旅8日目 栄光の歴史ペルガモン王国・伝説でなかったトロイ戦争とトロイの木馬

東西文明の十字路、トルコ旅行記・旅の8日目

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  旅の8日目 
ペルガモン遺跡からトロイの木馬のトロイ遺跡へ


5時起床の7時出発

 枕もとのモーニングコールの電話が鳴っている!時刻は午前5時である。起床するのがつらい!頭が重く体もだるく完全に二日酔いの症状だ。昨夜のシーフードレストランでの美味い魚料理と仲間との語らいに、ついつい調子に乗りワインを飲み過ぎた。
 おまけに飲み過ぎで下痢ぎみだ。トイレに駆け込み用を済ますと、あわただしく出発準備に取りかかった。6時までに旅行ケースを廊下に出さねばならぬことになっている。何しろ今日はホテルの出発が7時なのだ。
子供たちが学校に行きだした、早朝の一コマ

 朝食は6時からレストランでとなっているが、二日酔いと下痢ぎみなので今日は朝食抜きにすることにした。私は虚弱体質ですぐ腸の具合がおかしくなるのだ。
 皆がレストランにいってる時間、持参のインスタントコーヒーを飲みながら、昨日の行動を忘れぬうちにメモ帳に記入しておくことにした。帰国してからこのメモ帳をチェックしながらトルコ旅行記のホームページを作るのだ。
自宅で早朝のひと時、旅行記のホームページ作成作業に没頭することが、進行中の脳軟化症とボケ防止に役立つのだ。

景色を楽しまずひたすら爆睡

 7時の出発時間がやってきた。今日の旅程はバスでエーゲ海の海岸線を3時間ほど北上し、紀元前に栄えた「ペルガモン王国の遺跡」を観光し、さらに2時間ほど走り古代ギリシャ詩人ホメロスの叙事詩で有名な「トロイ戦争にでてくるトロイの木馬」のトロイ遺跡を観光しチャナッカレの港町に泊るのである。
全員が爆睡している。私はもったないくて眠らない
 外はまだ薄暗く、空にはまだ三日月がみえるなか、バスは快適な自動車道を走り出した。
 車窓からは、秋の収穫作業にむかう女性たちを乗せたトラック、学校や通勤にバス亭に列をなす高校生や勤め人たち、早朝らしい風景が視線にはいってくる。
 
 しばらくすると、ざわついていた車内が急に静かになってきた。
旅も8日目に入ると疲れと早朝の出立のせいか、全員みごとに熟睡モードに入っている。最後尾に座る私だけが、眠るのがもったいないので起きているだけだ。
一人ひとりの寝顔を撮ってやろうとバスの中を移動してあるくのだが、誰も目を覚まさない。車窓からは延々とオリーブ林がつづく

 ゆるやかに起伏する農作地帯を走っていると、時おり電柱の頭部につくられたコウノトリの巣が見えたりするなか、やがてトルコ第三の都市「イズミル」を抜けるとバスは高速道に入った。
道路の両脇にはオリーブ畑が延々と続き快適な道路だ。トルコに入ってからずっとバスで走ってきたが、どこを走っても快適に自動車道が整備されていることに、あらためて驚かされる。

古代王国ペルガモン

丘を登りアクロポリスへ

 アクロポリスがあるペルガモンの町
走ること3時間あまり、人口5万人ほどのベルガマの町に入った。すると車窓の左手に小高い丘が見えてきた。ガイドがこの丘の上にペルガモン王国のアクロポリスがあると言う。
(アクロポリスとは「小高い丘」を意味し、防壁で固められた自然の丘に神殿や城塞が築かれ、聖域であるとともに政治の中心だった。)
 バスはベルガマの市街を抜けると、標高335mある小山の山道を登っていく。やがて頂上近くの狭い駐車場に停まった。ここから歩いて坂道をすこし上るとペルガモン王国のアクロポリスの上市遺跡があるのである。

ペルガモン王国の歴史

この小山の頂上がペルガモン王国のアクロポリス
 ここ「ペルガモン」と呼ばれた古代都市はヘレニズム都市のひとつで、その歴史は紀元前4世紀までさかのぼり、東方世界を席巻したアレキサンダー大王の死後から始まる。
 紀元前333年、大王亡きあと遺言で後継者を定めなかったことから、広大な領土は部下の将軍たちによって分割され、各地に王国が建設された。(これら王国はギリシャ文化とオリエント文化が融合して生まれた「ヘレニズム文化」が栄えたことからヘレニズム王国ともいう。)
 ここペルガモンには、アレキサンダー大王の莫大な遺産が運ばれ、それを継承した将軍のリシマコスによって新王朝が開かれたが、彼はシリアとの戦いで戦死。その部下であったフィレタイロスがその財宝を奪い、ペルガモン王国を築いたのである。
アクロポリス上市に向かって石畳を登っていく

 王国は甥のエウメネス1世の時代に繁栄の時を迎える。
この王朝は都市国家ローマとともにシリアと戦い、小アジア(現トルコの大部分)における交易の権益を得たことにより繁栄の時を迎えたのである。
 ローマの庇護を受け、地中海交易からあがる富をバックにギリシャ文化を取り入れたアクロポリスの建設が次々と行われ、巨大な神殿や劇場などが数多く建てられた。その後、紀元前133年、アッタロス3世が亡くなり、後継者がいなかったことから、この王国は消滅しローマ帝国の属州となった。その後も小アジアのおける典型的なヘレニズム都市として、エフェソスと共に繁栄が続いたのだが、イスラム勢力の興隆によりアラブの攻撃を受け衰退していったのだ。

芸術や学問の中心、煌めくヘレニズム文化
ベルガモンのアクロポリス

ペルガモン王国のアクロポリス上市

 私達はバスを降りるとアクロポリスの上市に向かって坂道を登りだした。道の両脇には紙一枚入るすき間のない、きれいな状態で残る城壁がひろがっている。
 標高335mもある丘だけにあって、坂道から振り返ると眼下にはベルガマの町が一望できる。
 丘の下から上にむかって下市、中市、上市に分かれて遺跡があるのだが、私達は見所が多い上市だけを見学することにした。
アテナ神殿跡、折れた石柱が整然と並んでいる

 この上市にトラヤヌス神殿、アテナ神殿、円形劇場、図書館、ゼウスの大祭壇など、往時の芸術や学問が栄えた煌めくヘレニズム文化の遺跡があるのである。
 丘の頂上部の平坦な場所に出ると、そこはかって「アテナ神殿」だったところだ。紀元前4世紀のものといわれ、ヘレニズム芸術の最高傑作のひとつ瀕死のガリア人など見事な彫刻群が飾られていたということだが、今は折れた石柱の礎が残るのみだ。

トラヤヌス神殿と世界一を争った図書館

 トラヤヌス神殿、2階には世界最大規模の図書館があった

 さらに進むと、ペルガモン遺跡を代表する、かっての王宮跡に造営された「トラヤヌス神殿」につき当たった。
ローマ皇帝のハドリアヌスが先帝のトラヤヌスに捧げた、すべて大理石の神殿である。わずかにコリント式(古代ギリシャ建築における三大建築様式のひとつ、ギリシャの都市国家コリントスに由来する)の石柱が残るのみだが、溝が彫られた細身の柱身と、アカンサスの葉が象られた装飾的な柱頭が実に美しく芸術的だ。
コリント式の石柱が美しく芸術的

 この神殿の二階部分には、当時、古代最大にして最高の図書館といわれたエジプトのアレキサンドリア図書館に対抗し、20万巻もの蔵書を誇った図書館もあったのである。
 伝説によれば、この図書館に世界一の座を脅かされたエジプトが、パピルス紙の輸出を禁止したため、困ったペルガモン側はそれに替わる羊皮紙を発明したという。現在羊皮紙の独語名「ペルガモント」はここペルガモンが語源になっているのだ。
 アレキサンドリアの図書館を灰塵に帰したローマ帝国の将軍アントニウスは、この図書館の蔵書を愛する「クレオパトラ」に贈り物にするため運ぶ途中、暴動により全て消失したという。

ベルリンのペルガモン博物館

 ちなみに、このペルガモン遺跡の主要な部分は、20世紀初頭にドイツの調査団によって国外に持ち去られ、現在はベルリンの「ペルガモン博物館」に展示されている。もっと詳しくペルガモンを知りたければドイツに行くしかないのである。
 まぁドイツだけでなく大英博物館にしろスミソニアン博物館にしろ、世界各国からの収奪品がなければ博物館の体をなさないのだが。
世界一急斜面な劇場、彼方にはペルガモンの町

 トラヤヌス神殿から丘の端、崖沿いの道にでると丘の急斜面に扇型にひろがる劇場が一望できる。
 数ある古代劇場のなかで世界一の急斜面といわれる劇場だ。
劇場下段のテラスにはカラカラ帝によって再建されたディオニソス神殿(酒神)があり、盛大に酒と収穫の祭りが行われていたとのことだ。

歴史ロマンだぁ〜

 しかし、このペルガモン丘からの眺望はすばらしい!
崖に突き出た遺跡に立ち、街を見下ろす私の後ろ姿
崖から突き出た遺跡の上に立つと、足下にはペルガモンの町が広がり、彼方には古代ローマ水道橋が見える。
 2000年前はどんな都市だったのだろうと思いがわき上がる。私も高いところは苦手だが、しばしロマンに浸ることにした。グループの最後尾を歩きながら、こんな単独行動をしているから、エフェソス遺跡でも迷子になってしまったのだ。
 そんな私を仲間の一人が背中越しから写真を撮ってくれた。自分で言うのも何だが!老い先短くなった男の背中からは哀愁が感じられないだろうか!?私のお気に入りにの1枚になった。

 ぐるり一巡して駐車場に戻ると、小さな売店があり店頭のガラスケースに積まれた真っ赤な「ザクロ」が目に入った。ザクロの生ジュースを20杯注文する

店の兄ちゃんがザクロを半分に切り、押しつぶして生ジュースを作っている。見ていると、どうしても飲みたくなったので値段を聞くとカップ一杯3リラ(190円)だという。
 私が預かり持っている小遣いを使い、旅仲間全員分20杯を注文すると、兄ちゃん、がぜん色めきたった!指を二本立て「本当に20杯か!」と私に聞き直してくるではないか!私が「そうだ20杯だ!」というと、売店の奥から2名の兄ちゃんまで飛び出してきてザクロを切りだした!そりゃそうだろう!20杯もまとめて注文する客なんてめったにいないだろう。
全員で生搾りザクロジュースを飲む。生らしい甘酸っぱい味が口いっぱいにひろがり、けっこう美味い!。

古代の総合医療センター「アクスレピオン」

アスクレピオンの図書館跡、医学書などもあった

 ペルガマ上市遺跡の見学を終えると、次は丘を下ったところにある古代の総合医療センターだった「アクスレピオン」の見学となった。(医神アスクレピオスにちなんだ病気治療施設)
 バスは再び丘を下りベルガマの街を抜けると殺風景な広場に停まった。ここからアカンサスの葉模様が彫刻されたイオニア式円柱が建ち並ぶ「聖なる道」と呼ばれる通りを進んでいくと、「アクスレピオン」の医療建造物地区へ至るのである。
オデオンまであり音楽療法まで試みられた

 紀元前4世紀から紀元後4世紀まで使われたこの医療施設は、病人や代理人が生贄を捧げ、入浴して体を清め宿泊して治療を受けたとされている。ここには紀元前当時、世界一の医師といわれたギリシャ人「ガレン」がいたとのことで、古代世界では最も有名で先進的だったのである。
 聖なる道を抜けた広場には、再生のシンボルとされる「へび」の彫刻を施した円柱が残っている。そのすぐ隣には医学書なども集められた図書館、広場の中央に体を清めた聖なる泉と、いくつもの浴槽がある。広場の端までいくとオデオン(円形音楽堂)まであり、音楽療法なども試みられていたというから凄い。
聖なる道を戻っていくと前方の小山に
先ほど見学したアクロポリスが見えた

 いくつもの浴槽があちこちにある。入浴後、神聖な場所である治療施設に向かったトンネルがある。トンネルは俗界と神聖な場との境界であり、患者の精神を休めるため、トンネル内には渓流のせせらぎ音が聞こえるようにしていたというから現代でも通用する先進性に驚く。
 一巡して駐車場まで再び聖なる道を戻っていくと、真正面の小山に先ほど見学したアクロポリスが見えた。それにしてもあんな山頂で暮らしていた人々の生活は不便だったに違いないと思う。それでも少しでも天国にちかい場所を求めて山や丘の上にアクロポリスを造っていったのか。

世界遺産トロイ遺跡へ

バスはエーゲ海岸線をひた走る

車窓からはエーゲ海とオリーブ林が続く

 昼食はペルガモンのレストランで、メインディッシュに茄子のペーストに牛肉を乗せた地元の名物料理を取ると、バスは一路エーゲ海の海岸線を「トロイ遺跡」に向かって走り出した。
 車窓からはエーゲ海の波打ち際までオリーブ林ばかりがどこまでも続く。ときおり塩田に飛来してきたフラミンゴの姿や、エーゲ海の彼方にはギリシャ領の島々が見えたりする。
 
 ひたすら走り続けるバス車内で
は、次から次へと菓子や果物がバスは一日に1回必ず洗車してくれる

回されてきて口を休めるひまがないほどだ。そして食べ終わると急に静かになり、皆ぐっすり眠りに入る。食ちゃ寝、食ちゃ寝で、これじゃ帰国する頃には全員体重増加間違いなしだ。
 それにしても、トルコの観光バスは実に清潔だ。私達がドライブインでトイレ休憩で一服している間に、運転手が必ず毎日1回ボデーの洗車をしている。手抜きしないプロ根性に感動さえ覚える。

 ドル、ユーロ、リラ、円の値札
何度も旅をした中国ではバスの運転手は最後まで洗車をしようとしなかった。中国の運ちゃん、いわく「俺は運転手で洗車係でない!」という見上げたプロ根性に唖然としたものだ。
 途中のドライブインで、商品棚に貼ってある値札に目がとまった。よく見てみたら上からドル、ユーロ、リラ、円と4カ国の通貨単位で書かれているのが面白い。世界の観光客を相手にしているのだ。
 走ること2時間あまり、今日最後の観光となるあの伝説のトロイ遺跡に着いた。

トロイ遺跡、伝説のトロイの木馬

トロイ戦争の物語のトロイの木馬

 バスを降りると、すぐ目の前のゲート前広場に伝説の巨大なトロイの木馬が私たちを見下ろすような容で迎えてくれた。
トロイ戦争の「トロイの木馬」にちなんで、近年観光客用の建設されたモニュメントだ。これがあまりにも想像していたのとは大違いで、笑いだしたくなるほど陳腐なものだった。
 3000年以上の歴史を誇る世界遺産の遺跡の真正面に何の芸術性もない大きなオモチャが居座っているのである。これじゃ遊園地ではないか。馬の腹の下に階段があり中に入っていけるようになっているが入る気も起きない。

トロイ遺跡の歴史

城壁でトロイ戦争の歴史をガイドから聞いている
 ここトロイ遺跡は紀元前8世紀ごろ、古代ギリシャの詩人ホメロス作とされるギリシャ最古最大の英雄叙事詩「イリアス」(ギリシア神話を題材とした紀元前1200年頃に起きたトロイ戦争について書かれた物語)の中に描かれている。
 ギリシャのスパルタ王の妃である絶世の美女をトロイの王子が奪ったことから始まる、ギリシャのスパルタとトロイの10年にもわたる伝説のトロイ戦争の物語だ。
まぁわかり易く言えば美女をめぐるオス同士の争奪戦みたいなものだ。

 抒情詩にはトロイ城をめぐるリアルな攻城戦を細かく描写されており、現実的描写と神話的要素が絡み合った内容なのだが、この中に「トロイの木馬」が登場するのである。 物語には神話の世界の神々が登場することから、トロイ戦争は19世紀まで長いこと伝説とされてきた。
 ちなみに、このトロイ戦争の物語には、足首以外は不死身とされたギリシャの戦士「アキレス」が登場するのだ。トロイ側の放った矢がアキレスの唯一の弱点であるかかと(アキレス腱という名はこれに由来する)にあたり、ついにはアキレスはトロイの戦いで命を落としたのだ。それにしても、ここトロイに来るまでアキレス腱の由来は全く知らなかった。

伝説から実在が証明されたトロイ遺跡

部分的だが城壁や石畳がきれいに残っている

 この叙事詩24巻を読んで、感激したのが19世紀のドイツの牧師の息子シュリーマン。商人として成功を収めたが、子供のころ聞いたホメロスのトロイの叙事詩が忘れられず、伝説といわれていたトロイ戦争の話を信じ続け、「トロイの木馬跡」を発見することに夢中になる。
 仕事をやめ自費で遺跡発掘を繰り返し、10年かけて遂にトロイの都市を発見したのである。その後ドイツの考古学者とともに発掘調査を進め、幾層にもわたる遺跡の第7層から要塞が発見され、これがトロイ遺跡として断定され、1998年に世界遺産に登録されたのである。

何故か!トルコの観光地は野良犬(猫)が多い

トルコの観光地はどこえ行っても野良犬、猫が多い
 ゲートに向かってプロムナードを進むと、またしても通路脇の遺跡の残骸の上で、今度は猫が日向ぼっこしている。トルコに来て今日までさまざま観光地を見学してきたが、不思議なことにどこの観光地にも野良犬がいるのである。 それも遊歩道に手足を伸ばしデ〜ンと寝そべっているのだ。
 犬の上を観光客が跨ぐようにしても人間慣れしていて、横着にも動こうともしないのである。
 ここ、トロイ遺跡では、犬のかわりに猫の出現で、カメラを持って近づいても逃げようとしない。意に介さずごろ寝している。野良猫の写真を撮ってもしかたないのだが、証明のために1枚撮ることにした。
敵の攻撃から守るためカーブが連続する城壁

 遺跡の中に入っていくと、世界遺産にしてはちょっと期待はずれである。この前に見学してきたエフェソスやペルガモン遺跡と違って、あまり保存修復状態が良くないのだ。これがあのトロイ遺跡かというイメージが湧いてこないのである。あまりにも古い遺跡なので無理もないのだが・・・
 この地には紀元前3千年前から都市が構築され、エーゲ海岸の交易の中心地として繁栄の時を迎えた。その後、栄えては滅びるという歴史を繰り返し、そのたびに新しい都市が廃墟の上に構築され、このトロイ遺跡は全部で9層にわたる都市遺跡を形成し、遺跡のほとんどが土の中に埋もれているのである。
 ここにもローマ時代の小さな円形劇場がある

 遊歩道に沿っていくと、敵の攻撃から守るためのカーブの先にある城門跡。幾層にも積み重なった神殿、宮殿、住居などの遺跡が広っている。城壁にそっての廃墟からは肥沃なトロイ平野と、その先のエーゲ海が見え、当時は遺跡の下まで海がきていたことが分かる。出口近くまでくると、ここにもローマ時代の小さな円形劇場があった。
 少々期待はずれではあったが、歴史好きの私にとって、あのトロイ戦争の遺跡の上に立てたことに満足することにした。

何と!夕食に稲庭うどんが出てきた!

 トロイ遺跡での見学が終えると、すでに時刻は17時を過ぎている。ホテルを朝7時に出立して遺跡巡りをしながら走り続けてきた強行軍の一日だった。
 これから今夜の宿泊地であるチャナッカレまでもうひと走りである。エーゲ海の東端アジアとヨーロッパの間に横たわるダーダルネス海峡に面した港町だ。
すっかり陽が落ち真っ暗になったころホテルに着くと、あわただしくホテル内レストランでの夕食となった。
S添乗員が日本から持参した稲庭うどん

 食事も佳境に入ったころ何と!世界紀行のS添乗員が皿に盛られた「稲庭うどん」を持って席にやってきた。そういえば夕食の席に世界紀行のS添乗員の姿が見えないと思ったら、レストランの厨房を借り日本から持参した「稲庭うどん」を茹で上げていたのだ。
日本食が恋しくなった頃を見計らっての世界紀行社の心憎い演出だ。それにしても20名分のうどんと麺つゆを、日本から今日までずっと旅行ケースに入れ持ち歩いてきてくれたS添乗員に頭が下がる。
旅仲間全員から感動と感謝の声があがる。そう言えば、一昨年のシルクロード旅行では、「ざるそば」が出てきたのを思い出した。こんなことをされたら益々世界紀行以外の旅行会社を利用する気にならななくなる。
 
 明日も朝が早い!午前5時起床の7時にホテル出発である。そしてダーダルネス海峡をフェリーで渡り、いよいよイスタンブールに向かうのである。早めにベットインしなければならぬと思っていると、J氏やO氏が夕食後、部屋で飲むぞと目くばせしてくるではないか。下痢で苦しんでいるのに二つ返事で誘いに応じる自分がなさけない。

    栄光の歴史ペルガモン王国・伝説でなかったトロイ戦争とトロイの木馬編 おわり

    旅の9日目・ついに東西文明の架け橋イスタンブールにやって来た!編へ続く