遊 旅人の 旅日記
天童市滞在(山寺へ) | |
AM 5:45<山寺>に向け出発。ホテルのフロントで教えられた道を歩く。周りには穏やかな、農村の風景が広がっている。一時間ほど歩くと、天童から山寺に向かう山寺街道と合流する。 道路沿いには、<さくらんぼ狩り>農家が並んでいる。農園の、さくらんぼの木が道路にはみ出している。その木にもさくらんぼが実をつけている。他人事ながら盗られてしまわないかと心配になる。農園によっては、赤いさくらんぼが、木の下に落ちているところもある。 東京のデパートなどでは、一箱何千円、出始めには何万円ともなり、赤い宝石とも呼ばれる貴重な果物である。もったいないなと思いながら、その落ちているさくらんぼを見ながら歩く。 この天童、山形市周辺は、多くの種類の果物の栽培が盛んなところである。 山寺に到着。まだ7:30だ。この町は<立石寺(山寺)>の門前町である。 <山寺>と言う<仙山線>の駅がある。立石寺と駅は川を挟んで向かい合っている。駅側は新しい町並み、立石寺側が昔からの町並みのようだ。 古い町並みを一通り歩く。そこは観光客相手の土産物店、おやすみ処が軒を連ねている。まだ朝早い時間のため店はすべて閉まっている。 山寺に向かう。料金所に、まだ人はいないが、料金箱は置かれている。 しばらく料金所の手前の境内をうろついていると、中年の夫婦と女の子、三人の家族連れが楽しそうに散策をしている。女の子は大学一年生、この春に入学をして、今、夏休みに入り家族三人で旅行をしている、と言うような話をしている。沼津から はるばるやって来たようだ。 しばらく散策した後、料金箱にお金を入れて入ろうとすると、管理の人が出勤してくる。その人に料金を払い入場する。三人連れの親子も入場してくる。 登山口から石段を登ってゆくと、周りを鬱蒼とした木々に囲まれた立石寺の本堂<根本中堂>がある。参拝をしてさらに進むと左側に芭蕉と曾良の像がある。二人の間には句碑がある。 「今から、奥の院まで登ってきます」と挨拶をする。 山門をくぐると階段状の道が少しずつ急な登り坂になる。周りは鬱蒼とした木立が茂り、巨大な岩がそそり立っている。すばらしい自然が織り成す光景だ。空気もひんやりとし澄んでいて気持ちが良い。身も心も洗われるようだ。 「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」 この句をしたためた短冊を埋め、石の塚を建てたという<蝉塚>がある。 残念ながら、今日は蝉の声は全く聞こえてこない。 しかし、この深山幽谷の中に身を置いてみると、説明は何も要らない。芭蕉の詠んだ句が、すんなりと心に入ってくる。 木々の間から切り立った岩肌が見える。 今でこそ、急な坂の参道は、コンクリートを打った階段となっている。芭蕉の時代はどうだったのだろうか。岩や石を積み上げた階段だったのかもしれない。 「山上の堂に登ル 岩に岩尾を重て山とし 松柏年ふり 土石老て苔なめらかに 岩上の院々・・・岸(崖)をめくり岩を這て・・・」と芭蕉は「奥の細道」の中で書いている。 山上の奥の院を目指し、杖を突き、岩や石につかまりながら、這うようにして、苔生した岩山を登っている芭蕉の姿が目に浮かぶ。 頭上に古色蒼然とした<仁王門>が見えてくる。 その仁王門を過ぎると目の前が開け、右側に宿坊、売店のような建物がある。まだ売店は閉まっている。 正面の一段と高いところに<奥の院(如法堂)>がある。奥の院で参拝をし、戻ってくると、右、山沿いに道がありその先に<開山堂>がある。その左、岩(百丈岩)の上にある赤い小さな建物は<納経堂>である。 開山堂の前を右に行くと右頭上に<五大堂>がある。崖の上に建つ<能の舞台>の様である。 道場だという。ここからの眺めがすばらしい。山寺の町並み、周辺一帯、周りの山々が一望できる。 五大堂からさらに奥に行くと、<磐司祠>と言うものがあり、さらに奥に進むと、不思議な空間に出る。巨大な岩と山、木々に囲まれた神秘的な空間である。 その昔、僧が修行をした所という。 岩壁の途中には、所々に岩穴がある。修行僧が寝泊りをしたところと言う。 岩壁には鎖がつけられ、その鎖を伝って、その先にある天狗岩まで行くことが出来たといわれる。 このように岩や木々にかこまれ、深閑とした空間の中で、大自然のエネルギーを感じながら、一人佇み、さまざまなことに思いを馳せ、考えをめぐらせるのは、面白くまた楽しい。 随分ゆっくりと時間を過した。 先ほどの家族連れは、とっくに下ってしまったようだ。 白いワイシャツを着て、ネクタイを締め、革靴を履いた三人連れの男性が、汗を拭き、息を切らしながら登ってくる。八百段以上ある この急な石段を あのスタイルで登るのは大変だ、ネクタイくらい、はずせばよいのにと思う。一方で、それでも登ろうとしている根性はたいしたものだとも思う。心の中で「ご苦労様」とつぶやく。 下山して、土産物の店が並ぶところに来ると、今は、観光客で一杯だ。 かなり遅くなったが、朝食をと思い、食堂を探しながら歩いていると、一軒の蕎麦屋を見つける。店先で蕎麦をうっている。 開店の準備をしている、おばさんに、蕎麦を食べられるか聞くと、まだ用意できていないという。さらに、どのくらい時間がかかるか聞くと、おばさんは、蕎麦を打っている人のところに行って帰ってくる。30分位と言うから、店で待たせてもらうことにする。 カウンターに座ると、お茶を出してくれる。 目の前の柱に「<ずんだもち>あります」と書いた紙が貼ってある。思わず、おばさんに一つでも良いか聞く。快く「いいですよ」と返事が返ってくる。 蕎麦が出来上がるまで、それを食べて待つことにする。 今まで、この「ずんだもち」は食べたことはないが名前は知っていた。40数年程前になるが、学生時代、新庄や仙台から出て来て、一緒に住んでいたアルバイト仲間がよくこの「ずんだもち」の話をしていた。 今、この名前を見た瞬間、迷わず食べてみようと思ったのである。 黄緑色をしたきれいな<もち>である。枝豆をすりつぶしたものと言う。枝豆の味にほんのりと甘味が加わり実に美味い。土地のものはその土地で食べるのが一番だ、と思いながら食べる。 そういえば仙台城でも、<萩の月>を一つ買って食べた。 日ごろ甘いものは、好んで食べる方ではない。歩いて旅をしている間に体質が変わってしまったのかもしれない。体力を使っているため、身体が糖分を要求しているのだ、などと思ったりしている。 蕎麦が出来上がり、食べる。美味い蕎麦だ。美味い蕎麦に出会うと幸せな気分になる。 今日は、山寺に登り参詣をし、ずんだもちを食べ、美味い蕎麦を食べ、最高に良い日になった。 しばらく店のおばさんと話をした後、御礼を言って店を出る。 川を渡った向こう側にある<山寺芭蕉記念館>に向かう。記念館に向かう途中、山寺を振り返ると、奥の院は、かなり高いところにある。 芭蕉記念館に入り展示資料を一通り見て、「芭蕉の歩いた道」の映像三篇も見る。良い勉強をさせてもらった。 すがすがしい気持ちになり、記念館を後にする。 帰り道は、今朝ほど歩いてきた一本手前、山寺寄りの道を天童に向かって歩く。この道も両側は果樹の畑がズーと続いている。 しばらく歩いてゆくと、右側に「奥の細道・芭蕉が通った道」の標柱と句碑を見つける。 芭蕉の歩いた頃はこの辺りの道が、天童から山寺に通じる道だったのであろう。 今日は、山寺一箇所に行っただけであったが、有意義な一日を過した。 ホテルで、日記と画像の整理をする。 パソコンからCDに画像を移動する際、ちょっとした操作のミスで、今度は画像がなくなってしまった。7月3日、一ノ関から7月9日の山刀伐峠の赤倉温泉側登山口までの画像が消えてしまった。7月9日の<途中まで>の画像、が無くなってしまったのが不思議だ、理解に苦しむ。 頭の中が真っ白になり、冷や汗が出てくる。 日記は、その都度ノートに書いていおり、文章が残っているからるから、書き直すことは出来る。しかし画像はなくなってしまえば元に戻すことは出来ない。 散々悩んだ挙句あきらめる。 今日は一日良い日だったのに、最後に苦悩が発生した。 今後まだまだ旅は続く。心してゆかなければいけないと自戒する。 |
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おくの細道 | |
日いまた暮す 麓の坊に 宿かり置て 山上の堂に登ル 岩に岩尾を重て 山とし松柏年ふり 土石老て 苔なめらかに 岩上の院々 扉を閉て物の音きこへす 岸をめくり 岩を這て 仏閣を拝し 佳景寂莫として こゝろすみ行のみ覚ゆ 閑さや 岩にしみ入 蝉の声 |
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曾良日記 | |
一リ半ニ近シ、山寺。未ノ下剋ニ着。宿預リ坊。其日、山上・山下巡礼終ル。是ヨリ山形ヘ三リ。 山形ヘ趣カンシテ止ム。是ヨリ仙台ヘ趣路有。関東道、九十里余。 |
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よりみち | |
山寺(宝珠山立石寺) 貞観2年(860)慈覚大師円仁が清和天皇の命を受け開山、天文12年(1543)比叡山延暦寺の常燈明を分火し諸堂を修復する。延暦寺の別院と言われ、東北を代表する霊場である。 根本中堂(本堂)は国宝に指定されている。 |
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おやすみ処 | |
消えてしまった画像 7月3日(一ノ関出発)から7月9日(山刀伐峠の赤倉温泉側登山口)までの画像が、パソコンの操作ミスにより消えてしまった。 2005年8月16・17日の二日間で撮り直してくる決心をして、車で現地に出かける。 16日 AM4:30桐生市の自宅を出発。R4で一ノ関まで一気に走る。 AM11:16、仙台の手前、岩沼のR4を走っている時に、宮城県沖地震に会う。 ちょうど前方の信号が黄色から赤に変わり停止する直前であった。ハンドルを取られたため、パンクかなと思ったが、電線が大きく揺れている。地震だと気付き車を完全に停止させる。電柱も左右に揺れている。かなり大きな地震だ。しばらくジッとしている。20〜30分程も停止していたように感じたが、実際は2〜3分だったに違いない。すべての車が停止しており、最初の揺れが収まるまで発進する車はいなかった。それほど大きな揺れだったのである。幸い地震による交通事故は起こらなかった。 ラジオからは、地震の情報が次々と入ってくる。震源地はすぐ近くだ。 建物の被害があった。仙台市泉区のスイミングプールの天井が落ちたとの情報が刻々と流されてきていた。 夕方、一ノ関市の宿に入る。 17日、AM5:00宿を出発。前回歩いた時と全く同じ道を車で走る。朝から爽やかな良い天気になった。晴れの日の画像になる。撮り落とすことの無いよう、慎重に、場所を確かめながら走る。 工事中だった「封人の家」はきれいに完成をしていた。 画像を撮り終え、山刀伐峠の赤倉温泉側登山口に到着したのは、AM11:00であった。三日間かかって歩いた距離を、車では6時間で走ってしまった。 車で同じ道を走ったのは、三年前歩いた「奥の細道」のほんの一部であったが、自分ながらよく歩いたものだと思う。 次に歩くときは、「奥の細道」の行程の中に、テーマを見つけて歩いてみようと思う。必ず新しい発見があるにちがいない。 |
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閑かさを 今に伝える 蝉の塚 (遊 旅人) |