第3日:線路は続くよどこまでも 2004年8月30日(月)
〜カールスルーエ→ハイルブロン〜
◆開店前のトランジットモール
ぐーてんもるげん。
・・・・・以下 だいたい8行分は昨日と同じなので省略
あいにくの雨の中、ホテルを出ると、先ずトランジットモールへ向かった。
朝のトランジットモールは、昼間とは全く別の姿を見せる。
この時間は歩行者の変わりに、商品を運搬する車輌や、清掃車が忙しく行き交う。
私たちエトランゼが突っ立っているのは、正直憚られる感じもする。
正に、商店のバックヤードである。
開場前の見本市会場が、戦争状態になっていることを思い出す。
その代わり、昼間は人をもてなすことに集中するのだ。
日本でトランジットモールを大々的にやるとすれば、荷物の配送方法から見直さなければならなだろう。
しかし、トヨタ方式・コンビニ方式が持てはやされる現状では商店側からの反発で無理というのは粗方予想がつくところ。
・・・とはいえ、コンビニの配送車が渋滞の原因の一つとは思うんですよねえ・・・。
◆まわるまわるよ電車はまわる
そのトランジットモールの西端に、ロータリー式のカイザー広場(KaiserPlatz)がある。
路面電車もロータリーにあわせて上下線が別れるが、それに加えてロータリーに沿って上下線を結ぶように線路がある。
従って、広場を鉄道模型の如く、エンドレスで走ることも可能である。
まあ、そんなシュールリアリズムな系統は絶対にやらないだろうけど。
このロータリーを使って6系統の電車が折り返している。
西側の上下線間が発着場所になっていて、全長約28mの連接車はギリギリでここに収まり、
東西を直通する電車はスレスレで通過してゆく。
停留所には屋根も何もなく、折り返しのついでに旅客扱いもしている感じである。
その6系統はチボリ(Tivoli)行き。倉敷駅北口まで走って行きそうだが、そんなわけはない。
実際は、中央駅から東側に行った場所にある電停で、カールスルーエの電車の中でも、全長5Kmの最も短い系統である。
今やツヴァイシステムの長距離系統が闊歩する中で、馴染みやすい距離ではある。
実質的な起点である欧州広場で10人ほどの客を乗せると、右折して路線を南下、そして2停留所目でまた右折する。
ドイツの路面電車の交差点は大概どの方向へも複線分岐があり、自由な系統ができる。
ポイントも複雑怪奇な形状になるが、鋳物の一体形成品になっていて石畳と共に美しい景観を作り上げている。
●工事中のMathyStrの分岐点。手前が中央駅
また2停留所で左折すると、近年建設されたと思われる芝生軌道区間になった。
そこは幹線道路のセンターリザーベーションで、よく流れてはいるが、クルマの量が多い。
トランジットモールとツヴァイシステムが注目されるカールスルーエだが、一方で南ドイツはベンツ本社がある世界でも有数のクルマ社会。
ここも、紛れもなくその一部なのである。
両側は集合住宅が立ち並んでいる。車内もどんどん客が増えていった。
欧州の中心市街には一軒家は少なく、人口密度が日本より高いのがわかる。
これは公共交通を運営するには、有利な条件だろう。
●6系統の芝生軌道。Barba-rossaPlatz〜Ebert-strにて。
◆何も悪いことはしていないんですが
チボリは、南側にDBの線路群があるだけの淋しいところ。
駅前で折り返そうにもループがないので、ここまで来ているような感じである。
この電停の部分だけ線路が路肩に寄っており、ループ線と本線上にある電停を行き来するのに、道路横断はいらない。
ここで電車を待っていると・・・黄色い物体がやってきた。
古いデュワグカーを改造した事業用車。帰国後に調べたところ線路研磨車らしい。
全く、鉄ちゃん3人の念でとんでもないものを呼んでしまったようだ。
ここからはどうしようか・・・とりあえず目の前にやってきた市内線の終点に行くことに。
ジーメンスアレ(SiemensAlle)方面行き(注:カールスルーエの電車は、電停名ではなく方面名を表示)である。
電車に乗車して暫くすると、突然に同じベストを来たオバちゃん・オッちゃんが6人ほど乗り込んできた。
これが例の「抜き打ち検札」である。
何も悪いことはしてないのに、緊張が走る。
乗客は皆、切符を持って手を上げ、有効な乗車券を持っていることを知らせる。
それを係員は素早くチェックしていくが、中にはなかなか切符が出てこない人もいる。
この編成で見た限りは不正乗車の客はいなかったようだ。少々意外である。
そして検札が終わると、係員は一斉に降りていった。
取り逃がしがないように一気にやってしまうのである。
◆終点はデルタ線
さて、3系統はトランジットモールを抜け、その北西の終点へ向けて走る。
途中道が狭いところでは、クルマと電車が同じところを走る。
杓子定規な「路面乗り入れ禁止」になっていないことが解るが、その距離は短い。
やがて国鉄の貨物線をまたぐ陸橋を超えると、
ジーメンスアレの名の通り、ドイツを代表する世界的電気メーカーの工場が目に飛び込んできた。
なるほど、陸橋の手前の電停にはループ線があったから、工場への通勤客/用務客を見込んで新たに延長した区間なのであろう。
まもなく終点、ラサレ通り(LassalleStr.)の電停が見えてきた。
そう思うと束の間、いきなり道の右脇に突っ込んで、そこで降ろされた。
不思議に思っていると、電車が入線した所にポイントがある。
つまり、ここはデルタ線方式で折り返しているのである。
間も無く、運転士氏は車輌の一番後ろにやってきて、カバーを開け、
いわゆる「簡易運転台」を操作して電車を乗り場へ向けて動かした。
いやはや、いろいろな折り返し方法があるものだ。
ちなみに、この三角線の降車場から先にさらに線路を敷くスペースがある。
なにかの廃線跡を流用したのか気になるところである。
◆分岐点は駅の様相
3系統(とS1/11系統)が東西方向の幹線から北方面に分岐するのが、ヨーク通り(YorckStr)である。
しかし、これが日本の電停と比較すれば「巨大」なのものである。
線路は3線を有し、長さ約60mで幅広の電停を持つ。
それでいて道路そのものの幅にも余裕があり、なんとも贅沢なつくりである。
3線になっているのは、西方向に直進する系統と北方向に曲がる電車を分けて
それぞれの信号待ちを妨害しないためなのだろう。うまく作られている関心する。
雨は相変わらずジャンジャン降っている。
そこへ1台のトラックのような清掃車のような・・得体の知れないベンツのクルマがやってきた。
何かと思っていると、タイヤ間にある装置で線路の水を吸い出しているのである。
停留所の3線分について作業を終えると、再びどこかへ去っていった。
こちらの電車は溝付レールだから、こんな処理も必要なのである。
このあと、今夜乗車する切符を手配するために中央駅へと一旦戻った。
駅周辺を散策すると、そこに鉄道模型店があった。
N(1:160)もHO(1:87)も扱っているのだが、値段を見ると両者に価格差がないどころか
むしろHOの方が安いくらいである。
これでは欧州では皆HOに走るのは当然である。逆にN主流の日本は変わっているのかもしれない。
その模型店の前の道路では軌道敷きを電車とバスが一緒に走っている。
カールスルーエではバス系統と路面電車の棲み分けがはっきりしていて平走する区間は少ないのだが
ここでは、同じ公共交通の電車とバスは、合理的に同じ専用レーンを走るのである。
●軌道敷を走るバス
◆ドイツにおける「郊外」と「旧家」の風景
3系統に乗っていた時、シュィラー通り(SchillerStr)で、単線の路線が分岐するのが見えた。
大通りからいきなり路地裏へ吸い込まれる、そのたたずまいは気になった。
気になったものは必ず見に行く。それが信条であるから、今度はそちらへ行くことに。
中央駅からは直接行けないので、一旦マルクト広場(MarktPlatz)へ行く。
今日は花の市場でごった返している。
トランジットモールも日曜以上の賑わいで、歩道は一体どこから溢れてきたのかと思うほどの人である。
単線区間を通る1系統 オーベロイト(Oberreut)方面行きは、直ぐにやってきた。
(部分)ノンステップ車であるから、トランジットモール内のベンチに腰掛けている人の目線と
ほぼ同じになるのは面白い。
いよいよ単線区間に突入した、しかしその区間はほんの僅か、100mほどで終わってしまった。
その先、1電停分走った後は、またしても真新しい区間、今度は専用軌道である。
途中、DBの貨物線を高架線でオーバーパスすると思うと、急勾配を駆け下り旅客線を掘割でアンダーパスする、
ジェットコースターのような線形になっている。
雨が少ない欧州では、空転や滑走を気にすることなく、電車の最大能力に合わせて、強引な線形を実現しているらしい。
また比較的落書きの少ないカールスルーエではあるが、この高架上にあった電停は凄まじい落書きだった。
やはり郊外に出ると治安は悪化するらしい。
その先は、新興住宅地。だが、アスファルトやコンクリートより緑の多さが目立つ。
この路線も、センタポールの芝生軌道である。ドイツという国は緑の存在を大切にしているようだ。
やがて、なにかの会館の前らしいところが終点のバーデン広場(BadeniaPlatz)だった。
1面の緑の絨毯の中にループ線が存在し、その周りには比較的新しい集合住宅が散在している。
韓国で見た高層住宅の森に比べると、なんとも優しい風景だ。
その面持ちは日本の公団住宅に似ているが、意匠は凝っているのも多い。
街の中心がノーブルに決められている分、郊外にその反動が出てくるらしい。
帰り道で、今度は単線区間で降りてみる。
周りの建物を見ると、みな建築年代が古いことがわかる。
それゆえの単線区間なのであるが、カールスルーエの中心地で建物が古い区画は、どうやらこの一角くらいのようである。
そういえば、この当たりはフランスとプロシアが領土を争ったところに近い。
ライン川の対岸は直ぐにフランスである。
この街にも、大戦以前より、大きな戦禍があったことを連想させる。
余談であるが、日本でも路面電車の町として名高いドイツのフライブルグとフランスのストラスブール、
そしてこのカールスルーエは互いに比較的近い距離に存在している。
◆車庫を見たからには・・・
さて、カールスルーエに長居してしまった。
今晩は、ミュンヘン発の夜行列車に乗らねばならない。その為に少しづつ東へ向かう。
ここで乗車するのが、路面電車−普通鉄道直通(ツヴァイシステム)の発祥系統であるS4(41)系統である。
ハイルブロンへは快速(EIRZUG)と普通が1時間に1本づつ、これに途中のエピンゲン止まりが1本加わる。
第2日でも少々触れたが、S41系統は全長140Kmの長距離系統である。
フロイデンシュタットを起点に山間のローカル線を走り、ラシュタットでドイツ有数の幹線に合流、(S4系統はこの幹線のバーデンバーデンが起点)
アルブタール駅からデューラッハ駅までカールスルーエの中心地を路面電車の市内線で抜けると、
今度はいくつかの小都市を結ぶローカル線を70Kmの間ひた走り、終点のハイルブロンでは中央駅からその中心地まで、再び路面電車の市内線を走る。
まあ、新潟市内と柏崎市内に路面電車があって、磐越西線津川→信越線新津→新潟→市内線→越後線青山→柏崎→市内線と
直通電車が走っているようなものである。
(そこにさらに新潟交通電車線と蒲原鉄道、さらには白新線が直通する巨大な電車網があるわけだ)。
トランジットモールを抜け、大聖堂の下を抜けると中心地からはどんどん遠くなってゆく。
・・・さよならカールスルーエ・・・・・。
と思ったのも束の間、目の前に電車庫が飛び込んできた。
またしても途中下車となる。電停名はテュラ通り(TullaStr)である。
VBK(カールスルーエ交通事業)とAVG(アルブタール交通)両方の看板があり、その共用車庫になっている。
両者ともカールスルーエ市100%出資だから、同一事業者の市内電車部と郊外電車部程度の違いなのかもしれない。
車庫は全ての路線を被い、奥行きも長い。留置車輌を全て格納できるようである。
近年落書き被害が後を絶たない欧州において、路面電車の車輌に関してはその例が少ないのは、
このように屋外留置が少ないということが理由らしい。
すると、電車庫の中から、電車・・ではなく連接バスが飛び出してきて、思わず唖然とする。
鹿児島市交のように電車とバスの車庫が同一の敷地内にあるようだ。
空いている扉から半身乗り出して事業用車が止まっている。
デュワグカーと一見してことなるそのスタイルは、かつて、この近辺に車輌を納めていたラシュタット製のボギー車である。
その奥には、何両かの古典車輌が押し込まれている。
ドイツではどこの都市でも最低5両程度の動態保存車輌を保有しているのは羨ましい限り。
1年に数回、運転会を行っている。
●ラシュタット製ボギー車(左)、予備車の1975年製連接車(右)
そして、半透明アクリル板の向こうにも見慣れない電車が数編成。
後に調べたところ、1975年頃に製造されたAVGの車輌だった。
運用数よりも随分余計に車輌を保有しているようである。
◆代行バスに乗って
思わぬところで寄り道してしまった。今度こそハイルブロンである。
が、電車が故障したのか他の系統を含めて電車が全くやってこない。
みるみる内に電停は人であふれてしまった。列車接近を示す電光表示もクルクル変わっている。
●TullaStr.電停。幅に余裕がある作りで、日本の倍程度はある。
20分の後、漸くやってきたのはプフォルツハイム方面への直通系統(S5)だったが構わずに乗り、
とりあえず2つ隣の鉄軌分岐点のデューラッハ(Durlach)まで行く。
路線はセンターリザーベーションで、道路より1段高いところを走る。
カールスーエでは純粋な併用軌道は少ないようだ。
そう思ったのも束の間、行き成りポイントが現れると築堤を降り、DBと共用のデューラッハ駅だった。
●デューラッハ駅から分岐点方面を見る。電車の右側がオレンジ色に光っているのは、ウィンカー。
ここで降りると、5分ほどで本命のS41系統がやってきた。
路線図上ではここでDBに合流するように見えるが、実際にはこの先2.8KmはDBと平行する連絡線(AVG所有)になっている。
そして、グレッチンゲン(Grötzingen Bf.)で漸く合流。合わせてハイルブロン方面とプフォルツハイム方面に分かれる。
ここから単線になるが、うらぶれたローカル線のイメージはない。
昨日バーデンバーデン〜カールスルーエで見せた健脚ぶりを発揮し、高加速・高速運転を行っている。
また集落ごとに駐車場付の駅が新設されているようで、どこからもそれなりの乗降があった。
やがて、ブルフザル(Bruchsal)〜ミューラッカー(Mühlacker)の路線(ちなみにこちらにも直通形車両によるS9系統が走っている)
と交差する、ブレテン(Bretten)についた。すると乗客が皆降りてしまった。
日本でもお馴染みの「工事運休」という奴である。
フランクフルトのレーマー・中央駅・大聖堂のトリプルボンゴに続き、ここでも工事の洗礼を受けてしまった。
代行バスは普通の路線バスだが、ドット方式の行先表示には電車の絵が書かれ代行車であることを示している。
日本のそれと異なるのは、市街地では普通の路線バスと同じように扱われていることだ。
駅前以外の停留所でも乗り降りできるのは、便利だろう。
町を出れば、立派な幹線道路である。
周りに何にもない林の中のまっすぐな道路に、道東の路線バスに乗ったことを思い出した。
まあ、それ以外はさしたる感動もなく、幾分の退屈を感じながら、代行区間の終点である
フレーヒンゲン(Flehingen)に到着した。
どうということのない田舎の集落の小さな駅である。
ここから再び乗った電車は、快速(Eilzug)になっていた。
これがまあ、とにかく飛ばすこと飛ばすこと。Maxの約100Km/hをキープしつづけている。
同じ様に閑散とした景色なのに、一昨日のICEよりもスピード感があるのは、モーター音のせいだろうか。
路面区間を抱えながら、表定速度は40Km/h台になるのは納得である。
やがて留置中の緋い車輌群がみえるとハイルブロン中央駅である。
ただしこの電車は駅構内には入らず、脇の連絡線を通って駅前のガラス屋根の電停へと滑り込む。
この間に減速らしい減速はなく、デッドセクションがどこにあるのか、またしても解らなかった。
問題は切符である。KVVの1日乗車券とユーレイルパスで乗りついだここまでは良いとして
(本当は、ユーレイルパスも有効かどうか定かではないのだが ※)
ハイルブロン市内まで有効ではないのは想像がつくところ。
車内の券売機で市内線の切符を購入したが、それに手間取っているうちに、路線の半分が過ぎてしまった。
左側に大きなハーモニーホールが見えると終点である。
電停は都電荒川線・東急世田谷線と同じ高床仕様で車輌に頼らないバリアフリーを実現している。
ちなみに電停名も「ハーモニー」。なにやら福井に来てしまった様だ。
この先の路線は建設中。芝生軌道のセンターリザベーションになる模様である。
●ハーモニー前を発車するS4系統。この先は建設中。
◆10万人のトランジットモール
終点から手前2電停分、市役所と大聖堂を中心にしたあたりがハイルブロンの中心市街である。
この区間はバスと電車のトランジットモールになっている。
路面電車は中央駅〜ハーモニーホールの1路線だけだから、ここでは路線バスが主役である。
ハイルブロン(Heilbron)市は日本でも所謂「古城街道」沿いの街として知られる。
人口は約10万人で、比較的小規模だが、その中心地は日本の25万都市より活気が溢れている。
カールスルーエ同様、店の種類と、市街中心の密度の高さが影響しているようだ。
もっともその大きさはカールスルーエよりも小さい。
さて、ハイルブロンの路面電車は40年以上昔に一度廃線になっていた。
が、カールスルーエのツヴァイシステム車による運行が延長されたのに合わせて、中央駅からハーモニー前までの4電停分の
路面電車が新設された。その際にこのあたりはトランジットモールに改装されている。
なお、ツヴァイシステム車の乗り入れ先である、ヴェルト(S5系統の終点)やバートヴィルトバート(S6系統の終点)でも
短い距離の市内線建設が行われている。
さて、日本でもLRTの論議がなされて久しい。
日本の地方都市へ行くと、モータリゼーション云々が言われても幹線鉄道のローカル列車は、
(バスなどに比べ)それなりの乗車率を誇っているところが多い。
交通に関しては事業者と自治体の出血で欧州よりも確保「だけ」はされているのだが、
一方で中心地の崩壊は想像以上に進んでいるようである。
●ハイルブロン市役所とバス
しからば、その乗客を市内中心地に運ぶ手段として、このハイルブロンのように幹線鉄道と直通前提のLRTを1路線通すのが、
実は最も現実的に思える。
市内交通網の充実と称してLRT網を夢見るよりも、もっと注目されてよいのではないだろうか?
中央駅までは歩いて戻った。
川には遊覧船が浮かんでいたが、船体そのもの古さとガラス張りの客室がなんともアンバランスだった。
◆宮島線だけではなかった
ハイルブロン中央駅から、2階建てペンテルツーグの普通列車でシュツトガルトへ向かう。
30分間隔で走っており、このあたりは都市圏としては、カールスルーエではなくシュツットガルトに属する。
この車輌、2人掛け固定式クロスシートなのだが、座席の向きが不規則で、ところどころにBOX座席がある。
様々な乗客のニーズに対応する為だとされている。
事業者・利用者とも単純化を望む日本では、とうてい出てこない発想だろう。
車窓はカールスルーエ近郊と異なり、農産地帯はあまりない。
川沿いに街が点在しているようだった。緑の多さは変わらない。
やがて、シュツトガルトのSバーンが平行しはじめ、線路も幾重にも平行する。
北九州市内の鹿児島本線の雰囲気にどこか似通っている。
ベンツを生んだ工業都市、そして都市圏人口を考えれば、強ち的外れでもなさそうではある。
シュツットガルトでは45分でミュンヘン行きに乗り換えである。
その間に駅前地下のUバーン(シュタットバーン)・路面電車乗り場へ行くことにした。
本当は、余裕があれば乗ってみるつもりだったが・・まあ予定は未定のいい見本である。
シュツットガルトの電車といえば、高知にやってきた2台車・サブフレーム式のGT4形の故郷である。
それ以外にも施設面で特徴がある。
もともと1000mmゲージの市内電車網が張り巡らせていたが、これを都心部では地下化、
郊外ではセンターリザベーションを中心とする専用軌道化で、順次シュタットバーン化していった。
こうして、路面電車並の路線網を持つシュタットバーンが出現することになる。
しかし、この時に1435mmゲージ・高床式と、従来と全く異なる規格を採用したのである。
ということで・・・・・
地下に宮島線のような高低ホームが出現するわけです。
その上、線路は箱根登山のような3線軌条。いやはや、凄すぎます。
シュツットガルトの路面電車に地下区間が出現したのは、1976年
その後、シュタットバーン化が開始されたのが1983年のことである。
段階的な、長期間に及ぶ改築だったため、このような併用区間をつくったと言えそうだが、
古い規格の利便性を切り捨てなかったのは感心する。
2005年には残り系統のシュタットバーン化に着手する予定である。
この風景も見納めになるだろう。
なお、シュツットガルトには電車ラックレールで勾配を登る区間がある。是非とも乗ってみたかった。
◆今夜の宿はタルゴ
中央駅でパンを買い、客車の特急でミュンヘンへ向かう。
この頃になるともう車窓など何も覚えていない。
それもその筈、疲れて寝ているのだから。
ミュンヘン着は22:30。ここも尋ねてみたい街ではあるが、今回は素通りである。
いや、ここからベルリンまでに通過する、ニュルンベルクやライプツィヒも是非とも訪れてみたい。
一生で何度欧州に来れるのかは不明だが・・。
ベルリンへの夜行は、タルゴである。
おやっ?と思った方も多いと思うが、タルゴといえば、東急玉川線の・・ではなく、
広軌のスペイン国鉄が標準軌のフランス国鉄に直通するために開発した、軌間可変式の1軸式連節客車のことである。
それを、どういう理由かは知らないがDBが購入したのである。
最も現在は持て余しているようだが。
列車は既に入線しており、後ろには自家用車用の車運車が連結されている。
ちなみに、これで高速運転を行うので、貨車ながら0系新幹線と同じミンデンドイツ式台車を履いているのは面白い。
タルゴは、その独特の低い重心構造の為に床が非常に低い。
正に路面電車の低床車に乗り込むようなものである。
今夜、お世話になるのは座席車。欧州の車輌のそれは、日本のように回転しないため、残念ながら後ろ向きである。
しかし、揺り篭形状で座りごこちもよく、そして寝心地もいい。
いよいよ出発である。
7割程度の乗車率である。程よい距離を高速で結び、クルマも運んでくれるためか
欧州の夜行列車はそれなりに利用されているようだ。
肝心の乗り心地のほうだが、線路の継ぎ目から微妙な振動を広い、思ったほど良くない。
明日は、いよいよベルリンである。はやる気持ちを抑えつつ目を閉じる。
●DBの駅にあるゴミ箱。4分別仕様にはなっているが、中はグチャグチャ
※ 2006.5.11追記。この区間(クライヒガウ線)は1996年以降、AVGによる列車運営となっている。ラシュタット〜フロイデンシュタットのムルクタール線、プフォルツハイム〜バートヴィルトバートのエンツタール線も同様である(2000年より)。これらの路線ではユーレイルパスは使えないと思われる。
◆カールスルーエの電車
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