遊 旅人の旅日記

鹿沼から今市へ





























AM 5:45宿を出発。今日は体調があまり良くない。R121を今市に向かって歩く。鹿沼の町を抜けると橋があり、その先はずっと上り坂になっている。坂を上りきった辺りから左後方を見ると鹿沼の町が一望できる。
朝早くから庭の草刈をしている人がいる。刈った草の香りが辺り一面漂っている。気分も良くなる。草のエネルギーだ。


杉並木が始まる。杉並木の外側に歩道がある。「岡道」と呼ばれる生活道だ。車道の路側帯が狭いゆえ、このような歩道があると安全で安心して歩くことができる。AM8:40文挟駅で小休止。たまたま上下両方向の電車が入ってきて数人の乗降客が無人の改札を通りすぎてゆく。降りた数人のサラリーマン風の人たちは、迎えに来た車で立ち去っていった。再び静かなさわやかな朝日の中に、無人の駅舎だけが残った。このさわやかさは、都会ではとても味わうことはできないものだ。


再び杉並木に戻り歩く。岡道がなくなってしまい、車道の路側帯を歩く。車がからだを掠めるように走ってゆく。道の両側は擁壁になっており、逃げ場は無い。車の通行量も多い。注意して歩こう。再び岡道を見つけ歩き始めたがしばらく行くとなくなってしまった。車道に下りるところも無く、やむをえず擁壁の上を歩く。一歩足を踏み外せば、車道に転落し、車に轢かれてしまうかもしれない。危険極まりない。次第に擁壁の高さが低くなり、やっと車道に下りることができる。改めていま歩いてきたところを振り返って見る。良くこんなところを歩いたものだと思うと同時に、杉並木が白くかすんでいるのが見える。車の排気ガスが鬱蒼と茂る杉並木の中に滞ってしまったいるのだ。これでは杉の木も大変だ。呼吸もできないだろう。枯れてしまうのも当然だ。年間80本も倒木していると言う。枯れてしまう原因は、排気ガスだけでなく、道路整備、水路確保のため根が切断されてしまった、また根が張れなくなってしまっている、杉の木自身が大きくなり過ぎ、過密状態になっている等が主な原因である。杉並木を管理し、保存してゆくための研究、改良工事は江戸時代から何らかの方法で行われているようだ。車社会になってからは排気ガスの問題が大きな要因をしめているのではないか。
日光の二社一寺が世界遺産に登録され、その誘導路として重要性が増してくる中、国の「特別史跡」、「特別天然記念物」の二重指定を受け、さらに「世界一長い並木」とギネスブックに載せられている。今後益々、保護、管理の重要性が増してくる。大切にしてゆかなければならない。


峠が下りになり、少し行くと道がカーブしている。そのカーブしている道路脇に趣のある店構えの蕎麦屋がある。そこで昼食をとる。蕎麦が来るのを待っていると、立派なカメラを提げた、同じ年恰好と思われる男性が入ってくる。話しかけると、やはり「定年退職をして、今は趣味の写真を撮って歩いている。最近は銀板のカメラから、デジカメに移行中」と言う。やはりデジカメは便利なのだ。しばらくすると。今度はやはり同じ年恰好と思われる夫婦が入ってくる。ゆっくりとくつろいでいる。定年を迎え、のんびりと夫婦で旅を楽しんでいるという雰囲気だ。


坂を下りきると、今市市内に入る。PM0:50小さな公園で小休止。つい先ほど蕎麦屋で食事をし休んだばかりだ、また宿ももうすぐだと思いながら歩いていると、公園から「少し休んでゆきなさい」と声をかけられたような気がして、自然に足が公園に向かってしまった。ベンチにリュックを下ろし、腰を下ろし、緑の木陰を渡ってくるさわやかなそよ風に身を任せながら、小さな川の流れを見つめていると、頭に「人生は歩くことと似ているな」などとの思いが浮かんでくる。「東京から歩き始めてまだ一週間だが、朝、気分、体調とも良く歩き始めても、途中から疲れ果ててしまうこともある。また朝、体調が悪くても、頑張って歩いているうちに快調になることもある。いずれにしても一晩休んで、翌朝は心機一転、新たな気分で出発する。そして一日が始まる。この繰り返し、積み重ねだ。人生も同じだ。」また食事についても「朝食は一日のエネルギーを補給してくれる。昼食はそれをサポートし、夕食は、一日お疲れ様と言う食事だ。リラックスして楽しみながら摂りたい」などと考えながら、ついうとうとしてしまった。最高に気持ちが良い。2〜3分だけなのに、心身ともにすっきりとし、疲れも取れてしまった。


PM1:30ホテル着。荷物を預け、出かける。市役所、図書館、歴史民族資料館に行く。市役所では、受付の女性が市のパンフレットを数種類持ってきて説明をしてくれた。図書館に隣接して歴史民族資料館がある。ここには杉並木を研究した宇都宮大学の名誉教授であった鈴木丙馬の研究資料が展示されている。「日光杉並木街道緊急保護対策」と言う案が昭和49年に発表されている。現在はこのような対策案に基づいて対策が施されているのだろう。
今日は、ずーと上り坂を歩き体力を使い、杉並木では体力、頭、心を使い歩いた一日だった。
宿に戻り、一週間分の洗濯物を持ってコインランドリーに行く。帰りには、靴屋に寄り、靴の消臭、殺菌のスプレーを買って帰る。今日一日、足の裏の痛みは気にならなかった。
明日は、いよいよ日光だ。
お休み処 よりみち
現在、杉の本数は13,000本といわれている。年間80本が倒木してゆくと、162年でなくなってしまう。植えてから今までの半分の年数でなくなってしまうことになる。
車専用のバイパスを作って、杉並木は歩行者専用にしたらどうだろう。ゆっくりと歩いて杉並木を見物できる。ジョギングにも最適だ。また森林浴の場所としても良い。そして排気ガスだけでも防ぐことができる。
日光杉並木  徳川の家臣で川越城主であった松平正綱が、東照宮創建と、その遷宮を記念し、寄進し植えたものである。熊野から苗を取り寄せて育て植えた。日光街道、例幣使街道、会津西街道に37kmにわたり、20万本を20年の歳月を要し完成させた。それぞれの杉並木の入り口には「並木寄進碑」が建てられている。明治時代には、財政再建のため、全杉並木が伐採の危機にあったという。当時のイギリスの公使パークスの進言に寄り、中止されたと伝えられている。今も昔も、我々日本人は他国から指摘、注意、助言されなければ、自然や文化遺産などの保護を考えない国民なのかも知れない。現在は、栃木県林業センターが「日光杉並木の樹勢回復事業」として取り組んでおり、栃木県では、財団法人を設立「日光杉並木オーナー制度」を発足させ保護を呼びかけている。
日光市(旧今市市)公式ホームページ

俳聖 松尾芭蕉。芭蕉庵ドッドコム