旅の6日目 パムッカレからエーゲ海へ
世界遺産「綿の宮殿」と「聖なる都市」
パムッカレ温泉街の一番奥まったところのリゾートホテルを、バスは私達を乗せ定刻の8時45分に出発した。今日も快晴だ。トルコに着いてから、快晴が連続5日間も続いている。今日の旅程はこれから世界遺産の「パムッカレとヒエラポリス」を観光して、午後からは200Kmほど走り、エーゲ海有数のリゾート港町「クシャダス」へ向かうのである。
遊歩道を進むと世界遺産パムッカレとヒエラポリス
への入り口、紀元5世紀のビザンツ門が見えてくる
バスは山の稜線をぬうように走ること20分あまり、車窓の外には紀元前からの古代共同墓地であるネクロポリスの石造りの墓が見えてきた。
ネクロポリスとはギリシャ語で死者の町を意味し、ここパムッカレ周辺の丘陵には1000以上の墓があり、古代墓地の規模としてはトルコ最大とのことだ。
やがて標高400mほどの山の頂上近くの駐車場にバスは停まった。ここでチケットを購入し、整備された遊歩道を歩きながらパムッカレの石灰棚を見学にいくのである。
紀元前に栄えたペルガモン王国のヒエラポリス
世界遺産、紀元前からの都市遺跡ヒエラポリス
遊歩道を進んでいくと、ペルガモン王国以来の「聖なる都市」の遺跡、ギリシャ語で「ヒエラポリス」と呼ばれる城壁のビザンツ門にぶつかった。この門は紀元500年頃のビザンチン時代のものだという。
この都市遺跡はパムッカレの石灰棚台地の一番上にあり、紀元前190年に始まった都市の遺跡で、これもカッパドキアと一体をなし世界遺産なのである。
このビザンツ門をくぐると、視界いっぱいにペルガモン王国時代に築かれた「ヒエラポリス」の都市遺跡が飛び込んできた。
パムッカレの上部大地にあるヒエラポリス遺跡
はるか昔、紀元前にユーラシア大陸を席巻したアレクサンダー大王の死後、その部下の将軍達が占領した各地に王国を築いたのだが、その一つがトルコのエーゲ海よりに築かれたのが「ペルガモン王国」なのである。ローマ帝国の属国的立場であったが、そのペルガモン王国のエウメネス2世によってこの地に宮殿が築かれ、温泉保養地として栄え、最盛期には人口10万人の大都市だったのである。
この時代(古代ギリシャ、ローマ)の都市遺跡はほとんどが海岸部に位置しているのに対し、このヒエラポリスは最も内陸部にあることで有名でもある。
奴隷による格闘技などが行われた円形ローマ劇場
また、当時パムッカレ温泉の裏にあった穴の中に有毒ガスが出ており、ここに入った司祭がガスを吸い、トランス状態のまま神からのお告げである神託を与えていあたともいわれている。そんなこともあってヒエラポリスには「聖なる都市」という意味もあるのである。
この都市もペルガモン王国からローマ帝国、ビザンチン帝国時代まで繁栄が続いたのだが、大地震とセルジューク朝トルコの侵攻で完全に廃墟と化してしまったのだ。
遊歩道を挟むように、左手がパムッカレの石灰棚斜面、右手の丘側がヒエラポリス遺跡であある。
上水道跡、浴場へ温泉を引いていた?
歩みを進めていくと右手前方の丘陵に円形劇場の遺跡が見えてきた。ローマ帝国ハドリアヌス帝により紀元前2世紀に造られたローマ劇場だ。保存状態もよく直径100m半円形劇場で、15000人収容したという。
劇
場にはアアポロ神殿や大浴場が二つもあり、ローマ帝国時代には悪名高いネロ皇帝やカラカラ帝もここを訪れているので、劇場で剣闘士の闘いを見て、温泉浴場で旅の疲れを癒したことであろう。
さらには、左手の石灰棚から右手の遺跡に向かって蛇行しながら伸びていく高さ1m弱の堤防がある。近づいてみたら中に溝が掘られており何と!
上水道の遺跡ではないか。石灰棚から出る温泉を大浴場に流していたのであろうか?当時の土木技術の高さに感心させられるばかりだ。
丘全体が白く覆われた不思議な景観パムッカレ
下の温泉街側から見上げたパムッカレの石灰台地
やがて遊歩道の左手に眼下に広がるパムッカレの温泉町と真っ白な石灰棚が見えてきた。
ここパムッカレはトルコ語で「綿の宮殿」という意味を持つトルコ有数の温泉保養地でもある。綿とあるのは昔からこのあたりが良質の綿花の一大生産地であることによるらしい。
1万年ほど前に、このあたり一帯に石灰質を豊富に含んだ温泉が湧き出て、台地上部の崖から流れ落ちながら、長い時を経て結晶し台地全体を真っ白に覆ったことによりつくられたのである。
棚田のような石灰棚に湯がたまりエメラルドグリーンに
棚田のようになっているのは、漂流してきた枝・葉などに石灰がたまり、それが長い間を掛けて堤を形成することによってできたのだ。
台地の麓から見上げると、真っ白い雪山のようである。幾重にも重なり合った石灰棚が200mの高さに渡って段々畑のように広がり、ブルーの湯をたたえている姿は幻想的でカッパドキアに次ぐトルコ最大の観光ポイントであるのだ。
水着姿で湯に浸かったり足湯している
石灰棚に沿って遊歩道を進んでいくと、石灰棚のところどころに温泉水がたまった池があり、水着姿の観光客が湯に浸かったり泳いだりしている。
ほとんどが欧米からの外国人だ。ガイドの説明ではロシア人が多いという。天然資源価格の高騰でロシアも豊かになったのだ。
女性の水着は大半が露出度の高いビキニで、よく似合う人、そうでない人、さまざまだ。相撲取りのような体型の人までビキニスタイルで堂々と温泉池に浸かったり、足湯をしたり、遊歩道を闊歩している。自分の身体に自信があるのだ!完全に美の基準を勘違いしている!。
温泉プールの底はローマ時代の遺跡がごろごろ
パッムカレの石灰棚、右上にはヒエラポリスの遺跡が見える
しかし、このパムッカレ温泉も最近ではあまりの開発ラッシュのため湯量が減少し、石灰棚に流す湯量を調節しているとのことで、湯が枯れた池も散見される。
展望ポイントで全員による記念写真を撮り終えると、90分ほど自由行動となった。
再集合場所は石灰棚とヒエラポリス遺跡の中間ほどにある「温泉ハウス」である。私達はそれぞれが、靴を脱ぎ湯池に入っていくもの、カメラを構え遊歩道の先へと進むものなど、思い思いの方向へ散っていった。
エメラルドグリーンが美しい石灰棚のパムッカレ
私は石灰棚をひと通りカメラに収めるべく、何本か枝分かれしている遊歩道から崖側斜面に伸びている方を選び足を進めることにした。
崖の突端近くまで来ると素晴らしい絶景が目の先に現れた。真っ白な石灰棚と温泉が太陽に輝き、白とブルーのコントラストがなんともいえぬ美しさを醸し出している。
遊歩道を一回りして、集合場所である温泉ハウスの方へ向っていく途中にもヒエラポリスの遺跡(石材)があちこちに散らばっている。遺跡の中にパムッカレがあるのか、パムッカレの中に遺跡があるのか、まさにこの二つが一体となして世界遺産になっているのが理解できる。
プールの底には紀元前のローマ時代遺跡がゴロゴロ
温泉ハウスに入っていくと、回遊式の大きな温泉プールになっており、大勢の欧米人が水着姿で泳いだり、ウオーキングしている。湯温は35℃前後と高くなく、プールの底の源泉の所からは泡とともに湯が噴き出しているのが見える。
何より奇妙でびっくりすることは、プールの底に本物のローマ時代の遺跡がゴロゴロしているのが見えるのである。プールの中で古代遺跡の石柱に腰かけて温泉に浸かるという贅沢ができるのだ!こんな温泉は世界的にも珍らしく、ここだけではないのか。
ここ温泉プールで全員の集合を確認すると、再び遺跡のなかを歩いてバスに戻ることにした。
バスは一路エーゲ海へ
ついにエーゲ海までやって来た!
少し早いが、石灰棚を見上げるような景観の場所にある、山麓のレストランで昼食を済ませると、バスは一路トルコのエーゲ海有数のリゾート地「クシャダス」に向かって走り出した。再び古のシルクロードを西へ約200Kmばかり走る長距離移動である。
西へ向うにつれ、昨日までのカッパドキア地方の、樹木が1本も無い荒涼とした大地から様相が一変した。緑が一挙に増え、綿花畑、イチジク、ザクロ、ブドウなどの畑が車窓の外に広がる。なかでも山の斜面は全てオリーブ畑になっている。
前方にクシャダスの街とエーゲ海が見えてきた
ときおり電柱の上に大きな巣が見える、ガイドが言うには、北アフリカから渡ってくる「コウノトリ」の巣とのこと。
幾つもの町を通り抜けバスはひた走る。集落が近づいてくると必ずといってよいほど、背の高い糸杉の林が目に入り、その下が墓地になっている。これは糸杉の根は地中深くのび、亡くなった方を包み魂を天へと導いてくれると信じられているからだという。
やがて道はオリーブの樹が生い茂る山地に入った。登ったり下ったりするなかで、カーブを切ると時おり前方に青く輝くエーゲ海が視界に入るようになってきた。すでに走ること3時間半である。ここまでくると、まもなく今日から二連泊するリゾート港町「クシャダス」だ。
14世紀の城塞が残る「ギュウルジン島」
14世紀の城塞が残る「ギュウルジン島」
バスはクシャダスの街の海岸線に面した大通りに入った。さすがエーゲ海有数のリゾート地というだけあって、車窓の右手にはヨットハーバー、港湾にはエーゲ海クルーズの観光客船、水中翼船などが停泊しているのが見える。ここからギリシャの島々にも渡ることができるとのこと。左手には高級ホテルからペンションまで宿泊施設がびっしり建っている。
ギュウルジン島、14世紀の要塞の城門
やがて街はずれまでくると、今日最後の観光地「ギュウルジン島」という小さな島が見えてきた。島ではあるが、町とは陸路でつながっていて、徒歩で渡ることができるのだ。私達は島につながる防波堤を歩きだした。右手はギリシャの島々に行く桟橋になっており、さまざまなタイプの船が係留されている。
小さな島内は14世紀に建てられた要塞になっており、島をそっくり包むように城壁がはり巡らされている。この要塞でじりじりと領土拡大をつづけるイスラム勢力と東ローマ帝国(ビザンチン帝国)を守る十字軍が戦ったのであろうか。
しばし自由散策となり、城壁の上に上がってみると、眼下にはクシャダスの街と港が一望できた。
ホテルでの夕食前に急遽、皆で出かけるぞ!
ホテルからは眼下にはクシャダス港が一望
きょう一日の観光は全て終え、クシャダスの海岸通りから1本中に入った高台にあるホテルにチェックインした。このホテルには2連泊することになっている。
ホテルからは眼下に大きなクルーズ船が停泊しているクシャダス港が一望できる。
フロントでチェックインの手続きを終えたS添乗員が、ロビーに待機している私達を前に「今日はホテルの宿泊客が満杯で、夕食会場のホテルレストランに宿泊客全員が一度に入りきれない。しいては時間を決め入れ替え制で利用するので、私達は19時半以降に食事をしてほしい」という。時刻はまだ17時前で、夕食までまだ3時間近くある。
ホテルを出てぶらぶらエーゲ海の夕陽鑑賞へ
時間があり余りすぎる!私は急遽、夕食までたっぷりある時間を利用して、エーゲ海に沈む夕陽でも眺めながら食前酒をどうかと思い立った。皆に提案するとワーと拍手!大賛成だという。
皆には部屋でいっぷく後の18時にロビーに集合してもらうことにした。私は急遽、現地ガイドのラナ女史に、私達が一服している間にホテルから歩いていける距離で海岸通りに面し、エーゲ海が一望できるオープンカフェを探すように依頼した。
皆がシャワーを浴び着替えを済ませロビーに集まった。ホテルを出て坂道を下ると、右手はエーゲ海、左手はシーフード料理レストランが軒を連ねている海岸通りである。
エーゲ海に面したオープンカフェで夕陽鑑賞
あまりに夕陽が眩しいのでテントを下ろしてもらう
目的のオープンカフェまでブラブラ歩きだした。リゾート観光客が行き往う大通りを15分ほど歩くと目的のカフェに着いた。
ちょっと窮屈だが私達20名は席に着いた。海岸通りを挟んで目の前がエーゲ海で夕日を鑑賞するには最高の席だ。
今日で旅に出て6日目で、ちょうど旅の半分折り返し点である。明日からの旅の後半の無事を願ってビールとワインで乾杯となった。こんな調子で何だかんだと名目をつけて毎日乾杯してるのだが・・。
20名が揃って一斉に「かんぱ〜い」の声を上げると、通りを行く人々や、隣のオープンカフェの客が聞きなれない日本語にびっくりしている。そりゃそうだろう!日本人ばかり20名もの団体で、こんな海岸通りのオープンカフェにやって来て、乾杯の気勢上げるなんて、どこの旅行会社のツアーでも絶対やらないはずだ!カフェのトルコ人従業員だってこんなの初めてだろう!
夕焼けでエーゲ海の空が序々に赤くなりだした
夕陽がエーゲ海に反射して、眩しいほどに私達のテーブル席に照りつける。あまりに眩しいので席の上にテントをおろしてもらうほどだ。
しばし飲みながら歓談していると、やがて夕焼けが始まり空が赤くなりだした。テーブル席を覆うテントを上げてもらうと、エーゲー海の水平線に夕陽が沈もうとしており、空が真っ赤に染まっている。旅仲間皆から感動の声があがる。
やげて陽が落ち、あたりは真っ暗となった。
日が落ち、夜の帳に包まれたクシャダス港
停泊しているクルーザーや客船から明るい灯りがエーゲ海を照らしている。そろそろホテルに戻り夕食の時間である。自由解散し、それぞれが海岸通りを思い思いに歩いてホテルに戻り、夕食をしてもらうことにした。
明日の出発はゆったりした8時半である。旅の気疲れと睡眠不足で少々身体が悲鳴を上げだしている。このままホテルに戻ったら夕食会場に行かず、部屋で持参の日本食を食べ、安定剤を飲んで早めに寝ることにしよう!。
真っ白な石灰棚のパッムカレ。ついにエーゲ海までやって来た!編 終わり
歴史ロマン!古代ローマ帝国時代がよみがえるエフェスの都市遺跡、編へ つづく