遊 旅人の 旅日記

2003年6月8日(日)晴れ

雲巌寺へ(黒羽町滞在)

那珂川の鮎釣り風景


那珂川の午後の風景
今日の宿は、鮎釣りの人たちが泊まっている。朝早くから釣りに出かける人たちの話し声が聞こえた。昨日はあまり釣果がよくなかったらしい。
AM7:00、朝食をとるため食堂に入ってゆくと、一人の若者が食事をしていた。東京からこの那珂川に鮎を釣りに来たという。毎年来ているという。早く川に行って良い場所をとらなくていいのか、と聞くと、鮎は川の水温が18度くらいにならないと動きださない為、あまり早く行っても釣れないという。


AM7:30宿を出て雲巌寺に向かう。13〜4kmということだ。町の中を那珂川が流れている。すでに川は釣り人でいっぱいだ。R461を八溝山方面に向かって歩く。ずーと緩やかな上り坂だ。周りはのどかな田園風景が続く。ふとテレビで放映していた、北朝鮮の映像が目に浮かぶ。荒涼とした大地にかすかに植えられた作物、それを細々と収穫している人々。食糧難も極限に達しているようだ。指導者は意地を張らないで素直に窮状を訴え、援助が得られれば、国民はもう少しまともな生活が出来るのにと、周りの豊かな日本の風景を見ながら、つくづくと考え、歩く。
AM9:15雲巌寺迄5kmのところで小休止。荷物は何も持っていないのに、かなり疲れてしまった。ずーと上り坂のためか、雲巌寺を目指し一本道を歩いて来た為か、はたまた、水分の補給が無かったためか、ひどい疲れようだ。小さなパーキングの縁石に座り込んでしまった。しばらく休んで出発。あと一時間程だ。
AM10:20雲巌寺到着。芭蕉が「彼麓に至る山はおくあるけしきにて・・・・卯月の天今猶寒し」と書いているように、今でも回りは鬱蒼とした杉の木に囲まれている。山の斜面、川の岸は羊歯やコケに覆われている。全体が緑色。空気も、光も緑色。ひんやりした空気に包まれている。思わず深呼吸をする。芭蕉も此の同じ緑の空気の中に身を置いてホッとしたに違いない。


道路から参道に入る手前左側に大きな石碑があり、「奥の細道」雲巌寺の一節が刻まれている。参道に入ると、朱塗りの橋がある。「瓜てつ橋」と言う。此の雲巌寺には「十景」「五橋」「三水(井)」と言う佳境があり、瓜てつ橋は五橋の一つである。橋を渡るとすぐに石段があり、石段を登りきると山門がある。山門をくぐると端正な庭があり正面に本堂、右手に鐘楼がある。左手に入ってゆくと植え込みの中に、芭蕉が訪れたという案内板がある。その奥に、仏頂和尚の歌と芭蕉の句を刻んだ石碑がある。
「さて彼跡はいつくの程にやと・・・石上の小庵岩窟にむすひかけたり」と書いている仏頂和尚の庵跡があったという、裏山には残念ながら行けなかった。趣があり、気持ちが洗われる雰囲気を持ったお寺だと思いながら石段をくだり、橋の上で改めて、この緑の中に調和して端正にたたずむ山門を振り返っていると、二人の僧がタクシーから降り、読経しながら歩いてきた。40才と25才くらいの僧である。前を歩いていた年配の僧の読経が途切れた。「あれ!間違った、なんだっけ」といっている。若い層が少し声を上げて読経をすると、「あ!そうか」と言って私の前を通りすぎ階段を登って行く。ほほえましい風景であったが、年配の僧侶でも間違えることもあるんだ、などと思う。葬式や法事のときの読経も、僧侶が一人で読経をするときは間違っても我々には全くわからないな、などと不謹慎なことを頭に浮かべながら見送った。


11:15雲巌寺を後にする。12:15来た時と同じ場所で小休止。ゆっくりと歩いたつもりであったが、5kmを1時間で歩いた。ここまでは上り坂だ。雲巌寺でリフレッシュしたため快調だ。後はずーと下り坂だ。朝と同じ道だ。朝は気付かなかったものに気付き、また発見する。朝は目的地に向かって一生懸命歩いたため、あまり周囲のものが見えなかったのだ。帰りは、勉強でいえば復習だ。復習は理解を深め、確実にする。予習は大切だが復習はもっと大切だ。一回目よりも二回目、二回目よりも三回目と理解が深まる。
道端、家の庭先の花、草木、田畑の作物、川ではかわせみが魚を取っている。いろいろのものが見える。さわやかな気分で歩く。


町内に入り、役場によってみる。今日は日曜日だ。当然であるが、正面から見ても、建物の横に行ってみても、休みである。那珂川を今朝渡った同じ橋を渡る。しばらく橋から川をみつめる。もう釣り人はいない。釣りを終わった人たちであろうか、河川敷の、ところどころでくつろいでいる。3:30旅館に帰着。今日はもう予定は無い。デジカメの画像と日記の整理をしよう。



雲巌寺付近の清流



雲巌寺入り口の石碑



雲巌寺・瓜てつ橋と山門



雲巌寺・鐘楼と本堂
おくの細道
当国雲岸寺のおくに仏頂和尚の山 山居の跡有
 
竪横の五尺にたらぬ草の庵  むすふも くやし 雨なかりせは 
と松の炭して岩に書付侍りと いつそや きこえ給ふ 其跡みむと 雲岸寺に杖を曳ば ひとびと すゝむて 共にいさなひ 若き人おほく 道の程打さはきて おほえす 彼麓に至る山は おくあるけしきにて 谷道はるかに松杉くろく 苔したゝりて 卯月の天 今猶寒し 十景尽る所 橋をわたつて山門に入 さて彼跡は いつくの程にやと 後の山に かけのほれは 石上の小庵 岩窟に むすひかけたり 妙禅師の死関 法雲法師の石室を 見るかこし
    
木啄も 庵はくらはす 夏木立  (木啄も 庵はやぶらず 夏木立)
ととりあへぬ 一句 柱に残侍し 
曽良日記
五日 雲岩寺見物。朝曇。両日共ニ天気吉。
よりみち お休み処
雲巌寺  臨済宗妙心寺派の名刹 黒羽町13〜14km八溝山に向かったところ、清らかな渓流に沿う景勝の地にある。筑前の聖徳寺、越前の永平寺、紀州の興福寺と並び、禅宗の日本四大道場と呼ばれる。

雲巌寺の佳境
(十景)海岩閣 竹林 十梅林 竜雲洞
    玉几峰 鉢盂峰 水分石 千丈岩  
    飛雪亭 玲瓏岩 
 
(五橋)独木橋  瑞雲橋  瓜てつ橋    
    涅槃橋  梅船橋

(三井)神竜池  都寺泉  岩虎井
  
             (俳諧書留より)

仏頂和尚  江戸・深川での芭蕉の参禅の師である。深川では長慶寺に住んでいたと言われる。芭蕉庵とは近い。芭蕉は仏頂和尚から禅の教えを受けた。その師匠の修行をした所である雲巌寺を訪れ、住んでいた「竪横の五尺にたらぬ草の庵」がどのような所か見たかったのであろう。
那珂川 源を「那須岳」に発し、栃木県、茨城県(一部支流は福島県)を流れ、河口は「水戸市」と「ひたちなか市」の境界となり太平洋に注いでいる。また河口には「那珂湊港」と言う良い漁港がある。中流は鮎釣りの、上流はヤマメ釣りのメッカである。また鮭も上ってくる川である。穏やかな川である。ところが、私が水戸に勤務していた20年程前、たまたま台風に襲われた。台風の過ぎた翌日、天気は台風一過の快晴であったが、夕方から夜にかけて那珂川が増水し始め翌々日には周辺の市町村が大変な水害に見舞われた。川岸にあるホテルは二階まで水に浸ってしまい、御前山と言う河口から30km程上流の村の、川から200m程離れた国道沿いの民家でも、1.5mのところまで水に浸かり、また河口の町、那珂湊では、河口と海の境がなくなり、商店街まで海水が押し寄せたという、大変な災害を経験した。
下り坂を歩く  上り坂を歩くのと、下り坂を歩くのではどちらが体力、エネルギーを必要とするかを考えた。単純に考えれば、上り坂は、重力に逆らって歩き、下り坂は重力に順じて歩くため、上り坂の方が、体力、エネルギーを必要とすると考える。しかし下り坂は、ストライドが大きくなりそれに伴って一歩の足にかかる荷重が大きくなる。またピッチも早くなり、筋肉、骨にかかる負担は大きい。それだけエネルギーの消耗も激しくなる。ただ、下り坂の方が、心臓、肺にかかる負担は小さいし、精神的に楽だということはある。
「省エネ歩行」と言う歩き方は無いものかと考える。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

大田原市公式ホームページ
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