遊 旅人の 旅日記

2003年8月6日(水)晴れ

上越市から能生へ
AM 5:20 出発。曇っている。今日は暑くなりそうだ。久比岐自転車歩行車道の案内標識
市街地を出るとトンネルに入る。路側帯はあるが、念のため懐中電灯をつけて歩く。トンネルを出てしばらく歩くと、海沿いの道に出る。谷浜の海水浴場である。上越谷浜で小休止。


久比岐自転車歩行者道と書かれた案内標識がある。上越と糸魚川間をむすぶ久比岐自転車歩行者道のトンネル30,7kmの自転車・歩行者の専用道路である。この道を歩く。快適で安心して歩くことが出来る。
ところ処にある休憩所には、ベンチや水飲み場があり、木の棚が木陰を作っている。歩いて旅をしている私にとっては此の上ない休憩所である。また何箇所もトンネルがあり、中は涼しくて快適だ。ズーッとトンネルが続いてくれればよいなどと考えながら歩く。
名立町に入ったところの休憩所で小休止。
真夏の太陽が照り付けている。水分をこまめに補給しながら歩く。


PM 1時過ぎ能生の<道の駅>に到着能生の道の駅のオブジェ
施設内は何処も家族連れで溢れている。
真っ青な海と空と芝生の緑が、真夏の太陽の下、鮮やかなコントラストを描いている。
屋内の冷房を逃れ、外の日陰で休む。海からのそよ風が ほてった身体に心地よい。宿に電話をし場所を確認すると、直ぐ近くである。
道の駅を出て能生漁港を見ながら歩いてゆくと、漁港の目の前に宿がある。まだ能生漁港の景色二時である。宿で声を掛けると高校生くらいの女の子が出てきて、部屋に通してくれる。


しばらく休んで芭蕉の宿泊した宿を探しに出かける。一通り漁港の前の町並みを歩いてみるがそれらしい形跡はない。
R8を糸魚川方向に歩いてゆくと
<白山神社>と言う神社がある。石段を登って境内に入ると、古代の遺跡に入ったような感覚を受ける。由緒ありそうな神社である。左手の一段高くなった民家の庭のようなところに大きな石碑が建っている。細かい字が刻まれている能生 白山神社境内。よく見ると最後に<芭蕉>と言う文字が見える。刻まれている文字は全く読み取れない。芭蕉はこの能生で一泊している。史跡があっても不思議ではないと思うが、石碑に芭蕉の文字を見つけ改めてホッとする。
     
曙や 霧にうつまく かねの音
境内の中に進んでゆくと茅葺屋根の拝殿がある。拝殿の横の奥まったところに人がいる。近づいていってみると水を汲んでいる。70才くらいの品の良いご夫婦である。五つほどのポリタンクに水を汲んでいる。声を掛けると、この水でお茶をたてたり、コーヒーを入れると言う。上越に住んでいるが時々この水を汲みに来るのだという。
能生白山神社の芭蕉<汐路の鐘>の石碑神社の話をしてくれる。
社殿の後ろにある山は、<尾山>と言い竜の尻尾である。頭は妙高山だという。面白い話を承った。
奥の細道を歩いているというと、<今町(直江津>から<一振>まで芭蕉の歩いた様子を話してくれる。奥さんも芭蕉の句をよく知っている。すごい人達がいるものだと感心をしながら話に聞き入る。
神社入り口の石碑のことについて訊ねる。芭蕉が、この白山神社に有ったと伝えられる不思議な名鐘<汐路の鐘>を訊ねて来たときの感想と、その時読んだ句が刻まれていると言う。細かい字で読めないというと、前にある木の案内板に、解りやすく書いてあるという。石碑の方を見ると確かに石碑の前に新しい木の案内板が建っている。先ほどは石碑に気をとられ木の案内板には全く気がつかなかった。能生 白山神社 拝殿
芭蕉が能生で泊まった宿について尋ねると、不明だという。
色々と芭蕉のことについて勉強をさせてもらった。
ご夫婦は小一時間ほど話をして、水を積んだ車で立ち去る。大学の教授のような雰囲気を感じさせる人であった。また奥さんは言葉使いの丁寧な標準語で話をしていた
走り去る車を見送りながら心の中でお礼を言う。


能生 白山神社 本殿歴史民族資料館に向かう。神社の境内を出た小高いところにある。中には女性が一人いる。雪国の生活の説明をしてくれる。建物は能生の山間地にあった民家を移築復元したものと言う。
昔使われていた、生活用具、遺跡から出土した品などが展示されている。
民話の世界である。
奥の細道を歩いていると話すと、ここでも励まされ元気付けられる。資料館の外まで出てきて見送ってくれる。
白山神社を後にして宿の方に向かう。先ほどの水を汲んでいたご夫婦から芭蕉の泊まった宿は不明だと聞いたため宿に戻る。

部屋の前は漁港だ。あいにく西の空は曇っており夕日は見られそうにない。
今日は、芭蕉の泊まった宿の跡は見つけられなかったが、水汲みのご夫婦から良い話をきかせてもらい、資料館の女性からも面白い話を聞かせてもらい有意義な一日であった。
明日は糸魚川を通り青海町まで歩く。
曾良日記
名立ハ状届不。直ニ能生ヘ通、暮テ着。玉や五良兵衛方ニ宿。月晴。
おやすみ処
宿「玉や五良兵衛」について 今年、九月初め、市町村のホームページを検索していたところ、<能生町観光協会>のページの中で<玉屋>と言う名前の旅館を見つける。ホームページを開いてみると、<かって芭蕉が訪れた・・・「旅館 玉屋」俳聖 松尾芭蕉は曾良を伴って・・・次の地へと旅立って行きました>と言う文字が目に飛び込んでくる。能生町に芭蕉の泊まった宿がある!!
早速 旅館に電話を掛ける。旅館のご主人から「芭蕉の泊まった旅館は当旅館と思われる」と、心にずしりと響く返事が帰ってくる。旅館の歴史、芭蕉が泊まったと思われる資料、その研究などの お話を聞かせていただく。また貴重な資料を送って頂く。
三年前、歩いた時 見つけられなかった宿が今見つかる。それも<宿>は 跡ではなく、芭蕉の泊まった元禄の時代から現在まで三百数十年間営業を続け 現存しているのである。お話を聞かせていただき涙が出そうなほど感謝感激をする。
昨今では、芭蕉の足跡を訪ね歩いている人たちがよく訪れるそうである。いつの日か私も是非尋ねてみたいと思う。
能生町を歩いたにもかかわらず、残念ながら
<宿「玉屋」>さんを見つける事が出来なかったのは、能生漁港を町の中心と思い、能生駅や役場のある能生町本来の中心部を歩かなかった為である。
新しい市町村に入ると必ず駅、役場を目指し歩いていたのだが能生町では、すっかり忘れてしまっていた。
何事も自分の足で歩き、見て聞いて確かめなければいけないと今になって反省をしている。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

糸魚川市公式ホームページ