遊 旅人の 旅日記

2003年7月26日(土)雨のち曇り

山形県温海町から新潟県朝日村葡萄へ
朝、起きると雨が降っている。荷物は少しでも少ないほうが良いと思い、朝食のおにぎりを食べてしまう。冷えていても美味いおにぎりである。
AM 5:20出発。海沿いのR7を南下する。AM6:40 
道の駅 あつみ<しゃりん>で小休止。茶色を基調とした木造の建物が並んでいる。
雨が あがり雲の切れ間から青い夏の空が覗いている。
今日は土曜日である。売店やインフォメーションセンターは未だ開いていないにもかかわらず、行楽客が次々と車で入ってくる。しばらくベンチに腰を下ろし休む。
昨日から左足の脛が痛んでいる。また右足の土踏まずから指に掛けて、また皮が向けそうになっている。右足は包帯でぐるぐる捲きにしてある。足が痛むのは久しぶりである。足の調子が悪いと、体全体の調子が悪くなってしまう。気をつけなければいけない。

温海町鼠ヶ関(念珠関)址
AM7:45
<鼠ヶ関(念珠関)>に着く。この関は<白河の関><勿来の関>と並び古代奥羽の三関の一つとして知られている。今ではR7沿いに こじんまりとした公園として整備されている。
鼠ヶ関から少し歩くと新潟県に入る。心の中で「山形県よ色々お世話になりました。有難う」とお礼を言う。温海町鼠ヶ関(念珠関)址


新潟県に入り、2時間ほど歩き勝木と言うところ迄来ると、海沿いの景勝地
<笹川流れ>を通るR345と内陸に入るR7に分かれる。芭蕉が泊まった中村(北中)はR7沿いである。R7を北中に向かい歩く。
太陽は出ていないが暑くなってくる。黙々と歩いていると、マイクロバスが少し先に止まり運転手が降りてきて、私に、村上に行く道を聞いてくる。たまたまこのあたりの地理を知っていた為、教えてあげることが出来た。話の様子から全く自分達の走っている場所、また行く先迄の地理がわかっていない様子である。車を見ると秋田ナンバーで、20人程が乗っている。新潟県に観光に来たようである。
それにしても、マイクロバスの運転手が、大きなリュックを背負ってとぼとぼ歩いている人間に道順を聞いてくるのはどうかと思う。
この旅に出てすでに三・四回ドライバーに道順を聞かれている。道を聞きやすい雰囲気を持っているのかもしれない。


新潟県山北町北中(中村)芭蕉宿泊の地標柱道が少しずつ登りになっている。暑さと足の調子がいまひとつのため、ひどく疲れてしまう。完全に気持ちが負けてしまっている。足が前に出なくなってしまう。小刻みに休みながらやっと
<北中>の集落に着く。バイパスと旧道に道が分かれる。旧道に入ってゆくと三叉路があり、その三叉路のところの酒屋さんの前に<芭蕉宿泊の地>の標柱がある。この標柱を見た瞬間疲れが吹っ飛んでしまう。
酒屋さんに芭蕉が宿泊した宿を尋ねると、ご夫婦で話をしてくれる。二軒有るという。一軒は目の前の家で今も旅館をやっている。もう一軒は15m程離れた所の家で民宿をやっていると言う。山北町北中(中村)芭蕉宿泊の宿1
ここまで判れば十分だ。次に奥の細道・300年を記念して作られたという
<北中・芭蕉公園>にゆく。公園の脇を<旧出羽街道>が通っている。
一旦R7に出て
<大毎>から旧道に入る。道沿いの所どころに水汲み場がある。この大毎は良い水が出ると案内されている。<大沢>の集落を歩いてゆくと道がなくなってしまう。近くの大工さんに道を尋ねると、この先、石畳の道があり、30分程行くと明神様がある。その先20〜30分程行くと<葡萄>に出られるという。山の中の道で、今は余り歩く人がいなく草ぼうぼうだという。私の大きなリュックを背負って山北町北中(中村)芭蕉宿泊の宿2いる姿を見て大丈夫かな?と言う顔をしている。疲れはなくなったが、足の調子があまりよくない為、旧道を歩くのは あきらめ大毎まで戻り、R7を歩く。
曾良はこの
<葡萄峠>越えを「葡萄到(名ニ立程難所無)」と「思ったよりも難所でなかった」と曾良日記に書いている。


今宵の宿に電話をして場所を確認する。朝日トンネルを出て1km程行ったところにあるという。このR7には勝木から内陸に入って、ここまで三つのトンネルがあったが皆歩道が山北町北中、芭蕉公園ついていて安心して歩くことが出来た。朝日トンネルの歩道の有無を聞くと無いという。しかし大丈夫だといわれる。
トンネルの前まで来てみると今までの三つのトンネルと比べ一番長くトンネルらしいトンネルだ。念のため懐中電灯をつけて歩く。トンネルを出ると、その瞬間何時も安堵感を覚える。トンネルの中の歩行は緊張するのだ。安堵感に浸りながら一休みをする。もう少しだ。
4時少し過ぎに宿に到着。荷物の整理をしていると、御主人がお茶を入れたといって呼びに来る。品の良い、温和の中にも厳格さを感じさせ、校長先生の様な風貌をしている人である。尋ねてみると、もとから農業をしており、30年ほど前から農業の傍ら民宿を始めたのだという。
旧道の話をすると、この少し先、村上寄りに行った所に出るが、下りは少しきつい坂になっているという。
一時間ほど世間話をして風呂に入る。
今日は体力的に厳しかった。心身共、旅に慣れ、気分がたるんで来たのではないか、と反省をする。風呂に入りホッとする。
おくの細道
鼠の関を こゆれは 越後の地に歩行を改て
曾良日記
○二十七日 雨止。温海立。翁ハ馬ニテ直ニ鼠ヶ関趣被。予ハ湯本ヘ立寄、見物シテ行。半道計ノ山ノ奥也。今日も折々小雨ス。暮及、中村ニ宿ス。
おやすみ処
芭蕉研究家・蓑笠庵利一(さりゅうあん りいち)は「奥の細道菅菰抄(すがごもしょう)」の中で<鼠ヶ関>の位置、名前の由来について次のように書いている。
鼠の関は、越後、出羽の境なり。本の蹟は、越後の地にて、此所山の出さき、海辺迄の岩六、七間のうちは、皆鼠の餅をくひかけたるかたちしたり。故に此名あり。今の関ある所は、出羽の地にして、そこの駅を鼠が関と云。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

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