遊 旅人の 旅日記
平泉から一関へ |
朝4:00起床。今日は一関迄の為、ゆっくりで良い。しかし起床時間はいつもと同じ4時。 再度、岩崎(栗駒町)、岩出山までの行程を検討する。この区間は山坂の多い区間であり、芭蕉たちの足跡もはっきりしない。曾良は自分達の歩いている地点から、別の地点・場所まで何里と言う書き方をしている。パズルを解くような感じだ。その地名からルートを想像をして歩こう。 8:50宿を出発。体調も良い。昨日、一昨日と、一日半リュックを背負って歩かなかった為か、右足の脛も痛みも和らいでいる。この痛みは時々場所が変わるのである。あるときは踝のすぐ上の正面、あるときは脛の真中より少し下、またあるときは脛の真中の外側と変わるのである。仙台で発生して九日目だ。右足は膝から下が少しむくんでいるが、痛みにも慣れてきた。 一昨日歩いた道をもどる。今日も、東北線<山目駅>で休む。5人ほどの小学生と先生がいる。子供達は駅の構内から周辺を歩き回っている。先生は子供達の行動を見守っている。時々 子供達が先生に、なにやら質問をしている。社会化の勉強のようだ。 80歳ほどのおばあさんが来て先生と話始める。おばあさんが一人の子供に声をかける。特に用事があって声をかけたのではない。たまたま子供達の中に知っている子供がいたのだ。子供は返事をして挨拶をするが、友達と学習に夢中だ。先生とおばあさん、おばあさんと子供、皆知り合いなのだ。先生とおばあさんとの会話は、子供から家庭へ、家庭から家庭へと話題が広がってゆく。良い共同社会が出来ていると思う。このようなところでは事件など起こらないだろう、と改めて感ずる。 11:30ホテル着。荷物を預け、市内の観光地図をもらい出かける。この地図には芭蕉ゆかりの案内は書かれていない。 一関駅は新幹線が止まるため大きな駅である。観光案内所に寄り市内の情報を聞いた後、町の中を歩いてゆくと大きな造り酒蔵がある、中年の女性達が酒蔵の門を入ってゆく。女性が酒蔵の工場見学かと思ったが、中にレストランがある。ちょうど昼時だ。昼食をとりに入っていったようだ。よく見ると雰囲気の良いレストランがある。 公園と官庁街のようなところを通り磐井川に出る。川沿いの道を右に曲がり磐井橋方向に歩くと図書館がある。図書館に入り、<一関>に関する色々な資料、文献を探し目を通す。係の人に<一関と芭蕉に関係のある文献>を尋ねたが解らなかった。図書館を出ると、すぐ横に<台風による磐井川の氾濫のため大災害に見舞われた>との看板がある。1947年(昭和22年)の<カスリン台風>と翌年の<アイオン台風>の被害が書かれている。終戦直後、二年連続して大災害に見舞われたのである。今では河川の治水・改修工事がなされ河川公園として市民の憩いの場所として整備されている。 ホテルに戻り、荷物を整理し、洗濯物を持ってコインランドリーに出かける。7月だというのに寒い。気象庁の報道によると、4月下旬から5月上旬の気温と言う。町を歩いている人たちは皆長袖の上着を着ている。半袖姿は高校生の制服姿と私くらいのものだ。私の長袖は、洗濯物の中だ。今日洗濯をすれば、明日は着ることができる。 明日は<金成>を通って<岩崎(栗駒町)>まで歩こう。 東京を出発し今までは、北に向かって上ってきた。これからは、酒田から象潟の区間を除いて、南西に下ることになる。なんとなく歩いていて、楽な気分がする。 |
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム 一関市公式ホームページ |