遊 旅人の 旅日記
小松から那谷寺経由山中温泉へ | |||||||||||||
雨が本格的に降っている。今日は、<那谷寺>経由で<山中温泉>まで歩く。 「奥の細道」では、芭蕉は山中温泉に向かう途中、那谷寺に参詣している。 AM5;45 宿を出発。市内を通り、北陸線を跨ぎ、R8に出る。R8がバイパスと合流する手前のコンビニで小休止。地図を見ると那谷寺は、もう近い。 コンビニの店長に那谷寺までの道を尋ねる。「あっちの道がわかりやすい、こっちの道が良い」などと店員と話していたが、最終的に、店の前の道を山越えして行くのが一番判りやすく、近道だということになる。 R8をくぐり、畑の中の道を歩く。山に向かってなだらかな上り坂になる。上りきると左側にゴルフのカントリークラブがある。今度は山を下って行くと、様々な方向から来た道が合流している交差点がある。 交差点を渡ったところのバスの停留所で小休止。那谷寺の案内がある。もう直ぐ近くである。 案内に従って歩いてゆくと、門前町に入る。商店の店先に、<荷物を預かります>と言う看板が目に付く。一軒の商店に入り、お願いをすると快く預かってくれる。 細かい雨がさらさらと降り続く中、山門をくぐり鬱蒼とした緑の木々に覆われた境内に入る。 雨に濡れ、緑に染まった参道が奥に向かって延びている。 左手に入ると正面に金堂華王殿が朱色の姿で聳えている。一方、左手には小堀遠州の指揮の下に造成されたという、静かな庭園が広がり、そのなかに雨に濡れた書院が楚々として佇んでいる。右手には普門閣が聳えている。この普門閣は白山山麓の民家を移築したものと言う。どっしりとした大きな建物である。 参道に戻り、マイナスイオンのあふれた爽やかな空気を吸いながら緑のトンネルを抜けると奇岩(奇岩遊仙境)とともに素晴らしい庭園が目の前に広がる。 芭蕉が「石山の 石より白し 秋の風」と呼んだ景色である。山水の絵の中を歩いているようである。その庭の奥に古色蒼然とした本殿の入り口がある。門をくぐり石段を登ってゆくと大慈閣拝殿、唐門、があり、岩窟の中に造られた本殿がある。 参拝をし、さらに奥く、山の斜面を回り込んでゆくと、三重塔が現れる。こじんまりとしているが、しっかりとした塔である。 朱塗りの楓月橋を渡る。展望台があり登ってみると目の前、向かい側に奇岩遊仙境の全景が見渡せる。 展望台を下りて少し行くと芭蕉の「石山の・・・」の句碑がある。次に鐘楼がある。この鐘楼も三重塔と同じようにしっかりとした造りをしている。 くだりの階段を下りると参道に戻る。 自然の造形美の中に庭園を配した素晴らしい寺である。 書院、三重塔、本殿、鐘楼等は国指定の重要文化財に、庭園は国指定の名勝になっている。 雨はほとんどあがっている。すがすがしい気分になり、那谷寺の山門を出る。 門前では出店が営業を始めている。 荷物を預けた店に戻ると高校生位いの少女が出てくる。お母さんは用事があって出かけたという。 門前の出店の一軒が少女の家の店だという。 早速、出店に行くとトコロテンの文字が目に入る。すかさずトコロテンを注文し食べる。何年ぶりかで食べたトコロテンは美味かった。 少女にお礼を言って那谷寺をあとにし、山中温泉に向かう。 今朝程、小休止をした門前町の入り口のバス停を左折し、西に向かう。暫く田圃、畑の中の道を歩くと集落に入る、勅使と言う交差点を左折。再び、田圃、畑の中の道を歩き続ける。次第に山が迫ってくる。道が二股に分かれる。真中に木で出来た大きな案内図がある。右の道が山中温泉への道である。 とぼとぼと歩いていると、周りの風景が「日本昔ばなし」の絵のような風景になってくる。自分が「日本昔ばなし」中の主人公になったような気持ちで歩く。 のどかな良い風景だ。雨に濡れ、濃くなった山の緑が 殊更すがすがしい風景をかもしだしている。 「日本昔ばなし」の風景の中、前方に立派なトンネルが現れる。四十九院トンネルと言う。 長さ1435mと長いトンネルである。トンネル内には幅3m程のフェンスの付いた歩道がある。中は空気がひんやりして気持ちが良い。 トンネルを抜けると橋があり その向こうには温泉街が広がっている。 「日本昔ばなし」の世界からいっぺんに温泉街に来てしまった。 <大聖寺川>に架かる橋<しらさぎ橋>を渡り温泉街に入る。 温泉街の中心の広場には立派な共同湯「菊の湯」がある。宿はその近くにある。 今日の宿も、無理をお願いし、予算の範囲で泊めていただくことになってしまった。 pm1:30宿に到着。すぐに部屋に案内してくれる。 芭蕉の足跡を歩きたいというと、山中温泉の地図を持ってきて詳しく説明してくれる。 芭蕉はこの山中温泉に八泊している。芭蕉の滞在した<久米之助宅(泉屋)>は温泉宿である。 長旅の疲れを癒し、山中の俳句愛好者と交流を深めたのであろう。 一方、曾良は腹を病み この山中温泉で芭蕉と別れ、伊勢の長島に向かう。 芭蕉の史跡、句碑が町の随所にある。句碑は、大聖寺川の対岸にもある。<黒谷橋>を渡ると<鶴仙渓遊歩道>がある。緑の木々に覆われた水の流れを右に見て上流に向い歩く。温泉街は賑わっているが、この川沿いは、全く静かな空間である。 <芭蕉堂>の前では三人の中年の女性が写真を撮っている。 二つの句碑を探し当て、<道明が淵>の眺めを堪能し、<こおろぎ橋>を渡り温泉街に戻る。 <芭蕉の舘>に行くと、曾良との別れの像がある。 地図上の句碑一つが見つからない。商店街の中の一軒の酒屋に入り、若主人に尋ねると お寺の境内の中にあると教えてくれる。町の活性化、振興に尽力しているのであろうか、芭蕉のこと、温泉、また町のことを詳しく、熱心にかつ丁寧に話してくれる。芭蕉は大聖寺川の黒谷橋から眺めが特に気に入っていたようだとも話してくれる。 感謝をし、御礼を言って酒屋を出る。最後の句碑はすぐに見つかる。 町の中心<菊の湯>の傍らで地図をチェック。 芭蕉の泊まったと言う宿<泉屋久米之助方>は目の前、北国銀行の前である。<泉屋跡>の石柱と別れの絵が描かれた石碑がある。 芭蕉の俳文と、与謝蕪村の「奥の細道」山中の段の一説と、蕪村が文中に書いた<芭蕉と曾良の別れの絵>が描かれた碑がある。 最後に曾良が{薬師堂」といっている<医王寺>に行き宿に戻る。 今日も充実した良い一日であった。 素晴らしい夕食を頂き、大女将はじめ、宿の人たちの暖かい心遣いに感謝をし床に就く。 明日は加賀市の<加賀おんせん駅>近くに宿をとり、大聖寺に行く。 |
|||||||||||||
奥の細道 | |||||||||||||
山中の温泉に行ほと 白根か嶽跡に見なしてあゆむ 左りの山際に 観音堂有 花山の法王 三十三所の順礼 とけさせ給ひて後 太慈大悲の像を 安置し給ひて 那谷と名付給ふと也 那智 谷組の二字を わかち侍しとそ 奇ー石さまさまに 古-松 植ならへて 萱ふきの小堂 岩の上に造りかけて 殊勝の土地也 石山の 石より白し 秋の風 温泉に浴す 其功 有間(有馬温泉)に次と云 山中や 菊はたをらぬ 湯の匂 あるしとするものは 久米之助とて いまた小童也 かれか父 俳諧を好て 洛の貞室 若輩のむかしに ここに来りし比 風雅に辱られて 洛に帰りて 貞徳の門人となって 世に しらる功名の後 此一村 判詞の料を請すと云 今更 むかし物かたりとは 成ぬ 曾良は腹を病て 伊勢の国 長嶋と云処に ゆかりあれは 先立て旅立行に ゆきゆきて たふれ伏共 萩の原 と書置たり 行ものゝ悲しみ残る ものゝうらみ 隻鴨の わかれて雲に まよふかことし 予も又 けふよりや 書付消さん 笠の露 |
|||||||||||||
曾良日記 | |||||||||||||
一 同晩、山中ニ申ノ下剋、着。泉屋久米之助方ニ宿ス。山ノ方、南ノ方ヨリ北ヘ夕立通ル。 一 二十八日 快晴。夕方、薬師堂其外町辺ヲ見ル。夜ニ入、雨降ル。 一 二十九日 快晴。道明淵、予、往不。 一 晦日 快晴。道明が淵。 一 八月朔日 快晴。黒谷橋ヘ行。 一 二日 快晴。 ○三日 雨折々降。暮及、晴。山中故、月見得不。夜中、降ル。 一 四日 朝、雨止。巳ノ刻、又降テ止。夜ニ入、降ル。 一 五日 朝曇。昼時分、翁・北枝、那谷ヘ趣。明日、小松於、生駒万子出会為也。□談ジテ帰テ、即刻、立 |
|||||||||||||
那谷の山 万緑の中 白き岩 長旅の 疲れを癒す 湯の香り 惜別の 言葉かき消す 水の音 (遊 旅人) |
|||||||||||||
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム 加賀市公式ホームページ |
|||||||||||||