遊 旅人の 旅日記

2003年7月23日(水)晴れのち曇り

遊佐町から酒田へ戻る
AM 7:25 女将に見送られ、お世話になったお礼を言って出発。
R7を酒田に向かう。
<鳥海山>の姿が初めて麓から頂上まで現れる。素晴らしい眺めである。「今度来るときは登りに来なさい」と言っているようである。


鳥海山を眺めながら歩いていると、酒田方面から歩いてきた元気な、70才位の男性に声を掛けられる。「奥の細道」を歩いていると話すと、頑張ってくださいと言われる。
この遊佐町では、毎年9月に ツーデイ(2Day)ウォーキングというウォーキング大会をやっているから是非参加してくださいと誘われる。初日40km、二日目は30kmほどのウォーキング大会だそうである。鳥海山をバックに良いコースに違いない。
歩いている私に声を掛けてくる人たちは、自分でウォーキングをやっていたり、ハイキング、また旅行の好きな人たちが ほとんどだ。「何処から来たの?」「何処まで行くの?」が大方の決まり文句である。しばらく話をした後、別れる。遊佐町から鳥海山を望む


R7をさらに、酒田に向かって歩いていると、商店の前で掃除をしている中年の女性、道路端でメロンや、スイカ、桃などを売っている農家の人達が元気に挨拶をしてくる。
しばらく歩いて行くと、
<旧青山本邸>と書いた大きな看板が目に入る。芭蕉とは関係なさそうだがと思いながらも、案内に従いR7を逸れ<旧青山本邸>に向かう。松の木に囲まれ、どっしりとした重厚感のあるお屋敷である。江戸末期から明治にかけ漁業(にしん漁)で大成功をなした、青山留吉と言う人の屋敷である。
デジカメで画像を取っていると、大宮ナンバーのワンボックスに乗った家族連れがやってくる。お年寄りから子供まで一家7人の家族である。家族連れも写真を撮りだす。お母さんが撮る役目のようだ。夏休みの家族旅行の記念写真は何時もお母さんのいない写真になってしまいそうだ。カメラを借りてお母さん入りの写真を撮ってあげる。旧青山本邸


R7に戻り、酒田に向け歩く。自転車で旅行をしている人、バイクで旅行をしている人と、次第に様々な旅行者が見られるようになる。
市街地に近くなると、ロードサイドビジネスの建物が並びだす。日本全国何処の町に行っても、町に入ってゆく、このイントロの形は同じである。
百円ショップを見つける。新潟県の地図を買おうと店に入ったが、在庫が無いといわれる。やむを得ず中部地方の地図を買う。新潟から最終地岐阜までの行程の全県が載っている。詳細は道路地図のコピーを持っているから大丈夫だ。
まだ山形県の北部にいるのに、気持ちは、早くも終点の大垣までとんでしまう。一歩一歩、一日一日、一県一県、慎重に、着実に歩いてゆかなければならないと自戒をする。
宿に入って、行程と、日数を計算しよう。


芭蕉の象潟からの帰りは、塩越(象潟町)から酒田まで、50km程の距離を一気に戻っている。
曾良日記に
「アイ風吹テ山海快。暮ニ及て、酒田ニ着。」とあり、鳥海山を眺めながら、快い風の吹く中、海岸近くの道を歩き、夕方酒田に入ったと述べられている。
酒田では、伊東玄順宅に七泊し、人々と句会を楽しみ、交流を深めている。

今日の宿は、先日泊まった時に、予約をしてある。フロントの女性が顔を覚えていたのか、笑顔で迎えてくれる。
一日歩いてきてホッとする瞬間である。

明日は、鶴岡まで戻る。

曾良日記
○ 十八日 快晴。早朝、橋迄行、鳥海山ノ晴嵐ヲ見ル。飯終テ立。アイ風吹テ山海快。暮ニ及テ、酒田に着。
○ 十九日 快晴。三吟始。明廿日、寺島彦助江戸ヘ趣被ニ因テ状認。翁ヨリ杉風、又鳴海寂照・越人ヘ遣被。予、杉風・深川長政   ヘ遣ス。
○ 廿日 快晴。三吟。
○ 二十一日 快晴。夕方曇。夜ニ入、村雨シテ止。三吟終。
○ 二十二日 曇。夕方晴。
○ 二十三日 晴。近江ヤ三良兵ヘヘ招被。夜ニ入、即興ノ発句有。
○ 二十四日 朝晴。夕ヨリ夜半迄雨降ル。 
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

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