遊 旅人の 旅日記

2003年8月1日(金)晴れ

吉田町から弥彦経由出雲崎へ
AM 5:05 出発。今日の行程もざっと計算して30kmほどである。
弥彦の山越えの距離はわからない。計算した倍あるかもしれない。そのため何時もより少し早めに出発をする。


今朝は先ず
「弥彦ニ着ス。宿取テ、明神ヘ参詣。」曾良日記にある弥彦神社に向かう。
吉田町の商店街を抜け小一時間歩くと、晴れた青空の中に朝日を浴びた赤い大きな鳥居が見えてくる。
弥彦神社の大鳥居である。町の中に建っている。
大鳥居を過ぎ、村役場の前を通り、ふたたび田圃、畑に囲まれた道をしばらく歩き、ゆるやかな坂道を登ってゆくと
弥彦温泉の街に入る。門前町であるが、温泉旅館が立ち並んでいる。
通り沿いに大きな弥彦神社周辺の案内図がある。<芭蕉の泊まった宿の跡>を探したが見つからない。
温泉街の信号機のある交差点を右に曲がり少し行くと、突き当りに弥彦神社の鳥居が見える。弥彦神社一の鳥居である。


一の鳥居をくぐり、鬱蒼とした木々に覆われた参道を歩き、突き当りを左に曲がると随身門がある。随身門を入って行くと、正面に大きな風格のある本殿がある。
朝早いためまだ誰もいない。
リュックを下ろし、参拝をして小休止。
深呼吸をし、胸一杯に木々のエネルギーを吸い込む。体中の細胞が洗われるようだ。
帰りは本殿、随身門の向いている方角にまっすぐ下りてゆく。
右手に広場があり、多くの檻が並び、鳥が飼われている。


広場を通り過ぎ、鳥居をくぐって境内を出ると、正面に
<芭蕉句碑、婆々杉>の案内が立っている。思わず芭蕉の二文字を見つけ心が踊る。もしかしたら芭蕉の泊まった宿の跡も見つかるかもしれない。胸を高鳴らせ、案内にしたがって歩いてゆくと、弥彦競輪場がある。その隣に<宝光院>と言う寺院がある。<婆々杉>の案内はあるが芭蕉句碑の案内が消えてしまった。もしやと思い寺院の中に入ってゆくと<芭蕉句碑>と案内板がある。
句碑には
<荒海や 佐渡によこたふ 天河>の句が刻まれている。
宿のことは芭蕉碑説明の中には何も書かれていない。宿のことはあきらめて寺院を出る。


ラジオ体操を終えた子供達が元気に「おはようございます」と言いながら、走ってゆく。

弥彦神社を回りこむ形で温泉街の方向に戻る。一の鳥居を過ぎ、観音寺温泉を通り、山越えをするため
弥彦山スカイライン方向に進む。
リュックを背負って歩くには、かなりきつい九十九折の坂道である。木々の間から時々山頂方向を見上げる。見る場所によって霧がかかっている。先ほどの神社でも場所により雨に濡れたようなところがあった。

暑くなってくる。顔の周りに羽虫のような小さな虫が無数に寄ってくる。鼻で呼吸をすると吸い込んでしまいそうだ。ハンドタオルで虫を払い除けながら歩く。
坂を登りきり、下り坂の手前で小休止。
芭蕉も弥彦に一泊して
<最正寺(西生寺)>に寄った、ということはやはりこの辺りの道を通って山越えをしたのであろうか。
当時の道は、山の急斜面に張り付いた、獣道のような不確かな道だったに違いない、と想像をたくましくする。
リュックを背負って登るには、かなりきつい坂ではあるが、現在は木々に覆われた気持ちの良い舗装道路である。所々にハイキング用の道の案内が立ててある。
これからは下り坂である。膝に負担がかかり上り坂よりも注意が必要だ、慎重に歩こう。


三分の二ほど下ってくると、曾良が
「弥彦ヲ立。弘智法印像拝為。・・・谷ノ内、森有、堂有、象有。二、三町行テ、最正寺ト云ト所ヲ ノズミト云浜ヘ出テ・・・」と書いている<西正寺>の案内が立っている。案内にしたがって山の中にしばらく入ってゆくと、突き当たりに寺院がある。
正面の入り口は閉まっている。横から入り客殿の後ろの宝物館の前でリュックを下ろし小休止。
まだ係りの人もいない。しばらく休んでいると寺の住職が宝物館の扉を開けに来る。私がその姿を見ていると、「中に入って見ていってください」といって横にある本堂の方に去ってゆく。
宝物館を見て本堂で参拝をし、順路に従って山の斜面の小径をゆくと、
<弘智法印の即身仏(ミイラ)>が安置されている弘智堂がある。<即身仏を見学したい人はお寺に申し出てください>と案内がしてある。
その先、小径の出口近くに、まだ新しい
<芭蕉参詣の碑>がある。
小径を歩き終え、リュックを取りに宝物館まで戻ると、女性のにぎやかな声が聞こえてくる。これから法事を行う人たちのようだ。


西生寺を後にしてふたたび山を下る。日本海が見えてくる。野積と言う地名になる。浜は
野積浜である。
山の木陰を出て真夏の太陽が照り付ける畑の中の道をしばらく歩くとR402に出る。
大河津分水路にかかる野積大橋の手前<夕日の見える公園>の木陰で小休止。この大河津分水路は信濃川の方水路である。信濃川と分かれる所から、このあたりまでの町名はそのまま
分水町である。曾良日記にある、<国上(こくじょう)>は国上寺、渡部は地名として今でも、この近くに残っている。



弥彦町の大鳥居




弥彦神社の一の鳥居と随身門




弥彦神社本殿(後ろ)と手前の舞台




弥彦村宝光院の門柱(後、弥彦競輪場入り口)




弥彦村 宝光院境内の芭蕉句碑




西生寺 客殿



弘智法印の即身仏が安置されている<弘智堂)



西生寺の芭蕉参詣の碑



出雲崎町 芭蕉園



出雲崎町 芭蕉園の像



出雲崎町 芭蕉園内<天河句碑>



出雲崎町 芭蕉園前にある<大崎屋>跡
野積大橋を渡ると寺泊町に入る。
右手に松林を見ながらしばらく歩くと、寺泊の名所
<魚のアメヤ横町>と言われる魚の市場通りに行き着く。
夏休みのため、ウィークデイにもかかわらず、大盛況だ。駐車場に泊まっている車のナンバーを見ると関東各地また関西方面のナンバーも見られる。水分を補給しながら小休止をする。


にぎやかな<魚のアメ横>を後にして、海岸沿いのR402を歩いてゆくと、道路沿いに 西瓜を売っている小屋が並んでいる。その一軒の小屋から声がかかる。
小屋の中を見ると高校生くらいの少女二人が、日焼けし、はじけた笑顔で「おじさん、西瓜買ってよ。美味しいよ」と言っている。
小屋の前には西瓜とマスクメロンが並んでいる。値段を見ると、大きな西瓜が三個で1,000円だ。メロンも安い。
「歩いて旅行をしているので買えないよ」と言っても「美味しいから食べてみて」と言って、切った西瓜を食べさせようとする。本当に美味そうな西瓜だったが遠慮をする。こんな重いものを持っては歩けない。
面白い子供達だと思いしばらく話をする。
西瓜を作っている農家の子供で、高校に通っており、夏休みは小さい頃から、西瓜を売る手伝いをしてきたと言う。
同じ年頃の子供達は、遊びに、旅行にと夏休みを満喫していることだろうに、と思うが、この二人は家の手伝いをしているのである。感心な高校生である。良い家庭に育ったお嬢さんたちだと思う。
「頑張ってください」と言われてしまい別れる。
二人の女子高生に元気をもらう。


郷本と言う海水浴場のパーキングに休憩所を見つける。三坪ほどの建物の中に入ってゆくと、35才くらいの男性が一人、中で飯盒炊爨をしている。
話を聞くと、<今日、会社の休みを取り、明日、明後日と三連休にして、奥さんと小学生の子供二人を連れ、四人で、東京から海水浴に来た。昨夜東京を出て、夜中中一般道を走って、今朝早く到着、つい先ほどまで車で寝ていた。これから食事をしてその後海水浴をする。自分の会社は夏休みは無いが、三連休をつくり、この四年ほど毎年ここで海水浴をしている。旅館や民宿には泊まらないで、車に泊まり、食事も自分たちで作っている。奥さんも子供達も、それが楽しいらしい。お金を使わないでも、短い期間でも、ちょっと頭を使えば、色々と楽しいことが出来る。>と言っている。アウトドア派の家族である。楽しい海水浴をして、無事 東京に帰ることが出来るよう心で祈りながら別れる。


炎天下を歩き続け、
出雲崎町に入る。
この出雲崎町は芭蕉よりも
良寛で知られている町である。良寛の史跡は沢山ある。
しかし私は芭蕉の足跡を訪ねて歩いているのである。芭蕉の泊まった場所を訪ねなければならない。
一時間半ほど歩くと旧道が分かれる。海沿いから一本内側の道に入る。
旧道の家並みは、木造で皆背が高く、肩を寄せ合いながら建っているという印象だ。冬場、日本海から吹きつける厳しい風雪に耐える造りなのであろう、独特な町並みを形成している。趣のある、心に残る町並みである。

重い足を引きずるように歩いてゆくと、所々に見られる良寛の史跡の案内の中に、<芭蕉園>の文字を見つける。
芭蕉はこの出雲崎で一泊しているから芭蕉の史跡があっても不思議ではないのだが「えっ!本当か!」と感激してしまう。
交差点の角に確かに芭蕉園と案内されている。交差点から二百メートルほど行くと左側に公園がある。芭蕉園である。芭蕉の像もある、石碑もある、句碑もある、色々と説明もしてある。
さらに公園の前の建物には、芭蕉の泊まった
<大崎屋>の跡との説明板が掲げられている。炎天下を歩いてきた疲れが吹っ飛んでしまう。しばらく公園内の東屋でリュックを下ろし休む。
曾良日記には出雲崎で宿泊した宿の名前は書かれていない。しかし現地を歩くと このような発見があり、感激がある。裏を返せば、<自分で歩いてみないと何の発見も出来ないし、感動もないということだ>と言い聞かせる。
ボーっとしながら、今まで歩き、経験したことを、思い描いている。
「芭蕉園よ、大崎屋よ、有難う」と心の中で叫んでいる。


いつの間にか空は薄い雲で覆われ真夏の太陽は雲に隠れてしまっている。ただ午後の、むっとした暑さだけは、辺り一面に漂っている。
今日の宿は、一つ山を越えた内陸、役場、出雲崎駅の近くである。まだ4kmほど歩いて山越えしなければならない。
この海岸沿いの町並みの中には民宿があるが、夏休みのため一杯だ。そのため海水浴場から離れた内陸の宿しか取れなかったのだ。
PM5時少し前、宿に到着。
今日は、弥彦の山越えをし、炎天下の中を歩き疲れたが充実した、良い一日であった。
明日は柏崎まで歩き距離を進めるだけである。
曾良日記
○四日 快晴。風、三日同風也。辰ノ上刻、弥彦ヲ立。弘智法印像拝為。峠ヨリ右ヘ半道計行。谷ノ内、森有、堂有、象有。二、三町行テ、最正寺ト云所ヲ ノヅミ(野積)ト云浜ヘ出テ、十四、五丁、寺泊ノ方ヘ来リテ左ノ谷間ヲ通リテ、国上ヘ行道有。荒井ト云、塩浜ヨリ壱リ計有。寺泊ノ方ヨリハ ワタベ(渡部)ト云所ヘ出テ行也。寺泊リノ後也。壱リ有。同晩、申ノ上刻、出雲崎ニ着、宿ス。夜中、雨強降。
お休み処
毎日、地図を元に、歩く おおよその距離を、計算をしている。
地図にスケールをあて算出した距離は実際の距離の約80%程と考えることにしている。そのようにして算出した距離は道路標識の距離に近くなる。
今日のように弥彦の山越えのようになると全く地図では計算できない。九十九折の道も地図上では、ほぼ直線で表されている。実際は10m登るのに100mも歩かなければならない所もある。高低差もある。地方の山村の曲がりくねった、山間い、谷間いの道も地図では直線で描かれているところもある。
車の旅でも同じであるが、地図は一つの目安に過ぎないと思っている。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

弥彦村公式ホームページ

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