遊 旅人の 旅日記

2003年7月4日(金)雨

栗駒町から岩出山町へ
AM5:20 未だ、静かに眠っている、宿を出発。雨が本格的に降っている。今日は県道17号で一迫町真坂を通り岩出山町まで行く。県道17号一本だ。
くりはら田園鉄道の線路を過ぎると町並みが上り坂になる。
昨日、役場の前の「奥の細道」の案内板に書いてあった地名を、地図に書き込んでおいた。このあたりの坂が
<上野坂>といわれたところであろうか。
坂を下ると田圃地帯が広がり、しばらく行くと
<島巡り橋>がある。雨の中を順調に歩く。側溝といおうか用水路といおうか、田圃から溢れ出た水が猛烈な勢いで流れている。流れている水に気をとられ歩いているうちに道を間違えてしまった。道路標識が県道42号・築館方面になっている。道路の脇の農機具の倉庫のシャッターを開けていた人に道を尋ねる。まだ6:40だ。こんな早い時間でも人が見つかって助かった。30分ほど戻り県道17に入る。
民家が途切れ、少し歩いてゆくと、道の左側に、
<芭蕉衣掛の松>の案内を見つける。案内にしたがって歩いてゆくと山への上り坂になる。<雷神坂>といわれた坂であろうか。坂の頂一帯は<志登(祠堂)ケ森>と云う。<奥の細道>の標柱がたっている。その少し奥、木々の中に四阿があり、中に大きな<木の根>がある。<芭蕉・衣掛の松>の根である。今は、枯れてしまって、<根っこ>のみである。


雨は相変わらず激しく降っている。山の中のため早々に引き上げる。坂を先のほうに下る。道の右側は田圃や山の斜面が広がり、左側は、所々に斜面を平らにして石垣を築いた大きな農家が雨の中に静かに佇んでいる。日本の山村の良い風景だ。
長い坂を下りきると、T字路にぶつかり、右方向に進む。しばらく歩くと幹線道路にぶつかる。県道17号だ。これで元の道に戻った。県道17号の手前・右側に
<奥の細道>・<奥州上街道>と書かれた標柱と案内板が立っている。山の上から、道らしいものが下りてきている。これが昔の<奥州上街道>なのである。芭蕉たちは、こんな急な山道を歩いたのである。


しばらく歩くと町がある。姫松と書いてある。先ほどの案内板に「このあたりは、平安時代、藤原氏の荘園であり
<姫松荘>と言われた」と書いてあった。その地名がまだ残っているのだ。このような地名は、その謂れとと共にいつまでも残して置きたいものである。

のぼり下りの坂道を繰り返し歩いてゆくと目の前が開けてくる。
<真坂>である。まだ真新しい橋を渡ると公園や公共施設が整備された場所になる。道もすばらしく広くきれいになる。遠くに交差点がみえる。R398との交差点だ。その交差点を左方向に300mほど入ったところにコンビニが見える。そこで休憩をとることにする。


志登ケ森・芭蕉衣掛の松


志登ケ森・芭蕉衣掛の松(根)と案内


奥州上街道(至、芭蕉衣掛の松)



岩出山町・奥州上街道と案内




岩出山町・奥州上街道とマップ




岩出山町・有備館と有備館駅




岩出山城跡
小休止の後、県道17号に戻る。道が上り坂になる。今日は雨の中、山坂を登ったり下ったりだ。
<奥州上街道>の姿が所々に出てくる。この県道17号を左右に行ったり来たりしている。県道17号と上街道が出会ったところに<奥州上街道>の案内板がある。この街道を<歴史の道>として保存している。今では、歩く事が出来る区間と、出来ない区間があるようだ。先ほどの、<衣掛の松>の出口の上街道の傾斜を考えると、雨も降っていることでも有り、上街道を歩くのは無理だ。


昔の人たちは、旅をするにも大変だったな、などと考えながら歩いているうちに、里に下りてくる。
少し変則的な交差点があり、その少し手前左側に真山小学校がある。道路標識には、左、高清水、右、岩出山と書いてある。地図を取り出し現在地を確認。標識に従い右に曲がる。少し行くと、左、岩出山、直進、鳴子の標識有り。左、岩出山方面に曲がり、田圃の中の広いきれいな道を歩く。丘を切り開いたようなところに上ってゆく。「広域農道のような気もするが、このきれいな新しい道でよいのか」と疑問を持ちながら歩く。とにかく標識を信用しようと、そのまま歩く。
山、畑の中の道を黙々と歩く。人はもとより車も全く通らない。二時間近く歩いただろうか、産廃の工場のような建物がある。やっと人の生活の気配を感ずるところに来たとホッとする。さらに一山越すと、大きなきれいな工場が出てくる。
雨が あがったため、工場の門の前の生垣の擁壁でリュックを下ろし休ませてもらう。
身体が水分を要求している。あたりを見回したが自動販売機のようなものは見当たらない。先ほどのコンビニ以来水分を取っていない。岩出山の町まで水分は取れそうもない。今日は肌寒く、ほとんど汗をかかないのガ、せめてもの幸いだ。もう少しの辛抱だ。


再び歩き出すと、後ろから自転車に乗った中年の女性が追い抜いてゆく。<よし民家も近いぞ>と自分を励ます。
山を下りきり、しばらく行くとR47にぶつかる。地図で岩出山町の位置を確認する。どうも私が歩こうと思ってきた道と、実際歩いてきた道が違うようだ。先ほど<真山>で岩出山方面の新しい道に入ったのがやはり間違いだった。直進の鳴子方面の道が県道17で<奥州上街道>に沿う道だ。今から戻るわけには行かない。それでも、岩出山町にたどり着いたと自分を納得させる。


町中の酒屋の前のベンチで休ませてもらう。やっと水分の補給をする。冷たいスポーツドリンクの液体が胃から全身に吸収され、細胞が蘇る。
宿を確認すると、
<有備館>と言う史跡の前を通って、<岩出山城跡>に上る。城跡は公園になっており、その中にあると言う。
教えられた通り、有備館、有備館駅を通り、古い大きな造り酒屋をぐるりと廻ってゆくと、岩出山城跡入り口の案内が有る。大変な上り坂である。最後にもう一度坂に出くわした。それも中途半端な坂ではない。道の斜面と上体が平行になっているのではないか「と思われるほど、身体を前に傾け、休み休み、やっと宿のある平坦な所にたどり着く。
宿に着くと、女将さんが、上ってきた労をねぎらってくれ、「高い場所だから景色はいいですよ」と付け加えている。二階の部屋に案内をしてくれ「風呂が沸いているから入ってください」という。ありがたい、もう風呂を沸かしておいてくれたのだ。風呂に行くため部屋を出、廊下を歩いていると、窓の外に、すばらしい眺望が開ける。眼下に江合川が流れ、遠くは<登米>方面まで望まれるそうだ。


階段を下りていると、突然、右足の脛に激痛が走る。しばらく階段の途中で休んでいたが、痛みは治まりそうもない。急な階段を、手すりにつかまり、横向きで下り、風呂場に向かう。


奥の細道 南部道遙にみやりて、岩手の里に泊る。
曾良日記
四リ半、岩手山(伊達将監)。やしきモ町モ平地。上ノ山は正宗ノ初ノ居城也。杉茂リ、東ノ方、大川也。玉造川ト云。岩山也。入口半道程前ヨリ右ヘ切レ、一ツ栗ト云村ニ至ル。小黒崎見可トノ義也。二リ余、遠キ所也故、川ニ添廻テ、暮及岩手山ニ宿ス。真坂ニテ雷雨ス。乃晴、頓テ又曇テ折々小雨スル也。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム