日本同盟キリスト教団

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「主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
しかし、必要なことは一つだけです。マリヤはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」
(ルカの福音書10章41、42節)『新改訳2017』

  • 長野福音教会では、年に数回、教会員向けに「祈りの友」を製作配布しています
  • 下記に、その抜粋を掲載します
  • タイトルをクリックしていただくと、文章などが表れます

2017年5月号

■巻頭言 「ハーメルンの笛吹き男」   牧師 高橋宣広

 小児科で診察待ちの時間、そこにあった絵本を子どもたちに読んで聞かせました。その内容に、私は大変ショックを受けました。「ハーメルンの笛吹き男」というグリム童話にもなっているお話です。調べてみますと、実話に基づいているのだそうです。こんなストーリーです。
 1284年、ドイツのハーメルンの町にはネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。ある日、笛を持ち、色とりどりの布で作った衣装を着た男が現れ、報酬をくれるなら町を荒らしまわるネズミを退治してみせると持ちかけた。ハーメルンの人々は男に報酬を約束した。男が笛を吹くと、町じゅうのネズミが男のところに集まってきた。男はそのまま川に歩いて行き、ネズミを残らず溺死させた。しかしネズミ退治が済むと、ハーメルンの人々は笛吹き男との約束を破り、報酬を払わなかった。笛吹き男はいったんハーメルンから姿を消したが、6月26日の朝、再び現れた。住民が教会にいる間に、笛吹き男が笛を鳴らしながら通りを歩いていくと、家から子どもたちが出てきて男の後をついて行った。130人の少年少女たちは、笛吹き男の後に続いて町の外に出て行った。そして笛吹き男も子どもたちも、二度と戻ってこなかった。
 特に私がショックを受けたのは、下線部分です。親たちが教会にいる間に(私が読んだ絵本では、「親たちが礼拝に出ている間」に)、子どもたちは皆、笛吹き男に連れ去られ、行方不明となってしまったのです。約700年前のドイツでは、礼拝には大人だけが出席し、子どもは家で置いてきぼりにされていたのでしょうか。衝撃的なこの事件を思いながら、私たち自身の礼拝に臨む姿勢が問われているように感じました。
 できるだけ家族共に、できるだけ子どもたちと共に礼拝をささげていくことを目指して行きたいと思います。そうしなければ、この世の楽しみを奏で、子どもたちを誘う「笛吹き男」どもに、大切な子どもたちを連れ去れてしまうでしょう。
 主イエス様の言葉を聴きましょう。  「しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」 ルカの福音書18章16節

■「新役員になって」   K.Y.

 この度、2017年度 教会総会において新しく役員に選出されました。総会の後の礼拝の中で、神様と皆様の前で誓約をし、その責任の重さをひしひしと感じているところです。
 長野市に来て19年。水曜の祈祷会と娘のWINGSのみの出席で、礼拝に集うのが難しい時期もありましたが、今は毎週の礼拝に出席できるようになり、神様と教会の皆様に守られて、ここまで来られたことを改めて感じています。感謝の気持ちを持って務めたいと思います。役員初心者ですので、皆様のご指導とお祈りをよろしくお願いいたします。

■「役員就任にあたって」   E.Y.

 2011年2月から通い始めて丸6年が経ちました。まだ教会員になってから日が浅いにもかかわらず役員に選出されましたことに戸惑いはありますが、同時に皆様の期待も感じております。
 さっそく、「祈りの友」の原稿依頼がまいりました。教会運営の中心となります役員の末席に加えていただきましたので、これまでのクリスチャン生活の中で、決して自ら望んだことではないにもかかわらず、神様に与えられました教会生活に関する試練から学んだことを書き記したいと思います。
 以前に通っていた教会で聴いたメッセージの中に、「雑多な群れ:教会」と題するものがありました。テープに取ってありましたので、何回か繰り返して聴いたことを憶えています。若くて未熟だった頃の私は、自分の価値観に合わない人々の言動がいちいち気になって、不必要に心を乱しておりました。その反動で、教会に自分の理想を投影し、過度に期待していましたが、教会においても「どうしてこんなことが起こるのか?」と心穏やかでない時が多くありました。そんな時に、このメッセージは強く心に響いたのです。教会に集まる人々も皆、「つみびと」であり、凸凹のある人間である。イエス様が言われたように、医者を必要としているのは病人であるように、「救い」を必要としているのはつみびとである。教会は、雑多なつみびとたちの群れである。そんな群れだからこそ、互いに赦し合い、愛し合い、仕え合ったりすることができる、そんなメッセージだったと記憶しています。
 以前に証しの中で触れたと思いますが、私はこれまで、米国滞在中の2年間に通った教会、また長野福音教会を含め、5つの教会で定期的に礼拝を守ってきましたが、そのうち、2つの教会が今は存在しません。1つは立ち上げから関わりました米国の教会で、もう1つは長野へ転居して来る前に通っていた松本の教会です。2件の教会の解散という事実のうち、1件には責任を感じております。時々、何をどうすれば良かったのか?と考えることがありますが、当時、教会に何か「自分にとってプラスになること」をしてもらいたいという意識が私には強くありまして、「礼拝することで神様が喜ばれているか、喜んでいただけるように礼拝したか」という視点が欠けておりました。牧師先生ご夫妻や教会会衆の方々にも申し訳なかったと思っています。
 このたび、教会役員に就任するにあたりまして、自宅の書棚で埃を被っておりましたフィリップ・ヤンシーの『教会 なぜそれほどまでに大切なのか』を読み返してみました。読み進めていくとはっとさせられる箇所がありました。「教会は本来、楽しみを供給したり、弱さを励ましたり、自尊心を育てたり、友情を育んだりする場所ではなく、神を礼拝する所である。この点で失敗するなら、その教会は失敗である。」(『教会 なぜそれほどまでに大切なのか』25P フィリップ・ヤンシー著 宮川常範・道子訳 いのちのことば社 2000年)
 人生も折り返し点を過ぎましたので、もう教会で「失敗」はしたくありません。私も所詮神の被造物ですから、つい自分中心で物事を考えてしまいます。忙しい最中ではなおのこと。神様に喜んでいただけているか、そのことを意識しながら、役員を務めてまいる所存です。皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。

■「20歳になって」   S.Y.

 私が20歳という歳を一番実感したのは成人式に出席した時でした。色々な人から、成人おめでとう、と言われると、今までにはない20歳独特の重みを感じました。20歳に特別感があるのは様々な責任が生まれるからだと思います。今までは親の後に従っていれば安全で守られていましたが、これからは経済面・精神面共に自立して自分のことは自分で決め、自分で責任を取るのが当たり前です。私は現在、大学生で経済的に完全に自立することはできませんが、就活で後悔のない納得した選択をして自立した大人になれるのか、人生長いとはいえある程度決まる時だと思います。
 私はずっと海外に漠然と興味があり、中学生の時にオーストラリアでホームステイをしてから、海外の新しい文化に触れ、新しい人と出会うことの楽しさにハマってしまい、今までに5回の短期留学や海外研修を経験してきました。その中で自分の固定概念や価値観が変えられることも多くありました。外に出て様々な人に出会い、様々な生き方を知れば知るほど、自分はどうしたら良いのかわからなくなります。私にはまだなりたい具体的な職業とか夢とかはありません。ですが一つだけ守りたいことは、後になって後悔したり他人のせいにしたりしないことです。なかなか結果が出なくても、結果が思い通りにならなくても、他人から見たら遠回りでも、自分のやってきたことに後悔はないと言い切れるポジティブな生き方をしたいです。
 私のゼミは食ビジネス・マーケティングが専門で、学生の大会に出場したりもします。大学生活で学べることは全て吸収して専門性をしっかり身につけて、国内であろうと海外であろうと自分に合った将来の選択につながる年にしたいです。
 最後に、ここまで守り育て何度も海外に行かせてくれて私のやりたいようにさせてくれている両親、いつも共にいて私にとって最善の道を備え導いてくださる神様に心から感謝しています。

■「イースター受洗」   M.S.

 私は飯綱町出身で、長野市で暮らしています。聖書は19才の時に読み始めました。分厚い本なので読んではみたもののよく意味が理解できませんでした。
 親元を離れた東京での生活。昼は働き、夜は大学という生活でした。ある駅の隣の書店に『永遠のベストセラー聖書』という大きなポスターを見て、買いました。毎日読みふけりました。休日には百ページ以上も読みました。意味もよくわからず、ただ読みました。
 東京の生活は2年で疲れ、実家に帰ってきました。そのころからです、ラジオから流れてくる羽鳥明先生の『世の光』を聞きだしたのは。切々とうったえる先生にとても興味を持ちました。新約聖書ももらい、ボロボロになりましたが今も持っています。転職が続きましたが、そんな時でもラジオ放送の『世の光』だけは聴いていました。
 今の聖書は4冊目です。豪華な大聖書も買いましたが、これはゆくえ知らずです。
 仕事に見切りをつけたのは40才少し前です。家に引きこもったり、ドライブや油絵を描いたり、モンモンとした生活を続けていました。そしてついに入院しました。楽ではありましたが、楽しくはありませんでした。神様ともしばらくはお別れです。病院は神様ではなく医院長先生が全てです。
 入院生活を終えまず買ったのが聖書です。毎日、新聞のように読んでいます。実は、幼いころ十字架上で処刑されたイエス様は、あまりのむごたらしさで怖くてあまり好きだはありませんでした。自分にはとても無理ですから。でも聖書は別です、すばらしい本です。罪を告白すると心に強く刻まれた傷は癒やすことができません。いくら教会で赦してくださいと祈っても苦い経験はなくなりません。だから2度と同じ罪にかからぬように神様にお願いするのです。イエス・キリスト様の恵みと真実が訪れることをこんな歳になっても望んでやみません。
 私は放蕩息子の聖書箇所が好きです。自分も若きころ全財産を使い遊んだからです。もちろん父におこられていました。でも庭の池を洗う自分を笑顔をもって手伝ってくれました。神様はあなたの力量以上の試練は与えませんと書かれています。
 だから、これからも少しの苦しみは耐えてゆこうと思っています。神様のうちにいたい、イエス様の力をお借りしたい、もう神様といるのだから寂しい思いはしないですみたいと望んでいます。どうか神様こんな深い傷を持った罪深い過ちだらけの私を神様の愛の内に止まらせてください。アーメン。
 追伸  私はいま福祉施設にお世話になっています。もう15年もたちました。そこでは、リンゴ農家での作業、牛乳屋さんでのピッキング、冬と雨の時は室内作業をしています。もうこの歳ですから、社会復帰は無理かなと思っています。でもこれからも聖書を心の友として大切にしてゆこうと思っています。

■「世界祈祷日に参加して」   S.K.

 今年の世界祈祷日は、松代教会でフィリピンについて祈りました。今年から式のやり方が変わり、式文を読むだけで、フィリピンについての説明やメッセージがありませんでした。前もって式文のフィリピンの基本情報を読むようにということでした。フィリピンは世界でも最大の出稼ぎ労働者を送り出す国のひとつです。出稼ぎに行っている間の家族の生活のため労働者は賃金の前払いを頼みます。そのお金は利子付きの貸付金とみなされ、家族に持ち帰る分がほとんどなくなるそうです。
 今回の表題は「わたしはあなたに不当なことをしているか?」でした。マタイ20章1~16節です。
 松代教会には以前フィリピンの方が来られていて、その方が置いていかれたという竹製の楽器があり、最後にその楽器で「いつくしみふかき」を演奏してくださいました。楽器の名前をお聞きしたのですが、聞いた人によって違って、なかなかわからなかったのですが、後でネットで調べたら、インドネシアのアンクルンという楽器でした。
 ほかの教会に行くことも、ほかの教会の人と交わることもあまりないので、世界祈祷日はいい機会でした。同じ主にある兄弟姉妹の喜びを感じたひとときでした。来年は、あなたも参加してください。あっ、来年は当教会が当番ですから、ぜひ参加してくださいね。

■「第6期ゴスペルワークショップ同窓会」   K.M.

 6月からの半年間、毎月一度教会に集い、ゴスペルを歌うことを喜びとしているワークショップメンバー。その多くは教会員以外の方です。ゴスペル賛美を生活の一部として大切にしていらっしゃる皆さんの姿をお伝えし、この教会が豊かに用いられていることを、ともに分かち合い、感謝したいと思います。
 3月11日、3ヶ月ぶりに第6期ゴスペルメンバーが教会に結集、エミ先生をお迎えして、再会を喜び合いました。登録メンバー39名中22名が出席。ゴスペルワークショップのもう一つのお楽しみ、CAKEさんのケーキを囲んで、まずはクリスマスゴスペルライブコンサートのDVDを視聴。3ヶ月前のコンサートに思いをはせ、振り返ったところで、恒例のひとり一言コメント。

* バケツをかぶって自分の声を聞くという練習方法を取り入れ、今年は良く声が出た。一緒に歌えたこと、とても楽しかった。
* 映像を見ていて、いろんな思いで参加していたことを思い出した。始める前に悩んだが、感謝に満ちて、全身で賛美できる喜びを改めてかみしめた。
* 直前に家族が体調を崩し、コンサート出場があやぶまれた。当日、ふと会場を見ると、職場の上司が聞きに来てくれていた。さらに、何も言わずに、6年目にして初めて夫がきてくれていて2度びっくり!
* 6年目の参加も楽しめた。DVDを見て、改め会場の観客の多さに驚いている。2階の礼拝堂の通路まで人に埋め尽くされていた。こんな礼拝ができたらいいな・・・。
* DVDを見て、みんないい顔してるな、と思った。コンサートが終わって、1月・2月と、忘れ物をしているような物足りなさを感じた。今日の同窓会をとても楽しみにしてきた。皆さんと一緒にゴスペルを歌える喜びが、自分の生活の中に入ってきていると感じる。
* 6年前、比較的時間に余裕のある中で始めたが、今は状況が変わりかなり忙しい。でも、参加することに迷いはない、楽しいから。今年は家で、夫とともにこれまで以上に練習を重ねてきた。
* 人事異動の時期が来たが、4月以降もとどまることになり、続けられそう。
* 思ったことがすぐ顔に出てしまう。それをすぐにエミ先生に悟られてしまう。先生は能力者?自分自身はすごく楽しんで歌ったつもりなのに、表情に全く反映されていない。今年こそ、楽しそうだったよと言ってもらうことを目指したい。
* 誘った人が子どもさんを連れてきてくれた。小学校一年の女の子は、宿題の絵日記に赤い服を着た人をたくさん並べて書いてくれた。年長組の男の子は、教会の雰囲気がとても気に入ってくれて、イブ礼拝にもきてくれた。大人だけでなく、聞きに来た子どもも楽しんでくれるコンサートだと思った。
* 第1期から参加。教会の皆さんがこうした機会を作ってくださって、先生が来てくださって、続けられていることがすごいなと思っている。このワークショップを通しての人とのつながりにも驚いている。ある研修会に参加したら、講師がゴスペルメンバーで、お互いにびっくり!
* DVDを見て、1曲目と最後の曲がそろっていてきれいに聞こえた。歌っているときには全部がんばっていて、きれいだと思っていたのに・・・お客さんにはどうだったのかな?120パーセント嬉しくて、感動して歌っているのに、後から見ると、あれ?っと思う。こんなにいい曲なんだよ!!というのが伝わるような見せ方を教えてください。
* 自分は歌ってるはずなのに、DVDみてみると、あれ?黙ってるのかな?と思うくらい口は開いていない、笑っていない、手はたたいていない・・・皆さんのように見せる努力をしたい。
* ちょっと休んでいたが、ひょんなことから復活しました。
* 昨年一年休んだが、今年は戻ってきた。一年休むと英語が覚えにくくなることを痛感。今年もやります。
* いろいろと大変なことが重なって、精神的に歌えないこともあったが、コンサートの3日前には仕上がってきた。練習しているとき、2階の礼拝堂正面の十字架に、イエスキリストの姿が見えた。自分は信仰を持っているわけではないので、受け止めることができなかったが、あのときありのままを受け入れていたら、その後の運命が変わったのかも・・・。
* 6年間続けられたことがすごいと思う。エミせんせいとメンバーに感謝。神様を感じる礼拝の時であった。
* すてきなDVDとおいしいお菓子。コンサート当日、エミ先生だけを見て歌っていた。終わってみたら、家族が全員来ていてびっくり!ワークショップ期間中に入院することもあったが、座っていてもいい、寝ていてもいいから歌って!と、先生に励まされて最後までやり抜けて、本当に嬉しかった。
* 始めた当初あまりいい顔をしていなかった夫が、娘や孫と見に来てくれた。最初の曲で感動して涙が出たと。また続けていいよと言ってくれた。
* 2回目の参加。コンサート直前に風邪を引いてしまい、がらがら声になってしまったが、ステージに立てて本当によかった!
* 人前で話すのは得意ではないが、皆さんと毎月会って歌って仲良くなって。こうした機会が与えられて感謝している。
* 妻とともに参加。夫婦で一緒に出かける楽しさもあり、主を賛美できる喜びもあった。練習用のCDも良くできていて使いやすく、とても助かった。

この後、春先で体調が万全でない中をわざわざお越しいただいたエミ先生から、人生最後の言葉について、ショートメッセージをいただき、2016年コンサートで歌った『HERE IS OUR PRAISE』を全員で歌いました。久しぶりでしたが、ホールは熱い歌声に充たされました。月に1回(自主練習を含めると2回) 併せて10回足らずの集いですが、同じ目的・同じ喜びをもって集まる、ゴスペルを通しての交わりの深さを思わされるひと時でした。

■「イスラエル旅行記」   K.K.

 2016年4月、念願のイスラエル旅行に行ってきました。イスラエル旅行というと、何か特殊な旅行で費用も高いし少しためらっていましたが、これから年をとるばかりだし、元気なうちにと思いきって行きました。行ってみると、頭の中で考えていたのとは違って、聖書の世界がとても身近なものに感じられるようになりました。イスラエルの雨季が終わり、乾季に入ったばかりの一週間ですが、実質は4日間の見学です。以下、日程順にまとめました。
 <成田発ドバイ経由、ヨルダンのアンマン空港へ>
 成田を午後9時45分に出発し、アンマンには翌日午前9時45分に着きました。日本との時差は6時間です。その後、バスでヨルダン川を渡ってイスラエル入国です。国境の入国審査は、非常に厳しいものがあり、バスの車体の下に爆発物がないかの検査から始まり、手荷物検査など3時間かかりました。テロ防止のため、周りをアラブの国に囲まれている厳しい現実を感じました。
 <死海>
 死海へ向かったのですが、乾季のせいか、バスから見える景色は茶色い荒野です。ところどころオアシス、あるいは灌水施設のあるところだけに緑があります。夏季半年の降水量26mmでは、作物が育つわけがなく、大変な所だと思いました。聖書に「乳と蜜の流れる約束の地」とありますが、少なくとも私の見た地は荒野で、あそこに比べたら、日本は緑と水にあふれる「エデンの園」のようだと思いました。
 死海には午後3時過ぎに着き、レストランで遅い昼食のあと浮遊体験をしました。本当に浮かびます。沈むことができないです。塩分濃度が海水は3%ですが、死海は30%で、目に入ると失明の恐れがあるとのことでした。両手を広げてただ浮かんでいる時はよかったのですが、添乗員さんが新聞を読む写真を撮ってくれると言うので、新聞を受け取ったとたんバランスを崩し1回転、見事に顔が水に浸かってしまいました。「目を開けないで、そのまま、そのまま」と、岸辺まで声をたよりに歩いて行き、ガイドさんにペットボトルの水で目の周りを洗ってもらいました。
 <ガリラヤ湖>
 その後、バスでヨルダン川沿いに100kmほど北上し、ガリラヤ湖畔のホテルに着きました。夕方30分ぐらい強い風が吹きましたが、穏やかな湖です。聖書の「イエス様と弟子が船に乗っていて、急に強い風が吹いて船が沈みそうになる」場面を思いだしました。大きさは、野尻湖の約37倍で166k㎡。深さは、ほぼ同じ43mです。死海と同じく海面下にあり、水面がマイナス213mです。
 <山上の垂訓、カペナウム、カナ、ナザレなど>
 山上の垂訓の場所に行きました。そこは城山ほどのちょっとした小高い場所ですが、だいぶ離れた下を通る人の話がよく聞こえるそうです。自然の地形がスピーカー効果です。当時の人口3万人のカペナウムから、多くの人がイエス様の話を聞きに来ていた光景が目に浮かびました。今のカペナウムは会堂(シナゴク)の遺跡があるくらいで人は誰も住んでいません。反対に当時人口300人ほどだったナザレ村は、現在25万人の大きな市になっています。
 カペナウムの遺跡へ行く前に、ペテロ達が漁をしていた場所にも行きました。そこは、タブハと呼ばれ、7つの泉から水が流れて湖に注ぐところです。実は、ヨルダン川の水は湖の右岸に沿って流れ、ここで泉水と合流するので、この場所が昔も今も魚がたくさん獲れる場所なので、聖書に出てくる漁をしていた場所は、おそらくこことのことでした。
 その後、観光船に乗ってガリラヤ湖クルーズを楽しみながらカペナウムからゲネサレまで移動し、中国風レストランで『ペテロの魚』を食べました。聖書にでてくる硬貨をくわえていたあの魚です。この日は金曜日で、イスラエルでは午後になると安息日準備のために普通の店は全て閉まってしまうので、中国系レストランでの昼食となりました。
 午後は、バスでカナに移動して、婚礼教会を見学しました。イエス様が水をぶどう酒に変えたところは、実は、今の婚礼教会の地下6mのところにある昔の会堂跡だそうです。
 そのあとナザレにも行きました。ヨセフが住んでいたところもマリヤに受胎告知があったところも洞窟のようなところです。当時は、洞窟のようなところに住むのが、夏涼しく冬暖かいので普通だったようです。現在は、両方ともそこを包むように教会が建っています。
 受胎告知教会には、各国から贈られたマリヤの絵が飾られていたのですが、日本からのマリヤの絵は、戦国時代の頃の日本の女性が、着物を着てイエス様を抱っこしている感じで、その振袖の所に6千粒の真珠が使われていたのには驚きました。教会内のかなりいい場所に飾られていて、ちょっとうれしくなりました。
 ガリラヤ地方の見学は以上です。訪れたそれぞれの場所に、聖書どおりの地形が実際にあることに驚きました。そして、多くの遺跡が地下数メートルのところに埋もれていることに歴史を感じました。
 <エルサレムとベツレヘム>
 ガリラヤのホテルをたち、エルサレムに向かいます。金曜日の日没から土曜日の日没までは、安息日のため車が少なくなります。ユダヤ教系の飛行機も、バスも電車も全て止まりますが、アラブ系やキリスト教系の交通は動いています。ガリラヤからエルサレムに行く道もすいていて、2時間ほどで着きました。途中のエリコ近くからエルサレムまでは20kmほどですが、標高差1100mほどの登りになります。 聖書の「都へ上って行った」とありますが、本当に上りでした。
 エルサレムには、多くのキリスト教関係の遺跡があり、そのほとんどは上に教会が建っています。そして、そこでは日曜日にミサが行われて、入れないことがあるので、土曜日に見学しました。主の祈りの教会、主の涙の教会、苦悶の教会(万国民の教会)と隣接するオリーブの園、鶏鳴教会、それと7km南のベツレヘムの生誕教会を見ました。
 特に印象深かったのは、鶏鳴教会の地下にある牢です。立ったまま両手両足を縛って、鞭打ちする場所と、鞭打後に死ぬまで幾日も吊るしておく牢がありました。本来ならイエス様もそこで鞭打たれてから、幾日も吊るされるかもしれなかったのですが、安息日の前日、それも過ぎ越しの祭りの直前だったため、それができなかった。当時は、ローマの支配下にあったため、ユダヤ人には、死刑にする権限がなかった。そこで、ローマ総督ピラトに願って金曜日の内に死刑にしてもらったのでした。
 また、ガバタ(ヘブル語で敷石の意味)と呼ばれる場所も印象に残りました。大きな敷石の下には当時のローマ軍の貯水槽があります。ヨハネ19章13節のピラトが裁判を行い、イエス様が鞭打たれた場所です。発掘調査により、ローマ総督施設近くの大きな敷石はここにしかなかったので、ここがガバタに間違いないとのことでした。
 <嘆きの壁、黄金のドーム、ビアドロローサ、聖墳墓教会>
 城壁の中に糞の門から入って、嘆きの壁ほかを見学しました。嘆きの壁は西の壁とも言われ、エルサレム神殿の西側にあるもので、高さが18m、地下にも21m埋っています。ちょうど目の高さ付近が2千年前のヘロデ王時代の石積みで、下のほうになるほど立派な石材を使っていることから、昔の技術の高さと歴史を感じました。
 嘆きの壁の東側にある黄金のドームは、イスラム教徒が礼拝をする場所だと思っていましたが、そうではありませんでした。イスラム教徒が「マホメットが1晩天に上った場所」として建てたそうですが、その中にあるのは大きな岩だけです。そこはかつてアブラハムがイサクを奉げようとした場所であり、ダビデが契約の箱を置いた場所、ソロモンが神殿を建てた場所であり、イエス様も聖なる宮として宮清めをした場所ですが、だれもそこで拝むことはしません。ユダヤ教徒は嘆きの壁(西の壁)で祈り、キリスト教徒は聖墳墓教会やほかの教会で祈り、イスラム教徒は南隣のアルアクサ・モスクでメッカの方角に向かって祈ります。三大宗教の聖地であり、間違いなく旧約聖書の神殿跡なのですが、どの宗教も礼拝をしないというのは、ちょっと拍子抜けした感じがしました。
 ビアドロローサは悲しみの道といわれ、長さ約1km、幅3~4mほどの狭い道です。現在は、両側にお土産屋さんが並んでいて大勢の人がいましたが、当時の道は地下数メートルのところにあり、ところどころ発掘されていて、見ることができました。イエス様がピラトの前で裁かれたガバタ付近から、十字架につけられたゴルゴタまでの道のりです。現在、ゴルゴタの場所には聖墳墓教会が建っています。ガイドさんの話によると、初代キリスト信徒がゴルゴタを記念の場所としていたので、反対するローマ軍はゴルゴタの丘を削って平らにし、その上にギリシヤ神殿を建ててしまったそうです。しかし、のちにローマの国教となってからは、その神殿を壊して聖墳墓教会を建てたそうです。言われてみると地下にそのような形跡が残っているように見えました。
 <過ぎ越しの祭りと除酵祭>
 最後の頃変わったことがありました。ホテルの食堂は使えず、会議室での食事となりました。それもプラスチック製使い捨て容器での食事です。実は、次の日の安息日はユダヤ教の過ぎ越しの祭りで、その日から1週間の除酵祭が続きます。そのため、事前に1週間かけてホテルの大掃除をして、キッチンだけではなく、ホテル内から完全に酵母菌を無くすのだそうです。普通の柔らかいパンは、私たちが食べたのを最後に2週間いっさいなくなるとのことです。もし違反すると、穢れたホテルとみなされてしまうそうです。イスラエルは人口の7割以上がユダヤ教徒の国ですから、穢されたとみなされるとホテルはやっていけません。私たち日本人旅行者にも、ホテルへそういう物を一切持ち込まないようにと言われました。モーセの出エジプトが起源の行事を今も忠実に守っていると実感しました。そして、ただ単に守っているのでなく、最近まで、1900年以上もの長きにわたり、亡国の民となっていたユダヤ民族の苦い思い出が、この儀式を通して子供たちに、また子孫にも伝えられるようにと願っていると感じました。
 <エリコとヨルダンの聖ジョージ教会>
 エリコに立ち寄り、オアシス近くの城壁のような遺跡を見ました。3200年ほど前のヨシュアの時の崩れた城壁かと思ったら、9500年ほど前の遺跡ということです。ヨシュアの時の城壁跡はまだ見つかっていないそうです。オアシスのあるところには、そんなに昔から城壁を造る文明があったのかと驚かされました。また、オアシス横の土産物屋さんでは、店員さんが上手に角笛を吹いてくれました。トランペット奏者のようにすてきな音色で、数キロ先まで聞こえるような大きな音でした。私にも吹かせてくれましたが、スースーいうだけで鳴りませんでした。一緒に行ったツアー客の一人は吹奏楽の経験があるとのことで、上手に吹くことができました。このお土産屋さんでデーツ(ナツメヤシの実)を買い、お土産にしました。旧約にでてくる『乳と蜜の流れる地』の蜜は、このデーツのことだとガイドさんが言っていました。
 帰り際、バスの車窓から道路脇にあるいちじく桑の木を見て、ザアカイがこのような木に登り、イエス様を見ようとしたのかと思いました。
 その後、イスラエル出国(入国に比べて、出国手続きは短時間でした)、ヨルダン入国手続きを済ませ、ヨルダンの聖ジョージ教会に向かいました。途中、バスは山道をかなり登り、モーセが、最後にイスラエルを見たネボ山の近くを通って行きました。ヨルダンはイスラム教の国ですが、その中にあって聖ジョージ教会は、キリスト教会として建てられ、AD600年頃、床にモザイクタイルで描かれたパレスチナ地方世界最古の地図があることで有名でした。

 以上、正味4日間ほどのイスラエル旅行でした。説明のほとんどが、イスラエル政府公認ガイドから聞いたことを書きました。実際に現地に行ってみて、聖書に対する考え方がだいぶ変わったように思います。行く前は、聖書に書かれている出来事を、努力して信じようとしていましたが、行った後は、聖書に書かれていることを人々はなぜ信じようとしないのかと思うようになりました。

■「あとがき」   K.K.

 寒さが激しい日々も少しずつなくなってきて春らしい陽気が降り注ぐ今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。ゴールデンウィークも終わってしまい、また、仕事に学校にと忙しい毎日が始まりました。私の仕事も暖かくなってきたここ最近から忙しくなってきました。その中のひとつに林野庁から受けている仕事があります。
 私が勤める会社では、林野庁から発注される業務を受注しています。その内容は、希少野生生物の保護と森林施業などをうまく連立させて行うというものです。具体的に言うと、森林の木を切るときに、ただ切るのではなく、野生生物を保護するために切っていくということです。少し前にNHKの番組で取り上げられた「イヌワシを守れ!子育て支援大作戦」では、イヌワシの狩場を作るために敢えて木を切るということをしました。イヌワシは国内で絶滅に瀕している種で、国の特別天然記念物でもあります。そんなイヌワシのもともとの生活の場は森林ではなく草原のような開けた場所なのです。まだ植林が大々的に行われていなかった日本には、そのような開けた狩りができる場所が多くありました。ところが植林により狩場が少なくなってきてしまったために、イヌワシは絶滅の危機に瀕してしまいました。ここ最近では、ひとつのイヌワシペアが繁殖に成功する(雛が巣立つ)のは、10年に1度ともいわれています。木を切って狩場を増やすことによって繁殖がしやすい環境を整えることで絶滅を回避させようと頑張っています。私が行なっていることはイヌワシの行動を見ることです。狩場を作るにしてもイヌワシの行動圏の外に作っても利用しませんし、子育て中の巣の近くで狩場作りの作業をしていると、それが気になり子育てを放棄して逆効果になってしまいます。どこに子育てをしている巣があり、どのあたりを狩場にしているのかということを知ってから狩場を作っていきます。そして作った後のことも確認をしないといけません。狩場を利用しているのか、そもそも繁殖は成功しているのか。
 ここまでイヌワシの話をしてきましたが対象はイヌワシだけではありません。イヌワシ同様に絶滅に瀕している生物も含まれます。イヌワシと同じ猛禽類であるクマタカ、動物だけではなく植物のツツジの仲間のホソバシャクナゲなどといったものもあります。そういった生物を守ること以外に、多くの人に知ってもらうということも重要なことだと思います(税金の一部が使われています)。一応、一部を除いて(保護に支障が出ない範囲で)情報公開はされていますが、知られる機会が少なく、これを機に知っていただけたらよかったと思います。少し長くなりましたが、こんな話に付き合っていただきありがとうございました。次回もよろしくお願いします。

2016年7月号

■「Tさんを偲んで」  T.T.

 Tさんが2015年11月3日に召されて早いもので3ヶ月が過ぎようとしています。もう一度、振り返って考えてみたいと思います。当日このことをお聞きした時は、全く自分の耳を疑うばかりの深い驚きに打たれました。どんな病状で、どんな経過で亡くなられたのか、あまりにも突然のできごとで悲嘆にくれておりました。そして11月4日「夜の祈り会」で参加者全員がTさんの御顔を拝顔し涙したところです。その姿は、まさしく82歳の人生を戦い抜かれ神様が待っておられる天国への旅に引き上げられた平安そのものの御姿でした。
 Tさんと私たちのお付き合いは2011年札幌から長野市に転住してこられ、2013年に教会を訪ねられた時に始まりました。教会では当初、「入門講座」に参加し、聖書を読み、聖書の内容を知ることに一生懸命努力されておりました。また、「長野三浦綾子読書会」、「聖書の学び会」にも出席され、神様との絆を少しずつ強くされていかれたと思います。やがて信仰の芽が膨らみ、2015年3月29日に神様を信じて、ご夫妻で新しい人生を出発されました。御主人どなたにも声をかけられる明朗な方で証しをしたり、賛美をし、時々詩吟を口にし、俳句、川柳をお詠みになる趣味豊かな方でありました。
 三浦綾子さんが旭川、札幌に居住されていた地域、歩かれた箇所の名称についてもいろいろ教えていただき、良い勉強になりました。長野市で三浦綾子読書会を開いて11年目になります。三浦綾子さんの残された作品「それでも明日は来る」に出てくる言葉に「言葉は確かに大切なものだ。しかし人間には、言葉よりも大切なものがあるのだ。それは心である。愛である。」とおっしゃっております。大変、重みのある言葉です。この言葉を忘れずにTさんを偲びつつ福音宣教に努めていきたいと思います。
 そして、久々に計画された11月8日のホテルメトロポリタン長野で行われました特別集会への参加を、とても楽しみにしていたと思います。残念で仕方ありません。Tさんが地上を去られ、また一段と寂しくなりました。もうしばらくお元気でご活躍をしていただきたいと思いました。
 最後になりましたが地上に残された御家族様の上に神様の慰めがありますようにお祈りいたします。

■「思わぬ共通点を見つけた泉会クリスマス2015」  E.Y.

 去る2015年12月5日(土)に、泉会クリスマス会として、ドクターキノシタこと木下和好先生と恵美子先生のご夫妻をお招きして、さんびとトークの集いを開催しました。
 ご夫妻がデュエットで賛美してくださった他、朗々としたお声の和好先生はソロで“OH HOLY NIGHT(邦題:さやかに星はきらめき)”を賛美してくださいました。圧巻の賛美でした。さらに、全員でおなじみの「きよしこの夜」を英語と日本語に加えて、ドイツ語でも賛美しました。私にとっては初めての貴重な経験でした。
 恵美子先生は、宮城県女川町のご出身で、東日本大震災でご家族を失くされたそうです。先生ご夫妻は、当初2011年3月11日には女川町に帰省することを計画されていたそうですが、予定通りに帰省できなくなって難を逃れたのです。何という神様のご計画でしょうか。予定通り女川町を訪れていたら、私たちは今ここにいないでしょうと恵美子先生は静かに話されましたが、そのことばの重みが空気を通じて伝わってきました。
 和好先生からは「クリスマスと我がおもしろ英語人生」と題するお話を聴きました。和好先生が子どもの頃には、まだ故郷の街にたくさん占領軍の米兵がいらっしゃったそうですが、貧しくて英語の教材も手に入れられない先生は、「費用がかからず、実践的に英語を勉強する方法」を考え出しました。それは、とにかく街で米兵を見かけたら英語で話しかけること。きちんとした対話にならずに、話しかけた相手の米兵に不審がられたそうですが、気にもとめずに話しかけ続けたそうです。肝っ玉が座っておられます。そして、クリスマスをきっかけに、教会へ行けば、英語の勉強が「ただで」できることを知り、英語の聖書を読み始めたそうです。思い返せば、私も教会を訪れたきっかけは「英語の勉強」でした。確かに「ただで英語の勉強」ができました。思わぬ共通点を見つけました。ただで勉強できると思った英語の聖書の学びから、和好先生はまことの神への導かれていったのでした。私も英語の聖書の学びから、いつしか教会の夕方の礼拝に出席するようになり、神を信ずる者とされました。
 今年「のクリスマスには、クリスマスはイエス様のご降誕をお祝いする時ですが、併せて、自分自身が主イエス・キリストを信ずる者として誕生した時のことを思い起こす時としても大切な機会であることを改めて教えられました。

■「泉会クリスマス会」   N.E.

 今年はどのようなクリスマス会にしようか・・・講師をお招きする?それとも教会内だけでお祝いする? 1年間のメインイベントであるクリスマスについていろいろ考える中で、今年はラジオやテレビなどのメディアで英語教育にご活躍されているDr.木下夫妻をお招きすることができました。
 第一部はご夫妻の歌、奥様の恵美子先生のお証しと木下先生の楽しいお話をお聴きしました。第二部はゲーム、お茶とケーキの楽しいお交わりの時間をもちました。ご夫妻の歌は、お二人で奏でるハーモニーがとても素敵で、支え合って二人三脚で歩んでおられることを感じた時間でした。
 恵美子先生は、東日本大震災で壊滅的な被害に遭った「女川町」のご出身で、あの3月11日もご夫妻で先生のご実家に帰省する予定だったとのこと。しかし、帰省の予定が1週間早まり、震災に遭わなかったとのことでした。神様の摂理などと言っていいものか、言葉を選ばなくてはいけませんが、ご健在のご夫妻を通して語られている言葉の内に、神様からのメッセージを聴く思いがしました。
 木下先生のお話は終始笑いに満ちた楽しいお話でした。先生は幼少期を長崎で過ごされ、街の中をアメリカ兵が闊歩してる環境で育つ中で、英語に興味をもたれたとのことです。小学5年生の頃から中学生の兄達が英語の勉強しているそばで自分も英語を覚えたことや、そのフレーズを使ってアメリカ兵に話しかけても全然取り合ってくれなかったことなどをユーモアたっぷりにお語りくださいました。
 教会に通うようになったきっかけは、中学生のときに学校前で配布された教会のチラシだったとのことです。”英語を教えます”・・何かいい英語の勉強方法はないものかと思案していた先生は、そのチラシにあった言葉に惹かれて教会を訪ねました。そして訪ねた教会の英語のテキストはなんと聖書だったそうです。そこで宣教師から聖書を通「して活きた英語を教わるとともに神様の大きなご愛に触れ、イエス様をご自分の救い主と信じ信仰をもたれたそうです。このとき活ける命の言葉をお与えくださった神様は、活きた英語を通しても木下先生の人生を用い、その証を通して私たち大きなチャレンジを与えてくださったような気がします。
 木下先生ご夫妻をお招きすることができ、心から感謝したクリスマスでした。

■「ゴスペル… 賛美の喜び」   S.T.

 5年前、ゴスペルが始まったとき、いったい私などにも歌えるものかしらと思いながらも、神様に招かれた気がして参加してみました。すると車に乗るたび、歌詞を覚えるためSさんが作って下さったCDに合わせ、大きな声で練習するうち、もやもやした心も吹っ飛ぶようなすっきり感をおぼえました。
 土曜日もなにかと忙しかった私は、4年目になった時、一時休むことにしたのです。さらにゴスペルに参加するにはボイスレッスンも含め結構費用がかかるということもありました。でも神様は私に「あなたにはいつも必要な時に十分に与えたよ」とおっしゃるような気がしました。1年の休みに心の中ではいろいろ葛藤がありました。私が休んで、他の方に多少なりとも影響してはいけないと思い、それも気がかりでした。自分が行ったことに後から悩む私ですが、神様に後押されたように感じてきました。
 ゴスペルを続けるクワイアの中には多くの悩みを抱えた方々や災難に遭われた方、病を抱えながらも、発声練習やゴスペルレッスンに頑張っていらっしゃる方もおられます。また、遠くお住まいの地からリュックを背負って時々歩いて参加する方もいらっしゃいます。
 従来のクリスマス会や伝道会などのイベントの時にも来る人が少なくなった昨今です。このとき、ゴスペルを通して働く神様の御手を感じてみましょう。去年、ゴスペル参加者は大分少なくなりましたが、それでも神様は信者でない方を通して働いていらっしゃいました。私も齢を重ね、英語の歌詞を覚えるのに一苦労です。いつまで続くかはわかりませんが教会員の皆様、ご一緒にゴスペルを通して神様に賛美を献げる喜びをともに感じてみてはいかがでしょうか。
 神様は祝福をもって皆さまを招いてくださることでしょう。

■「子どもクリスマス会について」  L.S.

 去る十二月、長野福音教会で「子どもクリスマス会」がもたれましたが、とても楽しい有意義な時となりました。飯山からピーター&メアリー・クリフト夫妻が来てくれて、すばらしい降誕劇をしてくれました。ピーターさんとメアリーさんが、イエス様がお生れになった晩、ベツレヘムの近くで羊の番をする羊飼いに扮して、見ている子供たちを物語に引き込むような臨場感あふれる劇を見せてくれました。救い主イエス様が地上に人となって生まれてくださったことの驚くばかりの恵みをあらためて感じさせるものでした。
 その後、子どもたちや一緒に来てくれた大人は、白い靴下を使って雪だるまを作る工作を楽しみました。また、おもちゃなどが当たるくじ引きでは、自分の名前が呼ばれないかとハラハラドキドキ、息をのんでくじが引かれる様子を見入る子供たちの顔が印象的でした。イエス様は小さな子どもたちを愛し受け入れてくださいました。同じように、このクリスマス会に来てくれた子どもたち一人ひとりをイエス様は愛し受け入れてくださっています。その主イエス様のことを、参加した子どもたちが知ってくれたら・・・また、このクリスマス会を通して、ますますイエス様について深く知る機会となってくれたらと切に願っています。

■「新成人の抱負」   T.S.                       

 新成人祝福式でのお祈りありがとうございました。とにかく行動に起こす、ということが一番の抱負です。
 先々に関しては、今の時点では断定的な将来の明確なビジョンはないですが、幅広い進路を選択することができるように目の前の勉強を着実に頑張っていきたいと思います。かつ自分の怠惰さゆえに受験で不本意な思いをしたことを忘れないようにして臥薪嘗胆したいです。また、新しいことを始めるのをためらいがちな傾向もなくし、いろいろなことに挑戦できるようになれたらよいなと思っています。

■「成人」   Y.S.

 昨年4月頃からお世話になっています。12月で二十歳になりました。特別変わった事もなく日々は過ぎて行きます。ただ、10代と20代の差は大きいな…と感じます。
 二十歳になった実感が持てた事といえば『国民年金』の通知が来ていた事くらいです。これで社会的には大人になるのだな、と。“気が付いたらオバサン”にはならないように濃い10年20年にして行きたいと願っております。
今だから、今しか出来ない事を精一杯出来たら、それが一番かと思います。主にゆだねて。

■「なぜバイクで転んでしまったのか」   M.N.

 教会の皆様方の深いお祈りとあたたかいお心遣い、そして尊い義援金を心より感謝申し上げます。また多くの方々にご迷惑をおかけいたしまして誠に申し訳ありませんでした。
 一昨年の12月20日以来、今でも夕方雨の降る日と救急車の音を耳にすると、とても苦しい気持ちでいっぱいになります。あの日は一週間ぶりに雪もやんでこの時とばかりにたくさんの買い物をして、外に出ると大変な雨降りで真っ暗。こんな時はいつものようにバイクを置いてタクシーで帰ればよかったのですが、どうしたことか正しい判断をすることができませんでした。
 10日ほど前に退職して、いよいよ4日後には転職先に行くことが決まっておりました。退職する2年半ほど前から嫌がらせなどがあり、不眠と食欲減退の日々が続き常に頭が重く痛みがありました。突然、意識がなくなり倒れたこともありました。そのたびに病院で検査を受けるのですが異常なし。食べてももどしてしまうこともあり、確かに体のどこかがおかしいと感じるのですが、どうすることもできず、6年10月勤めた職場を離れました。
 事故当時はあっという間のことで、気がついたら右肩が下になっていて、頭の下に何か太い棒が転がっているような感覚でした。救急車で運ばれたのですが、声にもならないほどの激痛でした。診断名は右肩関節脱臼骨折と右肩の石灰化。「石灰化した部分を取り除く手術は骨折が治ってからでないとできません。今手術をすると今以上の痛みが出ます」とのこと。それにしても両方の痛みが伴うわけですから、最初の6ヶ月半は5~6種類ほどの痛みがあり、夜も眠れず寝返りもうてず、寝ても覚めても痛いので、毎日イライラするばかりで落ち着いた気持ちで生活することが全くできませんでした。痛み止め薬もほとんど効き目がなかったようです。「痛いのは当り前だと思ってください。治っても90度上がるか180度あがるか分からないです」と、主治医に言われました。
 日常生活においてもお風呂とトイレが大変でした。無意識に1㎝でも1㎜でも動かすと「うっ!!」と身構えてしまうほどの激痛に「ああ・・・またか。やはりわたしは大変な失敗をしたんだな。」将来のことを考えると、不安と恐れの毎日でした。今にして思えば精神的にうつ状態のようであったかと思われます。それでもしばらくして7ヶ月を過ぎた頃でしょうか。感謝なことに石灰化したものが体に吸収され、きれいに消えてなくなっていましたが、こういうことはたまにあるということです。
 確かに主は生きておられ、知恵を与えてくださるお方。この1年5ヵ月、わたしは自らを反省する時でもあり最悪の中にも必ず最善があるということを学びました。骨密度も若い人や同年代と比べて標準値以上に高かったこともあり、右肩の骨折と右ひざの縫合手術だけで済んだのではないかと思われます。未だ腰痛もあり、杖を手放すことが難しい状態ではありますが、お陰様で回復してきております。
 「主よ。私は知っています。人間の道はその人によるのではなく、歩くこともその歩みを確かにすることも、人によるのではないことを」(エレミヤ10:23)
 平安がないまま、ただ苦しく辛い日々が過ぎ、わたしにとってこのみことばがなかったら気がおかしくなって、仕事も続けられなかったと思います。こんなことならもっと早く離職するべきでした。 

■「信州宣教区 信徒・役員リーダー研修会に参加して」   Y.I.         

 「同盟教壇における教師の役割・信徒の役割」、使徒の働き6章1~7節 から 坂本誠師(愛知泉キリスト教会)より、講演をしていただきました。
 ◦教会の職制について
  監督、長老、執事、牧師について聖書から、その働きや歴史、審査など様々な事柄を通しておしえていただきました。
 ◦監督
  監督はエピスコポス「上から見るもの」「見張り人」「監視員」を意味している。
 ◦長老 プレスビュテロス
  旧約時代には、年長者で集団において尊敬を受け、まとめ役を担っていた人々。それが新約時代には教会の職務の名称になった。
 ◦執事 ディアコノス
  執事は、事務的、管理的働き、福祉や慈善の役割を負ったと思われる。
 ◦牧師 ポイメーン
  牧師の働きは羊を飼うこと。①聖書を教える。②信徒を訓練し教える。③信徒を世話する。すべての働きは、イエスキリストを基礎とし基本としている。
 牧師や役員、教会組織は何のために備えられているのか。目的はなんだろうかというとそれは、「教会に祈りとみ言葉が確実に行われ、仕える教会となるため」「教会員の一人一人が祈りとみ言葉の人として生きることができるようになるため」です。この目的の実現のために備えられています。これが最終的な目的と教えていただきました。

■エッセイ 「モカちゃんの想い出」  K.I.

 私たちの愛猫、モカちゃん(オス)が永眠してから2ヶ月以上が過ぎます。12年以上も、新婚時代からずっとずっと一緒でした。生活の様子をたくさん歌にしてきました。
 新婚時代、こんなことがありました。ひとりでいるには広い家の中で、掃除を済ませ、疲れて横になっていた時、急にひとりぼっちなんだと思うと淋しくて、ほんの一、二粒涙が出てきました。すると向こうの部屋にいたモカちゃんがフラリとやってきて、私の顔のそばに来てペロリと涙をなめて、「何でもないさ」と言うかのごとくに、またフラリと去っていったのです。モカの優しさに目覚めを感じました。モカちゃんは、主人のギターの音が大好きで、チョーキング(キューン、クイーンと弦を押し上げて弾く奏法)になると、私と主人の間にはさまって「ミャッ」とよく鳴いてくれてとても面白くかわいかったです。猫はミドルC(まんなかのド)の音から数えて2オクターブ高いA(ラ)かA♭(ラの♭)ぐらいの音が好きで、その音に反応して鳴くのだそうです。主人は「オレの音楽の最高の理解者」とモカちゃんのことをそう言っていましたので、ペットロスはすごいもので、“うさぎみたいにひとりにさせると死んじゃうかも”と思うほどです。私は号泣した後は、思い出としてたくさん詩を書いたり、毎日ずっと一緒にいたので立ち直ることができたのですが。たくさんの猫好きの友人、知人がメールなどで励ましてくれました。感謝です。寒い日は、いつも胸の中に来てくれてポカポカ。まるでモフモフなモカちゃんが睡眠薬のようで、顔のそばで眠ってくれると、私まで一緒に眠れました。今は淋しいけれど、何とかやっています。
 フジコ・ヘミングさんのピアノの音にラジカセにはりついて聴いていたモカちゃん。猫好きな音楽家の演奏にはすぐ分かって、静かな音で聴いていると、うっとりとしていました。優しい女性ヴォーカルが好きで、エンヤの癒し系の音には、またたびにやられたみたいにでんぐりがえりをしたこともあり、主人とびっくりしたこともありました。聖書には、猫だけはどこにも出てこないし、干支にもいないけれど、その存在の不思議さ、かわいらしさ、優しさ、柔和さは神様からのプレゼントでした。モカちゃんありがとう。Rest in Peace 安らかにね。
 《悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。マタイ5:4》

2015年11月号

■巻頭言 「さよならボート」  牧師 高橋宣広

 おばあちゃんの乗ったボートは見えなくなったけれど、きっときっと新しい世界に向かっているんだよ・・・。死がすべての終わりではなく、死のかなたには天の故郷があるのだというメッセージを伝えてくれる一冊のすてきな絵本があります。
 『さよならボート』(いのちのことば社フォレストブックス、2003年出版)。著者は3児の母であるメアリー・ジョスリン、翻訳者は堀(ほり)肇(はじめ)牧師です。家族に愛されていたおじいちゃんが天に召された時、しばしの別れについて、著者は子どもたちに話す手立てを見つけ、そして  悲嘆の中の暗い日々に希望のメッセージを届ける必要を感じ、この物語を書いたそうです。
 今年の一月、父の召天一周年記念会を福岡で行いました。家族・親族だけの小さな式でしたが、幼稚園児のめいっ子が、一番前にちょこんと座っていましたので、まず『さよならボート』の読み聞かせをするところからメッセージを始めました。そして翻訳者の堀先生が書かれた「はじめに」を紹介しました。
  はじめに
 生きるということの中には、春のような喜びもありますが、この世界から音も色も消えてしまうような悲しみもあります。わけても愛する人との死別は、心が引き裂かれるような辛く悲しい出来事です。お互いの愛が深ければ深いほど、悲しみも深くなります。この悲嘆・喪失をどう乗り越えたらよいのでしょうか・・・。
 今年も、何名もの神の家族との別れを私たちは体験しました。突然の別れに驚き、悲しみ、言葉をなくしました。そして、ご遺族のために祈り続けています。悲しみは尽きませんが、それでも私たちは、神様の確かな約束に慰めと希望を見いだします。
 「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」ヘブル11:16
 死のかなたには天の故郷があります。そして、そこで再会できる確かな希望があります。

■「証し 2015.8.26」   M.D.

 母の葬儀をここ福音教会で行わせていただき、ありがとうございました。簡単に葬儀までのいきさつを報告させていただきます。
 母は10代から70代まで善光寺の宿坊で働いており、70代には大きな交通事故や、心臓にペースメーカーを入れる病、また大きな動脈瘤(りゅう)を持ちながらも、元気に過ごしていました。
 父亡き後、母は毎週教会へ通うようになり、ここ数年は家庭礼拝と月1回長野福音教会へ来させていただいておりました。この間、神様の話しはしましたが、なかなか信仰の決断は迫れませんでした。今年に入り、家庭礼拝で、神・罪・救いに分けて教理をわかりやすく話してきました。
 8月16日の家庭礼拝後、暑さを避けて飯綱の宿泊施設へ行きましたところ、急に腹痛を訴え、動かなくなって意識を失ってしまいました。救急車を呼び、再び息を吹き返しましたが、動脈瘤の切迫破裂でした。1週間ICU・HCUでの入院生活となりました。19日の朝、イエス様がおばあちゃんの罪のためにおばあちゃんの代わりに十字架にかかってくださったこと、そしてそれを信じたら天国へ行けることを話し、「わかったか?」と確認すると、うなづいて一緒にお祈りしました。
 翌日からすごく元気になり、足を上げたり、笑い声を出したりして嬉しそうな様子を見せました。しかし、その日の夕方、血圧が急に下がって、私たちが駆けつけると天に召されました。
 神様は天国への切符を手にした母を招いてくださいました。「やっぱり」と思いました。実は決断を迫ると母は天に召されてしまうのではないか、私は母を取られるのが嫌で、なかなか信仰の決断を迫れなかったのです。しかし主は今までの命の危険があった交通事故などの数回の危機を越えさせて、待っていてくれたのです。そして、最後に主は私に母の決断を迫るよう、背中を押してくれました。母は信仰を持って天に召されたと信じます。
 聖書の言葉、伝道者の書3:2「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」 ヨブ記1:21「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
 最後に、労をとってくださった高橋先生をはじめ教会の皆様、本当にありがとうございました。

■「証し 2015年8月25日」   M.D.

 私が義母と最後に福音教会に礼拝出席したのは6月28日でした。その日のメッセージは、「イエス様がペテロのしゅうとめの熱病を癒し、しゅうとめは起きてイエスをもてなした」という内容のマタイの福音書8章14節以降の聖書箇所からでした。イエス様に従う決意表明をするということは、そのすぐ後の箇所にある自分の父親を葬ることもできなくなるのか、いやそうではない。現在の生活から抜け出さず、結局は主に従うことをあいまいにする態度が問題なのだ。だから主に従っていくと決意表明して歩み続けるなら、ペテロのしゅうとめの熱病をいやしてくださったイエス様が、私たちの生活の中で日々起きてくるすべての問題を解決してくださる。だから、安心して従い続けよう。と語られ、そのように私は受け止めたと記憶しています。その日、高橋先生に帰り際「今日のメッセージほんとうにありがとうございました」と、私の決意表明という気持ちをこめて、あいさつをしました。
 それからの日々、義母の救いのことも、その他の問題も必ずイエス様は最善に導いてくださるのだから、あたふたせずに必要なときに必要な言葉を語れるよう、祈りながら時を待とうと思っていました。そのときは2ヶ月も経たずにやってきました。夫が24時間管理のICU病室で語りかけると、うなずいて応答する義母。声は聞こえないけれど、お祈りの最後に酸素マスクの中の口がアーメンと動くのを私は見ていました。その後ICUからHCUに移り、驚くほど元気になりました。両足を一緒に上げて、ミトンをはめられて固定されている手の代わりに、まるで万歳をしているように見えました。そんなに足を上げちゃ駄目駄目とみんなで言うと、酸素マスクの中で声を出してクックと笑いました。これから元気になって回復していくのだと勘違いしたその日の15時半、「血圧が下がり始めました。すぐ来てください」と病院から電話があり、その日3回目の病院へ駆けつけて、義母は亡くなりました。
 8月24日、葬儀での高橋先生のメッセージで、「Nさんはイエス様が仕える姿勢をとられ、給仕する者のようにされたそのように、人々に、料理を作って給仕されてきたのですね」と語られたとき、義母がいやされてイエス様をもてなすペテロのしゅうとめと重なり、胸が一杯になりました。義母は天国へ行ったと思いました。
 この一週間、すべての事が主にコントロールされていたことがわかりました。前もってとってあった私の2日間の仕事の休みで入院の3日間を過ごし、その後も毎日ICU・HCUに通うことができ、寝たきりになりたくないと熱望していた義母の願いをお聞きくださっただけでなく、1週間の私たちの心の準備期間と、義母の信仰の確認のときも与えてくださいました。高橋先生にはお手数をおかけしましたが、丁寧に丁寧に、親族に関わっていただき、教会の皆様に助けられて、葬儀を行うことができました。完璧な神様のスケジュールでした。義母が50年間お世話になったお寺の住職ご夫妻が葬儀・斎場・しのぶ会に出席され、別れ際に、奥様が「よいお葬式でしたね」と話してくださいました。その後何人もの方々から出席して本当に良かったとうかがいました。「神様のなさることは時にかなって美しい」という23日の家庭礼拝での聖書箇所が真実であることを今心にかみしめています。

■「K.O.さんを偲んで」   T.T.

 Oさんが10月6日、天に召されました。私とOさんのお付き合いは創立40周年記念誌編集委員会が再編された1998年に遡り、17年のお付き合いになります。この間、Oさんからは長野県の林業をはじめ農業経済、長野市の歴史について数多く学ぶ機会をいただき、感謝な日々を過ごしていました。Oさんと私との最後の電話は、9月18日でしたが、その時はいつもと変わりなく元気に話されておりましたので、体調も良いものとばかり思っておりました。召される前日まで自転車に乗り、愛大と散歩をしていたというから全く自分の耳を疑うばかりの驚きでありました。
 Oさんは、長野師範学校を卒業され旧上水内郡、下水内郡地域をはじめ下伊那、松本市、長野市の小中学校に奉職され、1958年6月29日イエス・キリストに出会い、洗礼を受けられました。また教壇を去られてからも自宅を開放し、ご夫妻で家庭集会を行い、若槻自治会館では浅川、若槻地域の子どもたちにみ言葉を教え、福音宣教に力を注いで来られました。そして浅川西条の地での教会建設に役員として携わり、教会の予定地及び資金の確保に奔走されたことは誰もが知るところです。
 特に大きな思い出は、二人で愛犬アニーと一緒に虫倉山(1378m)に登山しながら、旧中条村の歴史を学び、その広い知識には感服した所です。また虫倉山の麓では300坪の畑で耕運機、刈り払い機を駆使し野菜を作り、Oさん所有の山林からはチェーンソーでならの木を切り出し、しいたけの栽培を教わり、とても楽しい時期を過ごさせていただきました。
 そして、今ここに90年の長い人生を雄雄しく戦い抜かれ、立派に凱旋され、勇ましい高尚な生涯を私たちに残してくださったOさんに心からお礼申し上げます。Oさん長い間ご苦労様でした。どうか私たちも、あなたのような生涯を送ることが出来ますように願っています。今でもOさんの謙虚な感謝と喜びと賛美に満ちた祈りがいつものように聞こえてくるように感じます。私たちは再びOさんが歩んだ生涯を顧みつつ、その気高く美しい足跡を少しでもたどることの出来る者とさせてくださいますようにと思うしだいです。

■「信州クリスチャン修養会」   K.M.

 『諏訪の信仰とキリスト教信仰』をテーマに開催された今年の修養会は、初日夜の第1集会から会場いっぱいの参加者が与えられ、関心の高さにびっくりしました。講師の大和昌平先生には、①諏訪の御柱祭と仏壇・位牌、②信州善光寺と阿弥陀如来、③日本の祖先崇拝についてお話しいただきましたが、この社会に生きているキリスト者として、避けては通れないことばかり。実際の場面でどう対処していけばよいのか、切実な問題です。
 お話しの中で、父なる神の被造物である人間には、人を超えた存在を感じ、おそれる性質が備わっていること、そしてそのおそれが、どこから来るものなのかわからないまま、禍(わざわい)が起きないように様々な策を講じていく訳ですが、根本的な解決は、本当の神に立ち帰る以外にないこと。大和先生が高校生の時に教会で得ることのできた本当の平安がよくわかりました。私たちも確かにこの平安をいただいて、神の子とされたのでした。
 そもそもは理由なきおそれから始まった在来宗教ではあっても、現代の日本でなお法事が営まれ、墓や位牌が守られ続けているのは、信心からというより、親戚の手前・世間体や風習といった人間社会の無言の圧力なのかもしれません。それが、近年、葬式にしても結婚式にしても、自分で考える風潮が広まってきました。今こそ、人々が本当の救いに近づくチャンスなのかもしれない・・・。他の宗教と向き合わなければならないときに、つい、堅い姿勢で信仰を守らなくては・・・と構えてしまいがちでしたが、大切な人を大切に思う人の心に寄り添いながら、しかし、拝むべきでないものは拝まない、その線引きが重要なこと。そういう愛のある配慮ができたら、私たちは、まだ主を知らないひとびとを主の前に、理由なきおそれの本当の解決に導けるのかもしれません。

■「新約聖書の書かれた時代とポンペイ遺跡」   K.K.

 新約聖書が書かれたのは、A.D.50年頃(パウロ書簡)からA.D.90年頃(ヨハネの黙示録)だそうです。今から1900年以上も昔のことになり、日本では、弥生時代、卑弥呼(ひみこ)がいた邪馬台国(2~3世紀)よりも古い時代です。聖書はこんな昔に書かれたのだから、創作や想像、神話的な要素が多少入っているのではないかと思っていました。
 ところが、昨年3月、1900年以上前に繁栄していたイタリアのポンペイ遺跡に行ってみて驚きました。その驚いたことを10ほど書いてみます。
 1.歩道と車道が完全分離してあり、両方とも石の舗装がしてあった。車道には、当時の馬車の往来が激しかったことを示す轍(わだち)の跡があった。また歩道は、歩行者保護のため、車道よりも20cmほど高くしてあり、横断歩道のところには、歩行者のために大きな踏み石が配置されていた。道路排水路も整備されていた。(※長野市で歩車道分離方式の道路が整備されだしたのは、おそらく昭和の初期以降ではないだろうか。)
 なお、ポンペイからローマまでは、2百数十キロメートルあり(ほぼ長野から東京間の距離)、有名なアッピア街道を通って行くが、その道路舗装の厚さは、深さ1m以上も掘って路盤の入れ替えがしてあり、表面は堅い石を平らに敷き詰めて、馬車が高速で走れるようにしてあった。軍用道路として作られ、できるだけ真っ直ぐにまた平らに作られた。舗装の厚さについていえば、現代の高速道路や国道とほぼ同じ仕様である。日本の高速道路総延長は約9000kmだが、アッピア街道幹線延長は85000km以上あったという。
 2.上下水道が完備されていた。水道管は、錆(さ)びない鉛の管が使われていた。私が水道局に入った40年ほど前までは、長野市でも各家庭の引き込み管に鉛管が使われていた。鉛は鉄のようには錆びず、加工がしやすいので便利だが、からだに良くないとのことで計画的に少しずつポリエチレン管やステンレス管に取り換えられ、今は使われなくなった。長野市の水道整備が始まったのは、大正時代以降のことだ。
 また、下水道管についていえば、私が水道局に入った頃はまだ陶管を使用していた。現在も陶管が腐食に対しては一番良いのだが、車の荷重や地盤沈下に対しては、割れやすいことから、硬質塩化ビニール管や鉄筋コンクリート管に代わってきている。ポンペイの下水道は石および陶管で整備されていた。当時のポンペイの上下水道は、私が長野市水道局に入った40年前とほぼ同じ材質の物で整備されていた。ちなみに東京で下水道が本格的に整備され出したのは明治以降、長野市で整備されだしたのは昭和28年以降で完成したのは最近だ。
 3.さびない鉄が使われていた。旅人が水を飲めるようにと、街中の道路沿いに泉水が設置してあった。その石積みの縁石が動かないようにと、鉄製のかすがいで固定してあった。錆びていないので、ガイドさんに本当に2000年前の物か尋ねたところ、鉛のコーティングがしてあるとのことで、当時の技術の高さを感じた。
 4.食文化がグルメであった。肉、魚、パン、どれもおいしいものを食べていたようだ。今でも、おいしいそばは、石臼で挽いて手でこねて作り、おいしいピザは石がまで焼く。ポンペイでは、現代とほとんど同じ石臼と、石がまを使いパンを焼いていた。パン屋も、肉屋も魚屋も、居酒屋さんもあった。ちなみにポンペイの街中にはパン屋が34軒、居酒屋は100軒以上あったそうだ。
 5.公衆浴場が発達していた。サウナもあり、お湯が冷めない工夫、天井のしずくが落ちて来ない工夫、大理石の湯船、湧き出るお湯、明かり取りのガラス天窓、床のタイル張り、壁の彫刻、どれを見ても現代の人が作ったと錯覚しそうなすばらしさだ。まさに映画の「テルマエロマエ」の世界だ。
 6.ある家の部屋の内壁には、素晴らしいフレスコ画が描かれていた。2000年も前に書いたのに色がほとんであせていない。ルネサンス時代の絵画とくらべても遜色ないできばえだと思った。廊下の床には、モザイクタイルが敷かれていた。またブロンズの像があちこちにあり、その芸術性と製造技術は、現代のものと少しも変わらないと感じた。
 7.墓地地区にある墓石がすばらしいものだった。福音教会の墓石に比べて数段立派にできていた。きれいに磨かれた大きな石に、ローマ字で埋葬者名などが刻まれ、その下には生前の様子がレリーフで描かれていた。
 8.水道の水は、遠くの水源からひいていた。その痕跡が墓地地区の近くの水道橋施設に一部残されていた。文献によれば、土地の低いところはアーチ型水道橋で、山はトンネルで、長い距離を一定勾配を保ちながら水を引いていた。
 9.街の周囲は城壁で囲まれていた。現在わかっている範囲だけでも、街の面積は66万平方メートル、城壁は厚いレンガ積みの上に固いモルタルが塗られていた。東京ドームグラウンドの約50倍の広さだ。城壁があるおかげで外敵や猛獣に襲われる心配はないが、それでも街の中に泥棒はいたようで、玄関の入り口の床に「番犬注意」と書かれ、犬の絵のモザイクタイルが敷いてある家があった。
 10.ローマのコロッセウムのような円形闘技場がポンペイにもあった。ローマのものは5万人収容、ポンペイのものは2万人収容(別の本によると1万2千人、固定席と立見席の関係か)。そのほかに馬蹄形の野外劇場(5千人収容)もあった。野外劇場には、オーケストラボックスや貴賓席も備わっていた。また、隣接して2千人収容の劇場もあった。
 ちなみに、今年3月完成した長野パルセイロのホーム球場は収容人数1万5千人(改修整備費79億円)。またホクト文化ホール(県民文化会館)の大ホールの観客席数は2千人余だ。
以上、私の驚いたこと10個でした。
 ポンペイ遺跡のことを、日本の時代にあてはめて考えると、弥生時代ではなく、明治から大正、昭和にかけての時代とほぼ同レベルの文明・文化があったと考えざるを得ない。この時代に生きたパウロは、ポンペイよりも大都市であったローマの市民権を持つ者であり博学であったことから、彼の書いたものは、正確で精度の高いものと思われる。これらのことから、新約聖書は、現代に書かれたものとほぼ同じ正確さで当時の出来事を記録し伝えていると考えざるを得ないようになりました。

 新約聖書書簡の多くを書いたパウロについて、改めて調べてみました。
 ① ローマ帝国キリキヤ州のタルソ生まれ(今のトルコのタルスス)。生まれつきのローマ市民。ローマ市民には特別な市民権があり、千人隊長でさえ、パウロを鎖につないだことを恐れた。(使徒22:22~30)
 ② 育ちは、エルサレム。旧約聖書をガマリエルから学んだ。ガマリエルは当時すべての人に尊敬されていた律法学者でありパリサイ人であった。(使徒5:34、22:3)
 ③ 博学なことは、ローマから遣わされたユダヤ州総督のフェストも認めていた。(使徒26:24)
 ④ ギリシャ語、ヘブル語が流暢に話せた。(使徒21:37、22:2) そのほかに、ローマ市民であったことから公用語のラテン語も話せたと思われる。また、イスラエル北部地域で使われていたアラム語と、生まれ故郷のことば(現在のトルコのタルスス)も話せたのではないかと思われる。私は外国語がひとつも話せず、私にとっては非常に尊敬できることです。
 ⑤ 航海術についても、プロ並みの知識があったと思われる。(使徒27:9~44)
 ⑥ 本来の職業は、天幕作りであった。(使徒18:3)
 ⑦ 真実を語り、うそを言わない性格。(Ⅱコリント11:31、12:6)

 また、ポンペイについても少し調べてみました。
 ベスビオ火山の大噴火によって埋もれ、その後1748年に発掘され、現在も少しずつ発掘が続けられている。当時の人口については、諸説あるが、ウィキペディアによると約2万人だった。
 港町ポンペイは、商業都市として栄え、交易物資はアッピア街道を通ってローマに運ばれていた。
 ところがA.D.62年2月5日に、大地震が発生し、甚大な被害にあってしまった。ポンペイの住民は、以前よりも立派な街にしようと、すぐに頑丈な街づくりに着手しほぼ復興が終わった、A.D.79年8月24日午後1時頃ベスビオ火山が大噴火した。火山灰はその後も降り続いた。
 実は噴火の1週間程前から大きな地震が続いていたため、すでに多くの住民は気味悪がって、街から逃げ出していて、噴火の時には人口約2万人の1にあたる約2千人が残っていた。
 最初の噴火から約12時間後に大火砕流が発生し、火口から約10キロ離れていたポンペイの街を、一瞬の内にのみつくし、ほとんどの人は即死状態、わずかに地下室に逃げていた人たちのところにも火山ガスが流れ込んできて皆死んでしまった。(ちなみに飯綱山頂から長野福音教会まで約10キロ。)
 火山灰はその後も降り続け、厚さ数メートルにもなり、また、地盤の隆起も重なり、ポンペイはいつしか所在不明の地となってしまった。歴史の記録にはあったが、井戸を掘っていた人に偶然発見される1748年まで、その所在はわからなかった。
 現在では、当時の城壁内の街の3分の2ほどが発掘されている。
 ポンペイ遺跡の様子はだいたいこのようですが、聖書の黙示録が書かれる10年以上前に火山灰の中に埋まり、それが、現在、手つかずの状態で発掘され、目の前に出現するわけですから、まるでタイムマシンに乗って、聖書の書かれた時代に行き、当時の文化、習慣、生活様式などを目の当たりにするようでわくわくしました。
 新約聖書が書かれたローマ帝国時代の文化は、日本の弥生時代ではなく、現代とほぼ同じ生活レベルだったと考えるようになりました。神話ではなく、新聞記者が見た事、聞いたことを正確に記したレポートに近いものだと考えるようになりました。アポロ計画により有人月面着陸したのが46年前、東京オリンピック開催が50年前、私が水道局に入ったのが40年前、その時と同じ材質で上下水道がすでに完備されていたのがポンペイの街でした。

 2015年7月30日に思い出しながら書きました。

■「神様の設計図」   M.H.

 保険会社を辞めた時、医療系に就職しようと思ったのは、75歳で亡くなられた契約者がきっかけでした。「入院したから手続きしたい」というよくある電話から、「誰さんは元気か?」などと話すようになり。しかし病がすすみ、ご家族から死亡の連絡を受けました。お会いしたこともないのに、契約者宅を弔問したのは、後にも先にもこの方だけでした。ご家族からも温かい言葉を頂いてかえって恐縮しました。
 保険の手続き以外にも接点を持ちたいと思いはじめ、年月を経てようやく薬局に採用された。そして待ち構えていたのが「登録販売者」資格。(自治体に登録された一般医薬品販売従事者)「えっ、50歳近くになって勉強するの!」と思ったけれど、人参をぶら下げて勉強を始めました。薬事関係の法規やら取り扱い方などは睡魔との闘いでした。そのなかで、人体の仕組みは、神様の設計図の一部を見ている気がしました。内臓では、食べ物の消化や、消化酵素の分泌、果ては老廃物の排出まで考えられています。テキストの知識は、改めて認識することもあるし、初めて知ることも多い。神様がご自身の姿に似せて創られたヒト。その設計図は全て解明されてはいない。しかし、一部を見ただけでも、体を維持するためにこんなところまで考えられている!という驚きと感謝の連続です。お祈りに覚えていただきありがとうございました。なんとか合格しました。さらに、体の仕組みを学び、薬の役割を学んでいきたいと思います。
そして、この文章を書いていて、私がいかに高慢で思い上がりであったか示されました。特定の人に対して「私はこんなにもいろいろやってあげられた」と実感することはないのです。むしろ、もっと何かできたのではないかと自問する人のほうが多いのです。この仕事に就けば、相手に何かしてあげられるということはなく、けれども、その仕事なりにできることがあります。
 私も今与えられている場所で、できることを精一杯やっていこうと思います。

「前島常郎師の特別集会に出席して」   礎会(いしずえかい)

 11月8日、ホテルメトロポリタン長野内の中華料理店、皇華(ファンファー)にて、前島常郎師をお招きし「父の学校で学んだことなど」と関連し、「父の学校の紹介」、「家族の自死」、「里親会」についてのお話があり、9名が参加しましたので、その内容を要約して紹介いたします。
 「父の学校の紹介」では、父親として、夫としてあるべき姿とはなんなのかを中心に、今の社会が抱えている様々な問題は家庭から始まることが多くなっている。家庭の問題は父親に原因があるという認識の元、家庭のあり方と大切さを理解し、本来の家庭を蘇らせることを支援する活動ですと話されました。
 以下、前島師のお話しを抜粋したものです。
 今回、「父の学校で学んだことなど」というテーマで集会をお願いいたしましたが、まず私が信仰をどのようにもったかをお話ししましょう。1953年生まれの私は、現在62歳になりますけれども、高校3年生の時に近くの教会で宣教師がバイブルクラスを行っていることを聞きつけ、訪ねて行ったのがきっかけで信仰を持ちました。東京の大学に行き、1年生の時から教会のいろいろな諸集会に出席している時に、自分自身、神学校に行って聖書の勉強をしたいという気持ちが強くなってきたのを覚えております。神様は、そのような勉強をする機会を与えてくださいました。
 そして26歳のときに、同じ教会で奉仕していた北川晴美さんと出会い、1982年に結婚をいたしました。そして三人の娘に恵まれました。
 私は、8年前ですが、ファミリーフォーラムジャパンという団体で編集、翻訳等の仕事をしていましたが、内容的には宣教師のご指導のもとで家庭の問題について勉強させていただきました。「父の学校」に行ったきっかけは、編集の中の一つのテーマとして横浜にユニークな学校があるので、そこに取材に行ってくれないかとの依頼を受け興味を持って出かけました。そこには35名くらいのお父さんの受講生が参加しており、そのうち20数名が縦じまのユニホームを着て奉仕をしていました。これくらいの人数の壮年が教会に集まることは珍しいことです。研修は講義を聞いたり、グループでの分かち合いすることでした。
 この集会は神様を信じて家庭を築き、子どもを愛し妻を愛するということは、どういうことかを共に考える仲間であるとも思いました。その雰囲気は、ただ録音したり、記事を書いたり、それで終わりというには、あまりにも勿体無いと思いました。3日間の研修を終わって奥さん方の足を洗う洗足式があるということで、妻にも連絡を取って来ていただき、足を洗わせてもらいました。
 その中で、「あなたの奥さんの良いところを20個挙げてください。」・・・との問いかけがあり、「二つくらいは」との声・・・。あとは沈黙。私は、家族のことについてこんなに3日間考えたことはなかったとの思いで妻に対しても改めて感謝を持って20何年、一緒にいたことを恥ずかしがらないで言うことができました。仕事のために来た3日間であったが、自分はこの期間を通して素晴らしいプレゼントをいただいたと思いました。
 次に「自死」のことについてふれてみたいと思います。わたしが翻訳した一番新しい本『ミッチ-隠れた贈りもの-』ですが、クリスチャンカウンセラーであって、20歳の息子さんを自死で亡くされた。家庭の問題で子どもが家出したとか、死にたいとか、薬物にまきこまれたとか、家庭の相談を受ける立場の専門家が自分の子どもを助けられなかったと言う、ピストル自殺の体験、自分がどれほど苦しみ、そこからどのようにして立ち上がってきたかを書かれた本です。
私が、なぜ翻訳することになったかというと先ほど私自身の家庭に三人の娘が誕生したと言いましたがその内の一人を6年前に自死で失いました。皆さん長野市内でもクリスチャンで家族を自死で失った人は何人もいます。自死で失った娘は6年前看護師でした。駒ヶ根の看護大学を卒業すると大阪のキリスト教病院に勤務しましたが、病状が大変な方々が入院している所でした。そして上司との摩擦もあり、長野市に帰り、自宅で一緒に暮していました。時には夜眠れなくなり睡眠薬を服用していたようです。結局、死を自分で選ぶことになってしまった。私は、埼玉県で牧師をしていた時にそういう経験はあったが、いざ自分の娘に死なれてしまって、どうしてよいか分からない。何で、このような思いを父親にさせるのか怒りを感じました。自分がこのような病気を治したりする立場にいたにも関わらず自分の人生を破滅してしまうことに、この自分のどうしようもない気持ちをどこへもっていったらよいのか、どこにももっていきようがなかった。
 「11月初めの日曜日に、松本市中央公民館を会場にして、家族を自死で失った方々の分かち合いの集まりをしませんか」との記事を新聞に出しましたら、全く知らない人が大人19人、子ども1人が集まり、それ以来6年間、2ヶ月に一度、自助グループとして続けています。この会は簡単な規則があって、自死で家族を失ったものだけが来られる。そして、ここで聞いたことは、ここに留めておいて他では言わない。誰かにアドバイスすることはあっても、アドバイスは逆に人を傷つけてしまうことがあるから、ほどほどにして、とにかく自分の言いたいことを自由に言う。人の話は最後まで聞くという会です。今は涙が出なくなりましたが、時々胸が痛くなることがあります。現在、全国で自死遺族会連絡協議会という名前で東京と地方で行っています。
 次に、長野県の「里親の会」ですが、短く紹介させていただくと、私がなぜ里親をしているのか。それは大学時代に遡りますが、下宿をさせていただいたお宅が里親をしていました。下は幼児から上は中学生でした。私も教会学校の中学科の先生をしていましたが、世間知らずで自分の親と暮らせない子どもがこんなにいるんだということを知りませんでした。毎日、下宿でその子どもたちと食事をしていて、その里子たちのことを人ごととは思えなくなり、将来自分も結婚して家庭を持ったら、家庭のない子どもさんたちを預かる決心ができ、5年前、長野県知事の許可を得、最初は親と暮らせない子どもを1年くらい預かりましたが、一番長い子どもが長野児童擁護施設から、また5歳の子どもを短いときで1泊2日、2泊3日と、長い時で夏休み、冬休みを利用して、お預かりをしていいます。5歳の子どもも今では14歳になり、日程が合えば先日の長野福音教会の飯山のハイキングに参加させていただいております。日曜日は家庭で一緒に礼拝をさせています。暗唱聖句はよく覚えています。イエス様を信じて、このまま真っ直ぐ成長してもらいたいと思っています。

以上、先日おこなわれました前島常郎師の特別集会の内容を要約し3つに分け併記させていただきました。
 最後に、心に感じたこととして「父の学校の紹介」からは、父のあるべき姿とは、父が生きると家庭が生きること、家庭での父親の存在の大きさと奉仕へ参加することの大切さを知り、「家族の自死」については冊子『ミッチ-隠れた贈りもの-』の中から、自死遺族が抱える悩みや苦しみと苦悩に満ちた日々から新しい人生を歩みだす日々を知り、私たちの回りにも悲しみと苦悩の中にいる家族が大勢おられることをお聞きし胸が痛む思いでした。「里親会」についても両親、家族に会いたくても会えない幼児から中学生までを対象にした子どもたちを里親にお預けする親と子どもたちの切ない気持ちを体験談の中でお話してくださいました。里子にならざるを得ない子どもたちがその境遇を乗り越えて成長し、信仰を持って生活できることを願うものです。

2015年8月号

■巻頭言 「平和を祈る務め」  牧師 高橋宣広

 約二千年前、イエス様は天から降って来られました。神であられるお方が人となって、この地上を生きてくださいました。そして30歳になられてから3年半、弟子たちと共に国中を回られました。弟子たちをそばに置き、彼らが福音を宣べ伝える使徒となるように、教え導いてくださいました。マタイの福音書10章は、イエス様が弟子たちを各地に遣わされた出来事が記されています。実地訓練・伝道の実習を弟子たちにさせたのです。
 弟子たちは、行った先々でホームステイをさせてもらいながら、町や村で伝道をしました。
 そして「その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。」(10:12)とイエス様は弟子たちに教えます。
 「泊まらせていただいて、どうもありがとうございます。お世話になります」という挨拶もしたでしょうが、イエス様は、まずその家の平安、平和を祈りなさいとおっしゃるのです。
 「平安・平和」=ヘブル語では「シャローム」です。イスラエルの人たちにとって、「シャローム」は、「おはよう」、「こんにちは」のような一日中使うあいさつの言葉、祝福の言葉です。平和がありますように、主の平和がありますように、という意味です。
 このシャロームを、ただの挨拶として言うだけでなく、「祈りなさい」とおっしゃっています。イエス様の弟子であるという理由で、自分たちを受け入れてくれたこの人、この家庭に、神様の完全な平和がありますように。心から、心を込めて、そう祈りなさいと、主は求めています。
 昔も今も、私たちの周りの多くの方たちが、安心や平安を求めています。我が家に平和があるようにと祈り、私たちの夫婦関係に、親子関係に、職場の人間関係や学校の仲間たちとの間に、平和がありますようにと、祈らざるを得ません。そんな切なる願いや祈りをしなくてはいけないほど、傷ついた人たちがいて、傷ついた関係があります。
 また何よりも私の心に平安があるようにと、多くの人たちが祈り求めています。
 そして本当の安心、本当の平和は神様からしか来ないのです。 
  「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」エペソ2:14、15
 「あなたのために祈っています」、「あなたに神様の平和が来るように」、「あなたの家庭に神様の平安があるように心から祈っています」、そんな祈りを互いにささげていきましょう。

■「信州宣教区信徒セミナー(4月29日)―バビロン捕囚の70年と日本の教会―」   M.K.

 今年日本は戦後70年目を迎えた。バビロン捕囚も70年、ソビエト崩壊も70年、―この70年という年月にとても重いものを感じて、セミナーに参加した。
 山口陽一先生は、まず、戦中、聖書に従わず、国家神道体制に組み込まれて加担していった日本のキリスト教会の有り様を語られた。そしてダニエル書9章1節~19節より、バビロン捕囚の70年の終わりに近くなった頃のダニエルの行動をひも解いてくださった。ダニエルは、エレミヤ書を読み、バビロン捕囚の70年が満ちることを知る。普通ならそこで「もう少しで終わりだ。ハレルヤ!」と叫ぶところだが、ダニエルは父祖たちが犯した罪を深く示され、父祖たちの罪を自分の罪として悔い改めた。70年近い歳月を経ても、神の裁きを覚え、悔い改めを忘れなかった。そしてダニエルと3人の仲間の信仰を貫いた行動には、同じ罪を2度と犯してはならないという自覚と悔い改めがあった。
 日本の教会も戦時中の背きのために滅ぼされてもしかたがなかった。が、戦後も存続が許され、多くの宣教師が来日し、伝道が展開されたのは、神の憐みのゆえである。
 しかし、今この70年を迎えた時、日本は非常に危うい状態になって来ている。昨年の信徒セミナーの講師水草先生のお話も、やはりダニエル書から、現在の日本を大変危惧されたものだった。
 知らないうちに大きな渦に巻き込まれていくような怖さを感じる。もっと真剣に祈らなければいけないと思った矢先、新聞に『歴史に終止符ない』という見出しで、ドイツのメルケル首相の戦後70年で、過去と向き合う決意の記事が載っていた。
 ・・・・ナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)等を念頭に「われわれには注意深く敏感に対応する責務がある。歴史に終止符はない」。メルケル首相は、ドイツにあるユダヤ系の学校や幼稚園を警官が警備しなければならない現状は「恥」だと指摘。「歴史の知識は学校や社会で広めなければならない」と、歴史教育の重要性を強調した。戦後に移り住んだ移民に対しても、ドイツの「過去を共有する」よう求めた。(信毎5月3日第7面)・・・・・
 移民してドイツ人になった人にまで、過去の過ちをしっかり共有するとは、何と視点の定まったメッセージかと胸が熱くなった。
 同じことを繰り返さないためには、深い悔い改めと、目を覚まして、主であるキリストの言葉に聴き従うことが大事だと、あらためてダニエルの信仰から思わされた。

■「第二次大戦、70年前を追想して」   K.O.

 学徒出陣といえば明治神宮外苑のような広い場所を行進していく姿を想像しますが、その頃はもう、一人ひとり個々で入隊していきました。長野師範学校(信大教育学部の前身)は教員になる学校として徴兵延期になっていましたが。日本の敗戦の色が濃くなり2年の終わり頃の2月、陸・海軍の将校を募集していました。私は高所恐怖症なのにどういう弾みか航空隊へ志願してしまいました。高所恐怖症が気になりその試験日に欠席しました。軍のおとがめが来ると思いびくびくしておりました。なにもなく4ヶ月が過ぎ、遂にその年(終戦の年)7月1日に赤紙の通知が来て、金沢の九四部隊へ入隊しました。
 部隊は歩兵部隊で私の所属は連隊砲で長さ180センチ、太さ16センチくらいの大砲でした。歩兵部隊の後ろにいて、敵の戦車や、機関銃などをねらいました。この砲に1ヶ月の訓練を受け、その後、戦場へ送る計画でした。訓練は厳しく毎日軍服の袖まで汗でぬれ、夕方には毎日洗濯をしました。夜になって点呼があり、あつまり方が悪いとビンタをくらいました。我が班はよいほうで、隣の速射砲班は若い指導者だったので、毎晩のように全員にビンタをくらわせ、その音が聞こえました、その凄惨(せいさん)さはすごいものでした。
 部隊の中には3種類の人の血を吸う虫がいました。ノミ、シラミ、南京虫。今の人たちは、なじまない虫なので、説明しておきます。当時はD.D.T.等の殺虫剤はありません。取ってつぶすより仕方がありません。 
  1. ノミ、戦前はどこの家にもいました。黒褐色をしていて、下着の縫い目のところに住み、表にでるとぴょんぴょんと30cmくらい飛び逃げました。卵を産み繁殖しました。卵は地中へも産みすごい繁殖力でした。
  2. シラミ、下着の継ぎ目のところに隠れていて白色でした。そこに卵をたくさん産みました。動作がにぶく、簡単に捕まえることができました。女の子の頭にも付き頭の毛に鈴なりに卵を産みました。着物の場合は縫い目のところにおり、どんどん増えました。
  3. 南京虫、体長3~4ミリくらいで、マットの裏または隅に群がり、人が眠ると出てきて血を吸いました。逃げるのが速く捕まえることはできません。
 軍隊にはこの3つがおり、夜中に血を吸いに出てきました。しかし、日中の激しい訓練のため気にする事なく皆眠っていました。
 連隊砲の訓練は8月1日に終わりました。いよいよ本土決戦です。「私どもの部隊は千葉県あたりで戦うのであろう」とのうわさが流れました。国のため死ぬのはしかたがない。死ぬのなら故郷をもう一度見て死にたいなと思いました。  
 8月6日に新型爆弾(原爆)が広島に落ちました。私たちはそれに備え、タコつぼを営庭(えいてい) に掘りました。ソ連が8月9日、満州国の関東軍に参戦してきました。日本は弱くなり連戦連敗となり、8月15日終戦となりました。日本は既に慢性的な食料不足に陥り、皆やせ衰えて豆の入ったご飯軽く一杯で過ごしました。
 今、テレビを見ていると栄養たっぷりの美味しい料理の番組が毎日続いています。日本は平和な豊かな国になりました。この状態が長く続くとは限りません。中東から来る石油も戦いのため絶たれれば、すぐに日本に影響します。この豊かな国をお与えくださった神に感謝しなければなりません。世界には平和を愛する国々ばかりではりません、お互いに殺し合っている国があります。その国の人々に平和の尊さを教えるのでなく、伝えなければなりません。私たちは教会に来た外国人と話す機会があります。しかし、何人かの教会員に平和をいわれればその人はいやになってしまいます。

■「70年前の記憶の中の情景」   N.K.

 1945年8月15日、この日の情景は鮮明に今でも蘇ってくる。空は雲一つなく晴れ渡り、ジリジリと太陽が照りつけ暑い日だった。いつも最敬礼で奉安殿を通って登校していた天皇陛下の重大放送、皆ラジオの前に集まっていた。「耐え難きを耐え」だけで後は良く分からなかったが、大人たちは皆泣いていた。“戦争に負けた”大本営発表を信じ婦人会の母たちは消防団の法被を着て、本土決戦に備え竹やりの訓練に駆り出されていた。最後には神風が吹くと願っていた人々に、敗戦は受け入れ難い現実だった。
 幼かった私には、唯「戦争が終わって嬉しい。もうB29爆撃機も飛んでこない」という安堵感で一杯だった。生まれた時には日中戦争、2年後には真珠湾攻撃と戦時の毎日だったが、小学校以前の記憶はおぼろげだ。1年生に入学した頃には既に戦争も終わりに近かったが、長野にも空襲が有り警報は頻繁に出され、そのたび貯水池を急遽作り替えた防空壕に避難し、時には1年生だけ高等科の生徒に手を引かれ裏山の松林に逃げていた。体育館は軍の工場にするため床は剥ぎとられ、機械が運び込まれたが、稼働することなく暫く放置されていた。食糧事情は悪くなる一方で、校庭は硬い土が掘り起こされ、大豆やさつま芋、南瓜等が植えられていた。
 家では女子挺身隊から帰った叔母や、満州から引き揚げてきた叔父夫婦、東京から疎開してきた大伯父家族等で17人に増え、雑穀やさつま芋、南瓜の入ったご飯、時にはさつま芋だけの食事やすいとん、アカザ等の野草も食卓に上った。近くの家に身を寄せていたある姉妹が、栄養失調で亡くなった。
 国内外に多大な犠牲を強いて終わったこの戦争も体験者が減り、今この国の国是が変えられようとしている。国の指導者が間違った選択をしないよう主の導きをお祈りします。
「私の戦時体験」
髙桑 弘

 私達は、終戦前後の狭間に学生時代を送りました。そのため、体験も断片的でいろいろありました。学校では旧学制度。小学六年生と中学一年生のときでした。当時、北方の島々を望む北海道の東端、根室に住んでおりました。町は防備体制下、陸軍の兵隊が駐留し、夜は、灯火管制のもと街は全く行政の機能を失っておりました。
当時の北方海域は、アメリカとロシアの軍隊が蝟集(いしゅう) 。根室空爆の寸前にありました。私は、根室支庁管内西春別の軍馬補充部の園農従事を命じられ、十二名一組が長屋に起居し、毎日が馬の食糧である草刈り作業でした。日々、日本か、敵機か、わからないまま、戦闘機の爆音に脅えた自炊生活でした。眼の前で幾人もの労働者が銃弾に討たれ、死に絶えるのを見ました。
或る日のこと、宿舎が空爆のあらしにさらされ、山裾に掘られた防空壕に避難することになりました。壕は十メートル程の長さで、子供が五名程寝られる幅、真っ暗闇の中、敷物もなく、懐中電灯と土の匂いだけで三十余名が起居を共にしました。小便も壁の土を掘ったり、各自が工夫して用を足しました。着替えもなく、食べ物もお握り一個の日が続きました。壕の中は、炎熱のような形容しがたいもので、入り口近くの者と交代をして凌(しの)ぎました。
壕生活十日程。根室の街が空襲で全滅したとの報により帰根することになりました。が、辿(たど)り着いた街は火の海と化していました。私は、難を逃れた郊外の親戚の家に一時避難したのですが、燃え盛る町は、昼のない世界。このような世もあるのかと思いました。その後、北見町の農業をしていた親戚の家に疎開し、終戦を迎えることになったのです。

■「菜の花公園日帰りピクニック(飯山市)」   S.I. 

 薫風の5月5日(火)、サタデークラブで中高生を対象にした日帰りピクニックを企画して行ってまいりました。3人の中学生の乙女たちが参加してくれました。お昼は、北竜湖でポットラック形式で、持ち寄ったおいしいご馳走を食べました。湖の水は澄んでいて、乙女たちが入ってみたいというので、いっしょに裸足になって湖に入ってみました。とても気持ち良かったです。そのあと、バイブルストーリータイムをもちました。自然の中で神様と向き合うことのできる、いい時間だったと思います。
 それから文化北竜館という温泉に行きました。館内の休憩所でまったりしてから、菜の花公園に行きました。乙女たちは「花より団子」でかき氷に夢中でした(笑)(^○^)。サタデークラブの対象年齢は、小学6年生までですが、卒業して教会と縁が切れてしまうのはあまりにももったいないと思っています。これからも月1のペースで、中高生たちを対象にした行事を企画して、彼らとコンタクトをとっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

■「信州宣教区連合婦人会」   M.Y.

 5月19日(火)、新緑に囲まれた松原湖のチャペル。小鳥の囀(さえず)りを聞きながら、日常から切り離たれた恵みの時を喜びました。12教会69名の方たちが集まり、私たちの教会からは7人が参加しました。講師のベドウ路得子先生の賛美とみことばの講演会「いてくれてありがとう」がテーマでした。
  神はわれらの避け所、また力。
  苦しむとき、そこにある助け。
  それゆえ、われらは恐れない。
  たとい、地は変わり、山々が海のまなかに移ろうとも。
  たとい、その水が立ち騒ぎあわだっても。
  その水かさが増して山々が揺れ動いても。詩篇46:1―3
 未曽有の東日本大震災から4年が過ぎ、東北の被災地へ数十回にわたり物資支援とコンサートで慰問を続けておられ、その様子をお話しくださいました。「生きていてくれて良かった」といって会いに来てくれる友人を待つおばあさんの心境など、東北弁で対話の様子を一人芝居で上手に話されます。被災で生きがいを失った人に寄り添い励ましてくれる人の存在の大切さを知りました。また被災直後の映像を見ながら歌って下さった歌に、山本真理子先生(旧姓:布山)作詞による「悲しむ者と共に悲しみ、喜ぶ者と共に喜ぶ、そのような人になりたい」旨の曲も披露されました。 
 一番の圧巻は、映画の一部からイエス様が十字架を負って、ゴルゴタの丘へ行かれる様子や、釘づけられる槌(つち)の音などの映像は涙なくして見られませんでした。路得子先生ご夫妻の働きは神様が用いてくださっていて、ゴスペルコンサートと謳(うた)っても断られることがなく、教会を訪ねる人も起こされているそうです。お食事を共にしながらの親睦会は松原湖キャンプのシェフ方によるおいしいご馳走で豊かな交わりをしました。路得子先生に、昨年の地震の折に頂いたパンのお礼も申し上げることが出来ました。長距離を運転して下さった高橋先生、又、往復の車の中での交わり、S君も一緒に賑わしてくれて、とても楽しいひと時でした。有難うございました。

■「妙高キャンプの恵み」

 ユース(中学生以上)

  キャンプが楽しかった。水遊びが楽しみだ。人の欲はまちがった方向へいかせやすいということを知った。S.F.

  何事もチャレンジすれば成功につながると思った。王より家来のほうがえらい。王は「○○やれ」など命令できるが、それに従う家来のほうがえらい。A.Y.

  初めて聖書の詳しい話を聞いたり、読んだりしたけど、どれも考えると奥が広くてすごいためになった。どんな苦しい時でも神は助けてくれる。と聞いて、苦しい時でも前を向いてがんばろうと思った。M.A.

  「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者」にならないように、また、24節「神が彼らを(鳥)を養ってくださいます。」とある通りに、主に信頼して歩みたいと思いました。暑い熱いうまい楽しいキャンプでした。O.E.

  初めて聖書についてやったけど、最初よくわからなくて困ったけど、いい経験をしたと思う。また、聖書を勉強をするときはしっかりメモをとる。学校のキャンプとちがって、テレビも見れるしジュースも買えるし、おそくまでおきてられて、そういう解放感がよかった。S.T.

  聖書の話を聞いて神様や人のために役立つ夢を実現させたいと思った。部屋でトランプの大貧民をやったのが楽しかった。これたらまた来たい。Y.H.

  キャンプで途中で気持ちが悪くなって、はいて気持ちよかった。S.K.

  「来年はあの友達を連れて来よう!」との声が今年も聞こえました。今年は中高生の部も備えられて初参加の中学生も与えられ、聖書のことばを共に味わい、楽しく過ごすことができ感謝します。廣田信之先生(中野キリスト教会)

  廣田先生のメッセージとてもわかりやすかったです。基本的なことのお話でしたが、人に仕えることや人間社会の中で理不尽なことなどから心傷ついたり、イライラが止まらなかったり、また、自分の失敗に自分を責めたり人に当たったりとありますが、その気持ちもイエス様がわかってくださり、祈ることによって心鎮めてくださる、自分が変えられることを改めて教えてくださり感謝です。ありがとうございました。N.E.

  野の花は美しいけど、神様はそれ以上に私のことを心配してくださっていること、希望を捨ててはいけないことを強く思わされました。S.I.

  天に宝を積む生き方をしていきたいと思いました。今年も全ての事が守られ感謝いっぱいのキャンプでした。M.K.

  久しぶりのCamp参加でした。Youthのみんなのまじめな態度とてもよかったです。人のため、神様のため、これからの歩む道を考える良いチャンスになったと思います。みなさんのご奉仕、感謝します。Y.S.

  自分から神様に求め、また声をかけられたら(立ち上がりなさい。)すぐに応じられるよう、準備もしていきたい。「神様がやるべきことをあたえてくださってる。」神様から何を求められているか考えていきたい。神様の前で生きていることを意識し、神様の前で富む人でありたい。M.H.

  今回のキャンプのメッセージなどを通して、私が様々なことにおいてどれだけ自分中心に考えているのかということを知りました。いつも、人によく思われたいと人の目を気にしてばかりの私自身のおろかさを知りました。人にどう思われるかではなく神様がいつも私を見ていてくれていて、神様が喜んでくださることをしていきたいと思いました。M.E.

  日々の生活の中で、時々イエス様を忘れてしまうことがあったので、いつも神様のことを覚え、一緒に歩んでいきたいなあと思いました。今回のキャンプでダンスを通して参加することができ本当に良かったです。M.S.

 キッズ(幼・小学科)

  BIBLE TIME WAS FUN! FOOD WAS YUMMY!(聖書の時間は楽しみだった!食事が美味しかった!)(栗太(クリフト)先生:飯山聖書センター)

  子どもと話し合うこと。子どもの劇の返答を聞くこと。りっぱなスタッフにお会いできること。メアリー先生(飯山聖書センター)

  げきがうまくて話がよくわかった。また、話で新たなことがわかるようになった。話の最後のまとめで話し合っていろんなことを考えることができた。H.Y.

  お話のげきがとても上手でした。よくわかりました。キャンプでイエス様のことがよくわかったのでよかったです。楽しかったのはまくら投げでした。S.H.

  クリフト先生ご夫妻の3回のお話はよく準備されていてとてもわかりやすかったです。バアルの神と主のお話は、神は主しかいない、他の神はいないことがよくわかった。(エキストラ、楽しかった。)H.T.

  先生の劇がとても楽しくてわかりやすかったです。参加させてもらえてよかったです。M.Y.

  お泊りが楽しかった。お友達といっぱい遊んで楽しかったです。川遊びも楽しいといいな。Y.S.

  クリフト先生ご夫妻の劇がとても上手でおもしろく、子どもも大人もわかりやすかったです。罪人の私たちを愛して下さっている神様の愛をもう一度知ることができました。1年経ち、心も体も成長した子どもたちとまた再会でき一緒に過ごせて楽しかったです。R.T.

  げきがおもしろかった。げきを手伝うのもおもしろかった。M.K.

  イエス様のことがよく分かって楽しかったです。A.K.

  ねるのがたのしい。N.S. 

  しょくどうのくまちゃんにさわるのがたのしかった。M.S.

  クリフト先生ご夫妻のすばらしいドラマ(演劇)にひきこまれました。大道具や衣装も手がこんでいて子どもたちにもわかりやすかったです。N.S. 

  クリフト先生ご夫妻の劇がとてもわかりやすくて楽しかったです。みんながお手伝いをして劇を作り上げているのがよかったです。みんなお話をよく聞いていて、よくわかってうれしかったです。S.K.

  クリフト先生とメアリー先生による聖書劇が大変すばらしく、みんなひきこまれました。英語の賛美歌や聖書クイズなどもあり、イエス様の愛を自らのこととして覚えることができました。高橋宣広

2015年4月号

■巻頭言 「人は新しく生まれなければ」  牧師 高橋宣広

 ヨハネの福音書3章に登場するニコデモは、パリサイという派に属する宗教家でした。「パリサイ」という言葉は、「分離された者」という意味です。この世の汚れから自らを分離し、聖く正しく歩もうと真剣に生きて来ました。またニコデモはユダヤ人の指導者=国の最高議会の議員でした。人々から信頼され、尊敬され、地位も名誉も得ていました。そのニコデモが、ある晩、イエス様のもとを訪ねます。 
 ニコデモは、「人は、老年になっていて」(3:4)と語っています。年齢を重ね、身体の弱さも覚えるようになり、自らの死がそう遠くないことを感じていました。聖書や様々な知識に秀で、人生経験豊かなニコデモでしたが、死後どうなるのか分からず、平安を見出せずにいました。天国に入れる確信がなく、不安を抱えていました。イエス様は、そんなニコデモの心の内にあった本当の求めに目を留めてくださいました。そして語りかけてくださいます。
 「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(3:3)
 ここでの「新しく」という言葉には「上から」という意味もあります。上から生まれなければ、つまり神様によって生まれるということです。ニコデモのこれまでの生き方は、努力して神様に認められようとしてきた歩みでした。これまでの価値観は、一生懸命がんばって、神の国に入って行こうというものでした。
 しかし私たち人間の救いは、そういった下から上へのアプローチ、人間の側から神様の側へという方向ではないのです。反対に、上から生まれる、神様によって新生させられることを通してでなければ、あなたは神の国を見ることができないと言われるのです。
 それは、「水と御霊によって生まれ」ることだと、イエス様は教えてくださいます(3:5)。水とは、私たちがクリスチャンとされた時のバプテスマ・洗礼です。頭に水の滴をかけられたり、身体全体を水に浸されたりする。それは古い自分=罪に染まった自分が、溺死させられていくことを意味しています。そして、十字架で私たちの罪の身代わりに死んでくださったイエス様につなげられ、水の中から出されて、私たちは、イエス様と共に新しい人生・新しいいのちを生きるのです。
 この新生=私たちの救いのすべての場面に、御霊なる神が伴っていてくださいます。御霊が私たちの心に働きかけてくださっています。
 この時まで、ニコデモにとっての宗教は、外面をとりつくろうものでした。熱心に律法を守り、良い行いに励み、立派な宗教家となって、神様に喜ばれようと心がけていました。けれどもニコデモには、救いの確信がありませんでした。イエス様はニコデモに、「あなたが何をしたかではなく、あなたの内側に働いてくださる聖霊の働きが大事なのだ。その聖霊の働きに対して、あなたがどのように応答していくかが大事なのだ」と語っておられるのです。
 キリストの十字架の贖いの死によって、私たちの救いが成就しました。神様からの一方的な恵みにとして与えられる救いが用意されています。ただ主の憐れみによって、私たちには永遠のいのちが与えられます。この上からの救い、上からの新生を、御霊によって知らされる時、私たちが、どのように応答していくのか? それを信じて、「ください」と手をさし伸ばすのか、それとも、「そんなことありえない」と拒絶したり、無視したりするのか。そのどちらかです。永遠のいのちにつながる大事な選択です。良き選択をしていきましょう。

■「証し」   H.T.

 謹むで天の神様を讃美いたします。
 私は、北海道根室市で旅館業を営む父の長男として生まれ、姉が六人の末っ子。小学生の時に大空襲があり、家を焼かれ、北見市に疎開、幾多の変遷を経て再び根室に戻り、高校卒業後、海上保安庁の事務職員として入庁、小樽等を転勤し、退職。札幌市に居住しました。家は代代仏教徒でしたが、拝み、頼み、法要等の一切は、世間の慣習に従って営み続けて参りました。果たして、このことが本当の信仰と云えるのだろうか。ふと考える時がしばしばあり、今考えると真の信心とは云えず、形骸的、世襲性の強いものだと思ってをります。
 退職後、七十才を過ぎた頃から、数々の病を得、中でも心臓病を患い、死と向き合い、その際に信仰心の気持ちが芽生え、永遠にして不死なる生命は、キリスト教の神のうちにしか見出せないことを知りました。
 そのことを知ってから、書架にキリスト教の冊子があったので、改めて眼を通しました。神様を知り、イエス様がキリスト(救い主)だと信じたのは、この時でした。
 そうした或る日、妻に促され、札幌の教会であるグレース・コミニティや、その中の家の教会に通い始め、聖書を学ぶようになりました。
 また吾が家では、週に一度、家のリーダー二名による学びが始まり、三冊のテキストを学び終えることができました。学びは楽しく、病気のことも忘れることができたように思います。教会では、日曜礼拝のほか、夫婦で学ぶアルファ・コースもあり、これにも参加、牧師夫人が、吾が家に来て一刻の学びをする等、毎日が感謝の心で満たされるようになりました。
 私は、生来、神経質な性格で、悩むでもしようがないことをあれこれと考え、眠れぬ日が多くありました。こんな私を慰めてくれた御言葉が、マタイの福音書6章34節「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」また、ヤベツの祈りを知り、私の朝の祈りとしてをりました。歴代誌第一の4章10節「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が、私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことがないようにしてくださいますように。」
 長野市に転住後は、縁があって、長野福音教会に通うことができ、皆さんの面倒を頂きながら、楽しい日々を過ごしております。
 今後は、聖書の最も確かな証言の集成である使徒信条を目途に生きようと願ってをります。皆さんに厚く感謝申し上げます。

■「救いの証し」   Y.T.

 4年前の2011年暮に、私と夫は住み慣れた札幌を離れ、長野市に引越して参りました。高齢の私たちにとって、大きな重い決断でしたが、この長野の地に骨を埋める覚悟でおります。8年程前、夫が狭心症を患い、病後の不安定な精神状態が続いておりましたが、そんな夫の心を励ましてくれたのが、姪のYさんでした。北見めぐみ教会のクリスチャンです。ある日、Yさんの紹介で同じ教会のM.Y.さんが我家を訪ねて下さいました。
 その頃の私達は、2人の息子がそれぞれ独立して、東京と長野に暮すようになっており、夫の退職後は、旅行をしたり、それぞれに趣味を楽しみながら、穏やかな老後生活を送っておりました。私はサークルやカルチャー教室に入り、結構打ち込んで、趣味活動中心の生活になっていました。家事も手を抜いてはならないと思い、忙しい毎日でした。はじめは理解してくれていた夫でしたが、病後は家に居ることが多くなり、次第に私が外出することを快く思わない様子でした。それでも私は趣味活動はやめられませんでした。自分らしく生きたい。もっと自由に好きなことをしたい、と思っていました。夫の気持ちも考えず、自己中心の行動がエスカレートして行く中で、心の中はいつも虚しく、ただひとりで生きている様に感じていました。 
 そんな時に出逢ったのがM.Y.さんでした。彼女は親身になって話を聞いて下さり、「二人の間の問題は、イエス・キリストによってのみ解決されます。」と言われ、二人で教会に行くことを勧めて下さいました。それぞれに、不安や淋しさで心ふさがれていた私たちは「グレースコミュニティ」という教会に導かれました。M.Y.さんはその後3年間、月に1度我家に来て下さり、親しく交わり聖書の学びをして下さいました。私は、毎週礼拝に出席し、「家の教会」の集まりに集うことを通して、神様がおられることを感じ、聖書の神様がただひとりの神様であることを確信致しました。聖書を学ぶことで、この神様がすべてを造られ、罪を持って生まれた私達を救うためにイエス様を地上に送って下さったこと、イエス様が十字架にかけられ、死んで三日目に復活し、弟子や人々と共に暮らし、天に昇られたこと、そして現在聖霊によって私達を励まして下さっていること、イエス様が再び地上に来られるという約束があることを知り、歴史的にも矛盾のない真実として受け入れることができました。
 数ヶ月後、礼拝堂で聖餐式があり、イエス様から招かれていることを感じ、パンとぶどう液を受け取ることができました。ローマ人への手紙10章9節、10節「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」このみことばによります。
 半年程経って夫が教会に行かなくなりました。家の教会の集りではいつも私たちのことが熱心に祈られていました。私自身は夫のことはなかなか祈ることができませんでした。親から受け継いだ慣習のことで意見が対立し、口論になることもあり、相手を憎んだり荒い言葉に対して、更に強い言葉を返したり、夫に従えない私でした。
 祈れない私にS牧師は、「神様に自分の重荷をあけ渡し、もっと神に拠り頼むこと、問題点が問題なのではなく、自分が変わることが大切。相手は変えられない。」と教えて下さいました。
 みことばを通して神様は一番大切なことは、主を愛すること、二番目は隣人を愛することであると教えておられます。又、人を裁いてはいけません。自分が裁かれないためであると戒めておられます。
 自分は本当に冷たく、愛がない罪深い者だと気づかされました。「妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。」(ペテロの手紙第Ⅰ3:1)、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」(使徒の働き16:31)
 まだ私はほとんど変わっていませんが、神様は私の中に少しずつ変化を与えて下さっています。約束のみことばに希望を持って歩んで行きたいと思います。
 今でも祈り続けて下さっているグレースコミュニティの皆さん、北見のM.Y.さん、Yさん、そして私達をたちかく受け入れて下さっている長野福音教会の皆様に心から感謝申し上げます。

■「背中に主の視線を感じながら」   S.Y.

 この度、礎会(旧アダム会)の会長を仰せつかりました。私はまだ長野福音教会に加わってから日は浅く、会衆の歴史や諸先輩方にもまだ疎く、さらには仕事の関係で礼拝に出席できない日も多い者ですが、皆様方にご指導ご援助いただきながら役割を勤めさせていただきたいと思います。宜しくお願いいたします。
 諸先輩方が当然のようにして日々の信仰生活で示して来られたことだと思いますが、礎会の壮年男性の立つ位置に関して、新人として改めて考えてみます。礎会の壮年男性の多くは、外に仕事を持っている、あるいは持っていた方々です。日々の生活のうち多くの時間を、教会外の人々、お金やモノ、作物や作品といった「この世」と共に過ごしております。良くも悪くも、それが主に与えられた私達の持ち場です。そうした「この世」において、私達はどちらを向いて日々過ごしているでしょう。ひたすら主の方を向く? そして「この世」の人々に背を向ける? いいえ、そういうものでもないでしょう。だいたい「この世」だって、主に造られ主に愛されている被造物なのですから。
 おそらく私達は、主の視線を背中に意識しながら、「この世」に対峙するものなのでしょう。主に救われていることを確信し、主に支えられていることを確信して、この世に真正面から向かい合うものなのでしょう。この世の方々の側から見れば、私達の姿越しに、後ろにおられる主が見えるかもしれません。そうであれば、私達の姿は、あまり重厚ではなく、ほどほどに透けて、後ろの主が見える方がよろしい。そのような者として、主を背中に、人々の側を向いて、この世におけるそれぞれの持ち場にありたいと思います。日々の姿が、主が居られることを証ししているものでありたいと思います。
 それでも教会では、ちょっと向きを変えて、兄弟姉妹と共に主を見上げ、共にみことばから学び、共に主を賛美して過ごしたいものです。いいえ、実は向きをクルクル変えているのでも何でもなく、この世に向かうことも主を見上げることも、こうしたこと全体が、主に付き従うことなのだろうと思います。
 共に主に従い歩んで行きたいと思います。皆様宜しくお願い申し上げます。

■「泉会の会長を承って」   N.E.                       

 今年度、泉会の会長を務めさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。私は、役員等々があったので、ここしばらくほとんど泉会には出席していませんでした。「今年は負担の軽い奉仕をやらせてもらい、少しずつ復帰していこうかな」などと考えていた矢先、ご指名いただいた3人の話し合いの場でなかなか会長が決まらず、そのときに「じゃあ、私やります。」と、うっかり口をすべらせてしまいました。後になって”お二人のどちらかにやっていただけばよかった。私には荷が重過ぎる・・”と、とても後悔しましたが、あとの祭りでした(笑)。
 泉会には、年齢に関係なくお若い方が多くおられます。私よりもずっと年上なのに、”年齢不詳”と思えるほどはつらつとしていて、いろいろなことに興味を持ち、チャレンジ精神も旺盛な方々もおられます。そして、みなさまが多才でいらっしゃることに驚くことがあります。私は今のところ、特に趣味もなく、これといって得意なこともありませんが、神様に祈りつつ、みなさまにお支えいただきアイデアをいただきながら、役員3人で力を合わせて乗り切りたいと思っています。

■「新役員に選ばれて」   R.T.

 この教会で礼拝を守っていくなら、いつか役員に選ばれる日が来るのかなあと、うっすらと感じていたのですが、まさかこんなにも早くその日がやって来るとは思いませんでした。何の取り柄もないこの私がなぜ選ばれたのでしょう。もし今、適任の方が現れたらすぐにでも喜んでその方にお譲りしたい気持ちで一杯です。いつでもお待ちしています!
 まだ役員に選ばれたからといってなんのお手伝いもできていませんし、全く実感もありません。一体私に何ができるのかわかりませんが、このような者をお選びになった神様に全てを委ねて、自分なりに一生懸命仕えていけたらと思います。教会員の皆様には忍耐強く見守っていただくことになるかもしれません。すみません。このような者のためにもお祈りしていただけたら幸いです。

■「22億回の鼓動」   T.K.

 私は60歳となり、35間務めた盲学校を退職しました。ちょっぴりおセンチになり、静まっていたら、やけに心臓の鼓動が気になりました。そこで、心臓の働きを計算してみました。
 心臓は1日に約10万回拍動しています。1年で3650万回、60歳だとなんと22億回にもなります。そこには、色々な思い出が詰まっています。嬉しかったときも、悲しかったときも、怒ったときも、笑ったときも、そして恋してときめいたときも、その場面場面で心臓は鼓動の仕方を変えつつも、心拍数を重ねてきました。心臓は目が見えても見えなくても、それは有頂天のときも絶望のどん底にいても、生きろ生きろとばかりに60兆個の細胞に血液を供給しているのです。その血液量は、1日6000リットル(ドラム缶30本分)におよぶのです。この命の営みを愛おしく思いませんか!命を大切にして下さい!(川崎市の少年事件を思いつつ)自分の命を大切にするように隣人の命をも大切にして下さい。(あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。マタイ19:19) 
 今後の歩みとして按摩・はり・灸の「くらし三療院」を開きます。場所は長野運動公園の北側です。よろしかったら一度お越しください。

■詩とエッセイの投稿  『Quiet Fire (静かなる炎) 』 K.I.1986年

 よどみの中に沈むほど
 色こく映る黒い影
 闇のなかまでに
 さらに深い孤独があったとは…

 それでも私は
 信じていました
 たとえ絶望のなかに
 立ちすくみ
 弱々しい心を
 ふるわせていても…

 あなたを知る前に
 私はどれほどのものに
 すがってきたのでしょう
 どれも私が手を伸ばすだけ
 私を引き抜いて
 ささえてくれる手を
 それらのものは持ち合わせない

 あなたを知ってから
 ほんとうのあなたを
 受け止めた時から
 すべてが生まれ変わりました
 私の心に巣くっていた
 孤独は洗い流され
 光が差し込んできたのです

 空白の大地は
 輝けるものとなり
 空白の空には
 青さがよみがえる

 空白の心は
 光に満ち
 空白の愛には
 灯が燃えはじめる

 すべてを感謝し
 讃美いたします
 アーメン


 この詩は聖書を読むようになり、教会に通い始めた高1の頃に、はじめての信仰告白のような詩として書いたものです。
 詩作は中2ぐらいから自ら始めていた気がします。夢うつつ、孤独に悩み、まどろんでいた若き日々の幻影のような詩から、全く変わって、イエス様にめぐり逢えた希望、まだ洗礼を受けていなくても、心の目が開かれた喜びの詩となっています。
 あるフランスの映画俳優が、孤独を好み、話すのは一対一がよいという文学青年でしたが、「神は苦しんだ者の前に現れる。孤独を知らなければ、神の愛は分からない」という意味の言葉を述べています。
 何が一番至福の時かといえば、お祈りもそうですが、作曲をした(ゴチャゴチャと頭を悩ませつつ)作品を、好きな音楽を聴きながら、清書をする時です。
 「文字好きの君」と友人は認定してくれました。紙とペンがあれば、何かしらコチョコチョと書いてしまいます。
 作曲の清書はかなり数学的な頭を使います。小学生の算数も分からない私が、多少なりとも音楽の中では頭を使って、何とかこなしています。5分ぐらいの曲でも3時間ぐらいかかる時もあり、苦心して作ると半日以上かかります。
 今は録音物もたくさんあり、使いこなすのも簡単になってきました。だけど私は、「ベートーヴェンの自筆原稿、オークションで2億円」、なんという話がとても好きです。あのエルヴィス・プレスリーの愛用のバイブルも、オークションされたそうですね。
 私は「リードシート」というもの(メロディにコードネームを付けたもの)に - ジャズなどはあんなに複雑なのに、リードシートの場合は、4分音符を一つひとつ(1小節に4個)として、簡単に記し、タイム感やアドリブは、それを基にして、自己流でよいという、なんというか優しいのか、意地が悪いのか?分からないのですが - 訓練として書いています。
 讃美歌や聖歌のように詞の付いている作品は、本当に四苦八苦です。ポピュラーにしたり、男声・女声に分けたりするのは、うちの旦那に歌ってもらって、またゴチョゴチョと書き改めたりします。私はノンクリスチャンにもクリスチャンにも響く中間の音楽を目指しています。
 頭の中で書けず、楽器を基にしないとできないのですが、産みの苦しみの後には、ひとつのことを達成できたよろこびがありますよ。
(-ただ捕えようとして、追求している-ピリピ3:12)

2015年2月号

■巻頭言 「たとい山々が移っても」  牧師 高橋宣広

 2015年、長野福音教会に与えられた主題聖句はイザヤ書54章10節です。このみことばは、美しい対句になっています。
  たとい 山々が移っても  ―  神様の変わらない愛は、あなたから移らない
  丘 が動いても  ―  神様の平和の契約は、動かない
 神様の「愛」は、神様の誠実さ、真実さと結び付いています。永遠に変わることのないお方が、ご自身の契約を守り通してくださるのです。この世界に何が起ころうとも、私たちに対する主の愛は変わることなく、主は私たちに平和を与えてくださるのです!私たちが生きている世界は、驚くほどのスピードで変化し続けています。しかし、神様の救いのご計画は永遠に変わることがありません。
 ローマ人への手紙8:32には、「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方」とあります。父なる神様は、一番大切なひとり子イエス様を、私たちに与えてくださいました。しかも、安心して任せられる人にではなく、危険極まりない世界とそこに住む人々に対してです。その命を、むごたらしく奪い取る(十字架に付けて殺すような)この世界に向けて、ひとり子をお与えになったのです!
 神様のこの愛を見失うことなく、信じて歩んで行きましょう!神様からの語りかけ=みことばに集中して歩んで行きましょう!神様が私たちになしてくださること=主の御業を敏感に感じ取って行きましょう!
 そして、誠実なるお方に、私たちも精一杯の誠実さをもってお応えしていきたいと思います。私たちを愛してくださるお方が喜んでくださるように 真心から主を礼拝し、仕えていきたいと思います。
 昨年、私たちの周りで起きた天変地異を思い出す時、この国は、いつどんな恐ろしい災いが起こってもおかしくないと実感させられます。ゲリラ豪雨、スーパー台風、スーパー低気圧、土砂災害、大雪、火山噴火、地震などなど…これまでも、この国はそうした天災と向き合ってきたのでしょうが、それでも私たちが経験してこなかったようなことが次々に起きています。
 山々が移り、丘が動くようなことが、今年は起こらないとは言えません。油断はできません。また、私たちの日常においても、山々が動かされ、丘が動くような試練が、今年も待っているかもしれません。不動の山・丘と思っていたものが、揺さぶられたり、奪われたりするかもしれません。
 それでも、- 山々が移るような辛い現実の中にあっても、神の変わらない愛はあなたから移らない。丘が動くような信じられない出来事の中にいても、神の平和の契約は動かない ―神様のこの約束を信じ、握りしめ、今年も歩んで行きましょう。そして、このみことばが真実であることを、今年も体験していきましょう。
 今年も長野福音教会の皆さんが、「この教会に集っていて良かった」と、教会の中で 神様の変わらない愛を体験し、神様の変わらない平和を味わってほしいと心から願っています。互いを思い、互いに祈り、互いに仕えていく、真実な交わりを築いていきましょう。

■「心温まるクリスマスコンサート~泉会役員として~」  R.A.

 昨年11月の終わりに、泉会主催のクリスマス会が行われました。今年は、中野市在住のチェロ奏者・原香恋さんと、長野市浅川のピアニスト・武井純子さんをお招きしてのコンサートになりました。原さんは幼い頃から聖公会の会員であり、5月の教会バザーに来会された時に、高橋先生にご自分のコンサートのお知らせをしていかれたこと、また武井さんのお嬢さんがサタデークラブに参加した経験があることなど、お二人とも教会とつながりがあり、今回のコンサートはそこからすでに神様の導きの中にあったように感じます。そんなわけで、午前の部はコンサート、午後の部は軽食での交わりということに決まりました。会長のKさんを中心に、祈りつつ準備を進めました。
 当日も、泉会のみなさんがそれぞれの賜物で協力してくださり、嬉しかったです。お二人に渡す花束や、昼食のサンドイッチが届くたびに、気持ちがどんどん温まり、ワクワクしてきました。私はプログラムを作成する係だったので、原稿の中に大好きな「You raise me up」を見つけたときは、「この曲をチェロで演奏すると、どんな感じになるのだろう。」と、とても楽しみでした。原さんと武井さんは、会堂のピアノの音の状態から、それにふさわしい演目を選んでくださったり、入念にリハーサルを重ねてくださったり、そのプロ意識はさすがだなと思います。チェロの音色は、耳に優しく、ふんわりと包まれるようでした。ピアノとの調和もすばらしく、その響きはとても心地よいものでした。教会員を含めて52名の方が与えられ、午後の交わりも和やかに行うことができました。初めから終わりまで神様に守られたことに感謝します。

■「NaECクリスマスパーティーに参加して-聖歌隊とともに-」  E.Y.

 2014年12月7日(日)、ホテル国際21(藤の間)にて、2014年のNaECクリスマスパーティーが開催されました。私にとって、前年に続く2度目の参加でした。2度とも、このパーティーの場において、わが長野福音教会の聖歌隊が賛美するという役割があり、聖歌隊の一員としての参加でした。とはいえ、2年目になると、見た事のある顔が増えており、親しみを感じます。
 今年も北村喜彦先生(長野聖書教会)が開会の挨拶をされ、全員で「もろびとこぞりて」を賛美しました。クリフト・ピーター先生(飯山聖書センター)の聖書のことばを引いてのお祈りに一同心をあわせて祈りました。その後、食事としばしの歓談の時を持ちました。食事の後すぐに、私たちの賛美です。今年は、「若葉の里」と「光りあれ」の2曲を賛美しました。その後、有志によるさんびフラダンス、長野めぐみ教会によるコカリナ演奏と発表があり、安海靖郎先生のメッセ-ジ、最後に「きよしこの夜」を全員で賛美し、北村会長の挨拶をもって散会となりました。
 聖歌隊あってのNaECクリスマスパーティー参加でしたが、聖歌隊は2015年度に活動を縮小することになりました。私は、水曜日の練習には参加できず、毎月の第四主日礼拝後の練習にも欠席せざるを得ない時もあるような隊員ですが、聖歌隊の活動では大切なことを多々教えていただきました。その中でもっとも印象に残っているのは、常に歌詞からどういう情景を詠っているのか想像すること、その情景に合うような歌い方はどうか、どうすればそのように歌えるか、を教えていただき練習したことです。
 「礼拝音楽をどうするかは、そのことで教会が分裂するくらい重要なことだ」と滞米中に通っていた教会の長老に教えられたことかあります。そんなことばを思い出すことになった2014年のクリスマスでした。

■「楽しかった!ゴスペルコンサート」  N.S.

 4年目になるゴスペルコンサート! 
 6月からの半年間、月1回の藤崎恵美子先生ことエミ先生のきびしく、おっかなく?でも、笑いありのレッスンに耐え?クワイヤーは12月のコンサートに向け歌を覚えます。私の場合ボケ気味の頭に英語の歌詞と曲をたたきこむのに毎回ヘロヘロですが、脳の活性化にはよいことかな?と思い頑張りました。6~7曲ぐらい英語で歌うのですが、日本語の訳があるのでその意味をかみしめながら歌います。でも、意味を知れば知るほど涙があふれだします。神さまの私たちに対する愛の深さ、神さまが私たちの罪のために十字架上でどれほどの苦しみをしてくださったか。
   I’ll never Know how much it cost  わたしには決してわからないだろう。
   To see my sin upon that cross.   十字架の上で 私の罪のために
   I’ll never know how much it cost   どれほどの代価が支払われたのかを
   To see my sin upon that cross   私の罪のために主が払われた犠牲がどれほどのものかを私は理解出来ないでしょう
 もう、感謝しかありません。前回から、ピアノ、ドラム、ベースも加わりバージョンアップ!少々声がずれても大丈夫、一流のバンドが補ってくれました。何よりもクリスチャンではない人達と共に神様を力一杯賛美できるのが楽しいです。やみつきになるゴスペル。今年は、あなたも一緒に歌いませんか?

■「子どもクリスマス会」  K.T.

 12月20日にウィングスとサタデークラブ主催の子どもクリスマス会が行われました。当日は27人の子どもたちと、8人の大人が付き添って参加されました。近隣の子どもたちの他に、豊野や中野からも来てくれたり、「週刊長野」のお知らせ欄を見て知ったと、初めて来られた親子もいて、感謝でした。
 まず2階の礼拝堂でクリスマスの賛美をし、クリスマス物語のDVD「おめでとうイエスさま」を鑑賞しました。小学生未満の小さな子どもたちも何人かいたのですが、アニメーションだったので、まるで人気アニメのテレビ番組を見ているかのように、みんな真剣に見ていました。続いて、高橋先生が「今日は、みんなはどうやってこの教会に来てくれたのかな?船や飛行機で来たってお友だちはいるかな?」と、おもしろい質問から始まって、神であられるお方がどのようにしてこの地上に来てくださったか、またイエス様ってどんなお方かを分かりやすく話してくださり、子どもたちも一緒に来ていた大人たちも静かに真剣に耳を傾け、聴いていました。
 高橋先生のお祈りの後、全員で1階に下りて、万年カレンダーづくりをしました。大人にも参加してもらい、御言葉の書かれたカレンダーのボードに、シールやマスキングテープ、リボンなどを使って、思い思いに飾り付けをしてもらい、一人ひとりがオリジナルのカレンダーを作り、家に持ち帰りました。
 工作の後は、子どもたち待望のくじ引きでした。今年こそは「当たるといいな!」と期待して来ている子どもたちにとっては、ドキドキの瞬間です。最後は、リズ先生がアメリカから持って来た杖の形をしたキャンディを見せながら、その作られた意味(キリストの贖罪を表している)を説明して、一人ひとりに手渡ししました。
 この福音の種が蒔かれた方たちのために、皆さんのお祈りのサポートをよろしくお願いします!

■信仰書から  『みことばを生きる - 聖書的霊性の理解-』(遠藤勝信、いのちのことば社、2012年、15~18ページ)

 イエスは、私たち人間が経験するあらゆる悪魔の誘惑を受けるために、荒野に出て行かれました。それは、何よりも人として来られたお方として、私たち人間が直面する内面の様々な葛藤(かっとう)と向き合うためでした。そのために、ひとり荒野に退(しりぞ)かれたのです。イエスの公(こう)生涯(しょうがい)の第一歩が、まずそこから歩み出されていることに目を向けましょう。
 ヘルムート・ティーリケというドイツの神学者が、私たち人間の内面の問題について、次のように洞察(どうさつ)しています。
  「(人間は)神に対して不真実になろうという気持ちをいつも持っていることです。今にも神から自由になろうと、絶えず身構えていることです。別な言い方をすれば、絶えず神に対する疑いをもって生きていることです。」 (『神と悪魔の間』ヨルダン社、5ページ)
この本性、すなわち「神から自由になろうというこの願望は、人間の最も深い憧(あこが)れであり、これは神を慕い求める憧れよりも大きいのです」(同書、21ページ)と。
 この神学者の洞察に、はっとさせられました。私たちが、これまであまりに軽く考え過ぎてきた何かについて、またしっかりと向き合ってこなかった点について、ティーリケは向き合おうとしています。私たちの心の中には、神に対して誠実でありたい、神に信頼し神の導きに委ねて歩みたいという願いが確かにあります。そして、その願いこそが自分の本心であるという前提に立って、そこからそれを妨げる様々な要因を見つめようとしています。-
 本当は、自分のうちには良いものがあるのだけれど、それが不本意な形で妨(さまた)げを受けているという理解です。そして、そのような理解に立つとき、私たちは自分自身の問題と向き合うよりは、私たちを罪へと誘(さそ)ったもの、また私たちの妨げとなったものに関心を向けているのです。あたかも私は、「悪魔の被害者」であるかのように装(よそお)います。罪へと誘った者に対して、「よくも、私を見事に欺(あざむ)いたものだ」と敵意をあらわにすることで、その罪責感から逃れようとしてきたのではないか。そのように本来、しっかりと向き合い、真に悔い改めをもって神と和解し、解決しなければならないたましいの問題を見過ごしにしてきたのではないでしょうか。
 しかし、私たちが向き合わなければならないものは、外側のことではなく、私たちの内側です。私たちの心には、神が語りかけてくださったみことばの種が植えられています。イエス・キリストを信じ、救いをいただいた者には聖霊が注がれ、私たちの心のうちに神の贖(あがな)いのみわざが続けられています。そのような意味で、確かに神を慕(した)い、神を求める聖なる願いが、私たちのうちに宿っています。
 けれども、私たち人間の本性は、なおも神のみわざを必要としているのです。依然として、私たちの内側には、神に対して不真実であろうとする傾向が残っています。今にも神から自由になろうとして、絶えず身構えている私がいるのです。自らが神になろうとして、絶えず身構えている私です。神に対して疑いを抱いて生きようとする私がいる。この深刻な現状を、もしも見落とし、それを安易に考え始めるならば、私たちは絶えず身構えている古い自分にまんまととらえられ、やがて神を見失うことにならないとも限りません。ティーリケの洞察は、その部分を浮き彫りにし、取り組むべき課題を改めて明確にすることに役立っています。
 神の贖いのみわざは、そのような現実を抱えている私たち人間に対して、丹念(たんねん)に施(ほどこ)されるものです。人間の罪の問題は根深く、また複雑であるがゆえに、神は私たち一人一人の信仰者の内面を懇(ねんご)ろにお取り扱いになります。それが単純な病であれば、治療にさほど時間は要りません。けれども、それが深刻な病であり、病巣が深い所にまで広がっており、しかもありとあらゆる部分に、からだ全体に、私たちの信仰生活に影響を及ぼしている場合、治療には時間とともに、その扱いにおいて忍耐深さと慎重さが求められます。そして、神は私たちを愛するゆえに、また良いものとするために、ご自身のものとするために、私たちの人生に深く関わろうとしておられます。
 それゆえ、私たちも、自らのたましいのうちに潜(ひそ)む深刻な罪という現状に目を向けながら、そこに、癒(いや)しのみわざがなお進められてゆくことを期待し、期待するゆえに、癒し主であられる神に信頼し、神のみわざに従順(じゅうじゅん)であるという信仰の歩みを通して、神ご自身のみわざに参与(さんよ)させていただくのです。私たちの心を、神ご自身から引き離そうとする古き自我(じが)の声、またそれを助長して神を疑わせ、神のみことばに従うことをやめさせようとする悪しき存在に対する認識。そして、その戦いは私たちの外側にではなく、内側にあるという自覚。

2014年10月号

■巻頭言 「新しい名で呼ばれる」  牧師 高橋 宣広

 父親になるに際し、子どもに名前を付けるというという経験をしました。生まれて来る子どものことを思いながら、愛と期待をもって名前を考えます。聖書から、また賛美歌の歌詞から、そして祈りつつ。漢字の意味も辞典を引いて調べます。そして人間である私は、最後は勢いで付けてしまいました。
 聖書は、「あなたは、主の口が名づける新しい名で呼ばれよう。」(イザヤ書62:2)と、神様が私たち一人ひとりに新しい名=新しい立場・いのち・使命を与えてくださり、その新しい名であなたのことを呼ぶと約束してくださっています。神様は、どのような名前をあなたに付けてくださっているのでしょうか!?
 イザヤがこの預言を語ってから約100年後、都エルサレムとその住人は、惨めで凄まじい体験をさせられます。強大なバビロン軍によって、町は徹底的に破壊し尽くされ、大切な家族は殺され、生き残った者も捕虜として、遠くバビロンに連行されていくという悲劇を味わいました。もうこの町は、「見捨てられている」、「荒れ果てている」(62:4)と誰もが思いました。しかし、神様の御思いは違っていました。
 シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。
 そのとき、国々はあなたの義を見、すべての王があなたの栄光を見る。あなたは、主の口が名づける新しい名で呼ばれよう。あなたは主の手にある輝かしい冠となり、あなたの神の手のひらにある王のかぶり物となる。あなたはもう、「見捨てられている。」と言われず、あなたの国はもう、「荒れ果てている。」とは言われない。かえって、あなたは「わたしの喜びは、彼女にある。」と呼ばれ、あなたの国は夫のある国と呼ばれよう。主の喜びがあなたにあり、あなたの国が夫を得るからである。若い男が若い女をめとるように、あなたの子らはあなたをめとり、花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ。(イザヤ62:1-5)
 神様がエルサレムの民に、そして私たちに付けてくださる新しい名は、「わたしの喜びは、彼女にある」、「あなたの神はあなたを喜ぶ」です。さらに「聖なる民、主に贖われた者と呼ばれ、あなたは、尋ね求められる者、見捨てられない町と呼ばれる」(62:12)のです。
 神様は、私たち一人ひとりの存在を喜んでおられます。その存在自体が喜びである。それは、周りの人たちが、赤ちゃんを喜ぶことに似ています。赤ちゃんは人を笑わせるような面白い話をしません。皆から注目されるような特技だって、まだ身に着けていません。それでも、ただそこにいるというだけで、その存在だけで、通りすがりの人をも笑顔にしてしまうのです。その人の存在そのものが大きな喜びである。この思いは、まさに神様が私たち一人ひとりに持っていてくださる思いではないでしょうか!私たち一人ひとりを創造され、いのちを与え、守り育んでくださっている神様の思いです。
 神様に反発してばかりで、罪多き私たちです。神様を悲しませるしかできないような私たち。それでも神様は、イエス様の十字架の贖いという眼鏡を通して、私たちを「聖なる民、主に贖われた者」だと見てくださるのです。神様のこの大きな御愛を忘れずに歩んで行きたいと思います。

■宣教区信徒セミナーに出席して  K.S.

 「暴走する為政者に対するキリスト者の責任…特定秘密保護法をめぐって」というちょっと難しそうなタイトルのセミナーが、4月29日(休日)に教団副理事長である水草修治先生によって行われました。為政者の暴走ととらえられているのは、特定秘密保護法に限定したものではなく、現在の日本の政治リーダーたちによって、憲法改正に照準を合わせて次々と繰り出される一連の政策や言動を含むものと理解した方が良いでしょう。
 多くの日本人は、日々の生活の中で目の前の税制度や福祉制度などに不平を感じていたとしても、大局的には自由経済の恩恵を喜び、戦争のない平和な日々に満足と幸福を感じているのではないかと思います。しかし、国を取り巻く諸外国による挑発的な言動に対して、あらかじめ対策を講じておかなければならないと考える人も少なくはないようです。前回の選挙の結果、一強多弱国会をつくったのは他ならぬ国民ということですから、為政者たちの暴走の一因は自分たちにあると言えなくもないということになります。現在、圧倒的に多数をしめる国政与党が、数の優勢に乗じて、このタイミングに最終結論を出してしまおうと目論んでいることは、誰の目にも明らかです。表面的には合法的な手続きを踏んでいるように見せつつ、巧妙に仕組まれた詭弁的で誘導的な根拠づけや超法規的な解釈などが議論の中心に据えられているような情況そのものが、すでに民主主義を歪めていると言えるのではないかと思います。
 聖書の教える愛に基づいて平和を強く願うキリスト者としては、再び戦争が起こらないことが大きな祈りの課題です。特定秘密保護法によって情報がコントロールされ、集団的自衛権の発動などによって、じわじわと戦争に巻き込まれていくシナリオを合法化させることは許されません。戦場に出かけていくのは為政者自身ではなく、私たちの愛する子どもたちなのです。国家権力の増大に伴って、国民の宗教や思想や言論に関する自由が制限されたり、戦争の不安に震えて暮らすような国に逆戻りしてはなりません。
 今日の情勢は、政治的な法制度整備という単純な問題ではありません。日本人の歴史観・宗教観・価値観・民族意識といった精神構造、国民の権利、人間の自由などの多くのテーマが絡み合った非常に複雑な内容をはらんでいます。私たちは政治的野党という立場ではありませんが、日本国民として、また主の教えに従う者として、為政者の言動の裏に潜んだ目論みをしっかりと見極めていかなければなりません。
私たちはこの問題について一体いつ祈ればいいの? 今でしょ!

■ゴスペルワークショップに参加して  T.T.

  さわやかな6月第二土曜日の午後、ゴスペルワークショップに藤崎恵美子先生と37名のクワイヤ―の皆さんが集まり、スタートしました。早いもので4年目を迎えることができました。
 昨年12月のコンサート近くになった頃は、もう私には無理かなと思っていました。コンサート当日、仲間の皆さんの不安そうな会話が聞こえてきました。私も、今日で最後の賛美になるかもしれないと思いながら本番に臨みました。
歌い始めると先程までの不安は消え、エミ先生の吸引力に引き込まれるように、皆が心を合わせて、楽しく賛美することができたのです。そして皆さんが輝いているようでした。
 コンサート後のティータイムや、同窓会では、仲間の皆さんの話をゆっくりお聞きすることができ、絆が深まったような気がしました。笑いあり、涙ありのお話を聞きながら、いろいろな状況の中からゴスペルに参加されていたことや、ゴスペルが心の支えになっていることを知りました。もう無理かなと思っていた私も、もう少し皆さんと一緒に賛美したいと思い、今年も参加させていただくことにしました。
 ワークショップ初日恒例の自己紹介では、参加したきっかけ等もお聞きすることができ、お互いの距離が近くなったように感じました。今年も笑いと緊張感をもってスタートしました。
いつでもゴスペルワークショップを導いてくださる神様に感謝します。そして、ゴスペルのために、教会の皆様が奉仕してくださり、祈り、支えてくださっていることを感謝します。

■レディスランチョンで学んだこと  K.I.

 去る6月25日にホテル国際21の芙蓉の間にて、毎年恒例のレディスランチョンが開かれました。祈りに始まり、小島美穂子さんらによる特別賛美のあと、守部喜雅氏の講演がありました。
 演題は「新島八重と黒田官兵衛 ― その愛と赦しの生涯 ― 」というものでした。氏は、NHK大河ドラマに描かれた二人の人物像を、もっと深く掘り下げてくださいました。流暢な講演をお聞きして、八重と官兵衛が共にクリスチャンとして、愛と赦しの生涯を送ったことがよくわかりました。
 八重は、会津戦争の時には、味方の前線で敵に砲射し戦い抜きました。しかし後に、兄である覚馬を訪ねた先の京都で、兄の影響から聖書を学び始めました。そして新島襄との出会いにより、彼と共にクリスチャンとしての人生を歩み出しました。病に倒れた襄を献身的に介護したことに、八重の彼への愛が溢れていると思います。
 一方、官兵衛は、信長・秀吉・家康の三大武将に軍師として仕えました。戦国の世にあって、本能寺の変で信長亡き後、主君秀吉のために智力を働かせて、毛利氏や北条氏との和平交渉に成功しました。各地の武将が群雄割拠する中で、軍師官兵衛の主君への愛と、敵に対する赦しの精神は特筆すべき点だと思います。
 常日頃、聖書を学び、キリストの思いを身に付けたいと願っている私にとって、守部氏の講演は大変有意義なものでした。また普段は、あまりお会いする機会のない市内の教会の皆様と交流できることを嬉しく思います。今後もこのレディスランチョンが引き継がれていくことを願ってやみません。

■妙高ファミリーキャンプ3年を終えて  H.E.

 7月20日~21日、妙高青少年自然の家で妙高ファミリーキャンプがありました。今回は大勢の未信者の子どもたちも含め74名のご参加でした。感謝です。皆様のお祈りに支えられた2日間でした。
 子どもたちは集会、ゲーム、キャンプファイヤー、川遊び等で、大人は3回のワークショップで楽しみました。妙高でのキャンプは長年続けられてきましたが、時代や、集う子どもたちのニーズに応じてスタイルを変えてきました。子どもと大人一緒の「ファミリーキャンプ」も、そんな工夫をしたキャンプです。 
 3年間を簡単に振り返りますと次の通りです。
  【1年目】ヤングチャペルは任意の外部キャンプに送る方針にしました。ウィングスは妙高継続ですが、大人の参加者を募り、キャンプファイヤー等の支援をしました。併せて信仰色を抑えた交わり中心のワークショップを設けました。(0歳児~高校生まで:14名、大人:36名参加)
  【2年目】大人とウィングス を切り離し、大人はワークショップ中心に進めました。大人の未信者の方が3名参加。(0歳児~高校生まで:15名、大人32名参加)
  【3年目(今回)】今回の様子を見て大人キャンプは存続も含めて見直すことを決めました。初めての参加者をイメージし、内容とスケジュールが分かるカラーチラシを用意しました。中野キリスト教会の「子ども会」のご縁の子どもたちの参加が多かった。(0歳児~高校生まで:33名、大人41名参加)
 今年は子どもも大人も参加者が最多で宿泊室が足りなくなる程になりました。勿論、参加人数というのは波の様なものなので、一喜一憂することはできません。
 この3年を振り返ってみますと、このキャンプ、実は昨今の様々なニーズに合っていたのかもしれません。それは次の様な理由です。
  ① 安い!・・1泊3食で2,000円前後です。キリスト教系のキャンプは2,000円前後が多いことを考えると費用は十分の一です。
  ② はやい!・・妙高は1泊2日のキャンプです。通常のキャンプは3~4泊であることを考えると、奉仕者の負担は少なくなります。また未信者家庭のお気持ちを考えると、このような短めのキャンプには安心して送っていただけると思います。 
  ③うまい!・・食事はキャンプの満足度を上げる大きな要素です。妙高のバイキングは本当においしくて評判がいいです。食堂の居心地も良く、特に大人は、食後のワークショップになかなか集まらなくて苦笑でした。(-“-)
 この「安い」「はやい」「うまい」というのは、外食産業に限らず、一般に受け入れていただくための必須要素だと思います。とすれば、この言葉を地でいく妙高キャンプは、地方の教会の自前キャンプの最先端、それも未信者の方に福音を伝えるに一番戦略的なキャンプのように思います。
 キャンプの今後についても検討しています。
 妙高キャンプ次期3ヶ年の方針(案)
  (1)次世代伝道、信仰継承の場としてキャンプを続ける。特に未信者の子にとっての貴重な種まきの機会として重視する。ウィングスとのつながりを拙速に求めない。
  (2)奉仕内容を明確化し、希望者による単発的な奉仕でできるキャンプにする。参加人数も減らす。大人の交わりを趣旨にしたワークショップは見直し、子ども支援または子どもを守る趣旨のワークショップにする。
  (3)センターチャーチとして他教会との宣教協力の場と考え、参加を希望する教会内外の次世代の子どもたちにみ言葉の種まきをする。福音を必要としている子どもたちの99%は教会外にいることを覚え、サタデークラブ、ウィングスを中心にして、外部との接点や関係づくりを行っていく。 
 「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」Ⅱテモテ4:2

■「これはあなたの属しているところ」  S.K.

 私の人生について知りたいという人々がいるので、文章を書くようにと頼まれました。私はアメリカの中西部で育ち、リベラルの教会に通いました。教会で神様は正義を望んでいるという教えを聞き、不正義に苦しむ人々のための言動や犠牲的な献身を見ました。でも個人の救いの話は聞きませんでした。大学生になってすぐ福音的な信仰を持つ学生と会って、救いに導かれました。生きておられる神様の愛を経験してから、聖書の学び、大学での弟子訓練、伝道活動に集中するようになりました。少しずつ、キリスト者が少ないところで私の人生を用いてほしいと考えるようになりました。日本からの女子留学生と友達になり、日本社会に関する授業を受けたり、日本の霊的状況を聞いたりしてから日本へ行くことに関心を持つようになりました。まずはアメリカで大学伝道・弟子訓練の仕事をしました。日本への短期宣教旅行の機会が与えられ、東京で2ヶ月間大学生とかかわって過ごしました。ある日、商店街を歩いていると聖霊様の声が頭の中に聞こえました。 “This is where you belong.” (「これはあなたの属しているところ」)という言葉でした。
 1988年に宣教師として来日し、15年間、東京都と名古屋市の多くの大学生と関係を作り、イエス様のことを話し、弟子訓練をしました。愛情を注ぎ、祈りで満ちた生活でした。しかし、大学生と私の年齢や文化のギャップが大きくなってくると、仕事は事務が中心になってきました。そのような仕事が合わなかったので、キャリアを変えました。そのとき、ミッション系の高校の仕事に導かれ、言語教育学の勉強もできました。聖書学者になろうとしている友達と小さな部屋に住んでいたので、長野県短期大学の公募を見たときに、もっと人間らしい生活が想像できました。今年7年目で、英語コミュニケーションと異文化理解の授業を教える専任教員をやっています。一人前の教員になることと学生が人生をレベルアップするのを助けるために頑張っています。今、私はどのように神様に仕えるべきかはっきりわかりませんが、直接宣教している人々を支えています。

■世界宣教大会に参加して  So.S.

 8月14日から、神奈川県川崎市で開催された世界宣教大会に参加させていただきました。最初は、「世界宣教」なんて、この私が考えるのは、とてもおこがましい気持ちでした。しかし、「牛に引かれて善光寺参り」ではありませんが、「積極的な妻に引かれて宣教大会へ」というような感じでした。
 宣教大会には、1,000人を超える方々が参加されていました。「世界宣教」なんて、私には大それたことだと参加に躊躇していた気持ちは、この参加者の人数を見て、一気に吹き飛んだ感じでした。
 世界宣教大会には当然ながら、世界のあちらこちらで、イエス様の教えを述べ伝えている先生方が沢山いらっしゃいました。その中でも、齋藤五十三先生のお話がとても印象に残りました。齋藤先生は、台湾で宣教活動をされていらっしゃる先生ですが、「言葉の壁」が、宣教を妨げる最も大きなものであるとおっしゃっていました。これは、遠く昔人間が、バベルの塔を建設し、神に近づこうとした時に、神様が、言葉をばらばらにされて、人間をあちこちの地に散らされた時から始まるといいます。齋藤先生も、初めて中国語で説教をされたときに、「言葉に深みがない」と笑われ、自暴自棄におちいられたそうです。「もう宣教はやめたい!」という気持ちになり、一度日本に帰国され、診療内科を受診され、「適応障害」と診断されるまでに追い込まれたというお話をお聞きし、精神的病に苦しんでいたころの自分を思い出しました。私も、学校での仕事に行き詰まり、「もう学校には行きたくない!」とまで思うようになった経験がありますので、とても人ごとではありませんでした。ましてや、言葉の壁のある異郷の地での宣教というのは、想像以上に大変なことだろうと思いました。先生は、悩み苦しむ中で、「神」の奇跡を見たとおっしゃっていました。それは、病気から立ち上がり、再び台湾宣教に向かうことができたという奇跡でした。ここでも私と共通な部分があると思いました。私も、精神的病はまだ克服されてはいませんが、学校に再び復帰することができたという「神様の奇跡」を見せていただくことができました。でも先生はおっしゃいました。「今では、宣教は楽しいと思えるようになったが、あの時のどん底の状態であったころのことは、けっして笑っては振り返ることはできない」と。しかし、そのどん底の状態があったからこそ今の私があるともおっしゃっていました。私自身もそのように思いました。バベルの呪いの向こう側に、奇跡を見た。それは、言葉の壁を越えて、異郷の地で、異文化を伝えることが再びできた」ということ。それこそが、奇跡だということでした。
 私は、先生のお話をお聞きして、自分も全き福音を宣べ伝える証人の一人になりたいと思いました。そのためには、もっとイエス様・神様のことを知らなければならないと感じました。
 他にも沢山の宣教師の先生のお話を聞く機会に恵まれ、この宣教大会に参加させていただいてよかったと思いました。これからも、全き福音を宣べ伝える証人になるために、神様と共に、イエス様と共に歩んで参りたいと思います。

■世界宣教大会に参加して  Sa.S.

 日本同盟基督教団の世界宣教大会に参加しました。特に印象深かったことを書きます。
 齋藤五十三先生の「再び一つに」というメッセージでは、創世記11章と使徒の働き2章の出来事を通して、人は技術を高めるとそれを誇示して高ぶり、神から離れて人の大きな力に頼ろうとすること、しかしそれは混乱や隔たりしか招かないのにバベルの塔の時代からずっとそれを繰り返していること、人々を一つにするには、大きな力で押さえつける方法と神様が教えてくださっている道を歩む方法があり、真の平和をもたらすのは後者であることをお話されました。
 多様な言語は、多様な文化や学問を発展させたという恵みもあるが、神は高ぶってしまう人々がどうしたら一つになることができるか考えさせようとしてそうされたのではないか、多様性はいろいろな価値観や考え方を持つが、神様の福音はそれらを超えて分かちあうことができ、一つになったときの喜びはとても大きいことを学びました。
なぜクリスチャンがまだ少ない日本からも国外宣教にいくのかが分かりました。宣教についてのディスカッションでは、国外・国内被災地での宣教の様子を各先生から聞きました。共通していたことは、仕える対象を探すのではなく、キリストの心を持って隣人の必要に答えて仕えていくということだと感じました。
 一つ目の分科会では、家庭や地域のことを教会で取り扱うことが伝道につながるという「ファミリーミニストリー」の学びに参加しました。その中で一番驚いたのは、親子の集まりを、礼拝形式からフリースペースにして学び会を別にしたところ、それまで以上に学びの時間が豊かになったという恵みについてです。目標は伝道でも、いろいろなやり方が考え出されていることが新鮮でした。
 二つ目の分科会では、聞くことによって宣教する「聞きやボランティア」という活動の学びに行きました。街中に座ってやって来る人の悩みに傾聴する若者が始めた奉仕で、過酷な状況にあっても人とつながり寄り添ってくれる人がいることは、状況は変えにくくても心を暖かくすることができる愛の働きだと思いました。
 今回の宣教大会参加によって、神様は思わぬ導きを備えてくださいました。大会へは里帰り先からいきましたが、クリスチャンになったことをやっと家族に話すことができたのです。今までも少しずつ話してきていましたが、心配なことがあって夫の家族にはっきり伝えられていないことが、ずっと気になって祈っていました。思わぬタイミングでそれは訪れ、夫は自らの言葉で伝え、それを後から聞いた私は、その翌日、自分のことを話すことができ、言えなかったことを謝りました。母は察していたようですが、言わなかったことにショックを受けていましたが赦してくれました。父は初め、神様を信仰する私たちに対し苛立ち批判をしていましたが、話しているうちにその言葉の中に知ろうという気持ちが込められていくのに気付きました。母の怒りを超えた赦しはとても衝撃でした。父の正直な応答はクリスチャンばかりの中にいると分からなくなっていく未信者の初めの姿ではないでしょうか。神様の福音をまだ知らない両親の対応から、クリスチャンである自分の姿勢を悔い改めるように、神様の語りかけを聞いたようでした。伝道には程遠い私たちの言葉は、神様の御業によって両親の心に少しずつ届けられていたのだと感じました。家族への告白から神様に鎮まされて大会当日を迎えることになりましたが、宣教や伝道を少しでも身近に考えることができたように思います。

■信仰書から  『牧会相談の実際 カウンセラーと共に考える』(藤掛明・小渕朝子・村上純子編、あめんどう選書、2014年、40~43ページ) ※悲しみへの対処(グリーフケア)藤掛明

(1) 嘆き悲しむことを大切にする
 大切な人との死による別れ。この悲しみは、人が経験し得る中でもっとも大きなダメージの一つである。ほかにも人はいろいろな別れを経験し、悲しみにさらされる。このダメージから回復するためには多くの時間が必要となるのだが、私たちは、当然の思いではあるが、できるだけ短期間でそのダメージから回復したいと願い、時に過去のことを無理に忘れようとする。周囲も本人に向かって、過去はもう忘れようと、つい励ましてしまう。信仰者の場合、死に勝利する信仰を持つがゆえに、この傾向が強くなりやすい。
 しかし、それは順番が逆で、先に進めない。本当に回復するために必要なことは、まず大切な人を失ったことを嘆き悲しむことである。ある意味、その時々にふさわしい方法で故人を忘れずに嘆き悲しみ続けることで、回復が実現するのである。
(2) 社会の用意する節目や儀式
 故人を思い、嘆き悲しむことが大切とはいえ、喪失した直後を除けば、日常生活を放棄するわけではない。ほどよいタイミングと方法で嘆き悲しむことが必要になる。そのため様々な節目に儀式が用意されている。まず葬儀があり、喪に服する期間があり、納骨や記念礼拝、墓前礼拝などがある。これらは、遺族にとって非常に意味があるものとなっている。平素の雑事を忘れ、集中して故人を思い起こし、嘆き悲しみ、語り合い、心を癒す良い機会となるからである。これらの機会を内面的な必要を取り扱う機会として尊びたい。
(3) 個人の心の儀式
 社会や教会の儀式以外にも、個人的な心の儀式と呼べるものがある。回復のためには時間が必要だと先に述べたが、時間自体に力があるわけではない。時間の経過のなかで、本人が自覚していなくとも、悲嘆を乗り越えていく心の整理と作業を行っているのである。そのなかで、個人的な心の儀式が生まれてくることがある。例えば、故人の写真を飾ること、故人の愛した花を飾ること、故人を偲ぶ会や記念する会を開くこと。故人の文集を編纂することなど、いろいろである。
 遺族を面接するときには、遺族が自分たちのオーダーメイドの心の儀式を見いだせるようにすることは大切なことである。なぜなら、人の心も魂も、儀式のような体験に助けられながら、そして象徴的な体験に心を潤わせながら、死別の悲しみを消化していくからである。
 なお故人を偲ぶ写真や遺品を大切にしたり、飾ったりすることは、けっして偶像礼拝ではない。故人への思いに心を集中させ記憶を自然に引き出すための記念であり、その背後に神の働きを見るなら、尊い信仰的行為だといえよう。
また、儀式というと、内容や手順を固定させ、何も考えずに続けるというイメージがあるが、個人の心の儀式はもう少し自然体でかまわない。死別の悲しみが癒えていくプロセスのなかで、儀式の内容も変化したり、新たな儀式が誕生したりすることは自然なことである。
 なお個人の儀式は、何もないところから新たにひねり出す必要はないということも強調しておきたい。故人を思い、悲しむ心に素直に従うなかで、やってみたいと自然に思いついたことや、すでにある習慣や試みを積極的に取り組むことが肝心なのである。

2014年3月号

■巻頭詩 

みんなもよびな

さて
あかんぼは
なぜに あん あん あん あん なくんだろうか
ほんとに
うるせいよ
あん あん あん あん
あん あん あん あん
うるさか ないよ
うるさか ないよ
よんでるんだよ
かみさまをよんでるんだよ
みんなもよびな
あんなに しつっこくよびな

子供の眼

桃子の眼はすんで
まっすぐにものを視る
羨(うらやま)しくってしかたが無い

※八木重吉詩集「神を呼ぼう」他より
【八木重吉】
早世の詩人。1898年(明治31)、東京府南多摩郡堺村(現在の町田市)に生まれ、東京高等師範学校に進む。師範学校時代から日本メソジスト鎌倉教会に通い、駒込教会で受洗。卒業後、兵庫県御影師範の英語教師となる。、このころから詩作に専念し、詩と信仰の合一をめざす。24歳で島田とみと結婚。結核と診断され入院し、その後自宅療養に入るが、1927年(昭和2)敬虔なクリスチャンとして、29歳の短い生涯を終えた。死後「貧しき信徒」や「八木重吉詩集」「神を呼ぼう」が刊行され、信仰の詩人としての声価を高めた。

■受洗にあたっての証し  M.M.

 心身ともに疲れ、58才で退職して、もうすぐ5年になる。「退職したら、母に農業を教えてもらって、ゆっくり生活していこう」と考えていたが、まず、経済的な面で困窮がはじまった、農業だけでは生活ができなくなり、幾つかアルバイトもしたが、体の弱い私は、続けることができなかった。とりかえすことのできない過去への後悔、自分の健康面での心配、経済面での心配、そして家族の将来への心配、その他、さまざまな問題で、悩み、苦しむようになった。
 こんな私を、慰め、励ましてくれ、自分の罪に気付かせてくれたのが、三浦綾子さんの小説でした。人としての生き方、キリスト教の聖書のみことばを、こんな私にも、わかるように、教え気付かせてくださっています。長野三浦綾子読書会へ通い、そして、長野福音教会の聖書入門講座にも通えるようになりました。
 「聖書というものは、醜く罪のある、どうしようもない悪習慣が続く自分の生きざまを引っ提げて読むことが、最も肝要である。」ということが、少しずつ、わかってきました。
 マタイ福音書のイエスのみ言葉に、「心の貧しい人たちは、さいわいである。悲しんでいる人たちは、さいわいである。」は、今のような自分にとって、どれくらい慰め、励まし、生きる力を与えてくれるみ言葉か、このごろようやく、わかりかけてきました。
 「心の貧しい人」とは、人に誇るべき何ものをも持っていない人、金もない、地位もない、体も弱い、知識もない、己にたのむ何もないがゆえに、「ああ、神様」と、ひたすら神に祈り、神の前に頭を垂れなければならない、まさに、今の自分そのものだということに気付きました。「悲しんでいる人」とは、「肉親の次々の死、病気、障害、不和、非行、自分の直らない悪習慣等々」あまりにも多すぎる。さらに、「自分の不真実、自分の罪、自分のみにくさ、弱さ、不貞、狭量、嫉妬、ねたみ等々」、悲しむべき事は、自分の心のうちにも充満している。これも、「ああ、神様」と、神の前に頭を垂れなければならないことだ。
 洗礼の意味は、「聖霊が心の中に住んで下さる。そして、これからの人生、聖霊とともに二人三脚で歩む。」と、教えてもらいました。
イエスのお名前によって祈ります。アーメン。

■救いの証し K.I.

 神様、私は、今日洗礼を受けさせて頂きます。私は下伊那郡の山村で生まれ、一歳の頃に父の転勤で、長野市に移転したとのことでした。父は戦時中胸を患い、伊豆の療養所生活中に、牧師さんの見舞いによって洗礼を受け、クリスチャンになったと話してくれました。今から四十年程前に病死した父は、生前聖書を開いてみ言葉を語ることはありませんでした。しかし私は、温和な人柄から、クリスチャン人格を肌で感じて成長しました。両親のお陰で暖かな家庭でした。
 四年前に精神科医院の外来にあった「ポプラ便り」を見て、その英会話教室に参加しました。講師のリズ先生との出会いが、私を長野福音教会へと導くことになりました。一昨年、先生に誘われて教会へゴスペルコンサートを聴きに出かけ、数日後のイブ礼拝、昨年の元旦礼拝にも出席しました。この二年間、日曜礼拝や水曜日の祈り会を通して真理を学べるようになりました。この教会はアットホームでおいしいお昼を頂きながらの交わりは、とても楽しい一時です。
 私を受洗へと促すきっかけとなったのは、水野源三さんと、星野富弘さんの厚い信仰にふれる機会があったからです。それぞれに逆境を乗り越えて、クリスチャンとなったお二人の深い信仰に倣い、アドベントの十二月に、ぜひ受洗したいという気持ちが高まっていきました。今、私はキリストによる救いの喜びと、感謝の思いでいっぱいです。
 今までの二十年余り私の心を支え、また励まし慰めを与えてくれたみ言葉は、次に述べる通りです。一つ目には、ヨハネ3章16節です。このみ言葉からは、神様の無償の愛を感じます。キリストが人類の罪のために死んで下さったのは、私の罪を許すためだと信じます。二つ目には、詩篇119編105節です。今までもこれからも、み言葉は私の足のともしび、私の通り道の光となってくれるものと確信しています。
 ―亡き父のあとに従い歩みたし 神様のみ手に抱かれながら―

■エッセイ 「囲いに属さない羊」 正村八重子

 「この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。」(ヨハネ10:16)
 主の教会は、忠実なキリスト者一人ひとりが、多忙な中でも多くの奉仕を捧げ、献げものをして下さることによって支えられ、成長していく。教会というこの囲いの中で毎週みことばを聴き、神を礼拝することの平安、兄弟姉妹互いにことばを交わすことの何と幸せなことでしょうか。
  しかし、この平安で幸せな囲いに入ろうと思わない異邦人がいたり、せっかくこの囲いに入ったのにはみ出してしまう人がいる。
 この教会でも、忠実な教会生活といえないとしても、人の目からはこの囲いから出てしまったように見えても、長い牧会生活の経験から見ると、何とか教会に結びついていきたいと願っている方々がいる。一年に一度、忘れずにまとめて献金して下さる方、汗水流して作られた作物を届けて下さる方、仕事の合間や休み時間に作られたご自分で大切にしている品々をお持ち下さる方等々。その献金、献品をいただく度に思うこと、それは、この方々が、これらを通して主の教会につながっているのだということ。そのことを思うと希望が湧く。
 先日も久しく教会に集っていなかったTさんが天に帰られた。まだはっきりと神様を信じていなかったTさんは、その日、病床ではっきり主イエス様の救いを信じると告白した。次に病床洗礼の約束をしたその日の未明に、再度倒れた。意識が戻ることはなかったが、彼は天に帰られたと信じる。その葬儀の席でご遺族の方々から、自分たちも昔長野福音教会に行って楽しかったことを聞いた。その当時幼かった子供たちが今はすっかり大人になり、日曜学校で聞いた紙芝居や聖書の話をしてくれた。
 イエス様は「この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。」(ヨハネ10:16)と言われた。
 囲いの中の人々も、周りにおられる人々も主イエス様の一つの群れであり、牧者である主の声に聴き従いたいと願っている。

2014年1月号

■巻頭言 「苦しみから平安へ - 回復の希望 - 」   高橋宣広

 今年、長野福音教会に与えられた主題聖句は、旧約聖書のイザヤ書 38章17節です。
  「ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。
  あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。
  あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。」
 まだまだこれからという四十前の若いヒゼキヤは、ある日、「あなたは死ぬ。直らない」と余命宣告を下されます。しかし、ヒゼキヤは諦めませんでした。必死になって癒されること、生かされることを祈り求めます。主なる神様は、ヒゼキヤの祈りを聞いてくださり、彼の死を15年先延ばしにしてくださいます。
 今年与えられた主題聖句は、死の淵から救い出され、新しい命を頂いたヒゼキヤの祈りであり賛美です。私たちはこの年、苦しみを平安に変えてくださる主を信頼し、祈りつつ歩んで行きたいと思います。
  天の父なる神様
   新しい年、2014年をお与えくださり、ありがとうございます。
   神様は、この年どのようなことをこの世界になしてくださるのでしょうか?
   神様は、私たちにどのようなご計画を持っておられるのでしょうか?
   「平穏無事で、幸せな生活を」と誰もが願います。
   しかし、きっと今年も喜びとともに悲しみが、安らぎとともに苦しみも待っている
   ことを、私たちは覚悟しなければなりません。
   私たちは、今年初めに与えられたみことばを通して、
   1. 主なる神様は、私たちの苦しさ、悲しさ、嘆きに寄り添ってくださるお方だということ。この主により頼み、祈ることが、本当の幸せであることを知ってきたいと思います。 
   2. また、主は無意味に苦しみを与えるお方ではなく、私たちのために、私たちの成長のために、意味のある苦しみを与えてくださることを信じて歩めますように。
   3. そして主は、苦しみを平安に変えてくださるという約束を待ち望めますように。
   私たちの今年一年間の歩み、信仰、そして健康を守り導いてください。
   長野福音教会の歩みを支え、導いてください。
   教会の頭なるイエス・キリストのお名前によってお祈りします。 アーメン

■盲信徒会40周年感謝会  S.S.

 私たち長野県視覚障害者キリスト信徒会(盲信徒会)は創立40周年を迎え、11月4日に感謝会を開くことができました。会員と顧問牧師、それぞれの所属教会や会の活動を支援してくださっている教会から合わせて58名の方にきていただき、会場のホテル信濃路の部屋はいっぱいになりました。
 午前は、開会礼拝と会員9名の証しと讃美です。私の御救い体験、私を励ましてくれた讃美歌・聖歌、私を支えてくれた御言葉、私の信仰書といったテーマで、それぞれ証しをしました。新興宗教から離れたいことがきっかけでキリスト教会に飛び込み信徒となった戸惑いとそれを通って気付いたたくさんの恵み、壮絶な生涯を神様の恵と思い強められていった姉妹の証しは心に残った方が多かったようでした。
 午後はコンサートと主題講演です。歌ってくださったのは、バッハ国際コンクール1位になられドイツや日本で活躍されている今仲幸雄氏です。声楽家となるまでの苦労やバッハの音楽との出合い、クリスチャンになったときのこと、お子さんを通してたくさんの盲信徒の友人があたえられたこと、ドイツによく似た富士見町に移住されたことなどお話を交えながら、事前にリクエストした聖歌・讃美歌を中心に歌ってくださいました。主題講演は、「御言葉を述べ伝える」というテーマで、メッセージしてくださったのは富士見高原教会牧師寺島昭二氏です。いくつかの教会で牧会されてこられた中で、下関や甲府の教会で被差別地区に暮らす人たちや障害者・被爆者と出会い、さまざまな境遇にある人たちに御言葉を伝えるにはどのようにしたらよいか悩まれながら寄り添ってこられたお話が印象に残っています。伝道したい気持ちだけで語るのでなく、伝えたい人のことを知りその人を愛し共にいることが大切であることを改めて感じました。最後に、全国の盲信徒会をまとめる盲人伝道協議会の理事から団体の紹介をしていただきました。
 交わり、讃美し、とても祝福されたときとなりました。ありがとうございました。

■星野富弘美術館への旅行に参加して  S.S.

 11月16日(土)に、福祉委員会主催の星野富弘美術館への日帰り旅行に参加しました。私自身、星野富弘さんについての知識はあまり無く、中学か高校の時の国語の教科書に載っていたエッセーを読んだ程度でした。むろん、頸椎を損傷されて、手足の自由が利かず、口で絵を書いて、その絵を題材にした詩を書かれるということは知っていました。ですから、星野富弘さんの世界にどっぷりと浸かれるこの機会は、とてもわくわくするものでした。
 群馬県のみどり市に富弘美術館はありましたが、「みどり」という地名にふさわしく、山の奥にその美術館はありました。
 美術館には、音声ガイドがあり、富弘さんの実際の肉声で朗読された詩や絵の解説が聞けるようになっていました。花を題材にした詩や絵が多く、小さな命や何気ない日常の事柄も大事にされる富弘さんの生き方に感動しました。花は花でも、折れてしまった花に注目して、それを詩や絵として描いているところが、とても印象的でした。また、自分の介護を必死にやってくれる母を題材にしたものも沢山ありました。ぺんぺん草という詩が、その中でも、とても印象に残りました。「もし神様が、たった一度だけこの腕を動かしてくれるならば、母の肩を叩きたい」というような詩でした。手足の自由がままならない自分へのもどかしさと、母親に対する感謝の気持ちが、この短い詩の中に、深く織り込まれているような気がしました。その他にも、「弱さ」に視点を置いた作品もありました。「母は、弱かったからこそ、私のこの姿を見て、うろたえ、私の傍から離れることができなかった。もし母親が強い人であれば、私の傍を離れ、家に帰ることができただろう」というニュアンスの作品もありました。弱いことは、決して恥ずべきことではなく、弱さこそ強さであり、愛であると言うことを、富弘さんは、表現したかったのではないかと思いました。
 他にも、言い尽くせないほど沢山印象に残った作品がありましたが、どれをとっても、富弘さんの優しさや、無限大に深い感性の豊かさを知ることができました。これは、水野源三さんにも相通じるところがあるような気がしました。水野源三さんも、重い障がいを抱えながら、母を題材にした感性豊かな詩を沢山書かれています。弱さを強さや愛に変える生き様こそ、この二人に共通することではないかと思いました。
 今回この旅行に参加して、本当に良かったと思います。様々な事があるこの現代社会において、富弘さんの詩や絵に描かれていることは、生きる上での一つの指針になったと思います。帰りのバスの中で、この旅行に参加された一人一人に感想をうかがう時がもたれましたが、一人一人が違った角度から富弘さんの詩を読み、絵を見ていらっしゃるなあと改めて勉強になりました。本当に有意義な旅行となりました。運営・準備をしてくださった全ての方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。

■泉会クリスマス会  J.S.  

 11月30日(土)の11時から、泉会のクリスマス会を開きました。今年は特別に、長野県視覚障がい者キリスト信徒会の皆様も加わってくださり、36名が集うにぎやかな交わりの会となりました。会の進行は、第1部お話と交わり、第2部食事と朗読の二部構成で行いまた。
 第1部では、H姉が、知恵をしぼって考えてくれた楽しいゲームを行なったり、皆で賛美をしたりしました。高橋先生からは、「My Wayを捨てて」(ピリピ2章6節~11節)というメッセージをしていただきました。イエス様は、神のあり方に執着せず、2000年前に地上にお生まれになってくださいました。私たちのために、神の特権をお捨てになられたのです。私たちも自分のやり方を捨てて、神様に従って生きていく道を選んでいく人生が最良最高なのだと、改めて理解し受け入れることができ、感謝することができました。
 第2部は、おいしい食事とデザートを前にして和やかな交わりのひと時となりました。T兄の朗読とK兄の賛美も大変すばらしいものでした。自己紹介の中で語られた盲信徒のお一人のお話が深く私の耳に残りました。「自分の目が見えなくなったことについて、長いこと親や兄弟を恨んできましたが、今は神様への感謝の思いしかありません。」という言葉は、とても感動的で、クリスマス会にふさわしい一言だったと思います。
 終わりに、準備から最後までこの会を支えてこられた全ての姉妹にも感謝します。

■ゴスペルコンサートの恵み  K.M.

 コンサート当日の朝、約束はなかったのに何となく落ち着かないのか、早くからクワイヤーメンバーが到着。1人が歌い始め、音をとるために前日の練習の録音を流しますと、そこに1人2人と加わって、やがて、音源が聴きとれないほどのボリュームになりアンプに接続。さらにメンバーが増えて、とうとう1階ホールは、割れんばかりの歌声の渦。主を賛美する歌声が次の声を呼んで広がっていく、そしてこの一体感。こんな経験は、初めてじゃないかと思いました。
 午後のコンサートには、驚くほど大勢のお客様にご来場いただきました。準備が不十分で、係の皆さんには目の回るようなご苦労を強いることになってしまいました。手際よく対応していただけて本当に感謝しております。
 ついつい目がいってしまうような迫力あるバンドも加わった今年のコンサート。歌っている私たち自身も音の海の中に柔らかく包まれているような不思議な感覚にありました。歌の善し悪しはともかく、一生懸命な姿勢と歌う喜びだけはご来場の方々にも受け止めていただけたようで、アンケートの中に、「来年は、是非クワイヤーとして参加したい」というお声をかなりいただき、こちらもまた、ゴスペルの力だなと思わされました。
 Emi先生には、教会のお財布事情までご心配いただき、バンドの皆様には、出演料の一部に献品のリンゴを充てさせていただき、教会の皆様には、祈りと時間と労力と資金をお捧げいただき、3年目のコンサートを無事に終えることができました。歌うことが好きで集まったクワイヤーの皆さんですが、礼拝堂で、主を賛美する歌を全身全霊で歌うことは、いずれ大きな祝福へとつながっていくことと信じます。この先、どこまでいくのか、主のお導きに大いに期待していきましょう。

■子どもクリスマス会2013 R.T.

 12月14日(土)に毎年恒例の子どもクリスマス会がありました。秋からサタデークラブとウイングスのスタッフであれこれ話し合いながら準備を進めてきました。
 去年はものすごい数の子どもが一気に押し寄せてきて嬉しい悲鳴でしたが、受付が回らず開始時間を遅らせるほどでした。今年はポツポツとやって来る感じだったので、余裕を持って受付できて時間通りに開始できました。
 まず第一部として2階で礼拝をしました。キャンドルの灯りの中で、K姉にクリスマスのお話を読み聞かせしていただきました。クリスマスの本当の意味は何なのか子どもたち一人一人が静かに聞いていました。イエス様の誕生がどのようなものだったのか、どうして生まれてきてくれたのかを少しでも知ってもらえたなら嬉しいです。それから「きよしこの夜」や「もろびとこぞりて」のクリスマス賛美歌をみんなで歌いました。最後に高橋先生にお祈りをしていただきました。きっとお祈りをすることも初めての子が多かったと思いますが、静かにお祈りに心を合わせてくれていました。
 第二部は1階でマイク先生とリズ先生に楽しいゲーム大会をしていただきました。チームに分かれて「人間知恵の輪」に挑戦したり、新聞を使ったゲームを楽しみました。仲良しの友だち以外の友だちとも関われる楽しいゲーム大会だったと思います。
 最後に子どもたちが楽しみにしていたおもちゃが当たるクジ引き大会をしました。今年は少しプレゼントを増やして、少しでも多くの子に当たるようにしました。
 今年は子ども47人、大人19人が来てくれて、とても賑やかで楽しい一時となりました。反省点もありましたが、それを生かして来年も素敵な子どもクリスマス会にしたいと思います。

■教育部の働き  S.K.

 教会教育は乳幼児から成人までの全員が員が対象です。聖書に基づいて教えられ、教えられたことを実行していくことは生涯にわたり大切です。そのために、教育部として主に次のような活動を行っています。
  ・各会の時に「病める社会の病める教会」(勝本正寛著)の学びを行っています。
  ・乳幼児から高校生までの教会学校関係、大人の講座、音楽関係の働きがあります。
  ・今年度行った行事として、7月の第3主日と月曜日の海の日にかけて、乳幼児から大人までを対象としたサマーキャンプを妙高少年自然の家で実施しました。
  ・福祉委員会企画の「高齢者・障害者と共に行く日帰り旅行」では、星野富弘美術館へ18名で行ってきました。
 世の中、少子高齢化が進んでいます。教会も例外ではありません。少子化ということで教会のウイングスやヤングチャペルへ来る子供達も目で見える形では減っています。一人も来ないなんていう日もたまにあります。そんな時、これからの教会学校はどうなってしまうのだろうと不安に思います。しかし、教会学校の働きは続けていこうとスタッフで話し合っています。子ども達への種まきは大事ですし、信仰の継承をしていくという意味でも教会学校の働きは止めてはいけないと思っています。また、時には子どもが成長していく過程である時期、教会を離れてしまうことがあるかもしれません。そんな時は教会員がその魂のために祈り続けることが大事なのだと思います。教育の働きはすぐ目に見えて成果がでるものではありません。しかし、とても大事な働きです。
 また、高齢者のための教会における福祉の働きについても、何ができるのか今後神様の導きを求めつつ前進していけたらと願っています。年を重ね肉体は衰えても神様にあってその人らしく輝けるような教会福祉を進めていきたいです。

2013年12月号

■私の足を洗って下さるイエス様・・・信州クリスチャン修養会の恵み   O.E.

 もし、天皇陛下が毎日私の家に来て足を洗って下さるとしたら、私はどうなるでしょうか。血の気を失って遠からず入院すると思います。しかし、それと比べ物にならない畏れ多い事が日々行われているという事実を今回改めて知りました。私の足を今日もイエス様が洗って下さる、などと言うと、とんでもないことだとお叱りを受けると思いますが、これは事実なのです。勿論、皆様のためにも行われている事実です。そしてそのことについてイエス様は「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」 と言っておられます(ヨハネ13:8)。
 10月13日(日)・14日(祝)の両日、鎌田善三師をお迎えして信州クリスチャン修養会がもたれました。いつもながら牧師先生方はじめ大勢の皆様のご奉仕あっての修養会で、本当に感謝です。
 鎌田師を通して語られたメッセージに、私は反省の連続でした。お話の内容を少しでもお分かちできればいいのですが、私の文章とこの紙面では到底お伝えできません。ですので、いくつか印象に残ったフレーズを以下にご紹介し、あとはCDを聞いていただくことをお勧めします。
 「洗足の記事は四福音書中、ヨハネの福音書にしか記されていない」、「聖餐式の記事は四福音書中、ヨハネの福音書だけ記していない」、「ヨハネは弟子の中で一番若かった。」、「洗足は自分がやるべきだと知っていたし、周りの目もヨハネに注がれたはず。」、「しかしヨハネはそこで誰が一番偉いかという議論に参加していった。イエス様が弟子たちの足を洗い始められたのはちょうどその時だった。」、「そこには裏切りを決めていたイスカリオテのユダも含まれていた。」、「イエス様が残るところなく示された愛は、敵を愛する愛、自分を裏切る者さえも愛する愛。」、「愛することは楽なことではない。身近な人であっても困難。」「3年間一緒にいて育ててあげながら、それでもまだ『誰が一番偉いか』と議論しているようなそんな弟子たちの足をイエス様は洗われた」、「私たちは十字架の贖いによって聖なるものとされた。しかし、わたしたちが生きていく時、いやがおうでも罪にまみれ、足が汚れる。しかしそんな私たちのために、イエス様は今も足を洗っておられる」、「もしわたし(イエス様)が洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません(ヨハネ13:8)。」、「私たちのすべきことは、常に汚れた足をイエス様に差し出し、洗っていただくこと。」
 私は、毎日イエス様に足を洗っていただかなくてはならない者なのだとしみじみと思いました。本当に申し訳ない、畏れ多い、かたじけない、顔から火が出る、もったいない、顔向けができない、申し開きできない、面目ない、遺憾、恐縮、痛みいる、一言(いちごん)もない、穴があったら入りたい、すみません、ごめんなさい、という思いです。でも、これからも洗っていただきます。なぜなら、それが主の御心だからです。

■「三浦綾子読書会全国大会」2013に思うこと   T.T.

 三浦綾子全国大会が皆さんの祈りに支えられ10月18日から19日の2日間、長野県坂城栄光教会を中心に行われ、講師の方々の素晴らしい講演やコンサートで恵あふれる大会となりました。地元実行委員会の記録によれば、無言館、坂城町での水野源三文学散歩に32名、戸倉創造館で行われた平和を願う講演会・コンサートに210名、坂城栄光教会で行われた記念講演会に102名、延べ344名の方々が参加し、三浦綾子読書会を大勢の人々にアピールできたことを感謝いたします。
 全国大会は、2013年4月に水野源三精選詩集が出版されたのを記念し、三浦綾子全国大会を長野県の坂城町を中心に計画されました。初日に行われた文学散歩は坂城小学校、宮尾牧師の足跡、水野家でのインタビュー、赤痢に感染した用水池跡、水野源三歌碑、水野家墓地、千曲川まで心が和む散歩となりました。そして、戸倉創造館では平和を願う講演とコンサートが開かれ、浜田盟子さんの歌と阪井和夫さんのピアノで昨年シリアで亡くなられた山本美香さんに捧げる追悼歌「風の中に」を歌い涙を誘いました。
 最終日は聖教団上田教会福島晶子牧師他、多くの方々からお話をいただきました。アシュラムセンター主幹榎本恵先生からは「タラントは埋めてはならない-榎本保郎と水野源三について」と題し、水野源三と三浦綾子さんのエピソードについて紹介があり、この二人の背後に神様の愛を感じていただいたら幸せだと水野源三精選詩集「わが恵み汝に足れり」に触れてくださいました。ある日、水野源三さんは高熱のため手足が麻痺し動けなくなった。宮尾牧師に出会って聖書を読むことによって聖書を愛していった。多くの方は彼を愛され、一生懸命短歌を書きとめていった家族の心のこもった賜物を埋めてはならない。私たちは皆それぞれに与えられているタラントを持っています。それを、それぞれの手で、力で、持っているわざを出し合っていく。それが神様からの贈り物です。と語られました。
 最後に、長野の北信地域に、長野三浦綾子読書会、三浦綾子読書会「千曲」、今回の大会を記念して三浦綾子読書会「坂城」が11月16日に坂城栄光教会で発足します。神様のこの雄大なご計画に感謝いたします。

■窪島 誠一郎氏の講演を聞いて   H.T.

 2013年10月18、19日と、千曲市創造館、坂城にて三浦綾子読書会全国大会が行われ、その中の文学散歩で「無言館」を訪れました。夜の集会では、館主、窪島氏の講演を聞き感動しました。
 「無言館」は、第二次世界大戦で没した画学生の慰霊を掲げて、16年前につくられた美術館です。窪島氏は東京で「スナック」を経営していた頃、画家で自らも出征経験を持つ野見山暁治氏と出会い、「戦地で亡くなった友の無名の絵がこの世から消える」との声を聞いた。初めは感動しなかったが、画学生の家族は、その人を天才だと思い「未熟な絵を並べるも、もっと絵が書きたい」と言っているようだと話す。
 野見山氏と全国を回って遺族を訪問し、戦没画学生の遺作を集めた。絵は沢山集まった。美術館をつくろう。「無言館」と名付けた。彼らの絵の前に言葉はなかった。戦争を直視していなかった「スナック」経営の自分に無言の絵は語りかけてきた。この絵は夫々に何かを語りかけていると教えられた。彼らの絵が僕を見つけた。画学生の一人は「小生は生きて帰ります。未完成なこの絵の為に。」と言い残して戦地へ、しかし、帰って来なかった。絵は戦地から検閲なしに届いた。彼らの心が届いた。そんな思いで絵を見て欲しいと今日の「無言館」はある。
 窪島誠一郎氏は、作家水上勉氏の息子だそうです。貧しい家庭の事情から2才の時養子に出され、思春期の頃、実の親を探し続け、35才の時、実父水上勉氏と再会と書かれていた。思えば風ぼうも体形も良く似ていると思った。以前、K.H.さんから兄さんの絵を無言館に持って行ったとお聞きした。次回訪れる時には旧姓をお聞きし、又戦争を知らない子供や孫たちと共に行けたらと願っています。

■ベトナムに行ってきました!   K.S.

 大学に入ったらやりたいことであった海外旅行に長い夏休みを利用して行ってきました。成田空港からベトナムのタンソンニャット空港に降り立ってからも海外に来たのだという実感がわかず、翌日の朝ベトナムの道路を見てバイクの量の多さに驚き、ひっきりなしになるクラクションの音でここはもう日本じゃないんだ!と実感しました。ベトナムに流れる大きな川であるメコン川クルーズで新鮮な果物を食べたり、現地の人が利用するスーパーに行ってみたり、バイクタクシーとよばれるものに二人乗りして少し遠くの観光地に連れて行ってもらったり、市内を歩いて観光名所をたくさんまわりました。
 また、ベトナム料理はとてもおいしくて、いろいろなものを食べてまわりました。物価が日本に比べて安いのでおなかいっぱい食べてもこの値段なのか!っていう感じで驚きました。特に私がお気に入りだったのはバインセオというベトナム風お好み焼きと呼ばれるものです。
 コーヒーの名産地ということでカフェも多くいたるところにカフェがありました。ベトナムのブラックコーヒーは基本甘いもので、苦いのを飲みたくて頼んでみても毎回甘いものが出てきて、そういうものなのだと悟りました(笑)。最初はバイクだらけでうまく渡ることのできなかった道路も5日間の滞在でコツを覚え、上手にわたることもできるようになり、ベトナムの通貨であるベトナムドンの価値感覚もようやくわかるようになってきたところで帰国日になってしまいました。5日間は本当にあっという間でした。
 今回は観光を楽しむことができましたが、実際に日本の外に出てみてそれぞれの土地に住む人の生活に密着して触れ合うことができるようになれたらいいいました。

■サタデークラブ(英語であそぼう!!)への神様の祝福   S.I.

 いつもサタデークラブのことをお祈りにおぼえてくださり、感謝です。
 サタデークラブも、今年はいろいろなところを通されました。3月には、メイン講師のリズさんが心臓の病気でアメリカでの入院を余儀なくされました。リズさんの病気が一日も早くいやされるように祈り、また一日も早く日本に帰ってきて、宣教のわざを行えるようにと祈りました。そしてリズさんが留守の間は、飯山聖書センターのマイク宣教師が私たちを助けてくれました。いっしょにプログラムを考え、祈りながら準備しました。マイクさんはすごくアイディアが豊富で、楽しいプログラムを考えてくださいました。ほんとうに感謝でした。
 私はリズさんがいない間、いろいろなことを考えました。サタデークラブは、リズさんに負担をかけすぎていなかっただろうかと申し訳なく思いました。
 11月16日のサタデークラブには、元気になって帰国したリズさんも参加してくださいました。サタデークラブへの神様の祝福は変わることはありませんが、それをあたりまえとして受け取るのではなく、感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。これからのサタデークラブを神様がどう用いてくださるのか、またどうなっていくのか、とても楽しみなわたしです(^_-)-☆

2013年10月号

■巻頭言 「希望をもって自らの葬儀の準備を」  高橋宣弘

 これまで一年間かけて、水曜日の祈り会では、葬儀について学んで来ました。聖書に登場する信仰者たちの最期を見、遺族の悲しみに思いを馳せ、当時の葬儀・埋葬の様子を知りました。そして土浦めぐみ教会の清野勝男子牧師が著された『キリスト教葬制文化を求めて ー 聖書的通過儀礼の理論と実践』を読み、感想や互いの体験などを分かち合いました。
 創世記の最後に登場するヨセフは、自らの死が間近に迫って来た時、家族を呼び寄せて、こう言い残します。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。 ― そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください。」(創世記50章24-25)ヨセフの遺言であり、自らの埋葬についての明確な指示でした。
 これは父ヤコブが残した埋葬の希望と全く同じでした(創世記47章29―31、49章29-33)。ヨセフの遺言は、信仰から出たものでした。異教の地エジプトから、神様は必ず約束の地カナンに帰らせてくださる。その日には、私の遺体を必ず運んでほしいと言い残したのです(ヘブル11章22)。
ヨセフの遺言は、400年以上経った後、果たされます。「モーセはヨセフの遺骸を携えて来た」(出エジプト記13章19)と、エジプト脱出の際に運び出され、そしてヨシュア記の最後には、ヨセフの遺骨がカナンの地に埋葬されたと記録されています(ヨシュア記24章32)。一人の信仰者の埋葬までの壮大な道のりであり、イスラエルの民の信仰の旅路でした。
 クリスチャンは、死が終わりではなく、天国へ続く希望だと信じています。イエス様の十字架の救いにあずかり、神の子とされ、永遠のいのちを約束されています。だから私たちは、最期に向かって行く準備を明るくしていきたいのです。ちまたでは「エンディング・ノート」が流行っています。教会でも今回、総務部の役員さんがご尽力くださって「葬儀に関する希望」を書き残すための書式が出来ました。
 葬儀に参列してくれる家族・友人への信仰の証しとして、また遺していく家族・友人たちのために、あなたらしい良き葬儀を準備しておきましょう。「キリスト教式の葬儀をしてほしい、教会墓地に納骨してほしい」など意志を書き残しておきましょう。
 葬儀の際に歌ってほしい愛唱聖歌、読んでほしい愛誦聖句、そして自らの証しなど自由にお書きください。それを家族に知らせ、また牧師にコピーしてご提出ください。教会で大切に保管しておき、葬儀の際にはその希望に沿って心を込めて司式させていただきます。
 生きている時にも福音を証しし、そして死に際してもイエス様を証ししていきましょう。

■大きな船に乗って~キャンプの恵み~  N.S.

   大きな船が出て行くよ 僕らを乗せて 聖霊の風を受けながら 世界中まわるよ
 娘二人と一緒にウイングスに出ていると、子ども向けのすばらしい賛美に出会います。その中でも「大きな船に乗って」は私の好きな賛美の一つで、今年のキャンプの中でも歌われました。
サマーキャンプに初めて娘を連れて参加したのは一昨年の夏、今年で3回目になりました。神様と教会の皆さん、特にウイングスの先生たちに支えられて全日程参加できて、本当に感謝です。今年のキャンプでは特に2つの大きな恵みがありました。
 1つ目は私の兄が参加したことです。兄は日曜日仕事だったにもかかわらず、「小学生で将棋できる子いるかな?」と将棋盤を用意して参加し、2日目にはたくさんの子どもたちと将棋盤を囲んでいました。兄の話好き・子ども好きな性格(神様からの賜物?)が見事に発揮されたと思います。
 2つ目は娘たちの成長を感じたことです。4才のNは今回のキャンプでお祈りができるようになりました。1才のMは去年はほとんどおんぶしていたのに、今年はしっかり歩いて参加できました。
 教会に娘を連れて行くと、いつも皆さんからあたたかい言葉をかけていただいて本当にうれしいです。ありがとうございます。子育てをしているとあれもできてない、これもできてない・・・と自分のいたらなさに目が行ってばかりの私。でも娘たちを育ててくれるのは神様、そして教会の皆さんのあたたかい見守りと励ましの目です。私はもう大きな乗ってるのだから大丈夫、と安心して過ごしていきたいです。

■妙高ファミリーキャンプ空中散歩  M.H.

 空中散歩は妙高山のふもとからゴンドラに乗って中腹へ行くこと。
 週間予報では7月15日は雨の確率が高く、天候によってはあきらめようかと思っていた。朝食を終えて、見上げると青空が少し見えた。雲も結構あったけれど、雨雲ではなさそう。よし、決行だあ。
 参加者は当初2人だったのが、T姉の心がけがよくて6名になっていた。自然の家から2台に分乗して、妙高高原スカイケーブルへ向かう。
 ゴンドラは6人乗りで、一列3人で、前後に背中合わせで乗り込む。霧が出ていて、妙高山の頂上付近は見えない。ターミナルを出発し、5~6分したころ、遠くに野尻湖が見えた。遠景を望めたのはここまで。あとは霧の中に隠されてしまった。
 11分のゴンドラの空中散歩を終えて、終点に着く。終点は標高1300m。妙高山が2454mなので、五合目ぐらい。ひんやりとして、長そでで正解だった。あじさいやコオニユリなどを眺めた後、ブナの林へ入っていった。木材や樹木に詳しい高橋兄の案内もあって、「ブナ林散策コース」をじっくり味わいながら回ることができた。ブナの木を見上げれば、葉と葉の隙間から空が見える。霧が濃くなってくると、上空がかすんできて、ちょっと幻想的な雰囲気にもなる。林の中の植物も楽しみながら、ゴンドラの山頂駅に戻る。
 帰りの空中散歩に、少し期待していた。半分くらい降りればまた遠景を楽しめるのではないかと。しかし、山の天気は変わりやすい。霧がどんどん下に降りていて、ターミナルに着くまで霧があった。残念。野尻湖は幻になってしまった。
 自然の家にもどる途中、時間があったので、赤倉温泉近くの足湯公園に立ち寄った。熱めの湯とぬるま湯とあり、交互に入るといいらしい。空中散歩で冷えた足、散策で上り坂をがんばった足の疲れがとれた。
 ゴンドラに乗ることが目的だったけれど、ブナの木を覚えたり、広葉樹と針葉樹の成長や強度の違いを学ぶことができ、有意義なワークショップとなった。

■夜のお茶会と証し会(キャンプにて)  H.T.

 キャンプの夜の時間に、M姉の提案で集った方々にお抹茶をお出しする事になりました。お茶の道具(抹茶、お菓子、茶碗、茶杓、茶筅等)を二人で用意して行きました。集った方々は12名、お茶席の簡単なお作法(お抹茶の飲み方やお茶碗の拝見等)も覚えて頂きました。初めての方が多く初体験だと言って下さった方もいました。
 一通りお茶がすんだ後は、救いの証し会になりました。我家の受洗の時の写真を見て頂きながら、夫々の証しを聞く事になりました。Tさん(Eさんのご主人)も初めて来たときの事等、お話して下さり感謝でした。一泊二日の短いキャンプの日程の中で、クリスチャンの集会として何か有意義なプログラムがあればと思いつつ、今年はこんな形で証し会になりました。
 キャンプを楽しく又多くの方々が参加出来るように、来年のキャンプのためにお祈りします。

■温泉について  K.K.

 今年の妙高ファミリーキャンプでは、Tさん(Eさんの御主人)から温泉について教えていただきました。温泉ソムリエの資格を持っているTさんから、テキストを使い、温泉の法律上の温泉とは何か、効能は、温泉の種類は、などていねいに教えていただきました。12名がスバルホールの和室でお話を聞いたり質問をしたりして、時間がすぐに経ってしまいました。
 そのあと4名で温泉ソムリエ発祥の地といわれる赤倉温泉街に行き、「ホテル秀山」の温泉に入りました。海の日の3連休のせいか、お客さんが大勢いましたが、男湯には数人しかいなくて、洗い場も広く、露天風呂もあって、とてもよかったです。 湯上り後は、大広間の休憩室でゆっくり涼み、無料の冷水サービスもありました。日帰り入浴500円でとてもお得な感じでした。さすがは、温泉ソムリエさんが教えて下さった素晴らしい温泉でした。(ちなみにTさんの一押しは「赤倉ホテル」。今回日帰り入浴は宿泊客が多くできませんでした。)
 温泉ソムリエとは、温泉ソムリエ協会が「温泉の知識」と「正しい入浴法」を身につけた方に認定する資格とのことです。温泉法の法律でいう温泉とは、25度以上の温水、または、冷水でも鉱物等の物質を含んでいればよい等、初めて知りました。温泉の効能のうち、一般的適応症といわれる「神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進」は、温熱作用による血行促進効果によるとしての全温泉に共通のものだそうです。自宅の風呂でも同じ効果はあるとのことです。自宅の風呂でゆっくりとリラックスして入れば、血行促進効果が期待できそうです。

■参加者の声

 神様が導いてくださり、毎年妙高でウイングスのキャンプが開かれていることを感謝しています。いつも子ども達が集まるのだろうかと心配しますが、神様は不思議な方法で導いてくださり、子ども達を集めてくださいます。そして子ども達が真剣に神様のお話を聞いている姿を見、自然の中で楽しんでいる姿を見るとうれしく思います。小さな働きですが、来年もひき続きキャンプが行えるようお祈りください。(S.H.)

 今年は、子ども会に来たことのある子どもたちから、参加したいという声がたくさん聞こえてきて、とてもうれしく思いました。こんなに大勢の参加者を迎えてもらえるかという心配は、福音教会の宣教協力の熱意に消し去られ、よく準備されたキャンプに子どもたちは大喜びでした。聖書のメッセージにもよく応答していた子どもたちがこれからも主に向かって歩んでいけるように、帰ってからも祈りつつフォローしていきたいと思います。主にある協力に感謝しつつ(広田信之)

 子どもたちがキャンプを心から楽しんでいる姿を見て神様が一緒にいてくれていることを感じました。神様と初めて出会う子どもたちが素直に自分の罪を言い表す姿を見て私も自分の罪と向き合い、神様にゆるして頂きたいと思いました。(M.K.)

 川遊びでは皆でワイワイはしゃげて楽しかったです。高橋先生のお話では、イエス様が私たちの罪のために十字架にかかられたことを知りました。罪を自覚したらすぐイエス様に謝るようにしたい。(E.T.)

 ナイトウォークでホタルがたくさん見つけられて楽しかった。十字架にかかった理由の説明がわかりやすかった。十字架の上でイエスキリストが苦しんでるのに下で兵隊が下着をくじ引きをしてるのがヒドイと思った。(中1 M.H.)

 今日のことで、イエスが私たちのつみをゆるしてくれることをすばらしいと思いました。今日、みんなのつみをゆるしてくれてすごくありがたい。(6年 A.M.)

 男子と女子でまくらなげをした。とても楽しかった。(5年 Y.K.)

 川あそびの時、おたまじゃくしをつかまえるのが楽しかった。(5年 Y.H.)

 川遊びとキャンドルサービスが、友だちと遊べて楽しかった。(5年 H.K.)

 川遊びに行った時、おたまじゃくしがいたり、みんなと水遊びができて楽しかった。(5年 I.S.)

 川あそびの時、川でこけたことが自分ではおもいでにのこっています。(5年 T.I)

 川あそびのときの水がつめたくて楽しかった。ビンゴがさいしょの方でビンゴになれてよかった。スペースシャトルのゲームでいんせきをまもるのがたのしかった。同じへやのAちゃんとお友だちになれてよかった。(3年 M.K.)

 はじめてのキャンプでしたが、キャンプって楽しくて、おもしろくて、いちばん楽しかったことは川遊びです。川の水はすごくつめたくて、かたまでは入れるけど顔まではむりだと思います。2だんベッドの上はすごくあつくて、したのほうがすずしいと思いました。1にちでしたが、すごくたのしいきゃんぷでした。(3年 G.S.)

 せいしょのはなしをしていたけど、はなしかたがわかりやすかった。いままでいち番楽しかったのは今回だった。一番楽しかったのは川あそびだった。(3年 S.H.)

 川あそび、まくらなげ、きもだめし、キャンドルサービスが楽しかった。(3年 S.F.)

 キャンプのぎょうじではぜんぶ楽しかったです。たけみ君は川あそびがいちばん楽しかったといっていました。あと1回川あそびがあるのでたけみ君はおたまじゃくしをつかまえたいいってうるさかったです。おいのりをたくさんしたので、やりかたをおぼえました。らい年もキャンプにいきたいです。(H.Y.)

 びんごとかわあそびがたのしかったです。たかはしせんせいのげーむがたのしかったです。おんせんのおゆがあつくてきもちよかったです。(1年 A.K.)

■オンギジャンイ・コンサート  M.Y.

 “世界中に主の愛を伝えたい”愛の熱血漢オンギジャンイを今年もお迎えできました。5週間のコンサート計画で来日し、各地を巡り、4週目に入った8月28日(水)に長野に着きました。明日からは南信方面に向かう予定という多忙の中を当教会に寄って下さりNaEC(北信伝道協力会)主催のコンサートでした。今回はバイオリンとチェロ奏者も加わり13名で、メンバーは仕事をお休みしたり、神学校の学生さんなど途中交代しながら、コンサートを開いているそうです。リーダーのN.K.さんは3年連続で長野に来られ、お顔なじみとなりました。最初の1、2曲は韓国語での賛美、あとは日本語で美しいハーモニー、楽器も加わって、重厚な賛美を聴かせて下さいました。どの曲もスクリーンに歌詞が写されて分かりやすく、沢山の曲を日本語で憶えて歌うのは、さぞ大変だったと思います。賛美の中でリーダーの指導で手を叩いたり、席を離れて参加者同士「主はあなたを愛しています。」と握手したり、ハグしたり、会場内を巡りました。久しぶりの方に会えたり、皆さんも雰囲気に乗り乗りでした。賛美の歌詞に心さぐられ、聖められたい思い、励ましと平安、元気を頂けたひと時でした。
 一品持ち寄りの昼食会も賑やかに、ちらし寿し、赤飯、カレー、サラダ数種、激辛のキムチ他数えきれない程、皆様のお気持ちの十分あらわれたお食事を頂きました。お客様も美味しかったと喜んでおられました。
最後に、お礼にと賛美を一曲、伴奏なしで身近に聴けたこの曲が一番良かったとのお声も。私たちも感謝の贈り物をしました。7、8月の祈り会のあと、ラベンダーのスティック、匂い袋、押し花の栞など手作りで準備しました。喜んで頂けてよかったです。
 今回のコンサートへは、13名の賛美チームの他に60数名の参加者でした。次の再会を約束し、旅路の平安をお祈りし、車が出るまでお見送りしました。

■会計部の働き  K.S.

 会計部の働きは地味なもので、全く変化のあるものではありません。毎主日にささげられる献金の出納を正しく管理し、年度末に予算・決算をまとめることが主たる任務です。
 しかし、教会の日常的な歩みを地道に経済面から支えていくという働きは、教会にとって必要なことではあるのだろうが十分なことではないのではないかという思いも感じています。教会というところは民間企業のように利潤を追求するという大目標を掲げるものではありませんが、教会の働きが、クリスチャンとしての霊的な成長を保ち高めるという側面にとどまらず、神様のご命令に従って未信者への伝道や社会への宣教のために働くことであるということを改めて思い起こせば、教会の会計のあるべき姿や大きな目標がおのずと明らかになってくるように思います。つまり、教会がどのような計画をもって地域社会への伝道や宣教に取り組んでいくのかといった教会全体としての具体的なビジョンを掲げ共有することによって、献金の目標も漠然としたものから明確なものに変わってくるのだろうという気がします。誰しも自分はいただく恵みの中から精一杯献金していると思っていますが、目先の決算や予算といった小さな目標を見て安堵していて良いというものでもありません。将来に向けて祈りながら感謝と期待をもって神様の御用のためにささげていくという思いが大切だと思います。
 教会のビジョンは私たち一人ひとりが祈るなかから徐々にはっきりと示されてくるものなのだろうと思います。祈りは共有されなくてはなりませんから、祈り合うことは大切なことだと思います。21世紀ビジョンという名はなくなりましたが、教会が実体として成長していくためには、掲げられていた課題も大きな目標となり得るのだろうと思います。敷地や施設の拡充も伝道の一部として位置づけ、真剣に祈っていかなくてはならないものだと思います。教会には蓄えができてきましたが、いざ大きな計画の実現となった場合には全く十分ではありません。私たちは、神様のご命令があった時にいつでも動けるように準備をして待っていなくてはならないのだと思います。

■信仰告白(受洗の証し)  H.I.

 自分の力、努力ではどうしようもない苦しみ、悲しみ、絶望、そんな時、聖書の言葉に光を感じました。
 私が好きなみことばは、いくつかあるのですが、なかでも、一番最初に心に入ってきたみことばは
  「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23章42~43節)
 これはイエスさまと共にはりつけにされた罪人のうちのひとりに、おおせられた言葉で、「あなたは今、わたしとともにパラダイスにいます」です。
 はりつけにされるほど罪人ですから、恐らく、重い罪を犯したのでありましょうが、最後にイエスさまを受け入れたことにより、イエスさまは「あなたはわたしとともにパラダイスにいる」とおっしゃってくれたのです。
 私の中には、その罪人ともうひとりのやけくそになってイエスさまに罵った罪人と、両方が存在している気がします。私はいつも、イエス様と共に楽園にいる方の、罪人でありたいとその時、強く思いました。
 私が犯してきた罪は、消せることのできるものではないでしょう。でも、イエスさまを受け入れ、信じ、イエスさまにも受け入れてもらいたいと強く願っています。洗礼を受け、イエスさまと共に楽園にいたいと思っています。

■図書コーナー新設記念児童文学への誘いその6(最終回) ヨハンナ・シュピーリ 『ハイジ』  K.Y.        

 この児童文学紹介コーナーも最後となりました。今回は皆様よく御存じの『ハイジ』を取り上げたいと思います。
 ハイジがデーテおばさんに連れられてやって来たおじいさんの小屋は、はるか谷を見渡せるアルプスのアルムの山の頂にあった。ここで、おじいさんは神にも人にも背を向け一人で暮らしていたのだった。利発で純粋なハイジは、おじいさんとの山の生活に自然に溶け込み、夏はヤギ番のペーターと牧場へ行き、冬はペーターの家の目の見えないおばあに楽しい話を聞かせ、おばあの心の慰めとなっていた。アルムの山で二度目の春を迎えハイジが八つになろうとしていた頃、フランクフルトのゼーゼマン氏が娘クララの勉強相手を探しているという話を聞き、デーテおばさんがハイジを連れ戻しに来た。壁と窓しか見えない屋敷で退屈な日々を送っていた足の不自由なクララは、ハイジが来てからは、次々と起こる愉快な出来事をたいそう楽しんでいた。一方ハイジは、屋敷を切り盛りしているロッテンマイヤさんの厳しい躾や、文字の勉強に疲れ果て、山への恋しさをつのらせていく。そんなハイジを、クララのおばあ様は励まし、苦しい時は神に祈ることを教えてくれる。
 ――「神さまはわたしたちみんなのお父さまで、何がわたしたちのためになるか、ちゃんとごぞんじなのよ――。おねがいしたって、それがわたしたちのためにならないことなら、かなえてはくださらないの。でもだからといってすぐ逃げ出したり、神さまにあいそづかししたりせずに、心からお祈りすることをつづけていれば、きっと、もっといいことをさずけてくださるのよ・・・・」――
 ハイジは優しいおばあ様の期待に応えようと一生懸命勉強し、「山へ帰してください」と祈るが、ついに心の負担から夢遊病になってしまう。ハイジの悲しみを理解したお医者様は、すぐにハイジを山へ帰すようゼーゼマン氏に強く勧める。アルムの山は一年前と少しも変わらず、黄金色の夕日がハイジを優しく迎えてくれる。ハイジはおじいさんのもとへと山をかけ登り、うれしさで胸がはちきれそうだった。ただひたすら神を信じで待ち、本を読んでおばあを喜ばせてあげられるというお土産まで持って帰ってこられたハイジは、神が最良の時を選んで自分を山へ帰してくれたと、心から感謝する。
 ――「わたしがあんなにいっしょうけんめい、心の中でおねがいしたことを、もし神さまがあのとき、すぐかなえてくださったんだったら、こんなに何もかもうまくいかなかったはずだわ。あのときすぐ帰ってきちゃったら、おばあには、ほんのちゃっぴりしかパンをあげられなかったし、本を読んできかせてあげて、あんなによろこばせてあげることもできなかったんだわ。神さまはやっぱり、何でも、わたしの考えてたよりか、ずうっとうまくいくようにとりはからっていてくださったのね。・・・さあ、これからは、おばあさまに教えていただいたように、いつもお祈りをかかさないようにして、すぐにかなえていただけないからって、神さまをうらんだりはしないわ。・・・おじいさん、これから毎日お祈りして、神さまのことわすれないようにしましょうね。神さまの方でも、わたしたちのことをわすれずにいてくださるように。」――
 そんなハイジの信仰に打たれ、安心しきった寝顔を見ている時、おじいさん自身、こんな自分でも、もう一度神の御前に迎えられることができるだろうか・・・と祈る。
 ――「父よ、わたしは天にそむき、あなたにも罪をおかして、もはや、あなたのむすこと呼ばれるにあたいしません!」大つぶの涙が一しずく二しずく、老人のほおを伝って、転がり落ちました。――
 そしてあくる朝、おじいさんはハイジを連れて教会へ出かける。最初は驚いた村人たちも、牧師と和解したおじいさんを見て、口々に歓迎の言葉を述べた。おじいさんも冬場は村で過ごすと約束し、ハイジはここで学校に通った。冬の間ハイジは勉強嫌いのペーターにも、なぜ勉強しなくてはならないのか自分が教わったように教え、おかげでペーターはハイジが雪で来れない時におばあに本を読んであげられるまでに上達した。その前の秋に、娘を亡くし傷心したお医者様が、しばやくアルムの山に滞在し、ハイジの信仰に励まされてフランクフルトに戻ったのだったが、クララに山の様子を毎日のように語ってきかせ、山はクララの体にもよいと判断したことから、夏になると、クララ自身が山にやってくることになる。クララは青空の下のテーブルでヤギの乳をおかわりし、ハイジと一緒に星の見える屋根裏部屋のベッドで眠った。おじいさんの配慮のもと、すっかり健康になったクララは歩く練習をはじめる。折しもペーターはハイジがクララにかかりきりなのが面白くなく、クララの車いすを山の上から落として壊してしまう。クララは山の生活の中で、自分も人に助けられるばかりではなく、人を助ける立場になりたいと考えるようになり、はじめはハイジとペーターの肩を借りてだったが、一歩ずつ、やがてしっかりと歩き出す。アルムの山を訪れたゼーゼマン氏は、すっかり健康になりバラ色の頬をしたクララが、ハイジに肩を借り、しっかりと歩いているのを見て涙を流して喜ぶ。そして感謝のしるしに、ハイジとペーターの家の面倒を一生見ることを約束する。ハイジを取り囲むすべての人が、神の恵みを心から感謝した。
 ――「ハイジ、賛美歌を読んでおくれな!何だかもう、わたしには、天の神さまをほめたたえ、ありがたいお恵みのお礼を申し上げるほかに、何もすることがなくなっちまったみたいだよ。」――
 ヨハンナ・シュピーリ(1827-1901)はスイスのヒルツェルという村に生まれます。7人兄弟の真中で、灰色がった目にとび色髪の毛の持ち主だったそうです。『ハイジ』の舞台そのもので育ち、ハイジはヨハンナがモデルとして描かれているようです。父は医師として山村で開業し、すべての人の病気を診て、病人と共に生活していました(クララの描写につながる)。母は牧師の娘で宗教詩を書く作家でした(ハイジの厚い信仰)。
 ヨハンナはゲーテを愛読し、その影響で、ことに“しつけ”を重視する作品を書くようになります。またルソーを尊敬していて、“愛情のこもった自然な教育”を提唱しています。『ハイジ』の中にも垣間見られる要素です。
 『ハイジ』においては、美しい自然とそこで育まれる健全で思いやりのある理想的な人間像がテーマになっています。特に自然―アルムの山・モミの木・野に咲く花々・夕焼けのアルプスの描写・・・は素晴らしく、読者が容易に想像できるほど詳細に描かれています。また、泡立つヤギの乳・焼きたてのパン・黄金色のチーズ・・・は子供の憧れを呼んで、今でも『ハイジ』は子供たちに強い人気となっています。
 でもなんといっても、『ハイジ』といえば、一言で、“子供の天真の純粋さ、無邪気さというものが持つ無言の力‘永遠に子供的なもの’への賞賛”であると思います。その純粋な瞳・姿・信仰に、物語の中だけでも、どれだけの大人が改心させられたことでしょう。ハイジの周りにいる人、みんなが神に感謝し、幸せになって物語は終わっています。
 日本では何十年が前にアニメになったことで、知名度は高いですが、ヨハンナが一番伝えたかった“神さまの働き”が削られてしまっているので、ぜひ完訳版をお読みいただきたいと思います。おじいさんだけではなく、ハイジの純粋な信仰の前に、自分の罪を思い知らされ、感激で涙があふれてくること間違いなしです。
 ハイジのように、またヨハンナのように、純粋に神にゆだねて感謝して祈りながら歩んでいく人生でありたいと強く思いました。
 ヨハンナ・シュピーリの墓石「主よ、われ今何をか待たん わが望みはなんじにあり」(詩篇39:7)

2013年7月号

■巻頭言 「聖書の暑さ対策」  高橋宣弘

 梅雨が明けるやいなや、夏しかも猛暑が押し寄せて来ました。小さな子どもたちやご高齢者、心身の調子をくずしている方々のために、共に祈っていきましょう。暑い夏に、さらに暑くなってしまうような話題ですが・・・、聖書の中で「暑さや汗」がどのように取り上げられているか、見てみましょう。
 1. 暑さも神様からのプレゼント
 創世記3:19には、人が罪を犯したその報いとして、「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。」との神様の宣言があります。暑くて辛くても、私たちは健康が許す限り、働かなくてはいけないのでしょう。
 またノアの時代、大洪水が過ぎ去った後、神様は「地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」(創世記8:22)と仰せになりました。神様は、寒さも暑さも必要なもの・善きものとして、私たちに与えてくださっています。四季折々の恵みがあり、暑い中ぐんぐん伸びていく植物があります。
 2. 暑さを避けて、休もう!
 聖書の登場人物たちも、あまりの暑さにあっては、日陰に涼を求め休みました。「主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現われた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。」(創世記18:1)この時アブラハムは、風が通る場所でうつらうつら昼寝をしていたと思われます。祭司の服装についても、「亜麻布の服」を着て、「汗の出るような物を身に着けてはならない。」(エゼキエル書44:17,18)と、神様は細やかな配慮を示してくださいました。
 3. 主なる神様が暑さを避ける陰に
 イザヤ書25:4には、主よ「あなたは・・・暑さを避ける陰となられたからです。」とあり、エレミヤ書17:7,8には、「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、― 暑さが来ても暑さを知らず、― いつまでも実をみのらせる。」との神様の祝福が約束されています。厳しい暑さの中でも、神様から新しい力を頂いて、一歩一歩進んで行きたいと思います。
 4. 人を生かす福音を分かち合おう!
 イエス様は十字架に架けられる前夜、ゲツセマネの園で「汗が血のしずくのように地に落ち」る(ルカ22:44)壮絶な祈りをささげ、「みこころのとおりに」と十字架へ進んでくださいました。私たちは、イエス様の御苦しみと身代わりゆえに、罪赦され、救われた者たちです。
 箴言25:13には、「忠実な使者はこれを遣わす者にとって、夏の暑い日の冷たい雪のようだ。彼は主人の心を生き返らせる。」とあります。人を生かすイエス様の素晴らしい福音を、私たちは使者として、喜んで分かち合っていきたいと思います。そしてまことの主人なる神様の御前にあって、私たちの歩みが、暑い日の雪のように喜ばれるものとなっていけたら幸いです。

■信徒セミナーに参加して  M.K.

 3・11東日本大震災から2年余りが過ぎたこの4月29日(月)、盛岡みなみ教会の大塚史明先生をお招きして、セミナーが開かれました。現地で日々生活されている先生のお話をお聞きしたく、参加しました。震災直後、そして現在の映像を示しながらのお話でした。
 岩手県といっても、高速道路や新幹線の通る内陸、今回大きな被害にあった沿岸は、人口面でも内陸は95万、沿岸は27万と大きな差があるとのこと。そしてこの内陸と沿岸を結ぶ道は、かつて日本のチベットと言われたほどの山間地。そこを走る貴重な線路も流され、まずは道の確保、そして被害状況を把握しながら家屋の泥出し、避難所、物資の供給、行政の届かない人への支援、限りない支援の日々の積み重ね。その中で、被災地の皆さんはよくしてもらった事、助けていただいた事は決して忘れない。又、支援者側の高ぶった行動には、いけない事にはいけないと注意する等、そこに日々信頼関係が出来、協力が生まれていったとのことでした。教団、教派を超えて、自然発生的にボランティアチームが送られ、すべて献金による運営。現在、沿岸の岩泉、宮古、山田、釜石、大船渡、一関の6ケ所の教会が地域ベースとして動いているとのこと。
これら多くの経験を通して「人には人が必要」との先生のコメントでした。伴に歩む人仕える心でより添ってくれる仲間、分かり合える人です。
 今、2年を経た現地では、各団体が沿岸から撤退を決め、引き上げはじめた団体もあります。支援と宣教を分けることなく、あせることなく、地道に、住む人々にふさわしい協力をして、共に歩む人としての支援を続けていくとのこと。とかく忘れっぽい私です。いつも被災地のことを心にとめ、祈れる人でありたいと思いました。

■信州宣教区 連合婦人会  M.N.

 今年の連合婦人会では、伊那聖書教会牧師の大杉至師が「放射能汚染時代に生きる~放射線と病気と健康~」について語って下さいました。
 チェルノブイリ原発による健康被害。放射線が病気を引き起こすメカニズム。放射線によるガン死リスクについて。福島第一原発事故の汚染状況。放射線と老化。放射能と健康被害についてお聞きすることができました。あのチェルノブイリ原発問題でさえ解決がむずかしいと言われて来たのに、福島はいったいどうなってしまうのだろう。もし浜岡原発や柏崎刈羽原発が事故を起こしたとしたら、信州はかなり深刻な汚染地帯になるということ。山間部に積もった放射性物質は雪解けと共に徐々に里に下りてきて除染は事実上無利だということ。今私たちが住んでいるこの場所は、半径100km、250km圏内に入るということに私はたいへんおどろきました。

■バザーの恵み  M.K.

 天候が心配される中でしたが、今年も多くの方が教会へと足を運んでくださり、無事にバザーが行われました。
私にとってバザーはとても楽しい日であるとともに、神様から信仰を試される大切な一日でもあります。日々、神様を知らない家族や友人の前で何を証しし、どう生きているのか。私が不誠実な生き方をしていれば、周りの人々は、神様を教会を信用のおけない足を踏み入れたくない所だと思うでしょう。
 ですから一つも自信のない私は、ただただ神様に祈りながら毎年バザーの日を迎えます。
 そして今年は両親と友人がバザーに来てくれました。両親にバザーの話をすると母は「いつも教会の皆様にお世話になっているのだから」と手芸品を用意してくれ、父は値札の値札の付け方にまで口を出しはじめ、家族でこれはいくらだ、それは売れないよ(笑)などと教会の話をノンクリスチャンの家庭ですることができました。そして、バザー当日は、教会の皆様が声を掛けて下さり、楽しい買い物もでき、帰宅後も教会の話題が上がりました。そして小学生の頃からの友人も私がいるから、と教会へ足を運んでくれました。
 全てに神様が働いてくださいました。私が思っていた事、願っていた事以上の事を神様がしてくれました。本当に感謝です。
 世の中のバザーは楽しいお祭りのようなものだけど、教会のバザーは家族や友人、地域の方に教会や神様のことを知ってもらうとても大切な機会だと改めて感じました。
 このバザーで数多くの恵みを与えてくださった神様に心から感謝いたします。

■人間関係にとって大事なこと  M.K.

 恵みの雨が降る中、今年のレディス・ランチョンが行われました。賛美と講演とおいしい食事、そして久しぶりに中尾姉や小学校の同級生にも会えて、うれしいひと時でした。最初にピアノとチェロの伴奏で美しい歌声。とてもぜいたくな、満たされた時をいただきました。音楽を聴くのも心のケアに大事とのことです。
 堀肇先生は「心の部屋を空けて」との題名で、人の感情や人間関係における大切なことを、順を追って話してくださり、心にずしんと響きました。
 人間は、知覚思考と感情と記憶がちゃんと整って心が維持されていて、それは奇跡のようなこと、感謝なことである。人間関係とは、心の状態が違う人が、上手にすり合わせて生きて行くことであって、「うまくいっている」と思っても片方は『身を削っている』場合もある。(うーん、我が家の場合はどうだろう・・) 
 《人間関係について》
 ①まず自分を良く知ること。そして、自己受容すること。(弱い所も強い所も、ありのままの自分を受け入れる。これ以上でもこれ以下でもない、そのままの自分を受け入れる)
 ②傾聴(人の話を心と目を傾けて聴く。聴くというのは愛の一つの行動)
 ③受容(話について自分の判断をしない。存在そのものを受け入れる。意見が違っても・・)
 ④共感(同感ではなく、自分を失わないで、相手の感情を理解する)
 その他、肯定的な言葉を使う(例:付き合い悪いね。→ちゃんと断れていいね。)、相手をほめる、というちょっとの一言で人間関係が変わってくることを話されました。
 せっかちでパッパッと判断しがちの私にとって、日常を振り返る貴重な機会となりました。

■伝道部の働き  K.M. 

 福音宣教こそが教会固有の使命であり、私たちキリスト者の他にこの働きを担うものはありません・・役員会での担当が変わるたびに、教会の一つ一つの働きについてあらためて考えさせられることを感謝します。
 伝道というと、イベントのイメージでしょうか?事実今年も、バザーとゴスペルワークショップ&コンサートが伝道部の活動の大きな柱です。恒例となった教会バザーは、近隣の方々、教会員のご家族・ご友人にお越しいただき、皆様の創意工夫と日頃の研鑽の賜物で、本当に祝福された時間でした。
 ゴスペルワークショップも魅力的な講師・Emi先生にリードしていただきながら3年目を迎え、好調にスタートしました。教会外の方々が、毎月定期的に通ってこられるという嬉しい光景が、日常になりつつあります。
 どちらも、これからの継続と発展を思い描きながら、祈って育てていきたい活動です。
 しかし、伝道はこうしたイベントにとどまりません。着々と更新されているホームページ、そっと張り替えられている各所の案内看板、サタデークラブやそのためのチラシ配布。新しく来られた方・教会になれていない方に寄り添ってくださったり、教会から離れている方を訪ねたりお便りくださったり、開拓伝道等のためにお献げくださったり・・・。これらすべてが尊い伝道の働きです。さらに言えば、キリスト者である私たちが、この社会の中で生かされていることを通して、様々な形で福音の種はまかれていくのだと思います。伝道部を担うのはおこがましい限りですが、祈りつつ学びつつ、伝道計画を練っていきたいと思います。皆様と共に、置かれた場所で咲くことができるように、主がここに福音教会を置いてよかったと喜ばれるように、励んで参りましょう。

■“祈り”余聞  H.T.

 札幌でのこと。所用のため家の教会リーダーのYさんが教会に行ったところ、一人の老人が玄関横の駐車場にうずくまっているのに気付いたそうです。身体の具合でも悪いのではと思って声をかけた処、老人は、宝くじ(三億円)が当たるように祈りをささげているのだと言う返事。
 この話しを聞いて私は考えました。教会と宝くじの祈り、この方は、キリスト教の天地創造の神を知ってのことかと・・・。日本では、神道や仏教そのほか沢山の宗教があり、私の知るところ神棚と仏壇が同居している実態が多いのではないかと思うのです。日本人の宗教感覚は非常に複雑で、自分の家は代々仏教で、どこそこの檀家という人も、お正月には神社に初詣に出かけて行きます。日本人は、日本人固有の感性で「かみ」を考える。独得の宗教心を持っている。私もそのような宗教心に支配されていた一人だと思っています。私は、家を新築してから或る宗教家の啓発を受け、神棚を備えず、仏教一筋の信仰生活でした。自分の宗教を知らなければと思い、定年退職後に西本願寺派の講習を受けました。残ったものは、やはり強い慣習だったような気がいたします。キリスト教とのかかわりは、家に投げ込まれたパワー・フォー・リビングでした。この本を読んで感銘を受け教会に妻と通い始めました。
私達にとって「お祈り」は、緊張と戸惑いの時です。祈りに一番欠けていることは、賛美だとも言われているようです。
 稿の終わりに私自身の祈りを記させて頂きます。「神様、私は今まで自分自身のやり方で人生を生きてきました。今、私はあなたの方法で生きて行きたいのです。私にはあなたが必要です。今、私の人生の支配権を喜んで明け渡します。あなたの御子であるイエス・キリストを私の救い主として、私の主として受け入れます。私は、イエス様が私の罪のために死んでくださり、死からよみがえられたことを信じます。私をあなたが望まれる人間にしてください。」

皆様に感謝の花束を  K.I.

 4月の日曜礼拝のあと、食堂で新人歓迎会をして頂きました。一人一人の自己紹介を聞いて、さらにその人となりがよくわかりました。そして改めてアットホームな教会だと思いました。私が教会の皆様と交わるようになったきっかけは、一昨年、現在療養中のリズ先生が、英会話教室のあと、ゴスペルコンサートに誘って下さったからです。私は、神様を賛美するゴスペルを初めて聴いて、とても感動しました。そして昨年は、クワイヤーの一員に加わらせて頂き、恵美先生のご指導のもと、半年間の練習の後、12月に発表することができました。恵美先生のように、1フレーズごとに祈りながら歌ったところ、英語の歌詞がすらすらでてきたので、最後まで何とか暗譜で歌うことができ、達成感を味わいました。
 さて、私事ですが、今から43年前に病死した父は、クリスチャンでした。娘の頃、父の穏やかな人柄から知らず知らずのうちに、クリスチャン人格を肌で感じながら過ごしました。病弱な父は、気管支が弱く、よく風邪を引き、激しい咳をしていました。それでも父は、弱音を吐くことはありませんでした。本当に辛抱強い人でした。生前父からみ言葉を聞くことはありませんでしたが、30代半ば頃にその機会が開かれてから今日まで私は、神様の存在を信じ、頼りながら生活をしてきました。この1年半、高橋先生がご夫妻初め他のクリスチャンの皆様に支えられて歩むことができて、心から感謝しています。神様のご意志ならば洗礼を受けたいという思いでいっぱいです。今後共どうかよろしくお願いいたします。
-亡き父のあとに従い歩みたし神様のみ手に抱かれながら-

■給食のお姉さんになりました  Y.M.

 長野福音教会のみなさま、お久しぶりです。あの小さかったYちゃんがついにこの春、社会人になりました。神奈川県で一人暮らしをしながら、高齢者福祉施設の栄養士として働いています。ママ大好きの泣き虫Yちゃんからは、想像できない姿です。
 親元を離れ4年間、私は、ただ美味しいだけではなく、楽しくて健康的なご飯を作りたいと、栄養学を勉強してきました。家族も友だちも、そして私が働く中でも、私が作るごはんでみんなに笑顔になってほしいというのが、私の夢です。大きいような、小さいような夢ですが、ぴちぴち新社会人Y.M.は、叶える気満々、全力スタートダッシュなうです。
 今は研修中で、毎日厨房で先輩栄養士さんや、調理師さんにたくさんのことを教えていただいています。調理師さんの技術の高さに感動し、料理のおいしさに感激し、自分の未熟さに撃沈しながらも頑張っています。先輩方は、一つ一つ丁寧に教えてくださいますし、早く職場に馴染めるようにと話しかけてくださる優しい方ばかりで、恵まれた職場環境だなぁと日々感謝です。利用者さんも、素敵な方がいっぱいです。遠くから手を振ってくださったり、厨房をのぞきにいらしたり、私はほとんど厨房にこもりっきりなのにもかかわらず気がついて「あの若い子はだれ?新人さん?」と尋ねてくださったりと、思っていた以上に利用者さんと関わるチャンスがあり、楽しい毎日です。
 それでもやっぱり社会人。いつかは荒波にもまれることもあるでしょう。楽しい時も苦しい時も神様と一緒に、それと持ち前の負けん気と明るさで乗り越えていきたいと思います。
 なかなか長野に帰ることができない現状ですが、いつかひょっこり帰省してみなさんと一緒に礼拝を捧げたいと思います。以上、新社会人レポートでした~!!ちゃんちゃん♪

■近況報告 Y.K.

 長野を出て、東京での生活が早くも6年目となりました。皆様には、お祈りに覚えていただき、帰省した時に声をかけてくださり、心から感謝申し上げます。
 現在私は大学院で学びを続けながら、小学校での非常勤講師と学童保育でのアルバイトをしています。近況報告とのことなので、それぞれのことについて簡単に報告させていただきたいと思います。
 大学院では学部時代に比べて学ぶ内容が深くなりました。授業や研究を通して、とにかく本や文章を読むようになりましたし、色々な方(教授や研究の協力者など)と深く話をする機会も与えられ、世界がぐっと広げられています。また、授業や研究の合間をぬって、大学でクリスチャンの友人と聖書を学んだり、祈ったり、話したり、遊んだりする時間も与えられ、この時間は大学生活の支えだと感じています。
 小学校では今年は2年生に算数を、5年生に理科を教えています。昨年度から学校の中でも大変と言われる学年の配当になることが多いのですが、小学校の先生方に支えられ、子どもたちに元気をもらい頑張っています。
学童保育は最初にテレビを通して知った場所でした。1年半ぐらいそこで働いてみたいと願っており、今年度から働かせていただくことになりました。働き始めて2か月が過ぎましたが、本当に楽しく、たくさんの刺激を受けながら働いています。
 教会も国分寺バプテスト教会に通うようになり6年目です。今年から中学生のための居場所づくりに力を入れていて、月に1回か2回、カフェスタイルのスペースを開放しています。「子どもたちに寄り添い、地域に仕える教会とは…」ということを問いながら進めています。
 あれもしたい、これもしたいとよくばりな性格で、ついつい自分のしたいことが中心になってしまいやすい私ですが、神さまが「またゆりはわかってないなぁ…」と思いながらも引っ張ってくださり、神を愛し、人を愛する豊かさに招き入れてくださっていると感じています。大変~と思うこともありますが、神さまの御手の中に置かれ、神さまとともに日々を歩めていることがただただ感謝です。
 今年度は、6年間の学びのまとめの年となります。修士論文を書くこと、今後の仕事のことなど、大きなこともある年ですが、小さなことを大切に生活していきたいと思っています。

■1年間の学びを終えて  A.K.

 いつも、お祈りくださりありがとうございます。 
 私が長野から離れ東京基督教大学(以降からTCUと略す)に入学して早一年が経過しました。私にとっては長いようであっという間の一年間でした。そして、神様の恵みと愛にはぐくまれ、充実一年間でもありました。
 しかしながら、最初からTCUでの生活が順風満帆であったかというとそうではありませんでした。まず、TCUに入る一カ月前に高橋先生から福祉科に入学する生徒が自分一人と聞いたときはとても不安で仕方がありませんでした。「自分一人で福祉の学びをしていくことができるのだろうか?また、自分の年齢が入学当時24歳の奴が、ストレートで入ってきた18、19の学生と一緒に勉強する。さらには、一人暮らしは経験したことがあるのですが、初めての2人でのルームシェアなど、本当に不安なことばかりで入学しました。
 入学してからも大変なことはたくさんありました。右も左もわからない新しい土地での生活で勉強についても今まで理系の学校にしか行ったことがなく、レポートなどで文章をたくさん書くことが苦痛であった時も多々ありました。
 さらには、長野福音教会を離れ、土浦めぐみ教会に奉仕神学生として礼拝を守らせていただくことになり、また、長野福音教会では味わったことのない多くの信者さんたちがいて多くの奉仕があり、精神的にも肉体的にも疲れてしまっていました。 
 そのような中でも、神様は私によき計画を与えておいてくださりました。
 まず、福祉科が1人だけということで、1人で授業を受けないと思っていましたが、1年次はどの専攻もほぼ一緒の授業を受けるので、先生と私の1対1の授業がありませんでした。次に不安だった2人1つの部屋の問題ですが、とても信仰に熱く、よき同室者と同じ部屋にさせていただき、私の生活、また信教生活をサポートしていただけました。特に私はなかなか自分から神様と交わる時間をとるのができていなかった人間でしたが、同室者と一緒に毎日祈りの時間を持て、とても信仰の助けになりました。勉強についてもその同室者にいろいろと教わったり、祈ってもらったりして無事に支えられました。それだけではなく同室者とは園芸同好会を立ち上げ、他の友達とも協力しながら楽しく農作業を行い、収穫の時期にはとても多くの恵みをいただけました。
 また、土浦めぐみ教会での教会生活もCS教師の奉仕をしていて、最初はなれないことで疲れることも多々ありましたが、多くの子供たちの笑顔や、他の先生方のサポートにより、だんだんに慣れていき、むしろ子供たちと一緒に学び遊ぶことでとても充実し、また疲れを癒されるようになりました。そのほかにも、土浦めぐみ教会の青年たちにとてもよくしてもらい、多くの信仰の友を与えていただきました。
 そして、TCUに入学して一番変わったともうことは、失敗することや大変なことがあってもネガティブな方へメンタルを持って行かれなくなったという点です。社会人で働いていたころは少し自分の思い通りにいかなかったり、つらいことがあるとネガティブな思考になってしまい苦労していました。しかし、今は苦しいことやつらいことがあっても、それは神様がご計画してくださっていることで、この苦しさも試練の一環で、絶対に神様は私に耐えられない試練を与えないという確信があります。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」第一コリント10章13節
 また、今年から奉仕させていただくことになりました、藤代聖書教会でも多くの恵みをいただくことができました。その中でも特に恵だったことを挙げます。私は藤代聖書教会に奉仕することになり、おもな奉仕内容として教会の近くの藤代南地区という最近開発されて多くの新居が立っている地区の子供をターゲットにした伝道チームを組み伝道活動を行っています。天候が良い場合は毎週朝の9時30分ごろからその場所に向かい、教会のチラシなどを配っておりますが、なかなか朝の時間ですと子供が外に出ておらず、遭遇することがままならない状況となっています。しかしながら、初めてチラシを配った時に当初予定していた藤代南地区の公園では1人にしか遭遇できなかったのですが、その帰り道に教会の近くの空き地で遊んでいたお友達がおり、その子たちにチラシを渡すことができ、当初予定していたチラシをすべて配ることができました。また別の日ですが、私がファミリータイムという藤代聖書教会の子供集会の担当になった時のことですが。その日もチラシ配りに公園に行ったのですが公園にはお友達がおず、帰り道に出会った数名の子供にしかチラシを配れませんでした。しかし、その日のファミリータイムには偶然ゴールデンウィークで藤代聖書教会に訪れてくださっていた竹内さんの家族と、私が来る前から藤代聖書教会で行っていた公園伝道の子供たちが来てくれ、また、いつも藤代聖書教会のCSに参加してくれているお友達も残っていてくれて、合計10名の子供たちと一緒に空気砲を作ったり、一緒にゲームをしたりと楽しい時間を持つことができ、それと同時に神様は備えてくださっていると思わされました。
 ここで挙げることができためぐみはほんの一部ですが、さらにここには書ききれないほどの多くの恵みを神様は与えてくださいました。聖書に書かれている「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」伝道者の書3章11節 を身を持って実感できる一年間となりました。
 残り三年間も神様の恵みに常に感謝し、TCUで学べることを喜びとしつつすべてを神様にゆだねて、そのうえで自分ができる精いっぱいの努力をしながら過ごしていきたいと思わされています。

2013年4月号

■巻頭言 「ずくなしは幸せ?!」  高橋宣弘

 信州に移り住み、初めて聞いた言葉の一つに「ずく」や「ずくなし」があります。「ずく」には、精を出してする気力・根気・がんばり・こまめに働く熱心さなどの意味があり、「ずくなし」は、怠け者、活力・根気がないことと、『長野県方言辞典』に説明されていました。
 そんなマイナスの意味のずくなしが幸せと書かれた文章に最近、目が留まりました。
 『イエスの言葉ケセン語訳』(文春新書)の中の一節です。この本は、岩手県大船渡市で医師として働きながら、ふるさと気仙地方の方言=ケセン語に聖書を翻訳された山浦玄嗣(やまうらはるつぐ)さんが書かれたものです。
 イエス様が山の上から語られたみことば、「柔和な者は幸いです。その人は地を受け継ぐから。」(マタイの福音書5:5、新改訳 第3版)を、山浦先生はこう訳されました。
  意気地(ずグ)なしの甲斐性(けアしょ)なしァ幸(しあわ)せだ。その人(ひ)達(たぢ)ァ神(かみ)さまの跡式(あどしギ)ィ(遺産を)受(う)げる。
 山浦さんはこう訳された理由を、次のように説明されます。―イエス様がここで語られた「柔和」という単語は、へブル語では「アナヴ」といいます。アナヴは日本語の「おだやかな」とは反対です。常にいじめられ続けている貧乏人のうちでも意気地のあるやつは猛烈な反抗をするのですが、結局は圧倒的な軍事力の前に制圧されてしまいます。生き残っているのは、ひたすら地に這いつくばって服従を誓う、情けない奴隷根性の貧乏人なのでした。為政者の立場から見れば、こういう連中こそ善良でおだやかな民、アナヴです。ですからケセン語でこれを「意気地(ず グ)なしの甲斐性(けアしょ)なし」と訳しました。―
 「ずく」という言葉の語源は、諸説あるようですが、山浦さんはケセン語の「ズク」をこう説明します。― 昔、東北地方が大和朝廷に征服される前、我々の祖先は蝦夷(えみし)と呼ばれていました。一万年余の長い縄文文化の伝統を持ち、日本列島のまことのあるじでした。すぐれた製鉄技術で武器を作り、数世紀に渡る朝廷の侵略と戦いましたが、彼らが征服されると、蝦夷を一所に置くのは危険だとして、朝廷はこれを全国各地に流しました。彼らは山奥で砂鉄をすくい、炭を焼いて、製鉄業に従事します。この時に産出される銑鉄(せんてつ)が「ズク」です。しかし、敗亡の蝦夷への圧迫は厳しく、反乱が全国に飛び火します。彼らは各個攻撃され、やがて山岳をさまよう流浪の民となります。ズクを奪われた蝦夷、「ズクなし」にはもはや何の力もない。こうしてこの言葉は、「意気地なし、無能力者、無気力者」の意味になりました。―
 そのような「ずくなしこそ幸いだ。神様から多くの恵みを頂けるから」とイエス様は約束してくださいます。自分がずくなしだと思う時、そんな私を大きな愛で受け容れてくださり、励ましてくださる神様がおられます。イエス様のこのみことばに、慰めと救いを見出していきましょう。

■新年度役員就任にあたって  S.K.

 「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだではないことを知っているのですから。」(Ⅰコリント15:58) 
 執事に任命され、あれから2年。先日の教会総会で今度は長老に任命されました。この私が長老?大丈夫でしょうか?子ども達に電話でその話をすると、「喜んで仕えなくちゃ。」とのこと。言うのは簡単ですけれど、果たしてできるのでしょうか。自分の力でやろうとしたら答えはNOです。神様により頼んで、神様に自分を明け渡していく時にきっと導いてくださることでしょう。(この自分を明け渡すというのも自我の強い私にとって難しいのですが。)是非お祈りください。
 ところで、長野福音教会のCSの奉仕をさせていただくようになって十数年がたちますが、年々子どもの数が減少し、これからどうなってしまうのだろうと不安に思うこともあります。しかし、人数ではなく、神様は神様を求めて集う子どもたちを与えて下っています。お話を真剣に聞いてくれている子ども達の顔を見ると、この神様の御言葉を伝えていきたいという思いが湧いてきます。今年度も子ども達だけでなくファミリーキャンプを妙高で予定しています。是非皆さんでご参加ください。
また、福祉の活動も一歩踏み出せたらと考えています。
教会教育のためにお祈りください。

■~まずこの私から~  S.T.

 「神様はどのような人でも、主の使命を全うするようになさる。どんな方法にせよ足りないものを補い、必ずや神さまの御旨を実現される方だ」(「天の糧食(かて)」イム ボクマン牧師)
 この度、神様は、総会で投票権のある方々をお選びになり、私のようなものを役員に任命なさいました。「神様どうして私なのですか、私は年もしているし、心も昔のように柔らかくはなくなってきていますが」戸惑って自問しつつ、神様のみこころを尋ねる日々です。
 イム ボクマン先生はさらに続けて「神様の計画において妨げになることは、私たちの能力の不足ではなくて不信仰、不従順。この態度が反って妨げになる」「重要なのは「(神様に仕える上で)足りないのは能力ではなく、どこまでも従っていこうと決心するその勇気だ」と言われます。
 私も尻込みばかりしていないで、神さまからのメッセージをしっかり捉え、“霊的いのちの回復を神様から与えられていきたい”(祈りの友2013年1月号高橋先生巻頭言)と思いました。なるほど能力は足りないものですし、どういう役割を担うべきか、未だ覚束ないのですが、まずこの私から主に整えられて、与えられたところへ遣わされ働きたいと願います。
 どうぞ皆さまよろしくお願いします。

■湧き出す泉のように  M.H.

 春がきましたねえ。今年の桜は早いらしい。でも長野の桜はこれからですね。咲きはじめの桜、満開の桜、散りはじめの桜、若葉の桜、楽しみです。そして忘れてはいけない桜餅・・・そう、私は花より団子です。
 改めまして、今年度泉会の会長になりました。ついに会長を受けてしまいました。どきどき。初めてだよねえ。どうしよう。私でいいのかなあ。泉会がつぶれたらどうしよう。態度と図体はでかいけれど、知恵も経験もとぼしく、性格にも難あり、おまけに自分勝手に判断してしまうこの私ですが。
 そんな不安を払しょくしてくれる心強い方がいます。副会長のT姉とS姉です。三人で今年の泉会役員をお受けしますので、よろしくおねがいします。(すでに私は大船に乗ったつもりでいます。)
 長野福音教会のみなさんは、アイデア、知識、技術といった賜物をいろいろ持っておられるので、バザーにしても食事づくりにしても大掃除にしても、とても手際がよくて、あっという間に事を成してしまいます。
 そういうわけですから、私たち役員三人が引っ張っていくというよりは、とりあえず先頭を歩ませていただいて、きっかけをつくっていこうと思います。話の流れは会員のみなさまの舵取り次第・・・
 活動予定は昨年とあまりかわりません。けれども、今年これをやりたい、あれをやりたい、ということがあれば、お気軽にお知らせください
 今年も、楽しく、にぎやかで、さんびや祈りが湧き出す泉会になりますように。そして神様がいつでも、どこでも、どんなときもフォローしてくれることを期待しつつ。

■世界祈祷日の礼拝  S.S.

 今年の世界祈祷日はカトリック長野教会で行われました。この礼拝は世界中で持たれ、キリストを信じ神に繋がる人たちが教派を超えて困難の中にある女性たちのために祈りあいます。
 今回は「私が旅人だったときあなたは暖かく迎えてくれた」というテーマでフランスの女性たちを通して学びました。式文の朗読には、フランスに住むさまざまな立場の女性と移住してきた女性と、どちらでもなく全体に語りかける女性が登場します。それぞれの証言と聖書から教えられました。フランスには仕事や結婚で外国から移住してきた人たちの他に、部族間の争いや貧困などによる難民をたくさん受け入れてきたようです。外国人だけでなく私たちは、この地上においてみんな旅人で、レビ記19章33~36節で、共に住む外国人をしいたげないで自分たちの仲間と同じように扱い自分自身のように愛するよう神様は教えておられます。またフランスのキリスト者たちは、神の性質に似たものに作られた私たちにある多様性を受け止め、違いを超えて一つになり神様が迎えてくださる恵みを感謝しています。その一方で、神の教えを忘れ尊厳を傷つけるような言動をしたこと・無関心でいたことを悔み、移住者たちの尊厳と自由のために祈ったのです。メッセージは、長野で暮らすフィリピンの人たちをサポートする働きをしているフィリピン人シスターのお話でした。フィリピンの人たちが日本の人と暮らし共に働き同じものを食べる中で、日本を愛してくださっていることを知りました。
 今回の礼拝テーマになっている聖書箇所のマタイの福音書25章31~40節に「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」というイエス様の言葉があります。私たちはさまざまな人に出会うとき、助け・助けられるときに、このような気持ちで隣人を大切にしていけたらどんなに平和になるだろうと思います。悔い改めを繰り返しながらそうなっていきたいと思いました。

■総務部の働きについて  K.K.

 今年度、総務部をI姉と担当します。私は総務部は初めてですが、教会運営がスムーズに行くように努めてまいります。
 総務部の担当事項は、総会資料では次の6つです。
 1 天災、人災等に対する教会の危機管理を点検
 2 教会墓地の今後を検討する
 3 太陽光発電設備を教会屋根に設置し、脱原発と環境問題への取り組みを進める
 4 次世代の教会リーダーを発掘し、育成する
 5 みなが喜んで教会で奉仕できるように、奉仕の配分を整えていく
 6 教団の機構改革(教憲・教規改正)に合わせて教会規則等の見直しを行う
 これらの中で、ぜひとも教会員のみなさまのお力をお借りしたいことは、清掃関係をはじめ、いろいろな奉仕活動です。教会堂が大きくなったということは、うれしいことですが、それに伴い清掃や管理をする場所が多くなったということでもあります。できる限り多くの方に奉仕活動に参加していただき、新来会者をはじめ、教会に来てみなさまを気持ちよく、きれいな状態の教会堂で、楽しい気持ちでお迎えしたいと思います。奉仕は喜んでするのが基本と思いますが、自分はまだ清掃等を喜んでやっていないと反省しています。進んで主の宮をきれいにするよう心がけたいと思います。当番表についてお気付きの点がありましたらなんなりと総務までお知らせください。
 奉仕も献金と同じように、いやいやながらするのではなく、感謝をもってすることが大切と思います。もし、大きな負担を感じるようでしたら早めにご相談をお願いします。

■図書コーナー新設記念児童文学への誘いその5 ローラ・インガルス・ワイルダー「小さな家シリーズ」『長い冬』  K.Y.

 この信州にもようやく春がやってきました。この冬は雪がよく降り、寒さの厳しい冬でした。しかしこんなものじゃない、もっと厳しい“寒さと暗さと飢え”とを体験し、それを自伝的物語に残した人がいます。みなさんご存知の『大草原の小さな家』のローラことローラ・インガルス・ワイルダーです。
 ローラは1867年にアメリカのウィスコンシン州に生まれ、家族と共にアメリカ大陸を移動しながら、自由と独立の開拓時代を生き抜いた人でした。「わたしは大草原で体験したことをどうしても語り継ぎたいと思いました。消えてしまうのはもったいないほど、すばらしい物語だからです。」と、自ら語り、65歳になってから自伝的物語を9冊の本に著しました。今回話題にしたい『長い冬』はその第6巻目の作品です。
 この物語は1880年~81年(ローラ13歳)に、9月から始まって、延々と九か月も続いた、長い長い冬の出来事が物語の形をとって記録されています。そのころサウス・ダコタ州で開拓生活をしていたインガルス一家は、自給自足はもちろん、草原の草を干し草にして新しい移住者に売ったりしていました。姉のメアリーが失明してからは、「とうさんの手伝いができるのは自分だけだ」と、ローラは男の子がするような作業でも進んで手伝います。暑い夏の日、とうさんと二人で干し草を固めていたローラはジャコウネズミの巣を見つけます。それを見たとうさんが、「どうも厳しい冬になりそうだ。くる冬が寒ければ寒いほど、ジャコウネズミは巣の壁を頑丈に作るんだ。今までこんなに頑丈な巣を見たことがないよ。」と言います。その通り、この年は9月には霜が下り、十分育っていないのに早めに作物の収穫をしなくてはならず、ストーブに火が入り、10月には最初の吹雪がやってきます。とうさんが町に買い物に行ったとき、インディアンがやってきて、「積もる、すごい雪、くる、いくつもの月」と警告します。7年ごとに厳しい冬が来て、とくに7年間が三回続いた後の最後の年(つまりこの年)が一番厳しい冬になると教えてくれます。とうさんは冬の間、草原から町に移住することを決意します。その後、吹雪が何度となくローラたちを襲います。吹雪は何の前触れもなくやってきて3~4日荒れ狂い、2~3日晴れたかと思えばまた突然やってくる・・・といったことの繰り返しでした。そのうち雪が線路をふさぎ、汽車が埋もれたままこの町にやってこれなくなり、町中から食べ物や燃料がなくなっていきます。温める部屋を一つにするために、ローラたちは全員一日中台所で過ごします。それでもローラの家の石炭が底をついてしまいます。その時とうさんは、夏に刈った干し草を固くよって棒を作り、それを燃やすことを考えます。干し草は吹雪の合間をぬって、とうさんが草原の家から運んできます。一日に何本も必要なので、ローラはより方を教えてもらい、一日中もっぱら干し草をよることになります。ランプの灯油が無くなった時は、とうさんがどこからか持ってきた車軸油で、かあさんがボタンランプを作ります。食物も減ってきます。ローラたちは1日の食事を2食にし、早めにベッドへ入ってしまうようになりました。秋に収穫したジャガイモを毎日毎日大事に食べます。どうにか手に入れた種小麦は、コーヒー引きでひいて粉にすることをかあさんが思いつき、その粉でパンを焼きます。コーヒー引きで粉を引くにはとても時間がかかるので、目が見えないメアリーと妹のキャリーが交代で引きます。吹雪の間中、インガルス一家はこうして過ごすのでした。
 どんなにつらく厳しい状況であっても、とうさんは、家族を愛し、前向きで、フロンティアスピリットあふれる、何事にも一生懸命な人でした。暗く寒い夜は、とうさんがバイオリンを弾き、みんなで民謡や賛美歌を歌って元気を出しました。とうさんの指がこわばって腫れ、バイオリンが弾けなくなってしまってからは、「歌えばいい!」とみんなで心合わせて歌いました。
 かあさんは創意工夫が上手で、どんな貧弱な材料でも、おいしい料理に変身させることのできる腕前の持ち主でした。また、決して弱音を吐いたり、不平不満を言ったりしない賢く強い人でした。家に閉じこもりっきりの日々は、みんなに聖句を暗唱させたり、勉強をさせたり、イライラさせないよう気を遣いながら、時には教会新聞を読んでくれたりするとても優しい人でした。ピンチが訪れても、みんなの知恵で何とか乗り切り、まさに家族一丸となって、助け合いながら、吹雪と戦ったのでした。
 しかし3月になっても吹雪はおさまりません。―――『勉強はもうしなかった。この世にあるのはただ、寒さと暗闇と家事とぱさぱさの黒パンと吹きまくる風だけだった。嵐はとぎれることなく襲ってきて、壁の外で荒れ狂い、ときにはじっと様子をうかがっていたかと思うと、いきなりとびかかってきて、家を激しくゆすり、わめきちらし、歯をむきだし、怒って大声をあげた。朝、ベッドを出るとあわてて下へかけおり、ストーブのそばで着替えをする。それから一日働いて、夜になると、冷えきったベッドにもぐりこみ、温かくなったとたんに、眠ってしまう。こんな冬がえんえんと続いているのだ。長すぎる。決して終わりそうもない。』
4月になってようやく吹雪が息切れし始め、5月になってようやく待ちに待った汽車がやってきます。そしてその汽車がクリスマスの樽を運んできました。その樽の中から、こちこちに凍った七面鳥が出てきます。インガルス一家は5月にクリスマスをお祝いすることになりました。―――『ごちそうが山盛りになったテーブルに、みんながそろってつくと、かあさんがとうさんを見た。みんなは頭をたれて、お祈りをした。「神よ、あなたのあふれるお恵みに感謝いたします。」とうさんはそれしかいわなかったけど、それだけですべてをいいあらわしているようだった。』
 日本も東日本大震災を通して、助け合うことの大切さや、家族の大切さなど、“寒く暗く貧しい”状況に置かれなくては気付かない大切なことをたくさん体験しました。この物語を読むと、豊かになりすぎて失われてしまったものが、たくさんあるように思わされます。
 思えば、イエス様の降誕こそ“寒さと暗さと貧しさ”の中での象徴的な出来事ではないでしょうか?「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(コリントⅡ8・9)
 待ちに待った春がきました。主からあふれんばかりに与えられている恵みに感謝したいと思います。

■星野富弘花の詩画展に行って来て  S.T.

 2013年4月10日、伊那文化会館へ詩画展を見に、Iさんと行って来ました。当初私の目的と言えばオープニングセレモニーに招かれていた星野富弘さんにお会いすることでした。しかし直前になり体調を崩され、キャンセルに、、。それでも列車、バス、タクシーを乗りつぎ、なんと高遠の桜まで見物してきました。
 富弘さんには会えませんでしたが、DVDと詩画はとても印象的でした。DVDでは富弘さんの詩画を描くに至るまでの半生と謙虚なお人柄が感じられました。詩画は、本で見るのとは違い、実物が持つリアリティで訴えかけてくるものがありました。ベットで横になったまま、筆を口にくわえ創作する姿には感動しました。百点余りの作品が展示されていました。
 DVDの中で小学生の頃の富弘さんの作品が紹介されました。山々の紅葉を描いたもので、その当時賞を取ったものだそうです。私はそれを見て思いました。これ程の素晴らしい作品を残す人は、やはり小さなときから神様の賜物があったのだと。全く才能のない人だったら不可能だっただろう。学生時代から山に登ったり、自然を愛する心があったから出来たのだろうと。その神様からの賜物をコツコツと積み重ねたlことが、これらの作品として実を結んだと感じました。
 そこで振り返ってみて私自身にも神様からの賜物があるだろうか。答えは確かにあります。とすればその賜物を飽くことなくコツコツと積み重ねていけば神様のみ技がなされていくのではないかと思います。
 富弘さんの詩画は、一つ一つ本当にいろいろなことを考えさせられます。皆さんも是非一つ一つにひたってみて下さい。そして神様からの賜物を大切にしていきたいものですね。

2013年1月号

■巻頭言 「信仰のリバイバル-まずこの私から-」  高橋宣弘

 今年、長野福音教会に与えられた主題聖句は、旧約聖書のエゼキエル書37章14節です。

 「わたしがまた、わたしの霊をあなたがたのうちに入れると、あなたがたは生き返る。― このとき、あなたがたは、主であるわたしがこれを語り、これを成し遂げたことを知ろう。」 

 このみことばから、今年の歩みの目標を「信仰のリバイバル-まずこの私から-」としました。リバイバルという言葉を耳にしますと、教会が大きくなるとか、集まる人数が増えるといったイメージが先行してしまいます。しかし、本来リバイバルとは「再び生きる、よみがえる」という意味の言葉です。キリスト教の用語では、リバイバルを「信仰復興」と訳しています。信仰的に眠っていたクリスチャンが目覚め、神様に立ち返り、キリスト者としての意識を明確にし、その使命を世にあって実行していくことです。
 エゼキエル書37章には、無数の人間の骨が野ざらしにされているという恐ろしい幻が出てきます。これらの骨は、当時のイスラエル人たちを表していました。国敗れて、遠くバビロンへと連行されていったイスラエル人たちは、母国とあのエルサレム神殿が破壊し尽くされるのを目撃しました。悲しく辛い体験でした。生きる意欲も、故郷に帰還できる希望も失い、「俺たちは神様から見捨てられたんだ・・・」と思い込んでいました。
 彼らの姿は、まるで私たち自身のようです。私たちも時に、自分自身がまるで干からびた骨のようだと感じてしまうことがあります。自信を失い、力も湧いてこず、自分が空っぽのように感じてしまうこともあります。霊的・信仰的なことで、たましい・心が、渇ききっていると感じます。
 しかし、あのがい骨は、全能なる神様の力によってよみがえったのです。預言者エゼキエルを通して語られた神様の言葉によって、新しい体を回復し、そして神様の息吹=聖霊に満たされて、いのちを回復します。私たちも主なる神様によって、新しく生かされていきたいのです。霊的いのちの回復を、今年、神様から与えられていきたいのです。そう祈り求めていく一年としていきましょう。
 そして、新しく生かされていく私たちが、それぞれの場所に遣わされて行きます。この厳しい世の中にあって、生きる希望や力を失っている人たちに、私たちを通して、神様のいのちのことばが証しされますように。そこに主の御霊が、豊かに注がれますように。  アーメン

■泉会のクリスマス  H.T.

 2012年12月8日、泉会のクリスマスが行われました。
   音楽ゲスト:Y.K.さん
   メッセージ:高橋宣広先生
   出席者:37名(内4人に1人は未信者)
 Y.K.さんのギター演奏は、「ロマンス」、「月光」等9曲、又自作の曲や詩篇23篇の朗読に合わせての演奏等とても素晴らしいものでした。Y.K.さんは大きな体にしては、凄く緊張して汗びっしょり。始めに高橋先生と共に祈ってからの出演でしたが、久しぶりの教会出席で緊張したのでしょうか?
 「私待つわ、いつまでも待つわ」で、先生のメッセージが始まりました。聖書箇所はルカ2:25ー33。エルサレムにて、シメオンは正しい敬虔な人でした。イスラエルが慰められるのを待ち望んでいました。宮で幼子イエスを腕に抱き神をほめたたえました。現代の世の中は待てない人が多く、すぐに結論を出したがる人が多いが、待つことの大切さ又待ち望みつつ日々主にあって生かされたいと思います。
 ランチタイムは、オードブル、おにぎり、K.Y.さん手作りの豪華なケーキ等、身も心も豊かになりました。
 音楽ゲストのY.K.さんは1年程前に、現在、三輪公民館で行われている三浦綾子読書会のチラシが、当時自宅新築中で仮住まいのYさん宅ポストに入りました。それから毎回読書会に出席されていましたが、教会には少し敷居が高かったのでしょうか?Y.K.さんの賜物が生かされる場があったらと祈っている頃に、泉会のクリスマス会の計画が立てられていました。音楽ゲストにY.K.さんをと、泉会役員と先生にお話しし、とりあえず先生に会っていただきました。そして当日の出演となりました。どうぞY.K.さんの信仰の回復のためにお祈りをお願いいたします。

■とにかくすごかった子どもクリスマス会  S.I.

 12月8日(土)、子どもクリスマス会が行われました。当日のプログラムは、1部が礼拝堂でのクリスマス礼拝とDVD鑑賞、2部が1階ホールでクリスマスシュガークッキーづくり(星やツリーの形をしたクッキーに、アイシングやトッピングをしました(^_-)-☆)。
 当日、教会の玄関は次から次へとやってくる子どもたちであふれていました。すごくうれしい、けどプレゼントは60個しか用意してありませんでした。(ああ、神さま、どうしましょう?)と、不安になったわたしは心の中で思いました。60人以上が確定したので、スタッフがプレゼントを急遽、買いに行くことになりました。そして、買ってきたプレゼントを袋へ詰め込み作業。これは時間との戦いでした。もうすぐ2部のプログラムが終わってしまいそうだったからです。でも、なんとか間に合って、子どもたち全員にプレゼントを渡すことができました!(^^)!
 このように、裏方はバタバタでしたが、何より子どもたちが本当に楽しそうだったことが、うれしかったです。そして、イエス様がこの世に生れてくださった本当の意味が少しでも伝わればいいなと思いました。それは、参加した子どもたちの数の多さよりも大事なことだと思いました。ウィングスとサタデークラブの働きのために、そしてスタッフが子どもたちにイエス様のことをもっと伝えることができるようにお祈りください。
  参加者  子ども 73名 ・  大人  13名

■ゴスペルワークショップに参加して  R.A.

 12月16日(日)、6月から月に1度のワークショップで練習してきたゴスペルコンサートが開かれました。エミ先生と40人のクワイヤーが心をひとつに賛美することができた、感謝と喜びに溢れた体験でした。ただ1つの後悔は、昨年のワークショップに参加しなかったことです。エミ先生は、はっきりと物をおっしゃる方ですが、決して人を傷つけることなく、愛のある指導をしてくださるので、メンバーはみんなエミ先生が大好きで、毎月のワークショップが楽しみでした。11月には、この仲間たちと、東京・阿佐ヶ谷の教会まで、エミ先生が出演するコンサートを聴きに行ったことも、楽しい思い出の1つになりました。往復の車中の盛り上がりは、かなりのものでした(!)
 このワークショップ体験は、自分自身の信仰生活を見直すものにもなりました。今まで、礼拝でシャロンとして奉仕をさせていただくときも、「私のような信仰の弱い者が、神さまの前に出て賛美をしてもいいのか。」という迷いがいつもありました。その悩みをある姉妹に打ち明けたとき、「賛美は、サタンに勝利する一番の力だと聞いたことがあるよ。」という言葉で励ましてもらい、弱い私だけれど、全て神さまに委ねて、喜んで賛美していこうという気持ちになりました。今年の後半は、試煉の時でもありましたが、ワークショップがあったから、そしてその仲間がいたから、乗り切れたような気がします。
 考えてみれば、クリスチャンの人もまだそうでない人も、ともにゴスペルが歌えるなんて不思議です。来年のワークショップには、この中からひとりでも救われる方が出ることを期待したいです。これを読んでくださっているみなさんも、来年はぜひ一緒に歌いましょう!

■図書コーナー新設記念児童文学への誘いその4 『フランダースの犬』  K.Y.

 クリスマスの時期になると思い出す、一つの物語があります。ウィーダという女性が書いた『フランダースの犬』です。
 ベルギー、アントワープ近くの小さな村に住む、老人とその孫。牛乳運搬で生計を立てているが、その生活は苦しい。ある時、飼い主の酷使に耐えかねて道端に死にかけていたフランダース犬を助ける。手厚い看護で元気になった犬は、彼らの温情に報いようと牛乳運搬の荷車を自ら引き、パトラッシェと名付けられ家族の一員となる。
 少年ネルロは、絵を描くことが好きな15歳。アントワープ出身の偉大な画家ルーベンスを敬愛している。村一番の金持ち、コゼツの娘アロアと仲良し。だが、コゼツはネルロの誠実で純粋な人柄には目もくれず、ただ彼の貧しさゆえに二人が会うことを禁ずる。ネルロは「いつか偉い画家になって認めてもらおう」と自分の将来を賭けてアントワープ絵画コンクールに応募する。しかしネルロを立て続けに不運が襲う。コゼツによって放火の濡れ衣を着せられたため、村での顧客を失って仕事はなくなり、小屋のような粗末な家さえ立ち退きを迫られ、祖父は老衰のため天国に召され、コンクールの絵は落選する・・・・。クリスマスなのに食べるものもなく、絶望したネルロだったが、たまたま雪の中から財布を拾う。それがコゼツのものだとわかったネルロは、財布をアロア届け、老衰したパトラッシェの世話を託して姿を消す。コゼツがネルロの真情を知り、それまでの彼へのひどい仕打ちを後悔していたころ、ネルロはアントワープの教会で飢えと寒さのため死にかけていた。そこへアロアの家を抜け出してきたパトラッシェが駆けつけ、ネルロは唯一の家族であり友である愛犬とともに眠りにつく。意識がなくなる前に、以前からずっと見たくてあこがれていたルーベンスの『十字架を建てる』『十字架から降ろす』の絵を一目見られたことで、ネルロの心は安らかだった。
 翌朝、一人の高名な画家によって、ネルロこそがコンクールに入選するべき才能の持ち主だったことが明らかになり、遺体の前で人々は涙にくれるのだった。
 作者のウィーダ(本名マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー)はフランス人の父とイギリス人の母の間にイギリスで生まれ、読書好きの少女でした。パリに移り住み、その地で父を亡くし、20歳のころロンドンに戻って作家となります。30歳を過ぎたころからはイタリアのフィレンツェに居を定め、社交界で華やかに活躍したようです。教養ある父の影響で芸術に対する情熱があり、物語の描写はとても絵画的です。また特に17世紀バロックの画家であるルーベンスを敬愛していて、『フランダースの犬』の中でもその思いをネルロに重ねていて、ところどころにルーベンス讃歌がつづられているほどです。また動植物を愛し、動物実験に反対し、弱者に対する差別や不合理に対する怒りを訴え、貧しいものへ愛情を注いだ人でした。生涯独身で、晩年はたくさんの犬や猫とともに暮らしていたそうです。
 なぜウィーダはそんなにルーベンスを敬愛していたのでしょう。ルーベンスは16-17世紀バロックの代表的画家で、23歳で宮廷画家になり、外交官としても活躍した、とても恵まれた人でした。様々な分野に及ぶテーマを題材としていますが、とても信仰心の篤い画家で、宗教画もたくさん手掛けたようです。ザビエルと共に中立派としての立場を主張していたと言われています。その画風は『フランダースの犬』に登場する『キリスト昇架』『キリスト降架』を例にとると、‘生々しく痛ましい姿でもあくまでも尊厳を失わないキリストの遺骸’を表現している、といった感じです。豊かな中にもしっかりとした揺るがない思い=信仰を表す・・・という点でルーベンスに憧れを見出していたのでしょうか。
 『フランダースの犬』の中でネルロのおじいさんがこう言います。「わしらは貧乏人じゃ。わしらは神さまのくださるものを、何でもお受けしなくちゃならん―善いことも、悪いこともな。貧乏人はえり好みすることができんのじゃ」と。ネルロはおじいさんを心から尊敬していました。でも、どんな絶望感の中にあっても、絵やルーベンスに対する憧れを捨てませんでした。だからこそネルロは最後に「おお、神さま、十分でございます!」と叫んでその生涯を閉じることができたのです。イエス様も十字架上で「完了した。(成し遂げられた)」と言われました。「人間の憧れは、命に向けられていて、この人の最後がいっさいの憧れの終結となります。」とスイスの神学者ルードルフ・ボーレン先生が言っていますが、イエス様もネルロも、まさにそんな人生を全うしたと言えるのではないでしょうか。そんな人生を歩んでいきたいと思わされます。
 子供のころに読んだ物語を、大人になってから読み返してみると、また違った視点で新しい発見をすることができたりします。昔、アニメで見た‘悲しい物語’という印象で終わってしまっている人は、もう一度読んでみると、違った印象を受け取ることができるかもしれませんよ。 
 ※岩波少年文庫の『フランダースの犬』貸出いたします。
 ※ルーベンスの『キリスト昇架』『キリスト降架』(ただしカラーコピー)が見てみたい方はお申し出ください。 

■結婚にいたるまで  E.T.

 「将来の結婚のために祈りなさい」と、学生時代から言われてきました。その頃の祈り方としては、「具体的に理想の項目をあげて祈るといい」という方法が一般的だったようでした。しかし、学生時代はあまり興味もなく、真剣に結婚について祈ることはしませんでした。祈り始めたのは、就職して、友人達が結婚し始めてからです。「自分も考えなきゃいけないんだなあ」と感じて、祈り始めました。確か、理想の項目をあげて・・・<私を大切にする人><爽やかな人><クリスチャン><背は高い方がいい><リーダーシップをとれる人がいい>つらつらと、こんな人という理想をあげて祈り始めました。
 祈り始めて5年ほどたちましたが、それらしい人とは会いません。27歳頃には、一人でいることに不安も強くなってきて、いち早く結婚したいという気持ちになりました。しかし項目にあてはまる人は見当たりませんでした。おかしい、項目を減らしてみよう。<私を大切にする人><クリスチャン><背は高い方がいい>の3つの項目にしぼって祈りました。紹介していただいたり、出会いもありました。しかし、食事に誘われて行ってみたら保険の勧誘だったり、健康食品の販売だったり・・・もう私のことを好きになってくれる人はいないんだ、結婚もしないんだろうなあ、とも思いました。どんなに自分は魅力がないんだろう、なんでこんな性格なんだろうと自己嫌悪に陥ったり。しかし、考えていたらだんだん神さまに腹がたってくるのです。「私をつくったのが神さまなら、責任とってくださいよ!」。30歳頃は、結婚相手の祈りというよりは神さまに対する怒りをぶつけるような祈りでした。
 そんな時、友人の紹介で夫に会いました。食事の誘いを受けて会ってみたら、保険の勧誘もなく、健康食品の販売もなく、普通の会話ができました。何度かデートを重ね、付き合うことになりました。自分はクリスチャンで、教会にも毎週行っているし、そのうち別れを言われるだろうと思いながら付き合っていました。御心でないなら別れさせてくださいと祈りました。しかし1年近くたっても「別れ」の言葉は出ず、プロポーズらしき言葉をいただきました。結果的には、10年前の祈りの項目であげた人とほぼ違う人と結婚にいたりました。神さまに新しい挑戦をいただいた気がします。
 結婚を通して人として成長していけたらと思います。これからもよろしくお願いします。

■2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公「新島八重」とは!どんな人? 

 1846年、会津藩士の三女として生まれる。幕末戊辰戦争における最大の激戦、会津戦争(白虎隊の悲劇が有名)において、会津若松城に最後まで立て籠もり、大砲隊を指揮、自ら洋式銃を取って戦った。多くの死傷者を出した敗戦後、兄を頼って京都に行く。この戦いの奮戦ぶりから後年「幕末のジャンヌダルク」と言われた。
 京都では、キリスト教主義学校の設立に奔走していた新島襄と出会い、洗礼を受けた後、宣教師デビスの司式で結婚式を挙げる。受洗は京都初のプロテスタント教会での洗礼式、結婚式は、京都で初となるプロテスタント式だった。 
 キリスト教に対する反発が根強い中で洗礼を受けることも、キリスト者との結婚も勇気のいる時代であり、自ら正しいと思うことは、こだわりなく実行する八重の気質を物語る象徴的な出来事である。
 同志社(後の同志社大学)設立後は、キリスト教主義の学校を快く思わない寺社の反発や妨害を受ける襄を支え、「洋装のクリスチャンレディ」として男女を問わず同志社の学生たちに愛情を注いだ。
 夫襄の没後は、日清・日露戦争の際、日本赤十字の篤志看護婦として活躍、看護婦の地位向上に貢献し、一般女性として初の勲章を受けた。

■新島八重の夫「新島襄」とは!どんな人?

 キリスト教伝道師であり明治六大教育家の一人。同志社大学を興したことでも知られる。
 幕末の1864年、国禁を犯して脱国、10年にわたって欧米で学び、キリスト教の洗礼を受けて帰国した。留学中、新島は、しだいにひとつの夢を膨らませた。「自由」と「良心」に立つ人間を養成するキリスト教主義教育を日本でも、という夢である。
 その後、国内外の協力を得て、1875(明治8)年、京都に同志社大学の前身となる同志社英学校を設立した。新島襄は、学問の探求とともにキリスト教を徳育の基本として人格を陶冶する教育をめざした。

 キリスト教出版社から出されている関連本としては、次のようなものがある。
 ●「牧師夫人 新島八重」  雜賀信行著  雜賀編集工房
 ●「八重のことば」  坂本優二著  新教出版社
 ●「新島八重ものがたり」  山下智子著  日本キリスト教団出版局

■『レ・ミゼラブル』―公開中の映画からー

 原作は、フランスの文豪ビクトル・ユーゴーの大河小説。「ああ無情」として知られる。これをミュージカル化した舞台は、世界43ヶ国で27年間上演され、6千万人を動員した。この映画は、そのミュージカルの映画化である。
 登場人物の人生は皆、苦難に満ちている。改心してからのジャン・バルジャンは人として正しくありたいと願いながら、いつも難しい選択を強いられる。女工ファンティーヌもまた、娘コゼットのため、娼婦へと身を落とし極貧生活の末に死んでいく。それら個人の悲しみが、格差と貧困にあえぐ19世紀フランスで、自由を渇望する時代の空気に重なり、大きなうねりとなってバルジャンらを呑みこんでいく。
 この映画の最大の特徴は、感情の高まりや劇的な展開を歌だけで表現し、ダンスは全くないという点だ。「英国王のスピーチ」でオスカーを受賞したトム・フーパー監督は、通常のミュージカル映画製作の常識を覆し、演技と歌を同時に収録するという撮影スタイルをとった。メインキャストには有名スターがひしめくが、みな情感豊かなのはそのためだ。音楽そのものがこれほど観客の感情を揺さぶる作品はめったにない。(映画評論家 渡まちこ氏の評から抜粋)

 一切れのパンを盗んで19年間投獄されたジャン・ヴァルジャンが、司教に盗みを許されて宗教的改心を遂げ、薄幸の少女コゼットや、パリ6月暴動の青年革命家マリウスと結びつきながら愛と贖罪の人生をまっとうしていく。  
 ただ、この傑作を真に味わうために、どうしても欠かせないことがあります。それは、ストーリーの背後でいつも通奏低音のように奏でられ主人公たちを導いている「神」への思いを、理解することです。
 ジャン・ヴァルジャンが心から悔い改めたのは、司教から罪を許され、自分も神の前にふさわしい人生を送ることに命を捧げようと魂の底から誓うことで、別の人間に生まれ変わったからです。その誓いのシーンは、主人公を上空から捉えていて圧倒的な迫力。
 彼は神に祈り、導きを求めますが、決していわゆる「神頼み」ではなく、神の前に恥ずかしくない自分であろうとするからこそ、築き上げた名声を投げ打って「自分が脱走者ジャン・ヴァルジャンだ」と告白したり、傷ついたマリウスを背負って下水道の汚水にまみれながら助けたりする。そしてラストでは、見事に人生を生き切り、神のもとへと導かれていく。人は神を信じればこそ、罪を悔い改め、愛する者のために自己犠牲を払い、名声も命も投げ打って善を行う。
 原作が発表されたのはちょうど150年前です。この映画は、原作の命であるその点を、俳優たちの歌と演技と映像の力で見事に再創造していると思います。(yahooレビュー ガーディアンさんの評から抜粋)

2012年9月号

■巻頭言 宝とされている私たち  高橋宣弘

 祈り会では、これまで一年間かけて、ヨハネの黙示録を学んできました。用いたテキストは、岡山英雄先生が書かれた『小羊の王国―黙示録は終末について何を語っているのか』(いのちのことば社)です。黙示録自体、ヨハネが見た幻を記したもので、内容も象徴的表現が使われています。さらにテキストは、岡山先生の博士論文をまとめたものでした。毎週、学び終えると、皆で「難しいねぇ・・・」と頭を抱えていました。
 そんな中、最後に天国の素晴らしい約束を確認しました。悪が全てを覆いつくすかのような終わりの世に、再臨の主イエス様が来てくださり、すべての悪を打ち破ってくださること。そして忍耐し信仰を守り抜いた者に、主は栄光の体と永遠の命を与えてくださり、私たちを新しい天と新しい地に引き上げてくださること。そこに大きな慰めと希望があることを教えられました。
 黙示録21章に記されている天の都の情景は、地上の私たちには想像もつかないような、壮大できらびやかな世界です。都の城壁には12の土台石(21章14節)があって、それは高価な色とりどりの12の宝石でできています。碧玉(へきぎょく)、サファイヤ・・・青(せい)玉(ぎょく)、紫水晶などなど(21章19、20節)です。
私は、この箇所から、「あなたの神、主は、・・・あなたを選んでご自分の宝の民とされた。」(申命記7章6節)とのみことばと、出エジプト記39章に記されている、祭司の衣装エポデには、イスラエル12部族を表す12の宝石がはめ込まれたことに思いが及びました。
 もしかしたら天の都の12の宝石とは、私たちのことではないだろうか?多種多様な宝石のように、天国には世界中から集められた数え切れない人たちがいます。イエス様の十字架の血潮によって贖われ、聖徒とされた者たちは、それぞれ神様の目に麗しい宝・美しい宝石と見ていただけるのです。
 宝石は、自分の力だけでは輝けません。光に照らされた時に、宝石の持っている美しさが輝き出ます。天でも地でも、神様の栄光に包まれて初めて、私たちは輝かされ、本当の意味で生きていくことができるのです。また宝石は、刻まれ削られ、形を整えられて、宝石となっていきます。私たちの人生も、ときに刻まれるような経験、削られるようなでき事を通して、神様は、私たちを整え、信仰を与え、私たちを主のものとしてくださるのではないでしょうか。
 「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。」(Ⅰペテロ1章7節)
 今は、厳しく苦しい歩みかもしれません。しかし、この試練を尊いものとし、神の栄光で包んでくださるお方が、私たちと共にいてくださることを信じて、歩んでいきましょう。

■キャンプに参加して  S.S.

 散策では小川の水や植物に触れ、滝を見に行ったときは水の轟音とひんやりした空気や山の匂いを感じたり岩屋苔の感触・スリリングな吊り橋を体感したりすることができました。風景を教えていただいていて、目に見えなくてもとても美しいのだろうなと思ったのは、いもり池の羊草の花と水面に映り込む妙高山の光景でした。
 一番印象に残ったのは夜の語らいです。1日の日程が終わって談話コーナーに集まった8人で、進路や職場での悩みや、どんな夢を持っていて今実際どんな仕事をしているかなど、まじめな話題からおもしろい話題まで、お互いを知る良い時間でした。
 初めてキャンプに参加しましたが、たくさんの方にいっしょにいていただきながらそれぞれの活動を楽しむことができました。でも、礼拝や近場への外出に比べ長い時間だったこともありお互い戸惑うこともありました。いろいろなことで気持ちがいっぱいになって、夫は夜に帰ってしまいました。見える人と見えない人の感覚やリズムの違いから起きてしまうことがそのほとんどなので、お互い聞いたり言ったりしながら良い感じのところを見つけられたらいいなと思います。
 教会にはいろいろな年代やさまざまな状況の人が集います。総て慮ることは無理だし、それをしようとすればどちらかに辛抱を強いることになりますからそれを望むわけでもありません。ただ、共感しあったり助け合ったり支えあったりしていくには、お互いを知り少しずつでも理解し合っていくことが大切に思います。私自身ぜんぜんできてないなと今回反省させられました。お互い相手の立場になって自分だったらどうかなと考えることがもっとできたら絆がより強められて、そうすれば楽しいことをもっと楽しむことができる気がします。
 神と自分との信頼関係の次に大切な教会に集まる人どおしの信頼関係やお互いを心配し思う気持ちが、交わりを豊かにし信仰を成長させていくのかなと思いました。

■参加者の感想

M.S.
 2つの集会とも「友だち」というテーマで子どもたちにわかりやすく教えて下さってありがとうございました。
N.S.
 たのしかったこと たいそうとキャンプファイヤー
M.H.
 キャンプファイヤーで火をつけるのがこわかったけど、うまくできてよかった。いっしょにねとまりしたことで、またみんなと仲良くなれてよかった。ぜひ、来年もきかくしてほしい。
S.H.
 たのしい川あそび
Y.H.
 キャンプファイヤーのさいごのマシュマロやくのがたのしかった。
M.K.
 たのしい1日だった。
H.K.
 寝る前夜遊で少し遊んでねたのがいっしゅんだったので、おもしろかった。とわちゃんからきいた話でひなたがとわちゃんとまひるにあそばれちゃったのがおもしろかった。
R.H.
 キャンプファイヤーのマシュマロやきがとてもたのしかったです。それにマシュマロもおいしかったです。きのうのひつじとやぎのことも勉強になりました。夜あそびもたのしかったです。外でもバスケットボールやサッカーをして楽しかったです。
T.K.
よあそびが楽しくてひなたちゃんはいっしゅんでねて1つのベッドで3人ねました。
S.K.
 今年はKさんとMさんにお話をしていただきました。新鮮でとてもすばらしく子どもたちも真剣に話を聞いていました。恵まれた集会になりました。大人の方々にもたくさん手伝っていただき感謝でした。
K.M.
 子どもたちのはしゃぐ声がひびきわたっているっていいなと思いました。教会全体で自由に活動しながら親睦を深める機会はあまりなかったので、大切に育てたい企画だと思いました。
K.E.
 M先生のお話がとてもわかりやすくて良かったです。水遊びも楽しい時となると思います。
M.K.
 短い期間でしたが、とても充実したキャンプでした。子どもたちがとても元気で楽しんでいる姿が沢山見られ、嬉しかったです。
R.T.
 今年は講師の先生をお迎えせず、K兄、M姉にお話をしていただきました。とっても新鮮な感じで楽しく聞かせていただき、次回も期待してしまいます(笑)。キャンプファイヤーや美味しいお食事に大満足の2日間でした。

■妙高ファミリーキャンプ  キャンプ委員会

 7月15日、16日、妙高青少年自然の家で妙高ファミリーキャンプが開かれました。約20名のアンケートをいただきましたのでかいつまんで結果をご紹介します。全てのご意見はまとめてありますのでいつでもご覧いただけます。
 1趣旨(「主にあるファミリーのキャンプ。誰でも参加可能。内容・出入り自由。ウィングスとの並行開催で一部合同」について
  →初の試みとしてよかった。しばりのない参加形態に賛成×多。大人がいることでウィングスは助かった。門戸が広がり多様な方が参加できた。教会外の家族を誘ったが友達がいないことで参加しなかった。
 2期日日程(日曜+祝日で1泊2日)について
  →良かった×多。3連休で逆に行けない人もいた。
 3場所・費用(青少年教育施設、安い、セルフサービス、暑いこともある)について
  →良かった×多。安くて良い×多。施設も良い×多。施設内広すぎて移動が大変。たまには恵みシャレーでどうか。ゆったり集える場所と夜の時間があるといい。
 4内容(自主的で自由な活動、3~4の既成の活動からお好きなところを選んでいただいた)
  →やりたいことができてよかった。自由なところと全員参加のところのバランスがとれていて良かった。最初に自己紹介タイムがあってもよかった。苗名滝、温泉、松代大本営、ナイトウォーク、三代川先生のテープと交わり等よかった。ナビ用に自然の家の電話番号があるとよい。御言葉の学びをするならばそれなりの準備をしたい。下調べがされていて安心できた。
 5その他(何でも)
  →暑いので水分補給の場所があるといい。集会的なものを企画するなら、分科会や座談会等能動的にかかわれるものを希望する。回を重ねる中でよいスタイルができていくとよい。朝の集いの前に布団を整えておくとよい。
 キャンプ参加の有無にかかわらず建設的なご意見を沢山お寄せ下さりありがとうございました。反省点は沢山出てきますが、これらは改善のヒントにしたいと思います。ビジョンの有無が問われるのです。

■楽しかったオンギジャンイコンサート  N.S.

 2年ぶりのオンギジャンイのコンサート。毎回メンバーの構成が違うのでどんな人たちが来られるのかも楽しみのひとつです。元気なリーダーは今回も来日され、日本語も少しは上手になった様な気がしました。ひそかに期待していた前回来られた若いお兄さん(長男に似ている・・・と勝手に思っている)は来られなかったのが少し残念ではあったけれど・・・。
 オンギジャンイ独特のパフォーマンスで私たちを楽しませながら、神さまの事をストレートに心に語りかけてくる力強さは日々神様と繋がり、力を受けている証拠なんだなと思いました。人に聞かせる賛美ではなく神様に向かって賛美する姿勢を改めて教えれられる思いがしました。今回教会に始めて来られた方やゴスペルを通してコンサートに来られた方の中には涙を流して聴いておられた方もいらっしゃったと聞きました。
 オンギジャンイのコンサートを通して、神様が一人一人を見つめ、気にかけて下さっているのだと思うと嬉しくて私自身も元気になり、神様の事を伝えるって、先に救われた私たちクリスチャンが心から神様を喜んでいないとできないんじゃないかなーって思いました。
 今回はオンギジャンイのノリに積極的に参加したので、私に神様からCDのプレゼントがありました。ありがとう!
 新しく来られた方が神様につながることを祈りつつ。

■入会にあたって  S.Y.

 長野福音教会の会衆に加えていただき、感謝いたします。私が信仰を持つに至った時のことを記します。
 妻と私が聖書を読むようになったのは、1992年です。知人から誘われ、英語の勉強のために松本の「豊かな命教会」にて行われていた英語のクラスに参加しました。外国からの出稼ぎや留学生など、当時松本に集っていた英語圏のキリスト教徒が、賛美、聖書勉強、祈りのために集うものでした。
 始めは、反論のために聖書を学んでいました。しかし、ガーナから出稼ぎに来ていたAさん・Jさんが、明らかに苦境にいながらも、常に幸せそうであること等、不思議に思っていました。彼らが去る時、我々のために祈ってくれていたことに、特に触発されました。彼らから渡された何かを受け取る意味で、いつしか聖書の読み方が、「どうすれば受け入れられるようになるか」と変化していました。
 そして年末、米国からの音楽留学生Bさん・Tさん夫妻が帰国にあたり証しを語った時、私はBさんの方の証しに、妻はTさんの方の証しに、それぞれ考えさせられました。Bさんの話は、どこに行っても、偶然のように常に聖書を語る人がそこにいて、主から逃れられないと感じて信仰を持ったというもので、決して壮大な話というものではありませんでした。Tさんの話も同等のもので、実際ずっと後に再会した彼らは、その時の内容を忘れていた程でした。しかしながら私は、「それで信仰を持てるのなら、私もそうなれるのだ」と思いました。妻も別の理由でTさんの話を考えていました。同夜、我々二人は帰り道、互いに信仰の確信を持ったことを告白しました。
 別々の話を聞きながら同時に信仰に導かれたという経緯に、当初、召命なのかと思ったこともあります。ただ、その後の自分たちの歩みを恥ずかしさと共に振り返りますと、こうして時間差なく支え合える形をいただいてなければ、つらい中を通り抜けて来られなかっただろうと思っています。
 どうぞ皆様これからもよろしくお願いします。

■連合婦人会に参加して  S.S.

 5月22日、伊那聖書教会でおこなわれた同盟教団連合婦人会に長野福音教会からは10人でいきました。講演者は正村八重子先生、演題は「盛大な宴会に招かれた人々」で、ルカの福音書第14章12節~24節からのお話でした。これは、イエス様がパリサイ派の指導者の家で食事のときにされたお話です。この話に出てくる主人は神様を、招待客はパリサイ人を例えたのだそうです。聖書の知識がとても豊富で神様の教えを忠実に守っていたと言われるパリサイ人に例えられた招待客は、なぜ宴会への招待を断ったのでしょう。私たちはどうするでしょうか。神様は私たちみんなを神の国で催される宴会に招いてくださっているのです。その招きに応じた人たちは誰でも、その食卓につくことができるのだと学びました。
 私はまだ未熟でお話のごく一端しか分かっていないと思いますが、印象に残った部分を書きました。宴会に関連して正村先生が経験された祝宴や町内会旅行でのエピソードなども織り交ぜながらの講演でした。
 昼食は、違う教会の人どおしで一つのテーブルを囲むシステムでした。私は慣れないので同じ教会の方もいっしょにしていただきました。伊那や松本・小海の方と6人で食事をしました。誰からも話し始めなかったのでどうしようかと思いましたが、目の見えない私は名札が読めないのでお名前を尋ねるところから始め、自己紹介を機に交わることができました。知らない人どおしの交わりは、講演で聞いたとおり食事をともにすることでより深くなるのだなと思いました。連合婦人会は今回が初めてでしたが、同じ信仰を持つ者どうしの集まりゆえの温かさがありました。

■図書コーナー新設記念その3 『バンビ―森の生活の物語』  K.Y.

 今後は、いくつかの児童文学を取り上げていこうと思います。
 まず始めに、今回はフェリックス・ザルテンの『バンビ』を紹介します。「え?『バンビ』ってディズニーの作じゃないの?」と思われた方、いらっしゃると思います。本当は1923年に一人のユダヤ人によって書かれた正統派の“動物物語”です。
 ディズニーの映画の中でも、生まれたばかりのバンビがふらつく足でしっかり立った時の感動や、幼いバンビが見て感じる自然の美しさや驚き、親子の鹿とそれを取り巻く小動物たちとの楽しさ、かわいさ・・・などが感じられたことでしょう。映画では、クライマックスに、森で大火事が起こり、命からがら逃げ切った動物たちの様子が描かれ、その試練を乗り切って成長したバンビが王様になってめでたしめでたし・・・というストーリーだったと思います。ところが原作には火事はなく、ストーリーはもっとシリアスです。 
 四季折々の自然の森の美しさが、詩のように全編にわたって描写され、植物も動物も生きる喜びがあふれている、という点だけではなく、同時にその森の中で常に起こる、弱肉強食や共存のための争闘、“あれ”とよばれている人間の、狩りや鉄砲による情け容赦もない暴力、死の脅威、その中で懸命に生きている動物たちの命がけの姿…などがリアルに描かれています。そしてそんな動物たちの生活を通して、作者の最も訴えたい思いが語られているのです。
 物語を少し追ってみましょう。
 初夏にバンビが生まれた時は母鹿と二人。鹿の世界では父鹿はめったに姿を見せません。(ここぞ、という時に登場する大殿様が実はバンビの父だったのですが・・・)そして同じ年に生まれた牡鹿のゴボー・牝鹿のファリーネという友達と仲良く育ちます。バンビは幼いうちから母鹿に、草原への出方、森の歩き方(夜行性なので夜か明け方に動く)などを学びます。そして母鹿たちが時々口にする“危険”と“あれ”とは何か、いつも考えています。
初めての冬、食べものを探す困難を知り、それだけでも生きていくことが大変な時に、恐ろしい狩猟が始まります。バンビはこの狩猟で“危険”を体験し、怪我して動けなくなったゴボーを見捨てて逃げなくてはならない不条理さを味わいます。またこの狩猟で母鹿を殺され、一人で生きていかなくてはならない孤独と試練にあわされます。
時がたち、バンビに角が生えてきます。久しぶりに会ったファリーネは美しくなっていて、バンビは他の若鹿2頭と決闘して、みごとにファリーネを射止めます。(物語の最後にはファリーネと結婚しめでたしめでたし・・・となる)
 一方、殺されたと思っていたゴボーが人間に飼育されていると知ります。ところがゴボーはすっかり野生感を失っていて、ふたたび森の生活に戻るのですが、無条件に人間を信じていたため、人間の鉄砲で撃ち殺されてしまいます。
 バンビが足を鉄砲で撃たれ、怪我して動けなくなった時、大殿様がやっていきます。血が出ている間は同じところをグルグル歩き回らせて、“あれ”に居場所がばれないようにすることを教え、血の止まる草を食べさせて安全なところに導いてくれます。
 ある時、バンビは隠れ家の目の前で、鉄砲で撃たれ傷ついたキツネと、人間が飼っている狩猟の犬のやり取りを目撃します。キツネは家族の元で死にたいから見逃してくれ、と犬に頼みますが、犬は冷酷に拒否します。「はずかしくないのか・・・この裏切りものめ!」とキツネが叫ぶと、犬は「―何も知らないくせに、何を言っているのだ?おまえたちはみな、おれと同様、あの方のものだ!―あの方は全能だ。おれたちの上に立っていらっしゃる!おまえたちの持っているものはみな、あの方から出ているのだ!はえているもの、生きているものは、みなあの方からでているのだ!」と言い返します。
 これを聞いて、大殿様は、「一ばんおそろしいのは、犬がさっき言ったことを、動物たちが信じていることだ。彼らはそれを信じ、不安に満ちた生活を送り、“あれ”を憎み、お互いを憎み・・・“あれ”のために殺し合うのだ」とバンビに語ります。
 しばらくたって、森の中で密猟者の死体を大殿様が見つけた時、バンビにしっかり見せながらこう教えます。「見たかい、バンビ。“あれ”がわれわれのだれかと同じように倒れているのを見たかい?お聞き、バンビ、“あれ”はみんなの言うように全能じゃない。はえているものや、生きているもののすべてが“あれ”から出るわけじゃない。“あれ”はわれわれの上にいはしない!“あれ”はわれわれと同等で変わらないのだ。―“あれ”もわれわれと同じように、やっつけられることがあるんだ。そして、われわれのように、みじめに地面に倒れるんだ。今おまえが目の前に見るとおりだ。」・・・
 最後に大殿様はバンビに問います。「『わしの言うことがわかるかい、バンビ?』と年よりの鹿はたずねました。バンビはささやき声で、『と思います・・・』とこたえました。年よりの鹿は、『じゃ、言いなさい!』ときっぱり言いわたします。バンビは胸を熱くして、ふるえながら言いました。『別なひとがわたしたちみんなの上にいるのです・・・わたしたちの上に、“あれ”の上に』・・・
 フェリックス・ザルテンは子供の文学を書くときの筆名で、本名はズークムント・ザルツマンといいます。1869年当時のオーストリア・ハンガリー帝国の首都ブタペストで、ユダヤ人の家庭に生まれました。父が事業に失敗し、一家はウィーンに移って貧しい生活を続けます。家が貧しい上に病弱で、学校ではよくいじめられたそうです。休みの日には、ウィーンの郊外の森で小鳥やリスなどの小動物を眺めて過ごすのが好きでした。十代の終わりころから独学で文筆家をめざし、そのうち小説や劇作、演劇批評で頭角を現し、新聞記者としても活躍するまでになりました。子供のための動物文学もいくつか書いていて、中でも『バンビ』は、ドイツ語圏・英語圏でも広く読まれるようになります。ところが1933年にヒトラーがドイツで政権を取ると、その影響がオーストリアにも及び、ザルテンはアメリカに亡命を余儀なくされます。そして第二次世界大戦終息の後、スイスに移り、そこで1945年に亡くなっています。
 『バンビ』の中でザルテンは、ゴボーの死や、狩猟犬とキツネのやりとり、を通して、ヒトラーによるユダヤ人迫害を、予言的に語っています。(優れた児童文学の作品は、子供向けの物語であっても、時代を反映し、時には批判し、作者の深い思いを読み取ることができる点で、非常に重要な役割を担っている、といえる。)
 『バンビ』は幼児向けの物語ではありません。無理に無難な幼児向けの筋に作り替え、ひたすらかわいく表現したのでは、作者のかけがえのいないメッセージが無意味になってしまいます。
 ザルテンは、 生と死 ― この二つのものにしっかりと目を注ぎながら、生きていくとはどういうことなのかを表現しつつ‘人間は万能のものではない。人も動物もひとしく神の御手の中にある’との強いメッセージを語っているのです。興味おありの方は是非、ディズニーの『バンビ』を頭から一掃して、原作『バンビ』を読んでみてください。

■母と息子の富士登山  T.S.

 昨夏、息子(次男)と富士山に登った。八合目までは元気だった息子が、仮眠から覚めると、高山病になっていて、そのまま八合目でご来光を見て下山した。
 今年、リベンジのため、再び富士山に登った。富士登山には4つの登山ルートがあるが、昨年は初めてということもあり、ツアーに入り、一番人気があり、観光地化されたルートで登った。今年は息子の希望により、一番長く、故に一番人が少ないルートで登った。本当に、登山者は少なく、数える程しかいなかった。近年、山ガールと呼ばれる人々が増え、華やかな装いの登山者が多い中、母は子供のおさがりの中学校ジャージにウインドブレーカーという山おばさんであった。
 砂が厚いこのルートは本当に歩きづらく、かつ、遮るものが何もないため、暑く大変だった。ちょうど良い所に山小屋もなく、母の読みの甘さで、塩おにぎり1個ときゅうり半本で七合目の山小屋まで6時間歩いた。昨年の山小屋は汁のようなカレーだったが、今年は具がたくさん入っていて、おかわり自由だったので、たっぷりエネルギーを補給させてもらった。眠ると呼吸が浅くなり、高山病になりやすいため、鬼のような母は息子に寝てはいけない宣言をしたが、少しうとうとしたようだ。午前1時に山小屋を出発。息子は眠気と薄い空気にフラフラしながら登った。そして頂上に到着。日の出を見るのに良い場所で太陽が上ってくるのを待つ。この日の出前が寒くてホッカイロを持ってくるべきであったと思った。そして雲海の中から太陽が顔を出す。ほんとうに美しく主の御業を誉め讃える。富士山の頂上は広いがその中で最高峰にも立った。昨年のリベンジができて本当に良かった。この厳しいルートは下山にご褒美があり、7合目からはふかふかの砂を一歩3メートル進む程に下りていける。砂が靴にはいりやすい難点はあるが。クッションが良く、膝に優しく痛くならずに下山することができた。
 今回の一番の心配は登山で体力を使いかつ寝不足状態で運転する母の体力がもつのかということであったが、天候も、行き帰りの道も守られ、すばらしい体験をすることができ、ほんとうに感謝な時だった。

2012年7月号

■巻頭言 満ち足りる心  高橋宣弘

 夏野菜が美味しい季節になりました。信州に来て、新鮮で豊かな野菜に恵まれているおかげで、我が家は野菜中心の食生活になりました(料理は、ほぼ妻に任せきりですが…)。そのため旅先でも、地元の名物を食べることに疲れを感じてしまい、生野菜を求めてスーパーに駆け込んでしまいます。トマトやきゅうりをそのままかじりながら、「やっぱり、これだよね」と言うようになりました。
 恵まれた環境にいるため、出エジプトを経て荒野に置かれたイスラエルの民の不平不満が、大変身近に感じられます。旧約聖書の民数記11:4-6には、その様子がこう記されています。
   また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」
 水も緑もほとんどない荒野での40年間、神様はずっとイスラエルの民を養い続けてくださいます。安息日以外の毎朝、天からマナが降りて来て、壮年男性だけで60万を超す大群衆の胃袋を満たしたのです。マナは、「白く、その味は蜜を入れたせんべいのよう」(出エジプト記16:31)、また「これをなべで煮て、パン菓子を作っていた。その味は、おいしいクリームの味のようであった。」(民数記11:8)と表現されています。甘くてこうばしい、神様がくださる栄養満点の主食でした。しかし、こんなにも素晴らしいマナが与えられていたのに、人々は、「毎日同じものばかりじゃ嫌だ、もう飽きた、もっと美味しいものが食べたい」と、不平不満を口にしたのです。
 私たちは、このイスラエルの人々を批判できません。私たちも同じような者です。今、与えられているものを喜び感謝するよりも、無いものねだりをしやすい私たちです。
 現在、各会で学びのテキストとして用いられている『病める社会の病める教会』(勝本正實著、いのちのことば社)の中に、「世界中で最も強欲なのはクリスチャン?」というショッキングなタイトルの章があり、そこにはこう指摘されています。
   キリストは私たちのために貧しくなり、命すら与えてくださったのに、信仰者はキリストの名によって、自分の欲望をかなえようとする。しかも、「これで十分」と思わず、次々にもっともな理由をつけて、祈るようになってしまう。(15ページ)
 耳が痛い指摘です。自己中心な信仰生活に陥りやすい私たち、神様の御手の中にいる自分というよりも、自分の「神様」としやすい私たちです。だからこそ、私たちは、いつもイエス様のお姿を思いながら、「満ち足りる心を伴う敬虔」(Ⅰテモテ6:6)、「衣食があればそれで満足」(Ⅰテモテ6:8)という、感謝の信仰へと導かれていきたいのです。

■一途に焼きそば H.E.

 5月20日、天候にも恵まれてバザーが行われました。ヤングとたこ焼きをやっていて焼きそばには指一本触れなかった私がこの原稿を書いていますがお許しください。
 焼きそばは、前日から当日が勝負です。前日は買い出しと野菜きざみ、きざんだ野菜の分量分けと肉の火入れがあります。何時間もかけて準備くださった兄方に感謝です。当日は、テント設営、火おこし、調理。商売が終わったら鉄板の洗浄と灰片づけ、テント片付け等々があります。日に焼けながら汗だくで焼いて下さった壮年の皆様に本当に感謝です。また毎年応援に来てくださるご主人様にも心から感謝申し上げます。
 年々人数が少なくなり、上げおろしの鉄板も重く感じられるようになってきました。“来年は別メニューにしよう”と毎年話題になるのですが、バザーの時期が来ると、そんな邪念はかなぐり捨てて一途に焼きそばに専念します。めらめらと燃える炎、もうもうと上がる煙、ジュ―ジュ―音をたててはねとぶ油と香ばしい香り・・何か本能に目覚めるようなひと時です。
 来年はドラム缶を新しくしていただけそうです。現在、使い込んで穴のあき始めたドラム缶が二つありますが、もしお入り用の方はご連絡ください。
 バザーのきめ細かな計画と調整をして下さった伝道部さんに感謝します。
 焼きそばの作り方を忘れないように以下に今回の準備等を記します。
  ・あらかじめ用意するもの・・ドラム缶、波板、鉄板、鉄板を動かすためのカギ手、大きなへら2本、薪ほか燃やすための準備、テント設営、ステージ、パッケージ100ぐらい、輪ゴム、割り箸
  ・前日に用意するもの・・サラダ油1本、ウスターソース、ソース付き焼きそば72食(3食入り×24袋)、モヤシ(24袋)、キャベツ(8玉)人参(24本)、こま切れ豚肉(2000~2500グラム)。野菜は大ビニール袋8袋に入れる。・紅ショウガ、青のり、材料は倉庫内冷蔵庫へ。
  ・(「モヤシ3袋、キャベツ1玉、人参3本」+「火を通した肉250~300g」+「そば9袋」)×8回焼く。一回毎にパック11~12個に入れ、紅ショウガ、青のりをかけ、割り箸を添えて売る。250円。
  ・余ったものは台所へ。
  ・今年の純益13255円。
  ・にこやかに売る (^O^)/。

■祝福されたバザー S.K.

 今年のバザーは暑かった。毎年天候も守られますようにとお祈りはするけれど、とっても天候に恵まれた。休息する人たちも結構駐車場にいて、中にはブルーシートを広げる人もいた。木陰がほしいと思うほどだった。
 鉢物コーナー担当者としては毎年帰りにみてもらうので、ケーキが売り切れる頃まだ客は0人という状態だが、気にしてる客は来年はモッコウバラがほしいという注文も頂いた。ゼラニウムなどは売り切れたが、毎年のことながら残った物は教会の庭の空きをみつけては植えて片づけるので、私にとってはバザーが終了するのはその時である。今年はバラが少し残ったので、ひとまわり大きい鉢に植替え、来年のバザーまでとっておこうと思う。来年用に教会の剪定したモッコウバラの枝をさし木にし、来年の準備がすでに始まっている。手芸品をせっせと作っていた頃もバザーは一年計画だった。でもどのような物が売れるのか?どのような売り方がいいのか?毎年?のまま行っているのが現状だ。
 神様はそんな私のバザーに対する行動も思いも全てわかってくださる方で、完売しても売れ残っても益としてくださる。天候が良くても悪くても、益としてくださる。(たしか去年は寒くて、皆室内で休憩しておでんの売れ行きが良かったと思う。)今年の暑さを見越してか、一麦会は冷たいデザートを用意していたとか。(私の口には入っていないが。)お気楽な私は神様にまかせきりだが(鉢物なんて特にそうだ)益としてくださり、感謝感謝のバザーだった。

■バザー、一麦会の苦悩 E.T.

 バザー前の一麦会は、いつになく真剣に悩んでいました。毎年、「喫茶一麦」(勝手に)でクレープを出して、お客様のニーズにきちんと答えているのか・・・。もしかしたら、クレープ以外のものを求められているのかもしれない!一麦会としては、毎年クレープを出すのが恒例です。今までも少し変化をつけてきました。バナナだけでなく、イチゴや桃(缶)、みかん(缶)を入れてみたり、Sさんによる冷えデザートを出してみたり。今年はどうするか・・・。悩みぬいた結果、いつものバナナクレープ、Sさんによる大人のパンナコッタ、Mちゃんの絶品ヨーグルトムースになりました。
 前日に会場入り、手作り感満載のポップをつくり、あちらこちらにチラホラと花をつけました。冷えデザートはSさん、Mちゃんにおまかせし・・・(^_^;)Rちゃんとクレープ生地を準備しました。(Mちゃんは、いつの間にかおやき作りに参加していて、浅川の嫁になっていました)
 当日、大人のパンナコッタ、絶品ヨーグルトムース、バナナクレープは好評を得て完売しました。定番のクレープも、意外に期待している方がいることを確認しました。また、他のブースでも楽しく、美味しく、素晴らしい時間を過ごすことができました。バーベキュー付近は熱かったですが、お肉・お豆すごく美味しかった。バザーを祝福してくださった神さまに感謝します。

■レディスランチョン - ビョン・ホギルさんのトーク&コンサート - に参加して M.T.

 レディスランチョンのために、お祈りとご奉仕を感謝いたします。今年のランチョンは、200人近い方々が参加してくださいました。ランチョンの宣伝またお誘い、ありがとうございました。
 今まで私は、クリスチャンのテノール歌手ビョン・ホギルさんの存在を知りませんでした。ランチョン委員会で、ビョン・ホギルさんのことを聞いた時、「あの劇団四季にクリスチャンがいたのか!?」と驚き、嬉しくなりました。
 ランチョン当日は、ビョン・ホギルさんの優しい歌声に身も心も癒されました。力強く素晴らしい賛美でした。そして歌の合間のユーモアあふれるお話が印象的でした。ホギルさんは、「心筋梗塞になり入院したとき、毎日お見舞いに来てくれた女性と結婚することがきました!病気を通して、無理だと思っていた結婚に導かれました!」と話されていました。「人間にとってのピンチが、神様のチャンスだ。神様は、病気を益としてくださった」と。
 韓国の方なので、通訳が付くかと思っていましたが、ホギルさんは、たどたどしい日本語で一生懸命に神様のお話をされていました。そのお姿に心打たれました。
 今回のレディスランチョンでは、微力ながらお手伝いをさせていただきました。本当はおめかしをして、ランチョンに参加したかったのですが、ホテルで会場案内の役割があったので、スーツを着て行きました。ホテルの従業員さんに間違えられたり、ホテルの方からも「ご苦労様です」と声をかけていただいたり、ちょっとだけホテルマンの体験もできました(笑)
 ホギルさんは、「生涯、神様を賛美して生きていきたい!」と願って活動されています。私は、「何のために生きていくのか」と問われ、「小さな者ですが、神様に奉仕をしていきたいです」と、心から願わされました。

■ひと休み ジョークのコーナー

その1
 聖地旅行にやって来ました。
 エルサレムの一角にある遺跡にて
 ガイド:「……ここは、ダビデ王が建設したとされる町の遺跡で、今から、3003年前のものです。」
 客:「??」
 客:「あのお、3003年前って、どうして分ったんですか?」
 ガイド:「ええ、3年前、研修で習ったとき、3000年前の遺跡って習いましたから。」

その2
 日曜学校である先生が「良きサマリヤ人」について教えていた。先生は言った。
 「もし、道端で人が血を流して倒れているのを見たら、皆さんはどうしますか?」
 ある生徒がさっと立ち上がって言った。
 「先生、私なら気絶します。」

その3
 日本語検定試験
 「もし○○なら」を使って短文を作りなさい。
 (解答)
 もしもし、あなたは奈良県の方ですか。

(必笑ジョーク202(いのちのことば社)より一部改変して引用)

■図書コーナー新設記念その2 『ペレのあたらしいふく』 K.Y.

 前回はモノクロの絵本を紹介しましたが、今回は北欧の美しい自然をそのまま絵本に映し出したような絵を描く、スウェーデンの女性作家 エルサ・ベスコフ(1874-1953) の 『ペレのあたらしいふく』を紹介したいと思います。
 エルサ・ベスコフはスウェーデンのストックホルム生まれ。6人兄弟の2番目で、何でも作れる器用なお父さん、優しいお母さん、お話が上手なおばあちゃん、そして北欧の大自然の中でのびのび育ち、絵を描くことやお話を作ることが大好きな少女でした。小学校の後、教育熱心な両親により、進歩的な女学校へ入学することになり、そこで教師のエレン・ケイ(後の世界的な女性思想家)と出会い、“母性愛”や“子供のしつけ”といった面で大変な影響を受けます。
 (―何よりも大切なのは、後で捨てるような物を子供に与えないことであって、むしろ、物を与えるのには常に、労働とか犠牲とか何か個人的な意味を含ませるべきである。物を与える喜び、小さな楽しみや満足を自分で作り出す可能性、同様に自分のものでも他人のものでも壊したら自分で償う方法などを会得させるためには、なるべく早い時期から子供に一定の家事労働をまじめに実行させ、それに対してささやかな報酬が得られるように習慣づけることが必要である―エレン・ケイ『児童の世紀』より)
 お父さんが亡くなると、経済的に苦しくなり、大学進学をあきらめて専門学校で美術を学びます。そこで後の夫、ナタナエル・ベスコフ氏と出会います。卒業するとエルサは母校の女学校で美術の先生として働きます。ナタナエル氏は画家を選ばずに神学校へ進学し牧師となります。二人は結婚すると、ストックホルム近郊の教会で牧会生活を始めます。二人には6人の男の子が与えられるのですが、6人それぞれをモデルとして描いた絵本がある、と言われています。6人の息子たちはそれぞれ、自分がモデルとなった絵本があることを、とても誇りにしていたそうです。
 エルサは50年間、牧師夫人として夫の伝道を支えながら、子育てをし、亡くなるまでに33冊もの本を描きました。日本でも25冊出版されたそうです。
 エルサの絵本には、北欧独特の文化・・・針葉樹林、フィヨルド、湖、白夜、寒さ、暗さ、美しさ・・・の中から生まれる小人や妖精、が登場する非現実なファンタジーといわれる物語を描いたものも多くあります。一方で、『ペレのあたらしいふく』のように生活感のある、現実の生活を描いた、写実的な物語もあります。そして、エルサ・ベスコフはエレン・ケイの言う“母性愛”を絵本に形象した芸術家と言われています。
『ペレのあたらしいふく』を見てみましょう。(たぶんモデルは長男)
  ・表紙は水色にキンポウゲの黄色で、スウェーデンの国旗を思わせる色使いです。
  ・健康そうな男の子と、彼が自分で世話しているひつじが出てきます。素朴な生活が感じられ、読者の子供にも親しみが持てます。男の子は大きくなって、服が小さくなってきたので、自分でひつじの毛を刈り取ります。(子供は大人のすることを見よう見まねでできるようになるものである・・・)
  ・その毛をおばあちゃんにすいてもらい、糸に紡いでもらいます。(できないことは人にお願いするが、タダでやってもらうのではなく、子供でもできる範囲での“労働”を交換条件としている・・・)
  ・ペンキ屋さんとの交渉で染粉を手に入れます。(ペンキ屋は身内の人ではないので、ペレはちゃんと帽子を取って挨拶をしている。ペンキ屋に染粉はないが、子供の考えを尊重し、染粉を得るための提案をしてくれる。近所の人とも助け合いながら生活している・・・)
  ・毛糸を自分で染めます。(自分でできることは自分で・・・)
  ・お母さんに布に織ってもらいます。(代わりに妹の世話をする、いつもやっているので慣れた手つきである。素朴な家族像が描かれている・・・)
  ・仕立て屋さんに布を持って行って、服を作ってくれるようお願いします。(ここでも帽子を取って挨拶。仕立て屋は「しょうのないこだよ」と言いつつも、子供だからとなおざりにせず、理解してくれている。ここにも小さな子供がいて、ペレは面倒を見ながら交換条件の“労働”をこなしている・・・)
そして仕立て屋さんは土曜日の夕方きっかりに、洋服を仕立ててくれます。(どうして土曜日の夕方なのか・・・ここの場面の絵をよく見ると・・・)
  ・ペレは日曜日に新しい服を着て、まずひつじにお礼を言います。ここの場面では服にかかわった人が勢ぞろいしています。(ものは多くの人の手を得て作られる、そして“労働”によって何かを一つ一つ得ていく、ということ・・・)
みんな勢ぞろいして、どうするのでしょうか。そうです。教会へ行くのです。ひつじに感謝、人に感謝、何よりすべてのよきものを与えてくださる神様に感謝。
 エルサ・ベスコフは、牧師である夫と培ってきた信仰と、先生であったエレン・ケイの思想の強い影響と、北欧の大自然とを糧として、絵と文で絵本に表現していった作家でした。エルサ・ベスコフの描く美しい絵と、そこに込められている思いを楽しんでみてください。
※「すぐに読みたい!」という方のために、
 『ペレのあたらしいふく』・『おひさまのたまご』エルサ・ベスコフ
 『もりのなか』・『またもりへ』・『わたしとあそんで』マリー・ホール・エッツ

■伝道部の働き O.T.

 2012年の暦もちょうど半分、折り返し点を過ぎました。日頃の皆さまのご協力に感謝します。
 伝道部としての働きには、1.伝道会等の企画・運営 2.フォローアップ 3.バザー 4.塩尻開拓伝道献金取扱い 5.他団体との協力伝道窓口 6.放送設備の管理・録音などがあげられますが、昨今は各種イベントの遂行などに傾きがちで、大切なフォローアップというミッションの観点における働きが弱い現況があり、大きな反省点です。一体に、見える形にとりかかり易いものですが、神さまに列なって生きるために、逸れて行く魂の救いに力を注ぐべきだと思います。とはいえ神さまに近づく手立てとしてはさまざまな形があります。イエス様のおこころに触れるための導線としては、例えば2年目を迎えたゴスペル企画などは大きな力となっています。
 従来の、言ってみれば受容型のコンサートから舵を切って、このワークショップレッスンを通じ積極的に神様を賛美するというフォームは自らの日常の軋轢・くびきなどしばりから、また屈託や閉塞感からの解放という展開をみせ、昨年は12月の感涙コンサートとして結実しました。
 ただこういった大きなうねりだけでなく、きめ細かにお一人びとりに合った形で私たちは主イエス様の愛を地道に伝えて行きたいものです。そのような働きはさらに重要です。7月からは新たな形で入門講座もスタートしました。これから若い人たちに神さまのみこころを、その愛の無窮であることをしかと継承していかなければと考えます。
 期待をもってこの年の後半の航路をともに渡って参りましょう。

■エッセイ 父の日・母の日に思うこと 正村八重子

 6月に父の日があった。お父さん方がズラリと礼拝堂前に並んだ。見たところあまり若いお父さんは見当たらない。多くは40歳台以上か。それに対して、今回プレゼントをあげようとする子供は、幼児が二人だった。ウイングスのやさしい先生方に導かれて、お父さん方にプレゼントを渡している。この二人に対して、感謝なことにお父さん方は大勢いる。
 ここ何年かで子供の数とお父さん方の数が逆転している。昔は子供が大勢でおとうさん(それも若い)は3人くらい、プレゼントを持った子供たちはひとりのお父さんに何個も渡していた頃を思い出した。これは父の日だけではなく母の日も同じであった。
 学校が隔週で土曜休みになった頃から教会ではサタデークラブを始めた。当時からあらゆる工夫をこらして(?)、フットサル、ソリ教室、ホッケー、タンバリン等、また、クレープ、ピザ、おやき、お好み焼き、クッキー作りを行った。M姉はサタデークラブの旗やエプロンを作ってくださった。その頃は、遊びが高学年向けだったせいか、高学年が集まったのは嬉しかったが、すぐに中学生になってしまい、ウイングスの継続につながりにくい面もあった。
 少子高齢化と言われている日本の現状がそのまま教会にもあてはまるようになってきたのかもしれない。しかし、公立小学校や保育園、幼稚園に子供たちがいなくなったわけではない。ウイングスに生徒が来てほしい。子供たちが、若い人が救われてほしい、と願うばかりである。
 次世代に向けて新しい幻を見る。教会の21世紀ビジョンを思う。子供たちよ、集まれ。青年の兄姉よ、クリスチャンホームを作ってください。クリスチャンホームの子供たちと外から来るお友だちでいっぱいのウイングスとサタデークラブを夢見ています。

■異論反論OBJECTIONコーナー きみは愛されるため生まれた!

 「きみは愛されるため生まれた」という有名な歌がある。クリスチャンだけでなく、TVでも使われたり韓流ファン以外にも知られているようだ。
 きみの生涯は愛で満ちているという歌詞が続くこの歌は、メロディも美しく、歌詞も素晴らしい。
 しかし、この曲を聴くとき(歌う時)、微かな違和感(あるいは落ち着かなさ、居心地の悪さ)とでもいう感覚に時々とらわれる。あるときその原因?の一端に気づかされた。それは、偶々見たワールド・ビジョン・ジャパン(キリスト教精神に基づく国際NGO)のHPの次の文章である。
 「特に強く思わされていることの一つは、いのちの尊さ、それも子どもたちのいのちの大切さということです。 先だって訪問したタンザニアでは、両親をHIV/エイズで失った男の子に会いました。その厳しい現実とこの子の将来を考えると、私は話すことも、抱きしめることもできず、ただ黙って話を聞くことしかできませんでした。昔ルワンダを訪問した時に出会った少女は、両親が目の前で殺されてしまい、それが大きなトラウマになり、その日以来、心の目と肉体的な目の両方を閉ざしていました。彼女と会った時、私は彼女の手を握りしめて何時間か話し合うことができました。そして別れる時、何と彼女は目を開けて、「ルワンダに来てくれてありがとう」と言ったのです。彼女は肉体的な目と心の目の両方を開いてくれたのです。心と心が繋がった経験でした。
 『きみは愛されるため生まれた』という賛美があります。しかし、この言葉をアフリカの子どもたちを目の前にして語れるでしょうか? 両親をエイズや紛争で失った子どもに、貧困の故に学校に通えない子どもに、栄養失調や、日本では予防可能な病気で死の危機に直面している子どもに向かって「きみは愛されるため生まれた」と語れるでしょうか?ただ語るだけでなく、子どもたちが本当に「自分は愛されるために生まれた」と思えるための助けを、何かすべきではないかと思うのです。(片山信彦師の文章を抜粋要約)」
 上の引用文の主旨は、日本にもあてはまるだろう。
 物質的には一見豊かな日本においても、連日のように悲惨な出来事が報道される。児童虐待、ネグレクト、それによって命を落とす子どもたち(厚労省発表では2009年度の虐待死は49人)。いじめや自殺の問題。これらは今に始まったことではないし、個人の力でどうこうできない大きな困難な問題ではある。この歌に感じた違和感とは、歌詞と現実世界とのあまりの乖離の大きさによるものにほかならない。

2012年4月号

■巻頭言 問題があって当たり前  高橋宣弘

 聖書日課に従って妻とディボーションをしている中で、旧約聖書の「哀歌」に入りました。哀しみの歌という名の通り、読むだけで気持ちが重くなってしまうみことばでした。バビロン捕囚の時代を生きた預言者エレミヤが記した書物です。都エルサレムが包囲され、焼失させられ、廃墟と化す・・・つらすぎる現実を目の当たりにし、涙ながらにつづった言葉です。
 哀歌の3章に入ったある朝、私は「このみことばは机上の空論ではない。つらく悲しい現実を生き、それを必死に受け止めようとした信仰者の真実な言葉だ!」と感動し、胸が熱くなってきました。神様が共にいてくだされば、人生すべてうまく行くと、聖書は語っていません。かえって生きていくことには、苦しみが付きもの、問題があって当たり前だと語っています。
 「人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。」(哀歌3章27-28節)
 苦しみの原因は、私たち自身の罪とこの世の悪のゆえかもしれません。しかし、原因を突き止められないことや、原因を追究してもどうしようもないこともあるでしょう。そうであっても、それらを「受け止めなさい」と哀歌は語っているのではないでしょうか。
 私たちは生きている限り、問題に直面させられます。だからこそ、「大変なことが待っていて当たり前」という姿勢で生きていく方が良いのかもしれません。(マイナス思考だとお叱りを受けるかもしれませんが・・・)その方が、ささやかな幸せを、大きな喜びと感じられるでしょう。
 そして、哀歌は絶望的と思われる状況の中で、主なる神様による希望を提示しています。
 「主は、いつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」(哀歌3章31-33節)
 つらい試練を前にして、神様に不平不満を並べ立てるのではなく、主により頼む者となりたいと思います。神様は、あわれみと恵みのまなざしで、悩む私たちを見守り、私たちに寄り添っていてくださるお方です。

■慰撫と鼓舞~ レーナ・マリア ゴスペル&トーク ~そして・・・ O.T.

 あの冬の夜、私はコンサート開演を待つ長蛇の列の整理に当たっていた。善光寺境内。するうちレーナ・マリアさんがぞろりと長いコートの出でたちで、何人かのお付きの人たちを従えて、しずしずと外陣へ向かう(まさにそういう感じ)のだった。辺りを払う気高さ、そのオーラ。やがて、「アメイジンググレイス」の歌声が外に漏れ出し、凍てついた夜空に吸い込まれて行った。ため息が白く光った。
 前後して福音教会を会場に、レーナさんの合同コンサートが催されたそうだが、当時まだ私は教会に戻っていなかったので、これには携わることはなかった。レーナさんはこの時、確か長野アートパラリンピックの招聘で来長されたのだった。
 今回、JR長野駅へは高橋先生が教会車で、K兄の運転する車に私も便乗させてもらい一行を迎えに東口へ向かった。別動夫君の車から降りられたベドウ路得子師と駅で落ち合った。改札口からレーナさんが車椅子で現われた。
 こちらとしては一方的に懐かしく、思わず―nestled my cheek on her (役得)・・・レーナさんはずいぶん庶民的になられたよう。そして冬のま中にしてはいささか薄着。「こちらは寒くないですか」高橋先生のいたわりのお尋ねに「私たち、どこからやって来たとお思い?」で皆一挙に和やかムード。さらに高橋先生は気を利かして(?)「降車しないまでも、善光寺を経由して教会へ参りましょうか?」と提案。教会車はそちらへ向かう。
 それにしても、地方の一教会に神様はそのみ業を現してくださったものだ。〈ホンマに実現させてくださるの?〉訝ったことも事実。主は、レーナさんのとき経てかわらぬ澄んだ歌声とともに邪な私の心を慰撫する。冷や汗もの。〈イブトコブ、イブトコブ・・・〉。心のうちにつぶやく。コンサートもそろそろ終演に近づいた。路得子師は今回は黒子に徹して通訳のみ。余分なことはおっしゃらない。
 折りしも昨年から始まったゴスペルワークショップを想う。同じここでひと月余り前までクワイアが精一杯主を賛美していたんだっけ。神様の憎い演出だ。主の鼓舞だ。
 Come,Come let us adore Him ♪(Emmanuel by Norman Hutchins)
 表は細かい氷雨が舞っていた。マーク師・路得子師の、中のお嬢さんがまだ教会の玄関周りの雪片付けに余念がない。顔は上気して薄っすら汗ばんでいる。「また来てね」。彼女はにっこりするとこっくり頷いた。

■レーナ・マリアコンサートに参加して E.Y.

 昨年2月に長野福音教会の礼拝に出席するようになってからそろそろ1年が経過しようとしています。まだわからないことも多い新参者ですが、過日のコンサート(2012年1月21日)について思うところを綴ってみたいと思います。
 この教会に初めて足を運んだ翌週に、礼拝の中で「レーナ・マリアコンサートのために」という祈りの時が持たれました。少し驚きました。しかも、レーナさんが有名な方だからこそ、あえて大々的な宣伝をせず、教会に集う者たちがそれぞれに周囲に声を掛け合い、結果としてこの礼拝堂を一杯にするという方針でコンサートを開くつもりであると伺い、続けてこの教会に来てみようという気持ちになりました。
 このコンサートは、震災の影響を受け、当初の計画と違ったときに実現しました。私は詳細を存じませんが、関係の方々の心中をお察しします。しかしながら、きっとそれが神様の御心だったのでしょう。
 私自身は善光寺で歌われたレーナさんを知りません。「クリスチャンヒロイン」の一人としてキリスト教関係の雑誌や新聞でよく見かけていたレーナさんがリアルな大人の女性として、私の目の前に立たれました。レーナさんの伸びやかな賛美を聴きながら、今、この時、神がここにおられ、レーナさんの声を含めた全身を用いて私たちに語りかけておられることを実感しました。賛美とはそういうものであること、つまり、私たちが全身を神に明け渡し、神に自在に用いてもらうことなのだとしみじみ感じました。20年近い信仰生活の中で、一つ大切なことがストーンと胸に落ちていったような感覚でした。
 日頃、何をするにも、賛美をするにも他者の「評価」を気にしてしまいがちですが、私たちを造られた主は全部ご存知なのだとレーナさんの姿を通して教えられました。

■Potluck Party(^_-)-☆ S.I.

 「えいごであそぼう!!」(サタデークラブ)も、最近ではかなり地域に定着してきた。新聞に募集の記事を載せてもらったり、チラシを小学校前で配ったり、地味な奉仕をしてくださっている兄弟姉妹方に、本当に感謝している。
 3月10日(土)には、子供向けの「えいごであそぼう!!」のプログラムが終った後に、保護者を対象としたPotluck Party(持ち寄りパーティ)を企画した。誰が何を持ってくるのかは、運しだいなので闇なべみたいなものか?(ちょっとちがうかも・・・(~_~;)
 目的は、おいしいごはん、だけではなく(笑)、「~リズさんを囲んで~聖書に載ってる子育て術」の話をリズさんからお聞きすることだった。リズさんが、聖書を開きながら自分の子育ての経験を話してくれた。「子どもを批判するのではなく、ほめる」ということや、「子どもの人格を傷つけるようなことは言ってはならない」ということ、「子どもが悪いことをしても、その悪いことが悪いのであって、その子自身が悪いわけではない」ということなど、本当に考えさせられる内容だった。これは、子育てだけではなく、すべての人間関係において大切なことだと教わった。
 参加者は1組の親子とスタッフだけだったが、とてもいい会だった。
 お話のあとは、おいしい夕食タイム♪
 お腹いっぱい、ごちそうを食べた。(*^_^*)参加した男の子が「他の人も来ればよかったのにねー」とか「またPotluck Partyやる?」とか、言ってくれたのがうれしかった。また企画するから、次も来てね!!!(^^)!
 (サタデークラブでは、随時、奉仕者を募集しています。単発でもOKなのでお気軽にスタッフに声をかけてくださいね(^_-)-☆)

■役員就任にあたって N.E.

 2月に行われた総会で今年度の役員に選出されました。名前が呼ばれた時は“エー、うそでしょ、この私が?”と思い、頭の中が混乱して真っ白になっていくのがわかりました。“私には出来っこない!”と心の中で叫んでいました。
 役員としての任期を終えて今年お休みに入った私の夫は、任期中、家にいるとき多くの時間をパソコンの前で費やしていました。「仕事?」と私が聞くと、「うん。教会の仕事・・・」と眉間にしわを寄せてパソコンを打ちながら答えるのです。「役員さんて大変ね~。私はそんな気力も体力もないわ。じゃあ、先に寝るわね~。」とよく言ったものでした。
 日頃の役員さん方を見ていても、教会運営の細かいところまで目が行き届き、教会のために惜しみなく仕えておられる姿を見ていて、「いつも、すごいなー、やっぱり役員をされる方は違うなぁ」と思っていました。
 ところが、私はというと、病気がちで医者通いをし、仕事と家庭の両立で頭がいっぱい。日々自分と子ども達を守ることが精いっぱいなので、ほかの事ごとから逃れたい、心穏やかに過ごしたいと思っているのです。そして、自分の意見というものをあまり持てず、人の意見に左右されやすく、また、人前で話すのが苦手なのです。
 このような理由から、私は役員にはなりたくない・・・というか、私はそのような器ではないし、そんな大役は私には務まらないことは私自身よくわかっています。しかし、選ばれた以上、責任を持ってできる限りのことはやらせていただこうと思っていますし、知恵の足りない者ですが、素晴らしい先輩役員さん方に助けていただきつつ、少しでも高橋先生の牧会にお役に立てればと願っています。こんな私ですが、よろしくお願いいたします。

■教育部の働き K.K.

 今年度、教育部の担当になりました。E兄のあとを引き継いで、総会で決められたことを中心に活動していきたいと思います。実際には、それぞれの部署で自主的に活動されておられるので、とりまとめ、調整役が主になると思いますが、皆様の御意見をお聞きしながら役割を果たしたいと思います。
 教育部担当としては、ウィングス、ヤングチャペル、サタデークラブ、図書委員会、信徒講座、聖歌隊、賛美チーム、福祉委員会、そして、事務上のとりまとめ役ですが、一麦会(青年会)、泉会(婦人会)、アダムの会(壮年会)があります。
 教育は、幼子から成人まで大切とのことから各会の中で、10分間の学びをお願いし、そのテキストのコピーを用意しています。
 また、今年の大きな取組の一つに、ファミリーキャンプが計画されています。キャンプといっても、テントを張るわけではありません。自然豊かな妙高高原に建つ鉄筋コンクリート造りの国営宿泊研修施設『妙高青少年自然の家』で、7月15日(日)、16日(月・祝日)の1泊2日の予定で行います。詳細については、これからですが、おいしい食事と風呂とベッド(2段ベッド)がついて非常に格安で利用できます。聖書の学び、自然の中での遊び、兄姉との交流など、楽しい時にしたいと思います。ご都合のつく方は今から予定に入れてくださるようお願いします。
 今年の主題聖句は、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」(ルカ8:22)です。向こう岸には、悪霊につかれた男の人がいました。イエス様は、その人を助けるために、12弟子と共に湖へこぎ出し、2千頭の豚を犠牲にし、地元の人に追い出されてまでも助けました。教育部の働きも、効率ではなく、隣人を愛して1人の魂の救いのために労を惜しまない働きができたら幸せだと思います。

■図書コーナー新設記念その1 児童文学への誘い K.Y.

 この度、1階図書棚に、皆様からの寄贈本を中心に、貸出図書コーナーを新設いたしました。この機会に、“児童文学の話を書いてほしい”との依頼を受けましたので、かつてS家の家庭集会でしていた児童文学の話を少しまとめて紹介していきたいと思います。
 今回は絵本を取り上げます。絵本は、字の読めない小さな子供が、絵からストーリーを読み取ることができるほど、その絵が語る力を持っていることが重要です。
 マリー・ホール・エッツという人の『もりのなか』という絵本があります。この絵本はモノクロです。でも昔から子供にとても人気のある、ベストセラー本の一つです。
 実は、絵本にはきらびやかな色彩は必要ないのです。それよりも、描いた人が子供とどれだけ共感できるものを描いているか、のほうが大事なのです。
 『もりのなか』を開いてみましょう。「ぼくは、かみの ぼうしを かぶり、あたらしい らっぱを もって、もりへ、さんぽに でかけました。」とはじまります。子供が何かを身にまとい、手にすると、そこはたちまち空想の世界になります。森に入っていくと、主人公の“ぼく”は次々と動物たちに出会います。「どこへ いくんだい?・・・ぼくもついていって いいかい?」この空想の世界で、動物たちはしゃべり、何かを身に着けるか、小道具を手に持って、“ぼく”についてきます。やがて行列ができあがります。行列は子供の大好きな遊びの一つです。それから“ぴくにっく”をしておかしを食べ、“はんかちおとし”や“ろんどんばし おちた”もやります。どれも普段子供がよくやる遊びです。そして最後に“かくれんぼ”をします。“ぼく”が鬼になり、目をつぶり、動物たちがかくれます。「もういいかい!」といって目をあけると、そこには・・・ 
「「もういいかい!」と、ぼくは いって、めを あけました。すると、どうぶつは、1ぴきも いなくなっていて、そのかわりに、ぼくの おとうさんが いました。おとうさんは、ぼくを さがしていたのです。」お父さんの登場で“ぼく”も読者も、現実の世界に引き戻されます。「いったい だれと はなしてたんだい?」とのお父さんの問いに、「どうぶつたちとだよ。みんな、かくれてるの」と“ぼく”は答えます。「だけど、もう おそいよ。うちへ かえらなくっちゃ」と現実的にお父さんは続けますが、最後に意外な一言を発します。「きっと、こんどまで まっててくれるよ」・・・・。
 この絵本では、お母さんではなくお父さんが出てくるのがポイントです。このお父さんは、自分もかつては子供で、同じように森で遊び、“ぼく”の空想の世界を十分理解できている大人なのです。
 “ぼく”は安心して、お父さんの肩車に乗って空想の世界を後にします。そしてこのお父さんと“ぼく”の帰る先には、温かい食事を用意して待っている、お母さんの姿が想像できると思いませんか? 
 作者のマリー・ホール・エッツは、1895年にアメリカのウィスコンシン州に生まれました。お父さんは医者でしたが、後に牧師になった人です。ですからマリーは、いつも神様に見守られているという安心感を持ち、いろんな試練に遭いながらも前向きに生きていくことができた人でした。
 「私の子ども時代の一番楽しい思い出は、ウィスコンシン州のノースウッドの夏です。私はひとりで暗い森の中へ駆けてゆき、何時間もすわって、松の梢を渡る風の音を聞きながら、森の生きものたちが現れるのを待っているのが好きでした。子ジカを連れたシカや、ヤマアラシや、アナグマや、カメや、カエルばかりでなく、時にはクマや、スカンクや、毒ヘビなども現れました。」- とマリーは語っています。(このころの体験を『わたしとあそんで』という絵本に描いています)小さい時から、森で見たものを家に帰ってノートに描き写すほど、絵を描くことも好きだったそうです。
 大人になって、美術学校で学んだり、社会福祉の勉強をしたりしますが、そんな中で出会った、ロヨラ大学医学部教授のハロルド・エッツ士と、33歳の時に結婚します。(人類の誕生をテーマにした『あかちゃんのはなし』という絵本を夫婦共同で作成しています)
 ところが、13年の幸せな結婚生活の後、エッツ士がガンで、余命いくばくもないことがわかります。二人は最後の日々を、静かに過ごすために、シカゴ郊外の森の中の家に移り住みます。
 「限りある二人の日々を生きていくために、私たちは肉体的な死をもってしても壊れることのない自然のなかに、一体となって融けこむ境地に達し、森のなかにやってくる動物たちや、遊びにくる子どもたちの姿を、心から二人で楽しんで眺めたのでした」といった暮らしの中で、マリーは新しい絵本の構想を得て、絵を描き続けました。ここに出てくる動物たちは、森に遊びに来ていた子どもたちをモデルにして描かれた、と言われています。それが『もりのなか』です。しかし、その作品を描き終える前にエッツ士は天に召されます。『もりのなか』はエッツ士との幸せな生活の思い出の結晶といえる作品なのです。
 マリーは『もりのなか』から10年後に『またもりへ』という絵本を描いています。この絵本のテーマは‘笑い’です。人間と動物は違う、‘笑い’は人間特有のもので、笑っている“ぼく”をみて動物たちが驚きます。ここでもやっぱり最後にお父さんが迎えに来ますが、「おとうさんだって、ほかに なにも できなくても いいから、おまえの ように わらってみたいよ」とお父さんは言います。現実そのもののお父さんです。ここに、いつまでも思い出に浸ってはいられない、現実を見つめることも大事、と、自分の気持ちを完結させる必要があったマリーの姿がうかがえます。
 親子は手をつないで帰ります。ここに成長した“ぼく”と、成長しなくてはならないマリー自身を重ねています。
 絵本を読むとき、文字だけを追うのではなく、ぜひ絵が語っているストーリーをも楽しんでみてください。

■エッセイ 「時の流れとともにある「週報」」 正村八重子

 4月から週報の表紙が新しくなった。美しい画と長い間文語で馴染んできた主の祈りと使徒信条も口語文となり、変化を感じる。これを見ながら、遠い昔からの週報の歴史に思いを馳せた。週報ほど歴史の流れを教えてくれるものはない。これは世の移り変わりをよく表し、同時に教会の歴史も思い出させてくれる。
 長野福音教会の週報は1961年春から始まったように思う。当時の牧師が下手な字でコリコリと鉄筆で週報を作っていたのを、高校生たちが見兼ねて、字の上手な彼らが代わって週報を作り始めた。当時の高校生たちは、朝な夕な毎日のように学校の往復時、教会に寄った。彼らが卒業した頃、新しい奉仕者それもプロ並みにガリ版用の字を勉強していたM兄とT姉が与えられた。その後も字の上手か否か関係なく、数えきれない数の人々の奉仕によって作られ、主日の朝、受付台に準備されてきた。印刷面でも謄写版から始まり、青焼きコピーの時代、鮮明に写らなかった印刷機の時代があった。長い間お世話になったのはコンビニとスーパーマーケットのコピー機。土曜日ごとに通ってコピー機で人数分の週報を印刷した。教会が現在地に移転して、スーパー、コンビニも遠くなり、役員会にお願いして、事務室にコピー機が置けるようになった。感謝。FAXで奉仕者に元原稿を送り、出来上がった週報を教会に速達で送っていただき、それから印刷に取り掛かった。
 いろいろな時代を経てきた週報。これらの週報を眺めながら、ここまで来るのに何人の陰の奉仕者がいたことか。思い出すと、あの人この人、のべ総人数は数えきれない。表には出ない奉仕、顔の見えない奉仕を主は喜んでいてくださるに違いない。時代とともに成長し変化してきたこの週報、これからも時代とともに変化してくことでしょう。今までそして今も奉仕してくださる主にある兄姉に心から感謝したい。

2012年1月号

■巻頭言 向こう岸に渡ろう  高橋宣弘

 今年、長野福音教会に与えられた主題聖句は、ルカの福音書8章22節です。
     イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。
 イエス様は、私たちにも「向こう岸に渡ろう」と、新たな信仰のチャレンジ(挑戦)を与えてくださいます。私たち一人ひとりに、家族に、教会に、主が示してくださる「向こう岸」を目指して、新たな一歩を踏み出して行きましょう。
 まだ見たことも経験したこともない「向こう岸」。そこへと踏み出そうとする時、私たちの心には、「自分にできるだろうか・・・」という不安や恐れが生じます。そして、ガリラヤ湖へ舟出した弟子たちのように、私たちの歩みにも激しい暴風 ― 思いがけない災い・試練・苦しみ ― が、襲いかかって来るかもしれません。
 しかし、その舟の中にイエス様が共にいてくださるのです。「黙れ、静まれ」(マルコ4:39)と一言で嵐を静めてくださる全能のお方が、私たちを助け、導いてくださっています。私たちは、このお方を信じ続けて行きましょう。
 弟子たちの中には、ガリラヤ湖で漁をしていた者たちもいました。「大丈夫、慣れたものだよ」という油断が、弟子たちの心にあったかもしれません。けれども、高波にのまれ、大量の水が舟に入り込んでくると、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」と弟子たちは、右往左往してしまいます。全き平安のうちに、舟上で眠っておられたイエス様とは、正反対でした。
 暴風を静められたイエス様は、「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と弟子たちを叱ってくださいます。私たちも、自らの罪と不信仰をイエス様に叱っていただき、歩みを正されて ー そうしていただけることを感謝し、喜びながら ー 向こう岸を目指して進んで行きたいと思います。
 主の大いなる御業を体験した弟子たちは、「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう」と驚き恐れて、互いに語り合いました。私たちもこの世の現実を見て恐れるのではなく、それら全てを支配しておられるお方を恐れ、信頼しましょう。御心のままに、私たちのために最善をなしてくださる主の御業に感動し、主をほめたたえる2012年とさせていただきましょう。

■信州クリスチャン修養会の恵み J.S.

 今年で27回を数える信州クリスチャン修養会のテーマは、『「うめき」から生まれる「望み」』というものでした。高橋秀典先生を通して語られたメッセージは、長い標題がつけられていて何だか少し難しそうな印象だったのですが、いざ聞き終わってみると、とても励まされる内容だったと感じました。
 「神様は私たちの祈りを聞いて下さいます」といつも学んでいても、私たちが痛みや苦しみを感じて神様にすがるように祈った際に、神様が沈黙して何も答えて下さらないと感じ、救いようのない無力感にさらに落ち込んでしまったり、「なぜ?」「どうして?」と叫んでしまったりするようなことがあります。今年3月に発生した東日本大震災のような大きな災害に対しても、同じような思いを抱いてしまうこともあります。しかし、それはわがままで弱い人間の勝手な思い込みであって、実はそのとき神様は私たちと共にじっと苦しんでいて下さり、後で振り返ってみた時にようやくそのことがわかり、苦しみが望みに変えられるというようなお話を聞き、心のなかに光がともされたような明るい気持になりました。取り上げられた聖書箇所から、ダビデやパウロも同じであったことを学ぶことができて感謝です。神様がいつも、私たちを見ていて下さり、祈りを聞いていて下さり、守っていて下さるということを改めて確信することができました。
 神様はクリスチャンである私たちに試練を与えられますが、それでもなお神様を信じ、うめきながら救いを求めて祈ることによって、その先の大きな望みや勝利をそなえていて下さるお方です。今年のテーマに込められた意味の深さが理解できたように思われ、豊かな恵みのひと時となりました。
 賛美をして下さった米田ひろし先生も、ご自身の体験をあかししながら歌って下さいました。そのやさしい歌声も今回の修養会の恵みの一つでした。

■秋の講演会 「道ありき」を聞いて S.K.

 「道ありき」とは道があったという事。まじめに軍国主義を愛し大切にしていた子供達に行っていた事が全てまちがっていたのだと知った時、生きることも嫌になり、二人の男性と婚約をし、最初に結納を持ってきた人と結婚すればいいと考えていた。しかし、結納の日にめまいで倒れ肺病となる。病状が安定した時、結納金を返しに行くが彼は「結婚するために十万ためた。結婚できないならその10万も結納金もいらないから持って帰ってくれ。」と言う。その夜は彼の家に泊まり、夜の10時にこっそり抜け出し、海に入り死のうとしたが、気づいた彼に戻される。「海が見たかった。」と言ううそに「海ならここからでも見える。」と綾子を背負い、海からあがり砂の丘の上で一緒に腰をおろし、そばについていてくれた。背負われていた時に綾子は自分から死神が出て行ったと感じた。
 「私はあなたが一番つらい時、死にたいと思った時、一緒に海に入りあなたを背負って歩いた者だよ。」イエス様の声がわかった。           
 彼、西中一郎は、クリスチャンではなかった。
 旭川で待っていた前川正は、綾子が自殺未遂をしたと聞き、「まじめに生きてください。」と頼むが、「まじめに生きることはどういう事、まじめに教えて傷ついただけだ。」と言われる。前川正は石を持ち自分の足を打ちはじめ、「信仰の薄い自分には綾子さんを助けられないから自分を罰するのだ。」と言う。綾子はこの人は私を女としてではない、人として愛してくれる。この人の愛の中にはキリストがあるのではないか。もう何かを信じて傷つくのはイヤだ。でもこの前川正は信じてみようと思い、前川からもらった聖書を読みだす。綾子が一番気に入ったのは伝道者の書だった。何もかもむなしい。しかし、最後に書かれている御言葉は、だから「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」なのだ。
 綾子は教会にも通うがまじめな信徒ではなかった。綾子が病床洗礼を受けた12月と翌年1月に、前川正は札幌で肋骨を4本ずつ計8本取る手術を受ける。術後は順調そうだったのに亡くなってしまう。前川正が亡くなった時、綾子はギプスベッドの中だった。頭も固定され、涙は耳の中に入っていったという。誰にも会いたくなくなった。心も体もボロボロだった。悪魔はあざける「親は療養代で借金まみれ、恋人も死んだ。師である西村牧師も死んだ。早く死ね。」と。この頃の綾子を見舞った五十嵐老人(初代白羊舎社長)は「この人はもう長くないだろう。」と思ったという。
 しかし、この年のクリスマス、綾子は一番満たされたクリスマスだったという。いつも前川が座っていたイス、誰もいないが、イエス様がそのイスに座っておられた。健康も経済も乏しい。しかし、「貧しい人は幸いです。」だった。
 三浦光世は、綾子とは同人誌仲間であった。結核療養者と死刑囚の俳句の同人誌で、綾子は名前から光世さんの親はクリスチャンだろう。なのに、どうして死刑囚になるようなひどい事をしたのかしらと思っていた。光世は名前から女性と間違われ、綾子を見舞うよう頼まれた。綾子は、光世を見ると「前川さん。」と間違うほど光世は前川さんに似ていた。何度か見舞ううち、光世はある日綾子の死ぬ夢を見た。一時間ほどいやしを祈った時、声が聞こえた。『愛するか。』「どういう意味ですか?結婚するかという意味なら、私にはないから、その愛をください。」
 光世は綾子にプロポーズするが、「綾子は病気だからできない。」と言う。「病気が治ったら結婚しましょう。」「私は前川正を忘れられない。」「あなたは正さんに導かれてクリスチャンになったのだから忘れてはいけない。私達は前川さんに喜んでもらえるような二人になりましょう。」
結婚とはすでに働かれている神様のみわざがなるように助ける事、認める事、働く事。

■クリスマスの豊かな恵み  M.K.

 昨年のクリスマスに、神様は私の想像をはるかに超える祝福を与えてくださいました。2011年の教会の主題聖句は、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒18章9-10節)でした。このみことば通り、この町にいる「神様の民」をたくさん教会に送ってくださいました。
 ゴスペルライブコンサートやクリスマスの諸集会に参加された地域の方々の中には、教会の礼拝につながっている方々もおられます。本当にうれしいです。お話しをお聞きする中で、ずっと神様を求めておられた方、教会を探しておられた方、ポストに入った教会のチラシを見て教会の扉を叩いてくださった方がおられたことを知り、神様に感謝しました。
 2011年のクリスマス、何よりも思い出に残ったことは、12月11日に行われたゴスペルライブコンサートです。歌ったメンバーも含めて160人を超える方々が教会に足を運んでくださいました。会堂の椅子は満席で、立ち見の方もいました。その内90~100人がノンクリスチャンであったというのは、本当に驚きでした。私は、ゴスペルクワイアとして半年間、皆さんと楽しく練習をして来ましたが、いざコンサート開始が近づくと、緊張で体中から変な汗が出て来ました・・・。でも、歌っていくにつれ、喜びをもって賛美をささげることができました。
他にも、私が参加したクリスマス諸集会としては、
・12月4日 NaECクリスマスパーティ&コンサート  「ホテルにて、素敵な賛美と豪華な食事を楽しみました!」
・12月7日 豊野りんごの里クリスマス会   「K.H.姉が入居されているホームを訪問し、おじいちゃん・おばあちゃんたちと温かな交わりをもてました」
・12月11日 S.S.さんの洗礼式  「本当にうれしかったです!!」
・12月11日 ゴスペルライブコンサート  「鍛えられたソプラノの美声(!?)で賛美できました♪」
・12月14日 クリスマスコンサート  「奈良献児先生の力強い賛美と、婦人の皆さんの美味しいたくさんの手料理を頂きました☆」
・12月17日 こどもクリスマス会
・12月24日 イブ礼拝   「雪が舞う中、キャンドルの灯りに照らされて、主イエス様を礼拝しました。優雅なケーキバイキングもありました!!」
・12月25日 クリスマス礼拝
 思いだすだけでも恵みいっぱいのクリスマスでした。クリスマス中、体力のない私は、忙しさに耐えられず休んでばかりでした。でも、心もお腹も一杯になりました。教会の皆さんのたくさんのご奉仕、神様の御業、イエス様の御救い、本当に感謝です。クリスマスの恵みに感謝しながら、新しい年も歩みたいと思います。

■子どもクリスマス会を終えて  R.T.

 12月17日(土)にウイングスとサタデークラブの共同企画で子どもクリスマス会が催されました。当日は雪が降り、とても寒い日でしたが、ポツリポツリと子どもたちがやって来ました。37名もの子どもたちが集まってくれて、とても賑やかになりました。
 今年は第一部に礼拝堂でクリスマス礼拝を行いました。リズ先生に英語でクリスマスのショートメッセージをして頂きました。パワーポイントで絵を出してもらったり、T姉に通訳をしてもらいながらのメッセージだったのでとてもわかりやすく、子どもたちもよく聞いていたと思います。みんなでおなじみの「HAPPY BIRTHDAY」や「きよしこの夜」を歌ったりもしました。
 それから第2部に移り、1階でアドベントカレンダー作りをしました。もみの木の台紙に星やハートなどを抜いたものやキラキラのシール、リボンなどを自由に貼りつけて、仕上げは御言葉の上に美味しいお菓子を貼りつけます。一応、一日一つ御言葉を読んでからお菓子を食べてね!と声をかけましたが、どうなったことやら・・・(笑)
 楽しい工作の後は、みんなが楽しみにしていたおもちゃが当たるくじ引き大会がありました。今年もKパパサンタとチャールズサンタが教会にやってきてくれて大盛り上がりでした。ウイングスのお友だちにも地域の子どもたちにも等しくプレゼントが当たりました。神様はさすがです!粋ですね♪
 帰りに一人ずつにお土産のプレゼントを渡して、元気に帰っていく姿を見守りました。教会での楽しい思い出をいつか思い出し、教会へもう一度足を運ぶきっかけになればと思いました。子どもたちのクリスマス会が祝福されて良かったです。感謝でした。

■エッセイ クリスマスの祝食  正村八重子

 今年のクリスマスも、イブ礼拝後のケーキとクリスマス礼拝後の赤飯で祝うことができた。食べることの大好きな私は、大満足している。それにしても今年のケーキも素晴らしかった。見目美しく、食べて美味しく、香り良く、まさに芸術品に思えた。しかもあんなに大量に。みんなが満腹した。このケーキの魅力につられてイブ礼拝に来た人がいたとかいなかったとか。心を込めて三日間かけて作ってくださったY姉に感謝します。
 その昔教会がまだ貧しかった頃、クリスマスのお祝いに何を作るかというとき、当時のケーキは防腐剤の入ったバタークリームの飾りケーキだった。それでも買えそうもないと話し合っていたとき、信仰厚いH姉が言った。ここは日本だから和風ケーキの赤飯で祝いましょう。日本ではめでたいときは、いつも赤飯を炊いて祝うものだからと。この名案に一同大喜び。早速彼女はクリスマスの赤飯を作って、風呂敷に包んで、背負ってバスに乗って持って来てくださった。その美味しかったこと忘れられない。
 その後だんだん量が増して最高に多くなり、一斗四升(斗という単位お分かりでしょうか 一斗=約20kg)になった。寒い朝4時頃から大きなかまどで蒸して、教会に朝9時に届けていただいた。 
 50年という長い間、親の代から子の代まで和風クリスマスケーキを届けてくださったY家に感謝しています。ここ数年はお米だけ頂戴して、教会で炊くようにしています。お米はクリスマスに使い切れなかったので、また墓前礼拝のお弁当にできたらと考えています。
 ケーキと赤飯で祝うクリスマスは、広い日本でもこの教会だけかもしれない。神様に感謝。Y姉に感謝。天国のH姉に感謝。
 創世記から黙示録まで、赦しのあるところでは食事を共にしている。「彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(黙示録3:20)」

役員会各部の働き その2 会計部  K.S.

 会計部の働きを一言で言えば、献金の出納を管理することと、予算・決算をまとめることとなります。
 毎週の礼拝献金の確認作業は、表面的には地味な単純作業の繰り返しですが、教会員の一人ひとりから神様に献げられた尊い献金ですので、ミスの許されない緊張する作業でもあります。集計や記録については、二人の会計執事さんが行ってくださる体制が整っており、いつも正確に処理してくださっているので心配はありません。かつてK長老が作成してくださったパソコンソフトが、姿なき会計執事として働いてくれています。
 毎年の総会前に予算を組む作業は、少し重荷を感じながらの取り組みとなります。教会の収入というのは、根拠となる数字を積み上げて算出されるものではありません。前年度の予算や決算から推測しながら組んでいくのが現実的な方法ですが、近年は縮小傾向にありますので、教会自体が試されていると感じる重い瞬間でもあります。少子高齢化や不景気が影を落としているのは間違いありませんが、数字と信仰が天秤に乗っているような思いです。支出は、特別なことがない限り、毎年そう大きく変わることはありませんから、収支のバランスがとれるように祈っています。
 それでも毎年結果的に会計が守られているのは、神様の御業としか思えない奇跡的な現実です。担当者としてはホッとするところですが、私たちはそうした結果に安堵して良いというわけではありません。詰まるところ、教会の会計は、教会の成長にかかっているように思います。一人ひとりの祈りが深められ、神様を信じる群が一人でも増やされることが、教会の会計を支えていくもっとも重要な礎なのだと思います。教会の会計は、単に教会を維持するための費用ではないはずです。“神様の御用”とは、目先の必要額のことではなく、教会のビジョンそのものだということができるのだろうと思います。この先どんな歩みをしていくのか。私たちは常に試練の中に置かれていると感じます。最終的には、やはり祈りが大切なのだと思います。

2011年10月号

■巻頭言 祈られ、育てられ  高橋宣弘

 子どもの頃、私の家は小さな開拓教会でした。和室二つを開いて作った礼拝堂の前方には、必ず白髪のおじさんの姿がありました。その方は毎週日曜日、静岡市から電車に乗って、開拓教会を応援するために藤枝の教会に来てくださいました。物静かな方で、礼拝後はいつも断食をされ、午後2時からの伝道会開始までずっと祈っておられました。後々、母から聞かされて知ったのですが、その方は私の信仰決心と献身のためにずっと祈り続けてくださっていました。「この子が将来、牧師として召されるように」と、祈っておられました。その後、私は主の道から逸れそうになったり紆余曲折ありましたが、それでも祈られた通り、今牧師として立たせていただいています。
 みなさんの人生にも、そのような方との出会いがあるのではないでしょうか。背後でずっと祈ってくれていた友の存在。何があっても支え、育ててくれた方がおられたはずです。信仰の決心へと導かれるために、また信仰者として成長していくために、大きな影響を与えてくれた方との出会いがありませんでしたか。神様が、私たち一人ひとりのために、そのような人を備えてくださるのだと思います。
 最後の晩餐の席上、イエス様はペテロに「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)と語りかけてくださいます。この後、イエス様が捕らえられ裁判にかけられることになると、ペテロは恐くなり、「そんな人は知らない」とイエス様を見捨てて逃げ出してしまいます。そんなペテロのために、イエス様は祈り続けてくださったのです。
 私たち一人ひとりのためにも、イエス様は今も、とりなしの祈りをささげてくださっています(ヘブル7:25)。そして私たち自身も、家族や友のために、特に若者たちのために祈り続けていきたいと思います。未来を担う青年・大学生・中高生・小学生・幼子たちのために、一人ひとりの名前を挙げて、彼らの信仰と成長とその歩みのために、祈り続けていきましょう。

■福祉の集いに参加して  S.K.

 教会でデイサービスができたら、、、グループホームができた、、、お茶飲みのサロンができたら、、、と希望を持っていましたが、自分なりに介護保険について学び、むずかしいものだと思っていました。一人暮らしの高齢者の家への訪問や交通がなくて教会にへ通うのが困難な方の送迎など介護保険に関係なくできることもいっぱいあります。教会内だけでなく、教会の近隣の方のための働きをしたいです。
 井上先生のお話を聞いて、バイステックの7原則が聖書に基づいている事をはじめて知りました。 
  1.個別化(ユニークな個人として捉える詩編139:13-16)
  2.意図的な感情表出(感情表現を大切にするヨハネ11:35、ローマ12:15) 
  3.統制された情緒的関与(自分の感情をコントロールする(ガラ5:23、テト1:8)
  4.受容(ありのままを受け止めるイザヤ43:4、ルカ15:20)
  5.非審判的態度一方的に非難しない 
  6.自己決定
  7.秘密保持
 やりたいことはいっぱいあるけれど、まずは目の前の人に対して、この7原則に基づいてよりそいたいです。そしてこの目の前の人が一人でも多くなればと思います。
 サタデークラブやヤングライフのように、月に一度でも定期的に訪問したり、いっしょにお茶を飲んで話を聞く時間を持つことができれば、、、それを発展させることができれば、と思います。在宅介護の大変さは身をもってわかっているつもりです。要介護者のための働きもしたいけど介護者の話し(グチ)を黙って聞く時間も持てたら、、、今回の集会で、初めて教会に来られた方も来やすいのではと思いました。

■2011サマーキャンプの証し、感想

(会場:国立妙高少年自然の家 講師:三川献児師  長野福音教会、中野キリスト教会合同)

かわあそび、キャンプファイヤーがたのしかった←小学1年 S.H.

イエスさまをしんじなきゃいけないなと思いました←小学1年 M.K.

いろいろなゲームであそべてよかったです←小学2年 T.K.

ゲームとかキャンプファイヤーをやったのがたのしかった←小学3年 H.K.

キャンプでイエスさまがとってもだいじな天国へいくみちだと、イエスさまのきらいなものがよくわかりました。←小学3年 A.I.

川へ行って遊んだことが楽しかった←小学3年 Y.H.

よくわからないところもあったけど楽しかった←小学4年 S.F.

みんなで楽しくできたり、仲よくできてよかったです。イエス様のことはあまりわかっていないけどこれからもがんばってイエス様のことをもっと知り、これからも教会にかよいたいです←小学5年 T.I.

キャンプファイヤーのとき、雨がふりそうでドキドキしました。でも雨がふらずに無事にできてよかったです。集会では三川先生の話がとてもわかりやすくておもしろかったです!時々話がそれていくのもおもしろかったです。集会1の「いのちのパン」のお話がわかりやすかった。昔の人がパン五分の一しか食べれてなかったというところがすごく心に残りました。また、来年もキャンプがあったら来たいです←小学5年 M.H.

今年で4回目のキャンプでした。前よりももっと色々なことがわかったし、ずっと神様を信じていこうと改めて思いました。これからもできるだけ礼拝に出て、もっともっと神様のことを知っていきたいと思いました。またこういう機会があったら出たいです。とにかく、この3日間すごく楽しかったです。友達ともさらに仲良くなりました←小学6年 M.Y.

三川先生にイエス様のことを教えてもらいましたが、あまり知らないところもありました。ぼくは聖書を持っていないのですが、聖書を買って毎日聖書を読みたいと思います。キャンプフィヤーでは、みんなでおどったり楽しくゲームができました。マシュマロおいしかったです。とてもいい思い出ができました←小学6年 S.S.

このキャンプで学んだことはたくさんありました。三川先生のお話でとくに心に残ったのは、ヨハネの福音書14章6節です。私たちがほんとはこの苦しくて痛い十字架にかからなくてはいけないのに、神様が私たちのみがわりに十字架にかかってくださった。本当に感謝してるし、そのために神様を礼拝し、お祈りし、神さまにたよっていきたい。中学生になってたいへんなこともあるからそれものりこえてイエス様についていきたい←小学6年 M.E.

たくさんの友達と仲良くなって、一緒にアスレチックや川で遊んで楽しかったです。同じ部屋の男子たちと元気に過ごすことができてよかったです。また、キャンプに来たいです←K.I.

三川先生のお話は本当にどの回も楽しくて、笑いながら聞くことができました。罪のこと、イエス様の救いのこと、そしてどんな時も私達を愛してくださるイエス様の愛のことがわかり、たくさんの恵みをいただくことができ感謝です。かげで支えてくださった方、祈ってくださった方、ありがとうございました←S.K.

三川先生が講師として来て下さるということで、すごく楽しみにしていました。お話はどれもとてもわかりやすく、楽しく聞くことができ感謝でした。私を何度でも赦して愛して下さるイエス様の深くて広~い愛を改めて感じました。子どもたちがかわいくて、もっともっと一緒にいたいと思える本当に楽しいキャンプでした。キャンプに参加して下さった全ての方、祈って下さっていた方、ありがとうございました←R.T.

楽しくあっという間の3日間でした、三川先生の罪についてのお話が心に残りました←E.T.

帰省した時に会う子どもたち、1年ぶりに会う子どもたち、初めて会う子どもたち、みんなと楽しく3日間過ごすことができて嬉しかったです。教会でキャンプを行うことの恵みを改めて感じました。神様に感謝です←Y.K.

神様が造られた自然の中で、楽しい聖書のお話を聞けたり、遊んだり、おいしい食事を食べれたり・・神さま、あなたが下さったたくさんのプレゼントをありがとうございます。涼しい~のもとっても気持ちよかったな♪←K.T.

久しぶりに三川先生にお会いできお話が聞けて、本当に感謝でした。子どもたちの素直に罪をみとめくいあらためる姿を見て、私自身ももう一度信仰について考えることができました。全てが守られ良かったです←M.K.

C.S.主催となる最後のキャンプに参加させていただいて感謝でした。久しぶりに三川献児先生の賛美とオヤジギャグを聞かせてもらい、楽しいキャンプとなりました。キャンプのもち方スタイルなどについても、神様からの知恵を与えられて、信仰継承の観点からも継続していくことの大切さを感じました←K.E.

蝉の声が聞こえ、涼しい高原ですべてのことが楽しく過ごせました。三川先生の4回のメッセージでは、恥ずかしいと思われるご自分の経験を語られ、その上大切なことをたくさん教えていただきました←K.M.

集会3のメッセージで、子供達の姿を見ながら、改めて素直な気持ちで神様にお従いしたいと思いました。そのためにはまだまだ告白されていない私の罪や弱さを日々祈り悔い改めていけたら本当に幸いであると思いました。今年のキャンプファイヤーも雨が止んで神様はおられる!と再確認←R.K.

隣り合う教会の協力に感謝。主にある家族が、主の為に多くの奉仕を心から献げている姿にはげまされました。続けて参加している子供たちが、霊的にぐんぐんと成長しているのは毎年同じスタッフに愛され、主へと導かれているからだと思い、小さな集まりだからこそ良いキャンプになったと思いました←T.H.

今年は涼しくさわやかな風の中、妙高で良いキャンプを行うことができました。子どもも大人も皆、三川先生のお話に引き込まれ、罪の悔い改めと信仰の再確認に導かれました。アスレチックや川遊びなどで子どもたちと同じようにまだ遊ぶことができるのだ!!と発見できたことがうれしかったです←高橋宣広

初めて会ったお友だちとすぐに仲良くなれて、家族のような雰囲気でキャンプを過ごすことができました。プログラムに余裕があって、のんびりできたのは良かったです。イエスさまのことについても、沢山お話できました←三川献児

■証し  K.F.

 私は、妻が通うこの教会に時々同行して来ておりましたが、神を信ずるまでには至っていませんでした。しかし、教会の人々が、その都度声をかけてくださることを、嬉しく感じていました。
昨年、妻が病気をし、看病する中で、体も心も疲弊した時に、自分ではどうにもできないことに思い至りました。その時、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)の聖書の言葉に出会い、この言葉が、体と心の中に浸み込むように入ってきました。
 今までは、自分自身で、すべて背負って解決しなければと必死におこなって来ましたが、自分の力の非力さを思い知り、イエス・キリストの十字架の死と復活の意味を知り、神を信じるに至りました。
 「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。」(ローマ5:3‐5)
 今後は神の家族の一員として、妻と心を一つにして祈り、神から安心と力を頂いて、楽しく人々の中に入っていきたいと思います。神に感謝して。アーメン。  

■役員会各部の働き その1 総務部  K.M.

 近いところでは、9月の奉仕の日の諸活動と草の持ち帰り。10月の避難訓練。ご協力ありがとうございました。そして、日々の各持ち場でのご奉仕に感謝いたします。
 総務部は、会堂・墓地・駐車場等の管理営繕、聖礼典・礼拝での奉仕、その他の奉仕、教会総会の資料作成・文書管理など、実に広範な働きを担当しています。役員としては、当番表等を作成して円滑に奉仕活動が進められるように配慮することが主で、他に、夏の昼食提供休止期間中の代替食の手配や、愛の基金の見直し、緊急連絡網の整備などを手がけています。当番表を組み、計画を立てはしますが、実際にその働きを担っていてくださるのは、いうまでもなく教会員の皆様です。この奉仕は、「教会」という神様の御体の、自律神経系の働きにも似て、意志による指令を待たずとも休みなく営まれ、教会の命を支えています。心臓が鼓動し、血が行きめぐり、呼吸が繰り返される様に、皆様の奉仕が行き届いている。どれほど多くの皆さんが、教会のために、黙々と人知れずご奉仕くださっていることでしょうか。けっして当たり前でないことが静かに続けられていることを、あらためて驚きと感謝の思いで振り返っています。祈りを捧げ、時間を捧げ、賜物を捧げ、いつも主に心を向けている、そのことが、教会を健康に維持していける基盤になっていると思います。皆様の奉仕が、主に受け入れられ、何よりも、主にお仕えできることの喜びを味わいつつ捧げられるものでありますよう、心からお祈りいたします。この世的な賞賛や見返りが得られなくとも、主が、その信仰の純粋さを喜んでいてくださいますように。あと、もう一回、草取りを中心とする奉仕の日を組む予定です。大掃除・クリスマス諸集会・年をあらためて教会総会と続きますが、励まし合って臨みましょう。

■パピルスのかごの働きについて K.I.

 私が子どもだった昭和30年頃は、大都会以外の町には水道、ガスが普及しておらず、井戸から水を汲み、薪で煮炊きをしていました。子供の仕事は井戸から水を汲んで炊事用の瓶に貯める、米を磨いでご飯を炊く、風呂の水を運んで風呂を沸かす、家で作った野菜を畑に行って収穫する、ニワトリに餌をやる、子守をする。子どもの仕事は山ほどあり、それをしなければ家族の生活が成り立ちませんでした。家庭にとって子どもは大事な労働力でした。
 「パピルスのかご」が支援している3人のお子さんの生活は水を汲み、薪で煮炊きをする生活です。大事な労働力である子どもを学校に通わせると言う理解を得るには大変な努力が必要です。支援金は先ず里子の学用品、学費に当てられ、村の衛生の普及、食糧生産の指導普及、貯蓄の重要性とそのお金を使って儲け、村に必要な物資を買って全体的に豊かになる。そのためにはFH(飢餓機構)のスタッフが村人の理解を得る活動を行っています。私たちの支援金1人4000円/月はそれらの費用に使われます。

・チャールズ・ムジシ・カウジ(16才)  ウガンダ共和国・ミソンバ村
 野生動物の多いケニア、タンザニアに接している国。首都カンパラの北東32km。ミソンバ地区の人口は1300人、18才以下は680人。小学校は1校のみで、中、高校はありません。保健衛生水準が低く、病院、薬局もありません。他にも、早期結婚や、父母の子供の養育放棄などの問題があります。FHのスタッフは、スイー、朝夷、ジョセフの3人と補助スタッフのベンです。彼らの生活は8割を村に住み、村の変革の核となる子供たちとその家族、村の指導者と共に過ごします。継続して行っている家庭訪問やその他の活動の積み重ねを経て村の指導者、家族、教会の方々の意識が変えられて行く姿を見させて頂いています。各家では屋根に降った雨水をタンクに貯めて飲料水として使っています。チャールズは両親と3人の兄弟、2人の姉妹と暮らしており家での役割は、炊事用の木材運び、好きな遊びはサッカーです。

・チャンソレア・カオ(17才)  カンボジア王国・エカピアップ&サンタピアップ村
 首都プノンペンから北320km、タイ国境の高地の村。18才までの子供は450人。小学校へは80%通っていますが、中学校へ通うのはたった11人です。子供たちはテング熱やマラリヤに罹る事も多く、家庭も衛生知識が低く、トイレを自宅に持っているのは全体の15%以下です。
チャンソレアさんは両親と生活して、定期的に学校に通っています。50m離れた井戸から水を汲み使っています。家にトイレがありません。家庭にとって子どもは大事な労働力です。水汲み、食事作り、ニワトリ、家畜の飼育、作物作りが重要で学校へ行くのはそれが終わってからです。
 FHスタッフは家族にFHの支援が受けられることを説明し、通学につなげます。貯蓄する習慣がないため、村のリーダー達に貯蓄グループを作り、貯金を勧めました。資金を使って商売をするようになりました。他団体の支援は、物質的な支援を行っただけで去っていきました。「外からやって来る援助団体は、村の問題を解決するために物質的な援助をしてくれる」という思い込みは、村の人々が主体的に問題解決を図っていくことを阻んでいました。FHはミッション・ムービングマウンテンという団体に「能力開発プログラム」という連続の勉強会を行ってもらいました。当初、今までの援助団体とは異なるFHのアプローチを聞いて、ほとんどの村人から同意を得られませんでした。しかし、FHの考えを熱心に学ぼうとする一部の人々と定期的に関わるうちに、村の指導者達も「村の開発計画」を受け入れるようになりました。チャンソレアは両親と2人の兄弟と暮らしており家での役割は、水運び、好きな遊びは縄跳びです。

・ニィノ・タガス(10才)  フィリピン共和国・バリバラ地区
 首都マニラの郊外にあり、仕事を求めて農村から集まった貧しい人々が住んでいる。世界里親会(CDP)としてFHスタッフ、里子の親、学校、幼稚園、地域教会、地域指導者が地区として自立できるように各種活動をしている。
 1.CDPスタッフ、地域指導者、教会牧師が協力して将来構想を立案
 2.給食プログラム・・CDPは協力教会を通して栄養状態の改善を年上の里子がリーダーになる活動をしています。
 3.CDPは里子家族に野菜栽培などの指導。病気や緊急支出の為、低収入でも毎日少しずつ貯金を奨励。家計の安定をアドバイス。
 4.5才以下の子供を対象に地域教会と協力し、子供たちの栄養状態の改善、保護者には栄養バランスの大切さを理解してもらう。
 ニィノは両親と1人の姉妹と暮らしており家での役割は、掃き掃除、好きな遊びはサッカーです。FHは経済的困難から学校へ行けない子供を里子に認定して学校へ行けるようにします。字が読めなくては福音が理解できないからです。FHスタッフは地域の問題解決の為に多くの活動をしています。私たち支援者は、お金の支援をしていますが、里子から日本が無くしてきた物を教えられます。子供が家庭の仕事を担うのは家族間の人間関係が蜜になります。子供は家族に自分の働きを通して自分が認められ、自分に自信を持つことができます。家の仕事をして来なかった子供が自分に自信を持つことが出来るようになるには、就職して仕事を通して会社から認められる必要があります。
 教会は子供たちにも出来る奉仕を与え、子供たちを褒め、励ます必要があります。また、就職できない若者に対して、教会が自信を与える活動が日本には必要とされているように思います。

2011年7月号

■巻頭言 それぞれの力に応じて  高橋宣弘

 3月11日の東日本大震災発生以来、私たちは激しい悲しみと痛み、不安を経験し、激動の日々を過ごしています。皆さんの中にも、お仕事やボランティアで実際に東北の被災地や栄村へ行かれた方もいらっしゃいます。今回、私はわずか2日間ですが、福島市の布山先生がおられる所を訪問することができました。そこには被災地のつらい現実がありました。
 約二千年前、ユダヤのエルサレム教会も迫害と貧しさ、さらに大飢饉の苦しみに直面していました。500キロほど離れた所にあったシリヤのアンテオケ教会は、仲間の惨状を聞くと、すぐに救援物資や義援金を集め、バルナバとサウロに託して運んでもらいます(使徒の働き11:27―30)。
 その時の飢饉は、世界中に被害をもたらしていました。アンテオケ教会自身も、苦しい状況に置かれていたはずです。それなのに、アンテオケ教会は乏しい中から精一杯ささげました。「そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた」(使徒11:29)のです。
 アンテオケの教会員は、歴史上初めて「キリスト者=クリスチャン」と呼ばれるようになった人たちでした。いつもイエス・キリストを見上げ、イエス様に従おうと歩んでいた信仰者だったと思います。 ― 惜しみなく与えてくださるイエス様の愛。弟子たちの汚れた足を自ら洗われる愛。十字架でご自分の命をお捨てになるまでして私たちを救い出してくださる愛 ― このようなイエス様の愛に心触れられ、イエス様の愛に倣いたいと願っていた教会だったと思います。
 3月11日以降、私は長野福音教会の皆さんの深い愛と行動力を、力強く感じています。被災地の方々のために、皆で心合わせて、多くものをおささげすることができました。祈り、励ましの寄せ書き、義援金、救援物資、教会バザーの売上げ、レディスランチョンを通しての義援金などなどです。それぞれの力に応じてささげられています。大震災からの復興への道のりは、長い長い戦いになりそうです。私たち長野福音教会は、二千年前のアンテオケ教会のように、被災地のことをいつも覚えて祈り、その悲しみに寄り添いながら励まし、それぞれの力に応じて、できる限りのことをし続ける群れとなっていきたいと思います。
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」ローマ12:15

■“NICE RAIN!”~バザーの恵み~  K.Y.

 3月11日の、東日本大震災の影響で、全国的に娯楽や行事が自粛・延期となる中、恒例の『教会バザー』は『チャリティーバザー』と銘打って、売上収益の大半を復興支援に献げることを目的とし、予定通り開催された。
 春にバザーが行われるようになって、今年で3度目。今年はアメリカテキサス州のアンテオケ・コミュニティー・チャーチのメンバーを迎えての『テキサスバーベキュー』と合同開催ということで、一味違ったバザーを演出できるのでは・・・と期待された。
 当日の朝は、今にも雨を落としそうなそうな重たい雲が空を埋め尽くしていた。案の定、礼拝が始まるころには土砂降りの雨。強風のおまけ付き。「こんな雨じゃ、客足が遠のいちゃうなあ・・・」なんとなく・・・こちらのテンションも・・・(*_*;  
 その時、テキサスチームの4人を乗せた車が到着した。一人の方が車から降りるなり、にこやかに言った。「NICE RAIN!!」
 私は正直びっくりした。なんて前向きなんだろう!見習わなくては、、、と反省させられた。
 例年、バザーは外だけのイベントで、室内にもいろいろあることを知らないお客さんがいたようだが、この雨のおかげで、今年はみなさんゆっくり室内で楽しんでいただけたことだろう。
 中は多少の混雑はあったが、皆で歌やタンバリンによる賛美を楽しみ、栄村の様子をうかがうこともできた。いつもとは違う雨ならではのバザーの過ごし方ができたと思う。
 やはり、すべては神の御手の中なのだ。雨だろうと何だろうと、祈って準備してきたことは、ちゃんと祝福に変えられた。“NICE RAIN”の中に神の祝福を感じることのできた今年のバザーだった。

■バザーについて(アダムの会)  K.K.

 今年も、例年のように5月22日にバザーが開催されました。今年の目玉は、アメリカのテキサスから来たクリスチャンも加わって、いっしょに開催したことだと思います。
 アダムの会では、ここ数年、焼きそばと焼き鳥をしてきましたが、人手が少なくなってきていることなどから、焼き鳥はやめて、焼きそばだけにしました。前日の土曜日には、アダムの会会長が材料の買い出しから、下ごしらえを一人でしました。当日は、アダムの会のメンバー数人に、最近教会に来られている方の応援をいただき、なんとか目標の80食を作りました。最後に17個も売れ残りがでて困っていると、青年会の姉妹が短時間に売ってくださり感謝でした。交代要員がいないため、作り終わってから、部屋の中の売り場に入ると、食べるものはもうほとんどなく、片付けはじめていたのでちょっと残念でした。
 印象に残ったことは、午前中のテント張りや、火おこしの時に、ものすごい風と雨で苦労したことです。一時は、外でするのは無理ではないかと思えたほどでしたが、午後になると少し小雨になり、終わる頃には雨があがっていました。今まで何年もバザーをしてきましたが、最悪の天候だったと思います。
 年々、アダムの会のメンバーの参加者が少なくなってきており、今回は、目標の数をつくるのに精いっぱいでした。できれば若い会員が増えて、若い方たちにバトンタッチできればと思います。普段は教会に来ていない方も、バザーには来られるので、お話などができれば良いと思います。もう少し余裕をもって、自分も楽しむことができるバザーにしたいと思いました。

■バザーのめぐみ  M.K.

 今年も無事に教会バザーが開催されました。朝からの大雨に不安な面や心配な面がありましたが、そんな思いも吹き飛ぶほど大勢の方々が教会に足を運んでくださいました。
 そんな中一麦会では毎年恒例となりましたクレープ&飲み物の販売をしました。例年でしたら女性陣がクレープ作りを担当していましたが、今年はピチピチのイケメン2人がクレープ作りを担当してくれました。すると、なんということでしょう!!あれよあれよとクレープが飛ぶように売れ、あっという間に完売となりました!!若さって素晴らしい!!その様子を見て、来年はクレープの量をどんっと増やし、売り上げ倍増を狙っていこう、と密かに企む姉さんたちでした
 とにかく今年も最後まで守られ、本当に感謝なバザーとなりました。

■レディスランチョンの感想  E.

 素敵なコンサートに感動を覚えつつ、感謝の分かち合いのためこの感想文を書きます。今でも覚えていることはフルートの美しい旋律と音です。そのフルートの清らかな音と美しい曲を通して安らぎを感じられた時間を神様から与えられました。それは神様と共にいる自分を発見したことです。今後も日常の生活の中で神を賛美し、神の隣在を覚えられる恵みが与えられるように祈りたいと思います。また、コンサート後に参加した食事会では日本文化の調和と素朴な美しさを味わいました。このような恵まれた時間と経験を与えた神に感謝し、次回またこのようなコンサートがあれば是非足を運びたいなと思っています。

■小布施ラン&自転車ツーリング  S.U.

 ここで若槻大通りに出る、左折し少し走ると左側に高山亭が見えてくる。行きの登りはここまでで後はしばらく下りが続く。まだまだ走り出したばかりで体も温まっていないが、まずまず順調のようだ、伴走のK兄も快調の様子。
 昨年からの念願であった小布施ラン&自転車ツーリングがスタートした。今回は自転車チームが2名、ランニングチームが3名、サポートチームが2名、計7名が参加したイベントになった。このイベントの為にT兄の紹介で初対面のSさんも参加されました。
 2キロ程走ると旧道の北国街道を走るはずの自転車チームが、ランチームが走るコース上で止まっているではないか。事前に地図も作りしっかりと説明もし、あれほど念を押したにもかかわらずあっさりコースをスル―?ランチームが走りながら近づいていくと、「こっちの道で良かったっけ?」自転車チームの参加の高橋先生の声がする。しかし、それ以前に間違っているけど・・・結局は自転車チームもランチームと同じルートを走ることになる。
 順調に追い風を受けながらの走行、帰りの迎え風が大変だねとK兄と話しながら往路の終わりの小布施橋を渡りはじめる。小布施橋は意外と長いねと話しながら、橋の3分の2程にさしかかった時、橋の向こう側に目をやると先に行った自転車チームとサポートチームが、カメラを手にしてランチームを待っていてくれました。「ここは笑顔で行こうね」と、K兄と小布施入り。小布施橋を渡り終えて折り返し地点の小布施役場までは全員で走り到着。ここまで約11キロ程の道のりだ、帰りも同じ距離が待っていることになる。
 ここで今回のメンバーを紹介します。自転車チームは高橋師と佐々木さん。サポートチームは富岡兄と武井兄。ランニングチームは今回初参加の反町さんと木暮兄と俺。しばらく休憩と水分補給してから「さっー帰るかー!」の合図で復路出発。
 やはり帰りはかなりの向かい風、疲れも出てきたせいもあり一緒に走っているK兄とも次第に会話が少なくなる。そして行きに通った豊野から三才方向につづく一本道は案の定走れど走れど前に進んだ気がしない。ようやく行きに見た高山亭が見えてきた、最後の登り坂で高山亭を右に見て走れば今度は教会までは下りだ。若槻大通りから浅川団地方面へ右折し住宅街の中に入り終点ゴールの教会へと最終ランナーの2名がゴールする。先にゴールしたみんながここでも待ち構えて歓迎してくれました。
 そして誰からともなく「次もやりましょうね」との声、さて次は何処へ行きますかね?

■福島聖十字架福音教会訪問記  A.K.

 去る6月25~26日、私は高橋牧師のお供で福島県福島市の聖十字架福音教会に行ってきました。25日の14時ごろ長野を出発し、高速道路を使い新潟経由で5時間ほどかけて福島市に到着しました。移動中は神様に守られ、高橋先生と談笑をしながら特に問題がなくつくことができました。
 福島に到着してから布山先生と合流し、定食屋で一緒に夕ご飯を食べました。久しぶりに会った先生はとても元気なお顔をしておられ、歓迎の言葉を頂いて旅の疲れが吹き飛びました。食事をしている最中にも地震が発生しましたが一緒に食堂にいた方々は、とくにあせる様子もなく、すごいなと思いました。
 食事後、宿泊場所である福島イングリッシュセンターに向かいました。宿泊場所に着いたところで教会の皆様からお預かりした布山先生へのお土産などをお渡ししました。先生はとても喜んでくださいました。その後、先生は自宅へ帰り、私たちはそれぞれの部屋へと行き、休みました。普通のビジネスホテルのような感じでしたが、最初に予定していた車中泊と比べるとはるかにいい施設で、ぐっすり寝ることができました。
 次の日、26日は朝8時ごろに起き宿舎にて朝食を頂き、聖十字架福音教会がある軽費老人ホーム「エデンの園」へ向かいました。向かっている最中に同じ経営グループの幼稚園に少し寄りました。そこの庭には子供たちが外で遊べるように土を掘るための重機がおいてありました。そうまでしないと福島の子供たちは外で遊べないのだなと、改めて自分が大変な場所に来ていることを実感しました。「エデンの園」に到着すると布山先生とトイプードルのハッピーが出迎えてくれました。
 そして10時から礼拝が始まりました。老人ホームの一角を借りての礼拝でしたので、ほとんどの方がおじいちゃんおばあちゃんでしたが、皆さん笑顔で楽しそうに高橋先生の放蕩息子のメッセージを聞いたり聖歌を歌ったりしていました。布山先生はオルガンを弾いていました。「エデンの園」の経営者のSさんはとても熱心な方でした。
 また、礼拝後に長野から託された野菜などの支援物資を「エデンの園」の食堂に渡しました。みなさん長野の野菜をとても喜んでくださいました。
 その後、昼食に出かけたのですが、お勧めのお店が混んでいて別のお店に行きました。布山先生は2時から子供会があるとのことで、結局一緒にご飯は食べられずにお別れとなってしまいました。 
 食後には、実際に津波の被害があった相馬市にいってみようという話になり、行ってみました。そこで見た,光景はいまでも忘れることができません。道路を挟んで左右でまったく違う風景が広がっていました。片方は豊かな緑広がる田園、もう片方は何もない荒野。津波の被害があった場所となかった場所との差を見て、津波の恐ろしさに言葉も出ず立ち尽くしてしまいました。何もできない自分の無力さを強く感じました。ただ祈ることしかできませんでした。
 その後、来た道と同じ道で長野に帰りました。
 今回の訪問で、神様が任務を与えてくださり、少しでも何かできたことに感謝したいです。また、福島および東北の方々のためにお祈りしていきたいと強く思いました。

■その後、聖十字架福音教会の布山先生からお便りをいただきました。

 長野福音教会の皆様
 主の御名を賛美いたします。先日は高橋先生、K兄を福島に送ってくださり本当にありがとうございました。また、尊い義援金をありがとうございました。そして、車いっぱいのお野菜、水そしておいしいお菓子、おやきやパンなどなど、たくさんの愛の物資を感謝いたします。何より皆様からの寄書が嬉しかったです。心配して祈ってくださっている方がいるんだと知るだけで、大きな大きな励ましです。本当にありがとうございました。
 岩手、宮城も長い戦いになりそうですが、福島も長い長い戦いになりそうです。不安もありますが、しかし同時に、すべてのもの、病もいのちもすべてのものをご支配される神様が共にいてくださることへの平安もあります。福島に遣わされているものとして、成すべきことが成せるようにお祈りください。
 たくさんの愛に感謝して

■6月26日、アダムの会有志が、開拓伝道中の塩尻教会を訪問し奉仕をしてきましたが、廣田先生からお手紙をいただきました。

 長野福音教会そして壮年会の皆さまへ
 主のみ名を崇めます。
 このたびは、塩尻聖書教会訪問を計画くださり、花壇作りのご奉仕をしてくださり、ありがとうございました。
 しばらく前から、教会入口の整備について思い巡らしていたのですが、主がこのような導きをくださり、主のみ名を崇めています。同時に、塩尻開拓は、主にある多くの教会、多くの方々のお祈りとご支援によってなされる、主のみ業であることを思わされ続けています。このたびの訪問、材料を含め何もかもご負担くださってのご奉仕でした。本当にありがとうございました。
 長野福音教会の高橋先生、壮年会の皆さま、そして教会の皆さま、心から感謝します。
 それでは御教会の上に、壮年会の上に豊かに主の祝福がありますように祈ります。 在主

2011年3月号

■巻頭言 くつを脱ぐ  H.E. 

 モーセはナイル川という死の淵から救われ、王宮で育ちました。しかし40歳にして逃亡の身となり、ミデヤンの地に身を隠し、妻の父イテロの羊を飼っていました。王宮で育ちながら逃亡の身となり義父のもとで羊飼いに甘んじて40年。名誉も財産もなく、80歳にして何もない、自分には本当に何もない・・モーセが神様からの召命を受けたのは実はこのような時でした。
 神様は燃え尽きない柴の中からモーセを呼ばれました。モーセには、それがどなたかわかりませんでしたが、そのお方はモーセを知っておられました。一方的な選びでした。
 ひざまづいたモーセに神様が言われた言葉は何だったでしょうか。それは十戒でもエジプト脱出計画でもありません。「・・あなたの足のくつを脱げ」でした。くつを脱ぐということは、僕(しもべ)になるということです。そしてモーセはそれをしたのです。その後のモーセの生涯もそこにあらわされた神様の業も、全てはこの「くつを脱ぐ」ところから始まっているのです。
 D.L.ムーディーという大伝道者は、モーセの生涯をこう表したそうです。「最初の40年間、彼は、自分は何者かであると思っていた。次の40年間、彼は自分が何者でもないことを学んだ。そして次の40年間、彼は神が何者でもないものを用いて下さることを見出していった。」まさに福音です。
 私たちの教会の先達は、教会名に「福音」を標榜しました。故正村師は教会の建設予定地を裸足で歩きながら祈り求めたと聞きました。私たちには、くつを脱ぎ福音に生きた数千年来の先輩がいるのです。それらの方々は決してヒーローではありませんでした。罪と弱さをもちつつ福音に生きた生身の人間でした。私たちはそれらの先達の福音信仰にならって歩みましょう。
 先日の教会総会で高橋師を通していただいた「『ふるさと』の教会」ビジョンの「ふ」は、「福音」の「ふ」です。全てのビジョンの冒頭にこの「福音」が多くの行を割いて据えられています。これが今後の長野福音教会の将来を示すブレない指針であることは確かです。学びの機会に、そこに掲げられた引用聖句をお分かちになることをお勧めします。

■役員就任にあたって  K.M.

 もしもお許しいただけるなら逃げ出してしまいたいというのが、今の正直な気持ちです。日がたつにつれ畏れが増し、責任の重さが実感され、押しつぶされてしまいそうです。私には無理です、と思った後で、もしやザカリヤのように、声を失ってしまったのでは・・・・と、そっと確認してみた程です。
 でも、怯えつつ、戸惑いつつも気付かされたことは、牧師先生の負っておられる責任の大きさです。キリストの御身体である教会を正しく導き、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、地域に福音を宣べ伝え・・・全ての教会活動の責任者として、配布される小さなトラクト1枚に至るまで名を記されることの重さ。その肩に大きな荷を背負いながら、逃げ出さず、くず折れず、ここに居て下さる先生を、お支えしていく教会員としての責任を改めて気づかされました。
足りない者がお役をいただいたことで、皆様には、さらなる忍耐と許しを強いることになりますが、練られた品性を生み出すための訓練の時と受けとめて、ご容赦下さい。
 長野福音教会が、主の愛に満ちあふれた教会であるように、祈りつつ、御ことばに聞きつつ、ともに励まし合って成長させていただけたらと思っております

■新年度役員就任にあたって  S.K.

 長野福音教会が昨年度創立50周年を迎え、今年度は新たなビジョンに向かって第一歩を踏み出しました。そんな年に役員に任命されたことは、身が引き締まる思いです。
 役員選挙の時に読まれた聖書の個所、第1テモテ3章の1節から聖書を読んでいくと、「自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、・・・」と進んでいきますが、私とは全く正反対のことが書いてあります。こんな私が執事?大丈夫?何ができるのだろう?と思います。しかし、たとえ、どんなに愚かな者でも、どんなに小さい者でも、神様の前にへりくだる時に、神様は土の器を造るように、造り変えてくださいます。神様の前にへりくだって、用いていただけるように是非お祈りください。
 世の中は高齢少子化が進み、若者の就職も大変な時代になっています。教会でも少子化が進みウイングスの子どもたちも減ってきています。毎日暗いニュースが飛び込んできて、気持ちも暗くなりがちです。しかし、私たちは、全知全能の神様を知っています。神様は今、長野福音教会を通して神様の御業をあらわしたいと願っておられます。それが何なのか祈りつつ、希望を持って前に進んでいけたらと思います。
 「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 ピリピ3:13~14

■これからの泉会に思う事  H.T.

 私がこの教会に来たのは、名古屋の教会で受洗して一年目、40代の時でした。次の年に泉会会長に選出され、あれから30年、今年で5度目の泉会会長です。初めての時には、先輩のM.T.姉、C.O.姉、T.Y.姉が何もわからず土地感もない私のために事ある毎にアドバイスして下さいました。正村富男先生は泉会の問題を先生の方からたずねて下さり「祈りましょう」とよく祈ってくださいました。先生に祈っていただくと、その時点で問題が解決したように思い、平安が与えられました。
 あれから30年経ち周囲も高齢化してきました。又仕事を持っている方も多くなり泉会会員の状況も変化して来ました。会長の役目を受ける人がいなく、副会長や会計が早く決まっても、なかなか決まらないのです。なぜでしょうか?それはやる事の多さと責任ある行動を取らなければならないことによるプレッシャーだと思います。今年も特に4月は数々の行事が予定されています。泉会も次世代の方々、仕事を持っている40代、50代の方々へと継承して行かなければなりません。そのことを思うと出来るだけスリムに改革して行くべきだと思います。泉会会長もひりひりせず、ゆとりを持って引き受けられる様でありたいとおもいます。
 とは言え、対外的な行事には、教会としての責任も担っていかなければなりませんが、教会内のことは出来るだけ軽減して行く方向で考えていけたらと思います。たしかに大変な役目がありますが神様からの祝福も受ける場所です。困難な時、神様は必ず側に居て助け導いて下さいます。今年度の役員の上に又泉会員一人ひとりの上に神様からの明るい希望と平安がありますように、主に期待しています。

■成人式を迎えて  Y.M.

 長野福音教会の皆さま、お久しぶりです。いつもお祈りありがとうございます。福音教会に行くたび、「あれ?Yちゃん、また背が伸びたね」と声をかけていただきます。ここ数年身長に変化はないのですが、小さいころから見守っていただいた方々には、どうも大きくなったように見えるみたいです。福音教会で育てていただいた、あのママ大好きっ子泣き虫Yちゃんがついに20歳になりました。成人式を迎えました。大人に仲間入りです。そんなわけで、抱負を述べさせていただきます。
 まず何よりも、自分の行動に責任がついて回っていることをしっかりと自覚したいと思います。まだ学生生活は続くので、これといって大きな変化はまだないのかもしれませんが、だからこそ自覚が大切だと思います。何にでも猪突猛進ではなく一つ始める前には、これは自分にできることなのか、誰かの助けが必要なのか、自力でやり遂げるべきか、ただやってみたいだけなのか等、たくさん考え視野を広げたいと思います。消極的にはなりたくないけれど、一呼吸入れることを忘れないでいたいです。
 もう一つ、切り替え上手になろうと思います。頑張らなきゃな時に全力を出すために休憩をとることの大切さをつい最近痛感しました。気持ちの切り替え、ONとOFFの切り替え、仕事・勉強と遊びの切り替え、切り替えができないと困ることはこれからどんどん増えていくと思います。自分で自分をコントロールすることはとても難しいけれど、それができてこそ大人と言える気がします。だから少しずつでも、頑張っていきます。
 他にもやるべきことや、持つべき心構えはたくさんあると思いますが、私の許容範囲を超えそうなのでこれからだんだんに増やしていこうと思います。先輩方、新成人に是非アドバイスをよろしくお願いします。

■K.Y兄のこと  正村八重子

 玄関のベルを押してから、「Yさーん」と大声で叫びながら、ずかずかと家の中に入っていく。大体ベッドで休んでいるか、食後でテレビを見ているかであった。気分のいい日もあれば、そうでない日もあったようでした。
 私たちは、生かされている限り神様に連なっていて欲しいと、教会に来られない方との交わりの時を大切にしている。
 Y兄は多趣味多才の人。とても雄弁な方で、ご実家のことから仕事のこと、何よりもよく話されたのは軍隊生活のことでした。こちらもせっかくの機会だから、みことばを少しでも話せたらと思うのだが、なかなかそのチャンスがやってこない。話を中断させてはいけないと思いつつ、「主の祈りをしましょうか。」と話を変えると、大きな声で最も得意とする主の祈りをする。使徒信条を告白する。愛唱讃美歌を歌う。その後でまた正村富男牧師の話をする。「アーメンということばの意味をよく教えてもらった。富男先生はどうして私の葬式をしないで先に天国に帰ってしまったのだ。」と。また故M.T.姉による信徒講座で「聖書とは如何なるものか」を学んだからと、モーセの話、パウロのことなどよく覚えていて、逆に説教もされた頭のいい方でした。いつも同行してくださるM姉がそれを黙って聞いていて、話の切れ目で助け船を出してくれる。M姉は、Y兄の趣味や音楽の話を忍耐強く聞いてくれた。
 Y兄は、昨年12月に入ってからめっきり衰えを見せ、以前のような元気もありませんでした。しかし、その霊においては、最後まで元気でした。
 Y兄ご一家とは、私が1961年に三輪の教会に住んでいた頃ご近所で、それ以来の長い付き合いでした。
 正村富男牧師が召されたときは、「自分の葬式をしてくれる人が先に天に帰っていなくなった」、H兄が天に召されたときは、自分の葬儀委員長が亡くなった」と嘆いておられた。しかし、葬式は誰がしてもしなくても問題ではない。「自分の魂が天に帰るために、最後まで神に従うことが大切なことである。」それが最後まで神に従い続けた兄の姿を見て改めて教えられたことです。
(編注:K.Y.兄は、去る1月3日に98才で天に召されました)

■長野福音教会 創立50周年記念教会ビジョン  「ふるさと」の教会

 いつでも安心して戻って来られる教会
 誰もがほっとできて、生きる力と希望を与えられる教会
 父なる神のみもと、天の故郷をともに待ち望む教会
 私たちはそんな教会でありたい
 ・ルカ15章20節
  「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」
 ・へブル11章16節
  「さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。」

 福音を信じ、福音に生き、福音を宣べ伝える教会
   「正しい福音理解」 マルコ1:15、Ⅰコリント15:1-11、エペソ2:1-10
   「神の恵みに応答して生きる」 ヨハネ15:1-9、コロサイ1:21-23
   「豊かな礼拝をささげる」 詩篇103、ヨハネ4:23,24
   「証し人として生きる」 マタイ5:13-16
   「多様な伝道の働き」 Ⅰコリント9:19-23
 Look at the World- 長野から世界へ、世界から長野へ―
   「世界宣教のために祈り、仕えていく教会」 マタイ28:18-20、マルコ16:15
   「世に遣わされていく教会」 使徒1:8、使徒13:1-3
   「赤ちゃんからお年寄りまであらゆる年齢層の人々が憩い、多様な人々を迎え入れていく教会 ローマ1:16、黙示録7:9,10
 さあ、主に立ち返ろう エレミヤ50:4,5、ホセア6:1-3、マタイ22:37,38
   「聖書信仰」 詩篇119:105、Ⅱテモテ3:14-17、Ⅰペテロ1:23-25
   「みことばに基づく教会形成」 マタイ16:15-19、Ⅰコリント12:27、エペソ1:22,23
   「よく学び、よく祈り、よく賛美し、互いに愛し合う教会」 使徒2:41-47、使徒17:11、Ⅰテサロニケ5:16-18、コロサイ3:12-17、Ⅰヨハネ3:16-24
 となり人に仕える教会 マタイ22:39,40
   「この地域に輝く教会」 ピリピ2:16
   「教会として福祉の業を」 ルカ10:37、ヤコブ1:27

2010年12月号

■巻頭言 50周年が過ぎていく K.S.

 2010年もいよいよクリスマス・年末が近づいて、今年は教会の50周年だったんだなァ~んて改めて思っています。
 思い起こせば、高橋先生から年頭のメッセージをお聞きし、記念礼拝の準備状況の報告を何度も聞きながら、福澤満雄先生をお招きしての記念礼拝の日を迎えました。すべてが当初の計画通りとはいかなかった部分もありましたが、大勢の懐かしい兄弟姉妹方も集まり、主の御前に50年分の感謝をささげることができて本当に良かったと思います。記念品や記念誌も立派なものができました。タイミングは少し遅れましたが、礼拝堂の長椅子もすべて入れ替えられて、教会全体がリフレッシュしたような気さえします。
 私たちは、それぞれのお祈りの中で、いつも「感謝」と「お願い」をしていると思います。一般的に言って、過去のことを「感謝」し、未来のことを「お願い」するということなのだろうと思いますが、これまでの50年間の「感謝」にあわせて、次の50年間に向けてどんな「お願い」をしたでしょうか。
 小さな「お願い」は集まって、教会全体としての大きな「お願い」になっていくのだと思います。次の50年とまで言わず、もう少し身近な範囲でよいと思いますが、その「お願い」は主のために実現されなくてはならないと思います。敷地を拡張したい、小チャペルがあるとよい、子ども施設や高齢者施設も開設したい等々は、「お願い」の中のいくつかの例です。主の教えを伝えることが私たちに与えられた使命ですから、次の伝道のための具体的な働きについて教会全体で「作戦を立てて」いかなければならないと思います。
 教会の働きが成長したり拡大していくことは、主にとっても私たちにとっても大きな喜びです。信仰を守るから信仰を広めていくへ、、、そんな新しい年になればいいなァと願いつつ50周年の年を送りたいと思います。

■聖山パノラマへ M.K.

 10月20日(水)、泉会で聖山パノラマへ出かけました。高橋牧師ご夫妻、正村師を含めて8名参加。前日、教師会がありお疲れの先生に運転をお願いしての出発でした。
 あいにくの曇り空。紅葉の時期も少し早い感じでしたが、聖山パノラマに着きますと、うす陽が射す時もあり、所々美しく紅葉した木々と、風に揺れるすすきの銀色の穂波がとてもきれいで、秋の風情を満喫しました。
 昼食前にマレットゴルフをやろうということで、3人ずつふた手に分かれてスタートしました。少し汗ばみ、程よい運動となり、楽しい一時でした。スタート直前に、東京からY.姉が亡くなられたとの電話が入り、早めに教会に戻ることとなりました。聖山パノラマを下る途中、真白な野菊の群生が目に入りました。高速にのって4時過ぎ、無事教会に戻ることができました。
 教会員として日の浅い私ですが、いろいろな集いに参加させていただきながら、学びと交わりの時間が持てることに感謝しています。

■転会式をして K.F

 10月10日の日曜日、私は長野福音教会で転会式をさせていただきました。
 長野福音教会との出会いは昨年のバザーの時でした。家の近くの教会でバザーがあることを知り、ちょっと覗いてみようという軽い気持ちで来たのがきっかけです。ちょうど私は昨年3月から長野に移り住み、子供と通い続けることのできる教会を探していました。年齢層も幅広く、地域に開かれた教会だと感じ、それからこの教会に足を運ぶようになりました。
 神様とは無縁の子供時代を過ごしてきた私が、18歳のときに神様に出会い、19歳で洗礼を受け、長野福音教会で転会式をさせていただけたことに本当に感動しています。神様の導きに感謝します。無縁と思っていたのは私だけで、神様はずっと私を見ていてくださったのだと、今実感しています。
 私はいつも、自分の神様との出会いを思い返すたびに、神様の偉大さ、寛容さを感じています。神様と出会う前のことも、全部神様に会うまでの準備だったのだと思います。
 中学生の頃の私は、両親や他人を傷つけてでも自分の欲求を埋めることに一生懸命になり、人にやさしく接した記憶がありません。罪だらけの悲しい中学校生活でした。学校にも行かず夜は家に帰らなくなり、母にはお金を要求し、父とたまに顔を合わせてもほとんどしゃべることなく、家庭はどんどん崩れて行きました。人を傷つける言葉を口にしていると、どんどん自分の心も暗くなり、顔は笑っていてもいつも悲しみの中にいました。なぜそうなったのかわかりませんが、今思うと、あの時は自分が暗闇の中にいるということにも気付かず、反抗期という言葉では片づけられないような、心を失くしたような自分だったと思います。
 いつも投げやりな気持ちでいた私は、出産を経験したことで、前向きに生きたい、、、と思うようになりました。自分の将来について考えたとき、自分のしてきた数々の罪が頭から離れなくなってしまいました。両親を傷つけ、平気な顔をして生きてきた自分が、すごく憎く思えてなりませんでした。普通に家族と暮らしていて、普通に学校にも通ってきた同じ年ごろの人が羨ましく思えて、自分を愛せなくなっていました。私の家族も同じように、この先どうして行ったらいいのか苦しんでいたと思います。
 そんな中、父の友人のエドナさんという女性と出会うことができました。神様は、彼女を用いて神様を知るきっかけをくださいました。あの頃の私をここまで救い出してくださり、今も傍にいてくださるのは神様しかいません。そして神様は、いつも私のために環境を与えてくださっています。
 今、息子には学習障害があり、それが分かってからこれまで、私たち親子の生活、二人の関係は本当に変化の連続でした。それも神様からのプレゼントなのだと、感謝しています。神様を知る前の私は、先の見えない将来が不安でしたが、知ることのできた今は、これからの変化がとても楽しみです。今も私は日々の生活で、後ろ向きな感情を持つことがしょっちゅうあるし、これからもあると思います。小さく愚かな私だけど、落ち込んでも、神様のことを思える幸せに感謝しています。神様が私にこんなにも寛大であるように、私も他人にそうできたらなあと思っています。

■Y姉の思い出 M.K.

 Y姉が去る10月20日に天に召されました。そのことを知らされた時、胸にぽっかり穴があいたような思いになりました。信仰の方、祈りの方、聖書をよく読まれた方、礼拝や集会を欠かさず守られた方でした。教会の中でも、泉会の中でも扇の要のような方でした。柔和さと共に、白は白、黒は黒とはっきりした厳しさも持たれていました。
 Y姉と最初にお会いしたのは、主人と私の婚約式の時です。主人と私の出会いのきっかけとなって下さったのがY姉でした。私が、「本当に御世話になってありがとうございました。」とお礼を申し上げると、「摂理ですよ。これは神の摂理です。」と、にこやかにおっしゃられたのを今でも思い出されます。
 結婚後、高山村のY姉のお家で開かれていた地区集会で共に御奉仕させていただき、正村富男先生が三水村のY家の集会を終えた後、高山村まで来てくださってメッセージを語って下さいました。特伝や、クリスマスや、「塩狩峠」の映画会etc.…そのために準備祈祷会をして、Y姉と主人と私の三人で祈りました。一緒に連れて行った我が家の幼子たちを、本当に可愛がってくださいました。自宅を開放して月二回の集会を何年も続けるということは、使命感がなければとてもできないことと思います。
 三輪に教会があった頃、早天祈祷会が毎週開かれていました。そこに出席するためには須坂駅で始発に乗らないと間に合いません。早朝のため、高山村から須坂駅までのバスはなく、Y姉は徒歩で須坂駅まで歩かれて出席されました。夏は薄明るくなっていますが、秋から冬は真っ暗な中を、懐中電灯を点けて歩かれました。当時、Y姉は六十代後半だったと思います。今更ながら、すごいことだと思います。「真っ暗い中を歩いていたら、後ろから来たタクシーが声をかけてくれて、須坂駅まで乗せてくれたの。」と、笑いながらおっしゃったこともありました。
 八十歳になられる頃から体調を崩されることが多くなりましたが、晩年は東京の娘さんのお家で、ご主人のH牧師とM姉に囲まれて、本当にお幸せだったと思います。
 私たち夫婦は本当にお世話になりました。よくお祈りしていただきました。天国で、また再会できることを楽しみにしています。

■故Y姉の救いの証し(「祈りの友」1990年5月号から転載)

 私が受洗したのは、1968年12月23日でした。その昔求道していた頃偶然にラジオで世の光放送を聞き、通信講座へと導かれ、間で中断し、再受講していた時、罪をみことば(ヤコブ4:12)によって示され、恐れ戦いて悔い改めました。そしてヨハネ3:16のみことばにより、信じる決心をしたのが9月3日でした。
 復活は信じられても、十字架が観念的にしか信じられず、苦しみ悩み、涙ながらの真剣な祈りへと導かれ、翌日の礼拝の正村師の説教の最中に、十字架が私の罪のためであることがわかり、心の底から信じることができたのです。ハレルヤ!また、11月9日の夕方突如として心の中に歓喜が沸き起こり、罪赦された喜びを抑えることができず、誰かに語らずにはいられない思いになり、聖霊がわがうちに与えられたことを悟り、感謝感激の涙を禁ずることができませんでした。

■感謝のうちに実施されました T.K.

 皆様のお祈りとご協力により、今年も「サテライトクリスマスコンサートIN二葉堂」を12月4日(土)に実施することができました。22席のお店の定数に29名の参加者がありました。半数近くが教会員以外の参加者でした。歌あり、ピアノ演奏・ギター演奏ありと楽しいひと時を過ごすことができました。牧師先生からのクイズはクリスマスの意味合いを深めることができました。お楽しみ抽選会ではチャールズが、一般の参加者・出演者・教会員をバランスよく引き当ててくれ大活躍でした。参加された皆さん・出演者のみなさん・ご奉仕いただいた皆さん、本当にありがとうございました。ここまで導いてくださった神様に感謝いたします。

■最近読んだ本 T.S.

 「永遠の0」。この題名から、どんな話なのか想像するのは難しいのではないかと思います。少し前に話題になった本です。0とは日本の戦闘機、零戦のことです。
 祖父が零戦パイロットだった事を知った若者。祖父がどんな人だったのかを調べていくと、妻子のために絶対に死なないと誓い、生きて帰ることを第一にしていた人だったことがわかってきました。しかし、それほどまでに生きて帰ることにこだわっていたのに、自ら特攻隊として死を選んだのはなぜなのか。最後に明らかになります。深い感動に包まれる話です。
 この本を読んで、自分は太平洋戦争の事を何も知らなかったと痛感しました。そこで続けて、撃墜王と言われた零戦パイロットの自伝や、真珠湾奇襲攻撃の総指揮官だった淵田美津雄の自伝も読みました。淵田は、戦後クリスチャンとなり、アメリカ伝道に8回も出かけました。宣教師だった両親を日本兵に殺されたにもかかわらず、負傷した日本兵の世話をしていたアメリカ女性から、両親の最後の祈りに動かされたことを聞きました。そして後に聖書を手にし読み進めたとき、「かくてイエス言いたまふ、父よ、彼らを赦し給へ、その為すことを知らざればなり」(ルカ23:34)のみことばがが、この宣教師の最後の祈りであったと知りました。「彼らをお赦しください」の彼らの中に自分も含まれているという啓示がひらめき、「彼らは何をしているのか分らずにいるのです」という言葉に胸を突き刺され、淵田はクリスチャンとして生まれ変わりました。
 平和であることの有難さ、神の御業のすばらしさがひしひしと感じられました。戦争を体験した人が少なくなった現代、語り継ごうと活動する若者たちがいることを頼もしく思います。これらの本が多くの方に読まれることを願っています。

2010年9月号

■巻頭言 祝福された教会 正村八重子

 M兄の危篤の知らせを受けて、慌てふためいて財布も持たずにタクシーに飛び乗った。息のあるうちに何としても会いたいと。50年近く苦楽を共にして来た同胞なのだから。
 思えば、大風呂敷を広げる気ままな牧師に謙虚に仕えてくれた。牧師の欠点字弱点を知った上でも批判するのではなく、神の器だからと信じて従ってくださった。今日、長野福音教会があるのはこのような長老がおられたからだとしみじみ思う。教会に役員会の組織がまだない頃からの役員であり、晩年になってからのお休み以外は生涯役員であった。会計、総務、CS、伝道等々何でもしておられた。
 週報、「祈りの友」も他の方の助けがあったものの、長い間M兄の奉仕だった。土曜日の深夜、当初はガリ版で、後にはワープロで作った週報を牧師宅に届けられ、それからあまり調子のよくない印刷機で刷ったものだった。印刷機が思うように動かない時はコンビニエンスストアのコピー機にお世話になったことも。どんなことがあっても日曜日の朝までに週報が間に合わなかったことはなかった。
 役員会のなかった頃は牧師と深夜まで相談し祈っていた。会計のこと、迷いだそうとする信徒のことなどなど。M兄は牧師と信徒というよりはまさに同労者であった。兄だったから牧師を助け支えてくださったと思う。それはサウル王に最後まで従ったダビデのように思えてならない。
 神様は時にかなった助け手を牧師に与えてくださったので、今日の長野福音教会がある。ダビデはサウル王を倒すチャンスはいくらでもあったが、神様を信じているダビデはそれをしなかった。「主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ」(Ⅰサムエル26:11)。どんな事情があっても主に油を注がれた方を大切にすることは教会の祝福の源であり、その反対は教会も個人も祝福を失うのだから。

■レディスランチョンに参加して S.K.

 (開催日:2010年6月23日  会場:ホテル国際21  ゲスト:横田早紀江姉)
 6月23日のレディスランチョンで、横田早紀江さんのお話を聞くことができました。めぐみさんがいなくなってしまってから、新潟県警はかってないほどの大捜査をしたこと、身元不明の遺体がみつかると連絡が入り歯型をとりよせたことなど、拉致されたとわかる以前にも大きな悲しみや苦しみの中を通らされていたことをあらためて知りました。
 そんな早紀江さんがヨブ記を読み、強められていったのです。早紀江さんにヨブ記をすすめてくださった友達や、いっしょに聖書を読む友達を神様は備えて下さっていました。精霊が働いて下さったことを実感された早紀江さんは、大変な中にあるのに、神様に感謝されているのでした。信仰の強さをあらためて感じました。
 多忙でつかれてしまって早紀江さんが当日こられないかもしれないとまで言われ、早紀江さんの健康を祈ってむかえたレディスランチョンでしたが、神様に祝福されて、多勢の方が参加できました。毎年レディスランチョンには教会に通っていない方が多勢参加されます。その方たちが教会に、神様につながれるよう祈って下さい。また毎月1日の正午から13時までの間わずかな時間でも、どこででもかまいませんから拉致された人々のため祈って下さい。全国でその時間に、いろいろな人が祈っています。
 PS 今年の食事で私がおいしいと思ったのは丸パンでした。生ハム?やブラックバス?もあったけど実においしいパンでした。

■2010サマーキャンプの証し、感想

 (会場:国立妙高少年自然の家  講師:ウイングス=廣田信之師(中野キリスト教会) ヤングチャペル=洪豊和師(土浦めぐみ教会))

●長野キリスト教会の皆さん

ぜんぶたのしかった。←小学3年 S.F.

一番楽しかったのは、キャンプファイヤーです。歌を歌ったりおどったりゲームをしてとっても楽しかった。心に残ったことは、ぼくは教会行ってイエス様のこと教えてもらってるけど、のぶのぶに教えてもらって、もっとイエス様のことしれて本当によかった。←小学5年 S.S.

今までの2泊3日のキャンプで一番心に残ったことは廣田先生(のぶのぶ)のお話と川がとっても楽しかったです。お友達もたくさんできてうれしかったです。おかしこうかんも楽しかった。←小学5年 M.E.

夜と海へ行ったのが楽しかった。もう1泊したかった。←中学1年 M.S.

ヤングチャペルになって初めてのキャンプでしたが、めっちゃくちゃ楽しかったです。川や海へと行ったり、友達とトランプなどもやったりお話を聞いたりDVDを見ていろんなことを学べたし、とても充実したキャンプになりました。キャンプ最高!!←中学1年 H.A.

「フェイシング・ザ・ジャイアント」という映画を見て神様を愛せばつらいことがあっても必ずいいことは起こるということと、神様に不可能はないということを実感しました。←中学2年 M.S.

「フェイシング・ザ・ジャイアント」という映画で学びました。神様の力を信じ、頼ること、また自分でも限界まで力を出し切っていくことを大切にしていきたいと思いました。←中学2年 Y.E.

初日だけの参加でしたが、得られたものがたくさんあったキャンプになりました。アイスがおいしかった。←中学3年 T.S.

集会のときにやった以心伝心ゲームが楽しかったです。伝言ゲームもおもしろかったです。洪先生のメッセージは映画を通してのメッセージでしたがその後小グループでわかち合う時は、洪先生と気軽に話せて良かったです。←高校1年 H.A. 

今年はビデオを通して神様と自分の関係について深く考えさせられました。いろいろと忙しく日曜日、日帰りだったメンバーも含めて、多くの参加者が与えられたことも感謝です。2日目は海に行きました。曇り空で日焼けもなくみんなで海を楽しみました。このキャンプにご臨在くださりすべてをお守りくださった神様に感謝!!←N.E.

DVDが、大事な3回の集会で3回とも機器の不具合があり、洪先生にはご迷惑をおかけしてしまいました。特に最終回は、このまま尻切れのままおわるかという万策尽きた状況の中で、映像が再び流れるという経験をしました。映画の内容そのものがここで起きていることとして、この映画をつくられた神様がここで巨人とたたかうダビデを探しておられるのを感じました。←H.E.

暑~い暑い日のキャンプでしたが川遊びに海にあつくなって遊べ、集会を通してみた映画や洪先生のメッセージで熱くなり、あつい主の愛に包まれた3日間でした。←K.T.

たくさんの小学生がたくさん参加しとてもにぎやかで楽しいキャンプでした。ひとつひとつを神様が導いていてくださることが感じられるキャンプでした。神様に感謝します。←S.K..

久しぶりに3日間フルでキャンプに参加できて、体はとても疲れましたが(笑)、心はとても満たされました。ダビデの姿を通し、神様にしっかりと仕えていくこと、失敗したら神様に素直に謝ることなどシンプルだけど大人になっても忘れがちなことにもう一度気づかされました。元気いっぱいかわいい子どもたちと過ごした3日間、楽しかったです。←R.T.

中野キリスト教会のたくさんのお友だちと仲良しになれて良かったです。ダビデのように愛の神様を心から信頼して神さまの前に正直に生きていこうと思いました←高橋宣広

●中野キリスト教会の皆さん

川遊びとみんなで仲良く遊んだこと、おふろの後のジュース、キャンプファイヤーが楽しかったです。かみさまを信じたいです。ヒコーキをふまれてかなしかったです。←年長 S.H.

川あそびにいっておたまじゃくしをつかまえてたのしかった。かみさまのことがよくしれてよかった。やさしい人でしんじている人をまもってくれる人です。←小学5年 H.K.

キャンプで川あそびがたのしかったです。←小学2年 Y.H.

知りあいじゃない人もいたけど、みんなやさしかったから楽しい時間をすごせた。水あそびをしておひるねをして、、、。でも一つめんどうなことがあった。それはおいのり。←小学2年 R.M.

みんなといっしょにねたりあそんだりしてたのしかったです。先生がよるうまかぼうをこっそりたべていてひどいと思った。たかはしせんせいのごりあてのたおれるところがおもしろかったです。しょくじのときにおいしくてよかったです。←小学3年 T.O.

先生のゴリヤテがおもしろかった。川遊びがおもしろかった。みんなといっしょになかよしになってよかったです。ごはんがおいしかったです。←小学3年 A.O.

川遊びで石をおとす遊びがたのしかった。←小学4年 S.

はじめての川遊びがたのしかったです。キャンプファイヤーでマシュマロをやいてたべたのがおいしくて楽しかったです。友だちができてよかったです。←小学4年H.K.

キャンプファイヤーでマシュマロをいいかんじにやけてうれしかった。川遊びで水が冷たくてきもちよかった。ダビデがひとごろししたことを始めてしりました。←小学4年 M.H.

きもだめしでみんなおどろいてたのがおもしろかった。川遊びがたのしかった。←小学4年 T.I. 

2泊3日のキャンプの中で、川が一番楽しかったです。3日間で、いろいろな神様の話やみことばを聞けたし、いろいろな子と友達になれてたくさんあそべてよかったです。←小学5年 M.Y.

予想以上の多くの参加者が集められ、感謝と期待をもって奉仕させていただきました。初めての子どもたちが安心して楽しめるように多くの配慮をしてくださった福音教会の奉仕者に感謝します。教会独自のキャンプができることのすばらしさを思いました。宣教協力がこのようなかたちでなされたこと、主に感謝します。←廣田 信之

●土浦めぐみ教会の皆さん

水あそびが楽しかった。キャンプファイヤーが楽しかった。←ほん ゆみん

思いでは、川あそびです。いちばん上でくつがながれてしまいました。おたまじゃくしをつかまえてあそびました。ながれがはやくてながれそうだったです。先生が言ってたようにつめたかったです。←ほん はんいる

■父を天に送って K.H.

 2010年3月30日、私は父を天に送りました。
 これまでの長野福音教会での主にある交わりをしてくださった、お一人お一人に感謝いたします。父と母が長野福音教会の礼拝に集うようになり、キリストの洗礼を受けそれから約20年間老夫婦2人での生活が守られたことも主の備えられた多くの助けと交わりのおかげと改めて思わされております。
 父の葬儀にあたって、多くの方から慰めの言葉と共に、生前父がしてきたことに対する感謝の言葉を受け、私の知らない父の姿を知らされました。父自身は私にあまり昔のことは話しませんでしたので、私が聞いた昔の話といえば、酒に酔って語る軍隊時代のことぐらいでした。17歳で志願して海軍にはいり、そこで様々な訓練を受けていました。軍隊では、理不尽な理由でしょっちゅう殴られ(顔が変わるほど殴られ、親が面会に来ても会わせてもらえなかったこともあったそうです)、開かないパラシュートを持たされての飛行機の操縦訓練など、常に命の危険と隣り合わせの毎日だったようです。父は、子供たちが怪我をしたり、危険が及ばないように、安全には人一倍気を使いました。また教会の子供たちのことを、大変かわいがって怪我や事故なく元気に育って欲しいと願っておりました。その背景には、人命を軽視した教育や社会を、また怪我や事故の痛さや悲惨を良くしっていたからだと思わされます。
 終戦後はしばらくサラリーマン生活を送っており、その職場で知り合った母と結婚しましたが、父は政治活動に熱心だったため職場を去らなくてはならなくなったようです。そのときのこともあまり詳しくは語ったことはありませんが、日本がひどい戦争に進んだことの最大の理由は神格化された天皇の存在とそれを利用しようとする人々がいたことだと確信し、それを放置しておいてはいけないと考えたようでした。
 このように、国家神道、無宗教と歩んだ人がキリスト教に改心するのは、不思議でもあります。しかし、今のようにインターネットはおろかテレビもないような時代に、新聞やラジオをたよりに何が間違っていたのか、自分はどうすべきかを考えたのだと思います。そしてそれを実行していったのです。間違いや失敗もたくさんあったはずですが、それに負けない軍隊で鍛えられた精神力と、天性の楽天的性格もあったのでしょう。農家のHさんと教会では思われていますが、父は30歳ぐらいまでは農業をしたことがなく、勤めていた職場を去ってから農業を始めました。しかし最初は作物もうまく出来ず失敗の連続だったそうです。そのような生活の中でも、親戚や尊敬する人にキリスト教を信仰する者が多く、そのようなひとりひとりの証が、父の目をイエス・キリストに向けることになったのだと思います。正村富男牧師もその一人でした。
 年をとっても、母と生活していくことが出来るように20年前に立て替えた家は、車椅子でも通れるように設計されておりますが、昔の家にあった仏壇や神棚を作りませんでした。それは主イエス・キリストにしたがって歩むと言う決断によるものでした。その家で車椅子で介護を受けるということはかなわず、昨年の11月から老人介護施設での生活になりましたが、それまでは本当に一生懸命自分で車を運転し、病気と闘いこの地上の歩みをすごして来ることが出来ました。最後まで体力が衰えないように運動し、まだまだ生きるぞという意気込みがありました。その精神力の強さには驚かされました。入院しての治療が必要となっても、面会に行くといつも家族のことを思い、別れる時のお祈りのも、最後までしっかりとイエス・キリストへの信頼と感謝を表していました。
 今は、母も父が病気や心配のない所に行ったことを確信し、落ち着いた生活と平安を得て毎日を暮らしております。
 人にはそれぞれ違った歩みがありますが、それまでキリスト教とはまったく違う歩みをしてきたものが、人生のあるとき主に会って新たな歩みをする、そんな姿を父にも見ました。そして、天国の希望というすばらしい恵みを共に持つことが出来、見送ることが出来たことを今、主に感謝しております。
 “あなたは年を重ね老人になったが まだ占領すべき地がたくさん残っている。”ヨシュア記13:1

■私の好きな言葉 「ありがとう」(祈りの友2005年5月号から抜粋) H.H.

数多くある言葉の中で私は「ありがとう」の一言が大好きです。この言葉にこだわる理由があります。母が厳しい人でしたが特に挨拶についてはその感を強くしております。必ずお相手さんより先に頭をさげなさい。年下の人に対しても。特に「ありがとう」とお礼を言う時、心が込められていなければ相手に通じないものだ。短い一言だけれど、感謝の気持ちを込めて使いなさいと、今でも身にしみて親を思い出します。
 時々家内と話します。「教会以外ではありがとうの言葉は聞くことが少なくなったねぇ」と。思えばスーパーが増えてから特にその感を強くしております。昔のように町のお店で買い物をしていた頃は、お互いに言葉をかわし、ありがとうとねぎらいながら別れたものでした。なつかしく思い出されます。だけれども、いまでも私たちはスーパーのレジ係の人たちにありがとうと言葉をかけております。そのことで、自分の心も明るくなるのです。
 (注)家内は私の「ありがとう」は声が大き過ぎると申します。少ない買い物、大きな声では嫌味にとられると、、、。反省。

■M兄の思い出 K.K.

 M兄と最初にお会いしたのは、1971年頃だったと思います。当時、学生だった私は、学校の近くにあった長野福音書房に行くと、にこやかに迎えてくださいました。そのことが、今でもとても印象に残っています。
 M兄は、教会の最初の頃から、中心的に労してこられました。当時の教会総会資料を見ると、役員は執事2名と準執事3名でしたが、1976年から長老体制を取り入れ、長老2名、執事4名が選出されました。その初代の長老にM兄と、T兄が選出されました。その後、11年間、続けて長老職に就かれ、少し休みの期間をはさんで、2001年までに、通算20年もの長きに亘り、長野福音教会のために長老としてご奉仕をしてくださいました。
 いつも、温厚な感じでしたが、芯はしっかりしている方でした。教会のことをいつも思い、間違った方向に行きそうな時は、はっきりと間違いを正し、軌道修正をしてくださったように思います。
 教会創立40年誌には、まだ、元気な頃のM兄と役員が、教会の案内看板を作っている写真があり、なつかしく思い出されます。
 その後、病に倒れ、闘病生活で病院にいたころ訪問させていただきましたが、にこやかに迎えてくださり、私の方が励まされたように感じました。
 今度は、神様とイエス様と共に天国でお会いできるものと確信しております。兄弟の残された信仰の道を私もたどっていきたいと思います。長い間ありがとうございました。

■東陽町だより T.T.

【自己紹介】
 皆さんこんにちは。私は社会人二年目、職場はすぐ近くです。住まいは東陽町でこれも近い距離にあります。
 私は仕事が大好きです。・・・休みが続くと早く職場に行きたくなるくらいです(笑い?)。今仕事を探している人がいたら、目標を持って真剣に祈ってください。祈り求めれば神様は必ずベストなものを与えてくれます。
 私の家族ですが、母は韓国人、父は日本人で長野市に住んでいます。両親ともにクリスチャンです。また98歳になる私の祖母も、去年、病床洗礼を受けました。
【幼い頃から】
 教会へは行っていました。「神様は冷たくもなく、熱くもない人を吐き出す」とは黙示録の言葉です。「冷たいか熱いかであってほしい」今ならその意味がわかるのですが、私の信仰は生ぬるいままでした。
【Jesus life houseに来てから】
 信仰が試されて、本当の意味で、自分が変わったと感じられるのはJLHに来てからの一年間です。チャーチに移ったのは去年の4月のことで、最初の一月は興奮のうちに過ぎました。友達もでき、落ち着いてくると同時に、そのころから色々な疑問も湧いてきました。
「この教会で果たして自分はやって行けるのか」ということです。それは、これまで礼拝してきた教会のスタイルと全く違うということ、そして責任が増えるという理由からでした。それまで奉仕や責任を負うことを避けてきた私にとって、これは大きな試練でした。
 仕事も忙しくて、辛い時期もありましたが、モヤモヤとした気持ちを抱えながらも、LGリーダーに相談して、言われたとおり“それでも来続ける”という選択をしました。
 そのうちに、「チャーチに根付く」ということを少しずつ意識するようになりました。私達の信仰を一つの種にたとえてると。――土に埋められたときは硬い殻に覆われている。でもきちんと水をやりながらしばらく待つと、やがて殻が割れて芽が出てくる――
 このように、「あまり深入りしないでいい …」と思っていた自分の考えを改めて、このチャーチにかけてみよう、そしてできるだけのことを吸収しようと、心に決めました。そうすることで、よりポジティブになれたと思います。
【全世界に出て行ってすべての国の人々を弟子としなさい!】
 これはチャーチのテーマであると同時に、私達一人ひとりのクリスチャンの使命だと思っています。JLHに来るまでの私は「お客さま」のような態度で、信仰も非常に個人的で幼いものでした。でも今は、ただ教会に来てニコニコしていれば良い、とは思いませんよ。神様の愛と福音を知らせるのが私達の使命ですから。
 以前は考えられなかったアウトリーチにも今はチームで成功しています。一人ではできなかったこと、それまでの自分にはできなかったことが、このJLHの素晴らしい仲間達と行動をともにすることで可能になっています。チャーチのDNAを取り入れること、つまり自分のパースペクティブを神様のそれに近づけることで、神様が私達に望むすごいことができるのだ、という予感がしています。将来どこへ行っても、みんなと同じようにパッションに燃えて、力強く神様のことを証できるように、JLHでさらに神様への信仰をレベルアップさせていきたいと願っています。(神様ありがとう!! そしてみんなに!)
※以上はT姉の通うジーザスライフハウス5月29日の礼拝の中で姉がお証されたものの要旨です。このチャーチについては、クリスチャン新聞 6月13日号に紹介されました。

2010年6月号

■巻頭言 教会墓地の改修 K.K.

 長野市の浅川霊園内に教会の墓地が作られてから32年が過ぎました。今まで、コンクリート製地下納骨室内部は、木製で作ってあったことや結露のため、ひどいカビが出ていました。以前から、何とかしたいとは思っていましたが、なかなかいい方法がみつからず、思案していましたが、このたび、役員会の了解のもとに、改修しました。
 5月のゴールデンウィークを利用して、高橋先生も加わってくださり、4人の長老で作業を行い、見違えるほどきれいになりました。階段は元のままですが、天井と壁には、発砲スチロールの断熱材を張り、床には、ベージュ色のカーペットを敷き、ボックスにはそれぞれのお名前が印字されたものが、貼られています。新しいボックスは美しい茶色で、今回60個設置しました。すでに30個ほど使用されていますが、今までのものより少し大きめの既製品のボックスですので、大きいサイズのものも納めることができるようになりました。(縦30cm横27cm奥行30cm)
 作業中は、ほこりとカビで大変でしたが、きれいになった内部を見るとほっとし、長年の懸案事項が解決されたことをとてもうれしく思います。
 いずれ何十年もすれば修理などが必要になってくるかもしれません。でも、「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれをくださった神に帰る」(伝道の書12:7)とあるように、私たちの行く天国は、修理の必要があるところではありません。故郷であり、死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもありません。カビどころか、水晶のように光る命の水の流れているところです。(黙示録21章)
 修理が終わった夕方、遅咲きの桜を背景にした白い十字架を見て、天国への思いを新たにしました。

■高校生になって H.A.

 僕は今年の4月に家族の支えや皆さんのお祈りのおかげで、無事志望校に合格することができました。高校生活には最近やっと慣れてきたところで、勉強は難しく、部活動を終えて帰ると、8時過ぎだったりして、毎日忙しいです。
 しかし、そんな忙しい毎日でも、神様と向き合いお祈りすることを忘れずにいたいです。
 これからの高校生活は期待と不安でいっぱいですが、神様がいつも見守っていてくださるということも忘れずにいたいなと思います。

■「中学生になって」 H.A. 

 今年僕は、小学校を卒業して、中学生になりました。それと同時に、ウイングスからヤングチャペルになりました。
 中学生になると、勉強が難しくなるし、部活があって心配なことばかりでした。でも、大変なことを乗り越えていくうちに、だんだん中学校生活になれてくると思いました。まだ一カ月しかたってないけれど、中学校生活を楽しめるようにがんばりたいです。
 ヤングチャペルでも、ウイングスとちがって少し難しくなったけど、しっかりお話を聞いて、神様のことをわかるようになりたいと思いました。

■「中学生になって」 M.S.

 中学生になって教会では、ヤングチャペルに入りました。ヤングチャペルでは、知らない歌などがあります。それにウイングスよりも歌の種類もふえてまだ歌えない歌の方が圧倒的に多いけどがんばって覚えていきたいです。それと一番ウイングスと違うのはメッセージです。ウイングスでは結構簡単なお話と絵がありました。ヤングチャペルでは話しが分からない時もあるけど、わかりやすく話してくれるのでだんだんわかってきます。いろいろとウイングスと変わったけどヤングチャペルでがんばりたいです。

■近況報告 K.S.

 4月から茅野市の病院で、言語聴覚士という仕事を始めました。今春の茅野市(諏訪地方)は御柱祭の話題ばっかりでした。地元のケーブルテレビは毎日祭りの放送をしていました。丸太に乗ってこそ一人前の男だで、という考えが根付いている地域と、長野市が同じ長野県とは未だに思えません。慣れない土地で、慣れない仕事にあたふたして一日が過ぎています。
 言語聴覚士という仕事は、話すことや食べることのリハビリテーションを行います。新人ということもあり、担当している患者さんの数は少ないですが、なぜか帰宅時間が遅くなってしまいます。気がつけば一日が終わり、一週間が終わってしまいます。原則は土・日休みなので、茅野キリスト教会(ウェスレアン・ホーリネス教団)の主日礼拝に出席しています。出席者は平均20~30人ほどです。寒さの厳しい地域のためか、礼拝堂に薪ストーブがあります。ストーブの近くに座ってほっこりしながら、礼拝しています。
 実家は長野市にありますので、週末に帰省した時は長野福音教会に出席してから、茅野に戻ろうと思っています。僕の顔を見かけた時は、お気軽に声をかけていただけるとうれしいです。

■新役員さんから-「燃え続ける」 S.S.

 著名な神学者ジョナサン・エドワーズは「宗教感情論」という本の中で、次のように言っています。「真のキリスト教信仰は、その大部分が感情に依存する。人間とは本来、愛や恐れ、希望や憎しみといった感情に影響されない限り、非常に不活発な存在であり、感情こそが人間の諸活動の原動力となっている。」 なるほど…。 
 以下は聞いた話なのですが、アメリカに住むはちこさんという人のお宅で持たれた聖研でのエピソード。
 最初に到着したご夫婦を居間に通し、キッチンでちょっと用事を済ませてから再び居間へ顔を出したところ、そこではそのご夫婦が抱き合ってキスをしていたのでびっくりしてしまったとのこと。20代の新婚さんならともかく、このご夫婦は結婚25周年を迎えたお二人なのだとか。いやはや、大変結構です。やっぱりいつまでも感情の伴った愛を夫婦の間でも、神さまに対しても、保ち続けたいものだ…、とちこさんは思ったそうな。
 確かに、信仰でも愛(結婚)でも、その始まりは強い感情や情熱を伴います。ただ人間の感情はとても移ろいやすいので、感情だけに自分の信仰や愛の基盤を置くなら、それは長続きしないだろうと心配になります。だからこそ、「意思の力が大切なのであって、感情的なのは悪いことだ」という印象が生まれる。しかし、本当に大切なのは、最初に燃え上がった情熱を意志の力にすり替えて感情を置き忘れてくることではなく、先に紹介したご夫婦のように、むしろそれをいつまでも燃やし続けていくことではないか?とある牧師は分析しておられました。
 淡々として感情の盛り上がりのない信仰がダメだというわけではないでしょう。しかし、福音は「老後の年金」ではありません。一度ゲットしたら、あとはお迎えが来るまで細々と安泰。そういうものではありますまい。

■新役員さんから-お委ねして T.S.

 昨年12月に、母が亡くなりました。長い間うつ病を患っていた末のことでした。ずっと祈ってはきましたが、安らかな顔を見て、仕方がなかったかなと思いました。幸いにも父がしっかりしていて、イブ礼拝にも集えたことは感謝でした。
 私は、今年2月から新しい職場に移りました。家の近くに求人があり、みこころならばと祈っておりましたが、道がひらけました。新しい環境に慣れるまでは、年齢的にも少々きついものがありますが、なんとかがんばっています。家族の中で一番早く家を出ていたこれまでの生活から、最後に家を出る生活にかわり、主婦の立場としては大変ありがたいことです。
 我が家はいやがらせを受けています。もう3年近くになります。近所や銀行などの名をかたっての電話、、、。頼んでいない通販商品が次々と届く、、、。頼んでないんですと何回言ったことか、、、。私も子供たちも精神的にかなりダメージを受けました。
 こんな状況のなかでも家族みんなの健康がまもられていることは感謝です。
 教会総会で執事に選ばれました。大変不信仰で申し訳ありませんが、マジ?今年はダブル受験だし、、、いろいろあったし、あるのに、、、というのが正直な気持ちでした。ところが今の新しい職場は銀行のそばにあり、お昼休みに行くことができます。今まではそんなこと絶対無理でしたから、これも主のご計画でしょうか。とりあえず、無理はしないをモットーとして抜けるところは手を抜いてやっていこうと思います。
 このようにいろいろ抱えた弱い者ですが、どうぞみなさまのお祈りによってお支えいただき、なんとか執事の仕事をさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

■いつまでも残るものは K.M.

 礼拝を終えて一階に降りてゆくと、早くもバザー開始を待つ近隣の方々のお姿が・・・・。50周年記念バザーの成功を予感させるうれしい光景でした。
 50年の歴史を刻むこの教会と、地域を結びつける大きな役割を担ってきたバザー。18年前に私がこの教会に加えられた頃から、バザーといえばM兄の聖書書店、地元浅川在住のH兄の出番でした。書店の出張販売は、キリスト教と接点の少ない方々への良き伝道の機会となりました。H兄は、丹精込めたリンゴや野菜で会場をにぎわせてくれましたし、何より、地区のテントを借用するために奔走し、福音教会が地域に受け入れられる基盤を築いてくださいました。奇しくもおふたりは、この教会創立50周年の春に、天に帰っていかれました。
 5月16日の当日は、事前に用意された看板やチラシが用いられて、多くの方々が足を運んで下さいました。日頃、先生方が地区の方々と良い関係をもってくださっている証しでもあります。会場には例年以上の品々が並び、お汁粉も新たに加えられてメニューも充実。働き手の確保に苦慮していたアダムの会にも良き助け手が与えられた様子。ウイングスのお友達も売り子として大活躍。楽しいひとときでした。
 先に天に帰られた兄姉の不在は、本当に淋しいことですが、その記憶はいつまでも私たちの心に留まり、その信仰は次世代の信仰者へと受け継がれていきます。そして今年の皆さんの作品も、買ってくださった方々の舌を喜ばせ、生活を彩り、心を満たしたばかりでなく、私たちに伝道のチャンスを与えてくれるはす。我が家の殺風景なリビングルームの壁を暖かく飾ってくれているK姉のタペストリーは、今、静かに、訪問客への伝道の時を待っています。

■主の愛にたまげた人 正村八重子

 「たまげた、たまげた」が口癖だったHさん。神様の絶大なご愛に感動し、主にある兄姉の交わりに喜びご自分で作られた米、リンゴ、野菜の成長を見て自然界を掌られている神様の大能に驚き、教会の週2回の食事がおいしいとたまげる。すべてのことに感動された方でした。狭い日本で生まれ育った人と違って考えられることが広く、大陸的でした。イエス様を信じた時も、その変わり様が大きかった。今までお世話になったお寺に挨拶に行き、改宗した旨を伝え(そのお坊様もとても立派な方でした)感謝して帰ってこられました。また、親戚にも来ていただいてクリスチャンになったことを伝え、何代も続いた古い仏壇を整理して、はっきりした立場でクリスチャンとしての出発をされました。
また、正義感の強い方でしたので、弱い立場の人々のためにと政治的活動もされていましたが、それも、キリストの救いに勝るものではないと信じるに至りました。主日の礼拝と水曜日の祈祷会を何よりも大切にし、楽しみにして、週のうち、この2日間のため身体と時間の調節をしておられました。礼拝説教も水曜日の聖書の学びのみことばも素直に受け入れておられる謙遜な人であっただけに、信仰生活は長くはなかったにもかかわらず、霊的成長が早かったと思われます。
 今は竹の子の季節、婦人の誰言うとなく、「Hさんちの竹の子どうなっているのかしら。お許しがあれば取りにいきたいね。」毎年、たくさんの竹の子を抱えてきてくださった姿を思い出します。抱えて来られる物は季節ごとに違っていた。きゅうりであったり菜っ葉であったり、大根、なす、ししとうなどなど。今年は竹の子もきゅうりもないけれど、働き者だったH兄、今頃は主イエス様の膝元で感動して、たまげたを連発しているのかもしれない。それにしてもH兄のつくられたおやき(中華風)をもう一度食べてみたい。

■頑張れたこと T.S.

 先日行われた、北信陸上大会で出場した200mと4000mリレーで県大会に進むことができました。ここまで来れたのも一年生から地道に頑張れたからだと思います。 最初、入部した時は本当に遅くて後ろからついていってばかりでした。入部そうそう先輩達とリレーを組んだりする人もいましたが、そんな人たちとは比べものになりませんでした。毎日の厳しい練習に耐えられずにやめていく人もいましたが、とにかく部活には毎日出るようにしました。
 そんな1年生が終わり、2年生のはじめに大会に出させていただけることになりました。その大会ではいい結果を残すことができました。今でも、その大会が転機だったと思っています。その大会から現在まで、大会では必ず自己ベストが出ています。今思えば、1年生の頃、続けて頑張っていて本当に良かったと思います。こうして頑張れたのも、神様の支えがあったからこそだと思います。
 県大会からさらに上の大会にすすめるように、3年生になった今も練習に取り組んでいます。

2010年3月号

■巻頭言 「日々新たに」 Y.Y.

 私は24歳の時にイエス様と出合い、洗礼を受けました。その前に一年位の求道期間はありましたが、受洗の決心はかなり曖昧であり、何か以前からこうなることが決まっていたかのように、特別な感情や経験もなく、一つの通過点として進んできました。しかし、周りの兄弟姉妹たちをみると、今までの生活と全く違った世界に見え、何もかもが新しいことの連続でわくわくしていました。そして私を導いてくださった兄弟は様々な集会に誘ってくださり、その中で永遠を知り、信仰は命の問題であることを学びました。「世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び・・・」とみことばにあるように、小学生の頃から度々教会に思いを向けやっとの中で、みことばに心を留めることができ新しい出発ができたことは、ただただ主の憐れみとしかいいようがありません。
 これまで導かれるままに教会生活を歩み、沢山の奉仕をさせていただく中で、とても充実した生活を体験しました。社会生活では戦いの連続でしたが、私たちには主にあっていつも勝利でした。実はいまも戦いの中にあります。40年余の信仰生活を振り返ってみるときに、いい加減な出発で始まった者を主は愛してくださり、みことばを知る喜び、主が共にいました奉仕の喜び、伝える喜び、交わる喜びを与えてくださいました。
 しかし、最近の自分をみるにつけ、奉仕と生活の中でマンネリとした現状に甘んじていることに気がつきました。信仰を持ち始めた時のあのワクワクとした充実感がなく、ただ生活している自分を発見しています。私は死ぬまで主に喜ばれる歩みをしたいのです。「御霊で始まったあなたがたは、いま肉によって完成されるというのですか」・・ガラテヤ3:3
 もう一度初心に返って主に近づき主の臨在を認め、体験しながらいつ主が帰ってこられても、よくやった忠実なしもべだと言われるように求め続けたいと思います。

■アダムの会新年度の抱負 S.U.

 「今年度のアダムの会の会長を決めたいと思います」
 「アダムの会の会長やりたい人いますか~?」
 「・・・・・・・。」
 「じゃ~!」
 「昨年の会長は、なんとか兄だったよね~?」
 「昨々年の会長は、なんとか兄だったよね~?」
 「昨々々年の会長は、なんとか兄だったよね~?」
 「昨々々々年の会長は、確かなんとか兄じゃなかったっけね~?」
 「昨々々々々年の会長は、なんとか兄だったと思わない?間違いないよね~?」
 「昨々々々々々年の会長は~?」
 「なんだかわかんなくなってきちゃった~」
 「じゃ~ここ最近やってない人は~?」
 やばッ!確実に近づきつつある。
 「あッ!Uさんは最近どうでしたっけ~?」
 きたッ!死んだフリ・・・
 「Uさんで良いと思う人、手をあげて~?」
 めでたく全員一致。

■泉会の会長になりました S.K.

 今年度の泉会に会長になりました。自分の中では、礼拝や祈祷会を守れる人が会長になるべきという思いがあり、以前は副会長にはなっても、会長は断っていました。しかし、7年前から、義母の在宅介護が始まり、主人が私が教会に通うことを受け入れてくれるようになり、日曜日の早朝礼拝に出席できるようになりました。主人が時間のある時は通常の礼拝にも出席できるようになりました。クリスチャンホームで育った私にとって、礼拝や祈祷会は、喜びをもって参加するというより、義務のようなところがありました。しかし、出席したくてもできないという状況におかれてはじめて、喜んで行けること、行けたことに感謝できるようになりました。特に聖餐式は、以前は早朝ではできなかったこともあり、預かることができた時は本当に感謝でした。
 どの教会も婦人会のパワーが強いと言われるようですが、当教会もそう思っておられる方が多いかもしれません。今年は(今年も)多くの行事がありますが、食事の用意から布団干し、ゴミ出しなど、することは一杯あります。全員がマルタでも全員がマリアでもいけないのです。できることをできる分だけ、皆で助け合って喜びをもってやっていきたいです。私が、言うだけで何もしないことがあっても私につまずかないでください。私の分までしなくちゃと思わないでください。喜んでできる分の仕事をしましょう。不足分は神様がしてくださいます。なんという信仰、いや、なんという楽天的、これが私の実体です。こんな人が会長じや心配だという方には、きっと神様が仕事と御褒美を用意して下さってますよ。泉会のため、泉会一人一人のためのお祈りとお手伝いをお願いします。

■「一麦会」 K.E.

 今年度、一麦会の会長を仰せつかりました。会長とは名ばかりで、一麦会会員一人一人に与えられた賜物を生かし、一致・協力して共同体である教会との橋渡しの一助となれば考えております。一昨年のリーマン・ショック以来、世の中には先が見えない不安、閉塞感が広がっております。この時代に生きる私たちも、時代の価値観・思想に影響されます。ともすれば教会の中にも閉塞感がただよいがちです。このような時代であるからこそ、創意・工夫しながら与えられている教会の営みを重んじ、主と主のみことばに信頼し続ける共同体でありたいと願います。(神奈川伊豆宣教区新年聖会松下信師発題より引用)
 小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。(ルカ12:32) 

■「高知喜びキリスト教会献堂式に出席して」 E.M

 2月11日、教会の皆様の尊い献金をお届けし、献堂式に出席する正村先生のお供で、高知喜びキリスト教会を訪れました。
 当日の夜中2時頃、凍ってシャリシャリする道をタクシーで羽田に向かい、高知龍馬空港に着いたのは10時すぎ、食事を済ませ空港バスで最寄りのバス停から、お迎えに来て下さった車で教会に到着したのは、献堂式の始まる1時ほんの少し前でした。(四国って長野から遠かったです。)雨が降りしきる中でしたが、教会員の方々が温かく迎えてくださり、星沢先生ご夫妻も久しぶりの再会を涙ぐんで喜んでくださいました。
 教会員は30名弱とうかがいましたが、献堂式には近隣の教会や教区の教会からも多くのお客様があり、長野福音教会からも5名+1匹と100名程の方で、あふれていました。
 星沢先生ご夫妻が、地域の方々の支えの中ですっかり溶け込んでなじんでいらっしゃるのを見て、本当にうれしく思いました。先生は病気もされたようですが、以前と変わらぬ大きな声で、はりきって得意の替え歌、「北国の春」ならぬ「南国土佐の春」を熱唱して下さいました(笑)。式の中で献堂に至る経緯の報告などありましたが、その時々に神が働いて下さった事を感じました。又、講壇にかかる十字架は、先生自ら金色に塗ったそうで、そのムラの中に先生の思いがいっぱい詰まっていました。教会はかわいい黄色い教会で、若葉色の十字架が入口と道路から見える2ヶ所に立ち、教会の存在感をアピールしていました。
 献堂式に出席したのは初めてですが、教会員の方々の祈りによって、こうして教会という建物が、クリスチャンの交わりの場として、又、人を招く伝道の場として建ち上がるのだと、50年を迎えた福音教会の兄弟姉妹の会堂への思いを改めて感謝したい気持ちです。
 「龍馬伝」で高知はにぎわっていましたが、高知については、そのうち「チャールズの旅日記」が掲載されるのでは・・・と期待して、またの機会に。

■創刊に思う  正村冨男   祈りの友の前身であり長野福音教会の最初の機関誌である「ともしび」の記事から創刊号の抜粋(ともしび創刊号1964年9月5日号から転記)

 昨年来の懸案でもあり祈りの課題でもあった機関誌「ともしび」がいよいよ創刊されることを心から喜びたいものです。
 松原湖バイブルキャンプ特集をもって創刊号をかざるとのことである。今年も二十数名の兄姉が参加されたが、多くの証しがあることだろう。年毎に行かれる方々がふえていくのは何ともうれしいことである。
 思えば私共の教会は当地に腰をおろしてから4年目を迎えた。これまでもずいぶん宣教師にお世話をおかけしてきたものです。4歳を人で言えば幼稚園に一人でも通える歳であろう。自分の意志と自分の足とで行動ができるようになるのである。私共の教会も、もう自分の足で立ち上がり、歩き出さなければならないのではあるまいか。今年こそ全く自主独立の教会、一人歩きのできる教会となるべくお互いにがんばろうではありませんか。そのためには教会員諸兄姉一人一人が明確な救いの確信をもち、伝道使命の確立がなければならないでありましょう。
 この「ともしび」が文字通りに私共の行く手を照らし出すともしびとなるためには、兄姉の祈りと働きの助けがなければなりません。皆が力を出し合って支えあうことによって初めて、この「ともしび」が高く掲げられるのだということを忘れてはならないのです。発展をお祈りしつつ(牧師)
 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。(詩篇29:105)

■エッセイ 「ラーメン一杯は時間給と同じ」 正村八重子

 昨年の泉会クリスマスに松吉理枝子牧師からお話をお聞きした。先生は丸子町キリスト教会を、先に天に帰られたご主人とともに、全力を尽くして建て上げた。子育てや老後を考え尽くして、私財も献げて教会堂を造りあげた。ご主人亡き後、牧会を続けられ、お子様たちもそれぞれ献身していらっしゃる。火のような試練を通って来られたが、何とも明るくて楽しい方。
 大学生の時、新宿界隈を飲み歩いた話、哲学を語り学生運動(?)をして親からの送金を飲んでしまった話・・・・。同世代を生きた私としては、身近なものを感じた。特に、「新宿界隈のラーメンの値段は当時45円~50円だった、、、」と話すと、「いやもっと安くて35円のところがあった」とおっしゃる。私は新宿西口からいつもバスに乗っていたのでよく知っているつもりだったが、「正村先生は表通りを歩いていたから、高いラーメンを食べたのだ。私は当時の新宿の裏を知っていた」と、、、。同世代といっても、彼女は家が豊かでたくさんの送金があったが、私は貧しくてとても飲み歩くなどできなかった。あの頃も今も変わらないことは、ラーメン一杯=時給である。ドルも360円から現在の88円に変化している。いまラーメンは大体700円~800円位だ。時給も大体そんなものである。
 ここにもう一つ何世紀も変わらない値段のものがある。それは奴隷の値段である。出エジプトの時代、奴隷は商品だったので、それに傷をつけると、銀貨30シェケルの弁償をしなければならなかった。ユダがイエス様を祭司長たちに売った代金も銀貨30シェケルであった。ゼカリヤ書13:13には、このことが預言として記されている。これは当時の住民税60人分(銀貨1枚で2人分)になる。私たちは住民税いくら払っているのでしょうか(所得税ではありません)。これに比べれば大した額ではない。イエス様は奴隷と同じ値段で売られた。これはユダが犯した罪であるが、私が犯した罪でもある。銀貨30枚の価値を考えましょう。

2010年1月号

■巻頭言 「新しい年=ヨベルの年」 高橋宣広

 新しい年、2010年を迎えました。今年の教会の主題聖句は、旧約聖書レビ記25章10節です。「あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。」
 1960年12月に正村富男牧師が長野に赴任され、三輪六丁目の民家で集会と伝道を開始されてから、今年で50年目を迎えました。ここまで神様が、私たちを守り導いてくださったことを、心から感謝しましょう。
 聖書には、「第五十年目」を「ヨベルの年」として「聖別しなさい」との神の命令が記されています。「聖別しなさい」の「聖さ」は、本来、まことの神だけが持っておられるご性質です。また「聖さ」という言葉には、「分離する」とか「切り離す」といった意味が含まれています。神の聖さは、罪ある私たち人間からは、完全に分け隔てられた聖さです。この世の汚れからは完全に切り離されている神の聖さです。汚れているところや不完全なところ、間違っ
ているところなど一つもない神の聖さです。
 そして神様は、私たちも神の聖さにあずかることができるのだと約束してくださっています。レビ記19章2節には、「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない」神の子とされている私たちは日々、父なる神のご性質に似せられていきます。またキリストに似た者に造り変えられていきます。これが私たちの歩みです。これがクリスチャンにとって聖化されていくということです。
 今年一年間、私たちはキリストの聖さに近付けられていく歩みを目指していきましょう。私たち一人一人が霊的に成熟していく。私たち一人一人が魅力あるクリスチャンに成長していきたいと思います。
 2010年、新しい年、私たちは霊的な成熟を目指して、次の三つの決心を共にしましょう。
  1.主の日の礼拝を大切にします。
  2.主を愛することを大切にします。
  3.キリストに似た者に造り変えられていくことを大切にします。
 今年一年間、新しく造り変えられていくこと、キリストに似た者に造り変えられていくことを祈り求めていきましょう。年末に、一年を振り返ったとき、本当に神様の取り扱いを受けることができた!教会の兄弟姉妹お互いを見て、「あぁ、あの方も神様に取り扱われ、霊的成熟を与えられた。キリストに似た者に変えられた!」 そのように喜び合える一年としていきたいと願います。

■サテライトクリスマスコンサートin二葉堂 を終えて T.K.

 表題のコンサートを2009年12月12日(土曜)14時~16時に実施することができました。会場となった二葉堂石渡店の喫茶ルームの定員は、通常21席です。そこに38名が参加して下さいました。(その内14名は普段教会に来られていない方です。)参加者の皆さん窮屈な思いをさせてしまい、すみませんでした。でも賛美とピアノ演奏がすばらしく、ケーキや飲み物も楽しめたクリスマス会でしたね。何よりも出演してくださった皆さんと、受付等のお手伝いをして下さった皆さんのおかげと感謝しています。
 そもそもこの計画は、クリスマスなのにどうして教会よりもケーキ屋さんの方に多くの人が行くのだろう?それならこちらから出向いて、クリスマスの本当の意味を伝えていこうという思いから始まりました。数年前からあたため祈っていた計画です。新たなチャレンジでした。
 クリスマスはハッピーバースデー、イエス様が生まれた日です。イエス様は神様からのプレゼント。というメッセージを込めてコンサートを行いました。二葉堂に来られたお客様や店員さんもちらちらとその模様を見ていたそうです。
 今年もサテライトコンサートを開くことができますようにお祈りとご協力をお願いします。

■映画『マリア』をみて K.S.

 2009年12月13日、長野福音教会で『マリア』の上映会が行われました。イエス・キリストの両親となるヨセフとマリアの出会いから、イエス・キリストの生誕まで、再現された映画です。
 この作品では、ヨセフとマリアを、当時のありふれた普通の若者として描写していました。何もなければ、平凡な夫婦となる―――と二人は考えていたでしょう―――はずだったと思います。ところが、ヨセフとマリアは神様に選ばれ、結婚前にイエス・キリストを懐妊しました。そのために多くの葛藤と出会い、二人と協力しあうことで問題を乗り越え、ついにベツレヘムでイエス・キリストが誕生されましたとさ…。
 僕もいちおう現代の若者ですので、同じ若者であるヨセフに感情移入しながら、映画をみました。
 身重になったマリアが公けにならないよう、婚約解消を熟慮する場面。ベツレヘムへの道中、我が身をかえりみずマリアのために尽くす姿。僕だったら大声で不満を叫んだり、危険から一人で逃げちゃったりするかもと、自分のへたれっぷりと重ねながら、みていました。やっぱり僕なんかと聖書の登場人物であるヨセフは違うんだよな…と思っていましたが、共通点もありました。それぞれの時代を生きる、普通のひとという点です。ごく普通の若者だったヨセフは神様の御言葉に従い、人生の最大の分岐路で、最良の選択肢を選びました。聖書を読む限り、ヨセフというひとは、イエス・キリストの(義)父役でなかったとしても、御言葉に従って生きるひとだったのでしょう。同じく普通のひとにすぎない者として、御言葉に従って―――字面だけでなく、実践して―――いくことの大切さを、ヨセフの姿から考えさせられました。

■2009年クリスマス M.H.

 今年もクリスマスの季節がやってきた。クリスマス祝会といえば各会からの出し物がメイン!?
 今年の泉会は、姉妹からの提案で出し物が早々に決まった。台本が配られ、歌の練習が始まり、そしてなんとリハーサルの日程まで配られた。なんて至れり尽せり。練習の合間には小道具作りや、配役された姉妹方そして高橋先生の衣装合わせもあった。セリフの打ち合わせにファクシミリ用紙が溢れたとか溢れなかったとか。とにかくその力の入りようはすごい。
 そして迎えた当日。出番は四つのなかで最後。トリだ。照明はアダムの会の協力を得て、ヨハネ書の一場面、サマリヤの女を上演した。
 場面中央には井戸。Y会長の語りが流れ、2000年前にタイムスリップした。次々と姉妹たちが水汲みのために登場する。彼女たちの一言一言に普段の生活がにじみ出て会場を沸かした。そして高橋先生扮するイエス様が杖をつきながら、ドタドタッと現われ、サマリヤの女ことT姉が人目を忍んで登場。イエス様からいのちの水をもらった。ところどころコーラス隊のさんびが入り、まるでミュージカルのよう。最後は泉会全員で「サマリヤの女」を賛美したのだった。
 泉会の山場はイエス様がみことばを発するところ。見どころは井戸に水汲みにくる女性たちのシーン。長野福音の女は33メートルの深さもものともしないのだ。

■受洗して S.Y. 

 私は洗礼を受ける前は、聖書のことやイエス様のことがよくわかっていませんでした。
 でも洗礼を受けるための準備をしていた時、テキストや高橋先生のお話を聞いて、深く考えることがありました。一番は、十字架のことでした。神様は、人間の罪のために大切な一人子を十字架にかけてくださったんだ、と、感謝の気持ちでいっぱいになりました。洗礼を受ける前と受けた後で一番変わったことは、神様に対する気持ちだと思います。何をする時でも、困っていなくても、いつでも神様のことを第一に、祈っていられるような人になりたいです。そしてヤングチャペルでしっかり聖書の勉強もしていきたいと思います。
 これからは聖餐式にあずかることで、洗礼式のことを思い出し、また神様にしっかり祈っていきたいです。

■娘の受洗 K.Y. 

 クリスマスには、娘の洗礼式をありがとうございました。
 我が家は、主人がクリスチャンではありません。娘が幼かった頃、「宗教は個人の自由なんだから、キリスト教を押し付けるようなことはするな」と言われたことがありました。主人が日曜日に用事があって家にいない時だけ、赤ちゃんの娘を連れてタクシーでこっそり伊那福音教会へ行っていました。娘が1歳の時長野市に越してきたのですが、教会が歩いて行けるところにあったことと、水曜日に祈祷会があったことで、日曜日に礼拝に出れなくても、教会につながることできたのは感謝でした。かつて私も日曜学校で育ったので、娘が幼稚園に通うようになった時、「日曜日にウイングスへ通わせたい」という思いが強くあり、祈って主人に相談したところ、「幼稚園以外のところに友達がいることは大切なことだ」とウイングスへ通うことを許可してくれました。主のご計画のうちに、いろいろなところを通され、今は娘と二人、日曜日の礼拝を守れるよう整えられ、本当に感謝です。
 娘の受洗に関しては、「洗礼を受けるということはとても大切なことだから、自分で自分の行動に責任を持てるようになってから自分で決心するように」と伝えてありました。私も中学1年のクリスマスに信仰告白をしたので、娘の受洗は、感慨深いものがありました。
 主人に関しては、娘の受洗を伝えた時も特に反対もなく、洗礼式にも来てくれて、なにを考えているのかわかりませんが、なかば強引に押し切った、という感じです。
 ここまで来れたのは、正村先生、高橋先生はじめ、長野福音教会の皆様、ウイングス、ヤングチャペルの先生方のお祈りと伊那福音教会の皆様、私の両親・・・たくさんの方のお祈りがあったからだと思います。この場をお借りして感謝申し上げます。また主人の救いのためにも続けてお祈りください。ありがとうございました。

■「Y.K.兄の思い出」 M.S.

 「ありがとう、いつも悪いね。」苦しい息で絞り出した病室での最後の言葉が耳から離れません。Y兄と初めて会ったのは、O家で行われていた家庭集会でした。うちがまだ新婚ホヤホヤだった20年も昔のことです。4歳くらい年上であること、出身はO村で教会の近くに住んでいること、時計の修理の仕事をしていること、そして徐々に筋肉が失われていく「筋ジストロフィー」という病気であることを知りました。O家での交わりやYさんの家にお邪魔してのクリスマス会など、今も心に残る大切な思い出です。身体に合わせて改造した車でどこにでも出かけ、助手席に積んだ車椅子に器用に乗り移る様子にいつも感心していました。
 しかし、体力の衰えもあり好きな車も住み慣れた家も手放し、長野市民病院の隣に建設されたばかりの施設に入所されました。なかなか教会には来ることはできませんでしたが、ときどき週報や祈りの友を持って訪ねると喜んでくれてテレビ番組のことから聖書のことまでたくさんの話をする時間を共有できました。○○さんはどうした?○○さんは元気にしてる?などいつも教会のことも気にしていました。去年の1月だったか2月だったか、痰がからまったり咳が止まらなくなるといった症状が出ると話していました。そして、7月の終わりの祈祷会のときYさんが入院したことを知りました。次の休日にあわてて病院に飛んでいくと意外と元気そうな笑顔で迎えてくれました。なーんだぁ、とほっと胸をなでおろしているとY兄が言いました。「Sさん、頼みがあるんだけど」。「いいですよ。お金以外のことなら(笑)」。「ハハハ、退院したら髪の毛を切ってほしいんだよ」。この言葉を聞いたとき、この入院は長くなると覚悟していることがわかりました。「もちろん、OKっすよ!」。今振り返ってみるとこのときすでに「死」を予感していたのかも知れません。病室の窓からは緑の絨毯のような美しい田んぼが風に揺れていました。
 それから「Y兄どうしてるかな?」と気になって仕方ないので毎週顔を出しました。入院経験のある方ならわかると思いますが、病院での1週間という時間はとてつもなく長く感じるものなのです。そして無機質な白い天井を見ながら考えることと言ったらネガティブなことばかり。訪問は5分から長くても10分くらい。雑談して祈って「じゃあ、また来ますね」といった感じでした。
 しかし、病状は良くなるどころか日に日に悪化していくようでした。黄金色に実った稲の刈り入れが終わる頃には食事もとれず身体を動かすこともできなくなっていました。絞り出す声で「Sさん。イエス様の、着物にさわったら、癒されるかなぁ」。マタイの福音書9章20節~22節に出てくる長血の女が癒された聖書の話です。今は直接イエス様に会うことは叶わないので、もし夢の中でイエス様の着物にさわることができたら癒されるか・・という切実な質問です。この重大な問いに何と答えていいのか迷いましたが、「よくわからないけど、聖書に書いてある通りに成ると思います」。苦し紛れの答えでしたがYさんの表情を見ながら正直に答えました。Yさんの目から涙があふれました。その涙がどんな思いの涙だったのかわかりません。僕にできたのはその動かない手の代わりに涙を拭いてあげることだけでした。
 11月、高橋牧師からの電話でYさんが天に召されたと知らせを受けました。突然のことで動揺しました。人は自らの人生の最期を迎えるとき何を考え何を思うのでしょう。諦めでしょうか。後悔でしょうか。寂しさでしょうか。絶望でしょうか。それとも天国への希望でしょうか。Y兄はどうだったんだろう・・・。「希望」であってほしい、心からそう願いました。「主は与え、主は取られる。主の御名は誉むべきかな」
 病ゆえに身体の自由は制限されていましたが、Y兄から教えられたことや学んだことがたくさんありました。また、Yさんを介してでなければ出会えなかったであろう方々と数多く出会うことができました。「Y兄、遠慮なくズケズケものを言う欠けだらけのこの者と長い間付き合ってもらい本当にありがとうございました。イエス様の御傍でとりあえず手足を伸ばしてゆっくり休んでくださいね」
 お通夜のとき初めてY兄の妹さんにお会いしました。「いつも兄から聞いていました。喜んでいました。本当にありがとうございました」。喜んでいた、と聞いて何だかホッとしました。
 人を愛することはできても愛し続けることは難しい。誰かのために祈ることはできても祈り続けることは難しい。だからこそ、愛し続け祈り続けなければならない、そう思います。赴任早々から何度も施設や病院に足を運んでくださった高橋牧師、怪我を押して病院に駆けつけてくださった正村牧師、とりわけ祈祷会で熱く祈り続けてくださった兄弟姉妹に感謝いたします。Y兄がどれだけその祈りに励まされていたことか。「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます」~ヤコブの手紙5章15節~さらに祈りに励み、軽やかなフットワークでどこにでも遣わされていくものでありたいです。Y兄そして私たちの主イエス様に心から感謝します。ありがとうございました。

■エッセイ 「50年ぶりの信仰の友」 正村八重子

 50年ぶりの昔の友人達と軽井沢恵みシャレーで、H教会のA牧師を囲んで「青年」の集いをした。何しろ50年前の青年なのだから現老人クラブといったところか。A牧師夫妻を囲んで、さんびと証しと祈りの時を持ちましょうということだった。A先生ご夫妻はご高齢でいらっしゃる。何しろ50年昔の青年たちを指導してくださった方々なのだから。老いの身を案じたが、久々にお会いしてびっくり。髪はふさふさ、すいすいと歩き、集会が始まったらピアノを弾き、大声で祈り、さんびし、説教をする。昔と少しも変わらない。次から次へとピアノとともにさんびし、夜の更けるまでA牧師のピアノに合わせてさんびが続いた。
 これは東京杉並区のH牧師。A牧師はその教会の初代牧師。今もA先生と元青年たちは交流しているとのこと。私は50年ぶりに皆に会ったのだけれど、あのお婆さんは誰だっけ?あのはげた人は?あの人は元幼稚園の先生だったMちゃん、あの髪の薄い人は昔格好良かった日航に勤めていたTさん、ピアノが上手だったSさんなど。人は50年経つと元美人も元格好良かった人も変貌する。
 今年は何かと50という数字が目につく。教会50周年。安保50年、「アンポハンタイ」のリズミカルな声を思い出すのは私くらいか。50年昔、日本中に「アンポハンタイ」の掛け声が流れていた。当時私は千葉県のT教会で奉仕していた。牧師も信徒も秘かにこのデモに参加していたようだ。50年前千葉にいた私が、この教会の50周年にも創立にもともにいたということは計算が合わない、50周年と50年の違いか、どちらでもよいことである。とにかく神様はこの教会を50年導いてくださった。50年ぶりに昔の信仰の友に会えたこと、安保の50年は良かったのかどうかわからないが、信仰の友は何年経っても変わらない友人である。

2009年秋(11月)号

■巻頭言 「あめつちの為ごとⅡ(東雲篇)」 O.T.

 毎朝7時前に、箒とちりとりを手に施設を一周する。バス停傍の公衆トイレ。さまざまにゴミが散乱していることがある。夜間、この中で飲食し寝袋持参で休む人もあるという。やれやれ今朝はまずまずきれいな方だ。
 館の出入口2か所に設置してあった煙草の吸い殻入れが最近撤去された。一周、10分余。
 「おや、見えないな」7時15分、シャッターを揚げるために南側出入口を一旦開ける。いつもの銀行員の姿がない。気のよさそうな青年は、毎朝きまってここで一服つけると、缶入りの何かを飲みながら職場に向かうのを常としていた。彼とは「お早よう」と挨拶を交わすほどだったが。見えないわけだ。ここで一服して一日の始まりとするまさに意味がなくなったのだから。これを潮に、莨と縁を切りなさいネ。
 7時20分エレベータで8階へ向かう。この箱の中では「主の祈り」を唱える。(となえるのはやめたら、念仏のようだもの。妻が以前宣ふた。ホウそうかネ)では高らかに吟ずるとしよう。それもヘンだとまた妻に言われそうだ。5Fから清掃班のNさんがカートとともに乗り込むこともある。
 8階に着くまでに約35秒。相当早口でもなかなか追ッ付かない。各階のトイレの照明SWを入れて1階まで下る。7時42分から上下のエスカレータを解錠する。これは古い代物でよく異音がし、まれに故障する。EVについては以前、詩人の工藤直子さんがラジオで言っていたことを思いだす。詩人の若き頃。銀座の広告代理店でコピーライターの職にあった日。それは休日であったが、久方ぶりに九州から父上が上京され、職場を見るかというので、連れだってそのビルのEVに乗って、行き先のボタンを押し、EVが動き出したとき、お父さんは言ったそうだ。「直子、お前もこげな機械ばひとりで動かせるようになったんじゃのう」
 <直子さんこそはクリスチャンであって欲しいナ。ふと思った。―― いづれ続きます。>

■信州クリスチャン修養会の証し S.N.

 10月11日、12日と第25回信州クリスチャン修養会が長野福音教会にて行われました。講師に影山範文先生をお迎えし、又特別賛美としてユバルアンサンブルの3人の方をお迎えしての会となりました。先生は1945年鳥取県でお生まれになられましたが、生後1年半で失明なさり、7才で家族と共に上京し、小6の時に初めて教会に行き中2で受洗。高3の時御言葉から信仰の確信を与えられて献身なさいました。「愛のキリスト教会」を設立され、メッセージの奉仕をされていらっしゃいます。
 講演会は3回に分けて行われました。第1回目は10月11日PM7:00より「小さくても成長する信仰」と題してヨハネ9:1~12よりお聞きしました。私たちが抱えている多くの問題は、理由でなく目的の為であり、又信仰が小さくともイエスキリストの血が流れてくるとのお話でした。
 2回目は12日AM10:00より「迫害で成長する信仰」と題してのメッセージでした。ヨハネ9:13~34より迫害でいじめられることで成長しりっぱな信仰になる。又自分の旗色を鮮明にすることが大切であり、私たちには神のわざを防ぐ人間の頑固さが有るとのお話でした。
 3回目はPM1:00より行われ、初めに特別賛美のユバルアンサンブルの3人によるハープ、ギター、笛による演奏でした。その後影山先生のメッセージ「聞き従って成長する信仰」と題してヨハネ9:35~10:18よりお聞きしました。イエス様の愛を自ら断ち切ることにより自らの死を招き霊的盲人になる。聖書は愛の手紙であり、見えると思っているだけで神様の声が聞こえていない私たちであるとのメッセージでした。   
 この3回の講演会とユバルアンサンブルの演奏会を祝福して下さった神様に感謝の気持ちでいっぱいでした。

■第25回クリスチャン修養会に参加して S.S.

 私はこれまで、全盲の牧師先生のメッセージを拝聴したことはありませんでしたが、今回初めて私と同じ、生まれながらにして全盲であった牧師先生の朗々たるメッセージを拝聴する機会が与えられたことは、本当に刺激になりました。しかも私と同じ全盲の夫婦でありとても親近感がわいた次第です。
 ヨハネの福音書の9章からのお話しでしたが、これもまた盲目の人の出てくる話でした。イエスの弟子が、「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」と訪ねたとき、「神の業がこの人に現れるためです。」と答えられた場面については聖書を読んでなんとなく知っていましたが、意味が解りませんでした。しかし、影山先生のメッセージを拝聴して、少しその意味がわかったような気がします。この盲目の人は、イエスによって光を与えられました。それと同時に、イエス様が、本当に世の光であることを知ったのではないかと、私は感じました。影山先生の一言一言のメッセージが、心にしみました。ユバルアンサンブルの演奏もとてもすてきだったと思います。アルパと、笛のコラボがとてもすてきでした。
 私は、25回の歴史を数えるこの修養会に始めて参加させていただきましたが、様々な刺激を受けることができ、本当に参加してよかったと思っています。これからも世の光であるイエス様を信じる証人として、歩んで行きたいと感じました。

■「新しいキリストの教会」 高橋宣広

 10月18日の主日礼拝後、福音教会の兄弟1名と姉妹2名とともに塩尻聖書教会(愛称:広丘めぐみチャペル)の開所式へ駆けつけました。午後2時半の開始を前に、礼拝堂は満員で、下の部屋ではモニターを見ておられる方々もいました。合計70名近い出席者でした。
 信州宣教区長の辻浦先生の司式のもと開所式は進められ、賛美に続き、宣教区開拓推進委員の兄弟がマタイの福音書16:13―19の御言葉を朗読されました。 ― 「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」とのイエス様の問いかけに対し、ペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです」と答える場面です。このペテロの告白に対して、イエス様は「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」と語りかけられます。
 私は、これから塩尻聖書教会は、イエス様をキリスト(救い主)と告白する信仰の上に、キリストの教会として堅く建て上げられていくのだと感じ、胸が熱くなってきました。
 須坂教会の奥山先生がこれまでの経緯を説明してくださった後、信州宣教区担当理事の朝岡勝先生が、使徒の働き13:1―3から説教をしてくださいました。聖霊によって福音宣教に遣わされていくことのダイナミックさが語られました。さらに塩尻で長年伝道しておられる二つの教会の先生方が祝辞と応援のエールを送ってくださいました。
 そして塩尻聖書教会の廣田具之先生から感謝の言葉とともに、この開所式に出席された教会堂の大家さんの紹介がありました。大家さんは最初の礼拝にも出席されたとのこと。本当にうれしい報告でした。
 開所式に引き続き、ティーパーティが催されました。松原湖バイブルキャンプでキッチン・スタッフをしておられるご夫妻が、美味しいケーキをたくさん焼いて来てくださいました。なごやかで優雅なひと時でした。みなで新しい教会の誕生を喜び、主に感謝しました。
 ともに出席した福音教会の方たちは、「実物を見て本当に感動しました。これからはもっと必死に祈って、もっとささげていきたい」と語っていましたが、本当にその通りだなあと感じています。塩尻聖書教会から、献堂記念の素敵な時計(温湿度計付き)をいただきました。教会1Fホールの暖房機の上にあります。ぜひご覧ください。そして時計を見るたびに、塩尻聖書教会のために、廣田具之先生ご夫妻のために、立ち止まって祈りましょう!またお仕事や用事で塩尻に行かれることがありましたら、ぜひ塩尻聖書教会を訪問してください。さらに知人、友人、親族の方で塩尻に住んでいる方、お勤めの方がいらっしゃいましたら、ぜひ塩尻聖書教会をご紹介ください。
 塩尻聖書教会の礼拝堂の前方には、「この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒の働き18:1)との御言葉が掲示されていました。塩尻に数多く主の民が備えられていて、その方々が教会に呼び集められていくのだと信じています。そして同じ主は、私たち長野福音教会にも「わたしの民」をたくさん備えていてくださいます。信じて、伝道に励んでいきたいと思わされました。

■名前の由来 山岸直生

 先日、子どもが生まれました。皆様のお祈りを感謝します。名前は「優生(ゆうき)」とつけましたが、この漢字の「優しさ」には、私たちの思いとして二つの意味が込められています。一つは、「他人の痛みが分かる優しさ」です。日本の文化は、相手に自分がいいと思ったものを勧めます。「これぐらい食べないと足りないでしょ!遠慮しないで、さぁどうぞ!」といった感じです。それはそれでいいのですが、自分の思いと相手の求めが違う場合もよくあります。それが押し付けになり相手を傷つけることになる可能性もあります。相手の痛みがわからない優しさは、厳しい言い方ではありますが、自己の欲求を満たすためだけのものとなってしまう場合もあるのです。そんなわけで、相手が何を求めているかを考えることが大切なのではないかと思うのです。ちなみにアメリカなどでは、相手には「何が飲みたいですか?」「どのぐらい食べれますか?」といった感じで相手の望みを聞くことが多いそうです。
 もう一つの思いとは「真の優しさ」です。これは、相手の求めばかりではなく、その人にとって、それが益となるかどうかを考えるということです。神様は、時として自分の求めに反する結果をお与えになったりします。しかし神様は、私たちにとって最善となることを与えてくださるのです。このことは私たちにも必要なことではないでしょうか。その優しさが相手の悔い改めの機会を奪うことにならないだろうか・・・相手の成長を妨げることにはならないだろうか・・・など、その人にとって益となることを考えていくことが真の優しさではないかと思います。相手の痛みや苦しみを理解しつつ、相手にとって何をしてあげることが、真の優しさであるかを私たちも求めていきたいものです。
「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ人への手紙4:32)
(五十嵐キリスト教会牧師)

■エッセイ 「あなたの打ち傷をいやす」 正村八重子

 「わたしは傷つけまたいやす。」(申32:39)その日私の気分は高ぶっていた。オンギジャンイの方々と感動的な別れをして、その後泉会の皆様は寝具を干したり、病床にある方々を訪問したりと慌ただしい気分の中、次はクリスチャン修養会のために準備を始めなければ、(伊那福音教会の水野先生他兄姉方の行き届いた接待にいつも感激して帰って来るので、こちらもそれに負けまいと(?)あれこれ考えて手始めに漬物をしておいたら)など思いわずらっているうちに不注意にもスーパーの車止めにしてやられ、転倒した。一瞬何が起きたか分からなかったが、激しい痛みが背中を走った。一緒にいたM姉に助けられて家にたどり着いた。一夜明けたら直るだろうと思っていたが、その夜は痛みとの戦いの中で、あの高価だった?白瓜、酒粕、砂糖はどうしようかと思いめぐらしつつ祈った。というよりひたすら主の助けを求めた。
 翌日病院のストレッチャーに乗せられて診療。この後、主は全てを良くしてくださった。心配した漬物はY姉の手によって美味しくでき、クリスチャン修養会に間に合った。入院中動けない身体の私を高橋先生ご夫妻はじめ大勢の兄姉が入れ替わり立ち替わり見舞ってくださり、時には集団で時にはこっそりと(高橋先生にはなるべく皆さん来ないでくださいとお願いしてあったのですが・・)これがどんなに励まされたことか。一時はこれで寝たきりの病人になるのではと心配もしたが、皆様の祈りに主は応答してくださり、奇跡的と思えるほどの早い回復となり感謝のほかありません。
 クリスチャン修養会も思いわずらうこともなく兄姉方の積極的な奉仕によって無事終わり、出席された方々は皆喜んで帰られた。水野先生からも感謝のお便りがありました。思いあがっていた私に主は傷つけ、またいやしてくださった。来年は伊那福音教会で10月10日11日に開催されます。みんなで出席して伊那からもまた学んできましょう。

■二百個の風船、秋空に舞う 正村富男   今年の10月は献堂20周年感謝月間でした。「祈りの友」から献堂当時(1989年10月)の様子をみてみましょう。

 我らの長野福音教会の新しい歴史が始まりました。10月15日(日)、献堂感謝礼拝には安斎政威先生をお迎えして「キリストの体なる教会」と題して説教を聞き、赤飯の昼食後、若者たちの企画による本当に楽しい祝会であった。礼拝130名に加えて子どもら30~40名ほどが共に集まった。ハレルヤ!この日のためにと祝電43通。台湾、タイ、韓国、カンボジヤなどからも寄せられ、他に手紙や献金を送ってくださった方々は70名以上になった。まずは本紙上を借りて心からお礼を申し上げます。(中略)教会の庭からハレルヤと叫びながら風船200個を秋空に飛ばした。我らの教会の祈りと希望を天国に運んで行くようである。
 三輪の借家8畳間から始まった我らの教会が28年後の今日、過去の歩みを振り返る時、いつでもどこでも福音宣教を最優先にしてきた。そこに主の祝福が豊かにあった。我らは今こそ、初志に立ち開拓伝道の心が必要です。その動機は主の良くして下さったことを、何1つ忘れるな。Ⅰヨハネ3:16
 聖霊が益々豊かに働いてくださり、伝道が祝され、更に多くの方々が集われる教会になるように願います。(お祝いの言葉の中から)
〈祈りの友1989年11月号より転載〉


2009年夏(9月)号

■巻頭言 「ピーターの戦い」 H.E.

 『ナルニア国物語』の中で、弱腰の長男ピーターが狼と戦う場面があります。
 アスラン(イエス様の象徴)とその部下たちがかけつけますが、すぐさま狼を退治してピーターを救おうとする歴戦の将をアスランは制止します。そしてこう言うのです。
 「まて、武器はおさめよ。ピーターの戦いだ。」
 水戸黄門と違うところは、ここで助さん格さんの助太刀がないことです。この戦いでピーターができたことは、授けられた剣を狼に向かって握り締めていることだけでした。狼はうなり声をあげて襲いかかりましたが、ピーターの握り締める剣の切先にかかり自滅しました。弱腰ピーターは戦いに勝ったのです。
 幼少期から教会に来ていた中高生は、恵みのうちに育っています。しかし、その反面、家族や学校、社会の軋轢に耐えて戦う場面は少なかったとも言えます。ある面、両親クリスチャンの家庭ほど温室育ちといえます。
 しかし、クリスチャンホームの子どもたちも、部活、進路、異性をはじめ、世の様々な習慣や価値観に一人で考え、立ち向かわなければならないときがやってきます。それが中高生時代です。
 私ごとで恐縮ですが、私は今まで仕事先の他教会を中心に15年ほど中高科の奉仕をさせていただきました。時代と共に中高生も変わっていきますが、変わらないことも沢山あります。そのひとつは「自分で戦った子は強くなる」ということです。
 つまらなくても、納得できなくても、忙しくても、受験に失敗しても、レギュラーになれなくても、自分の部屋がなくても、学資がなくても、失恋しても、就職できなくても、おこられても、怒鳴られても、教会なんかに行ってるからだと親に言われても、言われるままに教会に通う「できのいい子」と元気な教会員に侮られても、それでも毎週、町はずれの古民家の教会に行き、御言葉を読み教会につながっていた子は、実は地道に戦ってきた子です。そしてそ
の子たちは今でも教会にしっかりとつながっているのです。ある子たちは苦学して伝道者になっていきました。葡萄の木のたとえそのものだと思います。もちろん、みんな爽やかな顔をして戦っていたわけではなく、むしろ悶々としていました。それは聖書の聖徒たちも同じです。
 私たちは、私たちの大切なピーターに、戦うことを教えなくてはなりません。負けてもいいから戦わせるのです。これをしないで常にハードルを低くしてもらってきた子には、大きくなっても「お楽しみ」や魅力的な刺激が必要です。フリカケがないとご飯(御言葉)が食べられないのです。ローマ人に対してはローマ人のようになって仕えるように、現代にマッチしたコンテンポラリー?な活動はとても大事です。ただそれは世の人を獲得するのが主たる目的で、クリスチャンにとっては必須ではありません。
 患難時代が何時なのかは諸説ありますが、いずれにしてもやがて私たちはふるいにかけられます。その時にはピーターのように、たとえ弱くとも、自ら御言葉の剣を握り締めている僕でありたいと思います。何がなくとも神様との1対1の関係がある僕です。そのようなピーターを育てたいと思います。
 主様の血潮を注がれ、教会を通して莫大な時間と財と労を注いでもらっているクリスチャンホームの祝福、また責任がここにあります。そして、この責任を果たすのが信仰継承といえるでしょう。

■2009夏キャンプの思い出

 8月2日(日)~4日(火)国立妙高青少年自然の家において恒例の夏の教会キャンプがおこなわれました。スタッフの先生のご協力により参加した皆さんに感想を書いていただきました。
●ウイングス編
 ・H.A.(小6)=キャンプファイヤー、源流探検、工作どれも楽しかったです。高橋先生のお話もおもしろかったけど、イエス様が十字架にかかった話が一番心に残りました。このキャンプでいろんなことも学べたし、楽しかったのでとてもいいキャンプになりました。
 ・M.S.(小6)=源流探検は大変だったけど、フツーには体験できないのでよかった。キャンプファイヤーもおもしろかった。お話もイエス様のことがよくわかって良かった。
 ・H.Y.(小5・牛久福音キリスト教会)=私はこのキャンプでたくさんの友達と遊んだり、お話を聞いたりできてよかったです。そして、これからもイエス様を信じて、1人でも多くの人を教会にさそって、イエス様のことを教えてあげたいと思いました。また来年もこのキャンプに行きたいです。
 ・S.S.(小4)=源流探検で何にも生き物を見つけられなかったけど、最後まで行けてよかったです。集会で高橋先生がイエス様の話をしてイエス様はこんなことができるんだ、つらいこともあったんだなと思った。ぼくは、それを聞いてイエス様をもっと信じたいです。
 ・M.E.(小4)=神様のお話を聞いて、私は心にズキッとくることがいっぱいありました。でも一番ザアカイさんの話がズキッときました。神様に会ってかえられたってことです。神様の話を聞いて私はもっとかわりました。神様にもっと近づいた気がします。
 ・M.Y.(小4・中野キリスト教会)=集会ではいろいろな所をこまかく教えてもらえてよかったです!キャンプファイヤーでは、さんびをしたりしたのがたのしかったです。げんりゅうたんけんは、ちょっとたいへんだったけど、いいけいけんになったなあと思いました。これからもイエス様を信じていきたいなあと思いました。!
 ・S.F.(小2)=げんりゅうたんけんとおばけやしき、キャンプファイヤー、ふうりんがおもしろかった
 ・Y.Y.(小1・牛久福音キリスト教会)=げんりゅうたんけんでかにをみつけました。イエスさまがじゅうじかにかかったところがなけた。
 ・M.H.(小3・中野キリスト教会)=げんりゅうたんけんで、ながぐつの中に水がいっぱい入っちゃったけど楽しかったです。
 ・Y.H.(小1・中野キリスト教会)=キャンプファイヤーがたのしかった。イエスさまをしんじたいです。
 ・S.H.(保育園・中野キリスト教会)=お友だちといっぱい遊んで楽しかったです。来ることができてよかったです。
 ・H.H.(土浦めぐみ教会)=ましゅまろがおいしかったです。せんせいのはなしがたのしかった。
 ・S.K.(教師)=神様が造られた自然の中で私たちを作ってくださった神様をおもいきり賛美できて感謝でした。子ども達が楽しんでいたり、先生のお話を真剣に聞いていたりする時、本当によかったなあと思います。神様が導いてくださったキャンプでした。
 ・M.K.(教師)=久しぶりにウイングスのキャンプに参加し、純粋に神様を信じ受け入れる子どもたちの姿を見て、もう一度素直に子どもたちの様に神様を信じ、一緒に生きていきたいと心から思いました。
 ・E.T.(教師)=イエス様の十字架の救いが私にも皆にもあること、とても感謝エスです。皆と仲良くできてよかったです。
 ・K.T.(教師)=今回、初めて参加しましたが、神様のふり注がれる恵みと守りの中で、みんなと一諸に時を過ごし、いろいろなことを体験できた3日間でした。
 ・J.H.(中野キリスト教会)=年齢を超えて交わり、楽しみ、一人一人の顔が輝いているのが印象的でした。
 ・高橋 宣広=イエス様の恵みと愛でいっぱいのキャンプでした。美味しく楽しく笑いと感動で満ちていました。

●ヤングチャペル編
 ・K.K.(高2)=洪先生の「自分らしい生き方をすればいい」という言葉が心に残りました。
 ・E.S.(高2)=楽しかったことは、キャンプファイヤーがとても楽しかったです。心に残ったことは、集会のメッセージで、あの人みたいになりたいと思わないで自分のそのままで生きていく所が心に残りました。
 ・M.S.(中2)=楽しかったことは、源流探検です。翌日は少し筋肉痛だったけど、おもしろかったです。心に残ったことは、洪先生のメッセージです。メッセージを聞いてイエス様のことを知らない友だちを教会に連れてこようと思いました。
 ・T.S.(中2)=ご飯がおいしかった。よい学びができた。
 ・Y.E.(中1)=今年は中学生になり、初めてのヤングチャペルのキャンプでした。源流探検、食事、キャンプファイヤー、夜ふかしなどとても楽しくて心に残る3日間でした。また、洪先生のメッセージを通して、神様について新しく知ることができました。いい3日間でした。
 ・H.E.(教師)=大自然の中で天地万物を創造された神様を讃えるキャンプができ、感謝です。超ハードスケジュールの中で奉仕下さった洪先生とご家族の皆様、背後で祈って下さった皆様あってのキャンプでした。ありがとうございました。
 ・N.E.(教師)=洪先生のメッセージとても力強くわかりやすく語ってくださいました。人と比べる必要はない、ありのままの姿でよいとイエス様はおっしゃってくださっていること、イエス様の深いご愛についてなど教えてくださいました。キャンプファイヤーもとても楽しかったです。
 ・S.S.(教師)=今年もいろいろ心配したり、悩んだりして迎えたキャンプ。でも、毎年神さまは予想もしていなかったような恵みや楽しみを与えてくれた。今年もすごくステキなことがいっぱいあった。ほんとに神さまって粋な方だなあ。ホレボレしてしまいます。
 ・K.S.(教師)=洪先生の実体験をベースとしたメッセーッジは、簡潔かつダイレクトに伝わってきました。また、キャンプに参加されたお一人お一人とより親しくなれたこともとても嬉しいことでした。
 ・M.T.=初めて福音教会のキャンプに参加させていただきました。とても祝福されたときとなり感謝します。主に中高生のクラスを見てきました。洪先生のメッセージは、中高生にとってわかりやすく励ましになるものでした。私自身とても励まされみことばに養われました。

■フロンティア2009青年宣教大会

 フロンティア2009青年宣教大会に参加された皆さんに証しを書いていただきました。
  【フロンティア2009青年宣教大会の概要】
   ・主催:日本同盟基督教団
   ・日程:8月11日(火)~14日(金)
   ・会場:松原湖バイブルキャンプ
   ・講師:岡村直樹師(東京基督教大学准教授)  中谷美津雄師(同盟生駒めぐみ教会牧師、教団理事長)  趙南洙師(同盟招待キリスト教会牧師、教団国外宣教委員長)
●松原湖バイブルキャンプ場にて E.T.
 フロンティア2009青年宣教大会に部分参加してきました。8月12日、仕事を片付けての出発。到着は22時ごろでした。到着時は、ちょうど有志によるライブコンサートというものが始まりました。ちょっとした賛美集会です。みんなおもいおもいの賛美を捧げ、会場も盛り上がっていました。それぞれのイエス様への想いが熱かったです。
 13日は朝食後にチャレンジ3(集会のこと)があり、岡村師からお話を聴きました。ヨナやサムエル、パウロなど聖書の登場人物から、神さまはいろいろな方法で人を導くことを教えていただきました。
 フォーラムⅡ(分科会ですね)では、コミュニケーションを選択。増井師からコミュニケーション方法について学びました。主には男女の付き合いでのコミュニケーションについて、でした。イロイロ話はありましたが、結論、コミュニケーションで大切なのは聴くことです。口は一つで耳は二つありますので、二つ聴いて一つ語る。イロイロの部分で興味のある方は、私までお問い合わせください。
 自由時間は各イベントをしていたのですが、「宣教」のお部屋に近づいてみました。そしたら「どうぞ、どうぞ」と参加させていただくことに・・・。お二人の証をお聴きし、またグループごとに交わりを持たせていただき、たくさんの違った考えや思いに刺激を受けました。
 チャレンジ4では趙師からお話をお聴きしました。神さまの声を聴くには、集中力が必要!神さまに声をかけられたら、言い訳しないで、聴き従っていくことが大切だと教えていただきました。
 短い期間でしたが、熱い信仰の方々とお会いし、交わりを持てたこと、恵みをわかちあえたこと、とても感謝な時でした。ありがとうございました。

●青年宣教大会に参加して M.K.
 この夏“青年宣教大会”に参加しました。今回のテーマは『ネクスト・ステージ』
 大会には多くの若者が参加し、日本にこんなにも沢山のクリスチャンである青年がいるという素晴らしい現実を見ることができました。
 キャンプ中、私はなぜだかまったく興味がなかった“献身”のブースに行く機会が与えられました。そこで真剣に献身を考え、これが本当に主の導きなのかと悩む人々やこれから主に仕えていこうと歩んでいる神学生と出会うことができました。献身と言えば、牧師、伝道師、宣教師になり、全てを捨てて主に仕えることかもしれません。でも私にとっての“献身”は・・・?
 その前の分科会で私は“恋愛”に参加しました。(ほとんどが高校生でなぜ選んだのかと少し後悔しましたが)そこで岡村先生は、「神の決して渇くことのない愛の泉を受け、その愛を相手に流し続ければずっと愛し合うことができる」とメッセージされました。これは恋愛だけではないと思います。
 私にとっての“献身”とは、神様から受けた沢山の愛を持って社会へ出て、家庭や職場、地域で人々にクリスチャンとして仕えていくこと。今与えられた地で教会で主に仕えていくことです。
 人間である私の愛には限りがあります。しかし神様の愛は決して渇かず永遠です。
 私の『ネクスト・ステージ』は今の安定した生きていきやすい所から一歩踏み出すことだと思いました。主の愛を持ってこの社会で一人のクリスチャンとして生きていきたい、そう心から思います。全てが守られたことを感謝いたします。

●青年宣教大会に参加してきました! R.T.
 8/11~8/14まで松原湖バイブルキャンプ場において、青年宣教大会が開催されました。残念ながら仕事があった為、全日程参加することはできませんでしたが、部分参加させて頂きました。一泊二日の強行で(汗)、、、。
 8/12の仕事上がりの夜、T姉が運転して下さる車に飛び乗り、途中でK姉を乗せていざ松原湖へ。2時間半ほどで到着。すでに会場は全国津々浦々から集まる青年たちの熱気でムンムンしていました。(多分)
 参加を前にインフルエンザ対策で、検温チェックが入りました。なんと37℃以上の人は会場に入れないとの事でした・・・。ここまで来てそれは悲しすぎるだろ(汗)ドキドキしながら検温。結果36.2℃。神様ありがとうございます。参加できるようです。
 食堂にて、ライブコンサートが始まりました。他教会の友達に久しぶりに会い、テンションが上がる私たち。各グループ、一曲入魂の賛美が始まりました。元気良くダンスしながらの賛美、楽器を用いての賛美。賛美にも色々な形があることを感じました。
 次の日、私たちにとっては初めての岡村先生のメッセージ。全3回のうち3回目しか聞けなくて残念でした。ユーモアに溢れて分かりやすく、楽しく聞けました。
 集会の後は、分科会がありました。私は「マンガ・ゲーム」に参加。子どもも大人も楽しく読める「MANGA」という漫画を紹介してもらいました。聖書の内容を忠実に描いている作品だそうです。購入の検討を(笑)、、、。
 スポーツ大会でソフトボール大会も楽しみました。私もホームベース踏みましたよ。♪
 短い期間でしたが充実したときを過ごせました。欠けだらけの私を神様は選んで下さいましたので、知恵と勇気を頂いてこれからも神様のことを証していきたいと思います。

■あなたはなぜ祈祷会に行かないのですか? M.S.

 いきなりですが祈祷会の宣伝をします(笑) 水曜日の祈祷会にコンスタントに参加するようになってまだ1年半ぐらいです。それまでなぜ祈祷会に行かなかったかというと「家から遠いし、仕事が忙しくて行く時間がないし・・・」そんな理由でした。
 しかし、神さまの憐れみによって転機が訪れます。店の経営が大ピンチになり悩んだすえ日曜日も営業することにしたのです。牧師先生に相談するため水曜日の祈祷会に数年ぶりに参加しました。
 半年を過ぎたころ、正村牧師がヨハネ21章から語られました。ペテロたちは漁に出ます。一晩中働きましたが1匹の小魚さえとれません。全身疲れ切っていました。イエス様は岸辺に立たれ待っておられます。さらに言葉だけでなく多くの魚をもって祝福されました。9節「こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。」 みんなが漁をしている間にイエス様が炭火をおこし食事を用意してくださっていたのです。今祈祷会で使っているテキスト「祈る人びと」の133ページには「祈りというのは、主の招きです。」とあります。
 今年もサマーキャンプに参加して本当に大切な経験や恵みを神様からいただきました。と同時に、子供たちの減少という現実を突きつけられ、教会の将来に大きな危機感を持ちました。柔軟な発想で知恵を出し合い様々な方策も必要でしょう。しかし、まずは「祈りありき」祈りなき行動は実に虚しい。
 教会に来たくても来ることができない兄弟姉妹。不当な迫害の中の兄弟姉妹。病み、深く傷つき、暗闇のただ中にある兄弟姉妹がおられます。近い将来子供たちの声が、青年たちの賛美が教会から消えてしまうかも知れません。祈ることに関してはクリスチャンたるものカッコつけずもっと”熱く”祈ってもいいと思うのです。 
 「祈る人びと」の127ページを読んで心刺されました。「会見の天幕をもっている人、もっていない人、この違いは決して小さくありません。週に一度、会見の天幕に来る人と、まったく会見を望まない人、この違いは大きいのです。」
“来ない人”ではなく”望まない人”です。かつては 私も望まない人でした。
 イエス様は今週の水曜日も炭火をおこしあなたが来るのを待っておられます。もちろん、シカトするのは自由です
●祈り
  神とだけの時間
  これがクリスチャンの生き生きした生活の秘訣である。
  ひざまずくことが惜しいと思っている
  うちは、祈りのすばらしさを味わってはいない。
  冷たい批判はだれかを傷つけ、
  温かい祈りは教会の徳を建てる。
  批判する暇があったら、
  その人のために祈るがいい。
  手を組んで頭を下げ、目をつむるだけが
  祈りなのではない。
  神を仰ぐ心の態度が大事なのだ。
  祈りは、子である私たちと、
  父である神との自然な会話である。  (尾山令二「愛と真実のことば」より抜粋)

■50周年記念ニュース  「50年目=ヨベルの年」 高橋宣広

 イスラエルの人々にとって、「7」という数字は特別なものでした。神様は天地万物を創造され、第7日目に休まれました(創世記2:1―3)。人間もそれに従って6日間働き、7日目には安息日が与えられています(出エジプト記20:8―11)。さらにイスラエルの人々は、6年間農耕をすると、7年目にはその土地を休ませるように命じられていました(レビ記25:1-7)。そして、その7年目の安息の年が7たび巡った49年目の翌年「第50年目」は、「ヨベルの年」と呼ばれました(レビ記25:8―12)。
 50年目=ヨベルの年には、次のような特徴がありました。
 1. 休む
  神様は、それ以降3年分の収穫を保障すると約束してくださいました(レビ記25:20―22)。だから安心して、神様を信頼して休みなさいと命じられます。
 2. 神のものであることを認める
  50年目には、売却されていた土地が、自動的に元々の持ち主のものに戻されました(レビ記25:13-17)。これは土地を含めてあらゆるものが、本来は神様のものであり、それが人に託されていることを確認することでした。
 3. 贖われて、解放されていることを知る
  50年目は、全住民の解放の年でした。貧困のためにやむなく身売りした人も、このヨベルの年には解放され、家族のもとに帰ることができました(レビ記25:39-41)。
 私たち長野福音教会は来年、創立50周年を迎えます。ヨベルの年、まず私たちは、休ませてくださる主の御前で平安を味わいましょう。教会・家庭・お仕事、その他様々な物理的忙しさは変わらないでしょう。けれども、その戦いの中で、主から与えられる慰めと助けを確認しましょう。次の50年に向けて、新しい力を与えられていきたいと願います。
 またヨベルの年、私たちは、この教会もそして私たち自身もすべてが主のものであることを認めしょう。人間の権力によらず、能力によらず、ただ主の霊によって、この教会が導かれてきたことを感謝し、これからもこの主に期待していきましょう。
 そしてヨベルの年、私たちは、イエス・キリストの十字架により、今、贖われて、解放されていることを再確認しましょう。福音にしっかりと立ち、福音に生き、そして福音を宣べ伝える群れとして、さらに成長していきましょう。
 「あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。」 レビ記25:10
●日程と講師が決まりました!!
  日時:2010年9月26日(主日)
  講師:福沢満雄先生 賛美ゲスト:ベドウ・路得子先生
    ※ 午前中に記念礼拝、午後に祝会が持たれます。
    ※ 当初、2010年9月19、20日の予定でしたが、先生方の都合により変更になりました。


2009年夏(8月)号

■巻頭言 「人生の中心は」 K.K.

 二年ほど前から信徒講座のテキストにリック・ウォレン著の『人生を導く5つの目的』を使用しています。
 その書き出しにある「人生はあなたが中心ではありません。」のことばには、いつも感銘をうけます。  
 創世記には、初めに神が天と地を造り、人間を造られたとあります。ですから、神様を受け入れるとか、受け入れないとかに関わりなく、創造主である神様が人生の中心です。
 自分の人生は、自分のものだと思いがちですが、実は、神様からいのちを一時的に預かっているのであって、それを上手に管理するように任されているのです。
 神様は全ての人を、ある目的をもって創造されました。ですから、その目的に従った生き方をする時に、人間として充実した人生になるというのです。
 その目的とは、
  第1の目的(礼拝)   あなたは神の喜びのために造られた
  第2の目的(教会)   あなたは神の家族となるために造られた
  第3の目的(聖化)   あなたはキリストのようになるために造られた
  第4の目的(奉仕)   あなたは神に仕えるために造られた
  第5の目的(伝道)   あなたは使命のために造られた
 私は、テキストを通して、5つの目的の大切さを学んではいますが、なかなか実行が伴わないといつも反省しています。
 これらを実行するためにも、まず、礼拝を守り、聖書を読み、祈りをすることが基本であり、それに伴って教会員との交わり、奉仕、キリストのあかしができるようになっていくのではないかと思っています。

■故正村富男牧師召天記念感謝会&同窓会 S.I.

 6月14日(主日)の計画にむけて、わたしは準備の段階からお手伝いさせていただきましたが、とにかく旧新会員を問わず、参加した全員に楽しんでもらえたらいいなと思っていました。当日は、久しぶりに懐かしい兄弟姉妹方とお会いできて、とてもうれしかったです。参加された皆さんはいかがだったでしょうか?祝会では、思いがけず故正村富男牧師の礼拝メッセージテープを聞くことができました。それを聞きながら、昔を振り返り、自分も年をとったなあと感慨もひとしおでした。(~_~;)この会の発起人の姉妹方、ご協力してくださった兄弟姉妹方、本当にありがとうございました。

■教会の皆さんあてのお便り fromT.K.&K.K.

 先日は50周年の同窓会に招待していただき、ありがとうございました。また、たくさんの心のこもったおもてなしをしていただき、ありがとうございました。たくさんいただきました。ごちそう様でした。
 久しぶりに皆さんにお会いできたので本当に嬉しかったです。元気になった娘を連れて行くことができたのは感謝でした。今は副学籍のある地元の小学校の音楽会に向けて、ピアニカをがんばっています。2年1組に籍があり他の子と同じようにガボットを弾けるようになりました。音楽だけはなんとかついていけるので、努力してがんばっています。音楽に限らず、人の何倍も努力しないとなかなかできるようになりませんが、少しずつ身についています。病気による重い後遺症が残っていますが、神様は娘に忍耐力と素直な心を与えて下さり、日々がんばることができて感謝です。学校、先生、お友達が大好きで毎日がとても嬉しそうです。元気に喜んで学校に通えることは何より感謝なことです。“幸いな計画を立てて下さっている”神様のみことばに支えられています。 

■オンヌリ教会からの贈り物 K.M.

 7月21日、22日。教会に行けない理由もないし、ただ楽しいイベントに参加するだけの軽い気持ちでした。夕食はこちらで提供して、翌日の昼食は、オンヌリの皆さんの本場韓国料理をいただく、、、。まっ、交歓会みたいな感じかな、と。
 でも、実際に、12名のオンヌリ教会の姉妹とともに食卓を囲んで、通じない言葉の壁を笑顔で乗り越えつつ交流し、この時のために準備してきてくださった賛美とダンスと証を聞く中で、それはとんでもない思い違いだと気づかされました。平和ボケの私は、普段身のまわりに韓国の方がいらしても、特別何も気にかけず過ごしていますが、戦争の傷を受けた人々は、そう易々と忘れ去ることはできないでしょう。証の中で一人の姉妹が、当時の日本人兵士への恐怖を語っておられました。その日本へ、伝道のために大きな犠牲を払ってきてくださった!観光旅行ではありません。目的地は京都でも東京でもない、この長野。宿泊のために屋根と布団はお貸ししましたが、高級旅館やホテルでもありません。温泉は自腹、朝食用のお米まで持参して自炊。日常と同じ家事をこなした上に、逆に私たちをビビンバ・キムチ・スープでもてなしてくださる。皆さん、主婦だとのこと。お若い方が多く、留守宅に小さいお子さんを残してきた方もありました。使命感がなければ、できないことだと思いませんか?チームで、何ヶ月かの訓練を受けて、費用を負担して、お土産まで持って、、、。時間とお金と自分自身の心の痛みをも主にお捧げして、私たちの信仰を励ますために来てくださいました。
 実際に来られたのは12名ですが、その背後にどれほどの家族・親族の理解と協力と祈りがあったことでしょうか。
 別れ際に、「またお越しください」なんて、つい口をついてでてしまいましたが、主が望んでおられるのは、本当はそうではないでしょう。次は、あなたが、時間とお金をささげて主の示されるところへ行きなさい。それは、気の進まない場所かもしれない、苦手な人かもしれない。でも、今日こうして恵みを受けた者は、次の誰かに恵みを渡していかなければ、、、。オンヌリの皆さんを通して、長野福音教会が主から投げかけられたチャレンジです。
 韓国料理と韓国エステの賜物か、皆さん本当におきれいで、うらやましい限りでしたが、本当に人を輝かせるのは、内側の心の有り様でしょう。中年のしょぼーいおばさんになりきらないように、主にあって、生き生きと過ごせるように、主の前に従順であるように。いただいた韓国うちわを見るたびに、祈っていきたいと思いました。

■アイメイト・チャー君のいる風景(その4) ~御霊の実~ T.K.

 私は時折水野源三さんの詩を口にします。喜びと感謝に満たされたいために。源三さんは手も足も動かないし、しゃべることもできません。それなのに、喜びと感謝を表したたくさんの詩を残しています。源三さんの第1詩集「我が恵み汝に足れり」にこんな詩もあります。
  ぶどうの実
   母が一つぶ一つぶ
   口に入れてくれる
   ぶどうの実の
   よいかおり あまさに
   ぶどうの幹なるイエス様に
   つらなる我らならば
   神様に喜ばれる
   よい実を結ばねばと思う
 ところで源三さんの言う、「神様に喜ばれる良い実」とはどんな実でしょうか。
 そうそう、新約聖書には9つの良い実が書かれていましたね。
   「しかし御霊の実は、愛・喜び・平和・寛容・慈愛・善意・忠実・柔和・自制であってこれらを否定する律法はない。」(ガラテヤ書5章22~23節 口語訳聖書より)
 これらが私にあるか無いかは問わないで下さい。検証しないで下さい。アイメイト・チャー君は・・・?では、検証してみましょう。
 1つめは、「愛」です。チャー君は「アイメイト」と言われるように愛情豊かです。愛そのものというのは言い過ぎでしょうか。
 2つめは、「喜び」です。コロサイ人への手紙にも「いつも喜んでいなさい」とありますが、チャー君を見ていると、いつも喜んでいます。喜びを確認するポイントは、しっぽです。いつもしっぽを振っていて喜びを態度で表しています。しっぽを1日に何回振っているか数えてみたいほどです。
 3つめは「平和」です。チャー君の礼拝風景を見ている人は、理解しやすいと思いますが、チャー君は大の字(いや、犬の字かな?)になって平和そのもの、安心しきって礼拝に出ています。
 4つめは「寛容」です。私はチャー君をよくしかります。段差を教えないとか顔に木の枝が触れたなど、あれやこれやと。しかしチャー君からしかられたことはありません。うっかりとチャー君のしっぽを車のドアに挟んだ時も決して怒ったりすねたりすることはありません。「キャン」(痛い)と泣きましたが、私が「ごめんね。」と言うと痛いしっぽを振って許してくれました。飛びあがるほど痛かったはずなのに。
 5つめは「慈愛」です。チャー君の目の優しさは、慈愛に満ち満ちています。それはチャー君を産み、育て、訓練し見守って下さった多くの人達の慈愛をそのまま映し出しているようです。
 6つめは「善意」です。チャー君は人が嫌がることを決してしません。フレンドリーにくんくんと皆さんに近づくのも善意の表れと受けとめて下さい。
 7つめは「忠実」です。これはいうまでもありませんね。私もチャー君の様にイエス様に忠実であれば・・・とよく思います。
 8つめは「柔和」です。チャー君は吠えない、威嚇しない、噛みつかない。かりに猫が毛を逆立てて襲ってきても反撃はしないでしょう。
 最後の9つめは「自制」です。チャー君は教会の食堂でも、飲食店でも食べたいというそぶりは見せません。じーっと我慢して臥せています。ここにいなさいと命令すれば勝手に徘徊しません。TPOをよくわきまえています。
 以上のように御霊の実をチャー君に当てはめて検証して見ました。チャー君は「神様に喜ばれる良い実」を実に自然体で結んでいます。「相当親ばかだな」と言う声が聞こえてきそうですが、教会でのチャー君のいる風景をご覧いただきご確認下さい。もし、同感されましたら私にお声をかけて下さい。
 水野源三さんも眼を細めてチャー君を見つめて下さっているようです。

■福島に福音を! 聖十字架福音教会伝道師 M.F.

 いつもお祈りありがとうございます。
 「キリストの愛をもって神と人に仕える」という理念に基づいて福祉事業を展開している「創世グループ」の施設の中にある「聖十字架福音教会」に遣わされて、2年目を迎えています。
 日曜日は老人ホームの食堂をお借りし、15名ほどの利用者の方々と礼拝を捧げています。ほとんどの方が「入居するまで聖書のお話を聞いたこともなかった」と言われる方ですが、日曜礼拝や火曜聖研になると聖書を持って、いそいそと食堂に来られ、大きな声で賛美し、メッセージに耳を傾けてくださっています。その姿に、毎週たくさんの励ましをいただいています。
 また、平日には創世グループの姉妹施設(老人ホームや保育園)でバイブルメッセージのひと時を持たせていただいています。老人ホームでのバイブルメッセージは、当初クリスチャンが全くいない状況でしたが、最近では噂を聞きつけたクリスチャンの入居者が、友人を誘ってお話を聞きにきてくださるようになりました。保育園や自宅でのチャーチスクールの働きも守られ、最近では、親が子供を自宅まで送ってくださっています。神様からの励ましを日々感じています。
 また、同時に、教会に繋がる方はわずかであっても、多くの方が福音に触れることを思うとき、聖十字架福音教会の存在の意義を考えさせられます。
 2年目を迎え、思い出すことがあります。それは、社会人として働いていた頃、「死に行く人に、病の中にある人に、福音を伝えたい」と願っていたことです。
  「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ2.13)
 理想通りにはいかず、不完全ではありますが、それでも欠けた者を用いて、その働きをさせてくださる神様に、感謝せずにはいられません。続けて、聖十字架福音教会のために、またこの者のためにお祈りいただけると感謝です。

 (注:新潟聖書学院の「聖ヶ丘通信」に掲載されたものを転載したものです。)

■エッセイ 「誇り」 高橋宣広

 とある月曜日、前々から行ってみたかった山田牧場を目指して、妻と出かけました。初めて訪れた高山村は、見所満載の本当に素晴らしいところでした。落差180メートルの八滝に感動し、水しぶきの裏側を通ることのできる雷滝にも圧倒されました。山田牧場では、深い霧の中で草を食んでいる牛たちを見ることができ、さらに山道でカモシカと対面しました。
 竹の子水団や蕨温泉も楽しんだ後、夕食にと村のおそば屋さんに入りました。ざるそばと猪肉の煮付けを食べていますと、おかみさんがやって来て、私たちに話しかけてきます。高山村の良さを一から十まで聞かせてくれました。自然の美しさ、四季折々の見所、食べ物の美味しさ、温泉がたくさんあること、村の除雪作業が大変優秀であることなどなど、高山村話は止まりません。きわめつけは、8月1日(土)に行われる「信州高山まつり」を熱烈にアピールするのです。私たちが、この4月に長野市内に引っ越してきたと話しますと、「その日は、長野ではびんずる祭りをやっているけど、びんずるはいつでも行ける、、、。今年はぜひ高山まつりにいらっしゃい」と勧められ、祭りの楽しさを一から十まで語ってくれました。
 帰り道、私は思わず「定年後は、高山村に移り住もうか?」と妻に言ってしまうほど、高山村の魅力に惹かれてしまったのです。あのそば屋のおかみさんは「高山村伝道師」でした。村に誇りと愛情を持っていました。
 私たちは、このような誇りと愛情を、主イエス様に対して持っているでしょうか?主イエス様を紹介すること、長野福音教会を紹介することを、どれほど喜びとしているでしょうか? 恐れないで、私たちに与えられている救いの素晴らしさを証ししていきたい。ためらわないで、福音の豊かさを証しできる一人一人になっていきたいと思います。そのためには、まず自らが救われていることを大いに喜び、感動していくことが大事でしょう。そして毎日、主イエス様と深く交わることを通して、自分自身が養われていく必要があるのだと感じています。自分ではなく、主イエス様を誇る一人一人となっていきましょう。まさしく、「誇る者は主を誇れ。」(Ⅰコリント1:31:新改訳聖書 第3版)と書かれているとおりになるためです。


2009年春(5月)号

■巻頭言 「キリストのからだ」 高橋宣広

 4月1日、冷たい雨が降りしきる中、長野駅に降り立ちました。教会の姉妹たちが迎えに来てくださり、私たちを教会まで送り届けてくださいました。その晩、雨は雪に変わり、翌朝、屋根の上はうっすらと雪化粧していました。感動しながら、聖歌「成したまえなが旨」の2節「降る雪のごとくに わが内を白くし なが旨のまにまに 錬りたまえ わが主よ」が心に湧いてきました。
 今までいました横須賀中央教会では、主任牧師のもとで仕える伝道師の立場でした。長野福音教会では、正村先生はいてくださいますが、主任牧師としての歩みが待っています。全く知らない新しい場所で、新しい教会での歩み、若くて知識も経験も本当に乏しい者、できないことだらけの者…不安な要素を挙げていったら、きりがありません。だからこそ、全知全能なる神様、牧会者なる主イエス様、そして導き手なる御霊により頼んでいきたいと思います。
 長野市は、私にとって9番目の居住地です。これまで静岡県藤枝市、岐阜市、三重県津市、福岡県嘉穂郡筑穂町、福岡県粕屋郡篠栗町、茨城県つくば市、千葉県印西市、神奈川県横須賀市と全国各地を転々としてきました。長野では、しばらくゆっくりとさせていただきたいです(笑)。これから夫婦ともども、長野を愛し、そして長野福音教会を愛して、喜んで仕えていきたいと願っています。
 教会に遣わされて来て、Ⅰコリント12:27のみことば、「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」に目が留まりました。パウロは、教会とはどんなものかを表すために、それは「キリストのからだ」だと語ります。
 「手」や「足」、「おへそ」と一人一人の特徴や考え方、働きは違っています。そして、その一つ一つの器官が、頭なるキリストにつながれ、御霊によって一つとされていく。それが教会なのです。
 私たちは、お互いの違いを「隔ての壁」とはせずに、その違いを「キリストのからだの多様性」として喜び合っていきたいと思います。そして、その多様性がキリストにあって一つとされていく、そんな教会を皆さんとともに建て上げていきたいと願っています。

■「はじめまして」 M.高橋

 神様の導きにより、長野福音教会に遣わされ、約一か月たちました。教会の皆様に本当に良くしていただき、感謝の思いでいっぱいです。
 まずは簡単な自己紹介から
  性 格:大胆で豪快
  趣 味:家のコーディネイト
  特 技:スーパーなどの物や野菜の価格を記憶でき、格安商品を見つけることができる
  長野へ来てびっくりしたこと:スーパーのお漬け物とお味噌のコーナーが充実している
  長野へ来て感動したこと:空気や水、特に山が綺麗。土地の広さ(お店屋さんや道路など)。町の人々が、丁寧で優しい、奥ゆかしい
 長野福音教会に来て感動したこと:床暖房。青年会の食器洗いの団結力。泉会の手の込んだお料理。教会員の皆様の忠実なお姿。祈祷会のお祈りが熱い。♪タンバリン奉仕はリズミカル且アクティブ
 私にとって育ってきた町=教会を離れることは、神様への信仰を試されるときでした。私たち夫婦が、町に留まるべきか離れるべきかで悩み、祈っていたときに聖書のみことばが与えられました。祈祷会で開かれた創世記12章1,2節です。
 主はアブラムに仰せられた。「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出てわたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」
 このみことばを聴いた祈祷会の帰り、育った町を離れる決断へと導かれました。慣れ親しんだ町、散歩した海岸沿い、潮の香、ともに笑い合った同級生、夢を語り合った青年会、かわいがってくださった教会の方々や先生方…。
 教会の皆様へ「ありがとうございました」との思いを残してこちらにやって来ました。そして長野福音教会の皆様へ「よろしくお願いいたします」との新たな気持ちで、奉仕をさせていただけたらと願っています。まだ若くて、知識も経験も本当に乏しい者です。お祈りとご指導をいただけますと幸いです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

■塩狩峠と私  M.Y.

 「明治末年、北海道旭川の塩狩峠で乗客の命を救った一青年の愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う小説」であると帯に書かれていました。また、「お前は、ほんとうに顔かたちばかりか、気性までお母さんにそっくりですよ」と小説は始まっています。その箇所を読むたびに、私は小さなため息をつきながら思います。1993年1月24日午後7時6分、6月2日の誕生日を迎えると20歳になるという年の新春に、先に一人で天国に旅立った長男のことを思います。この中に書かれている信夫のように、「私に似ていたのだろうか?どうだったのだろう?」と。あれからもう15年の歳月が流れていきました。体調を崩して二階で伏せていた私のもとへ、薬を飲むための水を小さなお盆に載せてきて、「はい。じゃあ、行ってくるね。」のことばを残して永遠に帰らぬ人となってしまいました。
 親として、これほどつらい試練を通されたことはありません。交通事故でしたが、他人を巻き込むことはなく、自損で、これもまた、神様の憐れみだったと感謝しました。「塩狩峠」に書かれている信夫の母「菊」は、言葉で言いあらわすことのできない、心の痛みを味わったことでしょう。人のために自分の命を犠牲にした息子です。私には比べものにならない悲しみの中で、じっと耐えていたことでしょう。この母は悲しみにくれながらも、信夫の婚約者である「ふじ子」に宛てた手紙の中でこのようなことを書いています。「これほど、祝福された死は少ないのではないでしょうか。このように信夫を導いて下さった神様に、心から感謝しましょう」と。自分のことよりもふじ子の気持ちを思い、励まし、心から神様に感謝している姿に、私には到底出来ないと思いながら、そのすばらしい信仰を私もほしいと思いました。
 婚約者であるふじ子は悲しみもせず、泣きもしない。信夫の死を信じることができないで、駅まで信夫を迎えに行ったと書かれています(当日は結納の日であった)。その気持ちは理解できる気がします。私も長男の召された瞬間は、大声で泣くことも、すがりつくこともできず、ただ頭の中は真っ白。これは現実なのだろうか、ただ呆然とその場で時の流れるのを見ていただけでした。ドラマのようにはならないものだとよくわかりました。悲しみは後からじわっとおしかけてきます。ほんとうに意地悪で容赦ないものです。
 中学生の時に受洗をし、教会学校のご奉仕を一緒にさせていただいていました。
 「なぜ、どうして?」と神様に文句をいって過ごした日々でしたが、夫婦、息子共々私たちの良き導き手であり、お世話になっていた姉妹から、後日言われた言葉に私たち夫婦は励まされました。「今が一番信仰が上向いていて、どんどんと成長しつつあった時でしたよ」と聞かされて神様に心から感謝できました。
 「今はわからなくても、あとでわかるようになる」と聖書にありますが、そのみことばと同時に、神様は全てのことを益としてくださることも体験させていただいております。私が人前で涙を流さない姿に「泣いてもいいのに。そんなに無理しなくても。その姿を見ているとせつなくなる」と言ってくださる方もありましたが、私は、我慢しているのでもなく、一粒の麦となって召された息子のために、神様が、励まし、希望を与えてくださり、勝利を与えてくださった故でした。
 映画を観てとても感動しましたが、息子が召された時は、まだ読書会はありませんでした。読書会を通して三浦綾子さんの深い思いがとてもよく理解できました。最後の時に何が残っているのか、キリスト者としての普段の信仰生活が問われて、もっとしっかりしなくてはと思わされています。
 それを示してくれたのが、信夫の生き方だとよくわかりました。この小説の最後には「塩狩峠は雲ひとつない明るい真昼だった」と書かれています。
 長男の遺稿集「再会のとき」をみるたびに涙が溢れてくる日々ですが、私もやがて天国での長男との再会のときを希望を持ちながら、今生かされている者です。

 (編集部注)本原稿は、「塩狩峠」100年を記念して募集された「塩狩峠」エッセイ・感想文コンテスト(「塩狩峠」100年メモリアルフェスタ実行委員会)において優秀賞を受賞したものです。「塩狩峠」100年メモリアルフェスタ記念文集「塩狩峠に生かされて」(2009.2.28刊)に掲載されたものを、山岸姉の承諾を得て祈りの友に転載しました。

「塩狩峠」について
 1909年(明治42年)2月28日、旭川・稚内間を結ぶ鉄道宗谷本線の塩狩峠で実際に起きた鉄道事故の実話を元に、三浦綾子が小説『塩狩峠』を著した。著者の代表作の1つとされる。新潮文庫のロングセラー。映画化もされた。現在、塩狩駅近くには、塩狩峠記念館及び文学碑が建てられている。

「一粒の麦 地に落ちて死なずば 唯一つにあらん しかし死ねば多くの実を結ぶべし」(ヨハネによる福音書12章)

■アイメイト・チャー君のいる風景(その3) ~暴走族になったチャー君~ T.K.

 我が家から長野福音教会までは、道のりにして6kmほどである。普段は家族の運転する車に乗って教会へ行っている。だが、単独で歩いて行きたいと、ひそかに思い続けていた。それは、盲導犬ユーザーになりたいという理由の一つでもあった。
 2007年7月末に、私はアイメイト・チャー君と東京から長野へ帰ってきた。早速8月の第1主日に計画を実行した。初めて歩くので、道案内を娘にしてもらった。運動公園→東豊線→徳間サンロード→若槻大通り→消防署→福音教会へとたどった。幸い歩道も広く、安全に歩けることがわかった。チャー君は歩道から車道への境目で止まり、私からの指示を待った。人や自転車もよけて歩いた。娘からは、信号機やお店のあり場所を教わった。そして、1時間15分ほどで無事、教会に着いた。真夏だったので、汗をかけないチャー君は「はあ、はあ」と、息づかいがあらい。私は汗びっしょり。でも、大満足であった。私はあらかた、教会までのコースがわかったような気分になってしまった。
 翌週からは、チャー君とだけで教会へ歩き始めた。ところが、「この交差点には、信号機があったっけ?」「この道で左に曲がるんだったっけ?」「消防署の曲がり角はこの辺だったっけ?」等々。戸惑いと不安の連続。「チャー君、ここ曲がるんだったっけ?」と、尋ねてもワンとも言わず、ただただしっぽを振り振り、ルンルンのお散歩気分。とうとう、迷子になった。教会員による捜索隊の出動を携帯電話で求めるはめとなった。またある時は道を尋ねた人に、教会まで送り届けてもらった。そのようなことを12回ほど繰り返したが、めげずに歩き続けた。そうしたら、私の頭に、地図が定着し始め、小川や通りの音、足裏の感触、匂いや風の向き等で、迷わずに教会へ行けるようになった。最近では、消防署の近くで「福音教会」と言うと、チャー君は迷わずに教会へ連れて行くようになった。
 この間、教会までの所要時間も30分ほど短縮でき、6kmを45分前後で歩けるようになった。時速にして8kmほど。これは、普通に歩く速度の2倍だ。見かけたら、その速さにびっくりするだろう。いつの間にかアイメイト・チャー君と私は暴走族になっていた。「暴走!」「アイメイトは走ってはいけません。」と、天から雷が落ちてきた。そうそう、アイメイトは走らせてはいけないのだった。そこで、「暴走族」を改め、「暴歩族」と呼んでください。少し早歩きをしているのだと、解釈してください。
 さて、アイメイト・チャー君のおかげで、私は、速く歩けるようになった。毎週、教会へ時速8kmで歩いているうちに、このペースで5時間歩き続ければ、40kmになる。確かマラソンの距離も40km。私はにわかに、長野マラソンが走れるぞという気分になった。そして、昨年11月の申し込みにエントリー。2009年4月19日の大会に出場。結果は5時間13分18秒で無事完走できた。アイメイト・チャー君の伴走では出場できなかったが、ビブスの脇腹にチャー君の写真を貼り付け一緒にいる気分で走った。これもチャー君が暴走族、あっ訂正、暴歩族になった副産物だ。来年はアイメイト・チャー君と長野オリンピックの跡地をめぐるマラソンに出場できることを夢に見つつ、明日も教会へと歩いて行きたい。
 次回は、聖書的に生きているチャー君です。

■エッセイ 「かたつむりになりたい」 正村八重子

 3月、4月は人の移動の多い季節である。人が移動し引っ越すということは、並行して荷物も多く移動する。現代日本人はどうしてこんなに荷物を多くもっているのだろうか。引越しとなると、この大荷物をまとめて大金を払ってと労働も経済も大変なものである。蝸牛が羨ましいとつくづく思う。我が家は本の洪水である。主人が召される前から元気なうちにかなりの本を寄付したり処分したりした。召された後も古本屋に運び、紙の日に出した。それでも建て増しのプレハブ6畳は本がたくさん。
 人は生きていくのにだれだけのお皿や鍋が必要か?どれだけの衣類が必要か。本は聖書だけあればいいとも思えてくる。人間は地上での生活は幕屋の生活である。寄留者であり、旅人である。どんな立派な家を建てても、たくさんの宝物や荷物を集めてもそれは本建築の家ではなくどこまでも幕屋である。地上に家が不要と言っているわけではない。放牧民であったアブラハムのように移動して、主に命じられる所に喜んで派遣されて行きたい。地上の持ち物幕屋から解放されて、天に用意されている建物を目指していきたいと思いつつも、この地上の荷物のために多くの心を悩ませ、お金を使い気を使っている。
 マザーテレサの持ち物は僅かの衣類とバケツ一つだったという。これならすぐに引越しができる。身軽に余計な気を使わないで、すぐに主のご命令に従える。そこまでならなくても、もう少しシンプルな暮らしをしなければとしみじみ思うこの頃である。「いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12:1)


2009年春(3月)号

■巻頭言 「ディパーチャ―」 S.S.

 「すると主イエスは言われた、『カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』」(マルコ12:16)といえば、政教分離の淵源とも言われる聖句ですが、このカイザルとは言うまでもなくローマ皇帝一般を指しています。このカイザル(皇帝)の語源と言われるのが古代ローマの英雄ユリウス・カエサル(英:ジュリアス・シーザー)です。現在の暦にも名を残す(7月)ほか、多くの名言?が知られています(「賽は投げられた」「ブルータスお前もか」など)が、塩野七生氏の著作の中にカエサルの言でこんなことばがありました。
 「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、自分が見たいと欲することしか見ていない。」
 これはカエサルがある戦局について語ったことのようですが、現在でも普遍的に生活のいろいろな場面で当てはまりそうです。
 またこんなことばもありました。
 「人は、自分が望むところのものをよろこんで信じる」
 出来事の判断のとき、人物を見るとき、自分の期待で見て、思い込んでいるのではないか。クリスチャンなら信仰生活、聖書の読み方にも当てはままるのではないでしょうか。自分の理論(結論)がまずあって(正否はともかく)、後からそれに聖書のことばを結びつけたりとか、気づかないうちにしてしまいかねないことであり、自戒しなければと思います。
 エリヤのように、神の声を聴く人は、山や岩を砕く力の中や火の中にあるのではなく、人の心に語りかける「静かな細い声」を聴くことが必要に思われます。
 2009年度、個人的に大なり小なり新しい出発をする人も多いことでしょう。長野福音教会も新年度を迎え、新たな出発(ディパーチャ―)をすることになります。虚心坦懐に聖書に聴くことを大事にしたいと思います。

■「アダムの会」の活動について K.S.

 昼食後の集まりの時間には仕事柄なかなか出席できないことが多いのですが、そんな“不良会員”の私が「アダムの会」の会長をお受けすることになってしまいました。副会長がサポートして下さるということになっているので少し気が楽ですが、できるだけご迷惑をおかけしないようにしたいというのが、まず最初の抱負です。
 いつもの「アダムの会」の集まりでは、主に近況報告と祈り会をしています。教会の礎であるメンバーは私も含めて忙しい方が多いので、じっくり腰を据えた活動や奉仕はなかなか取り組みにくいのが実情だと思います。今年も、例年のようにバザーやクリスマスでの出番がメインになるのだろうと思いますが、間もなく高橋先生をお迎えするという新しい局面のなかで、高橋先生、正村先生をサポートしていくことも私たちの大切な働きであり、新たな祈りの課題だと思っています。
 数名の「アダムの会」のメンバーは役員の任を負うています。役員の奉仕は傍からみる以上に大変です。ことに昨年は極めて難しい状況判断もあり、その心労には頭の下がる思いです。「アダムの会」はそうした役員の働きを脇から支えていく立場にあるのだろうと思います。教会の働きのために、神様の御心に従って最善の決断をされようとしているメンバーのためにも祈っていきたいと思います。
 「アダムの会」のメンバーにとって、各々が置かれている仕事環境などを通じての伝道や奉仕をすることが神さまから命じられた働きであるのかもしれません。教会の成長のために祈りたいと思います。

■泉会に参加して楽しみましょう M.Y.

 2009年度、泉会を担う立場になりました。副会長の姉妹と共に皆様のご協力をいただきながらいろいろと学ばせていただきたいと思います。
 時の経つのは早いもので、教会は来年で50周年を迎えます。そういう私も受洗して47年、紆余曲折の中にも皆様のお祈りに支えられ、今も教会員として名を連ねさせていただいています。長きに渡って代々の泉会の役員さんが会を引き継いでご労苦され、今日まで心の拠所として紡いできて下さったことに深く感謝しています。50周年に向けてつなぎの一年、会員の皆様と共に神様にお仕えし、体なるイエス様の教会を建ちあげるために力を尽くしたいと思います。
 泉会の皆様方にはそれぞれご奉仕の場所を持ちご活躍いただいておりますが、例会ではみことばの学びをすると同時にお互いの励ましの場積極的な参加をお願いします。各会は短時間に密度の濃い運営をしたいと思います。大勢のご参加をお待ちしています。
 何かと行き届かない面が多いかと思いますので、ご遠慮なくご指摘いただき全員参加でやっていきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
 目標=神様を喜ばせ楽しく奉仕しよう

■K兄弟、ありがとうございました K.K.

 このたびK兄弟が、都合によって横浜へ行かれるとお聞きして寂しく思いました。いつも謙遜に仕える姿を通して、多くのことを学ばせていただきました。
 いくつか想い出深いことがありますが、そのひとつは、今教会で使っている長椅子を、名古屋から1人で大型トラックを運転して運んで来た時でした。その椅子の多さと大きさにびっくりしてしまいました。建設関係の仕事をしている関係で大型重機を扱うことに慣れており、「箸を使うよりも楽に扱える」とのことでした。
 また、K兄弟が教会の自転車置き場を作る時には、地上に出ている部分を支えるために頑丈な鉄骨とコンクリートで基礎を造っておられました。見えない部分に多くの労力をかけてしっかりした自転車置き場を作っていただきました。
 大雪の日には、朝早くから、教会の広い駐車場の雪かきをしてくださいました。夏の暑い時期には、教会周辺の草刈りをよくやってくださり、特に一番大変な南側の水路沿いも時々刈ってくださり、日曜日の朝には、きれいになっていることがありました。
 昨年は、アダムの会の会長としてもご奉仕してくださり、お忙しい中で最後まで忠実に責任を果たしておられる姿が印象的でした。
 教会の役員としても長年ご奉仕され、執事2年、長老10年と本当に多くの働きをしてくださいました。
 また、折に触れて、自然の風景や白鳥などの美しい写真を展示していただき、教会員の集合写真や行事の時の写真などと同様、いつも楽しみに見させていただきました。
 K兄弟は横浜の方に転居されましたが、その残された足跡は大きく、私もK兄弟を見習って、教会に仕えていきたいと思います。横浜に行かれてもどうぞご健康で過ごされますようにお祈りしています。

■「パピルスのかご」の活動報告です J.S.

 自主グループの一つである「パピルスのかご」(長野福音教会世界里親の会)は、25名(家族)のメンバーが経済的な里親となり、世界の子供たちを支援しています。毎月ささげていただいた献金を、日本国際飢餓対策機構を通して子供たちに送金しています。大勢の方々のお祈りもあって、今年から里子が一人増えて、ウガンダのチャールズ・ムジン・カウジ(男子)、フィリピンのニーノ・タガス(男子)、カンボジアのカンタレア・カオ(女子)の三人になっています。子どもたちから送られてくる手紙や写真は掲示板に掲示しておりましたが、とても素朴でかわいい子供たちです。直接会うことはありませんが、里親としての思いを深めつつ、クリスマスカードや手紙も送りました。
 かつて正村富男先生がカンボジア等の国々を支援する活動をされていたことなども思い出して、先生が蒔かれた種が今になって実を結んでいるようにさえ思われます。支援を待つ子供たちは世界中に数え切れないほどいるのだろうと思いますが、私たちの活動によって、日本とは全く違う厳しい経済環境・生活環境の中で懸命に生きようとしている子供たちの霊肉の成長が守られることをさらに祈りたいと思います。今の社会は、子供を育てている大人たちにとっても経済危機や政情不安定など多くの不安を抱えた現状だと思われますので、それぞれの国の平安や世界の平和のためにも祈っていきたいと思います。皆様のお祈りにも加えていただければうれしく思います。

■アイメイト・チャー君のいる風景(その2) ~別腹のいやし~ T.K.

 チャー君は1日2食で300gのドッグフードを食べている。腹7~8分目程度のせいか、いつもお腹を空かせているが、その甲斐あって、ここ1年半25~26kgの理想体重を維持している。
 一方、私はというと、よく食べる。お腹いっぱいになるまで食べる。間食もする。そんな時、チャー君は私の横に跳んできてはジーと見つめる。時にはよだれをたらしながら、、、。「このご主人はよく食べるなあ。僕にもちょびっとちょうだいよ。」などと言いたそうに、、、。でも、そんな風景はわが家にいるときだけ。教会の食事時や飲食店では絶対しない。テーブルの下で臥せて待っている。見事なまでの自己コントロールだ。
 ところで、わが家は時々食べ放題のお店に行く。子供の教育上良くないと思いつつも食欲の誘惑に負けてしまう。焼き肉・ピザ・スパゲティ・混ぜご飯・サラダ・お蕎麦・・・ 元を取らねばとばかりに、がっつく。でもチャー君には臭いだけ。私は気持ちが悪くなるほどお腹に詰め込んでいるのに、、、。それなのにそれなのに、「デザートは別腹」とアイスクリーム・プリン・ショートケーキとまだ食べる。不思議なほどよく入る。あれほど「苦しい」と言っていたのに、、、。
 話は変わり、ある日の教会でのこと。祈り、賛美し、メッセージを聞き、献金を献げた礼拝が終了し、みんな昼食を食べに階下へと下る。私とチャー君も遅れてはならじと続く。受付付近にさしかかった時、いきなり、「チャー君を見るといやされるよね!!」と大きな声で話しかけられた。私はどきっとした。心の中で「ちょっ、ちょっと待って!今の言葉」と、“プレイバック・パート2”のフレーズが体を駆け抜け、黄色信号。
 「だって今、牧師先生から聖書の話を聞いたばかり・・・!」「満たされ・いやされるメッセージだったのに・・・!」「それを聞いたら牧師先生悲しまない?・・・!」と私はどぎまぎ。確かに私もチャー君にいやされることはあるが、礼拝直後はまずい!しかもみんなに聞こえる声では・・・!私は絶句し、黄色信号から赤信号。
 その時、ふと思い至ったのが前記した「デザートは別腹」。そっ、そうだ~。チャー君のいやしは別腹のいやし!牧師先生のメッセージは主食のいやし、チャー君のいやしはデザート。そう考えてみれば、教会にはいろんな別腹のいやしがある。Aさんの笑顔、Bさんとのお喋り、聖歌隊の皆さんの賛美、賛美グループのハーモニー等々、みんな「別腹のいやし」。
 この「別腹のいやし」一つ一つに出会えるのも教会の魅力なのだと思う。チャー君もその仲間に入れていただけたのだ。そんな思いに至ることができたので、私の鼓動は急速に治まった。そして声をかけてくださった方に、「ありがとうございます。」とご挨拶ができた。チャー君のいる風景の一コマでした。
 次回は「暴走族になったチャー君」です。

■エッセイ 「羊飼いの声を聞き分ける」 正村八重子

 ある日の昼下がり。我家の電話がなった。
 「もしもし、あのさ風邪ひいちゃって喉が痛くて声が出ないんだけど、、、。」
 「熱あるの?学校休んだの?無理してたんだね。」矢継ぎ早に問いかけるが反応が鈍い。息子と信じて話していたが、こちらの問いには答えず、
 「そこに誰かいる?お母さんひとり?」
 「どうして?お姉ちゃんも来てないし、ひとりだよ。」
 「あのさ、困ったことがあって…」さっきより声が少し大きくなった。そこで「あれ?」と感じこちらも大声で叫んだ。
 「あんただれ!?」私の叫び声とともに電話は向こうから切れた。
 考えてみると、息子が昼間電話をしてきたことはない。夜遅くか早朝、、、。それに風邪くらいで電話などしてこない。たとえお金に困ったとしても知らせては来ない。それだけ分かっていても、風邪をひいた、、、と哀れな声を出されると息子と信じきって応答してしまう浅はかな母親、、、親バカのお手本みたいだ。でも神様は私に間違いであることを気づかせてくださった。息子の声と詐欺師だったかもしれない他人の声を聞き分けられなかった自分に恥ずかしさを覚える。
 主イエス様は「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます」(ヨハネ10:27)とおっしゃった。クリスチャンであれば誰でもサタンの声かみことばによる主の声かを聞き分けてものごとを判断し、決断し、実行する。
 私たちの教会は今年その決断の時であると思う。その決断は絶対にみことばからでなくてはならない。自分の考え、同情、人情、人間の好き嫌い、憎しみや妬みが根底に少しでもあっての決断であるならばそれはキリストの教会にはならない。教会は神のみ声を聞き分けてみことばを土台としたものである。人情や薄っぺらな愛や同情で成り立つものではない。私たちは間違ってはならない。教会を烏合の衆に堕落させてはならない。私たちの飼い主の声をはっきり聞き分けたい。

2009年冬(1月)号

■巻頭言 「新しい出発のために」 正村八重子

 「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」詩篇103:2
 新しい年の始め、心機一転して前進しようとする時、私たちが最初にするべきことは、過去を振り返って今日まで主がなしてくださった数々の恵みを具体的に思い起して、感謝することから出発したい。
 昔、イスラエルの民は、しばしば彼らの歴史を振り返って、神がイスラエルにしてくださった恵みを数えつつ、新しい出発をしている。詩篇の作者たちも、ペテロの説教も、アブラハム、イサク、ヤコブの神から始まって歴史をたどり、ステパノは、メソポタミヤにいたアブラハムの出発から、パウロは、出エジプト、40年の荒野の生活からエッサイ、ダビデ、キリストの誕生を。神が天地創造し、自然界を通し、また、絶対的力を持ち、かつ人々を大きな犠牲をはらって愛しておられる事をひたすら伝えている。そこに感謝が生まれ、次にどう生きるか新しい力が湧いてくる。
 主がよくしてくださったことを忘れてしまうような忘恩の罪の中からは感謝もなければ賛美もなく、新しい出発をする勇気も出ない。私たち個人にとっても、教会の49年の歴史を見ても、その時その時、神様の助けがあったことを思い出し、感謝するばかりです。
 今年はプロテスタント宣教150年と言われてもいるが、同盟教団の歴史は常にフランソンスピリットが始めであるという。私たちは過去を引きずって、昔は良かったいう後向きの生き方ではなく、この教会に神様がしてくださった数々の恵みを忘れず前進したい。八畳一間の借室から民家が与えられ、狭い土地が与えられ、今、この会堂が与えられた。神様の恵みというほかない。
 個人的には、あの大岡村の山奥(今は長野市になっているが)から救われ、母も姉も神様を信じ、子供達もそれぞれ成長させていただいた。この恵みと奇跡を感謝するばかり。
 感謝あるところに次の出発がある。教会にとって今年は新しい出発の年にしたい。

■クリスマス礼拝「知り合った人は皆・・」 K.M.

 三浦綾子著・続氷点(下)にありました、ありました。坂井ヒロ子さんのお名前。このヒロ子さんのモデルこそ、クリスマス礼拝の特別ゲストとしてお招きした宮嶋裕子さんご本人とお聞きして早速確かめてみたわけです。
 綾子氏の初代秘書を務められた宮嶋さんと、お嬢さんのみぎわさんの、息のあったお証と賛美。お二人とも、ご自分なりのご活躍をたくさんお持ちの方々でありながら、そこはあえてふれず、綾子さんとのエピソードから、綾子氏の人となりを語ってくださいました。三浦綾子氏の執筆の目的は明快でした。―伝道のために書く-。エッセイを読み、著作にふれて、全くその通りだと納得します。こんなに単純にすっきりとした目的で人が行動できるとは、不思議なくらいです。
 受洗の時,牧師から「知り合った人はみな、自分の責任範囲なのですよ。神様から託された人なのですよ。」と語りかけられ、生涯その感動を胸に生き抜いた人だったといいます。宮嶋さんご自身も、そんな綾子さんのそばにいて感化を受けられ、今、まさにそういう方になっておられるとお見受けしました。
 このクリスマス礼拝・イブ礼拝のために、伝道部が11000枚のチラシを用意しました。新聞折り込み・DM・手渡し・ポスティング・・長野福音教会の名前で、11000件の家庭にチラシが配られたわけです。この方々は、すでに、私たちの教会と関わった方。私たちの責任範囲です。かつて、正村富男牧師が、入院中の病院の窓から長野平を見渡して祈っておられたとお聞きしたことを思い出します。この地域に生きる人々のために、仕える教会として立ち続けたいと思わされました。

■泉会クリスマス会 T.T.

 今年の泉会クリスマス会も穏やかな温かな日となりました。教会行事って天気に恵まれることが多くて感謝です。今年はオンヌリ上田教会の山口精孝牧師ご夫妻が来て下さいました。山口先生の世界的な視野を捉えた宣教の話、日本各地での働きのことなど、熱く語られる姿を通して神様とともに歩んでおられる力強さが伝わってきました。
メッセージは、マタイ26章1節から13節、『ナルドの壺』からでした。
  弟子たちはこれを見て憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。・・・」
  するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。・・・」
 この話から、まことの礼拝は十字架に向かうことであること。つぼを割るとは、心をくだくということ。また、つぼを割ってこそ中味が周りに流れ出ていくものだということを教えていただきました。
 昼食をとりながらの交わりの時も、普段なかなかゆっくりと話すことがない方々とも楽しい話ができた時となりました。泉会の賜物である、準備や片付けの手際の良さも見事でした。
 霊肉ともに満たされた最高のクリスマス会となりました。神様ありがとうございます。感謝します。

■「みんなで行こう!辰野教会」 K.H.

 9月23日(祝)長野福音教会から車3台に分かれて辰野教会との交流会へ行ってきました。
 辰野教会に到着後、教会見学タイム。2階ホールのステンドグラスは昼間も綺麗ですが、「朝日を通してみるともっときれいだよ」との言葉に「泊まりたぁい!」とウイングス女の子軍団からの期待の言葉が。
 続いて食事(婦人会でカレーも用意していただきました)をしながらの教会・各会紹介タイム。E兄弟のやんちゃな過去が辰野のメンバーから暴露されつつ、辰野教会の歴史から現在の活動の様子が話されました。
 長野福音教会からもパワーポイントを使いながらの案内、そしてお互いの活動の様子など質問が飛び交いあっという間に時間が過ぎてしまいました。オプション「塩尻ぶどう狩り」も一緒に過ごし、心もおなかも大満足。
 地域も教団も違いますが、同じ主に在る家族として非常に楽しくお互いに励まされた交流会でした。今回は「第1回」、「次は気候の良い時に一緒に野外礼拝ができたら良いね」と辰野で話題になっているそうです。
 最後に母からの裏話をひとつ。お昼の食事当番は決まっていたのに、当日はみんなうれしくて楽しみで、当番以外のメンバーが大勢準備に集まっていたそうです。あの美味しかったお昼の隠し味は「期待と喜びと感謝」でした。

■感謝なバザー Y.S.

 今年も、バザーにご協力いただき、ありがとうございました。皆さんが、もうよく心得て下さっていて、責任をもって動いて下さり、バザー委員とは名ばかりで、何の苦労もなく、今年もよいバザーができて、ほんとうにありがとうございました。
 泉会では、用意したものがどれも好評で、適量で、当日の売り子さんとしてのトークとスマイルもすばらしく、程よく完売。皆さんの賜物がいかんなく発揮されました。神様の御守りと祝福をいただき、お客様も喜んでいただけたと思いました。教会員同士も奉仕した甲斐のある楽しめたバザーになったと思います。
 今後も、評判のよいバザーとして、この地に定着していけたらいいですね。

■アイメイト・チャー君のいる風景(その1) ~プロローグ チャー君はいないの~ T.K

 アイメイト・チャールズ(以下チャー君)が、長野福音教会の礼拝に出席させていただくようになって、もう1年半が経とうとしている。盲導犬とはいえ、犬が教会に入りかつ礼拝堂に入ることにとまどいを感じたり違和感を覚えたりする人がおられるのではないかと、私は心配した。そこで、事前に祈りの友に「盲導犬がやってくる」と題して、盲導犬理解の記事を載せていただいた。結論から言うと、私の心配は無用であった。教会員の誰もが、チャー君を見ると「かわいい!」「お利口だ!」「おとなしい!」「愛らしい!」等と声をかけてくれた。挙げ句の果ては、「子どもや孫にチャー君の爪の垢を煎じて飲ませたい。」と言われたほどだ。アイメイト・チャー君は皆さんに「ウエルカム」とばかりに受け入れてもらえた。まさに、百聞は一見にしかず(この場合、見の字は犬とした方がよい程である)。そして、今は、アイメイト・チャー君が、礼拝に出席することは当たり前の風景になっているようだ。
 ある日、娘のところへ行って福音教会の礼拝を休んだ時、「チャー君はどうしたの。」と皆さんが心配して、家内に声をかけてくださったそうだ。私の存在など、誰も気にしないで。「チャー君おはよう」「チャー君元気」「チャー君よく歩いてきたね」と、チャー君、チャー君、チャー君コールの連続。私の存在はチャー君皇太子の随行員となってしまった。実は、私もチャー君パワーはすごいと思うときがある。なんと、聖書的な生き方をしているのだろう・・・と思わされることが多々ある。
 そこで、今回から数回にわたり「アイメイト・チャー君のいる風景」と題したエッセイを投稿させていただく。そして、皆さんとチャー君とのかかわりや聖書の記載とチャー君、また、アイメイトとしてのチャー君等を紹介させていただく。全国的にも珍しいと思われるアイメイトのいる教会もいいものだということを、改めて共感していただければ幸いである。

■エッセイ 「緊急医での一コマ」 金本義也

 12月末、松原湖バイブルキャンプへ奉仕に行ってきました。奉仕内容は、松原湖主催のキャンプと並行して行われるhi.BA(高校生伝道)のスノーキャンプで、参加した高校生にスノーボードを教えるというインストラクター、そして、送迎などの運転手というものでした。今シーズンの初滑りでもありましたから、自分は、怪我のないように無理をせず奉仕し、無事守られました。けれども、残念なことに、お一人怪我をされて、その夜、救急医へ連れていくこととなりました。
 年末の救急医ですから、診察を受けて終わるまでの長い待ち時間があり、運転してきた私は、待合室で終わるまで待ちました。普段、あまり病院に行くこともありませんから、なおさら救急医に来ることは、滅多にない経験でした。ですから、長い待ち時間の間、救急医にやって来る人たちの様子をうかがうよい機会となりました。
 両親に伴われインフルエンザで毛布に包まれてやって来る女性、お酒を飲んで車椅子に乗って運ばれて来るおじいちゃん、おばあちゃんに連れて来られた子どもなど、様々な人たちが運ばれて来ました。緊急性の高い人たちが優先されるとのことでした。
 そんな中、4ヶ月の赤ちゃんが連れて来られました。受付での問診が耳に入って来ます。「熱があって、嘔吐、下痢が続き、食べることも出来ない」と。お母さんが、赤ちゃんをあやして、ちょっとの笑顔を見せたと思ったら、苦しさのせいでしょう、すぐに泣き出してしまいます。力のない声で。
 自分には子どもがいませんが、その時、こんな小さな赤ちゃんが苦しんでいるのを見ていたら、その子の代わりになってあげたいと親がどれほど思うだろうか、その子を愛していれば愛しているほど、その思いが強いのではないかと思いました。どんなに子どもを愛している親であっても、実際に代わってあげることはできません。けれどもイエス様は、実際に私たちの代わりになってくださいました。私たちに代わって十字架で苦しまれました。親の愛を越える神様の愛を教えられたひと時でした。
 Ⅱコリント5:21「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」

2008年秋(11月)号

■巻頭言 「からだ」 Y.Y.

 罪を悔い改めてイエス様を心のいちばん大切な場所にお迎えした者に対して、神様は「あなたがたは神の宮です」と言ってくださいました。そしてキリストを頭とする体なる教会の中で、「互いに愛し合い、仕え合いなさい」と教えています。また、キリストに似たものになるように成長しなさいと教えています。
 私の妻は今年の6月に脳につながる頚椎大動脈血管の手術をしました。お医者さんには様子を見ながら少しずつ運動をしなさい、食事のコントロールをしなさいと言われました。なぜこのようになったのか、と聞いたところ「それは今まで自分の体を大切にせずに生活をしてきたなれの果てです」と一括されました。血管の分岐部分の90%にプラークがたまって、10%の血流で問題が生じ、MRIで発見されたのです。もう少し放っておくと死に至るものでした。教会の皆様の祈りに支えられ、生活改善をしていく中で驚くほど落ちた体力も少しずつ回復し、今では40分~1時間の散歩ができるようになりました。神のつくられた体はなんと精巧に出来上がっているのでしょうか。
 私たちの教会はキリストの体です。一人ひとりの賜物は違い、大きさも違いますが、誰ひとりとして不必要な人はなく、神が必要と計画され、生まれ、選ばれたのです。自分ひとりが天国にいければよいというものではなく互いに愛し合い、仕え合うようにと聖書は言っています。
 今私たちはもう一度みことばを見つめ直し、みことばの中から一致を勝利しなければならないと思います。120名礼拝に向かってビジョンが与えられている今、御言葉を理想としないで生きている者は、成長することを見える形にしていく時ではないかと信じます。

■未伝地に福音を―伝道会の感謝― H.E.

 9月13日(土)に、滝元明先生をお迎えして伝道会がありました。今回は音楽ゲストにサックスのロン・ブラウンさん、ボーカルのイヴォンヌ・ウィリアムズさんがおいで下さいましたので「ジャズ&ゴスペル」を前面に出して集会をPRさせていただきました。情報誌には2週間前入稿すれすれセーフで掲載されました。8000枚のチラシの裏面にはトラクトを刷り込み、「集会に来れなくても福音が届く」ようにしました。NAECの各教会の連絡先も載せて、お世話になっているお仲間の教会にもご利用いただけるようにしました。信毎のオリコミで7000枚弱を配布したのですが、今回は吉田地区全域をターゲットにしました。今後は長野市北東部の「未伝地」や新興住宅地への伝道にも力をかけてみたいと思います。車社会ですので教会がカバーする地域を若干拡げるのもいいのではないでしょうか。今回は133名の皆様が来て下さり、内13名は当日券での来会でした。
 ところで、今回の滝元先生方のスケジュールはハードをきわめていました。当日もご奉仕の後、東京へ移動し、次の日には3つの集会が待っていました。重い機材をご自身で運びリハーサルもその都度完璧になさる皆さんが、あの後、深夜の移動をして次の日のご奉仕に当たるとは・・舞台裏を垣間見た者としては、その夜は熟睡できませんでした。「今もまだ移動中・・事故が起きたらどうしよう、風邪をひかれたらどうしよう・・」等々心配でなりませんでした。でも皆様の祈りによって支えられたことを感謝します。
 今回は何よりも皆様の祈りのご奉仕によって、そして実務に関わる多くの陰のご奉仕によっても支えられたことを感謝いたします。タラントをお献げ下さったお一人お一人に神様の報いがありますように・・。
 チャリティーバザーが終わると次はクリスマスです。チラシには、佐藤彰先生のトラクトを刷り込む予定です。集会に来れない圧倒的多数の方々にも福音が届けられます。未伝地に、そして「私」を通してしか福音を知ることのできない方々に、主の十字架をお知らせして参りましょう。

■松原湖ゴスペルジャンボリープラスに行ってきました M.S.

 9月15日、松原湖のゴスペルジャンボリープラスに家族で参加しました。午前中のフリスビーを使ったゲームは本当に楽しくて、初めてお会いした方との距離が一気に縮まった感じです。昼食のおいしいカレーとシフォンケーキをいただいたあと、午後の集会でした。メッセージの中で1枚に写真が紹介されました。その古ぼけたセピア色の写真には昔伝道のために日本に渡って来られた多くの宣教師たちの姿がありました。彼らは宣教師としてキリストの召命を受け自ら進んで日本に渡ってきたのかもしれません。でも、なぜ家族や恋人や気の合う友人との平穏な日々を捨てて見ず知らずの外国人のために危険を冒してまで日本に来たのでしょう。その情熱はどこから来たのでしょう。
 僕には一つの負い目があります。それはクリスチャンになって21年。僕を通して救われた魂が1人としていないことです。僕の足りなさでもあり、怠慢でもあると思っています。でも、だからといって卑屈になってもいないし、諦めたわけでもありません。大勢の人が救われる日が必ず来ると信じています。それは生きている間かもしれないし、死んでからかもしれませんが(笑)。
 ただ、そのためにはいつもしっかり準備しておく必要があります。植物が成長していないように見える時も水をやり手入れを決して怠らないこと。僕の場合だと、「祈り」と「行動」です。なぜなら祈りは行動を生み、行動は更なる祈りへと導くからです。
 ”祈りを積む”という言い方をしますが、いったん積んだものはなくならないというのが祈りの素晴らしさの一つです。野球のイチロー選手もその時々で変わる打率の上下ではなく、ヒットを積み重ねることを重要視しているのと同じです。
 弟子たちに聖霊がくだったとき、弟子たちは1つところで祈っていたと聖書にも記されています。準備をしっかりしていたとも言えるのかもしれません。現在、週の半ばの水曜日の祈祷会は当たり前の集会になっていますが、この日が定められたのは教会の長い歴史とクリスチャンの知恵と神様の憐れみの賜物だと思います。
 僕らはいつ弟子たちと同じように集まって祈るのでしょう。たとえば自分や親に悪い病気が見つかったとしたら真っ先に教会に電話して祈りの要請をするでしょうし、祈祷会に参加せずにはいられないでしょう。でも、そのようなときばかりでいいのでしょうか?
 祈祷会に参加するとわかることがあります。今いか祈りが必要であるか、祈りを必要としている兄弟姉妹が多いかということです。そして、クリスチャンである以上祈る義務がある。それは神様からのチャレンジであり恵なんだ、ということにも気づきます。本当に感謝なことです。
 家や職場や健康の問題などで参加したくても参加できない立場の方もいらっしゃることは重々承知しています。そのようなお一人お一人のためにも参加できる者が水曜日の祈りの日に集い、富士山を超すぐらい高く!情熱をもって祈りを積んでいこうではありませんか。
 長野福音教会では120名礼拝というビジョンが掲げられています。先日のジャズ&ゴスペルの伝道会は後でお聞きしたら会堂に130名入ったのだそうですね。神さまは120名というビジョンを現実のものとして見せてくださいました。あの熱気すごかったですよね。あれが120名礼拝なんです。その光景を一番後ろで見ていて感動しました。さらに塩尻の開拓伝道のためにも祈っていかなければならないのでのんびりしていられません。日本のためにはるばる海を渡って来たあの宣教師たちや、一つところに集まって必死に祈っていた弟子たちのような情熱を持ちたいものです。
 *最後にお願いがあります。個人的に「長野ふくいん教会☆非公式ブログだよ♪」というブログ(インターネットの日記)を書いています。数人の兄姉も参加してくださっています。長野県に住んでいる人に向けての証になればという思いで始めて1年経過しました。この働きは継続していくことにこそ価値があると思っているのでさらに一緒にブログに参加してくださる方が今どうしても必要です。ブログの経験が有る無しは全く問いません。少しなら協力してもいいよ♪という兄姉はお知らせください。非公式なお願いですが(笑)よろしくお願いします。

■長野福音教会のみなさん、お元気ですか?

 ハレルヤ!主の御名を賛美いたします。長野福音教会のみなさん、お元気ですか?
 こちらもだいぶ寒くなってきましたが、長野の寒さには及びません。生活の方はだいぶ落ち着いてきて、子どもたちもそれぞれの場所でがんばっています。前に住んでいた家に戻り、周りはあまり変わっていないせいか、長野の3年半が夢のようで、まるで瞬時に現実の世界に戻されたナルニア国物語の子ども達の気分です。雄大な自然、四季豊かな気候、美しい山々・・・3年半という短い期間だったので、「いいとこどり」をしていたのかもしれませんが。何よりも3年半、楽しいお交わりをありがとうございました。子どもたちも素晴らしい友だちに恵まれ、ウイングスやヤングチャペルが大好きでした。先生方には、子どもたちの一番大切な時に(大変な時?)お世話になり、本当に感謝です。Yは幼稚園で(教会幼稚園に行っています)「お祈りがとても上手です」「聖書のお話をよく知っています」と驚かれ、ほんとうにウイングスの先生方のおかげだと思いました。
こちらの教会は、これから会堂建設を予定しており、今は会堂建設委員会や信徒会などで、つめの話し合いの最中です。みこころであるなら、来夏には着工するでしょう。礼拝出席者は30人ちょっとと決して大きい教会ではありませんが、これから成長していく幻を持ち、一致して歩んでいけたらと思います。
 長野、茨城と遠く離れていますが、今でもお祈りで支えて下さっていること、感謝します。これからも同じ主に仕える兄弟姉妹としてよろしくお願いいたします。そろそろ雪の便りが届く季節かと思います。皆様の健康が守られますように。 J.Y.&M.Y.

 こんにちは。3年半おせわになりました。ヤングのみなさんは元気にやってますか?
茨城では、ティーポットという中高生の集まりがあり、そこに行っています。そこでは、歌を歌ったり、証を聞いたりします。ここ牛久福音キリスト教会では、子供信仰問答というものがあり、牧師先生が小学生向けの説明をしてくれます。クリスマスに、人形劇をやります(小さなリース)。TCUから人形を借りて練習中です。ぼくも兵隊役で出ます。
 長野で楽しかったことが3つあります。1つ目は登山です。17山制覇しました。しかし茨城には山がないので長野に毎年行きたいです。2つ目はスキーです。パラレルが少しできるようになりました。今年の2月にスキー教室(学校でやります。しかし長野ではない。)があるので楽しみです。3つ目は、教会キャンプです。川やキャンプファイヤー、夜ふかししてやったウノ、サイレントフットボールなどいろいろ楽しかったです。また夏に長野に行きます。その時はよろしくお願いします。 S.Y.

 私の長野福音教会での一番の思い出は、妙高キャンプです。川に行ったり、キャンプファイヤー、友だちといっしょにゲームをしたり、おかしこうかんをしたことが妙高での思い出です。私が今行っている牛久福音キリスト教会では長野と同じさんびかを歌っています。私の教会での目標は、はずかしがらずみんなの前でおいのりしたり、歌を大きな声で歌うことです。
 長野でできた友だちは私の宝物です。先生方にもやさしくしてもらったり、いっしょに遊んで下さってありがとうございました。私が引っ越していくときに、みんなが手をふってくれて温かく見送ってもらい、とてもうれしかったです。また妙高キャンプに行きたいと思っています。山登りに行ったりスキーに行くときに教会によりたいです。茨城にも遊びに来て下さい。 H.Y.

■転会して C.F

 8月31日(日)、転会式をして下さりありがとうございました。隣に座っていたやはり客会員のN姉が「こんな風にしてもらうのって、とてもいいですねえ。」と感激した面持でおっしゃっていました。「緊張して足が震えました。」と言ったら、正村先生には全然信じてもらえませんでしたが(?)、身の引き締まる、とてもいい緊張がありました。
 司会のS兄が「もう、お馴染みですが・・」とおっしゃったのが、私には大変意外で、というのも、自分では全然お馴染みなんて思われているとは思っていなかったので・・、ビックリしました。自分では、文字通り『お客』『根の生え(てい)ない者』『根無し草』のようにずっと自分の状態を感じていたんですね。だから、やっとホームとベースを与えられた、持てたという気持がしております。それはつまり、やっと大地に一歩を踏み出せるという感じに似ています。とても有り難いことだと感じています。
 又、何人もの方が「おめでとうございます。」と言って下さり、ありがとうございました。嬉しく、感謝しております。これからもどうぞよろしくお願いいたします。ここまで導いて下さり、今も常に共にいて働いていて下さる神に感謝いたします。

■エッセイ 「神がお忘れになるもの」 正村八重子

 例年のことになるが、バザーが終わった日の夕方、皆さんが大体帰られた頃に教会の電話が鳴る。「○○ですが、バザーで買った××を忘れてきました。お弁当はどなたたか食べてください。」と。保管しておけるものは良いが、食品などはそうもいかない。教会の人はみんな忘れ物をよくする。それだけ教会では気を許しているからかもしれない。年を重ねると忘れ物も多くなるが、バザーに限っていえば若い人(中年かな?)に忘れ物が多いのはどういうことか。当日は奉仕が多くて忙しいからかもしれない。今年もバザーが終わりました。たくさんの奉仕に主が報いてくださるように祈り、また主に感謝を捧げます。
 バザーの忘れ物は大したことではないが、聖書ではどうしても忘れてはならないものを示している。「主の良くしてくださったことは何ひとつ忘れるな。」と、十字架の購いの恵みを忘れてはならない。「忘れる」ということばを聖書のコンコルダンスで引いてみると数えきれない程たくさんある。これを見ると、本当に人は神の恵みを忘れやすい者なのだと思う。自分の罪を主に赦していただいたのに、人の悪はいつまでもしっかり覚えていて、心の中で裁いたり軽蔑したりしている。「忘れる」べきことと「忘れてはならない」と命じられたことがしばしば反対になる。人間は主の恵みを忘れるので、人の悪を覚えているのである。神様は私を愛することをお忘れにならないので、私たちの犯した罪を忘れてくださっている。主は一度赦された罪をきれいに忘れ、人を愛し、恵んでくださることをしっかり覚えておられる。私たちが忘れても仕方がないものはバザーで買った商品で、忘れてはならないことは罪が赦されている故に隣人への愛である。
 「東が西に遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。」(詩篇103:12)


2008年秋(9月)号

■巻頭言 「両輪」 H.E.

 仕事柄、少しアウトローっぽい教え子とのお付き合いがあります。感謝です。10代半ばにして仕事をしながら自活していく彼等の生き方は、ある面壮絶です。大人の勝手や都合に翻弄されながらも、小さな頭で考え、戦い、懸命に生きてきた彼等には強さがあります。同年齢の子に比べて彼等ははるかに大人で、年齢以上の人生観をもっています。
 ある夜、彼等とカレーを食べにいきました。その後、ゲーセンでプリクラとって、誘われるままにボーリングをやりに行こうと言っていたときに私の携帯電話が鳴りました。娘が高熱を出しているという知らせでした。
 忙しい彼等との折角の機会ですし、娘のことは妻に任せて「大丈夫だからボーリングに行こう」と言ったときです。
 「センセー、家族を放っておいちゃダメじゃん。子どもが具合悪いんじゃん。もう遅いんだし遊んでる場合じゃないよ。いいから早く帰ってあげなよ。」・・夜の仕事をしている彼等の言葉には重みがありました。
 私は、彼等と付き合い、信仰書やトラクトを渡し、彼等の生活や話題に近づき、同じ目線に立って一丁前に伝道しているつもりでした。しかし結果的には、彼等の言葉をして神様から注意をいただいたのだと思います。彼等は私の口から出る信仰的な言葉は聞き流しながらも、クリスチャンとしての私の内にある倫理観や道徳観、そして聖さをどこかで信頼していたのかもしれません。
 以前、メビックという「教会学校&おともだち伝道」の研修会に行ったことがあります。ゲームをリードし、歌い、踊る奉仕者の方々は、皆、GパンとTシャツでしたが、その下に祭司のエポデをまとっているのではないかと思うほどの聖さと秩序、そして厳しさがありました。
 この時代の人々に福音を伝えるため、教会の敷居はできるだけ低くありたいと思います。と同時に教会内には絶対的な基準とそれに伴う聖さと愛をもちたいと思います。この両者は対立するものではなく、車の両輪の様なものです。
 このことについて異論はないでしょう。みんながそう思っているから。しかし実際の場面で異なった見解が出てくるのは、それぞれの見方考え方感じ方に違いがあるためです。この違いは感謝です。だからこそ情報を共有し、調整し、理解し合うプロセスが大事です。
 そしてこの両輪によって、楽しくて自由で、時代を先取りしていて聖さと愛があり、キリスト様に似たものに成長できる教会をめざして走り続けましょう。

■2008夏キャンプ感想、思い出

 7月27日(日)~29日(火)国立妙高少年自然の家において恒例の夏のキャンプがおこなわれました。参加者の皆さんに感想を書いていただきました。

●ウイングス編

 M.S.(小6女)・・・・・イエスさまとやりとりをして、いつでもどんなときでも喜んでいれるようにしたいです。イエスさまが私たちのために、罪人として十字架にかかってくれたことが改めて分って良かったです。キャンプのときだけじゃなく、イエスさまを思い出せることができるようにしたいです。これからもっとイエスさまのお話を聞きたいと思いました。
 Y.E.(小6女)・・・・・私は今年のキャンプで、濱野先生のお話から、神様は本当に愛してくれていることが改めて良く分かりました。神様は私達が生まれる何千年も前から考えて考えて私を作ってくれていたことや、本当は私が罰を受けるべきなのに、自分の一人息子のイエス様を十字架につけるほどに大事に思ってくれていることが分って良かったし嬉しかったです。これからの生活で、ここで学んだ「どんな時でもイエス様を思い出して、話したり教えてもらったりすること」や、「いつでもうれしいと思うということ」などをやっていきたいです。
 M.S.(小5男)・・・・・川原へいったことも、キャンプファイヤーもたのしくできてよかったです。しかもお話もきけてよかったです。来年もきたいです。
 H.A.(小5男)・・・・・キャンプファイヤーなどたくさん楽しいことがあってよかったです。はまーん(はまの先生)のしゅうかいのお話もよくわかりました。今年もとても楽しいキャンプになってよかったです。来年も楽しいキャンプになるといいです。
 S.S.(小3男)・・・・・キャンプファイヤーが楽しかったです。あと、川遊びが楽しかったです。はじめて知ったこともありました。これから神さまをしんじます。
 H.Y.(小4女)・・・・・私はこの3日間イエスさまのお話をたくさん聞けてよかったです。一番よかったあんしょうせいくはヨハネ3:16の「神は実にそのひとり子をおあたえになったほどに世を愛された」というところです。イエス様は一人ひとりを大事に私たちを作ってくれて、そして私たちのつみのために十じかにかかってしんでくれたというところがうれしかったです。来年もこのキャンプにきて友達とももっと仲よくしてもっとイエス様のことを知りたいです。
 M.E.(小3女)・・・・・2はく3日のキャンプでさいしょきた時は、へやはだれといっしょになるかわくわくしていました。友だちにもともと前のキャンプでは、ちょっとだけしかナカヨクなかったけど、でも次のキャンプでは、もっとナカヨクできたからその時とてもうれしかったでした。1日目に夜ごはんを食べたらとてもおいしいなーとわたしはかんじました。2日目も3日目もとてもおいしいごはんが食べられてうれしかったです。なんでも神さまに話したほうがいいという話がスゴクいいと思いました。わかりやすい話がきけてうれしかったです。これからも神さまのことをまなびたいです。
 Y.M.(年長男)・・・・・キャンプファイヤーでスターウォーズごっこをして楽しかった。お昼がおいしかった。川で水でっぽうしたり、 バケツで水かけをしたりして楽しかった。Tしゃつづくりがとても楽しかった。どんなことでもイエスさまにおいのりします。お茶会が楽しかったです。
 Y.M.(須坂・小6女)・・・・・ハマーンの話が、分りやすくて楽しかったです。神様と仲良しになれるようにしたいです。どんな時もイエス様の事を思い出せるようにしたいです。
 M.Y.(須坂・小3女)・・・・・私はこの3日間のキャンプで神さまのコトがたくさんわかりました。それに私は神さまのコトがもっともっと神さまのコトがわかってうれしかったです。私はこれから、なるべく教会に行くようにしたいです。また、どんどん神さまのコトをまなんでいきたいです。
 M.H.(中野・小2女)・・・・・今までのしゅう会の中で全うかんどうしたけど、一ばん心の中にのこったことは、3回目の時です。私が十字かを知らなければ生きているいみがないということと、ほんとうに私には十字かがひつようなこと、ということです。またらいねんもきたいです。
 Y.H.(中野・年長男)・・・・・ボールであそんでたのしかった。川でオタマジャクシをつかまえてたのしかった。だからまたきたいです。
 S.H.(中野・年少女)・・・・・いっぱいごはんをたべておもしろかった。神ひこうきをとばしたこともおもしろかった。
 濱野直子(講師)・・・・・私のような足りない者を用い、大切な子供たちに仕えさせて下さった主に感謝します。ウイングスの、やわらかく、あたたかく、すなおな子供たちとの出会いは大きな喜びです。また、へりくだりつつ仕えておられる先生方の姿勢に大変学ばせていただきました。このような機会を与えてくださった長野福音教会の皆様に心から感謝し、御教会の上にゆたかな祝福をお祈り致します。ありがとうございました!
 金本義也(牧師)・・・・・今回はウイングスの男の子たちと一緒に過ごして、楽しい時間を持てました。イエスさまと仲良くなることなど、濱野先生からのお話で教えられました。体力的な疲れを感じましたが、かけがえのない時間となりました。
 S.K.(女)・・・・・“神様の愛”について、濱野先生から具体的にお聞きすることができて感謝でした。いろいろな思いがありますが、それらの思いを神様に話し、神様から答えをいただき、どんな時でも喜べたら最強だなあと思いました。子ども達がキャンプを楽しみにしている姿を見て、スタッフとして励まされます。
 E.T.(女)・・・・・どんな時もイエスさまにつながっていきたいと思います。イエスさまの愛を思うと、胸がいっぱいになります。
 K.E.(男)・・・・・濱マーンのわかり易いお話や、先生のリアルなお証しを通して、どんな時も神様と交わることの大切さを感じました。
 M.Y.(女)・・・・・どんな小さなことでもイエス様に祈ろうと思います。今まで、自分で解決しなくちゃとか、自分でどうにかしなくちゃとか思い過ぎていました。隠れた自分の気持ちに気付かされました。(決心)家でもムカッとしたり、頭にきたりする時は、まず祈ります!!

●ヤングチャペル編

 M.T,(高3女)・・・・・“信仰”ということについて、沢山のものを得られたキャンプでした。神様からの救いの恵みを受けられることに喜びを感じるから、それを知らない人に伝えたくて仕方なくなる、という言葉を聞き、私もまわりに伝えてゆける勇気を持ちたいと思いました。
 K.S.(高1女)・・・・・飯田先生のメッセージは、とーてもわかりやすかったです!ほかの教会の人たちとも仲良くなれてよかった♡
 K.K.(高1男)・・・・・今年は2日間だけだったけど、楽しい時間でした。先生のメッセージも良かったです。
 H.A.(中2男)・・・・・このキャンプで、このキャンプのテーマである「なぜ教会へ行くの?」で、飯田先生のメッセージを通して、神様のことについて深く考えることができたと思います。
 T.S.(中1男)・・・・・たくさんのみことばを聞けた。学ぶことがたくさんあった。
 S.Y.(中1男)・・・・・心に残ったメッセージは、“悪霊追い出し”で、聖書にあった話は本当の話なんだなあ、とあらためて思いました。そのおかげで聖書が読みたくなりました。キャンプで決心したことは、周りにいる友達を教会の行事などからさそう。
 T.M.(中野・高3男)・・・・・高校に入ってから、あまり教会にいけなかった。今回のキャンプで、「教会に行くということは、イエス様に会うということ」というのを聞き、教会を大切にしなければならないと改めて思った。いろんな人と交わり、神様の御言葉を聞けたことを感謝したいです。メッセージもわかりやすく、より理解を深めることができてよかったです。来年もできれば来たいなあ。
 Y.K.(中野・高3男)・・・・・私は今年のキャンプで最後になりますが、3日間参加できてとても感謝です。3日間飯田先生の素晴らしいメッセージを聞いて、本当に沢山のことを学び、考えさせられました。これから自分と神様との関係をもっともっと深めていきたいです!!あと、キャンプで楽しかったのは、川遊びです☆ 今年は特にハードでした!ちょー楽しかったです◎ 本当に!ありがとうございました ♡ ♡ 来年はスタッふぅー!!として参加できたらいいなあと思います。ハレルヤー♪
 G.K.(中野・中3男)・・・・・キャンプではメッセージなどいろいろなことが学べてよかった。今年は前のときよりも人は少なかったけれど、みんなと仲良く楽しいキャンプになってよかった。金本先生に“マシュマロを14個のみこまずに口に入れて自分の名前を言え”って言われた。もうマシュマロは食べたくないと思った。飯田先生のメッセージはすごく良かった。「飯田先生 is good !」 また来年も来たいと思います。
 N.Y.(中野・中3女)・・・・・キャンプで学んだものはすごく大きなものだった。いつでも神様が私たちを守って、必要なものを与えて下さっていることを、とても感謝することができた。キャンプ中に大きなケガなどもせず楽しく過ごせたことと、飯田先生のメッセージを心にとどめることができたのも神様の恵みだと思った。これからも神様を見上げて、世の中の悪いことに流されることなく、神様の計画通りに進んでいけたらいいと思った。
 K.I.(須坂・中3女)・・・・・神様の造ってくださった自然の中で、飯田先生を通してみことばやメッセージを聞けてとても良かった。もっと神様と関係を持ちたい。
 H.M.(男)・・・・・今回のヤングチャペルのテーマは「なぜ教会に行くの?」でした。このテーマは中高生にとって、またYCの奉仕者にとって切実です。神様はこの課題について飯田先生を通し、考えるための「軸」を与えてくださいました。本当に感謝です。これから金本先生のご助言をいただきながら、皆様のコンセンサスをいただきながら、さらに神様に喜ばれるYCになっていければ、と思います。皆様の背後のお支えに感謝します。
 M.K.(女)・・・・・全ての必要を満たし、守り導いて下さった神様に心から感謝します。飯田先生のメッセージを通し、この世に影響されるのではなくこの世に影響するクリスチャンになりたいと思いました。神の愛を隣人に受け流し、いつも新鮮なクリスチャンでいたいです!!
 S.S.(男)・・・・・自分が期待していたよりも、大きくて、たくさんの恵みを体験できて感謝しました。自分がどう感じ、何を思おうと、神様の最善というものは常に目の前にあるのだ、ということを信じていく気になりました。
 Y.K.(女)・・・・・今年はOGスタッフという名で参加しましたが、一年生として参加したという方が正しいですね。飯田先生を通しての神様のみことば、中高生との交わりの中で、多くの恵みをいただきました。感謝です。私のつかわされている場所で、神様の愛を流していく者になりたいです。

■聖山高原交わり会 S.N.

 7月19日に行われた聖山高原チャペル山上の集会に参加しました。教会の車やそれぞれの車に分乗して、現地に11時に集合でした。市街地を抜け19号線に入ると木の緑と川の緑、空の青さがパッと目に入り、日頃のあわただしさを忘れさせてくれます。同乗の先生方や兄姉とのおしゃべりも又楽しく1時間20分の乗車時間もまたたく間に過ぎ到着しました。
山上の言葉通りの景色でした。山の上の建物で緑の木立ちの中、青く広い空の下高原チャペルは有りました。ホテルと学校の建物の中間という感じでした。さっそく入り、管理人御夫妻に案内して頂き、食堂としている部屋でしばらく全員の到着を待ち集会を始めました。K兄のフルートに合わせ、「おどろくばかりの」を賛美し、祈りをしてから、創世記1章31節より「それは非常に良かった」のメッセージ をS師より御話していただきました。
後自己紹介をしてから建物の中を見学させて頂きました。とても広くチャペルの部屋も200人可で、隣は子供用でこれも又十分な広さでした。体育館の中は木造で心がホッとする暖かさを感じました。一通り見学して、いよいよ楽しみな昼食です。各自持ち寄った物を頂きながら、感謝し楽しく和気合い合いといただきました。
食後は自由行動です。体育館でボールやバスケ、バトミントン等童心に返って楽しみました。おしゃべりしている人や又、気持ち良くお昼寝している兄も。外に散歩に出てみると木造のアスレチックがあちこちに。子供達も十分楽しめます。宿泊ができて色々な施設が有って本当に素敵な高原チャペルです。
楽しい時間もまたたく間に過ぎ帰る時間です。野外ステージで記念写真をとって頂き、それぞれ分乗し帰路につきました。暑い夏の一日にさわやかな高原で過ごさせて頂き、御役の方に感謝し、この一日を祝福して下さった神様に感謝でした。

■エッセイ 「次世代のために」 金本義也

 今年の夏は、少し早めのウィングス、YCのキャンプでの奉仕と、そして、松原湖バイブルキャンプ高校アウトキャンプでの講師としての奉仕がありました。4月からYCの奉仕から離れ、教会の若者、子どもたちと関わる機会が減ったのは、自分にとって大変悲しいことでした。けれども、こうして、久しぶりにキャンプで子どもたち、若者たちと一緒に過ごすことの出来た夏は、自分にとって原点に戻って楽しくリフレッシュ出来る時でした。
 自分自身も、教会のキャンプで育って来ましたし、夏の思い出というと教会のキャンプが思い出されます。それだけ、教会で育って来た子どもたちにとっては、キャンプの働きが小さくないと言えるのではないかと思います。
 各教会独自のキャンプの良さもありますし、そして、松原湖のような教会外のキャンプの違う良さもあります。神学生になるまで教会のキャンプがメインで育って来た自分としいては、どちらの良さも、大切な教会の子どもたちには知って欲しいと思います。松原湖のような教会外のキャンプでは、他教会の同年代の仲間からが出来、たくさんの刺激を受ける機会があるのは、子どもたちの将来においての貴重な財産となることでしょう。また、年に数回のキャンプだけではなかなか十分な励ましを受けることが難しいかもしれません。けれども、キャンプに限らず、近隣の教会との交わりを頻繁にすることは、キャンプのような励ましを受けられる可能性を秘めているのではないでしょうか。それぞれの教会に若者は少なくても、その少ない若者たちが集まると相乗効果的な数の力が発揮されることでしょう。子どもたち、若者たちがそのような交わりが出来るように大人たちが助けてあげることが必要とされています。教会の将来が危機的な状況にある現在、アクションを起こさなければいけません。もしかしたらそれが手間のかかることかもしれません。けれども、無難なことではなく、大変でも、効果のあることを、実を結ぶことを選んでいきたいものです。
 「牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。しかし牛の力によって収穫は多くなる。」箴言14:4


2008年夏(7月)号

■巻頭言 「祈りは偉大な行動」 K.K.

 これは、韓国オンヌリ教会の主任牧師が、月刊誌「恵みの雨」7月号に書いてあったことばです。
 『いちばん偉大な行動は祈りです。祈れば人が変わります。皆さんが祈れば家族が変わり、民族が変わり始めます。』
 先生は、30年間、糖尿病と高血圧に苦しみ、肝臓癌の手術をし、5回再発し、現在は1週間に3回、4時間ずつ透析を受けています。このような健康状態でありながら、24年前に開拓伝道をし、その後大きく成長し、現在は5万人の信者が集う教会となっています。そして全世界に宣教師を派遣し、日本でも、ラブソナタの集会を開催するなど日本人の救いのために祈り、キリストの愛を伝えておられます。
 祈りの大切さについては、何度も聞いていますが、自分を返り見ると、祈ることは、極めてむずかしく、時間も少ないといつも反省するばかりです。
 熱心に伝道すれば人が救われ、怠けていると救われないということでは、ないと思いますが、少なくとも福音を伝えなければ、人の魂は救われないと思います。そして、魂の救いは、神様の領分に関することであり、それには、神様の御心を行うこと、神様の御旨を知り、それを語ることが何より大切だと思います。
 忙しい時こそ、すぐに行動するのではなく、何を優先してやるのかを熱心に祈り求め、聖書から学び、御霊に示された確信をもって行動することが、より短時間で効果的な働きと成果につながるのだと思います。
 また、祈りは、思いと言葉でするものですから、体力が衰えても、生きている限り続けることができる偉大な行動だと知り、高齢になっても希望を持って生活を送れるような気がしました。

■聖山高原チャペルオープン K.E.

 正村先生の地上の故郷である長野市大岡の地に去る4月5日オープンした横浜市青葉区にあるみどり野キリスト教会所有の聖山高原チャペルオープニング・セレモニー&ゴスペル・コンサートに参加しました。
 皆でおいしいバーベキューをいただいた後、午後からは、みどり野キリスト教会のキッズ・ユースによるゴスペル・コンサートを楽しみました。同郷の西村先生(みどり野キリスト教会牧師)と正村先生はふるさとの自慢話に花を咲かせておりました。建物は、旧.都立聖山学園を改築したもので、そこここに当時の面影が偲ばれます。長野・松本・上田からほぼ中央に位置するこの施設が、信州の福音伝道のために広く用いられることを祈ります。

■わいわいフェスタ S.I.

 6月21日(土)、わいわいフェスタが行われました。
 わたしはお料理担当。と言いつつ、ベテラン主婦の方々がたくさんいらっしゃったので、おまかせ~(^o^)丿 どうもありがとうございました。メニューは、豚汁とおにぎりとゼリーです。おいしかったです。
 来てくれた子どもたちは18名で、去年より少ないですが、たとえ一人でも来てくれて、聖書の話を聞いて、たとえすぐには教会に来てくれなくても、大きくなったときにキリスト教を選択肢にしてくれたらいいかなと思います。どこでどうなるかわかりませんもの。結果は神さまだけが知っているのです。

■第14回長野レディスランチョンに参加して C.M.

 去る6月25日、ホテル国際21において「三浦綾子と共に生きた40年」と題して三浦光世師による講演が行われた。講演まで天候が守られ、ご高齢(84才)の三浦さんがお元気で無事長野に来れますように、さらに大勢の参加者がつどいますようにと祈り、ワクワクしながら待ちました。初めの予想をはるかに越え、280名もの参加者で会場がごったがえすほどいっぱいになりました。(すごい!)
 美しくやさしい声で6曲賛美して下さった小島美穂子さん。そして、三浦さんの初代秘書だった宮島裕子さんの講師紹介。一番近くでお二人を見てきた人ならではの紹介をして下さった。綾子さんが亡くなられてからの10年の間、日本各地、世界各地で講演されたと話された。宮島さんの話もたいへんおもしろく聞きました。
 おだやかな話し方又お顔で綾子さんとの出会いから話された。名前から女性と間違えられてか?綾子さん宅に見舞いに行き、「主よみもとに近づかん」の賛美歌を歌い励ました? 3年後、年明けにプロポーズをし、タタミ9畳から新居生活が始まったと言いながら、思い出が多いせいか、話が脱線しながらユーモアを交えながら、綾子さんが、若い人をみかぎらないこと、はっきり物事を言っていたこと、雑貨屋さんを始め、小説「氷点」を書くことにした事など話された。小説を書くにあたっては、読んで下さる方の希望となるものが書けたらとよく祈り進めたこと、毎日聖書を旧約2章、新約1章を読み続けていらっしゃることなど話された。
 体が弱く大変なことも多いでしょうに聖書と祈りに守られていることを思いました。光世さんの支えがあってこそ多くの小説ができあがったと思いました。
 まだまだ話を聞きたかったが、帰りの時間の都合により残念でしたが、長野まで来て下さり、話をして下さり、本当に食事の間も写真に握手にと忙しく、いやな顔一つなさらずして下さっていました。感謝なことです。
 後1回の講演で最後の講演になるそうです。ありがとうございました。今年のランチョンは男性の方々も参加して下さって活気あるものとなり、大変よかったと思いました。
 最後に、三浦光世さんよりおすすめの本は「氷点」「塩狩峠」「泥流地帯」「母」です。まだの方はぜひどうぞお読みください。

[三浦光世氏プロフィール]
 三浦光世さんは1924年東京生まれ。3歳で今の北海道滝上(たきのうえ)町に家族で移住。1959年堀田綾子さんと結婚した頃は旭川営林局に勤務していた。綾子さんが朝日新聞社の懸賞小説に『氷点』で入選後、営林局を退職。以後妻の著作活動を支えてきた。『塩狩峠』の頃から綾子さんが口頭で述べる文を光世さんが書き写す口述筆記で作品を生み出した。(編集部)

■オンギジャンイコンサート S.S.

 7月5日(土)夜7時から長野福音教会にてオンギジャンイのコンサートが行われました。メンバーは、6月末から当教会に滞在し、1週間余り北信の諸教会に出かけるツアーを行いました。
 オンギジャンイといえば今回が3回目の長野でのコンサートということで知名度?も上がってきたようです。私は最初にオンギジャンイということばを聞いた時「オンギジャイン」て何のこと?と思っていました。ゴスペルの好きな若者グループくらいに(失礼)と思っていたのが、実際に聴いてみると素人目にも素晴らしいハーモニーを持つ、実に良く訓練された賛美グループだとわかりました。「オンギジャンイ」は歴代誌4章23節からとられ、韓国語で「陶器師」を意味することは多くの方がご存じでしょう。
 メンバーはオーディションを受け、音楽技術の高さもさることながらしっかりとした信仰に裏打ちされているのですね。みごとなハーモニー、もちろん歌詞は日本語で歌うのですが、その日本語が、発音といい抑揚といい完璧な日本語なのです。でも彼らは日本語の会話はまったく(ほとんど)話せないというのは不思議に感じられるほどです。語りは基本的に通訳を通すのですが、メンバーの一人の証はすべて日本語というのも驚きでした。
 コンサートの曲の中では特に「君は愛されるために生まれた」は定番ながら、何度聴いても心に響きます。賛美を通して自然に満たされ、みことばが伝わっていく不思議なひとときでした。
 今回のコンサートには90余名の参加者があり、初めての方や、久しぶりの方も大勢見えたのは感謝でした。このコンサートのために多くの準備、ステイや当日の奉仕をしてくださった兄姉に感謝します。そして「聴く」奉仕をしてくださった皆さんに感謝。
 (追記)今回のコンサートのチラシは、J-POP風でもありクールですてきなものでした。

■中国雲南での宣教 N.K.

 日本国際飢餓対策機構から中国雲南省に派遣され、3年間の奉仕を終えられ帰国された星野公寛宣教師がスライドで現地の様子を報告されました。
 未だ開かれていない中国、外国人が宣教してはいけないという制約から、洗礼式の写真を何か問題にされない様に捨てたり、地理的にも昆明から車で6~7時間、そこから断崖絶壁の1本道を馬で1時間の行程で目的地の村に着く。空はあくまで青く景色はすばらしいけれども、3000メートルを超えるところでの暮らしは貧しく、少数民族が多く住む国境に近い場所での働きは、まず人と人との交流を通し、必要な生活支援をしながら、文化的基盤の違いを共通の価値観が持てるまでに信頼関係を築きあげ、その上に主の愛という価値観が受け入れられるという長い視点での大変な宣教は申命記28:8のみことばに支えられたとのメッセージでした。

■エッセイ 「犀川のほとりから」 正村八重子

 久しぶりに犀川を遡った。美しい川の流れと緑の薫る中、何時来ても心休まる所。心の故郷、私にとっては本当の古里でもある。その昔この川に育てられたような私、忙しい両親であったので、この川が友人と遊ぶところであった。ままごとも、魚つりも、水泳も、理科の自由研究もここから生まれた。管理されたプールではなく、川で泳ぐのだからいつも命がけで泳いだ。水はきれいで、魚と一緒に泳いでいたように思い、懐かしさがこみ上げる。今は、不自然なダムがたくさんあり、水は汚染され、魚も住めないし、泳ぐなどとてもできない。人は神の創造された美しい自然を破壊しながらでなければ、生きていけないのだろうか。
 この犀川のほとりからは、多くのクリスチャンが誕生している。まずおとこまえパパから始まって、O姉、高校生の頃教会で奏楽の奉仕をし、浪人中はCS教師、今は埼玉に住み、大学で教えている。S姉、毎週忠実にCSの奉仕をされ、祈祷会を休むことはなかった。今は三人の子のお母さんで、素敵なクリスチャンホームをつくっている。
 H兄はこの川の上のお宅で、彼の結婚のためこの長い階段を登って御両親に挨拶に行った。階段の上に一つの集落があったのにはびっくりした。彼も今はクリスチャンホームのお父さんである。更に進むとG先生のお宅である。彼は高校生の頃から陰の働きを少しも厭わないでしてくれた。そのためか、今は立派な牧会者となっている。
 終点の新町は、M牧師、K牧師、N牧師の出身地でそれぞれみことばを伝えるために世界に向けて頑張っておられる。特にN牧師は、キリスト教教育のために、古里にその施設を造ろうとしている。
 これらの犀川のほとりの方々が、今も長野福音教会にいてくれたらいいのになあ・・と思わない訳ではないが、これらの兄姉方が遣わされた先々で立派なクリスチャン生活をしておられるのは何よりの慰めであり感謝である。どんな田舎にも主の救いはある。


2008年新緑(5月)号

■巻頭言 「120名礼拝のビジョン」 S.S.

 今年の教会総会で金本牧師から、120名の礼拝を目指してとのビジョンを示されました。120名といえば赤ちゃんからお年寄りまでが一同に会した今よりも更に元気な礼拝の姿が想像されます。現在の長野福音教会の礼拝出席者は約80名ですから、今後新たに40名ほどの出席者増ということになりますが、その分の座席の余裕はまだまだあります。
 しかし、何名出席といっても、会社や団体の営業目標やノルマとは違います。根底にあるのは一人でも多くの方が聖書の福音に触れて救われてほしい、そして教会にともに集ってほしいということにほかなりません。120名教会とはそのひとつのあらわれであり、その後150名、いや200名となっていく可能性も秘めています。
 とはいえ、ただ漫然と待っていても120名礼拝になるわけではありません。まず神様の目から見たとき私達の地域に与えられた、私達の教会に今与えられている素晴らしい可能性は何かを考えてみたいと思います。そして、ビジョン実現のためにはその柱となるべき具体的な方策が必要でしょう。そして先を見据えながらも今できること、短期ビジョンも。     いわゆる狭い意味での伝道だけでなく、ビジョン実現のためにどんなことができるのか広く教会の諸活動について、いろいろなアイデアを出し合っていければいいと思います。少しずつでも祈って前進していきたいものです。
 福島県で牧会されている佐藤彰先生(福島第一聖書バプテスト教会)は、著書の中でビジョンとは「あなたの世代にあなたの地域における教会形成の道程で、神様がここまで来なさいとおっしゃる地点であり、信仰の目をもって掲げ得る青写真」であると書かれています。先生は人口1万人程の町で、現在4つの教会堂を牧会していらっしゃいます。私達も自身の教会にとっての青写真を見据えて行きたいと思います。

■悩みと祈りと導きと Y.K.

 ハレルヤ!!主の御名を賛美します!!
 いつも私のためにお祈りくださり、ありがとうございます。早いもので、上京して1カ月になりました。この新しい地で神様の導きがあり、新しい出会いがあり、新しい考えに触れる機会があり、私自身の証の場があり…、色々な体験をさせていただいています。そちらのことも証したいのですが、この度は、高校生活と受験を通して体験したことを証させていただきます。
 高校時代の3年間は、悩みの3年間でした。高校に入学して、進路について悩み、高校の意義について悩み、人間関係で悩み、何でもないようなことを悩み、高1の秋ごろは悲観的であいまいな考え方を常に持っていたと思います。抜け出したくても、上手く気持ちの切り替えができず、ズルズルと毎日を過ごしていました。そんな高1の終り頃に、将来の夢が与えられました。でも、今まで考えてもいなかった夢で、本当にこの道でいいのか、また悩みました。高2の時も、進路についてすごく悩んでいました。高3になったとき、ただ受験勉強だけの1年間にはしたくないと強く思っていました。1年を通しては毎日祈ること、聖書を読んで通読すること、毎週礼拝に出ることは必ずやりたいと思っていました。また、部活、最後の大会、文化祭、Y.C.のキャンプ、料理、ギター・ピアノ等々…、1年の前半は勉強よりもやりたいことをやっていましたね。後半になって、やっと受験に向けての本格的な勉強を始めましたが、11月頃には結果もついてくるようになりました。
 センター試験の前は「このセンター試験をすべてあなたに捧げますので、これを通してあなたの御心を示してください。でも、できれば第一志望の学校に行かせてください」と神様にひたすらに祈っていました。しかし、センター試験が終わってふたを開けてみたら、どうしようもない結果で先が見えなくなりました。センターの次の日に号泣して、悩んで、祈りながら2~3日を過ごしていたら、唐突に今通っている大学が示されまた。第一志望の学校に進学するとしたときとは形は違いますが、神様に与えられた夢が叶う大学です。
 長々と書いてきましたが、結論を言います。私が今歩んでいる道は神様が示してくださった道です。この道を高校とは対照的にもしっかりとした考えを持って歩んでいます。3年間の悩みがあるからこそ、祈りが与えられ、陰で祈ってくださる人がいることがわかり、神様に導かれ、今の自分があると思うと、そんな3年間も尊いものだと今でははっきりと言えます。
 最後にこれからの抱負としては、東京での生活は4年間だけになると思うので、ここでしか学べないこと、ここでしか体験できないことを沢山できたらいいです。もっと成長して、大人になって、神様の御心ならば長野の地に戻ってきます。

■小学校から中学校へ T.S.

 最上級生から最下級生へ、クラブから部活動へ、宿題から提出ノートへ、、、といろんなことが小学生のころと変わりました。特に変わったと思うのは、授業と部活です。授業は3分前着席とか2分前学習とか、そういうものが学校にあるのですが、小学校のころから随分変わった気がします。部活動は予想していた以上に驚きました。疲れるけれど、とても楽しくもあります。
 そして、もっと変わったと思ったのが、先輩と後輩の縦の関係でした。小学生の頃は上も下も関係なく楽しくやっていた気がします。でも中学校は違いました。すごく縦の関係があります。中学生になって、一番困ったことは、小学校と違い、ロッカーと引出が小さくなったうえに教科書も増えたので、ものが収まりきらなくなってしまったことです。授業の後と前が引出の中身が大変なことになっています。あと、休み時間が少ないこと、トイレにも行けないことが度々です。まだまだ慣れない環境の中ですが、早く慣れて中学校生活を楽しみたいです。

■中学と高校の間 K.K.

 いやー本当に良かったです。一時はどうなるかと、、、。学校の先生に「この点ではちょっと厳しいかな。」なんてことも言われたりしました。本当に大変な日々?でした。でも、こんな日々を乗り越えたからこそ喜びは大きいです。合格発表で自分の番号があったとき。でも正直どっちかというと合格したことより、高校受験が終わったという方がうれしいです。もちろん春休みは遊んでばっかりでした。しかし、楽しみはそう長くは続かなかったです。課題が出されるは、、、予習をしっかりやるは、、、とめまいがしてくる・・・とまではいかないけれど大変です。でもやはり、高校生活は楽しいです。新しい友達もできたし、それに、班活をやるようになればもっと楽しくなると思います。こんな楽しいこと満載の高校生活を送れるようになったのも神様の恵みやみんなのお祈りのおかげだと思っています。これから、勉強やいろいろなことを頑張っていきたいと思います。

■「恐れないで語り続けなさい」 M.F.

 新潟聖書学院に入学してから、あっという間に4年が過ぎてしまいました。これまで、祈り支えてくださった皆様に心から感謝します。また、神学校生活4年目に、長野福音教会の方々と共に礼拝をお捧げできたこと、とても嬉しかったです。毎週、家族のもとに帰るような思いで教会に向かっていました。なかなかお会いできなくなることは寂しいですが・・・。福島の地から長野福音教会のためにお祈りしています。
 さて、私は3月に無事に補教師の准允を受け、そして4月から福島の地での働きが始まりました。老人ホームや保育園、幼稚園などといった施設を持つグループの中にある「聖十字架福音教会」という教会で牧師をさせていただいています。月曜日以外は、ほぼ毎日、メッセージや聖書研究などの働きがあります。忙しい毎日になりそうですが・・・、しかし、その分、出会う方も恵みも多いと信じています。新米牧師ですが、神様の福音の拡大のために頑張っていきます!!どうぞ、続けてお祈りください。
 「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるからだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるからだ。」使徒18:9、10

■一麦会を考える E.T.

 普段、何気なくいる集団・・・それが一麦会です。個々は、とても自由な集団・・・それが一麦会です。集団でいても、まとまりがなくなる・・・それが一麦会です。
 それでもこの1年いろいろやってきました。バイブルスタディは前年度より使用していたテキストを、何が何でも終わらせてやる~!!って気持ちで取り組みました。夏場はそれぞれの奉仕が重なったためできませんでしたが、この2月をもってテキスト終了となりました。半ば強引でしたが感謝です。
 同盟教団の青年キャンプへの参加や独自のキャンプも実行できました。同じ世代のクリスチャンとの交わり、貴重な体験と出会いがあり、恵多い時となりました。独自のキャンプでは、何気なくいる集団が軽井沢でのショッピングと聖書の学び(?)を目的に足を伸ばしました。結局A君が可哀想でした。身勝手なお姉さんたちでごめんなさい。
 また、好きな者同士で食事会やデザートバイキングを個々に行いました。自由におこなったので、参加できた方はとてもラッキーです。食事会は、ほとんど鍋でした。鍋に関しては、一麦会の右に出る会はいないでしょう。それでもやっぱり、闇鍋をできなかったのが残念でなりません。次回、期待しています。デザートバイキングは、とても甘い時間を味わいました。これで、嫁に行けると思います。
 クリスマス会は簡単な食事会となりましたが、ヤンチャのみんなも参加してくださってとても賑やかな会となりました。ごちそうさまでした。
 なぜか食べてばかりですね。それも一麦会です。美味しいものを美味しいと言えるそんな会・・・一麦会。
 一麦会の会長として至らないところはあり過ぎましたが、みなさまの暖かい御配慮により年度末を迎えることができました。ありがとうございました。新たな1年が始まりましたが、今後とも一麦会を暖かく見守ってください。よろしくお願いします。

■百読も一見に如かず M.Y.

 2月18日から28日の11日間、正村先生とご一緒にイスラエルの旅に行ってきました。お誘いを頂き、二つ返事で参加をお願いしました。政情不安定のこの時期に、どうして今なの?、、、と家族から心配されましたが、無事に帰って来れたので安堵しました。
 イスラエルへは成田からオランダまで12時間、乗継ぎに5時間程待ち、テルアビブまで5時間です。自宅から成田までのタクシーの時間を含めると1日では着きません。日本とは時差が7時間で、「そろそろ礼拝が終わりますね」と、まだ朝の5時です。(腕時計二つ)
 ガイドをして下さったKさんはイスラエル観光省公認ガイドで、牧師の資格もあり、イスラエルが大好きで15年も住んでおられる方、今回は私たちをレンタカーを自ら運転し案内してくれました。
 イスラエルは四国より少し小さく、緯度も32度位。南北に長い国で1年に7日位しか雨が降らないという南の砂漠地帯。北へ移動する途中にはダビデのオアシスと呼ばれる木陰や緑地が点在し、北海道を思わせる緑豊かな丘陵地帯も続きます。
 死海のホテルに2泊し、ベエル・シェバの遺跡、エリコの町、マサダ遺跡、写本の見つかったクムランなど見学し、ガリラヤ村まで北上して3泊、エルサレムに3泊して、イエス様ゆかりのナザレ、ガリラヤ湖、山上垂訓の場所、又エルサレムの旧市街地、オリーブ山、「悲しみの道」を通りカルバリの山へ、イエス様生誕のベツレヘムへも行きました。遺跡の多くは、ギリシャ正教、ローマカトリックなどの教会の中に保存されています。たくさんの遺跡を見たり、触れたりしてイエス様の存在を確かめられ、今までは伝説と想像の世界で聖書を読んでいましたが、ナザレ・ベツレヘム・エルサレム・エリコなどイエス様の歩かれた距離も見当がつき、色が見えたり、立体的に理解できるようになりました。
 イスラエルは人口700万人で6割がユダヤ教、他はイスラム教とキリスト教です。世界各地に散らされていたユダヤ人が戻り建国して60年余です。エルサレムを中心とした遺跡保存地域は石造りの家。テルアビブなどの経済・工業都市は片側4車線の道が走り、ショッピングセンターや建設途中のビル、大きなサッカー場もあり発展途上中です。菜の花やアネモネの群生、バナナやなつめやしの大規模な畑、梅の花に似たアーモンドの花が満開でした。羊飼うベドウィン族の人たちを見かけるなどのどかな半面、パレスチナ地区への出入りは検問が厳しく、銃を持つ兵士に通してもらいました。イスラエルの国に神の守りと恵みを祈り、皆様のお祈りを感謝しつつご報告まで。トダ(ヘブライ語で有難う)。

■153匹の魚 正村八重子

 二月の最も寒い時期に私とY姉は、ガイドのK先生とともにガリラヤ地方のマグダラのマリアの出身地マグダラにいた。ガリラヤ湖が眼下に見える坂道の多い美しい町、この町のクリスチャンのための宿舎、世界各地から来る初対面の人々とともに祈り、食し、交わりができることのすばらしさを感じた。Y姉は日本を代表してC国代表の青年と卓球で勝利?した。
 「日本は寒いよ。今日は朝から3回も雪かきをした。」と娘から電話が入った。でも、こちらは初夏、宿舎を一歩出ると緑のジュータンの上に赤黄白の美しい花が咲き、あらゆる柑橘類がおいしそうに実っている。採りたてのオレンジの美味であること。
 きのうは見学の後キブツに入ってガリラヤ湖の魚を食べましょうと出発した。山上の垂訓の丘や、ペラに再献身の教会を訪ね、ガリラヤ湖の復活後のイエス様と弟子たちが会う約束をしたガリラヤ湖畔に立った時は感動した。イエス様が炭火と魚とパンを用意しておられた場所はここですよと教えていただいた。大勢の観光客が素通りする中、私たちはそこのベンチに腰を下ろし、ヨハネ21章を読んでメッセージを聴き、また感動した。この時のぺテロは主にお会いするために上着を用意していたという。主にお会いする喜びと緊張が伝わってくる。
 また、漁に出た弟子たちは「その夜は何もとれなかった」というのに、イエス様の一声「舟の右側に網をおろしなさい」。するとおびただしい魚がとれ、網を引上げることができない程であったと。おびただしい魚の数は153匹であった。何故153匹なのか、およそ150匹でもいいのではないかと不思議に思っていた。ここの解釈は学者によって様々であるが、その中の一つは、153は1から17まで足すと153。17の10と7の、10は10戒、7は完全数で153なのだと。それでこの数は神の完全、全ての人が救われるための完全だという。それにしても153匹の魚の一匹、ガリラヤ湖の魚の大きかったこと。大皿にいっぱいになるピーターフィッシュ(ぺテロの魚)のカラ揚げのおいしかったこと。今度みんなであの魚を食べに行きましょう。

■エッセイ 「聖火リレー」 金本義也

 先日、長野市で北京オリンピックの聖火リレーが行われました。平和の象徴としての聖火リレーでしたが、逮捕者6名、また、コース外での流血など、、、手放しに歓迎できる状況ではありませんでした。非常に残念なことです。
 「ペイ・フォワード」という映画があります。主人公の少年が「世界を変えるために何をしたらいいのか?」と問われて考えたのが、人にされた感謝をその本人にお返しするのではなく、他の三人に返していくというものでした。私たちは、何か良いことをされたら、少なからず、感謝の気持ちを抱いたり、お返しをしたいという気持ちになったりするのではないでしょうか。特に、日本人は、その文化的背景においても、その傾向が強いと思います。この「ペイ・フォワード」という考えは非常に聖書的です。「神を愛しなさい」と「隣人を愛しなさい」。この二つによって聖書の律法は要約されます。そして、その二つは、表裏一体の教えでもあります。神様が私たちを愛してくださっている。その感謝から、私たちも神様を愛する。けれども、目に見えない神様を愛するには、私たちの周りにいる人たち、目に見える隣人を愛することによって神様を愛することができるのです(マタイ25:40)。ですから、この「ペイ・フォワード」は非常に聖書的なリレーです。
 本来は、平和の象徴としてのオリンピック、聖火リレーです。平和の火を、トーチを回していくと、やがて回り巡って、自分にも帰ってくるのです。神様の愛を受け取ったクリスチャンは、その火を絶やさずに、留めておかずに、次の走者へ、隣人へ渡していく使命を負っています。良くしてもらった感謝の気持ちを、他の三人へ回していく「ペイ・フォワード」のバトンを、神様から受けた愛、福音のバトンを、聖(霊の)火を隣人に回していくことによって世界が変わるでしょう。
 マルコ 12:30-31 「『心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」

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2008年春(3月)号

■巻頭言 「出ていく信仰」 金本義也

 卒業の季節になりました。雪の残る寒い日もまだ続きますが、どことなく、春の暖かさを感じるようになりました。スノーボード好きの牧師としては、昨年に比べて質の良い雪が近くにあるのにずっと滑りに行くチャンスがなく、今シーズンの初滑りが2月末というのは、ストレスな冬であったかもしれません。まだシーズンが終わっていませんので、春滑りを楽しめたらと目論んでいますが…。
 一年に一度のSFC(スノーボーダーズ・フォー・クライスト)のキャンプがこの時期、乗鞍高原のノーススターで開催されます。ウィンタースポーツを通して、仲間になりキリストを紹介していくという目的を持ったキャンプです。金曜から日曜までの2泊3日、共に滑り、ゲレンデでフリードリンクをみんなに振る舞い、土曜の晩に企画されているRail Jam(スノーボードの技を競う大会)に招待し、クリスチャンボーダーの証しとメッセージの時間が持たれたりします。このミニストリーを通して救われた人も与えられています。また、各地域でスノーボードを通して知り合うことをSFCのメンバーは行っています。以前には、海外からクリスチャンスノーボーダーのチームが訪れて地元のボーダーたちと友達になっていくといったことも行われました。世界的にこのミニストリーが用いられています。
 「教会には、若者がいない、いない」と言われていますが、ゲレンデには大勢の若者が溢れています。その若者たちにキリストを紹介できたら、種まきができたら、やがて、多くの収穫を迎えることでしょう。イエス様は神の御子なのに、私たちのところに来てくださいました。この地上でも罪人と呼ばれる人々のところで一緒に食事をしてくださいました。
 キリストに倣う者として成長を願うクリスチャンならば、イエス様のように救われるべき人のところへ出て行く必要があるのではないでしょうか。ただ教会で祈って待っているだけではなく、出て行く信仰が必要ではないでしょうか。イエス様のように…。
 ルカ 19:10 「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

■食肉目ネコ科ヒョウ属アダムライオンズクラブ――壮年会の1年をふりかえって―― H.E.

 ライオンとかオオカミとか、あの手のものはリーダーのもとに組織的な狩りを行うそうです。リーダーの意志(目標)がはっきりしさえいれば、ぶっつけ本番で仕事をします。事前の協議はしませんし、それほどていねいな仕事もしません。オレは今日、赤いキツネより緑のたぬきがいい・・など個々の好みや都合は関係なし。リーダーの好みや考え方も関係なし。「誰がリーダーか」「何が目標か」・・それだけはっきりしていればいいそうです。
 今年、順番によって会長になった私はチワワのような小さな存在でしたが、壮年会の皆様が老若問わずお支え下さいました。本当にありがとうございました。冷や汗ものの企画もありましたが、目標と役割分担の情報共有さえすれば全てぶっつけ本番でいけました。計画も「何をしたいですか」と訊くよりも、「こういうのはどうですか」と提案すると、すぐに決まりました。また、「それならこうするといい」等とお知恵もたくさん寄せられました。
 「壮年(会)は毒にも薬にもならない」という言葉があるそうです。実務をテキパキとこなしていく婦人会をたたえる賛辞の中でセットもので使われるフレーズだと思います。勿論、ニヤリと笑ってユーモアとして聞く内容のもので私もそのように聞いていました。 ただ、今振り返るに、壮年はライオンやオオカミの集まりのようなところがあって、目標や意志の伝達といったものが明確であれば、毒にも薬にもなれるような気がします。それは多分、目標のない平和なときののんびりとした姿とは違うでしょう。
 1年間ありがとうございました。鍋こがしてすみません。

■「とうとき泉」でありましょう! K.M.

 長野福音教会もまもなく創立50周年。恵みあふれた日々を与えてくださった主に心から感謝致します。この50年の間には、教会としてのさまざまな伝統やしきたり・年間計画のパターン・奉仕の形もできてきました。ともすれば、去年と同じ枠に、今年は誰を充てようかといった過去踏襲型の教会活動に陥ってしまってはいないか。注意しなくてはと思います。HPが毎週更新されるように、教会もよりよきに向かって日々更新されていかなければ生きて働く教会とはいえないのではないかと最近よく思わされます。泉会の構成員も、50年前と今とでは、家庭における立場も、社会における立場も変わってきているのは当然のこと。そんな中にあって、どんな学び・交わりが必要なのか、どんな形で奉仕ができるのか、考えつつ進めていきたいと思っています。いつもコンコンと清水の湧き出る、澄んだ水の「泉会」が、「水溜り会」にならないように、新しい発想をどんどん出し合って、励ましあっていきましょう・・・なんて。かくいう私は、特別な湧き水のありかを知るでなし、他のお二人の役員の姉妹や皆様に助けていただくことばかりだとは思いますが、これも、何かの訓練のために主が定められた1年だと思って、どうか忍耐を持ってお付き合い下さい。よろしくお願いします。

■洗礼を受けて S.S.

 私は、昨年12月16日に、この長野福音教会で尊くも神様の前で、今まで犯してきた私自身の全ての「罪」を悔い改めることを告白し、洗礼を授かることができました。ここに、心から全能の父なる神に、また、私の「罪」の悔い改めを神様に取り次いでくださったイエス様に感謝申し上げます。
 私は、3年前に、長野にやってきました。東京での学生生活に疲れ果て、心も体もぼろぼろになっていました。東京では、先輩からのとある宗教への勧誘にひっかかり、どんどんお金を取られ、それでも先輩が怖くて抜け出せない日々を過ごしておりました。こんなぼろぼろだった私を神様は救ってくださいました。木暮兄弟を通して、私を選んで長野福音教会に導いてくださいました。昔からSEBC(キリスト教放送局)のラジオをたまに聞いたりして、神様やイエス様には少し興味を持っていました。特に「罪」という言葉が、その当時から脳裏に焼きついて離れなくなりました。「自分は、罪を犯しながら日々生きているのだ」という気持ちがいつもありました。間違った宗教に引っかかってしまい、人間の作り出したものを信仰してしまった愚かな私が生まれ変わるためには、「罪」を悔い改めるしか無いと思いこの教会の門を叩いたのが最初でした。
 教会に行ってみると、みなさんとても親切で、人間不信の固まりだった私の心は、硬い結び目がゆっくりゆっくり解けていくようにほぐれていきました。
 ところが、長野に来て二ヶ月経ったある日、愛する友の突然の訃報を聞きました。それも自らで命を絶ってしまったという信じられない出来事でした。自殺は、けっして許される「罪」ではありません。でもそれを一番身近な親友が犯してしまったことをどうしても受け入れることができませんでした。なんで私は教会に行っているのにこんな悲しい目に合わなければならないのか、となんども思いました。しかしそれと同時に、自殺した友が、なんとか裁きの中で「罪」を許され、天に召される方法はないものかと言う思いが芽生えてきました。
そのころから、偶然にも教会で入門講座をやっていただくことになり、学びの時を得ました。しかし聖書は、難しく殆ど理解できませんでした。ただ根拠はないのですが、学びの時を重ねていくうちに、「神様は、いるんだ」と言う確信を持てるようになりました。例え聖書が理解できてもゴッホのように自ら死を選んでしまう人もいるのだから、一番大事なのは、信仰以外のなにものでもないということに気づいて、神様の前で全てを告白して、「罪」を悔い改める決心をしました。
 現在クリスチャンになって二ヶ月余りが過ぎようとしております。この教会に行くようになって、妻との交際もスタートし、今では最高の妻とせいいっぱい日々の暮らしを頑張っております。良い妻と巡り会わせてくださった神様に感謝しております。

■洗礼を受けて F.I.

 私は、神様と出会うまで、また現在に至るまで本当に試練の道を通されました。しかし、沢山の人たちの支えと励ましによってこうして受洗することができたのを心から感謝しています。洗礼の直前に、「本当に今のままの自分がバプテスマを受けていいのか」と不安になりましたが、「今のままでいいのですよ。完全な人なんて何処にもいません」と励まされ、神の家族の一員として迎え入れていただくことができました。信仰を持って、主と共に歩む人生を大切にしていきたいと思います。

■私のこだわり〝それはピアノ″ K.M.

 今までに人前で演奏したグランドピアノは40台以上で、少し弾いたものを合わせると100台以上にはなるでしょう。まず、印象に残ったピアノのことを書きたいと思います。①番は私のピアノをカワイの工場へ買いに行った時のことです。工場内を一通り案内してもらい、特別室にあるものを恐る恐る弾かせて頂いたのです。我こそはピアノの王様であるという存在感がすべての点で備わっていて、世の中にこんな凄いピアノがあったのかと驚きと感激に身体中が打ち震えて、涙で弾けなくなる程でした。②番目はできたばかりの更埴あんずホールのスタインウェイで、どんな小さな細かい音をも逃さずに捉えてくれて、粒が揃って、又美しい音色で弾き易かったのです。③番目は軽井沢大賀ホールのヤマハで、ここはこういう音が出したいという私の要求に答えてくれたのです。4月にまたこのピアノに会えるのが楽しみです。その他にも、ビロードのような音色のとか、久しぶりに訪れた母校の大学には羽のように軽いものがあってこれにも驚かされました。私は聴衆の前で弾くことよりも、どんなピアノに会えるかの方がずっと楽しみです。全国を演奏できるようなプロの方はそれなりに大変でしょうが、うらやましい限りです。
 20~10年前にはショパンのエチュード(別れの曲 黒鍵 エオリアンハープ 革命など)やベートーベンの熱情、リストの愛の夢などの難曲ばかりに挑戦していました。演奏会に出す迄には、神様にいろいろ教えて頂きながら、700~800回は弾き暗譜をします。しかし最近、寄る年波には勝てず暗譜が困難になりました。従ってその後は、幻想曲や即興曲という形式に縛られない変化の多い曲や、ショパンのノクターンの優しく哀愁のある曲など、難曲ではないけれど深みのある飽きない曲を好んで弾いています。
 ただ私のピアノを1とすると、家庭用のアップライトピアノは半分、教会の電子楽器はそのまた半分の表現しかできないのは残念です。ホールやサロンコンサート、教会関係で大好きなピアノを弾く機会が与えられることは深い感謝です。いつまでも弾いていたいな!

■つくば便りⅡ T.T.

 クロウズネスト教会のみなさまへ
 お元気ですか。オーストラリアでは10ヵ月間でしたが、貴重な体験を通し、充実した毎日を過ごしました。その中でも私にとって一番の幸いはクロウズネスト教会に導かれたことです。年代も国籍も様々ですが、信仰の厚いクリスチャンとしてとても尊敬のできる皆さんに出会えたこと、そして共に祈り合えたことは、何にも勝る主の恵みと感謝せずにはいられません。
 昨年4月に初めて教会を訪れ、礼拝の中で賛美を聴いたとき、涙が止まりませんでした。オーストラリアに無事に着いたこと、世界中どこにいてさえ私たちの信ずる神様の愛はひとつだと実感できたことからくるものでした。それからは水曜ごとにバイブルスタディに参加するようになり、信仰を共有する大切な若い仲間たちと、とても有意義で楽しい時間をご一緒するようになりました。
 クリスチャンホームで育ち、18歳の時に洗礼を受けた私ですが、オーストラリアに来るまでの信仰生活はとても貧しいものでした。主の日に教会へは行くものの、普段はまるで神様のことなんて知らないとでも言うかのように毎日を過ごし、特に大学に入ってからはいろいろ躓くこともありました。同じ教会のクリスチャン同志で交わる機会は日曜日だけ。時々バイブルスタディなどに誘われても勉強やバイトで忙しいので、といつも断わってばかりでした。学校の友人に、神様のことを証ししたことは一度もありません。それでも私は聖日を守っているからいいや、そんな風に自分を納得させていました。
 昨年、思い立って休学し、シドニーに来て時間もたくさんできたため、教会の活動にはそれまでよりも積極的に参加するようになりました。すると、バイブルスタディで神様のことを学ぶことが楽しいと思えるようになり、またクリスチャンの友達もたくさんできて、初めて会った相手にも自分はクリスチャンであると言えるようになり、どうしてそれまで自分は神様に対して消極的、いやむしろ時には否定的でさえあったのだろうかとなにか不思議なことに思えてくるのです。
 私にとっての変化のあらわれは、同じ大学、学部で偶然同じ時期にシドニーに来ていたノンクリスチャンの友達をクロウズネストに連れていったことでした。あとで彼女に感想を聞いてみると、意外にも、「牧師先生の言っていたことはとてもよくわかったよ!」という答えが返ってきて、そのとき私は、何か心強さのようなものを感じたのでした。今度その友人をつくばの教会に連れて行こうと思っています。
 シドニーに来て、神様と向き合う時間がとても増え、何をするにも神様の意思を優先しなければならない、またそうすればあとは何も心配する必要はないということを学んだのだと思います。
 主はいつも“喜んで”私たちの面倒を見てくださるのでしょう。これからの人生には、また辛い試練を経なければならないと思いますが、そんなときこそ主を心から信頼して、成長して行きたいと願っています。神様のことをいつも一番にして、少しでも周りの人々にその栄光をあらわせるよう努力していきたいです。本当にありがとうございました。皆さんにまた会える日を楽しみにしています。

(‘07/3から‘08/1までオーストラリアのクロウズネスト教会に通っていた姉妹が帰国して、その信徒の皆さんに宛てたメールを転載しました)

■エッセイ 「マイムマイム」 正村八重子

 「それゆえ、その場所はベエル・シェバと呼ばれた。その所で彼らふたりが誓ったからである。・・・アブラハムはベエル・シェバに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神、主の御名によって祈った。」(創世記21:31-33)
 旧約聖書にしばしば出てくるベエル・シェバ、アブラハムはここに井戸を掘り、ヤコブもこの地を基点としてカランに向かい、後にヨセフの待つエジプトに下る時もここから出発した。そのベエル・シェバの井戸、深い深い階段を下りて女たちは水を汲んだという。ヨロヨロした足取りでヘルメットをつけてやっと下りたのに、この地下から水を持って上るとはどんなに大変であったことか。蛇口をひねって、水も湯もでてくる現代人の生活では想像もつかないことである。
 死海の両端のホテルから、荒野を車でどのくらい走ったことか。昔、ここが主の祭壇であったと、アブラハムはどこに行っても先ず、契約の神との交わりを持った。荒野で生活する人達にとって、水は死活問題。聖書には、水を汲む、水を飲むと、井戸端での話がしばしばでてくる。それだけ水は大切であった。イスラエル全体は乾燥地帯なので、水は手放せなかった。
 小学生や中学生が踊る、マイムマイムの歌やダンスはイスラエルの歌だとは聞いていたが、そのマイムが水だとは知らなかった。それだけ彼らは絶えず水を求め、マイムマイムと歌った気持ちが、ここベエル・シェバで分かった気がした。この日、この井戸を訪ねたのは私達だけで、一般観光客がいなかったので、ゆっくり見学することができた。4千年の昔、アブラハムがあの絵のようないでたちで、ここを歩き、祭壇を築き、井戸を掘っている姿が目に浮かんだ。孫のヤコブもカランの伯父の所に出発した。
 主の言葉「わたしが与える水を飲む者はだれでも決して渇くことがありません。わたしが与える水はその人のうちで泉となり。その人のうちで泉となり永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

2008年冬(1月)号

■巻頭言 「教会の高齢化は信仰継承により修正される」 正村八重子

 「私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア)「彼女も、またその家族もバプテスマを受けた。」(ルデヤ)「彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。」(ローマ人の看守) 旧約聖書の時代から初代教会までの多くは、家族をあげて神様を信じたようです。(例外もありますが。)
今日の日本の社会も教会も高齢化、少子化と言われて久しい。人は都会に集中して住み、地方の町々、村々の人口は減少する。日曜学校に生徒が来ない、信徒も牧師も高齢化し、後任牧師が足りない状態だという。
 長野県の人口およそ200万、それに対し、教会は152、一教会の礼拝出席者は、平均27名(プロテスタント教会のみ)。長野県のクリスチャン人口は全国平均の36位であるから、まだまだ、伝道する余地が残されている。(1位 東京、2位大阪 クリスチャン情報ブック2006年版より)
私達の教会は今まで、積極的に春秋の伝道会のほか、婦人、青年、子供、クリスマス、と、外に向けて伝道してきました、しかし、昨秋から祈っているうちに教えられたことがありました。10年、15年前の中学生、高校生たちは今、どうなっているだろうか?と。彼らは週3回は必ず教会に来ていた。主日は朝から夕方まで、水曜日の祈祷会も必ず出席していた。土曜日の地の塩会には、学校の帰りにと。彼らは、今、20代後半から30代の元気な青年からおじさんに移る寸前。
 当時の元気から考えると教会の次世代を支える後継世代がいないとは考えられなかった。その中の何人かは、今も残って教会に仕えておられる姿を見ると、とても慰められる。と同時に後継世代を育てることに失敗したのではないかと自責の念がある。今年は外に向けての伝道とともに、彼らに声を掛けていきたい。彼らは幼い時からみことばを聞いて育っているのだから。祭司エリヤやサムエルのような失敗はしたくない。けだし、彼らは立派な神の器であったが、必ずしも子供たちの教育は十分できなかった。

■エッセイ 「道を切り開く者」 金本義也

 新しい年を迎えました。今年の元旦は、大晦日から降り積もった雪かきでスタートしました。大晦日から降り続ける雪に「明日の朝は雪かきをしないと」と思いつつ朝を迎えると、広い駐車場ではすでにおとこまえパパさんが雪かきを一人で始めていました。
 急いで除雪機を使って雪かきに参戦したのですが、暖冬だった昨シーズンに出番がなかった除雪機を2年ぶりに始動したため、取り扱いに慣れるのに手こずり、雪かきの仕上がりは酷いものでした。後から、参戦してくれた雪かきのベテランである長老さんに手伝ってもらいながら、元旦礼拝に間に合わせて雪かきを終えました。
 おとこまえパパさんは、元旦礼拝には出席できないけれど、雪かきをと朝早くから駆けつけてくれました。雪かきのベテラン長老さんも、普通乗用車で除雪機の使えない広い駐車場を駐車できるように整えてくれました。
 長野福音教会の底力を感じた元旦の朝でした。いざという時に手を差し出すことが出来る、神の愛を実践出来る、それこそが主の体である教会だと感じました。
 今年は、120名の礼拝を目指していこうとヴィジョンが与えられ、皆さんで祈り、信仰の一歩を踏み出して行きたいと思います。雪かきをするのには、足跡のない雪の降り積もった中に足を踏み入れて行かなければなりません。冷たさを感じるかもしれません。汚れるかもしれません。疲れるかもしれません。孤独を感じるかもしれません。けれども、踏み出し、切り開いて行くならば、大勢の人が喜んで通ることが出来ます。高齢の方々が通れるようになります。足の不自由な方々が通れるようになります。小さな子どもが歩けます。神様の約束はすべての人に開かれたものです。私たちがそれを閉ざさずに、開いた状態にしておく必要があります。なぜなら私たちは約束の地を、この民に継がせる者だからです。
 ヨシュア 1:6 「強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。」

2007年冬(11月)号

■巻頭言 「伝道と電子メディア」 K.S.

 伝道、宣教はクリスチャンにとっていつも心の片隅にある大きな課題です。「理論と現実」ではありませんが、それが神様のご命令であることを頭のなかで承知していても、具体的な働きによって結果を出すのはなかなか難しいというのが実感ではないでしょうか?身近な人たちを誘おうと思っても後一歩の勇気がなかったりしてしまいます。伝道というのは、人と人とのコミュニケーションだと思います。基本は、人と人が顔をあわせて言葉を交わすことによって意思を通わせることだと思います。ところが、最近はそのコミュニケーションのあり様が変わってきていると言われています。人と人の関係が希薄になり、相手の考えていることを理解できないと言われています。人と人は、様々なコミュニケーションツール(例えば携帯電話やパソコン)の力を借りてつながる時代になっています。
 教会ではすでにホームページを掲げています。これは教会にとって現代的な伝道のツールとも言えるものです。電子メディアによる伝道=情報発信は、不特定の人たちに全く平等に発信され続けています。礼拝メッセージを聞けるホームページも見受けます。
 現在、教会ホームページの更新を計画中です。新着情報などを増やして、できるだけホットな情報を伝えられる構成にしたいと思っています。内容は徐々に整えていこうと思いますので、ご理解をお願いいたします。ホームページというのは経過も結果も把握しにくいものですが、教会の扉を叩くことに逡巡している方や活字を読まなくなりつつある世代などにも神様のメッセージが伝わって、いつか教会に足を運ぶきっかけになってくれれば、、、と思います。
 先行してブログがスタートしました。(私にはツイていけませんが、、、楽しいです!?)。

2007年秋(9月)号

■巻頭言 「平和をつくる者」 S.S.

 猛暑となった今年の夏、我家のエアコンは相変わらず使用を自粛するうちオブジェと化し、さらに扇風機も壊れてしまい、より一層暑い夏となりました。
 ところで、暑さの中、8月といえば終戦記念日、広島・長崎の原爆投下の日とひときわ平和のことを考える月だと思います。聖書の中には「平和をつくる者は幸いです。その人は、神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:8)」とあります。「平和な中にいる者」「平和を願う者」「平和を唱える者」ではなく、「平和をつくる者」こそが幸いとされています。英語の訳では「ピースメーカー」とするものがあり、一層意味が際立ちます。平和はあるものではなく、つくりだしていくものということが言われています。個人の間の平和-和解-から世界平和まで様々な形がありますが、どのようにつくりだしていけばよいのでしょうか。
 その生涯をインドなどのスラム街の最貧困層の人々のために捧げたマザー・テレサが召されて今年で10年。聖書の他は、サリーと洗濯用のバケツが持ち物のすべてというマザーがノーベル平和賞を受賞した時のインタビューで、「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたマザーは、『家に帰って家族を大切にしてあげてください』と答えています。また、「世界の平和は、まず家庭の平和から始ります」「もし私たちが、自分の心のなかに平和を持っていなければ、平和のために働くことも、平和をもたらすこともできません」とのことばも残しています。平和のための様々な活動や働きもここにその源があるようです。しかし、マザーのこのことばを行うことが実はもっとも難しいことであるのかもしれません。
 また、世の平和について語るとき、その前提として神と人との間に築かれる平和を忘れてはならないでしょう。その平和は、私たちの罪のために十字架にかかってくださったイエス・キリストを救い主として信じ、罪赦される時に与えられるものです。
 「礼拝に行こうとして道を歩いている時、もしだれかが自分に対して恨みを抱いていることを思い出したなら、そのまま礼拝に行ってしまわないで、恨みを抱いている人のところに行って、和解をしなさい。それから、礼拝をささげることです(マタイ5:23‐24 尾山現代訳)

■エッセイ 「暑い?熱い?思い!」 金本義也

 今年の8月は、暑さの厳しい夏の日々であったなぁと思い返されますが、特に猛暑の続いた8月14日~16日、特に暑い横浜での世界宣教大会が行われました。神奈川県民ホールをメイン会場に1500名以上のクリスチャンたちが集まって来ました。全国200以上のある我々日本同盟基督教団の教会から1500名以上が集う規模の大会は、大会実行委員長の山田先生の挨拶からも、主の栄光を拝するものであったと感じました。
 メイン講師には、2004年の青年宣教大会フロンティアでも講師をされた韓国地球村教会牧師の李東元先生でした。通訳者の招待キリスト教会の趙南洙先生との絶妙なコンビネーションで私たち一人ひとりが宣教の働きに関わるものであるとの熱いメッセージをいただきました。
 全体集会の他にも、ゲストのゴスペルシンガー、KIKIさん、大和田ひろみさんのコンサート、様々な分野での宣教についての分科会、年代に分かれての大会など、盛りだくさんでした。会場入り口周辺には、宣教報告や書店などのブースが設けられ、久しぶりの再会を喜ぶ場ともなっていました。世界中でなされる神様の働きを見、神の家族のよい交わりを味わえるひと時でした。
 個人的には、ワーシップチームの奉仕のため、ほとんどの時間を楽屋で過ごし、再会を喜ぶ機会がありませんでした。(大会に参加した父とも、一度会えたきりでした。)しかし、これは天国での再会の前味を経験させてもらっているかのようでした。
 今回の1500名を超える日本同盟基督教団の大会が、やがては、少し前にさいたまスパーアリーナで開催された3万人規模のラブ・ソナタ東京のように成長することを夢見て、自分の置かれているローカルチャーチでの宣教への思いを熱くされました。私たちの身近な人々が一人でも多く、天国で再会できることを望んで。
 「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」(マタイ6:10)