遊 旅人の 一人旅
新潟市から吉田町へ |
AM 5:15出発。雨が降っている。天気予報では今日一日晴れの予報だ。歩くのに天気はあまり問題ではないが、炎天下の暑さは大敵である。 万代橋から信濃川の眺めは雨に煙っている。 白山神社までは昨日歩いた道とほぼ同じ道を歩き、R116に入り柏崎方面に向かう。 新潟市は大きな町である。市街地、町並みがエンエンと続く。新潟大学のキャンパスの前を通る。三時間ほど歩くとやっと越後平野の広々とした田園風景になる。 四時間ほど歩いて集落の入り口にあるレストランの敷地で小休止。このR116は交通量の激しい道路である。何百メートルも先の信号が赤色になると渋滞を起こして車の列が出来ている。 ふたたび歩き出す。しばらく歩いてゆくと歩道がなくなってしまう。歩道の終わったところに「ここまで自転車、歩行者通行可」の道路標識ガある。この先、歩行者・自転車は通行できないという標識である。路側帯も歩いてはいけないということである。田圃、畑の中の道を3kmも4kmも歩いて来て、また自転車に乗ってきて、突然ここから先は通行できませんと言われて引き返すのであろうか。不親切な標識であると同時に、お粗末な道路行政が行なわれていると腹が立ってくる。 このR116は一般の国道で自動車専用道路ではないはずだ。車もバイクも自転車も歩行者も通行してよい国道ではないかと思う。 今や道路標識は自動車の通行のために掲げられている、それは解るが、歩行者、自転車も同じ道路を通行するのである。歩行者、自転車が安全に通行できるように、補助的な標識で良いから付けて欲しいものである。 東京から歩き始め、ここまで歩いてきて、あまりにも歩行者、自転車の通行を軽視した国道が多いのには驚く。 道路交通法の原点は、あえて言えば歩行者を守るために作られた法律と思う。 朝、気分良く出発して、順調にここまで歩いてきたが、この標識を見た瞬間、腹を立ててしまった。標識を無視して路側帯を歩き先に進む。 車が渋滞している。大型のトラックも多い。渋滞しているのが却って危険を少なくしている。危険はすくないが、排気ガスを思い切り吸い込んでいる。 次の町の家並みの始まる手前のコンビニで小休止。コンビニの店員に了解を得て、飲み物を入れる空になったプラスチック製のケースを借り、腰を下ろし 水分を補給しながら一息入れていると、商品の搬入に来たトラックが来て、若い運転手が忙しく商品の搬入を始める。搬入が終わると、ケース類の回収を始める。私は急いで立ち上がり、「すみません、ケースを借りていました」と言うと、若い運転手は「かめへん。かめへん、また午後取りにくるさかい、使っといて!」と早口の関西弁で言い残しトラックに乗っていってしまった。「有難う!」と心の中でつぶやきながら、ふたたび腰を下ろす。 新潟市内、また歩道のある間は順調に歩くことが出来たが、歩道が無くなってから路側帯を慎重に歩いているため少し時間がかかっている。 新潟市を出て西川町、巻町、岩室村と歩いてきた。岩室村は通らないと思ったが、途中寄ったコンビニは岩室村だといっていた。岩室村には<岩室温泉>がある。 岩室村を過ぎ吉田町に入りしばらく歩き、線路を陸橋で渡り、右に曲がると、ちょうど吉田駅の出口の反対側にある宿に着く。 今日私は、吉田町に宿をとったため新潟市内からここまでR116を歩いたが、新潟市内から岩室温泉を通り弥彦に到る旧街道のような道がある。芭蕉はその旧街道を歩いたのかもしれない。弥彦に着き、神社に参詣をして、一泊している。 今日の行程の距離は、30km近くあるが順調に歩いてきた。 途中、道路標識に腹を立て精神状態の悪い時があったが、あまりつまらないことに腹を立てないで歩こうと反省をする。 新しい靴も良いのかもしれない。今まで一日の終盤になると踵が痛んでいたが、今日は全く痛まない。昨日、靴屋の店長が言っていてことは本当だ。良い靴を進めてくれたと感謝をする。 明日は弥彦神社に詣でて、弥彦の山越えをし出雲崎まで歩く。 |
曾良日記 |
○三日 快晴。新潟を立。馬高ク、無用之由、源七指図ニテ歩行ス。申ノ刻、弥彦ニ着ス。宿取テ、明神ヘ 参詣。 |
お休み処 |
信濃川 全長367kmあり新潟県と長野県の両県を流れる、日本一長い川である。おおよその距離は新潟県内・信濃川150km、長野県内・千曲川210km。流域面積は利根川、石狩川についで三番目。 長野県内では千曲川となる。千曲川の主流の水源は埼玉県と山梨県の県境、甲武信ケ岳(コブシガタケ)に発する。また支流の一つである奈良井川は木曽駒が岳に水源を発し、木曾街道沿いを流れ鳥居峠、奈良井、馬籠、妻籠などの宿がある。 さらに支流である梓川は槍ヶ岳に水源を発し上高地を流れ、奈良井川と合流して犀川となる。そして犀川は長野市内の川中島で千曲川と合流をする。千曲川は飯山市を通り、昨年豪雪で大変な被害を受けた新潟県内の津南町、中里町に入り名前が信濃川となる。そして中越地震で被災された、十日町、小千谷を通り越後川口に到る。この越後川口で、群馬県との県境の谷川岳に水源を発する魚野川と合流し越後平野を流れ日本海に注ぐ。 歴史の舞台となり、素晴らしい自然を従え、人々の生活の支えとなってきた雄大な川である。 |
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム 新潟市公式ホームページ |
信濃川 信濃の国では 千曲川 流域の 話題を運ぶ 信濃川 |