遊 旅人の 旅日記

2003年7月30日(水)雨のち曇り

新潟滞在
AM4:30 いつもと同じ時間に目を覚ます。今日は新潟市に滞在する為出発の準備はしなくて良い。テレビをつけると すでに放送を開始しているテレビ局がある。天気予報では一日雨模様だが今はまだ降っていない。
今日は、先ず病院に行って血圧をチェックし薬を処方してもらう。靴を新しい物に取り替える。日記・画像の整理をし、知人・友人にメールを送る。


シャワーを浴びさっぱりとして、画像と日記の整理にとりかかる。新潟市船江大神宮境内にある芭蕉の句碑
毎日歩きながら、その都度ノートに、場面、状況、感じたことなどを書いている。そのノートに書き留めたこと、記憶していること、デジカメの画像、またパンフレットや地図を基に、一日の出来事をCDに日記として入れておく。これが意外と時間がかかる。
日記を整理した後、メールもほとんど送ってしまう。
ホテルで紹介したもらった診療所の診察開始時間までまだ少し時間がある。
芭蕉の泊まった宿
<大工源七>を探そうと新潟市のホームページの観光情報に入り、市の地図を検索してゆくと、芭蕉の文字が二箇所見つかる。一箇所は新潟護国神社に<芭蕉堂>、一箇所は白山神社近くの神明宮の<芭蕉句碑>だ。ここに行けば芭蕉の泊まった宿<大工源七>のこともわかるかもしれない。
「やった!求めよさらば与えられん、たたけよさらば開かれんだ!」と心の中で叫ぶ。両方とも同じ方角だ、そんなに遠くはない。市内をぐるっと回って12〜3kmだ。病院と薬局に行った後でも、充分に行く時間はある。


新潟市護国神社入り口にある芭蕉堂の案内板AM9:30ホテルを出て、駅で遅めの朝食を取り、診療所に行く。駅と同じ建物の中にある。血圧をチェックしてもらうと121-76である。順調だ。
先生に<奥の細道>を歩いて旅をしていると話す。今の体調で行けば大丈夫だといわれる。先生は<奥の細道を歩いている>と言う行動よりも、<毎日重いリュックを背負って長期間歩いていることが、血圧、体調にどのように影響するか>を診ているのである。やはり医者だと思う。
現在服用している薬の解説書を先生に渡し、同じ薬を処方してもらう。
診療所で調剤薬局は、新潟市民病院か新潟大学付属病院の近くの調剤薬局が良いと紹介される。私は新潟大学と言うと新潟市の西のはずれ、郊外、かなり遠いところにあると思い込んでいたため、市民病院近くの薬局に行くことに決定し、場所を教えてもらう。
駅の反対側に出て、歩いて20分程で新潟市民病院付近に着く。一軒の大きな薬局に入ると待合室は待っている人で一杯だ。一時間半ほど待つと、薬剤師がやってきて、処方されている薬の在庫が無く夕方まで待って欲しいといわれる。私は旅行中で今日はホテルに滞在していると話すと、夕方、ホテルに届けると言ってくれる。大きな調剤薬局にもかかわらず親切だ。


調剤薬局を出て、再び駅に向かい歩く。大通りで靴の流通センターを見つける。安くて丈夫そうな靴をと探していると、店長が寄って来て対応をしてくれる。私が歩いて旅をしていることを話すと、店長もウォーキングやハイキングには良く出かけるといって、色々と相談に乗ってくれ、歩くときのアドバイスもしてくれる。最終的に店長お勧めの、かかとにエアーの入った靴に落ち着く。ちょっと予算をオーバーしたがそれでも4,000円である。新しい靴に履き替え、古い靴は捨ててもらい靴屋を後にする。
薬局で時間がかかったためすでに一時を過ぎている。駅に戻り昼食を簡単に摂る。新潟市護国神社散策路内にある芭蕉堂


新潟市は繁華街が二つある。信濃川が市内を二分している。一つは新潟駅と信濃川の間にあり、ビジネス街とデパート、飲食店などがある。もう一つは駅からみて信濃川を渡った向こう岸にある。古町と言われる周辺である。歴史のある幾つもの通りが有、活気に満ちた商店街が並んでいる。新潟の町はこの古町周辺を中心に栄えてきた町である。
新潟は港町である。古くは、日本海を航行してきた船が信濃川に入り港に船を着け、また信濃川を下ってきた船が港で荷を下ろした、そのような人たちが商売をし、逗留をし、また遊興をした、古町とはそんなところであり、趣のある町並が今でもその俤を残している。
<白山神社>はその近くにある。


駅前から広い大通りを歩き万代橋を渡り白山神社を目指して歩く。手書きの地図が少し正確さを欠いていたため句碑のある神明宮には一つ後ろの通りから入る。細い路地を通って行くと
<船江大神宮>がある。こじんまりとした神社であるが古く歴史がありそうな神社である。拝殿の右手前に小さな能舞台のようなものがある。句碑は、正面から入ると鳥居をくぐって直ぐ左側に在る。案内板がなければちょっとわかりにくい。「海に降る 雨や恋しき 浮身宿」の句碑である。この句は、奥の細道には入っていない。
船江大神宮を後にし護国神社に向かう。
今日は一日雨模様との予報であったが、朝のうちに、さらさらと降っただけで、今は雲の切れ間から日がさしているところもある。おかしな天気である。


新潟市護国神社芭蕉堂前にある芭蕉・蓑塚の碑白山神社の前に市役所があるが寄らないで通り過ぎて行くと、新潟大学の総合病院がある。「えっ、付属病院て、ここにあったの!診療所でよく確認をすればよかった」と自分の記憶のあいまいさを後悔をする。
自分を責めながら、しばらく歩いて行くと
<護国神社>に着く。手書きの地図を見ると入り口近くに芭蕉堂の印を付けてある。参道手前を歩いてみる。右手少し高くなったところの木々の間に<芭蕉>らしい文字が書かれた看板を見つける。近づいてみると確かに<芭蕉堂>の文字が書かれている。公園の林の中の散策路に入ってゆくと、右側に石造りの<芭蕉堂>がある。側面には、芭蕉と曾良の絵、俳句「海に降る・・・」が刻まれており、正面には大きな赤い文字で芭蕉と描かれている。
芭蕉堂の前、少しはなれたところには
<蓑塚の碑>がある。
芭蕉ゆかりの史跡は見つけたが、肝心の
<大工源七>のことは解らない。しばらく芭蕉堂と蓑塚の碑の周りを散策してみる。すぐに新潟はこれで良し、と思い護国神社の拝殿に詣で参拝をする。
今日は、大工源七のことは判らなく、また調剤薬局を選ぶのに判断を誤ったが、船江大神宮の芭蕉の句碑、護国神社の芭蕉堂、蓑塚の碑を訪れ、充実した一日であったと自己満足をしながら帰路に着く。
六時少し過ぎに薬局の人が薬を届けてくれる。
明日はR116を歩き弥彦町までと予定を立てたが、宿が見つからない。弥彦の町は弥彦神社の門前町であり、かつ旅館は温泉旅館のため、宿泊料が高く、今の私の予算では泊まれない。弥彦温泉の旅館で紹介をしてくれた吉田町に宿をとる。
明日に備え、早めに床に着く。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

新潟市公式ホームページ