遊 旅人の 旅日記
赤倉温泉から尾花沢へ | |
朝、出発の準備をして、階下に下りてゆく。まだ宿の人たちは休んでいる。 簡易型のレインコートと、ビニールのシートが、すっかり乾いた状態で、おにぎりの包みと一緒に置いてある。靴もすっかり乾いている。宿の人たちはどのようにして靴を乾かすのだろうと思いながら靴を履いていると、宿の主人が起きてくる。 「今日は、<山刀伐峠>を越して尾花沢まで歩く予定だ」と話すと、山刀伐峠の様子を教えてくれる。リュックを背負って登ってもそんなに大変ではないという。しかし地元の人の云うことは気をつけて聞かないといけない。周囲の状況がよくわかった人と、初心者では全く状況が違うからだ。 AM 5:20 宿の主人に数々の心づくしに御礼を言って出発。 曇っているが気持ちの良い朝だ。 町を抜け、<一刎(いちばね)>を過ぎると、山に向かって上り坂の道が伸びている。車もギヤを落とし全開で登ってゆく。周りの山の 上のほうは雲に隠れている。 6:05トンネルに着く。宿の主人が言っていたとおり、トンネルの手前から、左、山に入ってゆく道がある。山刀伐峠に行く道である。 車でも行けるといっていたとおり、車一台通行できるほどの舗装された道が山に向かって伸びている。 旧道入り口に「歴史の道」(芭蕉の山刀伐峠越)の案内板がある。旧道は頂上に向かってジグザグにほぼまっすぐ登っている。入り口付近は草木に覆われ歩けそうもない。新しい道は蛇行しながら山の斜面を頂上に向かって登っている。 舗装された道を歩いてゆく。薄暗いというか、森々とした、濃い緑と木々の暗い影だけの山道を登ってゆく。 芭蕉はこの道の様子を「高山森々として一鳥声きかす 木の下闇茂りあひて夜ル行かことし 雲端に土ふる心地して篠の中踏分踏分水をわたり岩につまついて肌につめたき汗を流して・・・」と「奥の細道」のなかで書いている。 大自然すべてが静まり返っている。すばらしく気持ちが良い。木々のエネルギーを身体全体に浴びながら歩く。時々旧道に出会う。芭蕉達はこの急な坂道と云うより急な階段のような道を登ったのである。 <封人の家>の主人に「これより出羽の国に大山を隔て道さたかならされは道しるへの人を頼みて越へきよしを・・・」といわれ屈強の若者を案内にたて峠越えをしたのである。山中で山賊に襲われ危険だという前に、道そのものが解りにくく、また危険なのだ。旧道を目の当たりにして、まさしくそのとおりだと思う。 現在の道は、森林浴をしながらハイキングをするには最高の道である。 上に行くに従い まわりが杉の林からブナの林に変わってゆく。風がブナの木々の間をさらさらと音を立てて渡ってゆく。 頂上近くまで来ると車の駐車スペースがある。その向かい側の山の斜面に、踏み固められた道がついている。頂上に向かう道である。 笹に覆われ、木の根が這っている道を頂上に向かって歩く。木々が少し無くなったところに幹が空洞になった杉の大木とその横に地蔵がある。<子持ち杉><子宝地蔵>と説明がある。その後ろさらに登ったところ、頂上に<奥の細道・山刀伐峠>の石碑が建っている。 子持ち杉の前にある東屋でリュックを下ろし一休み。尾花沢方面が一望できる。 景色を見ながら、宿で作ってくれたおにぎりをほおばる。良い眺めである。空気も美味い。おにぎりはさらに美味い。 しばらく休んでいると寒くなってくる。急いでリュックを背負い歩き出す。 旧道を躓かないよう、滑らないようにと注意しながら下る。しばらく下ると、舗装した道と合流する。 やはり旧道と時々出会いながら下る。峠のこちら側は、広葉樹が多い。ぶなの木であると思う。 麓に下るに連れて、雲の切れ間から太陽が顔を出すようになる。太陽の光がブナの薄い葉を通し淡い黄緑色にきらきら輝いている。 目の前が開け、花壇に囲まれた駐車スペースが目に飛び込んでくる。<山刀伐峠尾花沢側登山口>である。 下界は、すっかり良い天気になっている。 道路の舗装工事をしている。工事をしている人に挨拶をしながら、尾花沢に向かって歩いていると、30歳くらいの若さだが、背の高い現場監督風の人が近寄って来る。「何処まで行くの」と話しかけてくる。簡単に歩いている理由を説明すると、びっくりされ、感心され、羨ましがられる。わざわざ、仕事の手を休めて、話しかけて来たのである。長い休みが取れるときは、歩いて旅をする事がある、という。 エールを送られ尾花沢に向かう。しばらく歩いて振り返ると、その人は工事に戻り、今登ってきた山の頂は雲に覆われている。 |
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<市野々>を過ぎると<尾花沢>まで12kmの標識がある。 道路から少し入ったところの神社で小休止。青空が広がり、爽やかな風が吹いてくるが、少し寒い。神社の陽だまりで身体を温める。 <正厳>と言う辺りから、左方面<銀山温泉>の標識が出てくる。 長くゆるい坂を上ると尾花沢市街地に入る。旅館にTELをして場所を確認する。余要領を得た案内ではなかったが、とりあえず、市の中心らしい方向に向かい歩く。小一時間程歩くと、宿が見つかる。よく見つかるものだと自分でも関心をする。12:30宿に到着。荷物を預け出かける。 <尾花沢市>はちょうど市議会議員の選挙中である。 宿から少し離れたところに、<芭蕉歴史・資料館>がある。資料館の前には芭蕉の像が建っている。 芭蕉は尾花沢に10日間滞在している。資料館の中に入ると、「奥の細道」に関する沢山の資料が展示されている。一通り目を通し出てくる。 係りの人に芭蕉が滞在をしたという、<鈴木清風宅>と<養泉寺>の場所を訪ねる。 資料館のすぐ横にある清風邸跡に行く。電気店ガあり、その前に<「奥の細道・清風邸跡」>とかかれた、大きな標柱と説明板がある。芭蕉が滞在した、鈴木清風の屋敷がここにあったのだ。 <清風>は当時、この地で島田屋と云う、紅花問屋を営み、さらに金融業を経営していた豪商であった。俳諧においては、芭蕉を師とし、江戸で交渉があったという。 清風邸跡を後にして<養泉寺>に向かう。芭蕉達は清風邸に三日、養泉寺には七日滞在している。 今では民家の間に、昔の俤を残し、ひっそりと建っている。境内には、「涼しさを 我宿にして ねまる也」の<涼し塚>、<芭蕉ゆかりの井戸>、芭蕉と清風の句碑などが在る。 寺を出て右方向 坂を下ってゆくと、視界が開け遙かかなたに、うっすらと雲に覆われた山並みが見える。方角と自分(町)の位置関係を頭に描いていると、お年寄りの女性が通りすがる。声をかけると気軽に話し相手になってくれる。世間話をし、月山、天童、新庄など方角を尋ねる。「月山は天気が良いと見えるが、今日は雲がかかっていて見えない」と月山の方角を指差しながらいう。完全な山形弁である。 学生時代のアルバイト仲間に新庄出身の友人がいた。私達としゃべるときは、東北訛りの標準語で話をしていたが、家族や友人と話すときは東北弁の会話になり、そばで聞いていて全く解らなかった。 旅先で、その土地の人と話す事は、その土地の言葉を聴き、生活や文化に触れ、楽しく、jほのぼのとした気分になる。 現在のように、情報の伝達手段、通信技術・手段が発達した世の中でも、まだまだ、地方の良い生活や文化が残っている。いつまでも残っていって欲しいと思う。 全国各地に残る方言にしても、文字やデータとして残すだけでなく、実際に使われながら残っていって欲しいと思う。 お年寄りと別れ、市内に向かう。商店街、市役所、ショッピングセンターと市内を一通り歩いて、PM4:20宿に入る。 |
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おくの細道 | |
あるしの云 これより出羽の国に 大山を隔て 道さたかならされは 道しるへの人を頼みて 越へきよしを 申さらはと云て 人を頼侍れは 究ー竟(くっきょう)の若もの 脇指を よこたへ 樫の杖を携て我ゝか 先に立て行 けふこそ 必あやうきめにも あふへき日なれと 辛き おもひをなして 後について行 あるしの云に たかはす 高山森々として一鳥声きかす 木の下闇茂りあひて 夜ル行か ことし 雲端に土ふる心地して篠の中 踏分ふみわけ 水をわたり岩につまついて 肌につめたき汗を流して最上の庄に出ス 彼案内せし おのこの云やう この道必不用の事有 つゝかなう 送りまいらせて 仕合したりと よろこひてわかれぬ 跡に聞てさへ 胸とゝろくのみ也 尾花沢にて清風と云ものを尋ぬ かれは富るものなれとも 心さし さすかに いやしからす 都にも折々かよひて 旅の情をも 知りたれは 日比とゝめて 長途の いたはり さまさまと もてなし侍る 涼しさを 我宿にして ねまる也 這出よ かいやか下の ひきのこゑ まゆはきを 俤にして 紅粉の花 子飼する 人は古代の 姿也 曾良 |
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曾良日記 | |
○十七日 快晴。 堺田ヲ立。 一リ半、笹森関所有。 新庄領。 関守ハ百姓ニ貢ヲ宥シ置也。 サゝ森。 三リ、市野々。小国ト云へカゝレバ廻リ成故、一バネト云山路ヘカヽリ、此所ニ9出。 堺田ヨリ案内者ニ荷持セ越也 市野々五、六丁行テ関有。 最上御代官所也。 百姓番也。 関ナニトヤラ云村也。 正厳・尾花沢ノ間、村有。 是、野辺沢ヘ分ル也。 正ゴンノ前ニ大夕立ニ逢。 昼過、清風ヘ着、一宿ス。 ○十八日 昼、寺ニテ風呂有。 小雨ス。ソレヨリ養泉寺移リ居。 ○十九日 朝晴ル。 素英、ナラ茶賞ス。夕方小雨ス。 二十日 小雨。 二十一日 朝、小三良ヘ招被。 同晩、沼沢所左衛門ヘ招被。 此ノ夜、清風ニ宿。 二十二日 晩、素英ヘ招被。 二十三日ノ夜、秋調ヘ招被。 日待也。 ソノ夜清風ニ宿ス。 二十四日之晩、一橋、寺ニテ持賞ス。十七日ヨリ終日晴明ノ日ナシ。 ○秋調 仁左衛門。 ○素英 村川伊左衛門。 ○一中 町岡素雲。 ○一橋 田中藤十良。 遊川 沼沢所左衛門。 東陽 歌川平蔵。 ○大石田、一栄 高野平右衛門。 ○同、川水 高桑加助。 ○上京、鈴木宗専、俳名似林、息小三良。 新庄、渋谷甚兵ヘ、風流。 ○二十五日 折々小雨ス。 大石田ヨリ川水入来、連衆故障有テ俳ナシ。 夜ニ入、秋調ニテ庚申待ニテ招被。 二十六日 昼ヨリ遊川於 東陽持賞ス。此日も小雨ス。 |
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俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム 尾花沢市公式ホームページ |
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