遊 旅人の旅日記

2003年6月1日(日) 曇り時々雨

栃木滞在

見世蔵と観光会館



とちぎ蔵の美術館





巴波川沿いの塚田歴史伝説館
今日は一日、休養日。四日目で早くもダウン。足の状態を考えれば仕方ない。痛みに慣れるよう、リハビリに徹しよう。旅館には、無理をお願いして休ませてもらう。
午後、昼食をとりに出かける。ついでに銀行に行き必要経費を下ろし、リハビリをと思い少し街の中を歩いてくる。痛みと痺れた感覚が同時に頭に響いてくる。しかし、「痛み」はこれ以上痛くならないのに気づいた。また、休んだ後の第一歩から20〜30mが一番厳しい。
「栃木市は蔵の街で古い文化が息づいている」との、かすかな知識はあったが、いまは、どうやって痛みをこらえて歩くかが先決問題であった。
夜、女房に電話をし、愚痴を言う。一方的にメールを打って状況を報告しても良いのだが、体調の悪いときは、直接話をした方が、心身ともにさっぱりする。
一日休んだことで、足の裏の痛みを除いては、疲れが取れたようだ。明日からは、また頑張って歩こう。

よりみち
栃木市は、後述する例幣使街道の宿場町となり、人、物、金が集まり、商都として発展。さらに巴波川(うづまがわ)の舟運での江戸との交易により反映がもたらされた。幕末から明治にかけて、街道には、見世蔵、土蔵が軒を連ね、政治、経済、文化の中心として栄えた商都となった。このような蔵は、江戸時代栄華を極めた「豪商たちの歴史」の産物といえるのではないか。今でも見世蔵では右の画像のように、店(見世)を営んでいるところが、多々見られる。
巴波川の川面に影を落として並ぶ蔵屋敷と白壁の家並み、清流と掘割に群れ遊ぶ鯉、ゆっくりと時の過ぎてゆく街である。
お休み処
例幣使街道  徳川家康を祀る日光東照宮の神前に金幣を奉呈するため1647年(正保4)から毎年「例幣使」と呼ばれる勅使が朝廷から日光東照宮に参向。此の勅使が通った街道のうち高崎市(群馬県)の倉賀野から鹿沼市(栃木県)の楡木までが「例幣使街道」とされているようだ。
此の勅使が通る街道は、幕府が決めたのだろうが、江戸から日光街道でほぼまっすぐ北上すれば近いのだが、なぜか中山道で高崎(倉賀野)まで行き、ここで中山道と別れ東進、栃木、壬生、楡木と経由し日光街道に入っている。三角形の二辺を歩いている感じだ。道中のんびりと、旅をを楽しみながら、重要な使いを果たしていたのかもしれない。
芭蕉が此の例幣使街道を通ったとすれば、壬生から楡木までであり、後は日光街道を鹿沼、今市、日光と歩を進めたに違いない。

俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム
栃木市公式ホームページ