遊 旅人の 旅日記
山中温泉から大聖寺へ |
朝、目を覚ますと、外は土砂降りの雨だ。宿で朝食をとり、AM7:30 大女将に見送られ出発。 「今日は<大聖寺>の<全昌寺>に行く」と宿の大女将に話すと、道順を教えてくれた。 町並みを出ると道が二股に分かれる。「左の道だよ。右の道を行くと加賀温泉の駅の方に行ってしまうから気をつけなよ。}と大女将に念を押された所だ。 今日の宿は大聖寺に取れなかったため加賀温泉駅の近くにとってある。大女将には申し訳ないが、右の道、加賀温泉駅方面の道を歩く。 <山代の温泉>街を通り11時加賀温泉駅に着く。大きなショッピングセンターのあるきれいな駅である。 宿は駅の反対側である。地下道をくぐり反対側に出るとすぐに見つかる。まさに駅の裏であるが、静かな場所で、ゆっくりと休むには最適な場所である。また宿も落ち着いた雰囲気である。 まだ昼前だが宿に入って声を掛けると、テレビや映画で見かける執事を思わせる人が出てくる。話し方も物静かで丁寧で、はっきりとしている。 「奥の細道」を歩いており、今から大聖寺に行きたいので荷物を預かって欲しいとお願いをすると、「そういう人ならば」といってチェックインさせてくれる。この執事のような人も、山登りやハイキングが好きなようだ。 時々、様々な形で旅をしている人が泊まるそうだ。 大聖寺に宿がとれなく、この宿に泊ることになったのも何かの縁だろうか、旅をしている人間の本能がこの宿を選ばせたのだろうか、偶然である。 お言葉に甘えさせてもらい早々とチェックインをする。 荷物を部屋に置いて大聖寺に向かう。4〜5kmの道程である。 一時間ほど歩くと、左にカーブしている道の右側に<菅生石部神社>がある。曾良が「菅生石(敷地ト云)天神拝」といっている神社である。曾良も書いているように、<敷地天神>と呼ばれているようである。瀟洒な佇まいの神社である。 参拝をして神社を後にする。大聖寺川を渡ると町並みに入る。 大聖寺駅と市役所は近い場所に位置する。市役所に向って歩いてゆくと、お昼のチャイムが鳴り出す。市役所の建物から職員がぞろぞろと出てくる。昼休みに入ってしまった。一通り置いてある資料を見させてもらう。 駅にも行くが町の観光地図、パンフレットのようなものは見あたらない。大きな町の案内図がある。大まかな町の様子を頭に入れ、全昌寺を目指し歩き出す。 福井方面に線路と平行し田圃と畑に囲まれた道を歩く。暫く歩き 鋭角に右に曲がると、寺が並んでいる通りになる。「よし、この道で正解だ」と思いながら歩いてゆくと寺院群の中に<全昌寺>を見つける。 受付で拝観料を払い中に入る。パンフレットを見ると、<杉風(さんぷう)>が彫ったという<芭蕉の木像>が紹介されている。 本堂に入ると芭蕉の像は仏壇のような中に大事に収められている。 この全昌寺には、山中温泉で芭蕉と別れ、先に旅立った曾良も泊ったと「奥の細道」に記されている。 この寺は、芭蕉が山中温泉で泊った<泉屋>の菩提寺であり、当時の住職は<泉屋の主、久米之助>の伯父であったという。 二人とも泉屋に紹介されて泊ったのであろうか。 芭蕉が茶を点てたかどうかはわからないが、茶室も紹介されている。 本堂を出ると境内に、<芭蕉塚>がある。芭蕉の句碑と曾良の句碑が並んでいる。 全昌寺を後にして大聖寺城跡の横を歩いてゆくと、大聖寺川に行き当たる。大聖寺川の堤防の上を上流に向かうと、先ほど参拝した菅生神社の近くに出る。 帰路に着き宿に向かう。 明日は、またこの道を歩き、大聖寺川を川沿に下り河口の吉崎町の<汐越の松>を訊ねる。 |
おくの細道 |
大聖持(寺)の城外 全昌寺と云寺に泊る 猶 かゝ(加賀)の地也 曾良も 前の夜 此寺に泊りて 終夜(よもすがら) 秋風聞や うらの山 と残ス 一夜の隔 千里におなし 我も秋風を聴て 衆寮に臥 明ほのゝ 空ちかふ 読経聞ゆるに 板鐘鳴て 食堂に入 けふは越前の国へと 心 早卒にして 堂下に下ル 若き僧共 紙硯を かゝへて 階(きざはし)の もとまて 追来ル 折節 庭中の 柳散れは 庭掃て 出はや寺に 散柳 とりあへぬ 一句草履なから書捨ツ |
曾良日記 |
大正侍(大聖寺)ニ趣。全昌寺ヘ申刻着、宿。夜中、雨降ル。 一 六日 雨降。滞留。未ノ刻、止。菅生石(敷地ト云)天神拝。将監、湛照、了山。 |
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