旅7日目-2 聖ヨハネ教会・愛妻への土産・シーフードレストランに飛び込んだ!編

東西文明の十字路、トルコ旅行記・旅7日目-2

 世界自然遺産カッパドキア

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旅の7日目午後・エフェソス遺跡近郊

昼食はクシャダスのレストラン

 世界最大級といわれる古代ローマ都市遺跡エフェソスで、しばし歴史ロマンに浸りながら午前の観光を終えると、いったん宿泊ホテルがあるクシャダス市内に戻り、レストランでの昼食となった。
食前酒はデンマークのビール
 土産物店にレストランが併設された、団体客専用のかなり大きなドライブインようなレストランである。まだ店内はガラ空きで客は私達だけである。奥まった席に座り、例によって食前酒のビールを注文すると、いままで飲み慣れたエフェス(EFES)ブランドに変わり、見たことのないツボルグ(Tuborg)の小瓶が出てきた。ラベルを読んでみるとデンマークの酒造会社となっている。1本7トルコリラ(450円)だ。

 ランチメニューは、野菜サラダ、インゲンの煮付け、メインデッシュが牛肉の串焼きとインディカ米のピラフだ。
 ビールを飲みながら食事をしていると、日本人の団体がドヤドヤと入ってきた。すごい人数である。どこのツアー客かと観察すると、新聞紙面で激安を売りものにツアー募集をする○急交通社のツアー客だ。
シニアもいるがけっこう若い年代が多く、ざっと数えてみると、何と!40名もの大ツアーで国内旅行並みの人数である。
ランチのメインディッシュは牛肉の串焼き

 海外旅行でこんな40名もの大人数の客を添乗員一人で引率し、きめ細かい世話なんて絶対出来っこない!手抜きをしなければ面倒みきれない人数だ。大丈夫なのか!海外旅行ではせいぜい25名が限度だ。
 ツアー客の席を駆けずり回っている添乗員の姿を見ているうちに、かって私もこの○急交通社のツアーに参加して実に不愉快な旅を経験させられたことを思い出した。 心躍らせて旅に参加したのに、さまざまな名目の別途料金徴収の多さと、肝心の観光時間を犠牲にしてまで、旅の先々でバックリベート稼ぎの土産物店への連れ込こむ、悪徳商法まがいのやり方に我慢できず、クレームを付けたことがあるのだ。

 帰国後、電話口で抗議をすると「募集パンフレットの募集要項をよく読めば書いてある!」と言われ、全然相手にしてくれないのである。悔しい思いでパンフを読み直すと、確かに虫メガネを使わなければ読めないほどの小さな字で書いてあったが、これじゃ詐欺みたいなものだ。(私の個人的主観で書いておりますので、不快でしたらご容赦を・・・)

ヨハネの埋葬地に建てられた聖ヨハネ教会

丘の上に城壁に囲まれたような聖ヨハネ教会
 話が横道にそれた。もとへ!昼食後一番の観光は「聖ヨハネ教会」である。
バスは再びエフェソス遺跡があるセルチュクの町に戻るべく走り出した。
 30分ほど走りセルチェクの町に入ると、バスは住宅街の路地から小高いアヤスルクの丘の坂道に停まった。右手にはまるで要塞みたいに城壁に囲まれた聖ヨハネ教会の入り口が見える。これが教会かと見間違うほどである。
 栄華を誇ったビザンチン帝国(東ローマ帝国)も7・8世紀に入ると、エフェスはアラブ人の侵入によって悩まされるようになり、この教会にも外壁が取り付けられ要塞化したのだ。
ローマ風の円柱がもの悲しい聖ヨハネ教会

 エルサレムを追われたキリスト12使徒のひとり「ヨハネ」は、聖母マリアと共にこのエフェソスの地を訪れ、西暦37年〜42年にかけ布教の旅を続けながら晩年を過ごしたと言われている。
 聖パウロの殉教後、副音書を書きあげた聖ヨハネは遺言により、このアヤスルクの丘に埋葬され、一緒に小さな木造の教会が建てられたのだ。
 その後、6世紀にビザンチン帝国皇帝のユスティニアウス1世により建て替えられ、現在ここに残る教会となったのだ。
今では聖地としてエフェソス遺跡観光に来た欧米観光客は観光の第一歩にまずここを訪れるらしい。
礼拝堂があった場所、円柱が林立している

 トルコにきてこの1週間快晴続きの天気に恵まれたきたが、今日は朝からぐずついていた天気が、聖ヨハネ教会に着いたら、とうとう雨が降り出した。
 私達はバックから折りたたみ傘を取り出すと、聖ヨハネ教会正面入り口の追撃門をくぐった。
大きな中庭がありその先に円柱やレンガ壁が見える。当時は6つのドームを持つ本館が建っていたらしい。
彫刻された頭柱が広場いっぱいに置かれている

 いまや完全な廃墟と化し、数多くの石柱の頭部分が無造作に置かれているのが哀愁を誘う。
 広場の端までくると、あらためてここが小高い丘だと気づかされる。彼方には古代における世界の七不思議の一つだった「アルテミス神殿跡」が見える。紀元前に直径1.2mの円柱が127本もあったとされる、ギリシャのパルテノン神殿をしのぐ壮大な神殿は、今は寂しく1本の円柱が立つのみだ。
ビザンチン時代の要塞がきれいに残っている

その手前の眼下には「イーサベイ・ジャーミィ」が見える。
1375年に建設されたモスクで、天井が高く、窓や扉には美しいレリーフが残っているらしい。 
聖ヨハネ教会の丘の上から望むだけで見学ができないのは残念だ。
 ぐるっと半周して教会跡の一番奥まで来ると、教会の裏手のさらに小高いところに、崩れることなく、きれいに残っている城壁が見える。ビザンチン帝国時代に築かれた要塞だ。キリスト教を奉じる斜陽のビザンツ軍と、押し寄せるアラブのイスラム軍が戦ったのであろうか。ちなみにガイドの言うことにはトルコには35000もの城塞があるとのこと。

古い町並みが美しく残るシリンジェ村

ギリシャ風の家々とアルバニアの石畳

 聖ヨハネ教会の見学を終えると、小雨が降ったり止んだりするなか、バスはセルチュクの町を抜け、山あいを目指して走りだした。オリーブ林や桃の畑などを眺めながら、くねくね山道を走ること15分、山の斜面に白壁にテラコッタ色をした屋根の家々が点在するシリンジェ村に着いた。今日最後の観光はこの村の中を自由散策するのである。
石畳をロバが往きかう、のどかな村の一コマ

 ここは山間の人口1000人弱の村で、丘の斜面にはブドウ、桃、イチジク等の果樹園が広がるのどかな村だ。ここは5世紀ごろからギリシャ人が開拓し住む村だったところだ。国境を接するキリスト国家のギリシャとイスラム国家のトルコは常に戦争状態が長く続いた結果、ギリシャに住むトルコ人と、この村のギリシャ人との間で住民交換が行われ、ギリシャ人はギリシャへ返され、代わりにギリシャ在住のトルコ人がこの村に移住してきたのである。
風情あるアルバニアの石畳のメインストリート

 ギリシャ人が住んでいた時代、村の名前はチルキンジュ(可愛くないという意味)と付け、自分たちギリシャ人以外の者が、嫌って村に入ってこないようにしていたのだが、その後トルコ人住むようになってシリンジュ(可愛いという意味)という名前に変えられたとい。
 山あいの斜面にギリシャ風の古い町並みが美しく残っていることから、近年多くの観光客が訪れるようになったのである。
村の入り口で1時間ほどの自由散策となった。小さな村なので迷うことはなく各自が思い思いに散っていく。
白壁に濃い茶色の格子窓のギリシャ風民家

 メインストリートである狭い石畳の道沿いには、カフェ、ワイン、手刺繍品、オリーブ製品等の土産物店がずらりと並んでおり、まるで村民全員が観光客相手に商売をしているみたいだ。
「アルバニアの石畳」と呼ばれ、何ともいえぬいい風情を醸し出している石畳がずっと村の奥まで続いている。店の合間の路地には、白壁に濃い茶色の格子窓がはまった独特の様式のギリシャ式の家々が建ち並んでおり、トルコでは見られぬ独特の景観だ。

愛妻??への土産は特産品のオリーブ油だ!

 ひやかし半分、店頭を覗き込みながら歩いていると、村の特産品であるオリーブを加工したオリーブ油や石鹸を売っている店や、同じく特産品のワインを売る店が多い。
オリーブ油を物色、身振り手振りで値段を確認
 旅仲間も日本への土産品としてオリーブ油、石鹸、ドライフルーツなどを買っている。
 私もオリーブ油を土産物として買うべく、真剣に物色してみることにした。それぞれの農家のオリジナル自家製なのだろうか、どの店先に並んでいるオリーブ油も同じものがない。種類が多くあれこれ迷って決められずにいたら、婆さんが店番している食品店の奥の棚に円筒の化粧箱に入ったおしゃれなものが目に止まった。

 手にとってみると500ml瓶である。身振り手振りで値段を聞くと、けっこう高く15ユーロ(日本円換算2100円)だという。
他の店では500ml瓶は5〜6ユーロだったので、この婆さん、観光客相手なので吹っかけているなと思い、「なぜこんなに高い!」というと、瓶に貼られたラベルを指さし、何か訴えるではないか。何だと思い、ラベルをよく見てみるとOrganik(オーガニック)と書かれている。
土産に買ったオリーブ油

 高い理由は分かった!買うことにして値切ることにした。指を下に向けディスカウント!ディスカウントというと、婆ちゃん、何かわめいて首を横に振る。私もノーノーと言って首を横に振る。
なかなか値引いてくれず12ユーロまでにしかならなかったが、台所に立つ愛妻のため、あきらめ買うことにした。
 ついでにサフランの香辛料があったのでこれも買い、これで今回のトルコ旅行の土産品は全て買い終えた。この先残された旅の期間、もうどこに行っても何も買うまいと心に決めた。 カッパドキアで買った「ベットカバー」と、ここでの「オリーブオイルとサフランの香辛料」が愛妻への土産だ。またそんな物を買ってきてと言われそうな気がする?・・・・

やっぱり日本人!魚料理が恋しい!

急遽、思いつきで外食へ!

 シリンジェ村の散策で今日一日の観光を終えると、クシャダスの港町のホテルに戻った。時刻はまだ午後4時半である。夕食は昨夜と同じくホテルのレストランで、19時半以降でないと入ることができず、それまで3時間も時間がある。
 C班のI班長がせっかくエーゲ海まで来たので、今日はどうしても魚料理が食べたいと昨日から騒いでいる。毎日肉料理ばかりでみんな魚料理が恋しくなっているのだ。
 そのIさんが私に相談を持ちかけてきた。クシャダスの町でビーチサイドのシーフード料理レストランを旅のガイドブックで見つけたので、今日はホテルで夕食せず、何人かの希望者を募り夕食に行ってきたいと言う。 私も魚料理が食べたくてバタバタしていたので、I班長の提案をホテルロビーで旅仲間全員にしてみた。
レストランのガラスケースに並ぶエーゲ海の魚

シーフードレストランで外食したい希望者を募ると何と!20名中16名もが手を挙げるではないか。
突然の思いつきの提案である、レストランに事前予約なんてしていないので、団体で押し掛けても、おそらく入りきれないに違い!と私は思った。
 そこで二つのグループに分けることにしてみた。I班長が目星をつけたシーフードレストランにタクシーで出かけ、本格的にシーフード料理を食べる組。ぶらぶら歩きで出かけ、適当な店に飛び込み酒を飲みながら、つまみに魚料理をとる組。再びこの2案で参加希望をとると、うまい具合に半分程度の人数に分かれた。これで実行が決まった!それぞれがいったん部屋に引きとり18時にロビーに集合することとした。
料理がくる前にまずはビールで乾杯、その後ワイン

 シャワーを浴び、着替えを済ませ一服後ロビーに降りると、すでに皆待っている。本格的シーフードディナー組みには、迷子にならぬよう世界紀行のS添乗員に入ってもらうとタクシーで出発していった。
 私は当然といっては何だが、酒を楽しみながらの組でJ氏やO氏も一緒である。私達はホテルを出ると海岸通りをブラブラ繁華街の方へ向け歩きだした。
 通りの右手はエーゲ海で、左手にカフェやレストランが軒を連ねている。街の中心部方面へあれこれ物色しながら歩んでいると、通りに出された看板にシーフード料理の写真とメニューを掲載しているレストランが目にとまった。明るい店内の小ざっぱりしたレストランである。店内を覗き込むと、奥の方にガラスケースに鮮魚が陳列されている。
店の玄関でJ氏やO氏と相談すると、これ以上歩くのは面倒なのでこのレストランに入ろうということで意見が一致した。

実に美味しいシーフード料理

 大きな「すずき」をまるごと一匹、実に美味かった

 店内に入り店長らしき中年男性に9名が座れる席をつくってもらうと、早速、鮮魚が陳列されているガラスケースに近寄り、魚を選び料理方法をオーダーすることにした。
 店のスタッフとの唯一のコミニケーションは英語である。英語がからっきしダメな私はまるっきり出番が無しだ。英語が得意なJ氏とO氏に任せることにして、そばで店長とのやりとりを見てるしかない。なんとか魚を選び調理方法も決まった!英語ができる二人に尊敬の念が湧いてくる。
 それにしても、英語が得意な人は実に羨ましい!どんな外国でも最低限の意思は伝えることができる。私が学んだ中国語は中国人経営の中華料理店でしか役に立たない。
気さくな店のオーナーと店長とで記念写真を

 席に戻ると、まずはビールで乾杯し、その後はワインとなった。談笑していると注文した料理が運ばれてきた。「イカリングフライ」、「シュリンプの炒め物」、メインは「スズキのオーブン焼き」だ。
食べてみると、これがバツグンに美味い。下味処理がきちんとなされ、香辛料と塩味加減が絶妙で実に美味く、口に入れた全員から「美味しい!」との声があがる。
魚を食べ慣れた日本人の口にピッタリ合うではないか!店長を呼び、親指を立て「Good job」(グッド、ジョブ)と言ってやると、喜んでいる。

エーゲ海の美味しいシーフード料理に旨い地元ワイン!最高の夜だ!明日は長距離移動の強行軍で、5時起床のホテル出発7時である。あまり遅くまで騒いでいてもおられないのだが、どんどんワインがすすむ!4本目の追加注文を出す!もう止まらない
    
    聖地、聖ヨハネ教会・夕食はシーフードレストランに飛び込んだ!編 終わり

        

   旅の8日目・栄光の歴史ペルガモン王国とトロイの木馬のトロイ遺跡。編へ 続く