遊旅人 の旅日記

2003年6月14日(土)晴

白河滞在(関山満願寺へ)
AM5:40関山満願寺に向け出発。天気は気持ちよく晴れた。昨日、ホテルの女将さんに関山に行く道を聞いた。東京から<歩いてきた>と言った時はあまり驚かなかったが、関山まで歩いてゆくといったら、10kmちょっとあるから歩いて行くのはとても無理だ、バスが通っており、関山の登り口近くにバス停があるから そこまでバスで行ったらどうかと、しきりにアドバイスされる。心の中で「今回は、乗り物に乗ると<旅の主旨>に反してしまうので」とつぶやく。


AM7:20女将さんに聞いた「関山入り口」バス停に着く。バス停の向かい側にある道を200m程入ると、右方向 関山の案内有。少し行くと左に入る細い道があり角に「関山登り口」の碑有。「奥の細道」の一節「心もとなき 日数重るゝままに白河の関にかゝりて・・・」が刻まれている。満願寺ま1.5kmと書かれている。もうすぐだと思い、参道を登り始める。この坂が中途半端な坂ではない。駅の階段ほどの勾配がある。未舗装の道である。10分程歩いて休んでいると、軽自動車のバンがエンジン全開で登ってゆく。こんな山の坂道を、どうして車で登ってゆくんだと思う。谷側に烏天狗の社がある。立ち止まり、立ち止まりしながら登っていると、中年の男性が麓の方から猛烈な勢いで登ってきて追い越してゆく。強靭な足腰の持ち主だと驚きながら見送る。
上の方から鐘の音が聞こえてくる。登り始めて3回目の休みを小さな社で取る。汗がどっと噴出す。山の水が引いてあり飲むことができる。乾いたのどに染み渡る。坂の途中に二、三箇所ベンチを設けたら良いのにと思う。もう少しだ。先ほど聞こえた鐘の鐘楼を過ぎると頂上だ。風がそよそよと木々の緑の間を通り過ぎてくる。まだ柔らかい、きらきらした、黄緑色の太陽の光が木々を通してふり注いでくる。なんともさわやかな光景だ。四苦八苦して登ってきた疲れも忘れてしまう。


満願寺菩薩堂がひっそりと建っている。聖武天皇の勅使寺と言う由緒ある寺であるが、昭和22年の火災で寺の建築物は焼失してしまったという。今は菩薩堂だけになっている。菩薩堂に参詣をして裏に回ると、先ほど私を追い越して行ったスーパーマンが下界を眺めている。声を掛けようとしたが、すっと行ってしまった。ここからの眺めはすばらしい。天気が良く空気が澄んでいるため遠くまで見渡せる。疲れが吹っ飛んでしまう景色だ。
鐘楼の鐘を撞き、AM8:30下山開始。昨日、石工の人と関山に登る との話をした際に、ポツリと「雨は大丈夫かな」と言ったのを思い出す。確かにこの坂道では雨が降ったら、道を水が流れ、石、砂利、泥で足がすべり登れないかもしれない。そんなことを心配してくれたのだ。幸い今日はすばらしく良い天気に恵まれた。<今日は、すばらしく良い天気の中を関山に上ることが出来ました>と心の中で、石工の人に報告をする。9時下山完了。30分で下ってしまった。




関山満願寺登り口石碑





満願寺への参道(登山道)





満願寺菩薩堂(本堂)



関山頂上から白河市方面の眺望




白蛇が逃げ込んだといわれる大木の空洞




「関山登り口」の石碑の前を通り国道に向かって歩いていると、畑で農作業をしていた、50才くらいの男の人が「登ってきたの?」と声を掛けてきた。「ええ、登ってきました、きつかったです。途中に休む場所が在るといいですね。」と言うと、「地元では、子供会、小学校の遠足でも皆平気で登っている。あそこは、お寺でこの地域の多くの家は、あそこの寺の檀家だ。そのため葬式は皆あそこでやる。集会場があっただろう、あそこで皆法事をするんだ。」と言う。「もっとも大人は皆、車で行くが」と言っている。しかしあの坂では、車を連ねて登ってもし一旦前の車がストップしたら大変だろうなと、いらぬ心配をする。
頂上近くで道が分かれており、「旗宿」から登ってくる道があるが、そちらの道は今でも人一人がやっと歩くことが出来るような道だ、芭蕉はそちらから登ったのだという。昨日、私が登ろうとした道だトライしなくて正解だったと思う。
寺も今では小さな本堂だけになってしまったが、昔は立派なお寺であった。昭和22年に起きた火事で焼けてしまった。再建したくても資金がないという。本道から少し下がったところに大きな焼け落ちた大木が残っている。真中が空洞になっており、火事のとき逃げてきた二匹の白い蛇がこの中に逃げ込み助かった と言う謂れがある。そのためこの大木を拝むと夫婦円満になるといわれていると言う。ホテルの女将も同じ話をしていた。これはまだ新しい話だが、ずいぶんいろいろな面白い話を聞かせてもらった。旅をしているとこのようなことが楽しい。


帰りに「南湖公園」と言う湖のある公園による。松平定信が、この白河藩主だったとき、治水のため沼の流れをせきとめ、水辺の公園として造ったものという。「日本最古の公園」と言われている。道路や居住区と公園との境界がない。オープンの公園である。又 水と岸の境目が渚式になっており、なんとも不思議な公園である。中国の庭園を模しているという。そういえばなんとなくゆったりとした静かな公園である。しばし休息を取る。

定信が藩主であった頃は1800年少し前であるから、芭蕉の歩いた1689年には、この公園はまだ無かったのである。

今日はリュックを背負っていなかったが、坂道で強烈な足腰のトレーニングをした日であった。
曽良日記
ソレヨリ戻リテ関山ヘ参詣。行基菩薩ノ開基。聖武天皇ノ御願寺、正観音ノ由。成就山満願寺ト云。旗ノ宿ヨリ峰迄一里半、麓ヨリ峰迄十八丁。山門有。本堂有。奥ニ弘法大師・行基菩薩堂有。山門ト本堂ノ間、別当ノ寺有。真言宗也。本堂参詣ノ比、少雨降ル。暫時止。コレヨリ白河ヘ壱里半余。中町左五左衛門ヲ尋。大野半冶ヘ案内シテ通ル。黒羽ヘ之小袖・羽織・状、左五左衛門方ニ預置。置。矢吹ヘ申ノ上剋ニ着、宿カル。白河ヨリ四里。今日昼過ヨリ快晴。宿次道程ノ張有リ。

○白河ノ古関ノ跡、旗ノ宿ノ下里程下野ノ方、追分ト云所ニ関ノ明神有由。相楽乍憚ノ云也。是ヨリ丸ノ分同ジ。
お休み処
新幹線通勤  白河市は遠く江戸時代には小峰城を中心に発展した城下町であり、明治以降、東北線が開通してからは、城跡、白河駅を中心に発展してきた町と思われる。今、東北新幹線の開通と共に、白河市の郊外に新幹線「新白河駅」が出来、新駅を中心とした新しい町が形成されつつある。新旧市街の周辺の国道沿いには巨大なショッピングセンター等のロードサイドビジネス街が出来ており、また住宅の建設も盛んと見受けられる。<東京まで新幹線通勤する人が増えていて東京までの一時間半、ゆっくりと座ってゆける。東京又東京近郊から引っ越してきて、家を建て、住む人たちが増えている。駅から車で10分位までのところに家を建てているようだ。>車で10分と言うと距離にして10km近くなる。白河でもかなり田舎である。土地も安く手に入れられるに違いない。駅までは奥さんが車で送り迎えをしている、と言う。時間的には近くても、通勤費がたいへんだろうなと思うが、普通のサラリーマンが通っているという。
私も好奇心旺盛というか、野次馬根性旺盛と言おうか、下りの新幹線が到着するPM7:30頃、駅に行ってみる。今日は土曜日だ、あまり期待は出来ないと思ったが、10人ほどの、ネクタイを締め、スーツを着たサラリーマンが駅から出てきて、駐車スペースに止まっていた迎えの車に乗り、走り去っていく。地元の人たちが言っていたことは本当だと納得する。この町は、これからも益々発展してゆくに違いないと実感する。
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム

白河市公式ホームページ