遊 旅人の 旅日記

2003ねん8月19日(火)雨のち晴

加賀温泉から吉崎経由丸岡町へ
今日も雨だ。朝早いにもかかわらず、フロントには、品の良い中年の女性がいて、見送ってくれる。お礼を述べAM5:20出発。

今日は、奥の細道に「越前の境 吉崎の入江を 舟に棹指て 汐越の松を尋」とある<吉崎>を通り<汐越の松>を訪ねる。
大聖寺の町の北側を通り、右側に大聖寺川の流れを見ながら歩く。
石川県の吉崎町に入る。少し行くと福井県に入る。やはり吉崎町である。最初は県境の標識が間違った場所に付けられているのかと思ったが、間違いなく福井県の吉崎町である。
「曾良日記」にも
「吉崎ヘ半道計。一村分テ、加賀・越前領有」と書かれている。
当時の、<越前の国>と<加賀の国>、今では<石川県>と<福井県>両方に吉崎の町名がある。と言うよりも、曾良の言っているように、吉崎町を両県で分けていると言う方が正しいかもしれない。山や川などの境があるのではなく、普通の道、町並みを歩いていて、同じ町名の中に二つの<県>がある。不思議な感じがする。
もっとも茨城県の古河市には、一軒の商店で、表の通りに面した店の部分が茨城県古河市、裏の住いの部分が栃木県野木町という家があると聞いた。各地を歩いていると、不思議なこと、面白いことが沢山ある。


急に町並みが開ける。大きな看板に
<蓮如の里・吉崎御坊跡>と書かれている。
まだ朝早く、ひっそりとしているが、一大観光地、史跡なのである。
<蓮如>といえば、<加賀の一向一揆>を連想する。<藩主の圧制に苦しんだ一向宗(浄土真宗)信徒の農民が藩主を追い出してしまった>というようなことと記憶している。


蓮如のことはさておき、
<汐越の松>を探そう。芦原カントリー内<汐越の松>(中央の横たわっている木)
右側には大聖寺川の河口か、幅の広い水域が広がっている。マリーナも見える。左にも広い水域が広がっている。こちらはどうやら湖のようだ。
両方の水域にはさまれた狭い道を歩く。工事中でもある。
頭の中で<汐越の松>は名勝だから当然、案内があると思い、あたりを見回しながら歩くが、それらしい案内は見当たらない。しばらく歩いて折り返してくる。
水域にはさまれた隘路の片隅に、小さなガソリンスタンドがある。事務所の中に、おじいさんがいる。
ドアをあけて声を掛けると、おじいさんの足元で寝ていたシェパードのような大きな犬が、勢い良く立ち上がり猛烈に吠えながらドアに突進して来る。急いでドアを閉める。おじいさんは犬を抑えながら、立ち去ってくれと言う身振りをしている。私は町の様子から、ここで聞き逃したら他に聞くところがないと思いガラス戸の向こうのおじいさんに大声で話しかける。
厚いガラス戸の向こうでもあり、犬も猛烈にほえ続けている、全く聞こえないようである。
おじいさんは犬が飛び出さないように必死で押さえ、ドアを少し開ける。ここぞとばかりに「<汐越の松>を探している。」と大声で」叫ぶと、「ゴルフ場の中」と答えが帰ってくる。
おじいさんと犬に、頭を下げお礼をつぶやきゴルフ場に向かう。


先ほど歩いていたときも数台の立派な車がゴルフ場の中に入っていった。
クラブハウスに着くと、キャディーさんたちがスタートの準備をしている。
びしょぬれになり、大きなリュックを背負っている姿はゴルフ場には場違いだ。クラブハウスの入り口にいた、一人のキャディーさんに「<汐越の松>を尋ねてきた」と話すとすぐに「担当の人がいますから窓口に話してください」と言われる。窓口で話すとすぐに中年の男性が出て来て、ゴルフ場の松林の中を案内してくれる。
俳句愛好者、大学の教授、学生など、よく訪ねて来るそうだ。その度に自分が案内をしているという。
芭蕉が歩いてきた道、俳句、汐越の松のこと、良く知っている。感心をすると、特に勉強したわけではないが、来訪者を案内をしているうちに、自然と覚えてしまったと言う。

松林の中に、一本の枯れた大きな松の一部が横たわっている。<汐越の松>である。
この松は倒れているように見えるが、倒れているのではなく横たわっているのだと言う。海からの風が強く、松の木は皆、このように横たわってしまっていたのだという。松の木は横にも成長してゆく木でもある。
歌枕にもなっている景勝地であり、この浜辺一帯に生えていた松を<汐越の松>と言ったのである。
その松の一本の一部が今なお残っている。

芭蕉の歩いた経路についても話をしてくれる。大聖寺の全昌寺を発った後、曾良が<立花>といっている、今の三木町を通り、塩屋の浜に出て船で大聖寺川を渡り、案内の男性が指差した先にある、灯台の辺りに船を着け、浜伝いに歩き、この<汐越の松>を見に来たのだろうという。
今、松林の外側は崖になってしまっている。芭蕉が歩いた当時は浜辺になっていたのであろう。

.「大事に保存してゆかなければいけないですね。」と言うと、ここを訪ねて来る大学生の中には、<汐越の松>を折って持ち帰る学生がいると言う。<汐越の松>を訪れた証拠として教授に見せ、単位をもらうのだそうだ。とんでもない学生がいるものである。学生も学生なら、教授も教授だ。芭蕉を研究しているゼミらしいのだが、言語道断である。自分達の研究の対象にしているものならば大切にしないといけない。<何のために芭蕉を研究しているのか>といいたくなる。
芦原カントリー内<汐越の松>(中央の横たわっている木)確かに、町の史跡にも、文化財にも指定されていない為、誰も咎めるものはいないと言うが、だからといって何をしても良いというものではない。
案内をしてくれた担当の人も、あきれている。
このような行為を放っておいたら、残り少ない<汐越の松>は、あと数年でなくなってしまう。何か対策を考えなければいけないと話す。

腹を立てながらクラブハウスにむかう道すがら、
<筆草>の話をしてくれる。弘法大師の筆に良く似た草、ということからこのような名前がついたようだ。
以前はこのあたりにも沢山生えていたが今ではなくなってしまった。町の資料館に展示したあったが、それも今ではないかもしれないという。
芭蕉について<ゴルフ場>で色々と教えてもらった。


ゴルフ場を後にして先ほどのガソリンスタンドまで来ると、まだおじいさんは事務所の中に犬といる。頭を下げ挨拶をすると今度は笑顔が返ってくる。犬もほえない。
北潟湖の湖畔を歩き、T路を右に曲がり畑の中の起伏の多い道をエンエンと歩く。今宵の宿まで歩くだけである。
真夏の太陽が顔を出し、猛烈に暑くなってくる。
芦原温泉を過ぎ丸岡町方面の道に入る。炎天下を黙々と歩く。
交通量の多い道にぶつかる。R8である。道の両側はロードサイドビジネスが立ち並び、今までののどかな風景から、いっぺんに、騒音と、排気ガスと、華やかな彩の世界に入る。
R8を福井方面に少し行くと今宵の宿を見つける。まだ四時であるがチェックインをする。

今日はよく歩いた。前半が雨で涼しかったため、後半の猛烈な暑さにも負けないで何とか持ちこたえられ、また、あまり体力を消耗しないで済んだ。

明日は永平寺経由福井までだ。
おくの細道
越前の境 吉崎の入江を 舟に棹指て 汐越の松を尋
    
終夜(よもすがら) 嵐に波を はこはせて 月を たれたる 汐越の松                                  <西行>
この一首にて 数景尽たり 若 一弁を 加ルものは 無用の指を 立るかことし
曾良日記
一 七日 快晴。辰ノ中刻、全昌寺ヲ立。立花十町程過テ茶や有。ハヅレヨリ右ヘ吉崎ヘ半道計。一村分テ、加賀・越前領有。カヾノ方ヨリハ舟出不。越前領ニテ舟カリ、向ヘ渡ル。水、五、六丁向、越前也。(海部二リ計ニ三国見ユル)。下リニハ手形ナクテハ吉崎ヘ越不。コレヨリ塩越、半道計。又、此村ハヅレ迄帰テ、北潟ト云所ヘ出。壱リ計也。北潟ヨリ渡シ越テ壱リ余、金津ニ至ル。三国ヘ二リ余。申ノ下刻、森岡ニ着。六良兵衛ト云者ニ宿ス。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドットコム

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