旅4日目・信仰のなせる力はすごい!地下都市。旅のエピソードO氏の悩み!編

東西文明の十字路トルコ旅行記・旅の4日目

 世界自然遺産カッパドキア

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 旅の4日目カッパドキア最終日 

リゾートホテルの朝

昨日と場所が変わり今日はホテル前から離陸していく
 カッパドキアに来てすでに3日目となる朝をむかえた。時刻は午前6時である。
 今日も元気よく目覚めたといいたいところだが、昨夜半から少々腹具合がおかしくなってきてしまった。症状は下腹がシクシクとした下痢症状で、夜中に三回もトイレに起きてしまった。原因は分かっている!単なるアルコールの飲み過ぎなのだ。
 昨夜はホテルレストランでの夕食後、ホテルの別室を借り旅仲間全員で宴会を開いたのである。何人かが日本から持参してきた珍味類、日本酒、焼酎などを会場に持ち込みして大いに盛り上がったのだった。
 ホテルの朝食、ジャムとチーズ類が豊富だ

 私は自慢じゃないが、見かけによらず虚弱体質で、特に胃腸が弱い。調子に乗って毎日、昼、夕、夜と一日3回も飲酒していたら、さすがに胃腸が悲鳴を上げだしたようだ。
 カッパドキア最後の日となる今日の予定は「ウフララ渓谷」と「地下都市」を観光するだけのゆったりしたスケージュールになっている。明日は古のシルクロードを650Kも走り世界遺産のパムッカレへの長距離バス移動だ。
 ベットから出て身支度を整え、部屋の窓のカーテンを開けると何と!ホテル前の空き地から、今まさに熱気球が空へ飛び立とうとしている瞬間が目に飛び込んできた。まだ7時前である。日の出前の薄明るくなりだした空へ次々と上昇していく、ときおりバナーに点火した炎が赤く見える。
10種類以上のジャムが並ぶ

 昨日、私達が熱気球に搭乗したときは、ホテルから車で20分ほど走った山影の平地が離陸場所だったのだが、今日はホテルのゲート斜め向かいの空き地が、離陸場所に変更になっているのである。離陸場所が1か所ではなかったのだ。その日の風向き具合によって毎日離陸場所が移動していくのだ。

 朝食会場が開くのは7時からである。
2階の部屋から地下のレストランに降りていくと、待ちきれない仲間達がすでに食事を始めている。パンとサラダがメインのバイキング料理が色も鮮やかに陳列され、さまざまな種類のジャムやチーズが豊富に並んでいる。蜂の巣箱から取り出した状態の天然ハチミツ

 なかでも大きなトレーに盛られた、蜂の巣箱からそのまま取り出した状態のハチミツに目が引かれる。
日本ではめったに見られれないシロモノで、いかにも天然滋養強壮あふれる食材だ。食べてみたが濃厚でメチャ甘い、日本で瓶詰で売られている水飴で薄められたハチミツとは大違いだ。
 食事を終えフロントで現地通貨のリラへの両替を済ますとロビーから外に出てみた。今日も雲ひとつない快晴で早朝のキリッとした空気が身を包む。まさにホテル真ん前の真っ青な空には熱気球がゆったり舞っている。

ウフララ渓谷へむけて出発

痩せた大地をバスは走る

 車窓の外には樹木の無い秋の収穫を終えた痩せた大地

 8時半の出発に合わせ駐車場に待機してるバスに乗り込みが始まった。三人の班長がそれぞれ自分の班員の乗車を確認すると「○班OKです!」と声があがる。
 それにしても見事なもので、旅の初日から今日まで集合時間に遅刻した者は一人もいない。常にバスは集合時間の5分ほど前には次の目的地へ出発でき、スケジュール通り旅程をこなしていっているのだ。添乗員にとってこれほど楽なツアー客はいないだろう。

 バスは昨日見学した大地に突き出た岩山を掘りぬいたウチヒサール要塞と住居群を車窓に見ながら出発した。目的のウフララ渓谷まで約1時間半ほどの距離だ。
 街を抜けると、秋の収穫を終えたイモ畑と樹木がほとんど無い丘陵地が、どこまでも続く風景に変わった。畑の中はこのカッパドキア地方一帯の大地を形成する火成岩の岩石が多く、いかにも痩せた大地だ。カボチャ畑、種だけをとり実は捨てる

 こんな痩せた畑にも大地の恵みがあるようで、所々、黄色でソフトボールを一回り大きくした真ん丸な物が見える。ガイドに聞くとカボチャだという。しかしこのカボチャ日本とは全然違うタイプで、中の種だけを取り出し、肝心の実の部分は食べず全て捨てるのだそうだ。取り出した種は加工食品として菓子や珍味にするとのこと。
 幾つか小さな村を通り過ぎ、
岩山に貼りつくように建つ家々の景観を眺めていると、道は登り坂へとなり、丘のすそ野をまわりこむと、大地が大きくえぐりとられた「ウフララ渓谷」が見えてきた。

ウフララ渓谷

ウフララ渓谷、洞窟住居や岩窟教会がある
 ここは深い谷に清流が流れ、緑深い景色が広がっている全長13Kmの渓谷だ。約150mもの切り立った崖に囲まれ、谷底には5000もの洞窟住居と105の岩窟教会などの礼拝場が残されているという。
 ビザンチン帝国(西暦395年 〜1453年・首都はコンスタチノーブル現在のイスタンブール。東西に分裂したローマ帝国の東方地域を継承し、オスマン帝国によって滅ぼされるまでの1000年以上にわたって存続した帝国)の修道僧が好んで住んだ隠遁所だったところでもあるのだ。また、ここでは800年前のミイラもここで見つかっているという。渓谷の谷底へ360段の石段を下っていく途中で、


 まだ観光客の来ていないガラ空きの駐車場にバスが停まると、私は真っ先に売店のトイレに駆け込んだ。出がけに日本から主治医に頼んで持ってきた「下痢止め薬」を服用してきたのだが全然効かない!今日は辛い一日になりそうだ。
 私達は渓谷の谷底に降りていくため、崖にへばりついた360段あるという石段を下りだした。
 崖の石段から眼下に広がる渓谷は絶景である。イメージ的には日本の層雲峡を何倍も大きくした感じだ。おっかなびっくり、カメラのシャッターチャンスに立ち止まりながらゆっくり下りていると、後から来た大学生らしき団体が、賑やかにお喋りしながら足取りも軽く私達を追い越していく。フランス語が聞こえてきたので留学生とトルコ人学生の集団のようだ。東洋系の顔立ちのものも中に混じっている。私達20名もの日本人の老人集団に出合い、ビックリした視線を浴びせて来る者もいる。
岩窟教会の天井の壁画

 石段脇の崖に貼りつくように赤い実の「ピスタチオ」が所々に散見されるなか、谷底に着いた。この石段を下りたあたりに教会が集中してしてる。この中から「木の下教会」を見学するべく洞窟をくぐった。9世紀〜10世紀にかけてのもので、薄暗い室内のドーム型の天井にはキリスト昇天の場面が描かれていた。奥まったところの壁のくぼみはお墓だ。
この教会を出ると、次の渓谷奥の教会まで渓流沿いの遊歩道をハイキングとなった。渓流に架かる木橋の上で

 見上げると絶壁の上には真っ青な空、ポプラの木々に囲まれ、陽の光でキラキラ輝く清流、澄んだ空気を吸いながら森林浴気分で散策を続けていく。
 渓流に架かる木橋を渡り対岸に渡りしばらく進むと崖に突き当たった。 石段を登ると、ここにも岩窟教会があり、天井には浮き彫りされた十字と、壁面いっぱいにフレスコ画の宗教画が描かれていた。帰りは駐車場までの集合時間を決めると、各自が思い思いに再び同じ道を戻っていくことになった。また360段の登っていかねばならぬ。

スターウオーズやムーミンのアニメの世界

 バスはウフララ渓谷から昼食のためギョレメの町へ戻るべく走り出した。途中この渓谷を流れるメレンディズリ川の源流地である「セメリ」の集落で写真ストップすることになった。ここは観光コース外で旅程表にも組み入れされていないのだが、バスの車窓から見えた景観が、まるで映画のスターウオーズの世界を連想させるようだったので、特に頼んで路上に臨時ストップしてもらったのだ。
集落の裏手は映画のスターウオーズのような景観

 一般の旅行会社のツアーならこんな願いはできない!私達だけのオリジナルツアーなので、添乗員も可能な限り希望を聞き届けてくれるのだ。
 私達はひっきりなしにトラックが走る道路を横断すると、小さな集落の中に入って行った。
 集落の背後には巨大な岩山、風化浸食により円錐形になった岩々、岩山のいたるところに洞窟住居の横穴、なんとも奇妙な景観なのである。アニメのムーミンの住みかのようにも見える。カメラを抱えていたら幼い兄妹がびっくりして住居から飛び出し声をかけてくる。

ムードいっぱい小さな洞窟レストラン

トンガリ帽子の洞窟レストラン外観

 ウフララ渓谷から再び来た道を戻ると、ギョレメ谷の奇岩群が一望できる台地にある洞窟レストランに着いた。昨日のランチで入った巨大な洞窟レストランとは違い、ここはトンガリ帽子の小岩をくり抜いたこじんまりしたレストランである。ここもかっては教会だったのだろう。ここからの展望も素晴らしく、レストランを取り囲むように不思議な洞窟住居の奇岩ばかりだ。
 階段を上り岩の中ほどに開いた穴からレストランに入っていく。外から見るのとは違い、中はかなり広く、壁は漆喰だろうか真っ白に塗られ、「かまくら」のような小部屋が幾つもある。洞窟の中はきれいでムードいっぱいのレストラン


 私達は20名が揃って座れるテーブル席が用意された部屋に案内された。例によって席に着くやいなや、まずは飲み物の注文である。私は朝から下痢の症状がひどいのでビールは注文せず我慢することにして、おとなしく野菜サラダを食べ始めた。ところがである、そんな私をしり目に、目の前に座っているJ氏やO氏がこれみよがしに美味そうにビールを飲み始めるではないか。私は自制心の効かない弱い男である。見ていると我慢できなくなった。もう下痢なんてどうでもいい!ウエイターに「ワンビヤー」と叫ぶ自分が情けない!。
 トルコを代表するビール

 ちなみにトルコのビールは、トルコ国内のビール市場の75%のシェアを持つ代表ブランドのEFES(エフェス)で、その名はエーゲ海側の古代都市「エフェス」に因んだものだ。トルコ産の良質な麦芽を100%使用したアルコール度数5.0%で、明るい琥珀色で細かい泡立ち、苦みが少なくすっきりとした飲み心地なのである。
 今日のランチメニューは「麦のスープ」「野菜サラダ」「パイ生地で具を巻いた春巻き」でメインはカッパドキア地方の郷土料理「チャムネキ、ケバブ」である。このメイン料理は大きな壺に牛肉と野菜を3時間もかけて蒸煮込んだもので、壺口にはパン生地でふたがされ香りが逃げないようになっている。ウエイターが席まで壺を持ってきて私達にわざわざ見せて回ると、やがて口を開け皿に盛られたアツアツの料理が運ばれきた。湯気があがる料理からはプ〜ンといい香りがして洞窟内いっぱいに広がる。最後はイチジクとアンズの甘いデザートで満足のいくランチだった。

「ムードある洞窟レストラン」画像の上でクリックすると拡大画像になります。
            (画像を閉じるにはページ右上の×で)

レストラン裏の奇岩 洞窟の中の小部屋 まずはビールの注文


トルコのトイレ事情その1 

O氏の悩み??

 昼食を終え、バスへの集合時間を決めると、しばし休息となった。それぞれトイレに行く者、周囲の奇岩の写真を撮る者さまざまである。
 私がレストランの前庭でブラブラしていると、公衆トイレから出てきたO氏がやって来て、「佐藤さん!トイレ済ました?」と話しかけてきた。私が「いやまだです!」というと、O氏「佐藤さん!ここのトイレには参りました!とんでもないトイレです!」と言う。私が「何で!」と言うと、O氏「ちょっと僕と一緒にトイレに行きましょ!」と言うではないか!。
あの懐かしい便器、位置が高すぎる
 O氏が言ってる意味が分からず、彼について一緒にトイレに入ると、日本ではほとんど見られなくなったあの懐かしい「アサガオの小便器」がずらり並んでいる。
(トルコではこのタイプの便器が多く、旅の先々でけっこう見かけた)
 トイレに入るやいなや、O氏が「佐藤さん!あの便器の高さ見てください!」「私のようなチビではアレが届きません!?」
「ひどいと思いませんか!」と興奮口調で言うではないか。
なるほど、確かにひと目見ただけでも便器の位置が異常に高いとわかる。この便器は身長の高い欧米人仕様で作られたものだ。私がアサガオ便器の前に立ってみると、つま先立ってやっと届く高さである。ちなみに私は身長175cmメートルで、ナニだって人並みにはあるつもりだ。

 かく言うO氏は私よりほんの10cmほど背が低い程度である。O氏がわざわざ便器の前に立ち「ね!届きません!ひどいでしょ!」と言いながら実演してみせてくれる。確かに「アレ」の位置より10cmほど高いところにアサガオが口を開いている。個人情報ですので顔を隠しました

 いかに辛い状況かO氏が私に一生懸命訴えるのである!O氏「つま先立ちの背伸び姿勢で、上に向け放尿を始めたが、身体はふらつくし、最初はアサガオに届いていた小便も途中で勢いがなくなり届かなくなり、前にこぼれてしまうのです!」と悲しげにいう。
 
 私は彼の言うことが十分理解できた。我々シニア年代になると小便は若いころのように勢いがなくなり、放出力が落ち途中でダラダラと流れ出てしまうのだ。このような状態ではナニを上に向けての放尿など危険なのである。下に向けてでないとズボンの前が汚れてしまうのだ。
 さりげなくO氏のズボンの前を見てみると、こころなしか濡れているようにも見える!!

ネブシュヒサールの下町散策

 午後からは下町散策のため人口7万人ほどのネブシュヒサールの町へバスは向かった。公園でカメラを構えたら子供達が寄って来た
 ところがこの町は観光地と違い、街中は交通規制が厳しくバスを停める駐車場がない。バスはメイン通りの路上に臨時停車し、あわただしく私達を降ろすと走り去った。私達が散策して戻ってくるまで、街中を走りながら待っているとのことである。
 大通りから一歩中に入り、アパートが建ち並ぶ住宅街を私達はブラブラ歩きだした。前方に現代風のファトマハトウンモスクが見えてきた。このファトマハトウンとはイスラム教の最高権威者カリフ夫人の名前で、多くのモスクを建てたらしい。こんなモスクが町内単位にいたるところにあるとのことだ。

モスク脇の路地裏でワッと寄って来た子供たちと
 
 旅仲間がモスクの玄関口で添乗員のラナ女史の説明を聞いている間に、私は路地の先の方に行ってみた。すると小さな公園があり5〜6人の子供たちが遊んでいる。
 私がカメラを構えると、遊びを止めワッっと寄って来て笑顔のポーズをつくってくれる。人なつこい子供たちだ。
 写真を撮り終え、皆がいるモスクに戻ろうとすると何と!見慣れない顔立ちの外国人がよほど珍しいのか、私の後ろをゾロゾロついてくるではないか。
 モスク前に戻ると、私達大勢の旅仲間がいるのを見て、私の後ろをついてきた子供達が大騒ぎである。そんな子供達を真ん中に記念写真を撮ろうということになった。ワイワイやっている歓声がモスクの向かいのアパート聞こえたのか、窓を開け私達を興味深々眺める住民もいる。そりゃそうだろう!観光コース外の路地裏にこんなに大挙して外国人が来るのは初めてのはずだ。
街中で一緒に写真をお願いしたら応じてくれた

 住宅街から大通りに出てゾロゾロ歩いていると、すれ違う地元の人達は気さくで温かい微笑みを返してくれる。
 床屋の店先を通ると散髪中の主人まで手を休め手を振ってくれる。トルコは世界で一番の親日国と聞いていたが、間違いなくその通りだとの気がしてくる。
 東洋系の顔立ちで集団で街歩きしている外国人なんて日本人しかいない国だ。住民は皆、私達が日本人観光客だと分かるのだろう。
 バス停のベンチに腰掛けていたスカーフを被った女性に一緒に写真を撮らしてほしいと頼むと快く応じてくれたので、大通りのど真ん中での記念写真となった。
ほんの短い時間であったが、地元の人々に真近に触れあえた街歩き散策であった。

信仰のなせる力は凄い!
カイマクリ地下都市

 今日最後の観光となる、世界的にも類を見ない「カイマクル地下都市」の駐車場にバスは停まった。腰をかがめ狭い通路から地下都市へ入る

 さすが世界的な観光名所だけあって、何十台ものバスがギッシリ駐車場を埋め尽くしている。
ここカイマクリの岩窟住居は、蟻の巣のように地下に伸びる地下都市だ。その発祥や歴史には謎が多く、よく解明されていないらしいが、紀元前400年頃の記録に、この地下都市の状態が記されているほど古いものだ。
 古代から穀物の貯蔵庫として利用されていた洞窟に古代ローマ時代のキリスト教の修道士たちが、迫害から逃れるために暮らすようになり、10世紀ごろまで利用されていたという。

 私達はバスを降りると迷子にならぬよう、ひと固まりになり両脇に土産物店が軒を連ねる坂道を歩き出した。世界中からの観光客で道は溢れかえるほどだ。やがて崖にぽっかり口を開けた横穴が見えてきたが、ゲート付近は洞窟に入る順番待ちの人混みで黒山のようになっている。私達の入場の順番がくるまで待機である。
 さまざまな用途に使われた部屋が無数にある
やがて私達が入れる順番がきた。大きな横穴を進むと大きな部屋があり、教会だったところだ。
アーチ型に削り抜かれた岩肌の真ん中には十字削られた祈りの場や煤で黒ずんだ祭壇などがある。
 洞窟内は人混みでごった返しているが、私達は無線レシーバーを耳に装着しているので添乗員のラナ女史の説明がしっかりと聞こえてくる。
 この教会跡の奥にやっと人ひとりがかがんで入れるほどの横穴が幾つかぽっかりと口を開いてる。
 私達はその一つの横穴にラナ女史のあとに続いて入りこんだ。ここから、地下55m、地下5階まで、迷路に次ぐ迷路が張り巡らされ、光の入らぬ方向感覚も失う地下都市の始まりだ。

蟻の巣のように通路が枝分かれして迷路のよう
 とにかく狭く天井も低い。背の高い欧米人観光客は天井に頭をぶつけながら、悪戦苦闘しながら穴を進んでいく。その点、トイレでは難儀した小柄なO氏もここ地下都市ではスイスイと進んでいく。背が低いというのは悪いことばかりではないのだ。
 次々と小部屋が現れ、その小部屋からまた幾つもの横穴や縦穴が口を開いてる。
外からの通気口が各階に通じ息苦しさは全然感じない、礼拝堂、教壇のある学校の教室、寝室、厨房、食糧庫、家畜小屋、さらには80mの深さがある井戸など、大規模な共同生活が営まれていたことがわかる。一説には2万人が暮らしていたという。まさに驚きの世界が地下にあるのである。
敵が侵入したとき通路を塞ぐための車輪のような石

 迷路である、ただひたすら前方を進む者の背中を見ながら進むだけで、自分が何階にいるのか位置も方向感覚もわからない。
 間違えて違う横穴に入ったら最後だ!ガイドがいなければ絶対に出口にたどりつけないだろう。
 通路のところどころ敵の侵入に備えた車輪のような丸い石が、道をふさぐように置いてある。
敵が侵入してきたときこれを転がし道を塞ぐのだ。
 登ったり降りたりしながら地下5階までやってきた。台所やブドウ酒を作るための圧搾沿槽が床に掘られ、絞った汁を貯めるための受け皿までがあるワイナリー部屋まである。
この下層にも地下都市がひろがっているが公開されていないということで、私達は出口に向かうことにした。かなり見て歩いたつもりだが、これでまだ十分の一しか見学していないとのことだった。

3日間にわたるカッパドキアでの観光は全て終えた

市場経由でホテルへ

 地下都市の見学を終えると3日間にわたるカッパドキアの観光は全て終わった。ホテルに戻るのだが、時刻はまだ17時前で少々時間があるので、近くにある青空市場を見学してからホテルに戻ろうということになった。
 地下都市の土産物店街の裏手から石造りの古びた住宅街の路地に足を踏み入れ、しばらく進むと住宅街の空き地に青空市場が現れた。青空市場にて右下の果実はザクロ


 野菜と果物が中心の市場で、私達は商品が並べられた店頭をのぞき込みながら、通路を進んでいくのだが、どの店主も微笑みで応えてくれる。何人かがブドウを買うべく交渉を始めた。言葉は全然通じないので、もちろんジェスチャーでだ。
 市場を抜けた先の大通りに出ると、すでに先回りしてバスが待機してる。乗り込むとホテル直行である。車中でラナ女史がカッパドキアはトルコでも有数の絨毯の産地なので、皆さんの中で希望者がおれば製造直売所に案内するとアナウンス。ホテルに到着して大半のひとが降りたが、何人かはバスから降りず、そのまま絨毯の店に行ったようだった。

 今日も夕食はレストランでのバイキングスタイルである。例によって全員揃って賑やかな夕食を終えると、それぞれ部屋に引きあげた。ところが今日はもう一人のO氏の部屋で2次会をするという。
夕食後は部屋で2次会
 私は朝からずっと体調(下痢)が悪いのでパスして早めにベットインするつもりだったのだが、誘われたとたん「部屋に行きます」
と応えてしまった。
 私は誘われると否と言えない弱い人間である。酒と聞くと断れない自分が本当に情けない。
 O氏の部屋で2次会が始まった。つまみが無く、もの足りない思いをしていると、B班長のSさんが昨夜の宴会の残りですと、いいながら酒とつまみを持って部屋に入って来た。もう止まらない!飲み過ぎて、また明日も下痢で苦しまなければならぬ。

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                                    終わり 

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