遊 旅人の 旅日記
今庄町から敦賀市へ |
AM5:20出発。今日も良い天気だ。<うだつの町並み>を通り、<ひうちが城>入り口を過ぎ、昨日、途中まで歩いた、ひうちが城の山の麓を川沿いに歩く。 川の向こう、ずーと先には北陸線の架線の柱が並んでいる。夏の爽やかな朝の光の中を歩く。しばらく行くと県道207<今庄杉津線>に合流する。<下新道>、<上新道>と歩いて行くと、<上新道 万葉・北陸道 追分の里>の案内板がある。<この木の芽峠越の道は平安時代に開かれ、以来北陸道の主道とされてきた>と書かれている。また県道207は北陸線が通っていた線路の跡であると記されている。現在の北陸線は木の芽峠の下を北陸トンネルで一気に敦賀に入っている。 昨日、駅の売店の人が、昔の北陸線は、スイッチバックをしながら木の芽峠のある山を越えていた、と話していた。 静かな山村の風景の北陸道を木の芽峠に向い30分程歩くと<二ツ屋>の集落に着く。 ここの<北陸道の案内板>には<江戸時代の天明年間には宿場町として栄え、芭蕉はじめ、歴史上著名な人達が、この北陸道を通った>と書かれている。 二ツ屋の集落を過ぎると、周りは森林の風景になる。やがて<木の芽峠登山道入り口>に到着。木の芽峠の案内がある。 小休止をとった後、草に覆われた石畳の道を歩く。この石畳の道は何百年も昔から多くの人々が通った歴史のある道なのである。 芭蕉もこの石畳を踏みしめて通ったのだ。 目の前が開けスキー場のゲレンデが現れる。 スキー場の入り口にはロープが張ってある。このスロープを登らなければならない。木の芽峠は、このスキー場のさらに奥にあるのだ。 昨日、駅の売店の人が「ゲレンデを登り、頂上に着いたら右方向に行くと<言奈(いうな)地蔵>と言う地蔵堂がある。そこを通りすぎ山を登ってゆくと、すぐに木の芽峠に着く」と教えてくれた。 ゲレンデには、かすかに道らしいものがついている。大きなゲレンデではないが傾斜がきつい。背中のリュックを意識しながら、斜面に生い茂っている草につかまり、一歩一歩滑らないよう雑草を踏みしめ登る。上りきったゲレンデの頂上は草ぼうぼうである。道らしいものはない。尾根を右方向に歩いてゆくとゲレンデの端に獣道が下から登ってきている。ここで終点になっている。周りを覆っている篠竹の林の中に、人が通ったようなトンネルがある。入ってゆくと山の稜線に出る。稜線の左の崖の下には舗装道路が登ってきている。 稜線を歩いて行くと社が見えてくる。 社の前の木陰ではゴザを敷いて、中年の夫婦が談笑している。 社に手を合わせ、ご夫婦に挨拶をすると、今日はこの<言奈地蔵>のお祭りで、準備をしているのだという。 社の横には桶や大きなバケツの中に沢山の飲み物が、山から引いた水に冷やしてある。涼気を誘う、懐かしい夏の風景だ。お菓子も沢山並べられている。 飲み物は売っているのかと尋ねると、無料だから飲んでいいですよと返事が返ってくる。参拝者に無料で配っていると言う。私は通りすがりの者だからと言って遠慮をすると、奥さんが缶ジュースと飴と袋に入ったお菓子を持ってきてくれる。ありがたく頂く。 軽トラが登ってきてお祭りの機材をおろす。荷物を下ろし終わるとゴザに腰を下ろし皆で話し始める。 世間話をしているうちに、ご夫婦の息子さんが海上自衛隊の江田島にいると言い始める。私は二年ほど広島に勤務をしたことがあり江田島の自衛隊にも行ったことがある。江田島の話でしばらく盛り上がる。 一時間ほど話をした後、うしろ髪を引かれる思いでお祭り準備中の言奈地蔵を後にする。 少し歩くと上り坂になり、行く手に茅葺の家が見えてくる。木の芽峠の<前川家>である。 この<木の芽峠>は<鉢伏山>を中心に北の<山中峠>、南の<栃ノ木峠>をむすぶ稜線上にある。福井県を嶺北、嶺南に分け、昔は北陸道・越前の玄関口として番所があり、前川家が、その任に当たっていたという。 今でも、この萱葺屋根の家は、前川家の住居であり、住んでいる。 周りの風景に溶け込んだ、というよりも、周りの風景を作っている、風格のある佇まいをしている。 ここでもビールやジュースが清水に冷やされている。5〜6人の服装を整えた人たちが、忙しそうにそれらを車に積み込んでいる。 家の向かい側、ちょっと小高いところにあるベンチにリュックを下ろし休ませてもらう。 人々が立ち去った後、家の中のご主人に挨拶をし、写真撮影の許可をお願いする。 家の前には大きな<道元禅師の碑>がある。 ふたたびベンチで休んでいると、人々がいたときに吠えていた犬が私になついてくる。暫く犬とコミュニケーションを図っていると、御主人が来て「今日はお祭りの準備で忙しく、相手をしていられなく申し訳ない」と言い、持ってきたアイスキャンディーを差し出す。私は休ませてもらっているお礼を丁重に言いながら、ありがたくそれを頂く。御主人が去って犬が残る。 しばらく休ませていただいた後、忙しそうに祭りの準備をしている、ご主人に挨拶をして木の芽峠を敦賀側に下る。 石畳の道を少し下ると、道は草に覆われ見えなくなる。 森林の急斜面、つづら折の道を足元を確かめながら下る。石のごろごろしている道は苔むして滑りやすい。ちょっと足を踏み外したり、すべるとたちまち谷底、沢に転落してしまう。一歩一歩慎重にゆっくりと下る。 森林の中は素晴らしく気持ちが良い。すがすがしい山中である。このような晴れて爽やかな、気持ちの良い空気を味わうのは久しぶりだ。 40分ほどで山を下る。素晴らしい森林から、真夏の太陽にさらされた世界に出る。 道路工事をやっている。広く立派な道路が建設中である。 ここから木の芽峠の下にトンネルを通すようだ。国道476の建設工事と書いてある。 山を下ってゆくと、高い所を通っている高速道路の下をくぐる。その高速道路を谷の向こう側に見て歩く。 人家が見られるようになった所の神社の縁で休憩を取り今日の行程を振り返る。 ここまで、あまり楽な行程ではなかったが、疲れも感じないで一気に歩いてきてしまった。 <今日は、木の芽峠越だ>と心身ともに言い聞かせ、緊張感を持って歩いてきた。 変化に富んだ行程でもあり、人と話をし、心のふれあいもあった。森林からは爽やかな空気、エネルギーをもらった。そのようなことが疲れを感じさせずに歩かせたのであろう。 <人間目標を持つと疲れも知らず一所懸命やるものだ。何事も、小さなことでも目標を立てて取り組めば、励みになリ、達成すれば喜びを感じ、自信もついてくる。人生はこの繰り返しだ。何事も目標を持って取り組むのは良いことだ>、などと水分を補給しながら、ぼんやりと考えている。 北陸線の線路沿いを歩き、敦賀市内に入り駅に向かう。 今日は土曜日、市役所は休みである。駅にある観光資料を一通り見た後、ホテルに向かう。 今日のホテルは山形や新潟などの都市部で泊ってきたホテルと同じチェーンのホテルだ。これまでは皆、駅の近くにあったが、この敦賀では駅から2kmほど離れている。ホテルの造り方、部屋のタイプが全く同じのため使い勝手が良い。また安い。 PM1時ホテルに到着。リュックを預け、市内の観光地図で芭蕉の史跡を教えてもらい、出かける。 駅方向に戻り、デパートの手前を左に曲がり、港方向に行く。 広い通りの商店街を歩き、目印のレストラン<うめだ>を探す。一軒の商店の前にいた中年の女性に、芭蕉の泊まった宿の<出雲屋>跡を尋ねると指をさし教えてくれる。<芭蕉翁逗留出雲屋跡>の石柱が立っている。 次に芭蕉が<種の浜(いろのはま)>に行ったときに舟を仕立て、飲食の支度をしてくれた<天屋五郎右衛門(俳号・玄流)宅>跡をめざす。市場の近くにある<あみや旅館>のそばと聞いてきた。あみや旅館の一角を探すとすぐに<天屋玄流旧居跡>の石柱を見つける。 さらに港の近くにあるという、市民センターの、句碑を見に行く。<芭蕉翁・月塚>となっており、「国々の 八景更に 気比の月」の句碑が有る。 次に金ヶ崎の<金前寺>を目指す。左手港の岸壁には、きれいな姿の<旧敦賀港駅舎>が建っている。その向い側には<赤レンガの倉庫>が建っている。昔の港の建物を再現しているのである。港で終点になっている貨物線の線路を渡る。 その先、少し山に登ってゆくと<金前寺>があり<芭蕉翁鐘塚>がある。 芭蕉がこの金ヶ崎城跡を訪れ、南北朝時代の金ヶ崎城落城の悲史にまつわる<陣鐘>を詠んだという、「月いつこ 鐘は沈る うみのそこ」の句が刻んである、と言われる句碑が在る。 金前寺を出て坂道を登ってゆくと、<金崎宮>がある。 参拝をした後、「奥の細道」に「けいの明神に夜参す」とある<気比神宮>に向かう。静かな住宅地また町並みを歩いて行くと大きな緑に囲まれた神社に着く。<気比神宮>である。横の入り口から入る。広々とした大きな立派な神社である。 本殿に参拝をして境内を歩いていると大きな木の下に<芭蕉の像>が建っている。台座には「月清し 遊行のもてる砂の上」の句が刻まれている。その奥に「なみだしくや 遊行のもてる 砂の露」の句碑があり、横には大きな<月の五句の碑>がある。また<芭蕉敦賀の月>を説明している碑がある。芭蕉は、この敦賀で月を詠んだ多くの句を残している。 暫く境内を散策した後、傾いた夏の日の敦賀の町をホテルに向かう。 曾良が「気比ヘ参詣シテ宿カル。唐人ガ橋、大和や久兵ヘ。」と日記に記している唐人が橋の<大和や>は分らない。 商店街を歩いていると、<奥の細道・松尾芭蕉>と書かれたポスターが目に飛び込んでくる。 ポスター越しに店の中を見ると、三人ほどの若い女性がいる。 芭蕉に関すると思われる資料が展示されている。寄ってゆこうかと思ったが、なぜか中に入らないで通り過ぎてしまう。 芭蕉は「奥の細道」に、敦賀で詠んだ句として、四句を載せているが、<月の句>を初めとして多くの句を詠んでいるようだ。 敦賀の町は芭蕉を大切にしていると思いホッとする。 五時少し前にホテルに入る。今日は、木の芽峠を越え、お祭り準備の地元の人たちと話をし、前川家のご主人に世話になり、気持ちの良い森林の中、峠を下り、敦賀市内の芭蕉の足跡を訪ね、充実した一日であった。 ノートを整理した後、ホテルの前にある大きなスーパーに夕食の買出しに行く。 最近は何処のスーパーも夜遅くまで営業をやっている。 明日は敦賀に滞在して、「種の浜(いろのはま)」の「法花寺(ほっけでら)<本隆寺>」を訪ねる。 |
おくのほそ道 |
かへる山に 初雁を聞て十四日の夕暮 つるかの津に宿を もとむ 其夜 月殊 晴たり あすの夜も かくあるへきにやと いへは 越路の ならひ 明夜の陰晴 はかり難しと あるしに酒すゝめられて けひの明神に 夜参す 仲衷天皇の御廟也 社頭神さひて 松の木間に月の もり入たる おまへの白砂 霜を敷るかことし 往昔 遊行二世の上人 大願発起の事ありて みつから葦を刈 土石を荷 泥ていを かはかせて 参詣往来の煩なし 古例 今に たえす 神前に 真砂を荷ひ給ふ これを遊行砂持と申侍ると亭主の かたりける 月清し 遊行のもてる 砂の上 十五日 亭主の詞に たかはす 雨降 名月や 北国日和 定なき |
曾良日記 |
一 九日 快晴。日ノ出過ニ立。今庄ノ宿ハヅレ、板橋ノツメヨリ右ヘ切テ、木ノメ峠ニ趣、谷間ニ入也。右ハ火ウチガ城、十丁程行テ、左リ、カヘル山有。下ノ村、カヘルト云。未ノ刻、ツルガニ着。先、気比ヘ参詣シテ宿カル。唐人ガは橋、大和や久兵ヘ。食過テ金ケ崎ヘ至ル。山上迄二十四、五丁。夕ニ帰。 |
いにしへの 街道賑わう 萱の屋根 (遊 旅人) |
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドットコム 南越前町(今庄町)公式ホームページ 敦賀市公式ホームページ |