遊 旅人の 旅日記

2003年7月17日(木)晴れ

月山→湯殿山→月山→羽黒山
部屋の窓から外を見ると素晴らしい天気になっている。澄んだ空気の中に群青色の空、くっきりと見える山の稜線、山歩きには絶好の日となった。
山の朝は早い。AM7時には朝食を済ませ、出発の準備をする。小屋には、中年女性のグループと2〜3人の登山客と私が残るだけで、他の登山客は 皆 出発してしまっている。


女将に湯殿山に行く道を聞く。
「この小屋を左に出て行くと、湯殿山に行く道がある。最初、急な坂を下りる。その坂を下りた所に
<鍛冶小屋>と言う小屋の跡がある。そこから山の稜線の道を行くと<牛首>と言うところがあり道が二股に分かれる。そこを右に行く。次に道が別れるところがあったら、右、右と行けばよい。そうすると<装束場>と言う所があり、小さな小屋・トイレがある。その小屋は、湯殿山に行く道、鍛冶小屋跡を過ぎると唯一の小屋だ。そこから<月光坂>という坂を下ると<湯殿山神社>に行ける。解りやすいから間違わないと思うよ」と教えてくれる。
また「湯殿山は こちらから行くと、鳥居があるわけでもなく、神社の建物があるわけでもない。本宮の中に入るため履物を脱ぐ小屋と、御祓所がある。お祓料を納め、お祓いをしてもらい、本宮の中に入る。本宮の中に<ご神体>がある」と教えてくれる。


女将の言葉を信じて、AM7:30出発。すばらしく良い天気だ。下のほうに雲海があるが、上空は雲一つ無い群青色の空だ。このような空の色は下界ではみられない。
月山神社の後ろ、遠い雲海の彼方に
<鳥海山>が頭を出している。
いきなり岩の絶壁を下りる。下りたところに
<鍛冶小屋>の跡がある。鍛冶小屋跡を過ぎ岩場を歩いていると、左下の雪渓のある谷のほうから中年の男性が登ってくる。挨拶をして、湯殿山に行くと話すと、途中二箇所雪渓があるから気をつけるようにとアドバイスを受ける。
私の服装を見て山登りは初心者とわかったのだろう、色々と親切に山歩きの注意点をアドバイスしてくれる。山登り、山歩きなど全く経験の無い私にとって、そのアドバイスは、大いに助かった。
しばらく話をした後「気をつけて行ってください」と言われ、再び歩き出す。宿を出発した時、頭にあった一抹の不安が消えている。勇気と自信が湧いてきているのである。
行くて、山の稜線の道には、まだ誰も歩いている人は見当たらない。小屋から出発した大勢の人たちは何処に行ったのだろうと思う。しかし広大な山の上である。見当たらなくて当然だ。
すばらしい山の景色の中を快調に歩く。
女将に教えられた
<牛首>に着く。岩に赤い文字と右の矢印で湯殿山と書いてある。次の分かれ道も赤い文字で書かれている。書かれているといっても、大きな字ではっきりと書いてあるわけではない。赤いものがついているなと言う程度である。注意をして良く見なければ解らない。見落としたら迷ってしまいそうだ。


背の低い潅木、熊笹に覆われた道を歩いてゆくと、突然、雪渓が現れる。幅は30mほどだが、傾斜がかなりきつい。雪渓の上には、まだ足跡もついていない。回り道はないかと見渡すが、山方向も、谷方向もずーと雪渓だ。おまけに谷のほうは5m程先で雪渓が切れ、滝状態になっている。滑って谷に落ちたら大変だ。
しばらく、渡ろうか、やめようかと考えた挙句、勇気を出して渡ることにする。一歩一歩、足場を作り渡る。最後の3mほどの所で、傾斜と凹凸が激しくなり、動きが取れなくなってしまい、立ち往生をする。引き返そうかと思ったが、戻るのも自信がなくなってしまう。何とか足場を探し、作り渡りきる。
30mほどの雪渓を渡るのに、30分もかかったように思う。帰りはどうしようか、などと心配をする。
二箇所目の雪渓も何とか渡り切る。


潅木の林を抜け熊笹の密生している平地に出ると小屋が見える。
<装束場>の小屋だ。
小屋のあるところから、右下を見ると、はるか下のほうに、湯殿山神社らしき小さな建物が見える。<あそこまでどうやって行くんだろう>と思い道を探すと草木に覆われた崖に道らしいものがある。
<月光坂>である。<このような断崖絶壁の道に、随分と優雅な名前をつけたものだ、奈落坂とでも名付けたほうがぴったりではないか>などと考えている。坂と湯殿山神社を見やりながら、<行こうか、やめようか>と、ここでも迷う。それほど私にとっては、きつい坂なのである。しばらく休憩した後、行くことに決める。


崖を落ちるような感じで下ってゆく。しばらく崖を降りて行くと、梯子が架かっている。ほぼ垂直ではないかと思われるほどの傾斜である。他に易しい道を、作らなかったんだろうかと考えながら下りる。
梯子は、この道を利用した団体が寄付をしたらしく、団体名が書かれている。
いくつかの梯子を下りきり、再び傾斜のきつい石ころの道を下る。沢になっているところもある。はしごに較べれば、石ころの道や沢など問題ではない。

それにしても、芭蕉は、どうやって、こんな急な崖を下りたんだろうか。そのころ すでに梯子は架けられていたんだろうかと今更ながら心配になる。「奥の細道」にも「曾良日記」にも月山から湯殿山まで歩いた時の様子は書かれていない。
AM9:55湯殿山本宮前に到着する。


私の歩いてきた、月光坂方向から湯殿山に入ると、本宮の前が石畳の広場になっている。右側手前に小屋がある。正面の参道から来ると湯殿山神社の入り口に当たる所である。参道をはさんだ向こう側にも小屋がある。本宮に参拝する人の履物を脱ぐ場所である。その横に石垣があり、石垣の向こう側が本宮の境内になっている。その石垣の端に本宮入り口がある。入り口の左側には、お祓い料を納める御祓所がある。その左に、水の流れている泉水があり、水飲み場もある。


多くの参拝客が、お祓いをして、本宮の中に入ってゆく。また出てくる人たちもいる。
ここでも本宮の中に入らないで外から参拝をさせてもらう。
本宮の中は撮影禁止と注意書きがしてある。入り口の小屋の中の白装束に金剛杖を持った若い人に、本宮内でのスケッチは良いのか聞くとスケッチもだめだという。
湯殿山は、修験道の霊地であり、「語るなかれ、聞くなかれ」の清浄神秘の世界なのである。
参道を登ってゆくと、ご神体が見えそうである。カメラで撮影しようと思ったが、神の宿る霊験新たかな場所である。禁止されていることはやらないほうがよい。
芭蕉も「奥の細道」の中で、
「惣而 此山ー中の 微ー細 行者の法式として 他言する事を 禁す よって 筆をとゝめて しるさす」と書いており、他言することも禁じられていたのである。
「奥の細道」にも「曾良日記」にも月山から湯殿山までの様子が書かれていないのもその為かもしれない。


ペットボトルを水飲み場の水で満たし、湯殿山を後にして月山に向かう。先ほど下ってきた道を、今度はを登り始める。しばらく登って行くと、道を覆っている草を刈っている人たちに出会う。
月山まで戻るという話をすると、戻る人はめったにいないと言われる。月山から湯殿山まで下って来る人は、ほとんど湯殿山からはバスで帰るという。月山から湯殿山に来るのもポピュラーではないと話している。「気をつけて行ってください」との言葉を背に月光坂を目指し、急坂を登り始める。
月光坂を登り、装束小屋に到着。
改めて坂を見る。もし崖が草木で覆われていなかったら、とてもではないけれど、下りたり、登ったりできる坂ではないと、つくづく思う。
35、6才の若い男性が草むらから出てくる。いかにも山になれた感じの人だ。筍を取っているのだという。篠竹のような竹の筍で、この辺では、今がシーズンだと言う。


先ほど苦労した雪渓まで来ると三人ほどの作業服を着た人たちが雪渓の上を歩いている。普通の道を歩くように簡単に歩いている。
「雪の斜面を良くそんなに簡単に歩けますね」と話掛けると、「これですよ」といって履いている地下足袋の裏を見せてくれる。スパイクが打ってある。山で作業するときは地下足袋を二足持ってきて、雪渓のあるところではスパイクの打ってあるものに履き替えるという。本当は山歩きには<わらじ>が一番く、わらじが有ればどんなところでも歩けるという。なるほどと感心させられる。
牛首の少し手前迄来ると、突然、左、谷の茂みから二人の中年の男性が現れる。びっくりして、話しかけると地元の人たちで、<今日やっと天気がよくなったので、山菜を採りに来たんだ>と言っている。山菜採りにしても、筍刈りにしても、地元の人たちは大自然の恵みを思う存分享受し、楽しんで入るように見える。


牛首で本道に出る。やっと帰ってきたと、ホッとする。登山客で一杯だ。
外国人のカップルが楽しそうに歩いている。男性はそれでもスニーカーをはいているが、女性はと言うと、スラックスにサンダル履きだ。どうやってここまで登ってきたのだろうかと考えてしまう。


最後の崖を登りきると頂上の平坦な場所に出る。まだ時間はかなり早い。周辺を散策し2時少し前に小屋に入る。
女将と芭蕉の話を始める。この小屋が
<角兵小屋>のあったところで、芭蕉はここで一泊し、翌日<湯殿山神社>に詣で、帰って来て、そのまま<南谷別院>に向かったのだという。芭蕉の句碑が、湯殿山に行く道の、鍛冶小屋跡の崖の上のところに建っているという。すぐに取って返し、句碑をデジカメに収めてくる。
小屋に戻ると、女将に雨の用意は十分かと聞かれる。傘と簡易レインコートを持っていると話すと、明日は荒れるから、今日、下ったほうが良いという。<羽黒山に下っても宿が取ってないし、八合目から歩いて下ると、山の中の夜道が不安だな>と考えていると、今から急いで下れば最終の4時のバスに間に合う。宿は交渉してあげる、と言い、宿の名前を告げると、帳場に入って電話をし始る。直ぐに戻ってきてOKだという。最終のバスの出発時間まで二時間ある、急いで下れば大丈夫、間に合うという。登ってきたときは二時間半かかったのに大丈夫だろうかと思ったが、ここでも女将の言葉を信用、急いで宿賃を支払い、教えてくれた道を急ぐ。雪に覆われた道なき道を転がるように下ってゆくと昨日登ってきた見覚えのある道に出る。
空が曇ってきて、あたりが薄暗くなってくる。登りは高校生と一緒で楽しい思いをしたが、下りの今は自分一人だ。登山客もほとんどいない。必死になり下る。途中の小屋で、八合目までの時間を尋ねる。急いで40分位だという。時計を見ると最終のバスの出発時間までに、ぎりぎりだ。その直後から霧が深くなり、見通しが悪くなってくる。とにかく歩く。木道に出る。木道が二股に別れている。どちらを選ぶか考える余裕は無い。昨日と同じように霧のため周囲は真っ白、ほとんど景色が見えない。木道が頼りだ。ニ、三の登山者のグループが歩いているが、人に出合ってホッとする余裕も無く歩き続け、4時レストハウスに着く。
レストハウスでは、すでに戸を閉め始めている。従業員の人たちが、最終のバスだと言いながら、急いで乗り込んでいる。最後に残っていたレストハウスの責任者らしき男性に、バスのほか山を下りる手段は無いか聞くと「無い」と答えが返ってくる。解りきったことを聞いてしまった。登山者は皆、バスまたは、自分達の車で来ているのだ。

少しゆっくりしてから、歩いて下ろうかと思ったが、歩いて4時間かかるとすると、宿に着くのは8時半頃だ。真っ暗な夜の山道を歩くのは不安だ。芭蕉も時には馬に乗っている、と言い訳をして、バスに向かう。バスは私の乗るのを待っていてくれていた。運転手と、乗っている人たちに、謝りながら、後部座席に腰を下ろす。乗客はほとんどレストハウスで働いている人たちのようだ。
腰を落ち着け回りの景色を見ていると、再び、バスに乗ってしまったことに後悔の念が沸いてくる。一方では「芭蕉も時には馬に乗ったのだ」と考え、しきりに自分の気持ちを納得させようとしている。


4時間半かかって歩いて登って来た道を、バスは小一時間で下ってしまった。
休暇村のフロントでチェックインをし、宿泊日の変更と、預けた荷物のお礼を言い部屋に向かう。
部屋に入ると、ホッとすると同時に、「やった!やったぞ!」との達成感と爽快感が沸いてくる。
芭蕉にとっても、月山、湯殿山に登ったのは、「奥の細道」の中で最大の山場だったのであろう。私にとっても、初めての山登りであり、無事、月山、湯殿山に登り歩くことが出来た。帰りにバスに乗ってしまったが、納得できる二日間だった。<「奥の細道」一人旅>の中で最良の二日間になるに違いない。
宿の大浴場で湯に浸かっていると、高校生の話し声、素晴らしい山の景色、苦労した雪渓、月光坂、女将の親切なアドバイスなど、この山登りで体験した、さまざまなことが頭に浮かんでくる。
そして、この二日間の初めての山歩き、山登りを、怪我をすることも無く、事故を起こすことも無く、頑張り通す事が出来た。まだまだ体力的にも、精神的にも頑張れる、と自負をする。
しかし、あまり危険な行動は慎もうと、一方では自戒している。
色々なことを考えながら湯船に浸っていると、明日、月山に登るという人に声を掛けられる。登山道の状況、雪渓の状態、所要時間、天候など話は尽きない。
フロントの休憩所、エレベーターの中、食事中でも声を掛けられる。
今日の夕食は、とりわけ美味く感じる。

夕食後コインランドリーで洗濯をする。
明日は、出羽三山に別れを告げ鶴岡に向かう。


おくの細道
日出て 雲消れは 湯殿に下ル 
谷の傍に 鍛冶小屋と云有 此国の鍛ー冶 霊ー水を撰て ここに潔ー斎して 剣を打 終 月ー山と銘を切て 世に賞せらる 彼 竜ー泉に剣を にらぐ とかや 干将莫耶の昔を したふ 道に堪能の執 あさからぬ事しられたり 岩に腰かけて しはし やすらふ程 三尺計なる 桜の つほみ 半に ひらけるあり ふり積 雪の下に埋て はるを わすれぬ 遅桜の花の心 わりなし 炎天の 梅ー花 ここに かほるかことし 行尊親王の 歌の哀も増りて覚ゆ 総而 此 山ー中の 微ー細 行者の 法式として 他言する事を禁す よりて 筆を とゝめて しるさす
坊に帰れは 阿じゃ梨の 求によりて 三ー山順ー礼の句々 短尺に書

       
涼しさや ほの三日月の 羽黒山
        雲の峯 幾つ崩て 月の山

               語られぬ 湯殿にぬらす 袂哉
        湯殿山 銭ふむ道の なみた哉  曾良
 
曾良日記
○七日 湯殿ヘ趣。鍛冶ヤシキ、コヤ有。牛首(本道寺ヘも岩根沢ヘも行也)、コヤ有。不浄汚離、コヽニテ水アビル。少シ行テ、ハラヂヌギカエ、手(キョウ)カケナドシテ御前ニ下ル(御前ヨリスグニ シメカケ・大日坊ヘカヽリテ鶴ケ岡ヘ出ル道有)。是ヨリ奥ヘ持タル金銀銭持テ帰不。惣テ取落モノ取上ル事成不。浄衣・法冠・シメ計ニテ行。昼時分、月山ニ帰ル。昼食シテ下向ス。強清水迄光明坊ヨリ弁当持せ、サカ迎せラル。暮及、南谷ニ帰。甚労ル。
△ハラヂヌギカヘ場ヨリ シヅト云所ヘ出テ、モガミヘ行也。
△堂者坊ニ一宿。三人、壱歩。月山、一夜宿。コヤ賃廿文。方々役銭弐百文之内。散銭弐百文之内。彼是、壱歩銭余不。
○八日 朝ノ間小雨ス。昼時ヨリ晴。和交院御入、申ノ刻ニ至ル。
○九日 天気吉、折々曇。断食。昼及テシメアグル。ソウメンヲ進ム。亦、和交院ノ御入テ、飯・名酒等持参。申刻ニ至ル。花ノ句ヲ進テ、俳、終。ソラ発句、四句迄出来ル。
○十日 曇。 飯道寺正行坊入来、会ス。昼前、本坊ニ至テ、蕎麦切・茶・酒ナド出。未ノ上刻ニ及ブ。道迄、円入迎被。又、大杉根迄送被。祓川ニシテ手水シテ下ル。佐吉ノ宅ヨリ翁計馬ニテ、光堂迄釣雪送ル。佐吉同道。々小雨ス。ヌルヽニ及不。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

鶴岡市公式ホームページ
      新緑の 谷底はるか 湯殿山  (遊 旅人)