第6日:紅い電車 蒼い電車  2004年9月2日(日)
〜ウィーンの路面電車とバーデン〜

  ウィーン市(Wien)について

  <所属州>ウィーン州
  <人口> 162万人
  <面積> 415平方キロ

永世中立国 オーストリア共和国の首都。
地図を見ると、国土の東端に位置し、インスブルックなど国内の主要都市より
スロバキアの首都ブラチスラバのほうが近いことが解る。
ハプスブルク家の都として栄え、現在は観光都市として有名だが、
国連原子力機関(IAEA)や石油輸出国機構(OPEC)など国際組織の本部が多数置かれている。

交通網は、ウィーン路線網(Wiener Linien GmbH & Co KG:実質はウィーン市営)が運営する地下鉄5路線・路面電車、バスがある。
特に路面電車は180Kmのネットワークと1000輌の車輌数で、世界でも有数の規模を誇る。

オーストリア国鉄(ÖBB)は市内の複数のターミナルから郊外に路線を広げ、通勤電車(Sバーン)を
走らせているが、実態は、日本の中距離電車のようなものである。
この他、郊外電車のウィーン地方鉄道が存在し、市内ではウィーン市電の線路に乗り入れている。

なお、ドイツの都市と同じく交通連合が結成され、市内の一般交通は共通で乗ることができる。

ウィーン路線網 公式ページ ウィーン地方鉄道 公式ページ

◆朝のウィーン西駅にて
 いつのまにか朝が来ていた。
窓の外を見ると、車窓を流れていた上り線のレールが見当たらない。
これは単線区間になったわけではない。
ドイツ鉄道(DB)が右側通行が基本なのに対し、
オーストリア国鉄は日本と同じ左側通行が基本のためである。

つまり、私にとって3っ目(・・・板門店で10歩ばかり入った某国を含めばれば4ヶ国目・苦笑)の異国、オーストリアに足を踏み入れた訳である。
とはいえ、ドイツもオーストリアもEU加盟国だから、パスポートの審査があるわけでもない。
通貨も、この春にユーロに統合され、シリングを使わなくなった。
その上、オーストリアも主要民族はドイツ民族でドイツ語が公用語だから、全く異国という感じがしない。
東京から札幌に行き、JR東日本がJR北海道になった・・という程度の感覚である。

やがて、列車はウィーンの西の玄関。ウィーン西駅(Wien west)に到着した。
頭端式である。これだけなら、欧州らしい終着駅なのだが、
駅舎は共産圏のような実用本位な四角い箱で、かのウィーンを代表するターミナルとしては、少々味気ない。
ウィーン西駅
●ウィーン西駅舎 (9月3日 撮影)

先ずは食い物を胃に入れないことには・・・・駅構内のチェーン店のパン屋に駆け込み、
そこのスタンドでそのまま放り込む。これで昨日から空っぽの胃が一息ついた。

さて、駅構内には次から次へと夜行列車や長距離列車が着発している。
ウィーンは国境が近い。従って列車を構成する車輛の国籍も様々である。
ドイツ、スイス、ハンガリー、ルーマニア・・・西欧・東欧、色とりどりの客車が繋がる様は見ていて飽きない。
成るほど、日本のローカル電鉄のごちゃ混ぜ編成に魅了された人が、JRを飛び越えて
欧州の客車列車に嵌るのも解るような気がする。

客車 客車
●左はルーマニア国鉄(CFR) 右のステンレス寝台車は国籍不明・・

また、リンク・バッファ式の連結作業も目に焼き付けておく。
日本では一部を除き大正時代に廃れたこの方式だが、連結器そのものの遊びが大きい自動連結器に対し
バッファが車輛間の衝撃を吸収するので、実は乗り心地がいい。

やがて、先ほど乗ってきた列車に列結されていた自家用車用の車運車が、入れ替えでホームに押しこまれてきた。
北側から2線目に積み下ろし設備があり、線路の終端にも連結器が設けられている。
それで、車輌を固定すると、2両分の車運車の上下2段から勢いよくクルマが飛び出してきた。
そして、そのまま頭端式の通路を通って街へと出て行く。随分と合理的な設計になっている。
日本のカートレインとは訳が違うことを、まざまざと見せつけられた。
車運車 車運車

◆路地裏の電車
さて、ウィーンの町はシュティファン寺院や王宮のある中心地を核に、それを取り巻く環状道路(Ring)がある。
そこから同心円状と放射状に道路があるという蜘蛛の巣型の道路配置になっている。
ここウィーン西駅はその名の通り、市街地の西外れである。従って中心地方面へ行くには地下鉄が路面電車に乗る必要がある。

なにはともあれ、先ずは地下にある市営交通の案内所へ行く。ここで路線図を買う。
と、そのショーウィンドーにはウィーン市交名物のディスプレイモデルが。
早速ほしくなるわけだが、これは3日後までガマン。

路線図は、ここでも1.50ユーロだった。都営バスが配布しているもののように、地図上に路線を直接描きこんである。
広げると、正に「網の目」状に張り巡らされた路面電車の路線網に圧倒される。
それでも地下鉄開業で、路線が減っているとのこと。
一方で、バス路線とは競合する区間が少なく、役割分担が明確なことが解る。

再び地上に戻ってきて、今度は乗車券を購入。
とりあえず、ウィーン市内3日(36時間有効)乗車券を選択した。
なお、オーストリアも市内交通の乗り方はドイツと同じセルフサービス式で、事業体を超えた運輸連合が組まれている。
ちなみにウィーン周辺はVOR(東地方運輸連合:Volks Ost)と称する。

この西駅は路面電車のターミナルでもある。
大きく分かれた上下線の真中に地下鉄の出入り口を兼ねた駅舎があり、また上下線を結ぶ折り返しループ線が両端にある。
従って都合6箇所くらいの乗り場がある。

西駅前の路面電車 西駅前の路面電車

やってきた5系統の電車に乗る。デュワグカーである。
ウィーンは規模の割には電車の種類が少ない。
簡単に分けると、いわゆるデュワグカー、その末期改良型、そしてポルシェの100%低床車(ULF)の3種類だけである。
但し、デュワグの場合、多くの系統で2車体連節の電動車がボギー式の付随車を引っ張って走る。

西駅を出た電車は一度東に進路をとったあと北上する。
道幅は路面電車の複線と歩道でいっぱいになってしまう。
この点では岐阜も金沢も相手にならないほどだ。
最も、それゆえに路面電車はバスのように歩道から直接乗り降りできるというメリットがある。
これが問題にならないのは、幹線道路が別に存在しているというのが見逃せないだろう。

それにしても、あちこちに路面電車の線路がある。
降りるところを間違ったら、以降迷子になること必至である。
それらの多くが同じように狭い道に敷かれているのも面白い。

◆日本の非常識はウィーンの常識
途中のランゲ小路(LangeGasse)で43系統の電車に乗り継いでやってきたのはショッテン門(SchottenTor)。
Ringの北東端にあたり、教会が鎮座している。
ショッテン門

その前の大きな広場にループ線があり路面電車が発着している。
これだけなら、欧州によくある風景であるが、よく見ると広場の真中に穴があいている。
ということで、地下に降りると・・・

なんと、そこにも路面電車の停留所があるのではないか。
つまり上下2段重ねにループ線が敷かれていて、地上は東方面からの系統が、地下は北方面からの系統が発着しているのである。
その風景は、どこか新宿駅西口のロータリーを思い出させる。
クルマの代わりに電車が走っているわけで、地下街側から見ると、なかなか楽しい眺めである。
2段重ね
●ショッテン門 上には新型車のULF、下にはデュワグの末期型が停車している。

地下進入 地下電停
●地下電停に降りてくる電車。電停は地下街直結

次の現場に行くために、一旦オペラ座前(Oper.)まで路面電車に乗る。
これが1および2系統でRingをグルグルまわるシロモノである。(行き先表示は Ring Kai Ring )
日本のガイドブックにはウィーンの路面電車というとこれしか案内されていないことが多い。
ある意味「おのぼりさん」専用電車である。

それは兎も角、このRingは8車線の広い道でありながら一方通行である。大阪の御堂筋が連想される。
では、路面電車は道の中央を逆行するのか・・・残念ながら、そんな小倉の魚町みたいな光景は存在しない。
ここではバスレーンの如く、道の両端に電車が走っているのである。
これならばクルマの流れを阻害する率は低く、また歩道から直接乗るなど、メリットが多い。
しかし、日本では残念ながら今の所、実現不可能(岡山で共同溝の建設中に例外あり)である。
路肩軌道
●道路の両端に敷設されたringの軌道

1系統に乗ると、路面電車は車道を走っているだけではない。
時々歩道だか分離帯だかわからないような区間もある。
車道のみならず、その歩道にも充分な幅が取られていることがわかる。

さて、オペラ座前から、今度は南方面に行く電車に乗る。
Ringを走る系統と歩道を挟んで反対側にも電車の発着場がある。
すると、紅白のウィーン市電に混じって、蒼とクリームのデュワグカーがやってきた。
これがウィーン地方鉄道(Wiener Lokalbahn:通称WLBまたはバーデン線)で、ウィーンと南郊の温泉街バーデンを結んでいる私鉄の郊外電車である。

ただし、ウィーン側は市街南端で国鉄線陸橋のあるシェーディフカ広場(Schedifka Platz)迄しか路線がなく、
そこからオペラ座前までは市電の線路に乗り入れている(一部単独区間あり)。
ウィーン地鉄と市電
●オペラ前で並ぶウィーン地鉄と市電のデュワグ

とりあえず次の目的地へ行くには市電でも地鉄電車でもいいので、その電車に乗り込んだ。
市電と異なり両運転台・両側扉で、クロスシートの中央には大きなテーブルが備え付けられている。

オペラ座を出ると直ぐに南へ進路を変え、ドナウ運河を渡る。
その先は、上下4車線の道の真中を南に向けて走ってゆくが、ここもさして広い道ではない。
すると、電車の両側が壁になって、地下に潜ってしまった。
先ずは普通の相対式ホームの電停が現れる。
これが「路下電車」かというものか・・・と感心していると、やがて次のクリーブ小路(KlieberGasse)で直角カーブした。
すると、左手から別の系統が平面合流してくる。
更に次のマッツラインスドルフ広場(Matzleinsdorfer Platz)に停まると、その先で今度は南側に路線が分岐、しかも両方向から分岐している。
地下の三角分岐 地下の三角分岐

そう、ここがウィーン市電名物(?)、地下の直角分岐&三角分岐なのである。
地下を走る路面電車自体は、別に欧州では珍しいものでもなんでもないが、
長崎の西浜町のようなものがそのまま地下に潜っているのは、ちょっと珍しい。
無論、地下電停すら見た事のない私達にとって、カルチャーショック以外の何者でもない。

いずれにしても、「路面電車は道路の真中走るもの」といった固定観念に縛られがちな日本人にとって
ウィーンの路面電車は、何か別の見方を与えてくれそうな気はする。
なお、このような地下線を本格的な地下鉄に転用した区間(2号線のカールス広場付近)も存在する。
地下電停

◆地鉄電車で温泉街へ
・・と書くと、まるで宇奈月温泉に行くかのようだが、ここはウィーンである。
そんな戯言で涼しくなったのも束の間、地下区間を抜けると、地鉄電車は市電の線路と別れて坂を登る。
登りきったところがヴォルフガンク小路(WolfgangGasse)で、地鉄電車の車庫がある。

オペラ座前からやってきた電車は、後ろにもう1編成を連結し、ここからは重連でバーデンへ向かう。
なお、オペラ座前はループで折り返すので、向きはバラバラだが、 そもそも前後方向が違ったら連結ができなくなるというのは、
日本の固定編成電車特有の考え方であるらしい。
WLB車庫 WLB車庫
●WLBの車庫(左)、 重連になって出発する新型車(右)

再び市電に合流するが、その距離は小さく、いよいよWLB単独区間である。
複線の専用軌道を、快調に飛ばしてゆく。
そこで、カールスルーエのアルブタール鉄道のような景色を想像していたら、さにあらず。
幹線道路やらロードサイド型の店やら・・・。
ドイツにはなかったスプロールする郊外の風景が、連綿と続いていた。
これでは地鉄電車というより、オーストリアの筑豊電鉄である。

駅には貨車も多く留置されている。
オーストリア国鉄とも繋がっていて、貨物輸送も盛んらしい。
実際、貨車は国鉄線内でもよく見かける。
但し、機関車は電機ではなく内燃機。Nゲージのフリーランスによくありそうな光景である。

バーデンの街が近くなると再び併用軌道になった。
今度は単線で路肩を走り、どこか、名鉄美濃町線を連想させる。
国鉄バーデン駅前を過ぎると、間も無く終点のバーデン・ヨーゼフ広場。
道の脇につくられた2面2線の小さな停留所である。
バーデンの併用軌道 バーデン・ヨーゼフ広場
●バーデンの街は単線の併用軌道。終点は行き止まり式のヨーゼフ広場。

◆静かな田舎町
駅前から中心地の間に商店街が広がっている。
2日目に訪れた「バーデン」と同じ名を使いながらも、こちらは打って変わって枯れた感じの、
田舎町の温泉街という雰囲気である。
先ほどの地鉄電車の終点とあいまって、一六タルトの店が現れてもおかしくないと雰囲気がある。
ギラギラさがない分、私達は馴染み易かった。
バーデン バーデン

とはいえ、小さな街である。一周すれば直ぐにもとに戻ってきてしまう。
そんなわれわれを襲ったのは「空腹」である。
これまで、5日間ロクなモノを食べていない。

そんな時目の前に飛び込んできたのは、小さな市場の片隅にある喫茶店程度の大きさのレストランである。
ところが、例によってドイツ語はわからない。
H1氏が辞書を引くもののチンプンカンプン。
こういう時に、合羽橋商店街のありがたさを噛み締めることになる。

ええままよ。
店のおばちゃんを外に連れ出し、
そのまま黒板に書かれていた3っつのメニューを指でさして「ビッテ!、ビッテ!、ビッテ!!!」。
苦笑されながらも、なんとかわかってもらえた。
そういえば、おんなじことを韓国でもやったなあ・・・(遠い目)。
いずれにしても、ビッテが便利な言葉であることに違いはない。

オープンテラスで待つこと10数分、やがて料理が出てきた。
肉主体ながら、きちんと芋も野菜も入っている。これが、美味いの一言に尽きる。
米は長粒だが、これはこれであっていた。

思えば、欧州に来てからはじめて入る普通のレストラン。
一体われわれは5日間何を食ってきたんだろう・・・。

こうしてバーデンの昼下がりは過ぎていった。

◆危機一髪
さて、バーデンの町に入るところに、地鉄電車の車庫があった。
とりあえず電車に2停留所乗って戻って、中を確かめてみる。
ガラスごしに覗いて見ると・・・・保存車ばかりが数両放り込まれていた。
保存車の為の専用車庫・・・・日本とのあまりの環境の差に愕然とすること然りである。
保存車車庫 保存車車庫内
●保存車専用車庫

さて、ウィーンに戻らなくてはならないが、帰りも地鉄電車ではつまらない。
ということで、オーストリア国鉄を使うことにした。
バーデン駅はガラス張りの真新しい建物で、築堤上の構内は単純な相対式ホームである。
OeBBバーデン駅●国鉄バーデン駅

列車は快速(RE)と普通(Sバーン)が共に30分ヘッドである。
その、ウィーン行きSバーンは、4020系電車。オーストリア国鉄の主力通勤電車である。
というより、オーストリア国鉄の近郊電車は、殆どがこの形式である。

列車はウィーンへ向けて走り出した。
山の裾野の中央を走っているような感じで、車窓には農家が点在している。
気分は長野県、小諸と上田の間を乗っているような感じだ。
しかも、耳を澄ませば釣り掛け駆動の音が聞こえてくるではないか。
この車輌、モーターの出力と大きさの関係で釣り掛け式になっているのである。

と、そこへ、車掌さんがやってきた。
あ、オーストリア国鉄は車掌さんが乗っているんだ・・と、切符を見せた。
すると「ヒアリーズ ノット ウィーン! 」と言うではないか。

自主的・・いや強制的に見知らぬ田舎駅に降ろされた私達は、ただキョトンとするほかになかった。

しかし、罰金を食らわなかったのは不幸中の幸いだった。ドイツ国内や路面電車ならこうは行かなかっただろう。
なお、今日一日有効のユーレイルパスを持っていることは、暫らく気がつかなかった。オソマツ。
すたんどばいみー●降車した駅にて

◆またしても夕食は・・・
30分後のSバーンに乗り込みウィーンを目指す。
時間も17:00近いので、直接宿泊予定のユースホステルへ行ってしまう。
電車は他の系統と合流しながら、ウィーン南駅、中駅を通り、やがてドナウ川沿いのハンデルスカイ(handelskai)へ到着する。
4020 4020
●ドナウ川を渡りハンデルスカイ駅に入線する4020形 右はホームから見たドナウ川

ここから、北へ1区画進んだフリードリッヒエンゲルス広場(Fried.EngelsPlatz)にユースはある。
丁度目の前にバスが止まっていたので飛び乗った。
こんな贅沢(?)な使い方が出来るのも、共通乗車券のお陰である。

ユースへ行くと、ラッキーなことに丁度3人部屋が開いているとのこと。
建物は清潔で、電子式の鍵も完備と、申し分ない。
幹線道路沿いだが静か、そしてなにより路面電車の折返しループ付き電停がある。
残り2日、ここに常駐することになった。

荷物を置いて再び、ウィーンの街へ繰り出す。
夜のウィーンは、建物がライトアップされていて綺麗である。
そしてringの中、観光の中心へと進む。やはり、見るからにお上りさんが多い。
東洋人も目につくのだが、やや高齢の人が多い。
ライトアップ

結局、オペラを見る訳でもなく、
2号線シュテファン広場(StephanPlatz)から、地下鉄に乗って西駅に戻ることにした。
そのシュテファン広場駅にあったTVを見ると、なんと浅間山噴火のニュースが流れているではないか。
なにが起こったのだろうか、東京へ電話をしたとしても今は真夜中である。
心に引っかかったまま、西駅へ向かった。

西駅では、H1氏が行ったことのある店でウィンナーシュニッツェルを食べよう・・ということになっていた。
しかし、彼の記憶を頼りに駅周辺を回るものの、一向にそれらしき店が現れない。
仕方がないので、地図を買って調べなおすことにし、今日は駅のスーパーマーケットで食品を買って食べることにした。

さて、オーストリアのスーパーもドイツと変わりがないような感じである。
肉と乳製品が多くて野菜が少なく、魚がない・・・。
結局、飲み物とパン、カップに入ったサラダを買った。

ユースに戻って食べると、サラダの上側をゼラチンで補充されている。
味はすっぱく塩気が足りない。正直口にあう、シロモノではない。
昨日に続き今日もロクな夕食ではない・・が、昼食が良かったので、まあよしとしておこう。
すぱー
●U6号線の終点 ジーベンヒルテンで見たSPAR。
 日本ではマイナーなコンビニチェーンだが、実際はオランダに本部のある国際的食品チェーンである。

◆ウィーンの電車

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