弘前市の友好都市・群馬県尾島 |
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このページは尾島町観光課の清水さんから戴いた資料をもとに作成しました。
(尾島町のねぷた祭)
群馬県尾島町(おじままち)と青森県弘前市のゆかりは、江戸時代のはじめ ころまでさかのぼります。 津軽藩(つがるはん)の初代藩主(はんしゅ)津軽為信(ためのぶ)は関ヶ原の 戦いで徳川家康に味方しました。そのほうびとして、上野(こうづけ・今の 群馬県)の6ヶ村2千石をもらいました。そのうち約930石が今の尾島町にあた ります。尾島町に津軽藩の飛び地ができたのです。 大舘(当時の大舘村)には、津軽藩の代官足立氏が住んでいて、その墓は今 も大舘の東揚寺の境内(けいだい)にあります。 大舘村には「大舘御前(ごぜん)」sと呼ばれた側室(そくしつ)がおり、津 軽2代藩主津軽信枚(のぶひら)とこの大舘御前を母として大舘村に生まれた 信義は、3代藩主となりました。 このような歴史的なゆかりがあって、弘前市と尾島町の交流が始まり、平 成3年11月に友好都市となりました。 津軽藩代官足立氏の墓 江戸時代のはじめごろ、大館村外7ヶ村に 津軽藩の領地があり、その代官として、足 立氏がこの地を治めていた。墓には五輪塔 1基と宝篋印塔11基がある。 |
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