持ち始めた時のあのワクワクとした充実感がなく、ただ生活している自分を発見しています。私は死ぬまで主に喜ばれる歩みをしたいのです。「御霊で始まったあなたがたは、いま肉によって完成されるというのですか」・・ガラテヤ3:3
 もう一度初心に返って主に近づき主の臨在を認め、体験しながらいつ主が帰ってこられても、よくやった忠実なしもべだと言われるように求め続けたいと思います。

■アダムの会新年度の抱負 S.U.

 「今年度のアダムの会の会長を決めたいと思います」
 「アダムの会の会長やりたい人いますか~?」
 「・・・・・・・。」
 「じゃ~!」
 「昨年の会長は、なんとか兄だったよね~?」
 「昨々年の会長は、なんとか兄だったよね~?」
 「昨々々年の会長は、なんとか兄だったよね~?」
 「昨々々々年の会長は、確かなんとか兄じゃなかったっけね~?」
 「昨々々々々年の会長は、なんとか兄だったと思わない?間違いないよね~?」
 「昨々々々々々年の会長は~?」
 「なんだかわかんなくなってきちゃった~」
 「じゃ~ここ最近やってない人は~?」
 やばッ!確実に近づきつつある。
 「あッ!Uさんは最近どうでしたっけ~?」
 きたッ!死んだフリ・・・
 「Uさんで良いと思う人、手をあげて~?」
 めでたく全員一致。

■泉会の会長になりました S.K.

 今年度の泉会に会長になりました。自分の中では、礼拝や祈祷会を守れる人が会長になるべきという思いがあり、以前は副会長にはなっても、会長は断っていました。しかし、7年前から、義母の在宅介護が始まり、主人が私が教会に通うことを受け入れてくれるようになり、日曜日の早朝礼拝に出席できるようになりました。主人が時間のある時は通常の礼拝にも出席できるようになりました。クリスチャンホームで育った私にとって、礼拝や祈祷会は、喜びをもって参加するというより、義務のようなところがありました。しかし、出席したくてもできないという状況におかれてはじめて、喜んで行けること、行けたことに感謝できるようになりました。特に聖餐式は、以前は早朝ではできなかったこともあり、預かることができた時は本当に感謝でした。
 どの教会も婦人会のパワーが強いと言われるようですが、当教会もそう思っておられる方が多いかもしれません。今年は(今年も)多くの行事がありますが、食事の用意から布団干し、ゴミ出しなど、することは一杯あります。全員がマルタでも全員がマリアでもいけないのです。できることをできる分だけ、皆で助け合って喜びをもってやっていきたいです。私が、言うだけで何もしないことがあっても私につまずかないでください。私の分までしなくちゃと思わないでください。喜んでできる分の仕事をしましょう。不足分は神様がしてくださいます。なんという信仰、いや、なんという楽天的、これが私の実体です。こんな人が会長じや心配だという方には、きっと神様が仕事と御褒美を用意して下さってますよ。泉会のため、泉会一人一人のためのお祈りとお手伝いをお願いします。

■「一麦会」 K.E.

 今年度、一麦会の会長を仰せつかりました。会長とは名ばかりで、一麦会会員一人一人に与えられた賜物を生かし、一致・協力して共同体である教会との橋渡しの一助となれば考えております。一昨年のリーマン・ショック以来、世の中には先が見えない不安、閉塞感が広がっております。この時代に生きる私たちも、時代の価値観・思想に影響されます。ともすれば教会の中にも閉塞感がただよいがちです。このような時代であるからこそ、創意・工夫しながら与えられている教会の営みを重んじ、主と主のみことばに信頼し続ける共同体でありたいと願います。(神奈川伊豆宣教区新年聖会松下信師発題より引用)
 小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。(ルカ12:32) 

■「高知喜びキリスト教会献堂式に出席して」 E.M

 2月11日、教会の皆様の尊い献金をお届けし、献堂式に出席する正村先生のお供で、高知喜びキリスト教会を訪れました。
 当日の夜中2時頃、凍ってシャリシャリする道をタクシーで羽田に向かい、高知龍馬空港に着いたのは10時すぎ、食事を済ませ空港バスで最寄りのバス停から、お迎えに来て下さった車で教会に到着したのは、献堂式の始まる1時ほんの少し前でした。(四国って長野から遠かったです。)雨が降りしきる中でしたが、教会員の方々が温かく迎えてくださり、星沢先生ご夫妻も久しぶりの再会を涙ぐんで喜んでくださいました。
 教会員は30名弱とうかがいましたが、献堂式には近隣の教会や教区の教会からも多くのお客様があり、長野福音教会からも5名+1匹と100名程の方で、あふれていました。
 星沢先生ご夫妻が、地域の方々の支えの中ですっかり溶け込んでなじんでいらっしゃるのを見て、本当にうれしく思いました。先生は病気もされたようですが、以前と変わらぬ大きな声で、はりきって得意の替え歌、「北国の春」ならぬ「南国土佐の春」を熱唱して下さいました(笑)。式の中で献堂に至る経緯の報告などありましたが、その時々に神が働いて下さった事を感じました。又、講壇にかかる十字架は、先生自ら金色に塗ったそうで、そのムラの中に先生の思いがいっぱい詰まっていました。教会はかわいい黄色い教会で、若葉色の十字架が入口と道路から見える2ヶ所に立ち、教会の存在感をアピールしていました。
 献堂式に出席したのは初めてですが、教会員の方々の祈りによって、こうして教会という建物が、クリスチャンの交わりの場として、又、人を招く伝道の場として建ち上がるのだと、50年を迎えた福音教会の兄弟姉妹の会堂への思いを改めて感謝したい気持ちです。
 「龍馬伝」で高知はにぎわっていましたが、高知については、そのうち「チャールズの旅日記」が掲載されるのでは・・・と期待して、またの機会に。

■創刊に思う  正村冨男   祈りの友の前身であり長野福音教会の最初の機関誌である「ともしび」の記事から創刊号の抜粋(ともしび創刊号1964年9月5日号から転記)

 昨年来の懸案でもあり祈りの課題でもあった機関誌「ともしび」がいよいよ創刊されることを心から喜びたいものです。
 松原湖バイブルキャンプ特集をもって創刊号をかざるとのことである。今年も二十数名の兄姉が参加されたが、多くの証しがあることだろう。年毎に行かれる方々がふえていくのは何ともうれしいことである。
 思えば私共の教会は当地に腰をおろしてから4年目を迎えた。これまでもずいぶん宣教師にお世話をおかけしてきたものです。4歳を人で言えば幼稚園に一人でも通える歳であろう。自分の意志と自分の足とで行動ができるようになるのである。私共の教会も、もう自分の足で立ち上がり、歩き出さなければならないのではあるまいか。今年こそ全く自主独立の教会、一人歩きのできる教会となるべくお互いにがんばろうではありませんか。そのためには教会員諸兄姉一人一人が明確な救いの確信をもち、伝道使命の確立がなければならないでありましょう。
 この「ともしび」が文字通りに私共の行く手を照らし出すともしびとなるためには、兄姉の祈りと働きの助けがなければなりません。皆が力を出し合って支えあうことによって初めて、この「ともしび」が高く掲げられるのだということを忘れてはならないのです。発展をお祈りしつつ(牧師)
 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。(詩篇29:105)

■エッセイ 「ラーメン一杯は時間給と同じ」 正村八重子

 昨年の泉会クリスマスに松吉理枝子牧師からお話をお聞きした。先生は丸子町キリスト教会を、先に天に帰られたご主人とともに、全力を尽くして建て上げた。子育てや老後を考え尽くして、私財も献げて教会堂を造りあげた。ご主人亡き後、牧会を続けられ、お子様たちもそれぞれ献身していらっしゃる。火のような試練を通って来られたが、何とも明るくて楽しい方。
 大学生の時、新宿界隈を飲み歩いた話、哲学を語り学生運動(?)をして親からの送金を飲んでしまった話・・・・。同世代を生きた私としては、身近なものを感じた。特に、「新宿界隈のラーメンの値段は当時45円~50円だった、、、」と話すと、「いやもっと安くて35円のところがあった」とおっしゃる。私は新宿西口からいつもバスに乗っていたのでよく知っているつもりだったが、「正村先生は表通りを歩いていたから、高いラーメンを食べたのだ。私は当時の新宿の裏を知っていた」と、、、。同世代といっても、彼女は家が豊かでたくさんの送金があったが、私は貧しくてとても飲み歩くなどできなかった。あの頃も今も変わらないことは、ラーメン一杯=時給である。ドルも360円から現在の88円に変化している。いまラーメンは大体700円~800円位だ。時給も大体そんなものである。
 ここにもう一つ何世紀も変わらない値段のものがある。それは奴隷の値段である。出エジプトの時代、奴隷は商品だったので、それに傷をつけると、銀貨30シェケルの弁償をしなければならなかった。ユダがイエス様を祭司長たちに売った代金も銀貨30シェケルであった。ゼカリヤ書13:13には、このことが預言として記されている。これは当時の住民税60人分(銀貨1枚で2人分)になる。私たちは住民税いくら払っているのでしょうか(所得税ではありません)。これに比べれば大した額ではない。イエス様は奴隷と同じ値段で売られた。これはユダが犯した罪であるが、私が犯した罪でもある。銀貨30枚の価値を考えましょう。

2010年1月号

■巻頭言 「新しい年=ヨベルの年」 高橋宣広

 新しい年、2010年を迎えました。今年の教会の主題聖句は、旧約聖書レビ記25章10節です。「あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。」
 1960年12月に正村富男牧師が長野に赴任され、三輪六丁目の民家で集会と伝道を開始されてから、今年で50年目を迎えました。ここまで神様が、私たちを守り導いてくださったことを、心から感謝しましょう。
 聖書には、「第五十年目」を「ヨベルの年」として「聖別しなさい」との神の命令が記されています。「聖別しなさい」の「聖さ」は、本来、まことの神だけが持っておられるご性質です。また「聖さ」という言葉には、「分離する」とか「切り離す」といった意味が含まれています。神の聖さは、罪ある私たち人間からは、完全に分け隔てられた聖さです。この世の汚れからは完全に切り離されている神の聖さです。汚れているところや不完全なところ、間違っ
ているところなど一つもない神の聖さです。
 そして神様は、私たちも神の聖さにあずかることができるのだと約束してくださっています。レビ記19章2節には、「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない」神の子とされている私たちは日々、父なる神のご性質に似せられていきます。またキリストに似た者に造り変えられていきます。これが私たちの歩みです。これがクリスチャンにとって聖化されていくということです。
 今年一年間、私たちはキリストの聖さに近付けられていく歩みを目指していきましょう。私たち一人一人が霊的に成熟していく。私たち一人一人が魅力あるクリスチャンに成長していきたいと思います。
 2010年、新しい年、私たちは霊的な成熟を目指して、次の三つの決心を共にしましょう。
  1.主の日の礼拝を大切にします。
  2.主を愛することを大切にします。
  3.キリストに似た者に造り変えられていくことを大切にします。
 今年一年間、新しく造り変えられていくこと、キリストに似た者に造り変えられていくことを祈り求めていきましょう。年末に、一年を振り返ったとき、本当に神様の取り扱いを受けることができた!教会の兄弟姉妹お互いを見て、「あぁ、あの方も神様に取り扱われ、霊的成熟を与えられた。キリストに似た者に変えられた!」 そのように喜び合える一年としていきたいと願います。

■サテライトクリスマスコンサートin二葉堂 を終えて T.K.

 表題のコンサートを2009年12月12日(土曜)14時~16時に実施することができました。会場となった二葉堂石渡店の喫茶ルームの定員は、通常21席です。そこに38名が参加して下さいました。(その内14名は普段教会に来られていない方です。)参加者の皆さん窮屈な思いをさせてしまい、すみませんでした。でも賛美とピアノ演奏がすばらしく、ケーキや飲み物も楽しめたクリスマス会でしたね。何よりも出演してくださった皆さんと、受付等のお手伝いをして下さった皆さんのおかげと感謝しています。
 そもそもこの計画は、クリスマスなのにどうして教会よりもケーキ屋さんの方に多くの人が行くのだろう?それならこちらから出向いて、クリスマスの本当の意味を伝えていこうという思いから始まりました。数年前からあたため祈っていた計画です。新たなチャレンジでした。
 クリスマスはハッピーバースデー、イエス様が生まれた日です。イエス様は神様からのプレゼント。というメッセージを込めてコンサートを行いました。二葉堂に来られたお客様や店員さんもちらちらとその模様を見ていたそうです。
 今年もサテライトコンサートを開くことができますようにお祈りとご協力をお願いします。

■映画『マリア』をみて K.S.

 2009年12月13日、長野福音教会で『マリア』の上映会が行われました。イエス・キリストの両親となるヨセフとマリアの出会いから、イエス・キリストの生誕まで、再現された映画です。
 この作品では、ヨセフとマリアを、当時のありふれた普通の若者として描写していました。何もなければ、平凡な夫婦となる―――と二人は考えていたでしょう―――はずだったと思います。ところが、ヨセフとマリアは神様に選ばれ、結婚前にイエス・キリストを懐妊しました。そのために多くの葛藤と出会い、二人と協力しあうことで問題を乗り越え、ついにベツレヘムでイエス・キリストが誕生されましたとさ…。
 僕もいちおう現代の若者ですので、同じ若者であるヨセフに感情移入しながら、映画をみました。
 身重になったマリアが公けにならないよう、婚約解消を熟慮する場面。ベツレヘムへの道中、我が身をかえりみずマリアのために尽くす姿。僕だったら大声で不満を叫んだり、危険から一人で逃げちゃったりするかもと、自分のへたれっぷりと重ねながら、みていました。やっぱり僕なんかと聖書の登場人物であるヨセフは違うんだよな…と思っていましたが、共通点もありました。それぞれの時代を生きる、普通のひとという点です。ごく普通の若者だったヨセフは神様の御言葉に従い、人生の最大の分岐路で、最良の選択肢を選びました。聖書を読む限り、ヨセフというひとは、イエス・キリストの(義)父役でなかったとしても、御言葉に従って生きるひとだったのでしょう。同じく普通のひとにすぎない者として、御言葉に従って―――字面だけでなく、実践して―――いくことの大切さを、ヨセフの姿から考えさせられました。

■2009年クリスマス M.H.

 今年もクリスマスの季節がやってきた。クリスマス祝会といえば各会からの出し物がメイン!?
 今年の泉会は、姉妹からの提案で出し物が早々に決まった。台本が配られ、歌の練習が始まり、そしてなんとリハーサルの日程まで配られた。なんて至れり尽せり。練習の合間には小道具作りや、配役された姉妹方そして高橋先生の衣装合わせもあった。セリフの打ち合わせにファクシミリ用紙が溢れたとか溢れなかったとか。とにかくその力の入りようはすごい。
 そして迎えた当日。出番は四つのなかで最後。トリだ。照明はアダムの会の協力を得て、ヨハネ書の一場面、サマリヤの女を上演した。
 場面中央には井戸。Y会長の語りが流れ、2000年前にタイムスリップした。次々と姉妹たちが水汲みのために登場する。彼女たちの一言一言に普段の生活がにじみ出て会場を沸かした。そして高橋先生扮するイエス様が杖をつきながら、ドタドタッと現われ、サマリヤの女ことT姉が人目を忍んで登場。イエス様からいのちの水をもらった。ところどころコーラス隊のさんびが入り、まるでミュージカルのよう。最後は泉会全員で「サマリヤの女」を賛美したのだった。
 泉会の山場はイエス様がみことばを発するところ。見どころは井戸に水汲みにくる女性たちのシーン。長野福音の女は33メートルの深さもものともしないのだ。

■受洗して S.Y. 

 私は洗礼を受ける前は、聖書のことやイエス様のことがよくわかっていませんでした。
 でも洗礼を受けるための準備をしていた時、テキストや高橋先生のお話を聞いて、深く考えることがありました。一番は、十字架のことでした。神様は、人間の罪のために大切な一人子を十字架にかけてくださったんだ、と、感謝の気持ちでいっぱいになりました。洗礼を受ける前と受けた後で一番変わったことは、神様に対する気持ちだと思います。何をする時でも、困っていなくても、いつでも神様のことを第一に、祈っていられるような人になりたいです。そしてヤングチャペルでしっかり聖書の勉強もしていきたいと思います。
 これからは聖餐式にあずかることで、洗礼式のことを思い出し、また神様にしっかり祈っていきたいです。

■娘の受洗 K.Y. 

 クリスマスには、娘の洗礼式をありがとうございました。
 我が家は、主人がクリスチャンではありません。娘が幼かった頃、「宗教は個人の自由なんだから、キリスト教を押し付けるようなことはするな」と言われたことがありました。主人が日曜日に用事があって家にいない時だけ、赤ちゃんの娘を連れてタクシーでこっそり伊那福音教会へ行っていました。娘が1歳の時長野市に越してきたのですが、教会が歩いて行けるところにあったことと、水曜日に祈祷会があったことで、日曜日に礼拝に出れなくても、教会につながることできたのは感謝でした。かつて私も日曜学校で育ったので、娘が幼稚園に通うようになった時、「日曜日にウイングスへ通わせたい」という思いが強くあり、祈って主人に相談したところ、「幼稚園以外のところに友達がいることは大切なことだ」とウイングスへ通うことを許可してくれました。主のご計画のうちに、いろいろなところを通され、今は娘と二人、日曜日の礼拝を守れるよう整えられ、本当に感謝です。
 娘の受洗に関しては、「洗礼を受けるということはとても大切なことだから、自分で自分の行動に責任を持てるようになってから自分で決心するように」と伝えてありました。私も中学1年のクリスマスに信仰告白をしたので、娘の受洗は、感慨深いものがありました。
 主人に関しては、娘の受洗を伝えた時も特に反対もなく、洗礼式にも来てくれて、なにを考えているのかわかりませんが、なかば強引に押し切った、という感じです。
 ここまで来れたのは、正村先生、高橋先生はじめ、長野福音教会の皆様、ウイングス、ヤングチャペルの先生方のお祈りと伊那福音教会の皆様、私の両親・・・たくさんの方のお祈りがあったからだと思います。この場をお借りして感謝申し上げます。また主人の救いのためにも続けてお祈りください。ありがとうございました。

■「Y.K.兄の思い出」 M.S.

 「ありがとう、いつも悪いね。」苦しい息で絞り出した病室での最後の言葉が耳から離れません。Y兄と初めて会ったのは、O家で行われていた家庭集会でした。うちがまだ新婚ホヤホヤだった20年も昔のことです。4歳くらい年上であること、出身はO村で教会の近くに住んでいること、時計の修理の仕事をしていること、そして徐々に筋肉が失われていく「筋ジストロフィー」という病気であることを知りました。O家での交わりやYさんの家にお邪魔してのクリスマス会など、今も心に残る大切な思い出です。身体に合わせて改造した車でどこにでも出かけ、助手席に積んだ車椅子に器用に乗り移る様子にいつも感心していました。
 しかし、体力の衰えもあり好きな車も住み慣れた家も手放し、長野市民病院の隣に建設されたばかりの施設に入所されました。なかなか教会には来ることはできませんでしたが、ときどき週報や祈りの友を持って訪ねると喜んでくれてテレビ番組のことから聖書のことまでたくさんの話をする時間を共有できました。○○さんはどうした?○○さんは元気にしてる?などいつも教会のことも気にしていました。去年の1月だったか2月だったか、痰がからまったり咳が止まらなくなるといった症状が出ると話していました。そして、7月の終わりの祈祷会のときYさんが入院したことを知りました。次の休日にあわてて病院に飛んでいくと意外と元気そうな笑顔で迎えてくれました。なーんだぁ、とほっと胸をなでおろしているとY兄が言いました。「Sさん、頼みがあるんだけど」。「いいですよ。お金以外のことなら(笑)」。「ハハハ、退院したら髪の毛を切ってほしいんだよ」。この言葉を聞いたとき、この入院は長くなると覚悟していることがわかりました。「もちろん、OKっすよ!」。今振り返ってみるとこのときすでに「死」を予感していたのかも知れません。病室の窓からは緑の絨毯のような美しい田んぼが風に揺れていました。
 それから「Y兄どうしてるかな?」と気になって仕方ないので毎週顔を出しました。入院経験のある方ならわかると思いますが、病院での1週間という時間はとてつもなく長く感じるものなのです。そして無機質な白い天井を見ながら考えることと言ったらネガティブなことばかり。訪問は5分から長くても10分くらい。雑談して祈って「じゃあ、また来ますね」といった感じでした。
 しかし、病状は良くなるどころか日に日に悪化していくようでした。黄金色に実った稲の刈り入れが終わる頃には食事もとれず身体を動かすこともできなくなっていました。絞り出す声で「Sさん。イエス様の、着物にさわったら、癒されるかなぁ」。マタイの福音書9章20節~22節に出てくる長血の女が癒された聖書の話です。今は直接イエス様に会うことは叶わないので、もし夢の中でイエス様の着物にさわることができたら癒されるか・・という切実な質問です。この重大な問いに何と答えていいのか迷いましたが、「よくわからないけど、聖書に書いてある通りに成ると思います」。苦し紛れの答えでしたがYさんの表情を見ながら正直に答えました。Yさんの目から涙があふれました。その涙がどんな思いの涙だったのかわかりません。僕にできたのはその動かない手の代わりに涙を拭いてあげることだけでした。
 11月、高橋牧師からの電話でYさんが天に召されたと知らせを受けました。突然のことで動揺しました。人は自らの人生の最期を迎えるとき何を考え何を思うのでしょう。諦めでしょうか。後悔でしょうか。寂しさでしょうか。絶望でしょうか。それとも天国への希望でしょうか。Y兄はどうだったんだろう・・・。「希望」であってほしい、心からそう願いました。「主は与え、主は取られる。主の御名は誉むべきかな」
 病ゆえに身体の自由は制限されていましたが、Y兄から教えられたことや学んだことがたくさんありました。また、Yさんを介してでなければ出会えなかったであろう方々と数多く出会うことができました。「Y兄、遠慮なくズケズケものを言う欠けだらけのこの者と長い間付き合ってもらい本当にありがとうございました。イエス様の御傍でとりあえず手足を伸ばしてゆっくり休んでくださいね」
 お通夜のとき初めてY兄の妹さんにお会いしました。「いつも兄から聞いていました。喜んでいました。本当にありがとうございました」。喜んでいた、と聞いて何だかホッとしました。
 人を愛することはできても愛し続けることは難しい。誰かのために祈ることはできても祈り続けることは難しい。だからこそ、愛し続け祈り続けなければならない、そう思います。赴任早々から何度も施設や病院に足を運んでくださった高橋牧師、怪我を押して病院に駆けつけてくださった正村牧師、とりわけ祈祷会で熱く祈り続けてくださった兄弟姉妹に感謝いたします。Y兄がどれだけその祈りに励まされていたことか。「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます」~ヤコブの手紙5章15節~さらに祈りに励み、軽やかなフットワークでどこにでも遣わされていくものでありたいです。Y兄そして私たちの主イエス様に心から感謝します。ありがとうございました。

■エッセイ 「50年ぶりの信仰の友」 正村八重子

 50年ぶりの昔の友人達と軽井沢恵みシャレーで、H教会のA牧師を囲んで「青年」の集いをした。何しろ50年前の青年なのだから現老人クラブといったところか。A牧師夫妻を囲んで、さんびと証しと祈りの時を持ちましょうということだった。A先生ご夫妻はご高齢でいらっしゃる。何しろ50年昔の青年たちを指導してくださった方々なのだから。老いの身を案じたが、久々にお会いしてびっくり。髪はふさふさ、すいすいと歩き、集会が始まったらピアノを弾き、大声で祈り、さんびし、説教をする。昔と少しも変わらない。次から次へとピアノとともにさんびし、夜の更けるまでA牧師のピアノに合わせてさんびが続いた。
 これは東京杉並区のH牧師。A牧師はその教会の初代牧師。今もA先生と元青年たちは交流しているとのこと。私は50年ぶりに皆に会ったのだけれど、あのお婆さんは誰だっけ?あのはげた人は?あの人は元幼稚園の先生だったMちゃん、あの髪の薄い人は昔格好良かった日航に勤めていたTさん、ピアノが上手だったSさんなど。人は50年経つと元美人も元格好良かった人も変貌する。
 今年は何かと50という数字が目につく。教会50周年。安保50年、「アンポハンタイ」のリズミカルな声を思い出すのは私くらいか。50年昔、日本中に「アンポハンタイ」の掛け声が流れていた。当時私は千葉県のT教会で奉仕していた。牧師も信徒も秘かにこのデモに参加していたようだ。50年前千葉にいた私が、この教会の50周年にも創立にもともにいたということは計算が合わない、50周年と50年の違いか、どちらでもよいことである。とにかく神様はこの教会を50年導いてくださった。50年ぶりに昔の信仰の友に会えたこと、安保の50年は良かったのかどうかわからないが、信仰の友は何年経っても変わらない友人である。

2009年秋(11月)号

■巻頭言 「あめつちの為ごとⅡ(東雲篇)」 O.T.

 毎朝7時前に、箒とちりとりを手に施設を一周する。バス停傍の公衆トイレ。さまざまにゴミが散乱していることがある。夜間、この中で飲食し寝袋持参で休む人もあるという。やれやれ今朝はまずまずきれいな方だ。
 館の出入口2か所に設置してあった煙草の吸い殻入れが最近撤去された。一周、10分余。
 「おや、見えないな」7時15分、シャッターを揚げるために南側出入口を一旦開ける。いつもの銀行員の姿がない。気のよさそうな青年は、毎朝きまってここで一服つけると、缶入りの何かを飲みながら職場に向かうのを常としていた。彼とは「お早よう」と挨拶を交わすほどだったが。見えないわけだ。ここで一服して一日の始まりとするまさに意味がなくなったのだから。これを潮に、莨と縁を切りなさいネ。
 7時20分エレベータで8階へ向かう。この箱の中では「主の祈り」を唱える。(となえるのはやめたら、念仏のようだもの。妻が以前宣ふた。ホウそうかネ)では高らかに吟ずるとしよう。それもヘンだとまた妻に言われそうだ。5Fから清掃班のNさんがカートとともに乗り込むこともある。
 8階に着くまでに約35秒。相当早口でもなかなか追ッ付かない。各階のトイレの照明SWを入れて1階まで下る。7時42分から上下のエスカレータを解錠する。これは古い代物でよく異音がし、まれに故障する。EVについては以前、詩人の工藤直子さんがラジオで言っていたことを思いだす。詩人の若き頃。銀座の広告代理店でコピーライターの職にあった日。それは休日であったが、久方ぶりに九州から父上が上京され、職場を見るかというので、連れだってそのビルのEVに乗って、行き先のボタンを押し、EVが動き出したとき、お父さんは言ったそうだ。「直子、お前もこげな機械ばひとりで動かせるようになったんじゃのう」
 <直子さんこそはクリスチャンであって欲しいナ。ふと思った。―― いづれ続きます。>

■信州クリスチャン修養会の証し S.N.

 10月11日、12日と第25回信州クリスチャン修養会が長野福音教会にて行われました。講師に影山範文先生をお迎えし、又特別賛美としてユバルアンサンブルの3人の方をお迎えしての会となりました。先生は1945年鳥取県でお生まれになられましたが、生後1年半で失明なさり、7才で家族と共に上京し、小6の時に初めて教会に行き中2で受洗。高3の時御言葉から信仰の確信を与えられて献身なさいました。「愛のキリスト教会」を設立され、メッセージの奉仕をされていらっしゃいます。
 講演会は3回に分けて行われました。第1回目は10月11日PM7:00より「小さくても成長する信仰」と題してヨハネ9:1~12よりお聞きしました。私たちが抱えている多くの問題は、理由でなく目的の為であり、又信仰が小さくともイエスキリストの血が流れてくるとのお話でした。
 2回目は12日AM10:00より「迫害で成長する信仰」と題してのメッセージでした。ヨハネ9:13~34より迫害でいじめられることで成長しりっぱな信仰になる。又自分の旗色を鮮明にすることが大切であり、私たちには神のわざを防ぐ人間の頑固さが有るとのお話でした。
 3回目はPM1:00より行われ、初めに特別賛美のユバルアンサンブルの3人によるハープ、ギター、笛による演奏でした。その後影山先生のメッセージ「聞き従って成長する信仰」と題してヨハネ9:35~10:18よりお聞きしました。イエス様の愛を自ら断ち切ることにより自らの死を招き霊的盲人になる。聖書は愛の手紙であり、見えると思っているだけで神様の声が聞こえていない私たちであるとのメッセージでした。   
 この3回の講演会とユバルアンサンブルの演奏会を祝福して下さった神様に感謝の気持ちでいっぱいでした。

■第25回クリスチャン修養会に参加して S.S.

 私はこれまで、全盲の牧師先生のメッセージを拝聴したことはありませんでしたが、今回初めて私と同じ、生まれながらにして全盲であった牧師先生の朗々たるメッセージを拝聴する機会が与えられたことは、本当に刺激になりました。しかも私と同じ全盲の夫婦でありとても親近感がわいた次第です。
 ヨハネの福音書の9章からのお話しでしたが、これもまた盲目の人の出てくる話でした。イエスの弟子が、「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」と訪ねたとき、「神の業がこの人に現れるためです。」と答えられた場面については聖書を読んでなんとなく知っていましたが、意味が解りませんでした。しかし、影山先生のメッセージを拝聴して、少しその意味がわかったような気がします。この盲目の人は、イエスによって光を与えられました。それと同時に、イエス様が、本当に世の光であることを知ったのではないかと、私は感じました。影山先生の一言一言のメッセージが、心にしみました。ユバルアンサンブルの演奏もとてもすてきだったと思います。アルパと、笛のコラボがとてもすてきでした。
 私は、25回の歴史を数えるこの修養会に始めて参加させていただきましたが、様々な刺激を受けることができ、本当に参加してよかったと思っています。これからも世の光であるイエス様を信じる証人として、歩んで行きたいと感じました。

■「新しいキリストの教会」 高橋宣広

 10月18日の主日礼拝後、福音教会の兄弟1名と姉妹2名とともに塩尻聖書教会(愛称:広丘めぐみチャペル)の開所式へ駆けつけました。午後2時半の開始を前に、礼拝堂は満員で、下の部屋ではモニターを見ておられる方々もいました。合計70名近い出席者でした。
 信州宣教区長の辻浦先生の司式のもと開所式は進められ、賛美に続き、宣教区開拓推進委員の兄弟がマタイの福音書16:13―19の御言葉を朗読されました。 ― 「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」とのイエス様の問いかけに対し、ペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです」と答える場面です。このペテロの告白に対して、イエス様は「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」と語りかけられます。
 私は、これから塩尻聖書教会は、イエス様をキリスト(救い主)と告白する信仰の上に、キリストの教会として堅く建て上げられていくのだと感じ、胸が熱くなってきました。
 須坂教会の奥山先生がこれまでの経緯を説明してくださった後、信州宣教区担当理事の朝岡勝先生が、使徒の働き13:1―3から説教をしてくださいました。聖霊によって福音宣教に遣わされていくことのダイナミックさが語られました。さらに塩尻で長年伝道しておられる二つの教会の先生方が祝辞と応援のエールを送ってくださいました。
 そして塩尻聖書教会の廣田具之先生から感謝の言葉とともに、この開所式に出席された教会堂の大家さんの紹介がありました。大家さんは最初の礼拝にも出席されたとのこと。本当にうれしい報告でした。
 開所式に引き続き、ティーパーティが催されました。松原湖バイブルキャンプでキッチン・スタッフをしておられるご夫妻が、美味しいケーキをたくさん焼いて来てくださいました。なごやかで優雅なひと時でした。みなで新しい教会の誕生を喜び、主に感謝しました。
 ともに出席した福音教会の方たちは、「実物を見て本当に感動しました。これからはもっと必死に祈って、もっとささげていきたい」と語っていましたが、本当にその通りだなあと感じています。塩尻聖書教会から、献堂記念の素敵な時計(温湿度計付き)をいただきました。教会1Fホールの暖房機の上にあります。ぜひご覧ください。そして時計を見るたびに、塩尻聖書教会のために、廣田具之先生ご夫妻のために、立ち止まって祈りましょう!またお仕事や用事で塩尻に行かれることがありましたら、ぜひ塩尻聖書教会を訪問してください。さらに知人、友人、親族の方で塩尻に住んでいる方、お勤めの方がいらっしゃいましたら、ぜひ塩尻聖書教会をご紹介ください。
 塩尻聖書教会の礼拝堂の前方には、「この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒の働き18:1)との御言葉が掲示されていました。塩尻に数多く主の民が備えられていて、その方々が教会に呼び集められていくのだと信じています。そして同じ主は、私たち長野福音教会にも「わたしの民」をたくさん備えていてくださいます。信じて、伝道に励んでいきたいと思わされました。

■名前の由来 山岸直生

 先日、子どもが生まれました。皆様のお祈りを感謝します。名前は「優生(ゆうき)」とつけましたが、この漢字の「優しさ」には、私たちの思いとして二つの意味が込められています。一つは、「他人の痛みが分かる優しさ」です。日本の文化は、相手に自分がいいと思ったものを勧めます。「これぐらい食べないと足りないでしょ!遠慮しないで、さぁどうぞ!」といった感じです。それはそれでいいのですが、自分の思いと相手の求めが違う場合もよくあります。それが押し付けになり相手を傷つけることになる可能性もあります。相手の痛みがわからない優しさは、厳しい言い方ではありますが、自己の欲求を満たすためだけのものとなってしまう場合もあるのです。そんなわけで、相手が何を求めているかを考えることが大切なのではないかと思うのです。ちなみにアメリカなどでは、相手には「何が飲みたいですか?」「どのぐらい食べれますか?」といった感じで相手の望みを聞くことが多いそうです。
 もう一つの思いとは「真の優しさ」です。これは、相手の求めばかりではなく、その人にとって、それが益となるかどうかを考えるということです。神様は、時として自分の求めに反する結果をお与えになったりします。しかし神様は、私たちにとって最善となることを与えてくださるのです。このことは私たちにも必要なことではないでしょうか。その優しさが相手の悔い改めの機会を奪うことにならないだろうか・・・相手の成長を妨げることにはならないだろうか・・・など、その人にとって益となることを考えていくことが真の優しさではないかと思います。相手の痛みや苦しみを理解しつつ、相手にとって何をしてあげることが、真の優しさであるかを私たちも求めていきたいものです。
「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ人への手紙4:32)
(五十嵐キリスト教会牧師)

■エッセイ 「あなたの打ち傷をいやす」 正村八重子

 「わたしは傷つけまたいやす。」(申32:39)その日私の気分は高ぶっていた。オンギジャンイの方々と感動的な別れをして、その後泉会の皆様は寝具を干したり、病床にある方々を訪問したりと慌ただしい気分の中、次はクリスチャン修養会のために準備を始めなければ、(伊那福音教会の水野先生他兄姉方の行き届いた接待にいつも感激して帰って来るので、こちらもそれに負けまいと(?)あれこれ考えて手始めに漬物をしておいたら)など思いわずらっているうちに不注意にもスーパーの車止めにしてやられ、転倒した。一瞬何が起きたか分からなかったが、激しい痛みが背中を走った。一緒にいたM姉に助けられて家にたどり着いた。一夜明けたら直るだろうと思っていたが、その夜は痛みとの戦いの中で、あの高価だった?白瓜、酒粕、砂糖はどうしようかと思いめぐらしつつ祈った。というよりひたすら主の助けを求めた。
 翌日病院のストレッチャーに乗せられて診療。この後、主は全てを良くしてくださった。心配した漬物はY姉の手によって美味しくでき、クリスチャン修養会に間に合った。入院中動けない身体の私を高橋先生ご夫妻はじめ大勢の兄姉が入れ替わり立ち替わり見舞ってくださり、時には集団で時にはこっそりと(高橋先生にはなるべく皆さん来ないでくださいとお願いしてあったのですが・・)これがどんなに励まされたことか。一時はこれで寝たきりの病人になるのではと心配もしたが、皆様の祈りに主は応答してくださり、奇跡的と思えるほどの早い回復となり感謝のほかありません。
 クリスチャン修養会も思いわずらうこともなく兄姉方の積極的な奉仕によって無事終わり、出席された方々は皆喜んで帰られた。水野先生からも感謝のお便りがありました。思いあがっていた私に主は傷つけ、またいやしてくださった。来年は伊那福音教会で10月10日11日に開催されます。みんなで出席して伊那からもまた学んできましょう。

■二百個の風船、秋空に舞う 正村富男   今年の10月は献堂20周年感謝月間でした。「祈りの友」から献堂当時(1989年10月)の様子をみてみましょう。

 我らの長野福音教会の新しい歴史が始まりました。10月15日(日)、献堂感謝礼拝には安斎政威先生をお迎えして「キリストの体なる教会」と題して説教を聞き、赤飯の昼食後、若者たちの企画による本当に楽しい祝会であった。礼拝130名に加えて子どもら30~40名ほどが共に集まった。ハレルヤ!この日のためにと祝電43通。台湾、タイ、韓国、カンボジヤなどからも寄せられ、他に手紙や献金を送ってくださった方々は70名以上になった。まずは本紙上を借りて心からお礼を申し上げます。(中略)教会の庭からハレルヤと叫びながら風船200個を秋空に飛ばした。我らの教会の祈りと希望を天国に運んで行くようである。
 三輪の借家8畳間から始まった我らの教会が28年後の今日、過去の歩みを振り返る時、いつでもどこでも福音宣教を最優先にしてきた。そこに主の祝福が豊かにあった。我らは今こそ、初志に立ち開拓伝道の心が必要です。その動機は主の良くして下さったことを、何1つ忘れるな。Ⅰヨハネ3:16
 聖霊が益々豊かに働いてくださり、伝道が祝され、更に多くの方々が集われる教会になるように願います。(お祝いの言葉の中から)
〈祈りの友1989年11月号より転載〉


2009年夏(9月)号

■巻頭言 「ピーターの戦い」 H.E.

 『ナルニア国物語』の中で、弱腰の長男ピーターが狼と戦う場面があります。
 アスラン(イエス様の象徴)とその部下たちがかけつけますが、すぐさま狼を退治してピーターを救おうとする歴戦の将をアスランは制止します。そしてこう言うのです。
 「まて、武器はおさめよ。ピーターの戦いだ。」
 水戸黄門と違うところは、ここで助さん格さんの助太刀がないことです。この戦いでピーターができたことは、授けられた剣を狼に向かって握り締めていることだけでした。狼はうなり声をあげて襲いかかりましたが、ピーターの握り締める剣の切先にかかり自滅しました。弱腰ピーターは戦いに勝ったのです。
 幼少期から教会に来ていた中高生は、恵みのうちに育っています。しかし、その反面、家族や学校、社会の軋轢に耐えて戦う場面は少なかったとも言えます。ある面、両親クリスチャンの家庭ほど温室育ちといえます。
 しかし、クリスチャンホームの子どもたちも、部活、進路、異性をはじめ、世の様々な習慣や価値観に一人で考え、立ち向かわなければならないときがやってきます。それが中高生時代です。
 私ごとで恐縮ですが、私は今まで仕事先の他教会を中心に15年ほど中高科の奉仕をさせていただきました。時代と共に中高生も変わっていきますが、変わらないことも沢山あります。そのひとつは「自分で戦った子は強くなる」ということです。
 つまらなくても、納得できなくても、忙しくても、受験に失敗しても、レギュラーになれなくても、自分の部屋がなくても、学資がなくても、失恋しても、就職できなくても、おこられても、怒鳴られても、教会なんかに行ってるからだと親に言われても、言われるままに教会に通う「できのいい子」と元気な教会員に侮られても、それでも毎週、町はずれの古民家の教会に行き、御言葉を読み教会につながっていた子は、実は地道に戦ってきた子です。そしてそ
の子たちは今でも教会にしっかりとつながっているのです。ある子たちは苦学して伝道者になっていきました。葡萄の木のたとえそのものだと思います。もちろん、みんな爽やかな顔をして戦っていたわけではなく、むしろ悶々としていました。それは聖書の聖徒たちも同じです。
 私たちは、私たちの大切なピーターに、戦うことを教えなくてはなりません。負けてもいいから戦わせるのです。これをしないで常にハードルを低くしてもらってきた子には、大きくなっても「お楽しみ」や魅力的な刺激が必要です。フリカケがないとご飯(御言葉)が食べられないのです。ローマ人に対してはローマ人のようになって仕えるように、現代にマッチしたコンテンポラリー?な活動はとても大事です。ただそれは世の人を獲得するのが主たる目的で、クリスチャンにとっては必須ではありません。
 患難時代が何時なのかは諸説ありますが、いずれにしてもやがて私たちはふるいにかけられます。その時にはピーターのように、たとえ弱くとも、自ら御言葉の剣を握り締めている僕でありたいと思います。何がなくとも神様との1対1の関係がある僕です。そのようなピーターを育てたいと思います。
 主様の血潮を注がれ、教会を通して莫大な時間と財と労を注いでもらっているクリスチャンホームの祝福、また責任がここにあります。そして、この責任を果たすのが信仰継承といえるでしょう。

■2009夏キャンプの思い出

 8月2日(日)~4日(火)国立妙高青少年自然の家において恒例の夏の教会キャンプがおこなわれました。スタッフの先生のご協力により参加した皆さんに感想を書いていただきました。
●ウイングス編
 ・H.A.(小6)=キャンプファイヤー、源流探検、工作どれも楽しかったです。高橋先生のお話もおもしろかったけど、イエス様が十字架にかかった話が一番心に残りました。このキャンプでいろんなことも学べたし、楽しかったのでとてもいいキャンプになりました。
 ・M.S.(小6)=源流探検は大変だったけど、フツーには体験できないのでよかった。キャンプファイヤーもおもしろかった。お話もイエス様のことがよくわかって良かった。
 ・H.Y.(小5・牛久福音キリスト教会)=私はこのキャンプでたくさんの友達と遊んだり、お話を聞いたりできてよかったです。そして、これからもイエス様を信じて、1人でも多くの人を教会にさそって、イエス様のことを教えてあげたいと思いました。また来年もこのキャンプに行きたいです。
 ・S.S.(小4)=源流探検で何にも生き物を見つけられなかったけど、最後まで行けてよかったです。集会で高橋先生がイエス様の話をしてイエス様はこんなことができるんだ、つらいこともあったんだなと思った。ぼくは、それを聞いてイエス様をもっと信じたいです。
 ・M.E.(小4)=神様のお話を聞いて、私は心にズキッとくることがいっぱいありました。でも一番ザアカイさんの話がズキッときました。神様に会ってかえられたってことです。神様の話を聞いて私はもっとかわりました。神様にもっと近づいた気がします。
 ・M.Y.(小4・中野キリスト教会)=集会ではいろいろな所をこまかく教えてもらえてよかったです!キャンプファイヤーでは、さんびをしたりしたのがたのしかったです。げんりゅうたんけんは、ちょっとたいへんだったけど、いいけいけんになったなあと思いました。これからもイエス様を信じていきたいなあと思いました。!
 ・S.F.(小2)=げんりゅうたんけんとおばけやしき、キャンプファイヤー、ふうりんがおもしろかった
 ・Y.Y.(小1・牛久福音キリスト教会)=げんりゅうたんけんでかにをみつけました。イエスさまがじゅうじかにかかったところがなけた。
 ・M.H.(小3・中野キリスト教会)=げんりゅうたんけんで、ながぐつの中に水がいっぱい入っちゃったけど楽しかったです。
 ・Y.H.(小1・中野キリスト教会)=キャンプファイヤーがたのしかった。イエスさまをしんじたいです。
 ・S.H.(保育園・中野キリスト教会)=お友だちといっぱい遊んで楽しかったです。来ることができてよかったです。
 ・H.H.(土浦めぐみ教会)=ましゅまろがおいしかったです。せんせいのはなしがたのしかった。
 ・S.K.(教師)=神様が造られた自然の中で私たちを作ってくださった神様をおもいきり賛美できて感謝でした。子ども達が楽しんでいたり、先生のお話を真剣に聞いていたりする時、本当によかったなあと思います。神様が導いてくださったキャンプでした。
 ・M.K.(教師)=久しぶりにウイングスのキャンプに参加し、純粋に神様を信じ受け入れる子どもたちの姿を見て、もう一度素直に子どもたちの様に神様を信じ、一緒に生きていきたいと心から思いました。
 ・E.T.(教師)=イエス様の十字架の救いが私にも皆にもあること、とても感謝エスです。皆と仲良くできてよかったです。
 ・K.T.(教師)=今回、初めて参加しましたが、神様のふり注がれる恵みと守りの中で、みんなと一諸に時を過ごし、いろいろなことを体験できた3日間でした。
 ・J.H.(中野キリスト教会)=年齢を超えて交わり、楽しみ、一人一人の顔が輝いているのが印象的でした。
 ・高橋 宣広=イエス様の恵みと愛でいっぱいのキャンプでした。美味しく楽しく笑いと感動で満ちていました。

●ヤングチャペル編
 ・K.K.(高2)=洪先生の「自分らしい生き方をすればいい」という言葉が心に残りました。
 ・E.S.(高2)=楽しかったことは、キャンプファイヤーがとても楽しかったです。心に残ったことは、集会のメッセージで、あの人みたいになりたいと思わないで自分のそのままで生きていく所が心に残りました。
 ・M.S.(中2)=楽しかったことは、源流探検です。翌日は少し筋肉痛だったけど、おもしろかったです。心に残ったことは、洪先生のメッセージです。メッセージを聞いてイエス様のことを知らない友だちを教会に連れてこようと思いました。
 ・T.S.(中2)=ご飯がおいしかった。よい学びができた。
 ・Y.E.(中1)=今年は中学生になり、初めてのヤングチャペルのキャンプでした。源流探検、食事、キャンプファイヤー、夜ふかしなどとても楽しくて心に残る3日間でした。また、洪先生のメッセージを通して、神様について新しく知ることができました。いい3日間でした。
 ・H.E.(教師)=大自然の中で天地万物を創造された神様を讃えるキャンプができ、感謝です。超ハードスケジュールの中で奉仕下さった洪先生とご家族の皆様、背後で祈って下さった皆様あってのキャンプでした。ありがとうございました。
 ・N.E.(教師)=洪先生のメッセージとても力強くわかりやすく語ってくださいました。人と比べる必要はない、ありのままの姿でよいとイエス様はおっしゃってくださっていること、イエス様の深いご愛についてなど教えてくださいました。キャンプファイヤーもとても楽しかったです。
 ・S.S.(教師)=今年もいろいろ心配したり、悩んだりして迎えたキャンプ。でも、毎年神さまは予想もしていなかったような恵みや楽しみを与えてくれた。今年もすごくステキなことがいっぱいあった。ほんとに神さまって粋な方だなあ。ホレボレしてしまいます。
 ・K.S.(教師)=洪先生の実体験をベースとしたメッセーッジは、簡潔かつダイレクトに伝わってきました。また、キャンプに参加されたお一人お一人とより親しくなれたこともとても嬉しいことでした。
 ・M.T.=初めて福音教会のキャンプに参加させていただきました。とても祝福されたときとなり感謝します。主に中高生のクラスを見てきました。洪先生のメッセージは、中高生にとってわかりやすく励ましになるものでした。私自身とても励まされみことばに養われました。

■フロンティア2009青年宣教大会

 フロンティア2009青年宣教大会に参加された皆さんに証しを書いていただきました。
  【フロンティア2009青年宣教大会の概要】
   ・主催:日本同盟基督教団
   ・日程:8月11日(火)~14日(金)
   ・会場:松原湖バイブルキャンプ
   ・講師:岡村直樹師(東京基督教大学准教授)  中谷美津雄師(同盟生駒めぐみ教会牧師、教団理事長)  趙南洙師(同盟招待キリスト教会牧師、教団国外宣教委員長)
●松原湖バイブルキャンプ場にて E.T.
 フロンティア2009青年宣教大会に部分参加してきました。8月12日、仕事を片付けての出発。到着は22時ごろでした。到着時は、ちょうど有志によるライブコンサートというものが始まりました。ちょっとした賛美集会です。みんなおもいおもいの賛美を捧げ、会場も盛り上がっていました。それぞれのイエス様への想いが熱かったです。
 13日は朝食後にチャレンジ3(集会のこと)があり、岡村師からお話を聴きました。ヨナやサムエル、パウロなど聖書の登場人物から、神さまはいろいろな方法で人を導くことを教えていただきました。
 フォーラムⅡ(分科会ですね)では、コミュニケーションを選択。増井師からコミュニケーション方法について学びました。主には男女の付き合いでのコミュニケーションについて、でした。イロイロ話はありましたが、結論、コミュニケーションで大切なのは聴くことです。口は一つで耳は二つありますので、二つ聴いて一つ語る。イロイロの部分で興味のある方は、私までお問い合わせください。
 自由時間は各イベントをしていたのですが、「宣教」のお部屋に近づいてみました。そしたら「どうぞ、どうぞ」と参加させていただくことに・・・。お二人の証をお聴きし、またグループごとに交わりを持たせていただき、たくさんの違った考えや思いに刺激を受けました。
 チャレンジ4では趙師からお話をお聴きしました。神さまの声を聴くには、集中力が必要!神さまに声をかけられたら、言い訳しないで、聴き従っていくことが大切だと教えていただきました。
 短い期間でしたが、熱い信仰の方々とお会いし、交わりを持てたこと、恵みをわかちあえたこと、とても感謝な時でした。ありがとうございました。

●青年宣教大会に参加して M.K.
 この夏“青年宣教大会”に参加しました。今回のテーマは『ネクスト・ステージ』
 大会には多くの若者が参加し、日本にこんなにも沢山のクリスチャンである青年がいるという素晴らしい現実を見ることができました。
 キャンプ中、私はなぜだかまったく興味がなかった“献身”のブースに行く機会が与えられました。そこで真剣に献身を考え、これが本当に主の導きなのかと悩む人々やこれから主に仕えていこうと歩んでいる神学生と出会うことができました。献身と言えば、牧師、伝道師、宣教師になり、全てを捨てて主に仕えることかもしれません。でも私にとっての“献身”は・・・?
 その前の分科会で私は“恋愛”に参加しました。(ほとんどが高校生でなぜ選んだのかと少し後悔しましたが)そこで岡村先生は、「神の決して渇くことのない愛の泉を受け、その愛を相手に流し続ければずっと愛し合うことができる」とメッセージされました。これは恋愛だけではないと思います。
 私にとっての“献身”とは、神様から受けた沢山の愛を持って社会へ出て、家庭や職場、地域で人々にクリスチャンとして仕えていくこと。今与えられた地で教会で主に仕えていくことです。
 人間である私の愛には限りがあります。しかし神様の愛は決して渇かず永遠です。
 私の『ネクスト・ステージ』は今の安定した生きていきやすい所から一歩踏み出すことだと思いました。主の愛を持ってこの社会で一人のクリスチャンとして生きていきたい、そう心から思います。全てが守られたことを感謝いたします。

●青年宣教大会に参加してきました! R.T.
 8/11~8/14まで松原湖バイブルキャンプ場において、青年宣教大会が開催されました。残念ながら仕事があった為、全日程参加することはできませんでしたが、部分参加させて頂きました。一泊二日の強行で(汗)、、、。
 8/12の仕事上がりの夜、T姉が運転して下さる車に飛び乗り、途中でK姉を乗せていざ松原湖へ。2時間半ほどで到着。すでに会場は全国津々浦々から集まる青年たちの熱気でムンムンしていました。(多分)
 参加を前にインフルエンザ対策で、検温チェックが入りました。なんと37℃以上の人は会場に入れないとの事でした・・・。ここまで来てそれは悲しすぎるだろ(汗)ドキドキしながら検温。結果36.2℃。神様ありがとうございます。参加できるようです。
 食堂にて、ライブコンサートが始まりました。他教会の友達に久しぶりに会い、テンションが上がる私たち。各グループ、一曲入魂の賛美が始まりました。元気良くダンスしながらの賛美、楽器を用いての賛美。賛美にも色々な形があることを感じました。
 次の日、私たちにとっては初めての岡村先生のメッセージ。全3回のうち3回目しか聞けなくて残念でした。ユーモアに溢れて分かりやすく、楽しく聞けました。
 集会の後は、分科会がありました。私は「マンガ・ゲーム」に参加。子どもも大人も楽しく読める「MANGA」という漫画を紹介してもらいました。聖書の内容を忠実に描いている作品だそうです。購入の検討を(笑)、、、。
 スポーツ大会でソフトボール大会も楽しみました。私もホームベース踏みましたよ。♪
 短い期間でしたが充実したときを過ごせました。欠けだらけの私を神様は選んで下さいましたので、知恵と勇気を頂いてこれからも神様のことを証していきたいと思います。

■あなたはなぜ祈祷会に行かないのですか? M.S.

 いきなりですが祈祷会の宣伝をします(笑) 水曜日の祈祷会にコンスタントに参加するようになってまだ1年半ぐらいです。それまでなぜ祈祷会に行かなかったかというと「家から遠いし、仕事が忙しくて行く時間がないし・・・」そんな理由でした。
 しかし、神さまの憐れみによって転機が訪れます。店の経営が大ピンチになり悩んだすえ日曜日も営業することにしたのです。牧師先生に相談するため水曜日の祈祷会に数年ぶりに参加しました。
 半年を過ぎたころ、正村牧師がヨハネ21章から語られました。ペテロたちは漁に出ます。一晩中働きましたが1匹の小魚さえとれません。全身疲れ切っていました。イエス様は岸辺に立たれ待っておられます。さらに言葉だけでなく多くの魚をもって祝福されました。9節「こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。」 みんなが漁をしている間にイエス様が炭火をおこし食事を用意してくださっていたのです。今祈祷会で使っているテキスト「祈る人びと」の133ページには「祈りというのは、主の招きです。」とあります。
 今年もサマーキャンプに参加して本当に大切な経験や恵みを神様からいただきました。と同時に、子供たちの減少という現実を突きつけられ、教会の将来に大きな危機感を持ちました。柔軟な発想で知恵を出し合い様々な方策も必要でしょう。しかし、まずは「祈りありき」祈りなき行動は実に虚しい。
 教会に来たくても来ることができない兄弟姉妹。不当な迫害の中の兄弟姉妹。病み、深く傷つき、暗闇のただ中にある兄弟姉妹がおられます。近い将来子供たちの声が、青年たちの賛美が教会から消えてしまうかも知れません。祈ることに関してはクリスチャンたるものカッコつけずもっと”熱く”祈ってもいいと思うのです。 
 「祈る人びと」の127ページを読んで心刺されました。「会見の天幕をもっている人、もっていない人、この違いは決して小さくありません。週に一度、会見の天幕に来る人と、まったく会見を望まない人、この違いは大きいのです。」
“来ない人”ではなく”望まない人”です。かつては 私も望まない人でした。
 イエス様は今週の水曜日も炭火をおこしあなたが来るのを待っておられます。もちろん、シカトするのは自由です
●祈り
  神とだけの時間
  これがクリスチャンの生き生きした生活の秘訣である。
  ひざまずくことが惜しいと思っている
  うちは、祈りのすばらしさを味わってはいない。
  冷たい批判はだれかを傷つけ、
  温かい祈りは教会の徳を建てる。
  批判する暇があったら、
  その人のために祈るがいい。
  手を組んで頭を下げ、目をつむるだけが
  祈りなのではない。
  神を仰ぐ心の態度が大事なのだ。
  祈りは、子である私たちと、
  父である神との自然な会話である。  (尾山令二「愛と真実のことば」より抜粋)

■50周年記念ニュース  「50年目=ヨベルの年」 高橋宣広

 イスラエルの人々にとって、「7」という数字は特別なものでした。神様は天地万物を創造され、第7日目に休まれました(創世記2:1―3)。人間もそれに従って6日間働き、7日目には安息日が与えられています(出エジプト記20:8―11)。さらにイスラエルの人々は、6年間農耕をすると、7年目にはその土地を休ませるように命じられていました(レビ記25:1-7)。そして、その7年目の安息の年が7たび巡った49年目の翌年「第50年目」は、「ヨベルの年」と呼ばれました(レビ記25:8―12)。
 50年目=ヨベルの年には、次のような特徴がありました。
 1. 休む
  神様は、それ以降3年分の収穫を保障すると約束してくださいました(レビ記25:20―22)。だから安心して、神様を信頼して休みなさいと命じられます。
 2. 神のものであることを認める
  50年目には、売却されていた土地が、自動的に元々の持ち主のものに戻されました(レビ記25:13-17)。これは土地を含めてあらゆるものが、本来は神様のものであり、それが人に託されていることを確認することでした。
 3. 贖われて、解放されていることを知る
  50年目は、全住民の解放の年でした。貧困のためにやむなく身売りした人も、このヨベルの年には解放され、家族のもとに帰ることができました(レビ記25:39-41)。
 私たち長野福音教会は来年、創立50周年を迎えます。ヨベルの年、まず私たちは、休ませてくださる主の御前で平安を味わいましょう。教会・家庭・お仕事、その他様々な物理的忙しさは変わらないでしょう。けれども、その戦いの中で、主から与えられる慰めと助けを確認しましょう。次の50年に向けて、新しい力を与えられていきたいと願います。
 またヨベルの年、私たちは、この教会もそして私たち自身もすべてが主のものであることを認めしょう。人間の権力によらず、能力によらず、ただ主の霊によって、この教会が導かれてきたことを感謝し、これからもこの主に期待していきましょう。
 そしてヨベルの年、私たちは、イエス・キリストの十字架により、今、贖われて、解放されていることを再確認しましょう。福音にしっかりと立ち、福音に生き、そして福音を宣べ伝える群れとして、さらに成長していきましょう。
 「あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。」 レビ記25:10
●日程と講師が決まりました!!
  日時:2010年9月26日(主日)
  講師:福沢満雄先生 賛美ゲスト:ベドウ・路得子先生
    ※ 午前中に記念礼拝、午後に祝会が持たれます。
    ※ 当初、2010年9月19、20日の予定でしたが、先生方の都合により変更になりました。


2009年夏(8月)号

■巻頭言 「人生の中心は」 K.K.

 二年ほど前から信徒講座のテキストにリック・ウォレン著の『人生を導く5つの目的』を使用しています。
 その書き出しにある「人生はあなたが中心ではありません。」のことばには、いつも感銘をうけます。  
 創世記には、初めに神が天と地を造り、人間を造られたとあります。ですから、神様を受け入れるとか、受け入れないとかに関わりなく、創造主である神様が人生の中心です。
 自分の人生は、自分のものだと思いがちですが、実は、神様からいのちを一時的に預かっているのであって、それを上手に管理するように任されているのです。
 神様は全ての人を、ある目的をもって創造されました。ですから、その目的に従った生き方をする時に、人間として充実した人生になるというのです。
 その目的とは、
  第1の目的(礼拝)   あなたは神の喜びのために造られた
  第2の目的(教会)   あなたは神の家族となるために造られた
  第3の目的(聖化)   あなたはキリストのようになるために造られた
  第4の目的(奉仕)   あなたは神に仕えるために造られた
  第5の目的(伝道)   あなたは使命のために造られた
 私は、テキストを通して、5つの目的の大切さを学んではいますが、なかなか実行が伴わないといつも反省しています。
 これらを実行するためにも、まず、礼拝を守り、聖書を読み、祈りをすることが基本であり、それに伴って教会員との交わり、奉仕、キリストのあかしができるようになっていくのではないかと思っています。

■故正村富男牧師召天記念感謝会&同窓会 S.I.

 6月14日(主日)の計画にむけて、わたしは準備の段階からお手伝いさせていただきましたが、とにかく旧新会員を問わず、参加した全員に楽しんでもらえたらいいなと思っていました。当日は、久しぶりに懐かしい兄弟姉妹方とお会いできて、とてもうれしかったです。参加された皆さんはいかがだったでしょうか?祝会では、思いがけず故正村富男牧師の礼拝メッセージテープを聞くことができました。それを聞きながら、昔を振り返り、自分も年をとったなあと感慨もひとしおでした。(~_~;)この会の発起人の姉妹方、ご協力してくださった兄弟姉妹方、本当にありがとうございました。

■教会の皆さんあてのお便り fromT.K.&K.K.

 先日は50周年の同窓会に招待していただき、ありがとうございました。また、たくさんの心のこもったおもてなしをしていただき、ありがとうございました。たくさんいただきました。ごちそう様でした。
 久しぶりに皆さんにお会いできたので本当に嬉しかったです。元気になった娘を連れて行くことができたのは感謝でした。今は副学籍のある地元の小学校の音楽会に向けて、ピアニカをがんばっています。2年1組に籍があり他の子と同じようにガボットを弾けるようになりました。音楽だけはなんとかついていけるので、努力してがんばっています。音楽に限らず、人の何倍も努力しないとなかなかできるようになりませんが、少しずつ身についています。病気による重い後遺症が残っていますが、神様は娘に忍耐力と素直な心を与えて下さり、日々がんばることができて感謝です。学校、先生、お友達が大好きで毎日がとても嬉しそうです。元気に喜んで学校に通えることは何より感謝なことです。“幸いな計画を立てて下さっている”神様のみことばに支えられています。 

■オンヌリ教会からの贈り物 K.M.

 7月21日、22日。教会に行けない理由もないし、ただ楽しいイベントに参加するだけの軽い気持ちでした。夕食はこちらで提供して、翌日の昼食は、オンヌリの皆さんの本場韓国料理をいただく、、、。まっ、交歓会みたいな感じかな、と。
 でも、実際に、12名のオンヌリ教会の姉妹とともに食卓を囲んで、通じない言葉の壁を笑顔で乗り越えつつ交流し、この時のために準備してきてくださった賛美とダンスと証を聞く中で、それはとんでもない思い違いだと気づかされました。平和ボケの私は、普段身のまわりに韓国の方がいらしても、特別何も気にかけず過ごしていますが、戦争の傷を受けた人々は、そう易々と忘れ去ることはできないでしょう。証の中で一人の姉妹が、当時の日本人兵士への恐怖を語っておられました。その日本へ、伝道のために大きな犠牲を払ってきてくださった!観光旅行ではありません。目的地は京都でも東京でもない、この長野。宿泊のために屋根と布団はお貸ししましたが、高級旅館やホテルでもありません。温泉は自腹、朝食用のお米まで持参して自炊。日常と同じ家事をこなした上に、逆に私たちをビビンバ・キムチ・スープでもてなしてくださる。皆さん、主婦だとのこと。お若い方が多く、留守宅に小さいお子さんを残してきた方もありました。使命感がなければ、できないことだと思いませんか?チームで、何ヶ月かの訓練を受けて、費用を負担して、お土産まで持って、、、。時間とお金と自分自身の心の痛みをも主にお捧げして、私たちの信仰を励ますために来てくださいました。
 実際に来られたのは12名ですが、その背後にどれほどの家族・親族の理解と協力と祈りがあったことでしょうか。
 別れ際に、「またお越しください」なんて、つい口をついてでてしまいましたが、主が望んでおられるのは、本当はそうではないでしょう。次は、あなたが、時間とお金をささげて主の示されるところへ行きなさい。それは、気の進まない場所かもしれない、苦手な人かもしれない。でも、今日こうして恵みを受けた者は、次の誰かに恵みを渡していかなければ、、、。オンヌリの皆さんを通して、長野福音教会が主から投げかけられたチャレンジです。
 韓国料理と韓国エステの賜物か、皆さん本当におきれいで、うらやましい限りでしたが、本当に人を輝かせるのは、内側の心の有り様でしょう。中年のしょぼーいおばさんになりきらないように、主にあって、生き生きと過ごせるように、主の前に従順であるように。いただいた韓国うちわを見るたびに、祈っていきたいと思いました。

■アイメイト・チャー君のいる風景(その4) ~御霊の実~ T.K.

 私は時折水野源三さんの詩を口にします。喜びと感謝に満たされたいために。源三さんは手も足も動かないし、しゃべることもできません。それなのに、喜びと感謝を表したたくさんの詩を残しています。源三さんの第1詩集「我が恵み汝に足れり」にこんな詩もあります。
  ぶどうの実
   母が一つぶ一つぶ
   口に入れてくれる
   ぶどうの実の
   よいかおり あまさに
   ぶどうの幹なるイエス様に
   つらなる我らならば
   神様に喜ばれる
   よい実を結ばねばと思う
 ところで源三さんの言う、「神様に喜ばれる良い実」とはどんな実でしょうか。
 そうそう、新約聖書には9つの良い実が書かれていましたね。
   「しかし御霊の実は、愛・喜び・平和・寛容・慈愛・善意・忠実・柔和・自制であってこれらを否定する律法はない。」(ガラテヤ書5章22~23節 口語訳聖書より)
 これらが私にあるか無いかは問わないで下さい。検証しないで下さい。アイメイト・チャー君は・・・?では、検証してみましょう。
 1つめは、「愛」です。チャー君は「アイメイト」と言われるように愛情豊かです。愛そのものというのは言い過ぎでしょうか。
 2つめは、「喜び」です。コロサイ人への手紙にも「いつも喜んでいなさい」とありますが、チャー君を見ていると、いつも喜んでいます。喜びを確認するポイントは、しっぽです。いつもしっぽを振っていて喜びを態度で表しています。しっぽを1日に何回振っているか数えてみたいほどです。
 3つめは「平和」です。チャー君の礼拝風景を見ている人は、理解しやすいと思いますが、チャー君は大の字(いや、犬の字かな?)になって平和そのもの、安心しきって礼拝に出ています。
 4つめは「寛容」です。私はチャー君をよくしかります。段差を教えないとか顔に木の枝が触れたなど、あれやこれやと。しかしチャー君からしかられたことはありません。うっかりとチャー君のしっぽを車のドアに挟んだ時も決して怒ったりすねたりすることはありません。「キャン」(痛い)と泣きましたが、私が「ごめんね。」と言うと痛いしっぽを振って許してくれました。飛びあがるほど痛かったはずなのに。
 5つめは「慈愛」です。チャー君の目の優しさは、慈愛に満ち満ちています。それはチャー君を産み、育て、訓練し見守って下さった多くの人達の慈愛をそのまま映し出しているようです。
 6つめは「善意」です。チャー君は人が嫌がることを決してしません。フレンドリーにくんくんと皆さんに近づくのも善意の表れと受けとめて下さい。
 7つめは「忠実」です。これはいうまでもありませんね。私もチャー君の様にイエス様に忠実であれば・・・とよく思います。
 8つめは「柔和」です。チャー君は吠えない、威嚇しない、噛みつかない。かりに猫が毛を逆立てて襲ってきても反撃はしないでしょう。
 最後の9つめは「自制」です。チャー君は教会の食堂でも、飲食店でも食べたいというそぶりは見せません。じーっと我慢して臥せています。ここにいなさいと命令すれば勝手に徘徊しません。TPOをよくわきまえています。
 以上のように御霊の実をチャー君に当てはめて検証して見ました。チャー君は「神様に喜ばれる良い実」を実に自然体で結んでいます。「相当親ばかだな」と言う声が聞こえてきそうですが、教会でのチャー君のいる風景をご覧いただきご確認下さい。もし、同感されましたら私にお声をかけて下さい。
 水野源三さんも眼を細めてチャー君を見つめて下さっているようです。

■福島に福音を! 聖十字架福音教会伝道師 M.F.

 いつもお祈りありがとうございます。
 「キリストの愛をもって神と人に仕える」という理念に基づいて福祉事業を展開している「創世グループ」の施設の中にある「聖十字架福音教会」に遣わされて、2年目を迎えています。
 日曜日は老人ホームの食堂をお借りし、15名ほどの利用者の方々と礼拝を捧げています。ほとんどの方が「入居するまで聖書のお話を聞いたこともなかった」と言われる方ですが、日曜礼拝や火曜聖研になると聖書を持って、いそいそと食堂に来られ、大きな声で賛美し、メッセージに耳を傾けてくださっています。その姿に、毎週たくさんの励ましをいただいています。
 また、平日には創世グループの姉妹施設(老人ホームや保育園)でバイブルメッセージのひと時を持たせていただいています。老人ホームでのバイブルメッセージは、当初クリスチャンが全くいない状況でしたが、最近では噂を聞きつけたクリスチャンの入居者が、友人を誘ってお話を聞きにきてくださるようになりました。保育園や自宅でのチャーチスクールの働きも守られ、最近では、親が子供を自宅まで送ってくださっています。神様からの励ましを日々感じています。
 また、同時に、教会に繋がる方はわずかであっても、多くの方が福音に触れることを思うとき、聖十字架福音教会の存在の意義を考えさせられます。
 2年目を迎え、思い出すことがあります。それは、社会人として働いていた頃、「死に行く人に、病の中にある人に、福音を伝えたい」と願っていたことです。
  「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ2.13)
 理想通りにはいかず、不完全ではありますが、それでも欠けた者を用いて、その働きをさせてくださる神様に、感謝せずにはいられません。続けて、聖十字架福音教会のために、またこの者のためにお祈りいただけると感謝です。

 (注:新潟聖書学院の「聖ヶ丘通信」に掲載されたものを転載したものです。)

■エッセイ 「誇り」 高橋宣広

 とある月曜日、前々から行ってみたかった山田牧場を目指して、妻と出かけました。初めて訪れた高山村は、見所満載の本当に素晴らしいところでした。落差180メートルの八滝に感動し、水しぶきの裏側を通ることのできる雷滝にも圧倒されました。山田牧場では、深い霧の中で草を食んでいる牛たちを見ることができ、さらに山道でカモシカと対面しました。
 竹の子水団や蕨温泉も楽しんだ後、夕食にと村のおそば屋さんに入りました。ざるそばと猪肉の煮付けを食べていますと、おかみさんがやって来て、私たちに話しかけてきます。高山村の良さを一から十まで聞かせてくれました。自然の美しさ、四季折々の見所、食べ物の美味しさ、温泉がたくさんあること、村の除雪作業が大変優秀であることなどなど、高山村話は止まりません。きわめつけは、8月1日(土)に行われる「信州高山まつり」を熱烈にアピールするのです。私たちが、この4月に長野市内に引っ越してきたと話しますと、「その日は、長野ではびんずる祭りをやっているけど、びんずるはいつでも行ける、、、。今年はぜひ高山まつりにいらっしゃい」と勧められ、祭りの楽しさを一から十まで語ってくれました。
 帰り道、私は思わず「定年後は、高山村に移り住もうか?」と妻に言ってしまうほど、高山村の魅力に惹かれてしまったのです。あのそば屋のおかみさんは「高山村伝道師」でした。村に誇りと愛情を持っていました。
 私たちは、このような誇りと愛情を、主イエス様に対して持っているでしょうか?主イエス様を紹介すること、長野福音教会を紹介することを、どれほど喜びとしているでしょうか? 恐れないで、私たちに与えられている救いの素晴らしさを証ししていきたい。ためらわないで、福音の豊かさを証しできる一人一人になっていきたいと思います。そのためには、まず自らが救われていることを大いに喜び、感動していくことが大事でしょう。そして毎日、主イエス様と深く交わることを通して、自分自身が養われていく必要があるのだと感じています。自分ではなく、主イエス様を誇る一人一人となっていきましょう。まさしく、「誇る者は主を誇れ。」(Ⅰコリント1:31:新改訳聖書 第3版)と書かれているとおりになるためです。


2009年春(5月)号

■巻頭言 「キリストのからだ」 高橋宣広

 4月1日、冷たい雨が降りしきる中、長野駅に降り立ちました。教会の姉妹たちが迎えに来てくださり、私たちを教会まで送り届けてくださいました。その晩、雨は雪に変わり、翌朝、屋根の上はうっすらと雪化粧していました。感動しながら、聖歌「成したまえなが旨」の2節「降る雪のごとくに わが内を白くし なが旨のまにまに 錬りたまえ わが主よ」が心に湧いてきました。
 今までいました横須賀中央教会では、主任牧師のもとで仕える伝道師の立場でした。長野福音教会では、正村先生はいてくださいますが、主任牧師としての歩みが待っています。全く知らない新しい場所で、新しい教会での歩み、若くて知識も経験も本当に乏しい者、できないことだらけの者…不安な要素を挙げていったら、きりがありません。だからこそ、全知全能なる神様、牧会者なる主イエス様、そして導き手なる御霊により頼んでいきたいと思います。
 長野市は、私にとって9番目の居住地です。これまで静岡県藤枝市、岐阜市、三重県津市、福岡県嘉穂郡筑穂町、福岡県粕屋郡篠栗町、茨城県つくば市、千葉県印西市、神奈川県横須賀市と全国各地を転々としてきました。長野では、しばらくゆっくりとさせていただきたいです(笑)。これから夫婦ともども、長野を愛し、そして長野福音教会を愛して、喜んで仕えていきたいと願っています。
 教会に遣わされて来て、Ⅰコリント12:27のみことば、「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」に目が留まりました。パウロは、教会とはどんなものかを表すために、それは「キリストのからだ」だと語ります。
 「手」や「足」、「おへそ」と一人一人の特徴や考え方、働きは違っています。そして、その一つ一つの器官が、頭なるキリストにつながれ、御霊によって一つとされていく。それが教会なのです。
 私たちは、お互いの違いを「隔ての壁」とはせずに、その違いを「キリストのからだの多様性」として喜び合っていきたいと思います。そして、その多様性がキリストにあって一つとされていく、そんな教会を皆さんとともに建て上げていきたいと願っています。

■「はじめまして」 M.高橋

 神様の導きにより、長野福音教会に遣わされ、約一か月たちました。教会の皆様に本当に良くしていただき、感謝の思いでいっぱいです。
 まずは簡単な自己紹介から
  性 格:大胆で豪快
  趣 味:家のコーディネイト
  特 技:スーパーなどの物や野菜の価格を記憶でき、格安商品を見つけることができる
  長野へ来てびっくりしたこと:スーパーのお漬け物とお味噌のコーナーが充実している
  長野へ来て感動したこと:空気や水、特に山が綺麗。土地の広さ(お店屋さんや道路など)。町の人々が、丁寧で優しい、奥ゆかしい
 長野福音教会に来て感動したこと:床暖房。青年会の食器洗いの団結力。泉会の手の込んだお料理。教会員の皆様の忠実なお姿。祈祷会のお祈りが熱い。♪タンバリン奉仕はリズミカル且アクティブ
 私にとって育ってきた町=教会を離れることは、神様への信仰を試されるときでした。私たち夫婦が、町に留まるべきか離れるべきかで悩み、祈っていたときに聖書のみことばが与えられました。祈祷会で開かれた創世記12章1,2節です。
 主はアブラムに仰せられた。「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出てわたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」
 このみことばを聴いた祈祷会の帰り、育った町を離れる決断へと導かれました。慣れ親しんだ町、散歩した海岸沿い、潮の香、ともに笑い合った同級生、夢を語り合った青年会、かわいがってくださった教会の方々や先生方…。
 教会の皆様へ「ありがとうございました」との思いを残してこちらにやって来ました。そして長野福音教会の皆様へ「よろしくお願いいたします」との新たな気持ちで、奉仕をさせていただけたらと願っています。まだ若くて、知識も経験も本当に乏しい者です。お祈りとご指導をいただけますと幸いです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

■塩狩峠と私  M.Y.

 「明治末年、北海道旭川の塩狩峠で乗客の命を救った一青年の愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う小説」であると帯に書かれていました。また、「お前は、ほんとうに顔かたちばかりか、気性までお母さんにそっくりですよ」と小説は始まっています。その箇所を読むたびに、私は小さなため息をつきながら思います。1993年1月24日午後7時6分、6月2日の誕生日を迎えると20歳になるという年の新春に、先に一人で天国に旅立った長男のことを思います。この中に書かれている信夫のように、「私に似ていたのだろうか?どうだったのだろう?」と。あれからもう15年の歳月が流れていきました。体調を崩して二階で伏せていた私のもとへ、薬を飲むための水を小さなお盆に載せてきて、「はい。じゃあ、行ってくるね。」のことばを残して永遠に帰らぬ人となってしまいました。
 親として、これほどつらい試練を通されたことはありません。交通事故でしたが、他人を巻き込むことはなく、自損で、これもまた、神様の憐れみだったと感謝しました。「塩狩峠」に書かれている信夫の母「菊」は、言葉で言いあらわすことのできない、心の痛みを味わったことでしょう。人のために自分の命を犠牲にした息子です。私には比べものにならない悲しみの中で、じっと耐えていたことでしょう。この母は悲しみにくれながらも、信夫の婚約者である「ふじ子」に宛てた手紙の中でこのようなことを書いています。「これほど、祝福された死は少ないのではないでしょうか。このように信夫を導いて下さった神様に、心から感謝しましょう」と。自分のことよりもふじ子の気持ちを思い、励まし、心から神様に感謝している姿に、私には到底出来ないと思いながら、そのすばらしい信仰を私もほしいと思いました。
 婚約者であるふじ子は悲しみもせず、泣きもしない。信夫の死を信じることができないで、駅まで信夫を迎えに行ったと書かれています(当日は結納の日であった)。その気持ちは理解できる気がします。私も長男の召された瞬間は、大声で泣くことも、すがりつくこともできず、ただ頭の中は真っ白。これは現実なのだろうか、ただ呆然とその場で時の流れるのを見ていただけでした。ドラマのようにはならないものだとよくわかりました。悲しみは後からじわっとおしかけてきます。ほんとうに意地悪で容赦ないものです。
 中学生の時に受洗をし、教会学校のご奉仕を一緒にさせていただいていました。
 「なぜ、どうして?」と神様に文句をいって過ごした日々でしたが、夫婦、息子共々私たちの良き導き手であり、お世話になっていた姉妹から、後日言われた言葉に私たち夫婦は励まされました。「今が一番信仰が上向いていて、どんどんと成長しつつあった時でしたよ」と聞かされて神様に心から感謝できました。
 「今はわからなくても、あとでわかるようになる」と聖書にありますが、そのみことばと同時に、神様は全てのことを益としてくださることも体験させていただいております。私が人前で涙を流さない姿に「泣いてもいいのに。そんなに無理しなくても。その姿を見ているとせつなくなる」と言ってくださる方もありましたが、私は、我慢しているのでもなく、一粒の麦となって召された息子のために、神様が、励まし、希望を与えてくださり、勝利を与えてくださった故でした。
 映画を観てとても感動しましたが、息子が召された時は、まだ読書会はありませんでした。読書会を通して三浦綾子さんの深い思いがとてもよく理解できました。最後の時に何が残っているのか、キリスト者としての普段の信仰生活が問われて、もっとしっかりしなくてはと思わされています。
 それを示してくれたのが、信夫の生き方だとよくわかりました。この小説の最後には「塩狩峠は雲ひとつない明るい真昼だった」と書かれています。
 長男の遺稿集「再会のとき」をみるたびに涙が溢れてくる日々ですが、私もやがて天国での長男との再会のときを希望を持ちながら、今生かされている者です。

 (編集部注)本原稿は、「塩狩峠」100年を記念して募集された「塩狩峠」エッセイ・感想文コンテスト(「塩狩峠」100年メモリアルフェスタ実行委員会)において優秀賞を受賞したものです。「塩狩峠」100年メモリアルフェスタ記念文集「塩狩峠に生かされて」(2009.2.28刊)に掲載されたものを、山岸姉の承諾を得て祈りの友に転載しました。

「塩狩峠」について
 1909年(明治42年)2月28日、旭川・稚内間を結ぶ鉄道宗谷本線の塩狩峠で実際に起きた鉄道事故の実話を元に、三浦綾子が小説『塩狩峠』を著した。著者の代表作の1つとされる。新潮文庫のロングセラー。映画化もされた。現在、塩狩駅近くには、塩狩峠記念館及び文学碑が建てられている。

「一粒の麦 地に落ちて死なずば 唯一つにあらん しかし死ねば多くの実を結ぶべし」(ヨハネによる福音書12章)

■アイメイト・チャー君のいる風景(その3) ~暴走族になったチャー君~ T.K.

 我が家から長野福音教会までは、道のりにして6kmほどである。普段は家族の運転する車に乗って教会へ行っている。だが、単独で歩いて行きたいと、ひそかに思い続けていた。それは、盲導犬ユーザーになりたいという理由の一つでもあった。
 2007年7月末に、私はアイメイト・チャー君と東京から長野へ帰ってきた。早速8月の第1主日に計画を実行した。初めて歩くので、道案内を娘にしてもらった。運動公園→東豊線→徳間サンロード→若槻大通り→消防署→福音教会へとたどった。幸い歩道も広く、安全に歩けることがわかった。チャー君は歩道から車道への境目で止まり、私からの指示を待った。人や自転車もよけて歩いた。娘からは、信号機やお店のあり場所を教わった。そして、1時間15分ほどで無事、教会に着いた。真夏だったので、汗をかけないチャー君は「はあ、はあ」と、息づかいがあらい。私は汗びっしょり。でも、大満足であった。私はあらかた、教会までのコースがわかったような気分になってしまった。
 翌週からは、チャー君とだけで教会へ歩き始めた。ところが、「この交差点には、信号機があったっけ?」「この道で左に曲がるんだったっけ?」「消防署の曲がり角はこの辺だったっけ?」等々。戸惑いと不安の連続。「チャー君、ここ曲がるんだったっけ?」と、尋ねてもワンとも言わず、ただただしっぽを振り振り、ルンルンのお散歩気分。とうとう、迷子になった。教会員による捜索隊の出動を携帯電話で求めるはめとなった。またある時は道を尋ねた人に、教会まで送り届けてもらった。そのようなことを12回ほど繰り返したが、めげずに歩き続けた。そうしたら、私の頭に、地図が定着し始め、小川や通りの音、足裏の感触、匂いや風の向き等で、迷わずに教会へ行けるようになった。最近では、消防署の近くで「福音教会」と言うと、チャー君は迷わずに教会へ連れて行くようになった。
 この間、教会までの所要時間も30分ほど短縮でき、6kmを45分前後で歩けるようになった。時速にして8kmほど。これは、普通に歩く速度の2倍だ。見かけたら、その速さにびっくりするだろう。いつの間にかアイメイト・チャー君と私は暴走族になっていた。「暴走!」「アイメイトは走ってはいけません。」と、天から雷が落ちてきた。そうそう、アイメイトは走らせてはいけないのだった。そこで、「暴走族」を改め、「暴歩族」と呼んでください。少し早歩きをしているのだと、解釈してください。
 さて、アイメイト・チャー君のおかげで、私は、速く歩けるようになった。毎週、教会へ時速8kmで歩いているうちに、このペースで5時間歩き続ければ、40kmになる。確かマラソンの距離も40km。私はにわかに、長野マラソンが走れるぞという気分になった。そして、昨年11月の申し込みにエントリー。2009年4月19日の大会に出場。結果は5時間13分18秒で無事完走できた。アイメイト・チャー君の伴走では出場できなかったが、ビブスの脇腹にチャー君の写真を貼り付け一緒にいる気分で走った。これもチャー君が暴走族、あっ訂正、暴歩族になった副産物だ。来年はアイメイト・チャー君と長野オリンピックの跡地をめぐるマラソンに出場できることを夢に見つつ、明日も教会へと歩いて行きたい。
 次回は、聖書的に生きているチャー君です。

■エッセイ 「かたつむりになりたい」 正村八重子

 3月、4月は人の移動の多い季節である。人が移動し引っ越すということは、並行して荷物も多く移動する。現代日本人はどうしてこんなに荷物を多くもっているのだろうか。引越しとなると、この大荷物をまとめて大金を払ってと労働も経済も大変なものである。蝸牛が羨ましいとつくづく思う。我が家は本の洪水である。主人が召される前から元気なうちにかなりの本を寄付したり処分したりした。召された後も古本屋に運び、紙の日に出した。それでも建て増しのプレハブ6畳は本がたくさん。
 人は生きていくのにだれだけのお皿や鍋が必要か?どれだけの衣類が必要か。本は聖書だけあればいいとも思えてくる。人間は地上での生活は幕屋の生活である。寄留者であり、旅人である。どんな立派な家を建てても、たくさんの宝物や荷物を集めてもそれは本建築の家ではなくどこまでも幕屋である。地上に家が不要と言っているわけではない。放牧民であったアブラハムのように移動して、主に命じられる所に喜んで派遣されて行きたい。地上の持ち物幕屋から解放されて、天に用意されている建物を目指していきたいと思いつつも、この地上の荷物のために多くの心を悩ませ、お金を使い気を使っている。
 マザーテレサの持ち物は僅かの衣類とバケツ一つだったという。これならすぐに引越しができる。身軽に余計な気を使わないで、すぐに主のご命令に従える。そこまでならなくても、もう少しシンプルな暮らしをしなければとしみじみ思うこの頃である。「いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12:1)


2009年春(3月)号

■巻頭言 「ディパーチャ―」 S.S.

 「すると主イエスは言われた、『カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』」(マルコ12:16)といえば、政教分離の淵源とも言われる聖句ですが、このカイザルとは言うまでもなくローマ皇帝一般を指しています。このカイザル(皇帝)の語源と言われるのが古代ローマの英雄ユリウス・カエサル(英:ジュリアス・シーザー)です。現在の暦にも名を残す(7月)ほか、多くの名言?が知られています(「賽は投げられた」「ブルータスお前もか」など)が、塩野七生氏の著作の中にカエサルの言でこんなことばがありました。
 「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、自分が見たいと欲することしか見ていない。」
 これはカエサルがある戦局について語ったことのようですが、現在でも普遍的に生活のいろいろな場面で当てはまりそうです。
 またこんなことばもありました。
 「人は、自分が望むところのものをよろこんで信じる」
 出来事の判断のとき、人物を見るとき、自分の期待で見て、思い込んでいるのではないか。クリスチャンなら信仰生活、聖書の読み方にも当てはままるのではないでしょうか。自分の理論(結論)がまずあって(正否はともかく)、後からそれに聖書のことばを結びつけたりとか、気づかないうちにしてしまいかねないことであり、自戒しなければと思います。
 エリヤのように、神の声を聴く人は、山や岩を砕く力の中や火の中にあるのではなく、人の心に語りかける「静かな細い声」を聴くことが必要に思われます。
 2009年度、個人的に大なり小なり新しい出発をする人も多いことでしょう。長野福音教会も新年度を迎え、新たな出発(ディパーチャ―)をすることになります。虚心坦懐に聖書に聴くことを大事にしたいと思います。

■「アダムの会」の活動について K.S.

 昼食後の集まりの時間には仕事柄なかなか出席できないことが多いのですが、そんな“不良会員”の私が「アダムの会」の会長をお受けすることになってしまいました。副会長がサポートして下さるということになっているので少し気が楽ですが、できるだけご迷惑をおかけしないようにしたいというのが、まず最初の抱負です。
 いつもの「アダムの会」の集まりでは、主に近況報告と祈り会をしています。教会の礎であるメンバーは私も含めて忙しい方が多いので、じっくり腰を据えた活動や奉仕はなかなか取り組みにくいのが実情だと思います。今年も、例年のようにバザーやクリスマスでの出番がメインになるのだろうと思いますが、間もなく高橋先生をお迎えするという新しい局面のなかで、高橋先生、正村先生をサポートしていくことも私たちの大切な働きであり、新たな祈りの課題だと思っています。
 数名の「アダムの会」のメンバーは役員の任を負うています。役員の奉仕は傍からみる以上に大変です。ことに昨年は極めて難しい状況判断もあり、その心労には頭の下がる思いです。「アダムの会」はそうした役員の働きを脇から支えていく立場にあるのだろうと思います。教会の働きのために、神様の御心に従って最善の決断をされようとしているメンバーのためにも祈っていきたいと思います。
 「アダムの会」のメンバーにとって、各々が置かれている仕事環境などを通じての伝道や奉仕をすることが神さまから命じられた働きであるのかもしれません。教会の成長のために祈りたいと思います。

■泉会に参加して楽しみましょう M.Y.

 2009年度、泉会を担う立場になりました。副会長の姉妹と共に皆様のご協力をいただきながらいろいろと学ばせていただきたいと思います。
 時の経つのは早いもので、教会は来年で50周年を迎えます。そういう私も受洗して47年、紆余曲折の中にも皆様のお祈りに支えられ、今も教会員として名を連ねさせていただいています。長きに渡って代々の泉会の役員さんが会を引き継いでご労苦され、今日まで心の拠所として紡いできて下さったことに深く感謝しています。50周年に向けてつなぎの一年、会員の皆様と共に神様にお仕えし、体なるイエス様の教会を建ちあげるために力を尽くしたいと思います。
 泉会の皆様方にはそれぞれご奉仕の場所を持ちご活躍いただいておりますが、例会ではみことばの学びをすると同時にお互いの励ましの場積極的な参加をお願いします。各会は短時間に密度の濃い運営をしたいと思います。大勢のご参加をお待ちしています。
 何かと行き届かない面が多いかと思いますので、ご遠慮なくご指摘いただき全員参加でやっていきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
 目標=神様を喜ばせ楽しく奉仕しよう

■K兄弟、ありがとうございました K.K.

 このたびK兄弟が、都合によって横浜へ行かれるとお聞きして寂しく思いました。いつも謙遜に仕える姿を通して、多くのことを学ばせていただきました。
 いくつか想い出深いことがありますが、そのひとつは、今教会で使っている長椅子を、名古屋から1人で大型トラックを運転して運んで来た時でした。その椅子の多さと大きさにびっくりしてしまいました。建設関係の仕事をしている関係で大型重機を扱うことに慣れており、「箸を使うよりも楽に扱える」とのことでした。
 また、K兄弟が教会の自転車置き場を作る時には、地上に出ている部分を支えるために頑丈な鉄骨とコンクリートで基礎を造っておられました。見えない部分に多くの労力をかけてしっかりした自転車置き場を作っていただきました。
 大雪の日には、朝早くから、教会の広い駐車場の雪かきをしてくださいました。夏の暑い時期には、教会周辺の草刈りをよくやってくださり、特に一番大変な南側の水路沿いも時々刈ってくださり、日曜日の朝には、きれいになっていることがありました。
 昨年は、アダムの会の会長としてもご奉仕してくださり、お忙しい中で最後まで忠実に責任を果たしておられる姿が印象的でした。
 教会の役員としても長年ご奉仕され、執事2年、長老10年と本当に多くの働きをしてくださいました。
 また、折に触れて、自然の風景や白鳥などの美しい写真を展示していただき、教会員の集合写真や行事の時の写真などと同様、いつも楽しみに見させていただきました。
 K兄弟は横浜の方に転居されましたが、その残された足跡は大きく、私もK兄弟を見習って、教会に仕えていきたいと思います。横浜に行かれてもどうぞご健康で過ごされますようにお祈りしています。

■「パピルスのかご」の活動報告です J.S.

 自主グループの一つである「パピルスのかご」(長野福音教会世界里親の会)は、25名(家族)のメンバーが経済的な里親となり、世界の子供たちを支援しています。毎月ささげていただいた献金を、日本国際飢餓対策機構を通して子供たちに送金しています。大勢の方々のお祈りもあって、今年から里子が一人増えて、ウガンダのチャールズ・ムジン・カウジ(男子)、フィリピンのニーノ・タガス(男子)、カンボジアのカンタレア・カオ(女子)の三人になっています。子どもたちから送られてくる手紙や写真は掲示板に掲示しておりましたが、とても素朴でかわいい子供たちです。直接会うことはありませんが、里親としての思いを深めつつ、クリスマスカードや手紙も送りました。
 かつて正村富男先生がカンボジア等の国々を支援する活動をされていたことなども思い出して、先生が蒔かれた種が今になって実を結んでいるようにさえ思われます。支援を待つ子供たちは世界中に数え切れないほどいるのだろうと思いますが、私たちの活動によって、日本とは全く違う厳しい経済環境・生活環境の中で懸命に生きようとしている子供たちの霊肉の成長が守られることをさらに祈りたいと思います。今の社会は、子供を育てている大人たちにとっても経済危機や政情不安定など多くの不安を抱えた現状だと思われますので、それぞれの国の平安や世界の平和のためにも祈っていきたいと思います。皆様のお祈りにも加えていただければうれしく思います。

■アイメイト・チャー君のいる風景(その2) ~別腹のいやし~ T.K.

 チャー君は1日2食で300gのドッグフードを食べている。腹7~8分目程度のせいか、いつもお腹を空かせているが、その甲斐あって、ここ1年半25~26kgの理想体重を維持している。
 一方、私はというと、よく食べる。お腹いっぱいになるまで食べる。間食もする。そんな時、チャー君は私の横に跳んできてはジーと見つめる。時にはよだれをたらしながら、、、。「このご主人はよく食べるなあ。僕にもちょびっとちょうだいよ。」などと言いたそうに、、、。でも、そんな風景はわが家にいるときだけ。教会の食事時や飲食店では絶対しない。テーブルの下で臥せて待っている。見事なまでの自己コントロールだ。
 ところで、わが家は時々食べ放題のお店に行く。子供の教育上良くないと思いつつも食欲の誘惑に負けてしまう。焼き肉・ピザ・スパゲティ・混ぜご飯・サラダ・お蕎麦・・・ 元を取らねばとばかりに、がっつく。でもチャー君には臭いだけ。私は気持ちが悪くなるほどお腹に詰め込んでいるのに、、、。それなのにそれなのに、「デザートは別腹」とアイスクリーム・プリン・ショートケーキとまだ食べる。不思議なほどよく入る。あれほど「苦しい」と言っていたのに、、、。
 話は変わり、ある日の教会でのこと。祈り、賛美し、メッセージを聞き、献金を献げた礼拝が終了し、みんな昼食を食べに階下へと下る。私とチャー君も遅れてはならじと続く。受付付近にさしかかった時、いきなり、「チャー君を見るといやされるよね!!」と大きな声で話しかけられた。私はどきっとした。心の中で「ちょっ、ちょっと待って!今の言葉」と、“プレイバック・パート2”のフレーズが体を駆け抜け、黄色信号。
 「だって今、牧師先生から聖書の話を聞いたばかり・・・!」「満たされ・いやされるメッセージだったのに・・・!」「それを聞いたら牧師先生悲しまない?・・・!」と私はどぎまぎ。確かに私もチャー君にいやされることはあるが、礼拝直後はまずい!しかもみんなに聞こえる声では・・・!私は絶句し、黄色信号から赤信号。
 その時、ふと思い至ったのが前記した「デザートは別腹」。そっ、そうだ~。チャー君のいやしは別腹のいやし!牧師先生のメッセージは主食のいやし、チャー君のいやしはデザート。そう考えてみれば、教会にはいろんな別腹のいやしがある。Aさんの笑顔、Bさんとのお喋り、聖歌隊の皆さんの賛美、賛美グループのハーモニー等々、みんな「別腹のいやし」。
 この「別腹のいやし」一つ一つに出会えるのも教会の魅力なのだと思う。チャー君もその仲間に入れていただけたのだ。そんな思いに至ることができたので、私の鼓動は急速に治まった。そして声をかけてくださった方に、「ありがとうございます。」とご挨拶ができた。チャー君のいる風景の一コマでした。
 次回は「暴走族になったチャー君」です。

■エッセイ 「羊飼いの声を聞き分ける」 正村八重子

 ある日の昼下がり。我家の電話がなった。
 「もしもし、あのさ風邪ひいちゃって喉が痛くて声が出ないんだけど、、、。」
 「熱あるの?学校休んだの?無理してたんだね。」矢継ぎ早に問いかけるが反応が鈍い。息子と信じて話していたが、こちらの問いには答えず、
 「そこに誰かいる?お母さんひとり?」
 「どうして?お姉ちゃんも来てないし、ひとりだよ。」
 「あのさ、困ったことがあって…」さっきより声が少し大きくなった。そこで「あれ?」と感じこちらも大声で叫んだ。
 「あんただれ!?」私の叫び声とともに電話は向こうから切れた。
 考えてみると、息子が昼間電話をしてきたことはない。夜遅くか早朝、、、。それに風邪くらいで電話などしてこない。たとえお金に困ったとしても知らせては来ない。それだけ分かっていても、風邪をひいた、、、と哀れな声を出されると息子と信じきって応答してしまう浅はかな母親、、、親バカのお手本みたいだ。でも神様は私に間違いであることを気づかせてくださった。息子の声と詐欺師だったかもしれない他人の声を聞き分けられなかった自分に恥ずかしさを覚える。
 主イエス様は「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます」(ヨハネ10:27)とおっしゃった。クリスチャンであれば誰でもサタンの声かみことばによる主の声かを聞き分けてものごとを判断し、決断し、実行する。
 私たちの教会は今年その決断の時であると思う。その決断は絶対にみことばからでなくてはならない。自分の考え、同情、人情、人間の好き嫌い、憎しみや妬みが根底に少しでもあっての決断であるならばそれはキリストの教会にはならない。教会は神のみ声を聞き分けてみことばを土台としたものである。人情や薄っぺらな愛や同情で成り立つものではない。私たちは間違ってはならない。教会を烏合の衆に堕落させてはならない。私たちの飼い主の声をはっきり聞き分けたい。

2009年冬(1月)号

■巻頭言 「新しい出発のために」 正村八重子

 「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」詩篇103:2
 新しい年の始め、心機一転して前進しようとする時、私たちが最初にするべきことは、過去を振り返って今日まで主がなしてくださった数々の恵みを具体的に思い起して、感謝することから出発したい。
 昔、イスラエルの民は、しばしば彼らの歴史を振り返って、神がイスラエルにしてくださった恵みを数えつつ、新しい出発をしている。詩篇の作者たちも、ペテロの説教も、アブラハム、イサク、ヤコブの神から始まって歴史をたどり、ステパノは、メソポタミヤにいたアブラハムの出発から、パウロは、出エジプト、40年の荒野の生活からエッサイ、ダビデ、キリストの誕生を。神が天地創造し、自然界を通し、また、絶対的力を持ち、かつ人々を大きな犠牲をはらって愛しておられる事をひたすら伝えている。そこに感謝が生まれ、次にどう生きるか新しい力が湧いてくる。
 主がよくしてくださったことを忘れてしまうような忘恩の罪の中からは感謝もなければ賛美もなく、新しい出発をする勇気も出ない。私たち個人にとっても、教会の49年の歴史を見ても、その時その時、神様の助けがあったことを思い出し、感謝するばかりです。
 今年はプロテスタント宣教150年と言われてもいるが、同盟教団の歴史は常にフランソンスピリットが始めであるという。私たちは過去を引きずって、昔は良かったいう後向きの生き方ではなく、この教会に神様がしてくださった数々の恵みを忘れず前進したい。八畳一間の借室から民家が与えられ、狭い土地が与えられ、今、この会堂が与えられた。神様の恵みというほかない。
 個人的には、あの大岡村の山奥(今は長野市になっているが)から救われ、母も姉も神様を信じ、子供達もそれぞれ成長させていただいた。この恵みと奇跡を感謝するばかり。
 感謝あるところに次の出発がある。教会にとって今年は新しい出発の年にしたい。

■クリスマス礼拝「知り合った人は皆・・」 K.M.

 三浦綾子著・続氷点(下)にありました、ありました。坂井ヒロ子さんのお名前。このヒロ子さんのモデルこそ、クリスマス礼拝の特別ゲストとしてお招きした宮嶋裕子さんご本人とお聞きして早速確かめてみたわけです。
 綾子氏の初代秘書を務められた宮嶋さんと、お嬢さんのみぎわさんの、息のあったお証と賛美。お二人とも、ご自分なりのご活躍をたくさんお持ちの方々でありながら、そこはあえてふれず、綾子さんとのエピソードから、綾子氏の人となりを語ってくださいました。三浦綾子氏の執筆の目的は明快でした。―伝道のために書く-。エッセイを読み、著作にふれて、全くその通りだと納得します。こんなに単純にすっきりとした目的で人が行動できるとは、不思議なくらいです。
 受洗の時,牧師から「知り合った人はみな、自分の責任範囲なのですよ。神様から託された人なのですよ。」と語りかけられ、生涯その感動を胸に生き抜いた人だったといいます。宮嶋さんご自身も、そんな綾子さんのそばにいて感化を受けられ、今、まさにそういう方になっておられるとお見受けしました。
 このクリスマス礼拝・イブ礼拝のために、伝道部が11000枚のチラシを用意しました。新聞折り込み・DM・手渡し・ポスティング・・長野福音教会の名前で、11000件の家庭にチラシが配られたわけです。この方々は、すでに、私たちの教会と関わった方。私たちの責任範囲です。かつて、正村富男牧師が、入院中の病院の窓から長野平を見渡して祈っておられたとお聞きしたことを思い出します。この地域に生きる人々のために、仕える教会として立ち続けたいと思わされました。

■泉会クリスマス会 T.T.

 今年の泉会クリスマス会も穏やかな温かな日となりました。教会行事って天気に恵まれることが多くて感謝です。今年はオンヌリ上田教会の山口精孝牧師ご夫妻が来て下さいました。山口先生の世界的な視野を捉えた宣教の話、日本各地での働きのことなど、熱く語られる姿を通して神様とともに歩んでおられる力強さが伝わってきました。
メッセージは、マタイ26章1節から13節、『ナルドの壺』からでした。
  弟子たちはこれを見て憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。・・・」
  するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。・・・」
 この話から、まことの礼拝は十字架に向かうことであること。つぼを割るとは、心をくだくということ。また、つぼを割ってこそ中味が周りに流れ出ていくものだということを教えていただきました。
 昼食をとりながらの交わりの時も、普段なかなかゆっくりと話すことがない方々とも楽しい話ができた時となりました。泉会の賜物である、準備や片付けの手際の良さも見事でした。
 霊肉ともに満たされた最高のクリスマス会となりました。神様ありがとうございます。感謝します。

■「みんなで行こう!辰野教会」 K.H.

 9月23日(祝)長野福音教会から車3台に分かれて辰野教会との交流会へ行ってきました。
 辰野教会に到着後、教会見学タイム。2階ホールのステンドグラスは昼間も綺麗ですが、「朝日を通してみるともっときれいだよ」との言葉に「泊まりたぁい!」とウイングス女の子軍団からの期待の言葉が。
 続いて食事(婦人会でカレーも用意していただきました)をしながらの教会・各会紹介タイム。E兄弟のやんちゃな過去が辰野のメンバーから暴露されつつ、辰野教会の歴史から現在の活動の様子が話されました。
 長野福音教会からもパワーポイントを使いながらの案内、そしてお互いの活動の様子など質問が飛び交いあっという間に時間が過ぎてしまいました。オプション「塩尻ぶどう狩り」も一緒に過ごし、心もおなかも大満足。
 地域も教団も違いますが、同じ主に在る家族として非常に楽しくお互いに励まされた交流会でした。今回は「第1回」、「次は気候の良い時に一緒に野外礼拝ができたら良いね」と辰野で話題になっているそうです。
 最後に母からの裏話をひとつ。お昼の食事当番は決まっていたのに、当日はみんなうれしくて楽しみで、当番以外のメンバーが大勢準備に集まっていたそうです。あの美味しかったお昼の隠し味は「期待と喜びと感謝」でした。

■感謝なバザー Y.S.

 今年も、バザーにご協力いただき、ありがとうございました。皆さんが、もうよく心得て下さっていて、責任をもって動いて下さり、バザー委員とは名ばかりで、何の苦労もなく、今年もよいバザーができて、ほんとうにありがとうございました。
 泉会では、用意したものがどれも好評で、適量で、当日の売り子さんとしてのトークとスマイルもすばらしく、程よく完売。皆さんの賜物がいかんなく発揮されました。神様の御守りと祝福をいただき、お客様も喜んでいただけたと思いました。教会員同士も奉仕した甲斐のある楽しめたバザーになったと思います。
 今後も、評判のよいバザーとして、この地に定着していけたらいいですね。

■アイメイト・チャー君のいる風景(その1) ~プロローグ チャー君はいないの~ T.K

 アイメイト・チャールズ(以下チャー君)が、長野福音教会の礼拝に出席させていただくようになって、もう1年半が経とうとしている。盲導犬とはいえ、犬が教会に入りかつ礼拝堂に入ることにとまどいを感じたり違和感を覚えたりする人がおられるのではないかと、私は心配した。そこで、事前に祈りの友に「盲導犬がやってくる」と題して、盲導犬理解の記事を載せていただいた。結論から言うと、私の心配は無用であった。教会員の誰もが、チャー君を見ると「かわいい!」「お利口だ!」「おとなしい!」「愛らしい!」等と声をかけてくれた。挙げ句の果ては、「子どもや孫にチャー君の爪の垢を煎じて飲ませたい。」と言われたほどだ。アイメイト・チャー君は皆さんに「ウエルカム」とばかりに受け入れてもらえた。まさに、百聞は一見にしかず(この場合、見の字は犬とした方がよい程である)。そして、今は、アイメイト・チャー君が、礼拝に出席することは当たり前の風景になっているようだ。
 ある日、娘のところへ行って福音教会の礼拝を休んだ時、「チャー君はどうしたの。」と皆さんが心配して、家内に声をかけてくださったそうだ。私の存在など、誰も気にしないで。「チャー君おはよう」「チャー君元気」「チャー君よく歩いてきたね」と、チャー君、チャー君、チャー君コールの連続。私の存在はチャー君皇太子の随行員となってしまった。実は、私もチャー君パワーはすごいと思うときがある。なんと、聖書的な生き方をしているのだろう・・・と思わされることが多々ある。
 そこで、今回から数回にわたり「アイメイト・チャー君のいる風景」と題したエッセイを投稿させていただく。そして、皆さんとチャー君とのかかわりや聖書の記載とチャー君、また、アイメイトとしてのチャー君等を紹介させていただく。全国的にも珍しいと思われるアイメイトのいる教会もいいものだということを、改めて共感していただければ幸いである。

■エッセイ 「緊急医での一コマ」 金本義也

 12月末、松原湖バイブルキャンプへ奉仕に行ってきました。奉仕内容は、松原湖主催のキャンプと並行して行われるhi.BA(高校生伝道)のスノーキャンプで、参加した高校生にスノーボードを教えるというインストラクター、そして、送迎などの運転手というものでした。今シーズンの初滑りでもありましたから、自分は、怪我のないように無理をせず奉仕し、無事守られました。けれども、残念なことに、お一人怪我をされて、その夜、救急医へ連れていくこととなりました。
 年末の救急医ですから、診察を受けて終わるまでの長い待ち時間があり、運転してきた私は、待合室で終わるまで待ちました。普段、あまり病院に行くこともありませんから、なおさら救急医に来ることは、滅多にない経験でした。ですから、長い待ち時間の間、救急医にやって来る人たちの様子をうかがうよい機会となりました。
 両親に伴われインフルエンザで毛布に包まれてやって来る女性、お酒を飲んで車椅子に乗って運ばれて来るおじいちゃん、おばあちゃんに連れて来られた子どもなど、様々な人たちが運ばれて来ました。緊急性の高い人たちが優先されるとのことでした。
 そんな中、4ヶ月の赤ちゃんが連れて来られました。受付での問診が耳に入って来ます。「熱があって、嘔吐、下痢が続き、食べることも出来ない」と。お母さんが、赤ちゃんをあやして、ちょっとの笑顔を見せたと思ったら、苦しさのせいでしょう、すぐに泣き出してしまいます。力のない声で。
 自分には子どもがいませんが、その時、こんな小さな赤ちゃんが苦しんでいるのを見ていたら、その子の代わりになってあげたいと親がどれほど思うだろうか、その子を愛していれば愛しているほど、その思いが強いのではないかと思いました。どんなに子どもを愛している親であっても、実際に代わってあげることはできません。けれどもイエス様は、実際に私たちの代わりになってくださいました。私たちに代わって十字架で苦しまれました。親の愛を越える神様の愛を教えられたひと時でした。
 Ⅱコリント5:21「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」

2008年秋(11月)号

■巻頭言 「からだ」 Y.Y.

 罪を悔い改めてイエス様を心のいちばん大切な場所にお迎えした者に対して、神様は「あなたがたは神の宮です」と言ってくださいました。そしてキリストを頭とする体なる教会の中で、「互いに愛し合い、仕え合いなさい」と教えています。また、キリストに似たものになるように成長しなさいと教えています。
 私の妻は今年の6月に脳につながる頚椎大動脈血管の手術をしました。お医者さんには様子を見ながら少しずつ運動をしなさい、食事のコントロールをしなさいと言われました。なぜこのようになったのか、と聞いたところ「それは今まで自分の体を大切にせずに生活をしてきたなれの果てです」と一括されました。血管の分岐部分の90%にプラークがたまって、10%の血流で問題が生じ、MRIで発見されたのです。もう少し放っておくと死に至るものでした。教会の皆様の祈りに支えられ、生活改善をしていく中で驚くほど落ちた体力も少しずつ回復し、今では40分~1時間の散歩ができるようになりました。神のつくられた体はなんと精巧に出来上がっているのでしょうか。
 私たちの教会はキリストの体です。一人ひとりの賜物は違い、大きさも違いますが、誰ひとりとして不必要な人はなく、神が必要と計画され、生まれ、選ばれたのです。自分ひとりが天国にいければよいというものではなく互いに愛し合い、仕え合うようにと聖書は言っています。
 今私たちはもう一度みことばを見つめ直し、みことばの中から一致を勝利しなければならないと思います。120名礼拝に向かってビジョンが与えられている今、御言葉を理想としないで生きている者は、成長することを見える形にしていく時ではないかと信じます。

■未伝地に福音を―伝道会の感謝― H.E.

 9月13日(土)に、滝元明先生をお迎えして伝道会がありました。今回は音楽ゲストにサックスのロン・ブラウンさん、ボーカルのイヴォンヌ・ウィリアムズさんがおいで下さいましたので「ジャズ&ゴスペル」を前面に出して集会をPRさせていただきました。情報誌には2週間前入稿すれすれセーフで掲載されました。8000枚のチラシの裏面にはトラクトを刷り込み、「集会に来れなくても福音が届く」ようにしました。NAECの各教会の連絡先も載せて、お世話になっているお仲間の教会にもご利用いただけるようにしました。信毎のオリコミで7000枚弱を配布したのですが、今回は吉田地区全域をターゲットにしました。今後は長野市北東部の「未伝地」や新興住宅地への伝道にも力をかけてみたいと思います。車社会ですので教会がカバーする地域を若干拡げるのもいいのではないでしょうか。今回は133名の皆様が来て下さり、内13名は当日券での来会でした。
 ところで、今回の滝元先生方のスケジュールはハードをきわめていました。当日もご奉仕の後、東京へ移動し、次の日には3つの集会が待っていました。重い機材をご自身で運びリハーサルもその都度完璧になさる皆さんが、あの後、深夜の移動をして次の日のご奉仕に当たるとは・・舞台裏を垣間見た者としては、その夜は熟睡できませんでした。「今もまだ移動中・・事故が起きたらどうしよう、風邪をひかれたらどうしよう・・」等々心配でなりませんでした。でも皆様の祈りによって支えられたことを感謝します。
 今回は何よりも皆様の祈りのご奉仕によって、そして実務に関わる多くの陰のご奉仕によっても支えられたことを感謝いたします。タラントをお献げ下さったお一人お一人に神様の報いがありますように・・。
 チャリティーバザーが終わると次はクリスマスです。チラシには、佐藤彰先生のトラクトを刷り込む予定です。集会に来れない圧倒的多数の方々にも福音が届けられます。未伝地に、そして「私」を通してしか福音を知ることのできない方々に、主の十字架をお知らせして参りましょう。

■松原湖ゴスペルジャンボリープラスに行ってきました M.S.

 9月15日、松原湖のゴスペルジャンボリープラスに家族で参加しました。午前中のフリスビーを使ったゲームは本当に楽しくて、初めてお会いした方との距離が一気に縮まった感じです。昼食のおいしいカレーとシフォンケーキをいただいたあと、午後の集会でした。メッセージの中で1枚に写真が紹介されました。その古ぼけたセピア色の写真には昔伝道のために日本に渡って来られた多くの宣教師たちの姿がありました。彼らは宣教師としてキリストの召命を受け自ら進んで日本に渡ってきたのかもしれません。でも、なぜ家族や恋人や気の合う友人との平穏な日々を捨てて見ず知らずの外国人のために危険を冒してまで日本に来たのでしょう。その情熱はどこから来たのでしょう。
 僕には一つの負い目があります。それはクリスチャンになって21年。僕を通して救われた魂が1人としていないことです。僕の足りなさでもあり、怠慢でもあると思っています。でも、だからといって卑屈になってもいないし、諦めたわけでもありません。大勢の人が救われる日が必ず来ると信じています。それは生きている間かもしれないし、死んでからかもしれませんが(笑)。
 ただ、そのためにはいつもしっかり準備しておく必要があります。植物が成長していないように見える時も水をやり手入れを決して怠らないこと。僕の場合だと、「祈り」と「行動」です。なぜなら祈りは行動を生み、行動は更なる祈りへと導くからです。
 ”祈りを積む”という言い方をしますが、いったん積んだものはなくならないというのが祈りの素晴らしさの一つです。野球のイチロー選手もその時々で変わる打率の上下ではなく、ヒットを積み重ねることを重要視しているのと同じです。
 弟子たちに聖霊がくだったとき、弟子たちは1つところで祈っていたと聖書にも記されています。準備をしっかりしていたとも言えるのかもしれません。現在、週の半ばの水曜日の祈祷会は当たり前の集会になっていますが、この日が定められたのは教会の長い歴史とクリスチャンの知恵と神様の憐れみの賜物だと思います。
 僕らはいつ弟子たちと同じように集まって祈るのでしょう。たとえば自分や親に悪い病気が見つかったとしたら真っ先に教会に電話して祈りの要請をするでしょうし、祈祷会に参加せずにはいられないでしょう。でも、そのようなときばかりでいいのでしょうか?
 祈祷会に参加するとわかることがあります。今いか祈りが必要であるか、祈りを必要としている兄弟姉妹が多いかということです。そして、クリスチャンである以上祈る義務がある。それは神様からのチャレンジであり恵なんだ、ということにも気づきます。本当に感謝なことです。
 家や職場や健康の問題などで参加したくても参加できない立場の方もいらっしゃることは重々承知しています。そのようなお一人お一人のためにも参加できる者が水曜日の祈りの日に集い、富士山を超すぐらい高く!情熱をもって祈りを積んでいこうではありませんか。
 長野福音教会では120名礼拝というビジョンが掲げられています。先日のジャズ&ゴスペルの伝道会は後でお聞きしたら会堂に130名入ったのだそうですね。神さまは120名というビジョンを現実のものとして見せてくださいました。あの熱気すごかったですよね。あれが120名礼拝なんです。その光景を一番後ろで見ていて感動しました。さらに塩尻の開拓伝道のためにも祈っていかなければならないのでのんびりしていられません。日本のためにはるばる海を渡って来たあの宣教師たちや、一つところに集まって必死に祈っていた弟子たちのような情熱を持ちたいものです。
 *最後にお願いがあります。個人的に「長野ふくいん教会☆非公式ブログだよ♪」というブログ(インターネットの日記)を書いています。数人の兄姉も参加してくださっています。長野県に住んでいる人に向けての証になればという思いで始めて1年経過しました。この働きは継続していくことにこそ価値があると思っているのでさらに一緒にブログに参加してくださる方が今どうしても必要です。ブログの経験が有る無しは全く問いません。少しなら協力してもいいよ♪という兄姉はお知らせください。非公式なお願いですが(笑)よろしくお願いします。

■長野福音教会のみなさん、お元気ですか?

 ハレルヤ!主の御名を賛美いたします。長野福音教会のみなさん、お元気ですか?
 こちらもだいぶ寒くなってきましたが、長野の寒さには及びません。生活の方はだいぶ落ち着いてきて、子どもたちもそれぞれの場所でがんばっています。前に住んでいた家に戻り、周りはあまり変わっていないせいか、長野の3年半が夢のようで、まるで瞬時に現実の世界に戻されたナルニア国物語の子ども達の気分です。雄大な自然、四季豊かな気候、美しい山々・・・3年半という短い期間だったので、「いいとこどり」をしていたのかもしれませんが。何よりも3年半、楽しいお交わりをありがとうございました。子どもたちも素晴らしい友だちに恵まれ、ウイングスやヤングチャペルが大好きでした。先生方には、子どもたちの一番大切な時に(大変な時?)お世話になり、本当に感謝です。Yは幼稚園で(教会幼稚園に行っています)「お祈りがとても上手です」「聖書のお話をよく知っています」と驚かれ、ほんとうにウイングスの先生方のおかげだと思いました。
こちらの教会は、これから会堂建設を予定しており、今は会堂建設委員会や信徒会などで、つめの話し合いの最中です。みこころであるなら、来夏には着工するでしょう。礼拝出席者は30人ちょっとと決して大きい教会ではありませんが、これから成長していく幻を持ち、一致して歩んでいけたらと思います。
 長野、茨城と遠く離れていますが、今でもお祈りで支えて下さっていること、感謝します。これからも同じ主に仕える兄弟姉妹としてよろしくお願いいたします。そろそろ雪の便りが届く季節かと思います。皆様の健康が守られますように。 J.Y.&M.Y.

 こんにちは。3年半おせわになりました。ヤングのみなさんは元気にやってますか?
茨城では、ティーポットという中高生の集まりがあり、そこに行っています。そこでは、歌を歌ったり、証を聞いたりします。ここ牛久福音キリスト教会では、子供信仰問答というものがあり、牧師先生が小学生向けの説明をしてくれます。クリスマスに、人形劇をやります(小さなリース)。TCUから人形を借りて練習中です。ぼくも兵隊役で出ます。
 長野で楽しかったことが3つあります。1つ目は登山です。17山制覇しました。しかし茨城には山がないので長野に毎年行きたいです。2つ目はスキーです。パラレルが少しできるようになりました。今年の2月にスキー教室(学校でやります。しかし長野ではない。)があるので楽しみです。3つ目は、教会キャンプです。川やキャンプファイヤー、夜ふかししてやったウノ、サイレントフットボールなどいろいろ楽しかったです。また夏に長野に行きます。その時はよろしくお願いします。 S.Y.

 私の長野福音教会での一番の思い出は、妙高キャンプです。川に行ったり、キャンプファイヤー、友だちといっしょにゲームをしたり、おかしこうかんをしたことが妙高での思い出です。私が今行っている牛久福音キリスト教会では長野と同じさんびかを歌っています。私の教会での目標は、はずかしがらずみんなの前でおいのりしたり、歌を大きな声で歌うことです。
 長野でできた友だちは私の宝物です。先生方にもやさしくしてもらったり、いっしょに遊んで下さってありがとうございました。私が引っ越していくときに、みんなが手をふってくれて温かく見送ってもらい、とてもうれしかったです。また妙高キャンプに行きたいと思っています。山登りに行ったりスキーに行くときに教会によりたいです。茨城にも遊びに来て下さい。 H.Y.

■転会して C.F

 8月31日(日)、転会式をして下さりありがとうございました。隣に座っていたやはり客会員のN姉が「こんな風にしてもらうのって、とてもいいですねえ。」と感激した面持でおっしゃっていました。「緊張して足が震えました。」と言ったら、正村先生には全然信じてもらえませんでしたが(?)、身の引き締まる、とてもいい緊張がありました。
 司会のS兄が「もう、お馴染みですが・・」とおっしゃったのが、私には大変意外で、というのも、自分では全然お馴染みなんて思われているとは思っていなかったので・・、ビックリしました。自分では、文字通り『お客』『根の生え(てい)ない者』『根無し草』のようにずっと自分の状態を感じていたんですね。だから、やっとホームとベースを与えられた、持てたという気持がしております。それはつまり、やっと大地に一歩を踏み出せるという感じに似ています。とても有り難いことだと感じています。
 又、何人もの方が「おめでとうございます。」と言って下さり、ありがとうございました。嬉しく、感謝しております。これからもどうぞよろしくお願いいたします。ここまで導いて下さり、今も常に共にいて働いていて下さる神に感謝いたします。

■エッセイ 「神がお忘れになるもの」 正村八重子

 例年のことになるが、バザーが終わった日の夕方、皆さんが大体帰られた頃に教会の電話が鳴る。「○○ですが、バザーで買った××を忘れてきました。お弁当はどなたたか食べてください。」と。保管しておけるものは良いが、食品などはそうもいかない。教会の人はみんな忘れ物をよくする。それだけ教会では気を許しているからかもしれない。年を重ねると忘れ物も多くなるが、バザーに限っていえば若い人(中年かな?)に忘れ物が多いのはどういうことか。当日は奉仕が多くて忙しいからかもしれない。今年もバザーが終わりました。たくさんの奉仕に主が報いてくださるように祈り、また主に感謝を捧げます。
 バザーの忘れ物は大したことではないが、聖書ではどうしても忘れてはならないものを示している。「主の良くしてくださったことは何ひとつ忘れるな。」と、十字架の購いの恵みを忘れてはならない。「忘れる」ということばを聖書のコンコルダンスで引いてみると数えきれない程たくさんある。これを見ると、本当に人は神の恵みを忘れやすい者なのだと思う。自分の罪を主に赦していただいたのに、人の悪はいつまでもしっかり覚えていて、心の中で裁いたり軽蔑したりしている。「忘れる」べきことと「忘れてはならない」と命じられたことがしばしば反対になる。人間は主の恵みを忘れるので、人の悪を覚えているのである。神様は私を愛することをお忘れにならないので、私たちの犯した罪を忘れてくださっている。主は一度赦された罪をきれいに忘れ、人を愛し、恵んでくださることをしっかり覚えておられる。私たちが忘れても仕方がないものはバザーで買った商品で、忘れてはならないことは罪が赦されている故に隣人への愛である。
 「東が西に遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。」(詩篇103:12)


2008年秋(9月)号

■巻頭言 「両輪」 H.E.

 仕事柄、少しアウトローっぽい教え子とのお付き合いがあります。感謝です。10代半ばにして仕事をしながら自活していく彼等の生き方は、ある面壮絶です。大人の勝手や都合に翻弄されながらも、小さな頭で考え、戦い、懸命に生きてきた彼等には強さがあります。同年齢の子に比べて彼等ははるかに大人で、年齢以上の人生観をもっています。
 ある夜、彼等とカレーを食べにいきました。その後、ゲーセンでプリクラとって、誘われるままにボーリングをやりに行こうと言っていたときに私の携帯電話が鳴りました。娘が高熱を出しているという知らせでした。
 忙しい彼等との折角の機会ですし、娘のことは妻に任せて「大丈夫だからボーリングに行こう」と言ったときです。
 「センセー、家族を放っておいちゃダメじゃん。子どもが具合悪いんじゃん。もう遅いんだし遊んでる場合じゃないよ。いいから早く帰ってあげなよ。」・・夜の仕事をしている彼等の言葉には重みがありました。
 私は、彼等と付き合い、信仰書やトラクトを渡し、彼等の生活や話題に近づき、同じ目線に立って一丁前に伝道しているつもりでした。しかし結果的には、彼等の言葉をして神様から注意をいただいたのだと思います。彼等は私の口から出る信仰的な言葉は聞き流しながらも、クリスチャンとしての私の内にある倫理観や道徳観、そして聖さをどこかで信頼していたのかもしれません。
 以前、メビックという「教会学校&おともだち伝道」の研修会に行ったことがあります。ゲームをリードし、歌い、踊る奉仕者の方々は、皆、GパンとTシャツでしたが、その下に祭司のエポデをまとっているのではないかと思うほどの聖さと秩序、そして厳しさがありました。
 この時代の人々に福音を伝えるため、教会の敷居はできるだけ低くありたいと思います。と同時に教会内には絶対的な基準とそれに伴う聖さと愛をもちたいと思います。この両者は対立するものではなく、車の両輪の様なものです。
 このことについて異論はないでしょう。みんながそう思っているから。しかし実際の場面で異なった見解が出てくるのは、それぞれの見方考え方感じ方に違いがあるためです。この違いは感謝です。だからこそ情報を共有し、調整し、理解し合うプロセスが大事です。
 そしてこの両輪によって、楽しくて自由で、時代を先取りしていて聖さと愛があり、キリスト様に似たものに成長できる教会をめざして走り続けましょう。

■2008夏キャンプ感想、思い出

 7月27日(日)~29日(火)国立妙高少年自然の家において恒例の夏のキャンプがおこなわれました。参加者の皆さんに感想を書いていただきました。

●ウイングス編

 M.S.(小6女)・・・・・イエスさまとやりとりをして、いつでもどんなときでも喜んでいれるようにしたいです。イエスさまが私たちのために、罪人として十字架にかかってくれたことが改めて分って良かったです。キャンプのときだけじゃなく、イエスさまを思い出せることができるようにしたいです。これからもっとイエスさまのお話を聞きたいと思いました。
 Y.E.(小6女)・・・・・私は今年のキャンプで、濱野先生のお話から、神様は本当に愛してくれていることが改めて良く分かりました。神様は私達が生まれる何千年も前から考えて考えて私を作ってくれていたことや、本当は私が罰を受けるべきなのに、自分の一人息子のイエス様を十字架につけるほどに大事に思ってくれていることが分って良かったし嬉しかったです。これからの生活で、ここで学んだ「どんな時でもイエス様を思い出して、話したり教えてもらったりすること」や、「いつでもうれしいと思うということ」などをやっていきたいです。
 M.S.(小5男)・・・・・川原へいったことも、キャンプファイヤーもたのしくできてよかったです。しかもお話もきけてよかったです。来年もきたいです。
 H.A.(小5男)・・・・・キャンプファイヤーなどたくさん楽しいことがあってよかったです。はまーん(はまの先生)のしゅうかいのお話もよくわかりました。今年もとても楽しいキャンプになってよかったです。来年も楽しいキャンプになるといいです。
 S.S.(小3男)・・・・・キャンプファイヤーが楽しかったです。あと、川遊びが楽しかったです。はじめて知ったこともありました。これから神さまをしんじます。
 H.Y.(小4女)・・・・・私はこの3日間イエスさまのお話をたくさん聞けてよかったです。一番よかったあんしょうせいくはヨハネ3:16の「神は実にそのひとり子をおあたえになったほどに世を愛された」というところです。イエス様は一人ひとりを大事に私たちを作ってくれて、そして私たちのつみのために十じかにかかってしんでくれたというところがうれしかったです。来年もこのキャンプにきて友達とももっと仲よくしてもっとイエス様のことを知りたいです。
 M.E.(小3女)・・・・・2はく3日のキャンプでさいしょきた時は、へやはだれといっしょになるかわくわくしていました。友だちにもともと前のキャンプでは、ちょっとだけしかナカヨクなかったけど、でも次のキャンプでは、もっとナカヨクできたからその時とてもうれしかったでした。1日目に夜ごはんを食べたらとてもおいしいなーとわたしはかんじました。2日目も3日目もとてもおいしいごはんが食べられてうれしかったです。なんでも神さまに話したほうがいいという話がスゴクいいと思いました。わかりやすい話がきけてうれしかったです。これからも神さまのことをまなびたいです。
 Y.M.(年長男)・・・・・キャンプファイヤーでスターウォーズごっこをして楽しかった。お昼がおいしかった。川で水でっぽうしたり、 バケツで水かけをしたりして楽しかった。Tしゃつづくりがとても楽しかった。どんなことでもイエスさまにおいのりします。お茶会が楽しかったです。
 Y.M.(須坂・小6女)・・・・・ハマーンの話が、分りやすくて楽しかったです。神様と仲良しになれるようにしたいです。どんな時もイエス様の事を思い出せるようにしたいです。
 M.Y.(須坂・小3女)・・・・・私はこの3日間のキャンプで神さまのコトがたくさんわかりました。それに私は神さまのコトがもっともっと神さまのコトがわかってうれしかったです。私はこれから、なるべく教会に行くようにしたいです。また、どんどん神さまのコトをまなんでいきたいです。
 M.H.(中野・小2女)・・・・・今までのしゅう会の中で全うかんどうしたけど、一ばん心の中にのこったことは、3回目の時です。私が十字かを知らなければ生きているいみがないということと、ほんとうに私には十字かがひつようなこと、ということです。またらいねんもきたいです。
 Y.H.(中野・年長男)・・・・・ボールであそんでたのしかった。川でオタマジャクシをつかまえてたのしかった。だからまたきたいです。
 S.H.(中野・年少女)・・・・・いっぱいごはんをたべておもしろかった。神ひこうきをとばしたこともおもしろかった。
 濱野直子(講師)・・・・・私のような足りない者を用い、大切な子供たちに仕えさせて下さった主に感謝します。ウイングスの、やわらかく、あたたかく、すなおな子供たちとの出会いは大きな喜びです。また、へりくだりつつ仕えておられる先生方の姿勢に大変学ばせていただきました。このような機会を与えてくださった長野福音教会の皆様に心から感謝し、御教会の上にゆたかな祝福をお祈り致します。ありがとうございました!
 金本義也(牧師)・・・・・今回はウイングスの男の子たちと一緒に過ごして、楽しい時間を持てました。イエスさまと仲良くなることなど、濱野先生からのお話で教えられました。体力的な疲れを感じましたが、かけがえのない時間となりました。
 S.K.(女)・・・・・“神様の愛”について、濱野先生から具体的にお聞きすることができて感謝でした。いろいろな思いがありますが、それらの思いを神様に話し、神様から答えをいただき、どんな時でも喜べたら最強だなあと思いました。子ども達がキャンプを楽しみにしている姿を見て、スタッフとして励まされます。
 E.T.(女)・・・・・どんな時もイエスさまにつながっていきたいと思います。イエスさまの愛を思うと、胸がいっぱいになります。
 K.E.(男)・・・・・濱マーンのわかり易いお話や、先生のリアルなお証しを通して、どんな時も神様と交わることの大切さを感じました。
 M.Y.(女)・・・・・どんな小さなことでもイエス様に祈ろうと思います。今まで、自分で解決しなくちゃとか、自分でどうにかしなくちゃとか思い過ぎていました。隠れた自分の気持ちに気付かされました。(決心)家でもムカッとしたり、頭にきたりする時は、まず祈ります!!

●ヤングチャペル編

 M.T,(高3女)・・・・・“信仰”ということについて、沢山のものを得られたキャンプでした。神様からの救いの恵みを受けられることに喜びを感じるから、それを知らない人に伝えたくて仕方なくなる、という言葉を聞き、私もまわりに伝えてゆける勇気を持ちたいと思いました。
 K.S.(高1女)・・・・・飯田先生のメッセージは、とーてもわかりやすかったです!ほかの教会の人たちとも仲良くなれてよかった♡
 K.K.(高1男)・・・・・今年は2日間だけだったけど、楽しい時間でした。先生のメッセージも良かったです。
 H.A.(中2男)・・・・・このキャンプで、このキャンプのテーマである「なぜ教会へ行くの?」で、飯田先生のメッセージを通して、神様のことについて深く考えることができたと思います。
 T.S.(中1男)・・・・・たくさんのみことばを聞けた。学ぶことがたくさんあった。
 S.Y.(中1男)・・・・・心に残ったメッセージは、“悪霊追い出し”で、聖書にあった話は本当の話なんだなあ、とあらためて思いました。そのおかげで聖書が読みたくなりました。キャンプで決心したことは、周りにいる友達を教会の行事などからさそう。
 T.M.(中野・高3男)・・・・・高校に入ってから、あまり教会にいけなかった。今回のキャンプで、「教会に行くということは、イエス様に会うということ」というのを聞き、教会を大切にしなければならないと改めて思った。いろんな人と交わり、神様の御言葉を聞けたことを感謝したいです。メッセージもわかりやすく、より理解を深めることができてよかったです。来年もできれば来たいなあ。
 Y.K.(中野・高3男)・・・・・私は今年のキャンプで最後になりますが、3日間参加できてとても感謝です。3日間飯田先生の素晴らしいメッセージを聞いて、本当に沢山のことを学び、考えさせられました。これから自分と神様との関係をもっともっと深めていきたいです!!あと、キャンプで楽しかったのは、川遊びです☆ 今年は特にハードでした!ちょー楽しかったです◎ 本当に!ありがとうございました ♡ ♡ 来年はスタッふぅー!!として参加できたらいいなあと思います。ハレルヤー♪
 G.K.(中野・中3男)・・・・・キャンプではメッセージなどいろいろなことが学べてよかった。今年は前のときよりも人は少なかったけれど、みんなと仲良く楽しいキャンプになってよかった。金本先生に“マシュマロを14個のみこまずに口に入れて自分の名前を言え”って言われた。もうマシュマロは食べたくないと思った。飯田先生のメッセージはすごく良かった。「飯田先生 is good !」 また来年も来たいと思います。
 N.Y.(中野・中3女)・・・・・キャンプで学んだものはすごく大きなものだった。いつでも神様が私たちを守って、必要なものを与えて下さっていることを、とても感謝することができた。キャンプ中に大きなケガなどもせず楽しく過ごせたことと、飯田先生のメッセージを心にとどめることができたのも神様の恵みだと思った。これからも神様を見上げて、世の中の悪いことに流されることなく、神様の計画通りに進んでいけたらいいと思った。
 K.I.(須坂・中3女)・・・・・神様の造ってくださった自然の中で、飯田先生を通してみことばやメッセージを聞けてとても良かった。もっと神様と関係を持ちたい。
 H.M.(男)・・・・・今回のヤングチャペルのテーマは「なぜ教会に行くの?」でした。このテーマは中高生にとって、またYCの奉仕者にとって切実です。神様はこの課題について飯田先生を通し、考えるための「軸」を与えてくださいました。本当に感謝です。これから金本先生のご助言をいただきながら、皆様のコンセンサスをいただきながら、さらに神様に喜ばれるYCになっていければ、と思います。皆様の背後のお支えに感謝します。
 M.K.(女)・・・・・全ての必要を満たし、守り導いて下さった神様に心から感謝します。飯田先生のメッセージを通し、この世に影響されるのではなくこの世に影響するクリスチャンになりたいと思いました。神の愛を隣人に受け流し、いつも新鮮なクリスチャンでいたいです!!
 S.S.(男)・・・・・自分が期待していたよりも、大きくて、たくさんの恵みを体験できて感謝しました。自分がどう感じ、何を思おうと、神様の最善というものは常に目の前にあるのだ、ということを信じていく気になりました。
 Y.K.(女)・・・・・今年はOGスタッフという名で参加しましたが、一年生として参加したという方が正しいですね。飯田先生を通しての神様のみことば、中高生との交わりの中で、多くの恵みをいただきました。感謝です。私のつかわされている場所で、神様の愛を流していく者になりたいです。

■聖山高原交わり会 S.N.

 7月19日に行われた聖山高原チャペル山上の集会に参加しました。教会の車やそれぞれの車に分乗して、現地に11時に集合でした。市街地を抜け19号線に入ると木の緑と川の緑、空の青さがパッと目に入り、日頃のあわただしさを忘れさせてくれます。同乗の先生方や兄姉とのおしゃべりも又楽しく1時間20分の乗車時間もまたたく間に過ぎ到着しました。
山上の言葉通りの景色でした。山の上の建物で緑の木立ちの中、青く広い空の下高原チャペルは有りました。ホテルと学校の建物の中間という感じでした。さっそく入り、管理人御夫妻に案内して頂き、食堂としている部屋でしばらく全員の到着を待ち集会を始めました。K兄のフルートに合わせ、「おどろくばかりの」を賛美し、祈りをしてから、創世記1章31節より「それは非常に良かった」のメッセージ をS師より御話していただきました。
後自己紹介をしてから建物の中を見学させて頂きました。とても広くチャペルの部屋も200人可で、隣は子供用でこれも又十分な広さでした。体育館の中は木造で心がホッとする暖かさを感じました。一通り見学して、いよいよ楽しみな昼食です。各自持ち寄った物を頂きながら、感謝し楽しく和気合い合いといただきました。
食後は自由行動です。体育館でボールやバスケ、バトミントン等童心に返って楽しみました。おしゃべりしている人や又、気持ち良くお昼寝している兄も。外に散歩に出てみると木造のアスレチックがあちこちに。子供達も十分楽しめます。宿泊ができて色々な施設が有って本当に素敵な高原チャペルです。
楽しい時間もまたたく間に過ぎ帰る時間です。野外ステージで記念写真をとって頂き、それぞれ分乗し帰路につきました。暑い夏の一日にさわやかな高原で過ごさせて頂き、御役の方に感謝し、この一日を祝福して下さった神様に感謝でした。

■エッセイ 「次世代のために」 金本義也

 今年の夏は、少し早めのウィングス、YCのキャンプでの奉仕と、そして、松原湖バイブルキャンプ高校アウトキャンプでの講師としての奉仕がありました。4月からYCの奉仕から離れ、教会の若者、子どもたちと関わる機会が減ったのは、自分にとって大変悲しいことでした。けれども、こうして、久しぶりにキャンプで子どもたち、若者たちと一緒に過ごすことの出来た夏は、自分にとって原点に戻って楽しくリフレッシュ出来る時でした。
 自分自身も、教会のキャンプで育って来ましたし、夏の思い出というと教会のキャンプが思い出されます。それだけ、教会で育って来た子どもたちにとっては、キャンプの働きが小さくないと言えるのではないかと思います。
 各教会独自のキャンプの良さもありますし、そして、松原湖のような教会外のキャンプの違う良さもあります。神学生になるまで教会のキャンプがメインで育って来た自分としいては、どちらの良さも、大切な教会の子どもたちには知って欲しいと思います。松原湖のような教会外のキャンプでは、他教会の同年代の仲間からが出来、たくさんの刺激を受ける機会があるのは、子どもたちの将来においての貴重な財産となることでしょう。また、年に数回のキャンプだけではなかなか十分な励ましを受けることが難しいかもしれません。けれども、キャンプに限らず、近隣の教会との交わりを頻繁にすることは、キャンプのような励ましを受けられる可能性を秘めているのではないでしょうか。それぞれの教会に若者は少なくても、その少ない若者たちが集まると相乗効果的な数の力が発揮されることでしょう。子どもたち、若者たちがそのような交わりが出来るように大人たちが助けてあげることが必要とされています。教会の将来が危機的な状況にある現在、アクションを起こさなければいけません。もしかしたらそれが手間のかかることかもしれません。けれども、無難なことではなく、大変でも、効果のあることを、実を結ぶことを選んでいきたいものです。
 「牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の力によって収穫は多くなる。」箴言14:4


2008年夏(7月)号

■巻頭言 「祈りは偉大な行動」 K.K.

 これは、韓国オンヌリ教会の主任牧師が、月刊誌「恵みの雨」7月号に書いてあったことばです。
 『いちばん偉大な行動は祈りです。祈れば人が変わります。皆さんが祈れば家族が変わり、民族が変わり始めます。』
 先生は、30年間、糖尿病と高血圧に苦しみ、肝臓癌の手術をし、5回再発し、現在は1週間に3回、4時間ずつ透析を受けています。このような健康状態でありながら、24年前に開拓伝道をし、その後大きく成長し、現在は5万人の信者が集う教会となっています。そして全世界に宣教師を派遣し、日本でも、ラブソナタの集会を開催するなど日本人の救いのために祈り、キリストの愛を伝えておられます。
 祈りの大切さについては、何度も聞いていますが、自分を返り見ると、祈ることは、極めてむずかしく、時間も少ないといつも反省するばかりです。
 熱心に伝道すれば人が救われ、怠けていると救われないということでは、ないと思いますが、少なくとも福音を伝えなければ、人の魂は救われないと思います。そして、魂の救いは、神様の領分に関することであり、それには、神様の御心を行うこと、神様の御旨を知り、それを語ることが何より大切だと思います。
 忙しい時こそ、すぐに行動するのではなく、何を優先してやるのかを熱心に祈り求め、聖書から学び、御霊に示された確信をもって行動することが、より短時間で効果的な働きと成果につながるのだと思います。
 また、祈りは、思いと言葉でするものですから、体力が衰えても、生きている限り続けることができる偉大な行動だと知り、高齢になっても希望を持って生活を送れるような気がしました。

■聖山高原チャペルオープン K.E.

 正村先生の地上の故郷である長野市大岡の地に去る4月5日オープンした横浜市青葉区にあるみどり野キリスト教会所有の聖山高原チャペルオープニング・セレモニー&ゴスペル・コンサートに参加しました。
 皆でおいしいバーベキューをいただいた後、午後からは、みどり野キリスト教会のキッズ・ユースによるゴスペル・コンサートを楽しみました。同郷の西村先生(みどり野キリスト教会牧師)と正村先生はふるさとの自慢話に花を咲かせておりました。建物は、旧.都立聖山学園を改築したもので、そこここに当時の面影が偲ばれます。長野・松本・上田からほぼ中央に位置するこの施設が、信州の福音伝道のために広く用いられることを祈ります。

■わいわいフェスタ S.I.

 6月21日(土)、わいわいフェスタが行われました。
 わたしはお料理担当。と言いつつ、ベテラン主婦の方々がたくさんいらっしゃったので、おまかせ~(^o^)丿 どうもありがとうございました。メニューは、豚汁とおにぎりとゼリーです。おいしかったです。
 来てくれた子どもたちは18名で、去年より少ないですが、たとえ一人でも来てくれて、聖書の話を聞いて、たとえすぐには教会に来てくれなくても、大きくなったときにキリスト教を選択肢にしてくれたらいいかなと思います。どこでどうなるかわかりませんもの。結果は神さまだけが知っているのです。

■第14回長野レディスランチョンに参加して C.M.

 去る6月25日、ホテル国際21において「三浦綾子と共に生きた40年」と題して三浦光世師による講演が行われた。講演まで天候が守られ、ご高齢(84才)の三浦さんがお元気で無事長野に来れますように、さらに大勢の参加者がつどいますようにと祈り、ワクワクしながら待ちました。初めの予想をはるかに越え、280名もの参加者で会場がごったがえすほどいっぱいになりました。(すごい!)
 美しくやさしい声で6曲賛美して下さった小島美穂子さん。そして、三浦さんの初代秘書だった宮島裕子さんの講師紹介。一番近くでお二人を見てきた人ならではの紹介をして下さった。綾子さんが亡くなられてからの10年の間、日本各地、世界各地で講演されたと話された。宮島さんの話もたいへんおもしろく聞きました。
 おだやかな話し方又お顔で綾子さんとの出会いから話された。名前から女性と間違えられてか?綾子さん宅に見舞いに行き、「主よみもとに近づかん」の賛美歌を歌い励ました? 3年後、年明けにプロポーズをし、タタミ9畳から新居生活が始まったと言いながら、思い出が多いせいか、話が脱線しながらユーモアを交えながら、綾子さんが、若い人をみかぎらないこと、はっきり物事を言っていたこと、雑貨屋さんを始め、小説「氷点」を書くことにした事など話された。小説を書くにあたっては、読んで下さる方の希望となるものが書けたらとよく祈り進めたこと、毎日聖書を旧約2章、新約1章を読み続けていらっしゃることなど話された。
 体が弱く大変なことも多いでしょうに聖書と祈りに守られていることを思いました。光世さんの支えがあってこそ多くの小説ができあがったと思いました。
 まだまだ話を聞きたかったが、帰りの時間の都合により残念でしたが、長野まで来て下さり、話をして下さり、本当に食事の間も写真に握手にと忙しく、いやな顔一つなさらずして下さっていました。感謝なことです。
 後1回の講演で最後の講演になるそうです。ありがとうございました。今年のランチョンは男性の方々も参加して下さって活気あるものとなり、大変よかったと思いました。
 最後に、三浦光世さんよりおすすめの本は「氷点」「塩狩峠」「泥流地帯」「母」です。まだの方はぜひどうぞお読みください。

[三浦光世氏プロフィール]
 三浦光世さんは1924年東京生まれ。3歳で今の北海道滝上(たきのうえ)町に家族で移住。1959年堀田綾子さんと結婚した頃は旭川営林局に勤務していた。綾子さんが朝日新聞社の懸賞小説に『氷点』で入選後、営林局を退職。以後妻の著作活動を支えてきた。『塩狩峠』の頃から綾子さんが口頭で述べる文を光世さんが書き写す口述筆記で作品を生み出した。(編集部)

■オンギジャンイコンサート S.S.

 7月5日(土)夜7時から長野福音教会にてオンギジャンイのコンサートが行われました。メンバーは、6月末から当教会に滞在し、1週間余り北信の諸教会に出かけるツアーを行いました。
 オンギジャンイといえば今回が3回目の長野でのコンサートということで知名度?も上がってきたようです。私は最初にオンギジャンイということばを聞いた時「オンギジャイン」て何のこと?と思っていました。ゴスペルの好きな若者グループくらいに(失礼)と思っていたのが、実際に聴いてみると素人目にも素晴らしいハーモニーを持つ、実に良く訓練された賛美グループだとわかりました。「オンギジャンイ」は歴代誌4章23節からとられ、韓国語で「陶器師」を意味することは多くの方がご存じでしょう。
 メンバーはオーディションを受け、音楽技術の高さもさることながらしっかりとした信仰に裏打ちされているのですね。みごとなハーモニー、もちろん歌詞は日本語で歌うのですが、その日本語が、発音といい抑揚といい完璧な日本語なのです。でも彼らは日本語の会話はまったく(ほとんど)話せないというのは不思議に感じられるほどです。語りは基本的に通訳を通すのですが、メンバーの一人の証はすべて日本語というのも驚きでした。
 コンサートの曲の中では特に「君は愛されるために生まれた」は定番ながら、何度聴いても心に響きます。賛美を通して自然に満たされ、みことばが伝わっていく不思議なひとときでした。
 今回のコンサートには90余名の参加者があり、初めての方や、久しぶりの方も大勢見えたのは感謝でした。このコンサートのために多くの準備、ステイや当日の奉仕をしてくださった兄姉に感謝します。そして「聴く」奉仕をしてくださった皆さんに感謝。
 (追記)今回のコンサートのチラシは、J-POP風でもありクールですてきなものでした。

■中国雲南での宣教 N.K.

 日本国際飢餓対策機構から中国雲南省に派遣され、3年間の奉仕を終えられ帰国された星野公寛宣教師がスライドで現地の様子を報告されました。
 未だ開かれていない中国、外国人が宣教してはいけないという制約から、洗礼式の写真を何か問題にされない様に捨てたり、地理的にも昆明から車で6~7時間、そこから断崖絶壁の1本道を馬で1時間の行程で目的地の村に着く。空はあくまで青く景色はすばらしいけれども、3000メートルを超えるところでの暮らしは貧しく、少数民族が多く住む国境に近い場所での働きは、まず人と人との交流を通し、必要な生活支援をしながら、文化的基盤の違いを共通の価値観が持てるまでに信頼関係を築きあげ、その上に主の愛という価値観が受け入れられるという長い視点での大変な宣教は申命記28:8のみことばに支えられたとのメッセージでした。

■エッセイ 「犀川のほとりから」 正村八重子

 久しぶりに犀川を遡った。美しい川の流れと緑の薫る中、何時来ても心休まる所。心の故郷、私にとっては本当の古里でもある。その昔この川に育てられたような私、忙しい両親であったので、この川が友人と遊ぶところであった。ままごとも、魚つりも、水泳も、理科の自由研究もここから生まれた。管理されたプールではなく、川で泳ぐのだからいつも命がけで泳いだ。水はきれいで、魚と一緒に泳いでいたように思い、懐かしさがこみ上げる。今は、不自然なダムがたくさんあり、水は汚染され、魚も住めないし、泳ぐなどとてもできない。人は神の創造された美しい自然を破壊しながらでなければ、生きていけないのだろうか。
 この犀川のほとりからは、多くのクリスチャンが誕生している。まずおとこまえパパから始まって、O姉、高校生の頃教会で奏楽の奉仕をし、浪人中はCS教師、今は埼玉に住み、大学で教えている。S姉、毎週忠実にCSの奉仕をされ、祈祷会を休むことはなかった。今は三人の子のお母さんで、素敵なクリスチャンホームをつくっている。
 H兄はこの川の上のお宅で、彼の結婚のためこの長い階段を登って御両親に挨拶に行った。階段の上に一つの集落があったのにはびっくりした。彼も今はクリスチャンホームのお父さんである。更に進むとG先生のお宅である。彼は高校生の頃から陰の働きを少しも厭わないでしてくれた。そのためか、今は立派な牧会者となっている。
 終点の新町は、M牧師、K牧師、N牧師の出身地でそれぞれみことばを伝えるために世界に向けて頑張っておられる。特にN牧師は、キリスト教教育のために、古里にその施設を造ろうとしている。
 これらの犀川のほとりの方々が、今も長野福音教会にいてくれたらいいのになあ・・と思わない訳ではないが、これらの兄姉方が遣わされた先々で立派なクリスチャン生活をしておられるのは何よりの慰めであり感謝である。どんな田舎にも主の救いはある。


2008年新緑(5月)号

■巻頭言 「120名礼拝のビジョン」 S.S.

 今年の教会総会で金本牧師から、120名の礼拝を目指してとのビジョンを示されました。120名といえば赤ちゃんからお年寄りまでが一同に会した今よりも更に元気な礼拝の姿が想像されます。現在の長野福音教会の礼拝出席者は約80名ですから、今後新たに40名ほどの出席者増ということになりますが、その分の座席の余裕はまだまだあります。
 しかし、何名出席といっても、会社や団体の営業目標やノルマとは違います。根底にあるのは一人でも多くの方が聖書の福音に触れて救われてほしい、そして教会にともに集ってほしいということにほかなりません。120名教会とはそのひとつのあらわれであり、その後150名、いや200名となっていく可能性も秘めています。
 とはいえ、ただ漫然と待っていても120名礼拝になるわけではありません。まず神様の目から見たとき私達の地域に与えられた、私達の教会に今与えられている素晴らしい可能性は何かを考えてみたいと思います。そして、ビジョン実現のためにはその柱となるべき具体的な方策が必要でしょう。そして先を見据えながらも今できること、短期ビジョンも。     いわゆる狭い意味での伝道だけでなく、ビジョン実現のためにどんなことができるのか広く教会の諸活動について、いろいろなアイデアを出し合っていければいいと思います。少しずつでも祈って前進していきたいものです。
 福島県で牧会されている佐藤彰先生(福島第一聖書バプテスト教会)は、著書の中でビジョンとは「あなたの世代にあなたの地域における教会形成の道程で、神様がここまで来なさいとおっしゃる地点であり、信仰の目をもって掲げ得る青写真」であると書かれています。先生は人口1万人程の町で、現在4つの教会堂を牧会していらっしゃいます。私達も自身の教会にとっての青写真を見据えて行きたいと思います。

■悩みと祈りと導きと Y.K.

 ハレルヤ!!主の御名を賛美します!!
 いつも私のためにお祈りくださり、ありがとうございます。早いもので、上京して1カ月になりました。この新しい地で神様の導きがあり、新しい出会いがあり、新しい考えに触れる機会があり、私自身の証の場があり…、色々な体験をさせていただいています。そちらのことも証したいのですが、この度は、高校生活と受験を通して体験したことを証させていただきます。
 高校時代の3年間は、悩みの3年間でした。高校に入学して、進路について悩み、高校の意義について悩み、人間関係で悩み、何でもないようなことを悩み、高1の秋ごろは悲観的であいまいな考え方を常に持っていたと思います。抜け出したくても、上手く気持ちの切り替えができず、ズルズルと毎日を過ごしていました。そんな高1の終り頃に、将来の夢が与えられました。でも、今まで考えてもいなかった夢で、本当にこの道でいいのか、また悩みました。高2の時も、進路についてすごく悩んでいました。高3になったとき、ただ受験勉強だけの1年間にはしたくないと強く思っていました。1年を通しては毎日祈ること、聖書を読んで通読すること、毎週礼拝に出ることは必ずやりたいと思っていました。また、部活、最後の大会、文化祭、Y.C.のキャンプ、料理、ギター・ピアノ等々…、1年の前半は勉強よりもやりたいことをやっていましたね。後半になって、やっと受験に向けての本格的な勉強を始めましたが、11月頃には結果もついてくるようになりました。
 センター試験の前は「このセンター試験をすべてあなたに捧げますので、これを通してあなたの御心を示してください。でも、できれば第一志望の学校に行かせてください」と神様にひたすらに祈っていました。しかし、センター試験が終わってふたを開けてみたら、どうしようもない結果で先が見えなくなりました。センターの次の日に号泣して、悩んで、祈りながら2~3日を過ごしていたら、唐突に今通っている大学が示されまた。第一志望の学校に進学するとしたときとは形は違いますが、神様に与えられた夢が叶う大学です。
 長々と書いてきましたが、結論を言います。私が今歩んでいる道は神様が示してくださった道です。この道を高校とは対照的にもしっかりとした考えを持って歩んでいます。3年間の悩みがあるからこそ、祈りが与えられ、陰で祈ってくださる人がいることがわかり、神様に導かれ、今の自分があると思うと、そんな3年間も尊いものだと今でははっきりと言えます。
 最後にこれからの抱負としては、東京での生活は4年間だけになると思うので、ここでしか学べないこと、ここでしか体験できないことを沢山できたらいいです。もっと成長して、大人になって、神様の御心ならば長野の地に戻ってきます。

■小学校から中学校へ T.S.

 最上級生から最下級生へ、クラブから部活動へ、宿題から提出ノートへ、、、といろんなことが小学生のころと変わりました。特に変わったと思うのは、授業と部活です。授業は3分前着席とか2分前学習とか、そういうものが学校にあるのですが、小学校のころから随分変わった気がします。部活動は予想していた以上に驚きました。疲れるけれど、とても楽しくもあります。
 そして、もっと変わったと思ったのが、先輩と後輩の縦の関係でした。小学生の頃は上も下も関係なく楽しくやっていた気がします。でも中学校は違いました。すごく縦の関係があります。中学生になって、一番困ったことは、小学校と違い、ロッカーと引出が小さくなったうえに教科書も増えたので、ものが収まりきらなくなってしまったことです。授業の後と前が引出の中身が大変なことになっています。あと、休み時間が少ないこと、トイレにも行けないことが度々です。まだまだ慣れない環境の中ですが、早く慣れて中学校生活を楽しみたいです。

■中学と高校の間 K.K.

 いやー本当に良かったです。一時はどうなるかと、、、。学校の先生に「この点ではちょっと厳しいかな。」なんてことも言われたりしました。本当に大変な日々?でした。でも、こんな日々を乗り越えたからこそ喜びは大きいです。合格発表で自分の番号があったとき。でも正直どっちかというと合格したことより、高校受験が終わったという方がうれしいです。もちろん春休みは遊んでばっかりでした。しかし、楽しみはそう長くは続かなかったです。課題が出されるは、、、予習をしっかりやるは、、、とめまいがしてくる・・・とまではいかないけれど大変です。でもやはり、高校生活は楽しいです。新しい友達もできたし、それに、班活をやるようになればもっと楽しくなると思います。こんな楽しいこと満載の高校生活を送れるようになったのも神様の恵みやみんなのお祈りのおかげだと思っています。これから、勉強やいろいろなことを頑張っていきたいと思います。

■「恐れないで語り続けなさい」 M.F.

 新潟聖書学院に入学してから、あっという間に4年が過ぎてしまいました。これまで、祈り支えてくださった皆様に心から感謝します。また、神学校生活4年目に、長野福音教会の方々と共に礼拝をお捧げできたこと、とても嬉しかったです。毎週、家族のもとに帰るような思いで教会に向かっていました。なかなかお会いできなくなることは寂しいですが・・・。福島の地から長野福音教会のためにお祈りしています。
 さて、私は3月に無事に補教師の准允を受け、そして4月から福島の地での働きが始まりました。老人ホームや保育園、幼稚園などといった施設を持つグループの中にある「聖十字架福音教会」という教会で牧師をさせていただいています。月曜日以外は、ほぼ毎日、メッセージや聖書研究などの働きがあります。忙しい毎日になりそうですが・・・、しかし、その分、出会う方も恵みも多いと信じています。新米牧師ですが、神様の福音の拡大のために頑張っていきます!!どうぞ、続けてお祈りください。
 「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるからだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるからだ。」使徒18:9、10

■一麦会を考える E.T.

 普段、何気なくいる集団・・・それが一麦会です。個々は、とても自由な集団・・・それが一麦会です。集団でいても、まとまりがなくなる・・・それが一麦会です。
 それでもこの1年いろいろやってきました。バイブルスタディは前年度より使用していたテキストを、何が何でも終わらせてやる~!!って気持ちで取り組みました。夏場はそれぞれの奉仕が重なったためできませんでしたが、この2月をもってテキスト終了となりました。半ば強引でしたが感謝です。
 同盟教団の青年キャンプへの参加や独自のキャンプも実行できました。同じ世代のクリスチャンとの交わり、貴重な体験と出会いがあり、恵多い時となりました。独自のキャンプでは、何気なくいる集団が軽井沢でのショッピングと聖書の学び(?)を目的に足を伸ばしました。結局A君が可哀想でした。身勝手なお姉さんたちでごめんなさい。
 また、好きな者同士で食事会やデザートバイキングを個々に行いました。自由におこなったので、参加できた方はとてもラッキーです。食事会は、ほとんど鍋でした。鍋に関しては、一麦会の右に出る会はいないでしょう。それでもやっぱり、闇鍋をできなかったのが残念でなりません。次回、期待しています。デザートバイキングは、とても甘い時間を味わいました。これで、嫁に行けると思います。
 クリスマス会は簡単な食事会となりましたが、ヤンチャのみんなも参加してくださってとても賑やかな会となりました。ごちそうさまでした。
 なぜか食べてばかりですね。それも一麦会です。美味しいものを美味しいと言えるそんな会・・・一麦会。
 一麦会の会長として至らないところはあり過ぎましたが、みなさまの暖かい御配慮により年度末を迎えることができました。ありがとうございました。新たな1年が始まりましたが、今後とも一麦会を暖かく見守ってください。よろしくお願いします。

■百読も一見に如かず M.Y.

 2月18日から28日の11日間、正村先生とご一緒にイスラエルの旅に行ってきました。お誘いを頂き、二つ返事で参加をお願いしました。政情不安定のこの時期に、どうして今なの?、、、と家族から心配されましたが、無事に帰って来れたので安堵しました。
 イスラエルへは成田からオランダまで12時間、乗継ぎに5時間程待ち、テルアビブまで5時間です。自宅から成田までのタクシーの時間を含めると1日では着きません。日本とは時差が7時間で、「そろそろ礼拝が終わりますね」と、まだ朝の5時です。(腕時計二つ)
 ガイドをして下さったKさんはイスラエル観光省公認ガイドで、牧師の資格もあり、イスラエルが大好きで15年も住んでおられる方、今回は私たちをレンタカーを自ら運転し案内してくれました。
 イスラエルは四国より少し小さく、緯度も32度位。南北に長い国で1年に7日位しか雨が降らないという南の砂漠地帯。北へ移動する途中にはダビデのオアシスと呼ばれる木陰や緑地が点在し、北海道を思わせる緑豊かな丘陵地帯も続きます。
 死海のホテルに2泊し、ベエル・シェバの遺跡、エリコの町、マサダ遺跡、写本の見つかったクムランなど見学し、ガリラヤ村まで北上して3泊、エルサレムに3泊して、イエス様ゆかりのナザレ、ガリラヤ湖、山上垂訓の場所、又エルサレムの旧市街地、オリーブ山、「悲しみの道」を通りカルバリの山へ、イエス様生誕のベツレヘムへも行きました。遺跡の多くは、ギリシャ正教、ローマカトリックなどの教会の中に保存されています。たくさんの遺跡を見たり、触れたりしてイエス様の存在を確かめられ、今までは伝説と想像の世界で聖書を読んでいましたが、ナザレ・ベツレヘム・エルサレム・エリコなどイエス様の歩かれた距離も見当がつき、色が見えたり、立体的に理解できるようになりました。
 イスラエルは人口700万人で6割がユダヤ教、他はイスラム教とキリスト教です。世界各地に散らされていたユダヤ人が戻り建国して60年余です。エルサレムを中心とした遺跡保存地域は石造りの家。テルアビブなどの経済・工業都市は片側4車線の道が走り、ショッピングセンターや建設途中のビル、大きなサッカー場もあり発展途上中です。菜の花やアネモネの群生、バナナやなつめやしの大規模な畑、梅の花に似たアーモンドの花が満開でした。羊飼うベドウィン族の人たちを見かけるなどのどかな半面、パレスチナ地区への出入りは検問が厳しく、銃を持つ兵士に通してもらいました。イスラエルの国に神の守りと恵みを祈り、皆様のお祈りを感謝しつつご報告まで。トダ(ヘブライ語で有難う)。

■153匹の魚 正村八重子

 二月の最も寒い時期に私とY姉は、ガイドのK先生とともにガリラヤ地方のマグダラのマリアの出身地マグダラにいた。ガリラヤ湖が眼下に見える坂道の多い美しい町、この町のクリスチャンのための宿舎、世界各地から来る初対面の人々とともに祈り、食し、交わりができることのすばらしさを感じた。Y姉は日本を代表してC国代表の青年と卓球で勝利?した。
 「日本は寒いよ。今日は朝から3回も雪かきをした。」と娘から電話が入った。でも、こちらは初夏、宿舎を一歩出ると緑のジュータンの上に赤黄白の美しい花が咲き、あらゆる柑橘類がおいしそうに実っている。採りたてのオレンジの美味であること。
 きのうは見学の後キブツに入ってガリラヤ湖の魚を食べましょうと出発した。山上の垂訓の丘や、ペラに再献身の教会を訪ね、ガリラヤ湖の復活後のイエス様と弟子たちが会う約束をしたガリラヤ湖畔に立った時は感動した。イエス様が炭火と魚とパンを用意しておられた場所はここですよと教えていただいた。大勢の観光客が素通りする中、私たちはそこのベンチに腰を下ろし、ヨハネ21章を読んでメッセージを聴き、また感動した。この時のぺテロは主にお会いするために上着を用意していたという。主にお会いする喜びと緊張が伝わってくる。
 また、漁に出た弟子たちは「その夜は何もとれなかった」というのに、イエス様の一声「舟の右側に網をおろしなさい」。するとおびただしい魚がとれ、網を引上げることができない程であったと。おびただしい魚の数は153匹であった。何故153匹なのか、およそ150匹でもいいのではないかと不思議に思っていた。ここの解釈は学者によって様々であるが、その中の一つは、153は1から17まで足すと153。17の10と7の、10は10戒、7は完全数で153なのだと。それでこの数は神の完全、全ての人が救われるための完全だという。それにしても153匹の魚の一匹、ガリラヤ湖の魚の大きかったこと。大皿にいっぱいになるピーターフィッシュ(ぺテロの魚)のカラ揚げのおいしかったこと。今度みんなであの魚を食べに行きましょう。

■エッセイ 「聖火リレー」 金本義也

 先日、長野市で北京オリンピックの聖火リレーが行われました。平和の象徴としての聖火リレーでしたが、逮捕者6名、また、コース外での流血など、、、手放しに歓迎できる状況ではありませんでした。非常に残念なことです。
 「ペイ・フォワード」という映画があります。主人公の少年が「世界を変えるために何をしたらいいのか?」と問われて考えたのが、人にされた感謝をその本人にお返しするのではなく、他の三人に返していくというものでした。私たちは、何か良いことをされたら、少なからず、感謝の気持ちを抱いたり、お返しをしたいという気持ちになったりするのではないでしょうか。特に、日本人は、その文化的背景においても、その傾向が強いと思います。この「ペイ・フォワード」という考えは非常に聖書的です。「神を愛しなさい」と「隣人を愛しなさい」。この二つによって聖書の律法は要約されます。そして、その二つは、表裏一体の教えでもあります。神様が私たちを愛してくださっている。その感謝から、私たちも神様を愛する。けれども、目に見えない神様を愛するには、私たちの周りにいる人たち、目に見える隣人を愛することによって神様を愛することができるのです(マタイ25:40)。ですから、この「ペイ・フォワード」は非常に聖書的なリレーです。
 本来は、平和の象徴としてのオリンピック、聖火リレーです。平和の火を、トーチを回していくと、やがて回り巡って、自分にも帰ってくるのです。神様の愛を受け取ったクリスチャンは、その火を絶やさずに、留めておかずに、次の走者へ、隣人へ渡していく使命を負っています。良くしてもらった感謝の気持ちを、他の三人へ回していく「ペイ・フォワード」のバトンを、神様から受けた愛、福音のバトンを、聖(霊の)火を隣人に回していくことによって世界が変わるでしょう。
 マルコ 12:30-31 「『心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」

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2008年春(3月)号

■巻頭言 「出ていく信仰」 金本義也

 卒業の季節になりました。雪の残る寒い日もまだ続きますが、どことなく、春の暖かさを感じるようになりました。スノーボード好きの牧師としては、昨年に比べて質の良い雪が近くにあるのにずっと滑りに行くチャンスがなく、今シーズンの初滑りが2月末というのは、ストレスな冬であったかもしれません。まだシーズンが終わっていませんので、春滑りを楽しめたらと目論んでいますが…。
 一年に一度のSFC(スノーボーダーズ・フォー・クライスト)のキャンプがこの時期、乗鞍高原のノーススターで開催されます。ウィンタースポーツを通して、仲間になりキリストを紹介していくという目的を持ったキャンプです。金曜から日曜までの2泊3日、共に滑り、ゲレンデでフリードリンクをみんなに振る舞い、土曜の晩に企画されているRail Jam(スノーボードの技を競う大会)に招待し、クリスチャンボーダーの証しとメッセージの時間が持たれたりします。このミニストリーを通して救われた人も与えられています。また、各地域でスノーボードを通して知り合うことをSFCのメンバーは行っています。以前には、海外からクリスチャンスノーボーダーのチームが訪れて地元のボーダーたちと友達になっていくといったことも行われました。世界的にこのミニストリーが用いられています。
 「教会には、若者がいない、いない」と言われていますが、ゲレンデには大勢の若者が溢れています。その若者たちにキリストを紹介できたら、種まきができたら、やがて、多くの収穫を迎えることでしょう。イエス様は神の御子なのに、私たちのところに来てくださいました。この地上でも罪人と呼ばれる人々のところで一緒に食事をしてくださいました。
 キリストに倣う者として成長を願うクリスチャンならば、イエス様のように救われるべき人のところへ出て行く必要があるのではないでしょうか。ただ教会で祈って待っているだけではなく、出て行く信仰が必要ではないでしょうか。イエス様のように…。
 ルカ 19:10 「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

■食肉目ネコ科ヒョウ属アダムライオンズクラブ――壮年会の1年をふりかえって―― H.E.

 ライオンとかオオカミとか、あの手のものはリーダーのもとに組織的な狩りを行うそうです。リーダーの意志(目標)がはっきりしさえいれば、ぶっつけ本番で仕事をします。事前の協議はしませんし、それほどていねいな仕事もしません。オレは今日、赤いキツネより緑のたぬきがいい・・など個々の好みや都合は関係なし。リーダーの好みや考え方も関係なし。「誰がリーダーか」「何が目標か」・・それだけはっきりしていればいいそうです。
 今年、順番によって会長になった私はチワワのような小さな存在でしたが、壮年会の皆様が老若問わずお支え下さいました。本当にありがとうございました。冷や汗ものの企画もありましたが、目標と役割分担の情報共有さえすれば全てぶっつけ本番でいけました。計画も「何をしたいですか」と訊くよりも、「こういうのはどうですか」と提案すると、すぐに決まりました。また、「それならこうするといい」等とお知恵もたくさん寄せられました。
 「壮年(会)は毒にも薬にもならない」という言葉があるそうです。実務をテキパキとこなしていく婦人会をたたえる賛辞の中でセットもので使われるフレーズだと思います。勿論、ニヤリと笑ってユーモアとして聞く内容のもので私もそのように聞いていました。 ただ、今振り返るに、壮年はライオンやオオカミの集まりのようなところがあって、目標や意志の伝達といったものが明確であれば、毒にも薬にもなれるような気がします。それは多分、目標のない平和なときののんびりとした姿とは違うでしょう。
 1年間ありがとうございました。鍋こがしてすみません。

■「とうとき泉」でありましょう! K.M.

 長野福音教会もまもなく創立50周年。恵みあふれた日々を与えてくださった主に心から感謝致します。この50年の間には、教会としてのさまざまな伝統やしきたり・年間計画のパターン・奉仕の形もできてきました。ともすれば、去年と同じ枠に、今年は誰を充てようかといった過去踏襲型の教会活動に陥ってしまってはいないか。注意しなくてはと思います。HPが毎週更新されるように、教会もよりよきに向かって日々更新されていかなければ生きて働く教会とはいえないのではないかと最近よく思わされます。泉会の構成員も、50年前と今とでは、家庭における立場も、社会における立場も変わってきているのは当然のこと。そんな中にあって、どんな学び・交わりが必要なのか、どんな形で奉仕ができるのか、考えつつ進めていきたいと思っています。いつもコンコンと清水の湧き出る、澄んだ水の「泉会」が、「水溜り会」にならないように、新しい発想をどんどん出し合って、励ましあっていきましょう・・・なんて。かくいう私は、特別な湧き水のありかを知るでなし、他のお二人の役員の姉妹や皆様に助けていただくことばかりだとは思いますが、これも、何かの訓練のために主が定められた1年だと思って、どうか忍耐を持ってお付き合い下さい。よろしくお願いします。

■洗礼を受けて S.S.

 私は、昨年12月16日に、この長野福音教会で尊くも神様の前で、今まで犯してきた私自身の全ての「罪」を悔い改めることを告白し、洗礼を授かることができました。ここに、心から全能の父なる神に、また、私の「罪」の悔い改めを神様に取り次いでくださったイエス様に感謝申し上げます。
 私は、3年前に、長野にやってきました。東京での学生生活に疲れ果て、心も体もぼろぼろになっていました。東京では、先輩からのとある宗教への勧誘にひっかかり、どんどんお金を取られ、それでも先輩が怖くて抜け出せない日々を過ごしておりました。こんなぼろぼろだった私を神様は救ってくださいました。木暮兄弟を通して、私を選んで長野福音教会に導いてくださいました。昔からSEBC(キリスト教放送局)のラジオをたまに聞いたりして、神様やイエス様には少し興味を持っていました。特に「罪」という言葉が、その当時から脳裏に焼きついて離れなくなりました。「自分は、罪を犯しながら日々生きているのだ」という気持ちがいつもありました。間違った宗教に引っかかってしまい、人間の作り出したものを信仰してしまった愚かな私が生まれ変わるためには、「罪」を悔い改めるしか無いと思いこの教会の門を叩いたのが最初でした。
 教会に行ってみると、みなさんとても親切で、人間不信の固まりだった私の心は、硬い結び目がゆっくりゆっくり解けていくようにほぐれていきました。
 ところが、長野に来て二ヶ月経ったある日、愛する友の突然の訃報を聞きました。それも自らで命を絶ってしまったという信じられない出来事でした。自殺は、けっして許される「罪」ではありません。でもそれを一番身近な親友が犯してしまったことをどうしても受け入れることができませんでした。なんで私は教会に行っているのにこんな悲しい目に合わなければならないのか、となんども思いました。しかしそれと同時に、自殺した友が、なんとか裁きの中で「罪」を許され、天に召される方法はないものかと言う思いが芽生えてきました。
そのころから、偶然にも教会で入門講座をやっていただくことになり、学びの時を得ました。しかし聖書は、難しく殆ど理解できませんでした。ただ根拠はないのですが、学びの時を重ねていくうちに、「神様は、いるんだ」と言う確信を持てるようになりました。例え聖書が理解できてもゴッホのように自ら死を選んでしまう人もいるのだから、一番大事なのは、信仰以外のなにものでもないということに気づいて、神様の前で全てを告白して、「罪」を悔い改める決心をしました。
 現在クリスチャンになって二ヶ月余りが過ぎようとしております。この教会に行くようになって、妻との交際もスタートし、今では最高の妻とせいいっぱい日々の暮らしを頑張っております。良い妻と巡り会わせてくださった神様に感謝しております。

■洗礼を受けて F.I.

 私は、神様と出会うまで、また現在に至るまで本当に試練の道を通されました。しかし、沢山の人たちの支えと励ましによってこうして受洗することができたのを心から感謝しています。洗礼の直前に、「本当に今のままの自分がバプテスマを受けていいのか」と不安になりましたが、「今のままでいいのですよ。完全な人なんて何処にもいません」と励まされ、神の家族の一員として迎え入れていただくことができました。信仰を持って、主と共に歩む人生を大切にしていきたいと思います。

■私のこだわり〝それはピアノ″ K.M.

 今までに人前で演奏したグランドピアノは40台以上で、少し弾いたものを合わせると100台以上にはなるでしょう。まず、印象に残ったピアノのことを書きたいと思います。①番は私のピアノをカワイの工場へ買いに行った時のことです。工場内を一通り案内してもらい、特別室にあるものを恐る恐る弾かせて頂いたのです。我こそはピアノの王様であるという存在感がすべての点で備わっていて、世の中にこんな凄いピアノがあったのかと驚きと感激に身体中が打ち震えて、涙で弾けなくなる程でした。②番目はできたばかりの更埴あんずホールのスタインウェイで、どんな小さな細かい音をも逃さずに捉えてくれて、粒が揃って、又美しい音色で弾き易かったのです。③番目は軽井沢大賀ホールのヤマハで、ここはこういう音が出したいという私の要求に答えてくれたのです。4月にまたこのピアノに会えるのが楽しみです。その他にも、ビロードのような音色のとか、久しぶりに訪れた母校の大学には羽のように軽いものがあってこれにも驚かされました。私は聴衆の前で弾くことよりも、どんなピアノに会えるかの方がずっと楽しみです。全国を演奏できるようなプロの方はそれなりに大変でしょうが、うらやましい限りです。
 20~10年前にはショパンのエチュード(別れの曲 黒鍵 エオリアンハープ 革命など)やベートーベンの熱情、リストの愛の夢などの難曲ばかりに挑戦していました。演奏会に出す迄には、神様にいろいろ教えて頂きながら、700~800回は弾き暗譜をします。しかし最近、寄る年波には勝てず暗譜が困難になりました。従ってその後は、幻想曲や即興曲という形式に縛られない変化の多い曲や、ショパンのノクターンの優しく哀愁のある曲など、難曲ではないけれど深みのある飽きない曲を好んで弾いています。
 ただ私のピアノを1とすると、家庭用のアップライトピアノは半分、教会の電子楽器はそのまた半分の表現しかできないのは残念です。ホールやサロンコンサート、教会関係で大好きなピアノを弾く機会が与えられることは深い感謝です。いつまでも弾いていたいな!

■つくば便りⅡ T.T.

 クロウズネスト教会のみなさまへ
 お元気ですか。オーストラリアでは10ヵ月間でしたが、貴重な体験を通し、充実した毎日を過ごしました。その中でも私にとって一番の幸いはクロウズネスト教会に導かれたことです。年代も国籍も様々ですが、信仰の厚いクリスチャンとしてとても尊敬のできる皆さんに出会えたこと、そして共に祈り合えたことは、何にも勝る主の恵みと感謝せずにはいられません。
 昨年4月に初めて教会を訪れ、礼拝の中で賛美を聴いたとき、涙が止まりませんでした。オーストラリアに無事に着いたこと、世界中どこにいてさえ私たちの信ずる神様の愛はひとつだと実感できたことからくるものでした。それからは水曜ごとにバイブルスタディに参加するようになり、信仰を共有する大切な若い仲間たちと、とても有意義で楽しい時間をご一緒するようになりました。
 クリスチャンホームで育ち、18歳の時に洗礼を受けた私ですが、オーストラリアに来るまでの信仰生活はとても貧しいものでした。主の日に教会へは行くものの、普段はまるで神様のことなんて知らないとでも言うかのように毎日を過ごし、特に大学に入ってからはいろいろ躓くこともありました。同じ教会のクリスチャン同志で交わる機会は日曜日だけ。時々バイブルスタディなどに誘われても勉強やバイトで忙しいので、といつも断わってばかりでした。学校の友人に、神様のことを証ししたことは一度もありません。それでも私は聖日を守っているからいいや、そんな風に自分を納得させていました。
 昨年、思い立って休学し、シドニーに来て時間もたくさんできたため、教会の活動にはそれまでよりも積極的に参加するようになりました。すると、バイブルスタディで神様のことを学ぶことが楽しいと思えるようになり、またクリスチャンの友達もたくさんできて、初めて会った相手にも自分はクリスチャンであると言えるようになり、どうしてそれまで自分は神様に対して消極的、いやむしろ時には否定的でさえあったのだろうかとなにか不思議なことに思えてくるのです。
 私にとっての変化のあらわれは、同じ大学、学部で偶然同じ時期にシドニーに来ていたノンクリスチャンの友達をクロウズネストに連れていったことでした。あとで彼女に感想を聞いてみると、意外にも、「牧師先生の言っていたことはとてもよくわかったよ!」という答えが返ってきて、そのとき私は、何か心強さのようなものを感じたのでした。今度その友人をつくばの教会に連れて行こうと思っています。
 シドニーに来て、神様と向き合う時間がとても増え、何をするにも神様の意思を優先しなければならない、またそうすればあとは何も心配する必要はないということを学んだのだと思います。
 主はいつも“喜んで”私たちの面倒を見てくださるのでしょう。これからの人生には、また辛い試練を経なければならないと思いますが、そんなときこそ主を心から信頼して、成長して行きたいと願っています。神様のことをいつも一番にして、少しでも周りの人々にその栄光をあらわせるよう努力していきたいです。本当にありがとうございました。皆さんにまた会える日を楽しみにしています。

(‘07/3から‘08/1までオーストラリアのクロウズネスト教会に通っていた姉妹が帰国して、その信徒の皆さんに宛てたメールを転載しました)

■エッセイ 「マイムマイム」 正村八重子

 「それゆえ、その場所はベエル・シェバと呼ばれた。その所で彼らふたりが誓ったからである。・・・アブラハムはベエル・シェバに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神、主の御名によって祈った。」(創世記21:31-33)
 旧約聖書にしばしば出てくるベエル・シェバ、アブラハムはここに井戸を掘り、ヤコブもこの地を基点としてカランに向かい、後にヨセフの待つエジプトに下る時もここから出発した。そのベエル・シェバの井戸、深い深い階段を下りて女たちは水を汲んだという。ヨロヨロした足取りでヘルメットをつけてやっと下りたのに、この地下から水を持って上るとはどんなに大変であったことか。蛇口をひねって、水も湯もでてくる現代人の生活では想像もつかないことである。
 死海の両端のホテルから、荒野を車でどのくらい走ったことか。昔、ここが主の祭壇であったと、アブラハムはどこに行っても先ず、契約の神との交わりを持った。荒野で生活する人達にとって、水は死活問題。聖書には、水を汲む、水を飲むと、井戸端での話がしばしばでてくる。それだけ水は大切であった。イスラエル全体は乾燥地帯なので、水は手放せなかった。
 小学生や中学生が踊る、マイムマイムの歌やダンスはイスラエルの歌だとは聞いていたが、そのマイムが水だとは知らなかった。それだけ彼らは絶えず水を求め、マイムマイムと歌った気持ちが、ここベエル・シェバで分かった気がした。この日、この井戸を訪ねたのは私達だけで、一般観光客がいなかったので、ゆっくり見学することができた。4千年の昔、アブラハムがあの絵のようないでたちで、ここを歩き、祭壇を築き、井戸を掘っている姿が目に浮かんだ。孫のヤコブもカランの伯父の所に出発した。
 主の言葉「わたしが与える水を飲む者はだれでも決して渇くことがありません。わたしが与える水はその人のうちで泉となり。その人のうちで泉となり永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

2008年冬(1月)号

■巻頭言 「教会の高齢化は信仰継承により修正される」 正村八重子

 「私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア)「彼女も、またその家族もバプテスマを受けた。」(ルデヤ)「彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。」(ローマ人の看守) 旧約聖書の時代から初代教会までの多くは、家族をあげて神様を信じたようです。(例外もありますが。)
今日の日本の社会も教会も高齢化、少子化と言われて久しい。人は都会に集中して住み、地方の町々、村々の人口は減少する。日曜学校に生徒が来ない、信徒も牧師も高齢化し、後任牧師が足りない状態だという。
 長野県の人口およそ200万、それに対し、教会は152、一教会の礼拝出席者は、平均27名(プロテスタント教会のみ)。長野県のクリスチャン人口は全国平均の36位であるから、まだまだ、伝道する余地が残されている。(1位 東京、2位大阪 クリスチャン情報ブック2006年版より)
私達の教会は今まで、積極的に春秋の伝道会のほか、婦人、青年、子供、クリスマス、と、外に向けて伝道してきました、しかし、昨秋から祈っているうちに教えられたことがありました。10年、15年前の中学生、高校生たちは今、どうなっているだろうか?と。彼らは週3回は必ず教会に来ていた。主日は朝から夕方まで、水曜日の祈祷会も必ず出席していた。土曜日の地の塩会には、学校の帰りにと。彼らは、今、20代後半から30代の元気な青年からおじさんに移る寸前。
 当時の元気から考えると教会の次世代を支える後継世代がいないとは考えられなかった。その中の何人かは、今も残って教会に仕えておられる姿を見ると、とても慰められる。と同時に後継世代を育てることに失敗したのではないかと自責の念がある。今年は外に向けての伝道とともに、彼らに声を掛けていきたい。彼らは幼い時からみことばを聞いて育っているのだから。祭司エリヤやサムエルのような失敗はしたくない。けだし、彼らは立派な神の器であったが、必ずしも子供たちの教育は十分できなかった。

■エッセイ 「道を切り開く者」 金本義也

 新しい年を迎えました。今年の元旦は、大晦日から降り積もった雪かきでスタートしました。大晦日から降り続ける雪に「明日の朝は雪かきをしないと」と思いつつ朝を迎えると、広い駐車場ではすでにおとこまえパパさんが雪かきを一人で始めていました。
 急いで除雪機を使って雪かきに参戦したのですが、暖冬だった昨シーズンに出番がなかった除雪機を2年ぶりに始動したため、取り扱いに慣れるのに手こずり、雪かきの仕上がりは酷いものでした。後から、参戦してくれた雪かきのベテランである長老さんに手伝ってもらいながら、元旦礼拝に間に合わせて雪かきを終えました。
 おとこまえパパさんは、元旦礼拝には出席できないけれど、雪かきをと朝早くから駆けつけてくれました。雪かきのベテラン長老さんも、普通乗用車で除雪機の使えない広い駐車場を駐車できるように整えてくれました。
 長野福音教会の底力を感じた元旦の朝でした。いざという時に手を差し出すことが出来る、神の愛を実践出来る、それこそが主の体である教会だと感じました。
 今年は、120名の礼拝を目指していこうとヴィジョンが与えられ、皆さんで祈り、信仰の一歩を踏み出して行きたいと思います。雪かきをするのには、足跡のない雪の降り積もった中に足を踏み入れて行かなければなりません。冷たさを感じるかもしれません。汚れるかもしれません。疲れるかもしれません。孤独を感じるかもしれません。けれども、踏み出し、切り開いて行くならば、大勢の人が喜んで通ることが出来ます。高齢の方々が通れるようになります。足の不自由な方々が通れるようになります。小さな子どもが歩けます。神様の約束はすべての人に開かれたものです。私たちがそれを閉ざさずに、開いた状態にしておく必要があります。なぜなら私たちは約束の地を、この民に継がせる者だからです。
 ヨシュア 1:6 「強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。」

2007年冬(11月)号

■巻頭言 「伝道と電子メディア」 K.S.

 伝道、宣教はクリスチャンにとっていつも心の片隅にある大きな課題です。「理論と現実」ではありませんが、それが神様のご命令であることを頭のなかで承知していても、具体的な働きによって結果を出すのはなかなか難しいというのが実感ではないでしょうか?身近な人たちを誘おうと思っても後一歩の勇気がなかったりしてしまいます。伝道というのは、人と人とのコミュニケーションだと思います。基本は、人と人が顔をあわせて言葉を交わすことによって意思を通わせることだと思います。ところが、最近はそのコミュニケーションのあり様が変わってきていると言われています。人と人の関係が希薄になり、相手の考えていることを理解できないと言われています。人と人は、様々なコミュニケーションツール(例えば携帯電話やパソコン)の力を借りてつながる時代になっています。
 教会ではすでにホームページを掲げています。これは教会にとって現代的な伝道のツールとも言えるものです。電子メディアによる伝道=情報発信は、不特定の人たちに全く平等に発信され続けています。礼拝メッセージを聞けるホームページも見受けます。
 現在、教会ホームページの更新を計画中です。新着情報などを増やして、できるだけホットな情報を伝えられる構成にしたいと思っています。内容は徐々に整えていこうと思いますので、ご理解をお願いいたします。ホームページというのは経過も結果も把握しにくいものですが、教会の扉を叩くことに逡巡している方や活字を読まなくなりつつある世代などにも神様のメッセージが伝わって、いつか教会に足を運ぶきっかけになってくれれば、、、と思います。
 先行してブログがスタートしました。(私にはツイていけませんが、、、楽しいです!?)。

2007年秋(9月)号

■巻頭言 「平和をつくる者」 S.S.

 猛暑となった今年の夏、我家のエアコンは相変わらず使用を自粛するうちオブジェと化し、さらに扇風機も壊れてしまい、より一層暑い夏となりました。
 ところで、暑さの中、8月といえば終戦記念日、広島・長崎の原爆投下の日とひときわ平和のことを考える月だと思います。聖書の中には「平和をつくる者は幸いです。その人は、神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:8)」とあります。「平和な中にいる者」「平和を願う者」「平和を唱える者」ではなく、「平和をつくる者」こそが幸いとされています。英語の訳では「ピースメーカー」とするものがあり、一層意味が際立ちます。平和はあるものではなく、つくりだしていくものということが言われています。個人の間の平和-和解-から世界平和まで様々な形がありますが、どのようにつくりだしていけばよいのでしょうか。
 その生涯をインドなどのスラム街の最貧困層の人々のために捧げたマザー・テレサが召されて今年で10年。聖書の他は、サリーと洗濯用のバケツが持ち物のすべてというマザーがノーベル平和賞を受賞した時のインタビューで、「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたマザーは、『家に帰って家族を大切にしてあげてください』と答えています。また、「世界の平和は、まず家庭の平和から始ります」「もし私たちが、自分の心のなかに平和を持っていなければ、平和のために働くことも、平和をもたらすこともできません」とのことばも残しています。平和のための様々な活動や働きもここにその源があるようです。しかし、マザーのこのことばを行うことが実はもっとも難しいことであるのかもしれません。
 また、世の平和について語るとき、その前提として神と人との間に築かれる平和を忘れてはならないでしょう。その平和は、私たちの罪のために十字架にかかってくださったイエス・キリストを救い主として信じ、罪赦される時に与えられるものです。
 「礼拝に行こうとして道を歩いている時、もしだれかが自分に対して恨みを抱いていることを思い出したなら、そのまま礼拝に行ってしまわないで、恨みを抱いている人のところに行って、和解をしなさい。それから、礼拝をささげることです(マタイ5:23‐24 尾山現代訳)

■エッセイ 「暑い?熱い?思い!」 金本義也

 今年の8月は、暑さの厳しい夏の日々であったなぁと思い返されますが、特に猛暑の続いた8月14日~16日、特に暑い横浜での世界宣教大会が行われました。神奈川県民ホールをメイン会場に1500名以上のクリスチャンたちが集まって来ました。全国200以上のある我々日本同盟基督教団の教会から1500名以上が集う規模の大会は、大会実行委員長の山田先生の挨拶からも、主の栄光を拝するものであったと感じました。
 メイン講師には、2004年の青年宣教大会フロンティアでも講師をされた韓国地球村教会牧師の李東元先生でした。通訳者の招待キリスト教会の趙南洙先生との絶妙なコンビネーションで私たち一人ひとりが宣教の働きに関わるものであるとの熱いメッセージをいただきました。
 全体集会の他にも、ゲストのゴスペルシンガー、KIKIさん、大和田ひろみさんのコンサート、様々な分野での宣教についての分科会、年代に分かれての大会など、盛りだくさんでした。会場入り口周辺には、宣教報告や書店などのブースが設けられ、久しぶりの再会を喜ぶ場ともなっていました。世界中でなされる神様の働きを見、神の家族のよい交わりを味わえるひと時でした。
 個人的には、ワーシップチームの奉仕のため、ほとんどの時間を楽屋で過ごし、再会を喜ぶ機会がありませんでした。(大会に参加した父とも、一度会えたきりでした。)しかし、これは天国での再会の前味を経験させてもらっているかのようでした。
 今回の1500名を超える日本同盟基督教団の大会が、やがては、少し前にさいたまスパーアリーナで開催された3万人規模のラブ・ソナタ東京のように成長することを夢見て、自分の置かれているローカルチャーチでの宣教への思いを熱くされました。私たちの身近な人々が一人でも多く、天国で再会できることを望んで。
 「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」(マタイ6:10)