遊 旅人の 旅日記

2003年8月12日(火)曇り時々小雨

富山市から新湊経由高岡
AM 5:20出発。昨夜からの雨が未だに降り続いている。鬱蒼とした緑の木々に覆われた富山城跡を右に見ながらお堀端を歩く。

富山国際女子短期大学入り口のコンビニで小休止。
短大方面の脇道を行くとR8に出る。
R8を暫く歩き、鏡宮陸橋手前、作道交差点を右折、新湊に向かう。


新湊市に入り地図を頼りに
<放生津八幡宮(ほうしょうづはちまんぐう)>を目指す。新湊市 放生津八幡宮門前町
商店の並んでいる中に小ぎれいな和菓子屋さんが有り、店内で一人の若い女店員が和菓子をショウウインドウに並べている。
最後はやはり地元の人に聞くに限ると思い、その女店員に
<放生津八幡宮>を訪ねると、不振な顔をされ店の奥に入っていってしまった。すぐに奥さんらしい人が出てきて対応をしてくれる。「ほうしょうづはちまんぐう」と言うと暫く首をかしげ考えている。
持っていた地図を差し出すと、小さな地図を食い入るように見ている。暫く地図を見ていたが突然「わかった!この地図間違っていますよ」と言って場所を教えてくれる。
お礼を言って和菓子屋さんを出る。小さな運河を渡り、T字路を右に曲がり、落ち着いた端正な町並みを3〜400m程歩くと突き当たりのようなところに<放生津八幡宮>がある。
先ほどの和菓子屋さんは、この神社の門前町の一角に位置していると思う、また地図の位置も間違ってはいないと思うが、発音が悪かったのかもしれない。放生津八幡宮


神社に参拝をして、本殿の横に廻ると、芭蕉の句碑が在る。
    <わせの香や 分入右は 有そ海>
神社の背面は、小高い林になっており、東屋がある。
<奈呉の浦>の案内板が立っている。私の持っている地図にも、ここの海は<奈呉の浦>と書かれている。
芭蕉の訪れた頃、神社は松林に囲まれ、松林の向こうに浜辺が広がり、奈呉の浦が臨まれる、素晴らしい景色であったに違いない。
現在はと言うと、神社の後ろ、海側には道路が通り、工場があり、防波堤が築かれ、テトラポットが並べられ、その向こうに海がある。
車の走る音を聞き、工場のはるか先に見える奈呉の浦を眺めながら、芭蕉が訪れた頃の景色を思い浮かべ、東屋で暫く休む。放生津八幡宮 芭蕉句碑


先ほど来た道を戻る。町角に
{四十物町」とかかれている掲示板を見つける。暫く掲示板の前で何と読むのだろうと考えていると、一軒の家から おばあさんが出てくる。掲示板の立っている、ちょっとした公園の掃除を始める。
箒を持って掃いている姿は、水墨で描かれた掛け軸の中の箒を持つ
<翁>を思い浮かばせる。思わず声を掛ける。
突然声を掛けられびっくりした様子すだったが、色々と訊ねているうちに、おばあさんは土地の面白い話をしてくれた。
別れ際には、港に繋留されている帆船の
<海王丸>と、万葉の歌の書かかれた<奈呉の浦大橋>に行くと良い と薦められる。
奈呉の浦大橋の歌は、万葉の歌人、大伴家持が詠んだ歌と言う。
この二つはそれぞれ今いる場所から全く反対の方向である。おばあさんにお礼を言い、まず歌が書かれているという奈呉の浦大橋に向かう。
ここの町名は「四十物町(あえものちょう<あいもの>)」と教えてくれた。
歩いて旅をしていると、地元の人から、名所旧跡、旅行の情報誌、また色々な形で入手する情報とは違った貴重な また面白い話を聞くことが出来る。


風情のある町並みを通り過ぎると海に出る。奈呉の浦大橋 大伴家持の歌(1)
奈呉の浦大橋のモニュメント漁港があり、漁港の入り口、海との境目にまだ新しい橋が架かっている。
橋は海水面からかなり高いところを走っており景色が良い。
小雨がぱらつく空模様だが、町並み、漁港、また遠く<奈呉の浦>全体が見渡せる。
橋のちょうど真中あたりの欄干に歌の書かれたプレートがある。
奈良時代、越中の国司として赴任してきた
<大伴家持>の歌である。
家持はこの風光明媚な<奈呉の浦>の歌を万葉集の中に編んでいる。
プレートの歌を読み、まわりの風景を見ていると、大伴家持が歌った漁村の風景、人々の心、生活、が頭に浮かんでくる。
俳句にしても、和歌にしても、読んだ場所に立ってみると、その情景が解るような気がするのは不思議である。奈呉の浦大橋 大伴家持の歌(2)奈呉の浦大橋 大伴家持の歌(3)
感慨にふけりながら、この場所を教えてくれたおばあさんに感謝をする。
空は曇っているが爽やかな気分になり<奈呉の浦大橋>を後にする。この気分を壊さないようにと海王丸に行くのは止める。


こじんまりとした漁港に下り、町並みを歩き、運河の橋を渡る。運河の両岸には、漁船がびっしりと繋留されている。船の上で子供連れの家族が元気に釣りをしている。
市役所に寄るが、すでに<放生津八幡宮>、<奈呉の浦>、また<奈呉の浦大橋>に行ってきた為 少し休ませてもらうだけにする。放生津の運河


芭蕉はこの<奈呉の浦>から、やはり歌枕の
<担籠(たご)の藤浪>、今の<氷見市>を訪れようと、人に道を尋ねるが、「磯伝いに五里歩き、さらにその先の山を越えたところにあり、民家も少なく宿を貸す家もないだろう」と言われ行くのをあきらめ、加賀の国に向かう。
曾良も
「氷見ヘ行欲、往不。」と書いている。この日は、<高岡>に宿をとっている。


私も高岡に向かい歩き出す。新湊市街を出、しばらく行くとR8にぶつかる。
R8で
<庄川>を渡ると大々的に道路工事をやっている。歩行者用に、工事用フェンスで仕切られた迷路のような通路を歩く。通路に敷かれた鉄板が雨にぬれ滑りそうである。気をつけて歩く。
R8から市内に向かう道に入り、暫く行くと市役所がある。市役所で小休止。奈呉の浦
芭蕉に関する情報を探す。商業観光課に行き訊ねるが、芭蕉に関する情報は得られない。
この町は万葉の町、大伴家持の町である。血圧を測る(139-72-53)。

市役所を出ると、すぐに<高岡城跡>がある。この高岡城は<加賀藩二代藩主前田利長>の隠居城として築かれた城である。緑の木々に覆われた大きな城跡だ。当時の前田氏の力の大きさがうかがわれる。
堀を廻ってゆくとJR高岡駅の前に出る。駅前には大きな
<大伴家持>の像がある。<万葉のまち高岡>の象徴である。
高岡市は<歴史と文化が一杯に詰まった町>の印象を受ける。駅の中を一巡りしホテルに向かう。

奥の細道
那古と云浦に出 担籠の藤波(たごのふじなみ)は 春ならす共 初秋のあはれ とふへものをと 人に尋れは 是より五里磯つたひして むかふの山陰に入 蛋の芦(あまのとま)ふき かすかなれは 一夜の宿 かすものあるましと 云ィおとされて かゝの国に入
     
わせの香や 分入右は 有そ海
曾良日記
○十四日 快晴、暑甚シ。富山カゝラズシテ(滑川一リ程来、渡テ トヤマヘ別)、三リ、東石瀬野(渡シ有。大川)。四リ半、ハウ生子(渡有。甚大川也。半里計)。氷見ヘ行欲、往不。高岡ヘ出ル。ニリ也。ナゴ・二上山・イハセノ等ヲ見ル。高岡ニ申ノ上刻、着テ宿。翁、気色勝不。暑極テ甚。小□同然。
よりみち
<奈呉の浦大橋にある大伴家持の歌>

    あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人(あま)の 
             釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ
 (万葉集 巻17-40179)

   
港風 寒く吹くらし 奈呉の江に 妻喚び交し
                    鶴さはに鳴く
 (万葉集 巻17-4018)

    
朝床に 聞けば遥けし射水河 朝漕ぎしつつ 
                     唱ふ舟人
 (万葉集 巻19-4150)

俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

射水市公式ホームページ

高岡市公式ホームページ
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浜風や 翁たたずむ 奈呉の浦  (遊 旅人)