遊旅人の 旅日記
須賀川から郡山へ | |||||||||
今日は、郡山までを歩く。田村町守山の田村神社に寄る予定。距離が短いため出発は、AM6:45.。ホテルのフロントで守山に行く道を教わる。 朝から本降りの雨だ。昨日、傘を買っておいて正解だった。阿武隈川を渡り、かなりのアップダウンの道を一時間ほど歩くと水郡線(水戸〜郡山)の踏切を渡る。懐かしく、また歴史を感じさせる町並みに入る。芭蕉は乙字の滝から<小作田>を通ってこの<守山宿>に入ったと曾良は言っている。磐城守山駅を左に見ながら町並みをさらに進むと、右手から車の通行の激しい道路が接近してくる。R49だ。また前方にこんもりとした小山が見えてくる。<田村神社>だ。参道入り口に田村神社と刻まれたの大きな石柱がある。 その石柱を左に曲がり参道に入ると、正面に神社の鳥居と石段が見える。左側には幼稚園(保育園)がある。雨が土砂降りになってきた。 石段の上に本殿があるようだ。石段に足をかけたが、危険を悟って、いったん中止。一段が30〜40cmもあろうか、また勾配も急だ。リュックを背負って、パソコンのバックを持ち、さらに傘をさしてはとても登れない。周りを見回しても荷物を預ってくれそうなところもない。この雨の中では誰も来ないだろうと決め、リュックとバッグを傍らの大きな木の下に置き、ビニールのシートをかぶせ石段を登り始めた。手すりは付いているが、急勾配と石段一段一段の高さがあるため、かなりきつい。年配の人には危険だと思うが、「白河の関山」(6月14日の日記参照)と同じで、地元の人々は、平気で登っているのかもしれない。本殿に参拝をし、<大元明王(現田村神社)へ参詣。裏門ヨリ本実坊ヘ寄、善法寺へ案内シテ本実坊同道ニテ行>と曾良の言っている、裏門と言うものがあるかと、探すがそれらしいものは見つからず。本実坊・善法寺も分からずじまい。リュックが心配なため急いで石段を下りる。本殿に向かって左側の斜面に緩やかな道が付いているのが見える。安心をする。 リュックとバッグをしっかりとビニールシートでカバーをして再び郡山に向かい歩く。体はぬれてもかまわないが、リュックとバッグはぬれてしまうと大変だ。 |
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R49を歩く。雨が止んでくる。「金屋」と言う交差点の角の小さなスーパーの軒先でリュックとバッグのカバーを取る。地図を見ると金屋神社がある。芭蕉の歩いた頃は、このあたりが「カナヤ村」であったのかもしれない。阿武隈川を渡り、東北新幹線を過ぎると「日出山」という交差点に出る。曾良日記にある、<本通日出山へ出ル>の日出山であろうと勝手に決める。さらにまっすぐ進み東北線を過ぎてR4にでる。この交差点を右に曲がり、小一時間ほど歩くと大都会郡山駅前に出る。大きな町だ。 12時少し過ぎにホテルに到着。駅前の繁華街のど真ん中にあるこじんまりとしたビジネスホテルだ。チェックインをさせてくれる。荷物を置いて先ず市役所へ出かける。途中、歴史博物館、中央図書館、文化センターなどの案内を見つける。歴史資料館に行くと、受付の女性が、館内の電気をつけてくれる。二階の資料室に上がる階段と踊り場には、芭蕉が「奥の細道」で詠んだ句が、多くの短冊に書かれ展示されている。その短冊には、句に関する解説、また句碑・周辺の景色などの写真が添えられている。芭蕉は、この郡山で一泊しているが資料がなく場所は不明だ。 資料室には郡山市に関する資料が展示されている。資料館の向かい側にある図書館に寄り、さらに、少し離れた文化センターに行く。文化センターを出ると3時半になっている。市役所に行くのはやめてホテルに帰る。 ホテルの備え付けのコインランドリーで洗濯をする 。 今日は須賀川から郡山まで歩いた。、曾良日記に出てくる<小作田・守山・金屋・日出山・郡山>などの地名が今でも残っており、小作田を除いて、そこを歩いてきた。道もほぼ同じ所を通っていたのだろう。芭蕉はこの区間、守山迄は等躬の馬で、守山から郡山までは問屋善兵の馬で送ってもらっている。 守山の町などは、街角からフッと芭蕉が出てきても不思議ではない雰囲気を持った町である。また郡山市の歴史資料館には芭蕉の句が展示されており、地域の歴史を大事にしているな、と言う事を感じさせられた一日であった。 |
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俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム 郡山市公式ホームページ |
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