遊 旅人の 旅日記

 2003年7月18日(金)晴

羽黒山から鶴岡へ
今日は鶴岡まで下る。芭蕉は<庄内藩(現鶴岡市)の藩士・長山重行宅>に世話になり、三泊している。その足跡を辿ろう。
宿で朝食を済ませ、AM7:40出発。今日も天気が良くすがすがしい朝になった。杉林の中も気持ちが良い。「羽黒山、月山、湯殿山、有難う!!」と心の中で言いながら山道を下る。


羽黒山神社参道入り口近くに来ると、先日お世話になった、お土産物屋さんが見える。
ご主人が店の前で掃除をしている。近づいて、無事、月山、湯殿山に行ってきました、と報告をする。しばらく二日間の体験を話した後、お礼を言って別れ、鶴岡に向かう。


昨日、一昨日と、道なき道を歩いてきたため、舗装された平らな道は歩き易い。快調に歩いてゆくと、羽黒高校がある。
そういえば、昔、<羽黒山>と言う横綱がいた.。その<羽黒山>もここの出身なのかな、などと考えながら歩いていると、大きな赤い鳥居の下をくぐる。周りが田圃と畑の風景になる。
後ろを振り返ると遠く月山が見える。昨日は、あの頂上まで登ったのである、すごいなと自分の事ながらも感心をする。
今は、七合目あたりから上は雲に覆われている。山小屋の女将の言うことを聞いて正解だったのかもしれない。休暇村で出合った、今日、登っている人たちは、どうしているんだろうかと心配になる。


小学校があり、運動場の道路側の端にお堂がある。何気なく通り過ぎようとするが、<庄内おばこ発祥の地>の案内板を見つける。民謡
<庄内おばこ>は、このあたりで発祥し、歌われ発展して行ったようだ。お堂に戻り、階段にリュックを下ろし、小休止をする。
さらに歩いてゆくと羽黒町役場がある。出羽山神社の町並みから、随分と遠く離れたところに役場があるものだと思ったが、町の行政、商業の中心はここで、宿坊の立ち並ぶ町並みは、羽黒町手向と言い、門前町が形成されているのである。
町の構成、形成はそれぞれ、その土地の特徴があり、よく調べて見ると面白い。


今日は夏の太陽になった。もう7月も18日だから真夏の太陽でもおかしくは無いのだが、今年は天候が不順だ。おかげさまで、暑さにあまり苦労しないでここまで歩いてきた。
今日は、距離も短いし、余裕で歩けると思っていたが、早くも疲れが出てきた。
しかし、そのように思ってはいけないのである。思った瞬間、意識が萎え、足が前に進まなくなる。体全体がわがままを言い出し、いうことを効かなくなってしまうのである。
わがままが決定的にならない前に、前方に見えてきたコンビニで休むことにする。コンビにの中には、休憩するためのカウンターと椅子が備えられている。大助かりだ。飲み物を買い、休ませてもらう。


大きな川を渡ると鶴岡市に入る。まずホテルにと思い、鶴岡駅方面に向かう。鶴岡市長山重行宅跡
12:30ホテル着。荷物を預け、しばらく休憩しながら、フロントでもらった市内の地図で午後のスケジュールを練る。
まず芭蕉が三泊したと言う、
<庄内藩士 長山五郎右衛門重行の屋敷跡>に出かける。今その屋敷跡は、工場や住宅に囲まれ、芭蕉が宿泊したと言う石柱が建てられ、ひっそりと残されている。
芭蕉が長山宅に到着した夜は、
<重行、呂丸>、の地元俳句愛好者と曾良と四人で歌仙を巻いたという。
そのときの芭蕉の発句が
    
めづらしや 山をいではの 初茄子
である。
食膳に供された、この地方特産の、一口茄子(民田なす)を詠んだものと説明されている。


次に、芭蕉が酒田に向かうとき川舟に乗った乗船場所に向かう。市内を流れる
<内川>の川沿いにある。
鶴岡市内川の芭蕉乗船地跡「奥の細道」の標柱と
<奥の細道内川乗船地跡>の案内板が建てられている。<この船着き場から川船に乗って、内川、赤川、最上川と下り、酒田に赴いたのである。船で7里、約半日かかった>と説明されている。当時、内川、赤川と最上川はつながっていたのであろうか。
船着場の対岸には、昔の商家を再現した、町並みが見られる。


商店街を歩き、
<日枝神社>に向かう。境内に芭蕉の句碑があるという。
神社の境内は、木々に囲まれ、真夏の太陽がさえぎられ、涼しいそよ風が吹いている。
ベンチで昼寝をしている人がいる。幼児を遊ばせているおばあさんがいる。町の中の良い空間である。

境内の片隅に句碑を見つける。やはり<めづらしや・・・・・>の句が刻まれている。
私もベンチに腰を下ろししばし休息をとる。
私の頭の中には、鶴岡と言うと
<鶴岡公園の、お堀の桜>と言うイメージがある。行ってみようかと思ったが時計を見ると四時近い。<今は桜の時期でもない、芭蕉に関するものもありそうもない>と勝手に行かない理由を考え、鶴岡市日枝神社の芭蕉句碑鶴岡駅に向かう。


駅舎の中は、通学の高校生や、出張帰りのサラリーマンで一杯だ。
地図や観光のパンフレットを見ていると、新潟行き急行列車の入線のアナウンスが流れてくる。一瞬「えっ!新潟行き?」と思ったが、鶴岡は羽越線の駅だから新潟行きの電車が来ても不思議ではない。私の頭の中に、今は、日本海側にいるんだという意識が無かったのである。<そうか、これからは、日本海側なんだ、象潟へも、金沢、福井へも、ずーと日本海の海沿いを歩くんだ>と、あらためて感じいっているのである。

駅前にある5,〜6階建のスーパーマーケットによる。何を買うわけでもないが、店内を歩き、エスカレーターに乗り、久しぶりに都会の雰囲気に浸ってみる。
少しはやめの夕食をとり、ホテルに帰る。
おくの細道
羽黒を立て 鶴か岡の城下 長山氏重行と云 ものゝふの家に むかへられて 俳諧一巻有 左吉も共に送りぬ
曾良日記
申ノ刻、鶴ケ岡長山五良右衛門宅ニ至ル。粥ヲ望、終テ眠休シテ、夜ニ入テ発句出テ 一巡終ル。
○十一日 折々村雨ス。俳有。翁、持病不快故、昼程中絶ス。
○十二日 朝ノ間村雨ス。昼晴。俳、歌仙終ル。
○羽黒山南谷方(近藤左吉・観修坊、南谷方也)・旦所院・南陽院・山伏源長坊・光明坊・息平井貞右衛門。
○本坊芳賀兵左衛門・大河八十良・梨水・新宰相。
△花蔵院△正隠院、両先達也。円入(近江飯道寺不動院ニテ尋可)、(七ノ戸)南部城下、法輪陀寺内浄教院珠妙。
△鶴ケ岡、山本小兵ヘ殿、長山五郎右衛門縁者。図司藤四良、近藤左吉舎弟也。
よりみち
鶴岡市は庄内平野の南の端に位置し、人口およそ142,000人の山形県第二の都市である。
江戸時代は、庄内藩・酒井家14万石の城下町として、250年間に渡り繁栄をつづけてきた。
鶴岡公園はその城跡である。公園また周辺部には、
<旧濠>、<藩校・致道館>、御用屋敷跡の<致道博物館>など庄内藩ゆかりの史跡、<武家屋敷>などがあり、城下町の面影を今に伝えている。園内には数百本に及ぶ桜並木がある。また、<大宝館>、<旧西田川郡役所>、<旧鶴岡警察署>など、洋風の建築物が華麗な姿を残している。
一方、博物館に隣接して、湯殿山麓の山村から移築をしたという
<田麦俣の多層民家>が雪国の山村の雰囲気(厳しさ)をかもし出している。
明治の文人・
<高山樗牛>の生誕の地でもある。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

鶴岡市公式ホームページ