日本同盟キリスト教団

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「主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
しかし、必要なことは一つだけです。マリヤはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」
(ルカの福音書10章41、42節)『新改訳2017』

  • 教会では、毎日曜日に神さまを讃える礼拝を行っています
  • 下記に、礼拝時に拝読している聖書の一部を掲載します
  • タイトルの部分をクリックしていただくと、文章が表れます
  • ※ご承知のように聖書は膨大な書物です
  •  少しづつ読み重ねていくことをお勧めいたします
  •  聖書は世界一のベストセラーと言われているんですよ

2018年12月16日
「子を訓練する父」  高橋宣広牧師

 へブル人への手紙 12章1節-13節

 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
 御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。
 神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」またさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」
 さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」
 また御使いについては、「神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、
 御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。
 あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。」
 またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。
 あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」
 神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」

2018年12月9日
「わが子よ」  高橋宣広牧師

 ルカの福音書 15章11節-32節

 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。
 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。
 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、
 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

2018年12月2日
「神の子どもとされる」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書 1章9節-18節

 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
 ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである』と私が言ったのは、この方のことです。」
 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

2018年11月25日
「呼び出されたサムエル」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 28章8節-19節

 サウルは、変装して身なりを変え、ふたりの部下を連れて、夜、その女のところに行き、そして言った。「霊媒によって、私のために占い、私の名ざす人を呼び出してもらいたい。」
 すると、この女は彼に言った。「あなたは、サウルがこの国から霊媒や口寄せを断ち滅ぼされたことをご存じのはずです。それなのに、なぜ、私のいのちにわなをかけて、私を殺そうとするのですか。」
 サウルは主にかけて彼女に誓って言った。「主は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない。」
 すると、女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「サムエルを呼び出してもらいたい。」
 この女がサムエルを見たとき、大声で叫んだ。そしてこの女はサウルに次のように言った。「あなたはなぜ、私を欺いたのですか。あなたはサウルではありませんか。」
 王は彼女に言った。「恐れることはない。何が見えるのか。」この女はサウルに言った。「こうごうしい方が地から上って来られるのが見えます。」
 サウルは彼女に尋ねた。「どんな様子をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏して、おじぎをした。
 サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」
 サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。
 主は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。主は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。
 あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主はきょう、このことをあなたにされたのだ。
 主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。」

2018年11月18日
「臆病の虫」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 27章1節-12節

 ダビデは心の中で言った。「私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、私をイスラエルの領土内で、くまなく捜すのをあきらめるであろう。こうして私は彼の手からのがれよう。」
 そこでダビデは、いっしょにいた六百人の者を連れて、ガテの王マオクの子アキシュのところへ渡って行った。
 ダビデとその部下たちは、それぞれ自分の家族とともに、ガテでアキシュのもとに住みついた。ダビデも、そのふたりの妻、イズレエル人アヒノアムと、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルといっしょであった。
 ダビデがガテへ逃げたことが、サウルに知らされると、サウルは二度とダビデを追おうとはしなかった。 
 ダビデはアキシュに言った。「もし、私の願いをかなえてくださるなら、地方の町の一つの場所を私に与えて、そこに私を住まわせてください。どうして、このしもべが王の都に、あなたといっしょに住めましょう。」
 それでアキシュは、その日、ツィケラグをダビデに与えた。それゆえ、ツィケラグは今日まで、ユダの王に属している。
 ダビデがペリシテ人の地に住んだ日数は一年四か月であった。
 ダビデは部下とともに上って行って、ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲った。彼らは昔から、シュルのほうエジプトの国に及ぶ地域に住んでいた。
 ダビデは、これらの地方を打つと、男も女も生かしておかず、羊、牛、ろば、らくだ、それに着物などを奪って、いつもアキシュのところに帰って来ていた。
 アキシュが、「きょうは、どこを襲ったのか」と尋ねると、ダビデはいつも、ユダのネゲブとか、エラフメエル人のネゲブとか、ケニ人のネゲブとか答えていた。
 ダビデは男も女も生かしておかず、ガテにひとりも連れて来なかった。彼らが、「ダビデはこういうことをした」と言って、自分たちのことを告げるといけない、と思ったからである。ダビデはペリシテ人の地に住んでいる間、いつも、このようなやり方をしていた。
 アキシュはダビデを信用して、こう思った。「ダビデは進んで自分の同胞イスラエル人に忌みきらわれるようなことをしている。彼はいつまでも私のしもべになっていよう。」

2018年11月11日
「神様が報いてくださる」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 26章13節-25節

 ダビデは向こう側へ渡って行き、遠く離れた山の頂上に立った。彼らの間には、かなりの隔たりがあった。
 そしてダビデは、兵士たちとネルの子アブネルに呼びかけて言った。「アブネル。返事をしろ。」アブネルは答えて言った。「王を呼びつけるおまえはだれだ。」
 ダビデはアブネルに言った。「おまえは男ではないか。イスラエル中で、おまえに並ぶ者があろうか。おまえはなぜ、自分の主君である王を見張っていなかったのだ。兵士のひとりが、おまえの主君である王を殺しに入り込んだのに。
 おまえのやったことは良くない。主に誓って言うが、おまえたちは死に値する。おまえたちの主君、主に油そそがれた方を見張っていなかったからだ。今、王の枕もとにあった王の槍と水差しが、どこにあるか見てみよ。」
 サウルは、それがダビデの声だとわかって言った。「わが子ダビデよ。これはおまえの声ではないか。」ダビデは答えた。「私の声です。王さま。」
 そして言った。「なぜ、わが君はこのしもべのあとを追われるのですか。私が何をしたというのですか。私の手に、どんな悪があるというのですか。
 王さま。どうか今、このしもべの言うことを聞いてください。もし私にはむかうようにあなたに誘いかけられたのが主であれば、主はあなたのささげ物を受け入れられるでしょう。しかし、それが人によるのであれば、主の前で彼らがのろわれますように。彼らはきょう、私を追い払って、主のゆずりの地にあずからせず、行ってほかの神々に仕えよ、と言っているからです。
 どうか今、私が主の前から去って、この血を地面に流すことがありませんように。イスラエルの王が、山で、しゃこを追うように、一匹の蚤をねらって出て来られたからです。」
 サウルは言った。「私は罪を犯した。わが子ダビデ。帰って来なさい。私はもう、おまえに害を加えない。きょう、私のいのちがおまえによって助けられたからだ。ほんとうに私は愚かなことをして、たいへんなまちがいを犯した。」
 ダビデは答えて言った。「さあ、ここに王の槍があります。これを取りに、若者のひとりをよこしてください。
 主は、おのおの、その人の正しさと真実に報いてくださいます。【主】はきょう、あなたを私の手に渡されましたが、私は、主に油そそがれた方に、この手を下したくはありませんでした。
 きょう、私があなたのいのちをたいせつにしたように、主は私のいのちをたいせつにして、すべての苦しみから私を救い出してくださいます。」
 サウルはダビデに言った。「わが子ダビデ。おまえに祝福があるように。おまえは多くのことをするだろうが、それはきっと成功しよう。」こうしてダビデは自分の旅を続け、サウルは自分の家へ帰って行った。

2018年11月4日
「聡明な仲介者」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 25章23節-35節

 アビガイルはダビデを見るやいなや、急いでろばから降り、ダビデの前で顔を伏せて地面にひれ伏した。
 彼女はダビデの足もとにひれ伏して言った。「ご主人さま。あの罪は私にあるのです。どうか、このはしためが、あなたにじかに申し上げることをお許しください。このはしためのことばを聞いてください。
 ご主人さま。どうか、あのよこしまな者、ナバルのことなど気にかけないでください。あの人は、その名のとおりの男ですから。その名はナバルで、そのとおりの愚か者です。このはしための私は、ご主人さまがお遣わしになった若者たちを見ませんでした。
 今、ご主人さま。あなたが血を流しに行かれるのをとどめ、ご自分の手を下して復讐なさることをとどめられた主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。どうか、あなたの敵、ご主人さまに対して害を加えようとする者どもが、ナバルのようになりますように。
 どうぞ、この女奴隷が、ご主人さまに持ってまいりましたこの贈り物を、ご主人さまにつき従う若者たちにお与えください。
 どうか、このはしためのそむきの罪をお赦しください。主は必ずご主人さまのために、長く続く家をお建てになるでしょう。ご主人さまは主の戦いを戦っておられるのですから、一生の間、わざわいはあなたに起こりません。
 たとい、人があなたを追って、あなたのいのちをねらおうとしても、ご主人さまのいのちは、あなたの神、主によって、いのちの袋にしまわれており、主はあなたの敵のいのちを石投げのくぼみに入れて投げつけられるでしょう。
 主が、あなたについて約束されたすべての良いことを、ご主人さまに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、
 むだに血を流したり、ご主人さま自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまずきとなり、ご主人さまの心の妨げとなりませんように。主がご主人さまをしあわせにされたなら、このはしためを思い出してください。」
 ダビデはアビガイルに言った。「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、主がほめたたえられますように。
 あなたの判断が、ほめたたえられるように。また、きょう、私が血を流す罪を犯し、私自身の手で復讐しようとしたのをやめさせたあなたに、誉れがあるように。
 私をとどめて、あなたに害を加えさせられなかったイスラエルの神、主は生きておられる。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、確かに、明け方までにナバルには小わっぱひとりも残らなかったであろう。」
 ダビデはアビガイルの手から彼女が持って来た物を受け取り、彼女に言った。「安心して、あなたの家へ上って行きなさい。ご覧なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」

2018年10月28日
「主にさばきを任せる」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 24章1節-15節

 サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいるということを知らされた。
 そこでサウルは、イスラエル全体から三千人の精鋭をえり抜いて、エエリムの岩の東に、ダビデとその部下を捜しに出かけた。
 彼が、道ばたの羊の群れの囲い場に来たとき、そこにほら穴があったので、サウルは用を足すためにその中にはいった。そのとき、ダビデとその部下は、そのほら穴の奥の方にすわっていた。
 ダビデの部下はダビデに言った。「今こそ、主があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ。』と言われた、その時です。」そこでダビデは立ち上がり、サウルの上着のすそを、こっそり切り取った。
 こうして後、ダビデは、サウルの上着のすそを切り取ったことについて心を痛めた。
 彼は部下に言った。「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」
 ダビデはこう言って部下を説き伏せ、彼らがサウルに襲いかかるのを許さなかった。サウルは、ほら穴から出て道を歩いて行った。
 その後、ダビデもほら穴から出て行き、サウルのうしろから呼びかけ、「王よ。」と言った。サウルがうしろを振り向くと、ダビデは地にひれ伏して、礼をした。
 そしてダビデはサウルに言った。「あなたはなぜ、『ダビデがあなたに害を加えようとしている。』と言う人のうわさを信じられるのですか。
 実はきょう、いましがた、主があのほら穴で私の手にあなたをお渡しになったのを、あなたはご覧になったのです。ある者はあなたを殺そうと言ったのですが、私は、あなたを思って、『私の主君に手を下すまい。あの方は主に油そそがれた方だから。』と申しました。
 わが父よ。どうか、私の手にあるあなたの上着のすそをよくご覧ください。私はあなたの上着のすそを切り取りましたが、あなたを殺しはしませんでした。それによって私に悪いこともそむきの罪もないことを、確かに認めてください。私はあなたに罪を犯さなかったのに、あなたは私のいのちを取ろうとつけねらったおられます。
 どうか、主が、私とあなたの間をさばき、主が私の仇を、あなたに報いられますように。私はあなたを手にかけるようなことはしません。
 昔のことわざに、『悪は悪者から出る。』と言っているので、私はあなたを手にかけることはしません。
 イスラエルの王はだれを追って出て来られたのですか。あなたはだれを追いかけておられるのですか。それは死んだ犬のあとを追い、一匹の蚤を追っておられるのにすぎません。
 どうか主が、さばき人となり、私とあなたの間をさばき、私の訴えを取り上げて、これを弁護し、正しいさばきであなたの手から私を救ってくださいますように。」

2018年10月21日
「事あるごとに神に祈る」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 23章19節-29節

 さて、ジフ人たちがギブアのサウルのところに上って来て言った。「ダビデは私たちのところに隠れているのではありませんか。エシモンの南、ハキラの丘のホレシュにある要害に。
 王さま。今、下って行こうとお思いでしたら、下って来てください。私たちは彼を王の手に渡します。」
 サウルは言った。「主の祝福があなたがたにあるように。あなたがたが私のことを思ってくれたからだ。
 さあ、行って、もっと確かめてくれ。彼がよく足を運ぶ所と、だれがそこで彼を見たかを、よく調べてくれ。彼は非常に悪賢いとの評判だから。
 彼が潜んでいる隠れ場所をみな、よく調べて、確かな知らせを持って、ここに戻って来てくれ。そのとき、私はあなたがたといっしょに行こう。彼がこの地方にいるなら、ユダのすべての分団のうちから彼を捜し出そう。」
 こうして彼らはサウルに先立ってジフへ行った。ダビデとその部下はエシモンの南のアラバにあるマオンの荒野にいた。
 サウルとその部下がダビデを捜しに出て来たとき、このことがダビデに知らされたので、彼はマオンの荒野の中で、岩のところに下り、そこにとどまった。サウルはこれを聞き、ダビデを追ってマオンの荒野に来た。
 サウルは山の一方の側を進み、ダビデとその部下は山の他の側を進んだ。ダビデは急いでサウルから逃げようとしていた。サウルとその部下が、ダビデとその部下を捕えようと迫って来ていたからである。
 そのとき、ひとりの使者がサウルのもとに来て告げた。「急いで来てください。ペリシテ人がこの国に突入して来ました。」
 それでサウルはダビデを追うのをやめて帰り、ペリシテ人を迎え撃つために出て行った。こういうわけで、この場所は、「仕切りの岩」と呼ばれた。
 ダビデはそこから上って行って、エン・ゲディの要害に住んだ。

2018年10月14日
「自分のせいで…」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 22章6節-23節

 サウルは、ダビデおよび彼とともにいる者たちが見つかった、ということを聞いた。そのとき、サウルはギブアにある高台の柳の木の下で、槍を手にしてすわっていた。彼の家来たちはみな、彼のそばに立っていた。
 サウルは、そばに立っている家来たちに言った。「聞け。ベニヤミン人。エッサイの子が、おまえたち全部に畑やぶどう畑をくれ、おまえたち全部を千人隊の長、百人隊の長にするであろうか。
 それなのに、おまえたちはみな、私に謀反を企てている。きょうのように、息子がエッサイの子と契約を結んだことも私の耳に入れず、息子が私のあのしもべを私に、はむかわせるようにしたことも、私の耳に入れず、だれも私のことを思って心を痛めない。」
 すると、サウルの家来のそばに立っていたエドム人ドエグが答えて言った。「私は、エッサイの子が、ノブのアヒトブの子アヒメレクのところに来たのを見ました。
 アヒメレクは彼のために主に伺って、彼に食料を与え、ペリシテ人ゴリヤテの剣も与えました。」
 そこで王は人をやって、祭司アヒトブの子アヒメレクと、彼の父の家の者全部、すなわち、ノブにいる祭司たちを呼び寄せたので、彼らはみな、王のところに来た。
 サウルは言った。「聞け。アヒトブの息子。」彼は答えた。「はい、王さま。ここにおります。」
 サウルは彼に言った。「おまえとエッサイの子は、なぜ私に謀反を企てるのか。おまえは彼にパンと剣を与え、彼がきょうあるように、私に、はむかうために彼のために神に伺ったりしている。」
 アヒメレクは王に答えて言った。「あなたの家来のうち、ダビデほど忠実な者が、ほかにだれかいるでしょうか。ダビデは王の婿であり、あなたの護衛の長であり、あなたの家では尊敬されているではありませんか。
 私が彼のために神に伺うのは、きょうに始まったことでしょうか。決して、決して。王さま。私や、私の父の家の者全部に汚名を着せないでください。しもべは、この事件については、いっさい知らないのですから。」
 しかし王は言った。「アヒメレク。おまえは必ず死ななければならない。おまえも、おまえの父の家の者全部もだ。」
 それから、王はそばに立っていた近衛兵たちに言った。「近寄って、主の祭司たちを殺せ。彼らはダビデにくみし、彼が逃げているのを知りながら、それを私の耳に入れなかったからだ。」しかし王の家来たちは、主の祭司たちに手を出して撃ちかかろうとはしなかった。
 それで王はドエグに言った。「おまえが近寄って祭司たちに撃ちかかれ。」そこで、エドム人ドエグが近寄って、祭司たちに撃ちかかった。その日、彼は八十五人を殺した。それぞれ亜麻布のエポデを着ていた人であった。
 彼は祭司の町ノブを、男も女も、子どもも乳飲み子までも、剣の刃で打った。牛もろばも羊も、剣の刃で打った。
 ところが、アヒトブの子アヒメレクの息子のエブヤタルという名の人が、ひとりのがれてダビデのところに逃げて来た。 
 エブヤタルはダビデに、サウルが主の祭司たちを虐殺したことを告げた。
 ダビデはエブヤタルに言った。「私はあの日、エドム人ドエグがあそこにいたので、あれがきっとサウルに知らせると思っていた。私が、あなたの父の家の者全部の死を引き起したのだ。
 私といっしょにいなさい。恐れることはない。私のいのちをねらう者は、あなたのいのちをねらう。しかし私といっしょにいれば、あなたは安全だ。」

2018年10月7日
「パンと剣」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 21章1節-9節

 ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに行った。アヒメレクはダビデを迎え、恐る恐る彼に言った。「なぜ、おひとりで、だれもお供がいなのですか。」
 ダビデは祭司アヒメレクに言った。「王は、ある事を命じて、『おまえを遣わし、おまえに命じた事については、何事も人に知らせてはならない。』と私に言われました。若い者たちとは、しかじかの場所で落ち合うことにしています。
 ところで、今、お手もとに何かあったら、五つのパンでも、何か、ある物を私に下さい。」
 祭司はダビデに答えて言った。「普通のパンは手もとにありません。ですが、もし若い者たちが女から遠ざかっているなら、聖別されたパンがあります。」
 ダビデは祭司に答えて言った。「確かにこれまでのように、私が出かけて以来、私たちは女を遠ざけています。それで若い者たちは汚れていません。普通の旅でもそうですから、ましてきょうは確かに汚れていません。」
 そこで祭司は彼に聖別されたパンを与えた。そこには、その日、あたたかいパンと置きかえられて、主の前から取り下げられた供えのパンしかなかったからである。
 ――その日、そこにはサウルのしもべのひとりが主の前に引き止められていた。その名はドエグといって、エドム人であり、サウルの牧者たちの中のつわものであった。――
 ダビデはアヒメレクに言った。「ここに、あなたの手もとに、槍か、剣はありませんか。私は自分の剣も武器も持って来なかったのです。王の命令があまり急だったので。」
 祭司は言った。「あなたがエラの谷で打ち殺したペリシテ人ゴリヤテの剣が、ご覧なさい。エポデのうしろに布に包んであります。よろしければ、持って行ってください。ここには、それしかありませんから。」ダビデは言った。「それは何よりです。私に下さい。」

2018年9月30日
「天の御国は」  平島誠牧師

 マタイの福音書 22章1節-14節

 イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。
 「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。
 王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。
 それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』
 ところが、彼らは気もかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、
 そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。
 王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。
 そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。
 だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』
 それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。
 ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。
 そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。 
 そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。
 招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」

2018年9月23日
「三本の矢」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 20章18節-23節

 ヨナタンはダビデに言った。「あすは新月祭です。あなたの席があくので、あなたのいないのが気づかれるでしょう。
 あさってになれば、きびしく問いただすでしょうから、あなたは、あの事件の日に隠れた場所に行って、エゼルの石のそばにいてください。
 私は的を射るように、三本の矢をそのあたりに放ちます。
 いいですか。私が子どもをやって、『行って矢を見つけて来い。』と言い、もし私がその子どもに、『それ、おまえのこちら側にある。それを取って来い。』と言ったら、そのとき、あなたは出て来てください。主は生きておられます。あなたは安全で、何事もありませんから。
 しかし、私が少年に、『それ、矢はおまえの向こう側だ。』と言ったら、あなたは行きなさい。主があなたを去らせるのです。
 私とあなたが交したことばについては、主が私とあなたとの間の永遠の証人です。

 サムエル記第一 20章35節-42節

 朝になると、ヨナタンは小さい子どもを連れて、ダビデと打ち合わせた時刻に野原に出て行った。
 そして子どもに言った。「私が射る矢を見つけておいで。」子どもが走って行くと、ヨナタンは、その子の向こうに矢を放った。
 子どもがヨナタンの放った矢の所まで行くと、ヨナタンは子どものうしろから叫んで言った。「矢は、おまえより、もっと向こうではないのか。」
 ヨナタンは子どものうしろから、また叫んだ。「早く。急げ。止まってはいけない。」その子どもは矢を拾って、主人ヨナタンのところに来た。
 子どもは何も知らず、ヨナタンとダビデだけに、その意味がわかっていた。
 ヨナタンは自分の弓矢を子どもに渡し、「さあ、これを町に持って行っておくれ。」と言った。
 子どもが行ってしまうと、ダビデは南側のほうから出て来て、地にひれ伏し、三度礼をした。ふたりは口づけして、抱き合って泣き、ダビデはいっそう激しく泣いた。
 ヨナタンはダビデに言った。「では、安心して行きなさい。私たちふたりは、『主が、私とあなた、また、私の子孫とあなたの子孫との間の永遠の証人です。』と言って、主の御名によって誓ったのです。」こうしてダビデは立ち去った。ヨナタンは町へ帰って行った。

2018年9月16日
「まさかの時の友」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 19章1節-17節

 サウルは、ダビデを殺すことを、息子ヨナタンや家来の全部に告げた。しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。
 それでヨナタンはダビデに告げて言った。「私の父サウルは、あなたを殺そうとしています。それで、あしたの朝は、注意して、隠れ場にとどまり、身を隠していてください。
 私はあなたのいる野原に出て行って、父のそばに立ち、あなたのことについて父に話しましょう。何かわかったら、あなたに知らせましょう。」
 ヨナタンは父サウルにダビデの良いことを話し、父に言った。「王よ。あなたのしもべダビデについて罪を犯さないでください。彼はあなたに対して罪を犯してはいません。かえって、彼のしたことは、あなたにとっては非常な益となっています。
 彼が自分のいのちをかけて、ペリシテ人を打ったので、主は大勝利をイスラエル全体にもたらしてくださったのです。あなたはそれを見て、喜ばれました。なぜ何の理由もなくダビデを殺し、罪のない者の血を流して、罪を犯そうとされるのですか。」
 サウルはヨナタンの言うことを聞き入れた。サウルは誓った。「主は生きておられる。あれは殺されることはない。」
 それで、ヨナタンはダビデを呼んで、このことのすべてを告げた。ヨナタンがダビデをサウルのところに連れて行ったので、ダビデは以前のようにサウルに仕えることになった。
 それからまた、戦いが起こったが、ダビデは出て行って、ペリシテ人と戦い、彼らを打って大損害を与えた。それで、彼らはダビデの前から逃げた。
 ときに主からの悪い霊がサウルに臨んだ。サウルは自分の家にすわっており、その手には槍を持っていた。ダビデは琴を手にしてひいていた。
 サウルが槍でダビデを壁に突き刺そうとしたとき、ダビデはサウルから身を避けたので、サウルは槍を壁に打ちつけた。ダビデは逃げ、その夜は難をのがれた。
 サウルはダビデに家に使者たちを遣わし、彼を見張らせ、朝になって彼を殺そうとした。ダビデの妻ミカルはダビデに告げて言った。「今夜、あなたのいのちを救わなければ、あすは、あなたは殺されてしまいます。」
 こうしてミカルはダビデを窓から降ろしたので、彼は逃げて行き、難をのがれた。
 ミカルはテラフィムを取って、それを寝床の上に置き、やぎの毛で編んだものを枕のところに置き、それを着物でおおった。
 サウルがダビデを捕えようと使者たちを遣わしたとき、ミカルは、「あの人は病気です。」と言った。
 サウルはダビデを見ようとして、「あれを寝床のまま、私のところに連れて来い。あれを殺すのだ。」と言って使者たちを遣わした。
 使者たちがはいって見ると、なんと、テラフィムが寝床にあり、やぎの毛で編んだものが枕のところにあった。
 サウルはミカルに言った。「なぜ、このようにして私を欺き、私の敵を逃がし、のがれさせたのか。」ミカルはサウルに言った。「あの人は、『私を逃がしてくれ。私がどうしておまえを殺せよう。』と言ったのです。

2018年9月9日
「主がダビデとともに」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 18章1節-16節

 ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した。
 サウルはその日、ダビデを召しかかえ、父の家に帰らせなかった。
 ヨナタンは、時分と同じほどにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。
 ヨナタンは、着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶとと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。
 ダビデは、どこでもサウルが遣わす所に出て行って、勝利を収めたので、サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての民にも、サウルの家来たちにも喜ばれた。
 ダビデがあのペリシテ人を打って帰って来たとき、みなが戻ったが、女たちはイスラエルのすべての町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。
 女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。
  「サウルは千を打ち、
  ダビデは万を打った。」
 サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」
 その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。
 その翌日、神からの悪い霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。
 サウルはその槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろう、と思ったからである。しかしダビデは二度も身をかわした。
 サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。
 それでサウルはダビデを自分のもとから離し、彼を千人隊の長にした。ダビデは民の先に立って行動していた。
 ダビデはその行く所、どこででも勝利を収めた。主が彼とともにおられた。
 ダビデが大勝利を収めるのを見て、サウルは彼を恐れた。
 イスラエルとユダの人々はみな、ダビデを愛した。彼が彼らの先に立って行動していたからである。

2018年9月2日
「少年と巨人」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 17章31節-49節

 ダビデが言ったことを人々が聞いて、それをサウルに知らせたので、サウルはダビデを呼び寄せた。
 ダビデはサウルに言った。「あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのペロシて人と戦いましょう。」
 サウルはダビデに言った。「あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。」
 ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、
 私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。
 このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」
 ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。主があなたとともにおられるように。」
 サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着させた。頭には青銅のかぶとをかぶらせ、身にはよろいを着けさせた。
 ダビデは、そのよろいの上に、サウルの剣を帯び、思い切って歩いてみた。慣れていなかったからである。それから、ダビデはサウルに言った。「こんなものを着けては、歩くこともできません。慣れていないからです。」ダビデはそれを脱ぎ、
 自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にして、あのペリシテ人に近づいた。
 そのペリシテ人も盾持ちを先に立て、ダビデのほうにじりじりと進んで来た。
 ペリシテ人はあたりを見おろして、ダビデに目を留めたとき、彼をさげすんだ。ダビデが若くて、紅顔の美少年だったからである。
 ペリシテ人はダビデに言った。「おれは犬なのか。杖を持って向かって来るが。」ペリシテ人は自分の神々によってダビデをのろった。
 ペリシテ人はダビデに言った。「さあ、来い。おまえの肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう。」
 ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。
 きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。
 この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」
 そのペリシテ人は、立ち上がり、ダビデを迎え撃とうと近づいて来た。ダビデもすばやく戦場を走って行き、ペリシテ人に立ち向かった。
 ダビデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を討った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。

2018年8月26日
「人の心を見る神」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 16章1節-13節

 主はサムエルに仰せられた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たして行け。あなたをベツレヘム人エッサイのところへ遣わす。わたしは彼の息子たちの中に、わたしのために、王を見つけたから。」
 サムエルは言った。「私はどうして行けましょう。サウルが聞いたら、私を殺すでしょう。」主は仰せられた。「あなたは群れのうちから一頭の雌の子牛を取り、『主にいけにえをささげに行く。』と言え。
 いけにえをささげるときに、エッサイを招け。あなたのなすべきことを、このわたしが教えよう。あなたはわたしのために、わたしが言う人に油をそそげ。」
 サムエルは主に告げられたとおりにして、ベツレヘムへ行った。すると町の長老たちは恐れながら彼を迎えて言った。「平和なことでおいでになったのですか。」
 サムエルは答えた。「平和なことです。主にいけにえをささげるために来ました。私がいけにえをささげるとき、あなたがたは身を聖別して私といっしょに来なさい。」こうして、サムエルはエッサイとその子たちを聖別し、彼らを、いけにえをささげるために招いた。
 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」と思った。
 しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
 エッサイはアビナダブを呼んで、サムエルの前に進ませた。サムエルは、「この者もまた、主は選んでおられない。」と言った。
 エッサイはシャマを進ませたが、サムエルは、「この者もまた、主は選んでおられない。」と言った。
 こうしてエッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこの者たちを選んではおられない。」
サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは答えた。「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人をやって、その子を連れて来なさい。その子がここに来るまで、私たちは座に着かないから。」
 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油をそそげ。この者がそれだ。」
 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。

2018年8月19日
「神のことばに聞き従う」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 15章10節-23節

 そのとき、サムエルに次のような主のことばがあった。
 「わたしはサウルを王に任じたことを悔いる。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ。
 翌朝早く、サムエルがサウルに会いに行こうとしていたとき、サムエルに告げて言う者があった。「サウルはカルメルに行って、もう、自分のために記念碑を立てました。それから、引き返して、進んで、ギルガルに下りました。」
 サムエルがサウルのところに行くと、サウルは彼に言った。「主の祝福がありますように。私は主のことばを守りました。」
 しかしサムエルは言った。「では、私の耳にはいるあの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」
 サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。あなたの神、主に、いけにえをささげるためです。そのほかの物は聖絶しました。」
 サムエルはサウルに言った。「やめなさい。昨夜、主が私に仰せられたことをあなたに知らせます。」サウルは彼に言った。「お話しください。」
 サムエルは言った。「あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油をそそぎ、イスラエルの王とされました。
 主はあなたに使命を授けて言われました。『行って、罪人アマレク人を聖絶せよ。彼らを絶滅させるまで戦え。』
 あなたはなぜ、主の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、主の目の前に悪を行なったのですか。」
 サウルはサムエルに答えた。「私は主の御声に聞き従いました。主が私に授けられた使命の道を進めました。私はアマレク人の王アガグを連れて来て、アマレクを聖絶しました。
 しかし民は、ギルガルであなたの神、主に、いけにえをささげるために、聖絶すべき物の最上の物として、分捕り物の中から、羊と牛を取って来たのです。」
 するとサムエルは言った。
  「主は主の御声に聞き従うことほどに、
  全焼のいけにえや、その他のいけにえを
  喜ばれるだろうか。
  見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、
  耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
  まことに、そむくことは占いの罪、
  従わないことは偶像礼拝の罪だ。
  あなたが主のことばを退けたので、
  主もあなたを王位から退けた。」(新改訳聖書に移行しました)

2018年8月12日
「幸いなことよ。神に身を避ける者は」  キル・ヒョンジュ牧師

 詩編 34章1節-10節

 私はあらゆるときに 主をほめたたえる。
 私の口には、いつも主への賛美がある。
 私のたましいは主を誇る。
 貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
 私とともに主をほめよ。
 一つになって 御名をあがめよう。

 私が主を求めると 主は答え
 すべての恐怖から 私を救い出してくださった。
 主を仰ぎ見ると 彼らは輝いた。
 彼らの顔は辱められることがない。
 この苦しむ者が呼ぶと 主は聞かれ
 すべての苦難から救ってくださった。
 主の使いは 主を恐れる者の周りに陣を張り
 彼らを助け出される。

 味わい 見つめよ。
 主がいつくしみ深い方であることを。
 幸いなことよ 主に身を避ける人は。
 主を恐れよ。 主の聖徒たちよ。
 主を恐れる者には 乏しいことがないからだ。
 若い獅子も乏しくなり 飢える。
 しかし 主を求める者は
 良いものに何一つ欠けることがない。

2018年8月5日
「人の数ではなく」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 14章1節-15節

 そのようなある日、サウルの息子ヨナタンは、道具持ちの若者に言った。「さあ、この向こう側のペリシテ人の先陣の方へ行こう。」しかし、ヨナタンは父にそのことを知らせなかった。
 サウルはギブアの外れで、ミグロンにある、ざくろの木の下に座っていた。彼とともにいた兵は約六百人であった。
 アヒヤは、エポデを身に着けていた。アヒヤはアヒトブの子で、アヒトブはイ・カボデの兄弟、イ・カボデはピネハスの子、ピネハスは、シロで主の祭司あったエリの子である。兵たちは、ヨナタンが出て行ったことを知らなかった。
 ヨナタンがペリシテ人の先陣の側に越えて行こうとしていた山峡には、手前側にも、向こう側にも、切り立った岩があって、一方の側の名はボツェツ、もう一方の側の名はセンネといった。
 一方の岩は北側、ミクマスの側にあり、もう一方の岩は南側、ゲバの側にそそり立っていた。
 ヨナタンは道具持ちの若者に言った。「さあ、この無割礼の者どもの先陣のところへ渡って行こう。おそらく、主がわれわれに味方してくださるだろう。多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」
 道具持ちは言った。「何でも、お心のままになさってください。さあ、お進みください。私も一緒に参ります。お心のままに。」
 ヨナタンは言った。「さあ、あの者どものところに渡って行って、われわれの姿を現すのだ。
 もし彼らが『おれたちがおまえらのところに行くまで、じっとしていろ』と言ったら、その場に立ちとどまり、彼らのところに上って行かないでいよう。
 しかし、もし彼らが『おれたちのところに上って来い』と言ったら、上って行こう。主が彼らを、われわれの手に渡されたのだから。これが、われわれへのしるしだ。」
 二人はペリシテ人の先陣に身を現した。するとペリシテ人が言った。「おい、へブル人が、隠れていた穴から出て来るぞ。」
 先陣の者たちは、ヨナタンと道具持ちに呼びかけて言った。「おれたちのところに上って来い。思い知らせてやる。」ヨナタンは道具持ちに言った。「私について上って来なさい。主がイスラエルの手に彼らを渡されたのだ。」
 ヨナタンは手足を使ってよじ登り、道具持ちも後に続いた。ペリシテ人はヨナタンの前に倒れ、道具持ちがうしろで彼らを打ち殺した。
 ヨナタンと道具持ちが最初に討ち取ったのは約二十人で、一ツェメドのおおよそ半分の広さの場所で行われた。
 そして陣営にも野にも、すべての兵のうちに恐れが起こった。先陣の者、略奪隊さえ恐れおののいた。地は震え、非常な怖れとなった。

2018年7月29日
「よい羊飼い」  土井政男

 ヨハネの福音書 10章1節-18節

 「まことに、まことに、あなたがたに言います。羊たちの囲いに、門から入らず、ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗です。
 しかし、門から入るのは羊たちの牧者です。
 門番は牧者のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。
 羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。
 しかし、ほかの人には決してついて行かず、逃げて行きます。ほかの人たちの声は知らないからです。」
 イエスはこの比喩を彼らに話されたが、彼らは、イエスが話されたことが何のことなのか、分からなかった。
 そこで、再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。
 わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です。羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。
 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。
 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。
 わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
 牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。
 彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。
 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、私を知っています。
 ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。
 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊たちがいます。それらも、わたしは導かなければなりません。その羊たちはわたしの声に聞き従います。そして、一つの群れ、一人の牧者となるのです。
 わたしが再びいのちを得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。
 だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」

2018年7月22日
「待てなかったサウル」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 13章1節-15節

 サウルは、ある年齢で王となり、二年間だけイスラエルを治めた。
 サウルは、自分のためにイスラエルから三千人を選んだ。二千人はサウルとともにミクマスとペテルの山地にいて、千人はヨナタンとともにベニヤミンのギブアにいた。残りの兵は、それぞれ自分の天幕に帰した。
 ヨナタンは、ゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺した。サウルのほうは国中に角笛を吹き鳴らした。ペリシテ人たちは、だれかが「へブル人に思い知らせてやろう」と言うのを聞いた。
 全イスラエルは、「サウルがペリシテ人の守備隊長を打ち殺し、しかも、イスラエルがペリシテ人の恨みを買った」ということを聞いた。兵はギルガルでサウルのもとに再び集められた。
 ペリシテ人はイスラエル人と戦うために集まった。戦車三万、騎兵六千、それに海辺の砂のように数多くの兵たちであった。彼らは上って来て、ベテ・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。
 イスラエルの人々は、自分たちが危険なのを見てとった。兵たちがひどく追いつめられていたからである。兵たちは洞穴や、奥まったところ、岩間、地下室、水溜めの中に隠れた。
 あるへブル人たちはヨルダン川を渡って、ガドの地、すなわちギルァデに行った。しかしサウルはなおギルガルにとどまり、兵たちはみな震えながら彼に従っていた。
 サウルは、サムエルがいることになっている例祭まで、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで、兵たちはサウルから離れて散って行こうとした。
 サウルは、「全焼のささげ物と交わりのいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。そして全焼のささげ物を献げた。
 彼が全焼のささげ物を献げ終えたとき、なんと、サムエルが来た。サウルは迎えに出て、彼にあいさつした。
 サムエルは言った。「あなたは、何ということをしたのか。」サウルは答えた。「兵たちが私から離れて散って行こうとしていて、また、ペリシテ人がミクマスに集まっていたのに、あなたが毎年の例祭に来ていないのを見たからです。
 今、ペリシテ人がギルガルにいる私に向かって下って来ようとしているのに、まだ私は主に嘆願していないと考え、あえて、全焼のささげ物を献げたのです。」
 サムエルはサウルに言った。「愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
 しかし、今や、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。主があなたに命じられたことを、あなたが守らなかったからだ。」
 サムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギブアへ上って行った。サウルが彼とともにいた兵を数えると、おおよそ六百人であった。

2018年7月15日
「私たちを捨てない神」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 12章18節-25節

 そしてサムエルは主を呼び求めた。すると、主はその日、雷と雨を下された。民はみな、主とサムエルを非常に恐れた。
 民はみなサムエルに言った。「私たちが死なないように、しもべどものために、あなたの神、主に祈ってください。私たちは、王を求めることによって、私たちのあらゆる罪の上に悪を加えてしまったからです。」
 サムエルは民に言った。「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行った。しかし主に従う道から外れず、心を尽くして主に仕えなさい。
 役にも立たず、救い出すこともできない、空しいものを追う道へ外れてはならない。それらは、空しいものだ。
 主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない。主は、あなたがたをご自分の民とすることを良しとされたからだ。
 私もまた、あなたがたのために祈るのをやめ、主の前に罪ある者となることなど、とてもできない。私はあなたがたに、良い正しい道を教えよう。
 ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。
 あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる。」

2018年7月8日
「王座に誰を」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 11章1節-15節

 さて、アンモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、あなたに仕えます。」
 アンモン人ナハシュは彼らに言った。「次の条件でおまえたちと契約を結ぼう。おまえたち皆の者の右の目をえぐり取ることだ。それをもってイスラエル全体に恥辱を負わせよう。」
 ヤベシュの長老たちは彼に言った。「イスラエルの国中に使者を遣わすため、七日の猶予を与えてください。もし、私たちを救う者がいなければ、あなたのところに出て行きます。」
 使者たちはサウルのギブアに来て、これらのことばを民の耳に語った。民はみな、声をあげて泣いた。
 ちょうどそのとき、サウルが牛を追って畑から帰って来た。サウルは言った。「民が泣いているが、いったい何が起こったのか。」彼らは、ヤベシュの人々のことばを彼に告げた。
 サウルがこれらのことばを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。彼の怒りは激しく燃え上がった。
 彼は一くびきの牛を取り、それを切り分け、使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」と言った。主の恐れが民に下って、彼らは一斉に出て来た。
 サウルはベゼクで彼らを数えた。すると、イスラエルの人々は三十万人、ユダの人々は三万人であった。
 彼らは、やって来た使者たちに言った。「ヤベシュ・ギルァデの人にこう言いなさい。明日、日が高くなるころ、あなたがたに救いがある。」使者たちは帰って行って、ヤベシュの人々に告げたので、彼らは喜んだ。
 ヤベシュの人々は言った。「私たちは、明日、あなたがたのところに出て行きます。あなたがたの良いと思うように私たちにしてください。」
 翌日、サウルは兵を三組に分け、夜明けの見張りの時に陣営に突入し、昼までアンモン人を討った。生き残った者は散り散りになり、二人の者がともにいることはなかった。
 民はサムエルに言った。「『サウルがわれわれを治めるのか』と言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」
 サウルは言った。「今日は誰も殺されてはならない。今日、主がイスラエルにおいて勝利をもたらしてくださったのだから。」
 サムエルは民に言った。「さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。」
 民はみなギルガルに行き、ギルガルで、主の前にサウルを王とした。彼らはそこで、主の前に交わりのいけにえを献げた。サウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだ。

2018年7月1日
「情熱と冷静さ」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 10章1節-13節

 サムエルは油の壺を取ってサウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った。「主が、ご自分のゆずりの地と民を治める君主とするため、あなたに油を注がれたのではありませんか。
 今日、私のもとを離れて行くとき、ベニヤミンの領内のツェルツァフにあるラケルの墓のそばで、二人の人に会うでしょう。彼らはあなたに、『捜し歩いておられた雌ろばは見つかりました。あなたの父上は、雌ろばのことはどうでもよくなり、息子のためにどうしたらよいのだろうと言って、あなたがたのことを心配しておられます。』というでしょう。
 そこからなお進んで、タボルの樫の木のところまで行くと、そこで、神のもとに行こうとベテルに上って行く三人の人に会います。一人は子やぎを三匹持ち、一人は円形パンを三つ持ち、一人はぶどう酒の皮袋を一つ持っています。
 彼らはあなたにあいさつをして、あなたにパンを二つくれます。彼らの手から受け取りなさい。
 それから、ペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに着きます。その町に入るとき、琴、タンバリン、笛、竪琴を鳴らす者を先頭に、預言をしながら高き所から下って来る預言者の一団に出会います。
 主の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。
 これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。
 私より先にギルガルに下って行きなさい。私も全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げるために、あなたのところへ下って行きます。私があなたのところに着くまで、そこで七日間待たなければなりません。それからあなたがなすべきことを教えます。」
 サウルがサムエルから去って行こうと背を向けたとき、神はサウルに新しい心を与えられた。これらすべてのしるしは、その日のうちに起こった。
 彼らがそこからギブアに行くと、見よ、預言者の一団が彼の方にやって来た。すると、神の霊が彼の上に激しく下り、彼も彼らの間で預言した。
 以前からサウルを知っている人たちはみな、彼が預言者たちと一緒に預言しているのを見た。民は互いに言った。「キシュの息子は、いったいどうしたことか。サウルも預言者の一人なのか。」
 そこにいた一人も、これに応じて、「彼らの父はだれだろう。」と言った。こういうわけで、「サウルも預言者の一人なのか」ということが、語りぐさになった。
 サウルは預言を終えて、高き所に帰って来た。

2018年6月24日
「この町には神の人が」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 9章1節-10節

 ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。キシュはアビエルの子で、アビエルはツェロルの子、ツェロルはベコラテの子、ベコラテはベニヤミン人アフィアハの子であった。彼は有力者であった。
 キシュには一人の息子がいて、その名をサウルといった。彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。
 あるとき、サウルの父キシュの雌ろば数頭がいなくなったので、キシュは息子サウルに言った。「しもべを一人連れて、雌ろばを捜しに行ってくれ。」
 サウルはエフライムの山地を巡り、シャリシャの地を巡り歩いたが、それらは見つからなかった。さらに、シャアリムの地を巡り歩いたが、いなかった。ベニヤミン人の地を巡り歩いても、見つからなかった。
 二人がツフの地にやって来たとき、サウルは一緒にいたしもべに言った。「さあ、もう帰ろう。父が雌ろばのことはさておき、私たちのほうを心配し始めるといけないから。」
 すると、しもべは言った。「ご覧ください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへ参りましょう。私たちが行く道を教えてくれるかもしれません。」
 サウルはしもべに言った。「もし行くとすると、その人に何を持って行こうか。私たちの袋には、パンもなくなったし、神の人に持って行く贈り物もない。何かあるか。」
 しもべは再びサウルに答えた。「ご覧ください。私の手に四分の一シェケルの銀があります。これを神の人に差し上げたら、私たちの行く道を教えてくださるでしょう。」
 昔イスラエルでは、神のみこころを求めに行く人は「さあ、予見者のところに行こう。」とよく言っていた。今の預言者は、昔は予見者と呼ばれていたからである。
 サウルはしもべに言った。「それはよい。さあ、行こう。」こうして、彼らは神の人のいる町へ行った。

2018年6月17日
「強い王を求めてしまう民」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 8章1節-22節

 サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとして任命した。
 長男の名はヨエル、次男の名はアビヤであった。彼らはベエル・シェバでさばきつかさをしていた。
 しかし、この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきをまげていた。
 イスラエルの長老たちはみな集まり、ラマにいるサムエルのところにやって来て、
 彼に言った。「ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」
 彼らが、「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは主に祈った。
 主はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。
 わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのしたことといえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えることだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。
 今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」
 サムエルは、自分に王を求めるこの民に対して、主のすべてのことばを話した。
 彼は言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。あなたがたの息子たちを取り、戦車や軍馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。
 また、自分のために千人隊の長や五十人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や戦車の部品を作らせる。
 また、あなたがたの娘たちを取り、香料をつくる者や料理する者やパンを焼く者とする。
 あなたがたの畑やぶどう畑や良いオリーブ畑を没収し、自分の家来たちに与える。
 あなたがたの穀物とぶどう畑の十分の一を取り、廷臣や家来たちに与える。
 あなたがたの奴隷や女奴隷、それにあなたがたの子牛やろばの最も良いものを取り、自分の仕事をさせる。
 あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがた自身は王の奴隷となる。
 その日、あなたがたが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、その日、主はあなたがたに答えはしない。」
 しかし民は拒んで、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや、どうしても、私たちの上には王が必要です。
 そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」
 サムエルは、民のすべてのことばを聞いて、それを主の耳に入れた。
 主はサムエルに言われた。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」それで、サムエルはイスラエルの人々に「それぞれ自分の町に帰りなさい」と言った。

2018年6月10日
「サムエルの祈り」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 7章1節-17節

 キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、丘の上のアビナダブの家に運んだ。そして、主の箱を守るために彼の息子エルアザルを聖別した。
 箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。
 サムエルはイスラエルの全家に言った。「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます。」
 イスラエル人は、バアルやアシュタロテの神々を取り除き、主にのみ仕えた。
 サムエルは言った。「全イスラエルを、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈ります。」
 彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。彼らはそこで、「私たちは主の前に罪ある者です。」と言った。こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。
 イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに向かって上って来た。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。
 イスラエル人はサムエルに言った。「私たちから離れて黙っていないでください。私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。主が私たちをペリシテ人の手から救ってくださるようにと。」
 サムエルは、乳離れしていない子羊一匹を取り、焼き尽くす全焼のささげ物として主に献げた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。すると主は彼に答えられた。
 サムエルが全焼のささげ物を献げていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来た。しかし主は、その日ペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエルに打ち負かされた。
 イスラエルの人々は、ミツパから出てペリシテ人を追い、彼らを討ってベテ・カルの下にまで行った。
 サムエルは一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。
 ペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領土に入って来なかった。サムエルの時代を通して、主の手がペリシテ人の上にのしかかっていた。
 ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガテまでが、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、その領土を解放した。そのころ、イスラエルとアモリ人の間には平和があった。
 サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。
 彼は年ごとに、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルをさばき、
 ラマに帰った。そこに自分の家があり、そこでイスラエルをさばいていたからである。彼はそこに主のために祭壇を築いた。(新改訳聖書2017に移行しました)

2018年6月3日
「返された神の箱」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 6章1節-18節

 主の箱は七か月間ペリシテ人の地にあった。
 ペリシテ人は祭司たちと占い師たちを呼び寄せて言った。「主の箱を、どうしたらよいでしょうか。どのようにして、それを元の場所に送り返せるか、教えてください。」
 彼らは答えた。「イスラエルの神の箱を送り返すのなら、何もつけないで送り返してはなりません。神に対して償いしなければなりません。そうすれば、あなたがたは癒されるでしょう。また、なぜ、神の手があなたがたから去らないかが分かるでしょう。」
 人々は言った。「私たちが送るべき償いのものは何ですか。」彼らは言った。「ペリシテ人の領主の数に合わせて、五つの金の腫物、五つの金のねずみです。彼ら全員、つまりあなたがたの領主たちに、同じわざわいが下ったのですから。
 あなたがたの腫物の像、つまり、この地を破滅させようとしているねずみの像を造り、それらをイスラエルの神に貢としてささげなさい。もしかしたら神は、あなたがたと、あなたがたの神々、そしてあなたがたの地にのしかかっている、その手を軽くされるかもしれません。
 なぜ、あなたがたは、エジプト人とファラオが心を硬くしたように、心を硬くするのですか。神が彼らに対して力を働かせたときに、彼らはイスラエルを去らせ、イスラエルは出て行ったではありませんか。
 今、一台の新しい車を用意し、くびきを付けたことのない、乳を飲ませている雌牛を二頭取り、雌牛を車につなぎ、その子牛は引き離して小屋に戻しなさい。
 また主の箱を取って車に載せなさい。償いとして返す金の品物を鞍袋に入れて、そのそばに置きなさい。そして、それが行くがままに、去らせなければなりません。
 注意して見ていなさい。その箱がその国境への道をベテ・シェメシュに上って行くなら、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのは、あの神です。もし行かないなら、神の手が私たちを打ったのではなく、私たちに偶然起こったことだと分かります。」
 人々はそのようにした。彼らは乳を飲ませている雌牛を二頭取り、それを車につないだ。子牛は小屋に閉じ込めた。
 そして主の箱を車に載せ、また金のねずみ、すなわち腫物の像を入れた蔵袋を載せた。
 雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一本の大路をまっすぐに進んだ。鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、その後について行った。
 ベテ・シェメシュの人々は、谷間で小麦の刈り入れをしていたが、目を上げると、神の箱が見えた。彼らはそれを見て喜んだ。
 車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に来て、そこにとどまった。そこには大きな石があった。人々は、車の木を割り、雌牛を全焼のささげ物として主に献じた。
 レビ人たちは、主の箱と、そばにあった金の品物の入っている鞍袋を降ろし、その大きな石の上に置いた。その日、ベテ・シェメシュの人たちは全焼のささげ物を献げ、いけにえを主に献げた。
 ペリシテ人の五人の領主は、これを見て、その日エクロンに帰った。
 ペリシテ人が償いとして主に返した金の腫物は、アシュドテのために一つ、ガザのために一つ、アシュケロンのために一つ、ガテのために一つ、エクロンのために一つであった。
 すなわち、金のねずみは、五人の領主に属するペリシテ人の町の総数によっていた。それは、砦の町と城壁のない村の両方を含んでいる。彼らが主の箱を置いたアベルの大きな台は、今日までベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑にある。(新改訳聖書2017に移行しました)

2018年5月27日
「私から取り去られるべきもの」  高橋宣広牧師

 サムエル記第一 5章1節-12節

 ペリシテ人は神の箱を奪って、それをエベン・エゼルからアシュドデに運んだ。
 それからペリシテ人は神の箱を取って、それをダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置した。
 アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、それをもとの所に戻した。
 次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両腕は切り離されて敷居のところにあり、ダゴンの胴体だけが、そこに残っていた。
 それで、ダゴンの祭司たちや、ダゴンの宮に行く者はだれでも、今日に至るまで、アシュドデにあるダゴンの敷居を踏まない。
 さらに主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人々とを腫物で打って脅かした。
 アシュドデの人々は、この有様を見て言った。「イスラエルの神の箱を、私たちのもとにとどめておいてはならない。その神の手が私たちと、私たちの神ダゴンを、ひどいめに会わせるから。」
 それで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部そこに集め、「イスラエルの神の箱をどうしたらよいでしょうか。」と尋ねた。彼らは、「イスラエルの神の箱をガテに移したらよかろう。」と答えた。そこで彼らはイスラエルの神の箱を移した。
 それがガテに移されて後、主の手はこの町に下り、非常な大恐慌を引き起こし、この町の人々を、上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた。
 そこで、彼らは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンに着いたとき、エクロンの人たちは大声で叫んで言った。「私たちのところにイスラエルの神の箱を回して、私たちと、この民を殺すのか。」
 そこで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部集めて、「イスラエルの神の箱を送って、もとの所に戻っていただきましょう。私たちと、この民とを殺すことがないように。」と言った。町中に死の恐慌があったからである。神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。
 死ななかった者も腫物で打たれ、街の叫び声は天にまで上った。

2018年5月20日
「神の慈しみ深い霊が」  高橋宣広牧師

 詩編 143篇1節-11節

 主よ。私の祈りを聞き、
 私の願いに耳を傾けてください。
 あなたの真実と義によって、私に答えてください。
 あなたのしもべをさばきにかけないでください。
 生ける者はだれひとり、
 あなたの前に義と認められないからです。
 敵は私のたましいを追いつめ、
 私のいのちを地に打ち砕き、
 長く死んでいる者のように、
 私を暗い所に住まわせたからです。
 それゆえ、私の霊は私のうちで衰え果て、
 私のこころは私のうちでこわばりました。

 私は昔の日々を思い出し、
 あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、
 あなたの御手のわざを静かに考えています。
 あなたに向かって、私は手を差し伸べ、
 私のたましいは、かわききった地のように、
 あなたを慕います。  セラ

 主よ。早く私に答えてください。
 私の霊は滅びてしまいます。
 どうか、御顔を私に隠さないでください。
 私が穴に下る者と等しくならないため。
 朝にあなたの恵みを聞かせてください。
 私はあなたを信頼していますから。
 私に行くべき道を知らせてください。 
 私のたましいはあなたを仰いでいますから。
 主よ。私を敵から救い出してください。
 私はあなたの中に、身を隠します。

 あなたのみこころを行なうことを教えてくだしい。
 あなたこそ私の神であられますから。
 あなたのいつくしみ深い霊が、
 平らな地に私を導いてくださるように。
 主よ。あなたの御名のゆえに、私を生かし、
 あなたの義によって、
 私のたましいを苦しみから連れ出してください。
 あなたの恵みによって、私の敵を滅ぼし、
 私のたましいに敵対するすべての者を
 消し去ってください。
 私はあなたのしもべですから。

2018年5月13日
「助けは神から必ず来る」  波多康牧師

 詩編121篇1節-2節

 私は山に向かって目を上げる。
 私の助けは、どこから来るのだろうか。
 私の助けは、天地を造られた主から来る。

2018年5月6日
「奪われた神の箱」  高橋宣広牧師

 サムエル記Ⅰ 4章1節-11節

 サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人を迎え撃つために戦いに出て、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。
 ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣ぞなえをした。戦いが始まると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の陣地で打たれた。
 民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真中に来て、われわれを敵の手から救おう。」
 そこで民はシロに人を送った。彼らはそこから、ケルビムに座しておられる万軍の主の契約の箱をかついで来た。エリのふたりの息子、ホフニとピネハスも、神の契約の箱といっしょにそこに来た。
 主の契約の箱が陣営に着いたとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。
 ペリシテ人は、その歓声を聞いて、「へブル人の陣営の、あの大歓声は何だろう。」と言った。そして、主の箱が陣営に着いたことを知ったとき、
 ペリシテ人は、「神が陣営に来た。」と言って、恐れた。そして言った。「ああ、困ったことだ。今まで、こんなことはなかった。
 ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれよう。これらの神々は、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。
 さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。さもないと、へブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがへブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」
 こうしてペリシテ人は戦ったので、イスラエルは打ち負かされ、おのおの自分たちの天幕に逃げた。そのとき、非常に激しい疫病が起こり、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。
 神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死んだ。

2018年4月29日
「我らの国籍は天にあり」  山岸直生牧師

 ピリピ人への手紙 3章17節-22節

 兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
 というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

2018年4月22日
「しもべは聞いております」  高橋宣広牧師

 サムエル記Ⅰ 3章1節-21節

 少年サムエルはエリの前で主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
 その日、エリは自分の所で寝ていた。――彼の眼はかすんできて、見えなくなっていた。――
 神のともしびは、まだ消えていず、サムエルは、神の箱の安置されている主の宮で寝ていた。
 そのとき、主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい。ここにおります。」と言って、
 エリのところに走って行き、「はい。ここにおります。私をお呼びになったので。」と言った。エリは、「私は呼ばない。帰っておやすみ。」と言った。それでサムエルは戻って、寝た。
 主はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい。ここにおります。私をお呼びになったので。」と言った。エリは、「私は呼ばない。わが子よ。帰って、お休み。」と言った。
 サムエルはまだ、主を知らず、主のことばもまだ、彼に示されていなかった。
 主が三度目にサムエルを呼ばれたとき、サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい。ここにおります。私を呼びになったので。」と言った。そこでエリは、主がこの少年を呼んでおられるということを悟った。
 それで、エリはサムエルに言った。「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、『主よ。お話しください。しもべは聞いております。』と申し上げなさい。」サムエルは行って、自分の所で寝た。
 そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル。」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております。」と申し上げた。
 主はサムエルに仰せられた。「見よ。わたしは、イスラエルに一つの事をしようとしている。それを聞く者はみな、二つの耳が鳴るであろう。
 その日には、エリの家についてわたしが語ったことをすべて、初めから終わりまでエリに果たそう。
 わたしは彼の家を永遠にさばくと彼に告げた。それは自分の息子たちが、みずからのろいを招くようなことをしているのを知りながら、彼らを戒めなかった罪のためだ。
 だから、わたしはエリの家について誓った。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に償うことはできない。」
 サムエルは朝まで眠り、それから主の宮のとびらをあけた。サムエルは、この黙示についてエリに語るのを恐れた。
 ところが、エリはサムエルを呼んで言った。「わが子サムエルよ。」サムエルは、「はい。ここにおります。」と答えた。
 エリは言った。「おまえにお告げになったことは、どんなことだったのか。私に隠さないでくれ。もし、おまえにお告げになったことばの一つでも私に隠すなら、神がおまえを幾重にも罰せられるように。」
 それでサムエルは、すべてのことを話して、何も隠さなかった。エリは言った。「その方は主だ。主がみこころにかなうことをなさいますように。」
 サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とされなかった。
 こうして全イスラエルは、ダンからベエル・シェバまで、サムエルが主の預言者に任じられたことを知った。
 主は再びシロで現われた。主のことばによって、主がご自身をシロでサムエルに現わされたからである。

2018年4月15日
「神を体験した者と軽んじた者」  高橋宣広牧師

 サムエル記Ⅰ 2章1節-17節

  「私の心は主を誇り、
  私の角は主によって高く上がります。
  私の口は敵に向かって大きく開きます。
  私はあなたの救いを喜ぶからです。
  主のように聖なる方はありません。
  あなたに並ぶ者はないからです。
  私たちの神のような岩はありません。
  高ぶって、多くを語ってはなりません。
  横柄なことばを口から出してはなりません。
  まことに主は、すべてを知る神。
  そのみわざは確かです。
  勇士の弓が砕かれ、
  弱い者が力を帯び、
  食べ飽いた者がパンのために雇われ、
  飢えていた者が働きをやめ、
  不妊の女が七人の子を産み、
  多くの子を持つ女が、しおれてしまいます。

  主は殺し、また生かし、
  よみに下し、また上げる。
  主は、貧しくし、また富ませ、
  低くし、また高くするのです。
  主は、弱い者をちりから起こし、
  貧しい人を、あくたから引き上げ、
  高貴な者とともに、すわらせ、
  彼らに栄光の位を継がせます。
  まことに、地の柱は主のもの、
  その上に主は世界を据えられました。
  主は聖徒たちの足を守られます。
  悪者どもは、やみの中に滅びうせます。
  まことに人は、おのれの力によっては勝てません。
  主は、はむかう者を打ち砕き、
  その者に、天から雷鳴を響かせられます。
  主は地の果て果てまでさばき、
  ご自分の王に力を授け、
  主に油そそがれた者の角を高く上げられます。」

 その後、エルカナはラマの自分の家に帰った。幼子は、祭司エリのもとで主に仕えていた。
 さて、エリの息子たちは、よこしまな者で、主を知らず、
 民にかかわる祭司の定めについてもそうであった。だれかが、いけにえをささげていると、まだ肉を煮ている間に、祭司の子が三又の肉刺しを手にしてやって来て、
 これを、大なべや、かまや、大がまや、なべに突き入れ、肉刺しで取り上げたものをみな、祭司が自分のものとして取っていた。彼らはシロで、そこに来るすべてのイスラエルに、このようにしていた。
 それどころか、人々が脂肪を焼いて煙にしないうちに祭司の子はやって来て、いけにえをささげる人に、「祭司に、その焼く肉を渡しなさい。祭司は煮た肉は受け取りません。生の肉だけです。」と言うので、
 人が、「まず、脂肪をすっかり焼いて煙にし、好きなだけお取りなさい。」と言うと、祭司の子は、「いや、いま渡さなければならない。でなければ、私は力ずくで取る。」と言った。
 このように、子たちの罪は、主の前で非常に大きかった。主へのささげ物を、この人たちが侮ったからである。

2018年4月8日
「神の前に心を注ぎ出す」  高橋宣広牧師

 サムエル記Ⅰ 1章9節-20節

 シロでの食事が終わって、ハンナは立ち上がった。そのとき、祭司エリは、主の宮の柱のそばの席にすわっていた。
 ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。
 そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」
 ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。
 ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。
 エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」
 ハンナは答えて言った。「いいえ。祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎだしていたのです。
 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。
 エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」
 彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように。」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。
 翌朝早く、彼らは主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは自分の妻ハンナを知った。主は彼女に心を留められた。
 日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして、「私が子の子を主に願ったから。」と言って、その名をサムエルと呼んだ。

2018年4月1日
「キリストの復活」  高橋宣広牧師

 マルコの福音書 16章1節-8節

 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。
 そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。
 彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるのでしょうか。」とみなで話し合っていた。
 ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。
 それで、墓の中にはいったところ、真白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。
 青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
 ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そのでお会いできます。』とそう言いなさい。」
 女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

2018年3月25日
「救われるための真の道」  高橋宣広牧師

 マルコの福音書 15章22節-41節

 そして、彼らはイエスをゴルゴダの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。
 そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。
 それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた。
 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王。」と書いてあった。
 また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。
 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。
 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。
 キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。
 さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。
 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる。」と言った。
 すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう。」
 それから、イエスは大声をあげて、息を引き取られた。
 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
 また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。
 イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。

2018年3月18日
「世界中に福音が」  高橋宣広牧師

 マルコの福音書 14章1節-9節

 さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕え、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。
 彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから。」と話していた。
 イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓に着いておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。
 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。
 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。
 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。
 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

2018年3月11日
「福音があらゆる民族に」  高橋宣広牧師

 マルコの福音書 13章1節-13節

 イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」
 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
 イエスがオリーブ山で宮に向かってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに質問した。
 「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」
 そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそそれだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは産みの苦しみの初めです。
 だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。
 こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。
 彼らは捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。
 また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。
 また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。

2018年3月4日
「主がほめたたえられますように」  高橋宣広牧師

 ルツ記 4章13節-22節

 こうしてボアズは、ルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところにはいったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。
 女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。
 その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」
 ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。
 近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた。」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。
 ぺレツの家系は次のとおりである。ぺレツの子はヘツロン、
 ヘツロンの子はラム、ラムの子はアミナダブ、
 アミナダブの子はナフション、ナフションの子はサルモン、
 サルモンの子はボアズ、ボアズの子はオベデ、
 オベデの子はエッサイ、エッサイの子はダビデである。

2018年2月25日
「主なる神が与える祝福」  高橋宣広牧師

 ルツ記 4章1節-12節

 一方、ボアズは門のところへ上って行って、そこにすわった。すると、ちょうど、ボアズが言ったあの買い戻しの権利のある親類の人が通りかかった。ボアズは、彼にことばをかけた。「ああ、もしもし、こちらに立ち寄って、おすわりになってください。」彼は立ち寄ってすわった。
 それから、ボアズは、街の長老十人を招いて、「ここにおすわりください。」と言ったので、彼らもすわった。
 そこで、ボアズは、その買い戻しの権利のある親類の人に言った。「モアブの野から帰って来たナオミは、私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。
 私はそれをあなたの耳に入れ、ここにすわっている人々と私の民の長老たちとの前で、それを買いなさいと、言おうと思ったのです。もし、あなたがそれを買い戻すつもりなら、それを買い戻してください。しかし、それを買い戻さないのなら、私にそう言って知らせてください。あなたをさしおいて、それを買い戻す人はいないのです。私はあなたの次なのですから。」すると彼は言った。「私が買い戻しましょう。」
 そこで、ボアズは言った。「あなたがナオミの手からその畑を買うときには、死んだ者の名をその相続地に起こすために、死んだ者の妻であったモアブの女ルツをも買わなければなりません。」
 その買い戻しの権利のある親類の人は言った。「私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。あなたが私に代わって買い戻してください。私は買い戻すことができませんから。」
 昔、イスラエルでは、買い戻しや権利の譲渡をする場合、すべての取り引きを有効にするために、一方が自分のはきものを脱いで、それを相手に渡す習慣があった。これがイスラエルにおける証明の方法であった。
 それで、この買い戻しの権利のある親類の人はボアズに、「あなたがお買いなさい。」と言って、自分のはきものを脱いだ。
 そこでボアズは、長老たちとすべての民に言った。「あなたがたは、きょう、私がナオミの手から、エリメレクのすべてのもの、それからキルヨンとマフロンのすべてのものを買い取ったことの証人です。
 さらに、死んだ者の名をその相続地に起こすために、私はマフロンの妻であったモアブの女ルツを買って、私の妻としました。死んだ者の名を、その身内の者たちの間から、また、その町の門から絶えさせないためです。きょう、あなたがたはその証人です。」
 すると、門にいた人々と長老たちはみな、言った。「私たちは証人です。どうか、主が、あなたの家にはいる女を、イスラエルの家を建てたラケルとレアのふたりのようにされますように。あなたはエフラテで力ある働きをし、ベツレヘムで名をあげなさい。
 また、主がこの若い女を通してあなたに授ける子孫によって、あなたの家が、タマルがユダに産んだベレツの家のようになりますように。」

2018年2月18日
「誠実に仕える」  高橋宣広牧師

 ルツ記 3章10節-18節

 すると、ボアズは言った。「娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。
 さあ、娘さん。恐れてはいけません。あなたの望むことはみな、してあげましょう。この町の人々はみな、あなたがしっかりした女であることを知っているからです。
 ところで、確かに私は買い戻しの権利のある親類です。しかし、私よりももっと近い買い戻しの権利のある親類がおります。
 今晩はここで過ごしなさい。朝になって、もしその人があなたに親類の役目を果たすなら、けっこうです。その人に親類の役目を果たさせなさい。しかし、もしその人があなたに親類の役目を果たすことを喜ばないなら、私があなたを買い戻します。主は生きておられる。とにかく、朝までおやすみなさい。」
 こうして、彼女は朝まで彼の足のところに寝たが、だれかれの見分けのつかないうちに起き上った。彼は、「打ち場にこの女の来たことが知られてはならない。」と思ったので、
 「あなたの着ている外套を持って来て、それをしっかりつかんでいなさい。」と言い、彼女がそれをしっかりつかむうちに、大麦六杯を量って、それを彼女に負わせた。こうして彼は町へ行った。
 彼女がしゅうとめのところへ行くと、しゅうとめは尋ねた。「娘よ。どうでしたか。」ルツは、その人が自分にしたことをみな、しゅうとめに告げて、
 言った。「あなたのしゅうとめのところに素手で帰ってはならないと言って、あの方は、この大麦六杯を私に下さいました。」
 しゅうとめは言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょうから。」

2018年2月11日
「買い戻しの権利のある親類」  高橋宣広牧師

 ルツ記 3章1節-9節

 しゅうとめナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたがしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。
 ところで、あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは、私たちの親戚ではありませんか。ちょうど今夜、あの方は打ち場で大麦をふるい分けようとしています。
 あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行きなさい。しかし、あの方の食事が終わるまで、気づかれないようにしなさい。
 あの方が寝るとき、その寝る所を見届けてからはいって行き、その足のところをまくって、そこに寝なさい。あの方はあなたのすべきことを教えてくれましょう。」
 ルツはしゅうとめに言った。「私におっしゃることはみないたします。」
 こうして、彼女は打ち場を下って行って、しゅうとめが命じたすべてのことをした。
 ボアズは飲み食いして、気持ちがよくなると、積み重ねてある麦の端に行って寝た。それで、彼女はこっそり行って、ボアズの足のところをまくって、そこに寝た。
 夜中になって、その人はびっくりして起き直った。なんと、ひとりの女が、自分の足のところに寝ているではないか。
 彼は言った。「あなたはだれか。」彼女は答えた。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおあいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」

2018年2月4日
「御恵みを惜しまない主」  高橋宣広牧師

 ルツ記 2章14節-23節

 食事のとき、ボアズは彼女に言った。「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」彼女が刈る者たちのそばにすわったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、余りを残しておいた。
 彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。「あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。
 それだけでなく、あの女にために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。」
 こうして彼女は、夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。拾ったのを打つと、大麦が一エパほどあった。
 彼女はそれを持って町に行き、しゅうとめにその拾い集めたのを見せ、また、先に十分食べてから残しておいたのを取り出して、彼女に与えた。
 しゅうとめは彼女に言った。「きょう、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女はしゅうとめに自分の働いてきた所のことを告げ、「きょう、私はボアズという名の人の所で働きました。」と言った。
 ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。」それから、ナオミは彼女に言った。「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」
 モアブの女ルツは言った。「その方はまた、『私のところの刈り入れが全部終わるまで、私の若者たちのそばを離れてはいけない。』と私におっしゃいました。」
 ナオミは嫁のルツに言った。「娘よ。あの方のところの若い女たちといっしょに出かけるのは、けっこうなことです。ほかの畑でいじめられなくても済みます。」
 それで、彼女はボアズのところの若い女たちのそばを離れないで、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れの終わるまで、落ち穂を拾い集めた。こうして、彼女はしゅうとめと暮らした。

2018年1月28日
「神の御翼の下に」  高橋宣広牧師

 ルツ記 2章1節-13節

 ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属するひとりの有力者がいた。その人の名はボアズであった。
 モアブの女ルツはナオミに言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで。」と言った。
 ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それははからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。
 ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈るものたちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように。」と答えた。
 ボアズは刈るものたちの世話をしている若者に言った。「これはだれの娘か。」
 刈る者たちの世話をしている若者は答えて言った。「あれは、ナオミといっしょにモアブの野から帰って来たモアブの娘です。
 彼女は。『どうぞ。刈る人たちのあとについて、束の間で、落ち穂を拾い集めさせてください。』と言い、ここに来て、朝から今まで家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」
 ボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。
 刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」
 彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」
 ボアズは答えて言った。「あなたの夫がいなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。
 主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」
 彼女は言った。「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。私はあなたのはしためのひとりでもありませんのに、あなたは私を慰め、このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。」

2018年1月21日
「全能者なる神が」  高橋宣広牧師

 ルツ記 1章19節-22節

 それから、ふたりは旅をして、ベツレヘムに着いた。彼女たちがベツレヘムに着くと、町中がふたりのことで騒ぎ出し、女たちは、「まあ。ナオミではありませんか。」と言った。
 ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。
 私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」
 こうして、ナオミは、嫁のモアブの女ルツといっしょに、モアブの野から帰って来て、大麦の刈り入れの始まったころ、ベツレヘムに着いた。

2018年1月14日
「あなたの神はわたしの神」  高橋宣広牧師

 ルツ記 1章1節-18節

 さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れて、モアブの野へ行き、そこに滞在することにした。
 その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、
 ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。
 ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。
 しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。
 そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。
 そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途に着いた。
 そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜り、
 あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。
 ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところであなたといっしょに帰ります。」
 しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。
 帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、
 それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」
 彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。
 ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」
 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によって私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
 ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。

2018年1月7日
「必要なことはひとつだけ」  高橋宣広牧師

 ルカの福音書 10章38節-42節

 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

2017年12月31日
「内なる人は日々新たに」  高橋宣広牧師

 コリント人への手紙第二  4章7節-18節

 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。
 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

2017年12月24日
「この上もない喜び」  高橋宣弘牧師

 マタイの福音書 2章1節-12節

 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
  『ユダの地、ベツレヘム。
  あなたはユダを治める者たちの中で、
  決して一番小さくはない。
  わたしの民イスラエルを治める支配者が、
  あなたから出るのだから。』
 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
 そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を送り物としてささげた。
 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

2017年12月17日
「羊飼いたちの喜び」  高橋宣弘牧師

 ルカの福音書 2章8節-20節

 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
  「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
  地の上に、平和が、
  御心にかなう人々にあるように。」
 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
 そして急いて行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごを捜し当てた。
 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

2017年12月10日
「救い主を喜びたたえる」  高橋宣弘牧師

 ルカの福音書 1章26節-38節

 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
 御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
 すると、御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ、あなたは神から恵みを受けたのです。
 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
 神にとって不可能なことは一つもありません。」
 マリヤは言った。「ほんとうに、私は王のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

2017年12月3日
「老夫婦の喜び」  高橋宣弘牧師

 ルカの福音書 1章5節-25節

 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者で、ザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。
 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。
 さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、
 祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたくことになった。
 彼が香をたく間、大ぜいの民なみな、外で祈っていた。
 ところが、主の使いが彼に現われて、香壇の右に立った。
 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、
 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、
 そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。
 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」
 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」
 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。
 ですから、見なさい。これらのことが起こる日まで、あなたは  になって、ものが言えなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」
 人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った。
 やがて彼は出て来たが、人々に話をすることができなかった。それで、彼は神殿で幻を見たのだとわかった。ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、  のままであった。
 やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った。
 その後、妻エリサベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った。
 「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」

2017年11月26日
「待ち望む信仰」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 8章18節-25節

 今の時のいろいろな苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。
 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。
 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
 私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
 もしまだ見ていないものを待ち望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。

2017年11月19日
「アバ、父」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 8章12節-17節

 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。
 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストの共同相続人であります。

2017年11月12日
「ニセモノに注意!」  藤本恵牧師

 マタイの福音書 7章15節-23節

 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
 わたしに向かって、『主よ。主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。
 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ。主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

2017年11月5日
「三位一体の救いのみわざ」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 8章1節-11節

 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
 肉にある者は神を喜ばせることができません。
 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。

2017年10月29日
「誰が私を救い出すのか」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 7章14節-25節

 私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。
 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。
 もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
 ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行っています。
 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住む罪です。
 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

2017年10月22日
「罪に気付かされていく聖化」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 7章7節-13節

 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ罪は死んだものです。
 私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。
 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
 それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。
 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。
 では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありません。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました。

2017年10月15日
「新しい御霊によって仕える」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 7章1節-6節

 それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか。――私は律法を知っている人々に言っているのです。――
 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。
 ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。
 私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。
 私たちが、肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。
 しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。

2017年10月8日
「神の恵みの支配下に」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 6章12節-23節

 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。
 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。
 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。
 それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
 あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。
 神に感謝すべきことは、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの基準に心から服従し、
 罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
 あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。
 罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。
 その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。
 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。
 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

2017年10月1日
「癒合され、よみがえる」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 6章5節-11節

 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷ではなくなるためであることを、私たちは知っています。
 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。
 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。
 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。

2017年9月24日
「エルサレムに顔を向けて」  小寺肇牧師

 使徒の働き 21章1節-14節

 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。
 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。
 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。
 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。
 しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。
 それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。
 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。
 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家にはいって、そこに滞在した。
 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。
 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。
 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。
 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。
 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。
 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに。」と言って、黙ってしまった。

2017年9月17日
「いのちにある新しい歩み」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 6章1節-4節

 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるのでしょう。
 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありません。
 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

2017年9月10日
「アダムとイエス・キリスト」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 5章12節-21節

 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。
 というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。
 ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。
 ただし、恵みには違反のばあいとは違う点があります。もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。
 また、賜物には、罪を犯したひとりによるばあいと違った点があります。さばきのばあいは、一つの違反のために罪に定められたのですが、恵みのばあいは、多くの違反が義と認められるからです。
 もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。
 こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。
 すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。
 律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。
 それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。

2017年9月3日
「敵のために死なれたお方」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 5章6節-11節

 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです

2017年8月27日
「未来・現在・過去」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 5章1節-5節

 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
 そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

2017年8月20日
「無から有を生み出す神」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 4章17節-25節

 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。
 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱まりませんでした。
 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
 しかし、「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、
 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた力を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

2017年8月13日
「保証された救い」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 4章9節-16節

 それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義とみなされた。」と言っていますが、
 どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼をうけてからではなく、割礼を受けていないときにです。
 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義とみとめられたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼をうけないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、
 また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。
 というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。
 もし律法による者が相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になってしまいます。
 律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。
 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした。」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。

2017年8月6日
「信仰による義」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 4章1節-8節

 それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。
 もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。
 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた。」とあります。
 働く者のばあいには、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。
 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
 ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。
 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、
 幸いである。
 主が罪を認めない人は幸いである。」

2017年7月30日
「神が正しいので」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 3章25節-31節

 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。
 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。
 それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。
 人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です。
 神が唯一ならばそうです。この神は、割礼のある者を信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者をも、信仰によって義と認めてくださるのです。
 それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。

2017年7月23日
「受け身の救い」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 3章19節-24節

 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。
 なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
 しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。
 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

2017年7月16日
「まことの悔い改めへ」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 3章9節-18節

 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
 それは、次のように書いてあるとおりです。
  「義人はいない。ひとりもいない。
  悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
  すべての人が迷い出て、
  みな、ともに無益な者となった。
  善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
  「彼らののどは、開いた墓であり、
  彼らはその舌で欺く。」
  「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」
  「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
  「彼らの足は血を流すのに速く、
  彼らの道には破壊と悲惨がある。
  また、彼らは平和の道を知らない。
  「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」

2017年7月9日
「屁理屈をこねないで」  高橋宣弘牧師

 ローマ人への手紙 3章1節-8節

 では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。
 それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。
 では、いったいどうなのですか。彼らのうちに不真実な者があったら、その不真実によって、神の真実が無に帰することになるでしょうか。
 絶対にそんなことはありません。たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。それは、
  「あなたが、そのみことばによって正しいとされ、さばかれるときには勝利を得られるため。」
と書いてあるとおりです。
 しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。
 絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。
 でも、私の偽りによって、神の真理がますます明らかにされて神の栄光となるのであれば、なぜ私がなお罪人としてさばかれるのでしょうか。
 「善を現わすために、悪をしようではないか。」と言ってはいけないのでしょうか。――私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちのことばだと言っていますが、――もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです。

2017年7月2日
「いつもあなたがたと共に」  高橋宣弘牧師

 マタイの福音書 28章11節-20節

 女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。
 そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った。』と言うのだ。
 もし、このことが総督の耳にはいっても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」
 そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。
 しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
 そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

2017年6月25日
「復活されたキリスト」  高橋宣弘牧師

 マタイの福音書 28章1節-10節

 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。
 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」
 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
 すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」

2017年6月18日
「封印された墓」  高橋宣弘牧師

 マタイの福音書 27章57節-66節

 夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。
 この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。
 ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、
 岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入り口には大きな石をころがしかけて帰った。
 そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。
 さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、
 こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる。』と言っていたのを思い出しました。
 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった。』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前のばあいより、もっとひどいことになります。」
 ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい。」と彼らに言った。
 そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。

2017年6月11日
「見捨てられたキリスト」  高橋宣弘牧師

 マタイの福音書 27章45節-56節

 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
 すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる。」と言った。
 また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
 ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることにしよう。」と言った。
 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
 また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。
 そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都にはいって多くの人に現われた。
 百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
 そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。
 その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。

2017年6月4日
「聖霊によって」  高橋宣弘牧師

 マタイの福音書 27章33節-44節

 ゴルゴダという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、
 彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、
 そこにすわって、イエスの見張りをした。
 また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。
 そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、
 言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみよ。十字架から降りて来い。」
 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。
 「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。
 彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ。』と言っているのだから。」
 イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。

 コリント人への手紙第一 12章1節-3節

 さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私があなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。
 ご承知のように、あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像の所でした。
 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのではなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。

2017年5月28日
「いばらの冠」  高橋宣弘牧師

 マタイの福音書 27章27節-32節

 それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めた。
 そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。
 それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」
 また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。
 こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出した。
 そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。

2017年5月21日
「バラバか、キリストか」  高橋宣弘牧師

 マタイの福音書 27章11節-26節

 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです。」と言われた。
 しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。
 そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」
 それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。
 ところで総督は、その祭りには、群衆のために、いつも望みの囚人をひとりだけ赦免してやっていた。
 そのころ、バラバという名の知れた囚人が捕えられていた。
 それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」
 ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。
 また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」
 しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。
 しかし、総督は彼らに答えて言った。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」
 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
 だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫び続けた。
 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するのがよい。」
 すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
 そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。

2017年5月14日
「弱さを誇りとして歩む祝福」  波多康牧師

 マタイの福音書 14章22節-33節

 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
 イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうへ行った。
 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので呼び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。

2017年5月7日
「大胆に赦しを求めて」  高橋宣弘牧師

 マタイの福音書 27章1節-10節

 さて、夜が明けると、祭司長、民の長老たち全員は、イエスを死刑にするために協議した。
 それから、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。
 そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、
 「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言った。
 それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首を吊った。
 祭司長たちは銀貨を取って、「これを神殿の金庫に入れるのはよくない。血の代価だから。」と言った。
 彼らは相談して、その金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地にした。
 それで、その畑は、今でも血の畑と呼ばれている。
 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。
 彼らは、主が私にお命じになったように、その金を払って、陶器師の畑を買った。」

2017年4月30日
「イエスの涙」  高橋宣弘牧師

 ヨハネの福音書 11章11節-15節

 イエスは、このように話され、それから、弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです。」
 そこで弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、彼は助かるでしょう。」
 しかし、イエスは、ラザロの死のことを言われたのである。だが、彼らは眠った状態のことを言われたものと思った。
 そこで、イエスはそのとき、はっきりと彼らに言われた。「ラザロは死んだのです。
 わたしは、あなたがたのため、すなわちあなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」

 ヨハネの福音書 11章30節-37節

 さてイエスは、まだ村にはいらないで、マルタが出迎えた場所におられた。
 マリヤとともに家にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、マリヤが墓に泣きに行くのだろうと思い、彼女について行った。
 マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
 そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、
 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」
 イエスは涙を流された。
 そこで、ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」
 しかし、「盲人の目をあけたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか。」と言う者もいた。

2017年4月23日
「アガペーの愛とは」  山本真理子牧師

 コリント人への手紙第一 13章1節-8節

 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
 不正を喜ばずに真理を喜びます。
 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

 ヨハネの福音書 3章16

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

2017年4月16日
「心の傷をいやされて」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書 21章13節-22節

 イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
 イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現わされたのは、すでにこれで三度目である。
 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか。」と言った者である。
 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」
 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

2017年4月9日
「裏切られたキリスト」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 26章69節-75節

 ペテロが外の中庭にすわっていると、女中のひとりが来て言った。「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」
 しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない。」と言った。
 そして、ペテロが入口まで出て行くと、ほかの女中が、彼を見て、そこにいる人々言った。「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」
 それで、ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない。」と言った。
 しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる。」と言った。
 すると彼は、「そんな人は知らない。」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。
 そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。

2017年4月2日
「裁かれたキリスト」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 26章57節-68節

 イエスをつかまえた人たちは、イエスを大祭司カヤパのところへ連れた行った。そこには、律法学者、長老たちが集まっていた。
 しかし、ペテロも遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の中庭まではいって行き、成り行きを見ようと役人たちといっしょにすわった。
 さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。
 偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、
 言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。』と言いました。」
 そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
 しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
 イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
 すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒瀆だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。
 どう考えますか。」彼らは答えて、「彼は死刑に当たる。」と言った。
 そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは、イエスを平手で打って、
 こう言った。「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか。」

2017年3月26日
「捕えられたキリスト」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 26章47節-56節

 イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二弟子のひとりであるユダがやって来た。剣や棒を手にした大ぜいの群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、民の長老たちから差し向けられたものであった。
 イエスを裏切る者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえるのだ。」と言っておいた。
 それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で。」と言って、口づけした。
 イエスは彼に、「友よ。何のために来たのですか。」と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕えた。
 すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして、剣を抜き、大祭司のしもべに撃ってかかり、その耳を切り落とした。
 そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
 それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。
 だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。」
 そのとき、イエスは群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしをつかまえに来たのですか。わたしは毎日、宮にすわって教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕えなかったのです。
 しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです。」そのとき、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。

2017年3月19日
「ゲツセマネの祈り」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 26章36節-46節

 それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」
 それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
 そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」
 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
 それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。
 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
 イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」
 イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。
 イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。
 それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。
 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」

2017年3月12日
「たといつまずいても」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 26章31節-35節

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。
 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
 すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」
 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたがたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
 ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して言いません。」弟子たちはみなそう言った。

2017年3月5日
「備えられた食卓」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 26章26節-30節

 また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯からの飲みなさい。
 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
 ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
 そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。

2017年2月26日
「銀貨30枚の男」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 26章14節-25節

 そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、
 こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。
 そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。
 さて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。」
 イエスは言われた。「都にはいって、これこれの人のところに行って、『先生が「わたしの時が近づいた。わたしの弟子たちといっしょに、あなたのところで過越を守ろう。」と言っておられる。』と言いなさい。」
 そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。
 さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。
 みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりがわたしを裏切ります。」
 すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言った。
 イエスは答えて言われた。「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。
 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
 すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ。」と言われた。

2017年2月19日
「キリストのからだとして」  高橋宣広牧師

 エペソ人への手紙 4章1節-16節

 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
 からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
 主はひとつ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。
 しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。
 そこで、こう言われています。
  「高いところに上られたとき、
  彼は多くの捕虜を引き連れ、
  人々に賜物を分け与えられた。」
 ――この「上られた」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。
 この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです。――
 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する御霊の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
 それは、私たちがもはや、子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

2017年2月12日
「ささげまつる」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 26章1節-13節

 イエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。
 「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」
 そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の前に集まり、
 イエスをだまして捕え、殺そうと相談した。
 しかし、彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから。」と話していた。
 さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられると、
 ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。
 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。
 この香油なら、高く売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」
 するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。
 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
 この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。
 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

2017年2月5日
「最も小さい者に」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 25章31節-46節

 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊使いと山羊とを分けるように、彼らをより分け、
 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
 こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」

2017年1月29日
「賜物を生かして」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 25章14節-30節

 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
 同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
 ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
 すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
 ところが、一タラント預かっていた者も来て言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
 だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
 だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

2017年1月22日
「そら、花婿だ!」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 25章1節-13節

 そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
 そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。
 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
 賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。
 花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。
 ところが、夜中になって、『そら、花婿だ!迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。
 娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。
 ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』
 しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』
 そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
 そのあとで、他の娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください。』と言った。
 しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません。』と言った。
 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。

2017年1月15日
「思いがけない日に」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 24章45節-51節

 主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。
 主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。
 まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。
 ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい。』と心の中で思い、
 その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めていると、
 そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。
 そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

2017年1月8日
「キリストの苦しみに結ばれる」  高橋宣広牧師

 コリント人への手紙第二  4章7節-18節

 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。
 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

2017年1月1日
「内なる人は日々新たに」  高橋宣広牧師

 コリント人への手紙第二  4章7節-18節

 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。
 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

2016年12月25日
「栄光の小羊」  高橋宣広牧師

 ヨハネの黙示録  7章9節-17節

 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
 彼らは、大声で叫んで言った。
  「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」
 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、
 言った。
  「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」
 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。
 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。
 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。
 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの僕者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

2016年12月18日
「御言葉は地の果てまで」  鳥羽季義牧師

 詩編  19章1節-7節

 天は神の栄光を語り告げ、
 大空は御手のわざを告げ知らせる。
 昼は昼へ、話を伝え、
 夜は夜へ、知識を示す。
 話もなく、ことばもなく、
 その声も聞かれない。

 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、
 そのことばは、地の果てまで届いた。
 神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。
 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。
 勇士のように、その走路を喜び走る。
 その上るのは、天の果てから、
 行き巡るのは、天の果て果てまで。
 その熱を、免れるものは何もない。

 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、
 主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。

 ローマ人への手紙  10章14節-18節

 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。
 「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
 しかし、ずべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。
 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
 でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。
   「その声は全地に響き渡り、
   そのことばは地の果てまで届いた。」

2016年12月11日
「小羊キリストの血によって」  高橋宣広牧師

 ペテロの手紙第一  1章13節-21節

 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
 従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、
 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。
 それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。
 また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。
 ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。
 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。

2016年12月4日
「沈黙の小羊」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  53章1節-12節

 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。
 主の御腕は、だれに現われたのか。
 彼は主の前に若枝のように芽生え、
 砂漠の地から出る根のように育った。
 彼には、私たちが見とれるような姿もなく、
 輝きもなく、
 私たちが慕うような見ばえもない。
 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
 悲しみの人で病を知っていた。
 人が顔をそむけるほどさげすまれ、
 私たちも彼を尊ばなかった。

 まことに、彼は私たちの病を負い、
 私たちの痛みをになった。
 だが、私たちは思った。
 彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
 しかし、彼は、
 私たちのそむきの罪のために刺し通され、
 私たちの咎のために砕かれた。
 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
 彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
 私たちはみな、羊のようにさまよい、
 おのおの、自分かってな道に向かって行った。
 しかし、主は、私たちのすべての咎を
 彼に負わせた。

 彼は痛めつけられた。
 彼は苦しんだが、口は開かない。
 ほふり場に引かれて行く小羊のように、
 毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
 彼は口を開かない。
 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
 彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
 彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
 生ける者の地から絶たれたことを。
 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
 彼は富む者とともに葬られた。
 彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。

 しかし、彼を砕いて、痛めることは
 主のみこころであった。
 もし彼が、自分のいのちを
 罪過のためのいけにえとするなら、
 彼は末長く、子孫を見ることができ、
 主のみこころは彼によって成し遂げられる。
 彼は、自分のいのちの
 激しい苦しみのあとを見て、満足する。
 わたしの正しいしもべは、
 その知識によって多くの人を義とし、
 彼らの咎を彼がになう。
 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
 彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
 彼が自分のいのちを死に明け渡し、
 そむいた人たちとともに数えられたからである。
 彼は多くの人の罪を負い、
 そむいた人たちのためにとりなしをする。

2016年11月27日
「見よ、神の小羊を」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書  1章29節-37節

 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
 私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ。』と言ったのは、この方のことです。
 私もこの方を知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」
 またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。
 私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるためにわたくしを遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』
 私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」
 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、
 イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。
 ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。

2016年11月20日
「再び来られる主を待ち望む」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  24章32節-44節

 いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
 そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
 洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。
 そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
 ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。
 しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。
 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

2016年11月13日
「終わりの日の苦難」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  24章15節-31節

 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。
 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
 ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。
 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
 もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はいないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。
 そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。
 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
 さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。
 だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる。』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる。』と聞いても、信じてはいけません。
 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。
 死体のある所には、はげたかが集まります。
 だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
 そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
 人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると、御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

2016年11月6日
「最後まで耐え忍ぶ」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  24章1節-14節

 イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。
 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」
 そこで、イエスは答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

2016年10月30日
「ああ、エルサレム」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  23章25節-39節

 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
 目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。
 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、
 あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち、あなたがたは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、
 『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』と言います。
 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。
 あなたがたも先祖の罪の目盛りの不足分を満たしなさい。
 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちはゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。
 まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。
 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。
 あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』あなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」











2016年10月23日
「神と人の架け橋となったイエス・キリスト」  中村敏牧師

 ピリピ人への手紙  2章1節-11節

 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。 
 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
 自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

2016年10月16日
「イエスの叱責」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  23章13節-24節

 しかし、忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分もはいらず、はいろうとしている人々をもはいらせないのです。
 [忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたはやもめたちの家を食いつぶしていながら、見えのために長い祈りをするからです。ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。]
 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするからです。
 忌わしいものだ。目の見えぬ手引きども。あなたがたはこう言う。『だれでも、神殿をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、神殿の黄金をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』
 愚かで、目の見えぬ人たち。黄金と、黄金を聖いものにする神殿と、どちらがたいせつなのか。
 また、こう言う。『だれでも、祭壇をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、祭壇の上の供え物をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』
 目の見えぬ人たち。供え物と、その供え物を聖いものにする祭壇と、どちらがたいせつなのか。
 ですから、祭壇をさして誓う者は、祭壇をも、その上のすべての物をもさして誓っているのです。
 また、神殿をさして誓う者は、神殿をも、その中に住まわれる方をもさして誓っているのです。
 天をさして誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方をさして誓うのです。
 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。
 目の見えぬ手引きども。あなたがたは、ぶよは、こして除くが、らくだはのみこんでしまいます。

2016年10月9日
「言行不一致」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  23章1節-12節

 そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、
 こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。
 ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。
 また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。
 彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。
 また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、
 広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。
 しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。
 あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。
 また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。
 あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。
 だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。

2016年10月2日
「神を愛する・人を愛する」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  22章34節-46節

 しかし、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、いっしょに集まった。
 そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。
 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
 これがたいせつな第一の戒めです。
 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
 パリサイ人たちが集まっているときに、イエスは彼らに尋ねて言われた。
 「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼はだれの子ですか。」彼らはイエスに言った。「ダビデの子です。」
 イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、
  『主は私の主に言われた。
  「わたしがあなたの敵を
  あなたの足の下に従わせるまでは、
  わたしの右の座に着いていなさい。」』
 と言っているのですか。
 ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」
 それで、だれもイエスに一言も答えることができなかった。また、その日以来、もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかった。

2016年9月25日
「行って、あらゆる国の人々を弟子とする」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  28章18節-20節

 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

2016年9月18日
「主がもとめられるもの」  荒籾実牧師

 マタイの福音書  23章23節-24節

 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。
 目の見えぬ手引きども。あなたがたは、ぶよは、こして除くが、らくだはのみこんでしまいます。

2016年9月11日
「復活の時には」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  22章23節-33節

 その日、復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエスのところに来て、質問して、
 言った。「先生。モーセは『もし、ある人が子のないままで死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のための子をもうけねばならない。』と言いました。
 ところで、私たちの間に七人兄弟がありました。長男は結婚しましたが、死んで、子がなかったので、その妻を弟に残しました。
 次男も三男も、七人とも同じようになりました。
 そして、最後に、その女も死にました。
 すると復活の際には、その女は七人のうちだれの妻なのでしょうか。彼らはみな、その女を妻にしたのです。」
 しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。
 復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。
 それに、死人の復活については、神があなたがたに語られた事を、あなたがたは読んだことがないのですか。
 『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」
 群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。

2016年9月4日
「神のものは神に」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  22章15節-22節

 そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイエスをことばのわなにかけようかと相談した。
 彼らはその弟子たちを、ヘロデ党のものたちといっしょにイエスのもとにやって、こう言わせた。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。
 それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」
 イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。
 納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。
 そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」
 彼らは、「カイザルのです。」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
 彼らは、これを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。

2016年8月28日
「誰彼かまわず」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  22章1節-14節

 イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。
 「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王に例えることができます。
  王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。
  それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』
  ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、
  そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。
  王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。
  そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。
  だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』
  それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。
  ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。
  そこで王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。しかし、彼は黙っていた。
  そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。
 招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」

2016年8月21日
「私の息子なら」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  21章33節-46節

  もう一つのたとえを聞きなさい。
  ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
 さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。
 すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。
 そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。
 しかし、そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、息子を遣わした。
 すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』
 そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。
 このばあい、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」
 彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」
 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。
  『家を建てる者たちの見捨てた石。
  それが礎の石になった。
  これは主のなさったことだ。
  私たちの目には、
  不思議なことである。』
 だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。
 また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」
 祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさしておられることに気づいた。
 それでイエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者と認めていたからである。

2016年8月14日
「ふたりの息子」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  21章23節-32節

 それから、イエスが宮にはいって、教えておられると、祭司長、民の長老たちが、みもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか。」
 イエスは答えて、こう言われた。「わたしも一言あなたがたに尋ねましょう。もし、あなたがたが答えるなら、わたしも何の権威によって、これらのことをしているかを話しましょう。
 ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか。それとも人からですか。」すると、彼らはこう言いながら、互いに論じ合った。「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったか、と言うだろう。
 しかし、もし、人から、と言えば、群衆がこわい。彼らはみな、ヨハネを預言者と認めているのだから。」
そこで、彼らはイエスに答えて、「わかりません。」と言った。イエスもまた彼らにこう言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。
 ところで、あなたがたは、どう思いますか。
  ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ。』と言った。
  兄は答えて『行きます。おとうさん。』と言ったが、行かなかった。
  それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません。』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。
 ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」彼らは言った。「あとの者です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国にはいっているのです。
 というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです。

2016年8月7日
「いちじくの木」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  21章18節-22節

 翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。
 道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。
 弟子たちは、これを見て、驚いて言った。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」
 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」

2016年7月31日
「キリストの宮きよめ」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  21章12節-17節

 それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
 そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
 また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。
 ところが、祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ。」と言って叫んでいるのを見て腹を立てた。
 そしてイエスに言った。「あなたは、子どもたちが何と言っているか、お聞きですか。」イエスは言われた。「聞いています。『あなたは幼子と乳飲み子たちの口に賛美を用意された。』とあるのを、あなたがたは読まなかったのですか。」
 イエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこに泊まられた。

2016年7月24日
「ロバに乗っての入城」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  21章1節-11節

 それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、
 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。
 もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです。』と言いなさい。そうすればすぐに渡してくれます。」
 これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。
  「シオンの娘に伝えなさい。
  『見よ。あなたの王が、
  あなたのところにお見えになる。
  柔和で、ろばの背に乗って、
  それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」
 そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。
 そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
 すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。
 そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。
  「ダビデの子にホサナ。
  祝福あれ。主の御名によって来られる方に。
  ホサナ。いと高き所に。」
 こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか。」と言った。
 群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。」と言った。

2016年7月17日
「心の目が開かれる」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  20章29節-34節

 彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエスについて行った。
 すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」
 そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」と叫び立てた。
 すると、イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」
 彼らはイエスに言った。「主よ。この目をあけていただきたいのです。」
 イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。

2016年7月10日
「キリストにならいて」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  20章17節-28節

 さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。
 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。
 そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
 そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。
 イエスが彼女に、「どんな願いですか。」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」
 けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは、「できます。」と言った。
 イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです。」
 このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。
 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
 あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。
 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」

2016年7月3日
「気前がいい主人」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  20章1節-16節

 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
 それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。
 そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものをあげるから。』
 彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。
 また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』
 彼らは言った。『誰も雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』
 こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』
 そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。
 最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。
 そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、
 言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』
 しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。
 自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
 自分のものを自分の思うようにしてはいけないいう法がありますか。それとも、私が気前がいいので、
あなたの目にはねたましく思われるのですか。』
 このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」

2016年6月26日
「幸いな人生」  高橋宣広牧師

 詩篇  1章1節-6節

 幸いなことよ。
 悪者のはかりごとに歩まず、
 罪人の道に立たず、
 あざける者の座に着かなかった、その人。
 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
 その人は、
 水路のそばに植わった木のようだ。
 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
 その人は、何をしても栄える。

 悪者は、それとは違い、
 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、
 罪人は、正しい者のつどいに立てない。
 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
 しかし、悪者の道は滅びうせる。

2016年6月19日
「らくだが針の穴に」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  19章23節-30節

 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。
 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」
 そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
 また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。
 ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。

2016年6月12日
「子どもたちの国」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  19章13節-22節

 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが弟子たちは彼らをしかった。
 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
 そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。
 すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
 イエスは彼らに言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
 彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。
 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
 この青年はイエスに言った。「そのようなことは、みな守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」
 イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。

2016年6月5日
「弱き者の側に立つ主」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  19章1節-12節

 イエスはこの話を終えると、ガリラヤを去って、ヨルダンの向こうにあるユダヤ地方に行かれた。
 すると、大ぜいの群衆がついて来たので、そこで彼らをおいやしになった。
 パリサイ人たちがみもとにやって来て、イエスを試みて、こう言った。「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」
 イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、
 『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。
 それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」
 彼らはイエスに言った。「では、モーセはなぜ、離婚状を渡して妻を離別せよ、と命じたのですか。」
 イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、その妻を離別することをあなたがたに許したのです。しかし、初めからそうだったのではありません。
 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、不貞のためではなく、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を冒すのです。」
 弟子たちはイエスに言った。「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しないほうがましです。」
 しかし、イエスは言われた。「そのことばは、だれでも受け入れることができるわけではありません。ただ、それが許されている者だけができるのです。
 というのは、母の胎内から、そのように生まれついた独身者がいます。また、人から独身者にさせられた者もいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった者もいるからです。それができる者はそれを受け入れなさい。」

2016年5月29日
「わたしについて来なさい」  武安宏樹牧師

 マルコの福音書  1章16節-18節

 ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
 すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。

2016年5月22日
「主のあわれみゆえに」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  18章21節-35節

 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
 このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。
 王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。
 清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。
 しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って、返済するように命じた。
 それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。
 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。
 ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。
 彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。
 しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。
 彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。
 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。
 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』
 こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。
 あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」









2016年5月15日
「聖霊降臨」  高橋宣広牧師

 使徒の働き  2章1節-13節

 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
 それなのに、私たちはめいめいの国の国語で離すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、
 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか。」と言った。
 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言ってあざける者たちもいた。

2016年5月8日
「教会は神の家族」  高橋宣広牧師

 エペソ人への手紙  2章11節-22節

 ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、
 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。
 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。
 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

2016年5月1日
「一匹の小羊のために」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  18章11節-20節

 [人の子は、滅んでいる者を救うために来たのです。]
 あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。
 そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。
 このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありませんか。
 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。
 もし、聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。
 それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。
 まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

2016年4月24日
「子どものように」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  18章1節-10節

 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」
 そこで、イエスは小さな子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、
 言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。
 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
 また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。
 しかし、わたしを信じるこの小さな者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。
 つまずきを与えるこの世は忌まわしいものです。つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。
 もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちにはいるほうが、両手両足そろって永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
 また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちにはいるほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
 あなたがたは、この小さな者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。

2016年4月17日
「愛のゆえに」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  17章22節-27節

 彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。「人の子は、いまに人々の手に渡されます。
 そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると、彼らは非常に悲しんだ。
 また、彼らがカペナウムに来たとき、宮の納入金を集める人たちが、ペテロのところに来て言った。「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか。」
 彼は「納めます。」と言って、家にはいると、先にイエスのほうからこう言い出された。「シモン。どう思いますか。世の王たちはだれから税や貢を取り立てますか。自分の子どもたちからですか、それともほかの人たちからですか。」
 ペテロは「ほかの人たちからです。」と言うと、イエスは言われた。「では、子どもたちにはその義務がないのです。
 しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、最初に連れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル一枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。」

2016年4月10日
「めぐみ深い神」  波多康牧師

 ヨハネの福音書  4章13節-26節

 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」
 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。
 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」
 女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。
 私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」
 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。
 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。
 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
 女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」
 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」

 詩篇  23章6節

 主は私の羊飼い。
 私は、乏しいことがありません。

2016年4月3日
「からし種ほどの信仰」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  17章14節-21節

 彼らが群衆のところに来たとき、ひとりの人がイエスのそば近くに来て、御前にひざまずいて言った。
 「主よ。私の息子をあわれんでください。てんかんで、たいへん苦しんでおります。何度も何度も火の中に落ちたり、水の中に落ちたりいたします。
 そこで、その子をお弟子たちのところに連れて来たのですが、直すことができませんでした。」
 イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
 そして、イエスがその子をおしかりになると、悪霊は彼から出て行き、その子はその時から直った。
 そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」
 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。
 [ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。]」

2016年3月27日
「栄光に輝くキリスト」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  17章1節-13節

 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。
 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。
 しかも、モーセとエリヤが現われてイエスと話し合っているではないか。
 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」
 彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。
 弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。
 すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない。」と言われた。
 それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。
 彼らが山を降りるとき、イエスは彼らに、「人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見た幻をだれにも話してはならない。」と命じられた。
 そこで、弟子たちは、イエスに尋ねて言った。「すると、律法学者たちが、まずエリヤが来るはずだと言っているのは、どうしてでしょうか。」
 イエスは答えて言われた。「エリヤが来て、すべてのことを立て直すのです。
 しかし、わたしは言います。エリヤはもうすでに来たのです。ところが彼らはエリヤを認めようとせず、彼に対して好き勝手なことをしたのです。人の子もまた、彼らから同じように苦しめられようとしています。」
 そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと気づいた。

2016年3月20日
「自分の十字架を負って」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  16章21節-28節

 その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。
 するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」
 しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。
 まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」

2016年3月13日
「岩の上の教会」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  16章13節-20節

 さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」
 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」
 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
 するとイエスは、彼に答えて言った。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
 そのとき、イエスは、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と弟子たちを戒められた。

2016年3月6日
「あなたにとってイエス・キリストとは?」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  16章13節-20節

 さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」
 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」
 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
 するとイエスは、彼に答えて言った。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
 そのとき、イエスは、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と弟子たちを戒められた。

2016年2月28日
「救い主を見分ける」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  16章1節-12節

 パリサイ人やサドカイ人たちがみそばに寄って来て、イエスをためそうとして、天からのしるしを見せてくださいと頼んだ。
 しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、夕方には、『夕焼けだから晴れる。」と言うし、
 朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ。』と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。
 悪い、姦淫の時代はしるしをもとめています。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」そう言って、イエスは彼らを残して去って行かれた。
 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れた。
 イエスは彼らに言われた。「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」
 すると、彼らは、「これは私たちがパンを持って来なかったからだ。」と言って、議論を始めた。
 イエスはそれに気づいて言われた。「あなたがた、信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか。
 まだわからないのですか。覚えていないのですか。五つのパンを五千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。
 また、七つのパンを四千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。
 わたしの言ったのは、パンのことなどではないことが、どうしてあなたがたには、わからないのですか。ただ、パリサイ人やサドカイ人たちのパン種に気をつけることです。
 彼らはようやく、イエスが気をつけよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人やサドカイ人たちの教えのことであることを悟った。

2016年2月21日
「全世界の王イエス」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  15章29節-39節

 それから、イエスはそこを去って、ガリラヤ湖の岸を行き、山に登って、そこにすわっておられた。
 すると、大ぜいの人の群れが、足のなえた者、手足の不自由な者、盲人、口のきけない者、そのほか多くの人をみもとに連れて来た。そして、彼らをイエスの足もとに置いたので、イエスは彼らをいやされた。
 それで群衆は、口のきけない者がものを言い、手足の不自由な者が直り、足のなえた者が歩き、盲人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そして、彼らはイスラエルの神をあがめた。
 イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」
 そこで弟子たちは言った。「このへんぴな所で、こんなに大ぜいの人に、十分食べさせるほどたくさんのパンが、どこから手にはいるでしょう。」
 すると、イエスは彼らに言われた。「どれぐらいパンがありますか。」彼らは言った。「七つです。それに小さい魚が少しあります。」
 すると、イエスは群衆に、地面にすわるように命じられた。
 それから、七つのパンと魚とを取り、感謝をささげてからそれを裂き、弟子たちに与えられた。そして、弟子たちは群衆に配った。
 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、七つのかごにいっぱいあった。
 食べた者は、女と子どもを除いて、男四千人であった。
 それから、イエスは群衆を解散させて舟に乗り、マガダン地方に行かれた。

2016年2月14日
「パンくずにも祝福が」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  15章21節-28節

 それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。
 すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」
 しかし、イエスは彼女に一言もお答にならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです。」と言ってイエスに願った。
 しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言われた。
 しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。
 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。
 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。

2016年2月7日
「心から出るもの」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  15章10節-20節

 イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。
 口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」
 そのとき、弟子たちが、近寄って来て、イエスに言った。「パリサイ人が、みことばを聞いて、腹を立てたのを、ご存じですか。」
 しかし、イエスは答えて言われた。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。
 彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を手引きする盲人です。もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」
 そこで、ペテロは、イエスに答えて言った。「私たちに、そのたとえを説明してください。」
 イエスは言われた。「あなたがたも、まだわからないのですか。
 口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられることを知らないのですか。
 しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。
 悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。
 これらは、人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。

2016年1月31日
「人間の教えと神の教え」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  15章1節-9節

 そのころ、パリサイ人や律法学者たちが、エルサレムからイエスのところに来て、言った。
 「あなたのお弟子たちは、なぜ長老たちの言い伝えを犯すのですか。パンを食べるときに手を洗っていないではありませんか。」
 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか。
 神は『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言われたのです。
 それなのに、あなたがたは、『だれでも、父や母に向かって、私からあなたのために差し上げられる物は、供え物になりましたと言う者は、
 その物をもって父や母を尊んではならない。』と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。
 偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。
 『この民は、口先ではわたしを敬うが、
 その心は、わたしから遠く離れている。
 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。
 人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」

2016年1月24日
「主よ、助けてください」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  14章22節-36節

 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声をあげた。
 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、お命じになってください。」
 イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。
 彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。
 すると、その地の人々は、イエスと気がついて、付近の地域にくまなく知らせ、病人という病人をみな、みもとに連れて来た。
 そして、せめて彼らに、着物のふさにでもさわらせてやってくださいと、イエスにお願いした。そして、さわった人々はみな、いやされた。

2016年1月17日
「かごがいっぱいに」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  14章13節-21節

 イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所に行かれた。すると、群衆がそれと聞いて、町々から、歩いてイエスのあとを追った。
 イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。
 夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。」
 しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」
 しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」
 すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」
 そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。
 人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。
 食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。

2016年1月10日
「使命を全うして」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  14章1節-12節

 そのころ、国主ヘロデは、イエスのうわさを聞いて、
 侍従たちに言った。「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。」
 実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、牢に入れたのであった。
 それは、ヨハネが彼に、「あなたが彼女をめとるのは不法です。」と言い張ったからである。
 ヘロデはヨハネを殺したかったが、群衆を恐れた。というのは、彼らはヨハネを預言者と認めていたからである。
 たまたまヘロデの誕生祝いがあって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。
 それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。
 ところが、娘は母親にそそのかされて、こう言った。「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」
 王は心を痛めたが、自分の誓いもあり、また列席の人々の手前もあって、与えるように命令した。
 彼は人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
 そして、その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。
 それから、ヨハネの弟子たちがやって来て、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。

2016年1月3日
「あなたの神、主を愛する」  高橋宣広牧師

 申命記  6章1節-9節

 これは、あなたがたの神、主が、あなたがたに教えよと命じられた命令―おきてと定め―である。あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地で、行うためである。
 それは、あなたの一生の間、あなたも、そしてあなたの子も孫も、あなたの神、主を恐れて、私の命じるすべての主のおきてと命令を守るため、またあなたが長く生きることのできるためである。
 イスラエルよ。聞いて、守り行ないなさい。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたの父祖の神、主があなたに告げられたように、あなたは乳と蜜の流れる国で大いにふえよう。
 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。
 これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。
 これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。

2015年12月27日
「たとい山々が移っても」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  54章10節

 たとい山々が移り、丘が動いても、
 わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、
 わたしの平和の契約は動かない。」と
 あなたをあわれむ主は仰せられる。

2015年12月20日
「待ち望みし救い主」  高橋宣広牧師

 ルカの福音書  2章21節-40節

 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。
 さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。
 ―それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない。」と書いてあるとおりであった。―
 また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽。」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。
 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。
 また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。
 彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。
 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
  「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、
  みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。
  私の目があなたの御救いを見たからです。
  御救いはあなたが
  万民の前に備えられたもので、
  異邦人を照らす啓示の光、
  御民イスラエルの光栄です。」
 父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。
 また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
 剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現われるためです。」
 また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、
 その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。
 ちょうどそのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。
 さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰った。
 幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みがその上にあった。

2015年12月13日
「クリスマスの賛美」  高橋宣広牧師

 ルカの福音書  2章8節-20節

 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためにすばらしい喜びを知らせに来たのです。
 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
  「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
  地の上に、平和が、
  御心にかなう人々にあるように。」
 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごを捜し当てた。
 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

2015年12月6日
「恥と喜び」  木下和好師

 ピリピ人への手紙  4章4節

 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

2015年11月29日
「飼い葉おけの王子」  高橋宣広牧師

 ルカの福音書  2章1節-7節

 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

2015年11月22日
「大工の息子イエス」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  13章53節-58節

 これらのたとえを話し終えると、イエスはそこを去られた。
 それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。
 この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
 妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」
 こうして、彼らはイエスにつまづいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」
 そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。

2015年11月15日
「隠された宝」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  13章44節-52節

 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。
 また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
 すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
 また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。
 網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。
 この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、
 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
 あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい。」とイエスに言った。
 そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」

2015年11月8日
「からし種のように」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  13章31節-35節

 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、
 どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
 イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」
 イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。
 それは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。
  「わたしはたとえ話をもって口を開き、
  世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」

2015年11月1日
「天の御国のたとえ」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  13章24節-30節

 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。
 「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。
 麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。
 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。
 『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。
 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」

2015年10月25日
「耳のある者は聞きなさい」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  13章1節-9節

 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
 すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。
 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。
 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
 耳のある者は聞きなさい。」

2015年10月18日
「新しい神の家族」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  12章38節-50節

 そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」
 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。
 ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。
 ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。 なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。
 南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。
 汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
 そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」
 イエスがまだ群衆に話しておられるときに、イエスの母と兄弟たちが、イエスに何か話そうとして、外に立っていた。
 すると、だれかが言った。「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」
 しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」
 それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
 天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

2015年10月11日
「無駄なおしゃべり」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  12章15節-37節

 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。すると多くの人がついて来たので、彼らをみないやし、
 そして、ご自分のことを人々に知らせないようにと、彼らを戒められた。
 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。
  「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、
  わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。
  わたしは彼の上にわたしの霊を置き、
  彼は異邦人に公儀を宣べる。
  争うこともなく、叫ぶこともせず、
  大路でその声を聞く者もない。
  彼はいたんだ葦を折ることもなく、
  くすぶる燈心を消すこともない、
  公儀を勝利に導くまでは。
  異邦人は彼の名に望みをかける。」
 そのとき、悪霊につかれて、目も見えず、口もきけない人が連れて来られた。イエスが彼をいやされたので、その人はものを言い、目も見えるようになった。
 群衆はみな驚いて言った。「この人は、ダビデの子なのだろうか。」
 これを聞いたパリサイ人は言った。「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」
 イエスは彼らの思いを知ってこう言われた。「どんな国でも、内輪もめして争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも、内輪もめして争えば立ち行きません。
 もし、サタンがサタンを追い出していて仲間割れしたのだったら、どうしてその国は立ち行くでしょう。
 また、もしわたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの子らはだれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの子らが、あなたがたをさばく人となるのです。
 しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。
 強い人の家にはいって家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです。
 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。
 だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。
 また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。
 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。
 まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。
 良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。
 わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。
 あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」

2015年10月4日
「安息日の主」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  12章1節-14節

 そのころ、イエスは、安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。
 すると、パリサイ人たちがそれを見つけて、イエスに言った。「ご覧なさい。あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています。」
 しかし、イエスは言われた。「ダビデとその連れの者たちが、ひもじかったときに、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。
 神の家にはいって、祭司のほかは自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べました。
 また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日の神聖を冒しても罪にならないということを、律法で読んだことはないのですか。
 あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです。
 『わたしはああわれみは好むが、いけにえは好まない。』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。
 人の子は安息日の主です。」
 イエスはそこを去って、会堂にはいられた。
 そこに片手のなえた人がいた。そこで、彼らはイエスに質問して、「安息日にいやすことは正しいことでしょうか。」と言った。これはイエスを訴えるためであった。
 イエスは彼らに言われた。「あなたがたのうち、だれかが一匹の羊を持っていて、もしその羊が安息日に穴に落ちたら、それを引き上げてやらないでしょうか。
 人間は羊より、はるかに値うちのあるものでしょう。それなら、安息日に良いことをすることは、ただしのです。」
 それから、イエスはその人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼が手を伸ばすと、手は直って、もう一方の手と同じようになった。
 パリサイ人は出て行って、どのようにしてイエスを滅ぼそうかと相談した。

2015年9月27日
「経験を生かした愛の実践」  辻浦信生牧師

 レビ記  19章33節-34節

 もしあなたがたの国に、あなたといっしょに在留異国人がいるなら、彼をしいたげてはならない。
 あなたがたといっしょの在留異国人は、あなたがたにとって、あなたがたの国で生まれたひとりのようにしなければならない。あなたは彼をあなた自身のように愛しなさい。あなたがたもかつてエジプトの地では在留異国人だったからである。わたしはあなたがたの神、主である。

2015年9月20日
「働き疲れたあなたに」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  11章20節-30節

 それから、イエスは、数々の力あるわざの行なわれた町々が悔い改めなかったので、責め始められた。
 「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行なわれた力あるわざが、もしもツロとシドンで行なわれたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。
 しかし、そのツロとシドンのほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえたちよりは罰が軽いのだ。
 カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。
 しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。」
 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。
 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

2015年9月13日
「笛吹けど踊らず」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  11章7節-19節

 この人たちが行ってしまうと、イエスは、ヨハネについて群衆に話しだされた。「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。
 でなかったら、何を見に行ったのですか。柔らかい着物を着た人ですか。柔らかい着物を着た人なら王の宮殿にいます。
 でなかったら、なぜ行ったのですか。預言者を見るためですか。そのとおり。だが、わたしが言いましょう。預言者よりもすぐれた者をです。
 この人こそ、
  『見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、
  あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。』
 と書かれているその人です。
 まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。
 バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。
 ヨハネに至るまで、すべての預言者たちと律法とが預言をしたのです。
 あなたがたが進んで受け入れるなら、実はこの人こそ、きたるべきエリヤなのです。
 耳のある者は聞きなさい。
 この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、
 こう言うのです。
  『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。
  弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』
 ヨハネが来て、食べも飲みもしないと、人々は『あれが悪霊につかれているのだ。』と言い、
 人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしん坊の大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言います。でも、知恵の正しいことは、その行ないが証明します。」

2015年9月6日
「あなたですよね?」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  11章1節-6節

 イエスはこのように十二弟子に注意を与え、それを終えられると、彼らの町々で教えたり宣べ伝えたりするため、そこを立ち去られた。
 さて、獄中でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、その弟子たちに託して、
 イエスにこう言い送った。「おいでになるはずのかたはあなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」
 イエスは答えて、彼らに言われた。「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。
 目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちには福音が宣べ伝えられている。
 だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。」

2015年8月30日
「コップ一杯の水」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  10章34節-42節

 わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
 なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
 さらに、家族の者がその人の敵となります。
 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
 あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。
 預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。
 わたしの弟子だというので、この小さき者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」

2015年8月23日
「一羽のすずめさえ」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  10章16節-33節

 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。
 人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。
 また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。
 人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。
 というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
 兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。
 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
 彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。
 弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。
 弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼベルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは何と呼ぶでしょう。
 だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。
 わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。
 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
 ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。

2015年8月16日
「平和を祈る務め」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  10章1節-15節

 イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。
 さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、
 熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。
 イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。
 イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。
 行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。
 病人を直し、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
 胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。
 旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。
 どんな町や村にはいっても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。
 その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。
 その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。
 もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。
 まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罪が軽いのです。

2015年8月9日
「夜も昼のように輝く」  時枝哲也牧師

 詩篇  139篇11節-12節

 たとい私が、
 「おお、やみよ。私をおおえ。
 私の回りの光よ。夜となれ。」と言っても、
 あなたにとっては、やみも暗くなく、
 夜は昼のように明るいのです。
 暗やみも光も同じことです。

 それはあなたが私の内蔵を造り、
 母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

2015年8月2日
「羊飼いのいない羊のよう」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  9章27節-38節

 イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください。」と叫びながらついて来た。
 家にはいられると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか。」と言われると、彼らは「そうです。主よ。」と言った。
 そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われた。
 すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい。」と言われた。
 ところが、彼らは出て行って、イエスのことをその地方全体に言いふらした。
 この人たちが出て行くと、見よ、悪霊につかれて口のきけない人が、みもとに連れて来られた。
 悪霊が追い出されると、その人はものを言った。群衆は驚いて、「こんなことは、イスラエルでいまだかつて見たことがない。」と言った。
 しかし、パリサイ人たちは、「彼は悪霊どものかしらを使って、悪霊どもを追い出しているのだ。」と言った。
 それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。
 また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。
 そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
 だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

2015年7月26日
「娘よ、心安かれ」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  9章18節-26節

 イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」
 イエスが立って彼について行かれると、弟子たちもついて行った。
 すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。
 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と心のうちで考えていたからである。
 イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。
 イエスはその会堂管理者の家に来られて、笛吹く者たちや騒いでいる群衆を見て、
 言われた。「あちらに行きなさい。その子は死んだのではない。眠っているのです。」すると、彼らはイエスをあざ笑った。
 イエスは群衆を外に出してから、うちにおはいりになり、少女の手を取られた。すると少女は起き上がった。
 このうわさはその地方全体に広まった。

2015年7月19日
「罪人を招くキリスト」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  9章9節-17節

 イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
 するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」
 イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。しかし、花婿が取り去られる時が来ます。そのときには断食します。
 だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。
 また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」

2015年7月12日
「罪を赦す権威」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  9章1節-8節

 イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。
 すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に
、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。
 すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている。」と言った。
 イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
 『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。
 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
 すると、彼は起きて家に帰った。
 群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた。

2015年7月5日
「内と外からの嵐にもまれて」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  8章23節-34節

 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。
 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」
 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
 人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
 それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。
 すると、見よ、彼らはわめいて言った。「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」
 ところで、そこからずっと離れた所に、たくさんの豚の群れが飼ってあった。
 それで、悪霊どもはイエスに願ってこう言った。「もし私たちを追い出そうとされるのでしたら、どうか豚の群れの中にやってください。」
 イエスは彼らに「行け。」と言われた。すると、彼らは出て行って豚にはいった。すると、見よ、その群れ全体がどっとがけから湖へ駆け降りて行って、水におぼれて死んだ。
 飼っていた者たちは逃げ出して町に行き、悪霊につかれた人たちのことなどを残らず知らせた。
 すると、見よ、町中の者がイエスに会いに出て来た。そして、イエスに会うと、どうかこの地方を立ち去ってくださいと願った。

2015年6月28日
「癒し主キリスト」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  8章14節-22節

 それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。
 イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。
 夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。
 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」
 さて、イエスは群衆が自分の回りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための用意をお命じになった。
 そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」
 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
 また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
 ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」

2015年6月21日
「キリストの憐れみの心」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  8章1節-13節

 イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。
 すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」
 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。
 イエスは彼に言われた。「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。ただ、人々へのあかしのために、行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。」
 イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、
 言った。「主よ。私のしもべが中風で、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」
 イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」
 しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをください。そうすれば、私のしもべは直りますから。
 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士がいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」
 イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。
 あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。
 しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」
 それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、しもべはいやされた。

2015年6月14日
「砂の上と岩の上」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  7章24節-29節

 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上の自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
 イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。
 というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。

2015年6月7日
「いのちの川」  ダニー・モルキー師

 エゼキエル書  47章1節-12節

 彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。
 ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。
 その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。
 彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。
 彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。
 彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか。」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。
 私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。
 彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海にはいる。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。
 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。
 漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。
 しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。
 川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。

2015年5月31日
「狭い門から入りなさい」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  7章13節-23節

 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。
 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
 わたしに向かって、『主よ。主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。
 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ。主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

2015年5月24日
「いつまでも共にいる助け主」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書  14章16節-21節

 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」

2015年5月17日
「求める子に与える父」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  7章1節-12節

 さばいてはいけません。さばかれないためです。
 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。
 偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。
 聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。
 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

2015年5月10日
「心配無用」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  6章25節-34節

 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これからのものはすべて与えられます。
 だから、あすのためにの心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

2015年5月3日
「天に宝をたくわえよう」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  6章16節-24節

 断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
 しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
 それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。
 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなものでしょう。
 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

2015年4月26日
「我らの国籍は天にあり」  高橋宣広牧師

 ピリピ人への手紙  3章10節-21節

 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、
 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。
 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一時に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。
 それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。
 兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
 というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

2015年4月19日
「人の罪を赦すなら」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  6章9節-15節

 だから、こう祈りなさい。
  『天にいます私たちの父よ。
  御名があがめられますように。
  御国が来ますように。
  みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
  私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
  私たちの負いめをお赦しください。
  私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
  私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』[国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。]
 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

2015年4月12日
「見ていてくださる神」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  6章1節-8節

 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

2015年4月5日
「意気消沈する時に」  高橋宣広牧師

 ルカの福音書  24章13節-35節

 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。
 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。
 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」
 イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。
 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。
 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、
 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、
 イエスの体が見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。
 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」
 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」
 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。
 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。
 それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから。」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中にはいられた。
 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
 そこでふたりは話し合った。「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
 すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、
 「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた。」と言っていた。 
 彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。

2015年3月29日

「完全な生き方」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  5章38節-46節

 『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。
 あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。
 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。
 求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。
 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
 自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
 また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。

2015年3月22日
「誠実な生き方」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  5章27節-37節

 『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
 もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。
 また『だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ。』と言われています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。
 さらにまた、昔の人々に『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ。』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。
 地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。
 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。
 だから、あなたがたは、『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。

2015年3月15日
「正しい生き方」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  5章17節-26節

 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。
 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義ににまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。
 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
 だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、
 供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。
 あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。
 まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。

2015年3月8日
「地の塩・世界の光」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  5章10節-16節

 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。
 あなたがたは地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。
 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

2015年3月1日
「あなたは幸せ!」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  5章1節-9節

 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。

2015年2月22日
「からし種のようなもの」  篠原哲二牧師

 マルコの福音書  4章26節-34節

 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。
 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」
 また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。
 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、
 それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
 イエスは、このように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを話された。
 たとえによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた。

2015年2月15日
「イエス様について行く」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  4章18節-25節

 イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。
 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
 彼らはすぐに網を捨てて従った。
 そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。
 彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。
 イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
 イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで、人々は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをお直しになった。
 こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大ぜいの群衆がイエスにつき従った。

2015年2月8日
「イエス様の宣教開始」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  4章12節-17節

 ヨハネが捕えられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。
 そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。
 これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、
  「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、
  ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。
  暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、
  死の地と死の陰にすわっていた人々に、
  光が上がった。」
 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

2015年2月1日
「試みに勝利されたイエス」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  4章1節-11節

 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけに生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
 言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」
 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」
 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。
 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。

2015年1月25日
「ヨナの怒りのゆくえ」  篠原哲二牧師

 ヨナ書  4章1節-11節

 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、
 主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
 主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」
 主は仰せられた。「あなたは当然のことのように怒るのか。」
 ヨナは町から出て、町の東のほうにすわり、そこに自分で仮小屋を作り、町の中で何が起こるかを見きわめようと、その陰の下にすわっていた。
 神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。
 しかし、神は、翌日の夜明けに、一匹の虫を備えられた。虫がそのとうごまをかんだので、とうごまは枯れた。
 太陽が上ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は衰え果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」
 すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」
 主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。
 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」

2015年1月18日
「これは、わたしの愛する子」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  3章13節-17節

 さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。
 しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」
 ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。
 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

2015年1月11日
「まことの悔い改めを」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  3章1節-12節

 そのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。
 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
 この人は預言者イザヤによって、
  「荒野で叫ぶ者の声がする。
  『主の道を用意し、
  主の通られる道をまっすぐにせよ。』」
 と言われたその人である。
 このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。
 さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、
 自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。
 しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けにくるのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。
 『われわれの先祖はアブラハムだ。』と心の中で言うような考えではいけません。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。
 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授げになります。
 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。実を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」

2015年1月4日
「二人の王」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  2章16節-23節

 その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から突き止めておいた時間から割り出したのである。
 そのとき、博士たちがエレミヤを通して言われた事が成就した。
  「ラマで声がする。
  泣き、そして嘆き叫ぶ声。
  ラケルがその子らのために泣いている。
  ラケルは慰められることを拒んだ。
  子らがもういないからだ。」
 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現われて、言った。
 「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」
 そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地にはいった。
 しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けてので、ガリラヤ地方に立ちのいた。
 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる。」と言われた事が成就するためであった。

2015年1月1日
「たとい山々が移っても」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  54章10節

 「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」とあなたをあわれむ主は仰せられる。

2014年12月28日
「思い直される神」  篠原哲二牧師

 ヨナ書  3章1節―10節

 再びヨナに次のような主のことばがあった。
 「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。」
 ヨナは、主のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町であった。
 ヨナは初め、その町にはいると、一日中歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」と言った。
 そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。
 このことがニネベの王の耳にはいると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。
 王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。
 人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行ないとを悔い改めよ。
 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」
 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。

2014年12月21日
「難民となられた主イエス」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  2章12節―15節

 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。
 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、
 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。」と言われた事が成就するためであった。

2014年12月14日
「博士たちの贈り物」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  2章1節―12節

 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
  『ユダヤの地、ベツレヘム。
  あなたはユダを治める者たちの中で、
  決して一番小さくはない。
  わたしの民イスラエルを治める支配者が、
  あなたから出るのだから。』
 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
 そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

2014年12月7日
「その罪から救うお方」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  1章18節―25節


 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリアはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子、ヨセフ。恐れないであなたの妻マリアを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。
 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

2014年11月30日
「旧約と新約をつなぐ系図」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  1章1節―17節

 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。
 アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、
 ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、
 アラムにアミナダブが生まれ、アミナダブにナアソンが生まれ、ナアソンにサルモンが生まれ、
 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、
 エッサイにダビデ王が生まれた。
 ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、
 ソロモンにレハベアムが生まれ、レハベアムにアビヤが生まれ、アビヤにアサが生まれ、
 アサにヨサパテが生まれ、ヨサパテにヨラムが生まれ、ヨラムにウジヤが生まれ、
 ウジヤにヨタムが生まれ、ヨタムにアハズが生まれ、アハズにヒゼキヤが生まれ、
 ヒゼキヤにマナセが生まれ、マナセにアモンが生まれ、アモンにヨシヤが生まれ、
 ヨシヤに、バビロン移住のころエコニヤとその兄弟たちが生まれた。
 バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ、
 ゾロバベルにアビウデが生まれ、アビウデにエリヤキムが生まれ、エリヤキムにアゾルが生まれ、
 アゾルにサドクが生まれ、サドクにアキムが生まれ、アキムにエリウデが生まれ、
 エリウデにエレアザルが生まれ、エレアザルにマタンが生まれ、マタンにヤコブが生まれ、
 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。
 それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。

2014年11月23日
「すべての人が礼拝に来る」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  66章10節―24節  

  エルサレムとともに喜べ。
  すべてこれを愛する者よ。これとともに楽しめ。
  すべてこれのために悲しむ者よ。
  これとともに喜び喜べ。
  あなたは、
  彼女に慰めの乳房から乳を飲んで飽き足り、
  その豊かな乳房から吸って喜んだからだ。

  主はこう仰せられる。  
  「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、
  あふれる流れのように国々の富を与える。
  あなたがたは乳を飲み、
  わきに抱かれ、ひざの上でかわいがられる。
  母に慰められる者のように、
  わたしはあなたがたを慰め、
  エルサレムであなたがたは慰められる。
  あなたがたはこれを見て、心喜び、
  あなたがたの骨は若草のように生き返る。
  主の御手は、そのしもべたちに知られ、
  その憤りは敵たちに向けられる。」

  見よ。まことに、主は火の中を進んで来られる。
  その戦車はつむじ風のようだ。
  その怒りを激しく燃やし、
  火の炎をもって責めたてる。
  実に、主は火をもってさばき、
  その剣ですべての肉なる者をさばく。
  主に刺し殺される者は多い。

  おのが身を聖別し、身をきよめて、
  園に行き、その中にある一つのものに従って、
  豚の肉や、忌むべき物や、
  ねずみを食らう者たちはみな、絶ち滅ぼされる。
  ――主の御告げ――

 「わたしは、彼らのわざと、思い計りとを知っている。わたしは、すべての国々と種類とを集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る。
 わたしは彼らの中にしるしを置き、彼らのうちののがれた者たちを諸国に遣わす。すなわち、タルシシュ、プル、ルデ、メシェク、ロシュ、トバル、ヤワン、遠い島々に。これらはわたしのうわさを聞いたこともなく、わたしの栄光を見たこともない。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう。
 彼らは、すべての国々から、あなたがたの同胞をみな、主への贈り物として、馬、車、かご、騾馬、らくだに乗せて、わたしの聖なる山、エルサレムに連れて来る。」と主は仰せられる。「それはちょうど、イスラエル人がささげ物をきよい器に入れて主の宮に携えて来るのと同じである。
 わたしは彼らの中からある者を選んで祭司とし、レビ人とする。」と主は仰せられる。

  「わたしの造る新しい天と新しい地が、
  わたしの前にいつまでも続くように、
  ――主の御告げ――
  あなたがたの子孫と、あなたがたの名も
  いつまでも続く。
  毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、
  すべての人が、わたしの前に礼拝に来る。」と
  主は仰せられる。

  「彼らは出て行って、
  わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。
  そのうじは死なず、その火も消えず、
  それはすべての人に、忌みきらわれる。」

2014年11月16日
「神のことばを恐れる」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  66章1節―5節  

  主はこう仰せられる。
  「天はわたしの王座、地はわたしの足台。
  わたしのために、あなたがたの建てる家は、
  いったいどこにあるのか。
  わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。
  これらすべては、わたしの手が造ったもの、
  これらすべてはわたしのものだ。
  ――主の御告げ。――
  わたしが目を留める者は、
  へりくだって心砕かれ、
  わたしのことばにおののく者だ。

  牛をほふる者は、人を打ち殺す者。
  羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。
  穀物のささげ物をささげる者は、
  豚の血をささげる者。
  乳香をささげる者は、偶像をほめたたえる者。
  実に彼らは自分かってな道を選び、
  その心は忌むべき物を喜ぶ。
  わたしも、彼らを虐待することを選び、
  彼らに恐怖をもたらす。
  わたしが呼んでもだれも答えず、
  わたしが語りかけても聞かず、
  わたしの目の前に悪を行ない、
  わたしの喜ばない事を彼らが選んだからだ。」

  主のみことばにおののく者たちよ。
  主のことばを聞け。
  「あなたがたを憎み、
  わたしの名のためにあなたがたを押しのける、
  あなたがたの同胞は言った。
  『主に栄光を現わさせよ。
  そうすれば、あなたがたの楽しみを見てやろう。』
  しかし、彼らは恥を見る。」

2014年11月9日
「神の新しい創造」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  65章17節―25節  

  見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を
  創造する。
  先の事は思い出されず、心に上ることもない。
  だから、わたしの創造するものを、
  いついつまでも楽しみ喜べ。
  見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、
  その民を楽しみとする。
  わたしはエルサレムを喜び、
  わたしの民を楽しむ。
  そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
  そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、
  寿命の満ちない老人もいない。
  百歳で死ぬ者は若かったとされ、
  百歳にならないで死ぬ者は、
  のろわれた者とされる。
  彼らは家を建てて住み、
  ぶどう畑を作って、その実を食べる。
  彼らが建てて他人が住むことはなく、
  彼らが植えて他人が食べることはない。
  わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、
  わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を
  存分に用いることができるからだ。
  彼らはむだに労することもなく、
  子を産んで、突然その子が死ぬこともない。
  彼らは主に祝福された者のすえであり、
  その子孫たちは彼らとともにいるからだ。
  彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、
  彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
  狼と子羊は共に草をはみ、
  獅子は牛のように、わらを食べ、
  蛇は、ちりをその食べ物とし、
  わたしの聖なる山のどこにおいても、
  そこなわれることなく、滅ぼされることもない。」
  と主は仰せられる。

2014年11月2日
「切実なとりなしの祈り」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  64章1節―12節  

  ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、
  山々は御前で揺れ動くでしょう。
  火が柴に燃えつき、
  火が水を沸き立たせるように、
  あなたの御名はあなたの敵に知られ、
  国々は御前で震えるでしょう。
  私たちが予想もしなかった恐ろしい事を
  あなたが行なわれるとき、
  あなたが降りて来られると、
  山々は御前で揺れ動くでしょう。
  神を待ち望む者のために、
  このようにしてくださる神は、
  あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、
  耳にしたこともなく、目で見たこともありません。
  あなたは迎えてくださいます。
  喜んで正義を行う者、
  あなたの道を歩み、あなたを忘れない者を。
  ああ、あなたは怒られました。
  私たちは昔から罪を犯し続けています。
  それでも私たちは救われるでしょうか。
  私たちはみな、汚れた者のようになり、
  私たちの義はみな、不潔な着物のようです。
  私たちはみな、木の葉のように枯れ、
  私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。
  しかし、あなたの御名を呼ぶ者もなく、
  奮い立って、あなたにすがる者もいません。
  あなたは私たちから御顔を隠し、
  私たちの咎のゆえに、私たちを弱められました。
  しかし、主よ。
  今、あなたは私たちの父です。
  私たちは粘土で、
  あなたは私たちの陶器師です。
  私たちはみな、
  あなたの手で造られたものです。
  主よ。どうかひどく怒らないでください。
  いつまでも、咎を覚えないでください。
  どうか今、
  私たちがみな、あなたの民であることに
  目を留めてください。
  あなたの聖なる町々は荒野となっています。
  シオンは荒野となり、
  エルサレムは荒れ果てています。
  私たちの先祖があなたをほめたたえた
  私たちの聖なる美しい宮は、火で焼かれ、
  私たちの宝とした物すべてが荒廃しました。
  主よ。これでも、あなたはじっとこらえ、
  黙って、私たちをこんなにも悩まされるのですか。

2014年10月26日
「いつも共に苦しんでくださる主」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  63章8節―19節  

  主は仰せられた。
  「まことに彼らはわたしの民、
  偽りのない子たちだ。」と。
  こうして、主は彼らの救い主になられた。
  彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
  ご自身の使いが彼らを救った。
  その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、
  昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。
  しかし、彼らは逆らい、
  主の聖なる御霊を痛ませたので、
  主は彼らの敵となり、みずから彼らと戦われた。

  そのとき、主の民は、
  いにしえのモーセの日を思い出した。
  「羊の群れの牧者たちとともに、
  彼らを海から上らせた方は、
  どこにおられるのか。
  その中に主の聖なる御霊を置かれた方は、
  どこにおられるのか。
  その輝かしい御腕をモーセの右に進ませ、
  彼らの前で水を分け、永遠の名を成し、
  荒野の中を行く馬のように、
  つまずくことなく彼らに深みの底を
  歩ませた方は、どこにおられるのか。
  家畜が谷に下るように、
  主の御霊が彼らをいこわせた。」

  このようにして、あなたは、あなたの民を導き、
  あなたの輝かしい御名をあげられたのです。
  どうか、天から見おろし、
  聖なる輝かしい御住まいからご覧ください。
  あなたの熱心と、力あるみわざは、
  どこにあるのでしょう。
  私へのあなたのたぎる思いとあわれみを、
  あなたは押えておられるのですか。
  まことに、あなたは私たちの父です。
  たとい、アブラハムが私たちを知らず、
  イスラエルが私たちを認めなくても、
  主よ、あなたは、私たちの父です。
  あなたの御名は、とこしえから
  私たちの贖い主です。
  主よ。なぜあなたは、
  私たちをあなたの道から迷い出させ、
  私たちの心をかたくなにして、
  あなたを恐れないようにされるのですか。
  あなたのしもべたち、
  あなたのゆずりの地の部族のために、
  どうかお帰りください。
  あなたの聖なる民がこの地を所有して間もなく、
  私たちの敵は、あなたの聖所を踏みつけました。
  私たちは、
  とこしえからあなたを支配されたことも、
  あなたの御名で呼ばれたこともない者のように
  なりました。

2014年10月19日
「祈りの小部屋」  篠原哲二牧師

 ヨナ書  2章1節―10節  

 ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、
 言った。
  「私が苦しみの中から主にお願いすると、
  主は答えてくださいました。
  私がよみの腹の中から叫ぶと、
  あなたは私の声を聞いてくださいました。
  あなたは私を海の真中の深みに
  投げ込まれました。
  潮の流れが私を囲み、
  あなたの波と大波がみな、
  私の上を越えて行きました。
  私は言った。
  『私はあなたの目の前から追われました。
  しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を
  仰ぎ見たいのです。』と。
  水は、私ののどを絞めつけ、
  深淵は私を取り囲み、
  海草は私の頭にからみつきました。
  私は山々の根元まで下り、
  地のかんぬきが、
  いつまでも私の上にありました。

  しかし、私の神、主よ。
  あなたは私のいのちを
  穴から引き上げてくださいました。
  私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、
  私は主を思い出しました。  
  私の祈りはあなたに、
  あなたの聖なる宮に届きました。

  むなしい偶像に心を留める者は、
  自分への恵みを捨てます。
  しかし、私は、感謝の声をあげて、
  あなたにいけにえをささげ、
  私の誓いを果たしましょう。
  救いは主のものです。」

 主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。

2014年10月12日
「新しい名で呼ばれる」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  61章1節―5節  

  シオンのために、わたしは黙っていない。
  エルサレムのために、黙りこまない。
  その義が朝日のように光を放ち、
  その救いが、たいまつのように燃えるまでは。
  そのとき、国々はあなたの義を見、  
  すべての王があなたの栄光を見る。
  あなたは、
  主の口が名づける新しい名で呼ばれよう。
  あなたは主の手にある輝かしい冠となり、
  あなたの神の手のひらにある
  王のかぶり物となる。
  あなたはもう、「見捨てられている。」と言われず、
  あなたの国はもう、
  「荒れ果てている。」とは言われない。
  かえって、あなたは
  「わたしの喜びは、彼女にある。」と呼ばれ、
  あなたの国は夫のある国と呼ばれよう。
  主の喜びがあなたにあり、
  あなたの国が夫を得るからである。
  若い男が若い女をめとるように、
  あなたの子らはあなたをめとり、
  花婿が花嫁を喜ぶように、
  あなたの神はあなたを喜ぶ。

2014年10月5日
「解放の福音」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  60章1節―11節  

  神である主の霊が、わたしの上にある。
  主はわたしに油をそそぎ、
  貧しい者に良い知らせを伝え、
  心の傷ついた者をいやすために、
  わたしを遣わされた。
  捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
  主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、
  すべての悲しむ者を慰め、
  シオンの悲しむ者たちに、
  灰の代わりに頭の飾りを、
  悲しみの代わりに喜びの油を、
  憂いの心の代わりに賛美の外套を
  着けさせるためである。
  彼らは、義の樫の木、
  栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。

  彼らは昔の廃墟を建て直し、
  先の荒れ跡を復興し、
  廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する。
  他国人は、あなたがたの羊の群れを
  飼うようになり、
  外国人が、あなたがたの農夫となり、
  ぶどう作りとなる。
  しかし、あなたがたは主の祭司ととなえられ、
  われわれの神に仕える者と呼ばれる。
  あなたがたは国々の力を食い尽くし、
  その富を誇る。
  あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。
  人々は侮辱に代えて、その分け前を喜び歌う。
  それゆえ、その国で二倍のものを所有し、
  とこしえの喜びが彼らのものとなる。
  まことに、わたしは公儀を愛する主だ。
  わたしは不法な略奪を憎む。
  わたしは誠実を尽くして彼らに報い、
  とこしえの契約を彼らと結ぶ。
  彼らの子孫は国々のうちで、
  彼らのすえは国々の民のうちで知れ渡る。
  彼らを見る者はみな、
  彼らが主に祝福された子孫であることを認める。

  わたしは主によって大いに楽しみ、
  わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。
  主がわたしに、救いの衣を着せ、
  正義の外套をまとわせ、
  花婿のように栄冠をかぶらせ、
  花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。
  地が芽を出し、
  園が蒔かれた種を芽生えさせるように、
  神である主が義と賛美とを、
  すべての国の前に芽生えさせるからだ。

2014年9月28日
「主に委ねられている使命に生きる」  廣田信之牧師

 マタイの福音書  25章14節―30節  

 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
 同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
 ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
 すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラント設けました。』
 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
 ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
 だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
 だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

2014年9月21日
「主があなたを輝かせる」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  60章1節―5節  

  起きよ。光を放て。
  あなたの光が来て、
  主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
  見よ。やみが地をおおい、
  暗やみが諸国の民をおおっている。
  しかし、あなたの上には主が輝き、
  その栄光があなたの上に現われる。
  国々はあなたの光のうちに歩み、
  王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。

  目を上げて、あたりを見よ。
  彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。
  あなたの息子たちは遠くから来、
  娘たちはわきに抱かれて来る。
  そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、
  心は震えて、喜ぶ。
  海の富はあなたのところに移され、
  国々の財宝はあなたのものとなるからだ。

 イザヤ書  60章19節―22節  

  太陽がもうあなたの昼の光とはならず、
  月の輝きもあなたを照らさず、
  主があなたの永遠の光となり、
  あなたの神があなたの光栄となる。
  あなたの太陽はもう沈まず、
  あなたの月はかげることがない。
  主があなたの永遠の光となり、
  あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。
  あなたの民はみな正しくなり、
  とこしえにその地を所有しよう。
  彼らはわたしの栄光を現わす、わたしの植えた枝。
  わたしの手で造ったもの。
  最も小さい者も氏族となり、
  最も弱い者も強国となる。
  時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。

2014年9月7日
「神みずからがとりなす」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  59章11節―21節  

  私たちはみな、熊のようにほえ、
  鳩のようにうめきにうめく。
  公儀を待ち望むが、それはなく、
  救いを待ち望むが、
  それは私たちから遠く離れている。

  それは、私たちがあなたの御前で
  多くのそむきの罪を犯し、
  私たちの罪が、
  私たちに不利な証言をするからです。

  私たちのそむきの罪は、私たちとともにあり、
  私たちは自分の咎を知っている。
  私たちは、そむいて、主を否み、
  私たちの神に従うことをやめ、
  しいたげと反逆を語り、
  心に偽りのことばを抱いて、つぶやいている。
  こうして公正は退けられ、
  正義は遠く離れて立っている。
  真理は広場でつまずき、
  正直は中にはいることもできない。
  そこでは真理は失われ、
  悪から離れる者も、そのとりこになる。

  主はこれを見て、公儀のないのに心を痛められた。
  主は人のいないのを見、
  とりなす者のいないのに驚かれた。
  そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、
  ご自分の義を、ご自分のささえとされた。
  主は義をよろいのように着、
  救いのかぶとを頭にかぶり、
  復讐の衣を身にまとい、
  ねたみを外套として身をおおわれた。
  主は彼らのしうちに応じて報い、
  その仇には憤りを報い、その敵には報復をし、
  島々にも報復をする。
  そうして、西のほうでは、主の御名が、
  日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。
  主は激しい流れのように来られ、
  その中で主の息が吹きまくっている。
  「しかし、シオンには贖い主として来る。
  ヤコブの中の
  そむきの罪を悔い改める者のところに来る。
  ――主の御告げ――

  「これは、彼らと結ぶわたしの契約である。」と
  主は仰せられる。
  「あなたの上にあるわたしの霊、
  わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、
  あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、
  すえのすえの口からも、
  今よりとこしえに離れない。」と主は仰せられる。

2014年8月31日
「神の畑へ、みことばを携えて」  田口孝子師

 コリント人への手紙第一  3章5節―9節  

 アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。
 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。
 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

2014年8月24日
「安息日は喜びの日」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  58章6節―14節  

  わたしの好む断食は、これではないか。
  悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、
  しいたげられた者たちを自由の身とし、
  すべてのくびきを砕くことではないか。
  飢えた者にはあなたのパンを分け与え、
  家のない貧しい人々を家に入れ、
  裸の人を見て、これに着せ、
  あなたの肉親の世話をすることではないか。
  そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、
  あなたの傷はすみやかにいやされる。
  あなたの義はあなたの前に進み、
  主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。
  そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、
  あなたが叫ぶと、
  「わたしはここにいる。」と仰せられる。
  もし、あなたの中から、くびきを除き、
  うしろ指をさすことや、
  つまらないおしゃべりを除き、
  飢えた者に心を配り、
  悩む者の願いを満足させるなら、
  あなたの光は、やみの中に輝き上り、
  あなたの暗やみは、真昼のようになる。
  主は絶えず、あなたを導いて、
  焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、
  あなたの骨を強くする。
  あなたは、潤された園のようになり、
  水のかれない源のようになる。
  あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、
  あなたは古代の礎を築き直し、
  「破れを繕う者、
  市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。

  もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、
  わたしの聖日に自分の好むことをせず、
  安息日を「喜びの日」と呼び、
  主の聖日を「はえある日」と呼び、
  これを尊んで旅をせず、
  自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、
  そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。
  「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、
  あなたの父ヤコブのゆずりの地で
  あなたを養う。」と
  主の御口が語られたからである。

2014年8月17日
「それでも、平安をくださる神」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  57章14節―21節  

  主は仰せられる。
  「盛り上げよ。土を盛り上げて、道を整えよ。
  わたしの民の道から、つまずきを取り除け。」

  いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、
  その名を聖ととなえられる方が、
  こう仰せられる。
  「わたしは、高く聖なる所に住み、
  心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
  へりくだった人の霊を生かし、
  砕かれた人の心を生かすためである。
  わたしはいつまでも争わず、
  いつも怒ってはいない。
  わたしから出る霊と、
  わたしが造ったたましいが衰え果てるから。
  彼のむさぼりの罪のために、
  わたしは、怒って彼を打ち、顔を隠して怒った。
  しかし、彼はなおそむいて、
  自分の思う道を行った。
  わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。
  わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、
  慰めを報いよう。
  わたしはくちびるの実を創造した者。
  平安あれ、遠くの者にも近くの者にも平安あれ。
  わたしは彼をいやそう。」と主は仰せられる。

  しかし悪者どもは、荒れ狂う海のようだ。
  静まることができず、
  水が海草と泥を吐き出すからである。
  「悪者どもには平安がない。」と
  私の神は仰せられる。

2014年8月10日
「すべての民の祈りの家」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  56章1節―8節  

  主はこう仰せられる。
  「公正を守り、正義を行なえ。
  わたしの救いが来るのは近く、
  わたしの義が現われるのも近いからだ。」
  幸いなことよ。
  安息日を守ってこれを汚さず、
  どんな悪事にもその手を出さない、
  このように行う人、
  これを堅く保つ人の子は。
  主に連なる外国人は言ってはならない。
  「主はきっと、私をその民から切り離される。」と。
  宦官も言ってはならない。
  「ああ、私は枯れ木だ。」と。

  まことに主はこう仰せられる。
 「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶ事を選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、
 わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにもまさる分け前と名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。
 また、主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべとなった外国人がみな、安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、
 わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。
 ――イスラエルの散らされた者たちを集める神である主の御告げ。――わたしは、すでに集められた者たちに、さらに集めて加えよう。」

2014年8月3日
「救いへの招き」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  55章1節―9節  

  ああ。渇いている者はみな、
  水を求めて出て来い。金のない者も。
  さあ、穀物を買って食べよ。
  さあ、金を払わないで、穀物を買い、
  代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
  なぜ、あなたがたは、
  食糧にもならない物のために金を払い、
  腹を満たさない物のために労するのか。
  わたしに聞き従い、良い物を食べよ。
  そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。
  耳を傾け、わたしのところに出て来い。
  聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。
  わたしはあなたがたととこしえの契約、
  ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。
  見よ。わたしは彼を諸国の民への証人とし、
  諸国の民の君主とし、司令官とした。
  見よ。
  あなたの知らない国民をあなたが呼び寄せると、
  あなたを知らなかった国民が、
  あなたのところに走って来る。
  これは、あなたの神、主のため、
  また、あなたを輝かせた
  イスラエルの聖なる方のためである。

  主を求めよ。お会いできる間に。
  近くにおられるうちに、呼び求めよ。
  悪者はおのれの道を捨て、
  不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。
  主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。
  私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
  「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
  わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。
  ――主の御告げ。――
  天が地よりも高いように、
  わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
  わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

2014年7月27日
「永遠に変わらぬ愛」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  54章2節―10節  

  「あなたの天幕の場所を広げ、
  あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、
  綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。
  あなたは右と左にふえ広がり、
  あなたの子孫は、国々を所有し、
  荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。
  恐れるな。あなたは恥を見ない。
  恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。
  あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、
  やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。
  あなたの夫はあなたを造った者、
  その名は万軍の主。
  あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、
  全地の神と呼ばれている。
  主は、あなたを、
  夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、
  若い時の妻をどうして見捨てられようか。」
  とあなたの神は仰せられる。

  「わたしはほんのしばらくの間、
  あなたを見捨てたが、
  大きなあわれみをもって、あなたを集める。
  怒りがあふれて、ほんのしばらく、
  わたしの顔をあなたから隠したが、
  永遠に変わらぬ愛をもって、
  あなたをあわれむ。」と
  あなたを贖う主は仰せられる。

  「このことは、わたしにとっては、
  ノアの日のようだ。
  わたしは、ノアの洪水を
  もう地上に送らないと誓ったが、
  そのように、あなたを怒らず、
  あなたを責めないとわたしは誓う。
  たとい山々が移り、丘が動いても、
  わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、
  わたしの平和の契約は動かない。」と
  あなたをあわれむ主は仰せられる。

2014年7月20日
「私たちのための復活」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  53章7節―12節  

  彼は痛めつけられた。
  彼は苦しんだが、口を開かない。
  ほふり場に引かれて行く小羊のように、
  毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
  彼は口を開かない。
  しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
  彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
  彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
  生ける者の地から絶たれたことを。
  彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
  彼は富む者とともに葬られた。
  彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。

  しかし、彼を砕いて、傷めることは
  主のみこころであった。
  もし彼が、自分のいのちを
  罪過のためのいけにえとするなら、
  彼は末長く、子孫を見ることができ、
  主のみこころは彼によって成し遂げられる。
  彼は、自分のいのちの
  激しい苦しみのあとを見て、満足する。
  わたしの正しいしもべは、
  その知識によって多くの人を義とし、
  彼らの咎を彼がになう。
  それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
  彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
  彼が自分のいのちを死に明け渡し、
  そむいた人たちとともに数えられたからである。
  彼は多くの人の罪を負い、
  そむいた人たちのためにとりなしをする。

2014年7月13日
「私たちのための十字架」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  53章1節―6節  

  私たちの聞いたことを、だれが信じたか。
  主の御腕は、だれに現われたのか。
  彼は主の前に若枝のように芽生え、
  砂漠の地から出る根のように育った。
  彼には、私たちが見とれるような姿もなく、
  驚きもなく、
  私たちが慕うような見栄えもない。
  彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
  悲しみの人で病を知っていた。
  人が顔をそむけるほどさげすまれ、
  私たちも彼を尊ばなかった。

  まことに、彼は私たちの病を負い、
  私たちの痛みをになった。
  だが、私たちは思った。
  彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
  しかし、彼は、
  私たちのそむきの罪のために刺し通され、
  私たちの咎のために砕かれた。
  彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
  彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
  私たちはみな、羊のようにさまよい、
  おのおの、自分かってな道に向かって行った。
  しかし、主は、私たちのすべての咎を
  彼に負わせた。

2014年7月6日
「キリストの苦悩が」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  52章7節―15節  

  良い知らせを伝える者の足は
  山々の上にあって、なんと美しいことよ。
  平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、
  救いを告げ知らせ、
  「あなたの神が王となる。」と
  シオンに言う者の足は。
  聞け。あなたの見張り人たちが、
  声を張り上げ、共に喜び歌っている。
  彼らは、主がシオンに帰られるのを、
  まのあたりに見るからだ。
  エルサレムの廃墟よ。
  共に大声をあげて喜び歌え。
  主がその民を慰め、エルサレムを贖われたから。
  主はすべての国々の目の前に、
  聖なる御腕を現わした。
  地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る。

  去れよ。去れよ。そこを出よ。
  汚れたものに触れてはならない。
  その中から出て、身をきよめよ。
  主の器をになう者たち。
  あなたがたは、あわてて出なくてもよい。
  逃げるようにして去らなくてもよい。
  主があなたがたの前に進み、
  イスラエルの神が、
  あなたがたのしんがりとなられるからだ。

  見よ。わたしのしもべは栄える。
  彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。
  多くの者があなたを見て驚いたように、
  ――その顔だちは、
  そこなわれて人のようではなく、
  その姿も人の子らとは違っていた。――
  そのように、彼は多くの国々を驚かす。
  王たちは彼の前で口をつぐむ。
  彼らは、まだ告げられなかったことを見、
  まだ聞いたこともないことを悟からだ。

2014年6月29日
「過去・現在・未来」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  51章1節―11節  

  義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。
  わたしに聞け。
  あなたがたの切り出された岩、
  掘り出された穴を見よ。
  あなたがたの父アブラハムと、
  あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。
  わたしが彼ひとりを呼び出し、
  わたしが彼を祝福し、
  彼の子孫をふやしたことを。
  まことに主はシオンを慰め、
  そのすべての廃墟を慰めて、
  その荒野をエデンのようにし、
  その砂漠を主の園のようにする。
  そこには楽しみと喜び、感謝と歌声がある。

  わたしの民よ。わたしに心を留めよ。
  わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。
  おしえはわたしから出、
  わたしはわたしの公義を定め、
  国々の民の光とする。
  わたしの義は近い。
  わたしの救いはすでに出ている。
  わたしの腕は国々の民をさばく。
  島々はわたしを待ち望み、
  わたしの腕に拠り頼む。
  目を天にあげよ。また下の地を見よ。
  天は煙のように散りうせ、
  地も衣のように古びて、
  その上に住む者は、ぶよのように死ぬ。
  しかし、わたしの救いはとこしえに続き、
  わたしの義はくじけないからだ。
  義を知る者。心にわたしのおしえを持つ民よ。
  わたしに聞け。
  人のそしりを恐れるな。
  彼らのののしりにくじけるな。
  しみが彼らを衣のように食い尽くし、
  虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。
  しかし、わたしの義はとこしえに続き、
  わたしの救いは代々にわたるからだ。

  さめよ。さめよ。力をまとえ。主の御腕よ。
  さめよ。昔の日、いにしえの代のように。
  ラハブを切り刻み、竜を刺し殺したのは、
  あなたではないか。
  海と大いなる淵の水を干上がらせ、
  海の底に道を設けて、
  贖われた人々を通らせたのは、
  あなたではないか。
  主に贖われた者たちは帰って来る。
  彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、
  その頭にはとこしえの喜びをいただく。
  楽しみと喜びがついて来、
  悲しみと嘆きとは逃げ去る。

2014年6月22日
「疲れた人を励ますことば」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  50章4節―11節  

  神である主は、私に弟子の舌を与え、
  疲れた者をことばで励ますことを教え、
  朝ごとに、私を呼びさまし、
  私の耳に聞かせて、
  私が弟子のように聞くようにされる。
  神である主は、私の耳を開かれた。
  私は逆らわず、うしろに退きもせず、
  打つ者に私の背中をまかせ、
  ひげを抜く者に私の頬をまかせ、
  侮辱されても、つばきをかけられても、
  私の顔を隠さなかった。

  しかし、神である主は、私を助ける。
  それゆえ、私は、侮辱されなかった。
  それゆえ、私は顔を火打石のようにし、
  恥を見てはならないと知った。
  私を義とする方が近くにおられる。
  だれが私と争うのか。
  さあ、さばきの座に共に立とう。
  どんな者が、私を訴えるのか。
  私のところに出て来い。
  見よ。神である主が、私を助ける。
  だれが私を罪に定めるのか。
  見よ。彼らはみな、衣のように古び、
  しみが彼らを食い尽くす。

  あなたがたのうち、
  だれが主を恐れ、
  そのしもべの声に聞き従うのか。
  暗やみの中を歩き、
  光を持たない者は、
  主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。
  見よ。あなたがたはみな、火をともし、
  燃えさしを身に帯びている。
  あなたがたは自分たちの火のあかりを持ち、
  火をつけた燃えさしをもって歩くがよい。
  このことはわたしの手によって
  あなたがたに起こり、
  あなたがたは、苦しみのうちに伏し倒れる。

2014年6月15日
「イエス様は私の光」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  49章5節―12節  

  今、主は仰せられる。
  ――主はヤコブをご自分のもとに帰らせ、
  イスラエルを自分のもとに集めるために、
  私が母の胎内にいる時、
  私をご自分のしもべとして造られた。
  私は主に尊ばれ、
  私の神は私の力となられた。――
  主は仰せられる。
  「ただ、あなたがわたしのしもべとなって、
  ヤコブの諸部族を立たせ、
  イスラエルのとどめられている者たちを
  帰らせるだけではない。
  わたしはあなたを諸国の民の光とし、
  地の果てにまでわたしの救いを
  もたらす者とする。」

  イスラエルを贖う、その聖なる方、主は、
  人にさげすまれている者、
  民に忌みきらわれている者、
  支配者たちの奴隷に向かってこう仰せられる。
  「王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。
  主が真実であり、
  イスラエルの聖なる方が
  あなたを選んだからである。」
  主はこう仰せられる。
  「恵みの時に、わたしはあなたに答え、
  救いの日にあなたを助けた。
  わたしはあなたを見守り、
  あなたを民の契約とし、
  国を興し、荒れ果てたゆずりの血を継がせよう。
  わたしは捕われ人には、『出よ。』と言い、
  やみの中にいる者には『姿を現わせ。』と言う。
  彼らは道すがら羊を飼い、
  裸の丘の至る所が、彼らの牧場となる。
  彼らは飢えず、渇かず、
  熱も太陽も彼らを打たない。
  彼らをあわれむ者が彼らを導き、
  水のわく所に連れていくからだ。
  わたしは、わたしの山々をすべての道とし、
  わたしの大路を高くする。
  見よ。ある者は遠くから来る。
  また、ある者は北から西から、
  また、ある者はシニムの地から来る。」

2014年6月8日
「思い起こさせてください」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書  14章22節―31節  

 イスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」
 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。
  このことをわたしは、あなたがたといっしょにいる間に、あなたがたに話しました。
 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
 『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る。』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
 そして今わたしは、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。
 わたしは、もう、あなたがたに多くは話すまい。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることはできません。
 しかしそのことは、わたしが父を愛しており、父の命じられたとおりに行なっていることを世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。

2014年6月1日
「良く生き、良く終える」  ダニー・モルキー師

 へブル人への手紙  12章1節―3節  

 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。


2014年5月25日
「わたしに帰れ」  星沢数也牧師

 ヤコブの手紙  4章8節  

 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心のある人たち。心を清くしなさい。

2014年5月18日
「脱出させてくださる神」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  48章17節―22節  

  あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方は
  こう仰せられる。
  「わたしは、あなたの神、主である。
  わたしはあなたに益になることを教え、
  あなたの歩むべき道にあなたを導く。
  あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、
  あなたのしあわせは川のように、
  あなたの正義は海の波のようになるであろうに。
  あなたの子孫は砂のように、
  あなたの身から出る者は、
  真砂のようになるであろうに。
  その名はわたしの前から断たれることも、
  滅ぼされることもしなであろうに。」

  バビロンから出よ。カルデヤからのがれよ。
  喜びの歌声をあげて、これを告げ知らせよ。
  地の果てにまで響き渡らせよ。
  「主が、そのしもべヤコブを贖われた。」と言え。
  主がかわいた地を通らせたときも、
  彼らは渇かなかった。
  主は彼らのために岩から水を流れ出させ、
  岩を裂いて水をほとばしり出させた。
  「悪者どもには平安がない。」と主は仰せられる。

2014年5月11日
「助言する者が多すぎて」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  47章10節―15節  

  あなたは自分の悪に拠り頼み、
  『私を見る者はない。』と言う。
  あなたの知恵と知識、
  これがあなたを迷わせた。
  だから、あなたは心の中で言う。
  『私だけは特別だ。』
  しかしわざわいがあなたを見舞う。
  それを払いのけるまじないをあなたは知らない。
  災難があなたを襲うが、
  あなたはそれを避けることはできない。
  破滅はあなたの知らないうちに、
  突然あなたにやって来る。

  さあ、若い時からの使い古しの呪文や、
  多くの呪術を使って、立ち上がれ。
  あるいは役立つかもしれない。
  おびえさせることができるかもしれない。
  あなたに助言する者が多すぎて、
  あなたは疲れている。
  さあ、天を観測する者、星を見る者、
  新月ごとにあなたに起こる事を知らせる者を
  並べ立てて、
  あなたを救わせてみよ。
  見よ。彼らは刈り株のようになり、
  火が彼らを焼き尽くす。
  彼らは自分のいのちを
  炎の手から救い出すこともできない。
  これは身を暖める炭火でもなく、
  その前にすわれる火でもない。
  あなたが若い時から仕え、
  行き来してきた者たちは、このようになる。
  彼らはおのおの自分かってに迷い出て、
  あなたを救う者はひとりもいない。」

2014年5月4日
「背負ってくださる神」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  46章1節―13節  

  「ベルはひざまずき、ネボはかがむ。
  彼らの偶像は獣と家畜に載せられ、
  あなたがたの運ぶものは荷物となり、
  疲れた獣の重荷となる。
  彼らは共にかがみ、ひざまずく。
  彼らは重荷を解くこともできず、
  彼ら自身もとりことなって行く。

  わたしに聞け、
  ヤコブの家と、イスラエルの家の
  すべての残りの者よ。
  胎内にいるからになわれており、
  生まれる前から運ばれた者よ。
  あなたがたが年をとっても、
  わたしは同じようにする。
  あなたがたがしらがになっても、
  わたしは背負う。
  わたしはそうしてきたのだ。
  なお、わたしは運ぼう。
  わたしは背負って、救い出そう。

  わたしをだれになぞらえて比べ、
  わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。
  袋から金を惜しげなく出し、
  銀をてんびんで量る者たちは、
  金細工人を雇って、それで神を造り、
  これにひざまずいて、すぐ拝む。
  彼らはこれを肩にかついで運び、
  下に置いて立たせる。
  これはその場からもう動けない。
  これに叫んでも答えず、
  悩みから救ってもくれない。

  このことを思い出し、しっかりせよ。
  そむく者らよ。心に思い返せ。

  遠い大昔のことを思い出せ。
  わたしが神である。ほかにはいない。
  わたしのような神はいない。
  わたしは、終わりの事を初めから告げ、
  まだなされていない事を昔から告げ、
  『わたしのはかりごとは成就し、
  わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。
  わたしは、東から猛禽を、
  遠い地から、
  わたしのはかりごとを行なう者を呼ぶ。
  わたしが語ると、すぐそれを行ない、
  わたしが計ると、すぐそれをする。

  わたしに聞け。
  強情な者、正義から遠ざかっている者たちよ。
  わたしは、わたしの勝利を近づける。
  それは遠くはない。
  わたしの救いは遅れることがない。
  わたしはシオンに救いを与え、
  イスラエルにわたしの光栄を与える。」

2014年4月27日
「平安があるように」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書  20章19節―29節  

 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人に罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
 十二弟子のひとりでデドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

2014年4月20日
「イエス様はよみがえった!」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書  20章1節―18節  

 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もう一人の弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。
 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
 そして、体をかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中にはいらなかった。
 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓にはいり、亜麻布が置いてあって、
 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
 そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた。
 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。
 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。
 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとっているのが見えた。
 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、へブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。
 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」
 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました。」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。

2014年4月13日
「それでもなお」  波多康牧師

 ローマ人への手紙  5章6節―8節  

 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

2014年4月6日
「許しと愛を終わりまで」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書  19章17節―27節  

 彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(へブル語でゴルゴダと言われる)に出て行かれた。
 彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真中にしてであった。
 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには、「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書いてあった。
 それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはへブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。
 そこで、ユダヤ人の祭司たちがピラトに、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください。」と言った。
 ピラトは答えた。「私の書いたことは私が書いたのです。」
 さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫目なしのものであった。
 そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた。」という聖書が成就するためであった。
 兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。
 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

2014年3月30日
「次世代ミニストリーの重要性」  西村希望牧師

 箴言  22章6節  

 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。
 そうすれば、年老いても、それから離れない。

 マルコの福音書  10章13節―16節 

 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに連れて来させなさい。止めてはいけません。神の国はこのような者たちのものです。
 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることができません。」
 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

2014年3月23日
「架け橋として歩む」  永井敏夫牧師

 歴代誌Ⅱ  16章9節

 主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。

2014年3月16日
「湯呑みとマグカップ」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  45章8節-13節

  「天よ。上から、したたらせよ。
  雲よ。正義を降らせよ。
  地よ。開いて救いを実らせよ。
  正義も共に芽生えさせよ。
  わたしは主、わたしがこれを創造した。」

  ああ。
  陶器が陶器を作る者に抗議するように
  自分を造った者に抗議する者。
  粘土は、形造る者に、
  「何を作るのか。」とか、
  「あなたの作った物には、手がついていない。」
  などと言うであろうか。
  ああ。
  自分の父に「なぜ、子どもを生むのか。」と言い、
  母に「なぜ、産みの苦しみをするのか。」と言う者。

  イスラエルの聖なる方、これを形造った方、
  主はこう仰せられる。
  「これから起こる事を、
  わたしに尋ねようとするのか。
  わたしの子らについて、
  わたしの手で造ったものについて、
  わたしに命じるのか。
  このわたしが地を造り、
  その上に人間を創造した。
  わたしはわたしの手で天を引き延べ、
  その万象に命じた。
  わたしは勝利のうちに彼を奮い立たせ、
  彼の道をみな、平らにする。
  彼はわたしの町を建て、
  わたしの捕囚の民を解放する。
  代価を払ってでもなく、
  わいろによってでもない。」と
  万軍の主は仰せられる。

2014年3月9日
「嵐を呼ぶ男」  篠原哲二牧師

 ヨナ書  1章1節-5節

 アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。
 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」
 しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。
 そのとき、主が大風を海に吹きつけたので、海に激しい暴風が起こり、船は難破しそうになった。
 水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船底に降りて行って横になり、ぐっすり寝込んでいた。

2014年3月2日
「偶像を拝むむなしさ」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  44章9節-22節

 偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。
 だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。
 見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つが良い。彼らはおののいて共に恥を見る。
 鉄で細工する者はなたを使い、炭火の上で細工し、金槌でこれを形造り、力ある腕でそれを造る。彼も腹がすくと力がなくなり、水を飲まないと疲れてしまう。
 木で細工する者は、測りなわで測り、朱で輪郭をとり、かんなで削り、コンパスで線を引き、人の形に造り、人間の美しい姿に仕上げて、神殿に安置する。
 彼は杉の木を切り、あるいはうばめがしや樫の木を選んで、林の木の中で自分のために育てる。また、月桂樹を植えると、大雨が育てる。
 それは人間のたきぎになり、人はそのいくらかを取って暖まり、また、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、それを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。
 その半分は火に燃やし、その半分で肉を食べ、あぶり肉をあぶって満腹する。また、暖まって、『ああ、暖まった。熱くなった。』と言う。
 その残りで神を造り、自分を偶像とし、それひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから。』と言う。
 彼らは知りもせず、悟りもしない。彼らの目は固くふさがって見ることもできず、彼らの心もふさがって悟こともできない。
 彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、『私は、その半分を火に燃やし、その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。その残りで忌みきらうべき物を造り、木の切れ端の前にひれ伏すのだろうか。』とさえ言わない。
 灰にあこがれる者の心は欺かれ、惑わされて、自分を救い出すことができず、『私の右の手には偽りがないのだろうか。』とさえ言わない。
  ヤコブよ。これらのことを覚えよ。
  イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。
  わたしが、あなたを造り上げた。
  あなたは、わたし自身のしもべだ。
  イスラエルよ。
  あなたはわたしに忘れられることがない。
  わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、
  あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。
  わたしに帰れ。
  わたしは、あなたを贖ったからだ。」  

  天よ。喜び歌え。
  主がこれを成し遂げられたから。
  地のどん底よ。喜び叫べ。
  山々よ。喜びの歌声をあげよ。
  林とそのすべての木も。
  主がヤコブを贖い、
  イスラエルのうちに、
  その栄光を現わされるからだ。

2014年2月23日
「高価で尊い者として」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  43章1節-13節

  だが、今、ヤコブよ。
  あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。
  イスラエルよ。
  あなたを形造った方、主はこう仰せられる。
  「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。
  わたしはあなたの名を呼んだ。
  あなたはわたしのもの。
  あなたが水の中を過ぎるときも、
  わたしはあなたとともにおり、
  川を渡るときも、あなたは押し流されない。
  火の中を歩いても、あなたは焼かれず、
  炎はあなたに燃えつかない。
  わたしが、あなたの神、主、
  イスラエルの聖なる者、
  あなたの救い主であるからだ。
  わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、
  クシュとセバをあなたの代わりとする。
  わたしの目には、あなたは高価で尊い。
  わたしはあなたを愛している。
  だからわたしは人をあなたの代わりにし、
  国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
  恐れるな。 
  わたしがあなたとともにいるからだ。
  わたしは東から、あなたの子孫を来させ、
  西から、あなたを集める。
  わたしは、北に向かって『引き渡せ。』と言い、
  南に向かって『引き止めるな。』と言う。
  わたしの子らを遠くから来させ、
  わたしの娘らを地の果てから来させよ。
  わたしの名で呼ばれるすべての者は、
  わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、
  これを形造り、これを造った。

  目があっても盲目の民、
  耳があっても耳しいた者たちを連れ出せ。
  すべての国々をつどわせ、
  諸国の民を集めよ。
  彼らのうちのだれが、このことを告げ、
  先の事をわれわれに聞かせることができようか。
  彼らの証人を出して証言させ、
  それを聞く者に『ほんとうだ。』と言わせよ。

  あなたがたはわたしの証人、
  ―主の御告げ。―
  わたしが選んだわたしのしもべである。
  これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、
  わたしがその者であることを悟るためだ。
  わたしより先に造られた神はなく、
  わたしより後にもない。
  わたし、このわたしが、主であって、
  わたしの他に救い主はいない。
  このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。
  あなたがたのうちに、異なる神はなかった。
  だから、あなたがたはわたしの証人。
  ―主の御告げ。―私は神だ。
  これから後も私は神だ。
  わたしの手から救い出せる者はなく、
  わたしが事を行なえば、
  だれがそれをとどめることができよう。」

2014年2月16日
「しもべとなられたキリストにならって」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  42章1節-9節

  見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、
  わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。
  わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
  彼は国々に公儀をもたらす。
  彼は叫ばず、声をあげず、
  ちまたにその声を聞かせない。
  彼はいたんだ葦を折ることもなく、
  くすぶる燈心を消すこともなく、
  まことをもって公儀をもたらす。
  彼は衰えず、くじけない。
  ついには、地に公儀を打ち立てる。
  島々も、そのおしえを待ち望む。

  天を造り出し、これを引き延べ、
  地とその産物を押し広め、
  その上の民に息を与え、
  この上を歩む者に霊を授けた神なる主は
  こう仰せられる。
  「わたし、主は、
  義をもってあなたを召し、
  あなたの手を握り、
  あなたを見守り、
  あなたを民の契約とし、国々の光とする。
  こうして、盲人の目を開き、
  囚人を牢獄から、
  やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
  わたしは主、これがわたしの名。
  わたしの栄光を他の者に、
  わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。
  先の事は、見よ、すでに起こった。
  新しい事を、わたしは告げよう。
  それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。」

2014年2月9日
「神はあなたを助ける」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  41章8節-16節

  しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。
  わたしが選んだヤコブ、
  わたしの友、アブラハムのすえよ。
  わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、
  地のはるか所からあなたを呼び出して言った。
  「あなたは、わたしのしもべ。
  わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」
  恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
  たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
  わたしはあなたを強め、あなたを助け、
  わたしの義の右の手で、あなたを守る。
  見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、
  恥を見、はずかしめを受け、
  あなたと争う者たちは、
  無いもののようになって滅びる。
  あなたと言い争いをする者を捜しても、
  あなたは見つけることはできず、
  あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。
  あなたの神、主であるわたしが、
  あなたの右の手を堅く握り、
  「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」
  と言っているのだから。
  恐れるな。虫けらのヤコブ、
  イスラエルの人々。
  わたしはあなたを助ける。
  ―主の御告げ。―
  あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。
  見よ。わたしはあなたを
  鋭い、新しいもろ刃の打穀機とする。
  あなたは、山々を踏みつけて粉々に砕く。
  丘をもみがらのようにする。
  あなたがそれをあおぐと、風が運び去り、
  暴風がそれをまき散らす。
  あなたは主によって喜び、
  イスラエルの聖なる者によって誇る。

2014年2月2日
「主の教えを喜ぶ人生」  高橋宣広牧師

 詩篇  1章1節-6節

 幸いなことよ。
 悪者のはかりごとに歩まず、
 罪人の道に立たず、
 あざける者の座に着かなかった、その人。
 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
 その人は、
 水路のそばに植わった木のようだ。
 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
 その人は、何をしても栄える。

 悪者は、それとは違い、
 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、
 罪人は、正しい者のつどいに立てない。
 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
 しかし、悪者の道は滅びうせる。

2014年1月26日
「教会はキリストのからだ」  篠原哲二牧師

 エペソ人への手紙  1章20節-23節

 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。

2014年1月19日
「鷲のように翼をかって」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  40章21節-31節

  あなたがたは知らないのか。聞かないのか。
  初めから、告げられなかったのか。
  地の基がどうして置かれたかを
  悟らなかったのか。
  主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。
  地の住民はいなごのようだ。
  主は天を薄絹のように延べ、
  これを天幕のように広げて住まわれる。
  君主たちを無に帰し、
  地のさばきつかさをむなしいものにされる。
  彼らが、やっと植えられ、やっと蒔かれ、
  やっと地に根を張ろうとするとき、
  主はそれに風を吹きつけ、彼らは枯れる。
  暴風がそれを藁のように散らす。
  「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、
  だれと比べようとするのか。」と
  聖なる方は仰せられる。
  目を高く上げて、
  だれがこれらを創造したかを見よ。
  この方は、その万象を数えて呼び出し、
  一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。
  この方は精力に満ち、その力は強い。
  一つももれるものはない。

  ヤコブよ。なぜ言うのか。
  イスラエルよ。なぜ言い張るのか。
  「私の道は主に隠れ、
  私の正しい訴えは、
  私の神に見過ごしにされている。」と、
  あなたは知らないのか。聞いていないのか。
  主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
  疲れることなく、たゆむことなく、
  その英知は測り知れない。
  疲れた者には力を与え、
  精力のない者には活気をつける。
  若者も疲れ、たゆみ、
  若い男もつまづき倒れる。
  しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
  鷲のように翼をかって上ることができる。
  走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

2014年1月12日
「誤った快気祝い」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  39章1節-8節

 そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは、使者を遣わし、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。彼が病気だったが、元気になった、ということを聞いたからである。
 ヒゼキヤはそれらを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、いっさいの武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。
 そこで預言者イザヤが、ヒゼキヤ王のところに来て、彼に尋ねた。「あの人々は何を言いましたか。どこから来たのですか。」ヒゼキヤは答えた。「遠い国、バビロンから、私のところに来たのです。」
 イザヤはまた言った。「彼らは、あなたの家で何を見たのですか。」ヒゼキヤは答えた。「私の家の中のすべての物を見ました。私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は一つもありません。」
 すると、イザヤはヒゼキヤに言った。「万軍の主のことばを聞きなさい。
 見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。
 また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕えられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。」
 ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全だろう、と思ったからである。

2014年1月5日
「あなただけが私の主」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  37章14節-20節

 ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取り、それを読み、主の宮に上って行って、それを主の前に広げた。
 ヒゼキヤは主に祈って言った。
 「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。
 主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばをみな聞いてください。
 主よ。アッシリヤの王たちが、すべての国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。
 彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。
 私たちの神、主よ。今、私たいを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう。」

2014年1月1日
「苦しみから平和へ」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  38章9節-20節

 ユダの王ヒゼキヤが、病気になって、その病気から回復したときにしるしたもの。
  私は言った。
  私は生涯の半ばで、よみの門にはいる。
  私は、私の残りの年を失ってしまった。
  私は言った。
  私は主を見ない。生ける者の地で主を見ない。
  死人の国の住人とともに、
  再び人を見ることがない。
  私の住みかは牧者の天幕のように引き抜かれ、
  私から取り去られた。
  私は、私のいのちを機織りのように巻いた。
  主は私を、機から断ち切る。
  あなたは昼も夜も、
  私を全く捨てておかれます。
  私は朝まで叫びました。
  主は、雄獅子のように
  私のすべての骨を砕かれます。
  あなたは昼も夜も、
  私を全く捨てておかれます。
  つばめや、つるのように、私は泣き、
  鳩のように、うめきました。
  私の目は、上を仰いで衰えました。
  主よ。私はしいたげられています。
  私の保証人となってください。
  何を私は語れましょう。
  主が私に語り、
  主みずから行なわれたのに。
  私は私のすべての年月、
  私のたましいの苦しみのために、
  静かに歩みます。
  主よ。これらによって、人は生きるのです。
  私の息のいのちも、
  すべてこれらに従っています。
  どうか、私を健やかにし、
  私を生かしてください。
  ああ、私の苦しんだ苦しみは
  平安のためでした。
  あなたは、滅びの穴から、
  私のたましいを引き戻されました。 
  あなたは私のすべての罪を、
  あなたのうしろに投げやられました。
  よみはあなたをほめたたえず、
  死はあなたを賛美せず、
  穴に下る者たちは、
  あなたのまことを待ち望みません。
  生きている者、ただ生きている者だけが
  今日の私のように、
  あなたをほめたたえるのです。
  父は子らにあなたのまことについて知らせます。
  主は、私を救ってくださる。
  私たちの生きている日々の間、
  主の宮で琴をかなでよう。

2014年12月28日
「思い直される神」  篠原哲二牧師

 ヨナ書  3章1節―10節

 再びヨナに次のような主のことばがあった。
 「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。」
 ヨナは、主のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町であった。
 ヨナは初め、その町にはいると、一日中歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」と言った。
 そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。
 このことがニネベの王の耳にはいると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。
 王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。
 人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行ないとを悔い改めよ。
 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」
 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。

2014年12月21日
「難民となられた主イエス」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  2章12節―15節

 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。
 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、
 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。」と言われた事が成就するためであった。

2014年12月14日
「博士たちの贈り物」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  2章1節―12節

 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
  『ユダヤの地、ベツレヘム。
  あなたはユダを治める者たちの中で、
  決して一番小さくはない。
  わたしの民イスラエルを治める支配者が、
  あなたから出るのだから。』
 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
 そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

2014年12月7日
「その罪から救うお方」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  1章18節―25節


 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリアはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子、ヨセフ。恐れないであなたの妻マリアを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
 マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。
 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

2014年11月30日
「旧約と新約をつなぐ系図」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書  1章1節―17節

 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。
 アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、
 ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、
 アラムにアミナダブが生まれ、アミナダブにナアソンが生まれ、ナアソンにサルモンが生まれ、
 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、
 エッサイにダビデ王が生まれた。
 ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、
 ソロモンにレハベアムが生まれ、レハベアムにアビヤが生まれ、アビヤにアサが生まれ、
 アサにヨサパテが生まれ、ヨサパテにヨラムが生まれ、ヨラムにウジヤが生まれ、
 ウジヤにヨタムが生まれ、ヨタムにアハズが生まれ、アハズにヒゼキヤが生まれ、
 ヒゼキヤにマナセが生まれ、マナセにアモンが生まれ、アモンにヨシヤが生まれ、
 ヨシヤに、バビロン移住のころエコニヤとその兄弟たちが生まれた。
 バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ、
 ゾロバベルにアビウデが生まれ、アビウデにエリヤキムが生まれ、エリヤキムにアゾルが生まれ、
 アゾルにサドクが生まれ、サドクにアキムが生まれ、アキムにエリウデが生まれ、
 エリウデにエレアザルが生まれ、エレアザルにマタンが生まれ、マタンにヤコブが生まれ、
 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。
 それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。

2014年11月23日
「すべての人が礼拝に来る」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  66章10節―24節  

  エルサレムとともに喜べ。
  すべてこれを愛する者よ。これとともに楽しめ。
  すべてこれのために悲しむ者よ。
  これとともに喜び喜べ。
  あなたは、
  彼女に慰めの乳房から乳を飲んで飽き足り、
  その豊かな乳房から吸って喜んだからだ。

  主はこう仰せられる。  
  「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、
  あふれる流れのように国々の富を与える。
  あなたがたは乳を飲み、
  わきに抱かれ、ひざの上でかわいがられる。
  母に慰められる者のように、
  わたしはあなたがたを慰め、
  エルサレムであなたがたは慰められる。
  あなたがたはこれを見て、心喜び、
  あなたがたの骨は若草のように生き返る。
  主の御手は、そのしもべたちに知られ、
  その憤りは敵たちに向けられる。」

  見よ。まことに、主は火の中を進んで来られる。
  その戦車はつむじ風のようだ。
  その怒りを激しく燃やし、
  火の炎をもって責めたてる。
  実に、主は火をもってさばき、
  その剣ですべての肉なる者をさばく。
  主に刺し殺される者は多い。

  おのが身を聖別し、身をきよめて、
  園に行き、その中にある一つのものに従って、
  豚の肉や、忌むべき物や、
  ねずみを食らう者たちはみな、絶ち滅ぼされる。
  ――主の御告げ――

 「わたしは、彼らのわざと、思い計りとを知っている。わたしは、すべての国々と種類とを集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る。
 わたしは彼らの中にしるしを置き、彼らのうちののがれた者たちを諸国に遣わす。すなわち、タルシシュ、プル、ルデ、メシェク、ロシュ、トバル、ヤワン、遠い島々に。これらはわたしのうわさを聞いたこともなく、わたしの栄光を見たこともない。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう。
 彼らは、すべての国々から、あなたがたの同胞をみな、主への贈り物として、馬、車、かご、騾馬、らくだに乗せて、わたしの聖なる山、エルサレムに連れて来る。」と主は仰せられる。「それはちょうど、イスラエル人がささげ物をきよい器に入れて主の宮に携えて来るのと同じである。
 わたしは彼らの中からある者を選んで祭司とし、レビ人とする。」と主は仰せられる。

  「わたしの造る新しい天と新しい地が、
  わたしの前にいつまでも続くように、
  ――主の御告げ――
  あなたがたの子孫と、あなたがたの名も
  いつまでも続く。
  毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、
  すべての人が、わたしの前に礼拝に来る。」と
  主は仰せられる。

  「彼らは出て行って、
  わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。
  そのうじは死なず、その火も消えず、
  それはすべての人に、忌みきらわれる。」

2014年11月16日
「神のことばを恐れる」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  66章1節―5節  

  主はこう仰せられる。
  「天はわたしの王座、地はわたしの足台。
  わたしのために、あなたがたの建てる家は、
  いったいどこにあるのか。
  わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。
  これらすべては、わたしの手が造ったもの、
  これらすべてはわたしのものだ。
  ――主の御告げ。――
  わたしが目を留める者は、
  へりくだって心砕かれ、
  わたしのことばにおののく者だ。

  牛をほふる者は、人を打ち殺す者。
  羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。
  穀物のささげ物をささげる者は、
  豚の血をささげる者。
  乳香をささげる者は、偶像をほめたたえる者。
  実に彼らは自分かってな道を選び、
  その心は忌むべき物を喜ぶ。
  わたしも、彼らを虐待することを選び、
  彼らに恐怖をもたらす。
  わたしが呼んでもだれも答えず、
  わたしが語りかけても聞かず、
  わたしの目の前に悪を行ない、
  わたしの喜ばない事を彼らが選んだからだ。」

  主のみことばにおののく者たちよ。
  主のことばを聞け。
  「あなたがたを憎み、
  わたしの名のためにあなたがたを押しのける、
  あなたがたの同胞は言った。
  『主に栄光を現わさせよ。
  そうすれば、あなたがたの楽しみを見てやろう。』
  しかし、彼らは恥を見る。」

2014年11月9日
「神の新しい創造」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  65章17節―25節  

  見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を
  創造する。
  先の事は思い出されず、心に上ることもない。
  だから、わたしの創造するものを、
  いついつまでも楽しみ喜べ。
  見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、
  その民を楽しみとする。
  わたしはエルサレムを喜び、
  わたしの民を楽しむ。
  そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
  そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、
  寿命の満ちない老人もいない。
  百歳で死ぬ者は若かったとされ、
  百歳にならないで死ぬ者は、
  のろわれた者とされる。
  彼らは家を建てて住み、
  ぶどう畑を作って、その実を食べる。
  彼らが建てて他人が住むことはなく、
  彼らが植えて他人が食べることはない。
  わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、
  わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を
  存分に用いることができるからだ。
  彼らはむだに労することもなく、
  子を産んで、突然その子が死ぬこともない。
  彼らは主に祝福された者のすえであり、
  その子孫たちは彼らとともにいるからだ。
  彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、
  彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
  狼と子羊は共に草をはみ、
  獅子は牛のように、わらを食べ、
  蛇は、ちりをその食べ物とし、
  わたしの聖なる山のどこにおいても、
  そこなわれることなく、滅ぼされることもない。」
  と主は仰せられる。

2014年11月2日
「切実なとりなしの祈り」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  64章1節―12節  

  ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、
  山々は御前で揺れ動くでしょう。
  火が柴に燃えつき、
  火が水を沸き立たせるように、
  あなたの御名はあなたの敵に知られ、
  国々は御前で震えるでしょう。
  私たちが予想もしなかった恐ろしい事を
  あなたが行なわれるとき、
  あなたが降りて来られると、
  山々は御前で揺れ動くでしょう。
  神を待ち望む者のために、
  このようにしてくださる神は、
  あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、
  耳にしたこともなく、目で見たこともありません。
  あなたは迎えてくださいます。
  喜んで正義を行う者、
  あなたの道を歩み、あなたを忘れない者を。
  ああ、あなたは怒られました。
  私たちは昔から罪を犯し続けています。
  それでも私たちは救われるでしょうか。
  私たちはみな、汚れた者のようになり、
  私たちの義はみな、不潔な着物のようです。
  私たちはみな、木の葉のように枯れ、
  私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。
  しかし、あなたの御名を呼ぶ者もなく、
  奮い立って、あなたにすがる者もいません。
  あなたは私たちから御顔を隠し、
  私たちの咎のゆえに、私たちを弱められました。
  しかし、主よ。
  今、あなたは私たちの父です。
  私たちは粘土で、
  あなたは私たちの陶器師です。
  私たちはみな、
  あなたの手で造られたものです。
  主よ。どうかひどく怒らないでください。
  いつまでも、咎を覚えないでください。
  どうか今、
  私たちがみな、あなたの民であることに
  目を留めてください。
  あなたの聖なる町々は荒野となっています。
  シオンは荒野となり、
  エルサレムは荒れ果てています。
  私たちの先祖があなたをほめたたえた
  私たちの聖なる美しい宮は、火で焼かれ、
  私たちの宝とした物すべてが荒廃しました。
  主よ。これでも、あなたはじっとこらえ、
  黙って、私たちをこんなにも悩まされるのですか。

2014年10月26日
「いつも共に苦しんでくださる主」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  63章8節―19節  

  主は仰せられた。
  「まことに彼らはわたしの民、
  偽りのない子たちだ。」と。
  こうして、主は彼らの救い主になられた。
  彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
  ご自身の使いが彼らを救った。
  その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、
  昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。
  しかし、彼らは逆らい、
  主の聖なる御霊を痛ませたので、
  主は彼らの敵となり、みずから彼らと戦われた。

  そのとき、主の民は、
  いにしえのモーセの日を思い出した。
  「羊の群れの牧者たちとともに、
  彼らを海から上らせた方は、
  どこにおられるのか。
  その中に主の聖なる御霊を置かれた方は、
  どこにおられるのか。
  その輝かしい御腕をモーセの右に進ませ、
  彼らの前で水を分け、永遠の名を成し、
  荒野の中を行く馬のように、
  つまずくことなく彼らに深みの底を
  歩ませた方は、どこにおられるのか。
  家畜が谷に下るように、
  主の御霊が彼らをいこわせた。」

  このようにして、あなたは、あなたの民を導き、
  あなたの輝かしい御名をあげられたのです。
  どうか、天から見おろし、
  聖なる輝かしい御住まいからご覧ください。
  あなたの熱心と、力あるみわざは、
  どこにあるのでしょう。
  私へのあなたのたぎる思いとあわれみを、
  あなたは押えておられるのですか。
  まことに、あなたは私たちの父です。
  たとい、アブラハムが私たちを知らず、
  イスラエルが私たちを認めなくても、
  主よ、あなたは、私たちの父です。
  あなたの御名は、とこしえから
  私たちの贖い主です。
  主よ。なぜあなたは、
  私たちをあなたの道から迷い出させ、
  私たちの心をかたくなにして、
  あなたを恐れないようにされるのですか。
  あなたのしもべたち、
  あなたのゆずりの地の部族のために、
  どうかお帰りください。
  あなたの聖なる民がこの地を所有して間もなく、
  私たちの敵は、あなたの聖所を踏みつけました。
  私たちは、
  とこしえからあなたを支配されたことも、
  あなたの御名で呼ばれたこともない者のように
  なりました。

2014年10月19日
「祈りの小部屋」  篠原哲二牧師

 ヨナ書  2章1節―10節  

 ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、
 言った。
  「私が苦しみの中から主にお願いすると、
  主は答えてくださいました。
  私がよみの腹の中から叫ぶと、
  あなたは私の声を聞いてくださいました。
  あなたは私を海の真中の深みに
  投げ込まれました。
  潮の流れが私を囲み、
  あなたの波と大波がみな、
  私の上を越えて行きました。
  私は言った。
  『私はあなたの目の前から追われました。
  しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を
  仰ぎ見たいのです。』と。
  水は、私ののどを絞めつけ、
  深淵は私を取り囲み、
  海草は私の頭にからみつきました。
  私は山々の根元まで下り、
  地のかんぬきが、
  いつまでも私の上にありました。

  しかし、私の神、主よ。
  あなたは私のいのちを
  穴から引き上げてくださいました。
  私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、
  私は主を思い出しました。  
  私の祈りはあなたに、
  あなたの聖なる宮に届きました。

  むなしい偶像に心を留める者は、
  自分への恵みを捨てます。
  しかし、私は、感謝の声をあげて、
  あなたにいけにえをささげ、
  私の誓いを果たしましょう。
  救いは主のものです。」

 主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。

2014年10月12日
「新しい名で呼ばれる」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  61章1節―5節  

  シオンのために、わたしは黙っていない。
  エルサレムのために、黙りこまない。
  その義が朝日のように光を放ち、
  その救いが、たいまつのように燃えるまでは。
  そのとき、国々はあなたの義を見、  
  すべての王があなたの栄光を見る。
  あなたは、
  主の口が名づける新しい名で呼ばれよう。
  あなたは主の手にある輝かしい冠となり、
  あなたの神の手のひらにある
  王のかぶり物となる。
  あなたはもう、「見捨てられている。」と言われず、
  あなたの国はもう、
  「荒れ果てている。」とは言われない。
  かえって、あなたは
  「わたしの喜びは、彼女にある。」と呼ばれ、
  あなたの国は夫のある国と呼ばれよう。
  主の喜びがあなたにあり、
  あなたの国が夫を得るからである。
  若い男が若い女をめとるように、
  あなたの子らはあなたをめとり、
  花婿が花嫁を喜ぶように、
  あなたの神はあなたを喜ぶ。

2014年10月5日
「解放の福音」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  60章1節―11節  

  神である主の霊が、わたしの上にある。
  主はわたしに油をそそぎ、
  貧しい者に良い知らせを伝え、
  心の傷ついた者をいやすために、
  わたしを遣わされた。
  捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
  主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、
  すべての悲しむ者を慰め、
  シオンの悲しむ者たちに、
  灰の代わりに頭の飾りを、
  悲しみの代わりに喜びの油を、
  憂いの心の代わりに賛美の外套を
  着けさせるためである。
  彼らは、義の樫の木、
  栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。

  彼らは昔の廃墟を建て直し、
  先の荒れ跡を復興し、
  廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する。
  他国人は、あなたがたの羊の群れを
  飼うようになり、
  外国人が、あなたがたの農夫となり、
  ぶどう作りとなる。
  しかし、あなたがたは主の祭司ととなえられ、
  われわれの神に仕える者と呼ばれる。
  あなたがたは国々の力を食い尽くし、
  その富を誇る。
  あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。
  人々は侮辱に代えて、その分け前を喜び歌う。
  それゆえ、その国で二倍のものを所有し、
  とこしえの喜びが彼らのものとなる。
  まことに、わたしは公儀を愛する主だ。
  わたしは不法な略奪を憎む。
  わたしは誠実を尽くして彼らに報い、
  とこしえの契約を彼らと結ぶ。
  彼らの子孫は国々のうちで、
  彼らのすえは国々の民のうちで知れ渡る。
  彼らを見る者はみな、
  彼らが主に祝福された子孫であることを認める。

  わたしは主によって大いに楽しみ、
  わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。
  主がわたしに、救いの衣を着せ、
  正義の外套をまとわせ、
  花婿のように栄冠をかぶらせ、
  花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。
  地が芽を出し、
  園が蒔かれた種を芽生えさせるように、
  神である主が義と賛美とを、
  すべての国の前に芽生えさせるからだ。

2014年9月28日
「主に委ねられている使命に生きる」  廣田信之牧師

 マタイの福音書  25章14節―30節  

 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
 同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
 ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
 すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラント設けました。』
 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
 ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
 だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
 だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

2014年9月21日
「主があなたを輝かせる」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  60章1節―5節  

  起きよ。光を放て。
  あなたの光が来て、
  主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
  見よ。やみが地をおおい、
  暗やみが諸国の民をおおっている。
  しかし、あなたの上には主が輝き、
  その栄光があなたの上に現われる。
  国々はあなたの光のうちに歩み、
  王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。

  目を上げて、あたりを見よ。
  彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。
  あなたの息子たちは遠くから来、
  娘たちはわきに抱かれて来る。
  そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、
  心は震えて、喜ぶ。
  海の富はあなたのところに移され、
  国々の財宝はあなたのものとなるからだ。

 イザヤ書  60章19節―22節  

  太陽がもうあなたの昼の光とはならず、
  月の輝きもあなたを照らさず、
  主があなたの永遠の光となり、
  あなたの神があなたの光栄となる。
  あなたの太陽はもう沈まず、
  あなたの月はかげることがない。
  主があなたの永遠の光となり、
  あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。
  あなたの民はみな正しくなり、
  とこしえにその地を所有しよう。
  彼らはわたしの栄光を現わす、わたしの植えた枝。
  わたしの手で造ったもの。
  最も小さい者も氏族となり、
  最も弱い者も強国となる。
  時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。

2014年9月7日
「神みずからがとりなす」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  59章11節―21節  

  私たちはみな、熊のようにほえ、
  鳩のようにうめきにうめく。
  公儀を待ち望むが、それはなく、
  救いを待ち望むが、
  それは私たちから遠く離れている。

  それは、私たちがあなたの御前で
  多くのそむきの罪を犯し、
  私たちの罪が、
  私たちに不利な証言をするからです。

  私たちのそむきの罪は、私たちとともにあり、
  私たちは自分の咎を知っている。
  私たちは、そむいて、主を否み、
  私たちの神に従うことをやめ、
  しいたげと反逆を語り、
  心に偽りのことばを抱いて、つぶやいている。
  こうして公正は退けられ、
  正義は遠く離れて立っている。
  真理は広場でつまずき、
  正直は中にはいることもできない。
  そこでは真理は失われ、
  悪から離れる者も、そのとりこになる。

  主はこれを見て、公儀のないのに心を痛められた。
  主は人のいないのを見、
  とりなす者のいないのに驚かれた。
  そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、
  ご自分の義を、ご自分のささえとされた。
  主は義をよろいのように着、
  救いのかぶとを頭にかぶり、
  復讐の衣を身にまとい、
  ねたみを外套として身をおおわれた。
  主は彼らのしうちに応じて報い、
  その仇には憤りを報い、その敵には報復をし、
  島々にも報復をする。
  そうして、西のほうでは、主の御名が、
  日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。
  主は激しい流れのように来られ、
  その中で主の息が吹きまくっている。
  「しかし、シオンには贖い主として来る。
  ヤコブの中の
  そむきの罪を悔い改める者のところに来る。
  ――主の御告げ――

  「これは、彼らと結ぶわたしの契約である。」と
  主は仰せられる。
  「あなたの上にあるわたしの霊、
  わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、
  あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、
  すえのすえの口からも、
  今よりとこしえに離れない。」と主は仰せられる。

2014年8月31日
「神の畑へ、みことばを携えて」  田口孝子師

 コリント人への手紙第一  3章5節―9節  

 アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。
 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。
 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

2014年8月24日
「安息日は喜びの日」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  58章6節―14節  

  わたしの好む断食は、これではないか。
  悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、
  しいたげられた者たちを自由の身とし、
  すべてのくびきを砕くことではないか。
  飢えた者にはあなたのパンを分け与え、
  家のない貧しい人々を家に入れ、
  裸の人を見て、これに着せ、
  あなたの肉親の世話をすることではないか。
  そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、
  あなたの傷はすみやかにいやされる。
  あなたの義はあなたの前に進み、
  主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。
  そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、
  あなたが叫ぶと、
  「わたしはここにいる。」と仰せられる。
  もし、あなたの中から、くびきを除き、
  うしろ指をさすことや、
  つまらないおしゃべりを除き、
  飢えた者に心を配り、
  悩む者の願いを満足させるなら、
  あなたの光は、やみの中に輝き上り、
  あなたの暗やみは、真昼のようになる。
  主は絶えず、あなたを導いて、
  焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、
  あなたの骨を強くする。
  あなたは、潤された園のようになり、
  水のかれない源のようになる。
  あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、
  あなたは古代の礎を築き直し、
  「破れを繕う者、
  市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。

  もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、
  わたしの聖日に自分の好むことをせず、
  安息日を「喜びの日」と呼び、
  主の聖日を「はえある日」と呼び、
  これを尊んで旅をせず、
  自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、
  そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。
  「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、
  あなたの父ヤコブのゆずりの地で
  あなたを養う。」と
  主の御口が語られたからである。

2014年8月17日
「それでも、平安をくださる神」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  57章14節―21節  

  主は仰せられる。
  「盛り上げよ。土を盛り上げて、道を整えよ。
  わたしの民の道から、つまずきを取り除け。」

  いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、
  その名を聖ととなえられる方が、
  こう仰せられる。
  「わたしは、高く聖なる所に住み、
  心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
  へりくだった人の霊を生かし、
  砕かれた人の心を生かすためである。
  わたしはいつまでも争わず、
  いつも怒ってはいない。
  わたしから出る霊と、
  わたしが造ったたましいが衰え果てるから。
  彼のむさぼりの罪のために、
  わたしは、怒って彼を打ち、顔を隠して怒った。
  しかし、彼はなおそむいて、
  自分の思う道を行った。
  わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。
  わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、
  慰めを報いよう。
  わたしはくちびるの実を創造した者。
  平安あれ、遠くの者にも近くの者にも平安あれ。
  わたしは彼をいやそう。」と主は仰せられる。

  しかし悪者どもは、荒れ狂う海のようだ。
  静まることができず、
  水が海草と泥を吐き出すからである。
  「悪者どもには平安がない。」と
  私の神は仰せられる。

2014年8月10日
「すべての民の祈りの家」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  56章1節―8節  

  主はこう仰せられる。
  「公正を守り、正義を行なえ。
  わたしの救いが来るのは近く、
  わたしの義が現われるのも近いからだ。」
  幸いなことよ。
  安息日を守ってこれを汚さず、
  どんな悪事にもその手を出さない、
  このように行う人、
  これを堅く保つ人の子は。
  主に連なる外国人は言ってはならない。
  「主はきっと、私をその民から切り離される。」と。
  宦官も言ってはならない。
  「ああ、私は枯れ木だ。」と。

  まことに主はこう仰せられる。
 「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶ事を選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、
 わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにもまさる分け前と名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。
 また、主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべとなった外国人がみな、安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、
 わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。
 ――イスラエルの散らされた者たちを集める神である主の御告げ。――わたしは、すでに集められた者たちに、さらに集めて加えよう。」

2014年8月3日
「救いへの招き」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  55章1節―9節  

  ああ。渇いている者はみな、
  水を求めて出て来い。金のない者も。
  さあ、穀物を買って食べよ。
  さあ、金を払わないで、穀物を買い、
  代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
  なぜ、あなたがたは、
  食糧にもならない物のために金を払い、
  腹を満たさない物のために労するのか。
  わたしに聞き従い、良い物を食べよ。
  そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。
  耳を傾け、わたしのところに出て来い。
  聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。
  わたしはあなたがたととこしえの契約、
  ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。
  見よ。わたしは彼を諸国の民への証人とし、
  諸国の民の君主とし、司令官とした。
  見よ。
  あなたの知らない国民をあなたが呼び寄せると、
  あなたを知らなかった国民が、
  あなたのところに走って来る。
  これは、あなたの神、主のため、
  また、あなたを輝かせた
  イスラエルの聖なる方のためである。

  主を求めよ。お会いできる間に。
  近くにおられるうちに、呼び求めよ。
  悪者はおのれの道を捨て、
  不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。
  主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。
  私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
  「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
  わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。
  ――主の御告げ。――
  天が地よりも高いように、
  わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
  わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

2014年7月27日
「永遠に変わらぬ愛」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  54章2節―10節  

  「あなたの天幕の場所を広げ、
  あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、
  綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。
  あなたは右と左にふえ広がり、
  あなたの子孫は、国々を所有し、
  荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。
  恐れるな。あなたは恥を見ない。
  恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。
  あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、
  やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。
  あなたの夫はあなたを造った者、
  その名は万軍の主。
  あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、
  全地の神と呼ばれている。
  主は、あなたを、
  夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、
  若い時の妻をどうして見捨てられようか。」
  とあなたの神は仰せられる。

  「わたしはほんのしばらくの間、
  あなたを見捨てたが、
  大きなあわれみをもって、あなたを集める。
  怒りがあふれて、ほんのしばらく、
  わたしの顔をあなたから隠したが、
  永遠に変わらぬ愛をもって、
  あなたをあわれむ。」と
  あなたを贖う主は仰せられる。

  「このことは、わたしにとっては、
  ノアの日のようだ。
  わたしは、ノアの洪水を
  もう地上に送らないと誓ったが、
  そのように、あなたを怒らず、
  あなたを責めないとわたしは誓う。
  たとい山々が移り、丘が動いても、
  わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、
  わたしの平和の契約は動かない。」と
  あなたをあわれむ主は仰せられる。

2014年7月20日
「私たちのための復活」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  53章7節―12節  

  彼は痛めつけられた。
  彼は苦しんだが、口を開かない。
  ほふり場に引かれて行く小羊のように、
  毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
  彼は口を開かない。
  しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
  彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
  彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
  生ける者の地から絶たれたことを。
  彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
  彼は富む者とともに葬られた。
  彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。

  しかし、彼を砕いて、傷めることは
  主のみこころであった。
  もし彼が、自分のいのちを
  罪過のためのいけにえとするなら、
  彼は末長く、子孫を見ることができ、
  主のみこころは彼によって成し遂げられる。
  彼は、自分のいのちの
  激しい苦しみのあとを見て、満足する。
  わたしの正しいしもべは、
  その知識によって多くの人を義とし、
  彼らの咎を彼がになう。
  それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
  彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
  彼が自分のいのちを死に明け渡し、
  そむいた人たちとともに数えられたからである。
  彼は多くの人の罪を負い、
  そむいた人たちのためにとりなしをする。

2014年7月13日
「私たちのための十字架」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  53章1節―6節  

  私たちの聞いたことを、だれが信じたか。
  主の御腕は、だれに現われたのか。
  彼は主の前に若枝のように芽生え、
  砂漠の地から出る根のように育った。
  彼には、私たちが見とれるような姿もなく、
  驚きもなく、
  私たちが慕うような見栄えもない。
  彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
  悲しみの人で病を知っていた。
  人が顔をそむけるほどさげすまれ、
  私たちも彼を尊ばなかった。

  まことに、彼は私たちの病を負い、
  私たちの痛みをになった。
  だが、私たちは思った。
  彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
  しかし、彼は、
  私たちのそむきの罪のために刺し通され、
  私たちの咎のために砕かれた。
  彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
  彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
  私たちはみな、羊のようにさまよい、
  おのおの、自分かってな道に向かって行った。
  しかし、主は、私たちのすべての咎を
  彼に負わせた。

2014年7月6日
「キリストの苦悩が」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  52章7節―15節  

  良い知らせを伝える者の足は
  山々の上にあって、なんと美しいことよ。
  平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、
  救いを告げ知らせ、
  「あなたの神が王となる。」と
  シオンに言う者の足は。
  聞け。あなたの見張り人たちが、
  声を張り上げ、共に喜び歌っている。
  彼らは、主がシオンに帰られるのを、
  まのあたりに見るからだ。
  エルサレムの廃墟よ。
  共に大声をあげて喜び歌え。
  主がその民を慰め、エルサレムを贖われたから。
  主はすべての国々の目の前に、
  聖なる御腕を現わした。
  地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る。

  去れよ。去れよ。そこを出よ。
  汚れたものに触れてはならない。
  その中から出て、身をきよめよ。
  主の器をになう者たち。
  あなたがたは、あわてて出なくてもよい。
  逃げるようにして去らなくてもよい。
  主があなたがたの前に進み、
  イスラエルの神が、
  あなたがたのしんがりとなられるからだ。

  見よ。わたしのしもべは栄える。
  彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。
  多くの者があなたを見て驚いたように、
  ――その顔だちは、
  そこなわれて人のようではなく、
  その姿も人の子らとは違っていた。――
  そのように、彼は多くの国々を驚かす。
  王たちは彼の前で口をつぐむ。
  彼らは、まだ告げられなかったことを見、
  まだ聞いたこともないことを悟からだ。

2014年6月29日
「過去・現在・未来」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  51章1節―11節  

  義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。
  わたしに聞け。
  あなたがたの切り出された岩、
  掘り出された穴を見よ。
  あなたがたの父アブラハムと、
  あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。
  わたしが彼ひとりを呼び出し、
  わたしが彼を祝福し、
  彼の子孫をふやしたことを。
  まことに主はシオンを慰め、
  そのすべての廃墟を慰めて、
  その荒野をエデンのようにし、
  その砂漠を主の園のようにする。
  そこには楽しみと喜び、感謝と歌声がある。

  わたしの民よ。わたしに心を留めよ。
  わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。
  おしえはわたしから出、
  わたしはわたしの公義を定め、
  国々の民の光とする。
  わたしの義は近い。
  わたしの救いはすでに出ている。
  わたしの腕は国々の民をさばく。
  島々はわたしを待ち望み、
  わたしの腕に拠り頼む。
  目を天にあげよ。また下の地を見よ。
  天は煙のように散りうせ、
  地も衣のように古びて、
  その上に住む者は、ぶよのように死ぬ。
  しかし、わたしの救いはとこしえに続き、
  わたしの義はくじけないからだ。
  義を知る者。心にわたしのおしえを持つ民よ。
  わたしに聞け。
  人のそしりを恐れるな。
  彼らのののしりにくじけるな。
  しみが彼らを衣のように食い尽くし、
  虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。
  しかし、わたしの義はとこしえに続き、
  わたしの救いは代々にわたるからだ。

  さめよ。さめよ。力をまとえ。主の御腕よ。
  さめよ。昔の日、いにしえの代のように。
  ラハブを切り刻み、竜を刺し殺したのは、
  あなたではないか。
  海と大いなる淵の水を干上がらせ、
  海の底に道を設けて、
  贖われた人々を通らせたのは、
  あなたではないか。
  主に贖われた者たちは帰って来る。
  彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、
  その頭にはとこしえの喜びをいただく。
  楽しみと喜びがついて来、
  悲しみと嘆きとは逃げ去る。

2014年6月22日
「疲れた人を励ますことば」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  50章4節―11節  

  神である主は、私に弟子の舌を与え、
  疲れた者をことばで励ますことを教え、
  朝ごとに、私を呼びさまし、
  私の耳に聞かせて、
  私が弟子のように聞くようにされる。
  神である主は、私の耳を開かれた。
  私は逆らわず、うしろに退きもせず、
  打つ者に私の背中をまかせ、
  ひげを抜く者に私の頬をまかせ、
  侮辱されても、つばきをかけられても、
  私の顔を隠さなかった。

  しかし、神である主は、私を助ける。
  それゆえ、私は、侮辱されなかった。
  それゆえ、私は顔を火打石のようにし、
  恥を見てはならないと知った。
  私を義とする方が近くにおられる。
  だれが私と争うのか。
  さあ、さばきの座に共に立とう。
  どんな者が、私を訴えるのか。
  私のところに出て来い。
  見よ。神である主が、私を助ける。
  だれが私を罪に定めるのか。
  見よ。彼らはみな、衣のように古び、
  しみが彼らを食い尽くす。

  あなたがたのうち、
  だれが主を恐れ、
  そのしもべの声に聞き従うのか。
  暗やみの中を歩き、
  光を持たない者は、
  主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。
  見よ。あなたがたはみな、火をともし、
  燃えさしを身に帯びている。
  あなたがたは自分たちの火のあかりを持ち、
  火をつけた燃えさしをもって歩くがよい。
  このことはわたしの手によって
  あなたがたに起こり、
  あなたがたは、苦しみのうちに伏し倒れる。

2014年6月15日
「イエス様は私の光」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  49章5節―12節  

  今、主は仰せられる。
  ――主はヤコブをご自分のもとに帰らせ、
  イスラエルを自分のもとに集めるために、
  私が母の胎内にいる時、
  私をご自分のしもべとして造られた。
  私は主に尊ばれ、
  私の神は私の力となられた。――
  主は仰せられる。
  「ただ、あなたがわたしのしもべとなって、
  ヤコブの諸部族を立たせ、
  イスラエルのとどめられている者たちを
  帰らせるだけではない。
  わたしはあなたを諸国の民の光とし、
  地の果てにまでわたしの救いを
  もたらす者とする。」

  イスラエルを贖う、その聖なる方、主は、
  人にさげすまれている者、
  民に忌みきらわれている者、
  支配者たちの奴隷に向かってこう仰せられる。
  「王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。
  主が真実であり、
  イスラエルの聖なる方が
  あなたを選んだからである。」
  主はこう仰せられる。
  「恵みの時に、わたしはあなたに答え、
  救いの日にあなたを助けた。
  わたしはあなたを見守り、
  あなたを民の契約とし、
  国を興し、荒れ果てたゆずりの血を継がせよう。
  わたしは捕われ人には、『出よ。』と言い、
  やみの中にいる者には『姿を現わせ。』と言う。
  彼らは道すがら羊を飼い、
  裸の丘の至る所が、彼らの牧場となる。
  彼らは飢えず、渇かず、
  熱も太陽も彼らを打たない。
  彼らをあわれむ者が彼らを導き、
  水のわく所に連れていくからだ。
  わたしは、わたしの山々をすべての道とし、
  わたしの大路を高くする。
  見よ。ある者は遠くから来る。
  また、ある者は北から西から、
  また、ある者はシニムの地から来る。」

2014年6月8日
「思い起こさせてください」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書  14章22節―31節  

 イスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」
 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。
  このことをわたしは、あなたがたといっしょにいる間に、あなたがたに話しました。
 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
 『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る。』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
 そして今わたしは、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。
 わたしは、もう、あなたがたに多くは話すまい。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることはできません。
 しかしそのことは、わたしが父を愛しており、父の命じられたとおりに行なっていることを世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。

2014年6月1日
「良く生き、良く終える」  ダニー・モルキー師

 へブル人への手紙  12章1節―3節  

 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。


2014年5月25日
「わたしに帰れ」  星沢数也牧師

 ヤコブの手紙  4章8節  

 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心のある人たち。心を清くしなさい。

2014年5月18日
「脱出させてくださる神」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  48章17節―22節  

  あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方は
  こう仰せられる。
  「わたしは、あなたの神、主である。
  わたしはあなたに益になることを教え、
  あなたの歩むべき道にあなたを導く。
  あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、
  あなたのしあわせは川のように、
  あなたの正義は海の波のようになるであろうに。
  あなたの子孫は砂のように、
  あなたの身から出る者は、
  真砂のようになるであろうに。
  その名はわたしの前から断たれることも、
  滅ぼされることもしなであろうに。」

  バビロンから出よ。カルデヤからのがれよ。
  喜びの歌声をあげて、これを告げ知らせよ。
  地の果てにまで響き渡らせよ。
  「主が、そのしもべヤコブを贖われた。」と言え。
  主がかわいた地を通らせたときも、
  彼らは渇かなかった。
  主は彼らのために岩から水を流れ出させ、
  岩を裂いて水をほとばしり出させた。
  「悪者どもには平安がない。」と主は仰せられる。

2014年5月11日
「助言する者が多すぎて」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  47章10節―15節  

  あなたは自分の悪に拠り頼み、
  『私を見る者はない。』と言う。
  あなたの知恵と知識、
  これがあなたを迷わせた。
  だから、あなたは心の中で言う。
  『私だけは特別だ。』
  しかしわざわいがあなたを見舞う。
  それを払いのけるまじないをあなたは知らない。
  災難があなたを襲うが、
  あなたはそれを避けることはできない。
  破滅はあなたの知らないうちに、
  突然あなたにやって来る。

  さあ、若い時からの使い古しの呪文や、
  多くの呪術を使って、立ち上がれ。
  あるいは役立つかもしれない。
  おびえさせることができるかもしれない。
  あなたに助言する者が多すぎて、
  あなたは疲れている。
  さあ、天を観測する者、星を見る者、
  新月ごとにあなたに起こる事を知らせる者を
  並べ立てて、
  あなたを救わせてみよ。
  見よ。彼らは刈り株のようになり、
  火が彼らを焼き尽くす。
  彼らは自分のいのちを
  炎の手から救い出すこともできない。
  これは身を暖める炭火でもなく、
  その前にすわれる火でもない。
  あなたが若い時から仕え、
  行き来してきた者たちは、このようになる。
  彼らはおのおの自分かってに迷い出て、
  あなたを救う者はひとりもいない。」

2014年5月4日
「背負ってくださる神」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  46章1節―13節  

  「ベルはひざまずき、ネボはかがむ。
  彼らの偶像は獣と家畜に載せられ、
  あなたがたの運ぶものは荷物となり、
  疲れた獣の重荷となる。
  彼らは共にかがみ、ひざまずく。
  彼らは重荷を解くこともできず、
  彼ら自身もとりことなって行く。

  わたしに聞け、
  ヤコブの家と、イスラエルの家の
  すべての残りの者よ。
  胎内にいるからになわれており、
  生まれる前から運ばれた者よ。
  あなたがたが年をとっても、
  わたしは同じようにする。
  あなたがたがしらがになっても、
  わたしは背負う。
  わたしはそうしてきたのだ。
  なお、わたしは運ぼう。
  わたしは背負って、救い出そう。

  わたしをだれになぞらえて比べ、
  わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。
  袋から金を惜しげなく出し、
  銀をてんびんで量る者たちは、
  金細工人を雇って、それで神を造り、
  これにひざまずいて、すぐ拝む。
  彼らはこれを肩にかついで運び、
  下に置いて立たせる。
  これはその場からもう動けない。
  これに叫んでも答えず、
  悩みから救ってもくれない。

  このことを思い出し、しっかりせよ。
  そむく者らよ。心に思い返せ。

  遠い大昔のことを思い出せ。
  わたしが神である。ほかにはいない。
  わたしのような神はいない。
  わたしは、終わりの事を初めから告げ、
  まだなされていない事を昔から告げ、
  『わたしのはかりごとは成就し、
  わたしの望む事をすべて成し遂げる。』と言う。
  わたしは、東から猛禽を、
  遠い地から、
  わたしのはかりごとを行なう者を呼ぶ。
  わたしが語ると、すぐそれを行ない、
  わたしが計ると、すぐそれをする。

  わたしに聞け。
  強情な者、正義から遠ざかっている者たちよ。
  わたしは、わたしの勝利を近づける。
  それは遠くはない。
  わたしの救いは遅れることがない。
  わたしはシオンに救いを与え、
  イスラエルにわたしの光栄を与える。」

2014年4月27日
「平安があるように」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書  20章19節―29節  

 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人に罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
 十二弟子のひとりでデドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

2014年4月20日
「イエス様はよみがえった!」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書  20章1節―18節  

 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もう一人の弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。
 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
 そして、体をかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中にはいらなかった。
 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓にはいり、亜麻布が置いてあって、
 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
 そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた。
 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。
 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。
 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとっているのが見えた。
 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、へブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。
 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」
 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました。」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。

2014年4月13日
「それでもなお」  波多康牧師

 ローマ人への手紙  5章6節―8節  

 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

2014年4月6日
「許しと愛を終わりまで」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書  19章17節―27節  

 彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(へブル語でゴルゴダと言われる)に出て行かれた。
 彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真中にしてであった。
 ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには、「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書いてあった。
 それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはへブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった。
 そこで、ユダヤ人の祭司たちがピラトに、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください。」と言った。
 ピラトは答えた。「私の書いたことは私が書いたのです。」
 さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫目なしのものであった。
 そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた。」という聖書が成就するためであった。
 兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。
 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

2014年3月30日
「次世代ミニストリーの重要性」  西村希望牧師

 箴言  22章6節  

 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。
 そうすれば、年老いても、それから離れない。

 マルコの福音書  10章13節―16節 

 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに連れて来させなさい。止めてはいけません。神の国はこのような者たちのものです。
 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることができません。」
 そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

2014年3月23日
「架け橋として歩む」  永井敏夫牧師

 歴代誌Ⅱ  16章9節

 主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。

2014年3月16日
「湯呑みとマグカップ」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  45章8節-13節

  「天よ。上から、したたらせよ。
  雲よ。正義を降らせよ。
  地よ。開いて救いを実らせよ。
  正義も共に芽生えさせよ。
  わたしは主、わたしがこれを創造した。」

  ああ。
  陶器が陶器を作る者に抗議するように
  自分を造った者に抗議する者。
  粘土は、形造る者に、
  「何を作るのか。」とか、
  「あなたの作った物には、手がついていない。」
  などと言うであろうか。
  ああ。
  自分の父に「なぜ、子どもを生むのか。」と言い、
  母に「なぜ、産みの苦しみをするのか。」と言う者。

  イスラエルの聖なる方、これを形造った方、
  主はこう仰せられる。
  「これから起こる事を、
  わたしに尋ねようとするのか。
  わたしの子らについて、
  わたしの手で造ったものについて、
  わたしに命じるのか。
  このわたしが地を造り、
  その上に人間を創造した。
  わたしはわたしの手で天を引き延べ、
  その万象に命じた。
  わたしは勝利のうちに彼を奮い立たせ、
  彼の道をみな、平らにする。
  彼はわたしの町を建て、
  わたしの捕囚の民を解放する。
  代価を払ってでもなく、
  わいろによってでもない。」と
  万軍の主は仰せられる。

2014年3月9日
「嵐を呼ぶ男」  篠原哲二牧師

 ヨナ書  1章1節-5節

 アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。
 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」
 しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。
 そのとき、主が大風を海に吹きつけたので、海に激しい暴風が起こり、船は難破しそうになった。
 水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船底に降りて行って横になり、ぐっすり寝込んでいた。

2014年3月2日
「偶像を拝むむなしさ」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  44章9節-22節

 偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。
 だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。
 見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つが良い。彼らはおののいて共に恥を見る。
 鉄で細工する者はなたを使い、炭火の上で細工し、金槌でこれを形造り、力ある腕でそれを造る。彼も腹がすくと力がなくなり、水を飲まないと疲れてしまう。
 木で細工する者は、測りなわで測り、朱で輪郭をとり、かんなで削り、コンパスで線を引き、人の形に造り、人間の美しい姿に仕上げて、神殿に安置する。
 彼は杉の木を切り、あるいはうばめがしや樫の木を選んで、林の木の中で自分のために育てる。また、月桂樹を植えると、大雨が育てる。
 それは人間のたきぎになり、人はそのいくらかを取って暖まり、また、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、それを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。
 その半分は火に燃やし、その半分で肉を食べ、あぶり肉をあぶって満腹する。また、暖まって、『ああ、暖まった。熱くなった。』と言う。
 その残りで神を造り、自分を偶像とし、それひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから。』と言う。
 彼らは知りもせず、悟りもしない。彼らの目は固くふさがって見ることもできず、彼らの心もふさがって悟こともできない。
 彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、『私は、その半分を火に燃やし、その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。その残りで忌みきらうべき物を造り、木の切れ端の前にひれ伏すのだろうか。』とさえ言わない。
 灰にあこがれる者の心は欺かれ、惑わされて、自分を救い出すことができず、『私の右の手には偽りがないのだろうか。』とさえ言わない。
  ヤコブよ。これらのことを覚えよ。
  イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。
  わたしが、あなたを造り上げた。
  あなたは、わたし自身のしもべだ。
  イスラエルよ。
  あなたはわたしに忘れられることがない。
  わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、
  あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。
  わたしに帰れ。
  わたしは、あなたを贖ったからだ。」  

  天よ。喜び歌え。
  主がこれを成し遂げられたから。
  地のどん底よ。喜び叫べ。
  山々よ。喜びの歌声をあげよ。
  林とそのすべての木も。
  主がヤコブを贖い、
  イスラエルのうちに、
  その栄光を現わされるからだ。

2014年2月23日
「高価で尊い者として」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  43章1節-13節

  だが、今、ヤコブよ。
  あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。
  イスラエルよ。
  あなたを形造った方、主はこう仰せられる。
  「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。
  わたしはあなたの名を呼んだ。
  あなたはわたしのもの。
  あなたが水の中を過ぎるときも、
  わたしはあなたとともにおり、
  川を渡るときも、あなたは押し流されない。
  火の中を歩いても、あなたは焼かれず、
  炎はあなたに燃えつかない。
  わたしが、あなたの神、主、
  イスラエルの聖なる者、
  あなたの救い主であるからだ。
  わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、
  クシュとセバをあなたの代わりとする。
  わたしの目には、あなたは高価で尊い。
  わたしはあなたを愛している。
  だからわたしは人をあなたの代わりにし、
  国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
  恐れるな。 
  わたしがあなたとともにいるからだ。
  わたしは東から、あなたの子孫を来させ、
  西から、あなたを集める。
  わたしは、北に向かって『引き渡せ。』と言い、
  南に向かって『引き止めるな。』と言う。
  わたしの子らを遠くから来させ、
  わたしの娘らを地の果てから来させよ。
  わたしの名で呼ばれるすべての者は、
  わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、
  これを形造り、これを造った。

  目があっても盲目の民、
  耳があっても耳しいた者たちを連れ出せ。
  すべての国々をつどわせ、
  諸国の民を集めよ。
  彼らのうちのだれが、このことを告げ、
  先の事をわれわれに聞かせることができようか。
  彼らの証人を出して証言させ、
  それを聞く者に『ほんとうだ。』と言わせよ。

  あなたがたはわたしの証人、
  ―主の御告げ。―
  わたしが選んだわたしのしもべである。
  これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、
  わたしがその者であることを悟るためだ。
  わたしより先に造られた神はなく、
  わたしより後にもない。
  わたし、このわたしが、主であって、
  わたしの他に救い主はいない。
  このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。
  あなたがたのうちに、異なる神はなかった。
  だから、あなたがたはわたしの証人。
  ―主の御告げ。―私は神だ。
  これから後も私は神だ。
  わたしの手から救い出せる者はなく、
  わたしが事を行なえば、
  だれがそれをとどめることができよう。」

2014年2月16日
「しもべとなられたキリストにならって」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  42章1節-9節

  見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、
  わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。
  わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
  彼は国々に公儀をもたらす。
  彼は叫ばず、声をあげず、
  ちまたにその声を聞かせない。
  彼はいたんだ葦を折ることもなく、
  くすぶる燈心を消すこともなく、
  まことをもって公儀をもたらす。
  彼は衰えず、くじけない。
  ついには、地に公儀を打ち立てる。
  島々も、そのおしえを待ち望む。

  天を造り出し、これを引き延べ、
  地とその産物を押し広め、
  その上の民に息を与え、
  この上を歩む者に霊を授けた神なる主は
  こう仰せられる。
  「わたし、主は、
  義をもってあなたを召し、
  あなたの手を握り、
  あなたを見守り、
  あなたを民の契約とし、国々の光とする。
  こうして、盲人の目を開き、
  囚人を牢獄から、
  やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。
  わたしは主、これがわたしの名。
  わたしの栄光を他の者に、
  わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。
  先の事は、見よ、すでに起こった。
  新しい事を、わたしは告げよう。
  それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。」

2014年2月9日
「神はあなたを助ける」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  41章8節-16節

  しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。
  わたしが選んだヤコブ、
  わたしの友、アブラハムのすえよ。
  わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、
  地のはるか所からあなたを呼び出して言った。
  「あなたは、わたしのしもべ。
  わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」
  恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
  たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
  わたしはあなたを強め、あなたを助け、
  わたしの義の右の手で、あなたを守る。
  見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、
  恥を見、はずかしめを受け、
  あなたと争う者たちは、
  無いもののようになって滅びる。
  あなたと言い争いをする者を捜しても、
  あなたは見つけることはできず、
  あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。
  あなたの神、主であるわたしが、
  あなたの右の手を堅く握り、
  「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」
  と言っているのだから。
  恐れるな。虫けらのヤコブ、
  イスラエルの人々。
  わたしはあなたを助ける。
  ―主の御告げ。―
  あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。
  見よ。わたしはあなたを
  鋭い、新しいもろ刃の打穀機とする。
  あなたは、山々を踏みつけて粉々に砕く。
  丘をもみがらのようにする。
  あなたがそれをあおぐと、風が運び去り、
  暴風がそれをまき散らす。
  あなたは主によって喜び、
  イスラエルの聖なる者によって誇る。

2014年2月2日
「主の教えを喜ぶ人生」  高橋宣広牧師

 詩篇  1章1節-6節

 幸いなことよ。
 悪者のはかりごとに歩まず、
 罪人の道に立たず、
 あざける者の座に着かなかった、その人。
 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
 その人は、
 水路のそばに植わった木のようだ。
 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
 その人は、何をしても栄える。

 悪者は、それとは違い、
 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、
 罪人は、正しい者のつどいに立てない。
 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
 しかし、悪者の道は滅びうせる。

2014年1月26日
「教会はキリストのからだ」  篠原哲二牧師

 エペソ人への手紙  1章20節-23節

 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。

2014年1月19日
「鷲のように翼をかって」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  40章21節-31節

  あなたがたは知らないのか。聞かないのか。
  初めから、告げられなかったのか。
  地の基がどうして置かれたかを
  悟らなかったのか。
  主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。
  地の住民はいなごのようだ。
  主は天を薄絹のように延べ、
  これを天幕のように広げて住まわれる。
  君主たちを無に帰し、
  地のさばきつかさをむなしいものにされる。
  彼らが、やっと植えられ、やっと蒔かれ、
  やっと地に根を張ろうとするとき、
  主はそれに風を吹きつけ、彼らは枯れる。
  暴風がそれを藁のように散らす。
  「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、
  だれと比べようとするのか。」と
  聖なる方は仰せられる。
  目を高く上げて、
  だれがこれらを創造したかを見よ。
  この方は、その万象を数えて呼び出し、
  一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。
  この方は精力に満ち、その力は強い。
  一つももれるものはない。

  ヤコブよ。なぜ言うのか。
  イスラエルよ。なぜ言い張るのか。
  「私の道は主に隠れ、
  私の正しい訴えは、
  私の神に見過ごしにされている。」と、
  あなたは知らないのか。聞いていないのか。
  主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
  疲れることなく、たゆむことなく、
  その英知は測り知れない。
  疲れた者には力を与え、
  精力のない者には活気をつける。
  若者も疲れ、たゆみ、
  若い男もつまづき倒れる。
  しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
  鷲のように翼をかって上ることができる。
  走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

2014年1月12日
「誤った快気祝い」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  39章1節-8節

 そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは、使者を遣わし、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。彼が病気だったが、元気になった、ということを聞いたからである。
 ヒゼキヤはそれらを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、いっさいの武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。
 そこで預言者イザヤが、ヒゼキヤ王のところに来て、彼に尋ねた。「あの人々は何を言いましたか。どこから来たのですか。」ヒゼキヤは答えた。「遠い国、バビロンから、私のところに来たのです。」
 イザヤはまた言った。「彼らは、あなたの家で何を見たのですか。」ヒゼキヤは答えた。「私の家の中のすべての物を見ました。私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は一つもありません。」
 すると、イザヤはヒゼキヤに言った。「万軍の主のことばを聞きなさい。
 見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。
 また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕えられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。」
 ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全だろう、と思ったからである。

2014年1月5日
「あなただけが私の主」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  37章14節-20節

 ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取り、それを読み、主の宮に上って行って、それを主の前に広げた。
 ヒゼキヤは主に祈って言った。
 「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。
 主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばをみな聞いてください。
 主よ。アッシリヤの王たちが、すべての国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。
 彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。
 私たちの神、主よ。今、私たいを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう。」

2014年1月1日
「苦しみから平和へ」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  38章9節-20節

 ユダの王ヒゼキヤが、病気になって、その病気から回復したときにしるしたもの。
  私は言った。
  私は生涯の半ばで、よみの門にはいる。
  私は、私の残りの年を失ってしまった。
  私は言った。
  私は主を見ない。生ける者の地で主を見ない。
  死人の国の住人とともに、
  再び人を見ることがない。
  私の住みかは牧者の天幕のように引き抜かれ、
  私から取り去られた。
  私は、私のいのちを機織りのように巻いた。
  主は私を、機から断ち切る。
  あなたは昼も夜も、
  私を全く捨てておかれます。
  私は朝まで叫びました。
  主は、雄獅子のように
  私のすべての骨を砕かれます。
  あなたは昼も夜も、
  私を全く捨てておかれます。
  つばめや、つるのように、私は泣き、
  鳩のように、うめきました。
  私の目は、上を仰いで衰えました。
  主よ。私はしいたげられています。
  私の保証人となってください。
  何を私は語れましょう。
  主が私に語り、
  主みずから行なわれたのに。
  私は私のすべての年月、
  私のたましいの苦しみのために、
  静かに歩みます。
  主よ。これらによって、人は生きるのです。
  私の息のいのちも、
  すべてこれらに従っています。
  どうか、私を健やかにし、
  私を生かしてください。
  ああ、私の苦しんだ苦しみは
  平安のためでした。
  あなたは、滅びの穴から、
  私のたましいを引き戻されました。 
  あなたは私のすべての罪を、
  あなたのうしろに投げやられました。
  よみはあなたをほめたたえず、
  死はあなたを賛美せず、
  穴に下る者たちは、
  あなたのまことを待ち望みません。
  生きている者、ただ生きている者だけが
  今日の私のように、
  あなたをほめたたえるのです。
  父は子らにあなたのまことについて知らせます。
  主は、私を救ってくださる。
  私たちの生きている日々の間、
  主の宮で琴をかなでよう。

2013年12月29日
「置かれたところで輝く」  篠原哲二牧師

使徒の働き  28章23節-31節

 そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。
 ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。
 こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの先祖に語られたことは、まさにそのとおりでした。
  『この民のところに行って、告げよ。
  あなたがたは確かに聞きはするが、
  決して悟らない。
  確かに見てはいるが、決してわからない。
  この民の心は鈍くなり、
  その耳は遠く、
  その目はつぶっているからである。
  それは、彼らがその目で見、
  その耳で聞き、
  その心で悟って、立ち返り、
  わたしにいやされることのないためである。』
 ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」
 こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、
 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

2013年12月22日
「神だけを信じて‐命がけの出産‐」  高橋宣広牧師

ルカの福音書  2章1節-7節

 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

2013年12月15日
「信じ切ることの幸せ」  高橋宣広牧師

ルカの福音書  1章39節-56節

 そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。
 そしてザカリヤの家に行って、エリザベツにあいさつした。
 エリザベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリザベツは聖霊に満たされた。
 そして大声をあげて言った。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
 私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。
 ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳にはいったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。
 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
 マリヤは言った。
  「わがたましいは主をあがめ、
  わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
  主はこの卑しいはしために
  目を留めてくださったからです。
  ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
  私をしあわせ者と思うでしょう。
  力ある方が、
  私に大きなことをしてくださいました。
  その御名は聖く、
  そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、
  代々にわたって及びます。
  主は、御腕をもって力強いわざをなし、
  心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
  権力ある者を王位から引き降ろされます。
  低い者を高く引き上げ、
  飢えた者を良いもので満ち足らせ、
  富む者を何も持たせないで追い返されました。
  主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
  そのしもべイスラエルをお助けになりました。
  私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に
  語られたとおりです。」
 マリヤは三か月ほどエリザベツと暮らして、家に帰った。

2013年12月8日
「信じちゃって良いんですか?」  高橋宣広牧師

ルカの福音書  1章26節-38節

 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
 御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
 ご覧なさい。あなたの親類のエリザベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
 神にとって不可能なことは一つもありません。」
 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

2013年12月1日
「主を信じる訓練」  高橋宣広牧師

ルカの福音書  1章5節-25節

 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリザベツといった。
 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。
 エリザベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。
 さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、
 祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたくことになった。
 彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていた。
 ところが、主の使いが彼に現われて、香壇の右に立った。
 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、
 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリザベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、
 そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。
 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち返らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」
 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」
 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。
 ですから、見なさい。これらのことが起こる日まで、あなたは、おしになって、ものが言えなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」
 人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので、不思議に思った。
 やがて彼は出て来たが、人々に話をすることができなかった。それで、彼は神殿で幻を見たのだとわかった。ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、おしのままであった。
 やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った。
 その後、妻エリザベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った。
 「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」

2013年11月24日
「黙って神を待ち望む」  高橋宣広牧師

イザヤ書  36章1節-22節

 ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリヤの王セナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々を攻めて、これを取った。
 アッシリヤの王は、ラブ・シャケに大軍をつけて、ラキシュからエルサレムに、ヒゼキヤ王のところへ送った。ラブ・シャケは布さらしの野への大路にある上の池の水道のそばに立った。
 そこで、ヒルキヤの子である宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、および、アサフの子である参議ヨアフが、彼のもとに出て行った。
 ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリヤの王がこう言っておられる。 いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。
 口先だけのことばが、戦略であり戦力だと思い込んでいるのか。今、おまえはだれに拠り頼んで私に反逆するのか。
 おまえは、あのいたんだ葦の杖、エジプトに拠り頼んでいるが、これは、それに寄りかかる者の手を刺し通すだけだ。エジプトの王、パロは、すべて彼に拠り頼む者たちにそうするのだ。
 おまえは私に『われわれは、われわれの神、主に拠り頼む。』と言う。その主とは、ヒゼキヤが高き所と祭壇を取り除いておいて、ユダとエルサレムに向かい『この祭壇の前で拝め。』と言ったそういう主ではないか、と。
 さあ、今、私の主君、アッシリヤの王と、かけをしないか。もしおまえのほうで乗り手をそろえることができれば、私はおまえに二千頭の馬を与えよう。
 おまえは戦車と騎兵のことでエジプトに拠り頼んでいるが、私の主君の最も小さい家来のひとりの総督をさえ撃退することはできないのだ。
 今、私がこの国を滅ぼすために上って来たのは、主をさしおいてのことであろうか。主が私に『この国に攻め上って、これを滅ぼせ。』と言われたのだ。」
 エルヤキムとシェブナとヨアフとは、ラブ・シャケに言った。「どうかしもべたちには、アラム語で話してください。われわれはアラム語がわかりますから。城壁の上にいる民の聞いている所では、われわれにユダのことばで話さないでください。」
 すると、ラブ・シャケは言った。「私の主君がこれらのことを告げに私を遣わされたのは、おまえの主君や、おまえのためだろうか。むしろ、城壁の上にすわっている者たちのためではないか。彼らはおまえたちといっしょに、自分の糞を食らい、自分の尿を飲むようになるのだ。」
 こうして、ラブ・シャケはつっ立って、ユダのことばで大声に呼ばわって、言った。「大王、アッシリヤの王のことばを聞け。
 王はこう言われる。ヒゼキヤにごまかされるな。あれはおまえたちを救い出すことはできない。
 ヒゼキヤが、主は必ずわれわれを救い出してくださる、この町は決してアッシリヤの王の手に渡されることはない、と言って、おまえたちに主を信頼させようとするが、そうはさせない。
 ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリヤの王はこう言っておられるからだ。私と和を結び、私に降参せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、また、自分の井戸の水を飲めるのだ。
 その後、私が来て、おまえたちの国と同じような国におまえたちを連れて行こう。そこは穀物とぶどう酒の地、パンとぶどう畑の地である。
 おまえたちは、ヒゼキヤが、主がわれわれを救い出してくださると言っているのに、そそのかされないようにせよ。国々の神々が、だれか、自分の国をアッシリヤの王の手から救い出しただろうか。
 ハマテやアルパデの神々は今、どこにいるのか。セファルワイムの神々はどこにいるのか。彼らはサマリヤを私の手から救い出したか。
 これらの国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。主がエルサレムを私の手から救い出すとでも言うのか。」
 しかし人々は黙っており、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな。」というのが、王の命令だったからである。
 ヒルキヤの子である宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である参議ヨアフは、自分たちの衣を裂いてヒゼキヤのもとに行き、ラブ・シャケのことばを告げた。

2013年11月17日
「神はあなたを救われる」  高橋宣広牧師

イザヤ書  35章1節-10節

  荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、
  サフランのように花を咲かせる。
  盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。
  レバノンの栄光と、
  カルメルやシャロンの威光をこれに賜わるので、
  彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。

  弱った手を強め、
  よろめくひざをしっかりさせよ。
  心騒ぐ者たちに言え。
  「強くあれ。恐れるな。
  見よ、あなたがたの神を。
  復讐が、神の報いが来る。
  神は来て、あなたがたを救われる。」
  そのとき、盲人の目は開かれ、
  耳しいた者の耳はあけられる。
  そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、
  おしの舌は喜び歌う。
  荒野に水がわき出し、
  荒地に川が流れるからだ。
  焼けた地は沢となり
  潤いのない地は水のわく所となり、
  ジャッカルの伏したねぐらは、
  葦やパピルスの茂みとなる。
  そこに大路があり、
  その道は聖なる道と呼ばれる。
  汚れた者はそこを通れない。
  これは、贖われた者たちのもの。
  旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない。
  そこには獅子もおらず、
  猛獣もそこに上って来ず、
  そこで出会うこともない。
  ただ、贖われた者たちがそこを歩む。
  主に贖われた者たちは帰って来る。
  彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、
  その頭にはとこしえの喜びをいただく。
  楽しみと喜びがついて来、
  嘆きと悲しみとは逃げ去る。

2013年11月10日
「失われない言葉」  高橋宣広牧師

イザヤ書  34章5節-17節

  天ではわたしの剣に血がしみ込んでいる。
  見よ。これがエドムの上に下り、
  わたしが聖絶すると定めた民の上に下るからだ。
  主の剣は血で満ち、脂肪で肥えている。
  子羊ややぎの血と、
  雄羊の腎臓の脂肪で肥えている。
  主がボツラでいけにえをほふり、
  エドムの地で大虐殺をされるからだ。
  野牛は彼らとともに、雄牛は荒馬とともに倒れる。
  彼らの地には血がしみ込み、
  その土は脂肪で肥える。
  それは主の復讐の日であり、
  シオンの訴えのために仇を返す年である。

  エドムの川はピッチに、
  その土は硫黄に変わり、
  その地は燃えるピッチになる。
  それは夜も昼も消えず、
  いつまでもその煙は立ち上る。
  そこは代々にわたって、廃墟となり、
  だれも、もうそこを通る者はない。
  ペリカンと針ねずみがそこをわがものとし、
  みみずくと烏がそこに住む。
  主はその上に虚空の測りなわを張り、
  虚無のおもりを下げられる。
  そのおもだった人たちのうち、
  王権を宣言する者が、だれもそこにはいない。
  すべての首長たちもいなくなる。
  そこの宮殿にはいばらが生え、
  要塞にはいらくさやあざみが生え、
  ジャッカルの住みか、だちょうの住む所となる。
  荒野の獣は山犬に会い、
  野やぎはその友を呼ぶ。
  そこにはこうもりもいこい、
  自分の住み場を見つける。
  蛇もそこに巣を作って卵を産み、
  それをかえして、自分の陰に集める。
  とびもそれぞれ自分の連れ合いとそこに集まる。

  主の書物を調べて読め。
  これらのもののうちどれも失われていない。
  それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。
  それは、主の口がこれを命じ、
  主の御霊が、これらを集めたからである。
  主はこれらのもののために
  受ける割り当てをくじで定め、
  御手が測りなわで測ってこれを分け与えたので、
  とこしえまでも彼らはこれを所有し、
  代々にわたって、ここに住む。

2013年11月3日
「私たちの希望」  高橋宣広牧師

イザヤ書  33章10節-24節

  「今、わたしは立ち上がる。」と主は仰せられる。
  「今、わたしは自分を高め、
  今、あがめられるようにしよう。
  あなたがたは枯れ草をはらみ、わらを産む。
  あなたがたの息は、あなたがたを食い尽くす火だ。
  国々の民は焼かれて石灰となり、
  刈り取られて火をつけられるいばらとなる。

  遠くの者よ。わたしのしたことを聞け。
  近くの者よ。わたしの力を知れ。」
  罪人たちはシオンでわななき、
  神を敬わない者は恐怖に取りつかれる。
  「私たちのうち、
  だれが焼き尽くす火に耐えられよう。
  私たちのうち、
  だれがとこしえに燃える炉に耐えられよう。」
  正義を行う者、まっすぐに語る者、
  強奪による利得を退ける者、
  手を振ってわいろを取らない者、
  耳を閉じて血なまぐさいことを聞かない者、
  目を閉じて悪いことを見ない者、
  このような人は、高い所に住み、
  そのとりでは岩の上の要害である。
  彼のパンは与えられ、その水は確保される。

  あなたの目は、麗しい王を見、
  遠く広がった国を見る。
  あなたの心は、恐ろしかった事どもを思い起こす。
  「数えた者はどこへ行ったのか。
  測った者はどこへ行ったのか。
  やぐらを数えた者はどこへ行ったのか。」
  あなたは、もう横柄な民を見ない。
  この民のことばはわかりにくく、
  その舌はどもって、わけがわからない。

  私たちの祝祭の都、シオンを見よ。
  あなたの目は、安らかな住まい、
  取り払われることのない天幕、エルサレムを見る。
  その鉄のくいはとこしえに抜かれず、
  その綱は一つも切られない。
  しかも、そこには威厳のある主が
  私たちとともにおられる。
  そこには多くの川があり、広々とした川がある。
  櫓をこぐ船もそこを通わず、
  大船もそこを通らない。
  まことに、主は私たちをさばく方、
  主は私たちの立法者、
  主は私たちの王、
  この方が私たちを救われる。
  あなたの帆の綱は解け、
  帆柱の基は、結びつけることができず、
  帆は、張ることもできない。
  そのとき、おびただしい分捕り物や獲物は
  分け取られ、
  足なえさえも獲物をかすめ奪う。
  そこに住む者は、だれも、
  「私は病気だ。」とは言わず、
  そこに住む民の罪は赦される。

2013年10月27日
「明らかにされるために」  篠原哲二牧師

マルコの福音書  4章21節-25節

 また言われた。「あかりを持って来るのは、枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。
 隠れているのは、必ず現われるためであり、おおい隠されているのは、明らかにされるためです。
 聞く耳のある者は聞きなさい。」
 また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。
 持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます。」

2013年10月20日
「神の霊が注がれる」  高橋宣広牧師

イザヤ書  32章1節-8節 15節-20節

  見よ。ひとりの王が正義によって治め、
  首長たちは公義によってつかさどる。
  彼らはみな、風を避ける避け所、
  あらしを避ける隠れ場のようになり、
  砂漠にある水の流れ、
  かわききった地にある
  大きな岩の陰のようになる。
  見る者は目を堅く閉ざさず、
  聞く者は耳を傾ける。
  気短な者の心も知識を悟り、
  どもりの舌も、
  はっきりと早口で語ることができる。
  もはや、しれ者が
  高貴な人と呼ばれることがなく、
  ならず者が上流の人と言われることもない。

  なぜなら、しれ者は恥ずべきことを語り、
  その心は不法をたくらんで、神を敬わず、
  主に向かって迷いごとを語り、
  飢えている者を飢えさせ、
  渇いている者に飲み物を飲ませないからだ。
  ならず者、そのやり方は悪い。
  彼はみだらなことをたくらみ、
  貧しい者が正しいことを申し立てても、
  偽りを語って身分の低い者を滅ぼす。
  しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、
  高貴なことを、いつもする。


  しかし、ついには、
  上から霊が私たちに注がれ、
  荒野が果樹園となり、
  果樹園が森とみなされるようになる。
  公正は荒野に宿り、義は果樹園に住む。
  義は平和をつくり出し、
  義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。
  わたしの民は、平和に住まい、
  安全な家、安らかないこいの場に住む。
  ―雹が降ってあの森を倒し、
  あの町は全く卑しめられる。―
  ああ、幸いなことよ。
  すべての水のほとりに種を蒔き、
  牛とろばとを放し飼いするあなたがたは。

2013年10月13日
「聖なる方に目を向ける」  高橋宣広牧師

イザヤ書  31章1節-9節

  ああ。
  助けを求めてエジプトに下る者たち。
  彼らは馬にたより、
  多数の戦車と、非常に強い騎兵隊とに拠り頼み、
  イスラエルの聖なる方に目を向けず、
  主を求めない。
  しかし主は、知恵ある方、
  わざわいをもたらし、
  みことばを取り消さない。
  主は、悪を行う者の家と、
  不法を行う者を助ける者とを攻めたてられる。
  エジプト人は人間であって神ではなく、
  彼らの馬も、肉であって霊ではない。
  主が御手を伸ばすと、
  助ける者はつまづき、助けられる者は倒れて、
  みな共に滅び果てる。
  まことに主は、私にこう仰せられる。
  「獅子、あるいは若獅子が
  獲物に向かってほえるとき、
  牧者がみなそのところに集められても、
  それは、彼らの声に脅かされず、
  彼らの騒ぎにも動じない。
  そのように、万軍の主は下って来て、
  シオンの山とその丘を攻める。
  万軍の主は飛びかける鳥のように、
  エルサレムを守り、
  これを守って救いだし、これを助けて解放する。」

 イスラエルの子らよ。あなたがたが反逆を深めているその方のもとに帰れ。
 その日、イスラエルの子らは、おのおの自分のために自分の手で造って罪を犯した銀の偽りの神々や金の偽りの神々を退けるからだ。
  アッシリヤは人間のものでない剣に倒れ、
  人間のものでない剣が彼らを食い尽くす。
  アッシリヤは剣の前から逃げ、
  若い男たちは苦役につく。
  岩も恐れのために過ぎ去り、
  首長たちも旗を捨てておののき逃げる。
  ―シオンに火を持ち、
  エルサレムにかまどを持つ主の御告げ。―

2013年10月6日
「憐れもうと立ち上がる神」  高橋宣広牧師

イザヤ書  30章15節-26節

  神である主、イスラエルの聖なる方は、
  こう仰せられる。
  「立ち返って静かにすれば、
  あなたがたは救われ、
  落ち着いて、信頼すれば、
  あなたがたは力を得る。」
  しかし、あなたがたは、これを望まなかった。
  あなたがたは言った。
  「いや、私たちは馬に乗って逃げよう。」
  それなら、あなたがたは逃げてみよ。
  「私たちは早馬に乗って。」
  それなら、あなたがたの追っ手はなお速い。
  ひとりのおどしによって千人が逃げ、
  五人のおどしによってあなたがたが逃げ、
  ついに、山の頂の旗ざお、
  丘の上の旗ぐらいしか残るまい。

  それゆえ、主は
  あなたがたに恵もうと待っておられ、
  あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。
  主は正義の神であるからだ。
  幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。
 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。
 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜わっても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。
 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。
 あなたは、銀をかぶせた刻んだ像と、金をかぶせた鋳物の像を汚し、汚れた物としてそれをまき散らし、これに「出て行け。」と言うであろう。
 主は、あなたが畑に蒔く種に雨を降らせ、その土地の産する食物は豊かで滋養がある。その日、あなたの家畜の群れは、広々とした牧場で草をはみ、
 畑を耕す牛やろばは、シャベルや熊手でふるい分けられた味の良いまぐさを食べる。
 大いなる虐殺の日、やぐらの倒れる日に、すべての高い山、すべてのそびえる丘の上にも、水の流れる運河ができる。
 主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日に、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍になって、七つの日の光のようになる。

2013年9月29日
「我れに泣くペテロ」  小宮ひとみ牧師

ヨハネの福音書  18章25節-27節

 一方、シモン・ペテロは立って、暖まっていた。すると、人々は彼に言った。「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね。」ペテロは否定して、「そんな者ではない。」と言った。
 大祭司のしもべのひとりで、ペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者が言った。「私が見なかったとでもいうのですか。あなたは園であの人といっしょにいました。」
 それで、ペテロはもう一度否定した。するとすぐ鶏が鳴いた。

2013年9月22日
「神を恐れる者の喜び」  高橋宣広牧師

イザヤ書  29章13節-24節

  そこで主は仰せられた。
  「この民は口先で近づき、
  くちびるでわたしをあがめるが、
  その心はわたしから遠く離れている。
  彼らがわたしを恐れるのは、
  人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。
  それゆえ、見よ、
  わたしはこの民に再び不思議なこと、
  驚き怪しむべきことをする。
  この民の知恵ある者の知恵は滅び、
  悟りある者の悟りは隠される。」

  ああ。
  主に自分のはかりごとを深く隠す者たち。
  彼らはやみの中で事を行ない、
  そして言う。「だれが、私たちを見ていよう。
  だれが、私たちを知っていよう。」と。
  ああ、あなたがたは、物をさかさに考えている。
  陶器師を粘土と同じにみなしてよかろうか。
  造られた者が、それを造った者に、
  「彼は私を造らなかった。」と言い、
  陶器が陶器師に、
  「彼はわからずやだ。」と言えようか。
  もうしばらくすれば、確かに、
  レバノンは果樹園に変わり、
  果樹園は森とみなされるようになる。
  その日、耳しいた者が書物のことばを聞き、
  盲人の目が暗黒とやみの中から物を見る。
  へりくだる者は主によっていよいよ喜び、
  貧しい人はイスラエルの聖なる方によって
  楽しむ。
  横暴な者はいなくなり、
  あざける者は滅びてしまい、
  悪をしようとうかがう者はみな、
  断ち滅ぼされるからだ。
  彼らは、うわさ話で他人を罪に陥れ、
  城門でさばきをする者のあげあしを取り、
  正しい人を、むなしい理由でくつがえす。

  それゆえ、アブラハムを贖われた主は、
  ヤコブの家について、こう仰せられる。
  「今からは、ヤコブは恥を見ることがない。
  今からは、顔色を失うことがない。
  彼が自分の子らを見、
  自分たちに中で、わたしの手のわざを見るとき、
  彼らはわたしの名を聖とし、
  ヤコブの聖なる方を聖とし、
  イスラエルの神を恐れるからだ。
  心の迷っている者は悟りを得、
  つぶやく者もおしえを学ぶ。」

2013年9月15日
「岩なるキリスト」  高橋宣広牧師

イザヤ書  28章11節-19節

  まことに主は、もつれた舌で、
  外国のことばで、この民に語られる。
  主は、彼らに「ここにいこいがある。
  疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある。」
  と仰せられたのに、
  彼らは聞こうとはしなかった。
  主は彼らに告げられる。
  「戒めに戒め、戒めに戒め、
  規則に規則、規則に規則、
  ここに少し、あそこに少し。」
  これは、彼らが歩くとき、うしろざまに倒れ、
  手足を折られ、わなにかかって
  捕えられるためである。

  それゆえ、あざける者たち―
  エルサレムにいてこの民を
  物笑いの種にする者たちよ。
  主のことばを聞け。
  あなたがたは、こう言ったからだ。
  「私たちは死と契約を結び、
  よみと同盟を結んでいる。
  たとい、にわか水があふれ、越えて来ても、
  それは私たちには届かない。
  私たちは、まやかし避け所とし、
  偽りに実を隠してきたのだから。」

  だから、神である主は、こう仰せられる。
  「見よ。わたしはシオンに
  一つの石を礎として据える。
  これは、試みを経た石、
  堅く据えられた礎の、尊いかしら石。
  これを信じる者は、あわてることがない。
  わたしは公正を、測りなわとし、
  正義を、おもりとする。
  雹は、まやかしの避け所を一掃し、
  水は隠れ家を押し流す。
  あなたがたの死との契約は解消され、
  よみとの同盟は成り立たない。
  にわか水があふれ、越えて来ると、
  あなたがたはそれに踏みにじられる。
  それは、押し寄せるたびに、あなたがたを捕える。
  それは朝ごとに押し寄せる。昼も夜も。
  この啓示を悟らせることは全く恐ろしい。」

2013年9月8日
「回復の希望」  高橋宣広牧師

イザヤ書  27章1節-13節

  その日、主は、鋭い大きな強い剣で、
  逃げ惑う蛇レビヤタン、
  曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、
  海にいる竜を殺される。

  その日、
  麗しいぶどう畑、これについて歌え。
  わたし、主は、それを見守り者。
  絶えずこれに水を注ぎ、
  だれも、それをそこなわないように、
  夜も昼もこれを見守っている。
  わたしはもう怒らない。
  もしも、いばらとおどろが、わたしと戦えば、
  わたしはそれを踏みつぶし、
  それをみな焼き払う。
  しかし、もし、わたしのとりでにたよりたければ、
  わたしと和を結ぶがよい。
  和をわたしと結ぶがよい。
  時が来れば、ヤコブは根を張り、
  イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、
  世界の面に実を満たす。

  主は、イスラエルを打った者を打つように、
  イスラエルを打たれただろうか。
  あるいは、イスラエルを殺した者を殺すように、
  イスラエルを殺されただろうか。
  あなたは彼らを追い立て、追い出し、彼らと争い、
  東風の日、激しい風で彼らを追放された。
  それゆえ、
  次のことによってヤコブの不義は赦される。
  祭壇のすべての石を
  粉々にされた石灰のようにし、
  アシェラ像と香の台をもう立てなくすること、
  これが、自分の罪を除いて得られる報酬の
  すべてだ。
  城壁のある町は、ひとり寂しく、
  ほうっておかれる牧場のようになり、
  荒野のように見捨てられる。
  子牛はそこで草をはみ、
  そこに伏して、木の枝を食い尽くす。
  その大枝が枯れると、それは折られ、
  女たちが来てこれを燃やす。
  これは悟りのない民だからだ。
  それゆえ、これを造った方は、これをあわれまず、
  これを形造った方は、これに恵みを与えない。

  その日、
  主はユーフラテス川からエジプト川までの
  穀物の穂を打ち落とされる。
  イスラエルの子らよ。
  あなたがたは、ひとりひとり拾い上げられる。
  その日、大きな角笛が鳴り渡り、
  アッシリヤの地に失われていた者や、
  エジプトの地に散らされていた者たちが来て、
  エルサレムの聖なる山で、主を礼拝する。

2013年9月1日
「全き平安」  高橋宣広牧師

イザヤ書  26章1節-13節

  その日、ユダの国でこの歌が歌われる。

  私たちには強い町がある。
  神はその城壁と塁で私たちを救ってくださる。
  城門をあけて、
  誠実を守る正しい民をはいらせよ。
  志の堅固な者を、
  あなたは全き平安のうちに守られます。
  その人があなたに信頼しているからです。

  いつまでも主に信頼せよ。
  ヤハ、主は、とこしえの岩だから。
  主は高い所、そびえ立つ都に住む者を引き倒し、
  これを下して地に倒し、
  これを投げつけて、ちりにされる。
  貧しい者の足、弱い者の歩みが、
  これを踏みつける。

  義人の道は平らです。
  あなたは義人の道筋をならして平らにされます。
  主よ。まことにあなたのさばきの道で、
  私たちはあなたを待ち望み、
  私たちのたましいは、
  あなたの御名、あなたの呼び名を慕います。
  私のたましいは、夜あなたを慕います。
  まことに、私の内なる霊は
  あなたを切に求めます。
  あなたのさばきが地に行われるとき、
  世界の住民は義を学んだからです。
  悪者はあわれみを示されても、義を学びません。
  正直の地で不正をし、
  主のご威光を見ようともしません。
  主よ。あなたの御手が上げられても、
  彼らは認めません。
  どうか彼らが、この民へのあなたの熱心を認めて
  恥じますように。
  まことに火が、あなたに逆らう者を
  なめ尽くしますように。
  主よ。あなたは、
  私たちのために平和を備えておられます。
  私たちのなすすべてのわざも、
  あなたが私たちのために
  してくださったのですから。
  私たちの神、主よ。
  あなた以外の多くの君主が、
  私たちを治めましたが、
  私たちは、ただあなたによってのみ、
  御名を唱えます。

2013年8月25日
「涙をぬぐってくださる神」  高橋宣広牧師

イザヤ書  25章1節-9節

  主よ。あなたは私の神。
  私はあなたをあがめ、
  あなたの御名をほめたたえます。
  あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、
  まことに、忠実に成し遂げられました。
  あなたは町を石くれの山とし、
  城壁のある都を廃墟にされたので、
  他国人の宮殿は町からうせ、
  もう、永久に建てられることはありません。
  それで、力強い民も、あなたをほめたたえ、
  横暴な国々の都も、あなたを恐れます。
  あなたは弱っている者のとりで、
  貧しい者の悩みのときのとりで、
  あらしのときの避け所、
  暑さを避ける陰となられたからです。
  横暴な者たちの息は、
  壁に吹きつけるあらしのようだからです。
  砂漠のひでりのように、
  あなたは他国人の騒ぎを押え、
  濃い雲の陰になってしずまる暑さのように、
  横暴な者たちの歌はしずめられます。

  万軍の主はこの山の上で万民のために、
  あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、
  髄の多いあぶらみと
  よくこされたぶどう酒の宴会を催される。
  この山の上で、
  万民の上をおおっている顔おおいと、
  万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、
  永久に死を滅ぼされる。
  神である主はすべての顔から涙をぬぐい、
  ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。
  主が語られたのだ。
  その日、人は言う。
  「見よ。この方こそ、
  私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。
  この方こそ、私たちが待ち望んだ主。
  その御救いを楽しみ喜ぼう。」

2013年8月18日
「本当の喜び」  高橋宣広牧師

イザヤ書  24章1節-15節

  見よ。主は地を荒れすたらせ、
  その表をくつがえして、その住民を散らされる。
  民は祭司と等しくなり、
  奴隷はその主人と、女奴隷はその女主人と、
  買い手は売り手と、
  貸す者は借りる者と、
  債権者は債務者と等しくなる。
  地は荒れに荒れ、全くかすめ奪われる。
  主がこのことばを語られたからである。
  地は嘆き悲しみ、衰える。
  世界はしおれ、衰える。
  天も地とともにしおれる。
  地はその住民によって汚された。
  彼らが律法を犯し、定めを変え、
  とこしえの契約を破ったからである。
  それゆえ、のろいは地を食い尽くし、
  その地の住民は罪ある者とされる。
  それゆえ、地の住民は減り、
  わずかな者が残される。
  新しいぶどう酒は嘆き悲しみ、
  ぶどうの木はしおれ、
  心楽しむ者はみな、ため息をつく。

  陽気なタンバリンの音は終わり、
  はしゃぐ者の騒ぎもやみ、
  陽気な立琴の音も終わる。
  歌いながらぶどう酒を飲むこともなく、
  強い酒を飲んでも、それは苦い。
  乱れた都はこわされ、 
  すべての家は閉ざされて、はいれない。
  ちまたには、ぶどう酒はなく、
  悲しみの叫び。
  すべての喜びは薄れ、
  地の楽しみは取り去られる。
  町はただ荒れ果てたままに残され、
  城門は打ち砕かれて荒れ果てる。
  それは、世界の真中で、国々の民の間で、
  オリーブの木を打つときのように、
  ぶどうの取りれが終わって、
  取り残しの実を集めるときのようになるからだ。

  彼らは、声を張り上げて喜び歌い、
  海の向こうから主の威光をたたえて叫ぶ。
  それゆえ、東の国々で主をあがめ、
  西の島々で、
  イスラエルの神、主の御名をあがめよ。

2013年8月11日
「神の前で富む」  高橋宣広牧師

イザヤ書  23章6節-18節

  海辺の住民よ。
  タルシシュへ渡り、泣きわめけ。
  これが、あなたがたのおごった町なのか。
  その起こりは古く、
  その足を遠くに運んで移住したものを。
  だれが、王冠をいただくツロに対して
  これを計ったのか。
  その商人は君主たち、
  そのあきゅうどは世界で最も尊ばれていたのに。
  万軍の主がそれを計り、
  すべての麗しい誇りを汚し、
  すべて世界で最も尊ばれている者を
  卑しめられた。

  タルシシュの娘よ。
  ナイル川のように、自分の国にあふれよ。
  だが、もうこれを制する者がいない。
  主は御手を海の上に伸ばし、
  王国をおののかせた。
  主は命令を下してカナンのとりでを滅ぼした。
  そして仰せられた。
  「もう二度とこおどりして喜ぶな。
  しいたげられたおとめ、シドンの娘よ。
  立ってキティムに渡れ。
  そこでもあなたは休めない。」
  見よ、カルデヤ人の国を。
  ―この民はもういない。
  アッシリヤ人が
  これを荒野の獣の住む所にした。―
  彼らは、やぐらを立てて、
  その宮殿をかすめ、そこを廃墟にした。
  タルシシュの船よ。泣きわめけ。
  あなたがたのとりでが荒らされたからだ。
  その日になると、ツロは、ひとりの王の年代の七十年の間忘れられる。七十年が終わって、ツロは遊女の歌のようになる。
  「立琴を取り、町を巡れ、
  忘れられた遊女よ。
  うまくひけ、もっと歌え、
  思い出してもらうために。」
  七十年がたつと、主はツロを顧みられるので、彼女は再び遊女の報酬を得、地のすべての王国と淫行を行う。
 その儲け、遊女の報酬は、主にささげられ、それはたくわえられず、積み立てられない。その儲けは、主の前に住む者たちが、飽きるほど食べ、上棟の着物を着るためのものとなるからだ。

2013年8月4日
「釘を打ち込まれた主」  高橋宣広牧師

イザヤ書  22章15節-25節

  万軍の神、主は、こう仰せられる。

  さあ、宮廷をつかさどる
  あの執事シェブナのところに行け。

  あなたは自分のために、ここに墓を掘ったが、
  ここはあなたに何のかかわりがあるのか。
  ここはあなたのだれにかかわりがあるのか。
  高い所に自分の墓を掘り、
  岩に自分の住まいを刻んで。
  ああ、ますらおよ。
  主はあなたを遠くに投げやる。
  主はあなたをわしづかみにし、
  あなたをまりのように、くるくる丸めて、
  広い広い地に投げ捨てる。
  あなたはそこで死ぬ。
  あなたの誇った車もそこで。
  主人の家の恥さらしよ。
  わたしはあなたをその職から追放し、
  あなたの地位から引き降ろす。

  その日、わたしは、
  わたしのしもべ、ヒルキヤの子エルヤキムを召し、
  あなたの長服を彼に着せ、
  あなたの飾り帯を彼に締め、
  あなたの権威を彼の手にゆだねる。
  彼はエルヤキムの住民とユダの家の父となる。
  わたしはまた、
  ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。
  彼が開くと、閉じる者はなく、
  彼が閉じると、開く者はいない。
  わたしは、彼を一つの釘として、
  確かな場所に打ち込む。
  彼はその父の家にとって栄光の座となる。
  彼の上に、父の家のすべての栄光がかけられる。
  子も孫も、
  すべての小さい器も、
  鉢の類からすべてのつぼの類に至るまで。

  その日、―万軍の主の御告げ。―
  確かな場所に打ち込まれた一つの釘は
  抜き取られ、折られて落ち、
  その上にかかっていた荷も取りこわされる。
  主が語られたのだ。

2013年7月28日
「泣く人と共に泣く」  高橋宣広牧師

イザヤ書  21章1節-10節


  海の荒野に対する宣告。
  ネゲブに吹きまくるつむじ風のように、
  それは、荒野から、
  恐ろしい地からやって来る。
  きびしい幻が、私に示された。
  裏切る者は裏切り、
  荒らす者は荒らす。
  エラムよ、上れ。メディヤよ、囲め。
  すべての嘆きを、私は終わらせる。
  それゆえ、私の腰は苦痛で満ちた。
  女の産みの苦しみのような苦しみが私を捕えた。
  私は、心乱れて聞くにたえない。
  恐ろしさのあまり、見るにたえない。
  私の心は迷い、恐怖が私を震え上がらせた。
  私が恋い慕っていたたそがれも、
  私にとっては恐れとなった。
  彼らは食卓を整え、座席を並べて、
  飲み食いしている。
  「立ち上がれ、首長たち。
  盾に油を塗れ。」

  主に私はこう仰せられた。
  「さあ、見張りを立たせ、
  見たことを告げさせよ。
  戦車や、二列に並んだ騎兵、
  ろばに乗った者や、
  らくだに乗った者を見たなら、
  よくよく注意を払わせよ。」

  すると獅子が叫んだ。
  「主よ。私は昼間はずっと物見の塔の上に立ち、
  夜はいつも私の見張り所についています。
  ああ、今、戦車や兵士、
  二列に並んだ騎兵がやって来ます。
  彼らは互いに言っています。
  『倒れた。バビロンは倒れた。
  その神々のすべての刻んだ像も
  地に打ち砕かれた』と。」

  踏みにじられた私の民、
  打ち場の私の子らよ。
  私はイスラエルの神、万軍の主から聞いた事を、
  あなたがたに告げたのだ。

2013年7月21日
「私たちの拠り所」  高橋宣広牧師

イザヤ書  20章1節-6節

 アッシリヤの王サルゴンによって派遣されたタルタンがアシュドデに来て、アシュドデを攻め、これを取った年、―
 そのとき、主はアモツの子イザヤによって、語られた。こうである。「行って、あなたの腰の荒布を解き、あなたの足のはきものを脱げ。」それで、彼はそのようにし、裸になり、はだしで歩いた。
 そのとき、主は仰せられた。「あたしのしもべイザヤが、三年間、エジプトとクシュに対するしるしとして、また前兆として、裸になり、はだしで歩いたように、
 アッシリヤの王は、エジプトのとりことクシュの捕囚の民を、若い者も年寄りも裸にし、はだしにし、尻をまくり、エジプトの隠しどころをむき出しにして連れて行く。
 人々は、クシュを頼みとし、エジプトを栄えとしていたので、おののき恥じる。
 その日、この海辺の住民は言う。『見よ。アッシリヤの王の手から救ってもらおうと、助けを求めて逃げて来た私たちの拠り所は、この始末だ。私たちはどうしてのがれることができようか。』」

2013年7月14日
「神の民・神のもの」  高橋宣広牧師

イザヤ書  19章1節-4節 19節-25節

  エジプトに対する宣告。
  見よ。主は速い雲に乗って
  エジプトに来る。
  エジプトの偽りの神々はその前にわななき、
  エジプト人の心も真底からしなえる。
  わたしは、エジプト人を駆り立てて
  エジプト人にはむかわせる。
  兄弟は兄弟と、友人は友人と、
  町は町と、王国は王国と、相逆らって争う。
  エジプトの霊はその中で衰える。
  わたしがその計画をかき乱す。
  彼らは偽りの神々や死霊、
  霊媒や口寄せに伺いを立てる。
  わたしは、エジプト人を
  きびしい主人の手に引き渡す。
  力ある王が彼らを治める。
  ―万軍の主、主の御告げ―


 その日、エジプトの国の真中に、主のために、一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには、主のために一つの石の柱が立てられ、
 それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、あかしとなる。彼らがしいたげられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。
 そのようにして主はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、いけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。
 主はエジプト人を打ち、打って彼らをいやされる。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らをいやされる。
 その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。
 その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、大地の真中で祝福を受ける。
 万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。」

2013年7月7日
「神の時を信じる」  高橋宣広牧師

イザヤ書  18章1節-7節

  ああ。
  クシュの川々のかなたにある羽こおろぎの国。
  この国は、パピルスの船を水に浮かべて、
  海路、使いを送る。
  すばやい使者よ、行け。
  背の高い、はだのなめらかな国民のところに。
  あちこちで恐れられている民のところに。
  多くの川の流れる国、
  力の強い、踏みにじる国に。
  世界のすべての住民よ。
  地に住むすべての者よ。
  山々に旗の揚がるときは見よ。
  角笛が吹き鳴らされるときは聞け。
  主が私にこう仰せられたからだ。
  「わたしは静まって、 
  わたしの所からながめよう。
  照りつける暑さで暑いころ、
  刈り入れ時の暑いときの露の濃い雲のように。」
  刈り入れ前につぼみが開き、
  花ぶさが育って酸いぶどうになるとき、
  人はその枝をかまで切り、
  そのつるを取り去り、切り除くからだ。
  それらはいっしょにして、
  山々の猛禽や野獣のために投げ捨てられ、
  猛禽はその上で夏を過ごし、
  野獣はみな、その上で冬を過ごす。
  そのとき、万軍の主のために、
  背の高い、はだのなめらかな民、
  あちこちで恐れられている民、
  多くの川の流れる国、
  力の強い、踏みにじる国から、
  万軍の主の名のある所、シオンの山に、
  贈り物が運ばれて来る。

2013年6月30日
「人を造られた神に」  高橋宣広牧師

イザヤ書  17章1節-11節

  ダマスコに対する宣告。
  見よ。ダマスコは取り去られて町でなくなり、
  廃墟となる。
  アロエルの町々は捨てられて、
  家畜の群れのものとなり、
  群れはそこに伏すが、
  それを脅かす者もいなくなる。
  エフライムは要塞を失い、
  ダマスコは王国を失う。
  アラムの残りの者は、
  イスラエル人の栄光のように扱われる。
  ―万軍の主の御告げ―

  その日、ヤコブの栄光は衰え、
  その肉の脂肪はやせ細る。
  刈り入れ人が立穂を集め、
  その腕が穂を借り入れるときのように、
  レファイムの谷で落穂を拾うときのようになる。
  オリーブを打ち落とすときのように、
  取り残された実がその中に残される。
  二つ三つのうれた実がこずえに、
  四つ五つが実りのある枝に残される。
  ―イスラエルの神、主の御告げ―

 その日、人は自分を造られた方に目を向け、その目はイスラエルの聖なる方を見、
 自分の手で造った祭壇に目を向けず、自分の指で造ったもの、アシェラ像や香の台を見もしない。
 その日、その堅固な町々は、森の中の見捨てられた所のようになり、かつてイスラエル人によって捨てられた山の頂のようになり、そこは荒れ果てた地となる。
  あなたが救いの神を忘れて
  あなたの力の岩を覚えていなかったからだ。
  それで、あなたは好ましい植木を植え、
  他国のぶどうのつるをさす。
  あなたが植えたものを育てるときに、
  朝、あなたの種を花咲かせても、
  病といやしがたい痛みの日に、
  その刈り入れは逃げうせる。

2013年6月23日
「種をまく人のたとえ」  篠原哲二師

マルコの福音書  4章1節-9節

 イエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい数の群衆がみもとに集まった。それでイエスは湖の上の舟に乗り、そこに腰をおろされ、群衆はみな岸べの陸地にいた。
 イエスはたとえによって多くことを教えられた。その教えの中でこう言われた。
 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
 蒔いているとき、種が道端ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。
 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
 しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。
 また、別の種が良い地に落ちた。すると、芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」
 そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」

2013年6月16日
「私のために泣いてくださる神」  高橋宣広牧師

イザヤ書  16章6節-11節

  われわれはモアブの高ぶりを聞いた。
  彼は実に高慢だ。
  その誇りと高ぶりとおごり、
  その自慢話は正しくない。
  それゆえ、モアブは、
  モアブ自身のために泣きわめく。
  みなが泣きわめく。
  あなたがたは打ちのめされて、
  キル・ハレセテの干しぶどうの菓子のために嘆く。
  ヘシュボンの畑も、シブマのぶどうの木も、
  しおれてしまった。
  国々の支配者たちがそのふさを打ったからだ。
  それらはヤゼルまで届き、荒野をさまよい、
  そのつるは伸びて海を越えた。
  それゆえ、わたしはヤゼルのために、
  シブマのぶどうの木のために、涙を流して泣く。
  ヘシュボンとエルアレ。
  わたしはわたしの涙であなたを潤す。
  あなたの夏のくだものと刈り入れとを喜ぶ声が
  やんでしまったからだ。
  喜びと楽しみは果樹園から取り去られ、
  ぶどう畑の中では、喜び歌うこともなく、
  大声で叫ぶこともない。
  酒ぶねで酒を踏む者も、もう踏まない。
  わたしが喜びの声をやめさせたのだ。
  それゆえ、わたしのはらわたはモアブのために、
  わたしの内蔵はキル・へレスのために
  立琴のようにわななく。

2013年6月9日
「キリストこそ私たちの平和」  高橋宣広牧師

エペソ人への手紙  2章11節-19節

 ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、
 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。
 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。
 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。

2013年6月2日
「痛みを感じられる神」  高橋宣広牧師

イザヤ書  15章1節-9節

  モアブに対する宣告。
  ああ、一夜のうちに
  アルは荒らされ、
  モアブは滅びうせた。
  ああ、一夜のうちに
  キル・モアブは荒らされ、滅びうせた。
  モアブは宮に、
  ディボンは高き所に、泣くために上る。
  ネボとメデバのことで、モアブは泣きわめく。
  頭をみなそり落とし、ひげもみな切り取って。
  そのちまたでは、荒布を腰にまとい、
  その屋上や広場では、
  みな涙を流して泣きわめく。
  ヘシュボンとエルアレは叫び、
  その叫び声がヤハツまで聞こえる。
  それで、モアブの武装した者たちはわめく。
  そのたましいはわななく。

  わたしの心はモアブのために叫ぶ。 
  その逃げ延びる者はツォアルまで、
  エグラテ・シェリシヤまでのがれる。
  ああ、彼らはルヒテの坂を泣きながら上り、
  ホロナイムの道で、破滅の叫びをあげる。
  ああ、ニムリムの水は荒廃した地となり、
  草は枯れ、若草も尽き果て、緑もなくなった。

  それゆえ彼らは、
  残していた物や、たくわえていた物を、
  アラビム川を越えて運んで行く。
  ああ、叫び声がモアブの領土に響き渡り、
  その泣き声がエグライムまで、
  その泣き声がベエル・エリムまで届いた。
  ああ、ディモンの水は血で満ちた。
  わたしはさらにディモンにわざわいを増し加え、
  モアブののがれた者と、
  その土地の残りの者とに獅子を向けよう。

2013年5月26日
「苦しみからの解放」  高橋宣広牧師

イザヤ書  14章1節-15節

 まことに、主はヤコブをあわれみ、再びイスラエルを選び、彼らを自分たちの土地にいこわせる。在留異国人も彼らに連なり、ヤコブの家に加わる。
 国々の民は彼らを迎え、彼らの所に導き入れる。イスラエルの家は主の土地でこの異国人を奴隷、女奴隷として所有し、自分たちをとりこにした者をとりこにし、自分たちをしいたげた者を支配するようになる。
 主が、あなたの痛み、あなたへの激しい怒りを除き、あなたに負わせた過酷な労役を解いてあなたをいこわせる日に、
 あなたは、バビロンの王について、このようなあざけりの歌を歌って言う。
  「しいたげる者はどのようにして果てたのか。
  横暴はどのようにして終わったのか。
  主が悪者の杖と、支配者の笏とを折られたのだ。  
  彼は憤って、国々の民を打ち、絶え間なく打ち、
  怒って、国々を容赦なくしいたげて
  支配したのだが。
  全地は安らかにいこい、
  喜びの歌声をあげている。
  もみの木も、レバノンの杉も、
  あなたのことを喜んで、言う。
  『あなたが倒れ伏したので、
  もう、私たちを切る者は上って来ない。』

  下界のよみは、
  あなたの来るのを迎えようとざわめき、
  死者の霊たち、
  地のすべての指導者たちを
  揺り起こし、
  国々のすべての王を、
  その王座から立ち上がらせる。
  彼らはみな、あなたに告げて言う。
  『あなたもまた、私たちのように弱くされ、
  私たちに似た者になってしまった。』
  あなたの誇り、あなたの琴の音はよみに落とされ、
  あなたの下には、うじが敷かれ、
  虫けらが、あなたのおおいとなる。

  暁の子、明けの明星よ。
  どうしてあなたは天から落ちたのか。
  国々を打ち破った者よ。
  どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
  あなたは心の中で言った。
  『私は天に上ろう。
  神の星々のはるか上に私の王座を上げ、
  北の果てにある会合の山にすわろう。
  蜜雲の頂に上り、
  いと高き方のようになろう。』
  しかし、あなたはよみに落とされ、
  穴の底に落とされる。

2013年5月19日
「御霊に導かれて生きる」  高橋宣広牧師

ガラテヤ人への手紙  5章16節-26節

 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。

2013年5月12日
「主イエスの兄弟、姉妹、母」  篠原哲二師

 マルコの福音書  3章31節-35節

 さて、イエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエスを呼ばせた。
 大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、外であなたをたずねています。」と言った。
 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」
 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
 神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

2013年5月5日
「金銀よりも大切なもの」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  13章13節-18節

  それゆえ、わたしは天を震わせる。
  万軍の主の憤りによって、
  その燃える怒りの日に、
  大地はその基から揺れ動く。
  追い立てられたかもしかのように、
  集める者のいない羊の群れのようになって、
  彼らはおのおの自分の民に向かい、
  おのおの自分の国に逃げ去る。
  見つけられた者はみな、刺され、
  連れて行かれた者はみな、剣に倒れる。
  彼らの幼子たちは目の前で八裂にされ、
  彼らの家は略奪され、
  彼らの妻は犯される。

  見よ。わたしは彼らに対して、
  メディヤ人を奮い立たせる。
  彼らは銀をものともせず、金を喜ばず、
  その弓は若者たちをなぎ倒す。
  彼らは胎児もあわれまず、
  子どもたちを見ても惜しまない。
  こうして、王国の誉れ、
  カルデヤ人の誇らかな栄えであるバビロンは、
  神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようになる。

2013年4月28日
「救われ癒合されよみがえらされる」  高橋宣広牧師

 ローマ人への手紙  6章1節-11節

 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるのでしょう。
 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。
 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。
 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。

2013年4月21日
「信じれば救われる?うまい話には裏がある!」  波多康師

 マタイの福音書  11章28節-30節

 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

2013年4月14日
「マイム・マイム」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  12章1節-6節

  その日、あなたは言おう。
  「主よ。感謝します。
  あなたは、私を怒られたのに、
  あなたの怒りは去り、
  私を慰めてくださいました。」

  見よ。神は私の救い。
  私は信頼して恐れることはない。
  ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。
  私のために救いとなられた。

  あなたがたは喜びながら
  救いの泉から水を汲む。
  その日、あなたがたは言う。
  「主に感謝せよ。
  その御名を呼び求めよ。
  そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。
  御名があがめられていることを語り告げよ。
  主をほめ歌え。 
  主はすばらしいことをされた。
  これを、全世界に知らせよ。
  シオンに住む者よ。
  大声をあげて、喜び歌え。
  イスラエルの聖なる方は、
  あなたの中におられる、大いなる方。」

2013年4月7日
「肉食系も草食系も共に」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  11章1節-10節

  エッサイの根株から新芽が生え、
  その根から若枝が出て実を結ぶ。
  その上に、主の霊がとどまる。
  それは知恵と悟りの霊、
  はかりごとと能力の霊、
  主を知る知識と主を恐れる霊である。
  この方は主を恐れることを喜び、
  その目の見るところによってさばかず、
  その耳の聞くところによって判決を下さず、
  正義をもって寄るべのない者をさばき、
  公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、
  口のむちで国を打ち、
  くちびるの息で悪者を殺す。
  正義はその腰の帯となり、
  真実はその胴の帯となる。

  狼は子羊とともに宿り、
  ひょうは子やぎとともに伏し、
  子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、
  小さい子どもがこれを追っていく。
  雌牛と熊とは共に草を食べ、
  その子らは共に伏し、
  獅子も牛のようにわrを食う。
  乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、
  乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
  わたしの聖なる山のどこにおいても、
  これらは害を加えず、そこなわない。
  主を知ることが、
  海をおおう水のように、地を満たすからである。

  その日、
  エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、
  国々は彼を求め、
  彼のいこう所は栄光に輝く。

2013年3月31日
「暗く重い扉は開かれ」  高橋宣広牧師

 マルコの福音書  16章1節-8節

 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。
 そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。
 彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか。」とみなで話し合っていた。
 ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。
 それで、墓の中にはいったところ、真白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。
 青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
 ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」
 女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

2013年3月24日
「ゲツセマネの祈り」  篠原哲二牧師

 マルコの福音書  14章32節-42節

 ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」
 そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。イエスは深く恐れもだえ始められた。
 そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
 それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
 またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
 それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。
 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
 イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。
 そして、また戻って来て、ご覧になると、彼らは眠っていた。ひどく眠けがさしていたのである。彼らは、イエスにどう言ってよいか、わからなかった。
 イエスは三度目に来て、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪びとたちの手に渡されます。
 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」

2013年3月17日
「重荷を取り去ってくださる神」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  10章20節-27節

  その日になると、
  イスラエルの残りの者、
  ヤコブの家ののがれた者は、
  もう再び、自分を打つ者にたよらず、
  イスラエルの聖なる方、主に、
  まことをもって、たよる。
  残りの者、ヤコブの残りの者は、
  力ある神に立ち返る。
  たとい、あなたの民イスラエルが
  海辺の砂のようであっても、
  その中の残りの者だけが立ち返る。
  壊滅は定められており、
  義があふれようとしている。
 すでに定められた全滅を、万軍の神、主が、全世界のただ中で行なおうとしておられるからだ。
 それゆえ、万軍の神、主は、こう仰せられる。「シオンに住むわたしの民よ。アッシリヤを恐れるな。彼がむちであなたを打ち、エジプトがしたように杖をあなたに振り上げても。
 もうしばらくすれば、憤りは終わり、わたしの怒りが彼らを滅ぼしてしまうから。
 オレブの岩でミデヤンを打ったときのように、万軍の主がアッシリヤにむちを振り上げる。杖を海にかざして、エジプトにしたように、それを上げる。
 その日になると、
 彼の重荷はあなたの肩から、
 彼のくびきはあなたの首から除かれる。
 くびきはあなたの肩からもぎ取られる。」

2013年3月10日
「やみの中に光が」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  9章1節-7節

 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
  やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
  死の陰の地に住んでいた者たちの上に
  光が照った。
  あなたはその国民をふやし、
  その喜びを増し加えられた。
  彼らは刈り入れ時に喜ぶように、
  分捕り物を分けるときに楽しむように、
  あなたの御前で喜んだ。
  あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、
  彼をしいたげる者の杖を、
  ミデヤンの日になされたように
  粉々に砕かれたからだ。
  戦場ではいたすべてのくつ、血にまみれた着物は、
  焼かれて、火のえじきとなる。

  ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
  ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
  主権はその肩にあり、
  その名は、「不思議な助言者、力ある神、
  永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
  その主権は増し加わり、その平和は限りなく、
  ダビデの王座に着いて、その王国を治め、
  さばきと正義によってこれを堅く立て、
  これをささえる。今より、とこしえまで。
  万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

2013年3月3日
「苦しみと孤独の中にあっても」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  8章5節-22節

  主はさらに、続けて私に仰せられた。
  「この民は、ゆるやかに流れるシロアハの水を
  ないがしろにして、
  レツィンとレマルヤの子を喜んでいる。
  それゆえ、見よ、主は、
  あの強く水かさの多いユーフラテス川の水、
  アッシリヤの王と、そのすべての栄光を、
  彼らの上にあふれさせる。
  それはすべての運河にあふれ、
  すべての堤を越え、
  ユダに流れ込み、押し流して進み、
  首にまで達する。
  インマヌエル。その広げた翼は
  あなたの国の幅いっぱいに広がる。」

  国々の民よ。打ち破られて、わななけ。 
  遠く離れたすべての国々よ。耳を傾けよ。
  腰に帯をして、わななけ。
  腰に帯をして、わななけ。
  はかりごとを立てよ。
  しかし、それは破られる。
  申し出をせよ。しかし、それは成らない。
  神が、私たちとともにおられるからだ。

  まことに主は強い御手をもって私を捕え、私たちにこう仰せられた。この民の道に歩まないよう、私を戒めて仰せられた。
  「この民が謀反と呼ぶことをみな、謀反と呼ぶな。
  この民の恐れるものを恐れるな。おののくな。
  万軍の主、この方を、聖なる方とし、
  この方を、あなたがたの恐れ、 
  この方を、あなたがたのおののきとせよ。
  そうすれば、この方が聖所となられる。
  しかし、イスラエルの二つの家には
  妨げの石とつまづきの岩、
  エルサレムの住民には
  わなとなり、落とし穴となる。
  多くの者がそれにつまずき、倒れて砕かれ、
  わなにかけられて捕えられる。

  このあかしをたばねよ。
  このおしえを
  わたしの弟子たちの心のうちに封ぜよ。」

  私は主を待つ。
  ヤコブの家から御顔をかくしておられる方を。
  私はこの方に、望みをかける。
  見よ。私と、主が私に下さった子たちとは、
  シオンの山に住む万軍の主からの
  イスラエルでのしるしとなり、
  不思議となっている。
  人々があなたがたに、「霊媒や、さえずり、ささやく口寄せに尋ねよ。」と言うとき、民は自分の神に尋ねなければならない。生きている者のために、死人に伺いを立てなければならないのか。
  おしえとあかしに尋ねなければならない。もし、このことばに従って語らなければ、その人には夜明けがない。
  彼は、迫害され、飢えて、国を歩き回り、飢えて、怒りに身をゆだねる。上を仰いでは自分の王と神をのろう。
  地を見ると、見よ、苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放された者。

2013年2月24日
「インマヌエルの神を信じる」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  7章1節-17節

 ウジヤの子のヨタムの子、ユダの王アハズの時のこと、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、エルサレムに上って来てこれを攻めたが、戦いに勝てなかった。
 ところが、「エフライムにアラムがとどまった。」という報告がダビデの家に告げられた。すると、王の心も民の心も、林の木々が風で揺らぐように動揺した。
 そこで主はイザヤに仰せられた。「あなたとあなたの子シェアル・ヤシャブとは出かけて行って、布さらしの野への大路のそばにある上の池の水道の端でアハズに会い、
 そこで彼に言え。
 気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません。あなたは、これら二つの木切れの煙る燃えさし、レツィンすなわちアラムとレマルヤの子との燃える怒りに、心を弱らせてはなりません。
 アラムはエフライムすなわちレマルヤの子とともに、あなたに対して悪事を企ててこう言っています。
 『われわれはユダに上って、これを脅かし、これに攻め入り、わがものとし、タベアルの子をそこの王にしよう。』と。
  神である主はこう仰せられる。
  『そのことは起こらないし、ありえない。
  実に、アラムのかしらはダマスコ、
  ダマスコのかしらはレツィン。
  ――六十五年のうちに、エフライムは粉砕されて、もう民ではなくなる。――
  また、エフライムのかしらはサマリヤ、
  サマリヤのかしらはレマルヤの子。
  もし、あなたがたが信じなければ、
  長く立つことはできない。』」
 主は再び、アハズに告げてこう仰せられた。
 「あなたの神、主から、しるしを求めよ。よみの深み、あるいは、上の高いところから。」
 するとアハズは言った。「私は求めません。主を試みません。」
 そこでイザヤは言った。「さあ、聞け。ダビデの家よ。あなたがたは、人々を煩わすのは小さなこととし、私の神までも煩わすのか。
 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
 この子は、悪を退け、善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。
 それは、まだその子が、悪を退け、善を選ぶことも知らないうちに、あなたが恐れているふたりの王の土地は、捨てられるからだ。
 主は、あなたとあなたの民とあなたの父の家に、エフライムがユダから離れた日以来、まだ来たこともない日を来させる。それは、アッシリヤの王だ。」

2013年2月17日
「たましいに触れてくださる神」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  6章1節-13節

 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、
 セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、
 互いに呼びかわして言っていた。
  「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。
  その栄光は全地に満つ。」
 その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。
 そこで、私は言った。
  「ああ。私はもうだめだ。
  私はくちびるの汚れた者で、
  くちびるの汚れた民の間に住んでいる。
  しかも万軍の主である王を、
  この目で見たのだから。」
 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
 彼は、私の口に触れて言った。
  「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、
  あなたの不義は取り去られ、
  あなたの罪も贖われた。」
 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」
 すると仰せられた。
  「行って、この民に言え。
  『聞き続けよ。だが悟るな。
  見続けよ。だが知るな。』
  この民の心を肥え鈍らせ、
  その耳を遠くし、
  その目を堅く閉ざせ。
  自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、
  立ち返って、いやされることのないために。」
 私が、「主よ、いつまでですか。」と言うと、主は仰せられた。
  「町々は荒れ果てて、住む者がなく、
  家々も人がいなくなり、
  土地も滅んで荒れ果て、
  主が人を遠くに移し、
  国の中に捨てられたところがふえるまで。
  そこにはなお、十分の一が残るが、
  それもまた、焼き払われる。
  テレビンの木や樫の木が
  切り倒されるときのように。
  しかし、その中に切り株がある。
  聖なるすえこそ、その切り株。」

2013年2月10日
「人はかがめられる」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  5章7節-17節

 まことに、万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。
 ユダの人は、主が喜んで植えつけたもの。
 主は公正を待ち望まれたのに、見よ、流血。
 正義を待ち望まれたのに、身よ、泣き叫び。

 ああ。家に家を連ね、
 畑に畑を寄せている者たち。
 あなたがたは余地も残さず、
 自分たちだけが国の中に住もうとしている。
 私の耳に、万軍の主は告げられた。
 「必ず、多くの家は荒れすたれ、
 大きな美しい家々も住む人がなくなる。
 十ツェメドのぶどう畑が一バテを産し、
 一ホメルの種が一エパを産するからだ。」

 ああ。朝早くから強い酒を追い求め、
 夜をふかして、ぶどう酒をあおっている者たち。
 彼らの酒宴には、立琴と十弦の琴、
 タンバリンと笛とぶどう酒がある。
 彼らは、主のみわざを見向きもせず、
 御手のなされたことを見もしない。
 それゆえ、わが民は無知のために捕え移される。
 その貴族たちは、飢えた人々。
 その群衆は、渇きで干からびる。
 それゆえ、よみは、のどを広げ、
 口を限りなくあける。
 その威光も、その騒音も、そのどよめきも、
 そこでの歓声も、よみに落ち込む。
 こうして人はかがめられ、人間は低くされ、
 高ぶる者の目も低くされる。
 しかし、万軍の主は、さばきによって高くなり、
 聖なる神は正義によって、
 みずから聖なることを示される。
 子羊は自分の牧場にいるように草を食べ、
 肥えた獣は廃墟にとどまって食をとる。

2013年2月3日
「残された者の恵み」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  4章1節-6節

  その日、七人の女が
  ひとりの男にすがりついて言う。
  「私たちは自分たちのパンを食べ、
  自分たちの着物を着ます。
  私たちをあなたの名で呼ばれるようにし、
  私たちへのそしりを除いてください。」

  その日、主の若枝は、麗しく、栄光に輝き、
  地の実は、イスラエルののがれた者の
  威光と飾りになる。
 シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。みなエルサレムでいのちの書にしるされた者である。
 主が、さばきの霊と焼き尽くす霊によって、シオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めるとき、
 主は、シオンの山のすべての場所とその会合の上に、昼は雲、夜は煙と燃える火の働きを創造される。それはすべての栄光の上に、おおいとなり、仮庵となり、
 昼は暑さを避ける陰となり、あらしと雨を防ぐ避け所と隠れ家になるからだ。

2013年1月27日
「主を慕い、主に召されし者」  篠原哲二牧師

 マルコの福音書  3章7節-19節

 それから、イエスは弟子たちとともに湖のほうに退かれた。すると、ガリラヤから出て来た大ぜいの人々がついて行った。また、ユダヤから、
 エルサレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうやツロ、シドンあたりから、大ぜいの人々が、イエスの行なっておられることを聞いて、みもとにやって来た。
 イエスは、大ぜいの人なので、押し寄せて来ないよう、ご自分のために小舟を用意しておくように弟子たちに言いつけられた。
 それは、多くの人をいやされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押しかけて来たからである。
 また、汚れた霊どもが、イエスを見ると、みもとにひれ伏し、「あなたこそ神の子です。」と叫ぶのであった。
 イエスは、ご自身のことを知らせないようにと、きびしく彼らを戒められた。
 さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。
 そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、
 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
 こうして、イエスは十二弟子を任命された。そして、シモンにはペテロという名をつけ、
 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
 次に、アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党員シモン、
 イスカリオテ・ユダ。このユダが、イエスを裏切ったのである。

2013年1月20日
「無責任の時代」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  3章4節-15節

 わたしは、若い者たちを彼らのつかさとし、
 気まぐれ者に彼らを治めさせる。
 民はおのおの、仲間同士で相しいたげ、
 若い者は年寄りに向かって高ぶり、
 身分の低い者は高貴な者に向かって高ぶる。
 そのとき、人が父の家で、
 自分の兄弟をとらえて言う。
 「あなたは着る物を持っている。
 私たちの首領になってくれ。
 この乱れた世を、あなたの手で治めてくれ。」
 その日、彼は声を張り上げて言う。
 「私は医者にはなれない。
 私の家にはパンもなく、着る物もない。
 私を民の首領にはしてくれるな。」

 これはエルサレムがつまづき、
 ユダが倒れたからであり、
 彼らの舌と行ないとが主にそむき、
 主のご威光に逆らったからである。
 彼らの顔つきが、
 そのことを表わしている。
 彼らは罪を、ソドムのように現わして、
 隠そうともしなかった。
 ああ、彼らにわざわいあれ。
 彼らは悪の報いを受けるからだ。
 義人は幸いだと言え。
 彼らは、その行ないの実を食べる。
 悪者にはわざわいあれ。
 わざわいが彼にふりかかり、
 その手の報いがふりかかる。
 わが民よ。幼子が彼をしいたげ、
 女たちが彼を治める。
 わが民よ。あなたの指導者は迷わす者、
 あなたの歩む道をかき乱す。

 主は論争するために立ち上がり、
 民をさばくために立つ。
 主は民の長老たちや、民のつかさたちと、
 さばきの座にはいる。
 「あなたがたは、ぶどう畑を荒れすたらせ、
 貧しい者からかすめた物を、
 あなたがたの家に置いている。
 なぜ、あなたがたは、わが民を砕き、
 貧しい者の顔をすりつぶすのか。
 ―万軍の神、主の御告げ。―

2013年1月13日
「2つのエルサレム」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  2章1節-11節

 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて示された先見のこと

 終わりの日に、
 主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、
 丘々よりもそびえ立ち、
 すべての国々がそこに流れて来る。
 多くの民が来て言う。
 「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
 主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。
 私たちはその小道を歩もう。」
 それは、シオンからみおしえが出、
 エルサレムから主のことばが出るからだ。
 主は国々の間をさばき、
 多くの国々の民に、判決を下す。
 彼らはその剣を鋤に、
 その槍をかまに打ち直し、
 国は国に向かって剣を上げず、
 二度と戦いのことを習わない。

 来たれ。ヤコブの家よ。
 私たちの主の光に歩もう。

 まことに、あなたは、
 あなたの民、ヤコブの家を捨てられた。
 彼らの国がペリシテ人の国のように
 東方からの卜者で満ち、
 外国人の子らであふれているからだ。
 その国は金や銀で満ち、その財宝は限りなく、
 その国は馬で満ち、その戦車も数限りない。
 その国は偽りの神々で満ち、
 彼らは、自分の手で造った物、
 指で造った物を拝んでいる。
 こうして人はかがめられ、人間は低くされた。
 ―彼らをお赦しにならないように。―

 岩の間にはいり、
 ちりの中に身を隠せ。
 主の恐るべき御顔を避け、
 そのご威光の輝きを避けて。
 その日には、高ぶる者の目も低くされ、
 高慢な者もかがめられ、
 主おひとりだけが高められる。

2013年1月6日
「雪のように白くなる」  高橋宣広牧師

 イザヤ書  1章13節-20節

 もう、むなしいささげ物を携えて来るな。
 香の煙―それもわたしの忌みきらうもの。
 新月の祭りと安息日―会合の招集、
 不義と、きよめの集会、
 これにわたしは耐えられない。
 あなたがたの新月の祭りや例祭を、
 わたしの心は憎む。
 それはわたしの重荷となり、
 わたしは負うのに疲れ果てた。
 あなたがたが手を差し伸べて祈っても、
 わたしはあなたがたから目をそらす。
 どんなに祈りを増し加えても、聞くことはない。
 あなたがたの手は血まみれだ。
 洗え。身をきよめよ。
 わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。
 悪事を働くのをやめよ。
 善をなすことを習い、
 公正を求め、しいたげる者を正し、
 みなしごのために正しいさばきをなし、
 やもめのために弁護せよ。」
 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。
 「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。
 たとい、紅のように赤くても、
 羊の毛のようになる。
 もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、
 この国の良い物を食べることができる。
 しかし、もし拒み、そむくなら、
 あなたがたは剣にのまれる。」と、
 主の御口が語られた。

2012年12月30日
「向こう岸へ渡り続ける」  高橋宣広牧師

 ルカの福音書 8章22節-25節   

 そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。
 舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。
 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も治まり、なぎになった。
 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

2012年12月23日
「いのちを与えるために来たお方」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書 10章7節-15節   

 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。
 わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。
 わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。
 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
 牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。
 それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。
 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。
 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。

2012年12月16日
「招くために来た」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 9章9節-13節   

 イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立上って、イエスに従った。
 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

2012年12月9日
「弟子としての召し」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 10章34節-42節   

 わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
 なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
 さらに、家族の者がその人の敵となります。
 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
 あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。
 預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。
 わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」

2012年12月2日
「神の約束どおりに」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 5章17節-20節   

 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
 だから、戒めのうちに最も小さいもののひとつでも、これを破ったり、また破るように人を教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。
 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。

2012年11月25日
「新しい皮袋に」  篠原哲二師

 マルコの福音書 2章18節-22節   

 ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」
 イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。
 しかし、花婿が彼らから取り去られる時が来ます。その日には断食します。
 だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。
 また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張りさ裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」

2012年11月18日
「愛される理由」  高橋宣広牧師

 へブル人への手紙 11章11節-12節   

 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。

2012年11月11日
「信仰によって一歩踏み出す」  高橋宣広牧師

 へブル人への手紙 11章8節-10節   

 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。

2012年11月4日
「信仰によって箱舟を造る」  高橋宣広牧師

 へブル人への手紙 11章7節   

 信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。

2012年10月28日
「神とともに歩んだ人」  高橋宣広牧師

 へブル人への手紙 11章5節-6節   

 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。
 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

2012年10月21日
「罪を赦す主キリスト」  篠原哲二師

 マルコの福音書 2章1節-12節   

 数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。
 それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。
 そのとき、ひとりの中風の人が四人にかつがれて、みもとに連れて来られた。
 群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。
 ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。
 「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」
 彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。
 中風の人に、『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。
 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、
 「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさいと言われた。
 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない。」と言って神をあがめた。

2012年10月14日
「一緒に生きるということ」  布山真理子師

 ローマ人への手紙 12章15節   

 喜ぶ者とといっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。

2012年10月7日
「いのちかけなきゃ信仰じゃない」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 23章29節-36節   

 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、
 『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』と言います。
 こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。
 あなたがたも先祖の罪の目盛りの不足分を満たしなさい。
 おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
 だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害していくのです。
 それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。
 まことに、あなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。

2012年9月30日
「アベルのささげもの」  高橋宣広牧師

 へブル人への手紙 11章1節-4節   

 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。

2012年9月23日
「自分がわからない」  大杉至牧師

 ローマ人への手紙 7章15節-25節   

 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。
 もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
 ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。
 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住む罪です。
 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
 私にからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

2012年9月16日
「主のために生きる」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書 19章38節-42節   

 そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。
 前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。
 そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。
 イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。
 その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。

2012年9月9日
「いのちの主キリスト」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書 14章1節-7節   

 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」
 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」

2012年9月2日
「からだの復活」  高橋宣広牧師

 コリント人への手紙 15章35節-48節   

 ところが、ある人はこう言うでしょう。「死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」
 愚かな人だ。あなたの蒔く物は、死ななければ、生かされません。
 あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。
 しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。
 すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。
 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、
 太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。
 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちを持つのです。

2012年8月26日
「あなたを罪に定めない」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書 8章1節-11節   

 イエスはオリーブ山に行かれた。
 そして、朝早く、イエスはもう一度宮にはいられた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。
 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、
 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。
 モーセは律法に中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。
 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。
 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」
 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」]

2012年8月19日
「キリストにある交わり」  高橋宣広牧師

 ヨハネの手紙 第一 1章3節-7節   

 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。
 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。

2012年8月12日
「多様性と一致」  高橋宣広牧師

 エペソ人への手紙 4章1節-16節   

 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
 からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。
 しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。
 そこで、こう言われています。
  「高い所に上られたとき、
  彼は多くの捕虜を引き連れ、
  人々に賜物を分け与えられた。」
 -この「上られた。」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。
 この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです。-
 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

2012年8月5日
「聖徒として召される」  高橋宣広牧師

 コリント人への手紙 1章1節-9節   

 神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、
 コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。
 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
 それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。
 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。
 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。

2012年7月29日
「慰め主なる聖霊」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書 16章7節-16節   

 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
 また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あたながたがもはやわたしを見なくなるからです。
 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
 わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。
 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
 御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
 父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。
 しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしを見ます。」

2012年7月22日
「再び来られるキリスト」  高橋宣広牧師

 へブル人への手紙 9章27節-28節   

 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

2012年7月15日
「神のみ座から立ち上がり」  高橋宣広牧師

 使徒の働き 7章54節-60節   

 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。
 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。
 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。

2012年7月8日
「天に昇られたキリスト」  高橋宣広牧師

 使徒の働き 1章3節-12節   

 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自身が生きていることを使徒たちに示された。
 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父が自分の権威をもってお定めになっています。
 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。

2012年7月1日
「よみがえられたキリスト」  高橋宣広牧師

 コリント人への手紙 第一15章12節-22節   

 ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。
 もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
 そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
 それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。
 もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
 そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。

2012年6月24日
「わたしの心だ。きよくなれ」  篠原哲二牧師

 マルコの福音書1章35節-45節   

 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
 シモンとその仲間は、イエスを追って来て、
 彼を見つけ、「みんながあなたを捜しております。」と言った。
 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」
 こうしてイエスは、ガリラヤ全地にわたり、その会堂に行って、福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。
 さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」
 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」
 すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった。
 そこでイエスは、彼をきびしく戒めて、すぐに彼を立ち去らせた。
 そのとき彼にこう言われた。「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。」
 ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。そのためイエスは表立って町の中にはいることができず、町はずれの寂しい所におられた。しかし、人々は、あらゆる所からイエスのもとにやって来た。

2012年6月17日
「絶望を味わわれたキリスト」  高橋宣広牧師

 マルコの福音書15章33節-47節   

 さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。
 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて「そら、エリヤを呼んでいる。」と言った。
 すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう。」
 それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。
 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
 また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。
 イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。
 すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、
 アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。
 ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。
 そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた。
 そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入口には石をころがしかけておいた。
 マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた。

2012年6月10日
「十字架につけられたキリスト」  高橋宣広牧師

 ガラテヤ人への手紙3章10節-14節   

 というのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある。すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」
 ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる。」のだからです。
 しかし律法は、「信仰による。」のではありません。「律法を行う者はこの律法によって生きる。」のです。
 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。
 このことは、アズらハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。

2012年6月3日
「ポンテオ・ピラトのもとに」  高橋宣広牧師

 ルカの福音書23章13節-25節   

 ピラトは祭司長たちと指導者たちと民衆とを呼び集め、
 こう言った。「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。
 ヘロデとて同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。
 だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」
 しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。「この人を除け。バラバを釈放しろ。」
 バラバとは、都に起こった暴動と人殺しのかどで、牢にはいっていた者である。
 ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らに、もう一度呼びかけた。
 しかし、彼らは叫び続けて、「十字架だ。十字架につけろ。」と言った。
 しかしピラトは三度目に彼らにこう言った。「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」
 ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った。
 ピラトは、彼らの要求どおりにすることを宣告した。
 すなわち、暴動と人殺しのかどで牢にはいっていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。

2012年5月27日
「聖霊により宿られたお方」  高橋宣弘牧師

 マタイの福音書 1章18節-25節   

 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われたことが成就するためであった。
 「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

2012年5月20日
「神のひとり子を信じる」  高橋宣広牧師

 創世記 22章1節-14節   

 これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ。」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります。」と答えた。
 神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。
 三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。
 それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る。」と言った。
 アブラハムは全焼のいけにえのためにたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。
 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク。」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」
 アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。
 ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。
 アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。
 そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム。」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」
 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」
 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。
 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある。」と言い伝えられている。

2012年5月13日
「全能の父である神」  高橋宣広牧師

 創世記 17章1節-8節   

 アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。
  「わたしは全能の神である。
  あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。
  わたしは、わたしの契約を、
  わたしとあなたとの間に立てる。
  わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」
 アブラムは、ひれ伏した。神は彼に告げて仰せられた。
  「わたしは、この、わたしの契約を
  あなたと結ぶ。
  あなたは多くの国民の父となる。
  あなたの名は、
  もう、アブラムと呼んではならない。
  あなたの名はアブラハムとなる。
  わたしが、あなたを多くの国民の
  父とするからである。
 わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。
 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。
 わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」

2012年5月6日
「天地の造り主なる神」  高橋宣広牧師

 創世記 1章1節-5節   

 初めに、神が天と地を創造した。
 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
 そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
 神はその光をよしと見られた。そして神はこの光とやみとを区別された。
 神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。

2012年4月29日
「神の栄光のためのもの」  高橋宣広牧師

 ヨハネの福音書 11章1節-7節   

 さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。
 このマリヤは、主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐったマリヤであって、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。
 そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
 イエスはこれを聞いて言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」
 イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
 そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。
 その後、イエスは、「もう一度ユダヤに行こう。」と弟子たちに言われた。

2012年4月22日
「福音のはじめ」  篠原哲二牧師

 マルコの福音書 1章1節-8節   

 神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
 預言者イザヤの書にこう書いてある。
 「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、
 あなたの道を整えさせよう。
 荒野で叫ぶ者の声がする。
 『主の道を用意し、
 主の通られる道をまっすぐにせよ。』」
 そのとおりに、
 バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説いた。
 そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところに行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
 ヨハネは、らくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
 彼は宣べ伝えて言った。「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつひもを解く値うちもありません。
 私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」

2012年4月15日
「私は信じます」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 16章13節-17節   

 さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」
 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」
 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。

2012年4月8日
「命から愛が生まれる」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 28章1節-20節   

 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。
 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」
 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
 すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」
 女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。
 そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った。』と言うのだ。
 もし、このことが総督の耳にはいっても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから、
 そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。
 しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。
 そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

2012年4月1日
「取って食べなさい」  高橋宣広牧師

 マタイの福音書 26章17節-29節   

 さて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。」
 イエスは言われた。「都にはいって、これこれの人のところに行って、『先生が「わたしの時が近づいた。わたしの弟子たちといっしょに、あなたのところで過越を守ろう。」と言っておられる。』と言いなさい。」
 そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。
 さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。
 みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」
 すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言った。
 イエスは答えて言われた。「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。
 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
 すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ。」と言われた。
 また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
 ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」

2012年3月25日
「アーメン」  高橋宣広牧師

 詩篇 89篇49節-52節   

 主よ。あなたのさきの恵みは
 どこにあるのでしょうか。
 それはあなたが真実をもって
 ダビデに誓われたものです。
 主よ。心に留めてください。
 あなたのしもべたちの受けるそしりを。
 私が多くの国々の民のすべてをこの胸に
 こらえていることを。
 主よ。あなたの敵どもは、そのようにそしり、
 そのように、あなたに油そそがれた者の足跡を
 そしりました。
 ほむべきかな。主。とこしえまでも。
          アーメン。アーメン。

2012年3月18日
「国と力と栄えは」  高橋宣広牧師

 歴代誌 第一 29章10節-21節   

 ダビデは全集団の目の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。
 主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。
 富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。
 今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
 まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。
 私たちは、すべての父祖たちのように、あなたの前では異国人であり、居留している者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。
 私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために家をお建てしようと私たちが用意をしたこれらすべてのおびただしいものは、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。
 私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています。私は直ぐな心で、これらすべてをみずから進んでささげました。今、ここにいるあなたの民が、みずから進んであなたにささげるのを、私は喜びのうちに見ました。
 私たちの父祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。御民のその心に計る思いをとこしえにお守りください。彼らの心をしっかりとあなたに向けさせてください。
 わが子ソロモンに、全き心を与えて、あなたの命令とさとしと定めを守らせ、すべてを行なわせて、私が用意した城を建てさせてください。」
 そして、ダビデは全集団に向かって、「あなたがたの神、主をほめたたえなさい。」と言った。すると全集団は、父祖の神、主をほめたたえ、ひざまずいて、主と王とを礼拝した。
 その日の翌日、彼らは主にいけにえをささげ、全焼のいけにえをささげた。雄牛千頭、雄羊千頭、子羊千頭、これらに添える注ぎのぶどう酒、それに全イスラエルのためのおびただしいいけにえをささげた。

2012年3月11日
「試みに会わせないでください」  高橋宣広牧師

ルカの福音書 22章31節-34節  

 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
 しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」

2012年3月4日
「赦すことができますように」  高橋宣広牧師

マタイの福音書 18章21節-35節  

 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
 このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。
 王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。
 清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。
 しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部売って返済するように命じた。
 それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。
 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。
 ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。
 彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。
 しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。
 彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。
 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。
 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』
 こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。
 あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」

2012年2月26日
「私たちの日ごとの糧を」  高橋宣広牧師

アモス書 8章1節-14節

 神である主は、私にこのように示された。そこに一かごの夏のくだものがあった。
 主は仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が、「一かごの夏のくだものです。」と言うと、主は私に仰せられた。
  「わたしの民イスラエルに、終わりが来た。
  わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。
  その日には、神殿の歌声は泣きわめきとなる。
  ―神である主の御告げ。―
  多くのしかばねが、至る所に投げ捨てられる。
  口をつぐめ。」

  聞け。貧しい者たちを踏みつけ、
  地の悩む者たちを絶やす者よ。
  あなたがたは言っている。
  「新月の祭りはいつ終わるのか。
  私たちは穀物を売りたいのだが。
  安息日はいつ終わるのか。
  麦を売りに出したいのだが。
  エパを小さくし、シェケルを重くし、
  欺きのはかりで欺こう。
  弱い者を銀で買い、
  貧しい者を一足のくつで買い取り、
  くず麦を売るために。」

  主はヤコブの誇りにかけて誓われる。
  「わたしは、彼らのしていることをみな、
  いつまでも、決して忘れない。
  このために地は震えないだろうか。
  地に住むすべての者は
  泣き悲しまないだろうか。
  地のすべてのものは
  ナイル川のようにわき上がり、
  エジプト川にように、
  みなぎっては、また沈まないだろうか。

  その日には、―神である主の御告げ。―
  わたしは真昼に太陽を沈ませ、
  日盛りに地を暗くし、
  あなたがたの祭りを喪に変え、
  あなたがたのすべての歌を哀歌に変え、
  すべての腰に荒布をまとわせ、
  すべての人の頭をそらせ、
  その日を、ひとり子を失ったときの喪のようにし、
  その終わりを苦い日のようにする。

  見よ。その日が来る。
  ―神である主の御告げ。―
  その日、わたしは、この地にききんを送る。
  パンのききんではない。
  水に渇くのでもない。
  実に、主のことばを聞くことのききんである。
  彼らは海から海へとさまよい歩き、
  北から東へと、
  主のことばを捜し求めて、行き巡る。
  しかしこれを見いだせない。
  その日には、美しい若い女も、若い男も、
  渇きのために衰え果てる。
  サマリヤの罪過にかけて誓い、
  『ダンよ。あなたの神は生きている。』と言い、
  『ベエル・シェバの道は生きている。』と言う者は、
  倒れて、二度と起き上がれない。」

2012年2月19日
「みこころのとおりにしてください」  高橋宣広牧師

マタイの福音書 26章36節-50節

 それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」
 それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
 そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」
 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
 それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。
 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
 イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」
 イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。
 イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。
 それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。
 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」
 イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二弟子のひとりであるユダがやって来た。剣や棒を手にした大ぜいの群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、民の長老たちから差し向けられたものであった。
 イエスを裏切る者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえるのだ。」と言っておいた。
 それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で。」と言って、口づけした。
 イエスは彼に、「友よ。何のために来たのですか。」と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕えた。

2012年2月12日
「御国が来ますように」  高橋宣広牧師

ルカの福音書 17章20節-21節

 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

ヨハネの黙示録 22章16節-21節

 「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
 御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。
 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
 主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。

2012年2月5日
「御名があがめられますように」  高橋宣広牧師

詩篇 86篇1節-17節

 主よ。あなたの耳を傾けて、
 私に答えてください。
 私は悩み、そして貧しいのです。
 私のたましいを守ってください。
 私は神を恐れる者です。
 わが神よ。どうかあなたに信頼する
 あなたのしもべを救ってください。
 主よ。私をあわれんでください。
 私は一日中あなたに呼ばわっていますから。
 あなたのしもべのたましいを喜ばせてください。
 主よ。私のたましいはあなたを仰いでいますから。
 主よ。まことにあなたは
 いつくしみ深く、赦しに富み、
 あなたを呼び求めるすべての者に、
 恵み豊かであられます。

 主よ。私の祈りを耳に入れ、
 私の願いの声を心に留めてください。
 私は苦難の日にあなたを呼び求めます。
 あなたが答えてくださるからです。
 主よ。神々のうちで、あなたに並ぶ者はなく、
 あなたのみわざに比ぶべきものはありません。
 主よ。あなたが造られたすべての国々は
 あなたの御前に来て、伏し拝み、
 あなたの御名をあがめましょう。
 まことに、あなたは大いなる方、
 奇しいわざを行なわれる方です。
 あなただけが神です。
 主よ。あなたの道を私に教えてください。
 私はあなたの真理のうちを歩みます。
 私の心を一つにしてください。
 御名を恐れるように。

 わが神、主よ。私は心を尽くしてあなたに感謝し、
 とこしえまでも、あなたの御名をあがめましょう。
 それは、あなたの恵みが私に対して大きく、
 あなたが私のたましいを、
 よみの深みから救い出してくださったからです。
 神よ。高ぶる者どもは私に逆らって立ち、
 横暴な者の群れは私のいのちを求めます。
 彼らは、あなたを自分の前に置いていません。
 しかし主よ。あなたは、あわれみ深く、
 情け深い神。
 怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられます。

 私に御顔を向け、私をあわれんでください。
 あなたのしもべに御力を与え、
 あなたのはしための子をお救いください。
 私に、いつくしみのしるしを行なってください。
 そうすれば、私を憎む者らは見て、
 恥を受けるでしょう。
 まことに主よ。
 あなたは私を助け、私を慰めてくださいます。

2012年1月29日
「天にいます私たちの父よ」  高橋宣広牧師

歴代誌第二 6章18節-21節

 それにしても、神ははたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。
 けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。
 そして、この宮、すなわち、あなたが御名をそこに置くと仰せられたこの所に、昼も夜も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。
 あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天からこれを聞いてください。聞いて、お赦しください。

ローマ人への手紙 8章14節-17節

 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父よ。」と呼びます。
 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

2012年1月22日
「知っておられる神に祈る」  高橋宣広牧師

マタイの福音書 6章5節~6章13節

また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
 だから、こう祈りなさい。
  『天にいます私たちの父よ。
   御名があがめられますように。
   御国が来ますように。
   みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
   私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
   私たちの負いめをお赦しください。
   私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
   私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』[国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。]

2012年1月15日
「祈りを教えてください」  高橋宣広牧師

ルカの福音書 11章1節~11章13節

 さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」
 そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
   『父よ。御名があがめられますように。
    御国が来ますように。
    私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。
    私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。
    私たちを試みに会わせないでください。』
 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。
 友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ。』と言ったとします。
 すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締りもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』
 あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。
 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
 あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

2012年1月8日
「向こう岸で待っている人」  高橋宣広牧師

ルカの福音書 8章22節~8章39節

 そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。
 舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。
 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も治まり、なぎになった。
 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
 こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。
 イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。
 彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」
 それは、イエスが、汚れた霊に、この人から出ていけ、と命じられたからである。汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。
 イエスが、「何という名か。」とお尋ねになると、「レギオンです。」と答えた。悪霊が大ぜい彼にはいっていたからである。
 悪霊どもはイエスに、底知れぬところへ行け、とはお命じになりませんようにと願った。
 ちょうど、山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚にはいることを許してくださいと願った。イエスはそれを許された。
 悪霊どもは、その人から出て、豚にはいった。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖にはいり、おぼれ死んだ。
 飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。
 人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。
 目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々に知らせた。
 ゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。
 そのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。
 「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。

2012年1月1日
「向こう岸へ渡ろう」  高橋宣広牧師

ルカの福音書 8章22節~8章25節

 そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう。」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。
 舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。
 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も治まり、なぎになった。
 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

2011年12月25日
「さらに恵みを」 高橋宣広牧師

ヨハネの福音書 1:14-1:18

 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
 ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとからくる方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。』と私が言ったのは、この方のことです。」
 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
 というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

2011年12月18日
「神の子どもとされる」 高橋宣広牧師

ヨハネの福音書 1:9-1:13

 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
 この方はもとから世におられ、世はこのかたによって造られたのに、世はこのかたを知らなかった。
 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

2011年12月11日
「クリスマスの賛美」 高橋宣広牧師

ルカの福音書 2:8-2:20

 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
  「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
   地の上に、平和が、
   御心にかなう人々にあるように。」
 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。
 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

2011年12月4日
「光を証しする」 高橋宣広牧師

ヨハネの福音書 1:6-1:8

 神から遣わされたヨハネという人が現われた。
 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。
 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。

2011年11月27日
「初めに、ことばがあった」 高橋宣広牧師

ヨハネの福音書 1:1-1:5

 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
 この方は、初めに神とともにおられた。
 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

2011年11月20日
「情け深い神」 高橋宣広牧師

出エジプト記 22:20-22:27

 ただ主ひとりのほかに、ほかの神々にいけにえをささげる者は、聖絶しなければならない。
 在留異国人を苦しめてはならない。しいたげてはならない。あなたがたも、かつてはエジプトの国で、在留異国人であったからである。
 すべてのやもめ、またはみなしごを悩ませてはならない。
 もしあなたが彼らをひどく悩ませ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶなら、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。
 わたしの怒りは燃え上がり、わたしは剣をもってあなたがたを殺す。あなたがたの妻はやもめとなり、あなたがたの子どもはみなしごとなる。
 わたしの民のひとりで、あなたのところにいる貧しい者に金を貸すのなら、彼に対して金貸しのようであってはならない。彼から利息を取ってはならない。
 もし、隣人の着る物を質に取るようなことをするのなら、日没までにそれを返さなければならない。
 なぜなら、それは彼のただ一つのおおい、彼の身に着ける着物であるから。彼はほかに何を着て寝ることができよう。彼がわたしに向かって叫ぶとき、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いから。

2011年11月13日
「となり人を愛する」 高橋宣広牧師

ルカの福音書 10:25-10:37

 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」
 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」
 イエスは答えて言われた。
  「ある人が、エルサレムからエリコヘ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
  たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
  同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
  ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、
  近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
  次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
  この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

2011年11月6日
「心の戸が叩かれたなら」 高橋宣広牧師

ヨハネの黙示録 3:14-3:22

 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。
 「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
 あなたは、自分が富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で製錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」

2011年10月30日
「おいでなさい」  柿内ルツ師

マタイの福音書 14:22-14:32

 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
 イエスは、「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。 
 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
 そして、二人が舟に乗り移ると、風がやんだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

2011年10月23日
「主の牧場(まきば)に帰る」  高橋宣広牧師

エレミヤ書 50:1-50:10、50:17-50:20

 主が、預言者エレミヤを通して、バビロンについて、すなわちカルデヤ人の国について語られたみことば。
  「諸国の民の間に告げ、旗を掲げて知らせよ。
  隠さずに言え。
  『バビロンは捕えられた。
  ベルははずかしめられ、
  メロダクは砕かれた。
  その像ははずかめられ、
  その偶像は砕かれた。』
 なぜなら、北から一つの国がここに攻め上り、この地を荒れ果てさせたからだ。ここには住む者もない。人間から家畜に至るまで逃げ去った。
 その日、その時、―主の御告げ。―
 イスラエル民もユダの民も共に来て、泣きながら歩み、その神、主を、尋ね求める。
 彼らはシオンを求め、その道に顔を向けて、『来たれ。忘れられることのないとこしえの契約によって、主に連なろう。』と言う。
 わたしの民は、迷った羊の群れであった。その牧者が彼らを迷わせ、山々へ連れ去った。彼らは山から丘へと行き巡って、休み場も忘れてしまった。
 彼らを見つける者はみな彼らを食らい、敵は『私たちには罪がない。彼らが、正しい牧場である主、彼らの先祖の望みであった主に、罪を犯したためだ。』と言った。
  バビロンの中から逃げ、カルデヤ人の国から出よ。
  群れの先頭に立つやぎのようになれ。
  見よ。わたしが、大国の集団を奮い立たせて、
  北の地からバビロンに攻め上らせる。
  彼らはこれに向かって陣ぞなえをし、
  これを攻め取る。
  彼らの矢は、練達の勇士の矢のようで、
  むなしくは帰らない。
  カルデヤは略奪され、
  これを略奪する者はみな満ち足りる。
  ―主の御告げ。―

 イスラエルは雄獅子に散らされた羊。先にはアッシリヤの王がこれを食らったが、今度はついに、バビロンの王ネブカデレザルがその骨まで食らった。
 それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはアッシリヤの王を罰したように、バビロンの王とその国を罰する。
 わたしはイスラエルをその牧場に帰らせる。彼はカルメルとバシャンで草を食べ、エフライムの山とギルアデで、その願いは満たされる。
 その日、その時、―主の御告げ。―イスラエルの咎は見つけようとしても、それはなく、ユダの罪も見つけることはできない。わたしが残す者の罪を、わたしが赦すからだ。」

2011年10月16日
「ユダヤ人もギリシヤ人もなく」  高橋宣広牧師

ガラテヤ人への手紙 3:23-3:29

 信仰が現われる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。
 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
 しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。
 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
 バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。
 ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。
 もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。

2011年10月9日
「宣教のために献げられる祝福」  高橋宣広牧師

ピリピ人への手紙 4:10-4:20

 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜んでいます。あなたがたは心にかけたはいたのですが、機会がなかったのです。
 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。
 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。
 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。
 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。
 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。
 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
 どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。

2011年10月2日
「キリストの功績によって」  高橋宣広牧師

ヨハネの福音書 6:52-6:59

 すると、ユダヤ人たちは、「この人は、どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるのか。」と言って互いに議論し合った。
 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。
 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
 わたしのにくはまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。
 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。
 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。
 これは、天から下ってきたパンです。あなたがたの先祖が食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」
 これはイエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。

2011年9月25日
「慰めに生きる教会」  奥山信牧師

コリント人への手紙Ⅱ 13:11-13:13

 終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。
 聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。すべての聖徒たちが、あなたがたによろしくと言っています。
 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。

2011年9月18日
「キリストの福音に生きる」  高橋宣広牧師

ピリピ人への手紙 1:27-2:16

 ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、
 また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。
 あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。
 あなたがたは、私について先に見たこと、また、私についていま聞いているのと同じ戦いを経験しているのです。
 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
 自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい。
 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
 自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
 キリストは人としての性格をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白し、父なる神がほめたたえられるためです。
 そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。
 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。
 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。
 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

2011年9月11日
「ふるさとに帰る」  高橋宣広牧師

ルカの福音書 15:11-28:32

 またこう話された。
 「ある人に息子がふたりあった。
 弟が父に、『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
 息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』
 そして彼らは祝宴を始めた。
 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、
 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
 すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友達と楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
 父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

2011年9月4日
「主イエス・キリストを宣べ伝える」  高橋宣広牧師

使徒の働き 28:16-28:31

 私たちがローマにはいると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。
 三日の後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集め、彼らが集まったときに、こう言った。「兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。
 ローマ人は私を取り調べましたが、私を死刑にする理由が何もなかったので、私を釈放しようと思ったのです。
 ところが、ユダヤ人たちが反対したため、私はやむなくカイザルに上訴しました。それは、私の同胞を訴えようとしたのではありません。
 このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」
 すると、彼らはこう言った。「私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。また、当地に来た兄弟たちの中で、あなたについて悪いことを告げたり、話したりした者はおりません。
 私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」
 そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。
 ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。
 こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの先祖に語られたことは、まさにそのとおりでした。
  『この民のところに行って、告げよ。
   あなたがたは確かに聞きはするが、
   決して悟らない。
   確かに見てはいるが、決してわからない。
   この民の心は鈍くなり、
   その耳は遠く、
   その目はつぶっているからである。
   それは、彼らがその目で見、
   その耳で聞き、
   その心で悟って、立ち返り、
   わたしにいやされることのないためである。』
 ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」
 こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、
 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

2011年8月28日
「交わりへの招待」  矢田紫野師

ヨハネの手紙 第Ⅰ 1:1-1:10

 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
 ―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―
 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。
 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中かを歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。

2011年8月21日
「思いがけない恵み」  高橋宣広牧師

使徒の働き 28:1-28:15

 こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。
 島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降り出して寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。
 パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。
 島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。」と互いに話し合った。
 しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。
 島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、「この人は神さまだ。」と言いだした。
 さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた。
 たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。
 このことがあってから、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。
 それで彼らは、私たちを非常に尊敬し、私たちが出帆するときには、私たちに必要な品々を用意してくれた。
 三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリヤの船で出帆した。
 シラクサに寄港して、三日間とどまり、
 そこから回って、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。
 ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。
 私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。

2011年8月14日
「みな無事に陸に上がった」  高橋宣広牧師

使徒の働き 27:27-27:44

 十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。
 水の深さを測ってみると、四十メートルほどであることがわかった。少し進んでまた測ると、三十メートルほどであった。
 どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜の明けるのを待った。
 ところが、水夫たちは船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていたので、
 パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません。」と言った。
 そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた。
 ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。
 ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」
 こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。
 そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。
 船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。
 十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。
 夜が明けると、どこが陸地かわからないが、砂浜のある入江が目に留まったので、できれば、そこに船を乗り入れようということになった。
 錨を切って海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った。
 ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。
 兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと相談した。
 しかし百人隊長は、パウロをあくまでも助けようと思って、その計画を押え、泳げる者がまず海に飛び込んで陸に上がるように、
 それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった。

2011年8月7日
「希望を捨てないで」  高橋宣広牧師

使徒の働き 27:9-27:26

 かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、
 「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」と言った。
 しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。
 また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西に面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。
 おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。
 ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、
 船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。
 しかしクラウダという小さな島の陰にはいったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。
 小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた。
 私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、
 三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。
 太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。
 だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。
 しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。
 昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、
 こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船してしている人々をみな、あなたにお与えになったのです。』
 ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。
 私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」

2011年7月31日
「ヨナタンの信仰」 三川献児牧師

第Ⅰサムエル記 20:1-42

 ダビデはラマのナヨテから逃げて、ヨナタンのもとに来て言った。「私がどんなことをし、私にどんな咎があり、私があなたの父上に対してどんな罪を犯したというので、父上は私のいのちを求めておられるのでしょうか。」
 ヨナタンは彼に言った。「絶対にそんなことはありません。あなたが殺されるはずはありません。そうです。私の父は、事の大小を問わず、私の耳に入れないでするようなことはありません。どうして父が、このことを私に隠さなければならないでしょう。そんなことはありません。」
 ダビデはなおも誓って言った。「あなたの父上は、私があなたのご好意を得ていることを、よくご存知です。それで、ヨナタンが悲しまないように、このことを知らせないでおこう、と思っておられるのです。けれども、主とあなたに誓います。私と死との間には、ただ一歩の隔たりしかありません。」
 するとヨナタンはダビデに言った。「あなたの言われることは、何でもあなたのためにしましょう。」
 ダビデはヨナタンに言った。「あすはちょうど新月祭で、私は王といっしょに食事の席に着かなければなりません。私を行かせて、三日目の夕方まで野に隠れさせてください。
 もし、父上が私のことをとがめられたら、おっしゃってください。『ダビデは自分の町ベツレヘムへ急いで行きたいと、しきりに頼みました。あそこで彼の氏族全体のために、年ごとのいけにえをささげることになっているからです。』と。
 もし、父上が『よし。』とおっしゃれば、このしもべは安全です。もし、激しくお怒りになれば、私に害を加える決心をしておられると思ってください。
 どうか、このしもべに真実を尽くしてください。あなたは主に誓って、このしもべと契約を結んでおられるからです。もし、私に咎があれば、あなたが私を殺してください。どうして私を父上のところにまで連れ出す必要がありましょう。」
 ヨナタンは言った。「絶対にそんなことはありません。父があなたに害を加える決心をしていることが確かにわかったら、あなたに知らせないでおくはずはありません。」
 ダビデはヨナタンに言った。「もし父上が、きびしい返事をなさったら、だれが私に知らせてくれましょう。」
 ヨナタンはダビデに言った。「さあ、野原に出ましょう。」こうしてふたりは野原に出た。
 ヨナタンはイスラエルの神、主に誓ってダビデに言った。「あすかあさってかの今ごろ、私は父の気持ちを探ってみます。ダビデに対して寛大であれば、必ず人をやって、あなたの耳に入れましょう。
 もし父が、あなたに害を加えようと思っているのに、それをあなたの耳に入れず、あなたを無事に逃がしてあげられなかったなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰せられるように。主が私の父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。
 もし、私が生きながらえておれば、主の恵みを私に施してください。たとい、私が死ぬようなことがあっても、
 あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください。主がダビデの敵を地の面からひとり残らず断ち滅ぼすときも。」
 こうしてヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。「主がダビデの敵に血の責めを問われるように。」
 ヨナタンは、もう一度ダビデに誓った。ヨナタンは自分を愛するほどに、ダビデを愛していたからである。
 ヨナタンはダビデに言った。「あすは新月祭です。あなたの席があくので、あなたのいないのが気づかれるでしょう。
 あさってになれば、きびしく問いただすでしょうから、あなたは、あの事件の日に隠れた場所の行って、エゼルの石のそばにいてください。
 私は的を射るように、三本の矢をそのあたりに放ちます。
 いいですか。私が子どもをやって、『行って矢を見つけて来い。』と言い、もし私がその子どもに、『それ、矢はおまえのこちら側にある。それを取って来い。』と言ったら、そのとき、あなたは出て来てください。主は生きておられます。あなたは安全で、何事もありませんから。
 しかし、私が少年に、『それ、矢はおまえの向こう側だ。』と言ったら、あなたは行きなさい。主があなたを去らせるのです。
 私とあなたが交わしたことばについては、主が私とあなたとの間の永遠の証人です。」
 こうしてダビデは野に隠れた。新月祭になって、王は食事の席に着いた。
 王は、いつものように壁寄りの席の自分の席に着いた。ヨナタンはその向かい側、アブネルはサウルの横の席に着いたが、ダビデの場所はあいていた。
 その日、サウルは何も言わなかった。「あれに思わぬ事が起こって身を汚したのだろう。きっと汚れているためだろう。」と思ったからである。
 しかし、その翌日、新月祭の第二日にも、ダビデの席があいていたので、サウルは息子のヨナタンに尋ねた。「どうしてエッサイの子は、きのうも、きょうも食事に来ないのか。」
 ヨナタンはサウルに答えた。「ベツレヘムへ行かせてくれと、ダビデが私にしきりに頼みました。
 『どうか、私を行かせてください。私たちの氏族はあの町で、いけにえをささげるのですが、私の兄弟たちが私に来るように命じています。今、お願いします。どうか私を行かせて、兄弟たちに会わせてください。』と言ったのです。それでダビデは王の食卓に連ならないのです。」
 サウルはヨナタンに怒りを燃やして言った。「このばいたの息子め。おまえがエッサイの子にえこひいきをして、自分をはずかしめ、自分の母親の恥をさらしているのを、この私が知らないとでも思っているのか。
 エッサイの子がこの地上に生きているかぎり、おまえも、おまえの王位も危うくなるのだ。今、人をやって、あれを私のところに連れて来い。あれは殺さなければならない。」
 ヨナタンは父サウルに答えて言った。「なぜ、あの人は殺されなければならないのですか。あの人が何をしたというのですか。」
 すると、サウルは槍をヨナタンに投げつけて打ち殺そうとした。それでヨナタンは、父がダビデを殺そうと決心しているのを知った。
 ヨナタンは怒りに燃えて食卓から立ち上がり、新月祭の二日目には食事をとらなかった。父がダビデを侮辱したので、ダビデのために心を痛めたからである。
 朝になると、ヨナタンは小さい子どもを連れて、ダビデと打ち合わせた時刻に野原に出て行った。
 そして子どもに言った。「私が射る矢を見つけておいで。」子どもが走って行くと、ヨナタンは、その子の向こうに矢を放った。
 子どもがヨナタンの放った矢の所まで行くと、ヨナタンは子どものうしろから叫んで言った。「矢は、おまえより、もっと向こうではないのか。」
 ヨナタンは子どものうしろから、また叫んだ。「早く。急げ。止まってはいけない。」その子どもは矢を拾って、主人ヨナタンのところに来た。
 子どもは何も知らず、ヨナタンとダビデだけに、その意味がわかっていた。
 ヨナタンは自分の弓矢を子どもに渡し、「さあ、これを町に持って行っておくれ。」と言った。
 子どもが行ってしまうと、ダビデは南側のほうから出て来て、地にひれ伏し、三度礼をした。ふたりは口づけをして、抱き合って泣き、ダビデはいっそう激しく泣いた。
 ヨナタンはダビデに言った。「では、安心して行きなさい。私たちふたりは、『主が、私とあなた、また、私の子孫とあなたの子孫との間の永遠の証人です。』と言って、主の御名によって誓ったのです。」こうしてダビデは立ち去った。ヨナタンは町へ帰って行った。

2011年7月24日
「光が導く一本の道」 井上貴詞師

ローマ人への手紙 15:22-15:29

 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、
 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので、
 ―というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです。―
 ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。
 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金(きょきん)することにしたからです。
 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。
 それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。
 あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもっていくことと信じています。

2011年7月17日
「まさかの時の友」 高橋宣広牧師

使徒の働き 27:1-27:8

 さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。
 私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。
 翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。
 そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。
 そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。
 そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。
 幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、
 その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。

2011年7月10日
「私の生き方を通して」 高橋宣広牧師

使徒の働き 26:19-26:32

 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、
 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。
 そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕え、殺そうとしたのです。
 こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。
 すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」
 パウロがこのように弁明していると、フェストが大声で、「気が狂っているぞ。博学があなたの気を狂わせている。」と言った。
 するとパウロは次のように言った。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。
 王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。
 アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」
 するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている。」と言った。
 パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」
 ここで王と総督とベルニケ、および同席の人々が立ち上がった。
 彼らは退場してから、互いに話し合って言った。「あの人は、死や投獄に相当することは何もしていない。」
 またアグリッパはフェストに、「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに。」と言った。

2011年7月3日
「暗やみから光に」 高橋宣広牧師

使徒の働き 26:1-26:18

 すると、アグリッパがパウロに、「あなたは、自分の言い分を申し述べてよろしい。」と言った。そこでパウロは、手を差し伸べて弁明し始めた。
 「アグリッパ王。私がユダヤ人に訴えられているすべてのことについて、きょう、あなたの前で弁明できることを、幸いに存じます。
 特に、あなたがユダヤ人の慣習や問題に精通しておられるからです。どうか、私の申し上げることを、忍耐をもってお聞きくださるよう、お願いいたします。
 では申し述べますが、私が最初から私の国民の中で、またエルサレムにおいて過ごした若い時からの生活ぶりは、すべてのユダヤ人の知っているところです。
 彼らは以前から私を知っていますので、証言するつもりならできることですが、私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。
 そして今、神が私たちの先祖に約束されたものを待ち望んでいることで、私は裁判を受けているのです。
 私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでおります。王よ。私は、この希望のためにユダヤ人から訴えられているのです。
 神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか。
 以前は、私自身も、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えていました。
 そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。
 また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。
 このようにして、私は祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコへ出かけて行きますと、
 その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。
 私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』
 私が、『主よ。あなたはどなたですか。』と言いますと、主がこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
 起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現われたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現われて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。
 わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』


2011年6月26日
「それぞれの力に応じて」 高橋宣広牧師

使徒の働き 11:27-11:30

 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。
 その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。
 そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。
 彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。

2011年6月19日
「今が、主を求める時だ」 杉江真牧師

ホセア書 10:9-10:12

 イスラエルよ。ギブアの日々よりこのかた、
 あなたは罪を犯してきた。
 彼らはそこで同じことを行なっている。
 戦いは、ギブアで、
 この不法な民を襲わないだろうか。
 わたしは彼らを懲らしめようと思う。
 彼らが二つの不義のために捕えられるとき、
 国々の民は集められて彼らを攻める。
 エフライムは飼いならされた雌の子牛であって、
 麦打ち場で踏むことを好んでいた。
 わたしはその美しい首にくびきを掛けtた。
 わたしはエフライムに乗り、ユダは耕し、
 ヤコブはまぐわをひく。
 あなたがたは正義の種を蒔き、
 誠実の実を刈り入れよ。
 あなたがたは耕地を開拓せよ。
 今が、主を求める時だ。
 ついに、主は来て、
 正義をあなたがたに注がれる。

2011年6月12日
「神のかたちの回復」 高橋宣広牧師

ガラテヤ人への手紙 5:16-5:26

 私は言います。「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
 なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
 しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法にの下にはいません。
 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。

2011年6月5日
「キリストは生きている」 高橋宣広牧師

使徒の働き 25:13-25:27

 数日たってから、アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するためにカイザリヤに来た。
 ふたりがそこに長く滞在していたので、フェストはパウロの一件を王に持ち出してこう言った。「ペリクスが囚人として残して行ったひとりの男がおります。
 私がエルサレムに行ったとき、妻子たちとユダヤ人の長老たちとが、その男のことを私に訴え出て、罪に定めるように要求しました。
 そのとき私は、『被告が、彼を訴えた者の面前で訴えに対して弁明する機会を与えられないで、そのまま引き渡されるということはローマの慣例ではない。』と答えておきました。
 そういうわけで、訴える者たちがここに集まったとき、私は時を移さず、その翌日、裁判の席に着いて、その男を出廷させました。
 訴えた者たちは立ち上がりましたが、私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つ申し立てませんでした。
 ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。
 このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に『エルサレムに上り、そこで、この事件について裁判を受けたいのか。』と尋ねたところが、
 パウロは、皇帝の判決を受けるまで保護してほしいと願い出たので、彼をカイザルのもとに送る時まで守っておくように、命じておきました。」
 すると、アグリッパがフェストに、「私も、その男の話を聞きたいものです。」と言ったので、フェストは、「では、明日お聞きください。」と言った。
 こういうわけで、翌日、アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えて到着し、千人隊長たちや市の首脳者たちにつき添われて講堂にはいった。そのとき、フェストの命令によってパウロが連れて来られた。
 そこで、フェストはこう言った。「アグリッパ王、ならびに、ここに同席の方々。ご覧ください。ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわり、エルサレムでも、ここでも、私に訴えて来たのは、この人のことです。
 私としては、彼は死に当たることは何一つしていないと思います。しかし、彼自身が皇帝に上訴しましたので、彼をそちらに送ることに決めました。
 ところが、彼について、わが君に書き送るべき確かな事がらが一つもないのです。それで、皆さんの前に、わけてもアグリッパ王よ、あなたの前に、彼を連れてまいりました。取り調べをしてみたら、何か書き送るべきことが得られましょう。
 囚人を送るのに、その訴えの箇条を示さないのは、理に合わないと思うのです。」

2011年5月29日
「カイザルへの上訴」 高橋宣広牧師

使徒の働き 25:1-25:12

 フェストは、州総督として着任すると、三日後にカイザリヤからエルサレムに上った。
 すると、祭司長たちとユダヤ人のおもだった者たちが、パウロのことを訴え出て、
 パウロを取り調べる件について自分たちに好意を持ってくれるように頼み、パウロをエルサレムに呼び寄せていただきたいと彼に懇願した。彼らはパウロを途中で殺害するために待ち伏せをさせていた。
 ところが、フェストは、パウロはカイザリヤに拘置されているし、自分はまもなく出発の予定であると答え、
 「だから、その男に何か不都合なことがあるなら、あなたがたのうちの有力な人たちが、私といっしょに下って行って、彼を告訴しなさい。」と言った。
 フェストは、彼らのところに八日あるいは十日ばかり滞在しただけで、カイザリヤへ下って行き、翌日、裁判の席に着いて、パウロの出廷を命じた。
 パウロが出て来ると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは、彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった。
 しかしパウロは弁明して、「私はユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません。」と言った。
 ところが、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは、パウロに向かって、「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか。」と尋ねた。
 すると、パウロはこう言った。「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。あなたもよくご存知のとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。
 もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも証拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。」
 そのとき、フェストは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」

2011年5月22日
「わずかなものが豊かに-神がそこにおられる時-」 ダニー・モルキー師

使徒の働き 3:6-3:11

 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、
 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。
 人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。
 そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
 この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。

2011年5月15日
「総督ペリクスの前で」 高橋宣広牧師

使徒の働き 24:1-24:27

 五日の後、大祭司アナニヤは、数人の長老およびテルトロという弁護士といっしょに下って来て、パウロを総督に訴えた。
 パウロが呼び出されると、テルトロが訴えを始めてこう言った。
 「ペリクス閣下。閣下のおかげで、私たちはすばらしい平和を与えられ、また、閣下のご配慮で、この国の改革が進行しておりますが、
 その事実をあらゆる面において、また至る所で認めて、私たちは心から感謝しております。
 さて、あまりご迷惑をおかけしないように、ごく手短に申し上げますから、ご寛容をもってお聞きくださるようお願いいたします。
 この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。
 この男は宮さえもけがそうとしましたので、私たちは彼を捕えました。
 閣下ご自身で、これらすべてのことについて彼をお調べくださいますなら、私たちが彼を訴えております事がらを、おわかりになっていただけるはずです。」
 ユダヤ人たちも、この訴えに同調し、全くそのとおりだと言った。
 そのとき、総督がパウロに、話すようにと合図したので、パウロはこう答えた。
 「閣下が多年に渡り、この民の裁判をつかさどる方であることを存じておりますので、私は喜んで弁明いたします。
 お調べになればわかることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上って来てから、まだ十二日しかたっておりません。
 そして、宮でも会堂でも、また市内でも、私がだれかと論争したり、群衆を騒がせたりするのを見た者はありません。
 いま私を訴えていることについて、彼らは証拠をあげることができないはずです。
 しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。
 また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。
 そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。
 さて私は、同胞に対して施しをし、また供え物をささげるために、幾年ぶりかで帰って来ました。
 その供え物のことで私は清めを受けて宮の中にいたのを彼らに見られたのですが、別に群衆もおらず、騒ぎもありませんでした。ただアジヤから来た幾人かのユダヤ人がおりました。
 もし彼らに、私について何か非難したいことがあるなら、自分で閣下の前に来て訴えるべきです。
 でなければ、今ここにいる人々に、議会の前に立っていたときの私にどんな不正を見つけたかを言わせてください。
 彼らの中に立っていたとき、私はただ一言、『死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれているのです。』と叫んだにすぎません。」
 しかしペリクスは、この道について相当詳しい知識を持っていたので、「千人隊長ルシヤが下って来るとき、あなたがたの事件を解決することにしよう。」と言って、裁判を延期した。
 そして百人隊長に、パウロを監禁するように命じたが、ある程度の自由を与え、友人たちが世話をすることを許した。
 数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。
 しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう。」と言った。
 それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。
 二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。

2011年5月8日
「キリストの支配と守り」 高橋宣広牧師

使徒の働き 23:12-23:35

 夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った。
 この陰謀に加わった者は、四十人以上であった。
 彼らは、祭司長たち、長老たちのところに行って、こう言った。「私たちは、パウロを殺すまでは何も食べない、と堅く誓い合いました。
 そこで、今あなたがたは議会と組んで、パウロのことをもっと詳しく調べるふりをして、彼をあなたがたのところに連れて来るように千人隊長に願い出てください。私たちのほうでは、彼がそこに近づく前に殺す手はずにしています。」
 ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営にはいってパウロにそれを知らせた。
 そこでパウロは、百人隊長のひとりを呼んで、「この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。お伝えすることがありますから。」と言った。
 百人隊長は、彼を連れて千人隊長のもとに行き、「囚人のパウロが私を呼んで、この青年があなたにお話しすることがあるので、あなたのところに連れて行くようにと頼みました。」と言った。
 千人隊長は彼の手を取り、だれもいない所に連れて行って、「私に伝えたいことというのは何か。」と尋ねた。
 すると彼はこう言った。「ユダヤ人たちは、パウロについてもっと詳しく調べようとしているかに見せかけて、あす、議会にパウロを連れて来てくださるように、あなたにお願いすることを申し合わせました。
 どうか、彼らの願いを聞き入れないでください。四十人以上の者が、パウロを殺すまでは飲み食いしない、と誓い合って、彼を待ち伏せしているのです。今、彼らは手はずを整えて、あなたの承諾を待っています。」
 そこで千人隊長は、「このことを私に知らせたことは、だれにも漏らすな。」と命じて、その青年を帰らせた。
 そしてふたりの百人隊長を呼び、「今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるように、歩兵ニ百人、騎兵七十人、槍兵二百人を整えよ。」と言いつけた。
 また、パウロを乗せて無事に総督ペリクスのもとに送り届けるように、馬の用意もさせた。
 そして、次のような文面の手紙を書いた。
 「クラウデオ・ルシヤ、つつしんで総督ペリクス閣下にごあいさつ申し上げます。
 この者が、ユダヤ人に捕えられ、まさに殺されようとしていたとき、彼がローマ市民であることを知りましたので、私は兵隊を率いて行って、彼を助け出しました。
 それから、どんな理由で彼が訴えられたかを知ろうと思い、彼をユダヤ人の議会に出頭させました。
 その結果、彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことがわかりました。
 しかし、この者に対する陰謀があるという情報を得ましたので、私はただちに彼を閣下のもとにお送りし、訴える者たちには、閣下の前で彼のことを訴えるようにと言い渡しておきました。
 そこで、兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで、連れて行き、
 翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。
 騎兵たちは、カイザリヤに着き、総督に手紙を手渡して、パウロを引き合わせた。
 総督は手紙を読んでから、パウロに、どの州の者かと尋ね、キリキヤの出であることを知って、
 「あなたを訴える者が来てから、よく聞くことにしよう。」と言った。そして、ヘロデの官邸に彼を守っておくように命じた。

2011年5月1日
「勇気を出して」 高橋宣広牧師

使徒の働き 22:30-23:11

 その翌日、千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人に告訴されたのかを確かめたいと思って、パウロの鎖を解いてやり、祭司長たちと全議会の召集を命じ、パウロを連れて行って、彼らの前に立たせた。
 パウロは議会を見つめて、こう言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」
 すると大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた。
 そのとき、パウロはアナニヤに向かってこう言った。「ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる。あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか。」
 するとそばに立っている者たちが、「あなたは神の大祭司をののしるのか。」と言ったので、
 パウロが言った。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない。』と書いてあります。」
 しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」
 彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。
 サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。
 騒ぎがいよいよ大きくなり、パリサイ派のある律法学者たちが立ち上がって激しく論じて、「私たちは、この人に何の悪い点も見いださない。もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかもしれない。」と言った。
 論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵隊に、下に降りて行って、パウロを彼らの中から力ずくで引き出し、兵営に連れて来るように命じた。
 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。

2011年4月24日
「復活の日曜日」 高橋宣広牧師

マタイの福音書 28:1-20

 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
 その顔は、いなずまのように輝き、その衣