遊 旅人の 旅日記

2003年6月28日(土)雨

石巻から登米(とよま)へ
5:30出発。雨が降っている。今日は一日中雨の予報。
県道33を北上。町並みを抜けしばらく行くと、公園の造成中のようなところがあり、野球のグランドがある。
大会でもあるのだろうか大勢の人達が集まって、準備をしている。子供も大勢いる。どうやら子供達の大会のようだ。次々と車で人々が集まってくる。このような雨の中でも試合を行うのだろうかと心配になる。雨はかなり激しく降っている。
<北上川>の橋の袂まで歩いたところで、グランドを振り返る。集まって話をしていた大人たちが、大声で<試合は中止>と叫んでいる。それを聞いてホッとする。


橋を渡り始めると、雨・風が猛烈に吹き付けてくる。橋の三分の一ほど進んだところで、前に進めなくなる。折りたたみの傘は、このような強風・豪雨ではあまり役に立たない。笠をすぼめて歩くが、何度も風で吹き飛ばされそうになる。雨は容赦なくバシバシたたきつけてくる。戻って雨・風の収まるのを待とうかと思ったが、立ち止まって頑張る。傘を飛ばされないように、少しずつ進む。傘など放り出したくなる。200m程の長さの橋だが、渡りきるのに1時間もかかったように思われる。橋を渡ってしまうと風は少し収まる。雨は、相変わらず激しく降っている。
リュックは簡易型のビニールのレインコートでカバーしているが、パソコンのバックをカバーしているビニールが破れてしまった。パソコン、CD/DVDのドライバーが濡れてしまうと大変だ。バックを胸の前に抱えるようにして歩く。
コンビニを見つけ、ビニールの傘を買う。折りたたみの傘よりも少し大きい。また透明のため傘を通して前を見ることが出来る。ビニールのシートはないかと聞くが無いといわれる。使い方を説明すると、店で使っていると言う大きな、ごみを入れるビニールの袋を三枚出してきてくれる。ありがたい、助かる、感謝感激だ。お礼を言って店を出る。


しばらく北上川と離れて歩いていたが、
<飯野川堤>でまた出会う。地図で見るとこの川が新北上川で、<迫波湾>に注いでいる。
水が川幅いっぱいに滔滔と流れており、迫力がある。雨が降って空も暗いため、周りの山々、岸辺の木々が濃い緑の影を川面に映しており、流れる水も濃い緑色に見える。晴れたときの、この北上川の景色は、すばらしいだろうなと思う。しかし今日の豪雨に煙るの景色もすばらしい。深い緑を基調とした
<東山魁夷の絵>を思い出す。

ここは、芭蕉が
「はるかなる堤を行 心ほそき長沼にそふて・・・」と言っているところあたりであろうか。
雨風は相変わらず強い。


国道45になった川沿いの道を歩く。国道になった瞬間から歩道が無くなる。車の通りが激しくなる。ダンプカー、大型トラックが通るときは大変だ。傘は風圧であおられ、水しぶき・泥水の撥ねを全身に浴びせられる。歩道・側溝が無いため、両側の申し訳程度の路側帯は小川のようだ。その中を歩く。
いくつかあるトンネルはさらに危険を伴う。道は狭くなり、明かりはない、逃げ道が無い。命がけで歩く。
それでも、大型・ダンプカーの70%は速度を落として追い越してゆく。乗用車は半分。不思議なのだが、ワンボックスと軽自動車はほとんど速度を落とさないで追い越してゆく。<ワンボックス・軽自動車に気をつけろ>である。


北上川沿いのR45を、車の危険にさらされながら3時間程歩くと
<柳津>に着く。頭の天辺からつま先まで、ずぶぬれだ。6月も終わりだと言うのに寒い。体温がどんどん奪われてゆく。心臓が締めつけられるような寒さだ。休まず歩き続け体温を保つ。
静かな町並みに入る。民家・商店、どの家も戸を閉めてひっそりし、人影が見られない。雨が降り、寒いため、人々は皆、家の中でストーブに当たり、また炬燵の中に入りながらテレビでも見ているのかもしれない。今日は、そんなことを想像させる町の佇まいになっている。
道が堤防の上に出る。バス停の小屋がある。リュックを下ろし、全身ずぶぬれの服装を正す。服装をきちっとすると少し暖かくなったような気がする。ウエットスーツだったら、濡れても、ある程度体温を保つことが出来るのに、などと考えている。


津山町のはずれ、
<登米町>に入る手前に<奥の細道ゆかりの地>の案内板が建っている。石巻からここまで雨に濡れ、風に吹かれ、泥水をかぶり、危険にさらされ、ただ黙々と歩いてきた。今この「奥の細道」の案内板を見てホッとする。
<芭蕉達は飯野川から三里あまり山道を歩き、今の津山町柳津を通り、森下鎮守の森の袂に着いた、そこには「奥の細道の碑」が建っている>と書いてある、今、歩いて来たR45、R342沿いには見当たらなかった。津山町はずれにある奥の細道の碑と説明文

登米まで6.5kmの標識がある。<後一時間半ちょっとだ 頑張れ>と自分を励ます。
堤防のうえの道が桜並木になる。桜の咲く春は、水ぬるむ川の流れと、山々は芽吹き始めた緑の若葉に覆われ、堤に咲く桜と、良い眺めになるだろうなと思いながら歩く。

登米大橋を渡ったところで、携帯で宿を確認する。すぐ近くまで来ている。相変わらず雨は降り続いている。教えられた通り、橋を渡ってすぐの十字路を左に曲がると、商店街になる。
ところどころに蔵が見られる。歴史を感じさせる良い町並みだ。
右側のレンガ造りの門の中に、古い洋風の白い建物が見える。
<警察資料館>と書いてある。警察にしては随分とモダンな建物である。

2時、宿に到着。電話で確認してあったため、女将さんとご主人が二人で出迎えてくれる。ただ、こちらは傘を持っているとは言え、全身ずぶぬれだ。私の姿を見て、さぞびっくりしたことだろうと思う。リュックを玄関の土間に下ろし、ビニールのカバーをとり、バックのビニールをはずしたが、身体からは、水が滴り落ちている。靴の中も水でびしょびしょだ。どうやって上がらせてもらおうかと躊躇していると、ぬれてもかまわないから早くあがれ、と云う。靴と靴下を脱ぎ、ハンドタオルで足を拭き、あがらせてもらう。
すぐに部屋に通してくれる。ストーブがつけてあり部屋は暖かくなっている。女将さんが、一つでは足りないだろう と言って、もう一台のストーブを持って来る。また、今、風呂を沸かしているから、もうすぐに入れる、早く身体を温めたほうが良い、と言ってくれる。
今日は、もう出かけないで、ゆっくりと風呂に入って身体を休めよう。

部屋にビニールのシートを広げ、リュックの中身と、パソコンのバックの中身を、全部取り出し、濡れていないかをチェックする。大丈夫だ。
風呂から上がり、さらっとした、ほかほかの浴衣に着替えると、ホッとする。これで体調を崩さないで済みそうだ。
明日以降のスケジュールを検討する。
早めに用意してくれた、夕食をとり、早めに床に着く。宿の人たちの暖かい心遣いが身に沁みる。
             
                                                                                                                                                                            
おくの細道 曾良日記
心ほそき長沼に そふて 戸伊摩(登米)と云所に 一宿して 平泉に至る 其間ニ十余里程と覚ゆ 十一日 天気能。石ノ巻ヲ立。宿四兵へ、今一人、気仙ヘ行トテ矢内津迄同道。後、町ハヅレニテ離ル。石ノ巻、ニリ鹿ノ股(一リ余渡有)、飯野川(三リニ遠シ。此間、山ノアイ、長キ沼有)。曇。矢内津(一リ半、此間ニ渡し二ツ有)。戸いま(伊達大蔵)、儀左衛門宿借不。なお 検断告テ宿ス。検断庄左衛門。
おやすみ処
登米町 800年ごろにはすでに村落としての形態があったようである。江戸時代には、伊達氏の一族、登米伊達家が明治まで続いた城下町であった。また北上川の水運の流通拠点として栄えた町でもある。町内には数多くの、黒塀と白壁の武家屋敷が残っており、現在でも人が住んでいると云う。古い町並みには、蔵がところどころに見られ、歴史と文化の趣を持っている町である。機会があったら、春の北上川沿いの桜並木、武家屋敷の通り、蔵のある古い町並みを、是非 ゆっくりと歩いてみたいと思う。
平成17年4月に周囲の町村と合併し<登米市>となっている。
名前も登米町(とよま まち)から登米市(とめ し)になった。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

登米市公式ホームページ
    北上の 流れに盛る 登米の里   (遊 旅人)