遊 旅人の 旅日

2003年6月29日(日)曇りのち晴れ

登米から花泉へ
AM5:30 宿のご夫婦が、まだ朝早いにもかかわらず起きて来て、見送ってくれる。昨日濡れたビニールのシートとレインコートは、乾かして畳んでおいてくれた。また、びしょびしょになっていた靴は、しっかり乾かされ、履くとホカホカと暖かく感じられた。どうやって乾かしたのだろうと思う。数々の心遣いに感謝をし、御礼の言葉を述べ出発。雨はあがっている。


昨日歩いた町並みを戻る。昨日は、蔵のある町並みを見て、歴史のある静かな町だと感じていた。しかし、今日、おなじ町並みを歩いて、町並み、蔵が住んでいる人々の中に息づいており、住民の人達が、町を活性化してゆこうとしている雰囲気を改めて感じた。昨日ここを歩いたときは心身ともに疲労困憊していた。今朝は気分爽快である。見方、感じ方は、こちらの心身の状態により、かなり違ってくるのかもしれない。
登米町・北上川堤防にある「芭蕉一宿の地」の碑
宿のご夫婦に、芭蕉の泊まった
<検弾 庄左衛門宅跡><芭蕉一宿の跡>の碑は、登米大橋のすぐそばの堤防のところにあると聞いてきた。
昨日渡った登米大橋の袂まで戻り、堤防の上の道を上流に歩いてゆくと、すぐに見つかる。

案内文を詠んでいると、散歩中のお年寄りが近づいてきて話しかけてくる。私が、歩いて旅をしていると話すと、芭蕉の石碑のこと、登米町の歴史、北上川のこと、また御自分のことなど、色々と教えてくれる。
登米は南部地方の米を石巻まで運ぶ北上川の水運の中継地点であった。そのため宿場町として、商業の町として栄えてきた。それで今でも蔵が多くみられる。また明治になって一時は、県庁が置かれていたという。
武家屋敷といい、蔵といい、この地方の政治経済の中心地であり繁栄していた町の様子が窺われる。
30分ほど立ち話をし、色々と勉強させて頂いた。お礼を述べ別れる。


しばらく歩いてゆくと今度は、自転車に乗った人に声をかけられる。朝早くから、バックを持ち、大きなリュックを背負って歩いているのは、めずらしいのだろう。東京から歩いてきたと言うと、びっくりしている。激励され別れる。登米町の北上川

堤防の上のR342を北上。昨日からずっと北上川と並んで歩いているが、3時間ほど歩くと道が川からそれる。田圃と畑と、ところどころに点在する民家の風景の中を歩く。今日は、歩き続けた割には距離が進んでいない。

9:25 宮城県と別れ岩手県花泉町に入る。「思えば遠くに来たもんだ」そんな歌があったのか、歌詞が頭に浮かんでくる。
また、遠く40年も昔、大学時代の仕事仲間に、岩手県花巻北高校出身の友人がいた。将棋が強く、仕事先の親父さんが、当時、将棋の名人であった<升田幸三>と面識があるということで、よく将棋の話題に花を咲かせていた。
現役時代の仕事仲間に岩手県出身の者は何人かいたが、すぐに頭に浮かんできたのは、大学時代苦労をともにした、その友人である。
また「奥の細道」とは関係は無いが
<遠野、宮古、龍泉洞>などが頭に浮かんでくる。
<民話の里・遠野>はお気に入りの場所である。民話、伝説、昔話は気持ちを ほのぼのとさせてくれる。


太陽が出てきて急に暑くなる。昨日は寒かった。今日はまだ10時前だというのに、真夏の暑さになり、汗が噴出してくる。また道のアップダウンが激しくなっている。
峠の頂の、木陰になっているバス停の小屋でリュックを下ろし小休止。木陰に入るとホッとする。向かい側にあるパン屋の店頭の自販機でスポーツドリンクを買い、バス停に戻り飲む。冷たい液体が五臓六腑に染み渡る。空き缶を戻しながら、店の中にいた、おばあさんに
<花泉>までの距離、所要時間を尋ねる。12〜3kmほどと話の内容から判断をする。あと3時間ほどだ。昨日は凍えるほど寒かったが、今日は汗が噴出す真夏の暑さだ。快適に歩ける日は無いものかと、都合の良いことを考えている。
仙台で痛くなった右足の脛がそれほど痛まないのが幸いだ。痛さよりも寒さ、暑さが勝っているのだ。
登米町の北上川
峠を下ると、視界が開け田圃と畑の景色になる。
<涌津>を過ぎしばらく歩くと、花泉の町に入る。右に東北線の線路が平行して走ってくる。此の道を歩いてゆけば花泉の駅だ。
駅前から宿にTELをする。すぐ目の前である。2時少し前に宿に到着。部屋に通してくれ、冷えた麦茶とお絞りを持ってきてくれる。ホッとする。
芭蕉に由来するものは無いか、宿の人に尋ねると、川べりの公園に馬に乗った芭蕉の像があると言う。一休みして出かける。教えられた場所を目指してゆくが、芭蕉の像は見つからなかった。周辺をかなり入念に歩き回ったが見つからなかった。あきらめて町中に戻る。

宿に戻るのも時間が早いと思い、散髪屋に入る。中年の女性が一人で経営している。散髪の台は一つしかないが、今風の設備が整っており、清潔な気持ちの良い店である。散髪も丁寧で、話上手である。散髪が終わった後、コーヒーを出してくれる。コーヒーはともかくとして、もし、ここに住んでいたら、必ずこの店に来るだろう。
そういえば、桐生の私の行きつけの散髪屋の奥さんは、岩手県水沢の出身だ。
さっぱりし、気分も爽快になり宿に帰る。


<花泉>と言う地名は何処から来たのだろう。花が咲き、きれいな湧き水が出ていたところがあったに違いない、などと考えながら、明日の<平泉>に心を馳せ床に就く。
曾良日記
十二日 曇。 戸今(登米)を立。三リ、雨降出ル。上沼新田町(長根町トモ)三リ、安久津(松島ヨリ此迄両人共ニ歩行。雨強降ル。
おやすみ処
<雨の日の対策について> 折りたたみの傘、身体とリュック用に、簡易型のビニールのコート2枚(100円ショップで売っている)、バッグをカバーする風呂敷大のビニールのシート2枚を用意する。
身体用のコートは、はじめのうちは着て歩いたが、すぐにやめてしまった。コートを着てリュックを背負うと、ベストやズボンから、財布や、ハンカチなど必要なものを取り出せなくなってしう。また暑い時は汗で中から濡れてきてしまうからである。
リュックは濡れると大変だ。しっかりとコートで覆い、風に飛ばされないように紐で縛っておく。
パソコンのバッグも濡れると大変である。風呂敷大のビニールのシートでカバーをつくりかぶせるが、底からも水が浸みてくる。パソコン、ドライバー、ディスクは、それぞれ専用のビニールのカバーで包んであるが、それでも注意しなければならない。デジカメはケースに入れベルトにつけてあるから大丈夫だ。


身体は、小雨の場合は、問題ないが、本降りの時は、胸・腹・腰の辺り以外は濡れてしまう。風でも吹こうものなら全身びしょぬれ。足は、小雨でも膝から下は常にびしょぬれ状態。
旅の終わりまで 雨が降ると同じ状態になる。


芭蕉たちの雨の日の出立は、菅笠をかぶり、紙子を着て、足はわらじ、そんな姿だったと想像する。これで対策は充分だ。昔の旅姿の方が、歩いて旅をする場合、簡単で効率がよかったと思う。
(余談になるが、昔の人の足の裏は、動物のように皮が厚かったのではないかと思う。私の足の裏も、皮が剥けてしまった後、厚い皮ができてきた。ただ、指の間は、常にどこかにWまめWができていた。)


旅が終わり、半年程過ぎた頃、リュックを買った登山用品の専門店に行き、歩いて旅をしてきたことを話す。するとリュックのカバー、雨用のスーツ、ジャケット、パンツ、膝下をカバーするものなど、私が雨に濡れ、歩きながら
<こんなものがあったらよいのに>と考えた物はすべてある。良く相談をして用品を揃えれば、もっと快適な旅が出来たかもしれない。しかし、当時はリュックを買う予算しか考えていなかったのも事実である。
長距離のウォーキングにしても、ハイキングにしても装備は万全にした方が良いと思う。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

一関市公式ホームページ