遊 旅人の旅日記

2003年6月19日(木)晴れ

二本松から福島へ

AM5:30出発。一晩お世話になった公共の宿泊施設に別れを告げ、急坂を下り町中におりる。昨日覗いた太鼓屋の前を通り、町並みを過ぎると、R4と合流する。「安達ヶ原」を右に見ながらR4と別れ県道114(旧奥州街道)に入る。さらに「智恵子の生家」方向を右に見て歩く。
しばらく歩くと道の両側にさわやかな田園風景が広がる。いままで歩いてきた道の周辺に田圃の風景はいくらでもあった。しかし、なぜかここで,、カメラを構え写真を撮る。
福島市内まで11kmと言うところで小休止。福島市松川町とある。さらに歩いてゆくと福島大学がある。「福島大学といえば、信夫山の近くじゃなかったのかな」と記憶を辿るが、私の記憶は45〜6年も前の記憶だ。
すぐにR4と合流する。すごい車の量だ。朝5:30頃のR4は長距離トラックが、轟音を轟かせ、排気ガスを撒き散らして走っていた。今は自家用車、商用車が多くなっている。東京まで264kmと書いてある。騒音と排気ガスの中を黙々と歩く。都会に近づいた証拠だ。
福島市の地図を確認すると曾良日記にある「郷ノ目」(郷野目)という地名が右手東北線沿いにある。
阿武隈川に架かる弁天橋を渡る。少し行くと又阿武隈川があり、橋がある。大仏橋という。
左手はビルが立ち並んでいる都会の風景だ。道を歩いているだけで、何かエネルギーを感じる町だ。福島市は県庁所在地である。同じ県庁所在地でも、関東地方の県庁所在地のほとんどは、東京にエネルギーを吸い取られ活気がない。
福島市は、地方独自の文化を持ち、経済を発展させ、観光を育成し、歴史の保存に力を注いでいる、と言う雰囲気を感じさせる町である。
福島駅は特に、山形新幹線への分岐点でもあり、東北新幹線の主要駅である。福島市は、いわば東北への玄関口である。
そのようなことを考えながらさらにR4を歩く。今夜の宿にTELを入れ場所を確認する。「福島競馬場の前を入った所」と言われる。すこし歩くと右手に巨大な建物が現れる。競馬場だ。こんなに大きくては、前を入った所といわれても入る道は何本もある。再度TELをし確認をする。宿の前で待っていてくれた。先ほどTELをしたときから「車で来るのかと思って待っていた」と言う。かなり長い時間待っていてくれたのだ。申し訳ないと思い謝罪する。


安達町の田園風景


文知摺観音の入り口と鐘楼


文知摺観音の芭蕉句碑

もち゛ずり石


月の輪大橋の石碑と芭蕉句碑


月の輪大橋上から福島市内、信夫山を望む
宿に荷物を置き「文知摺観音」に向かい出発。R4を北上するとすぐに、右 R115文知摺観音の標識がある。標識に従って右に曲がると また阿武隈川の橋を渡る。今日は、よく阿武隈川を渡る日だ。橋を渡った所に「岡部」と言う地名がある。「岡部ノ渡リ」のあった所であろうと決めつける。R115と別れ,
畑の中の道をしばらく歩くと 行く手に小山があり、そこに文知摺観音がある。


芭蕉の言う
「忍ふのさと」(信夫郡山口村)である。
「みちのくの しのぶもち゛ずり誰ゆえに みだれんとおもふ 我ならなくに」(古今集 河原左大臣)
「君にかく おもひみだるとしらせばや こゝろの奥のしのぶもち゛ずり」(後拾遺集 後法性寺関白<藤原兼実>)
など多くの歌人が、<しのぶもじずり>を歌っている。
河原左大臣とは、
<もじずり石(鏡石)>の伝説の主人公<源融(みなもと とおる)後に左大臣となる。>である。
芭蕉はこの歴史にいろどられた、歌枕、歴史の地を見たかったのである。
境内に入ってゆくと、
「モジズリ石有。柵フリテ有。」の文のとおり、今でも柵の中に「文知摺石」がある。この石の文様(石目)を染めた絹の反物が京の都で大変貴重なものとして扱われたと言う。
しばらくの間、近寄ってみたり、遠くから見たり、横から、少し上から見たりしたが、私には、その石の文様は全く解らなかった。解らないのも当然、「もじずり」をした文様のある面は、土の中に埋もれてしまっていると「奥の細道」の中に書いてある。


文知摺観音を後にして
「月ノ輪ノ渡リ」を探しに行く。先ほど歩いてきた道を市内方向に戻り、阿武隈川の手前を右に入る。岡部の地名を過ぎ、しばらく歩くと「月の輪小学校」がある。「月の輪」と言う名前が残っている。「月ノ輪ノ渡リ」もあるのではないかと、あたりを探し回るが「渡り跡」のようなものは、見当たらない。あきらめて帰ることにする。「月の輪」と言う名前を見つけただけでも良いと、納得する。
再び阿武隈川の橋を渡る。橋の名前を見ると「月の輪大橋」と書いてある。欄干の袂の石柱には、「月の輪大橋」と名付けた由来、また芭蕉の句も刻まれている。このあたりに「月ノ輪ノ渡リ」があり、芭蕉は渡し舟で対岸の瀬上に渡ったのだ。今でも橋を渡ったところは瀬上町である。


R4に出て、市内に戻る。急に疲れが出る。宿に戻るまで3kmほどの間に2度も休憩をする。


宿に戻り、「奥の細道」と「曾良日記」をチェックする。「石」にのみ気をとられ、曾良の言う
「虎が清水ト云小ク浅キ水有。」「虎が清水」を忘れてしまった。文知摺観音の境内にあるはずだ。文庫本は常にもって歩いているため、もっと良く文を読んで頭に入れておくか、その都度チェックをしなければいけないと後悔をする。
おくの細道
あくれは しのふもち摺の石を尋て 忍ふの里に行 はるか山陰の小里に石の半 土に埋てあり 里の童への来りて をしへけるか むかしはこの山の上に侍しを 往来の人の麦草を あらしてこの石を 試侍るを にくみて この谷つき落せは 石のおもて下さまに ふしたりと云 さもあるへき事もや
     
早苗とる 手もとやむかし しのふ摺
曾良日記
八町ノめヨリ シノブ郡ニテ福島領也。福島町ヨリ五、六丁手前、郷ノ目村ニテ神尾氏ヲ尋。三月二十九日、江戸ヘ参被由ニテ、御内・御袋ヘ逢。すぐニ福島ヘ到テ宿ス。日未少シ残ル。宿キレイ也。
二日 快晴。福島ヲ出ル。町ハヅレ十町程過テ、イガラベ(五十辺)村ハヅレニ川有。川ヲ越不。右ノ方ヘ七、八丁行テ、アブクマ川ヲ船ニテ越ス。岡部ノ渡リト云。ソレヨリ十七、八丁、山ノ方ヘ行テ、谷アヒニ モジズリ石アリ。柵フリテ有。草ノ観音堂有。杉檜六、七本有。虎が清水ト云小ク浅キ水有。福島ヨリ東ノ方也。其辺ヲ山口村ト云。ソレヨリ瀬ノウエヘ出ルニハ、月ノ輪ノ渡リト云テ、岡部渡ヨリ下也。ソレヲ渡レバ十四、五丁ニテ瀬ノウエ也。山口村ヨリ瀬ノ上ヘ弐里ほど也。
おやすみ処
もじずり石(鏡石)  「もじずり」とは陸奥信夫郡特有の染色の方法であリ、其の文様は、糸をよじった時に出来る乱れた形と言う。そのような文様を持った石がこの地にあり、布をその石の上におき、<しのぶ草>で染めて(摺っって)いた。その石を「もじずり石」と言う。
天智天皇の頃は、その石で染めた(摺った)布(反物)を年貢として納めていたと伝えられる。

またこの石は「鏡石」とも云い、
「虎女と源融(みなもと とおる)」の悲恋の物語が、言い伝えられている。当時中納言であった源融は後に左大臣となり河原左大臣と言われた。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

福島観光協会