遊 旅人 の旅日記
岩沼から仙台へ | |||
6時、宿を出発。今日は仙台までと距離は短い。 仙台までの間に、芭蕉が「笠しまの郡に入れは 藤中将実方(とうの ちゅうじょう さねかた)の塚は いつくの程ならんと・・・・・・・・此比の五月雨に道いとあしく 身つかれ侍れは よそなから なかめやりて過るに みのは笠しまも」と書いている。途中、道筋の近くに、歌人<籐中将実方>の塚があったら、寄って行こう.。 6:40東北線館腰駅に寄る。駅前に大きな観光案内の地図がある。笠島に笠島廃寺跡、愛島(めでしま)に実方中将の墓が描くかれている。曾良が「笠島(名取郡内)、岩沼・増田之間、左ノ方一里計有」と言っているように、今のR4から見ても4kmちょっとありそうだ。芭蕉は、雨のため道が悪く、また疲れていたため、遠くから<中将実方の塚>に思いを馳せただけで、通りすぎている。私も行くのは止め、仙台に向う。 名取駅前を歩いていると増田の町名がある。三ノ輪(箕輪)は駅よりずっと西に地図で記されている。 R4の旧道は通勤時間帯のため車が渋滞している。名取から仙台まで電車の駅は、南仙台ー長町ー仙台と三つの駅がある。 しばらく歩くと仙台市に入る。南仙台駅前の町名「中田」を過ぎ、名取川にかかる名取橋を渡る。東北線・東北新幹線の線路を過ぎると、大きなビルが林立し、大都会の雰囲気になってくる。 長町駅前のビルの一階の休憩所のようなところで小休憩。 仙台は大都会のためポイントを抑えて行動しないといけない。地図で仙台駅、県庁、市役所を確認する。 今夜の宿は市役所の近くだ。先ず宿に向かうことにする。大きな都市の場合、駅または市役所の近くに宿をとると、効率よく行動できる。 広瀬川に架かる広瀬橋を渡る。この橋は、<日本で始めての鉄筋コンクリート製の橋である>と案内板に書いてある。 市福祉プラザで小休止の後、仙台の街のど真ん中といってよい、R4をあるく。仙台駅前の大通りを過ぎ市役所、県庁などのある官庁街まで行く。ホテルは官庁街の中にある。 |
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ホテルに荷物を預け、伊達氏の氏神と言われる<亀岡八幡宮>に向かう。 仙台の道路は広く、良く整備されている。R48(広瀬通り)を歩いてゆくと、広瀬川にかかる大きな橋がある。橋の上から下を見ると河川敷は公園になっており、大きなスポーツセンターなどの施設が見える。橋を渡るとサッカー場があり、木々に囲まれた東北大学の教養学部がある。住宅団地を通り、ちょっとした商店街を過ぎると、亀岡八幡宮がある。 鳥居をくぐり、石段を登る。330段の石段である。一気に上るにはちょっときつい。 参拝をして下りて来ると、ワイシャツにネクタイを締め、革靴を履いた45歳くらいのサラリーマン風の男性が、汗を拭き拭き登ってくる。何段あるのか聞いてきたため、330段あると答えたが、まだ半分ほどのところだ。この神社に目的があって来たというような様子ではない。のぼり切れるだろうかと思いながら、<仙台城(青葉城)>に向かう。 仙台は<杜の都>というだけあって、緑が多く爽やかな街である。先ほどのサッカー場のところを右に曲がり青葉山公園・仙台城に向かう。少し勾配のきつい坂を上り公園の中に入ると、さらに坂がきつくなる。道は舗装されてはいるが山登りの感じだ。 今は当時を偲ぶ、建物は、復元された大手門の<隅櫓>だけである。 伊達政宗は、城の象徴である天守閣を造らなかった。しかし、この高さと、眺望であれば、天守閣は要らない。天然の要害・巨大な平山城である。東北地方を一手に治める大藩主にふさわしい城である。 芭蕉が城を訪れたのは四代藩主伊達綱村のときである。 政宗は武将として優れていたが、詩歌にも非凡な才能を持っていたといわれる。数多くの歌が残されている。 今、城跡では、大規模な石垣の修復工事をやっている。もし建物も復元されたらすばらしいだろうなと思う。 高台からは仙台市外が一望できる。 茶店で仙台銘菓の<萩の月>を一つ買う。お茶を出してくれたので、赤い縁台に座り、木々を渡ってくる爽やかな風に当たりながら食す。 帰りは桜ヶ岡公園を通り、けや木並木をを通り、ホテルまで帰る。 街中には木が多くすばらしい町だ。 コインランドリーを教えてもらい、洗濯に出かける。 洗濯と夕食を済ませホテルに帰り、インターネットを使おうとしたが、回線がつながらない。仙台市のど真ん中で、県庁、市役所のすぐそばにもかかわらず、電波が届かない。大きな建物に囲まれた、ホテルの一室のためかもしれない。あきらめて日記だけ整理をする。 |
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曾良日記 | |||
〇笠島(名取郡之内)、岩沼・増田之間、左ノ方一里計有、三ノ輪・笠島と村並テ有由、行過テ見不。 〇名取川、中田出口ニ有。大橋・小橋ニツ有。左ヨリ右ヘ流也。 〇若林川、長町ノ出口也。此川一ツ隔テ仙台町入口也。夕方仙台ニ着。其夜、宿国分町大崎庄左衛門。 |
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おやすみ処 | |||
伊達政宗(1567〜1636) (身長159,4cm、血液型 B型)少年期に天然痘に罹り右目を失明する。初代<伊達朝宗>から数えて16代目の伊達家当主であり、伊達62万石を築いた仙台藩・初代の藩主となる。 政宗は、仙台城築城に際して<日和山(石巻)>、<榴ヶ岡>、<青葉山>の三つの候補地を持っていたが、幕府から<青葉山>に築城の許可がおり、ここに天守閣の無い城を築いた。 政宗の正室<愛姫(めごひめ)>との最初の子は男児が生まれてくるものと思い、名前を男子の名<五郎八>と考えたが、女子だったため<姫>を着け<五郎八姫>と名付ける。この<五郎八姫>は、後に、家康の六男<忠輝>と結婚させられるが、後に<忠輝>の改易により離婚させられる。 七人の側室を持ち、十一男四女を設ける。外国人の側室もいたと<山岡荘八>は作品に書いているが、これは山岡荘八の創作。 家康・秀忠・家光の三代に仕え、宝永3年(1636年)70歳をもって、江戸藩邸で没す。 辞世の句は「曇りなき 心の月を先だてて 浮世の闇を照らしてぞ行く」 また「たとえ病で失ったとは言え 親より頂いた片目を失ったのは不幸である」と言う政宗の思いから、死後作られた木像や画には、やや右目を小さくして、両目が入れられている。 墓所は仙台市青葉区の瑞鳳殿にある。 |
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俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム 仙台市公式Webサイト(ホームページ) |
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政宗が 今も息づく 青葉城 (遊 旅人) |