遊 旅人 の旅日記
春日部から古河へ | |
AM6:30宿の若女将に見送られ出発。芭蕉の二日目は間々田まで行っている。ちょっと距離がある。また現在、間々田で宿泊施設を探すのは困難のようだ。今日の行程は古河までとする。27〜8kmだ。AM7:40杉戸市役所前で小休止。AM8:30道筋の食堂で朝食をとる。幸手駅入り口を過ぎ少し行くと幸手市役所がある。AM9:57幸手市役所で小休止。血圧の測定をし水分の補給をする。血圧は107-61-67。心身ともにハードな行動をしているわりには低すぎる。宇都宮60km、小山30km、古河16kmの標識有。ここの地名は「内国間府間」と書いて「うちごま」と読む。 11時栗橋町に入る。田圃と畑の広がる小さな川沿いを歩く。突然、草むらから雉が飛び立つ。雉だから飛び立つといっても空高くではなく田圃と水平にしばらく飛んで20mほど先の草むらに下りた。この川岸は散歩コースになっており、小さな休憩所を見つけそこで小休止。(11:15)早くも、足の裏にまめができたようだ。土踏まずより前全体、両足共だ。R4に合流する。猛烈な車の量だ。騒音と排気ガスにまみれ肺の中は真っ黒になりそうだ。休憩のときはうがいをし手、顔を洗い、鼻の穴も洗浄しなければならない。しかし田圃、畑を渡ってくる風は涼しくて気持ちが良い。 R4が利根川の堤防の上を走るようになると左手下に町並みが見えてくる。曾良日記にある「此日栗橋ノ関所ヲ通ル。手形モ断モ入不。」の「栗橋の関所」跡はこの町並みのどこかにあるに違いないと思い町並みに下りてゆく。しばらく歩いてゆくとまたR4と合流してしまいそうになる。突き当たりは神社になっている。その辺りに違いないと思い歩いてゆくと、商工会の建物があり、中に入って、関所跡があるかを聞く。すると「すぐ先の八百屋の手前の路地を入った所に案内板・碑がある」と親切に教えてくれた。行ってみると町並みの家とR4の間、堤防の中腹に関所跡の説明の書いてある案内板と碑がたっていた。関所の模型が町の総合文化会館にあるとも教えてくれた。芭蕉たちはこの関所を何事もなく通過したようだ。 13:20利根川を利根川橋でわたり、古河市に入る。旧4をしばらく歩くと蕎麦屋を見つけ、そこで昼食をとる。店主は3年前54歳のとき脱サラをして店を開いたという。美味いそばだ。話好きの店主で私が定年を機に歩いて旅をはじめたというと感心をし、励まされた。古河駅の近くに宿をとったため駅までの距離を訪ねると6kmという。一時間半だ。 スーパーで小休止。水分の補給をする。私は夏、ひどい汗をかくと時々脱水症状(?)を起こす。常に水分の補給をしていないと、膀胱から尿道全体出口まで猛烈な不快感に見舞われる。ジュースや水よりもスポーツドリンクが良い.ジュースや水はすぐに小便や汗になって排泄されてしまうが、スポーツドリンクはすぐには排泄されなく体調が保たれるようだ。 四時少し過ぎに宿に到着。ホテルに着くと受付の女性が台風が来ていると言う。明日天気が荒模様だったら、もう一泊して様子を見たらよいとアドバイスしてくれる。また、大きな風呂があるからよく筋肉をほぐして休むと良いとも言ってくれる。足のまめの手当てをするため近くのスーパーの薬局に赤チン、包帯を買いに行くが、赤チンはもう置いていないといわれる。奨められた軟膏を買ってきて手当てをする。いままで毎朝一時間50分ほどウォーキングをしてはいるが。重いリュックを背負い、バッグを持ち、30kmも歩いたことはない。練習、予行演習もなしにこんなに歩けば支障がくるのは当たり前だと自戒する。 |
|
曾良日記 | よりみち |
二十八日、ママダニ泊ル。カスカベヨリ九里。前夜ヨリ雨降ル。辰上剋止ニ依テ宿出。間モナク降ル。午ノ下剋止。此日栗橋ノ関所通ル。手形モ断モ入不。 | 栗橋の関所は、日光街道が利根川を越す要地であり、「利根川通り定船場」から発展した関所の一つで「房川渡中田・関所」とよばれた。東海道の箱根、中仙道の碓氷と並び重要な関所であったといわれる。古河市は利根川、渡良瀬川また渡良瀬遊水地が近くにあり淡水魚の漁に恵まれており「鮒の甘露煮」と言う名物がある。 |
お休処 | |
利根川 この川の周辺は、昔からたびたび洪水の被害に見舞われた。そのため、徳川家康が後の江戸に入ったとき、この利根川の東遷事業、周辺の多くの川の付け替えなど、治水、干拓事業を行い、東京湾(今の行徳辺り)に注いでいた河口を銚子に付け替えたといわれる。 今では、堤防、河川敷等整備されているが、一昔前までは、川に近い民家では、二階の軒下に洪水時の避難用に川舟がつるされていた。今でもそのような家を見ることができるかもしれない。また境町付近では、川底が二階の高さに位置するところもあるようだ。 渡良瀬川 利根川の支流の一つで、栃木県足尾町の北、皇海山(すかいさん)2136mを発し、渡良瀬遊水地まで、およそ107kmの川である。今は風光明媚な川であるが、明治時代には足尾鉱毒事件で有名な川である。足尾鉱毒事件については、この問題に立ち向かった当時衆議院議員であった田中正造の活動が、小説「辛酸」(城山三郎)に見られる。今では桐生から足尾まで川沿いを渡良瀬渓谷鉄道が走り、春夏秋冬すばらしい景色が眺められる。. |
|
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム 古河市公式ホームページ |