遊 旅人の 旅日記

2003年8月14日(木)雨

小矢部から倶利伽羅峠経由金沢へ
AM 4:30 起床。窓から外を見ると、暗闇の中、本降りの雨が降っている。
道路の向かいに、ぼんやりとコンビ二の明かりが見える。

AM 5:20 宿を出る。峠に入る前に食料を調達しなくてはいけない。まず向側のコンビニに寄り、朝食用の食料と、飲み物、昔懐かしいキャラメルを仕入れる。
中年の女性オーナーに
<埴生八幡>の場所と、<倶利伽羅峠>への行き方を尋ねる。埴生八幡の場所は大雑把に教えてくれたが、峠への道は全く不案内と言う。小矢部市 埴生八幡宮


しきりと降る雨の中、真っ暗な道を元気良く歩く。コンビニの女性オーナー、また昨日、市役所の職員が教えてくれた道を歩く。三叉路がある。ここは何も指示がなかった。標識、案内を探していると、幸い、新聞配達のおばさんが通りかかる。場所を聞くと すぐ近くだ。
教えられた通り歩いてゆくと神社がある。
石段を登り境内に出る。やはり正面の参道ではなく横の出入り口から入ってしまった。
曾良日記に
「埴生八幡ヲ拝ス」とある神社である。参拝をして、今度は正面の参道、長い石段を下りる。


鳥居をくぐり、神社を出て町並みに入るとすぐ右側に、昨日やはり市役所で教えてもらった、道標が立っている。雨に濡れ、字が良く見えないが、右に入ってゆく道が倶利伽羅峠への道のようだ。
小一時間程歩くと砂利道になり、草が生え、轍が出来ている。さらに進むと林道のようになる。前には山が聳えている。その山の中に吸い込まれるように道が伸びている。もしかしたら道を間違えたんじゃないかと暫くたちどまって考える。
1km程戻り、、市街地に向かって右手遠く畑、田圃の先を見ると、木々の林がなだらかに山に向かって伸びている。ところどころに家の屋根らしいものも見える。道がありそうだ。
小矢部市 埴生八幡宮参道石段町まで戻るとかなり時間がかかってしまう。畑の中の道を歩き、ところどころ途切れている田圃の畦道をあるき、川の中を歩き、最後は15mほどの土手を登り、民家の庭を通って、道路に出る。靴は泥にまみれ、中はぐしゃぐしゃになってしまった。


林の中を見ると、20才くらいの一人の若者が、何かを探している。怪しい様子は無い。声を掛けると、爽やかな返事が返ってくる。カブトムシを探していると言う。
倶利伽羅峠への道を尋ねると親切に教えてくれる。この道<倶利伽羅いにしえの街道>でOKだ。これからいよいよ倶利伽羅峠越えだと勇んで歩いていると、集落の一軒の家から元気な若者達の声が聞こえてくる。作業場のようなところにシートを敷き高校生くらいの子供達7〜8人が話をしている。
話をしながら夜を明かしたのか大量のジュースの缶、ペットボトル、ごみがビニール袋に分別され、彼らの乗ってきた自転車の横に置かれている。今朝は、半袖では寒いくらいだがTシャツ姿で楽しそうに話をしている。夏休みの楽しい思い出になるだろう。羨ましい限りだ。
さらに歩いてゆくと行き止まりになるが、左に勾配のきつい道が山に向かって登っている。きれいに整備された道である。倶利伽羅峠に続く
<歴史国道>と案内されている。倶利伽羅峠への歴史国道(1)
暫く立ち止まって一息入れていると、先ほどのカブトムシの若者が車で登ってくる。また、カブトムシの話をする。カブトムシを捕まえるのには早朝か夕方が良いという。
カブトムシやクワガタは今では貴重な昆虫となっている。


若者と別れ<歴史国道>を登り始める。勾配のきつい路面を雨水が流れており、滑りそうである。
道中、源平合戦の史跡が随所に見られる。
鬱蒼とした木々の間から見える高い山、あれが
<源氏山>か、歌枕の<卯の花山>はどの山だろうかと想像しながら歩く。<峠の茶屋跡>があり、案内版に江戸時代<十返舎一九>が立ち寄ったときの感想が記されている。左下から舗装された道路が登ってきて合流する。左側 林の中、待望の<芭蕉塚>がある。句碑には、木曾(源)義仲を詠った句が刻まれている。
        
義仲の 寝覚めの山か 月かなし
越前<燧ヶ城>で詠んだ句といわれている。芭蕉塚で小休止。雨は小止みになっている。木々のエネルギーを胸いっぱいに吸い込む。倶利伽羅峠 歴史国道(2)
暫く休んでいると寒くなってくる。歩き出す。次に
<猿が馬場古戦場跡>がある。源平砺波山の合戦の折、平維盛が本陣を敷いた跡と言う。
さらに歩いてゆくと公園のようなところに出る。高いところに源平の
<倶利伽羅峠の合戦の供養塔>がある。手前には、角に松明をつけた二頭の牛の像がある。木曾義仲が源氏山で500頭の牛の角に松明をつけ平維盛を攻めたてたと言う<火牛の計>の牛である。
このあたりは古戦場跡と案内があり、一角に東屋がある。
コンビニで仕入れた朝食を食べる。食べ物、飲み物は全部、冷えに冷えている。寒さに震えながら食事を済ます。食べ終わるや否や、急いでリュックを背負い歩き出す。リュックを背負っていれば寒くは無い。
供養塔を廻って行くと下り坂になり、富山県から石川県に入る。「すごい、石川県に入った!」と感動をする。
さらに下って行くと、倶利伽羅の
<不動寺>がある。参拝をしてくる。


見通しの利く方向を眺めると見渡す限り山並みが続いている。
少し下って行くと一軒の民家がある。40才くらいの男性が家から出てくる。その男性に道を尋ねる。<歩いている>と言うと心配そうな顔になり、ちょうど町まで行くから送ってくれるという。理由を説明して丁重にお断りをする。すると親切に道順を教えてくれる。遠く三つほど先の山に立っている高圧線の鉄塔を指差し、その鉄塔の下辺りに、旧道(歴史国道)の入り口がある。もし判らなかったら、そこには、ここから最初の民家がある、尋ねてみてください倶利伽羅峠 峠茶屋跡と言い、心配そうな顔をしながら車を発進させ山道を下ってゆく。
最初の民家に行き着く。ちょうど中年の女性が家から出てくる。女性はびっくりした様子だ。雨の中、このようなところを歩く人はいないのだろう。挨拶をして<歴史国道>を訊ねると、「そこ」と言って指差し、去ってしまった。女性の指差したところを見ると<歴史国道>の小さな案内があり、山に向かって道が伸びている。
木々に覆われた山道を登ってゆく。あまり人は通らないのだろうか、周囲の森を見ても人が手を加えた様子は見られない。ただ道があるだけである。
暫く木々に覆われた山道を歩いてゆくと<熊に注意>と書かれた看板がある。<熊が出るんだ。こんなところで熊に出会ったら大変だ>と不安を抱きながら歩く。注意深くあたりを見回しながら歩いて行くと視界が開け、人が手を加えた様子が見られる景色になる。急な坂を下りきったところで舗装道路に出る。
ホッと安心をし道の向かい側の土手を見ると<熊の檻を仕掛けてあるから注意を!>の看板が目に飛び込んでくる。まだ安心は出来ない。ふたたび不安が蘇る。おまけに今いる場所も全くわからない。私の持っている地図はそんなに細かいところまでは載っていない。見当をつけて左に進む。田圃にぶつかったところが、T字路になっている。どっちが正解かと考えていると、頭上、山の上からチェーンソーの音が聞こえてくる。<人がいる、集落は近いぞ>などと大げさなことを考えている。しかし心細かったのは確かだ。蔵から峠 芭蕉塚


T字路を右に曲がり、暫く歩くと、集落がある。正解だ。心身ともにホッとする。
集落はひっそりとしている。ゴーストタウンかと思うほど、全く人の気配が無い。道を尋ねようと家の戸を開けるのも憚れるほど静まり返っている。シーンとしている。
思い切って一軒の家の戸を開け声を掛けるが応答が無い。間をおいて4〜5回、集落中に聞こえるかと思うほど大きな声で声を掛ける。
あきらめて立ち去ろうと歩き出すと、後ろから女性の声が聞こえてくる。臨月と思うほど大きなお腹の女性が戸口に立ってこちらを見ている。恐縮して失礼を詫び、道を尋ねると、親切にも集落のメインストリートまで出てきて教えてくれる。ますます恐縮をし、丁重にお礼を述べ、臨月間近な女性を小雨降る集落の辻に残し歩き出す。
休んでいたのだろう。申し訳ないことをしてしまった他の家に声を掛ければよかったと悔やんでいる。


集落を出て、真新しいトンネルを越すと、右に歴史国道との小さな案内がある。良く見ると旧道らしい道が合流してきている。熊の檻のところで終わりと思っていたが、まだ続いていたのである。
教えられた道をR8に向かう。
町並みが始まり、小さなスーパーマーケットがある。そのスーパーの前で、無事、倶利伽羅峠を越したと安堵しながら水分を補給をする。山形の山刀伐峠よりもきつかった。倶利伽羅峠 歴史国道(3)
ベンチで休んでいると、子犬を抱いた中年の体格の良いおばさんが声を掛けてくる。熊の話、世間話をしたあと「頑張ってください」と言いながら立ち去ってゆく。


R8にでて金沢方向に歩く。
今まで歩いてきた山の中、自然に囲まれた道から、文明社会の騒音、排気ガスの充満した道路に引き出された。
少し歩くと、
<倶利伽羅峠塾>がある。中には、倶利伽羅峠に関する沢山の資料、倶利伽羅峠一帯の模型(立体地図)が展示されている。その立体地図で歩いてきたルートを確認し、結構山の中だったんだと感心をしながら見ていると、案内のおじさんが近寄ってきて、歴史国道建設の由来、迷い方、道の間違え方などを話してくれる。
熊の檻のところからの歴史国道を訊ねると、ちょっと判りづらいが、檻の案内の横から山に入る道があり、先ほど私が見たところに通じていると言う。
また熊のことについて訊ねると、山の中では良く出て来るそうだ。このあたりでも、時には、山から下りてきて線路を渡り国道を横切り民家まで来ることもあるといっている。
熊も生きるために一生懸命なのだ。でも遇いたくない相手である。
ここでは熊に出会っても不思議ではないのである。倶利伽羅峠 猿が馬場


津幡町を過ぎると、金沢市に入る。このR8は倶利伽羅峠から下りてきた道と出会った辺りから ずーと北陸線と平行して走っている。
東金沢の駅の案内標識がある。急に道路工事の現場が多くなる。

宿は金沢駅の近くにとってある。もう直ぐだ。
久しぶりに良く歩いた。かかとが痛くなり、足が棒のようになっている。
大きなスーパーマーケットで最後の休憩をとる。水分の補給をしながら、大都会の人の顔、動きをボーとしてながめる。暫く休んでいると寒くなってくる。急いでリュックを背負い歩き始める。

金沢市は高層ビルの林立する大都会である。
駅でも大々的に工事をやっている。
駅前を通りすぎ、少し行ったところに宿がある。pm3:30ホテルにチェックインをする。
今日は本当に良く歩いた。部屋に入るとどっと疲れが出てくる。

夕方、食事を済ませた後、薬のスーパーでスプレー式の靴の消臭・消毒薬を買ってくる。
歩き始めた当初、足の裏の皮が剥け痛い目に会って以来、持ち続けている。足の手入れ、靴の手入れは充分にしておかないといけない。

芭蕉は金沢では多くのところを訪ね歩いている。足跡も残されているに違いない。
明日は一番に市役所に行ってみよう。

奥の細道
卯の花山 くりからか谷を こえて 金沢は 七月中の五日也
曾良日記
一 十五日 快晴。高岡ヲ立、埴生八幡ヲ拝ス。源氏山、卯ノ花山也。クリカラヲ見テ、未ノ中刻、金沢ニ着。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

小矢部市公式ホームページ
          維盛(これもり)を 火牛で攻める 源氏山 (遊 旅人)

      
倶利伽羅の 峠は熊の 遊ぶ道
  (遊 旅人)