遊旅人の旅日記

2003年6月16日(月)晴れのち曇り

矢吹から須賀川へ
今日は須賀川までだ。芭蕉は須賀川では、相楽等躬と言う、問屋を営み、また駅長を勤めていた者の家に7日間滞在している。
私は、「
乙字の滝」「かげ沼」を見て須賀川市に入る事にする。出発前、ホテルのスタッフに「乙字の滝」の場所を尋ねると親切に教えてくれる。「かげ沼」は須賀川市の地図を調べたとき、市内に「影沼町」と言う町名を見ていたため、最初から須賀川の市内にあると思い込む。


5:40出発。R4を北上。教えてもらった鏡石の交差点に7:00到着。角にあったコンビニで小休止、朝食をとる。
その交差点を右折し、岩瀬牧場(唱歌「まきばの朝」が作詞された牧場という)、農業高校の前を通り過ぎてしばらく行くとR118にぶつかる。そこを右に曲がり下り坂を下ると、行く手に赤い欄干の橋が見えてくる。阿武隈川にかかる乙字大橋である。滝は橋の東側の下にある。川には滝、岸には緑に覆われた切り立った岩山がありですばらしい景色だ。曾良が日記で滝の大きさを表現しているが、今でも、ほぼその通りの大きさだ。ここでは乙字の滝が須賀川市と玉川村の境界になっている。芭蕉の句碑(
さみだれは 滝降りうづむ みかさ哉)があり、その前でしばし休息をとった後、R118を須賀川に向かう。


道路の両側に果樹園が広がっている。福島県は果物の産地である。今は、さくらんぼの季節である。濃い緑色の葉陰につややかな真紅のさくらんぼが見える。果物店やデパートの果物売り場で見るより格段にきれいだ。宝石をちりばめたようなと言う表現がぴったりだ。道沿いにさくらんぼ農家の直営販売所が並んでいる。
日が照りだし暑くなってきた。しばらく歩くと東方向、福島空港から来る道路と交差をする。日本全国何処に行っても空港へ接続する道はすばらしく整備されている。R118を左に曲がり須賀川市内への標識に従い歩く。長い坂を下ると町の雰囲気になってくる。携帯で今日のホテルの位置を確認する。説明してくれた道とどうも違うようだ。再度telをする。基準として話をしていたR118が2本ある。バイパスと旧道である。旧道と言うから古い道と思っていたら、ここの旧道は空港に近いため、すばらしく整備された旧道だったのである。
1:30ホテル到着。荷物を預け、先ず「かげ沼」を目指す。ホテルのスタッフに場所を聞いたところ、どうも今朝歩いて来たR4の「乙字の滝」方面に曲がった鏡石の近くのようだ。須賀川市ではなく、鏡石町にあると言う。



乙字のたきと芭蕉句碑



かげ沼(鏡沼)と芭蕉・曾良の像



芹沢の滝


御(神)炊館神社


十念寺


可伸庵


町中各所にある小さな公園


相楽等躬宅跡と墓
ホテルからR4とR118の交差点迄戻り、矢吹(東京)方面に歩く。このR4はR118と比較すると全く目立たない道路だ。
4〜5km程歩くと右方向に「かげ沼」の案内がある。高速道路の下を通りしばらく行くと左、「かげ沼」の案内が再度ある。左側、田圃の中に木の林がある。「奥の細道」に
<かけ沼と云所を行に けふは空曇りて物ゝ影うつらす・・・>とある「かげ沼」である。今でも小さな沼がある。ずんぐりむっくりとした芭蕉と曾良の像がある。


R4を須賀川迄戻りR118との交差点を左に曲がる。道の呼称が県道67になる。乙字の滝から須賀川市内に向かい歩いてきた道である。
芹沢町の表示あり。「
芹沢の滝」と言うからこの近くに違いないと思い注意して歩いていると、左方向「芹沢の滝」の案内あり。案内にしたがって100m程行くと、住宅を過ぎたところに大きな案内板がある。その奥、小川の土手、田圃の畦道のようなところを進んで行くと、山の麓に小さな滝がある。良く日本庭園で見かけるような、高さ2m程の滝である。近年新しく作ったものである。芭蕉が訪れた頃はもっと大きな滝だったのであろう、案内板の解説に、「連日の雨で滝の水かさも多く、壮観だったと想像される」と記されている。
滝を後にしR118を会津・田島方面に進んで行くと、左手に影沼町の表示有り釈迦堂川にかかる影沼橋をわたる。橋の両岸はきれいに整備され、公共施設の建物が並んでいる。橋を渡ったところの道を右に折れ少し行くと
御(神)炊館神社(諏訪神社)がある。この神社は城跡でもある。参詣をし、市内に戻り「十念寺」に行く。褐色の瓦で屋根を葺いた立派なお寺である。芭蕉の句「風流の初やおくの田植うた」の碑がある。また東京オリンピックのマラソンで活躍した円谷幸吉の墓がこの十念寺にある。さらに映画監督の円谷英二の墓もあると言う。
市役所に行くと、入り口右側に、芭蕉記念館があり、芭蕉に関する資料が展示されている。
血圧を測る。(114-72-44)
芭蕉の7日間泊まっていた、相楽等躬の屋敷跡を探しに出かける。細い道の奥に、先に「
可伸庵」を見つける。「可伸」とは等躬の屋敷の片隅を借りて、世を離れ隠遁生活を送っていた僧である。奥の細道のなかで<この宿の傍に大き成 栗の木陰をたのみて世をいとふ僧有>と書かれている僧である。今でも栗の木がある。四代目の「栗の木」と言う。「世の人の見付ぬ花や軒の栗」の碑有。可伸はそれまで静かに隠遁生活を送っていたのであるが芭蕉が訪れ句会など催した事により、栗の木とともに世に知られるところとなり、忙しい生活を送るようになってしまったといわれる。この可伸庵はきれいに整備されている。ちょうど反対側(後ろ側)に広い道に面して、<相楽等躬宅、可伸庵跡>と書かれた案内板を見つける。NTTの駐車場入り口にひっそりと立てられている。可伸庵と比べるとなんとも寂しい。当時はこちらが大家だったのである。
須賀川市内には町並みのところどころに、小さな公園があり、俳句ポストが備えられている。ポストは市内に22箇所あリ、市民、観光客、誰もが即吟した句を投函できる。市民が俳句に親しんでいる様子が伺われる。


町の中に、古い<そばや>が散見される。曾良日記にも<
昼過ヨリ可伸庵ニテ会有。会席、そば切。>とある。其の頃からこの須賀川では蕎麦が食べられていた様子が伺われる。夕食に蕎麦を食べようと、ホテルのフロントの人に話をすると、「須賀川の蕎麦は美味しいですよ、しかしほとんどの蕎麦屋は、昼から始めて、その日打ったそばがなくなってしまうと、それで終わりで、夕方はほとんどの店は閉まってしまいますよ。」といわれる。夕方、それでもと思い出かけるが、昼間、営業をしていた4〜5軒の店はやはり皆閉まっていた。蕎麦好きの私としては非常に残念。須賀川は、自宅からそんなに遠くはない。旅を終え、落ち着き一段落したら、蕎麦を食べに来よう。


雨が降ってくる。折りたたみの傘をどこかに忘れてきてしまったため、買いに行く。商店街をずいぶん探すが、折りたたみの傘を売っている店がない。雑貨店、鞄店、コンビニなど、かなりあたってみたが売っていない。ホテルの近にあった靴屋で訊ねてみた。そしたら、この靴屋にあった。店の奥から、かなり埃にまみれてはいたが、折りたたみの傘を出してきてくれた。埃にまみれていようが使えればよい。かなり丈夫そうだ。助かった。折りたたみでない傘は、晴れているとき、もって歩くのに面倒だ。


今日は、矢吹から須賀川まで歩いた。R4をまっすぐ来れば10kmほどであろう。しかし乙字の滝、須賀川市内、かげ沼と円を描いたように歩いた。芭蕉が一箇所に滞在しながら数箇所を歩いている場合は、自分の行程を、効率よくする必要がある。
須賀川の町は芭蕉が7日間滞在した事もあって、其の足跡を大事にし、また市民が俳句に親しみ、興味をもてるような街づくりをしている。
おくの細道
兎角して越行まゝに あふくま川をわたる 左りに会津根高く 右に岩城 相馬 箕張(三春)の庄 常陸 下野の地をさかひて 山つらなる かけ沼と云所を行に けふは空曇りて物ゝ影うつらす 須か川の駅に等躬といふものを たつねて四五日とゝめらる 先 白河の関いかに こえつるにやと問 長途のくるしみ身ー心つかれ且は風景に魂うはゝれ懐旧に腸を断て はかはかしうおもひめくらさす
     
風流の 初や おくの 田植うた
無下に こえむも さすかにと語れは 脇第三と つゝけて一巻となしぬ  この宿の傍に大き成栗の木陰を たのみて 世を いとふ僧有 橡ひろふ 太山も かくやと しずかに 覚られて ものに書付侍ル 
   其詞   栗といふ文字は 栗の木と書て西方浄土に便ありと 行基菩薩の一生 杖にも柱にも此木を用給ふとかや
     
世の人の 見付ぬ花や 軒の栗 
曾良日記
二十二日 須か川、乍単斎宿、俳有。
二十三日 同所滞留。晩方ヘ可伸ニ遊、帰ニ寺々八幡ヲ拝。
二十四日 主ノ田植。昼過ヨリ可伸庵ニテ会有。会席、そば切。祐碩之賞。雷雨、暮方止。
二十五日 主物忌、別火。
二十六日 小雨ス。
二十七日 曇。三つ物ども。芹沢ノ滝ヘ行。
二十八日 発足ノ策定ル。矢内彦三郎来テ延引ス。昼過ヨリ彼宅ヘ行テ暮及。十念寺・諏訪明神ヘ参詣。朝之内、曇。
二十九日 快晴。巳中剋、発足。石河滝見ニ行(此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡)。須か川ヨリ辰巳ノ方壱里半計有。滝ヨリ十余       丁下ヲ渡リ、上ヘ登ル。歩ニテ行バ滝ノ上渡レバ余程近由。阿武隈川也。川ハヾ百二、三十間も之有。滝ハ筋かヘニ       百五、六十間も有可。高サ二丈、壱丈五、六尺、所ニヨリ壱丈計ノ所も之有。
よりみち
かげ沼  「鏡沼」と言う名で伝えられており、その由来があるが、芭蕉は「かけ沼と云所を行に けふは空曇りて物ゝ影うつらす」といっている。この一帯は当時、沼地であり、天気が良いと、太陽の熱と、地表の空気の層と、沼から上がる水蒸気等で、一種の蜃気楼が発生し、通行人や景色が空中に浮いて見える、という現象で有名になっていたようだ。其の現象を見ようと芭蕉は「かげ沼」を訪れたが、あいにくの曇り空で見ることが出来なかったのである。
お休み処
食事について  宿泊する場所にもよるが、夕食は、ホテルと名の付くところの場合は外食、旅館の場合は、旅館で用意をしてもらう。昼食は、歩いているところに左右される。食べたり食べなかったりである。朝食は出発が朝早いためコンビニで買って食べる。
また内容は、外食の場合、ちょっと探すのに面倒だ、しかし旅館の場合は、この旅でお世話になっている、宿泊料金の安価なところでも、すばらしい料理が、食べきれないほど出され大満足させてもらっている。
朝食は、コッペパン2個、ヨーグルト、野菜ジュース、豆乳が定食になった。
夕食は、通常はあまり沢山食べないのだが、旅を始めてからは、しっかりと多めにとるようにしている。今日一日ご苦労さんと、体へのW褒美Wであり、消費されたエネルギーの補給と、翌日歩くための体力をつけるためである。そして朝食は、夜のうちに失われたエネルギーの補給と、今日一日また頑張ろうという気力、精神力昂揚のための食事である。

コンビ二は宿泊場所を出発して1時間半から2時間歩くと必ず出てくる。余程 山の中に入ってしまわない限り、一定の範囲で、サイン名はともかく、必ず出てくる。距離を測るにも、時間を測るにも、買い物をするにも、言葉どうりコンビニエントな存在である。
俳聖 松尾芭蕉¥芭蕉庵ドッドコム

須賀川市公式ホームページ