日本同盟キリスト教団

■■■長野福音教会 ON SITE■■■

「約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。
また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。」(へブル人への手紙 10章23節、24節)

  • 初めて教会に来られる方々に、「礼拝」の意味や式次第の意味を知っていただけたら・・・という高橋宣広牧師の思いでつづられたやさしいコラムが、教会の週報に掲載されました
  • どなたにとってもわかりやすい解説になっていますので、お時間のあるときにご覧になってください
  • タイトルをクリックしていただくと、文章などが表れます                   

【礼拝プログラム解説】 3.「賛美(さんび)する」って何ですか?

 大いなる神様を「ほめたたえ」、「感謝し」、「祝福し」、「歌い」、「叫び」、「喜び楽しむ」など多様な意味が賛美にはあります。
 その意味は大きく4つに分けることができます。
 ① 三位一体なる神様だけをひたすらほめたたえることです。賛美は神様におささげする最高の行為です。
  「御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。」(詩篇66:2)
 ② 信仰を告白することです。賛美することは、与えられた信仰を公けに表明する具体的な行動です。それは人々に神様を証しすることにつながります。
  「主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。」(詩篇40:3)
 ③ 祈り願いです。賛美として歌われている詩を多く残したダビデの詩篇には、祈りや願いがあふれています。
  「昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。」(詩篇42:8)
 ④ 感謝のささげものです。賛美は歌をもって主に感謝をおささげすることです。神様の絶大な恵みに対して、喜び賛美することによって、感謝を表します。
  「それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。」(詩篇28:7)

 私たちの内面に信仰の高まりがふつふつと湧いてきて、それが歌(賛美は歌だけとは限りませんが)となってあふれ出て来るのが賛美です。

2020年10月18日週報から

【礼拝プログラム解説】 2. 「招(まね)きの詞(ことば)」って何ですか?

 前奏に続いて、司会者が朗読する聖書のことばです。「招(しょう)詞(し)」と言う教会もあります。神様が今日この礼拝に、私たちを呼び集めてくださっていることを確認する聖書箇所が選ばれます。長野福音教会の礼拝では、詩篇100篇が朗読されます。
 一週間前の日曜日、神様の祝福を頂いて、礼拝堂からそれぞれの持ち場立場に遣わされた者たちが、再び礼拝堂に集められ、心と思いを一つにして主の御前にひざまずきます。日曜日の朝、私たちは目を覚まし、「今日は日曜日だ。教会に行こう。礼拝をおささげに行こう」と、自分で決めて、自分で車を運転するなどして、教会に来ているように感じています。けれども、その背後に神様からのお招きがあって、神様が私たちの心に「礼拝に行きたい」との思いを与えてくださっているので、私たちは共に礼拝をおささげできているのです。

 詩篇100篇
 感謝の賛歌
  1. 全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。
  2. 喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
  3. 知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
  4. 感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。
  5. 主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。

 私たちは日々、いろいろな「招きの言葉」を受け取って、過ごしています。「新車をお買いになりませんか?」とか、生命保険の勧誘や、テレビやインターネットでの宣伝広告、町中の看板など、数えきれない多種多様な「招きの言葉」に四六時中、囲まれています。
 しかし、どんな新車よりも確実に最後まで私たちの命を担い、背負い、持ち運んでくださる方。それが私たちの神様です。
 どんな保険にもまして確実な永遠の保障を与えてくださる方。それが私たちの神様です。
 永遠につながる本当に必要な招きの声を選び取っていきましょう。

2020年8月23日週報から

【礼拝プログラム解説】 1. 「前奏(ぜんそう)」って何ですか? 

 礼拝の初めになされる奏楽を前奏と呼びます。賛美歌作家の由木康師は「前奏は俗(世)から聖(教会)への音のカーテンである」と記しています。その通り、前奏は礼拝前のB.G.M.でも添え物でもなく。そこから共に主なる神様におささげする礼拝が始まります。
 礼拝開始時刻に司会者が講壇に立ち、会衆は静まります。司会者が礼拝の開始を宣言し、「前奏の内に心を静め、主なる神様を待ち望みましょう」と呼びかけます。奏楽者は緊張し、すべてを神様に委ね、思いを主に向けて、ピアノを弾き始めます。その時、皆が一礼拝者として神の御前に出て行くのです。
 前奏の間、静まって黙想する方もおられるでしょうし、心の中で主に祈りをささげる方もおられるでしょう。祈りのお手本として下記のような祈りはいかがでしょうか?

 「天におられる父なる神様 新しい朝を与えてくださり、ありがとうございます。先週一週間の歩みを守り抜いてくださり、感謝致します。心も身体も様々な危険の中にありながら、あなたが守ってくださいました。そしてこの主の日の朝、礼拝へと私をお招きくださり、心から感謝致します。
 礼拝の間、みことばにのみ集中することが出来ますように。他のことに心奪われて、散漫な思いにならないように、お支えください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン」

:2020年8月16日週報から

どうして教会では、日曜日のことを「主日(しゅじつ)」とか「主(しゅ)の日(ひ)」と呼ぶのですか? 

 私たちの救い主イエス・キリストは、今から約2000年前の金曜日午後3時頃、十字架の上で私たちの罪の身代わりに死なれました。なきがらは墓に葬られましたが、3日後の(日本の数え方ですと2日後ですが)日曜日の朝、墓の中から復活されました。キリスト教会はイエス様が復活された事実によって生み出された群れです。
 復活の事実を喜び、証しするために、それ以前は土曜日が安息日で礼拝の日であったユダヤ教の礼拝から徐々に脱皮し、キリストが復活された日曜日を「主の日」また「聖(せい)日(じつ)」と呼んで、共に集まり、礼拝をささげるようになりました。
 新約聖書の中にも「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。」(使徒の働き20:7)や、「あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。」(Ⅰコリント 16:2)と記録されています。定期的に日曜日に集まり、礼拝をささげていたと考えられます。ローマ帝国がキリスト教化されるまで、クリスチャンは少数派でした。そのため日曜は休日ではなかったので、日曜の朝早くまたは夜遅くに集まって礼拝をしていました。
 今、私たちはそれぞれ闘いを抱えつつも、日曜日に教会堂で神様を礼拝できる恵みと特権を与えられていることを心から感謝し、この日を大切に歩んで生きましょう。
 なお、第七日(土曜日)が安息日であるとの聖書の戒めに忠実に従い、土曜を公同礼拝日としているキリスト教会:セブンスデー・アドベンチスト教会や、ユダヤ人にメシヤ(救い主)イエス様を証しするために、土曜に礼拝をささげているキリスト教会があることも書き添えておきます。

:2020年7月16日週報から

「真(まこと)の神様を礼拝するために、必要なものは何でしょうか?」 

 ヨハネの福音書4章23節で、イエス様は教えています。「まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。」
 私たちの礼拝をお受けになるお方は、三位一体なる神です。父なる神・御子イエス・キリスト・聖霊が、私たちの思いを守り導き、真実な礼拝へと向かわせてくださいます。私たちの礼拝は、聖霊に導いて頂く必要があります。みことばを聴き、賛美し、祈りをささげる礼拝者の心の内に働きかけてくださる聖霊から霊的感動を頂き、心からの礼拝をおささげしましょう。
 そして「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)と宣言される真理なるお方イエス様のゆえに、私たちは神様を礼拝できます。イエス様の十字架と復活による救いにあずかり、神の子として頂けたので、私たちは父なる神様をほめたたえることができるのです。

 また礼拝とは、日曜日の約1時間、教会でささげるものにとどまりません。日々の私たちの生活すべてが礼拝です。神様を人生の主人とし、神様に向き合い、神様に聞き、神様に祈り、神様に従って生きることです。そのために一日のどこかで特別に時間を設けることも大切です。朝起きてすぐに、または床に入って寝る前に賛美し、祈り、みことばに聴く時間を取りましょう。
 そんな個人礼拝が大切である一方、教会に集められ、皆で主をたたえることも大切です。同じ神様につながれている神の家族と出会い、主の励ましと導きを共にいただきます。それは天国での最高の礼拝の前味であり、リハーサルです。

:2020年7月5日週報から

「礼拝って何でしょうか?」 

 礼拝とは、真(まこと)の神様を敬い、拝むことです。聖書はいくつもの用語で、このことを表現しています。例えば、「奉仕をする」、「求める」、「ひざまずく」、「一致して告白する」などです。死からよみがえれた主イエス様と出会った女性たちが、御足を抱いてイエス様を拝んだ(ひれ伏した)の「拝む」も礼拝するという意味で使われています(マタイ28:9)。

 私たちは、礼拝をおささげすることを通して、
① 私たちを招いてくださっている神様(イエス様)に出会います。
② 神様を畏れ、拝み、ほめたたえます。
③ 神様と親しく交わります。語りかけを聞き、私たちの祈りを聞いて頂きます。

 本来、すべての人は真(まこと)の神様をあがめ、神様に感謝し、神様と共に生きる者。つまり礼拝者として造られ、いのちを与えられた存在でした。けれども悲しいかな、神様を見失い、自分勝手に生き始めた結果、多くの人は礼拝者であることを止めて歩んでしまっています。
 教会に集っている人たちは、「これまで自分は神様を大事にしてこなかった…」ことを正直に認め、神様の愛と赦しを信じて、礼拝する者に回復していただいた人たちです。

:2020年6月21日週報から

参考文献: 

         『祈祷集-教会に生きる祈り』 加藤常昭(教文館)
         『伝道のステップ1.2.3.』 鈴木光(日本キリスト教団出版局)
         『今、礼拝を考える』 越川弘英(キリスト新聞社)
         『礼拝賛美のこころえ-共に喜ぶ賛美を』 天田繋 (いのちのことば社)
         『新聖書辞典』 (いのちのことば社)