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◆第34章 在留特別許可と退去強制処分◆

みなさん、こんにちは。行政書士の高坂大樹です。今回は、最近の入管関係のトピックスから、在留特別許可が許可されたケースと退去強制処分となったケースからそれぞれ二つずつ取り上げて考察します。

●在留特別許可が認められたケース

(1)オーバーステイ中に日本人女性と知り合って交際していたナイジェリア人男性(42歳)が、摘発され逮捕された翌日に結婚届を提出した。入管は退去強制処分としたが、福岡高裁は日本人と結婚しており、在留資格を認めるべきだと判断した。(2月23日の報道)

(2)中国籍の李兄妹(19歳と16歳)は、父親が中国残留婦人の実子であるとして11年前に来日し、李兄妹も父親について一緒に来日したが、実は父親は中国残留婦人の実子ではなく甥であったことが発覚した。両親は退去強制処分になったが、同じく退去強制処分になった兄妹は処分の取消を訴えた。兄の李峰さんは、処分取消訴訟で勝訴し取消が認められ、入管が控訴していたが、2月27日の東京高裁控訴審は「父親に連れられてきた原告に不法残留の責任はない。在留を認めないのは裁量権の乱用」として入管側の控訴を棄却した。妹の李金花さんも一審では勝訴し、入管が控訴中だったが、3月20日、法務省は2人の退去強制処分を取り消し、日本での定住を認める在留特別許可を与えた。(3月20日の報道)

●在留特別許可が認められなかったケース

(1)イラン人のアミネ・カリルさん(43歳)は、1990年に就労目的で来日し、家族も呼び寄せてオーバーステイを続けていた。アミネさん一家は、在留特別許可を求めて1999年に東京入国管理局に出頭したが、当時の法務大臣は在留特別許可を認めなかったので、退去強制処分の取り消しを求めて提訴した。しかし、取り消しは認められず、昨年10月の最高裁で退去強制処分が確定したが、今回特別に長女のマリアムさん(18歳)だけに短大に進学するための2年間の在留特別許可が認められた。(2月17日の報道)

(2)ベトナム人のブ・バン・タンさん(51歳)は、2001年に永住権を有するベトナム難民の女性と結婚し、永住者の配偶者等の在留資格で日本に住んでいた。しかし、夫婦間のトラブルからベトナム難民の女性が失踪したため、ブ・バン・タンさんと二人の子供(21歳と20歳)の在留資格の更新が認められず、オーバーステイとなっていた。一家は、在留特別許可を願い出ていたが、法務省は在留特別許可を認めない旨を通告した。(2月23日の報道)

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以上、4つのケースを紹介しましたが、在留特別許可が認められたケースと認められなかったケースとでは、どういう違いがあるのでしょうか。真面目に働き、オーバーステイ以外には問題がなかったアミネ・カリルさん一家とブ・バン・タンさん一家に当局が在留特別許可を与えなかったことに対しては批判的な報道や意見が多かったのですが、彼らの在留特別許可が認められなかった理由は、入管や法務局が在留特別許可を認めるには彼らと日本とのつながりが浅いと判断したためだと考えられます。

ご存じのように、日本では外国人単純労働者は認められていません。基本的に外国人は、一定以上の資格や技術・技能を持って就職するか、あるいは自ら事業をするなどの場合でなければ日本で働くことが認められていません。ただし、日本人の配偶者であるとか、日系人であるとか、旧植民地の出身者であるなど、日本とのつながりが深いと認められる場合は、日本での労働が制限されていない在留資格が与えられ、単純労働であっても働くことが可能です。アミネさんは日本とつながりがないために単純労働者として働くには不法就労という判断になり、それに対してブ・バン・タンさんは、当初は永住者の配偶者等の在留資格があったので、単純労働者として働くことが認められたのです。

紹介した4つのケースは、原因は様々ですが、結果としてオーバーステイの状態になったわけですが、在留特別許可が認められたケースと認められなかったケースとの違いは、日本とのつながりの度合いにあります。ナイジェリア人男性のケースが一番分かりやすいのですが、彼は日本人女性と結婚しており、現在の当局の方針では日本人と結婚していてオーバーステイ(不法就労)以外に問題がない場合は在留特別許可が認められる可能性が高いので、彼の場合も認められたわけです。

李兄妹が許可されたのは、偽っていたのは父親で彼らに責任がなかったということもあるのですが、兄の李峰さんが8歳、妹の金花さんが5歳で来日していて、二人とも日本語は流暢でした。その反面、母国語の方に問題があり、帰国した場合に不自由があるという点が考慮されたようです。李峰さんが、千葉県内の大学に合格していたということも判断の材料になったようです。もし二人がもう少し大きくなってから来日していて、日本語が不自由であったならば、異なる結果になったと思われます。

アミネさん一家の中でマリアムさんだけに在留特別許可が認められたのも、マリアムさんが3歳で来日し、李兄妹と同じく日本人と何ら変わりなく日本語が話せ、その反面母国語には問題があること、さらに短大進学が決まっているなど、すでに日本とのつながりが深くなっていると判断されたのでしょう。一方、ブ・バン・タンさんの子供たちが来日したのは14歳と15歳で、高校生と中学生である現在も母国語を喪失しておらず、日本語よりも母国語の方が能力が高いという点が判断の基準になったのでしょう。このように入管・法務省は、日本とのつながりの度合いを、在留特別許可を認めるか認めないかの判断の基準にしているのです。

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付記
2月27日、当メルマガの第12章でも取り上げている国籍確認訴訟の控訴審判決が下りました。結果は原告の逆転敗訴で、外国人母親から生まれた子供で生後認知された者は、胎児認知の場合と異なり、出生による日本国籍を認めないという従来の判決を踏襲したものでした。これは平成18年2月28日の東京高裁の控訴審と同様の判決内容です。この問題に関して最高裁がどのような判断を下すかが注目されます。

平成19(2007)年4月1日

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