遊 旅人の 旅日記
朝日村葡萄から村上へ | |
AM5:15 民宿の御主人に見送られ出発。 素晴らしく良い天気になった。葡萄峠を下り始め、後ろを振り返ると、峠付近の山々がすがすがしい姿を見せている。周りの林の中からは小鳥の鳴き声が澄んだ空気の中を響き渡ってくる。空は一点の曇りも無く真っ青だ。 そのすがすがしい風景の中、田圃・畑では農作業が始まっている。 道路沿いの畑で農作業をしていた女の人が元気良く「おはようございます」と声を掛けてくる。黙々と一人で歩いていると、人と挨拶をしただけでも元気が出てくる。 9時少し前、道の駅で小休止。すでに営業をしている。今日は夏休みに入った最初の日曜日だ。道の駅も、隣のコンビニも広い駐車場に車が一杯だ。 15〜6年前、車で通った時、ここには<またぎ>の住居が再現してあったと思う。今は、農産物の直売、地元の物産など販売している、<道の駅>として整備されている。 しばらく休憩をした後、道の駅を出発。真夏の太陽が照り付けてくる。一時間ほど歩くと、まだ新しい橋が架かっている<三面川>を渡る。この川は鮭が帰ってくる川として有名である。橋の上でしばし足を止め休む。川では釣りをしている。 再び歩き出す。太陽の光をさえぎるものが何も無い。炎天下を一時間ほど歩き、川を渡ると、R7沿いにはロードサイドビジネスの大きな建物が並び始める。 川を渡った所の交差点を右に曲がり瀬波温泉・村上駅方面に向かう。村上市の市街地に入る。 街路樹に油蝉が鈴なりに止まって、思いっきり啼いている。鈴なりといっても直径5cm程の太さの木に、幹が見えなくなるくらいびっしりと、とまっているのである。捕まえようとして手を近づけても逃げない。このような光景も目面しい。 少し上り坂を登ってゆくと村上駅に着く。今日も疲れてしまった。宿に電話をすると直ぐ目の前である。 pm1:00 ホテルに着き荷物を預ける。フロントで芭蕉の話をすると、市内の観光地図を持ってきて親切に教えてくれる。宿泊した<久左衛門の宿>(井筒屋)、参詣したという<泰叟院(浄念寺)>も地図に載っている。また市内にある芭蕉句碑の場所も記されている。 ホテル内で水分を補給しながらしばらく休む。 |
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地図を片手に、出発。今日は日曜日で市役所は休みだ。 村上城跡に向かう。榊原侯十五万石の城である。正面に城跡のある臥牛山が見えてくる。城としてはかなり高い所にある。 曾良日記に「申ノ上刻ニ村上ニ着、宿借テ城中ヘ案内」とあるように、芭蕉と曾良は村上に着いたその日に村上城に行っている。この村上城訪問は、芭蕉の意向ではなく、曾良が城内にいるの知人に会うのが目的であったようだ。 山の麓、城への上り口にある案内を見て城跡に登るのはやめる。 R7に出て鶴岡方面に北上。先ほど市内に向かった交差点に出る。市内に向かって歩いた同じ道を歩く。地図に従ってゆくと少し奥まった地蔵堂の前に芭蕉の句碑がある。 けふばかり 人も年よれ 初時雨 はせを (明治二年五月 村上上片町和合庵鸞子が主唱して建立) その直ぐ先に<〆張鶴>の酒造元<宮尾酒造>がある。日本酒の世界では、全国的に知られている酒である。こじんまりした規模と言う印象を受ける。丁寧に良い酒を造っているのであろう。 さらに市内に向かい歩く。やはり先ほど歩いた道を行くと、左手垣根越に、子供達が遊んでいる神社が見える。少し戻って回り込んで行ってみると稲荷神社がある。鳥居をくぐった左側に芭蕉の句碑がある。 雲折々 人をやすむる 月見かな はせを (天保十四年一月 祖翁百五十回忌を記念して観宝院の別当白露観無為坊の建立) 地図を頼りに古い町並みを右に曲がり左に曲がりしてゆくと角に<井筒屋>の看板を掲げた古い建物がある。芭蕉の泊まった<久左衛門の宿>といわれている建物である。今では岩船郡物産品の販売所となっている。 昔懐かしいものや、手作りの物産を売っている。中では5〜6人の女性が働いている。一人の女性が私の相手をしてくれ、この家の由来などを話してくれる。もともと<大和屋>といっていた屋号を旅籠<井筒屋>に変更したのだと言う。 ‘今日は観光に来たのではない’と自分に言い聞かせ、後ろ髪を引かれる思いで井筒屋を出る。 細い路地を歩き、曾良日記に<泰叟院>とある、榊原家の菩提寺にゆく。今は<浄念寺>と言う。快楽山と書かれた山門を入ると普通の家の屋敷内に入ったような雰囲気である。左の方に白壁の蔵のような建物がある。これが<浄念寺の本堂>である。この本堂は1818年建立されたもので、国の指定文化財となっている。 お寺の本堂としては少し変わった建物である。 浄念寺を後にして、古い町並みをゆっくりと散策しながら宿に向かう。これで今日の村上での目的は果たした。五時になるが、西に傾いた真夏の太陽が町並みを照りつけ濃い影を落としている。 明日は瀬波温泉の町を通り石船(いわふね)神社に寄り、乙宝寺、築地(中条町)を歩き、新発田市まで歩く。 |
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曾良日記 | |
○二十八日 朝晴。中村ヲ立、葡萄到(名ニ立程ノ難所無)。甚雨降ル。追付、止。申ノ上刻ニ村上ニ着、宿借テ城中ヘ案内。喜兵・友兵来テ逢。彦左衛門ヲ同道ス。 ○二十九日 天気吉。昼時、喜兵・友兵来テ(帯刀公ヨリ百疋給)、光栄寺ヘ同道。一燈公ノ御墓拝。道ニテ鈴木冶部右衛門ニ逢。帰、冷麦持賞。未ノ下剋、宿久左衛門同道ニテ瀬波ヘ行。帰、喜兵御隠居ヨリ下物被、山野等ヨリ之奇物持参。又御隠居ヨリ重之内下被。友右ヨリ瓜、喜兵内ヨリ干菓子等贈。 一 七月朔日 折々小雨降ル。喜兵・太左衛門・彦左衛門・友右等尋。喜兵・太左衛門ハ見立被。朝之内、泰叟院ヘ参詣。 |
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